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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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  ◆19

「は、あ、あの……。不手際でもありましたでしょうか?」
 意を決したような、ふてくされたような〈大地人〉貴族の言葉をアイザックは完璧なまでに無視をした。倒れておびえる侍女をねめつけると、肩に担いだ大剣をかちゃりと鳴らす。
「このような祝いの席でまがまがしい大剣を持ち出すとは!!」
 気丈に叫ぶ貴族に両手を上げてまあまあと進み出たのはカラシンだった。この年若い青年はなだめるような穏やかな笑顔で、しかし一片の容赦もなく「ばれちゃってんだし、そりゃ不手際じゃないっすかねえ」と言い放った。
「それ、ロデ研製のアクセサリなんですよ。効果は『奇襲警戒』。半径25メートル以内からの待ち伏せ、隠密接近、毒攻撃、即死攻撃、害意にたいして魔法で警戒。ああみえて〈準幻想級〉ですよ。〈単眼竜〉の魔法素材使用ですからね」
「役に立つじゃねえか。カラシン」
「まいどお」
 男同士の笑みを含んだ会話を耳にした周囲は一斉に二歩は退いた。大領マイハマの舞踏会だ。出席者はあちこちから集まったものばかり。もちろん互いに顔見知りもいるだろうが、その多くは、他領からの特使であったり、侍女であったり、あるいは護衛であったりと互いに親しいわけではない。
 アイザックの言葉はこの場に不審者がいるのではないかという示唆だ。いいや、もっとあからさまに眼前の使者を暗殺者だと名指ししたに等しい。
 そのせいで周囲を疑いの見かわす人々は、小動物のような臆病さで互いに距離を取り合った。

 布団を叩くような、どこかで軽薄な音が上がるとともに、アイザックが睨み付けていた侍女や抗弁していた貴族は、その衣装を一気に脱ぎ捨てた。しなやかな黒い服は忍者じみていて明らかに戦闘用のものだ。
 アイザックは面倒くさそうに剣気を飛ばしたが、潜入者は目配せを交わしもせずに左右へと回避する。
 正直に言えば、アイザックはこの時点で見直した。
 半殺し程度にしてやろうかな、とは思ったが、避けられるとは微塵も思っていなかったのだ。面白い相手だった。同じ〈大地人〉ではあるが、アイザックたちの鍛えているマイハマの騎士よりも腕は上だろう。
「クソッ。これもヤマトの平和のため」
「なに雰囲気出してんだ」
 しかしそれは比較すれば、という程度でしかない。
 アイザックは短刀を構えたまま体当たりしてくる忍者を〈苦鳴を紡ぐもの〉ソード・オブ・ペインブラックの腹でたたき、回り込もうとしたもう一人の横腹を革靴で蹴飛ばす。
「くそう、〈冒険者〉め」
 うめき声をあげる刺客に「だからなんだ」とでもいうようにアイザックはいい捨てた。〈冒険者〉だからといってなんなのだ? しかし刺客はその身体から薄気味悪い色の煙がもうもうと吹き出した。
「おい、吸うな! 離れろっ。窓開けろ、カラシン! 解毒っ!」
 しかし、叫びをあげるアイザックの隙を突くかのように、どこからかあらわれた新手の刺客が唸り声をあげて、アイザックの横を駆け抜ける。斧が似合いそうな大柄なその男を裏拳で跳ね飛ばし、アイザックは狙われていた目標、イセルスを猫のように摘み上げた。
「その小僧を差し出せば命は助けよう」
「なに上から目線ってんだよっ。あん!?」
〈石化蜥蜴〉(バジリスク)の石化毒だ。いくらレベルの高い〈冒険者〉とて、蓄積でしびれ、麻痺から石化に至る。〈冒険者〉を相手にする手段などいくらでもあるのだ」
 ヒキガエルのようにつぶれた声でうそぶいた男は、粘液質の視線でアイザックに笑みかける。下劣で、濁った表情だった。気に入らない。
「レザ!」
「お任せを!」
 一声叫ぶや、控室に詰めていたであろう〈黒剣騎士団〉の精鋭が流れ込むのが見える。彼らは緑色の輝きを振りまいて煙や毒を中和しながら流れ込んでくると、今度こそ恐怖の悲鳴を上げる広間の〈大地人〉を保護し始めた。
 確かに蓄積型の毒は、高レベル相手にであっても効果を発揮する。毒にもレベルがあり下位の物は上位者に効果がないが、蓄積型は上書きすることで自分の毒レベルを上げてゆくのだ。もっともそれは、途中で解毒されなければという前提である。
 アイザックは獰猛な笑みを浮かべて身をひるがえすと置き土産のように〈マーシレスストライク〉を放って〈ランダムステップ〉で駆けだす。
「イセルス、吸うなよ。んでもってしばらくはそこでくつろいでろ」
「無理ですよ、アイザック君っ」
 思った通り、忍者もどきはアイザックを追ってくる。いいや、真の狙いは肩に担いだイセルスだろう。その数は五人か。耳飾がちろちりと震えて害意を知らせる。この大広間の外にも何人か忍んでいるようだ。
 アイザックにすればこの状況は想定内だ。
 そもそも、アイザックたちを探っている密偵がいるのには早い時期から気が付いていた。その密偵たちが何らかの襲撃計画を持っている可能性も、シロエから警告されていたことなのだ。
 そのうち何人かを捕まえることは可能だっただろう。しかし、それで計画を阻止できるとも、全容をつかめるともアイザックたちは思わなかった。〈黒剣騎士団〉は戦闘に特化した大規模ギルドであり、謀略や都市部での偵察行為は専門外である。
 だからこそ襲撃をさせた上での一網打尽を狙った。それは間違いではなかったと考える。領主一家には残らず護衛が付いているのだ。

 アイザックは慣れ親しんだ仕草で右手を振った。身体の熱を手首に流すように意識する。肘を突き出して加速すればそれはそのまま〈オーラセイバー〉となった。発動したその攻撃は衝撃波を伴って輝きに満たされていた広間の窓に一条の斬線を刻む。アイザックは躊躇なくそこに突進をした。
 砕け散るガラスはテラスの外側に吹雪のように舞う。
 春の夜に飛び出したアイザックは、石造りの壁面を蹴って胸壁を目指した。五メートルや十メートルの距離は〈冒険者〉の身体能力をもってすればさほど恐れるほどのものではない。
 〈灰姫城〉は中世的な、もっといえばファンタジー的なシルエットを持つ西洋城だ。複雑に配置された本館と別館、胸壁、装飾的な回廊、そして主塔を中心に円錐形の先端を持ついくつもの塔が寄り添っている。
 今日のお披露目のために城下町は祝祭気分だ。
 眼下に見下ろす大通りは〈大地人〉の町にしては珍しく、日の沈んだこの時間でも、オレンジ色の光の群れとなって輝いている。
 腹に響く音ともに光の花が天を彩った。
 祝いの花火だ。
 その輝きを背にアイザックは藍色の屋根を蹴って駆け抜けた。
「アイザック君。平気ですか?」
「だまってろ、イセルス。舌噛むぞ」
「だって、毒って」
「大丈夫だ。ちょいとばかし痺れるだけさ」
 たしかに広間を突破するにあたって胡乱な煙幕を突っ切らなければならなかった。しかし夜闇のなかで放った〈オンスロート〉の剣風が広間の煙を多少なりとも打ち払ったはずである。こうして屋根の上に飛び出したのも、毒の効果を避けてだ。
 お披露目式の広間の窓は、次々と開け放たれ砕けている。煙を逃すため〈黒剣騎士団〉が救助活動を開始したのだろう。
 肩に担いだイセルスは身を固くして、邪魔をしないように縮こまっている。まあよくできた領主候補だ。アイザックはそう思った。アイザックが戦うのを妨げないように、怖いのを必死に我慢をしているのだ。口を開けば心配のセリフを吐いた。まったくなにもかもが気に入らない。腹の底から、荒ぶった気持ちが吹き上がってきた。

「覚悟っ!」
「なにが覚悟だ、クソ野郎がっ」
 飛翔するクナイを追いかけて飛び込んできた忍び装束の〈大地人〉を撥ね飛ばす。空中で十分な体勢ではなかったため、その男はくるくるとまわってダメージを逃がしたようだ。すぐにアイザックの追撃に移る。
 ちりちりという幻の音が新たな脅威を知らせる。
 全部で十人というところだろうか。アイザックは円卓の制服の裾をさばいて中庭へと降り立った。
 見上げれば螺旋階段の窓から身を乗り出したカラシンが大きく手を振りながら叫んでいた。内容は距離がありすぎてわからない。バカか、あいつは、とアイザックはあきれた。念話を使えばいいだろうに。しかし、伝えたい内容は表情としぐさでわかる。広間の安全が確保できたのだろう。
 見たところ襲撃犯のうち精鋭はこちらに引き連れてくることに成功したようだ。
 普段は園遊会などに用いられるのか、きれいに刈り込まれた立ち木に囲まれた庭は段差を伴った立体的な作りだった。芝生のひろがる中央部にアイザックが肩からイセルスを下ろすと、何を盛り上がったのか色めき立った襲撃者の一人が剣を振り上げて突っかけてくる。
 その突進はアイザックの眼光だけでためらい、中途半端になった踏み込みの剣先をイセルスは腰の短剣で受け止めた。澄んだ音を立てて剣はイセルスを守る。アキバ製の一品だ、そこに刃こぼれはひとつもない。
 しかし体重というのは技術や気合いとは別の要素だ。
 イセルスはその衝撃を受け止めかねてころころと芝生の上を転がされてしまう。アイザックはわかっていたからその襟首をつかみ、気軽な様子で立ち上がらせた。目の届く範囲なのでやらせてみたが、やはり襲撃者の狙いはイセルスのようだ。アイザックとどちらを追ってきたのかよく判らなかったがこれではっきりしたといえる。
「手ごわい!」
「いいや、やつは煙玉で弱っているはずだ! 八甲の陣を敷け!」
「もはや奴は動けん。十重二十重に取り巻いてとどめをっ」
 襲撃者が剣を構えて包囲網をひく。この芝生は広く、障害物もなく、その中心部にはアイザックとイセルスが時節とどろく花火に照らされて立ち尽くしているのみ。理屈でいえば、包囲をした襲撃者が会圧倒的有利であった。彼らの戦術判断は正しい。アイザックのレベルが彼らと同じ五〇程度であるのならばその命運は尽きたといってもよいだろう。
「お前らバカだろ」
 だがアイザックはいった。
 こいつらは正真正銘のバカだ。
 この程度の手勢で〈黒剣〉(アイザック)が折れると思っているあたりがバカだ。
 自分たちが何の片棒を担いでいるのかわからないのがバカだ。
 狐耳をはやしているのがバカだ。
 だから仕方なく(、、、、、、、)|こんな仕事に手を染めているのか《、、、、、、、、、、、、、、、》?
 〈黒剣騎士団〉はバカばかりの集団だ。総じて頭が悪い。草だらけの丘の周りを〈大地人〉と一緒になってぐるぐると駆けずり回って、おまえらどこの養豚場だよとおもったこともある。早寝早起きになったせいで二倍も大食い大酒のみになって、メバルフライメバルフライとわめいているのも頭が悪い。金を出し合って姫さんフィギュアを購入する計画立ててるのを見ると、バカを通り越して頭がおかしいんじゃないかとさえ疑う。
 HP(ヒットポイント)を半分にすることを「半殺し」だと思ってるのもおかしいし、そのダメージを半分直すことを「半治し」だと言い出したのは頭が痛くなる。それじゃ二十五パーセントのダメージが残ってるじゃないか。とことん救われないバカどもだ。
 だが、この痛ましい襲撃者よりはずっとました。誰がこんなことを命じたのだ。

〈苦鳴を紡ぐもの〉ソード・オブ・ペインブラック
「な、なんだこの鎖は!?」
 アイザックが横に一閃させた暗鋼色の大剣からは、軋るような音を立てて半透明の鎖が飛び出した。うねるように四方へと散った鎖は大地へともぐり、その大地そのものをアンカーとして、襲撃犯の身体に絡みつき、自由を奪う。
「そいつはお前らのヘイトだよ。お前らの自由は制限させてもらった」
 アイザックはぎらぎらと光る瞳で狐耳の襲撃犯を威嚇した。
 カラシンから仕入れた情報でその正体はわかっている。〈神聖皇国ウェストランデ〉の使う諜報部族だ。〈狐尾族〉という新興の小種族は〈ウェストランデ〉では勢力が小さい。もっといえば奴隷のように使われている。だからこんな、自爆テロじみた、片道切符しかないような任務にも使われる。
 アイザックはそれがたまらなく苛立たしかった。

「だからってよ、子どもに剣上げて、なんかしたつもりになってんじゃねえよっ!」
「アイザック君、ダメです!」
 あえて剣技は使わなかった。
 力任せに〈苦鳴を紡ぐもの〉を振り切る。それも剣としてではない。野球のバットのように、その腹で襲撃者を一掃する。それだけの力がアイザックにはあるのだ。正しいかどうかなんてわからない。それはシロエやクラスティの考えることだ。アイザックは気持ち悪いことはしない。すっきりする方向にしか歩かない。とうの昔にそう決めている。
「ふんっ」
 だから、心配そうなイセルスにも鼻を一つ鳴らしただけだ。
 襲撃者は、すべて気を失って倒れていた。
 撃退するだけならまだしも、命を奪うつもりはアイザックにはない。そのための足止め(ヘイト)であり誘い出しだ。アイザックは〈守護戦士〉の戦いをしただけだ。あとは仲間がやるだろう。
「よかった」
「良くはねえよ」
 にっこりと笑うイセルスに答えてアイザックは口をへの字に曲げる。イセルスはそのアイザックにニコニコとほほ笑んだ。空には次々と花火が打ち上げられる。マイハマを襲撃した暗殺者たちは退けられたのだ。捕縛した彼らを取り調べれば、この先の展開も多少はましになるだろう。
 アイザックはそれを期待した
 また巨大な破裂音。パラパラとまい散る火の粉。夜空に黄金の花が咲き、キラキラと大地に降り注ぐ。
「は?」
 アイザックは一瞬呆けて、耳を澄ました。
 花火の破裂音にまぎれて、〈奇襲警戒の耳飾り〉が、小さな警告音を立てたのだ。何かが潜んでいる。周囲を見渡すアイザックの視界には、ただ黄金の光の粒が炎のようにきらめくだけだった。
 光の粒は、口を引き結んだアイザックの視線の先で、マイハマに降り注いだ。



  ◆20



 光る鱗粉はヤマト全域の夜に降り注いだ。
 赤い月から来襲した輝く運河は、その毒々しい流れを春の夜に解き放ったのだ。吸い込んだだけの人々は、ちょっとした眩暈や立ちくらみを覚えただけで済んだ。しかし、鱗粉の主である蛾に遭遇したり攻撃を受けた〈大地人〉は意識を失い、目覚めることはなかった。
 それは深い眠りであると診断されたが、決してそれがただ眠っているだけではないことは、誰の目にも明らかだった。
 断続的なMP(マジックポイント)の減少はウィンドウの情報からも判る。光る蛾の攻撃を受けると、あるいは過度にその鱗粉を受けると、MPが減ってしまうのだ。その度合いがひどい場合症状は常態化し断続的な減少となる。それはMPにおける身体衰弱であるかのように見えた。人はMPを完全に失うと意識を保っていられない。この昏睡の原因は明らかにMPの喪失と、回復がままならないほどの継続流出にあるのだった。

 蛾のモンスター、〈常蛾〉があらわれて人々を襲ったあの夜から一日が過ぎていた。
「眠ってる……」
「やっぱり〈大地人〉さんです」
 ミノリたちはにゃん太班長を引率にアキバの北東方面へと足を延ばしていた。フィールドゾーンで意識を失ってしまった〈大地人〉を保護するための自主的な活動だった。
 シロエら代表ギルドの幹部たちはギルド会館を離れることが難しい。
 ミノリたちだってのんきに狩りに行ける気分ではないので、それならば多少でも手伝いができれば、と考えた結果のボランティアだった。
 こんな風にしていられるのも〈冒険者〉の被害が確認されていないせいだろう。だからミノリたちでも救援の作業ができるのだ。

 アキバのすぐ東には〈メトロポル環状陸上橋〉と呼ばれる遺跡がある。これが〈大地人〉の間では防壁だといわれていたが、シロエにいわせれば「首都高の向島線じゃないかな」ということになる。都心部を走る高速道路の遺跡、ということなのだ。
 この種の遺跡は数多くしかも程度良く残っている。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、アキバ周辺、つまり関東は〈冒険者〉(プレイヤー)の集まるエリアだった。限られた面積に、さまざまなバリエーションのモンスターを配置しようとすれば当然何らかの境界線や間仕切りが必要となる。高架道路はその役割としてぴったりだったのだ。
 アキバ周辺の高架道路はすべて〈メトロポル環状陸上橋〉という名前で呼ばれているが、向島線のあたりは単純に「東側の」程度の名称で呼ばれている。周辺には〈丘巨人〉(ヒルジャイアント)が多く生息していたのだが、疫病事件と〈黒剣騎士団〉の大規模演習で間引かれて安全が確保されている。
 この高架道路遺跡は〈大災害〉直後は苔むして荒れ果てた雰囲気だった。あちらこちらに朽ち果てた金属塊が鎮座していたし、鉄柱が崩れ落ちて徒歩以外では通行できない場所も数多くあった。
 しかし〈大災害〉からこちら、〈ホネスティ〉をはじめとする戦闘系ギルドや〈第八商店街〉の努力によって状況はずいぶんと改善している。〈カンダ川〉の河川運輸と並んで物資の動脈として期待されたからだ。
 現在では瓦礫は撤去され、大型の馬車であっても問題なく通れるように整備されている。起伏が多くビルの廃墟を縫って進まなければならない低地の道路に比べてずっと快適であり、主に東北地方との通商を担う〈大地人〉からは絶大な支持を集めていた。今では〈モリヤ〉で川を渡ればアキバについたも同じこと、などと〈大地人〉商人の間では言われるほどだった。

 ミノリたちはその〈メトロポル環状陸上橋〉をアキバから北に向かって探索している。この半日ほどで、三組目の〈大地人〉の集団を発見した。
「どこのひとかな」
「北の方の人だと思いますにゃ」
 トウヤの質問に思案顔のにゃん太が答えた。御者台から前のめりに脱力している男性をミノリは調べたが、外傷はない。MPを失い眠っているだけだ。
「お馬さんは逃げちゃったんでしょうねえ」
「うん、私たちの時とおんなじだ」
「こういう時には便利かもしれないって、思っちゃいますね」
 荷台を調べていたセララと五十鈴が戻ってきてそんなやり取りをしている。ミノリが見上げる先で、大きく旋回した巨大な鳥が一声鳴いて南へと去っていった。〈巨大梟〉(ジャイアントアウル)だ。おそらくアキバの〈冒険者〉の偵察を載せていたのだろう。飛行できる優秀な乗機だが持続時間が短いために本拠地からあまり離れた所へは向かわないのだと、ミノリはシロエから聞いていた。
 アキバから北東に十数キロメートル離れたこのあたりは河川の密集地帯だ。ビルの廃墟はその数を減らし、木立や森が割合を増やしていくこの地域は、開拓さえすれば村落をつくるのにピッタリであるらしい。実際いくつかの開拓村ができているはずなのだが、それらについては別働隊がすでに避難誘導に出ていると聞いている。

「後送しないと」
「そうだな」
 ミノリとトウヤは早速馬車の内部に寝入っている〈大地人〉を寝かせてゆく。荷物の隙間に挟まるような形だが、半固定されてかえって都合がいいだろう。三名の〈大地人〉を抱きかかえて運ぶよりも、馬車ごと押していった方が早いのだ。貸してもらった〈召喚の笛〉は高性能で力の強い軍馬を呼び寄せられるし、この程度の馬車なら一頭で十分だ。
「シブヤどうするのかなあ」
「うん……」
「リ=ガンのおっちゃんはシブヤになんか遺跡あるっていってたみたいじゃん?」
「こんな状況じゃそれどころじゃないよ」
 ミノリはトウヤの問いかけにそう答えた。
 それどころではないとは、まさに今の状況だ。いいや、それは考えてみれば〈大災害〉からこっちずっとそうだったような気がする。いつでもいろいろな出来事が起きてその対応に追われているのだ。しかし、それにも少しずつ慣れてきていた。もちろんトラブルが発生した時その対応方法がすぐにわかるであるとか、そういう意味ではない。正確に言えば「何かが起きる」ということに、慣れてきたのだ。この世界では何かが常に起きる。突拍子もない事だ。〈ラグランダの杜〉でも〈チョウシの町〉でも〈サフィールの街〉でも、様々なことが起きた。どうすればいいのかは今だってあいまいだけど、逃げても仕方ないし、逃げ場所なんてないし、立ち向かわなきゃならないということを、ミノリは学んだ。
「兄ちゃんたちも大変だ」
 頭の後ろで腕を組んだトウヤがため息交じりにそうつぶやいた。
 全くその通りだと思う。
 大人たちは大変だ、とは、トウヤもミノリもとっくのとうに考えなくなっていた。この世界に「大人」なんていないのじゃないか。それがトウヤとミノリの出した結論だ。元の世界にだっていなかったんだとミノリはやっと気が付いた思いだ。
 ミノリが思うに大人というのは、大人組合とでもいうべき組織に所属している成人済みの人たちだ。自分で命名しておいてふわっとした名称だとは思うのだが、大人組合というのは一人前の大人が必ず所属しているあいまいな組織で、その組織の内側では何やら難しい決定やら議論が行われている。大人というのは大人組合の命令で大人のふりをしている成人なのだ。大人組合は非常に大規模な組織なので(なにせ大人全員が所属している!)、難しい問題が起きても、しばらくすればふさわしい対応を所属員に連絡してくる。だから大人たちは大人のような態度をとっていられるのだ。
 大人組合というのは、会社とか、世間とか、保険とか、口座とか、市町村とか、政府とか、つまりはそのような何かだ。混ぜ合わせたものなのだろうと、ミノリは漠然と思っている。
 しかしこのセルデシアのアキバの街にはそんなものはない。〈円卓会議〉は大人組合のようなものなのだろうが、そこにいるのはシロエであって「どこかの誰か」ではない。つまりそれは、賢くて責任感のあるけどあいまいでよく判らないどこかの誰かがシロエの代わりにシロエの問題を解決してくれるということは、無いということだ。シロエは大人組合の組合員ではいられない。シロエ自身がほかの人の悩みを解決する係だからだ。
 つまりシロエは大人組合のサービスを受けてないので大人ではないし、この世界には、大人は一人もいないのだ。

 同じ意味で、ミノリとトウヤの両親も大人ではなかった。
 トウヤが事故にあった時、その完治が難しいと判明した時、両親は取り乱し、悲嘆にもくれた。頑張ろうとしたけど、多分、成功していなかった。母親は職場を変えなければならなかったし、父は家に帰るのが遅くなった。ミノリはそれにちょっぴりショックを受けた。両親は自分たちよりずっと「大人」であると、「大人」なはずだと漠然と思っていたからだ。
 だがしかし今考えればそれは当たり前なのだろう。あの時、大人組合はミノリとトウヤの両親を助けてはくれなかった。正しい指令のようなものを送ってよこさなかった。ミノリたちの両親は二人っきりで問題に立ち向かおうとしたけど、なかなかうまくいかなかった。
 トウヤを襲った災厄の前に、ミノリたちの家族は、大人の両親であるとか双子の子どもであるとかはなくて、ただ単に四人の家族だった。それは、仕方ないし、悪くないことだったと思う。ミノリたち家族はチームになって問題を切り抜ける方法を探すことになった。ミノリはミノリのできること、トウヤはトウヤのできることをやった。〈ラグランダの杜〉の合宿と、今思えば一緒だ。

「マイハマでもセルジアッド様が倒れちゃったらしい」
「騎士団の先頭に立って指揮を執ったのだ。すばらしい領主を持った地だよ」
 ゆっくりと進む馬車のわきから、茶色のおさげを揺らす細身の少女と、輝かしい金髪の表情豊かな青年が現れた。
 彼らはミノリの仲間の五十鈴と、ルンデルハウス。「大丈夫ですかねえ」そう答えながら、荷台からぴょこんと顔を突き出したのは、柔らかい輪郭の優しげな少女のセララ。
 みんなミノリの大事な仲間だ。彼らが大人だとか子どもだとか、もうそんなことを考えたのはどれほど前だかわからなくなった。例えばミノリがそうであるように、五十鈴は五十鈴という女の子でミノリは彼女のことをよく知ってるから、大人だとか子どもだとか乱暴な区分で考える必要がないのだ。五十鈴にできることも、できないことも、やがてできるようになることも、ミノリたちは互いをよく知っている。
「大丈夫だと思います。少なくともすぐに問題はないって。MPがなくなって昏睡しているだけだから」
 ミノリの言葉に仲間たちはうなずいた。
 今頃シロエたちはギルド会館で様々な手助けを進めているのをミノリは知っていた。アキバの元気がない人たち、〈サフィールの街〉の〈オデュッセイア騎士団〉、眠りから覚めない〈大地人〉、元の世界への帰還。シロエたちが考えなければならないことはたくさんある。それはけっしてシロエが大人だからというわけではなく、ただ単にたまたまその席に座ってしまったからだ。――たぶんミノリとトウヤが助けを求めたことも完全に無関係ではないのだ。
 だからミノリたちはシロエを助けなければならないし助けたい。家族だからだ。家族が協力し合うとき、大人とか、子どもとかは、関係ないのだ。
 ミノリは小さく力こぶを作って胸を張った。
 よく考えたのですっきりした。そういうことであれば何の問題もない。家族が増えるようなものだ。いわば、シロエをお婿の旦那様にもらうようなもので……そこで熱くなる頬を振り切るようにかぶりをふる。そうじゃなくて、もっと純粋なものだ。そういうことだ。
「ひ、光る……。は……ね……」
「夢、見てるんでしょうか」
 荷台で意識不明の〈大地人〉の様子を見ていたセララが声を上げる。うわごとを呟いているようだ。夜が明けて蛾の姿はすっかり見なくなったが、彼らは夢の中でまだ襲われ続けているのかもしれない。
「蛾のやつ、今晩も……くるのかなあ」
「わかんないけど、アキバに帰って準備をしなきゃ」
「そうですにゃ。探索はここまでにして、おうちに帰るとしますにゃ」
 にゃん太の言葉にミノリたちは一斉にうなずいた。
 まだ事件の全容は、はっきりしていなかったのだ。



  ◆21





 シロエたち〈円卓会議〉中枢は、そのミノリの想像通り、一睡もできぬ夜を過ごした。それも二日続けてだ。ミノリたちが〈メトロポル環状陸上橋〉の探索に出たその夜にも、モンスターの襲撃はあったのだ。
 それは前夜にも増して〈冒険者〉たちに衝撃を与えるような一撃だった。
 アキバの街は夜通し多数の伝令が行き交う騒がしい夜を過ごし、未明にほんの少しの休息をはさんだだけで再び動き出した。ギルド会館のいまでは円卓の間と呼ばれるようになった広間には、半日前と変わりないメンバーがそろっていた。
「ついに、〈冒険者〉までやられちまったか」
「目撃者の証言から、光る羽を持つ蛾のようなモンスターの仕業と考えられます」
 二日前の夜ヤマトを襲った謎の飛行昆虫型モンスターは、未知のバッドステータス攻撃によるこん睡状態を引き起こす。それはすぐさま命にかかわるような被害ではないが、かといって看過できる脅威でもなかった。
 一昨日の夜、襲い掛かったモンスターは多くの〈大地人〉を襲った。その数は円卓会議が把握しているだけで百数十人に及ぶ。その時点で、この未知の現象は〈大地人〉にのみ発生すると思われていたのだ。
 しかしどうやらそうではなかったらしい。
 会議室に集まった〈円卓会議〉のギルドマスターたちも表情が暗かった。
 無尽蔵に近い体力にあふれた彼らでも精神的なストレスは別だ。シロエはそんなメンバーの様子を見回して、ため息を押し殺す。ここは弱気を隠すべき場面だろう。

「蛾の精霊っちゅうところやな」
「名称は〈常蛾〉。レベルの分布は広く、八〇代から九〇程度まで。ゲームだった頃には、そんなモンスターいなかったはずですが」
 マリエールの確認に、リーゼが報告された情報を追加する。メンバーの手元にはシロエが複写したレポートが配布されていた。しかし、その厚さはわずか二枚。判明している事実が少なすぎるのだ。そのレポートの貧弱さはメンバーの心理的不安感そのもののように思われた。
「月が昇るのと同時ですね。正確には十八時二十二分。今夜には攻撃の第三波が来るとおもわれます」
「一度目の襲撃で〈大地人〉が昏睡、二度目では〈冒険者〉さえ」
「蛾の数も増えていたしな。モンスターも泡を吹いて寝ている連中がいる」
 レポートの内容を確認するかのように、ロデリック、茜屋、ミチタカといった〈円卓会議〉の中核を占める重鎮が口を開く。それらは今朝短時間で作ったレポートに記載された共有情報であるのだが、口に出すのが重要だ。黙りこくるのが一番よくない。そう考えたシロエは頷き、「三度目の攻撃では更に増えるでしょう。……あの不思議な能力も強化されてゆく可能性がある」と私見をつけくわえた。

「あれはいったい何なんだ」
「現時点では新種のモンスターであるとしか」
 茜屋の唸るようなぼやきに、ロデリックは学者然とした声で答える。
「〈グランデール〉の連中がいうには、連中上から来るそうだ。月からな」
 だが新しい情報もあった。
 飛行型の騎乗生物〈鋼尾飛竜〉(ワイヴァーン)を駆るウッドストックがそう答えたのだ。彼が率いる中堅ギルド〈グランデール〉は運送を得意とする支援ギルドだ。メンバーの多くは騎乗動物を調教(テイム)しているし、そのなかには希少な飛行型のものも多い。
「お空のお月さんから?」
 マリエールの確認に、ウッドストックはひげだらけの顔をしかめて頷いた。地上で昏睡状態になっても転んで寝続けるだけだ。もちろんそのまま物理的攻撃を受ける危険はあるが、直接的で即時的危険はない。しかし、騎乗生物で空中を移動中に意識を失えば、地上へとまっさかさまに落下してしまうだろう。〈冒険者〉の身体がどこまでの防御力やタフさを持っているかわからないため結果はどうなるかわからないが、それは十分即時的な危機だ。〈グランデール〉にとって今回のモンスターは〈冒険者〉一般が思うよりもやっかいで喫緊の危機なのだろう。

「おいおい。なんだっけ? 〈監察者〉のコミュニティがあるとかいってただろ。壮大な話だとは思ってたが、本当なのか? 〈典災〉と呼ばれるモンスター達もいるんだったけ」
「じゃあ、あの〈常蛾〉っちゅうのも〈典災〉の一種なんか? でも、なんで、みんなのMPを……? 食べるん?」
 シロエはロエ2の手紙の報告を、そのアウトラインについては〈円卓会議〉に済ませている。むしろ報告した直後の今回のトラブルだ。疑われても仕方がないほど狙いすましたタイミングでの危機である。
 当たらずとも遠からずかもしれない。シロエはそう考えた。ロエ2の手紙には〈共感子〉を集めているとあった。もちろん確証はないが、手紙の内容や、今までの経緯、月での体験、そしてリ=ガンの話を全て重ね合わせれば想像できることはある。
 〈典災〉というのは、普通のモンスターではないのだろう。
 報告を見返す限り、彼らは知能を持っている。〈冒険者〉の動きを予想して、陰謀を仕掛けるだけの能力を持つ。むしろそれが特徴のモンスターなのだ。
 ロエ2の言葉を信じるのならば「怪物体を使用した」存在なのだ。むしろ〈エルダー・テイル〉のモンスターの姿と性能を利用した、より厄介な存在だと考えることができるだろう。

「〈典災〉かよ。話にゃ聞いてたが……」
「いえ、まだ〈典災〉そのものかどうかははっきりしません。これだけの大群が急にあらわれるのは、さすがにおかしい」
「MPが肉体から抜けてしまうのですね。『脱魂病』とでもいいましょうか」
 考え込むシロエのわきから、ロデリックは空中に文字を書くようにしてそういった。脱魂病。〈魂魄理論〉(スピリットセオリー)によれば、MPは魂の乗り物だ。そのMPが抜けるというのは、なるほど魂が肉体を脱する状態だといえるだろう。
 理論が正しいのなら、今回の襲撃は図らずも〈大地人〉と〈冒険者〉の同一性を証明してしまったともいえる。一日の差はあったものの、どちらにも被害が出た。どちらもMPや魂を持っているというわけだ。そんな思考にひねくれたユーモアを感じてシロエは苦笑した。そんな証拠が今の現実を解決してくれるわけではない。
「せやけど、平気なもんもおるで? うちもヘンリエッタも襲われたけど、ちょっとめまいがしたくらいで」
「レベル差じゃないんですか?」
「いや、そうとも言えない。高レベルの〈冒険者〉でも被害は発生しているようだ」
「眠りにつく者とつかない者、その違いについて、ですか……」
 それに〈魂魄理論〉や魂の有無が今回の一件に関係あるとすれば、それは新たな疑問にもつながる。攻撃を受け眠りについたものと、そうでないものの差だ。そこにはやはり何かの秘密があるのだとシロエは思う。しかしシロエの疑問をよそに、会議は進んでいった。

「死ぬことはないんだな?」
「はい」
「死ねば大神殿で蘇ることができる。だが、眠ってしまうとそうもいかない。そもそも死んで蘇生すればこの眠りが解除されるかどうかも不確かだしな」
「厄介ですね」
 リーゼの言葉はある意味ここに集まった全員の総意だった。
 厄介、その表現がふさわしいだろう。破滅的な危機であるとも思えないが対抗手段が見当たらない。
「カラシンさんとアイザックさんは? それに〈西風〉のソウジロウさんも」
「お二方は引き続きマイハマを警戒してもらっています。ソウジは偵察にでてます」
「マイハマも災難だったな」
「お披露目ってことで諸侯が集まってたからなあ」
「セルジアッド公もか」
「ほかの都市はどうなんだ?
「ミナミは〈Plant hwyaden〉が守っているようです。大きな混乱はないとの情報を得ています。ススキノは〈シルバーソード〉が守備中。もとより人口が少ない都市ですから」
 シロエは執務室の戦略地形図を思い出しながら答えた。関西方面のプレイヤータウン・ミナミは〈Plant hwyaden〉の防備が固い。アキバよりも前線の人材が豊富なあそこは容易に陥落することはないだろう。ススキのは元々が城塞都市だ。防御力に優れたあの都市に少人数の〈大地人〉であれば、〈シルバーソード〉が十分撃退可能だろう。
 むしろ心配なのはそういった基幹都市ではなく、〈大地人〉のみが住んでいるような小さな領地や村落だが、シロエはその点をさほど心配をしていなかった。〈常蛾〉は大都市を狙う性質があるようなのだ。襲撃報告も、東ヤマトではアキバやマイハマ、ススキノ、ヨコハマあたりに集中が見られる。
 一般的に言って、モンスターはその姿にふさわしい程度の知能を有する。蛾の姿を持つ昆虫型モンスターはゲーム時代に発生指定されたゾーンで発生し、周辺をうろつき無差別に犠牲者を襲うだけだ。「大都市を襲う」という一事だけを取り上げても、この事態が〈エルダー・テイル〉的ではない何かを秘めているのは明白だった。

「シブヤはどうするのですか?」
 しばらく黙っていたアインスが、意を決したように問いかけたのはシブヤのことだった。「シブヤ?」そう疑問気に問い返すウッドストックの方も見ようとしないアインスは、巨大な円卓の中央に向かって、そう、まるで、絞り出すように言葉をつづけた。
「リ=ガン氏からシブヤの放送局跡が生きているとの情報が入ったそうですね。そちらの調査を急ぐべきでは?」
「おいおい、こんな時にかよ。被害者だって出ているんだぜ?」
 アインスの言葉に真っ先に反発したのはミチタカだった。みっしりと肉の着いた巨体を震わせて感情をあらわにするミチタカに、アインスはいっそ許しを請うような悲痛の表情で、だが声だけは毅然と言葉を重ねた。
「冷たいようですが、眠りにつくだけならば命の危険は当面ないわけですし……。戦力のあるうちに打開の一手を放つのも我らの役目ではないですか」
「そんな!」
「我々は、我々自身が思うよりも追いつめられた存在なのですよ。衛兵の暴走、フレーバーテキストの具現化、東西の緊張、それに今回の事件、〈典災〉という新たなる脅威……。我々は博愛をしている余裕などないのではありませんか? それは傲慢というものでは? ――我々も一杯一杯なのです」
 アインスの言葉はシロエも予感していた。
 〈冒険者〉の犠牲が出てしまっている。今はまだ十数人だが、今晩もまた〈常蛾〉の侵攻はあるだろう。二日だけ攻撃があって、そのあとトラブルが自動的に解決すると期待するほどシロエは楽観的にはなれなかった。
 アインスの危機感はわかる。〈冒険者〉の博愛精神はこれまでのところ、その卓越した戦闘能力や財力に支えられていたのだ。その根底は不死性にある。
 今回の危機は、その不死性そのものの根幹を揺らがすものだ。意識を失い植物状態になるのであれば、不死の権能も戦闘能力も意味はない。〈大地人〉も〈冒険者〉も等しく眠り続ける無力化された肉体にすぎない。
 そんな状況でパニックになっていないのは、その危機感の本質について気が付いている〈冒険者〉が多くないからだろう。まだどこか他人事の者が多いのだ。そして気づけば、逃避の欲求からアインスのような意見が芽吹くのは当然だった。

 シロエはこぶしを握り締めたまま、会議室に満ちる沈黙に耐えた。
 フレンドリストから一つの名前を探し出し、じりじりとした数分を耐えるシロエに、涼やかなベルの音が着信を知らせる。
 この会議に先がけて託したシロエのクエストを、どんな時にでも結果を出してくれる頼りがいのある後輩はこなしてくれたらしい。
「シロ先輩、見つけましたよ。〈常蛾〉の巣を!」
 頷いたシロエの気配を察したのか、いつもよりも緊張したソウジロウの声が偵察の結果を報告してくれる。
「その……がっかりしないでくださいね。シブヤなんです。シブヤの街が、街ごとダンジョンになっています。ゾーン設定が。本丸はシブヤの放送局跡です。あの低レベルダンジョンですよ。こっちは大規模戦闘(レイド)ゾーンになってしまってますよ。新しい名前は〈呼び声の砦〉。ちょっかいかけるには手ごわそうな雰囲気です」
 ――ある意味予想通りだった。
 わかっていたからこそ偵察候補地として真っ先にシブヤを指定したのだ。
 そして予想よりも厳しい戦いが待ち受けているという確信を持った。
 〈典災〉は知恵をもつモンスターだ。きっとこちらの事情も察しているに違いない。自分が〈典災〉だったらアキバの街をどう攻める? アキバの希望をどう打ち砕く? 答えは明らかだ。
 シブヤに〈典災〉がダンジョンを生成。そう報告がわりにつぶやいた声に〈円卓会議〉はどよめき、蒼白になったアインスは椅子にへたり込んだ。
「大規模戦闘――? 大規模戦闘(レイド)ランクの、〈典災〉やの?」
 マリエールの呆然としたつぶやきにシロエは頷いた。
 敵は、月への通信設備を奪ったのだ。
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