大魔導師様の元に小竜が弟子入りしました。
とある城下町の外れの森に、一人の魔法使いが住んでいました。
彼は大魔導師の位を持ち、また自らの体に流れる時を操る事で若さを保ち続けている、強大な魔力を持った偉大なる人物でしたが、その実、非常に人間嫌いで偏屈者なのでありました。
口元を純白のローブの襟に隠し、またカーキ色のつばの広い三角帽子は顔の上半分を覆っているので、その表情は外からはほとんど見えません。それはまるで外部の人との接触を拒むかのようでした。翡翠色の艶やかな長髪も、女性に見紛う程の美貌も、これでは台無しです。
それでも、長く愛用していて生じてしまった帽子のつばの裂け目からは、深海を彷彿とさせるような蒼の瞳を覗き込む事が出来るのでした。
この世界はかつて、魔王により支配されていました。けれども300年前に現れた勇者の手により魔王は打ち倒され、世に平和が戻りました。
とはいえ魔族という種が滅びたわけではなく、彼等は力を失って弱体化したに過ぎません。その為人間の高位の魔法使い達は、彼等を『使い魔』として使役するようになりました。
ちなみに魔王が恐怖を振り撒いていた時代にも、この大魔導師様は既に凄腕の魔導士として活躍していましたが、面倒臭がり屋の為勇者に協力したりはしませんでした。もしも彼の協力があったならば魔族との戦は五年は早く決着がついていたとかいなかったとか。
彼は普段、人々からの依頼を受けて魔法薬を作る仕事をしています。
地獄の沙汰も金次第、いかに人間嫌いであっても人間社会に生きる以上、悲しいかなお金を稼がなければならないのです。
しかしやはり人間の相手は面倒臭くてかないません。買い出しや薬のお届けなど、面倒な雑務をこなしてくれる使い魔が欲しいと常々思っていました。けれども自分から捕まえに行くような事はしませんでした。面倒なので。
そんなある日の事です。
彼が薬草を摘みに森を歩いていると、燃えるような赤い鱗の『小竜』が一匹、羽を怪我して倒れていました。
小竜は鷹よりほんの少し小さいくらいの小型のドラゴンです。他の竜族達ほど強い力を持たぬ彼等は、主に群れで生活しています。
恐らくこの小竜は群れからはぐれた際に怪我を負ったか、もしくは怪我を負ったがゆえに群れに置いて行かれてしまったのでしょう。
しかしそのような事情は大魔導師様にはどうでも良い事でした。彼にとって大事なのは、『小竜とは正に使い魔として打ってつけの存在ではないか』、という事だけです。
彼が近づいても小竜は逃げませんでした。ただじっと彼の行動を見つめているだけです。
これ幸いと大魔導師様が小竜の羽の上に手をかざすと、その手のひらから淡い光が放たれました。すると見る見るうちに小竜の傷が癒えていくではありませんか。
『す、すごい!これ、治癒魔法ですよね!?という事はあなた様は魔法使い様なのですか!?』
「おや、人の言葉が話せるのですね。いかにも、私は魔法使いです。一応大魔導師の位を頂いているので腕はそれなりだと思います」
『大魔導師!それって確か凄い魔法使い様がそう呼ばれるんですよね?そんなお方に出会えた上に傷を治して頂けるだなんて、光栄です!』
「はあ、まあ喜んで貰えたなら何よりです。ですが私は別に善意で君を助けたわけではありません。君を使い魔として召し抱えようと思っただけですので」
彼は偏屈者である反面、良くも悪くも歯に衣着せぬ正直者なのでした。しかし嘘を嫌う竜族である小竜は、そんな彼にますます尊敬の念を抱き、そして言いました。
『あなた様のような立派な御仁にお仕え出来るだなんて、とても光栄です!ですがその代わりと言ってはなんですが、一つだけお願いがあるのです』
「ほう、何でしょう?言ってみなさい」
『はい、自分を大魔導師様の弟子にして頂きたいのです』
思いがけない小竜の言葉に、彼は目をぱちぱちと瞬かせました。
「私に弟子入り?小竜の君が何故魔法を習いたいのです?」
『竜は強さを求める種族ですから。魔法が使えれば今よりもっと強くなれます。魔法を使えば炎を出したり空を飛んだりも出来るようになるのでしょう?』
「……君だって炎を吐いたりその羽で飛んだり出来るのではないのですか?」
しばしの沈黙。
『ああ!!言われてみればそうでした!……あ、でもでも!自分、氷のブレスとかは吐けませんので……!魔法使いになれば吹雪やら雷やら、色んな物を生み出せるようになると聞きます。ですのでどうかお願いします、自分を弟子にして下さい!』
大魔導師様は悩みました。このアホそうなのを弟子にするか、否か――……。
これまでにも、彼の元には数え切れない程の弟子入り志願者が訪れましたが、人間嫌いゆえ志願者達をことごとく門前払いしてきました。
しかし目の前にいるのは小竜、人間ではありません。しかも念願の使い魔を手に入れられる絶好の機会なのです。
結局、彼はこの小竜を弟子にする事に決めたのでした。
『ありがとうございますお師匠様!自分、いっぱい修行して立派な魔法使いになってみせますね!』
「私としては立派な魔法使いよりも立派な使い魔になって貰いたいのですがね。……それはそうと、君、名前は何と言うのですか?」
『名前ですか?自分ら小竜にはそういう物はありません』
「おや、そうなのですか?ですが小竜は群れで行動すると聞きます。一匹一匹を呼ぶ名が無いと不便なのでは?」
すると小竜はきょとんと首を傾げました。
『?群れで行動するからこそ、一緒に起きて、一緒に狩りに出掛けて、一緒に眠りにつくのです。むしろ一匹一匹を呼ぶ必要なんてあるのでしょうか?』
成程、そういう考えもあるのか、と大魔導師様改めお師匠様は得心しました。
彼は非常に博識ではありますが、それは魔法や薬に対してのみであり、興味の無い事柄は人並み程度の知識しかありません。ゆえに小竜文化に軽いカルチャーショックを受けたのでした。
とはいえ名前が無いのはやはり不便ですし、流石によそよそしく感じます。その為、お師匠様はこの赤い鱗の小竜に、赤を意味する『ルーベラ』と名付けました。
小竜は大層喜びました。名前という文化の無いルーベラでしたが、ある意味お師匠様がくれた初めてのプレゼントです。嬉しくないはずがありませんでした。
が、いつまでも感激に浸っている場合ではありません。早速お師匠様から仕事を言い渡されたのです。
お師匠様と共に森を抜けると、そこは一面の花畑でした。ここは知る人ぞ知る、稀少な薬草が数多く生息する穴場スポットなのです。
お師匠様は言いました。ここで自分が薬草を摘んでいる間、この近辺を縄張りとする毒蜂の魔物を追い払って欲しい、と。
その命を嬉々として受けたルーベラが花畑の見回りをし始めてから数十分後、案の定、毒蜂の群れが現れたのでした。
毒蜂がお師匠様の方へ行かぬようにと、ルーベラはわざとバサバサとやかましい音を立てて羽ばたきました。その音に怒った毒蜂達は、一斉にルーベラに向かって襲い掛かってきます。
しかし小竜は曲がりなりにも竜の端くれ。魔物とはいえ、たかが蜂の針など竜の頑丈な鱗には刺さりません。
ルーベラは周囲の花を燃やさぬよう注意しながら、威嚇の為に火を吹きました。これに驚いた毒蜂達は、こりゃかなわんと言わんばかりに森の奥へと逃げていきました。
ルーベラがお師匠様の元へ戻ると、丁度彼も薬草摘みが終わったらしく、魔法で作り出したと思われる大きな籠を背負っていました。籠の中には薄桃色の花が目一杯入っています。
『お師匠様、毒蜂達は追い払いましたよ!自分、お師匠様の弟子としてお役に立てましたでしょうか?』
「ええ、とても役に立ちましたよ。私の使い魔として上出来です。ではそろそろ家に帰りましょうか」
『光栄です!お師匠様のおうちもすごく楽しみです!』
こうして、噛み合っているような噛み合っていないような、そんな奇妙な主従関係が始まったのでした。
その次の日、お師匠様は彼の家の調合室で、すり鉢とすりこぎで木の実や薬草をゴリゴリとすり潰していました。
ルーベラも弟子としてお手伝いしましたが、なにぶんルーベラは四つ足の小竜です。物を持つのはあまり得意ではないのです。
その結果すりこぎを持っていた前足を滑らせ、その反動ですり鉢を台から落として割ってしまいました。
落とした瞬間、『お師匠様に怒られる!』とルーベラは身を強張らせました。しかし意外にもお師匠様は、「仕方ありませんね、新しいのを買ってきましょう」と、それ程気にした様子もなく、ルーベラに留守を任せて町に買い物に出掛けていったのでした。
実はこんな事もあろうかと、お師匠様は今まで物置にしまっていたぼろぼろのすり鉢をルーベラに渡していたのでした。とはいえ今後、普段使っている物まで壊されてはかないませんから、彼はルーベラ用の安くて小さめのすり鉢を買いに出掛けたのでした。
本当はこの機会に、ルーベラに人間の町での買い物の仕方を教えようかとも考えたのですが、面倒臭がり屋の彼はもうこれ以上トラブルを起こして欲しくないと思い、結局自分一人で買いに行ったのでした。……買い物などの雑用用に召し抱えたはずの使い魔の為に買い物に赴かねばならないというのも、何とも皮肉な話ではありますが。
一方、留守を任されたルーベラはしくしくと泣いていました。
お師匠様の大事な道具を壊してしまった、余計な仕事を増やしてしまった、自分は弟子失格だ、と。
自分をいくら責めても責め足りません。と、その時――……。
コンコンコンコン。
誰かが玄関のドアをノックしています。ルーベラはかぎ爪で涙をぬぐうと、ドアを開きました。するとそこには小包を手にしたキャップ帽の青年が立っていました。
「こんにちはー、宅配便で……ってうわっ!?小竜!?あ、も、もしかして大魔導師様の使い魔か何かか……?」
『あ、はい、使い魔であり弟子でもあるルーベラと申します。宜しくお願いします』
「あ、人の言葉を喋れるんですね。こ、これは失礼しました……!私はリューマ宅配便のツルキリと申します。以後宜しくお願いします」
配達員は帽子を取ってぺこぺこと頭を下げました。『弟子』という言葉に少々引っ掛かるものを感じましたが、口には出しませんでした。お客様の事を深く詮索するような無礼な真似はしないのです。
「……えっとそれでですね、大魔導師様宛てのお荷物をお届けに上がりました。ここに印鑑をお願い出来ますか?」
配達員は伝票の受領印欄を指差しました。
「い、いんかん……??」
宅配便というものを生まれて初めて目にしたルーベラはどう対応して良いのかわかりません。それに例え対応の仕方がわかったとしても、お師匠様の印鑑がどこにあるかなど知るはずがありませんでした。
「印鑑が無ければ別に拇印でもいいですよ」
『ぼいんってどんな物ですか?』
「手の指にインクを付けて押すんです……って、あ。」
四つ足の小竜は手というより前足です。そして指ではなくかぎ爪です。指紋などありません。
けれども小竜を使い魔にしている家はこの近辺では他にありません。ならば別に良いか、と配達員の青年は判断したのでした。
彼は懐から携帯用の朱肉を取り出すと、ルーベラに拇印――というか手形というかかぎ爪形というか――を押して貰いました。かぎ爪による拇印はまるで小枝を押し付けたかのようでしたが、仕方がありません。
「それにしても、あの大魔導師様が使い魔……いや弟子をお取りになるとは。おかげで助かりますよ」
『ああ、お師匠様は薬の材料を採りに色々な所へお出掛けになるそうですからね。折角荷物をお届けにいらっしゃってもなかなかお会いする事が出来なくて大変なのですね』
「ええ、まあ、そんなところです……」
彼は少々引きつった笑みを浮かべていましたが、人間の細かな表情の変化に疎いルーベラは気づきません。
実のところ、彼はお師匠様の事が非常に苦手でした。というより、苦手でない人の方がこの世の中には少ない事でしょう。それでも弟子入り志願者が後を絶たないのが不思議で仕方がないのですが。
かつて魔王討伐に協力しようとしなかったお師匠様は、当時の王様の怒りを買ってしまいました。そしてある日、お役人が兵士を引き連れて彼を引っ立てにやって来たのです。
けれどもそれを黙って受け入れる彼ではありません。
彼はお役人達に呪いをかけ、セミの姿へと変えてしまったのでした。丸々三日間元の姿に戻れなかった彼等は、セミの寿命の事を考えると生きた心地がしなかったそうです。
それを聞いた王様は息を飲み、もう彼を処罰しようとは考えなくなりました。
この出来事は瞬く間に国中に知れ渡り、人々は口を揃えて言いました。
【あれは魔王よりもタチが悪い】、と――……。
配達員が帰った後、ルーベラは荷物をまじまじと見つめました。
平たい長方形の小包の中身は恐らく書物の類でしょう。ですがルーベラは中身を勝手に見るような不躾な事はしません。何より、ルーベラはまだ字が読めないのです。中を見たいとは特に思いませんでした。 それよりも、お師匠様が帰ってきたら『いんかん』とやらがどこにあるのかきちんと聞いておかねば、などと考えていました。
そんなこんなで、先程まで泣いて落ち込んでいた事などすっかり忘れて元気になったルーベラなのでした。
お師匠様が帰ってくると、ルーベラは早速彼に、宅配便が来た旨を告げながら荷物を渡しました。
「荷物の受け取りありがとうございました。君に留守番をして貰って正解でしたね。おかげで配達員に連絡して再度持ってきて貰う手間が省けました」
『お役に立てたのならとても嬉しいです!……ところでその荷物の中身ってご本ですか?』
「ええ、そうです。まあ君には縁のない内容の物ですけどね」
そう言ってお師匠様は荷物を自分の部屋に持って行ってしまいました。
きっと難しい魔法や薬草について記された書物なのでしょう。例え文字が読めたとしてもルーベラには到底理解出来そうにありません。
そんな事よりも、部屋から戻ってきたお師匠様に『いんかん』の場所を聞く事の方が、ルーベラにとってはずっと重要な事なのでした。今後もきちんと宅配便の対応が出来れば、きっとまたお師匠様に褒めて頂けるのですから。
それからさらに数日後。お師匠様は今日もお出掛けです。今回は飲み薬を作る為に必要な、清らかな涌き水を汲みに出掛けていったのでした。
またこの日もルーベラはお留守番でしたが、今回は落ち込んでいません。なぜなら今回はお師匠様に仕事を与えられているからです。
調合室にて、お師匠様は先日摘んできたあの薄桃色の花を台の上にばさりと置きました。
『あれ?これ、摘んでから大分経ってるのに全然しおれてませんね』
「魔力を豊富に含んでいる証拠です。良い薬になる事でしょう。……さて」
言いながら、お師匠様は花を一輪手に取ると、その花びらをぷちぷちと摘み取り始めました。
「私が出掛けている間、君にはこの花をこうやって花びらとそれ以外に分けていって貰いたいのです」
『つまり花びらを摘み取っていくだけで良いって事ですか?』
「はい、それだけで良いです。花びらは後で私が鍋でぐつぐつ煮ますので、君は『それだけ』をやっておいて下さい」
さりげなく『それだけ』を強調しているのは、暗に『それ以外の余計な事はするな』と言っているのですが、そのようなドス黒い感情はルーベラには察せません。素直に『はい、かしこまりました!』と嬉しそうに返事をするのでした。
前足を使うのが苦手なルーベラですが、花びらを摘み取る程度ならば出来ます。とはいえ延々と同じ作業を続けていると流石に飽きが来るというものです。
そこでルーベラは思いつきました。
――そうだ、この花を使って花占いをしよう、と。
占う内容はこの店の今後についてです。
人間の社会ではお金が無いと生きていけず、またそれを得る為には魔法薬を買ってくれるお客が来てくれなければならないという事を、ルーベラとて知っています。それゆえにお客の入りが今後どうなるかを調べようと考えたのです。そして――……。
「ただいま戻りましたよ、ルーベ……」
『お師匠様、お師匠様、大変です!大変大変たいへんなんです!!』
家に戻ってきたお師匠様が調合室のドアを開くや否や、ルーベラが飛び出して来ました。
「一体何事ですか騒々しい」
お師匠様が部屋を覗くと、ちゃんと花びらは綺麗に分けられているようでした。
「……?何か問題が起きたようには見えませんが……?」
『それがですね、自分、ただ花びらを分けていくのもつまらないと思ったんで、花占いをしてたんです。沢山のお客さんが来る、来ない、来る、来ない……って』
「はあ。まあ別に作業に支障が出なければ構いませんが。それで?」
『そしたらですね、なんとここにある花全てが『来ない』という結果だったのです。ここにある花全てがです!これはゆゆしき事態です!きっとお客さん一人も来なくなってしまうんです!ハイギョウの危機です!!』
お師匠様は興奮気味のルーベラをしばらく黙って見つめると、やがて小さくため息をつき、静かに言いました。
「……ルーベラ、今この部屋にある花は何色に見えますか?」
『はい、全て薄い桃色です。台いっぱいに薄桃色が広がってて、なんだか見ているだけで幸せな気分になってきます』
「そうですね。そして全て同じ色なのはこの花が全て同じ種類だからです」
『はい、存じております。お師匠様と一緒に摘みに行った花ですからね、忘れるわけがありません』
「…………この花の花びらは全部で6枚です。ここにある全ての花が、です。つまり、『来る』、『来ない』、『来る』、『来ない』、『来る』、『来ない』……の順で何十本、何百本、何千本占ったところで、結果は同じ。『来ない』で終わるのです」
言われた言葉をしばらく首を傾げながら咀嚼していたルーベラですが、やがて『ああ!』と驚愕と喜びが入り混じったような声を上げました。
『言われてみればそうなのです。流石お師匠様です!天才です!』
「…………」
小さな頭の小竜の知能などしょせんこんなものです。
しかしお師匠様はこの程度の事で眉をひそめたりはしません。偏屈者とはいえ、長い時を生きてきた偉大なるじい様です。器は大きいのです。
『目から鱗がぼろぼろ剥がれ落ちました!』
「君の鱗は体に生えているのだけで充分です。あ、ですが本当にどこかの鱗が剥がれた時は私に譲って下さいね。竜の鱗は良い薬の材料になりますので」
こういうところはしっかりちゃっかりしているお師匠様なのでした。
それから3日間、お師匠様は調合室にこもりきりになりました。勿論ルーベラもお手伝いしました。まだ時々失敗する事もありましたが、大分すり鉢やすりこぎを使うのにも慣れてきました。また、宅配便が来た際にもちゃんと印鑑を押せるようになりましたし、家の掃除等もおこなうようになりました。
そんなこんなでついに薬が完成しました。
フラスコに入ったピンク色の液体はランプの光を反射してきらきらと輝いています。
『綺麗ですね。なんだか美味しそうです』
「ノスフェラ糖という甘味料を使っていますので割と飲みやすいと思いますよ。これは吸血鬼達が生き血をより美味しく飲む為に作られたと言われていて、現在は様々な薬の添加物として利用されています」
『よくわかりませんが美味しい薬なんですね!何のお薬なんですか?』
「変身薬です」
『へんしんやく?』
お師匠様は言いました。
これは一時的ではありますが、人を獣に、獣を人に変える魔法薬なのです、と。
『凄いお薬なんですね!』
「ええ、高難易度の魔法薬ですから、作るのに随分時間が掛かってしまいました。ちゃんと完成しているか一応確認しておきたいですね……。という事で君、ちょっと試しに飲んでみませんか?」
『お師匠様のお作りになった薬が飲めるだなんて!光栄です!』
単に体のいい実験動物にされただけなのですが、ルーベラは喜々としてコップに注がれた薬を受け取りました。
「いいですか、なりたい姿をイメージしながら飲むのです。また服も一緒にイメージすれば体に宿る魔力によって自動生成されます。君のようなぺーぺー魔法使いでも竜である以上、最低限の魔力は持っているでしょうから問題無いはずです」
『流石お師匠様のお薬は便利なのですね!』
さりげなく馬鹿にされていてもルーベラは気にしません。というより気づいていません。
ルーベラは薬をグビリと飲み干しました。
結果から言えば、変身薬は大成功でした。
大きくて穏やかそうな、陽の光の降り注ぐ海の如き碧の瞳。
少し毛先に癖のある頭髪は鱗と同じ深紅。ただし角の名残なのか、側頭部からは一房ずつ長い白髪がさらりと流れています。
骨格は全体的に丸みを帯びていて小柄です。
服装はお師匠様と同じ白を基調としたローブですが、独自のアレンジが施されており、上下にセパレートしています。裾は膝上くらいの丈しかなく、まるでスカートのようでした。ローブの上側もふっくらと膨らんだ胸をすっぽり覆う程度の長さしかありません。
「……って、ちょっと待って下さい!まさか君は……お、女の子なのですか!?」
「はい、自分メスです!ちなみにこの見た目は掃除中に見つけた、お師匠様のお部屋の一番奥にあるタンスの裏と壁との隙間に落ちていた女の子がいっぱい載っている本を参考にしてみました!」
「…………」
いつになく気まずそうな表情を浮かべているお師匠様の様子にも勿論ルーベラは気づきません。くるりくるりと回るようにして全身を眺めたり、手を閉じたり開いたりして指の動きを確認したりしています。
「人間の指って動かしやすくて良いですね!これならお薬作りのお手伝いがしやすそうです。もし可能なら今後もまた人の姿になってみたいものですね。……あ、でも体の鱗が無くなってしまったので戦いには不向きかも……。あ、でもでも!例え毒蜂の毒に侵されようと熊の鋭い爪に引き裂かれようと、お師匠様の事は死んでもお守り致しますのでご安心を!!」
「……ルーベラ」
「はい、何でしょう?」
「人の姿であろうと竜の姿であろうと、君はもう戦い等の危ない真似はしなくて良いです。というか禁止です」
「ええ!?な、何故ですか!?自分、もっと強くなってお師匠様をお守りしていきたいのに……!」
「これからは家の事や薬の調合の手伝いを重点的にやって貰います。立派な弟子になる為にはむしろこちらの方が重要な仕事なのですよ」
『立派な弟子になる為』という言葉にルーベラはぴくりと反応し、案の定「わかりました!立派な弟子になる為に頑張ります!」と瞳を輝かせたのでした。
竜とはいえ女の子に危険な事をさせるわけにはいかないという、お師匠様のささやかな紳士心に彼女が気づくはずもなく。
大魔導師様と小竜のおかしな日常は、まだまだ始まったばかり。世界は今日も平和です。
ここまでお読みくださりありがとうございました&お疲れ様です。女の子が守る側の話ってかっこかわいくて好きです。