~幻だった日々~
『もりにはいってはいけません。
もりにはあくまがいるのです。
あくまにとってこどもはおいしいごはんです。
もりにはいったにんげんはあくまにたべられてしまいます。
もりにはまもりがみがいます。
まもりがみはとってもきれいなおうごんいろのひとみをもっています。
あくまがまちにこないようにしているのです。
だからいつもまちはへいわです。
まもりがみがいるからへいわなのです。
1×××年出版 マリア=アマリリス他 作 『あくまとまもりがみ 短編集』より』
*
あくまやまもりがみなど存在するはずもない。
あの午後の日、絵本をよみながら妹と笑い合った情景が思い浮かぶ。
『森にはいっちゃだめですよ!』
絵本に描かれた大きな真っ黒い悪魔の姿に小さ悲鳴をあげながら見ていた絵本。
お伽噺としか思っていなかった物語。
それが、今。
本当の出来事にしか思えない。
―――容赦なく降り注ぐ冷たい雨が身体を濡らしていく。
目の前の大きな影が徐々に近づいてくる。
これは…この影は…なんだろう。
*
「とれ……あああああッぎゃ!」
街の民にしては豪華な服をまとい金に縁取られた赤いカーペットの上に転げ落ち、開け放たれたドアに思い切り頭を打って、床に蹲ったまだ幼い少年の元へドアを開けた張本人は慌てて少年……自分の主人の元へ駆けよった。
「ユーラ様?!一体どうされたんですか!」
使用人が声をあげると、蹲った少年は今にも泣き出しそうな顔をあげか細い声で「む、虫が…いや虫ごときになんて…」と一人でぶつぶつと呟いている。
「え…虫?!虫ですか!どこ………あっ、ユーラ様背中に!」
使用人は猛スピードで辺りを見渡し、主人を指差し叫んだ。
奇声をあげ、慌てて身体を起こす主人の気など知らず、使用人は花のように笑い、
「嘘です!」
と敬礼をした。
しかし対照的に、主人であるユーラは怒り心頭といった様子で顔を歪ませ、
「ふざけるなッ!!!」
と大声で怒鳴り……この後一回りも大きな使用人に数時間説教したこと、そして天然な使用人がずっとニコニコしていた事…そして説教…を繰り返した事は言うまでもない。
あれから自室に戻り、正直好んでいないカフェラテと甘すぎるマカロンを無理やり口につめてユーラは小さな身体をベッドへ沈ませた。窓から差し込む暖かな光が、夕刻を知らせる。眠気に襲われ、重くなった瞼を閉じようとした瞬時、内線の電話が鳴り響いた。
耳をつんざくような音に慌てて身体を起こし大きく重い受話器を手に取る。
「はい」
『ユーラ?』
柔らかな声音。この声は紛れもなく姉であるユセのものだ。…歳は大分離れているため、姉といえど失礼は許されない。自然と息をのむ。
「…はい。何か御用ですか?」
まだ若いがユセは異常な程頭が良く人も良い、優秀な人材だ。そのため使用人からも親からも好かれ、頼られる事も多い。…しかしそんな姉が何の用だろう。
『――セーラを知らないかしら。朝から姿が見えないのよ』
セーラはユーラの一卵性双生児であり、ユセの最愛の妹。二人は仲が良く、インドア派という事もあってか大体セーラはいつもユセの部屋にいる。ユーラの部屋に来る事は滅多にないしそもそもセーラはうろちょろしないから廊下で会う事もない。
「見てません。…どこかへ出かけたのでは?」
といっても彼女がでかけることは月に一度……行き先だって幼い頃から決まっている。
『うーん…何も言ってなかったのだけれど』
「……使用人達に聞いてみますね」
もし出かけたのならば誰か言伝を預かっているかもしれない。一番傍にいる時間の長い姉が知らぬのなら可能性は低いかもしれないが…十分にあり得る。
切れた電話を置き、ユーラは息を吐いて豪壮な重いドアをからだで押し開けて廊下へ出る。…アンティーク調を好む母のせいで電話といいドアといい少し生活しずらい気もするのは誰にも言えない小さな悩みだ。
廊下は痛いくらい静まりかえっている。どうやらセーラの事には誰も気付いていないらしい。辺りを見渡し、使用人室へ行こうと階段に足を踏みだした瞬時、突然階段を上がってくるもの凄い足音が聞こえてきてユーラは思わず足をとめた。姿をみせたのはセーラと、先程説教をしたユーラの専属である使用人だった。ユーラの姿を目にとめて姿勢を正す。
「…セーラと一緒ではないのか?」
「いつのまにか姿が無く…。申し訳ありません」
セーラの使用人は少しネガティブというやつですぐ根を詰める。今も実際成人をむかえながらも子供のようにボロ泣きしてしまいそうな程眉をよせて、大きな瞳を潤ませている。
どうもこういうタイプの扱いは苦手だ。顔に出さぬよう目を逸らす。
「……別にお前のせいではない。王宮内にはいたのか?」
使用人は首を振る。
「いいえ。全てのお部屋を拝見いたしましたが…それらしき姿はみられませんでした」
しばし考えてユーラはふと思い出す。
「農園は?」
セーラが幼い頃から唯一外出する花の綺麗な農園。…行くならあそこしか思いあたる場はない。しかし使用人は顔をより一層歪める。
「連絡をとってみましたが…訪れていないそうです」
…他にセーラが行きそうな場所。知っている可能性があるのは…。
「…姉様に話を聞いてくる。お前らは街中を探してみてくれ」
「はい!」
急いで階段を上がり、姉の部屋をノックすると「どうぞ」とくぐもった声が聞こえて重い力をこめて手でドアをあける。情けない姿をさらすわけにはいかない。
「失礼します」
ふんわりとかおる様々な花のかおり。そのかおりを発する花に囲まれ、彼女はいた。異様なまでに白い肌に大きな瞳が映えている。
「あら。……セーラは…まだ見つからないみたいね」
豪華な天蓋ベットから身を起こす病弱な姉にユーラは真っすぐ視線を向けて、口を開く。
「どうやら外出したようなのですが、思いつく場はありませんか?」
「…農園にはいないようね?」
「はい」
「……申し訳ないけれど思いあたる場所はないわ」
一番セーラの状況をしっているだろう姉でも分からないのならば仕方がない。
ユーラが「それでは」と部屋から立ち去ろうとすると「ユーラ」とユセが声をかける。
眉をよせる姉の姿に、ユーラは胸騒ぎを覚えた。
「…関係はないのかもしれないけれど、またあの森の新しい噂を聞いたの」
あの森、とは海に面する広大な山地を指す。常時、あの森に関する噂が流れ、時には不死になれる薬草がある…捕まえると大金持ちになれる鳥がいる、などと疑い深い噂が流れ、兵を動員させた事もあるが…どうせ今回も真実味の無いものだろう。
しかし、ユセが目を伏せた。
「――――どんな病気でも治る花が咲いている、というものよ」
病気が治る?…またどうせ根拠のない噂だ。しかし、ユーラの脳裏に何かが横切った。
「……っ、まさか…セーラは森に?」
セーラは、誰よりも病弱な姉が健康になる事を願っていた。いつも自分が治してあげるのだと張り切っていた。姉は病弱な為に王位継承者にならず、自分へ受け渡した事も知っている。
「その可能性も…捨てきれない。……あ、そうだユーラ、このお花あげるわ」
ぷちり、と小さな音をたてて鮮やかに蒼く染まる花を、小さな手に置く。
「綺麗でしょう?」
ユセは誰よりも、弟の事を知っていた。
「無茶はしないように。それと森には…なるだけはいらないようにね」
無論、弟が妹を探しに森へ入ってしまうことも―――知っていた。
「…わかっています」
だけれども、止める事はしなかった。
――森には「守り神」がいるからだ。
有名な本である『まもりがみとあくま 短編集』。あの本の作品は祖母の母が記したものだ。
祖母の作品は「森に入るな」と全面的に訴えている。
何故か……それは森に人を喰う悪魔が実在していからである。
でもその作品には「森に入らなければ被害はない」ともかかれている。
それは言うまでもなく…守り神がいるからだ。
つい先程まで街を照らしていた夕日はぶあつい雲に隠され姿を消した。
まるで何かを忠告するように生ぬるい風が吹く。
街に、セーラの姿は無い。
ならばやはり、森。
―――森に行くしか手はない。
木々達が、嘲笑うように風に揺れるのをにらみながら、そっとユーラは森の中へ足を踏み出した。
隙間なく植えられた背の高い木々の中は茶、緑…他の色は見当たらない。花や、鳥なんていない。ひんやりとした空気が、最悪な終わりを想像させる。
体中にはしった悪寒をふきとばすように息を吸う。
「セーラ!」
返事は当然ない。
「セーラァ!!」
大丈夫、セーラは無事だ。方向音痴だから多分…どこかで迷っているだけだ。うっかりそこらへんで眠ってしまっているんだ。大丈夫、ダイジョウブ、だいじょうぶ。
あの笑い合った日々が一瞬にして消えてしまうなんて。
ありえない。
幻のように消えてしまうなんて絶対に――あってはならない。
足元の悪い森の中、足の鋭い痛みも忘れるほどに走り回りいつのまにか辺りは闇に染まっていた。肺が激しく上下している。ユーラは汚れるのも構わず倒れ込んだ。
分厚い雲に覆われ月は見えない。とても暗く心細い。
ポツリ、ちいさな冷たい雫が頬に当たる。
雨が降ってきた。
だんだんと無能な彼を嘲り笑うような音をたてて身体を濡らしていく。
「情け、ない……」
仮にも自分は次期国王。国をいかなる時も支えなければならないのに。いつも、セーラやユセに支えられているばかりの日々が走馬灯のように蘇ってくる。
セーラは一体どこへいってしまったのだろう。
もしかしたら王宮へ帰っているかもしれない。あの妹の事だあっさり笑顔でかえってきている可能性はある。
そうだったら馬鹿みたいだ。こんなびしょ濡れになって…。
姉のように頭は良くないし、妹のように皆から好かれる明るさもない。どうせこんな自分なんて誰も必要としていない。ここで死んでいなくなったって誰も変わりはしない、泣きはしない。
悲しいね、と誰かの笑う声と同時に……足音が近づいてくる事に気付きユーラは急いで頬をなでつけて立ちあがりあたりを見渡す。普通、こんな暗がりに生き物がいるだろうか。
そこでふとあの絵本を思い出した。
『もりにはあくまがいるのです。こどもはあくまにとっておいしいごはんです』
的確に近づいてくる足音。
「悪魔……?」
そして、木々の隙間から覗いた月明かりと、その光をうけて輝く二つの黄金色の輝き。
大きく伸びる黒い影。
「――――いいや、違う。…守り神さ」
ユーラは息をのんでその影を見上げた。
その黒い影……いや人影は、にこりと口角をあげた。
Halcyon 上 END