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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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 ◆転章



 シロエはぼんやりと空中を見つめていた。
 先ほどまで念話であちこちと連絡をして後始末をしていたのだ。合成石材と魔法機械で囲まれたこの部屋はいまだ〈呼び声の砦〉である。〈召喚の典災タリクタン〉を討伐した後、召喚された怪物やその卵は虹色の泡となって消えていったが、その全てが確実になくなったという確認をしなければならなかったのだ。アキバから後続の人員を受け入れつつ〈呼び声の砦〉は探索中という状況だ。
 シロエたち大規模戦闘(レイド)攻略チームは戦闘の疲れからか調査や周辺警戒は免除されているが、元気なものは自発的に動いているようだった。とはいえ音楽ホールでゲリラコンサートを行っているてとらや、宴会の準備を整えてそれを応援している小竜や飛燕たちが中心で、疲れたメインメンバーは放送塔の根元にあるこの機材室(スタジオ)で腰を下ろしていた。
 飽和したような頭をむりやり振ってシロエは水筒から水分を補給する。
 先ほどの戦闘ではずいぶん感情的になってしまった。気恥ずかしくもあるがこれでよかったのだという思いも強い。何にせよ、シロエは強欲であることを選択したのだから。
 助けられる人は助けたいし、仲間たちだって守りたい。
 今までシロエは遠慮をしていた。ひっそりと自分の中で処理できる範囲だけに手を付けて、その外側については手を出さないように、出すにした所で逃げ道が残るように立ち回ってきた。しかしそんな日々もおしまいだ。
 望むと決めたからには、中途半端をするつもりはなかった。
 アキバがこれ以上陰鬱な雰囲気になることを食い止め。
 ヤマトの東西の間に騒乱が起こることを防ぎ。
 〈航海種〉と話し合い。
 元の世界へと帰る。
 言葉にしてみるとそうなるだろう。身の程知らずにも思えるような目標に、シロエは笑い声を漏らしてしまった。しかし良いのだ。そうするために動くと決めたのだから、シロエの気持ちは晴れ晴れとしていた。
 当面の行動指針は|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》および〈神聖皇国ウェストランデ〉との接触だろう。厄介ごとの香りが強くて今まで後回しにし続けてきた自覚はあるが、こうなってしまっては情報交換をしないわけにもいかない。
 濡羽は「帰還の方法は発見された」と言っていた。
 そのこと自体はあまり驚くにはあたらない。「そう言える状況」にはいくつか心当たりがあるし、そのうちいくつかの方法では帰還できている可能性もあるとシロエは思っている。問題は帰還できる技術の有無やその手法ではなく、帰還の確認なのだ。今もし仮にこのセルデシアからある任意の〈冒険者〉が消え、それをもってミナミが「帰還に成功した」と言ったとしても、それは行方不明者が一人できたということに過ぎない。現在のクラスティの状況もそれと一緒だ。
 帰還を望む人間のほとんどが無視している避けえぬハードルがこの「帰還の確認」、いいかえれば地球世界との間の通信だ。帰還のまえに地球世界と連絡が取れるようにしなければならない。これは絶対の前提条件だ。
 もしそれが叶えられないとなれば、その先の展開は相当運任せなものとなるだろう。つまり、考え付く「人体消去」アイデアのうち分がよさそうなものを選んで一か八かやってみる、という選択だ。そんな手法は仮に成功したとしても、地球世界に帰還した人物からこちらに連絡を取る方法が確立されていない以上、成功の確認が取れない。成功していればいいが、失敗の確認すら取れないのは最悪だ。集団自殺かのように次々と同じ罠に飛び込む未来もあり得た。
 突破口として希望が持てるのは〈航海種〉との情報交換だが、それをする場合であっても〈Plant hwyaden〉と話し合い、足場を固めておくことは必須であるだろう。
 彼らのいうランク2と3の差については疑問がないではないが、ただひとつ言えるのはミノリは自らを証だてたということだ。シロエは彼らが言う「ランク2」に堕落するつもりはない。
 そのうえ目標の中でまだしも手がかりがありそうなものが、ヤマトの動乱を未然に防ぐというものでもある。政治主体同士の武力衝突の間に入るだなんて考えたこともないような暴挙なのだが、その暴挙が掲げた課題の中ではまだ比較的ハードルが低いというが驚きだ。乾いた笑いが出るのも無理からぬところだろう。
 つまり、目標の中のどれを優先するにせよ、シロエたちは〈Plant hwyaden〉と話し合い、少なくとも情報交換をしなければならないということだった。

「シロエさんどうしましたか? まだお疲れですか?」
 ミノリがシロエの左隣に腰を下ろした。巫女服を脱いで、いつの間にか学生服じみたブラウスにネクタイ姿になっている。
「また難しい顔をしてたぞ、主君」
 右隣のアカツキが、自らの目じりを指先でキュッと吊り上げながらシロエに忠告する。そんな顔をしてるつもりはないんだけどなあと思いながらもシロエは苦笑した。
「一応ね。戦闘中に、ほら。大それたことをいっちゃったからさ」
「そうであったか?」
 腕を組んだアカツキはじっとりした瞳で小首を傾げた。
 あのめまぐるしい攻防の中で繋がったような気がしていたけれど、そういうのってやっぱり錯覚なんだなあ、とシロエは思った。シロエの悩みや決意は、どうやらこの小柄な〈暗殺者〉(アサシン)には伝わってないらしい。
 念のために伺ってみると、ミノリも怪訝そうな表情だ。当たり前だが歳の離れたこちらの少女にだって伝わっていないようだった。
 これは人間たるもの、お互いの考えてることは言葉にして伝えあいなさいっていう神様のおせっかいなのだろう。ちょっとがっかりしたような、大いにほっとしたような気分でシロエは説明を試みた。
「願いをかなえるために頑張ろうかなあ、って思ってさ。目標は高くて遠い、手が届くかどうかわからないくらい。やることは山積みでどれもこれも難易度は超難関(ナイトメア)。仕事は増えるしどこから手を付けていいものやら。そんなこんなで考え事してたわけ」
「なんだつまりいつもどおりではないか」
「え?」
 しかしシロエの告白はアカツキの返答であっさり切り落とされた形になる。
(えー。仲間に相談するのが大事だって、溜め込みすぎはよくないって、あんなに厳しかったススキノ遠征奈落のレイドで僕だって学んで帰ってきたわけで……)
 その相談を「いつもどおり」であっさり却下をされてしまってシロエは大ショックだった。
「そうですよ。毎月同じじゃないですか」
「ええーっ!?」
 しかもミノリにまで同調されてしまって返す言葉もない。
 それにしたって「毎月同じ」というのはひどくないだろうか? それではシロエが執務室にこもって唸っているだけの惨め系事務職みたいだ。セルデシアにやってきてそれだけしかやれていないような評価は不本意だ。シロエだって活動的に過ごしたはずだ。ススキノ遠征とか〈奈落の参道〉とか。
 そのどちらもミノリは同行していないのに気が付いたのは失敗だった。
 ワクワクした表情のミノリが「書類専用の滑らかインクと乾燥砂を買ったんですよ。シロエさんも見てくださいね」とマジックバッグを取り出すのを、シロエはひきつった表情で見ていることしかできなくなってしまったのだ。

 話題を切り替えようとしたシロエの救援となったのはリ=ガンだった。
 先ほどからしゃがみこんで魔法回路を触っていた通信装置が突然耳障りなノイズを流し始めたと思えば、部屋に明かりが戻ったのだ。
 弾けるような音を立てて火花が散って、突然拡声器が振動を始める。
 そもそもこの広くもない控室で体を休めていたのは、リ=ガンがさっそく通信装置の破損具合を確かめたい、〈典災タリクタン〉の悪影響が残っているかどうか調査したい――といったせいでもあったのだ。
 目をつぶって仮眠をしていたメンバーも身体を起こし、成り行きを見守っている。
「直ったのかよ、おっさん」
「いやあ。直ったというよりも、機能そのものの生存確認ができたという段階でして」
「お月さんとお話できるよーになったん?」
「銀河にデビューきたー!」
 直継たちに詰め寄られるリ=ガンが低い装置の裏側をメンテナンスするために四つん這いのまま答える。どう見ても苦しい姿勢であるのに、その声は楽しげだった。嬉々としているといっても良い。趣味人なんだなあ、とそれでも見守っているシロエはつぶやいた。
「――そもそもの話これは古代アルヴ時代の長距離通信装置だったことがミラルレイクの古文書によりわかっていますが、別に月との交信を目的とした施設ではありませんからね。月と通信という目的は聞いていますが、それはこの魔法装置を解析、研究しまして、しかるべき改修や強化を行いそのあとにさらに挑戦という形になるわけであり」
「意外に現実的なことをいう」
 憮然としたアカツキをシロエは「当たり前のことだよ」となだめた。てとらはそんな説明に「ボクがっかりですよ。これで宇宙デビューかと意気込んでたのに」と直継によじ登り、マリエールに引っ張られては黄色い悲鳴を上げている。
 そんな大騒ぎに、シロエはやっと身体の力が抜けていくのを感じていた。シブヤの大規模戦闘(レイド)は終わったのだ。ロエ2の手紙から始まった一連の騒動も、決心をつけるためには役に立ったといえるかもしれない。
 時間が流れている以上いつまでも同じ場所にはとどまれないのだ。
 明日からは新しい挑戦をしなければならない。

 通路から顔をのぞかせたリーゼが「こんなところにいらっしゃったんですか? シロエ様」と魔法装置に囲まれたホールへと入ってきた。
「こちらの方はよい結果だったようですね」
「まるで壊されているってことはなかったみたいです」
「やっぱり敵を引きはがしたおかげで被害が少なかったんでしょうね。指揮官、お疲れ様です」
「リーゼさんにはお世話になりました」
 シロエは頭を掻いて笑いかけた。隣でアカツキがうんうんと頷いているのは理解しがたいが、〈D.D.D〉出身のこの少女には助けられた。今回の攻略成功は、彼女が後列の攻撃陣をとりまとめ、敵の撃破順序を常に指示してくれていたおかげが大きいとシロエは感じている。一流の指揮官だ。
「〈円卓会議〉のほうもあちこちから問い合わせが舞い込んでてんてこ舞いの様子。いったん帰りませんか? 通信装置を稼働させるにはまだまだ時間がかかりますよね」
 リーゼは思慮深げな表情のまま、指先をあごにあてて提案をしてくれる。
 確かにいつまでもこの遺跡にいるわけにはいかないだろう。そろそろ撤収を指示しなければ。シロエはそう思ってホールを見渡した。
 幸いにしてメンバーの半分以上はこの部屋にいるようだ。本拠地に帰るまでが指揮官の任務である。
『……も……もしもーし。誰か聞こえもしもーし?』
 しかし各員に声をかけようとしたその時、魔法装置は今までとは異なった意味の取れる音声を吐き出した。アルヴ時代の古代魔法機械は、新しい冒険へといざなうように、遠い地からの便りを運んできたのだった。



 ◆



 はじめは空耳かと疑ったせいで、部屋は一瞬の静寂に包まれた。
『……ニーハオ。ボンジュール、アロハー。モイ! そしてモイッカ!』
 その静けさの中、魔法装置はあっけらかんとした挨拶を繰り返した。陽気な若い女性の声だ。返答をする人間はいなかった。通信装置の試験をしていただけで、どこかからその返答があるなんて誰も思っていなかったからだ。
『カリメーラ。フジャンボ……。グーテン・ターク……。ほかには……マルカジリ?』
「聞こえてます。ノイズひどいけど――そちらは?」
 いち早く気を取り直したのはシロエだった。
 どちらかというと場の責任者として無言でいるわけにはいかないという使命感からの返答だったのだが、そのシロエの言葉に意外な返答がなされることになる。
『んむ? その声、もしかしてシロくん?』
「え?」
 自分の名前を呼ばれたシロエは固まった。シロエの声を知っている人間はそう多くはない。もちろんアキバの〈冒険者〉の多くはシロエを知っているだろうが、声だけであたりをつけられる人間は三十名もいないとシロエは考える。つまりは知り合いだ。「なぁ、今の声?」「まさかですにゃ」と後ろでやり取りしている仲間の声も耳に入らず、シロエは声を潜めてリ=ガンに話を振った。
「どこに繋がってるんですか? そういう探知機能ないんですか? 近場で繋がっただけとか?」
 しかしそんなシロエの疑問に、リ=ガンはぶるぶると首を振った。自分は失敗してないし余計な操作はしていませんよ。という表情だ。悪戯をした子供じゃないんだからそんなことで怒ったりすることはないのに、と思う。どちらにせよリ=ガンは助けにならないらしい。
 仮にシロエの知り合いだったとしてもだ、そもそもシロエを『シロくん』と呼ぶ知り合いに心当たりはない。
 その呼び方はなんだか犬っぽくて嫌なのだ。シロエの世界観ではシロといえば室内犬なのである。そう呼ばれたからと言って激怒するほど嫌なわけではないが、くすぐったいし侮られているように感じる。だからシロエを『シロくん』と呼ぶ女性(ひと)は一人だけだ。そしてその人と通信が繋がるはずがない。
『やっぱりそうだ! やっほ~! シロく~ん!』
「カナミさん!?」
 はずがないのに繋がっていた。

『久しぶり~! 元気だったぁ?』
「久しぶりじゃないですよ!」
 シロエは反射的に答えて、眩暈がするような、目の前が暗くなるような気持ちになっていた。貧血だ。なったことはないが貧血に違いないと思う。
 なんでいまさら。シロエはこの人が苦手なのだ。天敵だといってもいい。絶対にかなわない相手を誰かひとり思い浮かべろと言われたら〈彼女〉(カナミ)を挙げるほどだ。
 嫌いなわけではない。避けたいわけではない。
 ただ苦手なのだ。
 尊敬もしているし恩義も感じているし、良い人なのだと思う。〈放蕩者の茶会〉ディボーチェリー・ティーパーティーがギルドでもないのに長い間大規模戦闘(レイド)ランキングに参加し続けていられたのは、彼女の明るさとカリスマが最も大きな要素だ。陰気なゲーム博士にすぎなかったシロエが仲間と連携してコンテンツを攻略するというMMOの醍醐味を味わうことができたのも彼女のおかげである。
 荒唐無稽で傍若無人だったけれど、〈茶会〉はお祭り好きの集まりだったせいもあり、それを原因に嫌う仲間はひとりもいなかったと思う。
 だからシロエはただ苦手なだけなのだ。何かにつけて弟分扱いしてくる台風のようなこの女性が。
『あ、聞いたよ? 聞いちゃいましたよ。ヤマトでもーね! ばんばんっ! 面白いことしてるんだって? エンタクほにゃんことか!』
「〈円卓会議〉です。なんでそれ知ってるんですか? っていうか、カナミさん引退しましたよね!? いつ復帰したんですか、どこにいるんですか!?」
 ほにゃんことはいったい何なのだ。
 反射で答えてしまってシロエはまた少し落ち込んだ。全く他人の話を聞かない相手だとシロエも脊髄神経で会話をしてしまう。会話というか、ツッコミだ。しかもシロエの言葉は受け流されているために消耗が大きい。
 あのひと雑じゃない? と直継に相談したこともある。
 雑なひとだからな。と解決策にならない返答をされて脱力することになっただけだったが。

「カナミさんもしかしますけど月にいるんですか」
 疲労感を感じながら勤めて事務的に尋ねた返答は「中国サーバーだよ」というものだった。
『旅の途中なんだけどさぁ。テレビ局見つけちゃってさ。動きそうだから触ってみてたわけ。そしたら繋がっちゃった』
「見つけちゃったって……」
 シロエは眉間を抑える。
 つまり、カナミは欧州に渡った後〈エルダー・テイル〉に復帰したということなのだろう。〈エルダー・テイル〉は世界中にプレイヤーのいるMMORPGだった。欧州には二つのサーバがあり北米、日本とならび最も活気のある地域のひとつだった。その可能性は全く考えてなかったけれど、アカウントごと変えていたのならば連絡がなかったことも理解できる。
 それが吉報なのか凶報なのかシロエにはよく判らなかった。
 そもそもカナミに関する事柄で、シロエがはっきりわることなんてほとんどない。分かりたいとも思わないし、分かるべきだとも思わないし、分かったほうがよいとも思わない。
『あ、そうそう! 聞いて聞いて! シロくん、娘、三歳になった!』
「知ってます」
 分からないほうがよい事なんて、ざらにあるのだ。
『え? 報告したっけー?』
「いえ。でも、聞きました」
『そっかあ』
 目を丸くしてびっくり顔のカナミの姿が目に浮かぶ。腰に手を当てて胸を張り、柔らかそうなほっぺたをむにむにと動かし、すべて察しているというように頷いて、その実なんにも考えてない女性だった。
 口が大きくて、いつでも笑っているようなひとだ。
 距離感が壊れているような彼女はシロエのプライベートに土足で入ってくることもよくあって、直継とふたりで被害者の会を結成したこともある。
 行動力が抜群で、オフで会ってもそれは変わらなかった。
 身体の中に無尽蔵の活力を内蔵しているようなカナミは、いつでも全力だった。それは外の世界でもゲームの中でも変わらなかった。天性の明るさとリーダーシップの持ち主で、彼女の周りはいつでも夏の風が吹いているような気分にさせられた。
 両親が多忙で子供のころから交友関係が狭く、レジャー施設で遊ぶ経験が皆無だったシロエが「遊びに出かける」という経験を積めたのは、親友直継とカナミのおかげだといってもいい。
 そんな彼女の無茶ぶりに答えるのがシロエにとっての〈茶会〉であって、つまりはシロエが中学以来過ごしてきた〈エルダー・テイル〉の大半だといえるだろう。
 改めて数え上げてみれば、はた迷惑な女性だ。破壊的だとさえいえるかもしれない。シロエが苦手なのも当然だ。カリスマリーダーとしてあれだけ人気があった理由をわかりたくないほどだ。
 シロエは自分の足元に視線を少しだけ落とした。石材風の床を踏みしめた自分の足が見えた。拳は握りしめられていたが、きつくもなかったし震えてもいなかった。小さく息を吐き出してシロエは覚悟を決めた。
「お祝い言えなくてすみませんでした……。おめでとうございます」
 シロエはカナミにそう言った。
 実際に告げることはないだろうと思いながらも、何百回も練習した台詞を、できる限り普段通りの口調でカナミに伝えられた。

『娘ね、もう超かわいいの。超うごく! ロケットダッシュでドーンって自爆攻撃でぎゅーってしがみついてくるんだぁ。あの娘お姫さまだよお』
 彼女が〈茶会〉から離れることになったのは結婚相手を追って欧州に留学することになったからだ。ドイツ系らしいということ以外、シロエは相手の素性をよく知らなかった。ドクター・オブ・ザ・ワールドとも呼ばれる国際的なNGOに所属する医師だというのを知ったのも〈茶会〉が解散した後、KR(ケイアール)経由だったくらいだ。
 もっともそれは、まるで知らないという意味ではない。〈茶会〉解散の直前はカナミも浮かれていたので、すね毛が濃いとか、お刺身が好きとか、遊園地の絶叫マシンで涙目になっていたとか、おはようございますをオヨハンゴジャマスとしか言えないとか、そういう断片情報をさんざん聞かされてはいたのだ。幸せそうなカナミはいつにもましてパワフルで、本当にはた迷惑だった。
 身内自慢はカナミの性格のひとつだ。〈茶会〉メンバーのことをあちこちで話しまわっているのは、シロエも知っていた。だから娘の話をされて温かい気持ちになることもできた。
 考えてみればカナミのような境遇の〈冒険者〉は多いはずだ。
 まだ幼い子供と引き離されてしまったような〈冒険者〉だ。もちろん幼い家族との別離だけが悲劇ではない。親や兄弟といった離れがたい人が地球にいる〈冒険者〉が大多数だろう。彼らのためにも何とか手がかりを見つけなきゃいけないとシロエは思う。
 カナミだってそれを求めて旅をしているのに違いないのだ。カナミははた迷惑なダメリーダーだが、その娘には罪がない。帰還への努力を決意したその日にこんな出来事がある奇跡を胸に、シロエは語りかけた。
「そうですか。――それじゃあ、帰らないとだめですね。元の世界に」
『……え? なんで?』
「え?」
 だがシロエのそんな考えをカナミはいつも通りあっさりとへし折ったのだ。
『シロくん! あのね、わたし! 娘にこっちの世界、見せてあげたい!』
「……え?」
 シロエはあっけにとられてバカのような反応しかできなかった。
 何度も、いや何百回も考えたけど、この人一体何なんだ? 意味が分からないと心の中では疑問が渦巻いている。なにを考えているのかさっぱりわからない。
『いやぁん。セルデシアってすごいじゃない。だって未開の大地がでんぐり大パノラマだよ! こんなに大きくて、こんなに綺麗で、こんなにすごい場所で、お母さんの友達一杯いて、世界中の人と出会う大冒険だもん。そんなの絶対娘にさせてあげたい!』
 カナミの声は明るかった。
『娘、高いところが好きなの。グリフォン乗せてあげたい。大森林も、海も、砂漠も見せてあげたい。びっくりすると目が真ん丸になるんだ。あなたの生まれた世界は、きれいな場所だって、教えてあげたい!』
 でも話していることは娘のことばかりだ。
 カナミの愛情は本物なのだ。そもそも彼女は嘘やごまかしができるほど器用な人間ではない。無鉄砲も傍若無人も、はたから見ていてふざけているようにさえ見えるすべては、カナミの本気でしかない。
 だからシロエは理解した。
 どうやら本音で娘を連れてくるつもりなのだ。

 シロエは不意に痛快な気分になった。
 今まで悩んできたことがバカらしくなってしまった。無防備な笑顔で夢物語を語るカナミの表情が見えた気がした。
 離れてみて、やっぱり彼女のことを少し忘れていたんだなとシロエは思い知った。こうして再び声を聴いてみれば、カナミは想像の数倍ハチャメチャだ。やっぱりシロエの苦手な女性(ひと)だった。
 こちらが悩んで躊躇って、それをしないですむように念入りな計画を立てて苦しんだような問題を颯爽と飛び越えていく。腹立たしいヒーローだった。

「主君」
「シロエさん?」
 心配そうに見上げるアカツキとミノリに、ほほ笑むことができた。
「それでも、いいんだ。……出来っこないって諦めてたけれど。それなら」
――どうせ強欲なんだ。目指すのなら、帰るのでもこの世界に埋もれるのでもない、そんな選択を……。
 してもいい。
 カナミが語ったのは、要するにそういうことなのだ。
 どちらかを選ばないで、両方を選んで、そしてさらにその未来も望む。強欲であることを必死に自分に言い聞かせていたシロエはばかばかしい気持ちになった。シロエが望んだ「一番大きな野望」ですらカナミには小さかったらしい。でも、そんな夢の形があるのならシロエが手に入れたってかまわないだろう。
「地球とセルデシアのふたつを行き来出来るようにする」
 言葉にすると周囲がざわめくのが分かった。
 それは理解できる。あまりにも当てのない希望だ。それができればどんなにいいだろうと思いながらも誰もが口にするのをためらってきた。
 仮に実現できたとしても、現代文明を持つ地球と中世的な科学を持つセルデシア、魔法技術のない地球とファンタジーであるセルデシア、その二つの世界の接触は、互いの世界に大きな影響を及ぼすだろう。もしかしたらそれは破滅的な規模になるかもしれない。
 だが、それでもいいとシロエは思った。
 そういった危険を無視する気もテロに加担する気もないが、かといってもし二つの世界が接触する流れにあるのならばシロエ個人が押しとどめようとするのは傲慢だろう。二つの世界が接触しない流れにあるのであればシロエ個人が努力しても出会うことはないだろう。
 行き先を決める段階では怯懦も傲慢も不要な感情だった。はっきりとはわからない可能性におびえる必要はないのだ。
「そ、そんなことが可能なのですか!?」
『いけるいける』
 二つの世界の相互影響についてのそんな考察さえ、とびっきり明るいなカナミの言葉にかき回されてグダグダになってしまいそうだ。しかしそんなシロエにも仲間がいる。
「そんな無責任な!?」
「やっぱりカナミだわ。マジで始末に負えてない祭り」
「すっごいねえこの人。アイドルのボクとしてもさすがにびっくりだよ」
 だからシロエは肩をすくめて笑っていられた。カナミへのツッコミも今ではシロエひとりだけの罰ゲームではないのだ。
『だから、お願い。シロくんっ! びびっとやっちゃって!』
「クエストの、依頼ですか」
『そうそれ! クエスト』
「……出来ません」
 久しぶりに笑ったせいか、心が晴れ晴れとしていた。からかうような声をかけながら、シロエの中で経過した時間がゆっくりと去っていく。
『えええぇ!? シロくんが意地悪になったぁ!?』
 時間が経ったのだ。
 心の中でこびりついていた、シロエ自身も気が付かなかったかさぶたがはがれて綺麗になっていくようだ。
 自分はどうやらもう〈放蕩者の茶会〉のシロエではないらしい。
 そんな実感を、ほんのちょっぴりの寂しさとそれを越える誇らしさをもって、シロエは味わった。
「カナミさん。僕、ギルド作ったんです。〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)っていいます。友達も、仲間も出来たんですよ」
『うん?』
 シロエは〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエになったのだ。心配そうに見つめてくるミノリも、ローブマントの裾をつまむアカツキも、にやにやしながら笑っている直継も、目を細めるにゃん太も、心配していなさそうなトウヤも、五十鈴やルンデルハウスも、悪乗りをしているてとらも、そんな仲間のことをシロエはちゃんと見つめている。仲間が、出来たのだ。
 だから時間は流れたのだ。
「ですのでそういう依頼、受け付けません」

『えぇええ?』「そのクエスト、僕らがこなしちゃいますからね。――僕らが、世界で最初にその景色をもらいます。そうですねえ、カナミさんと、勝負ですね。仕方ないですねー」
 ふざけたような軽口に精いっぱいの意趣返しを込めてシロエは魔法装置の向こうへと語り掛けた。渚が何度も波で洗われるように、〈茶会〉がゆっくりと終っていくのをシロエは感じた。
 おそらくシロエはやはりどこかで間違っていたのだろう。
 終わっていてしかるべきものが終わっていなかったのだ。とても素晴らしい日々だった。〈放蕩者の茶会〉は良い場所だった。それを事実として確定させるために、終わったものは終わらせなければいけない。当たり前のことだ。しかしシロエはそれを上手にできていなかったのかもしれない。
(上手に何かができることなんてほとんどないんだけどね)
 シロエは小さく笑う余裕を持てた。
 なんて不思議なことだろう。未来へ進むと決意したその日に、過去がお別れをしてくれた。
 それは辛い事ではなかった。少なくとも〈茶会〉が解散した日々よりもずっと穏やかで、静かな光にあふれていた。
 思い出はなくなりはしない。むしろ、いまこそ過去が思い出に変わっていくのだ。シロエにはひそかな祝福のように思えて、慈しむような気持ちでそれを胸の中にしまった。
「今はライバルですからね」
『そか』
「でも、昔のよしみですから。間に合えば見せてあげてもいいですよ? 中国サーバーってことは、こっちに向かっているんでしょ?」
 もしまた彼女と会うことになっても、以前ほど苦手だと思わないですみそうだ。シロエはそう考えかけて、頭を振った。
 別にカナミ自身が何か悔い改めたり改善したわけではないのだ。子どもができたならばトラブルメイカー体質も治癒したのではないかと検討してみたが、希望的観測をもとに期待をするのはやめようと結論した。

『さっすがみんなのバスガイド。クラくんが褒めるわけだわあ。こりゃ女の子がほっておかないよ』
「だからそういう冗談やめて――クラスティさんが!?」
 言ってるそばから、とシロエは暗惨たる気分になる。後ろではリーゼが声にならないような悲鳴とともに「ミロード、ミロード」と繰り返しているのでなおさらだ。
 シロエや直継はまだ慣れているが、部外者のリーゼには刺激が強すぎる。カナミはやはりカナミなのだった。良くも悪くも、ジョーカーばかりを引き当てる天性の問題児としか言えない。どうしてここでクラスティの名前が出てくるというのだろう。
『そうそう、こっちにいるんだよねー。もうね死にかけクラくんの強いのなんのって――』
「クラスティさんが中国サーバーにいるんですか? っていうかカナミさん、何に巻き込まれてるんですか? 救援は? クラスティさんに代わって――」
 それでも必死に問い直した言葉は尻切れトンボのまま放置されてしまった。
「わ……あ……調子悪いな……ぐ……パンチだ、キックだ……えい! たいがあえこう……』
 魔法機械が沈黙して何とも言えない空気が流れた。
 シロエはがっくりと肩を落として振り返る。
 リ=ガンは無罪を主張するように首を振り、直継は頭を押さえ、にゃん太は珍しく視線を逸らした。ナズナはにやにやと、ソウジロウはにこにこと笑い、リーゼは気が遠くなったようにふらふらとしている。
 てとらに何かを吹き込まれたミノリとアカツキに「何でもないから。そういうのじゃないから」と弁明をしたシロエは騒ぎになりかける攻略部隊にアキバへの帰還を宣言した。
 それはしまらない終わりではあったけれど、それでもシロエにとってはかけがえのない終わりでもあった。すべての終わりがそうであるように、その中には新しい始まりの気配がすでに宿っていたのだ。
 シロエは頷いて仲間たちへと声をかけた。〈記録の地平線〉だけではなくアキバの街にも、そして〈冒険者〉にも、逃れようのない季節が迫っていたからだ。
 それはシロエたちが出会いをもって新しい地平を切り開く季節――ノウアスフィアの始まりの前夜だった。




Ep10 了
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