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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

カナミ;ゴー・イースト

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◆22


 夜明けの光が、レオナルドを照らしていた。
 平板な光の中で荒野はやけに白けて見えた。
 カナミ達三人は峡谷へと向かった。
 春翠(チュンルウ)とジュウハはセケックの村へ急を知らせると言い、やはりこれもまた夜明けを待たずに旅立った。
 レオナルドは石を飲んだような思いを抱えて、アオルソイの荒野に独り座っていた。やがて藍色の暁は過ぎて地平線から太陽が顔を出したが、今日に限ってそれはさほど輝かしくも温かくも感じられなかった。
 満遍なく世界を照らし出す光は、万物をかえって偽物のように見せるだけだった。
 その光溢れる世界で、レオナルドは考え続けていた。
 いまでもカナミの方針にはまったく賛成できない。理解できないからなおさらだ。一万を超える軍勢に立ち向かっていったい何が得られるのか、さっぱり判らない。
 何を見ているのかも判らない。

 〈大地人〉は〈大地人〉だ。人間ではない。
 その理屈が判らないのだろうか。彼らは人間ではないのだ。その反響のような問いが心の中に浮かび上がる度にレオナルドは必至で振り切り、自分は正しいと思い込もうとした。
「よいしょ」
「え?」
 振りかえると、そこにはKR(ケイアール)がいた。美しい白馬に似た優美な姿の四肢を折り、まるで巨大な犬科の生物のように大地に腹ばいになってくつろいでいる。
「KR……。行ったんじゃないのか?」
「なんでさ?」
「だって、KRは……カナミの昔からの仲間なんだろう?」
「そりゃそうだけど。……まあ気になることもあるしね」
 KRが目を細めたまま、大気の温度を味わうかのようにのんびりと告げた。
 カナミ達に同意することは出来ない。
 無為に命を捨てる愚行なんて付き合うことは出来ない、しかしでは独りで東への旅を続けられるかと言えば、そこまで割り切れもしない。レオナルドのそんな迷いを見透かすように、KRはその聡明な瞳をちらりとレオナルドに向けた。
「どーするんだ? これから」
「どうって……」
 案の定投げられた質問に、レオナルドは答えることが出来ない。
 それがわかるくらいなら、コッペリアにもう少し何か声を掛けてあげる事ができただろうと思う。

 ――資金回収bot。
 コッペリアはそう言った。
 そもそもbotとはなんなのか? 〈エルダー・テイル〉の祖先、MMOスタイルのネットゲームの歴史は一九七〇年代にまでさかのぼる。当初は貧弱な通信回線とコンピューターの性能、その設備価格からくる薄いユーザー層のせいマイナーな趣味であったこのジャンルは、インターネットの隆盛によって大きな発展を遂げた。
 一九九〇年代に入ると、いまのMMOの基礎を作る野心的なタイトルが発売され、二〇〇〇年代にかけて多くのファンを得るに至る。
 MMOの特徴は、ゲーム世界内で数多くのユーザー同士が交流を持てることだ。そこでは、あるアイテムの持ち主がそれを望むほかのプレイヤーにそのアイテムを譲る、もしくは売ると行った交流が日常的に行なわれている。
 アイテムを売る場合、当初は開発者の想定通り、ゲーム内の貨幣やアイテム同士の物々交換が行なわれていた。しかしMMO人気が過熱すると共に、希少度の高いアイテムや、ゲーム内の通貨を現実世界の金で買いたいというプレイヤーが登場してきたのだ。
 それが実在のものであれ架空のものであれ、需要さえあればそこには値付けがうまれ、やがて市場となる。MMO内部の動産が、現実世界での金銭価値を持ちうるという情報は、速いペースでネット界隈の新しい認識となった。
 多くのまだ年若いプレイヤーが考えていたよりも、ゲーム内部での資産は現実世界でも価値を有していたのだ。
 二〇〇〇年代初頭、当時の人気MMOにおける経済活動の規模が、現実の貨幣に換算した場合現実世界の小国のGDPより大きいという発表がなされたことにより、この傾向は世界的な認識となった。ゲーム世界内は現実世界となかば独立してはいるが、プレイヤーという存在の欲望を通して現実世界とリンクしている以上、完全に自由でいることは出来ない。
 こうしてゲーム内の通貨やアイテムが、実際の金銭で売り買いされるという光景は日常的なものとなった。
 もちろんこの習慣は、正常なゲーム体験を歪めると非難され、少なくない割合のネットゲーム運営会社が摘発を続けた。しかし求める者とそれで利を得たい者がいる以上摘発はいたちごっこであり、完全に防ぐことは不可能であった。
 Botとは、こうした時代背景の中で考案されたプログラムの一種である。それはMMOのキャラクターをプレイヤー無しでも動かすための、一種の自動化された人工知能的なプログラムだ。
 もちろんプレイヤーが行なうような複雑な行動は行えないが、プログラミングされた単純な行動を長時間続けることが出来る。例えば人間には体力的にも精神力的にも不可能な、二十四時間同じ狩り場で金銭とアイテムを集め続けるといったプレイが可能なのがBotの特徴だ。
 こうしたBotを個人的に使用するプレイヤーも居ない訳ではないが、大多数は業者に使用されていた。
 中国や東南アジアを中心としたアングラな社会が、表世界との接点にするためにBotを使用して多数のMMO世界内のアイテムや通貨を稼いでいるのだ。なにせMMO内部には税金も刑事捜査の手も及ばない。足の付かない資金を集めたり、アングラマネーを日の当たる資金に変換するためには恰好の舞台だったのだ、
 こうしたBotは狩り場やゲーム環境を荒らすために、真面目なMMO愛好家には忌み嫌われることとなった。

 中国に本拠地を置く資金洗浄グループが設置したMMO内資金回収bot。コッペリアの言葉はそういう意味だ。
 コッペリアのどこか機械的な対応も、盲目的なまでに繰り返してきた狩りも、おそらくはカナミに対する無条件の服従も、彼女がBotだったとすれば説明が付く。
 なんてことはない。
 彼女も〈大地人〉と同じ機械人形だったのだ。
「KRこそ、行かないで良いのかよ」
「構わないさ」
「そう、なのか?」
「カナミは――あれは自分の好きにするだろ? それで彼女が死ぬとしたところで、後悔なんてしないさ。脳みそが晴れやかなんだよなあ、あれはさあ。本当にはた迷惑な女だなあ」
「なんであんなに無謀なんだ、あの馬鹿」
「無謀とは違うさ」
「――?」
 のんびりとしたKRの言葉はいつも優しげだった。
「あれは……全力なんだな。全てを全力で受け止めているってことだ。あれはさ。それが大事なんだ。切なくなるね。カナミにはギアやブレーキという概念がないんだよ。そう言うやつなんだ」
「つまり、バカじゃないか」
「バカじゃないなんていってないさ」
 だが、そういって鼻を鳴らしたKRは満足そうだった。
「勝てる、のかな」
「悪くない線までいくだろ。あの娘さんのほうが不安があると思うぞ。カナミはあれでもレイド経験が豊富だし」
「……」
「何か言われたのか?」

 あの時。
 手首を掴まれたコッペリアは、レオナルドに自分がBotであると告白した。言葉さえも凍り付いたレオナルドに彼女は透明な声で囁いた。
 ――コッペリアはあの村で十八人の〈大地人〉に治療を行ないました。四十九人に祝福を行ないました。それが何かしらの効果をもたらしたかどうか、コッペリアには判りませんでした。コッペリアはこれらの行為に対して、三百十九回ありがとうと言われました。
 だから、とはコッペリアは言わなかった。
 ただきびすを返してカナミの後を追った。
 そんな事は判っている。棘だらけの塊がレオナルドの胸の中にあった。ちくちくと鬱陶しいこの感覚。イライラさせて胸を重くして責め立てられるような、急かされるようなこの感覚。
 平板な朝の光に照らされたこのアオルソイの美しい荒野を、陳腐なテクスチャの塊に腐らせてゆくこの感覚、それをレオナルドは知っていた。
 あのセケックの村のいけ好かない、可愛げの欠片もない、自分勝手で、生意気盛りで、こちらのことなんてちっとも斟酌しない、小さなガキどもが与えてきたのと同じ感覚だ。
 あのむず痒いような暖かさが反転してレオナルドの胸の中で吹きすさんでいるのだ。
 判っている。
 本当はずっと判っていた。
 レオナルドが誰よりも愛した、パートワーカーのギーグではない不屈のニンジャ・ヒーローは、こんな時にどうするか? そんな事は最初から判っていたのだった。なぜなら彼は誰よりもヒーローに憧れていたからだ。考えるまでもなく自明のことだった。
 世界でもっともクールな『彼』ならばどうするか?
 こんな事態でただ指をくわえては居ないだろう。
 相手が機械だろうがbotだろうが躊躇いはしないだろう。
 自分の臆病を相手の価値のせいなんかにはしないだろう。
 レオナルドが助けたいと思ったのならば、それは助ける価値があるものなのだ。人間だろうが犬猫だろうがBotだろうが関係ない。
 むしろそれがなんだというのだ。
 AIのために命を掛ける馬鹿がひとりくらい増えたって良いではないか。レオナルドは、ギーグでヒーローなのだ。
「行く」
 立ち上がったレオナルドにKRは喉の奥で笑い声を漏らした。
「なんだよ。文句があるのか。ふんっ。笑いたければ笑うがいいさ。僕が行ったって何も変わらないかもしれないけれど、黙って殴られるつもりはないぜ。僕にだって新しい力がある」
「笑いはしないさ。インティクスじゃあるまいし」
 KRは白馬の身体で立ち上がると、首を長々と伸ばして一声いなないた。その声は長々と響き、いななきは鳥の囀りのような音声へやがて高密度の詠唱へと代わり――辺りを白光が満たした。
「盛り上がってきたな。大詰めか? 大詰めだよな」
 レオナルドがその輝きの中で薄目を再び開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。
 総髪を後ろで束ねたやせぎすの青年は、エルフのようだった。病人のように白い顔に、面白がるような笑みをはりつけている。特徴的なのはその装備で、裾がぼろぼろになった、それでも豪華なマントの下はジャージだ。そのうえ両手に一本ずつの杖を持っている。魔法使いの装備として杖は珍しいものではないが、その二刀流は珍しかった。
「もしかして……KRなのか?」
「そうだけど?」
「――本当に人間だったのか」
「なんだと思ってたんだ俺のことを」
 ふんと鼻を鳴らした青年は、杖を器用に地面に突き立てると自由になった腕を回し、大きく背伸びをした。小気味よいほどの音が洩れるところをみると、どうやら長い間身体を小さく屈めていたらしい。
「どうやって、なにをしたんだ?」
〈入れ替え転移〉(キャスリング)だ。……従者召喚した召喚生物と、術者の場所を入れ替える、緊急回避呪文の、ほら」
「あれかよ!?」
「いま日本からこのサーバーに転移した」
 レオナルドはあっけにとられた。
 サーバを越えて呪文が機能することにも驚いたが、むしろ大きかったのは召喚術の応用範囲の広さだった。
「よーしよし。盛り上がってきたね。俺も付き合う」
「なんでっ」
「いや、面白いだろ?」
「疑問形で聞くなよ」
「じゃあ断言してやる。面白いぜ。カナミが本気を出す。バカ爆発だ。吹き荒れるバカだ。そのうえレオナルドが本気を出すんだろ。そうしたらこっちだって大放出だぜ」
 ああ、こいつもバカなのだとレオナルドは思う。
「憑依中じゃ魔法もろくに使えないんだよなあ。生身でライブを体験するためには、やっぱり人間ボディっしょ。んっ、ほっ」
 それにしたって、こんなにあっさりと、安全なはずのヤマトから保険もなく異郷へ来るだなんて。サンダル履きのKRはにやにや笑いを浮かべている。
「――俺だって」
 そのKRが突き立てた杖を中心に、巨大な光の魔法陣が広がり、立体的に回転を始める。
「そのマスクには覚えがあるさ。好きだったからね」
 照れくさそうな笑みを漏らす間も、風を切るような音と魔法陣の共鳴は続く。
「こっちだって自慢たれたいわけさ。ヒーローが『新しい力』をみせるなら、こっちだってお披露目をしない訳にはいかないだろう?」
 空中に描かれる輝く線は複雑に絡み合い、輪郭線は見る間に複雑に編まれた針金細工を経て生き生きとした姿を描き出す。
「召喚……?」
「目覚めよ紅き竜よ。契約の淑やかる覇者、ガーネットの眠りから覚めて空を舞えっ!」
 呼び出された真紅の竜は、慌てるレオナルドを咥えあげると、その優美な首筋にのせた。いつの間にかその後ろに収まっているKRが鋭く指笛を鳴らすと、一瞬後にはその姿ごと上空へと駆け上る。

 まるでアオルソイの大気に溶け込むように、二人を乗せたドラゴンは高く高く羽ばたくのだった。


◆23



 しかしこの時点で、レオナルドはもちろんのこと、付近に詳しいはずの春翠(チュンルウ)KR(ケイアール)でさえ見落としていることがあった。
 セケックの村がこの付近唯一の村ではなく、当然ながら遺跡方面にも〈大地人〉の村は存在する、ということである。
 この異世界における村が、レオナルドの考えるとおり自動化されたプログラム処理においてランダム配置されているのならば、その配置は一定の均等さを持つ。セケックの村のように小さな独立した村は荒れ果てたこのアオルソイに数多く点在している。
 この時点で事件はすでに多くの被害を出していたのだ。
 〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉から触手のように這い出した、幾つもの〈灰斑犬鬼〉(ノール)部隊は、まるでテーブルの上にこぼしたワインのように周辺部へ周辺部へと広がりながら幾つもの村落を呑み込んでいった。
 その動きにはまるで統制の意志が見られなかった。
 無目的でいい加減で無責任で放埒。
 ――だからこそその動きは恐ろしかった。もし仮に〈灰斑犬鬼〉たちに指導者や指揮者がいるとするのならば、その存在は現在の状況を『どうでも良い』と思っているに違いないからだ。
 数千の〈灰斑犬鬼〉の侵攻など勝とうと負けようと、気にしない。
 その過程で〈大地人〉がどれだけ死のうと、悲嘆に暮れようとそんなことには興味がない。
 侵攻の背後に見える意志は、そのことを雄弁に語っているようであった。
「うぉぉおっ!!」
 だからこそ、エリアスは吠えた。
 〈古来種〉である彼にとってそれはまさに許し難い悪であった。
 エリアスは、妖精族に育てられた〈古来種〉である。
 〈古来種〉とは〈大地人〉に生まれる突然変異であって、その出自は様々だ。多くの場合〈大地人〉の家系から偶然生まれるが、生い立ちに特殊な背景を持つものも少なくはない。
 だが一般的な〈大地人〉家庭に生まれ落ちようと、エリアスのように孤児として生を受けようと人生のある一点で、〈古来種〉は〈大地人〉と袂を分かつ。
 その強大な戦闘能力が、彼らを〈大地人〉社会で生きることを困難にさせるのだ。多くの〈古来種〉は十代でその才能を顕わし、二十になる前に〈古来種〉のコミュニティに迎えられる。幸せのうちに〈古来種〉としての自覚を得るものもあるが悲しみと苦しみの中でその自覚を得るものも多い。
 〈古来種〉に共通する一種の諦観として、自分たちは〈大地人〉とは、根っこをひとつにはしていてもやはり別の存在なのだという孤立感がある。彼らの戦闘能力や〈大地人〉社会での扱い――尊敬はされつつも『異人』であるという扱いが、彼らにその感覚を与えるのだろう。
 妖精族に育まれた〈忌み子〉であるエリアスにはことさらその孤独がついて回っていた。
 だから、エリアスは〈大地人〉同士の戦いには介入しない。それは〈古来種〉全体がそうだ。卓越した戦闘能力を持つ彼らは、その盟約により〈大地人〉同士の戦争や政治闘争には一切関わらないのだ。彼らから見れば〈大地人〉は平民から王族まで、全ての存在が虚弱である。その争いに荷担した所でなんの意味もない。
 彼らにとって「〈大地人〉を殺す〈大地人〉」は悪ではないのだ。
 それはただの「愚かさ」だ。
 虚弱で短命で弱虫な〈大地人〉は、その愚かさゆえに同族同士で争い死んでゆく。それがエリアスを初めとした〈古来種〉の一般的な見解であった。
 〈古来種〉にとっての〈大地人〉は、守らなければならない、愚かな子供のようなものだった。遠くから眺める限りにおいて愛しい気持ちもあれば加護欲もあるが、近づけば警戒され冷たい隔意をもって遇される。そんな存在だ。
 もちろん、中には高潔で肩入れに値する〈大地人〉もいる。無垢であり、義に生きる〈大地人〉もいる。そんな〈大地人〉を助けるにやぶさかではないが、それとは別にして〈大地人〉同士の権力闘争に力を貸すなどということは、エリアスにとってあり得ないことであった。
 彼らは〈大地人〉という種族の守護者であって、固有の〈大地人〉の守護者ではない。

「せやぁぁぁ! 清き水の精霊よ、その姿を千丈の刃と変えて、輝けっ! アクアサウザンドレインッ!!」
 エリアスの咆吼は、そのまま水晶の千槍となり、立ちはだかる〈灰斑犬鬼〉を吹き飛ばす。
 だがエリアスの嗅覚は、今回の事件に初めて感じる「悪」をかぎ取っていた。
 モンスターに見られる生存闘争でも捕食ではない、かといって〈大地人〉権力者が時に行なう領土戦争のような、欲望に基づくものでもない――エリアスが初めて接する無作為の悪を感じ取ったのだ。
 「滅ぼしたい」、「奪いたい」から「殺す」。
 そういった慣れ親しんだ殺意ではない。
 「どうでもいいから殺す」。
――その気持ち悪さい肌触りは〈古来種〉エリアスを戦慄させた。
 だからこそ彼は己の能力を完全に解放して戦っていた。
 妖精の呪いを受けた彼は、たとえモンスターが相手であってもとどめを刺すということができない。彼の攻撃は相手のHPをゼロにすることができないのだ。
 しかしそのエリアスの弱点を補うかのように、カナミが地を駆けていた。
 猫科の獣じみた滑らかな動きで敵中に飛び込んだカナミは、左右の拳をそれぞれ違う敵に対して突き出した。〈デュアル・フィスト〉から〈ワイルドキャット・スタンス〉につなぎ、連続攻撃を仕掛ける。
 エリアスが広域攻撃剣技でその体力を削った敵を選んで、カナミは確実に攻撃を加えてゆく。〈武闘家〉(モンク)は本来、戦士職である。その役目は敵の攻撃を己に引きつけることにあるのだが、カナミはその役割を放棄していた。
 もとより応用範囲の広い能力を持っている〈武闘家〉は〈構え〉(スタンス)により、自らの性能を大きく変更することができる。防御に優れた〈アイアンリノ・スタンス〉や攻撃力に優れる〈タイガー・スタンス〉等を駆使して、状況に合わせて戦術変更が可能なのが〈武闘家〉の強みだ。
 カナミの選んだ〈ワイルドキャット・スタンス〉は移動性能と連撃性能を強化する構えだった。地をはうような低姿勢から水面蹴りや両手を用いた拳撃をくりだしては、HPの低下した敵にとどめを刺してゆく。

 エリアスとカナミは、互いに競うように前へ前へと進んでいた。幸いここは峡谷である。谷底には水量豊富な川が流れ、その川縁は左右の幅がおおよそ十メートルほど。そこに密集した〈灰斑犬鬼〉が次々と押し寄せてくる。
 エリアスもカナミも、あとのことなど考えずに突き進んでいた。
 そしてその二人からさほど離れず、時には強引に前突き進む姿はコッペリアのものだった。
 コッペリアは〈施療神官〉(クレリック)である。
 回復職であり攻撃性能は低い。しかし〈施療神官〉は重装鎧を着けることが可能な回復職であり、装備面での防御力は、十二職中〈守護戦士〉に次ぐ。
 コッペリアが現在付けているものもメイド服をイメージさせる板金鎧であった。しかも、普段付けているそれより重装甲でありスカート部分は鋼のプレートの連なりで強化されている。肩のパフスリーブさえもが魔力で鍛えられた金属で裏打ちにレースが飾り付けられているのが特徴だ。
 今日のコッペリアは普段とは違い、左右の手にそれぞれ大型のカイトシールドを装備していた。〈ダブルシールド・スタイル〉と呼ばれるその戦闘ビルドは、〈施療神官〉のなかでも最硬を誇る。
 彼女はその移動速度はたいしたことがなかったが、その身体に付けた装備の重量を活かして、〈灰斑犬鬼〉を押し薙いでゆく。
 左右のシールドをまるで壁のように扱い、身を守ると同時に犬の頭を持つモンスターをまるでパンの生地のようにまとめてゆくのだ。そして、圧縮された〈灰斑犬鬼〉を待つ運命は、エリアスの範囲攻撃とカナミの連続攻撃だった。

 三人のコンビネーションは機能的で〈灰斑犬鬼〉はみるみるその数を減らしていた。その理由のひとつには、コッペリアが前線参加をしていることが上げられるだろう。
 エリアスの目からははっきりとは判らないが、コッペリアが接近し手を触れた〈灰斑犬鬼〉からは、明らかに凶猛なエネルギーが霧散している。もちろんそれだけで敵が倒れる訳ではない。しかし、コッペリアが参加しているお陰で普通の戦い(、、、、、)の範疇に収まっているのだ。
 だが一方で、それは回復職に過ぎないコッペリアに、白兵戦闘距離での立ち回りを要求し続けているということでもあった。プレートメイルとふたつのシールドを活用しているコッペリアだが、基本性能や特技が肉弾戦に向いている訳ではない。ダメージは回復できてもMPが切れたときには戦線が崩壊する恐れがある。
 そんな状況に、エリアスは少しずつ焦りを深めていった。
 戦況は決して悪くはない。
 むしろたいしたダメージも受けずに優勢に進めている。
 しかしそれは三人が全力を出し切るバランスの上に成立しているのだ。その証拠に、張り詰めた糸のような精神が、ほんの少しバランスを崩した隙にエリアスの横を駆け抜けた〈灰斑犬鬼〉が背中を見せていたコッペリアに襲いかかった。

 素早く反応したカナミが〈ワイバーン・キック〉でその〈灰斑犬鬼〉を蹴り抜くが、ほつれた戦線を修復するためにやはり相応のMPを消費してしまう。
「消えろっ! 消えろっ! 消え失せろっ! アクアストリーム・ハリケーンッ!!」
 エリアスは〈古来種〉の仲間が消えたあの日のことを思い出す。
 彼の仲間、全界十三騎士団が崩壊した日のことを。〈月蝕〉(ハウリングムーン)は一瞬のことだが同時に長い眠りをも伴った。
 彼の仲間の半数は旅立ち、もう半数はおそらく眠りから覚めることはない。〈死の言葉〉が〈古来種〉を滅ぼしたのだ。
 消失の深い眠りから、彼を救い出してくれたのはカナミだった。カナミの輝きが彼を温め、その光が彼の足下を照らし、その指先が彼の進む道を指し示してくれた。
 だが彼は依然としてエリアスだ。
 エリアス=ハックブレード。全界の守護者。最強の〈古来種〉。
 この世界を救うため。
 〈大地人〉と〈古来種〉と魂の全てを守るため。
 エリアスは全身を以て〈灰斑犬鬼〉の群れに切り込んだ。


◆24


 耳をちぎりそうな風の中でレオナルドは叫び声を上げた。
 過ぎてゆく空気は、もはや剛性さえ備えていて、そうとでもしなければKR(ケイアール)と会話することさえ出来ない。
「おいっ!」
「なんだ、レオナルドっ」
「どこへ向かってるんだよっ。峡谷はすぐそこだろっ」
「どうせだから、その遺跡とやらを偵察しておこーかと思ってさ」
 紅竜の背中はさほど広くない。
 体長は十五メートルを超えているだろうが、その三分の二は優美で長い首とほっそりした尾にしめられている。定位置らしき場所にきちんとまたがったKRにくらべて、レオナルドは首筋にしがみついているようなありさまだ。

 だが初めて空を飛んだレオナルドは、眼下を高速で過ぎてゆくアオルソイの大地にすっかり魅了されていた。荒野も、風も、光も、何もかもがレオナルドを通りすぎていく、その速度に魅せられていた。
 暴力的な圧力をともなった空気という膜の中を突破してゆく原始的な快感がそこには存在した。
 ほんの十分ほどで、地平線に黒々とした尖塔が見えてくる。
 レオナルドとKRは一瞬でそれが問題の遺跡〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉だということを察した。
 ひとつには、周囲に何もないような荒れ地に突如として突き立った奇怪な建造物だったこと。そしてもうひとつの理由は、その建造物の根本から飛び立った漆黒の竜がその建造物を強力な尾のひと薙ぎでへし折ったせいだ。
「ちょっと待てよっ!! おいっ!」
「おお、すごいな、あれ。あれもしかしてレイドエネミーか?」
「なに呑気なこと言ってんだよ!?」
二十四人規模(フルレイド)四十八人規模(ダブルレイド)ランクってとこか?」
 それはまるで縮尺が狂ったかのような光景だった。
 KRがドラゴンを召喚したとき、レオナルドはこれで勝利できる! だなどと思ったわけだが、それは真紅のドラゴンの格好良さに目がくらんでいただけだということがはるか彼方で行なわれた破壊を見ただけで判明した。
 同じドラゴンとはいうものの、彼方の黒竜と二人がまたがる紅竜の間には圧倒的な差があった。そもそもサイズからして違う。距離が離れているから正確な比較はできないが、あの竜のサイズは紅竜より優に二回りは大きいのだ。
「どうするんだ、あんなのっ!?」
「レオナルドが披露したいというほら、何だ。ヒーローの新パワーで」
「バカ言うなっ! 大規模戦闘ランクモンスターなんだぞっ!? どうやって二人で倒せるんだよ。それともこのドラゴンはナリは小さくても、HONDAみたいに高性能なのか?」
「ガーたんは従者(ミニオン)ランクだぜ」
「つまり?」
「かわいいってことさ」
 ダメだ。レオナルドはギュッと両目をつむった。
 〈エルダー・テイル〉において、モンスターの強さを表す軸はふたつある。ひとつは、レベルだ。これは〈冒険者〉のそれと同じで、モンスターによって固有の数値をもっている。
 もうひとつはランクと呼ばれるもので、そのモンスターの強さが何人で戦うのが相応しいかを表している。
 一般的なモンスターのランクは〈ノーマル〉だ。
 これは同レベルの〈冒険者〉と一対一で戦うのが相応しいとされるランクである。たとえば、九〇レベルのレオナルドは同レベルの〈ノーマル〉ランクモンスターと戦うのが相応しい。
 もちろん、同じ九〇レベルの〈冒険者〉とはいえ、装備や特技の熟練によってその強さには幅がある。あるレベルの〈ノーマル〉ランクモンスターは、同じレベルの中堅〈冒険者〉ならまず問題無く勝てるように設計されている。レオナルドのような熟練〈冒険者〉にとっては、数レベル上の〈ノーマル〉ランクモンスターを狩ることはさして難しいことではない。
 次によく見かけるのが〈パーティー〉と呼ばれるランクだ。これは×2や×4等に分かれていて、最大で×6までが存在する。〈パーティー×3〉といえば、同レベルの〈冒険者〉三人と互角の戦いができるという意味だ。これらの敵は主にダンジョンなどでパーティーを組んだ〈冒険者〉が相手取ることになる。レベルが同じでも〈ノーマル〉ランクのモンスターとの間にはHPや攻撃力に差があるのが特徴だ。
 さらにその上に存在するのが〈レイド〉ランクだ。〈レイド〉ランクのモンスターは討伐にそのモンスターと同レベルの大規模部隊を必要とする。×1では二十四人(フルレイド)。最高ランクである×4にいたっては九十六人(レギオンレイド)が必要だ。
 このランクのモンスターとなると高難易度クエストや、メガダンジョンの奥底等に潜んでいるため、出会うことそのものが難しい。
 また一方〈ノーマル〉より弱いランクも存在する。
 それが〈ミニオン〉と呼ばれるランクだ。このランクの存在は主に〈召喚術師〉(サモナー)の従者召喚で呼び出されるモンスターに見られる。もし仮に〈召喚術師〉が、自分と同レベルの〈ノーマル〉ランクモンスターを召喚できるとするならば、同レベルの他の〈冒険者〉に比べて二倍の戦力を保有することになる。それはゲームバランス上好ましくない事態だ。
 そこで〈ミニオン〉と呼ばれるランクが作られた。〈ミニオン〉ランクのモンスターは〈ノーマル〉ランクのモンスターの三分の一の強さをもっている。〈召喚術師〉は同レベルの他の職業に比べて、三分の二程度の能力しか持っていないので、従者召喚をして初めてバランスが取れる――というのがゲームとしての〈エルダー・テイル〉のデザインラインだ。
 二人を乗せた紅の竜は、その〈ミニオン〉ランクだという。
「つまり弱いんじゃないか!」
「あんなこと言ってるぜ、ガーたん」
「何で他人事なんだよ、まったくおまっ――あああああ」
 二人がくだらない言い合いをしている間も、彼らの騎竜はアオルソイの大空に弧を描いて飛びどんどんと〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉に近づいていたのだ。そして当然黒竜と、その背に乗るふたつの影に発見されることとなった。漆黒の竜はその翼で大きく羽ばたくと、口にくわえた数匹の〈灰斑犬鬼〉(ノール)を大地に吐き捨てる。その羽ばたきの風圧に逃げ惑う地上の犬鬼達には目もくれず、たった一呼吸のうちに、レオナルド達に肉薄してきた。
「ちょっと!」
「舌を噛むぞっ」
 レオナルドの天地が反転する。
 彼らを乗せた紅い竜は、ガーネット色に輝く翼をぴったり畳んで、その身体をひとつの短剣のようにした。回転しながらも急速に大地に近づくその速度は、落下よりも早く、まさに大地に向かって撃たれた銃弾のようだ。
 その速度は結果的には彼らを救う。
 雷鳴。
 先ほどまでレオナルド達が占めていた空間を吹きすぎていったのは、稲妻で帯電した漆黒の煙だったのだ。ドラゴンに分類される強大な力を持つモンスター。その伝説の攻撃といわれる〈竜の吐息〉(ドラゴンブレス)
 レオナルドも熟練プレイヤーとして、その攻撃は何度も見たことがあったが、それは所詮ワイド液晶モニタの良くできたCGでしかなかった。
 子どもは、そのクレヨンでもって車だの飛行機だのをよく描くが、そのイラストを見たって、車に激突されたり飛行機が墜落したりする恐怖は味わえない。レオナルドは、そのことが心底よくわかったのだ。
 三メートルも離れていない空間を雷光と黒煙が駆け抜け、空気が引きつるようなわななきと、焦げ臭いイオン臭を感じる。レオナルドは過去のゲーム体験なんて嘘っぱちだと思った。おいおいおいおい。今空気が分解されたぞ。雷の轟音がそのせいだとは知っていたが、鼻先でそれを実感できるとは思わなかった。
 OK、認めよう。
 ここはゲームの世界かもしれないが、一時的にその意見は引っ込める。
 あの雷に当たったらそういう哲学的な疑問も蒸発してしまいそうだ。
(ニューヨークのギーグは知らないことが沢山だ! マイガッ!)
 二人を乗せた紅竜はきりもみ状に落下したが、大地に近づいたところでその翼を一杯に広げ、風を叩きつけた。揚力が最大になるように滑空し、丘の斜面に発生する空気の層を利用して、カタパルトで発射されたかのように再び空に躍り出る。
「なんだよ、あれっ!?」
「黒い竜だからブラックドラゴンだろ?」
「じゃなくて、あの背中の二人だよっ!!」
 レオナルドの優れた視力は、きりもみ状に落下しながらも、その二人の姿を瞳に焼き付けていた。フードをかぶった魔道士のような痩身の影と、ビスクドールのように華奢な金髪の少女。
「あんな所に居るのを見ると、正義の味方じゃなさそうだ」
「悪役だってのは見ただけで分かった」
「察するに、この事件の黒幕じゃないか?」
 レオナルドとKRが怒鳴り声で会話をする間にも、何条もの電光が二人をかすめ飛ぶ。電光の軌道は直線的だが遠距離まで届き、まとわりつく黒煙のガスは中距離までしか届かないが、広がりがあって回避しづらいという特性があるようだった。
 紅竜は黒竜に比べて小さいが小回りが利き、今のところ乗り手のことなど最初から考えてないアクロバティックな軌道で回避に成功している。しかしとはいえ紅竜は九十レベルの〈ミニオン〉ランクなのだ。
 八十五レベルで格下とはいえ、〈レイド〉ランクの黒竜の攻撃を喰らえば、おそらく一撃で絶命してしまう。
 それは紅竜にも判っているのだろう。あるいはレオナルドには判らない方法でKRが指示を与えたのかも知れない。雷光を何度か避けるうちに、紅竜は大きく回り込んで黒竜の上空背後を取った。
 強大な威力と攻撃範囲を持つ〈竜の吐息〉にも欠点はある。
 それは、竜の口から放射される特徴からして、自ずとその攻撃方向は限定されるということだ。ましてや黒竜は飛行中である。迂闊にその長い首を曲げれば旋回してしまうことになる。大地の上で砲台のように構えて居るならばともかく、背後への攻撃は身体の構造上不可能なのだ。
「よっしゃ、良い位置だっ」
「加速性能はこちらの方が高いみたいだな」
「せっかく後ろ取ったんだ。ブレスで攻撃してくれっ!」
「ブレスはないよ」
「は!?」
「ガーたんに〈竜の吐息〉は無いんだよっ。〈ミニオン〉だっていっただろ」
「なんだよ、この役立たずっ!」
 紅竜はレオナルドの罵倒に反論するかのようにビリビリとした鳴き声を放つ。レオナルドは突然の咆吼を、その首筋にしがみついてやり過ごすしか術を持たなかった。
「そんなに言うなら君が攻撃すればいいじゃん」
「バカいうな、こんな空中でっ」
「為せば成るさ、いえすういきゃん」
「古いんだよっ。あおっと!」
 レオナルドは首をすくめて、下水のような匂いのする触手を回避した。
 黒竜ではない。
 黒竜は紅の竜を自らの死角から追い出そうと、上下左右へと羽ばたきくねっている。しかし、小型で優美な紅竜はよくできたトレースマクロのように、その背後上方を維持したままぴったりと追跡しているのだ。
 その攻撃は、黒竜の背に乗ったフードの人影が操ったものだった。
 そのフードの影は竜の背中の上で立ったまま、片手をレオナルドに差し上げたのだ。いくら黒竜の背が広いといったところで非常識なその姿勢に、KRが珍しく毒づく。その男の指先からほとばしる糸は、明らかに酸の焦げる匂いをもってレオナルド達を付け狙ってきた。
「切り落としてくれっ」
 KRにいわれるまでもなかった。
 糸が駄目だとわかると、むき出しになった動物の内臓のように形状を変えた触手が、紅竜を狙って伸ばされてくる。黒竜と紅竜の距離は十メートル。奴らの狙いは明白だ。
 攻撃でダメージを与えられれば良し、もし仮に与えられない場合でも、その触手の攻撃を嫌って距離を取れば黒竜のブレス攻撃に切り替えるつもりなのだろう。
「ふざけるなっ!」
 レオナルドはニンジャ・ツインフレイムを抜き放ち、触手の先端を切り伏せる。追加効果が発動し炎の軌跡が描かれると共に、触手が焼け落ちて後方に流れてゆく。
 右に、左に。竜の首にまたがったレオナルドは、次々に伸ばされてくる触手を叩き斬る。幸いにして触手の耐久度は低いようだった。一太刀で千切れ飛ぶ。しかし触手はどうやら、酸を運ぶためのパイプがその役目のようだった。
 切り飛ばした残骸を回避しそこねた紅竜が、その翼に受けると鉄板の上で肉が焦げるような音とともに白煙が上がった。
 低い鳴き声を押し殺しても位置を乱さない紅の竜に、レオナルドは尊敬の念を覚える。ドラゴンの翼はコウモリのそれに似た構造で、薄い皮膜によって構成されている。身体や首に酸が当たる分には、多少耐えられるかもしれないが、皮膜の部分が焼け崩れてしまえば、回避性能は落ちる。最悪の場合は大地に激突してしまうだろう。
 この紅竜はそれを察して、翼を守るためにわざと首筋で酸を受けたのだ。
 レオナルドはその心意気を感じて、より一層激しく触手の持ち主にさえダメージを与えようと何度も切りはらいを繰り返した。
 ロール、シザース、複雑な軌道を描いて二頭の竜はアオルソイの大空を駆け抜ける。その背の上で刀を振るうレオナルドは今や千切れ飛ぶ雲や大地を忘れ、目前の戦いと一体だった。

 レオナルドの視界には、竜の背にまたがる二人の姿がはっきりと見て取れた。
 あざけるような笑みを浮かべる美貌の少女はラスフィア。八十九レベルの〈ノーマル〉ランク。執拗な触手攻撃を繰り返すフードの存在はパプス。同じく八十九レベルの〈ノーマル〉ランク。どちらも職業も所属ギルドもない。その表記は人型をしているがモンスターのそれだ。
 地面の上で一対一で戦うのならば負けることは無いようなステータスだが、いまこの状況で〈レイド〉ランクモンスターとコンビを組まれるとやっかいきわまりない。
 反転。
 天地を逆さまにする交差の中で、レオナルドは再び迫る触手を切り捨てる。まき散らされる酸の液体さえも、レオナルドは突きだした炎で蒸発させた。
 戦場は移り、いつの間にか大地は緑の細い道のような谷間となっている。この荒野をわたる一筋の大河が大地を削り峡谷を作り上げたのだ。底部に水の流れを秘めた峡谷は、河の左右に鮮やかな緑の森林を茂らせている。
 紅竜をふりきるために、その緑の梢ぎりぎりをかすめ飛ぶ黒竜。
 光を一杯に受けて濡れたように輝く木々の中からは、驚いた七色の小鳥たちが一斉に飛び立った。大空一杯に広がる小鳥たちのスコールの中を二頭のドラゴンは放たれた矢のように駆け抜ける。
 川岸には〈灰斑犬鬼〉の死体が無数に転がる。それを見たレオナルドが、導かれるように視線を下げると、〈灰斑犬鬼〉群の中に囲まれて奇跡のように自らを見上げるコッペリアと視線が交差した。
 コッペリアの澄んで沈んだ瞳が、青空を背景に飛翔する紅い竜を映す。
 レオナルドの心の中で何かの音がして、重大な決定が行なわれた。

「あの二人がいなければ、この黒竜を引き離せるか?」
「なにいってんだ?」
「あの仰々しい二人組が、黒竜の背中からいなくなれば、このドラゴンを大地の果てまで引きずり回せるかって聞いてるんだよっ」
 レオナルドの叫びに、KRは一瞬言葉を失ったようだった。
「レオナルド」
「なんだっ?」
「僕はさっきこのアオルソイに到着したばかりだ」
 KRは単語を句切って、はっきり伝わるように話し出した。
「だからもし僕が死ねば、その身体はヤマト、つまり日本にある大神殿で復活する。勝っても負けても――おそらくこれでお別れだ」
上等だ(Fuck Yes)!!」
 レオナルドは刀を握ったこぶしを、振り向きざま背後のKRの胸に叩きつけた。むせたKRは、魔術師の華奢な手をレオナルドの胸に叩きつける。
 それはかわしたエールであり、激励であり、友情だった。
 ニューヨークのギーグのそれではない。
 ヒーロー同士の約束だ。
 激しい上昇と下降が繰り返された。
 どう身をくねらせても、自らの背後に張り付いて離れない紅竜にいらだった黒竜は、森の木々に翼をこすりつけるように、あるいは太陽の中にその身を投げ込むかのように、天空の中を転げ回った。
 やがてその動きの中に一瞬の隙がうかがえると、レオナルドは、紅竜の首のうえで力を貯めるように身を屈めた。
「KR!」
「判ってるっ!」
 それ以上会話をする余裕はなかった。
 翻る黒竜の翼が異形の二人組からレオナルドの姿を隠した瞬間を突いて、彼は空中へと飛び出した。

「カ・ワ・バ・ン・ガーーッ!!」
 伝説のヒーローのそれを模して。
 黒竜の背中から、体当たりのように二人にしがみついたレオナルドは、予想通り酸に身体を焼かれながら地上へと落下していった。

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