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 何分もたってやっと「私たちはここでウロコ丸を待っていればいいのよね」とアンナが口を開いたが、二人がおとなしく座っていることができたのも、実はその瞬間まででしかなかった。さっきとは違う揺れ方だったが、突然再びセミ丸の体が激しく震えはじめたのだ。

「何が起こってるの?」悲鳴を上げ、アンナがしがみついてきたが、何がどうなっているのか見当がつかないのはヘンリーも同じだった。そしてその後、何が起こったと思う? ミミズたちはカビの胞子だと言っていたが、キノコとカビは親戚同士だなんて、ヘンリーもアンナもまったく知らなかったんだ。この間にもセミ丸の皮膚の下では、カビの白い糸が猛烈な勢いで繁殖を続けていたのだろう。セミ丸は何世紀にも渡って地球から養分を吸収していたのだから、さぞかし栄養があり、食べがいもあったことだろう。カビは急行列車のような勢いで成長し、あっという間にセミ丸の体の内部をすみずみまで占領してしまったに違いない。だがそれでも栄養はつきず、皮膚を突き破って外にまではみ出し、カビの糸はとんでもなく太く、ついには柱のようになってセミ丸の体を上へと持ち上げ始めたのだ。

 この柱は太く、樹木のように丸い断面をして、まるで頭の上にセミの死骸を乗せたキノコのような姿に見えたに違いない。直前に気づき、ヘンリーたちはセミ丸の皮膚の深いしわの中へとっさに飛び込むことができたから良かったが、そうでなければ、あっという間にぺちゃんこに押しつぶされてしまったに違いない。

 それでもすさまじい音と振動に襲われはした。成長するキノコの圧力で大地が押し破られる場に居合わせたのだから、それも不思議ではないだろう。砂ぼこりだけでなく、小石や石ころがヘンリーたちの頭上に降り注ぐことになった。一かかえもありそうな石までがときどき落ちてきたが、それにぶつかることがなかったのは幸運としか言いようがない。ずいぶんと長い時間に感じられたが、手足を縮め、ヘンリーたちは狭い隙間にノミのように小さくなっていた、大地震のときのようにセミ丸の体は揺れ続け、大地が引き裂かれる音が聞こえてくる。ありとあらゆる方向から砂や石が降り注いでくる。神経を張り詰めた状態があまりにも長く続き、アンナでなくても何かの拍子に気を失ってしまうのは不思議でもなんでもないではないか。

 実を言うとヘンリーもそうだったのだ。目を覚ましたのはきっと何時間も後だったに違いないし、見回して自分が地表にいることに気がついて、ひどく驚いたものだった。地表というのは正真正銘の地上という意味であり、ジュディスが治めている『下の世界』のことではない。それがわかったのは山の形に見覚えがあったからで、ヘンリーはなんと、村から山道を登っていった先にあるあの砂丘にいるのだった。何日か前、アンナと一緒に馬に乗って越えようとした砂丘だ。あの直後にヘンリーたちは砂に足を取られ、『下の世界』へと落ちていったのだ。

 砂丘の砂を大きく押し分けるようにして、セミ丸はその背中を地上にぐいと突き出しているのだった。それ自体が黒い岩山のような眺めだったが、ヘンリーはその頂上に乗っかっていたのだ。もちろんアンナも一緒で、ヘンリーの足元に倒れているが、ゆっくりとおなかが動いているから、ちゃんと呼吸をしていることがわかる。ただ気を失っているだけなのだろう。

 ヘンリーはもう一度まわりを見回した。眺め直しても山々の形は記憶の通りで、村のすぐ近くだというのは間違いない。日が暮れて何時間もたっているようで、空には星と月が光っている。その光のせいで、洗い立てのシーツのようにでこぼこしながら、砂丘は青白くどこまでも長く伸びているのだ。

「よかった。ご無事だったのですね」

 突然声が聞こえたので振り返ると、リンゴ姫の姿が目に入るではないか。上半身をすっと起こして立ち、にっこりとこちらを見つめているのだ。どう答えていいかわからず、ヘンリーは口をぽかんと開けていたが、いつの間に目を覚ましたのか、アンナも驚いた声を出した。「どうしてここにリンゴ姫がいるの? そもそも、ここってどこなの? セミ丸はどうなったの?」

「セミ丸は死にました」リンゴ姫は答えた。「あなたたちのお手柄です」

「ここはどこ?」おそるおそる首を突き出し、アンナはきょろきょろした。

「地上だよ」とヘンリーは答え、胞子が植えつけられたあと何が起こったのかを説明し始めた。はじめアンナはよくわかっていない顔をしていたが次第に表情が変わり、最後は笑顔になった。

「じゃあ私たち、地球を救うことができたのね。すごい冒険だわ。学校へ帰ってみんなに自慢できるわ」

「僕たちの話を誰かが信用してくれたらね」と思わずヘンリーは付け足さないではいられなかった。

「どうして?」

 リンゴ姫はヘンリーたちを見つめた。「やわらかな砂を突き破ったので、地上の人々はセミ丸がここに現れたことには気がついていないでしょう。一番近くの村でも、せいぜい小さな地震としか感じなかったことでしょう」

「じゃあ私、同級生のみんなをここまで連れてきて、セミ丸の姿を見せてやるわ。目の前で見れば誰だって信用するわよ」アンナは口をとがらせた。

「それでもジョージなんかは信じないだろうな」ヘンリーは言った。

「ああ、あのパン屋の息子ね」アンナはうなずいた。「あいつは2週間前から売れ残っているパンよりももっと頭が固いわ。だけどもしこのセミ丸を目の前に見れば…」アンナは顔色を変えた。「ちょっと待って。ジュディス、どうしてあんたが村のパン屋のせがれのことを知っているの?」

「どうしてって」ヘンリーは口を滑らせてしまった。「アンナも僕も、ずっと以前からジョージとは同じクラスにいるじゃないか。サンダース先生だって…」

「なんであんたが私の小学校の先生の名前まで知っているのよ」

 やっとヘンリーは自分の失敗に気がついたが、もちろんもう遅かった。くすりと笑う声が耳に入って、ヘンリーとアンナはリンゴ姫を振り返ることになった。「秘密をばらしてしまっても、もうよろしいのではありませんか」リンゴ姫は明るい声を出した。

「秘密って何よ?」両手を腰に当て、アンナは突然ヘンリーをにらみつけ始めた。

「ううん、なんでもないよ」背の高いジュディスの姿のまま、ヘンリーは思わず後ずさりをした。

「なんなのよ」

「本当にもうよろしいのではありませんか」またクスリと笑い、リンゴ姫はいつの間にかヘンリーの背後に回っていた。そして長い鼻を器用に使い、ヘンリーの首からあの首飾りを引き抜いてしまったのだ。あっと思ったときには遅かった。ヘンリーはもうジュディスではなく、元の男の子の姿に戻ってしまっていた。

「あっ」ヘンリーと同時に、だがヘンリーよりもはるかに大きな声をアンナが上げていた。この後アンナがどれだけ腹を立て、それをなだめるのにヘンリーとリンゴ姫がどれだけ骨を折ったか、想像するのは難しくはないだろう。ヘンリーは髪を引っ張られ、2、3ヵ所引っかかれた。リンゴ姫まで八つ当たりをされ、体中に砂をかけられた。

「まあまあ、もう良いではありませんか」リンゴ姫は言った。

「よくはないわよ。私がヘンリーのことをどれだけ心配して、あちこち探し回ったことか」最後にヘンリーの背中をドンと思いっきりけっ飛ばして、ようやくアンナも気がすんだようだった。

「でもそれって何なの?」アンナの関心は、リンゴ姫が鼻先にぶら下げている首飾りにすでに移っているようだった。アンナが背伸びをするので、よく見えるようにリンゴ姫は少しかがんでやった。

「とてもきれいな首飾りだわ」とアンナ。

「この首飾りを身につけると、誰でもその姿がジュディスに変わるのですよ」リンゴ姫は言った。

「どうして?」

「それは誰にもわかりません」リンゴ姫は首を横に振った。「でも『下の世界』では、何百年もそうやって女王を決めてきたのです。この首飾りさえあれば、誰だってジュディスになることができます」

「たとえそれが、どんないたずら小僧であってもね」アンナが横目でにらむのであわてて目をそらし、ヘンリーは知らん顔をした。

「だけどリンゴ姫」アンナは表情を変えた。「どうしてあんたがここにいるの?」

「はい」リンゴ姫はうなずいた。「胞子が植えつけられ、カビが成長してセミ丸の体を地上へ向かって押し上げ始めたとき、もちろんミミズの国でもその振動を感じることができました。だから父に命じられ、私が様子を見にきたのです」

「へえ」

「これでセミ丸は退治され、一仕事すませることができました。でも次に、これをどうするかが問題ですね」小さくため息をつき、リンゴ姫は首飾りをかすかに振って見せた。

「ふん」アンナが鼻を鳴らした。「またヘンリーが首にぶら下げて、お偉い女王様になってお城へ戻ればいいわ」

「それは不可能なんだよ、アンナ」ヘンリーが事情を説明すると、アンナはまん丸な目をもっと丸くした。

「へえ、じゃあどうするの? そうだわ」アンナは突然顔を輝かせた。「ヘンリーにできたのなら、私にだってできるはずよ。私がジュディスになっちゃおうか」

 ヘンリーはどう答えていいかわからなかった。だがリンゴ姫は静かにこう言った。「それはあまりお勧めできません」

「どうして?」ヘンリーたちは振り返った。

「ほら、夜が明けますよ」とがった鼻を向け、リンゴ姫が教えてくれた。確かにその通りで、空が明るく変わり、山々のへりが金色に光り始めている。黒かった空は青みがかり、星や星座もうっすらと姿を消しかけている。

「朝になったのね」アンナが言った。

「ここは岩山の影ですから、村ではもう少し前から明るくなっていたことでしょう。冒険の旅に出発したあの日、あなたたちが村を離れたのは何時ごろのことでした?」

「夜が明けるのと同時くらいよ」アンナが答えた。「どうして?」

「ならば、お二人の姿がもうすぐあのあたりに見えてくるはずですね」

「何ですって?」ヘンリーとアンナは、リンゴ姫がしめしているあたりを見つめた。ここからは少し距離があり、砂丘のはしのあたりだ。村から山道を登ってきて、砂の上に最初に足を踏み入れる場所だ。

「どういうことなんだい?」ヘンリーは見つめたが、リンゴ姫は微笑むだけだった。

「もう少し待ちましょう。そうすればわかります」

 だからヘンリーたちは待ち続けた。セミ丸の背中から降りて小さな砂の丘を越え、もう少し見えやすい場所まで移動したのだ。リンゴ姫の言うとおり、馬に乗ったヘンリーとアンナが遠く小さく姿を現したのはそのときのことだった。まだ目をこらさなくてはならないほど距離があるが、馬の毛の茶色と、朝日をはね返すヨロイの輝きは見間違いようがない。あれは確かにあの朝のヘンリーとアンナだ。「何がどうなってるの?」アンナは不思議そうな声を出したが、ヘンリーもまったく同じ気持ちだった。

「ミミズの国へやってくる直前に」リンゴ姫が口を開いた。「あなた方は砂時計をさかのぼったでしょう?」

「あの大きな砂の山ね」

「砂時計も時計の一種なのですよ。それをさかのぼったのだから、時間が少しぐらい巻き戻ってしまっても不思議はないでしょう?」

「何ですって?」アンナは大きな声を出したが、リンゴ姫は微笑んで見つめ返した。

「本当のことなのですよ。あなた方は今、村を出て冒険の旅に出発したあの朝にまで時間を戻ってきているのです」

 アンナだけでなく、ヘンリーもぽかんとした顔をしているのをリンゴ姫は楽しそうに眺めていた。三人ともしばらくの間黙って、遠くにいるあの二人の様子を眺めていたが、やがてアンナが口を開いた。「彼ら…あそこの二人はこれから砂の流れに巻き込まれて、『下の世界』へ落ちていくというの?」

「そうらしいね」ヘンリーはうなずいた。

「じゃあすぐに助けないと。今すぐ教えてやらないといけないわ」

 歩き出そうとしたアンナを、リンゴ姫が長いしっぽを使って押しとどめた。「だめですよ」

「どうして?」

「あの二人にはこれから砂に巻き込まれて、『下の世界』へ行ってもらわなくてはなりません。そうでないとセミ丸を退治することができないのです」

 アンナは振り返り、セミ丸の黒い体を見上げていたが、少したってヘンリーたちのほうを見た。「わかったわ。地球を救うためにはそうならないといけないのね」

 遠くにいるもう一人の自分に向かってアンナは目を走らせた。「でもかわいそう。あのアンナはこれから、あのつらい思いを経験するんだわ」

 どう言っていいかわからず、ヘンリーとリンゴ姫は黙っていた。だがアンナが明るい表情で振り向いてくれたので、二人ともほっとすることができた。「ところであの砂崩れはどうして起こったの? 何かきっかけがあったのでしょう?」

 リンゴ姫が答えた。「あの砂崩れは自然に起こったのではなく、誰かの手でわざと起こされたものなのですよ」

「どうして? 誰が起こしたの?」

「それを今からお目にかけなくてはなりませんね」一歩前に出て、リンゴ姫は首飾りを鼻先高くかかげた。それが彼女の頭の形にそってゆっくりと滑り落ちていくさまをヘンリーたちは眺めることになった。ミミズの肌は湿り気をおび、つるつるしているから、さぞかしスムーズに滑っていったことだろう。そしてついにはリンゴ姫の首にかかり、首飾りはそこで停止したのだ。その間もリンゴ姫は話し続けていた。

「ただ『下の世界』の支配者だというだけではなく、砂時計の管理者でもあるので、砂たちはジュディスの命令に従います。それはつまり、ジュディスの言うことであればなんでもきくということだ。だから今から私は、砂たちに命じてセミ丸の死体を目に付かぬよう地球の中心にまで運び去らせることにしよう。やつはあそこで大きく育ったのだ。その墓場としても適当であろう?」

「でもあの…」背の高いジュディスを見上げたまま、ヘンリーもアンナも何を言っていいかわからなくなってしまった。肩にそっと触れ、馬とともに歩いているあの二人の方向へ、ジュディスはヘンリーたちの視線を向けさせた。セミ丸を運び去る準備がもう始まっているのか、砂たちがざわめく振動を足の裏に感じることができる。

 そしてついにそれが始まったのだが、なんという早業なのか、セミ丸はそれこそあっという間に姿を消してしまったのだ。あの巨大な体が、まるで船が沈没するときのように砂の下へと見えなくなってしまった。そのあと砂丘の表面は、はじめから何もなかったかのような平らな砂だけになり、セミ丸が遠ざかっていくゴツゴツとした振動だけは少しの間感じることができたが、やがてそれもまったく消えてしまった。

 砂丘の内部で何百メートルもの厚さに積もっている砂がどういう構造をとっているのかはもちろん知らなかったが、きっとただ眠たく積み重なっているのではなく、海の流れのように複雑で、嵐の日の雲の群れのように生き生きとした動きをしているのだろうかとヘンリーは想像してみた。その生き生きとした動きがただ人間の目に見えないというだけで、砂丘の意外な場所同士が実は地下トンネルのように互いにつながっているということなのか、セミ丸が運び去られると同時に、何百メートルか離れた別の場所では砂に大穴が開き、馬を連れたヘンリーとアンナの足元が突然崩れ始め、まるでアリ地獄のようにのみこんでしまったということなのかもしれない。

 遠くにいるあの二人の姿が砂の下へと消えてしまうのはジュディスとともにいるここから見ていてもよくわかったが、それでもほんの一瞬の出来事でしかなかった。しかし運がよかったのか、強い脚力のおかげなのか、馬だけは砂のウズからなんとか脱出することに成功していた。足を取られながらもきつい斜面を一歩一歩登り、砂の動いていない安全な場所まで逃げ延びることができたのだ。隣にいたアンナが駆け出したことにヘンリーが気づいたのはその瞬間のことで、砂の上に足跡を飛び飛びに残し、馬に近寄ってたづなを取ろうとするのが見えた。そうやって彼女が戻ってくるまでの間、ヘンリーはジュディスと二人きりになった。「ねえジュディス…」

 ジュディスは黙って振り返った。手を伸ばし、ヘンリーは彼女の首飾りにほんの軽く触れた。「あんたは、これからもずっとその姿のままでいるつもりなの?」

「わかりません」ジュディスはリンゴ姫の声で答えた。「一度ミミズの国へ戻り、父とも相談してみようと思います」

「ふうん」

「適当な人がいれば、すぐにもこの首飾りを手渡すことができましょう。下の世界の人々とも話してみる必要があるかもしれません」

「そうだね」

「これでお別れですね」軽くかがみ、ジュディスはヘンリーのほおにそっとキスをしてくれた。

「何の話をしてるの?」馬の足音が近づき、同時にアンナの声も聞こえたので振り返ると、たづなを引いてここまでやってくるところだった。

「大したことではない」女王の声でジュディスは答えた。

「そうなの。ああそうだ」アンナは何も気がつかなかったようだった。「ねえジュディス、ウロコ丸に会ったら言っておいてよ。もう地球の中心まで私たちを迎えに行く必要はなくなったからって」

「そうだな。伝えておこう」ちらりと見つめあい、ジュディスはヘンリーに微笑みかけた。

「さあ行くわよ」そばへやってきて、アンナがヘンリーの腕を引いた。

「どこへ?」

「村へ帰るのよ。急がないといけないわ」アンナは答えた。

「どうして?」

「何言ってるの? 郵便配達人がやってくる前に家に帰り着いていないと、あの手紙が両親に見られて大変なことになるじゃないの」

 ヘンリーは思い出した。『しばらく冒険の旅に出ます』と書いたあの手紙だ。アンナの言うことはもっともだったので、ヘンリーたちはあわただしく出発することになった。リンゴ姫にお別れを言っている暇も十分にはなく、ヘンリーを馬の背に押し上げ、自分はたづなを引いて、半分駆け出すようにしてアンナは砂の上を行き始めたのだ。ヘンリーは何度も振り返ったが、ジュディスは手を振りもせず、それでもその場に立ったまま見送ってくれた。だがいくつ目かの砂丘を乗り越えたところで、その姿もとうとう見えなくなってしまった。

 こうやって、ヘンリーとアンナは村へ帰ってくることができた。まるで何事もなかったかのように朝食のテーブルにだって着くことができた。昼前には門の前に立ち、郵便配達人を待ち構えていた。誰にも見られる前に、手紙は二通ともうまく取り戻すことができた。

 誰も信じないだろうとヘンリーは言ったし、一度はアンナもそれで納得したのだが、やはりあきらめきれなかったのだろう。夏休みが終わり、学校が始まって1週間もたたないうちにアンナは言い合いをはじめていた。もちろん相手はパン屋の息子だった。強いくせ毛の持ち主で、乾ききった松ボックリのように広がった髪を激しく左右に振り、「そんなバカなことあるもんか」とジョージは大きな声を出した。

「本当だったら本当なのよ」アンナは負けずに言い返した。

「地球の中心まで潜っていって、おまえとヘンリーが大怪物を退治し、世界を救っただなんてウソに決まってらあ」

「ウソじゃないわよ」アンナの声もだんだん大きくなってくる。休み時間のことだったが、その声が職員室にまで届くのではないかとヘンリーははらはらし始めた。

「ヘンリー、あんたも何か言いなさいよ」突然振り返り、アンナはヘンリーをにらみつけた。

「僕は…」

「弱虫のヘンリーなんかには、小さなミミズだって殺せるもんか」ジョージが言った。「なんていったっけ? アンナの話に出てきたヘビ。体全体が緑色で、でかい一つ目のやつさ。ウロコ丸とかいったな。そいつを連れてこいよ。オレが小指の先でやっつけてやらあ」

 ところがこのとき、誰かが廊下を行く物音がドアの向こうから聞こえてきたので、口論はこれまでになった。騒いでいたせいでベルが耳に入らなかったのか、いつの間にか休み時間が終わっていたらしい。きっとあれは先生だろう。

 みんな、もちろんあわてて席に着いた。足音らしい物音は教室のすぐ外で立ち止まったが、いくら待ってもドアが開く気配はない。どうしたのだろうと子供たちが不思議に思い始めたころ、閉じたままのドアの向こうからとうとう声が聞こえてきた。「なあ誰か、このドアを開けてくれないかな。先生を抱えたまま、オイラ一人じゃ無理でさ」

 ヘンリーは立ち上がり、ノブに手をかけた。そしてドアを開けたのだが、最初に目に入ったのはぐったりとなったサンダース先生の姿で、何か強いショックを受けたのか気を失ってしまっているようだ。ここまで床の上を引きずってきたらしいが、困ったような顔で先生を支えているのがウロコ丸だったのだ。あの大きな瞳と見つめ合うことになってヘンリーは目を丸くしていたが、ウロコ丸が口を開いた。

「ああ、ここにいてくれて助かったよ。地球の中心でどんな冒険をし、セミ丸をどうやって退治したのか聞きたくてやってきたんだが、職員室に顔を出して、あんたらがいるのはどの教室かと尋ねようとしたらこのざまでさ」

 だがサンダース先生の意気地のなさだけを笑うのは不公平かもしれない。しばらくしてやっと気がつき、ヘンリーとアンナはキョロキョロ見回したのだが、教室の中はもう空っぽで、かれら二人とウロコ丸以外、あっという間に誰もいなくなってしまっていたのだ。

「ちょっとまずかったかな」とウロコ丸はつぶやいたが、それを聞いてアンナはくすくす笑い始めた。少しの間は我慢していたが、つられてとうとうヘンリーも声を立てて笑い始めた。そこにウロコ丸まで加わり、いかにもヘビらしく舌をシューシューと出し入れしながら忍び笑いを始めた。だが三人が平和に笑っていることができたのも、教室のすみにある物入れの中からゴトンと小さな音が聞こえてくるまでのことだった。

 三人はどきりとし、首をすくめて静かになったが、最初に体を動かし、物入れのドアに手を伸ばしたのはもちろんアンナだった。さっと勢いよくドアを開くと、体を縮めて身を隠そうとしているジョージの姿が目に入った。頭を両腕でかかえ、足を精一杯に引き寄せ、掃除用具の間に体を押し込み、少しでも小さくなろうとしている。ウロコ丸が声を上げた。「地上の子供らの間では、物入れの中に入って遊ぶのがはやってるのかい?」

 アンナとヘンリーはあきれた表情で顔を見合わせたが、口を開く前にジョージの泣き声が聞こえてきた。ちょっと意地悪な気分になり、ウロコ丸に顔を近づけ、ヘンリーは少し耳打ちをしてやった。アンナも面白そうな顔で聞いている。

「へえ」ウロコ丸の目が大きく、これも少し意地悪そうな表情に変わるのがわかった。

「なあジョージ」せき払いをし、ウロコ丸は口を開いた。「早くそこから出てきて、小指の先一本でオイラをやっつけてくれよ。その勝負をするために、わざわざ地の底から来てやったんだぜ」

「お客さんを待たせるもんじゃないよ」調子に乗ってヘンリーも言った。

 物入れのドアをけとばし、アンナはドンと大きな音を立てた。「出てこないとドアを壊して、引きずり出しちゃうぞ」

 ジョージがさらに大きな泣き声をあげ始めたのは言うまでもない。三人はもう一度笑った。だがすぐにウロコ丸が真顔になった。「おや? あれはいったい何の音だい?」

 アンナとヘンリーも耳をすませた。ウロコ丸が何のことを言っているのか、すぐに理解することができた。サイレンの音だ。どうやら消防車らしい。この町は小さすぎて警察署はなく、もちろん軍隊もいない。それでも通報を受けて消防団から駆けつけつつあるのだろう。

「消防車ってなんだい?」ウロコ丸は言った。アンナとヘンリーは説明してやった。

「そいつがオイラを退治しにきたのかい?」ウロコ丸は目を丸くした。

「そうらしいわね」アンナはうなずいた。

「こうしちゃいられないや」ウロコ丸は体を動かし始めた。しっぽの先で物入れのドアを閉めてジョージを一人にしてやり、アンナとヘンリーを連れて校舎の外へと急いだのだ。ヘンリーたちはすぐに気がついた。校舎のすぐわき、背の高い木が一本立っているすぐ隣の地面にマンホールほどの大きさの穴が口を開けていて、ウロコ丸はそこからやってきたのに違いなかった。

 頭からその穴の中に飛び込みざま、ウロコ丸が言った。「じゃあな。冒険の話はジュディスからでも聞かせてもらうことにするよ」

「ええ、さよなら」

「さよなら」

 肩を並べてアンナとヘンリーが手を振っている間に、ウロコ丸の姿は穴の中へさっと見えなくなってしまった。消防車が到着し、手に手に木の棒や網を持った消防士たちが飛び降りてきたときには、地面には穴が一つ黒々と開いているだけだった。
(終)
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