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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

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「ふわあ、広いですねえ」
「おおー。すっごーい」
 可愛らしい音を立てて生み出されたバグス・ライトが照らすと、夜の闇の中にもうもうたる湯気と岩風呂が浮かび上がった。風呂があるとは言ってたが、それは宿の部屋に据え付けられているわけではなく、裏手から砂利道を数分歩いた窪地にあるということでやってきたのだ。
 あたりは木々がちょうどよく目隠しになり、岩風呂には、熱い湯と冷たい川水が滝のように落ちてきている。風呂というよりそれは確実に温泉で、源泉からひいた湯とリクアール河の冷水を混ぜ合わせてできているらしかった。
 小屋のような建物は脱衣所なのだろう。ひととおり岩風呂を見て感動したセララは、ミノリや五十鈴と共にその小さな建物に入った。
 先ほどの岩風呂もそうだが、脱衣所も無人である。
 ごく普通の〈大地人〉の夜は早い。〈猫人族〉は夜目が利くし、宿の食堂のように〈畜光石〉を使ってもいい。普通の家庭にだって〈洋灯〉(ランタン)くらいはあるだろう。しかし、それらをつかうためには燃料や準備が必要だし、広い空間を手軽に明るくできるわけでもない。携帯して風呂に入るなど面倒である。
 わざわざ明かりを用意して夜間活動をするくらいならば、陽のあるうちに用事を済ませて早く寝るというのだ〈大地人〉もっぱらのライフスタイルだ。
 いまから風呂に向かうというセララたち三人に、宿屋の主人は「無人で貸し切りだよ」と言っていたのは、当たり前ではあるが、確かだったわけである。
 セララは「貸し切り」などというキーワードだけで恐縮してしまう小心な自分を知っているが、〈冒険者〉は〈魔法の明かり〉(マジック・ライト)があるから、こんな時間でも不自由なく岩風呂を満喫できるのだ。

 景気よく脱いで髪をまとめた五十鈴はタオルを巻いて脱衣所の出口で振り返った。
 セララは焦ったけれどどうしてももたもたしてしまう。
 自分でもしょんぼりなのだが、たとえ周囲には同性の友人しかいないとはいえ、ぷよちゃんというのは服を脱ぐのに勇気がいるのだった。
 注目されるわけはないので、それは赤面物の自意識過剰である。
 セララはできる限り急いでお風呂髪留めで後頭部の髪をまとめると、バスタオルで前を隠すようにおずおずと岩風呂へ向かう。防御は大事だ。
 そこには、目を細めてミノリがほほ笑んでいた。
「あんまり熱くないみたいですよ。あちらに石畳があるので、身体を流しませんか?」
 年下の友人は明るい表情だった。
 笑って頷きながら、セララはそちらへ向かった。
 アキバから持ってきた「天然物使用無添加シャンプー&リンス」や「試作型クリーミー石鹸」は、元の世界でのそれに比べれば、そこまで高級品というわけでもないしきっと性能も悪いのだろう。でも、〈大地人〉には超高級品として扱われているし、実用には十分である。三人はそれをヘチマの実やらタオルで使用して、髪も洗った。
 〈大災害〉が終わってから、セララは自分も変わったなあと思うのはこういうときだった。
 自分の身体を洗うといったことでさえ、手際が良くなった気がするのだ。以前のセララは自分でもわかるほどに不器用で、要領が悪く、もたもたしてたと思う。修学旅行などでは一人でお風呂が長くて班のメンバーにも迷惑をかけたものだ。
 変わった理由が〈家政婦〉のせいなのか、この世界の生活のせいなのかはわからない。
 元の世界にいるときも、掃除や洗濯などをはじめ、こまごまとした作業をすることは嫌いではなかったし、引き受けることも多かった。でも、けしてその手並みが人並み以上だったということはない。
 こちらの世界で〈家政婦〉になってずっと家事をやってきたせいで、いろいろ手際が良くなったようだ。
 サブ職業のゲーム的なボーナスであるよりも、自分自身が熟達したせいであってくれれば、うれしいな、とセララは思っている。
 いまだって別段器用という言葉には程遠いのだが、それでも以前よりはずっとましだ。家事が有能でよく気が付くなんて、若奥様っぽくて素敵だと思う。

 ミノリと交互に背中を洗いっこして、同じペースで髪を流す。
「こっちは終わりましたよ、セララさん」
「こっちも終わった、ミノリちゃん!」
 ふたりは視線を合わせてにしし、と笑うと、きょとんとした表情の五十鈴に襲い掛かって、その髪の毛を洗い始めた。

 ほどいた五十鈴の髪はウェーブがかかって腰に届くほどの長さだ。
 「女の子っぽくないし」「がりがりのやせっぽちだし」「そばかすだしね」「そこらの普通の女子高生だよ」という五十鈴が、実はこの長い髪を大事にしているのは、ミノリもセララも気が付いている。そんなことは、お風呂のたびに悪態をつきながらも、丁寧に、時間をかけて洗っているのをみれば明らかなのだ。
「五十鈴ちゃんの髪の毛、ふわふわにするねえ」
「櫛も二種類持ってきたんですよ」
「いいよう、面倒くさいし。自分でできるよ!」
「いえいえ、これも家政婦さんの仕事です」
「見習い徒弟はどんな仕事からも逃げません」
「痒いところはありませんかー」
「もう、セララ―」
「しゃべってると、泡が口に入っちゃいますよ。五十鈴さん」
「ミノリも、もうっ」
「セララちゃんの将来のための練習です」
「え?」
「新婚の練習です」
「ええー!?」
 ミノリの真面目くさった物言いに、そーなの? ほんとうに? なんでそうなるの!
 と、こらえきれないような三人の笑い声が岩風呂に響いたが、それでもセララは手を休ませなかった。長い髪を洗うというのは実は大変なことを知ってるし、五十鈴の髪をあらってみようというのは、ミノリと以前から話し合ってたイベントでもある。
 旅先のここでそのチャンスが巡ってきて、それは素晴らしいことだった。

 マジック・ライトが上機嫌に空中一回転する明かりの中で、セララは大きな岩風呂に肩までゆっくりつかる。温泉の暖かさがゆるゆると身体に浸透してきて、天国のような気分だ。隣の二人も目を細めて幸せの吐息を漏らしているようだ。
 岩風呂は大きくて、五メートル四方ほどもある。〈大地人〉の高級宿にあるタイプの猫脚バスタブに比べてたっぷりとしていて、湯の中で足を伸ばすと顎先が湯についてしまうほどの深さだ。もっと深い場所だってある。
 この岩風呂には二つの水流が流れ込んでいて、それぞれ熱めの湯と冷水である。ちょうどいい感じの温度を探して、セララたちは仲良く腰を下ろした。
「うーん、いいお湯!」
 にっこり笑った五十鈴が宣言した。
 ミノリも笑っているし、セララも幸せだ。
 空に浮かぶのは半分くらいのお月様と魔法の明かり。三人は見上げて、理由もなくくすくすと笑った。
 〈冒険者〉の身体はびっくりしたもので、野宿を含む旅を続けてきたにもかかわらず、筋肉痛もないし、目立った疲れも残っていない。それでも気持ちは張りつめていたし、こうやって三人で温泉に入ることができる宿はありがたかった。
 実を言えば野宿続きの旅と聞いて、ちょっとおびえていた部分もあるのだ。
 ミノリが言っていたが、このあたりは、元の世界では観光地なのだそうだ。魚がおいしいとか、干物が有名だとか聞いた。
 そのうちにゃん太さんとも一緒に来たいものだ――セララはそんなことをぼんやりと思った。
「温かいですねえ」
「温かいねー」
「ねー」
 三人は、ふにゃりと脱力してそんな会話を交わした。
 いつも元気いっぱいの五十鈴でさえ、昼寝をする猫のような笑顔になっている。セララはそれを見て、笑いをごまかすために口をおゆにつけてぷくぷくとした。
 こんなに気持ちいお風呂に入ると、人間は、みんなネコ科の動物になってしまうのだろう。セララ自身だってお昼寝気分だった。もしかしたら、猫耳さえ生えていたかもしれない。
「セララさんもほわほわの顔してますよ」
「ミノリちゃんだってそうだよ」
 なにせ頭の芯まで暖かいので、あまり複雑なことを考えられないのだ。会話がおバカっぽくなっても仕方ない。セララはそう自己弁護しながら返答した。
「それで、セララはにゃん太さんとお風呂したいの?」
 そんなふわふわ気分を一撃で粉砕したのは五十鈴だった。
 さっきの仕返しなのか、にこにこ笑顔にちょっぴり意地悪を隠して、セララを追及してくる。
「そういうんじゃないです」
「でも、にゃん太さんは格好いい?」
「にゃん太さんは、ダンディで、格好良くて、スマートなんです」
 セララが言い返すのに、五十鈴はミノリの肩を抱き寄せて満面の笑みだ。ミノリのほうは五十鈴とセララを交互に見て困惑顔だが、五十鈴は高らかに「ミノリはこっちチームだもんね」という態度を崩そうとしない。
「そんなことを言うなら、五十鈴さんこそルンデルハウスさんとどうなんですか?」
「ん? ルディは散歩友達だよ?」
 五十鈴のきょとんとした返事にセララはあきれる。
 普通に考えて、セララとにゃん太よりも、五十鈴とルンデルハウスのほうがよっぽどカップルに見えているはずなのに、なぜか五十鈴はそんなことにも気がついていないようだ。お風呂とは別の熱気で頬が染まり、それをごまかすためにやはり顔の下半分を湯に隠すしかなくなる。
「セララさんはよい奥様になりますもん」
 ミノリが明るい声で追い打ちをかけてきたからなおさらだ。
「そんなことを言うミノリは、シロエさんの秘書になるのかなあ」
「うっ……。そういうわけじゃないですけど」
「でもラブラブだよね。応援してるけど」
 矛先がそれてセララはほっとした。
 五十鈴は楽しそうにミノリをいじっているが、セララから見てもミノリはすごい女の子だ。サブ職を〈見習い徒弟〉(アプレンティス)に変えて、いまでは狩りに出る以外の日は〈第八商店街〉でバイトの日々をおくっている。
 そんなスーパー中学生だ。
 友だちづきあいをしていると、可愛らしいところも、ドジなところもたくさんあるのだけれど、責任感の強さと手際の良さは見習いたいと思う。とくに作業速度だ。片付けや設営をしてても思うのだが、ミノリだけがいつも先に作業を終える。一つ一つの行動が素早いわけではない。作業と作業のつなぎや、作業の下準備が早いのだ。地頭の差というか、賢さの差のようなものをセララは感じてしまう。ミノリはすごい。
「ミノリちゃんが秘書してくれたら、なんでもうまくいくよ」
「そんなんじゃないです。すこしだけでも、役に立ちたいから」
「またまたー」
「またまたー」
 五十鈴の尻馬に乗って、セララも笑った。
 不思議な気分だ。こんな風に笑えるなんて、ススキノにいるときは想像もしなかった。あれからもう何年もたったような気さえするほどだ。
「じゃあ、五十鈴さんは将来、なにになるんですか?」
「へ?」
 ミノリとセララをからかっていた五十鈴は、その問いが自分に向けられてびっくりしたような表情をする。しかしその表情は一瞬で、真面目くさった顔で会話に復帰した。
「わたしは普通だよ。元の世界に戻れたら事務員とかするし、このままだったら、狩りをしてクエストしたり、〈円卓会議〉のお使いをしたり、それで毎週〈ミュージックフェス〉で歌ったりするよ」
「五十鈴ちゃんは、歌手になるんですかー」
「ええー? そんなんじゃないよ」
 五十鈴は半分笑って手をパシャパシャと振った。
「ないない、歌手とか、そういうのじゃないよ。そういうのはもっと目立つ子がやるもんだよ。わたしは、ふつーなの。たまーにレストランでじゃかじゃかじゃーんってするぐらいが似合ってるんだよ。みんなが楽しい気分の時にBGM係をするわけ、ルディとふたりでね」
 けろりというその表情には暗いところも卑屈なところもなかったから、それは本心なんだな、とセララは思った。考えてみればそういうのも当然で、音楽家(アーティスト)なんてみんなが目指すものでもない。五十鈴は音楽好きだけど、そういうのに興味はないのだろう。

「将来か」
 近くから聞こえた声に三人は飛び上がるほど驚いた。
 自分たち以外に入浴客がいるとは思ってもいなかったのだ。
 慌てる三人にロエ2は鷹揚に頷くと、湯気で曇った眼鏡を光らせた。
「君たちは若いのだな」
 優しい声に、セララはなぜか素直に頷いてしまった。ロエ2は不思議な女性で、子どものような反応を見せることもあるのだが、時折不意に年上のようにすべてを知っているような優しさを見せることもある。
「ロエ2さんは……」
「無論、姉であるわたしは君らより年長なので身体的優位がある」
 ロエ2の発言にセララはびっくりした。
 びっくりで済まなかったのは五十鈴だ。口をぽかんとあけている。
「え、あ、その」
「胸も大きい」
 ひきつって慌てる五十鈴と、なぜかひどく落ち込むミノリがいて、セララは必死に励ました。ロエ2に抗議をして、なだめられ、なぜか恋の話になり、地球話を、住んでいた街の話をした。
 時間は疾風のように飛び去っていったが話題は一向に無くならなかった。
 セララはミノリや五十鈴と一緒にいて退屈を味わったことが一度もないことに気がついていたが、ロエ2はその輪の中にあっさりと飛び込んできたのだった。
 それはセッターグレン兄妹のもとへピッピがやってきた時のように楽しい時間だった。もちろん楽しい時間には代価がつきもので、四人はこってりとのぼせてしまったのだが。


 ◆


 ボクスルト。
 その名前は弧状列島ヤマトにおいても知名度が高い。
 元は山地の名称であったが、地域の名称にもなり、峠の名前にもなり、砦の名にもなった。
 東ヤマトから西ヤマトへ向かう街道はいくつかあるが、太平洋側のものはすべてこのボクスルトの砦を通る必要がある。海上輸送を除けばほとんど唯一の交易ルートでもあり、戦略拠点でもあるのだ。
 地球世界でその場所は箱根と呼ばれていて、もちろんトウヤも知っていた。確か社会科の授業でやったし、友だちが家族旅行にいったと聞いたこともある。
 一番強い印象は、WebTVの旅行番組だ。
 夕飯時にそんな番組が流れていることも多かった。母親は旅行が好きだったし、足が不自由なトウヤを連れていける旅行は温泉観光地くらいのものだったから、そんな番組を見ることは多かった。モニタ越しに見た箱根の印象は湖と温泉くらいのものだったが。
――トウヤたちは今、そのボクスルトの山道に差し掛かっていた。

 山道に入ってからもう半日近くたつが、トウヤたちはびっくりしていた。唖然と言ってもいいほどだ。そこは正真正銘の山道だったのだ。
 何を言っているんだ、バカだな、と言われるかもしれないが、それがトウヤの偽らざる感想だった。道の幅は三メートルほどしかなく、馬車が通るギリギリの幅だった。時に縁石や杭で補強されている部分はあるが、その多くは赤土で雨が降ったらいかにもぬかるみそうに見える。
 そんな不安定な道が、斜面に張り付くようにうねうねと続いている。右手は山頂に続くのぼり斜面で、杉のような樹木がみっしりと生えているし、左手は谷へと続く下り斜面で、目がくらむような落差を見せる景色もあった。
 風景だけならまだしも、街道は山肌に張り付いているために地形の気まぐれで、少し登ってはまた下り坂になり、左に右にと蛇行しては、時に引き返しているとしか思えない切り返しさえあった。三月の山はまだ冬枯れの様相を残していたが、自然の生命力は強く、濃い緑の匂いとざわめきに満ちている。
 つまりそれは、〈大災害〉後のセルデシアに慣れたとはいえ、その出自は都会っ子でしかないトウヤとミノリ、そしてセララにショックを与えるに十分ということだった。
 五十鈴は三人よりは「自然」というものに慣れていたが、それだって畑の向こうには地主の裏山がそびえているとか、冗談みたいに広い河川敷には背丈ほどもある雑草がぼうぼうと生えているとか、手入れのされていない校舎裏の菜園からは謎の西瓜が取れるとか、そういうレベルでの「慣れている」であって、この冗談みたいな未開の山道については唖然としているようだった。

 そもそも〈神代〉の遺跡にあふれているのがこの世界だったはずだ。
 崩れている場所が多いとはいえ首都高速まである異世界で、なぜわざわざ箱根越えだけがアスファルトもないような峠道なのかと文句を言いたい気持ちはある。
 腐葉土の柔らかい林間遊歩道というわけですらないのだ。トウヤの身長の二倍ほどあるような、巨大で濡れた黒い岩が突然突きだしていて、その岩を避けるためだけに山道が迂回していたりもする。
 唯一経験のあるルンデルハウスだけが訳知り顔で頷き、「だから朝の出がけにきょうは気合いを入れろって言っただろう?」とあきれ気味に告げるのだった。
 そういわれてしまえば、トウヤだって気合いを入れざるを得ない。
 救いだったのは同行を申し出てくれたロエ2の存在、そして召喚した〈蒼褪めた馬〉(ペイルホース)だった。この血の気の失せた青白い馬は強力で、師範システムでレベルを落としたロエ2が召喚してさえ、たった一頭で以前の二頭立てだったときにも勝る牽引力を持ち進んでくれている。

 うねるように上下を繰り返すこの山道では、馬車に乗っていることさえも苦痛だし速度も上がらないため、ルンデルハウスとトウヤは馬車から降りてその前を先導するように歩いていた。
 女性陣は幌馬車でぐったりしたり、時に後方から歩いてくる。
 トウヤの足元まで丸くて白っぽい仔犬が駆け寄ってきては、凛々しい自慢顔で絡みつく。トウヤには白い柴犬のようにしかみえないのだが、セララのいうところによるとウルフちゃんなのだそうだ。従者召喚魔術という系統の特技によって召喚されるということで、セララが命令しない限り消えたりはしない。そのため、宿で眠るときはともかく、旅の間はこうして周辺警戒をしてくれることが多い。

「わたしも警戒霊くらいはだせるんだがなあ」
「いや、それは遠慮する。レディ・ロエ2」
 御者席でけだるげに告げるロエ2にルンデルハウスは振り返ってくぎを刺した。〈召喚術師〉(サモナー)であるロエ2は召喚の専門家であり、そのレパートリーは召喚を能力の一部として備えているだけのセララが及ぶところではない。
 しかし朝方ものは試しと見せてもらったロエ2の〈死霊蝙蝠〉(ゾンビバット)は見かけがずいぶんグロテスクだったのだ。セララがしゃがみこんで涙目になったほどである。また、そこまで重度の警戒を要するほどでもないということで、ロエ2の〈死霊蝙蝠〉で哨戒するという作戦は却下された。すでに〈蒼褪めた馬〉を召喚しているために、維持にはマナがかかりすぎると判断されたこともある。
「あれはあれで慣れると可愛いのだがなあ」
 ロエ2は〈召喚術師〉という職であり、専門は召喚術。多種多様な召喚物を呼び出して、自らの代わりに行動させる魔術師だ。非常に応用範囲の広い特技群をもつために、〈大災害〉後のこの世界では最も活躍が増えた職種だと言われている。水を生み出し冷気を操る〈水精霊〉(ウンディーネ)、炎を生み出し熱を操る〈火蜥蜴〉(サラマンダー)などはその代表例だ。
 ひとくちに〈召喚術師〉といってもその方向性は様々で、大きく分けて四つほどがあるのだとミノリが言っていたのをトウヤは思い出す。〈水精霊〉や〈火蜥蜴〉を操る〈エレメンタラー〉。〈一角獣〉(ユニコーン)〈紅玉獣〉(カーバンクル)を操る〈幻獣遣い〉(ビーストテイマー)。〈スライム〉や〈ゴーレム〉などの風変わりで人工的な召喚を行う〈アルケミック〉。最後に〈動く骸骨〉(スケルトン)〈幻霊〉(ファントム)を用いる〈ネクロマンサー〉だ。

 これらは明確な区別ではなく、通常の〈召喚術師〉は「七割くらいは精霊と契約をしたけれど、ワンポイントで幻獣とも契約する」というような自分自身の中間的なスタイルをつくりあげる。この部分が〈召喚術師〉の腕の見せ所であり、醍醐味なのだとミノリはメモを読み上げていた。
 おおよそシロエの受け売りなのだろうとトウヤは察した。

 その中でもロエ2は生粋の〈ネクロマンサー〉なのだそうだ。契約している従者や召喚物は死霊系モンスターだけであり、ほかの種別は習得していない。純粋なビルドであるといえる。〈大災害〉後〈ネクロマンサー〉は人気がなくなったとトウヤは直継から聞いたことがある。見た目が怖くてグロテスク、意思疎通が難しいからだそうだ。
 セララの召喚するウルフを見ていれば、それも仕方ないかな、と思う。
 この白い仔犬風モンスターはもちろん戦闘ともなれば勇敢ではあるが、好奇心旺盛で甘えん坊だし、まるでペットのようなものだ。普段行動を共にするのであれば、こういうふさふさした連中のほうが人気なのだろうと、トウヤにだって予想はつく。

「トウヤ」
「見えてる。ルディ兄」
 視界の悪いこの山道では、直線で見晴らしが利くような部分はほとんどない。
 その代り山肌が突き出した部分をめぐるとき、三つ四つ先の折れ道まで見通せる部分が不意に現れたりする。
 トウヤたちから見て恐らく十五分ほど先の山道に、二台の馬車が立往生をしているのが見えた。モンスターに襲われている雰囲気はないから、何かトラブルがあったのだろう。どうしようかとトウヤは考えた。
 見た雰囲気だけではあるが、あの馬車は同じ方向、つまり西へと向かっている。通常であれば問題はない。しかし、あそこであの馬車が止まっているとなると話は違う。山道のこのあたりの部分はすれ違うほどの幅はないから追い抜くことはできない。〈冒険者〉の体力があれば無茶な解決ができそうな気もするが、それもまだ状況がよくわからない。
「立ち往生しているみたいだな」
「うん」
「どうしたー? なにかあったのかな?」
 御者席からロエ2の声が聞こえた。日光が苦手とぐったりした彼女は、トウヤたちと違って先ほどの光景を見逃してしまったのだろう。
「三つか四つ先の曲がり角で、トラブルがあったと思しき馬車が止まっているのだ。二台だった」
「すれ違えないかもしれないんだよ、ロエ2姉ちゃん」
「む、そうか。わたしはお姉ちゃんだからな」
 ロエ2は無意味に胸を張ったが、とくに良い案は持ち合わせていないようだった。
「なんにせよ、そこまで行ってみよう」
「そうしましょうよ」
 ミノリの同意も受けてさらに山道を進んだ一行は、予想通り動けずにいる商隊と出会うことになった。

「なあ、剣を買わないか? アキバ製の逸品だ。装備レベルは十と二十だぜ」
 最初にかけられた声はそれだった。
 目の下に隈を作り憔悴したような表情の商人は、先頭を歩くトウヤにそう声をかけてきたのだ。
 びっくりしたトウヤだが、すぐに首を振った。
「俺たちもっとレベルが上だもん。そんな剣はつかわないけどさ。どうしたの? 商人さん」
 鈍く首を振る商人はどうやらこの商隊のリーダーであるらしかったが、トウヤが見れば、三人ほど見える〈大地人〉の護衛も疲れ切ったように山道へとおろした木箱へとへたり込んでいる。そう、荷物はほぼすべておろされていた。二台の馬車のうち片方は車軸が折れてしまっているようだ。
 ミノリたちが乗っている馬車は二十メートルほど距離をとってある。引き返したり方向を変えたりすることになればあまり接近しないほうがやりやすいからだ。この場所は狭い山道の中でもひときわ狭隘ですれ違うほどの余裕はないし、道を踏み外せば、細い木の生い茂る急な斜面を転げ落ちることになる。
「まいったな、トウヤ」
「うん」
 おそらくだが、あの荷物がすべて鉄の剣だということになれば、そもそも荷物を積みすぎたのだろう。この事態の解決方法は簡単で、壊れた馬車を谷底へと落とし、残った荷物はもう一台の馬車に積めるだけ積み、残った荷物もこの場へ投棄して先へと進めばいいのだ。しかし、荷物は当然商人が仕入れとして買い求めたものであり、その思い切りが付かないのだろうと推察された。

「車軸が壊れてから、もう一昼夜をここで過ごしているのです。商人殿が不作法でも許してあげてください」
 奥に見えていた馬車から降りてきたのは、柔らかな風貌の女性だった。
 日に透けるススキの穂のような淡い褐色の髪に、雛菊からタンポポに至るさまざまなパステルイエローでコーディネートされたボレロとロングスカート、大きな帽子。柔らかい曲線を描く眉と慈しむような眼差しをした美女だった。
 空気の中にわずかにミスミソウの香りがして、トウヤは困ったような憂鬱なような気分になった。この優しそうでしかない女性は、ひどい事をするのだろうなと、何の根拠もなく感じたのだ。

「旅の物書き、ダリエラと申します」
 その女性は、おどけた様な可愛らしい仕草でスカートをつまむと挨拶をした。
「年若いですが、〈冒険者〉さんたちですよね? このままここでまた一晩を過ごすのは、商人さんたちにはきついと思います。ボクスルトの砦まででいいので、いくつかの木箱を運んではいただけませんか? 〈冒険者〉さんたちの協力が得られれば、しばらく先の峠で、追い抜きもできると思いますし、商人さんたちもこの窮地を抜け出せるはずです」
 ダリエラと名乗る女性の懇願は、柔らかいが芯を感じさせるものだった。
 優しい言葉遣いだが説得力があって、トウヤもルンデルハウスも思わずうなずいてしまったほどだった。
 この状況では実際他に選択肢もない。
 二人はミノリたちに相談するために、山道をひきかえすことになった。


 ◆


 商隊馬車の車軸が折れたのは、山道が鋭くくぼんでいたせいらしかった。土がわずかにかぶって見分けがつきにくいが、突き出した石に乗り上げた車輪は、その直後の段差から落ちて別の角石に着地することになったのだ。その段差はほんの十センチほどで、普段であればこんな事故にはならなかったに違いない。
 しかし欲をかいた商人は、荷馬車に鋼鉄の剣を木箱で二十四箱もつんでいた。そのせいで衝撃は大きく車輪が壊れてしまうという事態になったらしい。
 〈大地人〉であればひとつを持ち上げるのにも苦労する木箱は、ミノリたちにとってみれば二つ三つ持ち上げるのが苦にならない重量だった。木箱を抱えたまま山道を二十分ほどもすすめば、展望台のように突き出した山道が広くなった部分にたどり着く。
 この場所であれば馬車が休憩することもすれ違うこともできるし、当然、木箱を積んでおくことも出来るだろう。
 セララにはその場所で昼食の支度をしてもらい、ミノリたちが木箱を運び終わったのは二時間ほど後だった。車軸の壊れた馬車は残念だが谷底側に落としてもらい、商人は無事だった馬車とともにこの場所までやってきている。護衛たちと一緒に精も根も尽き果てた様子で、今は仮眠中のようだった。

「魔物が出るかもしれない山道で、積み荷を守って一晩を過ごしたんですよ。疲れ切るのも仕方ありません」
 物書きのダリエラはそういって、ミノリに柔らかく笑った。
 年齢の分かりにくい〈大地人〉の女性だった。ミノリよりは年上なのだろうが、どれくらい上かは想像がつかない。高く見積もってもマリエールと同じ程度におもえる。しかし、話していると、不意にミノリと同年齢かとおもえるような、可愛らしい笑みを見せた。
「ダリエラさんは、商人さんの奥さんなんですか?」
 びっくりした表情のダリエラはコロコロと笑った。
「ちがいますよ。ミナミへと帰るのに、商人さんの馬車に乗せてもらっただけなんですよ」
「そうか、ミナミか。イコマと同方向だな」
「ええ、すぐ近くですね」
 集まってきたロエ2が声をかけてダリエラが返す。

 峠の見晴らし台のような場所に、商人の無事な馬車、そして山積みの荷物、さらにはミノリたちの馬車が並んでいた。あまり堅牢には思えない木の柵に囲われているが、この広場自体が峠の空中につきだしたような立地だ。その外側は谷を見下ろ絶景が広がっている。
 商人たちは本当に疲れ切っていたようだ。
 護衛のひとりはなんとか荷物に寄りかかって座っているが、そのほかのメンバーは馬車の中に避難するように寝てしまっている。セララがスープを配ろうとしたが、起き上がってくる気配はない。
 ミノリたちはここで遅めの昼食をとることにした。
 風はまだ冷たいが、山を渡るそれは、アキバの街とはまた違った、独特の湿気を含んでさわやかだ。
「このスープは何のスープだ」
「お芋と人参のお味噌汁です」
「この長いのは……」
「ネギです」
 ミノリは、ちょっと離れたロエ2とセララの会話を聞いて笑いをこらえる。
 峠で食べる昼食はお弁当みたいで楽しかった。倒木に腰を掛けて足を揺らしている五十鈴と、その隣でおにぎりをほおばっているルンデルハウスがにぎやかだった。セララたちに交じってピクルスを差し出しているダリエラも柔らかい雰囲気だ。
「トウヤ、お腹痛い?」
「そんなことはないよ」
 ひとりでどこか上の空だったトウヤが心配になったミノリは声をかけたが、しっかり者の弟はにやりと笑って返事をした。
「ミノリこそ平気かー。兄ちゃんが恋しくなってないか?」
「もう、そんなことない」
「ま、いいけどさ。峠を越えれば、もうずいぶん目的地にちかいしな」
「うん、それに|〈鋼尾翼竜》《ワイヴァーン》〉でしょう? シロエさんによれば、このあたりの山地にも現れる可能性がないわけじゃないって。飛行型のモンスターは活動範囲がずいぶんと広がっているはずだから……」
「そっか。じゃ、注意しないとだな」
 空を見上げるようにふいにあげられたトウヤの視線につられて、ミノリもそれに気が付いた。
 ミノリたちに近づいてくる一行がいる。
 それは全身鎧をつけた重装備の騎士を先頭にする一団だった。

 どことなく陰鬱な印象を抱かせる〈冒険者〉たちは全部で十数人いるだろうか。すぐにミノリたちの注目するところとなって、山道を登ってくる。ミノリたちの進行方向からやってきて、ふもとへと向かうルートだ。
 ミノリはすばやくステータスを確認した。
 イシイジロウという武士が先頭で、その所属ギルドは|〈Plant hwyaden〉《プラント・フロウデン》、レベルは九十。続くメンバーも同じ所属でレベルもほぼ同様、人数は十四。
 いまのヤマトサーバにおいてPK(プレイヤーキラー)はあまり多くはない。少なくともアキバ近辺ではほぼ聞かなくなった行為だ。しかしこの山深い場所で出会った一団にミノリたちは緊張を隠せなかった。
 ルンデルハウスはさりげなくトウヤの隣へ移動していた。
 マントを翻してモデルのようなポーズで立つその姿は貴公子のようだったが、ミノリはその位置取りが五十鈴やセララを背後にかばっていることを知っている。
 一団は急ぐでもなく着実な速度で歩いていた。
 高位レベルであれば、能力の高い騎馬を所持しているはずだが、騎乗している冒険者は一人もいない。十四人はほぼ二列となって山道を接近してくる。
 ここは広場になっているので狭い場所ですれ違うようなことはない。見送ればいいだけだ。臆病かもしれないとは思ったが、ミノリはその事実にほっとした。
 集団の中央の四人は、巨大な荷物を支えていた。
 それは神社などに奉納してある神輿のようにみえた。ずいぶん洋風の装飾をされているが、井桁にくまれた太い棒で囲まれ、それを保持した前後左右の四人で運ばれている。
「〈北風(ボレアス)の移動神殿〉ですね」
 ダリエラがポツリとつぶやいた。
「なんだそれは?」
 メンバーの中でさほど緊張を見せていない唯一の人物、ロエ2があっけらかんとした口調で尋ねる。
「わたしも見たことは多くないのです。〈オデュッセイア騎士団〉の人が各地に持ち歩いているものですね。〈冒険者〉の人の用いる聖具だとききました」
「ふむ」
 五十鈴やセララは、その言葉を聞いて、怪訝そうな表情だ。
 ミノリもそんな話は聞いたことがない。
 〈オデュッセイア騎士団〉という言葉もそうだ。それは聞いただけで、どこか遠くを冷たい風が吹き抜けるような、不安感を抱かせるような響きをもっていた。そもそも今まさに確認したところによれば、彼らは〈Plant hwyaden〉所属の〈冒険者〉のはずである。
 そう考えれば〈オデュッセイア騎士団〉というのはギルドではないのだろう。
 では何なのかと考えればミノリにもわからない。
 聞いたことがあるのは〈望郷派〉(オデュッセイア)という単語だった。
 元の世界へ帰ることを至上目的として掲げた組織であるはずだ。それだけを聞けば無理もなく、ある意味すべての〈冒険者〉の気持ちを代弁するような集団であるはずだが、アキバのギルドホールで〈第八商店街〉の手伝いをしながら耳に入ってくる噂話は、どれも陰鬱な色彩を帯びていたように思う。

 集団は近づいてきて、もうすでに装備や個人の顔立ちまでも確認できるほどになっていた。全員の装備は清潔で、整っていた。むしろ規律正しすぎるようにミノリには思えた。互いに無駄口も叩かず、一定の速度で歩いてくる。無尽蔵の体力を持つ〈冒険者〉が、しかも九十レベルの集団でもあり、そんな仕草は少しも見えないのに、彼らは疲れ切った亡者の群れのような印象を与えた。
「あの〈北風の移動神殿〉は、〈冒険者〉の皆さんを復活させるそうです」
 〈大地人〉のダリエラにはわからないのだろう。
 その言葉はどこか遠く、他人事めいた響きを持っていた。
「また、そのせいか、副作用なのかわかりませんが、心の声をかき乱すともいわれています。〈冒険者〉の皆さんにとっては、大事なものなのでしょうね」
 ミノリはセララと視線を交わす。
 そんなことを言われても初めて聞いたようなアイテムのことなのだ。反応に困ってしまう。ダリエラの話す意味もよくわからなかった。ミノリの中の何かが理解を拒んでいるような感覚だった。
 言葉を素直に聞くのであれば、あの〈移動神殿〉は、神殿の代わりで、付近で命を落とした〈冒険者〉を蘇生させる、いわば復活地点の代替であるかのような、いや、復活地点そのもの(、、、、、、、、、)であるかのように聞こえる。
 それは字義どおりに言えば〈冒険者〉の不死性を高める恩恵のようでもあるが、一方でひどく不吉であるかのようにも思えるのだ。
 ミノリは不安になって弟の背中にその名を呟いた。
 トウヤは先程からミノリたちの中で最前線に立ち、仁王立ちで〈オデュッセイア騎士団〉をみつめている。だから、ミノリからはその背中しか見ることはできない。
 トウヤは返事をしなかった。
 しかしその身体には戦いのときに勝るとも劣らぬ緊張感と戦意が宿っていることを、双子のミノリにはわかってしまう。

 一団は広場のわきに差し掛かり、そのままミノリたちのほうを特別警戒することもなく、そのままの速度で、変わらぬ歩調のままで、何かを探すように、導かれるように歩を進めていった。
 とても長い時間が経ったような気がしたが、冷静に考えれば、ほんの十分ほどのことだっただろう。
 彼らは何のトラブルをおこすこともなく、ただ通り過ぎていった。
 しかしミノリは胸の中に広がるざわめきを消すことができなかった。

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