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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

夜明けの迷い子

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たくさんお待たせしました。再開です。
 銀の光を10の瞳が見つめていた。
 交わされる刃は流星のような尾を引き、弾けて、消える。
 まるで定められたような約束を経て、すれ違い、あるいは打ち合い、金属と言うよりは水晶の切片のような音を立てて互いを拒絶しあう。
 ナズナとその仲間たちが見守る中で、殺人鬼とソウジロウは死闘を繰り広げていた。
 ソウジロウの繰り出した打刀の攻撃はあまりにもなめらかで威圧的なところがすこしもない。しかし、ナズナは、その一撃が、向けられるものにとっては回避不能の恐ろしさを持っていることを知っていた。放たれる斬撃があまりにも優雅なために緩やかに感じられるだけなのだ。相手の回避行動さえ見越して放たれるソウジロウの攻撃は、その見た目とは裏腹に、致死の一撃である。
 そのソウジロウの攻撃を、殺人鬼は異形の籠手や具足ではじく。
 まともな剣術ではない。獣の戦闘術に近い本能の動きだ。そしてそれは、明らかに人のみが持つ殺人への愉悦によって彩られている。
 弾いた一撃の火花も消えきらぬうちに、崩れた姿勢から殺人鬼の刀が繰り出される。
 その攻撃はソウジロウのそれとは違い、剣術の理を持たぬ、ある意味乱暴な一撃だった。
 しかしそのでたらめさゆえに速く、予測しがたい。
 現にナズナの仲間のキョウコはそれにやられたし、いまナズナが抱えるカワラも大きな傷を受けている。
「局長、スゴイ……」
 腕の中から漏れる呟きは、ナズナの後ろに控えるメンバーすべての呟きではあったろう。

 本来ならば集団で包囲し闘うべき相手だ。
 エンバート=ネルレス。
 レベル94、〈武士〉(サムライ)
 ソウジロウよりひとつ上のレベルを持つこの鬼を、ナズナはもはや〈冒険者〉だとは考えていない。〈武士〉だなんてばかばかしい。
 ナズナだって〈武士〉(ソウジロウ)を見つめ続けてきた自負がある。たしかに〈エルダー・テイル〉における特技システムは多彩で〈武士〉が習得できる特技は数多い。レベルにより多くの技は上位の技と置換されていくが、その系列はおおよそ40。そのすべてを個人の〈武士〉が使いこなすことはないとは言え、目の前の殺人鬼とソウジロウの用いる技には、違いがありすぎる。
 あれは〈武士〉ではない。あの戦い方は〈冒険者〉とは違いすぎる。
 それでも最初はパーティーとして対峙していた。
 〈西風の旅団〉調査班のひとつが殺人鬼に遭遇、取り逃がしたことから、本部詰めのソウジロウたち一行が出撃、この狭い路地で殺人鬼との戦闘を開始した直後はだ。
 しかし包囲殲滅するというナズナたちの戦闘プランはもろくも崩れ去った。
 廃墟と廃墟の隙間に存在する、まるで隙間のようなこの路地において、まともな隊伍を組むことは不可能だった。そのうえソウジロウ以外に、あの殺人鬼の奇剣を押さえ込める使い手が、ナズナたちの隊にはいない。
 あっという間に第二前衛のカワラがきりきざまれ、ナズナや魔法使い(キャスター)たちにも被害が出たのだ。ソウジロウが一気に前へと詰めて殺人鬼への圧力をかけていなかったなら、今頃ひとりふたりは大神殿へ転送されていただろう。
 ナズナは小さく感謝した。
 ソウジロウに助けてもらったからではない。
 ソウジロウの前で女性を犠牲にせずにすんだ幸運にだ。

 音で人が斬れるのならば、確実にその戦果を上げているだろう一撃が何度も何度も繰り返される。夕刻、冬の風はどんどん乾いてひび割れるような冷たさを備え始める。その空気を切り裂くように殺人鬼の剣が奔る。
 息を詰めても漏れる白い呼吸の景色の中で、ソウジロウはそれを弾く。
 ソウジロウの口伝、天眼通だ。
 ナズナも完全に把握しているわけではないが、天眼通は防御のための口伝。空中をわたる軌跡を見るものだとソウジロウは語っていた。ソウジロウが身につけた新しい力。それを駆使して、ソウジロウは殺人鬼の攻撃をそらし続ける。
 ソウジロウにもいつもの余裕がない。
 普段のソウジロウであれば、攻撃は弾かずに、流すか、躱す。
 それが出来ていない時点で、殺人鬼の一撃がどれほどに速く、鋭いのかが判る。
 そして躱しきれない一撃がやってきて、ソウジロウの身に纏う、戦国武者にも似た鎧の大袖がはじけ飛ぶ。
 他の仲間には判らないだろうが、ナズナは一人唇を噛んだ。
 いまの一撃で、ナズナがソウジロウに付与していた防御障壁が消し飛んだのだ。障壁の術はあらかじめかけておくことにより、HPに対する損害を防止する防御呪文だ。いわば、目に見えない追加のHPだといえる。水色の鏡のようなエフェクトに波紋が奔り砕け散る。その様は周囲に見えたとしても、それが具体的にどれくらいのダメージを負ってはがれたのかは、術者であるナズナにしか判らない。
 ナズナの使用した〈禊ぎの障壁〉はソウジロウの総HPのほぼ20%弱に相当する。つまりあの瞬間、防御呪文がなければ、ソウジロウは1/5の体力を失っていたのだ。〈大規模戦闘〉(レイド)のボスに匹敵するその攻撃力にナズナは焦慮を覚える。あの攻撃を立て続けに食らえば、ソウジロウとて、持たない。
 もちろんふたたび〈禊ぎの障壁〉を張るために詠唱準備はしているが、〈禊ぎの障壁〉も連発できる術ではない。細かい回復や障壁と組み合わせ、仲間を被害から守りきるのが、ナズナのような〈神祇官〉の戦い方なのだ。
 闇雲に障壁にこだわれば、MPを必要以上に失い、やがては戦局を不利に傾けてしまうだろう。そうでなくとも、綱渡りの心境である。こうして防御の術をかけていることが目前の殺人鬼に察知されれば、その刃がいつ自分自身に向くかもしれないことをナズナは知っている。
 しかし、逃げ出してしまえば、ソウジロウを守ることも、治癒することも出来なくなる。
 こうして戦いを見つめながら、己の実力を見極め、障壁がたとえ薄紙のようなものであっても託し続けるしかない。

(なんなんだ、こいつ。こんなギャンブルが、あるものか)
 〈神祇官〉だからこそ判ることもある。
 〈西風の旅団〉という、規模こそゆずるが、サーバーのトップギルドのひとつとして〈大規模戦闘〉(レイド)へ挑戦し続けてきたギルドとして、そのメインの回復役(ヒーラー)として、だ。
 この戦いは敗色が濃厚だ。
 敵の攻撃を引き受ける(タンク)がソウジロウだからこそいまはぎりぎりの均衡を保っているが、もしソウジロウでなかったならば、蹂躙を受けて終わっていたという確信がナズナにはある。
 そのソウジロウにしてからが、すべての攻撃をいなし切れていない。
 もちろん〈大規模戦闘〉であっても、巨大なドラゴンや殺人ゴーレムの攻撃すべてを無効化するなど無理な話だ。多くの〈大規模戦闘〉は、たったひとりの前衛を最低3人、多いときは10人弱の回復役(ヒーラー)で支えることで戦闘をすすめてゆく。そして前衛が強大な敵を抑えている間に、攻撃役(アタッカー)がそのHPを削りきるのだ。
 しかしいまは、十分な回復役も攻撃役もいない。そもそも本の隙間のようなこの狭い路地では、〈大規模戦闘〉用のフォーメーションを運用することも出来ない。
 相手が〈冒険者〉ならば、あるいは並みのモンスターならば、恐れることはないと考えていたナズナたちだが、殺人鬼がここまでの化け物だとは思わなかったのだ。
 そしてまた――
「くぅっ!!」
 ソウジロウの攻撃が、すり抜けられる。
 いつの間にかソウジロウの右脇へと移動していた殺人鬼は、その奇怪なシルエットを昆虫のように動かしてソウジロウの臑をはらった。その攻撃を跳ねるように躱したソウジロウだが、いつもの舞うような華麗さはない。おそらく、その余裕がないのだ。
 幾つもの攻撃をつなぎ、相手の体勢をくずし、地道に紡ぎ出した好機の一撃を、この殺人鬼は不可思議な体術で無効化する。いまのもそうだ。
 ソウジロウの攻撃をすり抜け、背後を取る。
 おそらく攻撃を当てることさえ出来れば、いくらなんでも〈大規模戦闘〉級モンスターというわけではないと思うが、その攻撃を当てることが出来ない。このままではソウジロウがいまの動きを維持できたとしても、ナズナのMP切れで戦線は崩壊するだろう。
 そしておそらく
(わたしたちがいる限り、ソウジロウは逃げないだろうね)
 そう確信できる。

「……ソウ様」
「局長」
「だめだ、見えないっ」
 苦しみを感じさせる呟きが聞こえる。ナズナの仲間たちだ。怪我だらけの彼女たちの治癒は、本来ナズナの役割なのだが、いまはそれさえも満足には出来なかった。彼女たちを治癒するためのわずかなMPさえも温存しておきたいのだ。
 焦りゆく心とは別の回路でもって、ナズナは撤退計画を練る。
 ソウジロウは逃げることが出来ない。それは、仲間の女性を決して見捨てないということでもあるし、そもそも殺人鬼を抑えているソウジロウが逃げるとすれば、背後から追撃を許すと言うことになる。
 そしてソウジロウが逃げられないのと同じ意味で、ナズナも逃げることが出来ない。ナズナが逃げれば速くて数秒、遅くても30秒で障壁が尽きてしまう。障壁が尽きればソウジロウのHPにダメージが行くだろう。ナズナはソウジロウを生かしておくために、つまり追撃を少しでも遅らせるために、逃げ出すことは出来ない。
 では他の少女達は?
 カワラやオリーブたちを先へ逃がすことは出来るし、それがおそらく唯一の正解だ。
 だがしかし、それにもきっかけは必要だ。いま算を乱して逃げ始めれば、あの殺人鬼はソウジロウからターゲットを移して、少女達を蹂躙するかもしれない。もちろん、それを防ぐのがソウジロウの役割なのだが、防ぎきれるとは確約できない。あの悪鬼はそれほどの手練れだ。
 何かチャンスがあれば。そう考えつつもじわじわと時間が経ち、両脇から締め付けられるこの路地はどんどんと薄暗くなってゆく。まるで燐光を放つかのように光る殺人鬼の刃が踊る黄昏が長く長く引き延ばされる。
 ソウジロウの振るう刀にも、迷いの色が見え隠れする。戦いは拮抗している。ソウジロウだとは言え、精神的な動揺が崩壊のきっかけにならないとはいいきれない。

 そのとき燕が舞い降りた。


 ◆


 ギルド庁舎を囲むような古代樹の枝を走り、その先端から身を翻す。
 枝は細い方がよい。またがって座れそうに太いものは安心感があるけれど、しなりを利用して“飛ぶ”にはいささか不都合だ。
 何度も繰り返した動きでアカツキはアキバの街をかける。
 地上に道があるように、空中にも回廊がある。飛び移りやすい枝や、屋上。ベランダや、壊れかけた看板。古代のビルの遺跡と古代樹が抱き留めた冒険者の街には、空を翔るものたち専用のルートがあるのだ。
 いつからだろう、そのルートをたどる空中移動を意識せずとも行えるようになったのは。
 ゲーム時代にはあり得なかった選択肢だ。
 〈円卓会議〉成立時にはまだ出来なかったように思う。ザントリーフから帰ってきたときにはもう無意識にやっていた。いつから出来るようになったのかは不明だが、アキバの街なかを移動するにはいまやこの手法抜きでは考えられない。はじめて入ったようなゾーンでも風の流れや建物の配置、あるいは建造物の壁や樹木の位置を無意識に観察している自分を感じる。
 長い髪が空気の層にたなびいた。
 その髪が重ければ、空気が湿って、雨が近い。
 引っ張られるようなら風が強くて、一部の経路はつかえない。
 そんな感覚までも身につけたアカツキは、同様に空中回廊を利用する一部の〈冒険者〉の中でも、ずば抜けた体術を身につけ始めていた。
 そんな“いつもどおり”をやっているだけなのに、身体の奥が火照り、手足が軽くなる。
 枝の先端に体重がかかる瞬間を見計らい空中に身を投げ出すその瞬間、いつもよりもはっきりと自分の身体の動きを意識して、風をとらえる。何十回も繰り返した動きなのに、普段の半分の力で次の枝に着地し、その体重移動を利用して次の跳躍へと意識を飛ばせるのはなぜだろう?

 レイネシアとの短い会話が頭の中をぐるぐると回っていた。
 自分と他人のことを考えるのが苦手だと、いつも思うとおりに、アカツキはその自分の思考を上手くとりまとめることが出来ない。レイネシアの様子。レイネシアの言葉。自分の気持ち。返した言葉。それらが浮かんでくる泡のようにふわふわとアカツキの内側に上ってきては、弾けて消える。
 言葉にならないうちに消えてしまうから、アカツキは自分がなにに動かされているかよくわからないのだ。
 レイネシアは、がんばっている。
 そんな言葉だけが胸の中で煙っている。
 報われて良いと思うほどに。
 西方へくだりつつある夕日を横目で眺めながら、耳を澄まし、感覚を薄く広げる。何度も繰り返した気配察知の技能に、アキバの街の雑多な呟きが引っかかる。

 ギルドにかえってオニオンスープを作ろうよ。
 明日の狩り場は何処にする?
 どこかで夕食、いっしょにどう? あ、あの。おごるし!
 俺さ、新しい商売を考えてるんだけどさ。
 まったくうちのサブマスは厳しいったらないよ。
 どうにかしてデートできないかな。
 〈冒険者〉さんはおれらの二倍食うよね。
 いや三倍さあ。

 それらは本当に取るに足りない、どうでも良い会話だ。普段だった気にもとめないであろうやりとり。しかし今日に限っては、なぜだかアカツキの耳にはやけにはっきりと聞こえた。
 それらはおそらく秘密に属するものなのだ。
 みんなが毎日を暮らして、一日の活動を終えた夕刻に、親しい人と夜を過ごすささやかな予定。あるいは、明日をどんな日にするかという、それぞれが自分ひとりのために持っている小さな願い。もちろん聞かれたら困るという意味の秘密ではないけれど、個人の個人に対する気持ちという意味で秘密に属する呟きだ。
 アカツキには判らないけれど、それぞれの人にとっては、それぞれに重大な呟きなのだろう。今日のアカツキには、その大事さが、よくわかった。
 なにに触れたかもわからぬままに、アカツキはなにか特別で、大きなものに触れた。

 そんなことを考えていたせいか、飛び込んだのはほとんど無意識の有様だった。
 軋るような鍔迫り合いの音を耳にとらえ、進路を変更し、無人になった十五階のビルから戦闘を発見するまでに約二分。認識した瞬間、ふわりとビルの狭間に身を投げていた。
 自由落下に任せるだけでなく、加速を求めて左右のビル壁を蹴る。
 腰の後ろにくくりつけられた小太刀の柄に手を当てて、呼吸を止めたまま錐もみ状に突撃する。
 魔力を持つ装備が自動的に展開する空気の膜を切り裂く手応えと共にアカツキはやっと周囲の状況を認識した。

 黒い殺人鬼と闘っているのは、ひとつのパーティー。前衛のサムライ、後衛で機能しているのは回復役が一人だけ。ほとんど半壊状態だ。
 その前衛は、〈円卓会議〉十一ギルドを構成するひとつ〈西風の旅団〉ギルドマスター、ソウジロウ。普段のアカツキだったら、きっと慌ててパニックになりかけている。
 アカツキがやったのは、MMOにおいて「横殴り」と呼ばれる行為だ。他のパーティーが戦闘中の相手に対して、パーティーメンバー以外の〈冒険者〉が許可なく攻撃を加える事を指す。経験値や財宝を横合いから奪うに近い行為のため、マナー違反だし、良い顔はされない。
 ましてや相手は、アキバの街でも有数の戦闘ギルドのひとつだ。人付き合いの苦手な普段のアカツキだったら、困り果てているし、第一近づきもしない。
 けれど、いまだけは違った。
 朝からの出来事で意識が飽和していたのだ。
 なにか一つのことをゆっくり考えられもしない精神状態で、それでも普段より何十倍もクリアな視界の中をアカツキは跳ねた。
 右から薙ぐように〈アクセル・ファング〉。
 とどかない。わかっていた。壁を蹴って宙を踊り〈ヴァイパー・スラッシュ〉。
 はじかせて身を翻し〈キリング・アサルト〉。
 最初の一太刀でわかっていたが、この殺人鬼は強い。アカツキでは勝てないだろう。
 それでも止まらなかった。
 小さなヒントだけでも得ようと〈ベノム・ストライク〉。
 迫る敵の刀をバックステップで。足りない。〈ガストステップ〉で強引に背後に。それでも足りない。アカツキの防御圏をすり抜けてくる青白い刃に背筋を凍らせながらも、燃えるような冷静さで前に出る。 右の前髪が持っていかれたのを気にもとめず〈アクセル・ファング〉。
 浅い。もう一度! 丁寧に軌道を変えて掬い上げるように〈アクセル・ファング〉。
 早く、速く、とく疾く。

 いつの間にか自分の周囲に水色の波紋が振るえているのにアカツキは気がついた。
 〈神祇官〉の障壁呪文だ。ミノリの放つそれよりもずっと高い強度を持つ高位の呪文だとわかる。おそらく先ほど見た回復役の援護なのだろう。
 だがおそらくはほんの僅かな保険にすぎないとアカツキは分かっている。殺人鬼はいまだに眼前の〈武士〉に刃を向けている。だからこそアカツキへの反撃が少なく、だからこそアカツキは未だに生きているのだ。一対一ならば、とっくにアカツキの生命はなくなっている。
 男のくせに長い髪をポニーテールに流した丸顔の少年は、悔しいがこのサーバでも一線級の前衛、〈西風の旅団〉率いるソウジロウ=セタだ。アカツキとは戦績も名声も比べ物にならないほどの猛者だ。そのソウジロウをして、黒い暗殺者を抑えることをできていない。
「逃げて!」
 アカツキの叫んだ言葉に、ソウジロウの唇のはしが釣り上がるのがわかった。
 強い視線がアカツキを射すくめるように打ち込まれる。年下には見えても、男性の、それも威嚇するような表情に怯えてしまう自分を、アカツキは予感した。しかし現実には、そんな予感を無視した自分が小規模な嵐のように戦っている。
「なぜですっ」
 あまりにも当然のソウジロウの問に、アカツキは詰まる。
 反射で叫んだだけで、アカツキにだってなんでそんなことを言ってしまったかはわからないのだ。アカツキよりもはるかに強いこの〈大地人〉は、バケモノだ。
 考えてみれば当たり前だろう。〈冒険者〉を上回るレベルを持つ上に、その能力は〈動力甲冑〉(ムーバブル・アーマー)で増強されているのだ。改めて見てみれば、殺人鬼の手足が肥大化したようなシルエットは、衛兵の鎧の一部を無理やり身にまとっているせいだとわかる。発光するダイオードのような部分は魔力が供給されている証なのか、防御膜を形成して、アカツキたちの攻撃を防ぎ続けているのだ。
 アカツキは勝てないだろう。そしておそらく、ソウジロウも勝てない。この殺人鬼を倒すには、こんな狭い路地ではダメだろう。もっと大勢の〈冒険者〉で囲んで圧力をかけるしかない。でも、だから自分は叫んだのか? 自分自身を囮にしてソウジロウを助けたいのか?
 アカツキの飽和した思考の中には困ったような顔で天を仰ぐシロエがいる。
「なぜですっ」
倒すのと(・・・・)解決するのは(・・・・・・)違うからっ(・・・・・)
 ソウジロウを切りさかんと迫る異形の一撃をアカツキは全力で迎撃した。
 〈アサシネイト〉。瞬間ダメージにして一万超を叩きだす〈暗殺者〉アサシン最速最強の特技を持っても、殺人鬼の持つ黒く分厚い巨大な籠手の軌道をそらすことしかできない。
「だから逃げて!」
「そんなことには、頷けませんねっ」
 重ねた警告に、ソウジロウは笑みを深くして、上段に構えた刀を振り下ろす。
 身を躱した殺人鬼が放つ人間離れした蹴りをソウジロウは、右の前髪に振れさせてはずす。アカツキとそっくり同じその場所を失いながら、ソウジロウは交差するように踏み出して振り下ろしたはずの刀を跳ねあげた。
 ソウジロウは強い。おそらくアカツキよりも幾倍も。
 呼吸の数分の一の攻防でもそれがわかる。
 でもだからこそ、ソウジロウはいまこの場所でこのバケモノを仕留められないことがわかっているはずだ。なのになぜ逃げてくれないのか。なんて頑固な少年だろうとアカツキは思った。思えばこの世界には頑固な男しかいない。トウヤやルンデルハウスといった年少組の少年はとりわけ頑固だ。直継は頑固というよりバカすぎて行いを改められない。にゃん太老師も見た目よりも頑固だ。きゅうりをサラダに入れるのがその証拠だ。アカツキの意見に耳を傾けてくれるのは主君のシロエくらいしかいない気がする。
「左手っ!」
 そのアカツキが急停止する鼻先を暴力的な金属の塊が駆け抜ける。
 自身がかろうじて回避した横殴りの一撃を、ソウジロウはアカツキを見たまま、軽やかに回避した。
 アカツキはそれを見つめて、その動きに憧れて、不思議な気分になった。
 ソウジロウは相変わらず底冷えのするような笑顔を殺人鬼にもアカツキにも向けている。
 普段のアカツキだったらきっと逃げ帰るほどの圧力を感じているはずだ。
 でも、そうではないのだ。
 ここにもまた、アカツキ自身がよくはわからない、大きなものがある。ソウジロウはアカツキを威嚇したわけではないのだ。アカツキになにかを与えようとして、アカツキはそれに触れたのだ。
 アカツキはその正体がわからないことに申し訳なさを感じたが、でも、わからないなりに、それがとても大事であるということだけは感じた。

「ナズナさん。一足先に帰ってください」
「――わかった。ギルドホールで待ってる」
 ソウジロウは無力化されてしまった少女たちをかばうために、勝ち目のない殺人鬼との戦闘を続けていたのだと、その言葉でようやくアカツキにもわかった。最後の援護とばかりにアカツキとソウジロウに飛ぶ障壁と撤退の気配を感じながらも、アカツキとソウジロウは猛攻に出る。
 ソウジロウの流れるような攻撃も、アカツキの特技を振り絞った攻撃も、殺人鬼には通用しない。何十もの攻撃を重ねる。この殺人鬼を相手にただふたりでこれだけの長期戦を繰り広げられるという事自体が、いままでの猟奇殺人とは一線を画すのだが、アカツキはもちろんそんなことに気がつく余裕はなかった。
 自分の力が及ばぬままに、でもそれでも必死に刀を振るうだけだ。
 ここで身を呈したからといって、大神殿で復活するような〈冒険者〉(軽い生命)に、なにが変えられるものか、とも思う。ただでさえ、アカツキはちっぽけで察しが悪く、弱いのに。
 でも、レイネシアはがんばっていると思うのだ。
 気がつけば、せっかく援護してもらった障壁はもうなくなっている。あたりを覆う冷気はどうやら冬の風のためだけではなく、目前の殺人鬼が発する何らかの範囲攻撃でもあるらしい。直接のターゲットでいつづけたソウジロウのHPは残り半分ほど。こうして戦っていられる時間にも、限りがある。

「さて。ボクも先輩の後輩にくらい、少しは贈り物をしないと」
 ソウジロウが意味の分からない言葉を漏らして、構えを改めた。
 それは剣道少女だったアカツキから見ても美しい中段――剣術で言えば、青眼の構えだった。
「といっても、言えることなんてたいしてないんですけどね」
 あっけにとられるアカツキの前で、なめらかに進み出たソウジロウが一刀を振るう。何の変哲もない一撃。そして殺人鬼の反撃は宙を切る。空振りをしたのだ。
「よく見て、よく聞くこと」
 今度は殺人鬼が骨も砕くばかりの勢いで突き出す一撃。それをソウジロウは相打ちに持ち込む。空中で凍り付くソウジロウの赤い血のなかで、離れた二人がまた接触する。
「強く望み、そのために考え続けること。諦めずに、鍛錬を続けること」
 飛び出したアカツキも、必死で小太刀を振るう。
 とても大事なことなのに、アカツキが大事さをわからないから、壊れてしまう。
 それはとてもよくないことだ。悲しみが胸いっぱいに広がる。

「……ほんと情けないくらいなんの説明にもなってないですけど。これが“口伝”のすべてです」
 わかっていたはずなのに、想像もしていないほどの痛みを抱えてアカツキたちは“死んだ”。


 ◆


 何も毎回のお茶会が着せ替え大会になるわけではない。
 天気に恵まれなかったその午前、レイネシアの客室は静かな雰囲気だった。
 お茶会の雰囲気はメンバーで決まるといってもよい。マリエールが来ると一気に華やいで賑やかに。ヘンリエッタのみの時は相談会のような雰囲気に。
 そしてリーゼと二人の時は瀟洒で落ち着いた雰囲気になった。
 今日は〈三日月同盟〉や〈第8商店街〉のメンバーは来ないようだ。小首をかしげたレイネシアに、そのリーゼがそう教えてくれた。教導部隊を率いる〈D.D.D〉の軍師を迎え、昼食を二人で食べて、そのまま大きなポットで饗されたグリーン・ティーを手に取った。
 窓の外は泣き出しそうな曇天が広がっていた。
 小さなソファーセットの向かい側に座る金髪の〈冒険者〉は、その窓から遠くを見るような視線を投げている。
 二人の間には会話らしい会話はない。
 もっともレイネシア自身はそんなことを余り気にかけてもいなかった。リーゼというこの女性〈冒険者〉とはそれなりの面識がある。礼儀正しくて穏やかなこの少女は、あのクラスティ(妖怪)と同じ一門の出身だそうだ。その性格からいって、二人の間に会話がなくなることは過去にもあった。
 はじめは気を遣っていろいろ話しかけたりもしたのだが、この金髪の少女がはっきりと無用の気遣いだといってくれてから、無理に会話をしようとはしなくなった。
 かといって、気まずいわけでも話せないわけでもない。話題さえあれば、ずいぶん長い話をすることもあるのが、レイネシアとリーゼという少女の現在の関係だ。
 それに、今日に限っては、レイネシアの方もそれどころではない心境だった。
 〈大地人〉、しかも衛視というアキバの街の法を守るべき存在が、堕落し、冒険者を襲っている。すでに何人もの犠牲者が出た。不思議な言葉を残して街へと飛び出していった小さな知己のことを考えると、レイネシアはなんだかとても辛くていたたまれないような気分になる。
 どうしてこうなったのか、なぜ自分なのかという問が頭から離れない。
 憂鬱な自分をいらだたせるためのような天気に、眉が曇る。
「こちらの東京は冷えますね。今年の冬は寒くなりそう」
「トウキョウ……?」
 リーゼがぽつりと漏らした言葉に、レイネシアは引き戻された。
 それは古代アールヴの言葉で“東の楽園”を示す言葉。レイネシアの生まれ育った場所である灰姫城キャッスル・シンデレラにも、太古の鋼板にはトウキョウの文字があるという。
「ああ、ええと。マイハマとアキバとシブヤの辺り一帯を指す、〈冒険者〉の言葉です」
 その説明に頷く。
 レイネシアの浅い知識にもそれは合致する話だ。
「リーゼ様の故郷は、トウキョウよりも暖かいところだったんですか?」
「東京よりもというかまさに東京なのですけれど……。ええ、そうですね。冬はこんなに寒くありませんでした。もっともわたしたちが寒さに弱かったもので、そのころのほうが厚着をして家にこもっていたくらいですけれどね」
(……寒さに弱かった? 家にこもっていた?)
 〈冒険者〉の話すことは急によくわからなくなることがままあった。
 小首をかしげるレイネシアはリーゼと視線があった。
 リーゼは静かにティーカップをテーブルに戻すと、すこしの間レイネシアを見つめた。その視線をどう受け止めて良いか判らないレイネシアに、リーゼは始めて見るように穏やかで優しい微笑みをうかべる。
「わたしが生まれたのは、東京の小さな街ですわ」
「アキバ、ではないのですか?」
「ええ。清瀬という街で。こちらでいえば……〈ノビドメ・ディストリクト〉のあたりでしょうか。なにかあるようで、なにもない場所ですわね」
「でも……」
 レイネシアの記憶に寄れば、〈ノビドメ・ディストリクト〉とは水棲モンスターの生息地であるはずだった。そんな場所に街はおろか、村のひとつもありはしない。
 レイネシアは自分がびっくりしたことに驚いていた。
「リーゼ様は、貴族ではいらっしゃらないのですか?」
 それというのも、リーゼはどこかの貴族の、それも有力な一門の子女だと考えていたからだ。〈冒険者〉は誰もが、平民とはみなせないほどの教育を受けている。その中でもリーゼやヘンリエッタなどは、接していて気品と優雅さを持った貴族だ。表面的な礼節の問題ではない。生まれたときから他者に気を遣う事が出来る環境で育った、本当の貴族だと思う。
 別に、そうでなかったからどうと言うことはないし、平民だから、〈冒険者〉だからと区別をするつもりもないレイネシアは、自分がなぜびっくりしたのかを考えて、その回答にたどり着く。
「ええ、違いますわ。小さな普通の家に生まれて、普通の子どもとして育って、普通の学校には行って」
「……」
「学校というのは、こちらでもありますよね。子どもを集めて学ばせる場所です。わたしの生まれた場所では、地域の子どもは全員どこかしらの学校に入るのが義務づけられています」
 自分は、リーゼのことをなにも知らないのだ。
 アカツキのことも、ヘンリエッタのことも、マリエールのことも、セララのことも、ナズナのことも、ミカカゲのことも、ラーニャのことも、小豆子の事も知らない。
 クラスティのことも。
 つまり、〈冒険者〉のことを、本当は、なにも知らない。
 何度も何度も思い知ったのに、また思い知らされる。自分の無知にレイネシアは羞恥と絶望を覚えるほどだ。

「そうですね……。子どもの頃は、割とおてんばだったと思います。子ども向けのアニメ……はないですよね。おとぎ話、でしょうか。それにあこがれて、男の子に混じって走りまわったり。もっともそれは十になるころには卒業したのですけれど。……そのあとは、そうですねぇ。背伸びをしてレディになろうとして、失敗して、周りに笑われて。勉強は好きでしたし、得意でした。それをやっていれば褒められるので、得意になっていましたね。もっとも、それが当たり前になるのに時間はかからなくて、やがて褒めてもらえなくなったりもしたんですが……」
「あ……」
 それは、レイネシアにも心当たりがあることだった。
 行儀良くにこにこしていることが得意だった。大人びて賢そうに座っていることが苦にならなかった。褒めてもらうのが好きで、それをやっていたのだ。レイネシアは、父や母と、祖父母――家族が大好きだった。
 いまでは習い性になってしまって、それ以外の対応が出来ないほど身についてしまっているが、最初はそう。大好きな人に笑って欲しかった。幸せでいて欲しかったのだ。
「わたしは学校では優等生でした。大人受けが良くて、勉強が得意だったせいですね。べつにそれも必死に努力をしていたというよりも、そういう生まれつきというだけのことだったのですが。生まれた街は、大きな病院が幾つもあってお年寄りが多かったんです。ですから子どもよりも大人の視線を意識していたんでしょうね。……そういう意味では、ここに来て〈D.D.D〉に入ってよかったと思っていますわ。思い上がっていたわたしを砕いてくれた人がいます。砕けたわたしにそんなことで終わる必要はないって教えてくれた人がいます。――たくさんの、」
「あのっ」
 レイネシアは強い語調でそれを止めた。
 それを聞くわけにはいかない。
 聞く資格がないのだ。

 強い女性だと思った。彼女を貴族出身だと思っていたことや、〈冒険者〉であると考えていた自分を、レイネシアは恥じた。それは結局、リーゼというひとりの少女を理解しようとしていなかっただけではないか。
 そう気づいてみれば、自分の知る世界とは、なんとちっぽけで、狭いのか。
 マイハマの姫として育てられたから世間を知らず狭いわけではない。すぐそこにあるものさえも、なにも見ようとはしていなかったから、レイネシアの世界は狭いのだ。
 ――レイネシアはがんばっている。
 いわれた言葉の意味がやっとわかった。
 それは「ちゃんと見ていたよ」という意味だったのではないか。
 そう言われたことすらも理解出来ないほど、レイネシアは子どもだったのだ。
「わたしは、マイハマの都で生まれました。一応姫なので、小さな頃から乳母に育てられまして……あんまり皆さんのするような遊びというのは存じ上げません。おそらく豊かで幸せだったと思います。綺麗な衣服と豊富な食べ物がありました。命の危険を感じたことはありません……」
 レイネシアは小さな声で話し始めた。
「学問は、教師の方が何人か城にはいました。おそらく〈大地人〉としては標準以上を教育されたと思うのですが、リーゼさんたちから見たら、それが何処まで胸を張れるのかは判りません……」
 何をどう話せばいいのか判らないままにレイネシアは言葉を紡いだ。
 それはリーゼから教わったとおりにつたなく繰り返す、幼い儀式だった。

「わたしも、たぶん家族に褒めてもらいたくて、猫をかぶってきました。その……本当は、すごくものぐさなのです。毎日うとうと昼寝をしたり、日向ぼっこをして過ごしたいですし、難しい話は半分もわかってないのです。退屈なときは、あくびをするのを、かみ殺してたりも、します」
 思慮深いリーゼにそれを告白するのは、小さくない勇気が必要だ。
 しかしレイネシアはリーゼの様子をうかがいはしても言葉を止めようとは思わなかった。あの燕のような少女は、おそらく、この先に飛んでいったのだから。
「面倒くさい儀礼から逃げられると思ってこの街へとやってきました。いまでも、商談をしたり、責任を負うのは苦手です。判らないことに直面すると、泣きたくなります。小さなお握りを食べてぼんやり過ごすのが一番似合ってると思います。でも、わたしは、そうじゃないので……。つまり、姫なので――そうはできないですし、してはいけないとも思いますし。本当は、本当にそうなのかも判らないのですが……」
 上手く言葉にならなってくれなくてレイネシアは恨めしいような気分になる。
 こんな気持ちすらクラスティならば汲んでくれただろう。
 でも、たぶん、それではダメなのだ。
 それではこの金色の少女との間に、あるいは燕に似た少女との間に、紡ぐことも繋ぐことも出来ない、なにかがあるのだ。
 エリッサの諭すような含み笑いが聞こえた気がした。瞬間的にかっとなって、レイネシアは絞り出すように、彼女にしてはいささか乱暴に続ける。

「たぶん、すごく大事なものはどこかにちゃんとあって、それは大事だから、大事にしないといけないと思うのです。だから、わたしは姫をしなければいけないんだと、その、思います。――でも、それだけでは足りなくて、だからっ」
「ええ」
「リーゼさんのことも、ちゃんとしたいのです。リーゼさんのことだけではなくて、アカツキさんも。マリエールさんも。じゃないと、リーゼさんに親しくしてもらう資格も、このアキバに住む資格も……守るなんて思い上がる資格も、無いと思うのです」
「“ちゃんとする”ですか」
 リーゼはその言葉に小さく笑って、でも、すました顔に照れたような口調を隠して、レイネシアの願いを叶えてくれた。

「そうですね。こんなのは、高校生にもなって、その、いささか恥ずかしくはあります。こんな正面からですもの。……それでは最初のアドバイスです。“ちゃんとする”なんて言い方は、難しすぎですよ。コホンっ。友達になりましょう、レイネシア。わたしは〈冒険者〉ですけれど、よろしければ」
 それはぐうたらな姫が思いもかけないところから贈られた、大事なもののひとかけらだった。
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