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導入編
第1話:お嫁さん、ダンボール入り
 俺は田舎から上京した普通の大学生だ。まだ、名はない。

 ――正敬、元気?――

 というのは冗談で両親がつけてくれた名前がある。
 その両親からは、感謝すべきことに毎月ダンボールいっぱいに米や野菜を送ってきてくれる。
 この不景気で仕送りも決して楽ではないにも関わらずだ。
 その気持ちに報いるためにも俺は大学生活を謳歌していた。
 勉強はもちろん、サークルにバイト。自分1人の時間がそう取れるわけではないが、充実した時を過ごしている。

 ――女の子はいないのかい?――

 しかし、そう感じているのは俺だけで、我が両親は毎回手紙で彼女の有無を確認してくる。
 まだ通い始めて1年も経っていないので友達はいても彼女はいない。

 ――あんたもそろそろ良い人を見つけなさいよ――

 ええじゃないか、彼女なんていなくたって。
 今日もまた手紙と共に荷物が届いている。しかも、いつもの2倍以上の大きさで縦長であった。いつもと違う宅配業者の2人組が、やたらと重そうに運んでいたのが印象的に脳裏に残っている。
「ふむ、今回は妙に重たいのだな、腰にくる……」
 重いつづらは外れというが、重いダンボールとくれば、米などたくさん詰まっていると思いたい。
 伝票には無洗米とあり、われもの、なまもののシール、天地無用までもが貼ってある。
 ――これは一人暮らしの大きな助けになりそうな予感がするぞ。米を洗わなくていいのは少しばかり時間の節約になる。
 俺は期待を隠さずに一気にガムテープを剥がし、そして――。
「まあ?」
 ――何も言わずに閉じた。ガムテープを探さないといけない。どこにあったっけ?
 幻覚でなければダンボールの中には、米ではなく女の人がいて、幻聴でなければ野菜の転がる音ではなく女の人の声がした。
「……まさかとは思うが、人ではなかったか?」
 もう一度ダンボールを開けてみる。
「こんばんは」
「……」
 また、俺は黙って閉じた。
 いきなり犯罪か、そうなのか?
 誰に言うでもなく、一人自問自答を繰り返す。これ、誘拐? 誰もこの問いに返事はしてくれない。当たり前だ、この部屋には俺しかいないのだ。
 でも、これは夢なんだ。だからそう、この荷物は送り返せば、俺は普通の大学生に戻ることができる。
「実家の住所は…………書いてない。何故、このダンボール、住所とか何もないのだ?」
「あ、あのー、ここから出していただけませんか?」
「だ、ダンボールが喋っただと!?」
 いや、本当は分かっている。中には女の人がいて、その人が喋ってるってことも。
 でも、さ。納得しがたい、信じたくないことって世の中あるものだ。
「とりあえず重さを量ってみるか。……っ、おも――」
「誰が重いのですか!」
 閉じたダンボール箱が突然爆発したかのように開いて、中から女性が顔を出した。
 突然現れた人に俺は驚きすぎて、クールな仮面を被っていた素面が出て来てしまったのは言うまでもない。



「……お、落ち着いてくれた?」
「は、はい」
 ダンボールの中から出てきたのは、1人の女性だった。ご丁寧に嫁と書かれた伝票を持っている。これもなまもの、ワレモノ、天地無用らしい。上に物は置いていいのか?
 ――まあ、嫁云々は無視だ。それよりも、この女性を観察してみよう。
 肩より少し長いくらいの少し乱れた黒髪、ぱっと見大人しそうな外見、そして少し皺になった和服。年は自信はないがたぶん年下だと思う。
「……あとで、それクリーニングに出そうな?」
「……はい、お願いします」
 何で、この人と普通に会話しているんだろ。この女性は女性でダンボールの中から出てきて激昂していたとは思えないほどに落ち着いている。むしろ、恥じらいさえ見せる姿は別人といえよう。
 そして今は、俺の部屋を何だか愛おしそうに眺めている。
 しかし、我が家は六畳一間の安アパート、月3万、駅まで徒歩20分である。キッチンとトイレと小さな風呂があって、生活スペースはほとんどないに等しい。
 その空いたスペースに物を置くと邪魔なのでほとんどなく小さなテレビが我が家を彩る唯一に近いインテリアだ。他は貰い物の扇風機とかがある。
 それらを和服の女性は眺めては、時折くすりと笑う。そんなに面白いのか、それとも嘲いに来たのかは不明だ。
「ところでどちら様ですか?」
 うん、これ大事ね。俺はこの女の人を知らない。……女性というよりも女の子っぽいが、女の子というとあまりよろしくない気もするので、ここは女の人ということで。
 誰というわけでもなく自分に言い訳をするのは現実から目を背けたいからだ。
「え?」
 俺の言葉に女の人はきょとんとしていたが、やがて失念していたとばかりに俺の方に一歩膝立ちで近づいてきた。
「まあ、そうでした。わたくしとしたことが、自己紹介もせず大変申し訳ありません。長月 正敬(まさたか)様、いえ、旦那様の妻として一生を共にします、桜井……ではなく、長月(ながつき) 優佳(ゆうか)と申します。不束者ですが、幾久しくよろしくお願いします」
 いきなり女の人は三つ指をついて頭を下げた。
 女の人、改め桜井さんの自己紹介に俺はいきなり思考が止まった。
 え、妻? 妻って美味しいの? お米が化けたの? 擬人化なの? 洗ってあるの? つまりお米に例えるならば無洗嫁ということになるか。
 ……いや。まさか、これが噂に聞く狐の嫁入り!? 戸惑いは止まらない。
「旦那様に差し出がましいと思いますが、今日は雨は降っていませんよ」
「あー、俺の言葉、口に出てたんだ……。まさか狐じゃないよな?」
「旦那様……わたくしを一体何だと思っているのですか?」
「狐。もしくは、結婚詐欺師」
「……。わたくしは人間であり、旦那様の妻です。それ以上でもそれ以下でもありません! さらに言うならば、きちんとお風呂に入って来ました!」
 会心のジョークのはずが、何故、俺が怒られる?
 それはね、ジョークが通じなかったからだよ。

 ……。

 1人でボケツッコミをこなすと急激に落ち着くことができた。しかし、この桜井さん、おっとりとした雰囲気を持っていながら、言うことは言う人だと思う。
 ところで、俺にはこの桜井という名字に聞き覚えがある。うちの遠い親せき筋で、かつては名家として名を馳せていたものの最近はめっきり廃れた家系だと。昔、桜井の伯父さんが言ってたっけ。

『いつか、娘と結婚しないかい?』

 娘さんは可愛らしい子だったし、ひどく俺に懐いてくれていたので一緒によく遊ぶこともあって幼心にもっと一緒にいられると思っていたことも重なり、昔の俺は、うんと頷いたんだ。
「え、えーと、桜井、さん? もしかして、あの昔一緒に遊んだ桜井さん?」
 俺の戸惑った声を彼女は黙って聞いていた。
 そして、瞬きよりも早く桜井さんの表情はぱっと輝いた。
「思い出していただけたのですね。では――」
「ま、まあ、思い出したんですけど、そっちは随分と昔の話であって、今は考えてないっていうのか……」
「そ、そんなご無体な……。もう身も心もわたくしは旦那様のもの。優佳とお呼びくださいませ」
 彼女の表情はころころと哀楽が変わる。
 まだ身も心も許したつもりはないのだけど……とこちらは戸惑うばかりだ。
 ついでに言うなら桜井さんの身を許してもらった覚えもない。
「せめて、さん付けでお願いします」
「丁寧語もいけません。わたくし達は夫婦なのですから」
 だれが、何を、いつ、どこで、なぜ、どうやって。
 こうなった理由さえ分からないし、何故ダンボールで送られてきたのかさえ見当もつかない。
「……妻と言っても、婚姻届は出してないから夫婦じゃないよな」
「いえ、義父様、義母様から、妻として振る舞うようにと言伝を頂戴しております。わたくしも振る舞いたいのです。そして、いずれは旦那様の許可をいただいて届けも出そうと思います」
 桜井さんは、俺の前に、そしてわざわざこちらに向け直して婚姻届を置いた。嫁伝票の後ろに隠し持っていたようだ。
 その顔は心底嬉しそうで、彼女は屈託のない笑顔をこちらに向けている。
 俺がその顔に惚けていると、彼女はうふふと口元を押さえて笑っていた。少々気まずくなって俺も苦笑いを返すと、彼女はもう1度三つ指をついて言うのだった。
「……妻として存分に可愛がってくださいませ」
 この日、俺にダンボールから出てきた妻ができました。


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