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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
異世界の始まり(上)
5/134

005

「今日はこんな所にしておこうぜ」

 直継が大きく片手剣を振り回して、血液を拭うと鞘に収める。シロエはその言葉に頷きながら、杖を降ろして待機していた呪文をキャンセルした。

 シロエたちがいま居るのは「シンジュク御苑の森」という数キロ四方のさして大きくはないフィールドゾーンだった。

 もう夕暮れの時間帯だし、森を渡る風はひんやりとして、あちこちからわずかに小鳥の声だけが聞こえる。


 この森はアキバの街からもシブヤの街からも近い、その意味では日帰りに都合の良い狩り場だ。スタートの街の近くにしては比較的高レベルのモンスターが出現する。


「一応周辺に敵影は見えない……ね。ちょっと見張っておいたほうが良いかな。――悪いけど二人で回収しちゃってくれる?」

「了解した」

 シロエの言葉に、黒装束の娘――アカツキは相も変わらずの感情起伏に乏しい生真面目な口調で答えると、ナイフを取り出して作業に取りかかる。

 アカツキと直継は、さっきまで戦っていたモンスター、ポイゾナス・トレントとオウルベアの死体をあさりはじめる。

 トレントは歩き出した広葉樹のようなモンスターで、オウルベアはフクロウの頭部を持つ熊と云った風情だ。どちらも数mの大きさはあるし、重さで云えば数百キロはくだらないだろう。


 二種のモンスターのレベルは74。

 〈エルダー・テイル〉の世界に生息するモンスターとしてはそこそこに高レベルだが、シロエたちのレベルに比べれば16も下なのだ。まだまだ経験値は入らない。


 この数日の経験で、シロエ達にはこの世界が〈エルダー・テイル〉の仕様をかなり忠実に再現しているのは判ってきていた。まだ予測でしかないが、経験値が入るとすれば、そのモンスターのレベルはおそらくシロエたちの5つ下、つまり85からと云うことになるだろう。

 しかし、いまのシロエたち三人で85レベルのモンスターに勝てるかと云えば、ずいぶんとぎりぎりの戦いになるだろう。85レベルのモンスター1体ならばともかく、相手は集団で襲いかかってくるのだ。


「大丈夫?」

「ポーション飲んだし、平気だぜっ。俺様の防御能力はまさにクロガネノシロ。鉄鋼祭り」


 直継はにやっと笑って応えると、ナイフを使って景気よくオウルベアの皮をはいでゆく。オウルベアの毛皮は結構良い値段で売れるのだ。


 直継の話によれば、敵の攻撃を受けたときの痛み、というのは現実世界のそれよりもずいぶん緩和されていると云うことだ。HPが半分まで減らされたとしても半死半生と云うよりは、身体のあちこちが打撲傷でじんじんと熱く腫れたような感触程度で済む、という話だった。

 一番ひどくて、タンスの角に小指を思いっきりぶつけた程度かな。

 直継の言葉を借りればそうなる。


(でもそれって僕なら三回目くらいで泣きそうだ)


 シロエは直継の言葉に眉をひそめたのだが、当の直継はからからと大笑いをするだけだった。


 その「痛覚の緩和」にしたところで、この世界共通のルールでそうなっているのか、直継が〈守護戦士〉(ガーディアン)だからその特殊な能力や防御力でその程度の被害で済んでいるのかは、今ひとつはっきりとはしない。

 直継が前線の壁役として手練れだと云うこともあって、シロエやアカツキは大きな攻撃を受けることなくこういった狩りを行なっていられるからだ。


(だけど、いまそうだからと言って何時までもそうだとも限らないし……)

 シロエは見張りをしながらも思考を巡らせる。


(いまはまだ敵のレベルが低くて、一回に受けるダメージ量は大したことはない。――戦闘中にゆっくりと判断をしながら、退路もあまり気にせずに戦ってゆける。

 だけど、このまま戦う敵のレベルが上がってゆけば、受ける被害も増えるだろうしな……。

 そうなればいくら直継が前衛として優秀でも、いまほど余裕があるかどうかは判らない。今のうちにもうちょっと別の可能性を考えておかないと……。

 直継は〈守護騎士〉だからそれでずいぶん助けられてるけれど)


 12職のうち、最も高いHPと防御能力を持つ前線の要、それが〈守護戦士〉というクラスの特徴だ。その直継が耐えきれないダメージが存在するのだとすれば、他のどんな職にも耐えきれるはずがない。


(と、なると。やっぱり回復職が欲しい、か……。

 でも効率考えて無理矢理仲間増やすって気が進まない。そもそもそんな動機で同行をお願いしたところで、連携が取れるかどうかも判らない。

 全滅して死んだからと云って、街に戻されるだけって事ではあるんだけれど……)


 この世界には、「死からの復活」と云う奇跡が存在する。

 例え死んだとしても、多少の数値的なペナルティを受けることはあれ、アキバの街の大神殿で復活すると云うことをシロエたちは知っている。

 けれど、シロエたちはそれでも無理をする気にはなれないでいた。死というのは、例えこの異世界の復活保証付きの死であったとしても、やはり忌まわしくて、到底受け入れがたいものだ。


(死んでから生き返るなんて得体が知れない)


「主君。採取完了だ」

「こっちも終わったぞ」


 三人で行動するようになってから数日。シロエが考えていたより、コンビネーションも人間関係も遙かに上手く行っている。元々単独行動が性に合っていると思い込んでいただけで、案外こういう生活にも適性があるメンバーだったのかも知れない。

 しかし、適性があればあるだけ、それぞれの個性という物は際だってくる。このメンバーだと、自然とシロエが「悩む役」と云うことになるようだった。


 二人がアイテム回収を終えたようなので、シロエも周辺監視のために上っていた大岩から飛び降りながら考える。


(作戦担当なのは〈茶会〉からずっとそうな訳だけど)


 ついつい自分一人の考えに沈んでしまうシロエ。

 自分でもそれが悪癖かも知れないことには気が付いているけれど、早々に改まるものでもない。

 仲間の二人は、そんなシロエを待って、簡単に皮と肉の取れた量を報告する。


「じゃぁ撤退しようか。……明かり要る?」

 シロエは〈マジックライト〉の呪文を用意しながら尋ねる。


「いや、シロの主君」

「その主君ってのやめようよ。シロエにしない? 仲間なんだからさ」


「じゃぁ、わたしのことも『アカツキ』って呼び捨てにして」

 シロエの頼みをさらりと無視して、アカツキはシロエを凝視しながら続ける。


(アカツキのこの視線だけは、なんだか。ううう)


 シロエの主観によればアカツキは可愛い。

 おそらく客観によってもアカツキはずいぶんな美少女だ。

 しかしそれだけに生真面目なじっと見つめてくるアカツキの仕草を、シロエは苦手としていた。決して嫌いという訳ではないけれど、どうも居心地が悪いような気分にさせられてしまう。

 シロエは生粋のインドア派オンラインゲームプレイヤーで人付き合いがとても得意という訳ではなく、当然にして異性との接触経験が豊富な訳ではない。


(なんて言い訳してみても、要するに……、その。照れて苦手なだけなんだけどさ。……だって仕方ないじゃないか。はい。判ってます、僕だって判ってるんだけどさぁ……)


「主君」

 シロエの狼狽へ追い打ちをかけるようにアカツキが一歩前に出て声をかける。身長差がありすぎて見上げてくるのもなんだかひどく恥ずかしい。


「えーっと、なにさ。――おい直継、にやにや笑うなよっ」

 シロエらを笑いながら見ていた直継へツッコミを入れておきながら、言葉の先を促す。


「帰り道は私が先行偵察に出るぞ」

「どうして?」


「練習だ。〈暗殺者〉(アサシン)の特技には〈暗視〉(ダークヴィジョン)があるし、それ以外にも〈隠行術〉(スニーク)〈無音移動〉(サイレントムーブ)も所有している。こっちの世界での使い心地も試しておきたい。森の中なら、練習には申し分ないゆえ」

 アカツキは森の奥の早くも薄暗くなってきた辺りに視線を向けると、小太刀の鞘を黒いベルトで締め直して出立の準備を整えながら告げる。


 単独行動か。

 シロエは少し考えてみてから、許可を出すことにした。


 このゾーンにはさっきの二匹以上のモンスターは出現しないようだ。アカツキなら一対一で戦って負けることはないだろうし、敵が多数であっても逃げるくらいはこなせるだろう。

 それに、自分の持っている技を確認していざという時に万全の状態で挑めるようにしておきたいというのは、良く判る。自分の能力を100%以上に把握すること。それはサバイバルにおいて必須の一手だ。


「でもあんまり油断しないでね。合流は、南のゲート付近で。こっちは〈マジックライト〉で照らしながら行くから、そちらから見つけて下さい」

「判っている。同じゾーンにいれば、位置は判る」

 パーティーを組んで同じゾーンにいれば、方角と距離で仲間の居場所はわかる。合流に手間取るようなことはないだろう。


「んじゃ、また後でなっ。ちみっこ」

「うるさい、バカ直継」

 アカツキはひとつのつっこみ台詞を置き土産に、次の瞬間には森の木々に溶け込むように消えていた。


「やるじゃん。ちみっこ」

「草木が揺れる音も立てなかったね」


 口笛を吹きそうな表情の直継。

 シロエは肩をすくめて、〈マジックライト〉の呪文を唱える。杖の先に点ったのは、ランプほどの明るさの魔法の光。まだ日が沈みきらない、それでもオレンジ色の夕闇がひろがるこのうっそうと茂った森の中に、魔法の灯火は柔らかな明かりを投げかける。


「じゃぁ、僕たちも行こうか」

「OK参謀。進軍開始だ、おぱんつ目指して」

 その明かりに包まれて、シロエと直継は森の中を東側のゲートに向かって移動を開始する。


 さくり、さくり。

 露に湿った緑のリボンのような草や、苔の生えた石の続く獣道を踏みしめて、シロエと直継は御苑の森を歩き始める。


(こうしているとWeb-TVで見た、屋久島だとかアマゾンだとかの深い森の中にいるみたいだよなぁ……。

 異世界だなんて云われてもさー。なかなかそりゃ信じられないよ、まったく)


 耳に心地よい、虫の音が幽かに伝わってくる。

 二人は下生えをかき分け、時には直継のロングソードで切り払いながら、暮れてしまった森の中を進む。


「アカツキって、〈追跡者〉持ちだったんだなぁ」


 直継の言葉でシロエも先ほどの台詞を思い出す。

 アカツキの云った特技、〈隠行術〉と〈無音移動〉は〈追跡者〉のものだ。〈追跡者〉は〈エルダー・テイル〉に存在する数多いサブ職業のうちひとつで、追跡や尾行に関わる特技を与えてくれる。


 〈エルダー・テイル〉におけるサブ職業というのは「直接戦闘には関わらないような便利系の能力セット」を与えてくれる特徴である。戦闘に関わるメイン12職業とはまったく独自に存在して、どんなメイン職業を持っている人でも、条件さえ満たせば様々なサブ職業を習得することが出来る。


 サブ職業は大きく分けて二つの種類がある。

 ひとつは〈料理人〉や〈裁縫師〉、〈鍛冶屋〉、〈木工職人〉などのような生産系の職業だ。これらのサブ職業を持っているプレイヤーはしかるべき素材と施設を使って様々なアイテムを作り出すことが出来る。

 生産系のサブ職業を取得するのは簡単で、都市ゾーンに存在する生産系のノンプレイヤーキャラクターから手引き書を購入し、後はその道で経験値を積めばよい。これらの経験は戦闘のそれとは別個に存在していて、高レベルにするのには非常に時間が掛かるが、特別に何らかのクエストをこなしたりアイテムを必要とすることはない。

 根気さえあれば、誰でも最高レベルまで成長させることが可能だし、成長させる上で仲間も特に必要とはしない。


 シロエ自身は〈筆写師〉だ。〈筆写師〉も生産系の職業のひとつで、魔法の呪文書や地図、書類などを複製することが出来る。紙とペンを使うデスクワーク系生産職ということになる。


 もうひとつが〈貴族〉や〈交易商人〉、〈薔薇園の姫君〉というロールプレイ系のサブ職業。これは生産系と違ってアイテムを作り出すことは出来ない。ただ、幾つかの特殊能力や珍しい特技を与えてくれるし、場合によっては特殊な装備などを与えてくれることもある。

 アカツキの〈追跡者〉というのはこちらのサブ職業のひとつで、敵やプレイヤーの後をつけたり、気配を消したり、無音で移動したりする特技を与えてくれる。


 もっとも、シロエも〈追跡者〉についてそこまで詳しい知識はない。

 直接戦闘に関わる12のメイン職業は、〈エルダー・テイル〉開発元である米国巨大企業が綿密に設計したものだ。それらは頻繁な調整が行なわれていたが、サブ職業の方は拡張パックの度に追加され、中には下請け――たとえば日本サーバを運営している会社などが独自に追加したものもある。


 12しかないメイン職業に比べて、サブ職業はシロエがざっと思い出せるだけでも50種類程度は存在する。名前も知らないようなサブ職業も存在する事実から考えても、実際にはどれだけあるかちょっと見当がつかない。


 もちろん、強力で便利なサブ職業は噂になるし、みんなこぞって取得しようとするから記憶にも残る。それゆえ、その能力もある程度は把握できるが、マイナーなものがどういった能力を持っていたかは古参プレイヤーであるシロエにも判らないのが実情だ。


 たとえば有名処で云えば、〈吸血鬼〉(ヴァンパネラ)

(〈吸血鬼〉の何処が職業なんだよなぁ……)

 というシロエのツッコミは置いておいて、欧州の下請けが開発したとされるこのサブ職業は、特に日本サーバでは有名だ。

 サブ職業は戦闘には直接関係ない特徴を与える物、と定義されているけれど、それはある種の建前的な部分であって、完全に守られている訳ではない。

 この〈吸血鬼〉というサブ職業もその類で、ゲーム内における昼の間は全ステータスが低下するのとは引き替えに、夜の間は大幅パワーアップ。そのほかにも吸血能力でHP回復だとか、コウモリに変身して高速移動だとか結構インチキな強さの能力が満載だった。


 だが、それより何より、グラフィックが青白い細身の美形だったのだ。これがなぜだか日本サーバでは受けた。受けに受けた。

 猫も杓子も〈吸血鬼〉。そんなフィーバーがやってきたのだ。


 アキバの街なんか、一時期は歩いている人の半分が〈吸血鬼〉で、全員青白い不健康な顔色の貴族風の格好。昼になると人口が少なくなると云うほどの流行っぷりだった。

 もちろんそんな状況が長続きするはずもなく。

 次のパッチで、仲間の回復呪文で火傷をするという変更を受けて〈吸血鬼〉はあっさりと弱体化。見る間に絶滅してしまった。


(その辺がオンラインゲームの諸行無常って訳だ)


 また、マイナー処で云えば〈ちんどん屋〉。

 これは日本サーバーで独自に追加されたサブ職業で、派手な音楽を鳴らしながら、垂れ幕を表示することが出来る。――バカらしいがそれだけのサブ職業だ。

 シロエが何でこんな事を覚えているかというと〈放蕩者の茶会〉で、もっとも頭の悪かった一人の〈召喚術師〉がこのサブ職業を使って罰ゲームをやらされたせいである。そんな個人的な思い出でも持っていない限り、もはやサーバでも覚えている人はいないと云えるようなサブ職業だろう。もし習得している人が居ればかえってびっくりだ。


 そんな玉石混淆なサブ職業の中でも、〈追跡者〉はそこそこに知名度があるひとつだった。

 かなり便利な特殊な技を与えてくれるけれど、普段頻繁に使用する訳じゃないという絶妙なバランスの、メジャーとマイナーの中間を行くような地位のサブ職業なのだ。300人いれば1人くらいはいるかな? と云うような頻度で見かける。

 シロエらのようなヘビープレイヤーでなければ存在を知らない人もいるサブ職業だが、〈ちんどん屋〉や〈清掃人〉よりは有名と云ったところだろうか。


「一本筋が通ってるよね」

 シロエの返答に直継は大きく笑って違いない、と云った。


(〈暗殺者〉で〈追跡者〉だもんなぁ。はまりすぎだ。

 その組み合わせなら本人が「忍び」って名乗っていたのも納得だよ)

 シロエと直継はアカツキの、その一本気っぷりにひとしきり笑いあった。ロールプレイなんていうと、なんだか芝居じみた印象も抱くけれど、アカツキのそれは本人の生真面目な性格とも相まって、何処かひどく几帳面に思えたのだ。


「シロエから見て、どんな感じよ。ちみっこ嬢ちゃんは」

「――前線での動きが軽い。集中力が高い」

 直継の言葉を省略した質問に、シロエはしばらく言葉を探してから答える。

 その質問はアカツキの評価。

 言葉少なく答えたものの、シロエの中でのアカツキの評価は依然として、高い。言葉が少なくなったのは何となく褒めるのが照れくさかっただけだ。


「僕よりも直継は? 負担とか」

「負担は――減ったな。俺とシロエでやってるときに比べて、殲滅速度が桁違いだもんよ。場合によっては、相手をしようと振り向いたときにはもう事切れている雑魚敵もいるほどだ。あれはちみっこだけど、強いちみっこだなー」

 直継は先頭を歩きながら、シロエにそんな台詞を返す。


 直継は基本的にフランクで、明るく、誰とでも短時間に打ち解けることが出来る、社交的な人間だ。下ネタを連発することもあるが、それはそれで空気を和ませるためにわざとやっている節があるとシロエは思っている。


 しかし、直継は戦闘に関してお世辞は言わない。お世辞を言ったところでそれは褒めているうちに入らないし、相手にとっては失礼だし、何よりそんな事をするのは、相手の成長のチャンスを奪うと思っているからだろう。

 直継は相手を傷つけないように言葉は選ぶけれど、嘘は言わない。


 そんな直継がアカツキに下した評価は、シロエの覚えている限りの過去の記憶と比べても、満点に近いものだった。


「本人は姿が変わったことでリーチが短くなったとか、攻撃に重さが乗らなくなったとか云ってるけど?」


「リーチについては、俺には判らないなぁ。

 おれはちみっこになったこと無いからもんよ。

 でもあの速度と身の軽さがあればリーチなんて関係ないんじゃね?

 あいつの飛び膝くらってみろって。まじで瞬間移動だから。気が付いたら目の前に膝あるから」

「いやそれは遠慮するけど」

 思い出したのか、自分の鼻の辺りをなで回した直継が続ける。


「攻撃に重さが乗らなくなったって云うのは、まぁ本人がそう言うなら、そりゃ事実なんじゃないか? システム的にはダメージは性別の影響を受けないけど、ここは異世界だし、体重が攻撃に乗る乗らないって事もあっかも知れねぇ……。

 でも、そこで失われた威力なんて、シロエが補助呪文でどうとでも解決できるだろ? お前ならさ」


 シダに似た大きな葉っぱを掻き上げた直継が言い放った。


(それに関しては、その通り……かな)

 武器の攻撃力を増加させる〈キーン・エッジ〉。

 味方の武器攻撃が命中するたびに、敵を呪いの茨で締め付ける攻撃呪文〈ソーンバイド・ホステージ〉。

 敵のアストラル体に衝撃を与えて一定時間麻痺させる〈マインドショック〉。

 〈付与術師〉(エンチャンター)は一人では戦えないが、優秀な仲間がいるのであればその仲間の戦闘能力を引き出す呪文は数多く存在する。


「ま……。それはね」

 でも、照れくさくてシロエはそう答える。


 考えてみればいつもそうだった。

 〈付与術師〉は〈エルダー・テイル〉ではもっとも人気のない職業だ。その評価は限りなく、低い。

 もちろんシロエはこの職業が気に入って選んだし、誰に恥じるところもない。他の人が何と言おうと、〈付与術師〉はちゃんと役に立つし、大きな可能性を秘めていると思っている。

 でもそのシロエにしたって、〈付与術師〉が自分一人では本領を発揮出来ない職だと云うことは理解している。仲間が要る、ということは、言葉を換えれば「仲間との相性によってそのポテンシャルは大きく変わる」と云うことでもある。


 こればかりは、職業の性能ではないのだ。

 他人と一緒に何かをするというのは、ゲームシステムの数値で強さが語れるようなものではない。


 それが判っているからこそ、「それでも良い」、「そこに居て良い」なんてことを言われると、シロエはそれにひどく照れてしまう。

 〈付与術師〉にとって。

 〈付与術師〉であることを認められると云うことは、中の人間の人格や人間関係を肯定されるのと同じ意味を持っているのだ。


「あのさー。シロさ」

「ん?」


「何かいろいろさ。義理立てしないで良いと思うぞ?」

「え?」

 前を歩く直継が、森の下生えをかき分けるようにしながらぽつりと漏らした言葉は、いままでの話題からいきなり飛躍していて、シロエはそれについて行き損ねた。


「……おぱんつとか?」

「何で疑問系なんだよ」

「おまえ、おぱんつはいつでも世界に問いかけてるんだよ。判れよっ、このむっつり“クローズ”すけべ祭りっ!」

「どんだけ色欲強い設定なんだよ、僕はっ」

 直継の気遣いはこのときのシロエには判らなくて、シロエは彼の背中を追うことしかできない。

 まだただの〈付与術師〉でしかなかったのだ。



 ◆



 アカツキと合流したシロエたちは、隣のゾーンへと移動した。

 ゾーン名は「カンダ用水路」。ここは旧世紀の丸ノ内線をモデルにした廃墟で――もちろん現実世界の丸の内はいまでも盛況なはずだが――いまでは、〈緑小鬼〉(ゴブリン)〈醜豚鬼〉(オーク)の抗争する亜人間の住処になっている。


 とは云っても、このゾーンのゴブリンやオークの中心レベルは30前半。シロエ達三人の敵ではもはや無い。モンスター達もここまでのレベル差があると積極的な攻撃を仕掛けてはこない。


「さくさく行こうぜ、宿が恋しいや」

 直継は先頭を切って歩き出す。


 日はすっかり暮れていて、直継とシロエ、アカツキの三人は些か御苑に長居しすぎてしまったことを悔やんだ。

 モンスターがむやみに襲ってこない以上、何処か適当な廃墟なり寝ぐらなりを見つけて野営をするという手段もあったが、三人は魔法の明かりを高く掲げて、あちこちに廃棄された乗用車やダンプの残る国道を歩いていった。


 どうせ眠るのなら、ちゃんとベッドのある場所の方がゆっくり出来る。そう主張したのはアカツキだ。

 どちらにしろモンスターの毛皮やら牙やら肉などの食材などが鞄の中には貯まっている。マンティコアから奪ったマジック・アイテムもあるし、これらはアキバの街に辿り着いたら換金する必要があって、再度狩りに出掛けるにしろ街に戻らないといけない。


 先頭を歩いていた直継は振りかえると、シロエやアカツキを定期的に確認する。


(二人とも足取りに問題はねぇな。なんだかんだ云っても、やっぱ90レベルなのか体力は問題なくあるからなぁ)

 二人の足取りを見て、胸をなで下ろす。


 直継は二人とは違い、生粋の前衛戦士職だ。戦士職は三つの種別に分かれ、覚える特技は違うが、どれも主に体力と筋力、敏捷力といった能力値に秀でる。

 直継本人もびっくりなのだが、90レベルに達した今の直継は、30~40kg近くあるような重装甲の金属鎧を着けたまま、一時間以上にわたる戦闘を切り抜けられるだけの体力がある。

 すっかりばてたとしても数分の休憩で身体に力が戻り始めるし、瞬間的な話で云えば200kg近い重量も持ち上げられる自信があった。

 体力にかけてはほぼ無尽蔵の能力があるとしか思えい。


 しかし、残りの二人は違う。シロエは専門が頭脳職だし、アカツキは素早い動きには目を瞠るものの、身軽さを信条とする軽戦士だ。本人達は「僕らも90レベルなんだから体力はかなりあるよ」と云っているものの、その点に関しては自分の方が歩調を合わせてやらなければならないと、直継は常々思っていた。


 だが、その心配は、今晩のところはまだ必要ないようだ。

 月は明るかったし、魔法の明かりもある。森の中と違って、あちこちに瓦礫が転がっていたりひび割れが走っているものの、かつては舗装されていたアスファルトの道はなだらかで、歩きやすいのも幸いした。


「ゴブ襲ってこないな~」

「そりゃ、来ないだろう。こっちは90レベル三人だぞ」

「私はあの恐竜の骨をかぶってるゴブが好きだ。偉そうにしているところが滑稽で可愛い」

(ちみっこはまじめくさった顔で、また訳のわからんことを……)


 直継が思うに、アカツキが云っているのは、おそらくゴブリン・シャーマンのことだろう。炎と氷の攻撃魔法を使うゴブリンのリーダー格で、雑魚のゴブリンを引き連れて登場する。

 確かに偉ぶって命令を下したりして滑稽ではあるのだが、可愛いかと云われると、それはないと断言できる。


「ああいうのが好きなのか? アカツキは」

 念のために聞いてみると

「可愛い。すぐ死ぬし」

 とあっさり返される。敵なのだから当たり前だが、それじゃいったいなんで可愛いなんて云ったのかよく判らない。


「だいたいの所、魔術師系の敵というのは偉そうにしているくせに装甲は紙でHPは少ないのだ。それならそれで下がっていればよいものを、のこのこ前線まで出てくるゆえ狙うのは至極簡単だ。

 〈ハイド・シャドウ〉でこっそりと接近して首筋に小太刀をぞぶり、と突き入れる。身体の力がすとんと抜けて糸の切れた人形のように崩れ落ちるのがたまらない」

 直継の質問をどう捉えたのか、アカツキは淡々とした調子で答える。


(……うっわぁ。お前、そりゃシロの立場無いだろうよ)


 横目で見てみると、シロエは傍目にも判るほどのダメージを受けていた。そもそも魔術師系の防御力が低いのは当たり前なので、シロエが落ち込む必要なんて無いと直継は思う。アカツキだって決して悪気があっていった訳じゃないだろう。


 それでもへこむシロエ。けろりとしたアカツキ。

 そんな二人を見ていると、やれやれという気分になる直継だった。


(シロは頭は良いけれど、深読みしすぎというか、気を回しすぎというか……。苦労性なんだよなぁ、実際。何にそんなにびびってんだろうなー。俺らの参謀は)


 直継から見れば、シロエは遠慮しているのだ。

 何に、またはどうして、どんなところで遠慮をしているのか? と問われるとはっきりとは判らないが、直継にはそう感じられる。

 その遠慮は〈放蕩者の茶会〉に属しているときからも感じていた。

 色んな事を一人でやろうとしすぎるのが、シロエという人間なのだ。それはそれで、最近では珍しい美点だとは思う。


 しかし、〈守護戦士〉は周囲を守るのがその役目だ。

 頼って貰えないのは、役目を取り上げられるようでいらだたしい。もう少し、せめてこっちの得意なことでは頼りやがれ、と直継は思う。


「いや、僕ら魔術師だって、いざとなればそこそこ根性出すんだよ?」

「ん? 主君だって紙装甲だ。――いいではないか、主君は忍びであるわたしが守る」


 二人はどうやらまだ他愛ないやりとりを繰り返しているようだった。まるで子供のやりとりだな、と直継は思う。……もっとも同じ事をシロエから思われていることは直継だって判っては居ないのだが。


 そんな他愛のない会話があるものの、全体としては静かな夜だった。

 こそこそとうろつくゴブリン達の長く伸びた影などを見かけるが、直継たちがそちらへ振り向くと慌てて隠れてしまう。


「ここはアキバの隣接ゾーンですから。

 そんなに高レベルのモンスターが出現するわけないでしょう。出現していたら新人プレイヤーは全滅しまくりですよ」

 シロエはそんな事を云う。


 この世界に巻き込まれてから三週間が経とうとしているが、その間、新規プレイヤーは一人も現われていない。

 現実世界の自分たちはどうなっているのか。

 大量の集団行方不明なのか、もしくは植物人間のようになっているのかそれは直継達には判らない。


(……本当にアレな想像だけど、もしかしたら、あっちにはあっちで、『俺たち』がちゃんと残っていて、普通に暮らしてたりして。

 うわ、そしたら俺たち帰る処無しだもんよ。

 絶賛要らない子祭り開催中っ。

 小説とかみたいに、向こうでは元々俺たちの存在がなかったことになってるとかもへこむな。最初から生まれなかった設定だとかさ)


 イメージの割りには、ファンタジー小説の読者である直継はそんな事を考える。しかし、それは直継達には現時点において確認のしようも無いことだ。


 「たった三週間」なのかもしれないし、「もう三週間」なのかも知れない。それは人によってひどく違う見解だったろうけれど、直継達三人は徐々に、否応なくこの世界に慣れつつあった。

 〈エルダー・テイル〉の仕様の再現と異世界の物理法則という二つの規制の間でねじくれながらも、この世界にはこの世界なりの規則というか秩序らしきものが存在する。

 それはたとえば、料理が全て湿った煎餅の味しかしない、と云うような非現実的な現象であっても、だ。確かに理不尽なことは多くてその理不尽に苛立ちを覚えることは頻繁にあったけれど、それでもそのルールを理解して、その下で生きてゆくしかない。

 ある世界に所属するというのはそう言うことで、それはゲームであっても現実世界であっても同じ事なのだ。


(俺達にとっては、帰れる当てがない以上、いまここに立っている世界が唯一で、元がゲームだろうと何だろうとどーにもならないってか……。

 でもまぁ、案外悪くはないぜ。剣を振り回して戦うのも、冒険をするのも。慣れてみれば、悪くはない。マリエさんにはあんな事いっちまったけど、あの台詞って誰よりも俺が俺に云いたかったのかもなぁ)


 直継としては、そんな生活に早くも順応し始めている自分が居て、それは決して悪くないことだった。べつに元の世界に不満があった訳では微塵もないが、是が非でも、魂を削ってでも帰りたいか? と問われれば、答えは「よく判らない」となる。


(パンツ見せてくれる彼女が居た訳ではないし、両親とはもう二年くらい会ってないしなぁ……。会社も慣れては来たけど、すげぇやりがいがあるかって云うと……)


 そんな事を考えるともなく考えながらイチガヤからクダンシタへ抜ければ、もうアキバの街まではゲート二つというところだった。


 今日は「書庫塔の林」ゾーンは経由せずに、オチャノミズの坂上からアキバの街へと向かう予定だ。「ロカの施療院」への坂は何となく郷愁をかき立てる緩い勾配で、道の右手に存在する和風庭園からは大きな広葉樹が、まるで広げた外套のように差し出されている。


 その外套の切れ切れの隙間、葉と葉の間から覗く月が、何度か陰る。ちらりちらりと動く街路の上の月影に、直継たちは弾けるように四方に散って距離をとった。


(――ッ!!)


 直継は前方に突っ込んだステップの勢いを殺さずに、そのまま目の前の暗がりに左手に装着したままの盾を叩きつける。

 暗がりの中から上がる苦鳴。


 後方10数mにシロエは距離をとっているのを感じる。

 直継は目の前の気配に意識を集中しつつも周辺の確認を怠らない。


(気配は、ひとつ、二つ……三つ? 4人か?)


 予想していなかった訳ではない事態だが、いざそうなってみると、口中が干上がるのを感じた。モンスターとの戦闘とはまったく違う緊張感。


 突然、金属の束を引きずるような低い連続音が響く。


(ッ! 間に合わないっ!!)


 直継は後方に向かって確認もせずにジャンプをしようとするが、その足首には蛇のように鎌首をもたげた鎖が絡みついてくる。

 それは完全な実体を持った金属の鎖ではない。魔力で生成された半実体の束縛用呪文だ。


 空中でバランスを崩し、呪文によって完全に動きを拘束され掛かる直継。その直継に後方から無色無音の魔法波動が迫る。

 〈ディスペル・マジック〉。おそらくシロエが放った魔法だろう。

 直継の足下から蛇がのたくるように現われた「魔力による鎖」は、シロエが紡ぎ出した「対魔法解除呪文」によって消滅する。


(相変わらず、抜群の反応支援だなっ。さぁ、参謀! どうするっ!)

 胸にわき上がる高揚と戦闘意欲。背後にシロエを守り、またその支援を受けているという自信が直継を気迫で満たす。


 「直継っ。直列のフォーメーションっ! 敵はPK、人数は視認4っ。――位置を確定しますっ。――そこっ!!」

 月影の揺れる深夜の路上で叫ぶシロエ。

 それと同時に彼の杖から、青白い輝きを伴って魔法の矢が飛び出す。〈マインド・ボルト〉は〈付与術師〉(エンチャンター)の基本的な攻撃魔法で、単体の敵に向かって飛来し、一定のダメージを負わせる。


 同レベルの〈召喚術師〉(サモナー)〈妖術師〉(ソーサラー)に比べればダメージは遙かに小さいが、それでも〈付与術師〉の基本的な護身用呪文として出番は多いと云う話だ。


 シロエはそんな風に語って、自分の呪文の力不足を嘆くが、直継はそんなのが問題になると思ったことは一度もない。当たらない巨大呪文よりも、時宜を心得た小呪文の方がよほど有効だ。


「敵視認っ!」


 今もシロエの呪文は直継の願いを的確に叶えた。

 暗闇に走った青白い燐火の輝きは、ほんのゼロコンマ数秒ほどだったが、確かに闇に隠れたPK達を照らしたのだ。


 直継はシロエの指示に従って目前の暗がりから一気に下がり、その暗がりとシロエとの丁度真ん中くらいの位置をとる。その場所は二車線の道路の中央。


 直継は暗闇で確認した敵に突撃をかける事も出来た。

 しかしここはあえて下がり、体制を整える。

 直列のフォーメーションは後列との距離が大事だ。間が広がりすぎては、防御力に不安のある後列を無防備にさせるだろう。


「良い度胸だな。PKだなんて。……おぱんつ不足でケダモノ直行か? 不意打ち気分で祝勝気分とは片腹痛いぜっ」

 直継は胸に燃える感情のままに吐き捨てる。


 目の前にいるのは、モンスターではない。

 直継がもっとも嫌いな種別の行為を好むプレイヤー、PKだ。


 PK。それは「プレイヤーキル」、もしくは「プレイヤーキラー」の略称だ。モンスターではなく同じプレイヤーを攻撃し、死に至らしめる行為やその行為を行なうプレイヤー自身を指し示す。

 アキバの街では戦闘行為禁止だが、ゾーンによってことさら「禁止」すると言うことは、それ以外のゾーンにおいてそれらは「禁止されていない」事を指す。

 〈エルダー・テイル〉ではプレイヤー間の戦闘行為は運営側としては容認している、ゲームの一部なのだ。


 しかし〈エルダー・テイル〉における様々な要因、たとえばPKの成功率の低さであるとか、リスクの大きさ、日本サーバーの文化的な問題(日本人はオンラインでも規律正しくプレイヤー間の暴力を好まないのだ)などを加味して、PKはあまり遭遇しない、流行らない行為だったのも事実だ。


 そもそも〈エルダー・テイル〉におけるPKの成功率が低かったのは、画面上に表示されるミニマップに周辺の存在、つまりプレイヤーだろうがモンスターだろうがノンプレイヤーキャラクターだろうが、とにかく一定の距離以内に存在するキャラクターは全て表示されるという仕様によった。

 また、高レベルのキャラクターはプレイヤーが操作しなくても、自分の持っているスキルに応じて「加えられた攻撃を回避する」という仕様もPKの成功率を低下させた。

 つまり、不意打ちの効果が低かったのだ。


 さらにいえば、〈エルダー・テイル〉においてPKは禁止されていなかったが、ハラスメント――つまり嫌がらせ行為は禁止されていた。PKそのものはハラスメントではないが、同じ相手に対する執拗なPKや、戦闘相手に対する侮辱的な言葉遣いなどはハラスメントと認定されることもあり、その場合は運営会社から警告やペナルティを受ける可能性が高かったのだ。

 だがハラスメントなどというものは、かなり曖昧で主観的な基準に基づいて判断されるものだ。被害者が女性であるとか、被害者が強烈に運営にアピールするなどで、許容されているPKがハラスメントと認定されるなどという事例もあり、いきなりアカウント停止を受けるなどといった話さえあった。

 そんな事情でPKはリスクが大きいとされていたのである。


 だがそれも異世界に巻き込まれたとなれば事情は違ってくる。

 この異世界における戦闘では、ミニマップは脳内メニュー内部にも存在しない。また幾ら高レベルの冒険者であっても、本人が意思をしない限り無意識の回避等と云うことはあり得ない。

 プレイヤー本人が武術の達人でもない限り、だ。

 また、ハラスメントは運営会社の担当が事件後にゲーム記録を調べて処分を下すという手続きを経て実施されていた。ゲームだった頃の〈エルダー・テイル〉はそうした運営会社の「神の手」によって秩序を保たれていたのだ。しかし、いまのこの世界に、そんな都合の良い救いの手は存在しない。

 ――不意打ち成功率の増加。そしてハラスメント報告というリスクの軽減。


 加えてPKには大きなうまみがある。

 モンスターと戦闘をするよりも、遙かに大きな見返り。

 それは倒したプレイヤーがその時所持している現金全てと、アイテムの約半分を奪い取れると云うことだ。アイテムの中には決して紛失しない属性を持つものもあるが、鞄の中の通常の取引可能なアイテムの約半分は、死亡した瞬間に辺りにばらまかれてしまう。


 デメリットとメリットの逆転。

 それがこの異世界の〈エルダー・テイル〉において、PKと云う行為を増殖させた原因だった。



 ◆



(とりあえず、不意打ちはしのいだ……。向こうの利点は地の利、人数、事前の連携確認。積み重ねた準備。比してこちらの利点は……)


 その杖に青白い燐火を宿したシロエは最初の一撃を凌ぎきった体制から思考を展開する。使用する可能性のある呪文アイコン想起。脳裏に広がるメニュー画面にカーソルを当てるまでもなく、普段よく使う呪文は全てショートカットスロットに登録されて出番を待っているのだ。


 だがシロエが杖を構えて詠唱準備をするまでもなく、前方の廃墟の暗がりの中から何人かのプレイヤーが現われる。

 乾ききったアスファルトの欠片が崩れて、夜の静寂に意外なほど大きな音を響かせる。


 現われ出でた影は四つ。

 戦士風が一人。盗賊風が二人。回復役風が一人。

 数は多い。足取りもしっかりしているし、レベルも低くなさそうだ。

「黙って荷物を置いていけば、命までは取らないぜ?」

 戦士風の男が見下したような声でお決まりの台詞を吐き出す。

 シロエはその台詞に苦笑を誘われる。


(漫画でも読み過ぎじゃないかな。その台詞は?)


 幾らモンスターとの戦闘に慣れたとは言え、プレイヤーとの戦闘はそれとは全くの別物だ。動物的な本能に導かれる敵と違って何をやってくるか判らない怖さもあるし、それ以上に「悪意をぶつけられる」と云うことに人間は鈍感では居られない。

 殺意ならば、モンスターからぶつけられることもある。しかし、PKが向けてくるのは略奪の意志。労せず他人の儲けを奪おうという「悪意」なのだ。


 シロエの手の平が知らないうちに嫌な汗で湿っていた。

 その緊張が、目の前の男の陳腐な台詞で和らいだ。


〈守護戦士〉(ガーディアン)に魔術師か。無駄なあがきをしてみるか? こっちは四人なんだぜ?」

 一味を取り仕切っているらしい盗賊風の男が言う。腰に吊されている長刀は二本。その時点でこいつが〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)だと云うことは察しがつく。12職のうちで二刀流が可能なのは〈盗剣士〉と〈武士〉(サムライ)だけなのだ。


「……直継どうする?」


「殺す。三枚におろしてからミンチにして殺す。そもそも他人様を殺し遊ばせようって連中だ。当然他人様に殺害されちゃったりする覚悟なんておむつが取れる前から決まってるんだろうさっ」

 直継の頼もしい声。シロエは膝に力が戻るのを感じる。


(呼吸は正常、平衡感覚だっていける。――落ち着いている。

 僕は、いける。こんな事態を想定していなかった訳じゃない。……いずれは通る道だ)


 シロエはそう独りごちる。もう戦闘する覚悟は決まっている。でも、出来ればもう少しだけ会話を引き延ばしたい。


「直継はPK嫌いだもんね。……僕はお金払っても良いんだけどさ、一度くらいなら」

 シロエの言葉に男たちがにやりと笑う。

 笑ったまま半歩踏みだし、醜い脅迫の意志を見せつけてくる。判っては居ても、目を逸らしたくなるほどのプレッシャーがシロエに掛かった。


(つまり、あれだ。……僕は舐められてるんだ。脅せばお金を出しそうだって思われてる訳だ)

 シロエは脚から力が抜けそうな自分と、奇妙に醒めた自分の二人に分裂して行くのを感じる。それと同時に、耳元で厚い脈動が始まるのが判る。〈茶会〉で何度も感じたあの感覚だった。


 シロエはアカツキが苦手だ。だが嫌いな訳じゃない。

 シロエは争いごとは嫌いだ、だが苦手な訳じゃない。


「でも、あいにくお前たちには払いたくない」

「よく言ったぜ、シロ」


 シロエと直継のやりとりが意外だったのか、それともしゃくに障ったのか、野盗一味の頬にさっと朱が差す。彼らは口々に罵るような言葉を吐くと一挙に武器を抜く。


 先ほどの不意うちから点灯しっぱなしの戦闘中を示すアイコンの赤い縁取りが、まぶたに染みいるほどに赤い。

 シロエは左足を半歩ほど引くと、出来るだけ落ち着いた声が出るようにと祈りながら指示を飛ばす。


「第一標的左前方の戦士っ! 同時に盗賊への阻害もまかせたっ」

「そこの鎧の厚い戦士は俺達にまかせろ、お前は魔術師をさくっと殺しちまえっ!!」

 そのシロエが戦術指示を行なうのと、野盗のリーダーが怒鳴るのは殆ど同時だった。


 直継はそのまま鋭い一歩を踏み込むと、燐光を発する盾を目の前の戦士に叩きつける。相手はおそらく〈武士〉(サムライ)だろう。日本刀を持っているのがその証拠だ。

 野盗のリーダーに指示された長髪の盗賊が、その直継の隣をすり抜けてシロエに接近しようと飛びあがる。だがその行動はシロエが予想していたパターンのうちのひとつでしかなかった。


 瞬間に、シロエの呪文が襲いかかる。

 〈アストラル・バインド〉

 先ほど直継がかけられたのと同様の移動制限呪文だ。

 防御力に難がある魔術師は単独で冒険する際に、この種の魔法でモンスターの足止めをしつつ、長距離から攻撃魔法で仕留めるのを基本戦術とする。


 魔術師系3職で細部のディテールは異なるがどの魔術師にも習得でき、基本的には似た性能だ。移動を制限して呪文がかけられた対象を動けなくする。それだけの基本的な呪文で、足下から魔法の鎖を出現させ、身体に絡みつかせることによって、足止めを行なうというイメージ的な演出を持っている。


 だが足止め魔法は足止め魔法でそれ以上の効果はない。

 長髪の盗賊はくるりと方向を替えると、仕方ないとばかりに今度はすぐ近くの直継に攻撃を入れる。直継の鎧に弾かれる殆ど小剣と云えるほど大きなナイフ。足止め魔法は移動を阻害するだけで身体すべての自由を奪う訳ではないのだ。


「スイッチだ、頼んだっ!」

「まかせろっ!」


 その火花に照らされて、盗賊のリーダーが軽いフェイントを入れて直継の脇を突破しようとする。

 初めは戦士と自分の二人がかりで直継の相手をして、部下にシロエを殺させようという作戦だったのだろうが、その部下が足止めされたと見るや役目を入れ替えて自らシロエへ向かうつもりだ。

 自分の立てたフォーメーションに見切りをつけて、即座に現在の状況に合わせて再構築する。その判断速度は賞賛に値した。フェイントの攻撃を入れて身を翻す速度も及第点だ。


(――それでも直継の経験を越えはしない)


「〈アンカー・ハウル〉っ!!」

 腰を落とした直継の裂帛の気合い。


 大気を振るわせるような怒号は、〈守護戦士〉の技。

 直継の脇をすり抜けるはずだった野盗のリーダーは。まるで高温のプロミネンスに触れでもしたかのように反射的に身をすくませて、直継に二刀を向けたまま固まってしまう。


 足がすくんで、直継から視線を離すことが出来ずに、全身から嫌な種類の脂汗が流れ落ちる。〈武士〉も長髪の盗賊もそれは同じようで、一様に目を見張って恐怖に耐えている。

 いま直継から視線を外したら背後から確実に葬り去られてしまう。そんな恐怖心を直継を囲んだ三人は感じているのだ。


 ただ単純に堅くてHPが高ければ壁役が務まるなんて事はあり得ない。モンスターであってもゴブリンやオークならば人間と同程度の知能はある。古代の魔術兵器やダークエルフ、邪教の信徒などと戦うこともあるのが〈エルダー・テイル〉の世界だ。


 攻撃を受け止める役目の壁役を無視して、後衛の回復役や魔術師を狙ってくることだってざらにある。そんな多様な敵から仲間を守る。

 その一点に特化をしたのが〈守護戦士〉である以上、『仲間を守るためには堅くてHPさえあればよい』等という考えに至るはずもない。



 〈アンカー・ハウル〉。


 ひとたび〈守護戦士〉の裂帛の気合いを耳にした敵は、直継を無視することが出来ない。直継を無視しようとした瞬間に、直継の強烈な反撃を無防備な体勢にたたき込まれることになる。これはその種の誓いに満ちた〈守護戦士〉の技だった。

 敵の攻撃を一身に引き集めるこの技術こそが、〈守護戦士〉を戦士の中でももっとも堅固な前線へと高めているのだ。


「ちっ! 構うことはないっ!! 三対一なんだ。幾ら堅いと云ったってたかが知れているっ。この野郎を先に畳んじまえっ」


 野盗のリーダーは恐怖に鼻白んだまま、部下達に叱咤を飛ばす。

またしても戦術の変更を迫られた〈盗剣士〉は、今度はターゲットを直継に定めたようだった。その二刀流が直継の隙を探るかのように蛇のような動きを見せる。

 発想としては、間違えていない。


 野盗の〈武士〉も、リーダーの二刀流も、長髪の盗賊も、直継を打ち倒すと定めたようだ。


「くそっ! 亀のように固まるしか脳がないくせにっ!」

 まるでヒステリックな叫び声を上げて矢継ぎ早に攻撃を繰り出す。


「お前達の剣の技じゃ、俺の守りは破れねぇよ!」

 陽気にさえ聞こえる直継の宣言に、彼らは一層に猛る。


 鋼を打ち合わせる金属質の反響音を聞きながら、後列のシロエは素早くステータスを確認する。

 確かに、云うだけあってこのPK集団はレベル的にもそれなりにあるようだ。奴らの間断のない攻撃により、直継のHPはじりじりと消耗させられてゆく。

 30秒もあればいくら直継といえども倒れてしまうだろう。


(30秒もあれば、だね……っ)


 そうであるならば、その時間に事態を打開するのは自分の役目だ。シロエはそう考えて、くちびるの端を小さくつり上げる。


 六つのルーンを杖の先で描き出すのは1.5秒フラット。生まれ出でたバチバチと放電する雷の球をシロエは敵集団の〈武士〉に叩きつける。持続型攻撃呪文〈エレクトリカル・ファズ〉。小さなダメージだけど、だいたい十秒から二十秒の間、断続的に電気ショックを敵単体に与える呪文だ。


「はっ! お前〈付与術師〉(エンチャンター)か? ――なんだこのちっぽけな呪文は!? こんなダメージじゃ犬も殺せやしねぇ!!」


 シロエの呪文を受けたサムライは鬱陶しそうにしながらも鼻で笑い飛ばす。彼の身体にまとわりつくテニスボールサイズの雷球は音こそ耳障りなものの、ばりばりと美しい光を放つだけで痛みらしい痛みすら無い。


 〈エレクトリカル・ファズ〉。

 〈付与術師〉の操る攻撃呪文は全体的傾向としてダメージが少ないが、この持続型呪文はその小さなダメージをさらに効果時間全体に分散している。ダメージ量の合計で云えば〈マインド・ボルト〉より大きいが、単位時間当たりのダメージは遙かに小さい。

 ダメージの小ささを物語る痛みは無視し得る程度であり、〈武士〉にとっては嫌がらせにしかなっていないようだ。


(……うう。また云われた。やっぱ非力だよな)


 しかしその挑発は繰り返されてきたものでもある。シロエだって自分の操る呪文の特性など先刻承知だ。シロエはその挑発に言い返すことなく、さらに同じ呪文を紡ぐ。〈エレクトリカル・ファズ〉を次々に投擲し、野盗のリーダーにも長髪の盗賊にもぶつける。

 武器攻撃職二人は戦士系である〈武士〉に比べれば多少はHPも少ないが、だからといってこんな雀の涙ほどのダメージの呪文ではどちらも痛痒を感じていないようだった。


「ははははっ! お前いったい何がしたいんだ。それともあれか、こっちの兄ちゃんに連れられた初心者かなんかなのか!?」


 青白い火花を次々と散らす電線のように、あるいは闇夜を彩る異形の花火のように輝く三人のPKたちは、一層勢いを得て激しい攻撃を直継へと注ぎ込む。


(……じゃぁ、まずは一つ。貰う)


 相手の怒気、油断、嘲笑。

 それら全てを情報として取り込んで呼吸一つに凝縮したシロエは、万全のタイミングで二歩前進する。杖を鋭くふると口頭で呪文を詠唱し、ショートカットを呼び出す。

 2秒の詠唱で放たれたのは〈ソーンバイド・ホステージ〉。輝く瑠璃色のリングが〈武士〉に飛び、五つの茨のように絡みつく。


「なんだこれはっ!? くぅっ!」

 その茨を打ち壊すように直継が剣を振るうと、まるで闇の中で電球が弾けるような輝きが生まれる。その衝撃波に〈武士〉は悲鳴を上げて、反射的に身をすくませる。


 〈ソーンバイド・ホステージ〉はシロエが常用する設置型攻撃呪文だ。単体射出型の攻撃呪文や範囲焼却型の呪文と違って、起動条件が複雑で、一旦敵対する対象に「設置」する必要がある。

 「設置」を受けた対象は、輝く茨の戒めを受けることになるのだ。


 この茨は敵対する対象の行動を束縛することは無いが、「設置」を受けた対象の身体にまとわりつき、その茨は術者の仲間の物理的な攻撃を受けた瞬間はじけ飛び、約1000のダメージを与える。

 つまり、味方の攻撃に追加ダメージを乗せる呪文なのだ。

 茨の数やダメージは呪文の等級に応じる。シロエの持つ〈ソーンバイド・ホステージ〉の等級は「秘伝」クラス。五つの茨全てが弾ければ、たとえ戦士クラスだとは言え、それだけでHPの半分を失う。


「落ち着け! そいつは設置型のクソ呪文だっ。解呪しろっ! ヒーラーっ!! 〈武士〉に回復を集中しろ! こっちは倍の数が居るんだ、負けるはずはネェっ!!」

 実際にダメージを受けて狼狽した〈武士〉とは違い、リーダーの声にはまだ余裕があった。〈エルダー・テイル〉の仕様において、回復役というのはかなり強力な存在だ。

 そこそこの腕の回復役が一人いれば、同レベルの敵やプレイヤー数人から受けるダメージをほぼ完全に打ち消すほどの回復魔法を操ることが出来る。


 例えシロエの〈ソーンバイド・ホステージ〉が強力でも回復をし続ければ負けることはない。

 そもそも〈付与術師〉の小さな攻撃力ではなく、たとえば〈妖術師〉の強力な攻撃呪文にさえ太刀打ちできるような作戦を持ってPK団を率いているのだ。リーダーの自信は根拠のないものではなかった。


 直継の剣が閃く。

 その度に茨の罠が発動し〈武士〉には衝撃波のようなダメージがたたき込まれる。〈武士〉も体勢を立て直そうとしているが、刀をしっかりと構えなおすたびに左右から打ち込まれる斬撃と衝撃波が、彼の努力をあざ笑う。


「はっ! それがどうした。脇腹が留守だぜっ!」

 長髪の盗賊が大きなナイフ――山刀の一種を直継の右脇に突き込む。剣を振り切った姿勢で硬直していた直継はそれを避けきることも出来ずに、鎧の隙間に傷を負う。


「ヒーラーの有無が勝敗を分けたなっ! 兄ちゃん達、あんまり舐めてるんじゃネェよっ! あはははははっ! せいぜい神殿で悔し涙でも流すがいいさっ!」


 シロエの武器強化呪文を受けた直継の攻撃は戦士にしては十分以上に鋭いし、シロエの秘伝呪文は〈付与術師〉としては大きなダメージを与えただろうが、それさえも同レベルのヒーラーの回復の壁を突破できる可能性は低い。リーダーの哄笑はその自信に裏打ちされたものだった。


「その戦況把握は正しいです」

「そちらさんのヒーラーが仕事してればっ。だけどなっ!!」


 瞬間、まるで身長が半分になったかのようにを低く身体を沈めた直継が、〈武士〉の両膝を一撃で切り払う。


 その一撃はまるで巨大なカマキリの振るう腕のひとふりに似て、〈武士〉がすとん、と縦に沈む。

 吹き飛ぶでもなく血しぶきを上げるでもなく、異様に静かな幕切れ。つい一瞬前まで刀で激しい剣戟を加えていた〈武士〉の突然の有様に、野盗のリーダーの笑い声は後半を断ち切ったように途切れてしまう。


「――な、なんだよっ。お前ら何をしやがった!? 麻痺か? おい、ヒーラーっ!! 何をやってんだ。早く回復をしろっ!!」

 わめき散らすリーダーに、直継は片手剣を逆袈裟に力任せに叩きつけながら宣言をする。


「鬱陶しいぞ、お前っ。綺麗な月夜に不細工な雑魚台詞をまき散らすなよっ!」

「なっ! なっ!?」


(思ったよりも早い。職人としての頼りがい、満点だ……)


 シロエは右手に広がる庭園の木立に視線をやる。

 いくつもの魔術の波及効果で青白い輝きに満ちたこの路上からは、木々の生い茂るその庭園の闇を見通すことは出来ない。

 けれど、シロエはその闇の中に仲間が居ることを知っている。


「クソっ! もういいっ! おい〈妖術師〉っ! 〈召喚術師〉っ! ここまで来れば総力戦だ、この男を消し炭にしちまえっ!」

 野盗のリーダーはとうとう隠していた切り札。予備戦力の投入を決意したようだった。


(魔術師系が二人、だったんだ……。

 たしかに追加が二人もいれば、この状況から僕たちをなぶり殺しにする事も可能だ。被害が出たとは云えそれは〈武士〉が一人だけ。

 こっちは二人で、そっち五人。戦力差は二倍以上。『負けるなんて事は、あり得ない』――)


 シロエは敵リーダーの思考を推測する。

 だがその予備兵力の準備さえシロエの予想を超えるものではなかった。


(直継が仕掛けられたのはバインド系移動阻害呪文。それなのに出てきたのは戦士に盗賊二人に回復役。魔術師は無し。この時点で語るに落ちてるよね)

 シロエにとって見れば、PKグループに魔術師が含まれているなんて事はお見通しだったのだ。それが伏兵として右手に広がるうっそうとした木立に潜んでいることは、最初から織り込み済みだった。


( 薄い装甲でHPの少ない魔術師を、護衛も無しで放置するっていうのは、それはつまり)


「おい、早くしろっ! こいつをやっちまえっ!!」

 完全に腰が退けたリーダーはそう叫びながら右手の剣で直継を指し示すが、その剣の先と直継は30cm以上も離れている。

 シロエ達の見せた戦闘方法と薄気味悪さが士気を枯渇させてしまったらしい。


「……詰みだ」

「その通りだ、主君」


 広葉樹の梢から小柄な影がじわりとにじみ出す。

 いつも通りの生真面目な表情で現われたアカツキは引きずっていた二人の魔術師を道路の上に投げ出した。身長150センチもないような小柄な黒髪の美少女が、仲間をまるで生ゴミの袋のように投げ捨てる異常な光景に野盗のリーダーは取り乱す。


「な、なっ。何やってるんだよ、お前らっ!? な、なんで報告しないんだよっ!? ヒッ。ヒーラーっ!! HPの管理はしておけってあれほど云っただろうっ。お、お前まさかっ。俺達を裏切って……」

「そんなんだからお前らはダセェんだよっ」


 野盗の言葉に直継は堪忍袋が切れたように、その左腕の盾を叩きつける。リーダーの〈盗剣士〉は突然の攻撃によろめき、路上にぺたりと腰を落としてしまった。


「仲間くらい信じた方が良いよ。そっちのヒーラーは寝てるだけ。そもそも戦闘の最初から寝ていたし」


 シロエの無慈悲な宣告が、路上に流れる。

 それは〈アストラル・ヒュプノ〉。

 味方の強化と共に〈付与術師〉を支える拘束呪文の最高峰。対象が何であれ、その存在そのものを眠りへと落とす停止呪文。効果時間は長くない。延長したとしても十数秒。

 しかも眠りは攻撃を加えれば即座に解除されてしまう。ある意味ではそれは時間稼ぎ以外に使用方法のない、愚か者の呪文でもある。

 そもそも戦闘というのは互いの戦闘能力を奪い合う。端的に言えば、相手を殺すのが目的だ。敵を眠らせただけでは、戦闘に勝つと云うことは決して出来ない。「戦闘終了には直接寄与しない呪文」。

 だからこそ〈付与術師〉は一段低く見られてきたのだ。


「主君の呪文をバカにするのは良くない」

「っ!」


 いつの間にか路上には静寂が戻っている。

 先ほどまで火花をあげていた雷球は全て効果時間が終了して消え去ってしまった。路上にはへたり込んだ二人の盗賊と、眠りこけた一人の回復役。彼らを見下ろす、シロエ達の三人。


「お前達は電気の火花をすっかりバカにしていたらしいが。それだけ目の前がバチバチ明るければ、森の暗がりなんか見えるはずがない。

 後ろで支援しているはずのヒーラーが寝ているのにも気が付かなかったな。――お前達の連携は、穴だらけだ。

 戦闘に夢中でHP管理も仲間の状態確認も出来なかったお前達の伏兵なんて、簡単に暗殺できたぞ」


 アカツキの言葉が終わるのを待ちかねたかのように、直継はその長剣を振り上げた。もはや戦闘意欲を失っていた長髪はその一振りで、鋭い笛のような音を立てて絶命する。


「お、俺達を殺したってすぐ復活だ。お前達に負けた訳じゃねぇっ」

 野盗のリーダーは強がるが、首筋に当てられたアカツキの小太刀に身動きさえ取れない様子だった。


 アカツキは、シロエに視線だけで尋ねてみる。

 その問いかけは、殺害の許可。


 シロエは太くため息をつく。

 このまま縛り上げるなりした上で拷問をして、全財産を巻き上げることはけして不可能ではないだろう。しかし拷問というのは性格的には不得手だ。多分、実行不可能だろう。


(もちろんこのまま無罪放免という事も出来る、けど……。

 だけどそんな事をしたからと云って……)


 感謝をしてくれるなどという事はないだろう。侮辱されたと逆恨みされるのが落ちだ。そもそも死というのが形骸化してしまったこの世界で、罪とか罰というのが元の世界と同様に働くかどうかすら疑わしい。

 そんな事はシロエにだって判る。


 かといって、じゃぁ『何でもあり』なのかといえば、それはそれで違うとシロエは思う。


(仕方がない)


 シロエはアカツキに頷く。彼女はその鋭い小太刀をPK達のリーダーの首筋に躊躇いなく一気に突き入れた。夜目にも赤い、だが濁りきった血が吹き上がる。

 アカツキがその血潮を器用に横にかわすと、倒れたリーダーの周辺にアイテムや金貨が散らばった。


 PKから受けた襲撃は、こうして幕を閉じたのだった。



2010/04/20:誤字訂正

2010/04/24:誤字訂正

2010/05/29:誤字訂正

2010/06/13:誤字訂正

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