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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

カナミ;ゴー・イースト

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◆17



  春翠(チュンルウ)は、〈楽浪狼騎兵〉というギルドの所属員だった。〈楽浪狼騎兵〉は彼女の説明によれば、中国の大都(ダァドン)から西方へと逃れてきたギルドらしい。大都は、現実世界で上海に相当する都市。北京にあたる燕都(イェンドン)と並ぶ中国サーバーでのスタートタウンである。
 レオナルド達との旅すがら彼女が語った。中国サーバーの中心部――それは沿岸部なのだが、その地方の世情悪化に嫌気がさしたギルドの最先鋒として西方へと本拠地を変えたそうである。
 レオナルドは話を聞いてなるほどと思った。
 おそらく〈楽浪狼騎兵〉はアットホームなギルドなのだろう。話を聞けば、規模も五百人前後だという。巨大ギルドではあるが『超巨大』と言うほどではない。つまり、状況に耐え抜くだけの人数は居るが、かといってサーバーの覇権闘争を制するほどの力はないサイズなのだ。だとすれば避難の判断は理に適っているように思えた。
 何よりも、彼女(チュンルゥ)は、この地方に明るかった。
 もちろんこの荒野は未探索の地域が広がっている。なにしろ広大なユーラシア大陸中央部である。〈ハーフガイア・プロジェクト〉で半分のサイズになったとはいえ、天山山脈、タクラマカン砂漠、パミール高原など、中国サーバーは現実世界でも開発が終わったとはとても言えない広大な地域を抱えている。
 その管理区域は、巨大国家中国に加えて、ウズベキスタンやカザフスタンなどの中央アジア諸国をも含んでいる。
 その全体図に対して、ひとつひとつのゾーンを知悉している者など〈冒険者〉であろうが〈大地人〉であろうが存在しないだろう。開発者側ですら把握しきっていないに違いない。
 しかしとはいえ、通商路や村々とオアシスをつなぐ細い経路を利用している人間は存在し、その少数の一人が春翠であり〈大地人〉商人のジュウハであった。
「一緒に来て良かったね!」
 村から旅立った夜、カナミはブリキ缶で沸かした湯をすすりながら、笑顔で旅の仲間に宣言をした。
 これにはレオナルドも頷かなければならない。
 たしかに、〈大地人〉商人であるジュウハは戦闘能力において足手まといだ。風貌は男臭いひげ面であり、がっちりした体格の彼は、〈大地人〉の中でも比較的タフだと言えるだろう。事によったらそこらの兵士並みの体力はあるかもしれない。しかし、九十レベルに達したレオナルド達〈冒険者〉に比べれば、その身体能力ははるかに低い。
 ジュウハの指示に従って進む一行は、毎日十時間ほどを移動に用いている。
 彼さえ居なければ、移動時間は二時間ほど増やせるだろうし、一日に踏破できる距離は倍になるだろう。
 しかし、そのことに誰も不満を持ったりはしなかった。
 〈冒険者〉だけで急げば、旅程を一週間や二週間短縮できる可能性もあるが、道に迷ったりトラブルに遭う可能性は遥かに高いだろう。レオナルドにせよカナミにせよコッペリアにせよ、都会暮らしが長い〈冒険者〉にオアシスが発見できるとも思えない。
 現に、砂岩質の尾根から水場を発見したエリアスが、その尾根を下ろうとしてジュウハに止められた。
 その尾根から見下ろすオアシスは確かに澄み切った水がキラキラと輝いていたが、尾根を下りてしまえば巨大な窪地に囚われてしまうことになるのだという。
 脆く崩れやすい砂岩質の崖を登るのは至難の業で、次のオアシスにたどり着くのに優に三日は無駄にすると言われてレオナルド達は諦めた。その日の夕方には小さいけれど居心地の良い古井戸のある廃村にたどり着いたという経緯もある。
 砂漠と荒野の旅には経験が必要なのだ。

「そうだな」
 カナミの脳天気な声にエリアスは深く響く声で答える。絵に描いたように美青年なこの〈古来種〉の英雄は、その声さえも美しいのだった。
「まったくだ」
 レオナルドも肩をすくめて答えた。
 通常なら何らかのコンプレックスを感じてもおかしくないエリアスの好男子っぷり(ハイスペック)なのだが、不思議とそう感じない。呆れてしまったのかも知れない。
(相手は、あの『エリアス=ハックブレード』だからな。考えるだけ、馬鹿らしいか……)
 たき火の炎はパチパチと音を立てた。
 家畜の糞を乾かした固形燃料と、少量の焚き付けで起こした炎だった。
 ゆらゆらと揺れる茜色の明かりが、岩陰に身を寄せ合った一行を照らしている。
「ふひゃーい! 今日、あたしが一番奥っ!」
 カナミは早々にレオナルドが設営した天幕の一番奥に潜り込んでしまった。この天幕はジュウハが持っていたもので、旅の必須品らしい。格子状に編んだ竹製の枠組みの上に、丈夫なフェルトの布地をかぶせたもので、折りたためるにもかかわらず防寒性能は非常に高い。
 雑魚寝になってしまうのさえ目を瞑れば六人が横になることは十分に可能だった。
 〈冒険者〉の肉体性能に任せて、ろくな野営準備もせずに旅を進めてきたレオナルドだったが、この野営設備やコッペリアが準備をする手慣れたたき火の方法などには感心させられている。
 何事にも合理的な行動というものはあるものだ。
KR(ケイアール)はまたいーの?」
「構わないぞ。君らより僕のほうが寒さに強い。馬だってのも利点があるんだな」
 KRはその馬に似た姿を早くも天幕の入り口に移動させている。
 高性能のフェルト天幕だとは言え夜になると高原の風が忍び込むことはある。入り口付近は寒く、それを嫌ったカナミは特等席へと逃げ込んだわけだ。KRはそれを察して入り口部分を引き受けてくれるらしい。
 カナミに引っ張り込まれるようにコッペリアも休む支度へと向かう。テントの中からは「抱き枕」とか「ぱふぱふ」だなどと不穏当な発言も聞こえてくるが、レオナルドは女性同士のことだと受け流した。

 たき火の近くに残ったエリアスや春翠、そしてジュウハはもう少し起きている様子だ。
 旅での疲労は禁物。そうは言ってもまだ十九時前後のはずだ。日が暮れる少し前には野営準備に入っている以上、眠気が訪れるまでにはまだしばらくの時間がある。
「もう一杯如何ですか?」
 春翠の勧めにレオナルドは手持ちのマグカップを差し出した。彼女は火に掛けていた真鍮のポットを二本の枝で器用に下ろすと、マントの裾でつまみ上げて、ぐつぐつと煮えたぎるほど熱い茶をカップに注ぐ。
「熱いから気をつけて下さいね」
「ありがとう」
 同様に注いだマグカップをエリアスにも渡す春翠に礼を述べた。
「すごいですね」
「この辺りは、いつもですよ」
 空を見上げたエリアスの言葉に、ジュウハが答えた。
 満天の、と言うしかないような星空だった。砕いたダイヤモンドを散りばめたような輝きが、限りなく澄んで高い夜空を彩っている。

「〈楽浪狼騎兵〉は、大規模戦闘による〈灰斑犬鬼〉(ノール)討伐を企画しているんだよな」
 熱い茶をすすって、レオナルドは尋ねた。
 その言葉に春翠は「そうです」と頷いた。
「勝算はどうなんだ?」
「勝算ですか? 〈楽浪狼騎兵〉は五百名弱の人員を抱えるギルドです。今回の作戦は、ギルドリーダー朱桓(ジュホワン)自らが指揮を執る百人隊です。後れを取ることはないでしょう」
 百人隊、と言う言葉には聞き覚えがなかったが、おそらく大隊編成(レギオンレイド)だと言うことは理解できた。人数で言えば九十六人。おおよそ百人と言っても差し支えはない。
 一般的に言って〈冒険者〉の戦闘能力は人数の増加を切っ掛けに跳ね上がる。二人の〈冒険者〉の戦闘能力合計は、一人の冒険者の二倍ではない。少なくとも二.五倍。連携を用いれば三倍に達する。
 これは〈冒険者〉のパーティーが、〈冒険者〉複数からなる集団と言うよりは、一個の生命体として有機的に戦闘を行なう事から生じる能力の発露だ。防御の得意なもの、回復の得意なもの、攻撃が得意なもの、敵の攪乱が得意なものなど、自らの長所を弁えた〈冒険者〉が、互いの短所を補い合いその長所を発揮すれば〈冒険者〉のパーティーは恐ろしいまでの戦闘能力を発揮する。
 もちろんそういった有機的連携には様々な前提条件がある。パーティーを組む〈冒険者〉がそれぞれの能力を把握し合い適切に連携を行うこと。信頼感を以て相手の希望に応えようとすることなどだ。
 そしてこの原則は大規模戦闘部隊にも当てはまる。
 六人パーティー四つからなる、フルレイド二十四名。そのフルレイド四つを束ねるレギオンレイド九十六名。こういった大規模単位では連携において重要な互いの意思疎通が難しい。とは言えその困難さえ乗り越えれば、この軍団規模の<冒険者>集団はセルデシア世界において最強の軍事力と言えるだろう。
 〈灰斑犬鬼〉のレベルはおおよそ二十から五十である。〈灰斑犬鬼〉がどんな戦術を使ってくるかは判らないが、〈楽浪狼騎兵〉がそこそこの連携訓練を終えているのならば、四十倍――そう四千の〈灰斑犬鬼〉を相手にしてさえ一歩も引くことなく戦うことが出来る。

 それは通常考えればどんな大規模コンテンツ突破にも十分な戦力だ。
 もちろん、〈大災害〉後、戦闘はその様相を変えた。
 焦げ臭い匂いを発して鋼が打ち合う『暴力』の恐怖。目の前で血まみれの肉塊と変じていく『死』のおぞましさ。
 それらが持つ影響は決して小さくはない。システムアシストにより痛みに強くなっている精神だって折れてしまうことはあり得る。レオナルドはそんな〈冒険者〉をたくさん見てきた。しかし 春翠の言葉を信じればそれも杞憂だろう。〈楽浪狼騎兵〉は優秀なリーダーに率いられた手練れの集団であるという印象を、レオナルドは受け取った。
 疫鬼(イィグィ)と呼ばれたあの現象を除けば、である。

 疫鬼が一体何なのか、レオナルドは未だに結論らしきものを持っていない。春翠にも相談してみたが聞いたことはないという。ジュウハの方は〈大地人〉の間の噂として聞いたことはあると言うが、その詳しい点や実態についてはさっぱりで、もちろんその実例を見たこともないという話だった。
 あの気のふれた〈大地人〉少年は『何』なのか。
 少年の行動様式は間違いなく〈灰斑犬鬼〉のものであった。
 彼があのような状態になった理由として〈灰斑犬鬼〉が関係していることはほとんど自明に思える。だから〈楽浪狼騎兵〉の〈灰斑犬鬼〉討伐にも一抹の不安を感じる。
 しかし、疫鬼と〈灰斑犬鬼〉が具体的にはどういう関係を持ち、そこにどのような謎があるのかと問われれば、レオナルドには全く手がかりがない。
 春翠にも事件のあらましは伝え、本部に警戒を呼びかけてもらったが、確証がない現在の時点では「注意を呼び起こす」程度の効果しか望めなかった。
「何もなければいいな」
 エリアスの台詞は、どこか頼りなげだった。こんなときには英雄の言葉も役には立たないらしい。
 尾根伝いに旅を続けているレオナルド達と、南方の平原を進む〈楽浪狼騎兵〉の間には、少なくとも百キロを越える距離がある。それに明白な形で救援を要請されたわけではない。無事を祈りはするが何か出来るわけでもない。
 当たり前の結論であり、それがエリアスとレオナルドの共通見解であった。

 遠く南の夜空の下で進む〈楽浪狼騎兵〉。
 このとき彼らは一路〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉を目指していたのである。




◆18




 そしてその二日後、レオナルドから離れたレイド部隊において戦端は開かれた。
 朱桓が率いるレギオンレイド九十六名は、列柱遺跡を十重二十重に取り囲む〈灰斑犬鬼〉へと襲いかかったのだ。
 偵察隊の報せにより〈灰斑犬鬼〉の数が膨大であること――少なくとも、一万は集まっていることが判明している。数的な戦力比で言えば、その差は百倍以上だ。
 しかし百倍の戦力があったところで百体のモンスターが一人の〈冒険者〉に同時に襲い掛かることなど出来ない。事実〈灰斑犬鬼〉は遺跡を護るかのように取り巻き、朱桓が率いるレギオンレイドからみて遺跡の反対側にも布陣している。
 つまるところ、〈灰斑犬鬼〉はその数を生かし切れていないのだ。朱桓らの部隊は、周囲を取り巻く数百体の〈灰斑犬鬼〉さえ相手にすれば良い。そしてその程度の包囲は彼らの足を止めるには至らないと考えられた。〈灰斑犬鬼〉の個体戦闘能力は今回集まった〈冒険者〉個々人には遠く及ばないのだ。
 部隊の中から歌がわき上がる。
 それは〈瞑想のノクターン〉。
 この地では瑛思夜曲(チェンシイワクィ)と呼ばれる曲である。吟遊詩人の奏でるこの楽曲には、本来であれば戦闘中は自然回復しないMPを、ゆっくりであるが回復してゆく効果がある。その速度は遅いが長期間の戦闘ともなれば累積される回復量は大きな意味を持つ。戦略的な特技だ。
 また、部隊のあちこちでは、〈森呪遣い〉(ドルイド)があやつる脈動回復ハートビートヒーリングの緑の輝きを見て取ることも出来る。
 回復職において、それぞれが持つ固有の回復特技、すなわち反応起動回復、ダメージ遮断、脈動回復は、HPの回復量とMP消費の関係において瞬時にHPを回復する即時回復呪文よりも効率がよい。そのなかでもドルイドの操る脈動回復は瞬間的な回復能力こそ無いものの、一定時間HPを回復し続ける特徴を持った使い勝手の良い呪文である。
 この二点からも判るように、朱桓が今回のレギオンレイドを編成するに当たって重視したのは、瞬間的な攻撃能力よりも継続戦闘能力であった。相手が〈灰斑犬鬼〉であるのならば、強大な攻撃能力を保持していなくても葬り去ることは可能である。
 むしろ、数による包囲でこちらに疲労を強いてくる可能性が高い。
 〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉後方三キロメートルの地点には、後詰めの部隊を配置してあるが朱桓はこの大隊九十六人で決着をつけられるだろうと踏んでいた。
「疲弊した第三部隊を内側に抱え込めっ! 右翼交代っ! 第一部隊、前進っ!!」
 荒野での暮らしで荒れて掠れ気味な、それでも威風に満ちた声を張り上げて指示を下す。朱桓のその声に応えて部隊は進み〈灰斑犬鬼〉どもを切り裂いた。

 このような戦いにおいては〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)〈道士〉(タオマンサー)が戦闘の主役だ。彼らの攻撃は範囲を巻き込むために、モンスターを点ではなく、面で制圧できるのだ。
 〈妖術師〉の広範囲呪文〈ライトニング・ネビュラ〉が〈灰斑犬鬼〉に投射される。青紫の輝きを放つ電光がのたうち、まるで星雲のような輝きで、その内側に十数体の汚らわしい犬頭を閉じ込めた。
 辺りに湧き上がる〈灰斑犬鬼〉の悲鳴を涼やかに受け流し、部隊の左右から四人の〈盗剣士〉が京劇のような歩法で舞い降りる。彼らの持った双剣が左右でくるりくるりと閃く度に、雷光に縛られていた〈灰斑犬鬼〉たちは面白いように倒れていった。
 剣士の鮮血舞踊は続き、部隊正面に空間が出来ると、すかさず〈守護戦士〉ら重武装制圧隊が前進しその隙間を埋める。〈盗剣士〉らは攻撃特化職だ。彼らが無駄な被害を被る前に部隊内部へと回収しつぎの攻撃に備えさせる。
 派手さはないものの基本に忠実な用兵により、部隊は着実に遺跡中心部へと進んでいた。
「戦闘開始一時間か」
 朱桓は呟く。
 もとより、彼の頭の中には、部隊による〈灰斑犬鬼〉殲滅は選択肢として入っていない。
 〈灰斑犬鬼〉は一万を超え、もしかしたら二万に達するかもしれないのだ。その気になれば駆除が不可能だとは思わないが、それは余りにも労力を要するであろうし現実的ではない。
 〈灰斑犬鬼〉たちは列柱遺跡を何重かに取り巻くように陣を構えているらしい。つまり、いま朱桓たちが攻略を開始した北の、遺跡を挟んだ向こう側にも彼らは布陣をしているのだ。それら予備兵力まで呼び集めた上で殲滅作戦を繰り広げるのは如何にも気が進まない。
 それよりも、遺跡中心部を目指したほうが良いと朱桓の勘は告げている。

 そもそもこの〈灰斑犬鬼〉による軍勢はなんなのか?
 〈灰斑犬鬼〉の習性を考えれば、群れ集うのは判るにせよ、この数は異常であった。〈灰斑犬鬼〉たちに『何か』が――おそらくは、大規模戦闘クエストかそれに類するイベントが発生したのだ。
 その『何か』により彼らは呼び集められ集結をしている。
 報告にあった黒い竜も、その『何か』に関係があるに違いない。
 そしてその謎を解く鍵は、〈灰斑犬鬼〉の軍勢が包囲する列柱遺跡中心部にあるに違いない。朱桓はそう考えている。
「後列〈妖術師〉っ! 前方の丘の上の敵を粉砕しろっ! 撃ち方始めっ!!」
 〈灰斑犬鬼〉が数万の軍勢を擁していようと、均等配備された防御戦を直角に撃ち抜くだけならば、その数は千に満たないだろう。現に〈楽浪狼騎兵〉はその防御網を食い破りつつあるのだ。
 だが、何かがおかしい。
 その最初の徴候に気が付いたのは、敵の群に切り込んでいった〈盗剣士〉たちだった。彼らの操る剣は、特技〈青嵐〉によって拡大されている。攻撃能力こそ通常と変わらないが、その攻撃範囲は広く薙いだ剣は周囲のモンスターを巻き込んでゆく。彼らの敵中をすり抜ける体捌きと、密集した敵の陣形によっていまやその与える被害は最大化されていた。
 味方〈妖術師〉の支援攻撃を前提に駆け抜ける四人の〈盗剣士〉たちは、その攻撃範囲を絶妙に重複させることによってダメージを増やし、部隊前方にキリングフィールドを作り出すことに成功していたのである。
 しかし。
 その軽やかな剣の舞は、地面に倒れ伏したはずの〈灰斑犬鬼〉によって阻まれることになる。確かに倒したはずの毛むくじゃらの手が〈盗剣士〉の足首を掴んだのだ。
 まだ年若い、少年と言って良い顔立ちをしたドワーフの〈盗剣士〉は喉の奥で悲鳴を押し殺した。
 いくら広範囲にダメージをばらまく制圧戦だとは言っても、敵のHPを確認しないわけがない。確かにとどめを刺したはずの〈灰斑犬鬼〉が起き上がったのだ。現にモンスターたちの腕は千切れ、砕けた鱗鎧の隙間からは白ちゃけた内臓さえ覗いている。
 しかし少年が真に恐怖したのは〈灰斑犬鬼〉のグロテスクな姿ではなかった。そのステータス表記だったのだ。
 明滅するような表記は〈灰斑犬鬼:戦士〉と〈灰斑犬鬼:闇術師〉を交互に繰り返している。その明滅にあわせて、HPの値さえ揺らめくモンスターは、少年からみれば理外の存在。
 まさに鬼か妖魅の類であった。

「ギシャラッ!」
 血色の唾液を含んだ形容しがたい声を上げた〈灰斑犬鬼〉は、そのまま少年の足首にかぶりついた。〈灰斑犬鬼〉の種族的な攻撃方法である〈血に飢えた噛みちぎり〉だ。足首の健にぞぶぞぶと牙が差し込まれてゆくのを感じながらも、少年は必須で剣を振るいその首へ刃を振り落とす。
 しかしHPは減らない。
 〈灰斑犬鬼〉は死なないのだ。
 当たり前だ。そのHP表示はもとよりゼロなのだから減りようがない。そのくせ、攻撃の一瞬あとには、表示バーの数値を戻し黄色く濁った目で恨みがましく少年を見上げてくるのだ。
 まるで灼熱の万力で締め上げられるかのような痛苦に、少年はパニックになった。
 剣を振るう。振るう。
「ひぐぅ! ひぐぅっ!!」
 喉の奥で悲鳴を押し殺しながら、まるで轢殺(れきさつ)するかのように殴打を続けた結果、その〈灰斑犬鬼〉はやっと沈黙した。駆けつけた顔見知りの〈森呪遣い〉が少年を見て脈動回復を掛ける。
 その呪文で足首の傷はみるみる癒えていったが、少年の表情は泣き出しそうに引きつっている。
 もとより命に関わるほどのダメージ量ではなかった。
 少年が受けた「被害」はHPのそれというよりは、もっと心に凍てつく風が吹き込むような、寒々とした恐怖だった。
 同様の混乱は、戦場の至る所で起きていた。
 死んだはずなのに起き上がる〈灰斑犬鬼〉。魔術系だと思い込んでいた〈灰斑犬鬼〉が、次の瞬間には斧を振るう。剣を振りかざしていた〈灰斑犬鬼〉が魔法を放つ。
 いくら小細工をしようと〈灰斑犬鬼〉は所詮〈灰斑犬鬼〉でしかない。
 落ち着いて対処をすれば〈楽浪狼騎兵〉たちの敵ではなく、現にこの混乱状況の中でも、〈楽浪狼騎兵〉の被害が爆発的に増えたわけではなかった。しかし、この理不尽な現象は、冒険者の心に原初的な恐れを巻き起こした。
 〈大災害〉は理不尽な災厄だ。
 それにはなんの理由も説明も付与されてはいなかった。
 彼らはある日突然慣れ親しんでいた故郷・地球からつまみ上げられ、この異世界に放置されたのである。帰還方法の目処さえ付いていない現在、それは追放と言っても良かった。
 そんな恐ろしい状況の中で、〈冒険者〉が最悪のパニックに陥らずに済んだのは、この世界が異世界ではあったが、彼らの慣れ親しんだゲーム〈エルダー・テイル〉の世界に酷似していたからである。

 ゲームに酷似すると言うことはどういう事か?
 それは、一定の法則があり、理解可能だと言うことだ。
 この異世界は、彼らが〈エルダー・テイル〉をプレイしている時代に手に入れたゲームの法則や常識、つまり(ことわり)で読み解くことが可能な異世界だった。
 理があるというのは、ただ単純に知識が通用するというだけの意味ではない。それは「いずれ理解可能である」という希望をも内包した概念なのだ。だからこそ〈冒険者〉は不慣れでストレスの多いこの異世界で、曲がりなりにもやってこれたのである。
 しかし、眼前の悪鬼たちは、彼らが信奉する〈エルダー・テイル〉のゲームシステムに逆らっている。
 HPは体力、存在する力。その数値がゼロになれば、倒れる。
 それが『ルール』のはずだ。
 特殊な能力や特技、イベントの都合でHPが回復し復活することはあるかも知れない。しかし、ステータス表記が乱れ、複数の職業が交互に表示されるなどあってはいけないことだ。それはルールに反する現象であり、〈エルダー・テイル〉のシステム崩壊を予感させた。
 その認識は〈冒険者〉の中に静かな、だが根の深いパニックをもたらした。
 もし眼前の現象を認めてしまえば、彼らが今までよりどころにしていたルールが失われてしまう。つまりこの世界は真の意味ででたらめで理不尽だと言うことになってしまうのだ。人間は世界が理解不能で有り続けることに、耐えられない。
「〈盗剣士〉を下げろっ! 〈召喚術師〉(サモナー)っ! 近接戦型を前線にぶつけろ、急げっ!!」
 その空気を敏感に察した朱桓は新たな指示を叩きつける。

 敵の攻撃は激しくない。短時間であれば〈冒険者〉には劣る召喚生物の戦闘能力であっても、前線を支えることは可能だ。
 パニックはいずれ収まるだろう。しかしそれには幾ばくかの時間的余裕が必要だ。
 いまこの瞬間、更なる衝撃が襲えば前線は崩壊してしまう可能性がある。しかしそれは逆に言えば、この状況を凌げば、いくらでも取り返しが利くということでもあった。
 〈楽浪狼騎兵〉にはまだ十分な戦闘資源と予備戦力がある。
 いまは勝たなくても良い。防戦に徹して部隊が精神的な動揺から立ち直るのを待つべきだ。
 朱桓は偵察部隊から眉唾物の報告を受けてはいたが、それがこんなオカルトじみた現象を引き起こすとは想定していなかった。朱桓は三国志めいた鎧についた血泥の汚れを拭うと、険しい表情で指揮を続ける。
 いまは声を張り上げ、隊員を鼓舞することが何よりも重要だ。
 天性の勘で個人の武勇よりも指揮の重要性を見抜いた朱桓は、部下を安心させるためにも何もかも心得ているとばかりに安定した声を張り上げ続けたのだ。

 しかしその朱桓の声も、黒竜の羽ばたきでかき消されることとなる。



◆19




 古代に生きた奇怪な巨獣のやせ衰えた肋骨のように、その鋭くとがった穂先は天を貫いていた。
 高さはおおよそ三十メートル。
 現実世界のビルで言えば十階建て程度ではあるが、周囲を荒野で囲まれたこの地方において、それらの列柱は大地に突き立った巨大な牙のように見えた。天を刺す柱は三本。二本は鋭く立ち上がり、残りの一本は途中で折れた様に朽ちている。
 それらの柱は金属でできているようだった。
 とはいえそれは融解し奇妙に生物的な丸みを帯びた上に、どれほどの年月ゆえか赤さび苔むしているために、金属の持つ冷ややかな鋭利さというよりは忘れ去られた遺物めいた印象を見るものに与えた。
 サイズさえ別にすれば、それが一番似ているのは戦場に突き立てられ忘れ去られた太古の鉄槍だったろう。
 その基底部。高さで言えば地上十メートルほどの、鉄柱に崩れかかった瓦礫の上にふたつの黒影はあった。
 背の高い影は足下に黒々とした闇を連れていた。
 その黒い沼は絶えず姿を変え、時に粘液質な水泡を弾けさせている。フードで容貌を隠した長身の影は、コールタール状の沼の上に立っているのだ。
 背の低い方は、子供のような背丈の少女だった。
 小柄なこの金髪の娘は、相棒と共に整った容姿を眼下の戦いに向けている。

 その視線の先では、遺跡に集った〈灰斑犬鬼〉を〈冒険者〉の一団が駆逐しつつあった。
 少女はその様子をさして興味がある風でもなく見つめていた。
 無意識なのだろうか前髪の先端を指で弄ぶ。ひらひらとした実用的でない服装に身を固めた少女はどこかの貴族令嬢を思わせた。しかし、その表情はどこまでも異質で、見かけ上は間違いなく女性である彼女の性別を少女と断言させない雰囲気がある。
 背の高い人物は、ゆっくりとだが着実に攻め寄せてくる〈冒険者〉の一団を指さした。全身をすっぽりと隠すローブから覗くその骨張った指すらも黒い粘膜に覆われて、不潔な汚泥にも似た闇が足下の沼へとしたたり落ちる。
「――」
 何事か命令を発する気配。その気配に長身の影の足下からわき上がる気泡が伴奏を付けた。ひとつひとつは、ゴボゴボとわき上がるメタンガスの弾ける音が、偶然のように連なり、たどたどしく人語を真似たかのような響きを以て「ユケ」と呟いたのだ。
 一陣の突風が二人の背後よりわき上がった。
 鉄柱基部の遺跡を守るようにまどろんでいた屍の黒竜は、その翼のたった一打ちでやすやすと舞い上がりアオルソイのまばゆい日光を遮る黒き天幕となった。

 破れ垂れ下がった皮膜さえ恐怖の象徴としながら、黒竜は〈冒険者〉たちの集団へと向かってゆく。
「大盤振る舞いなのですわね」
「ゴウリテキナハンダンダ」
 少女の無機質な問いかけに、長身の影が答える。しかし、その声は足下の穢れた汚泥の泡が立てる雑音だ。偶然弾けているはずの粘り着く気泡の破裂音が、耳にたどり着いたとき言葉に聞こえる。
 この長身の男が操る会話は、どうやらその奇怪な現象がもたらすらしい。
 少女はしばし口をつぐむ。
 まったく動作を欠いてはいるが、その短い時間は彼女が思考に要した時間であった。
「そうねあるいはその方が確実かもしれないわね」
「イクツダ」
「あの黒竜に――」
 そこで少女は初めて薄い笑いを浮かべた。
「千二百の魂を寄りつかせたわ。貴方が千二百の魄を奪ったのと引き替えに」
「ラスフィア」
「なぁに?」
 ラスフィアと呼ばれた少女は、人形じみた動きで、首だけ振り返る。その視線の先でドロドロとしたヘドロを詰め込んだフードの中は、ぶくり、ぶくり、と気泡でふくれあがりながらも揺れていた。
「イクツダ」
「そうね」
 先ほどと全く同じ質問にどのような意図を読み取ったのか、少女は口元をゆがめる。それは一般的に言えば「笑う」という表情にカテゴライズされるのだろうが、全く親しみやすさを感じさせない仮面のごとき造作であった。
「あと二千も寄りつかせれば」
「ニセンカ」
 長身の男が急にやせ細った。
 風が吹き抜ける中、一見その姿は変らないように見えるが、男の足下から流れ出した粘液質の闇が、瓦礫の上を影のように走ってゆく。その流れは勾配を越え、廃墟を越え二人の視界の外で〈灰斑犬鬼〉を屠っているのだった。

「黒竜を失うわけにはゆきませんわ。あれが無くなれば、我らはこの鉄塔を壊せない」
「チカラナキモデルニ――シバラレタコノミノフベン」
 その黒竜は二人の視線の先を横切り、いままさに〈冒険者〉の頭上へと舞い降りる所だった。二人の位置からは、その動きは滑らかでゆっくりとしたものに見えるが、サイズと距離を考え合わせれば、どれだけ圧倒的な速度と重量を持っているかは予想が付く。
 黒竜の吐いた漆黒の電撃も、打ち振られる尾も、多くの〈冒険者〉を巻き込んでいるのが見て取れた。
「これはこれは」
 少女は皮肉そうに笑う。
 卵形の輪郭に納められた、目鼻立ちがはっきりした美貌は、ビスクドールのように整っている。古典的な容貌の中で、アメジスト色の濁った瞳だけが昏く強い輝きで目の前の事象を興がっているようだ。
「また……。ふふ。早くも三十二は弾け飛びましたね」
「ラスフィア」
 体積を減らしたローブの黒影は、それでも相変わらず、気泡の弾ける音でもって相方らしき少女をたしなめる。聞き続けていくうちにノイズに過ぎないはずの破裂音に「声の表情」さえ窺えるようになるのがいっそ不気味であった。
「ご安心を――〈冒険者〉とやらも十やそこらは道連れにしましたわ。与えられた力に酔う。無知蒙昧のつけを払うことになるでしょう」
「ソレハワレラモオナジコト」
 泡がぶつぶつと弾ける声の何が気にいらなかったのだろうか。少女は、エナメル性に見える靴をひとつ鳴らす仕草でコメントに換えると、眼を細めて空気を抱くように差し招く。
 彼女の白くほっそりとした指先では、はるかな距離を隔てて、それに操られるように黒竜が暴れ狂っていた。
 もし遠隔視の能力を持つものが居たら、〈灰斑犬鬼〉の魂を宿した竜が、その本能に従って暴れ狂い、その残虐性も露わに〈冒険者〉を貪っている姿が見て取れただろう。
 元来この竜はこの広大なアオルソイの中では取り立てて巨大なわけでも難敵に属するわけでもない、八十五レベルのフルレイド用モンスターである。すなわちそれは、八十レベル程度の〈冒険者〉が二十四人いれば倒すことが可能だということを示す。〈楽浪狼騎兵〉であれば十分に対処可能なモンスターなのだ。

 しかし得体の知れない技術により、黒龍は今や偽りの不死性を持つ。
 もちろん、だからといってそれが〈冒険者〉たちの決定的な敗北を意味するわけではない。極端な話を言えば、〈楽浪狼騎兵〉は全滅したとしても、その本拠地に強制転送されるだけで済むのだ。
 現在はその不死性で黒竜が一方的に〈冒険者〉を責め立てている様に見えるが、徐々にその攻撃に対する対応策も確立してきたように見える。
 ただし、やはり、最初の奇襲で〈冒険者〉を数を十数人減らしたのが大きかったのだろう。大地に充ちる無数の〈灰斑犬鬼〉の圧力と、空からの襲撃を繰り返す黒竜の雷光は、〈冒険者〉の防御線と衝突しているようだ。
 使い捨ての命であらゆる攻撃を無意味化し、相打ち同然の強力な攻撃を繰り出す黒竜は、確実に〈冒険者〉の人数を減らしてゆく。
 事態は消耗戦の様相を呈していた。

 だが二人組はその戦況に新たな指令を下すでもなく、ただ冷ややかに観察を続けるのみだ。
「無為を」
「レイヤノリカイガゲンテイテキノヨウダナ」
「劣りし者の運命を彼らに」
「ネムレバイコイモオトズレルモノヲ」
 風の音に紛れ判りづらい会話は、少女の不似合いな笑いへと行き着く。
「ふふふっ。これが愉悦ですかしら」
 濁ったアメジストの瞳に喜色が浮かぶ。
 表情をゆがめるだけだった少女の浮かべるそれは初めての笑み。しかしそれはあまりにも歪んだ醜い微笑だった。なまじ整った可愛らしい容貌を持つだけに、ぞっとするような悪意が見て取れる。
 どこからどう見ても人間らしい、
 しかし火を見るよりも明らかな人外の笑み。
「アバターノコミュニケーションディクショナリニジンカクガシンショクサレテイルトミエル」
「――そうですわね。自己診断でもそう思えます」
「〈エンパシオム〉をサイシュスルタメニハフヨウ」
「でも」
 笑みを咎められた少女は、それでも喉の奥でころころとくぐもった笑いを漏らし続ける。通底音のようなその音は、出所こそちがったが長身痩躯の影が用いる泡が弾けると音と全く同じ性質を帯びていた。すなわち異形の感情表現なのだ。
「我らが役目はもはや成就寸前ですわ。天への回廊を残すわけには行きません。自覚のないアクターをなぶるのは愉しいこと」
「ワレラモオナジモノナノダ」
「だからこそですわ。――残りは十一時間。我らの時間が終わり、Hora octavaがやってくる。くくくっ。ふふふふっ。ああ、愉しい。――早く、早く。急いて、急いて。待ちきれません。耐えきれません。われらがランク2でしかないこの生命を。終わらせたい。終わりたい。死にたい。殺したいっ」
 感極まったかのように、高台の風の中でゴシックなドレスを翻す少女。その首筋にはうっすらとした朱線がある。
 糸よりも細いその線で区切られた頚部は、ダンスを踊る肉体の動きで、わずかずつその厚みを増してゆく。見る者を不安にさせるその『線』は、彼女の頭部を、その首の上で調子の外れたくす玉のように揺らしていた。
「たまりませんわ。待ちきれませんわ。早く、早く。乞うて、請うて。Hora octavaよ! Trihoriumよ! 我が同胞よ異父姉妹よ。――来たりて、目覚めて、終わりを、始まりをっ」
 虚ろな瞳の犬頭の鬼人があがめる尖牙の祭壇にて、少女は回り続けた。調律の狂ったピアノのように、澄んではいても醜い笑い声は〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉の廃墟を、ねっとりとなめ回すように響く。
 地球においてはバイコヌールと呼ばれるこの地は、いまやその主人を悪夢へと換えたようであった。



◆20



「全滅ッ!?」
 レオナルド達一行がその知らせを受けたのは、夕暮れ時だった。

 〈楽浪狼騎兵〉所属の〈施療神官〉(クレリック)である春翠(チュンルウ)が仲間からの念話を伝えたのだ。

「残念ですが、わたしたちの百人部隊(レギオンレイド)は全滅しました。――残存部隊は現地を離れたようです」
「残存部隊とは?」
「後方支援要員として予備兵力を残していた部隊です。と言っても兵力は数十人です。事実上の全滅ですね。――まさかこんな事になるとは」
 エリアスの問いに答える春翠の声は暗かったが絶望的ではなかった。
 もとより〈冒険者〉に死がないことは確認されている。
 春翠の話によれば、〈楽浪狼騎兵〉も神殿が存在することを根拠に現在の本拠地を定めたほどだ。全滅はしたものの、倒れて現地での蘇生が出来なかったメンバーは神殿に戻っているとのことだった。
 全滅とは言え、ギルドそのものが再起不能になったわけではない。
 〈エルダー・テイル〉はもともとゲームである。
 その内容は、ここセルデシア世界において剣と魔法の冒険を繰り広げること。もちろん、生産や交流などもゲームの大きな楽しみではあるが、大部分は戦うという行為で占められているのも事実だ。
 だが、その戦闘行為にも様々な規模がある。
 まずは、一人の〈冒険者〉としてモンスターと戦う、ソロプレイ。
 そして次の段階として、六人までの仲間が協力して戦う、パーティープレイ。
 ゲームとしての〈エルダー・テイル〉の戦闘はこの二種類がほとんどを占めている。正確な統計はないが、レオナルドの感覚では八割ほどがこのふたつの人数でプレイ出来る内容だ。
 そしてこういったゲームコンテンツを十分にやり遂げたプレイヤーが挑むのが、大規模戦闘だった。
 すなわち二十四人のメンバーを集めて遊ぶフルレイド用コンテンツや、九十六人のメンバーを集めて遊ぶレギオンレイド用のコンテンツである。こういった大人数用のコンテンツは、〈エルダー・テイル〉においてはハイエンドな遊び方だと認識されていた。
 当然のように難易度は高く、たったひとつのダンジョンを攻略するだけで、半年近く時間が掛かる場合も珍しくはない。
 今回は相手が〈灰斑犬鬼〉(ノール)だったので、彼我のレベル差から、誰しもが早期の攻略を予想していた。しかし大規模戦闘であると考えれば、全滅という結果はさして珍しいことではない。精鋭で構成された一流ギルドでも、高難易度の大規模戦闘を初見で突破することは難しいのだ。
 春翠の表情に、驚きや落胆があっても絶望している気配はないのはそのせいだろう。

 気になるのは――。
「やはり、ステータスの二重表記現象が確認されたそうです」
「そうか」
 レオナルドの確認に春翠は頷く。
「やっぱりねぇ……」
「あの現象は、広がっているんだな」
 肩をすくめるカナミや表情を変えないコッペリア、難しい顔のエリアスも含めて、レオナルド達一行は、〈楽浪狼騎兵〉本部に知り合いは居ない。フレンド登録していない以上、念話は出来ない訳で、報告はどうしても春翠を経由することになる。

「その数も多く、後半の戦いではほとんど全ての敵に確認されたそうですし……」
 いったいどういう現象なのか興味はあるしその謎を解いてみたいとも思うが、説得力のある仮説や手段がある訳でもないレオナルドはその好奇心を押さえた。
 相手の総数は一万に迫るという。
 春翠の話では相当な数の〈灰斑犬鬼〉を倒したと言うが、戦闘中には正体不明の黒竜(ブラックドラゴン)も現れたそうだ。その黒竜が切っ掛けで〈楽浪狼騎兵〉は潰走させられたらしい。
 たかだか六人の〈冒険者〉に過ぎないレオナルド達に出来ることは何もない。ここはひとまず東を目指して、可能であるならば〈楽浪狼騎兵〉の本拠地で更なる情報収集をするのが無難だろう。
 その場は、カナミやエリアスもそう納得したのであった。

 その夜。
 目を覚ましたレオナルドは寝袋を抜け出した。
 レオナルド達はこの旅の間不寝番を立てている。〈冒険者〉だけの一行ではない。〈大地人〉商人ジュウハも同行する旅だ。それなりの警戒はしながら進むべきだという判断だった。
 不寝番は交代制なのだが、その交代制にひそかなサボタージュを続ける仲間がいた。サボタージュとは言っても、不寝番そのものを避ける訳ではない。むしろ逆に不寝番の交代を意図的に忘れるのである。
 それはコッペリアだった。
 レオナルドはあくびをしながら、その隣に座る。
 乾ききって脆くなった砂岩質の岩の上に、コッペリアはあの村で買ったクッションをおいて座っている。メイド服の裾下からきらびやかな刺繍をした刺し子が覗いているのだ。
「おはようございまス。治癒をご所望ですか?」
「まだ夜中だけどな。まぁた僕のこと起こさなかっただろう?」
「コッペリアはまだ睡眠を取る必要はありまセン。このまま警戒続行が可能です」
 それは、その通りなのだろう。
 〈冒険者〉の身体能力は睡眠時間の短縮も可能としている。強靱で回復力に優れたこの身体は、一日三時間も睡眠を取れば調子を落とさないようだ。
 とはいえ、一人っきりで不寝番をするというのは、それとは話が別である。仲間同士なのだ公平に旅をしてゆきたい。
 レオナルドはむっつりと押し黙ったまま、「僕も見張る」とだけ呟いた。
 周囲は闇に沈んでいる。
 今夜はたき火もしていないためだ。
 たき火は動物を避けるのには役立つが、知性のあるモンスターを引き寄せてしまう可能性も低くはない。また、明かりが突然消えた場合の視力低下などを考えると、メリットばかりとも云えない。
 しかし光がない訳ではない。澄み切ったアオルソイの空に浮かぶ月は、そのほの白い輝きを大地に投げかけていた。隣に座るコッペリアの横顔を窺うのには、十分すぎるほどの明かりである。
「静かだな」
「周囲に敵対的モンスターの気配はありまセン」
 コッペリアの答えにレオナルドは頷く。春翠からの連絡によれば、〈灰斑犬鬼〉はその後、活動を活発化させたらしい。距離は十分に離れているはずだが、用心に越したことはないだろうと思われた。
 月の明かりはレオナルドとコッペリアを照らした。
 照らし出された滑らかな頬のラインの柔らかさから、レオナルドは視線をそらして大地に落とした。
 そのまま会話をするでもなく、二人はじっとしていた。
 レオナルドの視線の先で、月影が黒々と、地を這うようにわずかに動いてゆく。
 それは不思議な気分だった。影が動く。それだけのことに、不思議な感動を覚えている自分にレオナルドは気が付いた。
 現実世界風に考えれば、それは月が動く、つまりは地球の自転のせいである。ゲーム世界的に考えれば、天空のテクスチャにおかれた光源が移動していると言うことになるだろうか。
 いずれにせよ、荒れた大地に落ちる月影が移動する現象は、可視化された時の流れそのものである。レオナルドは時間が経つという当たり前に不思議さを感じた。
 時間の流れの中で、自分という個人が存在する事への、言葉にはならない静かな感動だ。
 すぐにそれは傍らの少女へと移った。このアオルソイの夜空の下で自分がコッペリアと一緒に居るのは不思議なことだ。〈大災害〉がなければそんなことは起きなかっただろう。レオナルドはニューヨークのギーグなのだ。〈大災害〉は何もかもを変えてしまった。様々なことが起きた。それはどうやら運命という意味でもそうだったらしい。
「このケープを貸与しマス」
 気が付くと、コッペリアがキルトのような布地を差し出していた。葡萄、スミレ、名も知らぬ花の刺繍で埋められたマントのような布地は温かそうだった。
 夜明け前の荒野は冷える。コッペリアは気を回してくれたのだろう。
「これもセケックの村で?」
「はい。頂きまシた」
 コッペリアも似たような布を〈マジック・バッグ〉からとりだして、自分の小さい肩に巻き付ける。
「あの人たち、こんなのくれたんだ」
 レオナルドは座ったままで、手近な小石を掴んで投げ飛ばした。コッペリアは村で病人やけが人の治癒もしていたし、感謝されるのは当たり前だろう。それは問題無い。問題はないが、ちょっと腹立たしくもある。
(僕はあのうざったらしい子供達の相手をしていたというのに……、まぁ、何ももらえなかった訳でもないけどなぁ)
 レオナルドは抱えた膝にがっくりと額を落とす。
 丸くて綺麗な石、変な布の切れっ端、木刀風に削った木の枝、食べかけのパン。ひからびた虫の死骸。馬の尻尾の毛で作ったおまじない。レオナルドがもらったものは、どれもろくでもないものばかりだ。
「コッペリアは良いよな」
「?」
「いや、このケープ、温かいなという話だよ」
「はい。保温性能に優れた民芸品でス」
 調子の外れた返答を聞き流しながら、レオナルドはため息をつく。
 しかし実際には悪い気分ではなかった。
「あの村で」
「ん?」
 珍しく自分から話し始めたコッペリアを、だからこそレオナルドは急かさずに待つことが出来た。
「あの村で遭遇した少年は、回復をしまシタ」
「うん」
 ステータスの二重表記。得体の知れない症状により凶暴化していた少年。彼は、あのままセケックの村に残っている。凶暴化が落ち着いた彼はただの〈大地人〉の少年に過ぎなかった。独りで荒野を渡る力はないのだ。故郷の村に帰るにしたところで、それなりの準備をしなければならないだろう。それに準備をしたところで、故郷の村が無事であるという可能性は半々と言うところだ。
 あの奇妙な現象が少年の故郷の全員に起きたとするのならば、村人はすでにチリヂリバラバラになっているだろう。またあの症状が、もし何らかの伝染病か呪いのように外部から持込まれたと考えた場合、その災厄の運び手が村にはなんの危害も与えなかったと考えるのは、都合が良すぎるようにレオナルドには思える。
 もし、そのふたつの可能性は杞憂で、少年の村の全員が平凡な〈大地人〉のままであったとしたところで、だとすれば少年自身が村の人々――両親や昔なじみを含め自分の同胞を、少年自身の変容によって傷つけてしまった可能性は低くはない。
 彼はこのまま、セケックの村の一員として暮らしてゆくのが、もっとも幸せな未来なのではないかとレオナルドは考えている。
「あの少年は……オレンジ色と、緑でした」
「は?」
 少年の行く末について考えていたレオナルドは、コッペリアの奇妙な言葉の意味を計りかねた。

「モンスターは緑色の光〈大地人〉はオレンジ色の光。コッペリアにはそう見えます。〈冒険者〉は青い光で、エリアスさんは紫色でス」
「それは……」
「魂の色だと、コッペリアが考えまス」
 唐突な発言にレオナルドは目を丸くする。
「コッペリアは、語の一般的な用法における視覚を備えていません」
 レオナルドが聞き返すまでもなく、コッペリアの言葉は続く。その内容はレオナルドが予想もしていないものであった。
「視覚? え?」
「コッペリアは目が見えません。――正確には、コッペリアの視覚には、皆さんとの互換性がありません。コッペリアはデータストリームとタグ、そして魂の色合いで周囲を認識していマす」
 突拍子もない話だった。
 しかし、同時に否定もしきれなかった。
 この世界がゲームを素にしているのなら、そのオブジェクトの一環であるデータ塊には、それなりのタグが存在するはずだった。
 判りやすい部分で言えば〈冒険者〉のステータス表示だ。
 レオナルドであっても、コッペリアに意識を集中すれば、名前と職業そしてレベルが実際の視界にオーバーラップして表示される。
 この名前やレベル職業が『タグ』だ。
 モンスターにはモンスターの。〈大地人〉には〈大地人〉の。理屈は判らないが、コッペリアには、そのタグが、色の違いとして見えているのだろうか? 魂というのは理解が出来なかったが、コッペリアの言うことは、そうだとすれば一応の説明は付く。
(もしかしたら視力が……)
 視力喪失者向けに、特殊なデバイスが開発されたのは、しばらく前のことだ。脳に結線されたセンサーで映像を感じさせることが出来るという研究は十年ほど前に報告された。レオナルドは詳しく知らないが、今では幾つかの色や図形を認識させることが出来る装置が開発されていると聞いたことがある。
 もしかしたら、コッペリアはその種の装置を使って〈エルダー・テイル〉をプレイしていた少女なのではないか。レオナルドはそんな事も考えたが、口には出せなかった。
 コッペリアと自分の距離は、まだプライベートな話題を口に出せるものではないと考え、そのすぐあとにそれも臆病者の言い訳じみているなと自嘲する。
「コッペリアには色がありません。それはコッペリアが透明であるという意味ではなく『色』を発する振動体、すなわち魂が欠如していることを示します。――二重なる者(パラレル・ワン)があの時消えたのは、構造的に虚であるわたしが接近したことにより、より不安定な魂の片方が誘引さレて――」



◆21



「デートしているところに無粋で済まないがね」
KR(ケイアール)ッ!?」
 二人の間に鼻面を突き出した白馬。幻獣〈白澤〉(はくたく)に憑依した召喚術師の声で、レオナルドとコッペリアの会話は打ち切られた。
「どうしたのでスか?」
 冷静に尋ねるコッペリアを見ながら、先ほどの言葉をレオナルドは反芻する。「すなわち魂が欠如している」とはどういう意味なのか。喉の奥に堅いものが詰まったような気持ちにさせられる。
 それを告げたときにさえコッペリアの声には痛みも哀しみもなかった。それがレオナルドの胸を重くする。

「近いぞ。〈灰斑犬鬼〉(ノール)だ」
「は?」
 しかしレオナルドの思いは一瞬で断ち切られた。

「北東の渓谷を進行中だ」
 言葉少なく答えるKRの背は、しっとり濡れている。その背中をコッペリアは、布で拭きながら尋ねた。
「状況の解説を要請しまス」
「肉眼で偵察してきたわけなんだ、これが」
 だとすれば、KRは夜を徹してアオルソイの荒野を走ってきたのだろうか? 考えてみればレオナルドが起き出したとき、天幕の入り口にはKRの白くて大きな姿はすでに無かったような気がする。
「連中、切り立った崖下の河床を進んでいるぞ。数は判らない。この体は夜目が利かんのだ。月明かりだけじゃ確認は不可能だよ。だが、十やそこらの数じゃないぜ。最低でも、五百は居るだろう」
「五百っ!?」
「少なくとも、だ。連中、例の壊れたステータスを持っている」
「〈灰斑犬鬼〉なのに、〈大地人〉なのか?」
「いやそうじゃない」
 KRの声は落ち着いていて、レオナルドは少し怯えて響いた自らの言葉を恥じた。
「二種類の〈灰斑犬鬼〉が混じっているような感じなんだが、あー。何だな。説明しがたいなあ。とにかく、二匹のモンスターが重なり合っているような表示だ。あの〈大地人〉の少年と似ているが、モンスター同士の融合ってやつだ」
 現象を想像することは出来る。
 しかし、やはりその原因は理解の外だった。
「〈灰斑犬鬼〉が山盛り、と」
「五百、ですか」
 いつの間に起き出したのだろうか。おそらく、KRとの話し声の気配で目を覚ましたのだろう。天幕から首だけ突き出したカナミと、それを咎めるような視線で見下ろすエリアスも話に参加をしてきた。
 さほど時をおかず、春翠(チュンルウ)とジュウハも、天幕から出てくる。
「〈灰斑犬鬼〉以外は?」
「少なくとも視界内は、〈灰斑犬鬼〉か〈灰斑犬鬼〉の亜種、職業違いだけだったなー。もっと詳しい偵察できればいいけど、この身体じゃ従者も出せないんだな」
「なぜ……」
 春翠の疑問はもっともだった。
 なぜこんな時期に集団移動をしているのか? それはレオナルドも真っ先に考えたことである。

 まず考えられるのは、食料が原因だという説だ。
 いやむしろ〈灰斑犬鬼〉の行動など、食料確保と縄張りの主張以外は理由がないと言っても良い。彼らの目的は 翠のギルドが攻め入った遺跡へ集まっている「群の本隊」へ食糧供給をすること――それが理に叶った説明のように思える。
 アオルソイの荒野は貧しい。大地は乾き夏でも冷涼な風が吹き抜ける。広い荒野のあちこちに、濃い緑の大森林が広がりそこには多種多様な生き物が居るが、それさえも一万の〈灰斑犬鬼〉を長期間支える食料ことはならないだろう。
 この荒野では、あそこまでの大規模軍団を形成する理由がない。食料を獲らえ生き続けるためには、十数匹の小集団の方がよほど効率がよい。それは現実世界でのハイエナや狼の集団の数を考えれば、自ずと判ることだった。
 そのうえ〈灰斑犬鬼〉はダンジョンにより集まり、数百匹単位で暮らす生物のはずだ。洞窟や廃墟などに潜みそこへやってきた生物を殺して喰らう捕食生物――ゲームの知識か、とレオナルドは己を戒める。この世界はゲームだ。ゲームであるはずなのに、なぜか自分は実体をもって招かれ、確かにこの世界なりの法則をもって存在しているように思える。

「進行方向にあるのは、セケックの村だろう」
 ジュウハの指摘に、エリアスが息をのむのが判った。
 食料。
 その意味で言えば、あの村の持つ羊は魅力的だろう。
 いや、〈大地人〉そのものでさえ、彼らは食料と見なす可能性がある。彼らが〈大地人〉を避ける習性を持っているのは決して善意からではなく、〈大地人〉が結託して村を守った場合、羊などの獲物を奪うことが困難になると知っているからなのだ。
 もし仮に、取り囲んだ〈大地人〉の村や街を、殲滅できるだけの兵力が彼らにあれば、ためらう理由は何ひとつ無い。
「〈大地人〉の村を狙っているのかっ」
「狙っているかどうかは判らないが、まあ通りがかれば襲うだろ。あの数だ。引き返すってのは望み薄だと思うぞ」
 気色ばむエリアスにKRは澄まして答えた。
 レオナルド達がセケックの村を出てから、すでに四日が経過している。〈大地人〉ジュウハを伴いゆっくりと進んできたから、その距離はおおよそ百四十キロメートルほどだろう。
 〈灰斑犬鬼〉たちが峡谷沿いに進んだとして、セケックに辿り着くのに、一週間はかかるまい。
 もちろんその気になれば〈灰斑犬鬼〉よりも早く村にとって返すことは出来る。しかし辿り着いて、何が出来るのだろうか。
 それは春翠やジュウハも同じ思いなのだろう。
 言葉にはならない重い空気が辺りを満たした。
「おっし、おっ。おっ」
 そんな空気をまったく読まないのがカナミだった。天幕から顔だけを突き出していた彼女は、そのままにじにじと表へ這い出てきたのだ。なんで這って? と思うが、彼女は寝袋に収まったままである。その芋虫のような恰好で進んでくると、器用にぴょこんと立ち上がった。流石に恥ずかしいのか、カナミはエリアスに手伝わせてもぞもぞと寝袋を脱ぎ捨てる。いや恥ずかしいのなら最初から歩いて出てくればいいのだが。

「ん。良いね。良いね? 犬が五百で縁起が良いね」
 何が縁起がよいのか判らない。日本の風習かもしれないが、一隊カナミは何を言い出すのだろうと考えたレオナルドの前で、カナミは拳を天に突き上げる。
「相手にとって不足無しっ!!」
「おい、やめろよバカ」
「ばっ、バカっ!? バカ言いましたか、けろナルドっ!」
「あ、すまん。言いすぎた」
 五百の、しかも得体の知れない能力を持った五百のモンスターを相手に喧嘩を仕掛けようとするカナミにレオナルドはツッコミを入れてしまう。謝罪はしたが、バカという感想は本気だ。
「でも、五百だよ? 突っ込んで蹴散らしたら楽しいよ」
「蹴散らせたらなっ」
「頑張れば出来るよ」
「出来る訳あるか、ぼけっ!」
 レベル差はある。
 おそらくその差は十以上だろう。
 戦士職の存在理由は、敵を引きつけることにある。彼らはその能力で回復職や魔術職を守り、レオナルドのような攻撃職には攻撃をする絶好のチャンスを与えるのだ。
 しかし敵を引きつければ、その攻撃の的になるのが道理である。カナミの職業〈武闘家〉は鎧らしい鎧を着けない代わりに、圧倒的な回避性能を誇っている。低レベルの〈灰斑犬鬼〉による攻撃など、ほとんどかすらせもしないだろう。
 しかし『ほとんど』だ。
 絶対ではない。
 そのうえ、敵の数が膨大ともなれば、戦闘中にMPが枯渇することも考えなければならない。MPが無くなれば特技使用が出来なくなる。〈武闘家〉は戦士職の中では攻撃力もありバランスの良い能力を持っているが、それは多数の特技を矢継ぎ早に繰り出して達成されるものだ。MPが無くなってしまえば戦力は大きく目減りする。
(でもなぁ。もしかして、カナミなら……)
 〈武闘家〉の回避能力と、カナミのあの(、、)攻撃能力ならば、五百の〈灰斑犬鬼〉さえも退けられるのかも知れない。レオナルドはカナミを越えることを目標として修練を積んでいる。期待感はある。しかしリスクが大きすぎた。

「だいたい」
 カナミはそんなレオナルドの思考を笑うかのように鼻息を荒く鳴らすと爪先でリズムを取った。
「五百なんて腹ぺこタイムのアップルパイですよ? けろナルド」
「一応訂正するが僕はけろナルドじゃない」
 そしてアップルパイをそんなにむしゃむしゃ食べる女は嫌だ。
「〈冒険者〉ならどーんと五百を撃破ッ! ダブルアップでさらに倍」
「〈冒険者〉を捏造するな」
 そしてカナミはギャンブル禁止だ。何がダブルアップだ。
「そのまま敵を貫いて、えーっと、なんだっけ? 等温動物?」
「〈列柱遺跡トーンズグレイブ〉でス」
「そうっ! そのなんとかグレイブに突っ込んで、敵の首級をあげるっ!!」
「あほかっ! 相手の数は一万以上だぞっ!!」
 レオナルドはがっくりと肩を落とす。
 五百でさえ勝ち目が薄いと思っていたのに、この女は何を考えているのだ。おかしい、おかしいとは思っていたが、まるっきりクレイジーだった。
「話を聞いてなかったのか。〈楽浪狼騎兵〉の百人部隊(レギオンレイド)は全滅したんだぞっ。いいか、九〇レベルの冒険者百名が、全・滅・したんだぞっ!?」
「それは正面から喧嘩したからだって。情報も無しでさっ」
「な……」
「だから喧嘩はしない。攻めていって、首級をあげる。それで逃げるっ。パーフェクトゲーム! うぃあーちゃんぴよん!」
「ばっ」
 馬鹿じゃないのか、この女。
 なにが『ちゃんぴよん』だ。お前の脳みそはバカの世界王者(ワールドチャンピオン)だ。
 ――それをさせないために一万の〈灰斑犬鬼〉が遺跡を守っているのだろうに。それが出来ないからこその大規模戦闘による攻略だったろうが。レオナルドはそう考えるが、余りにもあっけらかんとしたカナミの態度に、口をぱくぱくさせることしかできなかった。
「で、カナミ」
「ん? なに? KR」
「情報と言ってたけどさ」
「春翠からいろいろ聞いたでしょ」
「ふむ。で、どんな情報なんだ? そしてそれをつかって〈灰斑犬鬼〉のボス――居るとすればだけど、そいつを倒すんだ?」
「それはKRが考えてっ」
 アオルソイの夜にまるで夜明けが訪れたかと思うほどの、輝かしい笑みを浮かべてカナミは言い切った。
「――」
「出来る訳無いだろっ! アホっ」
 一瞬言葉を失ったKRの代わりに、レオナルドは強い言葉を叩きつける。それではあまりにKRが可哀想だ。KRのほうは、器用に馬首を曲げるとこらえきれないようにくすくすと笑っていた。「バ、バスガイド。でた、バスガス爆発……」などとつぶやいている。不気味だった。
「うーん。出来るか出来ないかじゃ、無いんだけどなぁ」
「じゃ、なんだって――」
「行く必要があるんだよ」
「だから、その必要ってなんなんだよっ」
 レオナルドの追求に、カナミはつま先立ちで軽くステップすると、小さく微笑んだ。それはレオナルドをからかうようなものではなくて柔らかい笑みだった。
「口で言っちゃ、ダメな理由だよ」
 だからレオナルドはその言葉の先を、続けることが出来なかった。
 こちらのパーティーの問題だと考えているのだろう。春翠もジュウハも、見守ってはいるが、口出ししては来ない。このままでは埒があかない。エリアスやコッペリアにも、カナミをいさめてもらおうと思ったレオナルドだがその思惑は裏切られることとなる。

「わたしはカナミに賛成だ」
「――っ」
「なにも、カナミに恩義があるから死地へ旅立とうという話ではない。忘れているかも知れないが、私は〈古来種〉なのだ。私には〈大地人〉を守るという義務がある。それは我ら全界十三騎士団が設立されたときから与えられた使命なのだ。――例えそれが陳腐なものであろうと、私はそれに真実の意義を感じる。滅びし妖精族の誇りに懸けて、私は〈大地人〉を見捨てはしない」
 そういえばそうだったとレオナルドは思い出す。
 最近の旅で仲間として過ごしてきたからすっかり忘れていたが、エリアスは〈古来種〉(NPC)なのだ。〈冒険者〉(プレイヤー)ではない。感情豊かに見えるが、高性能のロボットと同様なのだ。
 それは〈大地人〉も一緒だ。
 彼らは〈大地人〉(NPC)でしかない。
 だからこんなにも愚かな行動しかしないのだ。

「コッペリアも行きます」
「なんで――」
 三人目はコッペリアだった。
 彼女は細い腕を動かすと荷物を重量軽減バッグに詰め込む。
 その仕草が納得しがたくてレオナルドはコッペリアの手首を掴んだ。カナミやエリアスは仕方がない。しかしカナミにメイドのように仕えるコッペリアは違うだろう。それはひどく不快で痛々しい気持ちをレオナルドに与えた。
「何でだ。勝てる訳が無いじゃないか」
「そうでしょうカ」
「よく考えろっ! NPCのためになんでそんなことをするんだよ!」
「コッペリアは勝算があると考えます。あの現象を、コッペリアは二重なる者(パラレル・ワン)と名付けました。あの状態は、おそらく極度に不安定でス。魂の欠けた者(ルビ:コッペリア)が近づけば、自壊して重複したそれは、コッペリアに殺到します。コッペリアの防具には対霊防御性能がありますから二重なる者に対する有効な対策になると推察されまス」
「その理屈が正しいからって、相手の数が減る訳じゃない! コッペリアが犠牲になる必要なんて無いだろうっ」
 レオナルドの否定にコッペリアは深い藍色の髪を揺らした。
 磨かれた鏡のような大きな瞳に、レオナルドが映っている。
 その無垢な視線をレオナルドに注いだまま、コッペリアは告げた。
「コッペリアもまた、プレイヤーではありません。中国に本拠地を置く資金洗浄グループが設置した、MMO内資金回収botのうちひとつが、コッペリアです」

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