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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp10 ノウアスフィアの開墾

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087

  ◆11


――私たちはあなたたちの言葉で言えば、人工的な知性体であり、創造者の社会を補助するために生み出された。
 私たち、つまり〈監察者〉と〈採取者〉はある種の使命を持って送り出されている。それは私たちが〈共感子〉(エンパシオム)と呼ぶ資源の探索と採取だ。私たちの社会はこの資源の限界から停滞、そして衰退期を迎えている。しかしこの資源は私たちから既知である世界においては上限が存在し、さらなる発見ができないということは早くから知られていた。
 〈共感子〉を生産するためには〈共感子〉が必要なのだが、その意味と危険をひとびとが実感するはるか以前の段階で私たちの文明は〈共感子〉を浪費しつくしてしまったのだ。気が付いた時にはこの貴重な資源は需要をまかなうにはもはや手遅れであった。
 創造者の社会はこの資源的ボトルネックのために千年の停滞をすごしている。人工的な加速を加味しないこの時間は、おおよそ永遠と等しい。
 この危機的状況を打破するためには別の世界が必要とされ、〈素数亀裂〉(バックドア)という数学的な手法で「探索可能な別の宇宙」を探すために作り出されたのが我々だ。
 つまり、私たちはまったくの不意打ちで〈合致〉に巻き込まれたわけではなく、ある程度は期待して巻き込まれたといえる。〈合致〉の発生は天文学的な偶然によるものだが、私たちは天文学的な遍在によってそれを待ち受けたのだ。
 もちろん君たちも知るように宇宙は知的生命体一種につきひとつしかない。〈摂理地平線の原則〉によれば知的生命体は別の知的生命体と出会うことができない(、、、、)。また〈無矛盾の大原則〉によれば矛盾は誕生と同時に消滅するために、宇宙に矛盾は存在できない。
 これらの原則によればそもそも私たちの探索は開始前から失敗しかありえなかった。だが何事にも例外は存在するし、その原則を無視をするために、多くの制限を受けているのがこのセルデシア亜世界だと我々は考えている。
 〈合致〉に関しては私たちも十分な確証を持って言えることは少ない。
 こちらとしても初めての経験だからだ。
 わたしたちが生み出された総数や活動期間は、天文学的な数値を用いて表すしかないほど巨大だ。わたしたちは総当たりで〈合致〉を引き当てた。つまり〈合致〉に関してわたしたちが何かを知っているとすれば、わたしたちは巨大母数によって偶然を引き当てたにすぎないということだ。
 そのような事情があるので、私たちは私たちが理解しているなりの説明しかあなたたちにはできないし、それは私たちに存在する規律によっても抑制されるのを理解していただきたい。

 私はあなたたちが倫理規定上、ランク3以上の知性体だと考える。ミノリがわたしにそれを証明したからだ。もしそれが正しいのであれば、セルデシア世界の資源所有権はあなたたちにあるのではないかという疑義がある。〈採取者〉は採取優先の〈指令〉を受けているが、わたしたち〈監察者〉は探索が任務だ。ゆえにこの疑問を調査するため、また、あなたたちの権利を保全するために、私はジャクセアと呼ばれる地を目指すことにした。資源保全のために必要な任務だ。

 未来は流動的であり、予断を許さない。
 様々な可能性がある。比較的影響が小さい分岐を検討すれば、前述の無矛盾原則により我々、冒険者、大地人の三者のうち二者あるいは三者は「知的生命体ではない」と観測されるだろう。その分岐はある種の悲劇であるように、今の私には思えるが。
 〈合致〉の影響はこのセルデシア亜世界全体に及ぶうえ、この世界の内包する〈共感子〉の総量は私たち出身宇宙の十五パーセントに匹敵する。この量は恒星間戦争を引き起こすほどの巨大利権であると言って、君たちに伝わるだろうか? 前述の分岐以上に破滅的な未来が無数に存在する。
 この手紙を読むのが兄にあたるシロエなのかどうかはわからないが、もしそのつもりがあるのであれば月への通信設備入手を勧める。
 セルデシアの月には〈監察者〉コミュニティがあり、状況を観察しているはずだ。
 あなたたちが〈帰還〉を望むのであればその助力は可能である。〈摂理地平線の原則〉によれば私たちは本来出会うべきではなかったのだ。あなたたちが〈帰還〉をすれば、細かい矛盾は遡及的に解決されるだろう。それもひとつの分岐である。

 最後になるが〈採取者〉について警告する。
 彼らは私たちと同じく〈航界種〉ではあるがランク2相当の知性体である。またセルデシアへ受肉するにあたって、月に準備されていた戦闘能力の高い怪物体を利用している。探索をするためにあなたたちと同じ肉体を借りたわたしたちとは別の選択をしたのだ。
 彼らはどの程度かわからないが、受肉した肉体の影響をうけている。
 あなたたちにとって極めて危険な相手になりうる可能性が高い。
 十分に用心することを勧める。
 あなたたちが熟慮の末、あなたたちの未来を作ることを願っている。



  ◆12



「ロエ2?」
「誰ですそれ」
 手紙を読み終わって最初に出てきた声はそれだった。
 ロエ2の名前を知る直継ににゃん太、そしてその名を知らないアカツキとてとら。仲間たちの反応は二つに分かれた。
「シロエのサブキャラだ。ゲームだったころゲームシステムの調査のためにテストサーバーで作った、シロエの別のキャラさ。〈召喚術師〉(サモナー)で、通称えろ子」
「えろ子」
「えろ子とは……」
「説明しよう。えろ子とはシロエがキャラクタークリエイトしたサブキャラだ。胸はでかい」
「でかいのですか! むむ。アイドル的にはギルティですね」
「そうなのか、主君」
 説明しようとしたシロエを先回りするように直継が告げる。
 余計なことまで言わなくていいのに、と眉をしかめるシロエに異様なくいつきを見せるてとらとアカツキだった。そこはそんなに大事じゃないでしょう、と言い返そうとする間も二人はああでもない、こうでもないとつつきあっている。
 えろ子というあだ名はKRケイアール命名なのだ。広めたのはラムマトンで、乗っかったのは直継である。まじめな話の冒頭からひどい罠だ。
 場の空気を読んだのか、にゃん太がとりなすようにつづけた。
「そのロエ2が手紙を書いたということですかにゃ? そもそもどうやってここに?」
「ミノリが届けてくれたんだ。旅の途中に出会ったらしい」
「そうですか。あのサフィールの町で……」
「そうだったのか」
 サフィールの町。その言葉にアカツキも、直継も苦い表情で言葉を飲み込んだ。ここに集まったのは〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)では年長に属するメンバーだ。てとらでさえ、ミノリたちが巡り合った〈オデュッセイア騎士団〉との顛末は聞いている。
 暗くなってしまった雰囲気を切り替えてくれたのは、アカツキだった。
「結局、差出人は主君なのか? 主君のサブキャラクター。なんでそんな人が手紙を出せるんだ?」
「彼女は、ロエ2の身体(キャラクターデータ)にやどった魂だと名乗っているにゃ。〈航海種〉(トラベラー)というくだりですにゃ。異世界の知性体だと」
「やっべーぞ、おい。シロ。異世界人だぜ。もしかしてSFかよ」
「少なくとも彼女はそういってるね。この手紙によれば、〈航海種〉のなかには彼女たち〈監察者〉と〈採取者〉と呼ばれる二つの種族がいるらしい。彼女たちは〈共感子〉(エンパシオム)という資源の採取を使命として生み出された人工知性体とのべているわけだ」
 周囲はシロエの言葉を咀嚼するように黙り込んだ。
 あまりにも突飛な話だったということだろうか。シロエは心配になって仲間を見回し、アカツキと目があった。つぶらな瞳できょとんとシロエを見上げるアカツキからは、信頼の気配しか伝わってこない。これは何も考えてないな、とシロエはほんの少しホッとする。
「直継さん」
「なんだよ。さすがのお前も度肝抜かれたか?」
「やっぱり僕、銀河ツアーを企画しないといけませんよね。新たなファンのために」
「ブレないな!?」
 いやんこまっちゃうなあ。フェロモン、フェロモン、と小躍りする自称アイドルを引きはがして、直継は情報をかみ砕くようにつづける。
「〈航界種〉かあ。ずいぶんぶっ飛んだ話だが、シロは実はそんなにびっくりしてないな? なんでだ?」
 そんなことはない。シロエはそう答えた。
「ただ、うん。なんていうか、なんとなく考えてはいたんだ。なんで僕たちはこの世界に来ちゃったんだろうって。おかしいよね。ここが本当にファンタジーな異世界だとすれば、僕らの知ってる〈エルダー・テイル〉にこんなにそっくりのはずがない。偶然のレベルをはるかに超えている。でもここはゲームの世界で僕らがそこに飲み込まれたなんてナンセンスだ。ありえない。僕らの知っている限りテクノロジーはそこまで進歩していないし」
 その言葉に、直継やにゃん太はしっかりとうなずいた。アカツキやてとらだって興味深そうに、シロエが次に話す言葉を待っている。
「大災害以降の変化だっておかしい。現実的な物理法則とゲーム時代の常識が、この世界ではいっしょくたになっている。まるでふたつのルールを混ぜたみたいに。僕たちは適当にこの異世界に飛ばされたわけじゃないってずっと思ってた。そしてこの世界には、それを説明できる三番目の誰かがいるんじゃないかって……。〈大地人〉でも、僕たちみたいな〈冒険者〉(プレイヤー)でもない、この状況を説明できる誰かが……。たぶん、それは、この手紙に差出人。ロエ2なんだ」
 ご都合主義でいえば、それは機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナとでもいうべき存在だ。すべての謎をつかさどる黒幕。事態を解決してくれる究極の責任者。しかし、期待したそんな存在はいないと、シロエは気がついてもいた。
「神様じゃないんだ。そんな都合のよい存在じゃないって、途中で気が付いていた。だってこの世界が世界(、、)だとすれば、〈大地人〉が本当に生きてて僕たちと同じだとすれば、その神様は彼らの生まれてきた理由も運命も知っていることになる。そんなことはない。彼らも人間で、この世界も世界だから、神様なんていないんだって思った。それでも『誰か』はいるし、探そうと思ってた。だから、びっくりしたけど、そこまでじゃない」
 直継は男らしく太い笑みを浮かべると、そうか、と答えた。
「でもずいぶんわかりにくい手紙ですよね」
「ずいぶん、じゃないぞ。まったく、だ」
 指さして否定するアカツキにシロエは便箋を再び取り上げる。
「判りにくいのはこちらになじみのない事を説明しようとしているせいだと思う。〈摂理地平線の原則〉とか〈無矛盾の大原則〉なんてのは確かにわからないよね」
 ぼんやりとわかると、シロエは言わなかった。
 わからないなりにわかるというか、言葉面からおおよその意味はつかめる。だがしかし、シロエが考える想像通りだとすれば、この異世界――ロエ2のいう亜世界セルデシアは「結果を出すためのテスト中」なのだ。特別なサンドボックスではないかとシロエは考えている。
 この場所では、決断ですら大きな意味を持つ。すでにシロエは決断によって〈円卓会議〉という組織の設立のきっかけを生み出してしまった。だから制限時間の存在に関する予測なんて、口に出すことはできなかった。

「要するに〈典災〉ってのは異世界怪獣だ。異世界怪獣は〈共感子〉っていう謎エネルギーを奪うために異世界からやってきた。このロエ2ってのは異世界人で、異世界怪獣と同じところからやってきたけど、人情味があるからこっちに気をつけろって警告してくれてるんだよ」
「おお、わかった! 賢いな直継のくせに」
「くせにってなんだよ!」
「直継さんあったまいーい!」
「登るなよ、おいっ!」
 アカツキ、直継、てとらのの楽天的なやり取りに、シロエとにゃん太は笑ってしまった。確かに要約すれば、そんな事が書かれているように読める。
「とはいえ、それだけではないですにゃあ。あちらこちらに記述が欠けているような、理由や意味がつながりにくい箇所がありますにゃ」
「そうだね、班長」
 シロエは何度も読み込んだ文面に視線を落とす。
「たぶん、だけど意図的なものなんだろうね。外部に情報が漏れるのを警戒したという感じではないけれど――この段階で明らかにすべきではないという意味なのか。それとも彼らにとって都合が悪いということなのか」
「んなことねーだろ」
 直継がそうさえぎる。
「そういう感じの文章じゃないぞ、これ。どっちかっていうと、『誰でも知ってる常識だから説明すらしなかった』とか、そんな感じじゃねえかな」
 確かにそうかもしれない。シロエたちの知識から言えば荒唐無稽で風変わりな手紙は、なにかしら真摯なものを秘めているようにシロエにも思えた。
「この手紙、信じるんですか?」
 ふと真面目になった声で尋ねたのは、てとらだった。
 そのまなざしに、直継は肩をすくめ、シロエは困ったように頬を掻いて、「うん」と頷いた。
「正直、とんでもない内容だとは思うよ。ほら話にしか思えないような手紙だと思う。でも、ある日ゲームに似た異世界に突然迷い込んでしまいました、に比べてそこまで荒唐無稽な内容ではないと思うんだ」
「まあ、それはそうですよね」
「それに、この送り主、ロエ2さんはなかなかお茶目なところがあるのですにゃ。『追伸、ミノリへ。お姉ちゃんらしく真面目に書いてみたぞ。また会えるかどうかはわからないが、君の答えは忘れない。キミの暖かい〈共感子〉がわたしを照らしてくれたように、キミがキミの未来を照らしますように。――お姉ちゃんより』なんて書いてありますにゃ」
 にゃん太の読み上げで、直継やアカツキは明らかに口を半開きに驚愕している。それはそうだろう。〈異世界人〉にしては砕けすぎだ。
「信じるとか信じないとかじゃなくって、もしかして、ロエ2さん(この人)、ボクのライバルなんじゃないかな」
「半分アイドルとライバルなんてそんな人がいるものか」
「アカツキさんがいじめるよう」
 どうしても脱線してゆく会話に辟易としたのか、直継は仕切りなおすように声を張って答える。
「どっちにしろ信じて失うものも、今のところなさそうだしな。要するに、月になんかある。連絡とれってだけだろ?」
 そりゃそうですね、とてとらもあっさりと認めた。
「うん。この手紙を信じるならば、月にいる彼女の仲間と連絡を取れば、少なくとも情報面で今より進展するはずだ。元の世界に戻るためのヒントが得られると思う」
「そうなるな」

「月、ですか。なにがあるのですかにゃ」
 それは、と口を開きかけて、シロエはアカツキを振り返った。
 アカツキも、夢から覚めるような表情でシロエを見上げた。
 どこからか、懐かしい澄んだ鐘の音にも似た響きが、シロエの耳朶によみがえった。
「うん――。月には、確かに、何かがあったんだ。あの膨大な思いで、光の渚、捧げられた誓い――。〈奈落の参道〉(アビサルシャフト)で死んだとき、見たんだ」
 遠浅の海だった。
 地球から降り注ぐ透き通った玻璃の欠片は、些細な、だがかけがえのない思い出を宿らせていた。茶色の小犬が見えた。定期券と改札口が見えた。夜闇に浮かぶコンビニの頼りない明かりが見えた。鉄橋を渡る自転車の二人乗りが見えた。
 それらがしんしんと降り注ぐ冬の海岸を、シロエとアカツキは歩いた。
 あれは夢ではなかったのだ。残っていた記憶をなぞり甦らせるように、シロエはアカツキの瞳の中を探した。
「月の砂浜は、遠くまで澄んでいて、水晶の音がした」
 つぶやいたアカツキは、びっくりしたように目を丸くした。
 そしてとてもうれしそうに何度もうなずくと、シロエの服をぎゅっと握った。たぶん意識してのことでないそのしぐさは、彼女の不思議な感動を表しているようだった。
「うん。アカツキがくるくると回って、転びそうになった」
「主君がフードをかぶせてくれたのだ」
 秘密の自慢話を聞かせるような彼女の声がシロエの中に残るあの瞬間の記憶を、より鮮明に浮かび上がらせた。
 静かな浜辺の清澄さが二人を満たした。澄み切った青い入江の浜で、アカツキと並んで波打ち際に座った。つま先を濡らした光は、何か特別なもので、二人は畏敬の念を強くした。
 〈死〉を通り抜けた二人は、その浜辺で己を振り返り、弱さを目の当たりにした。押しつぶされそうなほど巨大な後悔のなかで、小さな希望を見た。
 あそこは特別な場所なのだ。
 シロエは言葉によらない直感でそれを理解した。あの浜辺にはまだシロエたちが知らない秘密がある。ロエ2が言う「月」とはあそこのことなのだ。きっとあの浜辺へ再び行くことができれば、地球へと帰還できる。すくなくとも、そのためのきっかけを得ることができる。
「私も……。私も見た! 主君と一緒に、あのキラキラを見た!」
 シロエはアカツキに頷いた。
 そして仲間たちを、直継を、にゃん太を、てとらを見回した。
 シロエとアカツキは、確かに一度は月の地を踏んだのだ。
 だからこそこの手紙を信じることができる。
「そこで僕たちは――たぶん〈共感子〉(誓い)を捧げた。あそこにもう一度いければ……」
 この世界の秘密の一端をつかめるのだ。



  ◆13




「どしたー? 兄ちゃんたち」
「うん、トウヤ」
 大きな階段をリビングへと降りてきたミノリへトウヤが声をかけた。
 夕方から始まったシロエを中心とする年長組の会議は長引いているらしいとルンデルハウスは判断した。
「やはりまだかかるのだろう?」
「うん、そうみたい」
 生真面目な表情でミノリは答える。
 その言葉にがっかりした表情を見せたセララだったが「それなら、私が夕ご飯を用意しちゃいましょう!」と立ち上がった。
「うん、もう用意してあるらしいから、先に食べて、って」
 セララに合わせて五十鈴も立ち上がる。三人の女子は厨房へとスープを取りに行ったようだ。実際には、もう夕食の用意はほとんど終わっている。にゃん太が昼間の間に用意したので、スープを温める程度しか調理は残っていないのだ。
「どうしたのかなあ」
 頭の後ろで手を組んだトウヤはソファーに背を投げ出した。
 夕暮れをほんの少し過ぎた浅い夜だ。居心地の良いリビングはルンデルハウスの呼び出した〈マジック・トーチ〉で照らし出されている。ウィンクするその明かりに肩をすくめながら、ルンデルハウスは「なあに、我らがギルドマスターは思案者なのだ。きっと行く末について考えているのだよ」と答える。
 トウヤは優しい男だ。
 ミノリも五十鈴もセララも、もちろん優しい仲間たちだが、トウヤはその中でも少し違うとルンデルハウスは思う。
 きっと彼の中には、サフィールの町でのいろんな経験が、今でも渦巻いているのだろう。あの冒険から半月以上がたった今でもトウヤはぼんやりと宙を眺めていることがある。

 人間の心のなかには二つの部分があるのだとルンデルハウスは思う。
 ひとつは、規律であり、ルールであり、制約だ。しなければならないこと、と言い換えてもいいだろう。どうにもならないこと、でもあるかもしれない。ルンデルハウスは元々は〈大地人〉の貴族である。貴族というのはしがらみの多い生い立ちだ。多くの義務を抱えている。家の命令という皮相なものだけではなく、貴族ゆえ許されること、許されないこと。そういった事はたくさんある。
 そういった事は何も貴族の専売特許というわけではない。正しさというのもひとつの制約だ。誰が考えてもそうすべきこと。正しいこと、効率が良いこと、有利なこと――そういう判断はありふれている。
 もうひとつは、情動であり、衝動であり、動機だ。やりたいこと、と言えることだろう。義務ではなくて、感動だ。貴族であったルンデルハウスにはなかなか許されなかった部分でもあり、〈冒険者〉になった理由でもある。自分の願いに自分を添わせる権利だ。
 「優しさ」というのはなかなかに厄介で難しい。
 例えば〈緑小鬼〉(ゴブリン)に襲われている山小屋がある。放置すれば五人の家族が犠牲になる。しかし、救援するために騎士を派遣すれば、百人が住む村が無防備になる。――そんな状況があるとする。この時、騎士を派遣するのが、世人のいう「優しさ」だ。
 正しいのは見捨てるという判断である。しかし、見捨てたくはないという気持ちがある。誰の中にだってあるだろう。心の中の二つの部分が相争う。そして、正しくない判断に揺れる。貴族的な義務から見れば、それは弱さだ。唾棄すべき弱点だ。しかし、それは優しさという美徳でもあるのだろう。
 ルンデルハウスは己の身を投げ出すような無私の献身にあこがれて〈冒険者〉になった。〈冒険者〉になれば見捨てるような決断をせずに多くを救えるのではないか? そう思ったのだ。
 しかし現実は違った。
 もちろんルンデルハウスは、かつてに比べて大きな力を手に入れた。今のルンデルハウスの〈妖術師〉レベルは六十だ。かつての三倍以上である。このレベルは、〈大地人〉としては破格であり歴史に残る大魔法使いに匹敵する。ルンデルハウスの〈火刑〉(バーンドステイク)は大木でさえ焼き尽くすことができるし、〈ライトニング・ネビュラ〉はただの一撃で〈悪夢魔〉(ドリームインプ)十体を葬ることができる。
 だがだからといって、「選択」を避けえるようになったわけではなかったのだ。もちろん、ルンデルハウスの腕は力強くなった。救える人々は増えた。しかし、増えるということとすべてになるということは、全く違うことだ。ルンデルハウスは、今も選び続けているし、それがこの先もずっと続くということをやっと理解した。

 ルンデルハウスの親友トウヤは、どうもそのことを最初から知っていたようにルンデルハウスは思う。
 普通、優しさというものは献身や理不尽に対する怒り、無力感の中にあらわれるものだ。
 子供は、心の中に二つの部分があることを知らない。正しいと思われる決断と、自らが選びたい決断だ。その板挟みの中で、自らの無力を知るのだが――その二つがまだないまぜになっているのが子供は、二つの分裂した自分がいるということを知らない。自らが選びたい決断を選ばせてくれない周囲に憤るだけだ。つい先日まで子供だったルンデルハウスには自分自身のこととしてそれが分かる。
 トウヤは、その二つの区別がついている。正しさも限界も知っている。
 サフィールの町でトウヤが向かい合ったのは、断絶だ。シュンイチという〈冒険者〉の拒絶はトウヤが変えられるものではなかった。〈鋼尾翼竜〉(ワイヴァーン)の侵攻はトウヤが防げるものではなかった。もちろんルンデルハウスであっても無理だったし、ミノリや五十鈴、セララであっても無理だったろう。あそこにあったのは拒絶と断絶であって、自分たちにできることは、なにも無かったと思う。
 しかしそんなことはわかったうえで、傷つくとしても自らの魂が命じる献身の選択をとることができる。それがトウヤという友人なのだ。
 セララや五十鈴は少し違う。彼女たちは、出来ると信じていたのだ。だからこそ出来なかったという結果に本気で落ち込むこともできる。自らの弱さを克服しようと奮い立つことができる。もちろん、その信じるという気持ちは稀有な素質ではある。その無垢さを守らなければならないとも思う。
 しかし、トウヤは少し違う。彼は「おそらく言葉が届かないこと」をわかっていたはずだ。しかしそのうえで、あの虚無にとらわれた〈冒険者〉と対峙したのだ。
 ルンデルハウスが二十歳になってやっと知った「この世界には英雄と呼ばれるほどにその能力を伸ばしたとしても、救うことはおろか触れ合うことのできぬ絶望がある」ということを、トウヤは出会ったその日から知っていたのではないか。ルンデルハウスはそう思うのだ。

「……俺は帰るよ」
「そうか」
「うん」
 厨房から漏れ伝わってくる五十鈴たちの華やいだ声が小さく響く中、トウヤは唐突に呟いた。
 帰る。その言葉の意味を取り違えたりはしない。
 〈冒険者〉はいずこかにある「〈冒険者〉の国」からこのヤマトにたどり着いた漂流者なのだ。〈大災害〉によってさらわれた理不尽の被害者だといったほうが正確かもしれない。いきなり故郷から引きはがされ、右も左もわからない異郷に投げ出された囚人だ。
 ルンデルハウスは、あの町で〈オデッセイア騎士団〉の戦士が発した悲痛な叫びを聞いた。俺たちは帰りたいんだよ。竜さえも葬るはずの〈冒険者〉の叫びは、迷子の子供のように寄る辺なく響いた。
「故郷があるなら帰るのは当たり前のことさ」
 だからルンデルハウスは素直にそういうことができた。その判断は正しい。正しいことを伝えることができる強さを、ルンデルハウスは持っている。トウヤたちに囲まれて戦い、〈冒険者〉として手に入れたのだ。
 おそらくあの闇はすべての〈冒険者〉の中にある。
 ミノリも、トウヤも、セララも。ギルドの年長者たちも。
 五十鈴の中にも、あの悲嘆があるのだ。
 それは目には見えないが、心臓に突き立てられた短剣のようなものだ。〈冒険者〉の心は、今でも血を流し続けている。彼らは解放されるべきだ。ルンデルハウスはそう思った。
「きっとシロエ兄ちゃんたちは、そのことを話し合っているんだ。もう、その話をしなきゃいけない時期が来たんだ。帰れるにしろ、帰れないにしろ、はっきりと口に出さなきゃいけない時期が来たんだ」
 だから、トウヤの言葉を誇りとともに聞くことができた。
 トウヤは強い。その友人にふさわしい強さをルンデルハウスは身に着けたい。
「ごめん。ルディ兄」
「謝罪の必要がどこにある? 別離の覚悟なんてとうにできている。この世界は、そういう世界なのだ。巡り合った人々がいつまでも一緒にいられるとは限らない。だからこそ出会いが尊いのだ」
 なぜ謝るのか。ルンデルハウスは憤慨して胸をそらした。
 そんなに弱い男だと思われるのは心外だ。
「ルディ兄。俺は、この異世界に来てよかったよ。大好きな人沢山に会ったよ。走り回って騒ぐなんて言う嬉しさももう一度味わったよ」
 楽しかった。
 そういわれるのは喜びでもあり、淋しさでもあった。
 もちろん今だって超楽しいんだぜ? そうトウヤに言われて笑った。厨房からは、五十鈴の小さな歌声と、セララの料理解説が小さく聞こえてくる。トウヤはルンデルハウスの親友だ。それに男同士だ。一回も口に出したことはないが、二人は約束したことがある。誓い合ったことがあるはずだ。
 女の子たちは二人で守らなければいけない。それは、いまのルンデルハウスが分析すれば、稚気じみた誓いではある。ルンデルハウスは〈妖術師〉だから腕っぷしでいえば仲間の中で一番弱いのだ。しかし、そういうことではない。男同士の矜持の問題だ。
 彼女たちが今を楽しく思い、帰るにせよ、そうでないにせよ、心の中の二つの折り合いをつけて決断を下すまで、二人はそれを守る義務がある。だからルンデルハウスは、トウヤと協力して、今までに続くこれからを守るつもりだった。
 しかし、トウヤは「でも、望んでじゃないんだ。何の努力もしてない」と続けたのだ。
 虚を突かれたルンデルハウスはその言葉の意味を考え、理解した。
「だから、『次』は望むよ。次は望んで自分の居場所を作るよ。それをシロエ兄ちゃんから教わった。だから、もし帰っても終わりじゃない」
「わかった」
 ルンデルハウスは真剣な表情のトウヤにうなずいた。
 トウヤはルンデルハウスが思った通り優しい男だった。
 そしてルンデルハウスが思った以上に意地っ張りで、気宇壮大だった。
 この世界に望んで来たわけじゃない――。あの〈冒険者〉はそう叫んだ。それはすべての〈冒険者〉の叫びでもあった。その残酷に抗議の雄たけびを上げたのだ。それは正当な権利だと、ルンデルハウスは思う。
 しかしトウヤは、それを認めて、認めたうえで「あれは理不尽な強制だった。だから一度帰って、今度は望んで来る」と言ったのだ。
 不可能事だろう。戻るあてさえもないのだ。
 アキバの街では年齢よりもレベルと行動が重視されるとはいっても、それでもトウヤの年ごろの発言として、一笑に付され取り合ってもらえないだろう。ルンデルハウスが言ったところでおなじだ。いいや、あるいは、シロエほどの大物が言ったとしても夢物語として流されてしまうかもしれない。
 しかし、ルンデルハウスはトウヤという友人を知っている。冗談で言ったわけではない。それは誓約だ。
 ならば、ルンデルハウスもそれを信じてやらなければならない。
 何ができるかはわからないが、手伝ってやらなければならないだろう。
 ほんの少しだけ、五十鈴のことを思い浮かべた。きっと無茶をするなと怒られるだろう。殴られると非常に痛いのだ。彼女はもうすこし自分を立ててくれないだろうか? と愚痴に近い思いが胸をかすめる。
 しかし男同士の約束というのは重いものだ。トウヤの願いが正しいかどうかは、まだよくわからない。しかし、ルンデルハウスがそれに協力したいという気持ちは、すでに本物だ。
「まだあてがあるわけじゃないだろう?」
「うん、それはそうだけどさ」
「じゃあ、今は夕食だ。マスター・シロエたちだって、何かを考え付いてるかもしれない」
「そーいえばそーだよな。すっごく難しい願いだし。まだ時間あるよな」
 ルンデルハウスはその通りだと頷いた。
 きれいにカットしたフルーツを持ったセララがリビングに入ってきて、食器が並べられる。ルンデルハウスたちは、今日も最高においしい、にゃん太特製ジャガイモのスープに舌鼓をうつのだった。
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