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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

カナミ;ゴー・イースト

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074 カナミ;ゴー・イースト

ごぶさたです。ここからがEp9。かつてあった海外編の再構成です。シロエやアカツキが出ないEpとなりますが、しばらくアオルソイでの旅におつきあい下さいませ。


◆01



 広い空間には緑の匂いが濃かった。
 植物園とでも言えばいいのだろうか。屋内ではあったが土がむき出しの区画があり、そこには南国風の樹木が植えられている。それ以外にも鉢植えには甘い香りの花が咲き乱れ、色鮮やかに目を楽しませている。空気は温度も湿度も高く、南国風の空間ではあるのだが、その正体は風呂であった。
 五十メートル四方程度の空間は緑でうまく視線を遮られ、実際よりも広く見えているのだが、その中央には大理石を切り出した温水の風呂がある。実際にはプールと評したほうが良い大きさなのだが、遠浅のビーチを模した砂浜まで設置されたそれは風呂なのだろう。たっぷりとたたえられた湯からは白い湯気が上がっている。この大広間を温めている正体は、湯面から上るこの蒸気なのだった。

 その大理石のふちに腰を掛けているのは紅い髪をした美しい少女だった。
 足湯をするかのようにくるぶしで湯を撥ねさせていた少女は、しばらくすると飽きたのか、身をひねるようにして巨大な湯場からはなれた。光はあるものの湯気のせいでぼうっとかすむこの空間に、白いワンピースを着た少女が歩くのは不思議な光景だった。小柄な体ではあるがその歩調は尊大で、どことなく品を感じさせる。なによりも目を引くのは、半透明に透き通るような艶をもつ、柘榴色の髪と瞳だった。
 彼女は物馴れた様子で室内庭園を歩くと、大きく迂回して白浜を模した一角に出た。彼女が先ほど足を温めていたのとは、湯場の対岸にあたる場所だ。そのあたりは大きなヤシに似た木が植えられていて、その木陰には優雅なリゾートチェアがしつらえられている。傍らの小さなテーブルにはハイビスカスのあしらわれた大ぶりのグラスに、汗をかいたトロピカルティー。バカンスという言葉の完璧なシチュエーションだ。

 少女は胸をそらしたまま、ほっそりした素足をひょいとあげると、そのデッキチェアの上に寝そべる青年にまっすぐおろした。無造作な動きだったが、そのつま先は青年の肋骨の隙間に正確にもぐりこみ、青年はバネ仕掛けのような勢いで上半身を撥ねさせ、そのまま不恰好に落下し、「ふごぅぐ、おっが、いっでえ」と意味のつかめぬ大声を立てる。
 少女はにこりともしないでつま先を二三度捩じると、青年のふざけたアイマスクをずらしてやった。青年はこの温室で惰眠をむさぼるためにアイマスクを常用しているのだ。

「痛ってえ。痛いよ、ガーたん!」
「わめくなうるさい」
「俺なんかした? してないよな」
「おぬしは寝すぎじゃ」
「寝てたわけじゃなく〈幻獣憑依〉(ソウル・ポゼッション)で仕事してたんだって」
「寝てた」
「……」
「ほれ、視線を逸らしたではないか」
 少女はほっそりとした指先をのばすと、青年のTシャツに包まれた脇腹(先ほどつま先をねじ込んだ場所だ)を優しくなでて、肋骨を一本折った。
 軽やかな音を立てるそれは気分を変えるときには格好のきっかけだ。
 可愛らしい感触で少女を楽しませてくれる。

「ぐっば、あっば。痛いっ! マジ痛いんだけど!?」
「うろたえるな小僧」
 少女は痛さのあまり四つん這いで悶える青年にかわって、寝心地が良い帆布の長椅子に身を横たえた。
「ガーたんこれ毎回だよな。なんでそーなの」
「〈冒険者〉ともあろうものが泣き言をいうでない。仔竜でさえもう少し節度を持って悔悟するぞ」
「泣き言じゃなくて理不尽に対する抗議してるんだよ。ったく」
 青年は短い手振りで〈家事子狐〉(キキーモラ)を呼び出すと、わき腹に回復呪文を使ってもらった。
 青年の名はKR(ケーアール)
 もと〈放蕩者の茶会〉ディボーチェリー・ティーパーティーの一員にして、いまやこのヤマト最大のギルドとなった|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》を統べる〈十席会議〉第十位のメンバーである。ミナミを中心に君臨する〈十席会議〉においては〈変幻道化〉という二つ名を持つ、凄腕の〈召喚術師〉《サモナー》だった。

「相変わらず器用だな」
「〈召喚術師〉なめんなよ」
 〈召喚術師〉は魔法攻撃職のうちひとつである。MMO-RPG〈エルダー・テイル〉におけるその主たる役割は、魔法を持って対象にダメージを与えること。魔法攻撃職筆頭の〈妖術師〉(ソーサラー)はまさにその役割の権化であり、強大な元素のエネルギーを操って死を撒き散らかす純粋な攻撃役である。〈召喚術師〉もおなじ魔法攻撃職であり似たようなことは出来るが、こちらはいくぶん混成職(ハイブリット)であり、もちろん本職には大きく劣るものの、物理攻撃、防御、回復、支援となんでも器用にこなすことが出来る。
 KRが召喚した〈家事子狐〉(キキーモラ)は幻獣に属し、回復呪文を唱えることが出来るのだ。〈召喚術師〉とは眷属を召喚することによって、本人が持たない能力を外部的に使用可能にする応用力の高い職業であった。
「なめてはおらんし褒めてない」
「ガーたん従者なのに冷たい」
「妾を従者扱いするとは次は骨まで齧るぞ」
「うっへえ」
 魔法回復によって体力を取り戻したKRは腕をぐるりと回すと嘆息した。
 少女はすまし顔でトロピカルティーをストローでひとくち飲んだ。
 宝石のような瞳にまつ毛の影が落ちるのを、KRはなんだか胸焼けするような思いで見つめた。この少女は確かにすごい美少女に見えるが、それはそれで仮の姿なのである。騙されてはいけない。

「それで、どうなのじゃ」
「どうってなにさ」
「〈幻獣憑依〉で偵察してたんじゃろう?」
「あー。まあね。鉄鋼車両、帰ってくるみたいな」
「ほう。あの鉄くさいものが」
 〈Plant hwyaden〉〈十席会議〉、“東跋将軍”ミズファ=トゥルーデ。
 彼女の率いる特務部隊とその任務に充てられていた軍属の車両である。その車両が戻ってくるのかと少女は考えた。人間社会のことなど興味のなかった少女だが最近ではその傾向も変わりつつあった。目の前の青年と(よしみ)を結んでから、その伝手でもって人間社会を観察すれば、そこには彼らなりの悲喜こもごもがある。
 なにより小バカには出来ぬほどの熱量を持つ個体が存在するのだ。それは頭という点では残念というほかない彼女の相棒である青年、KRもそうだった。
 この極東の島国ヤマトは彼女のふるさとである北稜ルーシにくらべたら小さな大地でありその半分しか治められぬという〈神聖皇国ウェストランデ〉もまた、とるに足りない組織だと言える。しかしそれを操る〈十席会議〉はなかなかにバカに出来ぬ、面白い個性を揃えていた。

 〈冒険者〉という外来種は少女の目から見ても強力だが、〈十席会議〉は〈冒険者〉だけで構成されているわけではない。なかでも“東跋将軍”ミズファと“大魔導師”ジェレド=ガンという〈大地人〉はなかなか我欲の濃さそうな顔をしていた。〈大地人〉も捨てたものではない。
「イースタルにケンカを売るつもりなんだろうね」
「東の方の自治組織だったな」
「そうそう。アキバと協力関係にある」
「〈冒険者〉と戦になったらまずいであろう? 戦力が違いすぎる」
「〈ウェストランデ〉は、自分らがアキバと戦争になったら〈Plant hwyaden〉が助けてくれると思ってるんじゃないかな。むしろどさくさに紛れて巻き込もうとでも思ってるんだろうねー」
「他力本願か。小物の考えることだ」
「小物なんだけど、これがどーしてなかなか。生き汚い小物は時として英雄より始末に負えないんだよなあ」
 少女は腕を組んで、ふむ、と考えた。
 彼女の相棒はバカなのだが、時として賢者の言葉を吐くことがある。

「深い言葉よな。褒美をとらそう」
 白い足指がのびるつま先で脇腹をえぐってやると、KRはえびぞりになり「痛いっ。まじで信じられねえ、ガーたんオニチク」とわめいた。
 しかしその言葉を聞けばいくつかうなずけることもある。
「それゆえ、出かけるあのサムライに大陸での一件を語ったのか?」
「なんだっけそれ」
「カズ彦と名乗るものにだ」
「ああ」
 KRは視線をそらしてそっけなく返事をした。
 反応が薄かったが彼女はそれを興味がないからだとは思わなかった。この青年は見かけよりは内気で、こういう時に感情を隠す癖があるのだ。
「それだけじゃないさ。カズ彦は昔からくそまじめなんだなあ。シロエとは別の意味でさ。あのままじゃあ焼き切れるだろう」
「昔馴染みの情か?」
「――たぶん誰かに話したかったんだろう。ひとりの胸に収めておくには大きすぎる話さ。わくわくして胸が張り裂けたら大問題だ。心臓が止まったらはらわた喰われるどころじゃすまない」
「くくくく」
 少女の笑みは、同意を示すものだった。
 大陸での冒険は、なかなかに心が躍るものであったのだ。
 そこには長き時を生きる彼女の人生の中でさえなかなかにない空を賭けた戦いがあった。
 竜の加護、妖精の血、巡転の理、巨人の技。あの場にはこの世を統べる四つの偉大な力がそろっていたのだ。その支援を受けたカナミという女は、たしかに英雄の相を持っていた。彼女の周りには偉大なる諸力が渦巻き、しかし、それは彼女に全く影響を与えていないように見えた。支援を受けているという自覚さえ彼女にはなかったのだ。

「あの者たちは、今、どこにいるかな」
 少女は目を細めて尋ねた。
 最後に見かけたのは遥かアオルソイの地だ。彼女の力をもってしても容易にはたどり着けぬ荒野の彼方である。言葉を交わしたことはないが、KRの竜瞳をとおして旅の一行のことはよく知っている。彼女らを思い出すのはなかなかに楽しいことだった。
「さあね。こちらに向かっているんだろうけれど」
 KRはデッキチェアをあきらめたのか、白いタイルの上に腰を下ろして無断で彼女の膝のあたりに背をもたせ掛けた。その無礼な態度を咎めようとした彼女はしかし、KRが再び放った賢者の一言に免じて、高貴なその脚をひととき相方に貸し出そうと決めた。

「どこにいるかはともかく、カナミは、青い空の下にいるだろうさ」
 そうつぶやいたKRの口角は不敵に吊り上がり、遠くアオルソイでの再会と冒険を思い出していた。エリアス、コッペリア、レオナルド、そしてカナミ。ヤマトを目指すかつての友の旅と、KRが出来たわずかな手助け。
 やがて訪れる嵐の予感に、その瞳は愉快そうに輝いていた。


◆02



 高い大空だった。
 それは果てしなく高かった。
 日差しはあくまで強く、白く、まばゆかった。
 だがそれゆえに、大空の青は、まだ昼間だというのに紺碧という言葉で表現される色よりも、いっそ群青の暗い蒼を表現していた。
 例えるならば、その色は、気層の果てにある宇宙の色をわずかにくみ取ったかのようだった。
 視界の端には何の変哲もない、灰色のくすんだ色合いの山脈が見えている。しかし、それは特別なことではない。あれら山頂はこの周囲二百キロ以内であれば、どこからでも見えるのだ。
 日差しは強かったが、風の中には刃のような冷気が混ざっている。この地の高度を考えれば、それも当然だと言える。
 ここは配置で言えば中国サーバー管轄下。
 現実の地球ではカザフスタンに相当する広大な地域の中南部。
 テケリといわれる古代の街である。

 この地域は〈エルダー・テイル〉世界ではアオルソイと呼ばれている。国の名前ではなく、地域の名前である。
 この広大な内陸の地域は、髑髏沙漠や赤砂沙漠といった沙漠に囲まれている。沙漠ではない地域にしたところで、乾燥して荒れ果てた荒野が広がるばかり。身を隠せるほどに繁茂した植物は少なく、地面に張り付くような緑が、灰茶色の大地の所々をおおっている。それというのもステップ的な地勢から高原に接続する地域に当たり、見渡すばかりに似たような景色なので見た目だけでは判らないが、かなりの高度があるのだ。
 夏でも最高気温は二十度をわずかに上回る程度。
 〈大災害〉から四か月を経過した現在では、夜ともなれば早くも十度を下回る。
 アオルソイが地域の名前であり国の名前ではないのには理由がある。この広大な地域には、人間の数が少ないのだ。
 中国の経済的発展がめざましいとは言え、それは一部の湾岸地域を中心に富裕層が増えただけであり、現実はまだまだ厳しい。そもそも、現実の中国西部やカザフスタンなどの中央アジアは、決して人口密度が高い地域ではない。
 出身地サーバーで遊ぶことを念頭に設計された〈エルダー・テイル〉では、その地域のプレイ人口がそのまま、地域の〈冒険者〉の数に直結する。つまり、カザフスタンの〈エルダー・テイル〉プレイ人口の少なさが、アオルソイの過疎に繋がっているのだ。
 自由市場における「サービス」の一種であるMMOにおいて、ユーザーの数は、そのまま開発に振り向けることが出来るリソースでもある。

 中国サーバーを運営する〈華南電網公司〉は、当然ながら自社の開発リソースをユーザーの多い地域、大陸東端の海岸部に集中させていた。また、万里の長城や、北京周辺部などもファンタジックな冒険の舞台として、手の込んだデザインがなされている。
 その一方で、出身の(そしてこだわりのある)ユーザーが少ないこのアオルソイは、未だにダンジョンやクエストがまばらにしか配置されていない未開の地域だったのだ。

 だが、そんな地域であっても、基本的な地勢は現実世界の地球に忠実に作られている。そもそも〈エルダー・テイル〉における各地域の基本的な地形は、衛星写真と超小型無人飛行機(ドローン)によるレーザー計測で集められた現実地球の地形である。
 これは開発にかかる人件費を削減するためのアイデアではあったが、リアルな地形データや、ユーザーの共感を得やすいということから、〈エルダー・テイル〉の評判を高める特徴のひとつであった。
 現実の地球を、距離だけを二分の一にして再現した〈ハーフガイア・プロジェクト〉と気象エミュレーターにより、このアオルソイは古代から続く中央アジアの光景――乾いた大地、冷たい風、そして青すぎる大空が再現されているのだ。

 その美しい光景は過酷な自然環境の表れであり、その牙は〈大災害〉後の世界において、現実を越えたリアルとして〈冒険者〉の前に立ちはだかった。
 廃墟となった街、テケリの中央にぐったりと倒れたまま、レオナルドは「ジーザス」とつぶやいた。
 この街はレオナルドの監獄だった。

 とある事情からこの街を訪れたレオナルドは、この街に〈神殿〉があることを知った。〈神殿〉とは、使者の蘇生ポイントとしての機能を与えられたゲーム的な建物であり、全てのプレイヤータウンに備え付けられている。
 〈エルダー・テイル〉において死亡した〈冒険者〉は、最後に立ち寄った〈神殿〉において復活するのだ。それは、〈大災害〉後のこの気がふれた世界でも、変わってはいない。
 〈神殿〉は復活ポイントとしての寺社と、より広範囲の〈感知エリア〉によって構成されている。多くの場合、感知エリアは、その〈神殿〉が存在する街と同じ面積を占める。つまり、街に入った時点で〈神殿〉に立ち寄り『登録』したと見なされる。その後、その〈冒険者〉が死亡した場合は、『登録』された〈神殿〉で復活するわけだ。
 レイドゾーンや高難易度ダンジョンなどもこの仕組みを備えている。つまりそのゾーン全体が〈感知エリア〉であり、その内部で死亡した場合ダンジョンの入り口という復活ポイントで復活するのだ。
 テケリの廃街にある〈神殿〉も一般的な事例に漏れず、廃墟全域を〈感知エリア〉としていた。
 レオナルドは当初この〈神殿〉の存在を喜んだ。
 なぜならば、とある事情からこの中央アジアを旅していた彼にしてみれば、この〈神殿〉は有り難いセーブポイントだったからだ。この地域の旅は過酷で厳しい。死んでしまえばはるか遠く離れた場所から再び旅を繰り返さなければならない。
 荒野のただなかにぽつんと設置された〈神殿〉は彼には神の恩寵のようにさえ思えたものだった。
 しかし現実は違った。
「くっそぅ。これじゃ何にも出来やしない……」
 レオナルドはのろのろとした仕草で、街の外れを見る。
 そこにはゆらり、ゆらり、と身をくねらす陽炎のようなものが見えた。
 〈陽炎悪鬼〉(デイライトシェイド)
 レベル五二の精霊系モンスターだった。
 レオナルドがこの街に入り、中央部にある鐘楼(しょうろう)に上ったとき、うっかり触ってしまった水鏡がトリガーだったのだろう。イベントが発生してしまったのだ。
 今となってしまっては想像する他無いが、五十レベル用の大規模戦闘イベントであるに違いない。この廃墟は数え切れないほどの〈陽炎悪鬼〉に包囲されてしまった。

 レオナルドのレベルは九十である。
 自慢ではないが、暗殺者としての腕は一流。双刀を用いた近接格闘では、全国ランキングでも上位であると自負している。アベニューABCに生息する生粋のニューヨーカー、毎週マディソンスクエアパークで『Shake Shack』のバーガーを嗜むハイアー・ギークとして、彼は〈エルダー・テイル〉に熱意の全てを捧げていたのだ。
  ……有り体に言えば、アメリカのこじらせたオタクなのだが、彼の熱意は本物だった。戦闘に次ぐ戦闘。そしてジャンクフードに次ぐジャンクフード。もちろんそれだけではなく、ネットゲームに付きもののくだらない噂話にもめ事に安っぽいメロドラマ、自慢に与太話、際限のないレアアイテム獲得競争と、少数の、本当に大事な繋がりも彼は持っていた。
 そんな彼であったから、たかがレベル五二のモンスターなど怖れるに足りなかった。それが五体か六体であればである。――あるいは三十体居たとしても、最悪突破することだけは可能だったろう。
 しかし、いまテケリの廃街を取り巻く状況はそんなものではないのだ。少なく見積もったとしても、数千体の〈陽炎悪鬼〉が、この街の周囲を取り囲んでいる。これではどんな九十レベルでさえ脱出は不可能だ。

 こういった情報は初めから判っていたわけではない。
 レオナルドが決死の覚悟で町からの脱出を企て、そして敗れ、死亡し、復活したことで手に入った情報だ。この街の四方は完全に封鎖されている。
 状況は最悪だった。
 通常であれば、どんなピンチになろうと『復活』すれば、安全な場所の〈神殿〉に転送される。また、死亡せずとも〈帰還呪文〉によって帰ることが可能だ。
 しかし、現在のレオナルドはこの廃墟がどうやら復活、もしくは帰還ポイントとして『登録』されてしまっているようなのだ。
 これでは死のうが、〈帰還呪文〉を使用しようが、この場所から離脱することは出来ない。
「……ハラへったぁ。スシ、食いたいなぁ」
 レオナルドは好物の寿司が食べたくてたまらなかった。
 ミッドタウンの「YASUDA」やソーホーの「USHIWAKA」が懐かしかった。わさびを利かせたマグロがレオナルドの好みだった。いいや、そこまでの贅沢は言わない。このさい胡散臭いイーストビレッジのカリフォルニアロールでも妥協しよう。それくらい恋しかった。
 〈大災害〉後のこの世界では、実際に身体の苦痛として空腹を感じる。しかしレオナルドは、この異世界に『餓死』なるものが存在するのかどうか、寡聞にして知らなかった。空腹が続きたとえばヒットポイントが低下して、死に至るのかどうかは、実例を見たことも聞いたこともない。
 レオナルドのマジック・バッグの中には、まだ多少の食料が入っているが、遠からず『餓死』の真実について、自らで実験をする羽目になりそうだった。
「せめてここが北米サーバーならなぁ」
 北米サーバーであれば、レオナルドには顔見知りも友達もいる。〈大災害〉に巻き込まれなかった(幸運な)仲間たちは、現実世界でよろしく居残っているのだろうが、重度のネットゲームフリークであるレオナルドには、同じくらいイカれた知り合いがそれでもまだ沢山いるのだ。
 しかし、念話機能は、サーバー境界を越えることが出来ない。
 〈大災害〉後にもちゃんと機能していたはずの彼のフレンドリストは、今や灯っている名前がひとつもない暗灰色の板と成り果てている。当たり前である。彼の友達の大部分は北米サーバーに居て、ここは中国サーバーなのだから。

「Holy Shit……。やってらんねぇぜ」
 混沌が溢れかえり、まるで地獄の釜の蓋が開いたかのような北米サーバーのパニックを逃れ、しばらく身を隠せる場所を作ろうと、〈妖精の輪〉に飛び込んだ付けがこれなのか。レオナルドはそう思った。
 〈エルダー・テイル〉経験で言えば五年を超える彼は、いやでも気が付いてしまっている。彼一人の戦闘力では〈陽炎悪鬼〉(デイライトシェイド)の包囲を抜け出すのは不可能だ。しかし、救援を要請する手段もなければ、レベルアップやアイテム取得などによる状況打破も望めない。
 誰かが通りかかるなんて言うの希望はとっくに捨てていた。
 そもそもレオナルドがこの廃墟を見つけることが出来たのだって偶然なのだ。目印もないだだっ広い荒野に、何の悪戯かぽつんと存在した廃墟。
 考えてみれば、その時点でクエストやイベントの存在を疑っても良かっただろう。

 これはいわゆる『詰み』の状況だ。
 レオナルドの命運はここに尽きた。
 アオルソイ――カザフスタンの青い青い荒野の中心で、レオナルドはGMコール以外助かる術のない境遇にはまりこんでしまったのだ。
 もちろん、この世界にはGM()なんていやしない。



 ◆03



「ねー。君さ。こんな処で寝てると、お腹冷すよ」
 だからその台詞を聞いたときは、何かの冗談だと思った。
 妄想すれすれの爆発的なグラマーだったという事実もある。
 そこに居たのは、黒髪の女性だった。
 なかば無意識化された習慣でレオナルドはステータスを確認する。
 名前はKANAMI……カナミ、だろうか。
 職業は〈武闘家〉(モンク) 。レベルは九十。
 アジア系の顔立ちで、髪の毛はひとまとめにして太い三つ編みにしている。好奇心に溢れた瞳と、どこか面白がっているような口元は若く見えるが、年齢は即断できない。アジア系は欧米人である自分たちに比べて、同年齢でも幼く見えると言われているからだ。ゲーム世界であるらしく装備は軽装。女性の魅力をこれでもかと表現したきわどいファッションだった。
 DCだったら補導されてしまうかもしれないが、シスコの海岸で言えばまあ許容範囲内。そこまで考えて、レオナルドは頭を振る。それは地球での常識だ。
 とにかく可愛らしくスタイルの良い美女ではある。この世界では女性は誰も彼も美女だが、目の前の女性は、ちょっと言葉を交わしただけで、その張りのある音楽的な声と合わせて、美貌だけではない魅力を感じた。
「おいっ!」
 自己紹介をしようとして思わず叫んでしまったレオナルド。
 〈神殿〉のことを言おうとして、手遅れだと気が付いたのだ。
 〈神殿〉の感知範囲はこの廃墟全域だ。
 この女性も、すでにその魔手に捕らわれていると言えた。
「なに?」
「あ、いや。済まない、大きな声を出して。僕はレオナルド。北米サーバーの〈冒険者〉だ」
「ふぅん。わたしはカナミ」
 女性はそう言って、立ち上がったレオナルドの手を握った。
 視線の高さが合ってみると、カナミの身長は百七十くらいだと判った。レオナルドよりも五センチばかり低い。背の高さに自信がないレオナルドにとって、これは有り難いことだった。

「北米サーバーから昼寝に来たの? キミ、やるね」
「あ、いや。そうじゃない……けど。そう言えば、どうやってこの廃墟に入ってきたんだ?」
 レオナルドは疑問に思っていたことを訪ねた。
「ん? 普通に歩いて入って来たよ」
 レオナルドは反射的に視線を大通りのはるか向こうにやる。
 高レベル補正で視力も上がっているレオナルドには、街外れの境界地帯の風景が、わずかにゆらゆらと歪んでいるのが見えている。どうやら、予想は悪い方に裏切られているらしい。
 つまり、あの〈陽炎悪鬼〉(デイライトシェイド)は外部から侵入してくる存在へは攻撃を行なわないのだ。内部へ〈冒険者〉を閉じ込めて、殲滅を行なう。
 そう言うイベントであるらしい。
「あんまり気落ちせずに、パニックにならずに、僕に当たり散らしたりせずに聞いて欲しいのだけど」
「ん?」
 カナミは三つ編みをゆらして、黒くて大きな瞳でレオナルドを見つめてきた。東洋系の神秘的な瞳で直視されてどぎまぎしているレオナルドは、やっと出会えた目の前の同業者にショックを与えたくなくて、慎重に言葉を選んで続けた。
「えーっと、この廃墟は、どうやら、今、イベントに巻き込まれているらしいんだ」
「イベント?」
「ああ。それも大規模戦闘用のだ」
「おおっ!」
 眼をきらきらさせて喜色をあらわにするカナミ。
 まったく喜べないと思ったレオナルドは、声のトーンを落として続ける。
「状況は絶望的だ。この街には〈神殿〉がある。つまり、入って来た時点で、えーっとミズ・カナミも……」
「『登録』された?」
「そうだ。で、当然ながら」
「復活逃げも、〈帰還呪文〉逃げも、出来ない?」
「そうだ。理解が早くて助かる」
「うんうん! 判った! 燃えるねーっ!!」
 カナミの無邪気な反応に、レオナルドは困惑する。
 このカナミという女性は本当に判っているのだろうか?
 大規模戦闘という部分だけで単純に喜んでいるように見える。
 もしかして初心者なのだろうか?
 〈エルダー・テイル〉において、レベルアップというのは難しい作業ではない。各レベル帯にたっぷりと配置された、満願全席のような豊富なクエストを追いかけていくだけで、自然とレベルは上がって行く。
 長い歴史を誇る〈エルダー・テイル〉において、古参プレイヤーと新規プレイヤーの格差は深刻な問題であった。特にレベルは一番差が目立ちやすく、ゲームの参加者同士が一緒に遊ぶことを妨げる要素だ。『師範システム』等もそう言った視点で搭載されたシステムだが、根本的な解決のためには両者のレベル格差を埋めることが最も手っ取り早い。
 〈エルダー・テイル〉の運営は、これに対して「新規参入者のレベルアップを支援する」という方策を打ち出していた。
 つまり新規参入者でも、レベルカンスト――九十レベルまで育てることは、さほど難しくないのだ。一般的なプレイヤーは、百時間足らずで九十レベルに到達する。
 しかし、その一方で、九十レベルに相応しい装備を調えるのは困難である。特技の全てを奥伝クラスに成長させたり、秘宝級のアイテムをそろえたりするには莫大な時間がかかる。
 カナミの装備は九十レベルとして恥ずかしくは無いものであるが、レオナルドのように廃人仕様ということはない。装備からみればカナミのプレイ経験はそこまで長いものではないだろう。

「本当に判っているのか? この街は今包囲されていて、僕たちはおそらく逃げることが出来ないんだぞ?」
「え? なんで?」
 きょとん、という言葉が似合う表情で首をかしげたカナミは、心底不思議そうに尋ねてきた。
「だって大規模戦闘……あ! そうか。君は中国人かっ」
 レオナルドは気が付いて安堵した。
 レオナルドは北米サーバー出身で、友人と連絡を取ることが出来ないが、カナミが中国サーバー出身ならば友人に連絡が取れる可能性は高い。〈大災害〉後の世界は混乱と悪意に満ちているから、こんな辺鄙(へんぴ)な場所に救援に来てくれる友人が居るかどうかは不明だが、それでも連絡が取れないよりはずっとマシだった。
 五十レベル向けの二十四人(フルレイド)コンテンツであれば、通常装備の九十レベル冒険者が十人もいれば、突破することは可能だろう。レオナルドだって自分が5、6人もいれば逃げるだけなら可能だと思うくらいだ。
「何言ってますか。わたしは日本人。在住はローマ。西欧サーバー!」
 だがカナミのこの台詞で、レオナルドの期待は粉々に打ち砕かれた。下手に高度な自動翻訳システムが、完全変換を行なってくれるために、まったく気が付かなかったのだ。

「それじゃ……」
「そんなことより、君は何でそんな格好なの?」
 カナミの問いに、レオナルドは何度か頭を振って答える。
「別に構わないだろう? 趣味だ」
 実際、その質問には慣れきっていた。
「それ、何?」
「Frog」
 だからレオナルドはぶしつけな質問にも、想像しうる限り最もスマートな態度で答えを返すことが出来たのだった。その格好は何か? 蛙である。何を表しているのか? 蛙を表している。何で目元だけを隠す紅いマスクをしているのか? ニンジャだからだ。
 なぜ蛙なのか? なぜニンジャなのか?
 ばからしい。
 その方がクールだからに決まっているだろう。
「ちょ、君。さいこーっ! さいこーだよっ!」
 しかしカナミは普段彼の受け答えに呆れかえる一般人とは異なる反応を示した。
「これ、変装用のかぶり物シリーズだよね。蛙って言うよりカウェェルゥな感じだよね!!」
 コミックキャラクターのようにユーモラスな、見ようによっては滑稽なその容姿を何度も見直して明るく笑うカナミは、どうやらご満悦のようだった。こんなに笑われたら、侮蔑されたと感じるはずなのだがレオナルドはあっけにとられたものの怒りを持つことはなかった。
 笑み崩れるカナミのコメントが、嘲笑や侮蔑とは無縁の、ただ単純に興味深くて楽しいという気持ちをストレートに伝えてくるからだろう。だから、今まで気にくわないPKや無礼者を撃退してきた、レオナルドの二本の刀も、今回ばかりは沈黙していたのだ。
「僕の姿形は問題じゃないだろうっ」
「や! だって。さいこーなんだもんっ」
「放っておけ」
「ね、ね! 刀構えてよ! 見せて見せて」
「三枚に下ろすぞ」
「か、格好良いよぅ。可愛いよう!! 撫でたいよう」
 カナミは明るい声で笑いながら、レオナルドにぎゅっと抱きついてきた。レオナルドの緑色でコーディネートされた皮鎧や、暗殺者専用チュニックの上から、柔らかくて若草のような香りがする身体がしがみついてくる。
「もうちょっと節操を持ちたまえっ!!」
「うわぁ、なんか良いね! キミっ」
「何が良いか判らんっ!」
「一緒に行こうよっ」
――え?
「わたし達、日本目指してるんだけどさ。やっぱり、遠いじゃないですか? 結構退屈なわけですよ。だからさ、一緒に行かない? こんな処で昼寝してたら、お腹冷えちゃうしさ」
 なぜ日本に?
 いや、昼寝してたわけじゃない。
 それ以前に、ここからは出ていけないって理解できてないのか?
 そうじゃない。
 レオナルドは飽和しそうな思考をまとめた。
 『わたし達』。おそらくレオナルドと同じくらいの年齢のこの美女は、今、わたし達と言ったのだ。

「仲間がいるのかっ!?」
「うん、そうだ。一緒に行くんだから紹介するよ」
 いや、待て、まだ一緒に行くことを承知したわけじゃないんだぞ、というレオナルドの指摘は結局呟かれることさえなく消えた。
 カナミの言葉を聞いていたわけではないだろうが、廃墟の瓦礫を乗り越えて現れた男女、その少なくとも男性の方は、レオナルドさえ知っている有名人だったのだ。
「ミストレス・カナミ。生存者がいたんだな。ふむ……。珍妙な格好をしているが、手練れの〈冒険者〉と見える。よろしくな」
 唇の端を引き上げて魅力的な笑みを見せた、思わずツッコミを入れたくなるほどの美青年は、エリアス=ハックブレードだった。
「エリアス=ハックブレード……」
「ああ。見知っていてくれたのか。ありがとう、〈冒険者〉殿」
 エリアスはレオナルドの装備(コスプレ)にも何の疑問を抱いていないのか、朗らかに笑って、握手を求めてきた。

 エリアス=ハックブレード。
 それはこの〈エルダー・テイル〉世界において数少ない世界規模の有名人だった。
 世界の秩序を維持すると言われる全界十三騎士団のひとつ〈赤枝の騎士団〉に所属する英雄。〈刀剣術師〉(ブレイドマンサー)にして〈尊き血族〉(ブルーブラッド)の〈古来種〉。
 〈古来種〉とは、かつてこの世界が〈エルダー・テイル〉というMMOであった時代から存在するゲーム設定のひとつだ。(ノン)(プレイヤー)(キャラクター)――つまりこの世界に存在するプレイヤー以外の、ゲームの登場人物、脇役としての存在はそのほとんどが〈大地人〉と呼ばれている。
 街の住民や貴族、冒険の依頼者、被害者、全ての存在はほとんどの場合、〈大地人〉である。
 この世界における〈大地人〉は様々な点で〈冒険者〉に劣る存在として設定されている。
 〈冒険者〉は戦闘を繰り返すことによりどんどんと成長し、レベルが上昇する。最終的には強大な戦闘能力を手に入れ、ドラゴンや巨人との戦闘さえこなすようになる。
 致命傷を負っても完全には消滅せず、〈神殿〉へと戻って復活をするので、不滅の存在だと見なすことも出来るだろう。

 しかし、〈大地人〉はそうではない。
 圧倒的多数の〈大地人〉のレベルは一桁だし、死亡したとしても蘇生しない。そもそも街の中で銀行業務や宿屋を経営する「ゲーム的な機能」から見れば、レベルも戦闘能力も必要はないのだ。
 また、ゲームである以上、その冒険の主役はプレイヤー、つまり〈冒険者〉であるべきである。自分よりも強い村人がごろごろと存在するような異世界での冒険だなんて、誰が考えたってぞっとするだろう。
 〈大地人〉が弱いのは、このように様々な要素が絡まり合った結果のデザインだと言える。しかし、全てのNPCが戦闘能力皆無では、ゲームの物語面、ドラマやクエストを構成する上で、不便だ。
 もちろんNPCが〈冒険者〉の出番を奪うようでは本末転倒だが、時にはNPCと〈冒険者〉が肩を並べて戦うようなシーンも欲しくなると言うものだろう。
 おそらく、そう言った都合から生まれた存在が〈古来種〉である。

 〈古来種〉は、つまり、例外的なNPCなのだ。
 その戦闘能力は高く、〈冒険者〉に匹敵し、ある場合は凌駕さえする。彼らは様々なクエストに『出演』し、時には〈冒険者〉を助け、あるいは〈冒険者〉に助けを求めてきた。
 あらゆるRPGがそうであるように、〈エルダー・テイル〉も低レベルの取るに足りないクエストから、高レベルの国家や地域に関わる陰謀へと向かって、冒険の規模が拡大して行く。
 低レベルのうちは村や集落を狼やゴブリンの群から守る冒険などがせいぜいだ。こういった冒険をしているうちは、どんな〈冒険者〉も〈古来種〉と関わる機会を持たない。
 しかし、次第にレベルが上がり、国家を揺るがす邪悪の侵攻などを前にすると、冒険の導入や背景として、彼らが姿を現す。
 〈古来種〉の多くは……というか、ほぼ全ては全界十三騎士団に属しているはずだった。全界十三騎士団とは、サーバーごとにひとつ設定された、〈古来種〉による騎士団である。その役目は、国家や地域の権力闘争には関わらず、〈エルダー・テイル〉の世界を邪悪から守り抜くことにあるとされている。
 たとえばレオナルドが長年冒険してきた北米サーバーでは〈ウェンの守り手〉(ウェンキーパー)と呼ばれる騎士団が存在し、大規模戦闘に繋がるようなクエストでは助力してくれたり、物語のバックボーンを演じてくれたりする。
 騎士団の一人が調査の旅に出て行方不明になってしまうという話を〈ウェンの守り手〉から聞いた高レベル〈冒険者〉が、行方不明の騎士を捜すうちに、セドナ遺跡にまつわる古代の恐ろしい秘密の謎に迫って行く、といった具合だ。

 当然ながら〈古来種〉の数は、〈大地人〉の数よりもずっと少ない。しかし、高レベルの冒険で顔を合わせる機会も多いので、一部の〈古来種〉は〈冒険者〉の中では有名になりうる。
 そしてこのエリアス=ハックブレードこそ、間違いなく、この〈エルダー・テイル〉世界最大の英雄にして有名人なのだ。
 妖精族に育てられ、妖精族の剣技を伝える無敵の勇者だと公式サイトにも紹介記事が載っている。そもそも、店頭発売されている〈エルダー・テイル〉のパッケージアートは、このエリアス=ハックブレードが絵柄になっているのだ。
 栗色の髪と瞳を持ち、藍色のアクセントラインが入った、純白の装甲コートを纏った姿。武器は巨大な両手剣の〈水晶の清流〉(クリスタルストリーム)で、絶対無敵の剣技・妖精剣(フェアリーアーツ)を操るという――どこの中学生が考えたのだと言うほど、格好良い、典型的な勇者なのである。



 ◆04



「でね、エリエリ」
「エリエリと言わないで欲しいなぁ、ミストレス」
「だってエリエリのほうが可愛いじゃん?」
 レオナルドがあっけにとられてる前で、カナミとエリアスは話し始める。エリアスは〈古来種〉だ。〈冒険者〉ではない。それどころか、NPCなのだ。つまり、人間ですらない。
 なぜそのエリアスとこんなにも親しげに話しているのか?
 いや、それ以前にエリアスがなぜここにいるのだ?
 彼の所属する〈赤枝の騎士団〉は北欧サーバー所属のはずだ。
 もちろん、エリアスは数多居る〈古来種〉の中でも最も有名な一人だ。その知名度は“白翼姫”鈴香鳳(リン=シャンフェン)と双璧をなす。
 だからこそ、北米サーバーという、欧州ではないサーバー住民のレオナルドもエリアスを見知っていたのだ。だが、だからといって、〈古来種〉が自分の担当サーバーを離れることは少ない。特別に企画されたワールド・イベントでもない限りそんなことはあり得ないし、何よりいまの〈エルダー・テイル〉には、イベントを企画するような、運営は居ない。
 あっけにとられているレオナルドの脳裏に、低く落ち着いたチャイムが鳴る。そのシステム音声を確認すると、パーティーへの招待ウィンドウが開いていた。おそらく目前の一団のものからだろうと、レオナルドはろくに確認もせずに承認する。
 パーティーが結成されると、参加者の名前の一覧が脳裏に展開される。レオナルドはその画面で、初めて自分を招待してくれた小柄な少女の名前を知った。
 少女の名前はコッペリア。
 先ほどエリアスと一緒に現れたが、エリアスの衝撃にすっかり忘れかけていた、地味な印象の娘だった。
 百四十センチほどの小柄な身体を、ヴィクトリアン・メイドの衣装に身を包んだ少女は、どうやら施療神官(クレリック)であるらしかった。レベルは当然のように九十。
 彼女は近づいてくると、レオナルドを見上げ、スカートをつまみ上げる優雅な礼を披露した。
「コッペリアはコッペリアと言いマス。初めまして。よろしくお願いしマス。治癒をご所望デスか?」
「あ、僕はレオナルド。初めまして。いや、ヒールはいいや」

 どこか人形のような不思議な印象の少女を見下ろして、レオナルドは、どこか反応が不思議だが、この少女が一番まともそうだと考えた。
 パーティー登録された今では判るが、どうやらカナミの一行は四人しかいないらしい。その内訳はたった今、是非もなくパーティーに加わった自分、黒髪の美女カナミ、眼前の少女コッペリア。それに加えて、エリアスだ。
 カナミは九十レベルの〈武闘家〉(モンク)
 コッペリアは九十レベルの〈施療神官〉(クレリック)
 そこまでは判る。理解できる。人数こそ三人と少ないが、前線で敵を支える回避型の壁役〈武闘家〉、治療を受け持つ〈施療神官〉。そして高い攻撃力で、ひたすらに敵の数を減らすレオナルドは〈暗殺者〉。バランスは決して悪くない。最小限で構成されたシンプルなパーティーだ。
 だが、そこに参加しているエリアスは何なのか。
 一〇〇レベルの〈刀剣術師〉(ブレイドマンサー)
 レオナルドは目の前の大地がぐにゃぐにゃと波打って、何が何だか判らないような気分になりそうだった。
 そもそも、なぜNPCとパーティーが組めるのか判らない。
 だいたい〈刀剣術師〉(ブレイドマンサー)からして謎だ。〈エルダー・テイル〉において選択可能な職業は十二種だ。戦士系三職、攻撃系三職、回復系三職、魔法系三職。その中には、断じて〈刀剣術師〉などという奇怪な職業は存在しない。一〇〇レベルもそうだ。〈冒険者〉のレベル上限は九十だ。それは二年前の拡張パックから変わっていない。
 自分だけ周囲の限界を超えて高レベルだとか、自分だけ他のプレイヤーには取得できない唯一の職業(ユニーククラス)だとかそういうのはアニメだけのはずである。
 何もかもがレオナルドの知っている常識をあざ笑っているようだった。

「心拍数に異常が見られます。治癒をご所望デスか?」
「いや、それはいいんだけど。僕がおかしいのかな?」
「状態異常アイコンは発見できませんでした」
「そう言うんじゃないんだけど……。あの、結構、旅は長いの?」
 レオナルドは尋ねた。
「コッペリアはヴィア・デ・フルールにてマスターに拾って頂きました」
 口の動きに対するわずかなタイムラグで自動翻訳を認識したレオナルドは、少しだけ思考を巡らせる。ナントカフルールは、確かパリのことだったはずだ。とすると、カナミやエリアスは、北欧サーバーからヨーロッパを横断して中央アジアまでやってきたということになる。日本を目指すというのは本気なのかもしれない。
 しかし、思考はそこで強制終了させられた。

 巨大な破砕音と共に、レオナルドはカナミとエリアスがいつの間にか姿を消していたことに気が付く。
「戦闘が開始されました。治療可能距離を確保するために、コッペリアは移動します。お相手がこれまでになることを、ご容赦下さいマセ」
「いや、良いからっ。僕も向かうっ!」
 レオナルドはコッペリアと共に、乾ききった街路を駆け出す。
 探すまでもなかった。
 そもそもこのテケリの街は廃墟、視線を遮る建物に乏しい。高原性の冷たい風と、強い日差しは、煉瓦などを容易く風化させる。今のこの廃墟には、レオナルドの身長ほどあるような柱や壁など、ほんのわずかにしか存在しないのだ。
 だから戦闘の現場を特定することは簡単だった。
 街を十字に貫く大通りのひとつが東へと抜ける辺りでは、激しい雷鳴が響いていた。雷撃系の魔法だ。景色が歪むほどの陽炎の群は、〈陽炎悪鬼〉(デイライトシェイド)だろう。
 あの歪み具合では、数十匹が一帯に集まっているに違いない。
 そしてまだ数百メートル先にいるエリアスは、透き通った両手剣をかざすと、悪鬼どもの中心部へと恐れげもなく切り込んでゆく。
(なにやってんだ!?)
 レオナルドの背中を、どっと冷や汗が流れ落ちる。
 エリアスは良い。彼の持つ〈刀剣術師〉(ブレイドマンサー)という特殊な職業も、一〇〇レベルの実力も、正確なところはレオナルドには判らない。だから、わずかな望みだが、一人で無数の〈陽炎悪鬼〉を駆逐する可能はある。
 しかし、エリアスの後を追うように乱戦に飛び込んでいったカナミには無理だ。それは完全に自殺行為である。
 同じ九十レベルのレオナルドが、五分と持たずに血祭りに上げられたことからも明白だ。
「戦術的距離を確保しました。これより戦闘支援を行ないマス――詠唱:〈サンクチュアリィ〉〈シールドパクト〉」
 こうなったら仕方がない。
 もう一回死ぬまでだ。
 レオナルドは覚悟を決めた。彼の隣を走るコッペリアは呪文の射程距離に入ったのだろう。支援呪文を仲間たちに掛け始めた。直接攻撃を加えてないとは言え、支援呪文は立派な援護行為――つまり戦闘参加だ。
 〈陽炎悪鬼〉は確実に気が付いて、狙ってくる。
 今は前線でエリアスとカナミが戦っているから良いが、あの二人が倒れたら、悪鬼達は次の獲物としてこの小柄な少女を狙うだろう。そうすれば少女が命を散らすのは、火を見るよりも明らかだ。
 つまり、この少女は時限付きの死亡証明にサインしたに等しい。それはレオナルド以外の三人のメンバー全てがそうである。
 であるならば、レオナルドもここは死地に飛び込むべきだろう。
 愚かだとはもちろん思うが、その愚かな真似をするのが、ギークというものだ。生粋のニューヨークっ子であるレオナルドにも、レオナルドなりの矜持というものがある。どうせ誰にも理解されたりはしないだろうが、蛙のニンジャと言えば正義の味方なのだ。
 女のケツを眺めているわけにはいかないではないか。

「おおおおおっ!」
 肺から空気を絞り出すような咆吼とともに、レオナルドは陽炎のように揺らめくモンスターの群に突進する。強化された身体能力でとんぼを切って相手の頭上まで駆け上がる。〈モビリティアタック〉だ。この位置は多くのモンスターにとっての『死角』にあたる。
(使いおしみは、しないっ!)
 レオナルドは初撃に、自らの持つ最大の必殺技を選択する。
 戦士職の特徴は、敵を引きつけて敵の意識から仲間の存在を消し去ることにある。回復職の存在意義は仲間から死者を出さないよう回復しきることだ。そして魔法使いの意味とは、戦況をコントロールして、戦闘終了時まで不測の事態を防ぐことにある。
 では〈暗殺者〉すなわち武器攻撃職の務めは何か?
 武器攻撃職の役割とは敵を殲滅することに集約される。武器攻撃職の中でも〈暗殺者〉は敵の排除に特化した能力でデザインされているのだ。
 その最大の技〈アサシネイト〉は、レオナルドが予想していた通り、瞬間的に一万近いダメージを発生させた。さらにレベルが十以上低い相手に対する付帯効果として、即死が発動する。
 周囲には空砲のような乾いた高い音が響いた。
 聞きようによっては滑稽なその音と共に、一体の〈陽炎悪鬼〉が破裂するようにその存在を終える。
「お! やっと来た。けろナルド!」
「失敬なあだ名は止めてもらいたいっ」
「では、そろそろ本番に行くとしよう。――さぁ、〈水晶の清流〉(クリスタルストリーム)よっ! 私の秘められた妖精族の血よっ! 眼前の敵を打ち破るために、我に力を貸すがいいっ!」
 いったいどこのジャパニーズアニメだ、と内心で突っ込んだレオナルドだったが、それを実際呟くような余裕はなかった。瞬く間に一体の敵を始末したレオナルドは慎重に周囲を見回す。敵の数は多い。視界内だけでも数十体が存在するし、時間をかければ、街を囲む他の場所から集まってくるのは、前回経験済みだ。

 焦らず、しかも最大効率を以て敵の数を減らさなければならない。エリアスの身体は紫色と水色の輝く光の奔流に包まれている。その加護の力は、よく見れば、カナミやレオナルド、コッペリアにも与えられているようだ。
 防御力強化の効果がありそうなそのエフェクトのお陰で、今は何とか戦線を支えることが出来ているが、五十レベル程度の敵とは言えこれだけ集まればその圧力は決して舐めることは出来ない。
 このまま敵の数を減らしていければ良い。
 しかし、敵が援軍を呼び集め増加する速度が、レオナルドが敵の数を減らす速度を上回れば、この均衡はあっさりと崩壊するだろう。その時はコッペリアの回復が間に合わず、じり貧になった前線は無理をして、結果として全滅となる。
 この戦いは、敵の数を減らす戦い。
 レオナルドは唇をかんだ。
 だとすれば、戦いの鍵は、〈暗殺者〉である自分が握っているのだ。
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