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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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  ◆17

「電波式のものの開発となると、それ相応のアンテナのサイズが必要になりますよ」
「サイズ、ですか?」
「パラボラの、まあ、お皿部分ですね。そこのサイズが必要ですよ。技術程度が低いですから、どうしても力技というか大きさでカバーになりますよね」
「期間と予算は」
「予算は今のアキバの財政だと……三年分くらいかかるかもしれませんねえ。〈冒険者〉の発明は一点物を作るには向いてるんですが、量産や巨大なものを建築するのはまだまだ力不足で。建設期間は投入する人員次第ですけど、技術的な開発がありますからね……。研究時間を含めると、すぐにはお答えしかねます」
「……そうですか」
「いまのアキバの体制では現実的とは言えませんねえ」
 ――ロデリックとの会話はそんな形で終わってしまった。
 シロエは春のアキバを自分のギルドへと向かって帰途についた。
 自分自身では表情に出していたつもりもないのだが、最近妙に勘が利くようになったアカツキに「主君、落ち込むな」と袖を引っ張られたりもした。「大丈夫だよ」と答えてはみたものの、手詰まり感はぬぐえない。
「主君はおじいさんのおでこになってるぞ」
「そうかなあ。そんなことないと思うんだけどなあ」
 シロエはアカツキの視線のささる額に手をやってもみほぐしてみる。普段と変わらない。この世界ではなんらかの外部的な力を加えない限り、髪の毛は伸びない。指先に触れる前髪の長さも、だからいつも通りだ。
 帰り着いた〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のギルドハウスはひっそりとしていた。黒板にはにゃん太の文字で「夕飯の買い出しにいってくるにゃ」と猫マークがある。直継は小竜たちの修行に同行しているはずだし、てとらも〈三日月同盟〉に向かったはずである。ミノリたちは、最近ではシロエたちに頼らなくても自分たちで行動を決めるようになっていた。
 無人でも落ち着くギルドの中の空気を呼吸して、シロエとアカツキは階段を昇って行った。リビングを見下ろす踊り場を抜けていつもの執務室のドアを開ける。かるく脇の下越しに後ろを見ると、アカツキが目線だけで「なにをしているのだ? 早く部屋にはいれ」と促しているように見えた。どうやら一緒に部屋に入って、お茶をしたり、護衛をしたり、隠れたりするらしい。シロエは小さく笑うと、アカツキを招き入れた。

 月への連絡手段を入手する。
 そんな目標を持ってみたはいいものの、それで別に日頃の悩みがなくなるわけではない。アキバの街は毎日新しい発明や発展のある活気あふれた街だ。しかしそれは、毎日新しいトラブルや問題が発明されるという意味でもある。
 シロエが思うにアキバの問題点の半分以上は人材不足が引き起こす問題だ。解決するリソースはあってもそれを運用したり指揮をできる人間が少ない。それが現在の〈円卓会議〉の偽らざる姿である。
 原因はいくつもある。たとえば〈円卓会議〉代表を務めていたクラスティの失踪もそのひとつだ。彼のカリスマや指導能力、指揮能力というのは文句なく素晴らしいものrで、彼が居なくなったのは痛手だとシロエは思う。
 周辺にやる気を起こさせる。あるいは何か問題が起きても何とかなるだろうという信頼感を持たせる。そういう能力は実際の実務能力とは全く別物だ。シロエの知己でいえば〈彼女〉……。〈エルダー・テイル〉を引退して欧州へ渡ってしまったカナミなどがそれにあたるだろう。〈放蕩者の茶会〉(ティーパーティー)は間違いなく彼女そのものだった。無制限の前向きさと無鉄砲な笑顔を旗印にして〈放蕩者〉(ゲーマー)は集っていたのだ。
 彼女の場合はやる気エンジンだけだが、このやる気というのを周囲に感染させるというのは選ばれた人の特別な能力なのだとシロエは思っている。クラスティもその限られた一人なのだ。もっともクラスティの場合、それに加えて政治能力も実務能力も事務処理能力も指揮能力も運動能力も芸事能力もあるので、コメントするのも面倒くさくなってしまう。のらりくらりと逃げ回っていた領主会議、後で聞いてみればクラスティはソシアルダンスだってキャリア十年単位だというではないか。シロエはそれを聞いてすっかりだまされた気分になったものだ。

 クラスティやカナミのような存在は例外だとしても、アキバの〈冒険者〉は互いに譲り合って責任者を回避してしまう傾向が強い。これは〈冒険者〉がどうこうというよりもおそらく日本人の性格なのだろう。リーダーというのは何かあれば周囲に叩かれる、面倒くさくてうまみが少ない役割だと全員が思っているのだ。
 〈円卓会議〉という自治組織が生まれ、曲がりなりにもこの一年間続いたのは、そもそもの最初から、大手ギルドのリーダーに声をかけるという手法で立ち上げたおかげだとシロエは思っている。全員公平な状況からさあ選挙で決めようと言い出したところで、選挙管理をする運営主体すら組織できなかっただろうことは想像に難くない。
 さらにいえば技術的な問題も存在した。メールもない、表計算ソフトや文章作成ソフトもない、記録装置もないし、郵便も発達していない。そんな異世界であるここでは、地球並みの会議をするのも一苦労だ。複写機(コピー)すらないのである。「今日の会議はこういった内容で行いたいですよ」というレジュメを人数分つくるのでさえ、手書きでやれば一日仕事になってしまう。
 そういう意味でシロエは大人気である。
 サブ職業〈筆写師〉(スカラー)は種類や写本作成全般にかかわる能力を会得し、その中には紙やインクの作成といったクラフト系から、表や題字を描く際の補助というアシスト系、さらには眼前の書類や地図を複製するコピー能力も含まれている。当然魔法のアイテムは複製できないし、それなりの素材も必要だが、会議資料程度であれば下級素材であっても問題はない。
 その能力を当てにして、〈円卓会議〉の参加ギルドマスターや参加ギルドからは複製希望の書類が持ち込まれてくるのだ。人間複写機扱いである。

 ふと気が付くと手に持ったペンの影の長さも十センチを超えていた。
 数時間は作業に没頭してしまっていたらしい。
 背筋を伸ばすとゴリゴリとした音が響く。学生時代から机仕事は多かったので馴れきっていることではあるのだが、眼鏡を拭こうかと視線を上げると、アカツキとリ=ガンが応接セットでお茶を飲んでいた。
「どーもお」
 ひょうきんな笑顔で手をひらひらと振る〈魔法学者〉の姿は、ススキノでわかれたときとまったく同じように見えた。
「リ=ガンさん。いつこちらへ?」
「いまさっきですよ、シロエ様」
「ふふん。わたしがもてなしておいたのだ」
 ソファーで正座をして胸を張るアカツキは眼前に低いテーブルを視線で指示した。湯呑みにはほうじ茶、豆菓子。完全にアカツキの趣味ではあるが、客人への対応としては間違っていない。「それならそれで、声かけてほしかったな」などと思うシロエであるが声には出さなかった。声をかけるかけない以前に、同じ執務室に来客があっても気づかない自分のほうが問題だという認識はあったからだ。

「ススキノでの調査がやっとひと段落しましてね……。ずいぶんと遅くなってしまって済みませんでした、シロエ様」
「みんなは元気ですか?」
 シロエも自分の湯呑をもってアカツキの隣へと腰を下ろしながら、そう声をかけた。リ=ガンは目を細めてにこにこと笑っている。これまでの付き合いで、このリ=ガンという賢者というにはいささか年若い男が、辛辣な部分はあるもののひょうきんで面白味があるということは、シロエもよくわかっている。魔法や魔法装置、それに付随して古代文明の歴史にかける彼の学術的好奇心は本物だということもだ。
「ええ。よろしくお伝えくださいといってましたよ」
「|〈都市間転送装置〉《ルビ:トランスポート・ゲート》、何かわかりました?」
 シロエは尋ねた。
 リ=ガンは沈黙したままの〈都市間転送装置〉を調べるためにススキノへ残ったのだ。もちろんその調査はシロエたち〈冒険者〉にとっても有益なのだが、シロエが尋ねたのはほんの世間話程度のつもりだった。
「〈都市間転送装置〉の沈黙は、魔力供給(マナサプライ)の不足のせいですねえ」
 しかしその答えは非常にあっさりとしたものだった。
 驚くシロエに向かって「その程度のことだったら調査初日に判っていたんですけどね」とリ=ガンは首をかしげたまま照れたように笑う。しかし、魔力供給の方法やエネルギー源が分からないために調査を進めていたのだという。調査を進めれば進めるほどに、大型の魔法道具としての機能や仕組みに興味が惹かれ、それこそ細部にわたるまで調べつくしたのだそうだ。
「いろいろ調べていくうちに|〈妖精の輪〉《ルビ:フェアリィ・リング》はやはり月齢にかかわりがあるということが分かりました。月には古代アルヴ族の遺跡があるという伝承も残されていますしね。〈都市間転送装置〉も類似の機能が採用されているようです。こちらの書類にまとめてありますけどね」
 シロエは思いがけず出てきた「月」というキーワードにひかれて、リ=ガンのまとめてきたレポートを手に取った。要約であるのか、枚数は多くない。
 魔法的な装飾を省けば、それは月が管理する転送用の位置ガイド機能に関するものであるらしかった。〈妖精の輪〉、〈都市間転送装置〉、〈大神殿〉――すべての転送にそれは影響を与えている要素なのだ。
(やっぱり、月にはなにかの施設があるのか……。ロエ2さんの手紙を信じるのであれば月には〈監察者〉のコミュニティがあるという。彼らはおそらくテストサーバーにある〈冒険者〉の身体を使用しているんだろう。その彼らが、アルヴの遺跡でなにかの作業をしているのか……)
 あるいは待機でもいしているのか。
 シロエはそう考える。ミノリからの報告を合わせて考えると、〈監察者〉というのは、もちろん大きな力を持ってはいるものの〈エルダー・テイル〉とセルデシア世界のルールに縛られた存在らしい。十二クラスのひとつ〈召喚術師〉(サモナー)の能力を用いて戦っていたというのがその証拠だろう。

「……やっぱり通信が必要か」
「通信?」
 その気持ちが声に漏れてしまい、リ=ガンの好奇心を刺激してしまったようだ。シロエは素直に相談を持ち掛けた。
「はい。〈冒険者〉がもとの世界に戻る方法を模索しているんです。そのために、月と通信する必要があって。方法を探してるんですけど」
「ほうほう! 〈冒険者〉の通信装置ですか? どういうのでしょうね。ワクワクしますね!」
「いや、そう簡単には。予算も技術も一朝一夕には」
 ロデリックのけろりとした顔を思い出す。
 ギリギリで無理ならばもっと悔しげな表情をしていただろうから、あれは本当に当面は望みがないのだ。
「まあ技術開発は時間のかかることです。一生の仕事です。仕方ありませんとも。でもまあ、それならシブヤの通信設備を使えばいいのでは?」
「は?」
 シロエは聞き直した。
 「月に連絡を取る」「月に至る」「月を調べる」。そういったクエストはゲーム時代存在しなかった。それは攻略サイトをわが城としていたシロエにとっては保証できる事実だ。しかし、ゲーム内の伝承として月が出なかったわけではない。むしろ、テストサーバーのある月が、どの段階かはわからないが冒険の舞台になるのではないかという予測は存在した。各地に残る月に関係する遺跡がその証拠だ。
「シブヤの。遺跡の」
「あれ、壊れてません?」
 だから、シブヤに残る放送局遺跡を考慮に入れなかったわけではない。しかし、真っ先に除外した可能性でもある。あの遺跡は完全に採取しつくされ破壊され、放棄されたという設定なのだ。ゲーム時代でさえ、非攻撃性の低レベル動物程度しか生息していなかったはずだ。
「でもゲート調査中に通信ネットワークに反応がありましたよ? 生きているのではないですか?」
 リ=ガンの言葉にシロエは考え込んだ。
 全く考えが逆だったのだ。
 シロエはゲーム時代の〈エルダー・テイル〉の知識を前提にシブヤという可能性を塗りつぶした。しかし、今異世界となったセルデシアであれば新しい何かがそこにあるのかもしれない。ゲーム時代には見つけられなかった隠し部屋、外壁を上りたどり着くアンテナ、あるいは出入り口のない地下の施設――そんな可能性が存在しうる。
 さっそく調査を、と腰を浮かしたシロエだが、その時着信した念話は悪いニュースを運んできた。
 眠りをもたらす月の蛾が、ヤマトの夜に忍び込んだのだ。



  ◆18



「あいつ、本当に領主サマになるんだなあ」
 好みではない甘い酒をグラスのなかで弄んだアイザックはそうぼやいた。
 広間の中は無数の灯りで満たされ、室内楽の響きで満ちている。夜会、というのは〈大地人〉の文化の中でも貴族のそれに属するようだ。日が暮れた後でも光であふれる饗宴を催すことができるというのは、わかり易い権力のアピールなのだろう。
 マイハマは〈自由都市同盟イースタル〉の中でも筆頭の立場にある領地である。その次期領主ということもあり、招待客はかなりの数に及んだ。近隣の領主及びその家族は残らず出席しているし、遠方の領地をもつ貴族も名代を送ってきている。広間にはその護衛や、マイハマ側の給仕も併せて三百名をくだらない〈大地人〉がひしめいている。
 アイザックはワインを持ったまま、挨拶を受けるイセルスを離れた場所から見つめて感慨にふけっていた。出来がいいのは認めるが、それでも八歳だ。アイザックの常識で言えば、やはり幼い。
「ええそうですよう。これからは難しい時期になりますし大変かもしれませんねえ」
「これから? それってミナミの連中が何か企んでるってのと関係あるのか?」
 隣のカラシンの指摘に、アイザックは視線をやらないで答える。
 面倒くさいが今回のお披露目会、アイザックとカラシンは〈円卓会議〉からの正使と副使という位置づけなのだ。そういうしゃちほこばった役目は苦手だと逃げ出したかったアイザックなのだが、いまの〈円卓会議〉には人手が足りないのだ、といわれてしまえば仕方なかった。
 交渉ごとはカラシンに任せて飲んだくれてやろうと思うものの、貴族の宴会など好みに合わない。メバルフライを肴に冷やした酒というほうがよほど気が利いてるというものだ。
 護衛という立場がある以上、すっぽかすつもりはまるでないアイザックだが、火傷しそうな美味を思い出さないわけでもない。
「お。珍しく察しがいいですね。野生の勘ですか」
 カラシンはそんなアイザックの気持ちなどお構いなくからかってくる。「おまえな」と口をへの字にしつつも、少し気分が浮揚するアイザックだった。
「冗談ですってば、ほら。そんな顔してるとモテが逃げる。スマイル、スマイル。あとでメバルフライだって出前させますよ」
「むう」
 唸ってはみるがそんなのはカラシンもお見通しのようだった。なんだかんだで気の利く男ではある。
「ミナミは〈神聖皇国ウェストランデ〉と組んでいますしね。そのウェストランデがイースタルを本気で支配下に収めようとするのならば、戦争は避けられないでしょうね」
「爺さんが言ってたあたりか」
 アイザックはつぶやく。
「あらそーなんですか?」
「ああ。ちぃっとばかし説明は受けたよ」
 〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉の間にある確執と現在の混乱は〈大地人〉貴族の間ではもはや共有された認識であるようだった。〈円卓会議〉の上層部でもそういう空気の存在は報告されている。
 しかしそれをアイザックが実感したのはマイハマにきてからだ。やはり、人間は、直接に縁を結ばなければ「自分のこと」として問題を感じ取れないらしい。会ったことのない奴の悲劇など他人事なんだよなあ、とアイザックは考えた。当たり前の話だ。
「ふふん。まあ、人が集まれば面倒は起きるんですよ。たくさん集まればたくさん集まるほどね。僕たち〈冒険者〉が絡んで状況は複雑なんですよ」
「お前、いろいろ詳しいよな」
「わっ。アイザックくん僕をなんだと思ってるんです? 商人ですよ、商人。商人にとって情報は命なんですよ? そっちはどうです?」
「なんかブンブン飛んでる感じはするな」
 アイザックは装飾度の高い耳飾りをいじりながら答えた。〈大地人〉の間では、身分や権勢の誇示のために、男性でもこういったアクセサリーをつけることは珍しくない。だがアイザックの価値観から言えば、ホストじみているように思えて落ち着かないのも事実だ。
「僕ら貴族とかわかんないですからねえ。こういうのが普通なんですかね。ちゃんと使ってくださいよね」
「邪魔になんなきゃな」
 カラシンへのおざなりな返事は歓声で遮られる。
 今日のお披露目会の趣旨からいえば主役はイセルスだ。しかし個人の威厳や魅力というのはそういった会の趣旨などを無視しうる。大扉が開かれて、アイザックと同じ〈円卓会議〉の制服をまとった護衛を引き連れた、銀の髪の華奢な少女がしずしずと進んでくると、アイザックはイセルスの近くへと移動を開始した。

「レイネシア姫だ」
「あいかわらず麗しい」
「アキバの〈冒険者〉との間の懸け橋となるため長い間赴任していたと聞いたが」
「今朝〈鷲獅子〉(ルビ:グリフォン)で帰城したそうですよ」
「〈鷲獅子〉!?」
 声を落としたささやき声であろうと、これだけの数がまとまれば背景音としてそれなりのボリュームとなる。少しうつむいて控えめな笑みを浮かべるレイネシアは、前評判通り〈薔薇園の姫君〉ローズガーデン・プリンセスとして〈大地人〉の間では圧倒的な人気を得ているようだった。
 レイネシアの人気をアキバでも感じているアイザックにとって違和感のある反応ではない。むしろ「気品のある姿ですなあ」「あれで領地を切り回す宰相に匹敵する智謀の持ち主だとか」というリーゼへの評価ににやりと笑ってしまう。

「遅くなりましたお爺様」
「お帰りなさいませ、お姉さま」
「あなたのお誕生日に遅れてしまってごめんなさいね。許してね、イセルス」
「お姉さまはアキバの街でお勤めをしてるんですもの!」
 人ごみに割って入ってアイザックがたどり着いたのは、レイネシアがセルジアッドとイセルスに挨拶をする一番良いシーンだったようだ。温かい広間の輝きの中心部で、腰をかがめて弟に微笑みかけるレイネシアは確かに絵にとどめておきたいような美しさだった。
 まあ、話しかけるまでもないだろう。そう考えたアイザックは二歩ほど下がってコーウェン一家を視界に収められる位置を確保する。このまましばらく家族のだんらんでも眺めていようと思ったのだが、続くイセルスの言葉でアイザックはひきつった表情となる。


「お姉さま、僕にもお姉さまのように〈冒険者〉のお友達ができたんです」
「……イセルス? そんなに簡単に〈冒険者〉の方とお友達になれると思ってはいけませんよ。お友達というのは大変な勇気をもって苦難を乗り越えて得られるものです」
「お姉さまは?」
「ええ、私はもちろん、試練を乗り越えました」
「すごい!」
 すごくはねえだろ。
 友だち(ツレ)なんざ気が付きゃできてるもんだ。
 疲れた視線でみやれば、リーゼも困惑したような、それでいて止めるに止められないような表情で、中途半端にあげかけた腕を下した。きっとあれは諦めたのだろう。詳しくは知らないが、リーゼはレイネシアの護衛兼後ろ盾のような位置にいるはずだ。殺人鬼の事件は、〈水楓の館〉を拠点とした、アキバの女性〈冒険者〉が力を合わせて解決をしたということは〈円卓会議〉でも報告されている。大規模戦闘(レイド)ということで記録はアイザックも見聞したが、その作戦指揮をとったのがこのリーゼという少女なのだ。
「それに〈冒険者〉の中には、妖怪や魔物や眼鏡が潜んでいるのです」
「妖怪……?」
「ええ。眼鏡は要注意です。眼鏡に逆らうとろくなことにはなりません。いえ、逆らうような隙がもし万が一発見できたならそれは罠です」
 話はさらに脱線をしているようだ。
 いまや完全にしゃがみこんでイセルスを説得しようとするレイネシア姫は、流麗な形の眉をひそめて心配げな声をかけている。話の内容が分からない遠巻きの貴族にすれば、領主の大任を背負う弟に忠告を与える聡明で心優しい姫の図だが、内容的には完全に駄法螺の類だ。
 いやそうでもないか。
 アイザックは考えなおした。話題に上がってるのはクラスティ(エリート眼鏡)シロエ(腹黒眼鏡)だろう。そうだとすれば「逆らうとろくなことがない」と「それは罠」は嘘というわけでもないだろう。どうも〈大地人〉の間にはアキバの〈冒険者〉の様子がねじくれて伝わっているようだ。このままでは自分だってどう思われているかわからない。
 クラスティのことなんかどうでもいいが、これ以上言わせておくと面倒かもしれないな、と声をかけるがそれは一手遅かったようだ。

「大丈夫ですよ。アイザック君は眼鏡じゃありません」
「わりいな、眼鏡じゃなくてよ」
 イセルスの高らかな宣言が飛び出てしまい、アイザックは憮然とツッコミを入れることになる。別段イセルスに何を言われようといいのだが、立場上近づかないわけにもいかなかったのだ。アイザックは姉弟の会話にいい加減な相槌をうつと周囲を見回した。耳元で響く幻音は使い慣れていないせいで精度が荒くいいかげんだった。この広間の多すぎる参加者のせいで、あいまいな感知しかできない。
「は? え。えへへ。そういうわけではありません、アイザック様。ごきげんよう」
「ご機嫌ばっちりだこら。クラスティにいいつけんぞ」
「……いませんもの。あの方」
 なんだこの姫さま。そんな顔も、できるんじゃないか。
 アイザックは貴族の生まれも育ちも、生き様も知らない。なんとなく、金持ちなんだから幼いころから厳しくしつけられるんだろうな。義務だのしがらみだので雁字搦めなんだろうな。けったいなもんだ。そんな暮らしはまっぴらごめんだね。そう思っていた。レイネシアも〈円卓会議〉の大事な客人で〈大地人〉の重要人物だと思っていた程度だ。現実世界でいえば金持ちのアイドル、程度の認識で、ゲームのNPCという刷り込みがなかなかふりきれない。
 しかし、穏やかで清楚な微笑よりも、先ほどのふくれっ面のほうが、はるかに年相応だろう。そう思ったのだ。クラスティのバカも、気づかない爆弾抱えて慌てやがれ。そうも思った。

「あ、姉さま! ゆずのジュースです。美味しそうです。アイザック君の分も」
「あーおい。イセルス、そんなにはしゃぐなよ」
「でも、うれしいんです」
 心が決まると身体もそれにこたえるもんだな。
 アイザックは不思議に落ち着いた気分で、イセルスをひょいと持ち上げて手元におろした。姉そっくりの銀髪は絹糸よりも細くて、アイザックが乱暴に撫でる指の間をさらさらと抜けてゆく。
「男はもっとどっしり構えとくもんだ。ましてやお前、これから(ルビ:かしら)になんだからよ」
「かしら?」
「領主だよ。――なあそこのお前。と、そっちのも、そっちのもだ」
 アイザックは節くれだった太い指を差し上げた。〈大地人〉から見れば見慣れぬ魔方陣を空中に描くようなその指の動きは、実際にはアイテムメニューから〈苦鳴を紡ぐもの〉ソード・オブ・ペインブラックを実体化するジェスチャーだ。〈円卓会議〉の制服に包まれた赤髪の偉丈夫が異空間より呼び出した漆黒のまがまがしい大剣に、広間は騒然となった。
 その騒ぎが滑稽で、アイザックに指さされた侍女や貴族たちの青白くひきつった顔にアイザックは凶暴な笑みを投げかけてやる。
「暗殺ってのはもうすこしこっそりやるもんだろうが」
 カラシンに押し付けられた〈奇襲警戒の耳飾り〉が強い鈴の音を立てた。
 その音は、まるで敵を威嚇する獰猛な獣の鳴き声のようでもあった。
+注意+
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