前略、妻ができました。ダンボールに入っていました。
『きゅ~』
こんなことを彼女は言っていないけど、その様子は昔見たチワワを思わせるものがある。でも、あのチワワはすぐに死んでしまったという。
「……大丈夫だよな?」
「あ、あの、何かありましたか?」
いや、何でもないと俺は首を横に振って笑った。
つまらないことだというと、
「いいえ、そのようなことはありません。わたくしはもっと旦那様のことを知りたいのです。どんなにつまらないことでも聞かせてください」
と逆に話すようせがまれてしまった。
「とりあえず、飯にしようか? 何か食べたいものはある?」
「お話しはそのときということですね。楽しみです」
いや、違う。そう言おうとしたところで、桜井さんはおもむろに立ち上がると台所を借りてもいいかと尋ねた。桜井さんが料理を作ろうとしているのだと察して柔らかく止めようとすると何故か彼女は俺を無理矢理座らせようとする。
俺を押しとどめようとする彼女の手は俺の肩にかかり、無言で訴える目は台所に入るなと言わんばかりだった。
「な、何……?」
「こ、ここはわたくしにお任せください。一通り家事は修行してあります。お口に合うかは分かりませんけど、一生懸命作りますから。わたくしに毎日お米を洗わせて下さい」
「……ちょっと待った。まずはうちの状況を把握してほしいんだ」
料理を作られたらそこから、既成事実を作られかねない。
伝票の無洗米の意味が理解できたが、あくまで彼女はまだお客様。
でも、それを出すときっと話がややこしくなるに違いない。
そういう感情おくびにも出さず、冷蔵庫の中身が空っぽで買い物に行くから、その時に作ってほしいと俺は彼女に頼んだ。
ついでに、今日は余り物チャーハンにすることも彼女に伝えておいた。
「つまり、まずは家庭の味を覚えろ。そういうことですね。旦那様がそう仰るのであれば、わたくしに異論はありません」
そういう意図はないんだけどなあ。でも、都合よく勘違いしてくれているので放っておくことにした。
我が家の食卓は、近所のスーパーと仕送りの米、野菜で支えられている。
先月分の米と、昨日の野菜、タイムバーゲンという戦争の戦利品である100グラム40円の豚肉でさっと作ったチャーハンが今夜の飯である。
「口に合うか分からないけど、どうぞ」
「旦那様は料理もできるのですね。……美味しいです」
「独り暮らしをしてると自然にできるようになるよ」
「明日からは、わたくしがきちんと料理もします」
実は冷蔵庫の中身がないので、今夜の余りが自動的に朝に回る予定だったりする。
だから、桜井さんが腕を振るうことはない。
「ところでさ、いくつか聞きたいことがあるんだけどいい?」
「わたくしに答えられることなら何でも聞いてください」
なんでもね……。
実はそれが一番困る。無難なことからとりあえず聞いてみることにしよう。
いくつかの質問しながら食事をして分かった事がある。
「しばらくはうちにいたらいいよ。行くあてもないみたいだし」
「はい。ありがとうございます。これで夫婦も同然ですね。よろしかったら旦那様の近況もできれば聞かせてくださいね」
「桜井さんが話したのに俺が話さないのもおかしいな。ちょっと待ってくれたら話すよ」
とりあえず桜井さんの現状を把握するとこうだ。
現在は18、俺の1つ下。
伯父さんが亡くなり家族がいない。
その後、家が火事に遭い、帰る場所が無くなった。
そのときに何故か昔の俺との約束を思い出して、こっちへ来たらしい。ダンボール箱はサプライズ演出だそうだ。
……。
その話を聞いて、まず俺がしたことは両親への電話だった。
「人をダンボールで送って来るな!」
「あらやだ、家の前までは車で来たわよ。お父さんと私よ、宅配業者。まったく気付きもしないんだから」
「はあ?」
即、桜井さんに尋ねると、彼女はこくりと首を縦に振る。マジですか。
「だったら顔くらい見せていけばいいのに」
「何言ってんのよ。今日は初夜じゃないの。邪魔したら悪いでしょ」
「アホか! 人攫いみたいなまねして恥ずかしくないのか?」
「何言ってんの? ちゃんとお見合いしたわよ。正敬だって写真を置いてあったの」
「それは参加したって言わないだろ!?」
電話口で叫ぶと、背後で何やら物音がした。
振り向くと目を丸くして尻もちをついた桜井さんの姿がある。
……ああ、そうだ。お客さんの前で何しているんだか。気まずくなって言葉が出てこないまま俺は立ち尽くしていた。
「正敬。私が東京に送り出す時にあんた言ったわよね。『東京に出れば彼女くらい楽にできる。孫の顔は期待しろ』でもまあ、いつまで経っても彼女は出来たなんて話も聞かないし。それで、こっちでいい子がいたから送ったのよ」
「それとこれとは関係ないと思うぞ」
「…………あ、忙しいからまたね」
後で、優佳さんに荷物、送るから。その言葉と共に電話が逃げるように切られた。
まだ聞くことはたくさんあるのに勝手な人達だ。
溜息を一つついて携帯から耳を離すと、随分と近くで俺のことを見つめている桜井さんがいた。どこかその目は寂しそうに憂いている。
「昔のように名前を呼んではくれないのですね……」
「随分会ってないからなあ。いきなり名前で呼ぶのは正直抵抗があるかな」
その割に大学の女友達は平気で下の名前で呼んでるけど、これは向こうがいいと言ってくれているからだ。
じゃあ、どうして桜井さんは呼べないのか。その答えが見つからずに逡巡する。
しばらくはお互いに話すことができずに、下を向いているしかなかった。時折、ちらりと様子を窺うと、桜井さんもこちらを窺っており、視線が何度も合うものだからますます気まずい。
その気まずさの重さは時間が経てば経つほど重しとなる。俺、こんなに喋れない奴だったっけ?
桜井さんは自分から話す人じゃないみたいだし、俺が話さないと会話が無くなってしまう。でも、この雰囲気に重さに耐えられなくなったのか、硬い表情のまま彼女は口を開いた。
「あ、あの……ご迷惑でしたよね。せめて日時を選択していただくべきでした」
「大学に行っている時もあるから……」
「いきなりダンボールでお嫁さんが運ばれてくるなんて変ですよね」
「うん」
あ、まずい。場が重くてつい本音が……。
「そこは違うと言っていだたきたいのです」
桜井さんはそれでもめげない、へこたれない。おかげで少し場の雰囲気が軽くなった気がする。
しっかりしろ、俺。お客さんに気を遣わせるんじゃない。いつもみたいにバシッと言うんだ。真っすぐ見据えて、はっきりと言うんだ。
「……クーリングオフってできますか?」
ああ、俺のバカ。
あまりの情けなさに思わず頭を抱えてしまった。
そんな俺の様子を見ても桜井さんは微笑むだけだった。むしろ、一歩膝立ちで近づいてくる始末だ。
歩み寄ってくれるつもりだろうか。
「わたくしを受け取った時点で契約が成立しているので、返品は困ります」
「消費者生活センターに相談していい? 頼んでもない嫁の押し売りが来ているんです」
「微笑ましいではないですか。嫁というからには、まずは親しみを込めて優佳とお呼びください」
「居座ることで俺にこの日常を受け入れさせようというわけか。刷り込み、いや、催眠商法だな」
「段々わたくしが嫁に見えてくる、見えてくる――」
まあ、そんなわけないよね。……口戦じゃ全く敵わなかった。というより話にならない。
帰る家がないので追い出すわけにもいかないし、こうなることを見越して来たとしか思えない。
五円玉を使った古典的な催眠を無視していると、段々と桜井さんの目がトロンとしてきた。
自分が催眠にかかりつつあるらしい。今、眠られると話が進まない。俺は目の前で揺れる五円玉を掴んで床に置くと真面目に話を切り出すことにした。
「見積もりくらいはしてほしかった……。今からでも無料でできる?」
「見積もりとは将来設計、つまり結婚に前向きと捉えてよろしいですか? ちなみにわたくしは旦那様の見積もりを済ませております」
「見合いを……。恐ろしい解釈の仕方だな……」
「よろしければわたくしの将来設計をご覧になりますか?」
「見せてほしい」
桜井さんは大事そうに封筒から1枚の紙を取り出した。
それが婚姻届であることは言うまでもなかった。
「何枚持ってるのさ!?」
「女には秘密が多いものです」
アウェイとは思えないくらいの大胆不敵さだ。
いや、彼女にしてみれば、俺の嫁というくらいだからホームなのか。
この後もしばらくそれとなく帰るように伝えてみるのだが、全く効果がなかった。
それどころか、桜井さん。何故腕を伸ばして抱きしめられる態勢を整えているのでしょうか?
「さあ、旦那様。え、えーと……優佳と呼んで抱きしめてくださいませ」
「恥ずかしいなら言わなきゃいいのに」
とりあえず、抱いてなんて言う痴女じゃなくてよかったと思う。
ま、まあ、抱きしめるだけなら……。たまにはこういうことがあってもいいよね。
そう思って実行に移そうと思うが、何故か体が動かない。
そうだ、俺は女の子を抱きしめたことがないんだった。
葛藤すること数分。結局、誘惑には勝てず優佳さんを抱きしめることに成功した。ついでに、名前で呼ぶことも何とかできた。とりあえず、さん付けで妥協してもらった。
2つほど俺に要求した優佳さんは今は俺の胸にしなだれかかって、目を閉じている。俺はというと、頭をゆっくりと撫でながら、近況を話している。
しかし、和服のせいか、少し重……。
「いきなり泣き出したりしてごめんなさい。わたくし、情緒不安定なのかもしれません」
「色々とあったんだから仕方ないじゃないか。俺でよければ、いつでも話は聞いてあげられるから」
「はい。本来であれば、わたくしが旦那様を癒さなくてはいけないのに」
うーん、今、ちょっとだけ殺気を感じたような気がする。ぶつけられたというよりも牽制のようなものだったけど。
優佳さんはにこやかに笑っていて、とても殺気をぶつけたようには思えない。
……隣かもしれない。独身貴族が住んでるって言ってたっけ。
「あのさ、優佳さん。そこまで俺にへりくだらなくてもいいよ。普通にしてくれて構わないから」
「わたくしの普通……ですか。……たまに、でいいですから、こうやって甘えさせてください。旦那様の温かさは何だかとてもほっとするのです」
初めて弱い所が見えてきたなあ。
俺は静かに1つ頷いてそのまま彼女の頭をもう1度撫でた。
髪がさらさらだなとか思っていると、いつの間にか彼女は目を閉じていた。
「……おやすみ、優佳さん」
さて、と。とりあえず彼女を床に寝させるわけにもいかない。
先に布団を敷くと、眠り姫よろしく目を閉じる彼女をお姫様抱っこをする要領で抱えて、息が上がりながらも運ぶ。
寝ている人は重い。この言葉に他意は大いに含まれている。
「……まさたか君が変わっていなくて良かった」
残念ながら俺は随分と変わってしまったんだけどな。
優佳さんの呟きを無視してそっと下ろすと俺は掛け布団をかけて部屋の隅で丸くなった。
「……眠れない」
しかし、環境が変わってそうそう眠れるほど図太くはない俺は寝返りをうった。
優佳さんの方に向いたのは、成り行きとはいえ一晩を共にすることになった相手が気にならないといったら嘘になるからだ。
既に寝息を立てている彼女は柔らかな顔で和服のまま眠っている。
――結構図太いなあ。
少々感心、俺も見習うべきだろうかと突然の来客の顔をしげしげと眺める。
しばらく見ていると、ふと思うことがあった。
「何故、和服のまま……?」
彼女、着替えとか持っているのかな?
疲れて寝入ってしまった優佳さんの寝顔を見て俺は少々心配になった。
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