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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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  ◆14

「なんかこの町、アキバっぽくなってねえか?」
〈冒険者〉(われわれ)が影響を与えているんでしょうね」
「んなもんかねえ」
 アイザックはレザリックの解説に腕を組んで首をかしげた。
 春を迎えようとしているマイハマの町は活気にあふれていた。まだ朝晩の風は冷たいが日が差せばぬくもりを感じるようになり、それにつれて町の人々や商店も明るくなってきているのだ。
 まあ、それはいい。よいことだ。〈冒険者〉がこの町に有形無形の様々な影響を与えて、それで活気が出たのも事実だろう。しかし、〈冒険者〉を「我々」といってしまうと途端に釈然としない感じになるのも事実だ。
 アイザックは振り返ったカラシンの顔をじっと睨んだ。
「何ですか、その目は。〈第八商店街〉(僕ら)のせいだけじゃないですよ」
「お前のせいだよ」
 そうなのだ。
 あののぼりに書いてあるのは「大特価、稲荷ずし弁当」だし、その隣にあるのは「ウォシュレット作り升」だ。大通りに商品をあふれさせているのは、アキバ製の鍬や鋤といった農作業具である。ただの農具が魔力付与されているはずがないからだ。
 まあその辺はよい。
 しかし、それらはまだしも、「1/6フィギュア・レイネシア姫(お出かけバージョン)」や「1/6フィギュア・レイネシア姫(冬薔薇バージョン)」は明らかにカラシン率いる〈第八商店街〉のせいだろう。
 アイザックとしては「僕ら」などと一緒にされても困る。「お前ら」だ。
 しかし睨み付けたはずのカラシンは「賑やかですねえ、いやあ良かったなあ。どうです、イセルス様」などと明るい声を上げている。そのカラシンと連れ立ってアイザックの前を歩いている小さな姿は、イセルス=エルアルド=コーウェン。レイネシアの弟であり、つまりはマイハマの貴族だ。いまだ八歳ということで、その姿は年相応に小さく幼い。子どものことなどわからないアイザックだが、その年齢は小学校に入るくらいだったか? それとももう少し上か? 程度の認識だ。
「これからの時代は〈大地人〉は〈冒険者〉の文化を取り入れて発展していくのが大事なのだ、ってお爺様もおっしゃってました」
 その割には発言が大人びていてくそ真面目なので閉口する。
 イセルスと喋っていると「俺が八歳の時ってこんなんだったか?」という疑いを捨てることができないアイザックなのだ。
「……お前何でついてくんだよ」
「僕もお姉様のように〈冒険者〉の皆さまのことを知りたいんです。いろいろ教えてください」
 それは何回か聞いた。
 どうもこのイセルスという子ども(ガキ、と思いかけてやめた。そういう言葉遣いは教育上よくないと、レザリックにこってり怒られたからだ)は、そこだけは子どもらしく、剣だの騎士だの戦いだのに興味があるらしい。
 アイザックが訓練をしていると、足元にちょろちょろとやってくることがある。大粒のビー玉みたいな瞳でこっちを見上げてくるので始末に負えない。姉貴は高級猫路線だが、弟は室内犬路線なのだ。付き合いきれない。
「ほら、アイザック君。護衛も我々の任務なんですし」
「だりぃ」
「うははあ。またずいぶんと疲れちゃってるじゃないですか。アイザックさん。イクメンですよ。評価高いポイントですよそれ」
「柄じゃねえよ」
 しかしそうは問屋が卸さないようだった。
 レザリックの言う通り、コーウェン一家の護衛はアイザックたちに託された依頼のひとつでもある。マイハマの騎士団(グラス・グリーヴス)の訓練と護衛。どちらが主たる依頼なのかシロエは言わなかったし、アイザックも聞かなかった。マイハマにやってくるまでは簡単な任務だと思っていたのだ。
 今だって決して難易度が上がったとは思っていない。
 〈冒険者〉は〈大地人〉よりもずっと上の戦闘能力を持っているし、アイザックの仲間は頭は悪いが腕利きぞろいだ。訓練だって護衛だってこなすだろう。しかし、難易度と複雑さというのは同じではない。
 難しいとは思わないが煩雑だな、とは思う。
 ゲームのクエストのように「三日の間護衛対象を守り切れ!(0/3)」というようなわかり易い表示はない。それだけではない。ゲームのように簡単で割り切れる関係もまた、今のこの世界にはないのだろう。なにせゲームではなくなってしまったのだ。異世界なのだ。アイザックはそのセリフをいったまじめ腐った眼鏡顔を思い出していた。
 面倒くささの主要因、イセルスは子ども特有の弾むような動きで意気揚々と歩き出した。駆けださないのは育ちの良さだろう。しかしまるで行進をするような歩調である。朗らかすぎてアイザックから見ればお遊戯の時間のようだ。要するに気恥ずかしいのである。

「いいことですよ。アキバとマイハマの関係も強固になる。あの子、将来領主になるでしょうしねー」
「おいおい。まだ判んねーだろ」
「確かに未来のことですけどね。でも未来って準備して迎えるものでしょ?」
 イセルスが織物屋の店先に寄っているのにレザリックと侍女たちがついていった。アイザックはついていくつもりもないので腕を組んでそれを眺めていると、カラシンが話しかけてきた。
 まあ、継承者とか、初孫とかいうんだからそりゃ可能性としては領主になるかもしれないし、カラシンがそういうのなら可能性も高いのだろうが、目の前で店主の説明に耳を傾けているちびすけと、「領主」という言葉はどうも繋がりが悪かった。
 アイザックは憮然と「……そんなもんかね」と答えてやる。
「アイザックさんのいうことももっともで。ヤマトの勢力図は不安定ですからね。先行きどうなるものかはわからない。〈ウェストランデ〉はきな臭いし、謎のモンスターなんて報告もある。アキバの内側だって面倒くさい。っていうか帰還へのヒントが得られるかもしれないって、シロエ殿報告書あげてましたしね」
「ふぅん」
 アイザックは生返事をする。
「あれれ。恋しくないんですか? 故郷」
「俺ぁ場所だの家だのにこだわりのある出身じゃねえからな。身内(ツレ)がいるところが家だよ。今は手元にそれがたくさんいる。面倒くせえことは、目の前に出てきてから考えるさ」
 正直言えば目の前に出てくれば選んで食うだけであるので、考えるのはまっぴら御免というのがアイザックの方針だ。そもそも「考える」なんてのは考えてましな答えが出せる奴の方針であって、アイザックはそうではない。むしろその時になってその場の判断で最善を選べば、アイザックはそれでよいと思うのだ。
 宝くじの使い道は当たってから考えればいいのである。
 今この場で帰れたらとか、帰った後は、なんていうのはとらぬ狸のなんとやらだ。
「こりゃまた(おっとこ)らしいですね。さすが八割」
「そういうチャラ夫は帰りたいのか?」
 しかしそれはアイザックの内心のことであって、他人の帰りたいという気持ちは否定しない。わからないでもないからだ。もっともカラシンにそれを訪ねたのは、全くの気まぐれであった。イセルスは最近アキバからもたらされた染色技術について店主の詳しい話を聞いている。そのせいで路上のアイザックは手持無沙汰だったという、それだけの理由だった。

「ええまあね。食事(デート)の約束した娘が何人かあっちにいますし」
 しかしまあ、尋ねるだけ無駄だった浅薄な答えに「俺お前のこと尊敬しかけてるわ」と返す。もちろん嫌味だ。顔と同じくらい能天気なカラシンは、そんなアイザックの威嚇にへらへらと笑って言い訳を始める。
「帰るってなった時気持ちの整理ついてないと取り乱しそうでしょ? どっちに転んでもいいように言い聞かせてるんですよ。自分に」
「ふぅん。整理、つくのか」
「つけますよそりゃあ。でも、戻れたとしても会社は辞めちゃうでしょうね」
「そうなのかよ? 広告代理店(コーコクのイートコ)だったんじゃねえのかよ?」
 それは何回かの宴会で互いの境遇を明かしあったときに尋ねた情報だった。あまりの境遇の差に、大笑いをしあったものだ。赤坂だかどこかのでかいビルで下っ端仕事をしているとの話だった。
「そうなんですけど。でも、こっちで自分の腕試ししちゃったらもう戻れないじゃないですか。自分で人を口説いて手を携えて商売する味を知っちゃったら、パワポで薄っぺらい企画書つくって予算の中抜きするなんて、ダルすぎて燃えられないですよ。毒されちゃってますかね? この世界に」
 アイザックはまじまじとカラシンを見つめた。
 ヘラヘラ笑いを浮かべてるはずの男は、なんだかふてぶてしい表情でアイザックの視線を受け止めている。
 このちゃらけた若旦那の中にも、それでは男らしい骨があるのだなあとアイザックは感心した。正直いってアイザックには広告代理店もパワポとやらもわからないが、カラシンがいうのは要するに独立するということなのだろう。でかい屋根の下を出て、そう、一部上場とやらの加護を離れて、博打を打とうとこの男は言っているのだ。
 それがなんだかおもしろくて、アイザックはその背中を力任せにたたいた。「いいじゃねえか」といってやった。
 カラシンのほうはげほげほと咳き込み、ふざけないで下さいよ、燃える瞳は原始のゴリラですかこの脳筋! などと威嚇してきたが笑って流してやる。カラシンの罵声などじゃれあいのようなものだ。

「あ、おい!」
 アイザックはとっさに前に出た。
 いつの間にか隣の店に移ったイセルスは、キラキラした瞳で店頭の展示品を眺めて、そのうち一振りの剣を手に取っていたのだ。それは小剣(ショートソード)というよりは短剣(ダガー)なのだが、イセルスの百十センチメートルほどの身長では大ぶりで立派に見える。
 イセルス本人からしてもそうなのだろう。刃渡り十五センチほどの短剣を嬉しそうにじっくり見ている。
「格好いいです」
 イセルスの服装は貴族の子弟としてふさわしいものだ。マイハマ領の文化として華美なものではないが、庶民と比べれば布地からして違う。それを見て上客だろうとわかったのだろう。店の奥から小太りの店主が飛び出してくるのを、あきれたアイザックは手のひらを突き出して黙らせた。
「そんな剣、おまえ、ピカピカしてるだけで全く使えねえぞ! レザ、おまえも止めろよなっ」
「ほら。イセルス様。アイザック君が目利き、してくれるそうですよ?」
「!! ったく。お前らなあ」
 わかっていてにやにやと眺めていただろうレザリックのむこうずねを一つ蹴飛ばして(レザリックも板金脚甲(プレートグリーヴ)をつけているのでこの程度では痛がりもしないのだ)、イセルスから短剣を取り上げた。
 イセルスは「ああ……」と落胆の溜息をもらす。
 やはり男子だ。こういうものに憧れはあるのだろう。
 アイザックにだってそれはわかる。〈大災害〉でこちらに来た時に、鎧の重量感や、ずっしりした剣の輝きに心ときめかなかったかといえばウソだ。バイクを乗り回していたのだってそうだ。大きな鉄の塊を自在に操るというのは、男にとってはいくつになっても興奮させられるものなのである。ましてや小学生程度の子どもだ。興奮して鼻血を出すくらいでも、驚きはしない。
「もう、わかったよ。ほら、これにしろよ」
「……でも、これ。高いです」
 仕方なく見繕った狩猟用の短剣に喜色をうかべたイセルスだが、表情が落ち込む。値段を見てみれば、まあ確かに先ほどのごてごてした短剣よりはゼロが二つ多い。〈大地人〉が作ったものと、アキバから流入したものの差だ。しかもこんな大通りの武器屋にあるにしては、アイザックの選んだ一本はなかなかの性能を持っていた。
「そりゃまあ多々良の数打ちだからなあ。ま、興味ないならいいさ」
 アイザックはいった。無理に勧めるつもりはもちろんないのだが、さっさと背を向けたイセルスが本当は少しだけ未練があることだって見抜いている。確かにイセルスは賢い、よくできた、気丈な子どもだとアイザックだって思う。しかしそれだって八歳なのだ。視線や足取りから気持ちを隠すなんて不可能だ。
 肩をすくめたアイザックにカラシンが「それじゃイセルス様。今度アイザック君が見繕ってくれますよ。ねーアイザック君」と声をかける。背中をむけた少年に聞こえるような、わざとらしいセリフだった。
 振り向いたイセルスに、すましかえったカラシンは告げる。
「献上品ですよ、イセルス様。ああ、遠慮なんてしないで下さいよ? 僕もちょっぴり貴族みたいなことをしてみたくなっただけで。ええ、貴族ごっこです。アイザック君も乗り気です。これも商人の甲斐性ってやつですからね」
 いや全く乗り気じゃねえよ、面倒くせえ、とアイザックは思った。
 だがカラシンはけろりとしている。たしかに嫌みのない笑みにウィンクは似合っているのだが。どこまでも軽薄でつかみどころのない男だ。
「まあ、それは今度選んできますからね。ついでに、ゴリラへの差し入れも。さあ、視察の続きをしましょうよ。まだ日も高いですし」
 イセルスの背中を押すように歩き出すカラシンは笑い声を立てている。
 アイザックはやれやれとそのあとに続くのだった。
 護衛というのは本当に面倒なものだ。
 ただまあ、休日の散歩としては悪くない。



  ◆15



 ゆっくりと時は過ぎ春は深まっていった。
 アイザックもまあまあ忙しい時間を過ごしている。実際やることはいくらでもあるのだが、全部を丸ごと抱え込むほどアイザックは勤勉な男ではない。
 騎士団の訓練はリイ=ジェントだのゼッカ=イーグルだのに任せておけばいいのだ。〈黒剣騎士団〉には脳まで筋肉で構成されている体力バカがたくさんいる。そういう連中は疲労というものを知らないほどバカなので、体力仕事は任せるべきなのだった。アイザックは「俺はギルドマスターだしな」という言い訳にもならぬ言い訳でもって、週のうち三日は昼寝などをして過ごしている。ライオンと同じ生態だ。
 昼寝をしてしまった夜はなかなか眠気が訪れず、アイザックは今しているように彷徨い歩くことも多かった。夜の散歩というやつだ。もちろん酒場に繰り出して飲むことも少なくはなかったのだが、アイザックの仲間はほとんど例外なく声がでかくて男臭い。そういう連中の相手をするのも疲れるからな、とほかのギルドからは全く同じ評価をされているアイザックは思っている。
 〈円卓会議〉で仕立てられた制服を着たアイザックは急がずにぶらぶらと廊下を進んでいった。今歩いているのは〈灰姫城〉キャッスル・シンデレラ本館の三階部分である。
 時刻は二十一時ほどだろうか。多くの〈大地人〉にとっては眠りについているべき時間だ。この世界での灯りは地球世界よりも貴重品である。もっともそれは庶民の話であって、さすがは〈自由都市同盟イースタル〉、その貴族たちを束ねる筆頭領主の館ともなれば、廊下の角々には〈魔法の灯り〉がともされている。防犯上の理由からも必須なのだろう。
 そして灯りは人の生活習慣も変える。
 アイザックが顔だけ出して覗き込んだ執務室の中では、領主セルジアッド=コーウェンがまだ執務を行っていた。

「訓練の様子はどうだね」
「まあまあってとこかな。騎士たちのレベル上げは順調だぜ」
 おいっす、というような適当な挨拶をして執務室に入り込むと、アイザックは特に許可もとらずに応接セットに座り込んだ。小声で問いかけてくる落ち着いた侍女にお茶を頼んで背中を投げ出す。
 深夜の訪問はこれが初めてではない。最近では週に一度は訪れているくらいだ。今日は招かれてだが、最近ではふらりと訪れることも多い。アイザックは深い色の茶を供してくれた侍女に「おう、あんがとよ」と礼を述べると一口飲んだ。
 酒は好きだが、こうして茶を飲むのも悪くはない。
 セルジアッドに告げたことはないが、この執務室はなんだか居心地が良いのだ。豪華ではあるが、その豪華さが歳月の洗礼を受けて、華美さを洗い流されている。何もかもが質実で、しっとりと落ち着いた雰囲気は故郷でいえば手入れの行き届いた寺社にも通じる雰囲気を持っていた。
 それが好ましくて、アイザックは夜の徘徊のコースにこの執務室を入れているのだった。部下との大騒ぎに疲れているときなどはさらに好都合だ。

 執務机の書類をまとめたセルジアッドも応接セットへと移動し、アイザックと向かい合うと表情を緩める。
「それは心強い。いつ何が起きるかわからない時世だからな」
「世間話をするためにわざわざ呼び出したのか?」
「そうじゃよ」
「おいおい」
 まあ、いいんだけどよ。
 とアイザックは肩をすくめる。
「老い先短いこの身の楽しみを奪うてくれるなよ」
「爺さん九〇レベルがぶん殴ったってけろりとしてそうじゃねえか」
 アイザックはセルジアッドと笑いあった。
 このマイハマにアイザックがやってきて、もうかれこれ三か月以上がたとうとしている。最初の挨拶からセルジアッドとはずいぶんさまざまな話をした。
 もちろんアイザックだとて、相手が〈大地人〉であり、〈冒険者〉である自分たちの戦闘能力に畏怖に近い感情を持っていることはわかっている。また貴族領主として〈円卓会議〉に対して接近を図り、技術や経済の協力を意図しているということもわかっている。
 しかし、それだけではないともアイザックは感じている。
 セルジアッド=コーウェンというこの老人は、なかなかでかい男だとアイザックは思うのだ。年齢でいえば二回りも年下の自分に気さくに接してくれる。それは立場上のことや損得勘定といった理由もあるだろうが、それだけではなくもっとアイザック個人にたいして歩み寄ってきてくれているのではないか? 礼儀作法もろくに知らない自分に対して、恥をかかせぬように降りてきてくれているのだと思う。
 骨が太く、姿勢の良い老人だ。
 若いころにずいぶん鍛えたのだろう。がっしりした身体つきで、いまでも廊下を歩くときにふらつきなど見られない。ソファーに腰掛けるその姿にも、威厳がある。
 そのわりには好奇心旺盛でお茶目なところもある。どら焼きが好物で取り寄せているとも聞くし、アイザックには特注の眼鏡も見せてくれた。「〈冒険者〉特製の眼鏡をかけると泉の如く智謀が湧くと聞いたのだが」とがっかりしてたのも、楽しい話だ。頼まれたからにはアイザックだって口外はしていない。

「まあ、イセルスのことだ」
 ひとしきり笑った後、セルジアッドはけろりと切り出した。
 呼び出したくらいだから何かの話があるとわかっていたアイザックも「おう。まったく。素直にいいだせよ」と返す。
 セルジアッドは臣下から絶大な尊敬を受ける名君である。
 しかし、どうもセルジアッド本人の個人的な性格は、ずいぶん洒落っ気のある面白い老人なのではないか? とアイザックは疑っている。皆威厳にごまかされてはいるが、この老人はずいぶんと様々なことを面白がったりしているのだ。最近では〈冒険者〉相手に洒落が通じるかどうかを、アイザックで実験している雰囲気があった。そのせいで、アイザックの方も随分気やすい口がきけているのである。
「近々、あやつの誕生日を祝い、大々的な祭典を執り行うこととなってな。〈冒険者〉から見れば、不合理極まりなくも見えるのだろうかね」
「俺らだって宴会ぐらいやるさ。誕生日ともなれば、酒を飲んで管を巻く程度のこたぁするよ」
「ふむ。貴族の政治なぞ、下らぬとなじられるかと思っていた」
「政治のことはよくわからねえが、これはイセルスの誕生日だろう? そんな日にケチをつけるほど野暮じゃねえやい」
 アイザックはそう流した。まあ、面倒くさいことはあるのだろう。
 ご苦労なことだとも思う。イセルスはまだほんの子どもなのだし。
 しかしそう考えたアイザックの耳に「その場でイセルスをコーウェン家の跡取りとして指名するつもりだ」というセルジアッドの言葉が響いた。

「後継者? おいおい八歳だぞ、あいつ」
 信じられずに入れたアイザックのツッコミに、セルジアッドは答えず茶をひと啜りしたのみだ。
「そもそも、爺さん。息子いただろ。真面目系の」
 アイザックの重ねた問いに、セルジアッドはひげをしごきながら、考えをまとめているようであった。そんな仕草はセルジアッドによく似合ってもいたし、アイザックは何回も見かけていた。
「フェーネルは入り婿でな。あれはよくできた男よ。文官の出ではあるが武の心だって忘れてはおらぬ。マイハマの水利をよく治めてくれた。私はあれを高く買っているのだが、領民が納得せぬ。後継者にはコーウェンの血が望まれているのだ」
「うーん」
 そのあたりのことは、アイザックも聞いていた。
 別段他人の家の事情など興味もないのだが、護衛対象である領主一家の構成となると無関心でいるわけにもいかない。また、娯楽の限られたこの世界において、為政者の家庭事情というのは格好の噂話の種だといえる。
 三か月も暮らせば、酒場でも市場でもこのあたりの知識は基礎教養としてすっかり習得済みにさせられるのだった。
「わが娘サラリヤとフェーネルの間には三人の子がいる。長女のリセルテア。次女のレイネシア。そして末子のイセルス」
 そのあたりも聞いている。
 セルジアッドは男子を得なかった。
 子どもは二人姉妹。姉のサラリアと妹のラングリッサだ。どちらももう三十路ではあるが優美な美女であり人気は高い。姉のサラリアは婿を迎えた。それが話に出ているフェーネルだ。いま、このマイハマの領地は、セルジアッドが領主として統治をしつつ、その片腕としてフェーネルが交易や内治を取り仕切っている。
 その二人の間に生まれたのが話に出た三人の子どもだ。
「リセルテアは継承権を放棄してな。騎士のもとへと嫁いだのだ。言い出したら聞かん娘でな。愛する人のもとへ嫁げぬのなら喉を突いて死ぬなどといいよる」
 誰に似たって爺さんに似たんだろ。アイザックは口の中でもごもごとつぶやいた。その嫁いだ騎士というのはジャリスという男だ。マイハマの騎士団〈グラス・グリーヴス〉若手の中では一番の使い手である。団長を務めるには年齢が足りないということだが、根性と剣の腕だけでいえばすでに騎士団三傑に入るだろう。
「残るはレイネシアとイセルスとなるわけだ」
「姫さまいるじゃねえか。爺さんの娘が入り婿なんだから、次も入り婿だっていいんだろ?」
 アイザックはセルジアッドの低い声に返す。
 とはいえ、答えについては予想をしていないわけでもない。
「――あの娘には別の仕事が向いているであろう」
「別の仕事、か」
 セルジアッドはわずかに苦い微笑みを浮かべて、窓の外の月を見やっている。アイザックも付き合うようにそちらへ視線をやった。

「このヤマトは古くから〈ウェストランデ皇王朝〉という国が治めておった。知っておるかな? (いにしえ)の話だよ。その後戦争があった。世界中を巻き込む大戦争だった。アルヴ族とそのほかの人間種族が争ったのだ。六傾姫の戦乱を経て、〈ウェストランデ皇王朝〉は滅びた。――その後ヤマトを二分したのがわれら〈自由都市同盟イースタル〉と西を治める〈神聖皇国ウェストランデ〉よ。わがコーウェン公爵家の公爵とは、古の〈ウェストランデ皇王朝〉から与えられた爵位なのだ。〈自由都市同盟イースタル〉も〈神聖皇国ウェストランデ〉も、もとはその古の王朝の末裔なのだよ」
 セルジアッドが語り始めたのはヤマトの歴史だった。
「〈神聖皇国ウェストランデ〉は、古の〈ウェストランデ皇王朝〉の正当なる後継者なのだとさ」
「はあ……?」
「〈自由都市同盟イースタル〉は統治下に入れと、そういわれておるよ」
「めんどうくせえ」
「たしかにの。面倒くさいことだ。そして危ういことでもある。わしの目には、ヤマトは大きな歴史の曲がり角を迎えようとしているように見える。尋常ではない時代だ。我々〈大地人〉と〈冒険者〉が話し合うようになった。たくさんの素晴らしいことも起きるが、たくさんの恐ろしいことも起きるだろう」
 難しいことはアイザックにはわからない。
 正当だの後継者だの言われてもどちらが、あるいは何が正しいのかなど分別がつかない。しかし、今現在マイハマも関西も不都合があるようには見えないのだから、放っておけばいいじゃないかとは思う。わざわざ好んで面倒事を起こすはないのではないか。
 そもそもこんな話をアイザックに聞かせるのが間違いだ。〈腹黒眼鏡〉にでも聞かせるべき事柄である。
「つまりどういうことなんだ?」
 頭をぼりぼりと掻きながら尋ねたアイザックに、セルジアッドはからからと笑い、ゆっくりと話を再開した。
「そんな時代に領主になるというのは過酷なものだ。――わしはレイネシアを見誤っておった。道理はわきまえておるが、覇気のない娘だと思っておった。氷の宮廷の大会議場に入り込み、貴族を相手に啖呵を切ったレイネシアを見て、わしは己の愚かさを知ったのだよ。ああ、その通りだ。レイネシアの言うとおりだ、とな」
 セルジアッドは小さく笑うと、己の間違いを誇らしげに語った。
「わが孫娘のこともわかっていなかったこの老人が、〈冒険者〉のことなど判ろうはずもない。せめて今からでも〈冒険者〉と向き合いその全てに耳を傾けねば、このセルジアッドは正真正銘のバカ者、大うつけであるのだと思い知ったのだ。レイネシアのやつめに、あの怠け者の娘に、鉄棍棒(モール)で殴りつけられたような気さえしたのだ。〈鷲獅子〉(グリフォン)に乗って飛び立ったあの娘をみて、わしはこの齢にして初心に帰らされた思いであったよ」
 アイザックはセルジアッドの言葉を遮らなかった。
 夜のひっそりとした執務室に、その言葉は告解のように響く。
「あれはなかなかに聡明な娘だ。怠惰ではあるが義務をわきまえておる。あの娘を立てて、あるいは夫をつけてマイハマを任せるのもよいのだろうな」
「ほら。姫さんでもいいんじゃねえか」
「だが、それでいいのだろうか? とも思う」
 セルジアッドはまだ迷い、見果てぬ答えを宙に探しているように見えた。
「あの娘にはもっと大きな仕事があるのやもしれぬ。――それに領主はやはり男の仕事であろう。それはイセルスも判っているのだ。あの年でな。イセルスは賢い。そしてそれ以上に愛情深い子だ。この領地を愛している。それは領主にとって必要な資質のひとつだよ」
 アイザックは肩をすくめて返答とした。
 ここはマイハマで、セルジアッドはその領主だ。
 セルジアッドがイセルスを後継者にするというのならば、部外者であるアイザックに言えることなどはない。実際、イセルスが領主に向いていないとは、アイザックだって思わないのだ。八歳という年齢は地球の常識で言えば早いとは思うが、生まれる家を選べないのはこの世界だって地球だって一緒だ。同じような例は、きっとあっちにだってある。アイザックはそう思った。

「〈自由都市同盟イースタル〉は激動の時代を迎えるだろう。いいや、イースタルだけではない。〈冒険者〉を迎えたヤマトは、この世界は新たな時代を迎えたのだ。我らと貴殿らは同じような存在かもしれないが、それだとしたところで出会えば新たな可能性が次々と生まれる。その産声が街からこの〈灰姫城〉(しろ)へも届いているのだよ」
「ヘイヘイ、爺さん耳がいいもんな」
「これからのヤマトでは〈冒険者〉と分かり合わねば民を導くことはできぬ。アイザック殿、あれはあの通りまだ幼い。マイハマにいる間、我らには教えられぬことを教え導いてやってはくれまいか?」
「はあ。いいのかよ、俺なんかで。自慢じゃねえが俺はアタマ悪いぞ」
「そうは思わぬよ。まだ幼いあの子に必要なのは、アイザック殿のような灯りだと我は思う」
 そうである以上、部外者であるアイザックは依頼に従い、騎士団を鍛えることくらいしかできないだろう。そして領主一家を守る。領主一家には、あの小さな子どもが含まれているから、それも当然守らなければならないだろう。
 ほかのことは「ついで」だ。
 幸いにして〈冒険者〉は強い。アイザックと〈ソード・オブ・ペインブラック〉は大概の危難を打ち砕くだけの力を持っている。マイハマの都は、悪くない場所だ。コーウェン一家は悪くない連中だといえる。もちろん組織の付き合いや損得はあるだろう。しかし、ならず者同然の〈黒剣騎士団〉(アイザックのなかま)をもてなしてくれたのは事実なのだ。
 一宿一飯なんていう、手垢の着いた言葉をアイザックは思い出した。セルジアッドにはわかってもらえない笑みが唇の端に上る。
「ああ……。いいぜ。できる限りな」
「頼むよ。アイザック殿」
 ふたりはさらに取り止めのない話題で夜のひとときを過ごすのだった。



  ◆16



 イセルスが八歳になる初夏、のちに〈大災害〉と呼ばれる事件がやってきた。
 それは爆発や閃光、あるいは大地の揺れを伴うことはなかったが、決定的な大事件だった。この出来事は、まず、マイハマの街から急に〈冒険者〉が消えるという現象で始まった。
 初めの数日はただの偶然かめぐりあわせだろうと思ってた大人たちは、次第にそれが一過性の混乱ではなく何か重大な出来事なのだということが分かると、口々にあらゆる噂を交換した。その多くは〈冒険者〉が突然怠惰になって反逆を企てたのだ、という非難に満ちたものだったが、イセルスは最初からそれが的外れなものではないかと思っていた。
 騎士道物語に憧れるイセルスにとって、〈冒険者〉もまた伝説のような存在だったからだ。
 やがてゆっくりとだが新しい情報が街へともたらされはじめた。
 〈冒険者〉はアキバの街に集い長い会合を持ったというのだ。〈冒険者〉たちも何か大きな問題に直面し、その解決のめどが立たずに立ち往生しているのだということを、イセルスは母サラリヤから伝え聞いた。
 大人たちはそれを知って交渉すべきだとか、いいや、領主会議に取り込むべきだとか盛んに言い合いを始めたが、イセルスにははじめからどうすべきかわかっていた。
 英雄である〈冒険者〉たちが問題に直面して困惑しているということは、それはすなわち世界が大事件なのだ!!
 そんな危機的な状況でどちらが上か、序列をどうするのか、相手のいないところで話し合っているなんて間違っている。そうイセルスは主張したのだが、大人たちは自分の都合に振り回されてそんな事には興味がないようだった。もちろんイセルスの説明する力が足りなかったのだろう。一年たった今のイセルスにはわかる。
 イセルスは領主の孫なので、〈グラス・グリーヴス〉の騎士たちも、領内の豪商たちも丁寧に頭を下げてくれる。それはたしかに自慢気な気分にさせてくれる経験だけれど、同時にひどく居心地が悪い気分にもさせられた。
 彼らが褒めてくれるとき、その言葉が嘘のように響くことがあった。それは悲しいことだ。彼らがイセルスに従ってくれるとき、それはイセルスが正しいからではなくてイセルスの祖父に気に入られたいからなのだとわかるときもあった。自分自身がとるに足りないような気分になり、かんしゃくを起こしたこともある。
 つまりイセルスの言葉は周囲の都合によって聞いてもらえたり、聞いてもらえなかったりするのだ。子どもなのだから仕方ないのだと、イセルスはそう思い傷ついていた。

 状況が変わるきっかけは姉レイネシアがくれた。
 レイネシアはお披露目を兼ねて領主会議に参加をしていたのだ。それはそれで、〈冒険者〉を一目見たいイセルスからすればたまらなく羨ましい事であったが、それを上回る羨望はアキバ赴任という任務をレイネシアが得たことだった。姉は領主会議終了後、祖父セルジアッドの命を受けてアキバに旅立ち、そこで領民を手助けするのだという。
 それはイセルスにとって生まれて初めて味わう衝撃だった。
 レイネシアのことは綺麗で優しくて守らなければならない家族として大好きだったが、同時に男として育てられたイセルスは、将来家の(つまり領主の)仕事を手伝うのはレイネシアではなく自分だと無意識に思っていたのだ。
 年齢差があるとはいえ仕事を与えられたのが姉であるという事実にイセルスはショックを覚えずにはいられなかった。
 姉は姫護の騎士クラスティと(くつわ)を並べ、〈緑小鬼〉(ゴブリン)の軍勢に立ち向かったのだ。しかしそれは〈冒険者〉に対する憧れからではなく、領主一族の聖なる義務としてだった。姉は〈冒険者〉などに興味はない。それは弟イセルスとして知っている。〈冒険者〉ときちんと手を取りその友誼をもって民を救った姉は、イセルスのように浮ついた気分ではなかったのだと思うのだ。
 〈冒険者〉を一目見たい。その戦いを見てみたい、と思っていたイセルスはやはりまだ子どもでしかない。自分の姉は美しいだけではなく、気高く素晴らしい女性なのだとイセルスは思った。姉に比べれば、自分はひよっこに過ぎない。周囲の扱いに文句を言う資格さえ、本当はまだないのだ。
 そしてそうとわかれば、やることは山積みだった。
 〈冒険者〉と手を取り合うためにはイセルスだって家の仕事を十分に知悉して、貴族として成長しなければならない。イースタルでもっとも麗しい貴婦人、冬薔薇の姫といわれた才女である姉だからこそ、〈冒険者〉とともに仕事ができるのだ。年齢が二倍離れているイセルスは、学ばなければならないことがいくらでもあった。
 幸いにしてイセルスはセルジアッド公爵家の嫡流の孫であって、教師役には不自由しなかった。母サラリヤからは〈自由都市同盟イースタル〉内外の歴史や地理を学ぶことができたし、父フェーネルからは領内の産業や地勢について詳しい話を聞くことができた。騎士団の訓練に付き合うのは早かったが、庭師や馬丁でさえいまのイセルスから見れば誰もが専門的な知識と技術を持った、学ぶべき教師であった。

 そしておおよそ一年の月日が流れ、九歳の誕生日を迎えようとしているイセルスは(自分では)すっかり背も伸び(たつもり)、〈冒険者〉のなかでも〈黒剣〉の二つ名を持つアイザックに稽古をつけてもらっている。
 小さな中庭に乾いて高い音が響く。
 イセルスの身長に合わせて作られた木剣はどんなに工夫しても、アイザックの服にさえ届かなかった。
「アイザック君……これじゃ、ダメですか」
 荒い息を隠してイセルスは尋ねる。
「んなこと知らねえよ。もっと動いていっぱい剣ふれ」
「はいっ」
 両手で袈裟懸けに、そのまま横薙ぎ、手首を返して突き。
 イセルスの剣は八歳にしては悪くないものだったけれど、それはアイザックに届かなかった。イセルスの木剣の十倍も重いはずの大剣を、アイザックは片手で棒切れのようにうごかすと、イセルスの木剣を受けたりそらしたりしてしまう。
 アイザックとの訓練は、ほかの指南役とのそれとはまったく違った。素振りも型もなしに、ただひたすらに模擬戦が続くのだ。切れ目もないし、決まった時間制限もない。息が続かなくなっても、アイザックは鞘をつけたままの大剣でイセルスをつついてくる。
 イセルスはそれが攻撃でもなんでもない、ただの押し出しだということが分かっている。なのに躱すこともできないし、受ければ自分の身体が玉突きのようにころころと転がされてしまうのを止めることもできないのだ。まだ体力が続くうちはそんな戦いが繰り返され、いよいよもって息が苦しくなってくると、その場に倒れて休憩となる。
 型や理論の説明もないから、剣をどう振ればいいかもよくわからない。腕に違いがあるのももちろんだが、そもそも八歳の〈大地人〉イセルスと、大規模戦闘(レイド)で歴戦のアイザックの間には、基礎的な身体性能に差がありすぎるために、差が縮まったとか離れたということすらもわからない。それは言ってみれば、先ほどの攻撃と今の攻撃では、よくなったのか悪くなったのかもわからないということだった。
 アイザックとの訓練は、イセルスが味わった中でも、群を抜いて厳しかった。しかしイセルスはそれがちっとも苦にならないのだ。

「ほい」
「あっ」
 アイザックの鞘つき大剣がいつの間にか動いて、イセルスの手の中から感触が消えた。背後の空間で風を切るくるくるという音が響き、木剣が跳ね飛ばされる。
 見上げようとしてバランスを崩したイセルスは倒れこんで空を見上げた。
 呼吸があれてしまって立ち上がることができない。
「アイザック君は――はぁっ。はあっ」
「おー休憩。いーから、寝っ転がって呼吸整えろよ」
「はい。はぁ、はぁっ」
「お前弱いなあ」
「はい……」
 さすがにはっきり言われるとイセルスとしても悲しい気分になってしまう。疲れて身動きもできないほどだが沈んだ声が出た。
「まあなんだ。そんなに気落ちするなよ。お前ら〈大地人〉は全員弱いから差はわからん」
「そうですか」
 イセルスはその気遣いにくすくすと笑う。風の感触が柔らかく、日差しが温かい。この中庭にも三色菫(パンジー)が揺れているのだ。イセルスは優しい気分になってアイザックに話しかけた。
「騎士団のみんなも、アイザック君からすれば弱いですか」
「あー。弱ぇな。まだまだだ」
「むう。僕どうすれば強くなれますか」
「え? あんまり強くならなくてもいいんじゃねえのか」
 イセルスはアイザックのそんなセリフに、無責任ですよ、と抗議の声をあげた。いずれ領主になる可能性があるイセルスは、剣の腕だって乗馬の腕だって磨かなければならないのだ。
「根性の方が大切だろ。強さはぼちぼちついてくらあ」
 アイザックは取り合わずに流すと、腰につけていた収納袋をあさり、長さ二十五センチメートルほどの反りのない短剣を取り出すと、それをあっさりとイセルスに投げ渡した。

「ほれ、それ使えよ」
「え……」
 くるりと半回転して、手のひらにすっぽり収まった短剣を凝視したイセルスは、すぐさまそれがとてつもない値打ちものだということが分かった。貴族であるイセルスは〈大地人〉一般庶民よりも武具の類は見慣れている。
 名剣、魔剣といわれているものでさえ見た覚えがある。しかしそれらだって〈大地人〉であるコーウェン家に伝えられているものだ。〈大災害〉以降、〈冒険者〉の作ったさまざまな器具がマイハマへ流入し、それは武器も例外ではなかったが、この世界において装備アイテムには作成レベルや適正レベルが存在する。そのために、一流の〈冒険者〉職人が作ったアイテムは、市場に流れるようなものではない。すくなくともイセルスはサラリヤよりそのように聞いていた。
「お前身体軽いから木剣じゃ重心が遠すぎるんだよ。使いこなせるようになれば剣の腕も上がる」
「〈冒険者〉の剣ですよ? すごく高いのに」
 そうなのだ。
 きっとこの短剣はすごい値段なのだ。
 アイザックは〈冒険者〉で常識がなく、がさつだからわからないのだろうが、この剣一本でマイハマに家が買えてもおかしくはない。剣は明らかに強靭そうな輝きを宿して、イセルスを虜にしそうだったが、それでもイセルスは振り絞るような声を出してアイザックにそう尋ねざるを得なかった。
 イセルスは、アイザックが大好きなのだ。
 朗らかで荒っぽくて細かい事には気が回らない、この巨大な戦士が大好きなのだ。だから、こんな厳しい訓練を受けていても、いやだなんて思ったことは一度もない。
「べつにいつでもじゃねーよ。お前誕生日だっていうじゃねえか。男はよお、そういうの持ってねえとだめなんだよ。バイクとかよ、鎧とかよ。そういうのでワクワクしなくなったら終わりだぞ?」
「アイザック君の金銭感覚ってどうかしてます」
 バイクというのはよくわからないが、イセルスは胸が温かくてどうにかなりそうだった。照れ隠しに不愛想なことを言ってしまったが、ほほが緩んで仕方ない。男子としては情けない笑顔になってしまっただろう。
「いらないのかよ。わぁったよ。返せよ、ほら」
 訓練で疲れ果てて指先ひとつ動かせないとは嘘だった。
 剣を抱えてくるくると回ると、「わあー! ダメです。すごく嬉しいです! 〈冒険者の短剣〉ですよ! ありがとうございます!」と礼をのべた。この紋章は何だろう? よく眺めて、そこに多々良という記名と、小さな〈黒剣〉の印象を見つけた。この短剣はアイザックたちとお揃いの、特注品なのだ!!「そーやって素直に礼を言えばいいんだよ。まったく」
「ふふふ。あっ」
「どうした?」
 何回もぐるぐると回ったイセルスは、飛び上がるように空を指さした。
 その先には、春の薄く曇った空を駆けてくる一騎の影がある。見覚えのあるその形はアイザックが見せてくれたものと同じで、イセルスは素直に声を上げた。
〈鷲獅子〉(グリフォン)です」
「あー。〈円卓会議〉(えんたく)から誰か来たか? あれは、リーゼ嬢ちゃんか。お披露目へ姫さんをつれてきたのかな」
「アイザック君、お風呂入りにいかないと」
「面倒くせえなあ」
 そういえば今晩こそはお披露目の宴だったのだ。
 急にそれを思い出したイセルスは体当たりをするようにアイザックの腰の後ろを押しやった。〈鷲獅子〉の影はぐんぐんと近づいてくる。あれに姉が乗っているのであれば、身支度の時間はあまり残されていないかもしれない。
「だめですよう。宴にはお婿探しの女の人だって来るんですから!」
「わかった。わかったよ、本当にお前、そういうとこだけ細けえっていうか」
 いやがるアイザックにお小言を言うイセルスは、だが腰に挿した短剣へ視線を何度もやってしまう。これは大事な宝物だ。アイザックから剣を習ったという証拠でもある。
「耳の後ろもきれいにしないとだめなんですよっ」
 大好きなアイザックに抱き付くように、イセルスは館の中へと入っていくのだった。
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