ラスボス作ってしまいました
自分はトロイゼンの女王アンネリーズ。
故国トロイゼンは小国ながら、それなりに力のある国々と国境を接しているために、過去は戦乱に巻き込まれることも多かったが、現在では国同士の微妙なパワーバランスの上に存続している。
また過去の戦乱の関係上、争いを繰り広げた国々との政略結婚を何度も結ばされた結果、大陸一といっても過言ではないほど多様な王家の血が入り混じった。今では大国と呼ばれるどこの国の王族も、このトロイゼン王家と何らかの繋がりをもっている。
だが今の王族は自分と妹の二人だけ。父王が若くして亡くなり、10代半ばで即位した後は新米の女王として、周辺諸国に舐められないようがむしゃらに務めてきた。幸い、大陸の情勢は落ち着いてきている。新興の大国シュヴァールの勢力が、周囲より頭一つとびぬける形で安定しつつあった時期だった。
そんな中、美貌で知られる妹フィーネのもとにシュヴァール王国の第二王子との縁談が来た。国力差から元より断れる話でもないが、悪い話ではなかったのも事実。小国だが血筋の由緒正しさは折り紙つきなトロイゼンの姫を迎える事で、武力によって台頭してきたシュヴァールは皇族家に箔を付けられる。トロイゼンとしても、大国の庇護を受けられるのはありがたい。話はとんとん拍子に進んだ。
が、総領娘として厳しく育てられた自分と異なり、父と自分の癒しとして、無邪気に――言ってしまえば甘ったれに――育ってしまった妹は恋愛願望をこじらせたあげく、視察先で出会った村の青年と恋仲になり、政略結婚を嫌って駆け落ちしてしまった。もちろんすぐに連れ戻し、宥めすかして無理やり嫁がせたが……。
そこで思い出してしまったのだ。自分がこの世界に生まれる前、別の世界で人生を送っていた事があったことを。その世界で自分は『ゲーム』をしており、その世界観が今生きているこの世界にそっくりだということを。
その『ゲーム』は、典型的な王道SRPG……キャラクター性を持ったユニットを集めて軍隊を形成し、マップという限定された広さの地形上で動かして敵ユニットを撃破するという、戦術性を持った盤面遊戯だった。強大な帝国に祖国を滅ぼされた小国の王子が、世界中を転戦しつつ仲間ユニットを集めて祖国奪還の軍を起こし、軍主となって、大陸制覇の野望に取りつかれた帝国の皇帝を打ち倒すという、まあオーソドックスなストーリーである。
そのストーリーが問題なのだ。
主人公たる王子の故国の名がトロイゼン… ―――つまりこの国だ。
オープニングで炎に包まれ落城するムービーが流れたが… ―――まぎれもなく私が今暮らしているこの城だ。
炎上する城から落ち延びた王子が、遅れて合流した腹心の騎士に、母親であるトロイゼン女王が落命した事を聞かされる… ―――これが物語の始まりだった。
トロイゼンの歴史は長い。歴史を紐解けば女王が統治していた時代も、私の代以外に何度かありはした。だが、もう一つ重大な事がある。
敵対する大国はシュヴァール『帝国』というのだが、最終決戦でそれまでラスボスだと思われていた皇帝を倒したところで、真のボスが姿を現す。皇帝を裏から操って戦乱を巻き起こした寵姫―――ラスボスがか弱い女と侮るなかれ。この世界魔法が存在するので、魔力が高ければ女でも立派に戦闘能力を有することができるのだ―――。その正体は若い頃身分違いの恋人と引き離され、政略によってシュヴァールに無理やり嫁がされたかつてのトロイゼンの元王女―――主人公の叔母にあたる女性だった。
私が前世の記憶を取り戻したのはまさに、縁談を嫌がって身分違いの恋人と駆け落ち騒動などやらかしてくれた、問題児の妹王女を、無理やり花嫁に仕立て上げて送り出し、無事シュヴァール側の使者の手に委ねたと、部下からの報告を受けたその時だった。
あの『ゲーム』がこの世界の出来事を示しているのだとしたら、嫁がせた妹は恋を奪ったこの姉に対する恨みを決して忘れず、復讐心から大国シュヴァールの皇帝を誑かして寵姫に収まり、自らの故国でもあるトロイゼンを攻め滅ぼす事になるのだ。そして憎き女王―――私―――の命を奪って尚復讐の炎は鎮まらず、大陸全土を戦乱の渦に叩き込むこととなる。私が将来産む息子が、その戦乱に巻き込まれる…。
―――やっべぇー。ラスボス作っちゃったよ、私。
それが、前世を思い出し、自分の立ち位置と世界の現状を再確認した直後に思い浮かべた言葉だった。
幸いなことに、前世を思い出したと言ってもアンネリーズの意識はアンネリーズのままで、かつての人格や価値観に引きずられるという事はなかった。前世の事がゲーム(=この世界)の設定だけで、それ以外の生活様式や過去の自分の名前すら思い出せないというのも理由ではあるだろう。
ただ、今のこの世界では存在しない常識や概念を認識した結果、フィーネのように結婚とは愛によって結ばれるべきであると信じる人間が―――恋愛脳、という言葉が浮かんだ―――、いかにしてそのような思考に至るのかを多少なりとも理解したにすぎない。
ぶっちゃけて言ってしまえば、今までは『何いう…愚かなことを。王族して生まれ生きてきた者が、その責務すら理解していないとは…』と苦々しく思っていたのが、『ばっかじゃねーの、この脳ミソお花畑女が。今まで国の税金で生活してたんだから、国の為にお仕事(=政略結婚)しろや』と半眼で毒づくのに変化した程度だ。
もちろん女王としての立場をわきまえ、後者の態度を表に出したりはしないが。
アンネリーズは今でも、フィーネと恋人が結ばれるのが正しいとは思わないし、フィーネは王族として、この政略結婚を受け入れるべきだったと心から思っている。王族として間違った判断では決してないが、前世の記憶を思い出した今、彼女のラスボス化フラグから派生するトロイゼン滅亡フラグを思いっきり立ててしまった事に頭が痛い。
教育にしても、今だから言えるが、父も自分も妹を可愛がっていたが、彼女の無邪気な様子に癒されていたくて愛玩動物同然の扱いだった。どうせ政略結婚はさせる気だったのだから(むしろあえて考えるまでもない程常識なのだが)、もう少し現実というものを見せてやるべきだったのだ。
それはさておき、このまま行ったらゲームの開始前の設定どおり、妹は恋人と引き離された恨みを決して忘れず、姉に復讐を誓い、夫を毒殺して義兄である皇太子(後の皇帝)を籠絡して愛妾に収まり、故国を滅ぼさんと大陸中に戦乱を巻き起こすのだ。……正直、あのゆるふわ娘にそんな真似ができるのかいささか信じ難いのだが。権謀術策のけの字も知らなかった癖に、恋の恨みとはかくも人を変えるものなのか。むしろ愛妾やれる程の才覚があるなら皇太子妃として是非勧めたかった。
ともあれ、前世においても現世においても枯れ思考のアンネリーズには想像もつかない世界だ。否、ゲーム設定では確かこの後自分も近隣の王家から婿養子貰って、それが結構な好青年で、政治一辺倒だった女王がまさしく妹が夢見ていたような暖かな家庭を築く事になるのだ。その事がさらに妹の憎悪を煽ったという設定だったはず。
……最悪だな。現代人の思考で考えれば気持ちは分かる。恋に恋するような夢見る乙女が、権謀渦巻く大国の第二王子妃なんて、微妙に華やかでもお気楽でもない中途半端な地位に置かれたのだ。それはもう苦労があったことだろう。なのにそれを「王族の義務」だと言って眉ひとつ動かさずに強要した姉は、優しく家庭的な夫に恵まれて、小国ながらも国のトップとして持て囃される。恨みが向くのも当然というか、恨み続けることで心が折れないように保っていたのかもしれない。
かと言ってこのまま妹にラスボスへの道を歩ませるのも困る。前世を思い出したとはいえ、アンネリーズはこの国の君主なのだ。現代人の感性を思い出しはしたが、同時にこれまで培ってきたこの世界の王族としての価値観を失ったわけではない。国を滅ぼされるなど断固として阻止しなくては。自分は国と国民に対して責任があるのだ。家族の情よりそちらを選ぶ位でなくては、王冠を戴く資格などない。
そのためには妹の復讐心を宥める必要があるが、相手は既に遠い異国の空の下。場所が大国シュヴァールの第二王子の後宮では、たとえ身内からの手紙であろうと検閲が入るのは当たり前。密偵を使うことも考えたが、バレた時のリスクが高い。嫁がせた妹に正規の手順を踏まずしてコンタクトを取ったりしたら、余計な腹を探られたあげく妹の立場も危うくするだろう。うちは小国なのだ、大国を出し抜ける組織力があるなどと思わない方がいい。となると手段は正攻法しかない。
前世を思い出してから、その衝撃的な記憶の整理にようやくけりをつけたアンネリーズが最初にしたことは、城内に投獄しておいた妹の恋人を連れて来させることだった。
妹の恋人の名はヨハン。王女と駆け落ちなどやらかしたという事実を除けば、全く遜色のない村人Aと言ってよい青年である。彼はこのトロイゼンの貧しい農村の出身であり、フィーネが視察に行った折に出会ったのだという。視察と言っても、アンネリーズの指示で孤児院などを慰問させ、お菓子や衣類などを振る舞って王家に対するイメージ戦略を担わせる程度だが。本当に妹にはその程度の事しかさせて来なかった。一応家庭教師はつけたが、人を魅了することにかけては天性の素質を持つあの子に籠絡されていたような気がする。あの子に大国の王子妃が務まるのか今更のように不安になってきた……。
ともかく、異例ではあるが執務室にヨハンを呼び出し、書記官と衛兵を同席させた上で、「王女を誘拐するという事が、どういう意味をもっているか分かっているのか」と尋ねてみた。自分はおそらく死刑になる、という答えしか返ってこなかった。この時代の教育レベルでは当たり前である。だがフィーネは既にシュヴァールの王子妃に内定していた。虚仮にされて怒ったシュヴァールが攻めてくるかもしれない、そうなればトロイゼンは滅ぼされる、王族の侮辱されるというのはそういう事なのだ。
フィーネの行動を是とすることは、シュヴァールに向かって「お前の国の王族などうちの国の農夫以下だ」と面と向かって罵倒するに等しい。シュヴァールの側からしても、こんな侮辱を受けた上で報復せずにいたら、王家の権威に泥を塗ることになる。またフィーネ自身も、個人の感情で国同士の決定を覆した愚かな姫と評され、嫁ぎ先でも良い扱いをされることはないだろう。大国を甘く見ない方が良い。今回の事件の内情はおそらく既に知られている。嫁入りが行われたのは自分たちが何とか体面を取り繕い、定められた期日通りにフィーネをシュヴァール側に引き渡したからにすぎない。。
というようなことをざっくり説明したらヨハンは蒼白になっていた。まあ、自分のせいで国が滅びるとか言われたら当然だろう。その様子を見て、やはりこの青年は基本的に良識を弁えた善良な人間であり、また愚かではないと判断を下す。そうして、フィーネ程に恋に目が眩んでいたわけでもないと。
次に訪ねた。「フィーネの身体に触れたのか」と。ヨハンは力なく首を振った。
最後に「今でもフィーネを愛しているか」と。この問いにはヨハンはしばらく無言だったが、やがてぽつぽつと語り出した。初めて会ったとき、自分たち民のことを思って下さる優しい姫だと思った。自分たちの貧しさに涙を流し、お父様に頼んで税金を安くしてあげるからと約束してくれた。ありがたいことだと感謝し、自分に笑いかけてくれて天にも昇る心地だった。結婚話を嫌がって、自分を連れて逃げてくれと泣きながら縋った姿に愛しさを感じ、たとて命と引き換えでもこの方の幸せを守ろうと思ったこと。だが、城から離れる途中湿地に差し掛かり、沼を渡る時に自分が背負うことを申し出たら、フィーネはそれを断った。ヨハンの身を気遣った故の言葉だったが、フィーネはその時、沼地を避けて小さな花が群生している草地の部分を踏んだ。それは、ヨハンら貧しい村の人々が、飢えて食べ物がない時に非常食となり得る食べられる花だった。湿地の養分をよく吸っているために、病人や子供に優先して食べさせるものだった。村人は皆知っているので、その花を踏みつけるような事は誰もしなかった。その時、ヨハンは、フィーネは自分たちを憐れんではくれても、決して自分たちと同じ生活はできないと思い知ったという。だから捕まった時にはむしろ安堵した。フィーネに貧しさを経験させて、自分に向ける愛情が消えうせる前に終わることができたのだから、と―――。
アンネリーズはヨハンを釈放した。元から殺すつもりなどなく、口止め金を支払って監視をつけて解放するつもりであったが。記憶を取り戻す前のアンネリーズの判断を、今のアンネリーズも支持した。ヨハンを殺す必要はない。つまり、無駄にフィーネの恨みを増幅させる必要性もない。
書記官が記録していた今の話を、そのままフィーネに送る書類の中に差し入れるように命ずる。良いのかと尋ねる家臣に、どうせシュヴァールには今回の事件の事は知られている。こちらが体面を繕い、相手がそれを認めたせいで表立っては醜聞はないことになったけれど、水面下ではくすぶり続けるだろう。それならば水面下で事の顛末をシュヴァール側に知らせ、ついでに純潔の主張にもなるから丁度良い。フィーネはごねるかもしれないが、あまりに聞かないようだったら丸一日食事を抜いて、その上で食物を目の前で踏みにじってやるよう一緒に送り出した侍女に指示しなさいと告げた。そうしておきながら表向きの書簡には、異国に嫁いだ妹の身を案じる姉として、思いやりを前面に出した文面でフォローした。
我ながらマッチポンプだと思うが、フィーネが少しでも自分に対する憐れみから脱却し、立場に見合った考えを持ってくれればいいと心から思うのだ。あわよくば皇帝を籠絡したその手管、両国の国益の為に役立ててほしいが……。
返信は最初こそほとんど来なかったが、やがて3通に1通は返事を寄越すようになった。フィーネにつけてシュヴァールに送り出した腹心の侍女は、アンネリーズに指示された通りの事を実行したらしい。ああ、やっぱり聞かなかったか…と思ったものの、この荒療治は有効だったようで、フィーネは自分が一方的に恋を奪われた哀れな被害者ではなく、恋人の愛を失うような振る舞いをしたのだということを多少は自覚したらしい。姉が自分を政治の道具として利用したのではなく、本当に自分の幸せを考えてくれての事だったのですねと返事が来たときは、記憶を取り戻す前のマキャベリスム全開の自分を思い起こして少々良心が咎めた。
やがて書簡のやり取りは恒常化し、互いの近況を伝えあうようになった。夫なった第二王子との仲はあまり宜しくないようだが、それは醜聞のせいだから仕方ないと考えているらしい。それよりもアンネリーズが手紙で勧めた恋愛小説に興味を持ったらしく、同好の貴族夫人と知り合えた事もあって、文化的な趣味に傾倒していった。今では夫人達のサロンで詩作に興じたり、戯曲を催したりとそれなりに充実した日々を過ごしているらしい。嫁いできた当初は慣れない異国での生活と醜聞からの風当たりの強さに居たたまれない思いをしたようだが、王太子殿下が非常に良くして下さったのでなんとか過ごせていたと書いてあった時は、フラグが立ってしまったかと心配していたが、義兄である王太子とはその後も良好な、そして節度ある付き合いに留まっているらしい。安心した。
姉妹仲の改善によって妹のラスボス化を防げたと安堵した頃、アンネリーズも周囲の勧めで隣国の王族の1人を婿に迎えた。ゲームの設定では「穏やかで誠実な人柄で、政務のことしか頭になかった女王に家庭の安らぎを教えてくれた」という評価だったが、成程いかにも育ちの良いお坊ちゃんで、フィーネと同じく全く政治向きではない男だったが、フィーネと違って自分の役割というものをちゃんと理解していた。正直夫の実家に干渉されるのを恐れていたアンネリーズは、トロイゼンの内政には全く関与せず、トロイゼンと故国の友好関係を維持しながら外交官の接待にばかり精を出してくれる夫の為人は非常にありがたかった。ゲームのアンネリーズは夫を深く愛したそうだが、実際のアンネリーズもこの都合の良い夫を愛した。元の世界の恋愛脳のお嬢さん方なら全く理解できない愛し方ではあろうが。
ともあれ息子――ゲームの主人公――が生まれる頃、事件が起こった。この頃にはシュヴァールは周辺の幾つかの民族や都市国家を併合して、様々な文化・民俗を取り込み、ゲームの設定どおりに『帝国』を称するようになっていた。版図の拡大が感染経路をも広げてしまったのか、シュヴァールで疫病が発生し、多くの貴族と平民が死亡した。平民の中には故郷の農村を捨てて難民となってトロイゼンに流れてくる者も多く、アンネリーズは対応に追われることになった。シュヴァールのフィーネは皇族の一員故に感染を恐れて離宮に移ったが、トロイゼンに向かった難民の為に援助物資を送ってくれた。あの妹がこんな風に気遣いをくれるなんて……と目頭が熱くなった。
フィーネの夫は上流階級の例にもれず、結婚前から数人の愛人とそれなりの浮名を流していた。第二皇子という気楽な身分もあってか、相手は下級貴族の既婚の夫人が多く、フィーネの正妻としての立場を揺るがすことはなかったが、結婚当初の事情から夫婦仲はそれ程良くはなかった。それでも数年間の夫婦生活はそれなりの歩み寄りを互いに持たせたらしい。最近のフィーネの手紙には、夫の浮気の愚痴や、夫からの贈り物に対する感想などがぽつぽつと書かれる事が増えた。以前は夫の話題など全く無かったので、浮気をしていようと関心を抱いた分だけ進歩ではある。
だが、関係改善の兆しも束の間、夫は、最も長い付き合いの愛人である某男爵夫人が流行病に冒されたと聞き、避難先の離宮から皇都の夫人の屋敷を訪れ―――自身も病に冒されあっけなく命を落とした。フィーネがこのことを知ったのは夫が死んでからで、急いで皇都に赴こうとして皇太子に止められたという。流行病が収束するまで、離宮を離れることは許されなかった
フィーネの憔悴は見ていて痛々しい程だったという。夫婦仲の改善が囁かれていたが、内実はより歩み寄りが進んでいたのかもしれない。流行病が収束した頃、フィーネの懐妊が発覚した。
第二皇子の葬儀が終わり、フィーネは男の子を出産した。シュヴァール皇家とトロイゼン王家で話し合いが行われ、フィーネの息子には第二皇子の保持していた爵位と財産の相続が認められた。フィーネは実家に帰ることなく、このままシュヴァールにて皇族の一員として過ごすことになった。
ゲームの設定では、第二皇子は妻であるフィーネの手によって毒殺された筈だった。この後フィーネはゲーム時間軸には皇帝となっている皇太子の寵愛を受け、フィーネの息子ゲオルグは皇帝との私生児ではないかと噂されることになる。ちなみにゲーム中のゲオルグ公子は、物語の中盤~終盤にかけて数回マップボスを務める所謂中ボスキャラである。
夫を亡くした時に寄越した手紙の嘆きぶりを見れば、フィーネが夫を殺したとは到底思えない。ゲオルグの誕生後、皇太子とは親しくしているようだが、その関係が艶めいた噂になるわけでもない。まあ、夫を亡くし乳飲み子を抱えた義妹に皇太子が何かと気を使うのは当然の行為ではある。皇太子にとってはゲオルグは、死んだ弟の忘れ形見なのだから。
それから十数年の時が立ち、とうとうゲームの時間軸を迎える。
改めてゲームの設定を思い出した。前世の自分は例のゲームを三回程クリアしたのだが、そもそも何故三回『しか』クリアしなかったのか? ルートが三通りだったから。そしてシナリオは一本道だった。用意されていた個別ルートを1回ずつ回って満足して、その後は同人誌やネットの二次創作で楽しんでいた、やや変則的なファンだった。ゲーム自体に対する好感度はそこそこだった。むしろもっとのめり込んだジャンルもあった。
何故はまり切らなかったのか? シナリオや世界観は良かった。駄目だったのは、ヒロインが致命的に受け付けなかったからである。昨今よくあるタイプの、キャラを作り込むことなく萌えと贔屓だけで形成されたような製作者の俺嫁ヒロインだったのだ。
このゲームにおいては彼女こそが世界の中心。何をやっても許され認められ、迷惑をかけられても気にも留めず、いかにも台詞を口にしてはいちいち感動され、しかもその場その場でどこかで聞いたようなカッコ良い台詞を口にするだけして実際の行動はほぼ主人公任せの為、ダブルスタンダードの権化と化していた。なのに功績だけは全て彼女に帰される。何人もの男性キャラクターに思いを寄せられ、女性キャラクターに尊敬を抱かれる。見ているプレイヤーの側としてはイラつくことこの上ないキャラである。
しかもヒロイン固定なのだ。このゲームにヒロインはただ一人。ラストで主人公が、「これからも自分の側にいてくれ」というプロポーズに、頬を染めながらも「仕方ないわね、私がいないと何もできないんだから」と答える……。今まで散々コイツの「聖女やりたい病」に巻き込まれてフォローの限りを就くし、尻拭いに奔走してきたプレイヤー達はあまりの厚かましさに腸が煮えくり返る思いだった。
当然二次創作の世界ではアンチ、ヘイトの嵐が巻き起こった。ヒロインの態度の問題点を考察するサイトまであった。前世の自分もそういった作品を見て、ゲーム中の憤懣をどうにか昇華した覚えがある。このヒロイン、ヒロイン故にシナリオに深くかかわってくるため不死身なのだ(撃破されても撤退するだけ)。しかも最終マップでは出撃固定なため嫌でも鍛えねばならず、なのに能力値はそれほど高くもないため、足手まといにならないためには初期からずっと出撃させてレベル上げに勤しまねばならない……本当に苦痛なキャラだった。ゲーム自体は面白いのに、ヒロインに対する嫌悪感が楽しさを減じていた。故にゲーム本編をクリアした後はもっぱら二次創作で存在抹消か、性格改編してすっかり別物になったヒロインを当て嵌めてゲームの世界観を楽しんでいたのだ。
そもそも、ゲームの主人公である我が息子エルネストからして、結構な脳筋だった。否、ヒロインの好みがそうだったのだ。故国再興の為に大望を抱いているという立場である筈なのに、目の前に山賊に襲われている村人を助けないのは道義に反するとか何とか、そんな非難を出会い頭にされた。正確に言えば王子は別に見捨てようとしたわけではないのだ。部下の1人に命じて山賊のアジトを探し、可能なら人質となった村人を保護するように命じた。王子が体を張って助けないのが不満だったらしい。どこの子供向け絵本の世界だ。
ある時は部下に危険な事を命じるなんて非道だと、部下の存在意義と王族の価値を彼方に放り投げた文句をつけ、ある場面では危険に突っ込んでいった主人公に対してもっと仲間を信頼しろとのたまう。とにかく何かにつけて文句を言う。ああしろこうしろと指図する。そのくせその時々で主張することが食い違う。お前は一体主人公に何をさせたいんだ。単に王子の言動にいちいちケチをつけて、自分が王子に説教できる立場だと上位にふんぞり返っていたいだけじゃないのか。制作陣がキャラクター性を作り込むことなく、どこかで見たようなカッコ良い台詞をツキハギしているだけなのは明らかだが、キャラクターの言動に整合性を見出そうとすればそんな不愉快な性根しか浮かんでこなかった。はっきり言ってそれだけ薄いキャラだった。そんなヒロインの矛盾だらけのご都合満載な言い分の数々に、誰も異論を唱えなかったのがこのゲームの破綻部分であった。
そのことを思い出したのは、ゲーム時間軸が近づいてきた頃、実際にヒロインに会う機会があった時だった。それまでオープニングの落城シーンやラスボス(フィーネ)登場シーン以外はあやふやだったゲームの光景が、一気に甦って来たのである。それほどインパクトが強かった、悪い意味で。
彼女の立場は一応聖神教団の女騎士という立場である。そう、一介の騎士である。にもかかわらず一国の女王である自分に挨拶もなくため口で、堂々と非難をぶつけて来たのだ。その内容が、即位したシュヴァールの皇帝とフィーネの不義(市井の面白おかしい噂レベルの事なのに堂々と『有る』と断言した。しかもゲオルグを二人の不義密通による私生児だと断定しやがった)について何故正さないのか(内政干渉という認識はないらしい)というものだった。
救いは、同行の騎士たち始め、自国の護衛達の誰もゲームのようなヒロインマンセーに走らないまっとうな感性の持ち主だった事だろう。無言の怒りに震える衛兵たちが無礼な女騎士を摘み出す前に、教団側の代表者である騎士隊長の命令でヒロインは謁見の間から追い出され、部下の非礼に関して頭を下げた。ゲームではこの隊長、上層部によって決められたヒロインの婚約者候補兼腰巾着で、かなり扱いの宜しくない当て馬だったが……。どうやらこの世界では問題児の面倒を見ねばならない気の毒な人ポジションらしい。
不敬罪レベルの暴言を行ってもこのヒロインを排除できないのは、彼女が血筋だけは立派な、過去に降臨した女神の依り代となった巫女姫の直系子孫だからである。女神の巫女として最高レベルの素質を持っていて、現状、有事の際には女神をその身に降臨させることができるほとんど唯一の存在とされていた。実際ゲームにおいても最終決戦時に彼女が女神をその身に宿したことが、勝利の最大要因となるのである。そんな重要人物ならきちんと教育しろといいたいところだが、どうやら教団内の生臭い系のパワーバランスの関係で表向きだけのお綺麗な教育ばかりを施したあげく、何をどう間違ったのかあさっての方向に潔癖な性質に育ったらしい。よって普段どんなに独りよがりのワガママ放題を言い放とうが、彼女を処分することはできないのだ。
実に面倒な存在だが、それでも彼女の存在は一国の君主として無視できない。実際、今回の会見もいざというときに女神の依り代となり得る巫女候補の面合わせというのが目的である。だが、行く先々で問題行動を繰り返して、むしろ各国上層部の教団に対する印象をダダ下げして歩いているらしい。我が国のように扇子で上品に顔を隠しつつ「まあ、何か囀っていたかしら」と暴言を聞かないふりしてやって、教団に対する貸しを積み重ねた国も多いとか。
フィーネの夫が死んだ時のようにゲーム補正が働きやしないだろうかと密かに案じていた息子エルネストも、叔母と従弟に対する許しがたい侮辱に憤りを抱いていたからほっとした。次代のトロイゼン王がこんなヒロインに洗脳された熱血という名の脳筋に成り下がったら国が滅ぶ。ましてやアレが王妃になるとか悪夢である。まあ、こちらに被害が来ないのならば巫女の内面など教団側の事情だ。彼女の身分は一介の騎士、それも死なれては困る立場から形ばかりのものに過ぎず、実質的な権限などありはしない。こうして一度面通しを果たした以上、常識的な振る舞いのできない愚かな騎士など教団としても二度と表に出したくないだろう。二度と顔を合わせる機会はないはずだ。ゲームの出来事が起こらなければ巫女も、勿論女神も必要ないのだから……
そう甘く見ていたこの時の自分を、私は一生許せないだろう。
ゲーム知識によって内実を知る自分、そして実際に接した者たちには彼女の矛盾に満ちた言動がよく分かっていたが、この世界の大多数の人間にとっては「聖神教団の女騎士」も「女神の巫女の子孫」も、彼女の優れた容姿も一過性の内容としてなら素晴らしい言葉も、非常に輝かしく、あるいは利用価値のあるものだった。
ヒロインは彼女の価値を利用して自身の権威を高めようとする者たちの、一見もっともらしい言葉に踊らされ、自身が正義と信じる偏狭的な価値観のままに行動した。その矛先が「シュヴァール皇帝を誑かす毒婦」フィーネへと向けられたのだ。シュヴァールの大部分を占める、無学で信心深い――情報の如何によって狂信的な暴徒へと成り得る――民衆を扇動して。
聖女の意思を大義名分にかかげた狂信者たちは、皇帝と夫を亡くした義妹が同乗してた馬車を襲撃するという暴挙を行った。一度沸き起こった狂乱は際限なく拡大し、皇帝の身を守るために軍が出動し、守るべき民衆と対峙する悲惨な事態となった。
かつての大国から秩序が失われ、皇都は犯罪が跋扈する無法地帯となった。凶熱から覚めた民衆は瓦礫の中で途方に暮れ、これに乗じて攻め入ろうとする国や、裏で利権を求めて手を差し伸べようとする者たちに翻弄される事となった。
諸悪の根源である筈の、今では民衆に聖女などと呼ばれている教団の女騎士は、教団の慈善活動という名目で皇都に拠点を置き、民衆に食料や衣類を配布しながら治癒魔法を施し、悲惨な境遇に置かれた民の為に涙を流したという。一見美しい光景だが、実際の醜悪さはそれを知る者たちからは吐き気がする程だった。
皇族の中で逃げ延びたのは、フィーネの息子ゲオルグだけだった。彼は翌年から、古い歴史を持つ国であり、伯母の治める友好国であるトロイゼンに遊学することが内定しており、従兄にあたる王子との交流を深める目的もあって、お忍びでトロイゼンに向かう途中だったのだ。皇都を出たところで暴動が発生し、母や伯父、親族たちの身を案じながらも密かにトロイゼンを目指して落ち延びた。かろうじて暴徒の手を逃れ、国境付近で彼を保護できたのはせめてもの幸いだった。
アンネリーズはゲオルグを保護し、ゲーム知識を総動員して密かに協力者となり得る人材を集めた。教団内部にも手の者を増やし、聖女を抱え込むことが教団のリスクになるよう、彼女の言動に悪意まぶして広めていく。ゲームの設定は「シュヴァール帝国に故国を滅ぼされたトロイゼンの王子エルネストの物語」だったが、それを「聖神教団に故国を滅ぼされたシュヴァールの皇子ゲオルグの物語」に焼き直したのだ。ラスボスは「女神の権威を振りかざし、この大陸を自分のものにしようとする邪な心を持った巫女」である。
安っぽい三流喜劇を見た時のように、アンネリーズは嗤った。ヒロインは言動はアレだが、その心根は一片の邪心もないことをアンネリーズは知っている。それでも彼女が心のままに振る舞うことは、多くの人々にとって不利益をもたらす。何よりも許せないのだ。結局は自分も復讐心から他者を破滅させる黒幕へと成ったのだ。
アンネリーズはゲオルグを後援したが、一国の君主としての権限を越えることは何もしなかった。そう、何もだ。ゲームでは最終的に女神を降臨させるためには、聖杯というキーアイテムが必要だった。それは普段は厳重に神殿の最奥に保管されているが、追い詰められた聖女一行は起死回生の手段として神殿を襲撃し、聖杯を奪って逃亡したという。
しかし、女神は降臨しなかった。
ゲームの中で明らかになる事実だが、じつは聖杯には特殊な台座が必要で、それは何故かこのトロイゼンに秘匿されていた。まあトロイゼンは大陸で最も歴史の古い国家であり、数多の王家と血縁的な繋がりを保ってきたから、そのような聖遺物が伝わっていてもおかしくはない。ゲーム的に言えば主人公の故国であり、代々伝えてきた女王は冒頭で死んでるからその事実は長い間分からずにいたが、冒頭で王子が託された母女王の形見の品が引き金となって台座へたどり着く。そうしてやっと女神降臨の準備が整うのだ。ゲームの展開としてはお約束である。
だが、現実にはそんな事情は知る由もない事。女神を降臨できなかった事で、ヒロインを巫女と崇めていた者たちも一斉に離れ、聖女派は権威を失墜させた。ヒロインは聖女を騙った者として裁きの場に引きずり出された。シュヴァールの代表として列席したゲオルグは、母を貶め、伯父である皇帝共々その命を奪ったも同然の仇を前にして、きつく唇を噛み締めながらも目をそらさず、激昂することもなく、静かに法に乗っ取った処罰が下されるのを見届けた。そんな甥の姿を見て、立派になったと心から思う。きっと良い皇帝になるだろう。
傷も大きかったが、この一件で幅を利かせていた教団の権力は大幅に縮小することができるし、内実がガタガタになったシュヴァールは再建されることになるだろう。アンネリーズが呼びかけた協力者たちは各国に散っているから、国家間の連携もこれまで以上にスムーズに行く筈だ。妹の仇を取りたいという個人的な感情があったことは否定しないが、他者を犠牲に供した以上、自国と、協力してくれた国に対する利益と誠意は示さねばならない。
ヒロインは最後まで、自分はまぎれもなく聖女だと叫び続けたが、もはやそれが真実だと知っているのはアンネリーズだけだった。否、彼女は女神降臨が可能な巫女であることが事実なのであって、人々を救う聖女でないということは確かな事かもしれない。いずれにせよ、彼女の存在は他者の評価あってのものであり、彼女自身が定義することではなかった。そしてこの世界では、各国を矛先をひとつにまとめる為に仕立て上げた、アンネリーズが作り出した「世界のラスボス」なのだ。