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無印、小箱編
8月空箱:ダンボールナイン
『子作りの命令』

「実はわたくしは地球の人間ではないのです」
 突然、優佳さんが変なことを言い始めたのは夏の盛りのある日のことだった。
 夏の暑さにやられる人はよくいるので俺は黙って相槌を打って話を聞いている。
「わたくしは宇宙人で地球の調査を命じられていたのです」
「ふむふむ、それで?」
 冷房の温度下げるかな。
「はい。わたくしの星は男の人が少なくて人口減少に悩んでいたのです。そこで異星人と交わって子供を授かろうと計画が立てられました」
「うんうん」
 この話、いつまで続けるんだろ?
 子供の話を聞くような笑顔で聞いてはいるけど、大の大人の妄言って結構きつい。
 正座しているから余計にきつい。
「で、ですから……。あ、あの…………こ、こじゅ…………」
「……よくそこまで言おうと思ったね」
 ところで、それ俺のじゃないからエロ本返してくれませんか?



『大は小を兼ねる』


「百円でこんなハサミ売ってた」
「……枝切り…………何に使うのですか?」
 優佳さんはまた使えない物を買って、と呆れ気味だった。
「爪切り」
「大きすぎて使いにくいです! 何でも大きければいいわけじゃありません」
 実家から持って来ている長年の愛用品が壊れたので、何か代わりがほしいのだ。
「やすりを貸しましょうか?」
「ちまちまとやるのが面倒なんだ」
「わたくしがやってあげますから」
「いや、いいって」
「いいえ、遠慮しないで」
 こんなことが二日ほど続いているから早い所買っておきたい。
 試し切りができれば最高なんだけどなあ。
 ところで、今、うちにはもう一人客がいる。今の今まで黙っていたけど、限界のようで話に割って入って来た。
「それじゃあさ、まさも大きい方がいいわけ? ちょっと寄せて上げてみようか?」
「初芝、お前は黙ってろ」
 大きさは用途に合わせよう。



『喜、怒、哀楽』


 娘が生まれて早一年あまり。
 まだ、娘は喋ることはないけど、感情自体は思った以上に発達している。
「……」
「佳乃が笑ったぞ」
「もう、旦那様は佳乃に骨抜きですね」
 佳乃が喜んでくれると僕も嬉しい。

 しかし、毎日笑っているわけじゃない。
 機嫌の悪い日だってあるわけで……。
「アーアー!」
「佳乃? どうしたのかな? おむつかな? 遊んでほしいのかな?」
「……眠たいだけだよね」
 その後、娘は優佳さんに抱っこされて寝てしまった。
 まだ僕は娘の事が分かりきれていないようだ。

 そのせいもあって時折どう娘と接していいのか迷うことがある。
 今日も佳乃がぐずってしまい、そんな時に限って優佳さんが外出している。
「アーアー」
「佳乃。一緒に遊ぼうかー」
 できるだけ不安を与えないようにとびきりの笑顔でしばらく接してみる。
 最初こそ泣きやまなかったものの、ずっと話しかけながら抱っこしていると、やがてきゃっきゃっと笑い始めてくれた。
「ただいま帰りました。佳乃とは……聞くまでもないですね」
 僕の顔はとても分かりやすい顔をしていたようだ。



『帽子』


 炎天下、二時間もの間アトラクションを待つというのは苦行だ。
 大人である僕は待つ間の体力も自信があるのだけど……。
「……疲れた」
「……ええ。暑いですね」
 佳乃と優佳さんはすっかり疲れきっていて、佳乃は地面に座り込み、優佳さんは扇子で扇いでいる。
「……とーさま、へいき?」
「これくらい何てことないぞ」
 一時間くらい前までは娘も僕に話をすることで暇を紛らわせていたのだけど、喋り過ぎて疲れることを知ってからは口数がかなり減っている。
「旦那様は、どうしてこの暑さでも平気なのですか?」
「そりゃ、このつばの広い麦わら帽子と後ろはタオルで覆ってるからなあ」
 完全武装の俺に隙なんてなかった。
 娘は麦わら帽は被ってもタオルの方はかっこ悪いと固辞されてしまい、優佳さんに至っては麦わら帽子は自分には似合わないと言われてしまったのだ。
「……昔、麦わらを被ってた優佳さんは可愛かったなあ」
「もう、そんなこと言って困らせるんですから」
「佳乃。冷ピタ貼ってあげるからおいでー。水も飲むんだぞ」
「うん」
 女の人のファッションは僕が理解するには壁が厚い。

 しかしその翌日、優佳さんは麦わら帽子を被って外出していた。
「昔と変わらずよく似合ってるよ」
「もう、褒めても何も出ませんからね」
「そんなことはないよ。……」
 昔よく見た笑顔は顔に出ているよ。……なんてはっきり言えたら帽子を深出に被る必要なんて全くないのに。



『耳掃除』


「わたくし、こう見えて得意なんですよ」
 優佳さんは俺に初めて見せる行動についてこんなことを言うことがある。
 一体、優佳さんは俺がどう見ていると感じているのだろうか。
「どうされましたか?」
「……あ、うん。ちょっと聞きたいんだけど得意技っていくつあるの?」
 俺がそう尋ねると、優佳さんはわずかに思案するとにこりと笑った。
「考えたこともありません。思い付きで言っていますから」
「煩悩よりも増えるかもなあ」
「忘れる方が多いと思います」
 笑ったのはきっと誤魔化すためなんだろうなあ。
 しかし、永遠に数の定まらない得意技か……。歳とったら数が減りそうだな。
 俺がそんな意味を込めて優佳さんに視線を送ると、彼女は耳掻きを手に持ち、膝をぽんと叩いた。
「……でも…………膝枕と耳のお掃除は得意なんですよ」
「へえー」
「友達にもよく褒められていました」
 一体、どんな学校生活を送っていたんだろ。
 門の向こうはよく分からない。



『公道』


 この道は国道、つまり公の道である。
 万人が利用してもよい道である。
「だれのものでもないの?」
「そうだよ」
 娘と出かけたときに、この道が誰のものか聞かれたので僕はそう教えた。
 物知りな父親という認識を少しは娘に持ってもらえたに違いない。
 そのおかげで歩き方も堂々としているようだし、きっと今の僕は輝いているだろう。
 それからしばらくの間、僕が佳乃に色々な話をしながら歩いていると、不意に優佳さんが佳乃を呼び、立ち止まった。
「佳乃。わたくしも公道を持っているのですよ」
「すごーい」
 優佳さんの家の土地でも道路建設にあたって収用されたのだろうか。
 しかし、話を聞いてみるとどうも違う。
 優佳さんは佳乃に対して道を持ってると説明したものの、僕にはこっそりと佳乃の目を盗んで本当の意味を囁く。
 とても近くで内緒の話をするものだから何度も耳に息が吹きかかってこそばゆい。
「……佳乃もいるんだぞ?」
「きちんと聞こえないように話しています。もう少し内緒話をしたいのでこういう風に歩いてもいいですよね?」
 そして、優佳さんは僕の左腕をとって抱きしめた。
「わたくしの公道は旦那様のものですけど」
「……佳乃ばかり構うのがいけないのか?」
 公道の意味が、まさかそういう意味だったなんて……。優佳さんの名誉のためにも言うべきじゃない。
「うふふ、さあ、どうでしょう」
 とりあえず、むっつりスケベと言っておこう。
 しかし、優佳さんは、それに動じることはなく、むしろ笑顔ではいと答えた。
 僕はその笑顔を見て苦笑するしかなかった。
「佳乃は僕らの事をちゃんと見ているんだぞ?」
「いつもとーさまとママは仲良しと言っていますよ」
 僕らがこんな風にべたべたしていると、それを見ている佳乃は優佳さんの真似をしたがる。
「わたしも、わたしも」
「うん。佳乃、手を繋ごうか」
 そう言って佳乃に向いた途端、左腕に入る力が強くなった気がした。
 ここは天下の公道だけど、今この時ばかりは家と変わりがなかった。
「旦那様、ぼんやりとしてどうしました?」
「とーさま、だいじょうぶ?」
 いけない、いけない、妻と娘に呼びかけられて自分がぼけっとしていたことに初めて気づかされた。
 両手に花とはこんな感じを言うのだろう。僕はこの瞬間、世界で最も幸せなのだと思う。


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