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作:しお



 全てを焼き尽くすかのような夏の日差しも、空気が燃えるような暑さも、セミや子供や文明の喧騒もない白い部屋。
息苦しさを感じるその清潔感の中に、一人少年が窓の外を眺めている。
 彼はシミ一つ無い病院のベッドで上半身を起こし、瞬き一つせず景色を凝視していた。病弱そうな白い、肉のそぎ落とされた顔は病室の雰囲気と不気味なくらいマッチしていて、今にも部屋の壁にとけ込んでしまいそうだった。
 完璧に調整された空調の涼しさは夏であることを忘れさせてしまう。唯一夏を感じることが出来るのは、小さな窓の向こうの景色だけだ。
 申し訳程度にテーブルに置かれた花瓶の花は全て枯れ、既に色を失ってしまっていた。空気が乾燥しがちな室内ですっかりドライフラワーのようになっている。
患者――つまり少年の名前が書かれたプレートは色あせ、どんな名前が書かれていたのかを確かめる術はない。

 少年は、変わり映えのない毎日の中で楽しみにしていることが一つだけあった。
それは、不定期で病室を訪れる異形の語り部たちとの交流である。
語り部たちとのつかの間のおしゃべりは、暇を持てあます彼にとってこの上ない至福の時間だ。それだけに、彼らが病室を訪れたときは出来るだけ長くいてもらうために色々と足止めの手段を考えている。
たとえばそれは、花瓶の花を一輪隠して探させるとか、気分が悪いフリをしてもっと話をしてくれと頼んだりとか、彼らの荷物をそっとベッドの中に潜り込ませ、帰り際にそれがないことをわざと教え一緒に探したり。そんな他愛もないことだった。最も、彼らも彼らで少年のたくらみにはある程度気づいており、付きあわされているという表現がぴったりなのだが。
 異形の者達は、全員何らかの動物の顔をした人間だった。
 少年が初めに出会ったのは猫人間で、紺色のスーツを着たサラリーマンだった。
ふさふさとした小麦色の毛で覆われた顔を撫でながら、彼は会社で働く事がいかに大変であるか、上司と上手く付き合うにはどうすればいいのかなどを話した。
少年が「何故そんなに大変なのに会社を辞めないの」と聞いたとき、猫人間は一言「生きるためさ」と答えた。その後彼は口をつぐんでしまったが、少年はその一言に濃縮された複雑な意味を理解しようと懸命に頭をひねらせていたので、退屈な時間ではなかった。
 猫人間は、自分はとても気まぐれな人間で、だから会社人間にはなれないのだとやや興奮気味に語った。
彼によれば、人間というのはいつでも自分が望む環境にいられるわけではなく、時には自らに全く合っていない環境で生活をしなければいけない事があるのだという。
少年は訝しげな表情を向けたが、猫人間は彼に対し「君も大人になれば理解できるだろう」と少し冷めた態度を返しただけだった。
直後に猫人間は大きなため息をついた。吐き出されたモノは病室の空気をすっかり汚すほどに絶望に満ちていて、少年は長いこと息苦しさを感じる羽目になった。
 犬人間が病室を訪れたこともあった。
彼が部屋に入ってきた瞬間、少年は鼻が曲がるほどの悪臭に眉をひそめた。それほどまでに、彼の体からは強烈な臭いが漂っていたのである。
犬人間は、汚れて黒ずんだブルドックの顔――元は白かったのだろうが、今は見る影もない――としわがれた声で挨拶をし、少年の様子は気にも止めず自らのことを語り出した。
 彼は浮浪者だった。
彼の話を信じるならば、「汚い考え方をする主人に嫌気がさし」て家を飛び出し路上生活をするはめになってしまったらしい。
 主人は株取引――少年には何のことか分からなかったが、説明してはもらえなかった――で大富豪になった男で、大変なグルメだったという。犬人間は彼の召使いとして何年か働いていたが、彼の「悪いことは見つからなければ悪いことではない」という考え方に嫌悪感を抱き、何も言わずに家を飛び出した。世界中から取り寄せられる美味しいごちそう(の残り物)も、毎日の温かい寝床も失ったが、今は自由な暮らしに満足していると彼は嬉しそうに話した。
 ふと、自由であることは幸せなのかと彼に聞いてみたところ、彼は一言「もちろん」とうなずいた。その顔の片隅にはわずかながら陰があったのだが、少年が気づくことはなかった。
 彼は自由な生活を夢想し始めるようになった。犬人間は、自由がどれだけ素晴らしいのかをこれからも声を大にして誰かに伝えたいと話していた。少年はその言葉を思い出すたびに想う。彼にとっての自由を自分が感じることが出来たら、どんなに幸せなのだろう、と。

 他にもたくさんの語り部たちが彼の病室を訪れた。
彼らから多くの話を聞くにつれて、少年は外のことが知りたいと強く願うようになっていた。そして、自由になりたいとも考えるようになった。
 しかし、彼にとって世界とは病室の狭い空間であり、それが全てだった。
窓の外の「世界」は少年の世界とは永遠に交わることのない別の「世界」。決して彼の手が届かない場所にあった。
 少年はそれに気づいたとき初めて、自らの置かれた状況に心の底から絶望した。
絶望した後も、語り部たちは彼の病室を訪れたが、もはやその口から語られる話は苦痛以外の何者でもなくなっていた。
 この病室の外に出たい。少年は強く願った。
外に出て、空気に触れ、開かれた世界を感じ、喜びを全身で表現したい――日に日にその思いは強くなっていた。
だが、彼の体が病院の真っ白なベッドから抜け出せないほどに弱っているために、その願いが叶うことはなかった。
 少年にとって最後の来客がやって来たのは、夏の終わりの夕暮れだった。
――顔のない人間の男だった。
 彼は少年に気づかれないように、まるで影のようにそっと病室に入ってきて、何も言わずに枯れた花瓶の花を新しい物と取り替えた。
 少年は一目見て、男にある種の近寄りがたさを感じた。
男の周りにはまるで分厚い膜が張られているかのような距離感があり、物理的な距離は近いはずなのに、少年は彼に近づくことが出来ないのである。ましてや顔のない男の心情を察することなど出来るはずも無く、黙々と部屋を動き回り何か作業をしている彼の姿を目で追うことしか出来なかった。
 男は小一時間ほど部屋の整理などの作業を終え、少年の元に歩み寄った。少年は男が近づいて来たことに気づくと、即座に軽く身構えた。
彼は一言「可哀想に」とつぶやいた。顔のない平面の肌に、言葉が発せられる瞬間だけ口のような孔があいた。
少年はその意味をくむことが出来ず、オウム返しに彼に尋ねた。
だが男は質問に答えず、もう一度「可哀想に」と抑揚のない声でつぶやいた。
 少年の体は、男が醸し出す異常な雰囲気に飲まれ、脂汗をかいていた。顔はひきつり、目は怯えた子犬の如く震え、それでも男の平らな白い顔を凝視している。空調が壊れてしまったのかと思うくらい、病室は熱気に包まれていた。それを感じているのは自分だけなのか、あるいは病室全体がそうなのか、もはや少年には判断出来なかった。
男は真っ白な、しかし大人の太い腕を伸ばし、少年の頬に軽く触れた。その手は驚くほど冷たく無機質で、人間味の欠片も感じられなかった。
もう一度、彼の平面の顔に口が浮かび上がった。
「可哀想に」
 顔のない男は少年の元を離れゆっくりと窓に近づき、音も立てずに開けた。
瞬間、まるで待ちかねていたかのように、窓の外からあらゆるものが病室へとなだれ込んできた。それは思念というべきか、あるいは記憶というべきか、世界を構成する目に見えない膨大なエネルギーだった。暴力的でさえあった。
 少年の視界は銀紙が丸められたようにくしゃくしゃに大きくゆがみ、次いで包み込むようなまばゆい光。
 細い体は白く感覚のない海に沈んでいく。ただ熱さだけが想い出のように脳裏に浮かんだが、それも一瞬間の後に消えた。


 夏が来ると、世界は熱病に冒される。
限りなく無限に近い大気中の塵やゴミを人間が吸い続けているのに気づかないように、宇宙に内包されたあらゆる事象もまた冒されていることに気づいてはいない。少年は、暗い部屋に光が差し込んだとき塵が見えるように、世界が熱に冒されていることに気づいた。
 だが一人熱病から逃れ得た彼は、熱病に冒されていく世界を望んでしまった。
 そしてまたいつか、同じように夏から逃れた人間が真っ白な部屋で永遠を過ごす時が来る。
孤独な身体をベッドに束縛され、病に伏した世界をその目に映しながら。





何故か文字数がいつも同じくらいで落ち着くんです。
もっとマシなもの書けないのか僕は(笑













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