疑惑
小学生にとって夏休みに入る前の一つ避けて通れないもの、それは一学期の通知票である。
「はい、それでは通知票を配ります」
女性担任教師がそう告げると、三年A組の教室は不安と期待の入り交じるざわめきが広がった。
「相沢さん」
「はい」
最初の女子生徒が呼ばれた。どきどきしているのが誰の目にも明らかだった。
コナンは露骨に退屈な表情を見せるわけにもいかず、真面目な表情を作っていた。
「あ」から始まって「い」「う」と進む。
「江戸川くん」
「はい」
コナンは真面目な顔で教師から通知票を受け取り、真面目な表情で通知票を見た。
音楽。評価はやはり芳しくなかった。
ひたすら真面目な表情で席に戻ると、哀はふふふと笑った。
「どうしたの、その顔?」
「いや、別に…」
「円谷くん」
「はい!」
光彦は緊張した面持ちで受け取り、ちらりと中身を見て、ほっとした表情を浮かべた。
「あのくらいでいいんじゃないの?」
と、哀は言った。
「あのくらい、ねえ…」
「ようするに、自然にしてればいいのよ」
「そうなんだろうけどさ」
「灰原さん」
「はい」
哀は微笑みを浮かべて受け取り、さっと見て、すぐに席に戻ってきた。
「ね」
やれやれとコナンは思った。
「参考までに、その顔と成績の関係を知りたいから、見せてくれよ」
「博士に見せてから」
「吉田さん」
「はい!」
歩美は元気よく受け取り、中身を見て神妙な顔つきになった。
*****
コナンたち四人はいつものように並んで校門を出た。日差しが強くなっていた。
「ところでコナンくん?」
「ん?」
「キャンプの打ち合わせはいつにします?」
「そうだな…金曜日は?」
「僕はいいですけど、歩美ちゃんは?」
「うん…」
歩美は何やら元気がないように見える。
「どうしたんですか?」
そう言う光彦を見て、コナンは軽く首を横に振った。
「え、あ…」
はっとする光彦。
三人が神妙な面持ちになったのに気が付いて、逆に歩美のほうが明るい顔をした。
「どうしたの、みんな?」
哀は微笑んだ。
「歩美ちゃん、人間、時には厳しい評価をされるときもあるわよ。でも、それはもう終わったこと。また二学期にがんばればいいのよ」
光彦も哀の言葉に深くうなずいた。
「そうですよ。一回や二回成績が悪かったからと言って、いちいち落ち込んでたら、せっかくの夏休みがもったいないじゃないですか」
歩美はぽかんとした。
「…何言ってるの二人とも?」
「え、歩美ちゃん…だって成績が…」
歩美は興奮を抑えるように深呼吸した。
「うん…実はね…」
コナンは、ふうんというようにうなずいた。
「歩美ちゃん、もしかして、成績がものすごく良かったんじゃないか?」
にまっと歩美は笑った。
「そうなの!」
「…なんだ、そうだったんですか」
ほっとする光彦。
コナンは、ふと昔のことを思い出した。
「まあ、今は絶対評価だからな。がんばればちゃんと5がつくさ。昔みたいに相対評価だと、光彦や灰原みたいに5を独占する奴が何人もクラスにいると、5が他の者に回らなかったからな…俺も昔、正直言えば6年間通して音楽以外は全部5だったから、結構気を遣ったんもんだぜ」
光彦の顔色は、かつて見たこともないほど厳しいものだった。
「昔っていつの話ですか? それに6年間って、いったい…」
「え!」
事態に気がつくコナン。
「ああ、いや、そういう話を新一兄ちゃんから聞いたんだよ。新一兄ちゃんの頃は相対評価だったそうだから…ははは」
「江戸川くん、そろそろ急がないと間に合わないわよ」
哀がやれやれという表情で助け船を出した。
「お、おう、そうだな。歩美、打ち合わせは金曜日でいいか?」
歩美も疑いありありの表情だった。
「え、うん、いいけど…」
「それじゃ十時に家に来てくれ。それでいいだろ?」
「ええ」
歩美と光彦は首を縦にふった。
「よし、それじゃ待ってるからな…よし、いくぞ灰原!」
「はいはい」
哀は微笑んでいた。
走り出すコナン。
「それじゃ金曜日、待ってるから」
哀は落ち着いた表情で光彦と歩美に言うと、コナンを追って走り出した。
光彦と歩美はあっけにとられた表情で二人を見送った。
*****
ショッピングセンターのテラス、ベンチに座ったコナンは落ち込んでいた。
「はい」
哀がソフトクリームを差し出す。
「ああ、ありがと」
すっかりしょぼくれるコナン。
くすっと笑う哀。
「とんだドジだったわねえ」
「ああ、うかつだった…」
「円谷くんはもちろんのこと、歩美ちゃんも、意味の重大さに気が付いてるわよ」
「…だろうな」
「どうするの?」
「…人ごとじゃねえぞ」
「あら、だとしたら私は、あなたが犯したミスの被害者ってことになるんだけど?」
「そうだよな…ごめん…」
「一度口から出てしまった言葉は、なかったことにはできないわ」
哀はコナンの横に座った。
「ああ、わかってる」
「だとしたら、私たちに取りうる選択肢は二つ。あの二人に私たちの正体を正確に伝えるか、多少の疑惑は持たれてもごまかし続けるか…」
「私たち?」
「あなたの秘密がばれたら、私は一切無関係です、というわけにはいかないでしょ?」
「本当にごめん」
「ま、疑惑を持たれた相手があの二人ってところが救いよ」
哀はそう言ってソフトクリームを食べた。
*****
「ただいま」
光彦は家に帰ってきた。歩美といっしょに。
母親は庭で水を撒いていた。
「おかえり。あら、歩美ちゃん、こんにちわ」
「こんにちわ」
挨拶する歩美の顔色がおかしい。光彦もなにやら深刻な表情である。
「…二人とも、どうしたの?」
ぱっと笑顔を向ける光彦。
「あ、ああ、お母さんが心配することじゃありません。ちょっと歩美ちゃんと話があるので…」
「おじゃまします」
そういうと二人は、さっさと家の二階に上がっていってしまった。
光彦の部屋に入る二人。ドアを閉め、鍵をかける光彦。
光彦はベッドに腰を下ろした。
「さ、座ってください」
光彦は自分の椅子を指さした。しかし歩美もベッドに腰を下ろした。そして、光彦の側に近寄った。
思わずどぎまぎする光彦。
「あ、あの…歩美ちゃん…」
きっと光彦を見る歩美。
「は、はい?」
「…コナンくんの言ったこと、あれ、本当のことだよね」
「本当のこと?」
「そう。コナンくんは昔、小学校に6年間通ってたのよ」
光彦も真面目な表情になった。
「…歩美ちゃん、自分が言ってることの意味、わかってますか?」
「わかってるわよ。光彦くんだってわかってるんでしょ」
「む…」
光彦は腕を組んだ。
「光彦くん、覚えてる? コナンくんに呼ばれて蘭お姉さんのお母さん、妃法律事務所に行った日のこと」
「もちろん覚えてますよ」
「あの日私…コナンくんが本当は大人なんじゃないかって、真剣にそう思ったの…」
「…そう言ってましたね」
「でも、光彦くんがコナンくんの正体なんか気にするなって、そう言ったから、私も…いつかコナンくんが本当のことを話してくれるまで気にしないでおこうって、そう思ったの。コナンくんにもきっと、私たちには話せない大変な理由があるんだろうなって…」
光彦は黙ってうなずいた。
「でも私、本当は知ってるの。コナンくんの正体」
光彦は一瞬ぎくっととしたが、落ち着いた表情をつくって歩美を見た。
「どういうことですか?」
「蘭お姉さんに見せてもらったことがあるの。お姉さんの昔のアルバム」
きた! と光彦は思った。
「…ああ、僕も一緒に見ましたけど、それがどうかしたんですか?」
「違うの。私とお姉さんの二人きりで見てたときに、工藤新一っていうお姉さんの幼なじみの人の写真がね、もうコナンくんそっくりだったのよ。それでそのことを言ったらお姉さん、ものすごく寂しそうな顔をして、当然よ同じ人だもの、って言っちゃったのよ。すぐに、冗談よ、なんて言ってたけど、違う、あれ、たぶん本当のことなのよ」
光彦ゆっくりとうなずいた。
「その、二人きりで見た、というのはいつのことです?」
「一年生の、たしか秋頃」
「ツインタワービルの爆破事件の前ですか、後ですか?」
「その前だと思う」
「なるほど」
じっと光彦を見つめる歩美。
「光彦くんも気が付いているんでしょ。コナンくんは、今行方不明になってる蘭お姉さんの恋人、工藤新一って人だってこと」
光彦は黙って立ち上がると、鍵のかかった机の引き出しの鍵を開けて、中から一冊のバインダーを取りだした。そして、バインダーから一枚の紙を抜き取って歩美に差し出した。
「見てください」
顔、小さな写真を拡大コピーしたと思われるもの。
「これ…」
「そしてこのシートをかぶせると…」
透明シートにマジックで眼鏡が書き込まれていた。
「コナンくん…」
「この写真、工藤新一の小学校一年生のときの写真なんです」
歩美は小さくうなずいた。
「そうです。江戸川コナン、すなわち工藤新一」
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