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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

夜明けの迷い子

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 足下に白いもやがかかってきたか、と思っていたら、風の匂いまでもが柔らかくなった。
 夜は緞帳のような重さを振り捨てて、次第に透明に、軽やかになってゆく。それは夜明けの気配だ。まだアキバの街は闇に包まれていたが、深夜の胸を押しつぶすような重圧はすでになかった。
 空は次第に透き通った紺色へとその色合いを変えて行く。静寂はそのままであっても、時間は流れてゆくのだ。

 一晩の巡回を終えたアカツキはくたびれていた。
 〈冒険者〉の体力は一晩くらいの徹夜ではびくともしないが、索敵作業で張り詰め続けた神経は体よりも心に疲労をもたらす。
(おなか、すいたな……)
 そう思う。暖かいポタージュが飲みたい。
 コーンがたくさん入ったにゃん太特製のポタージュスープだ。
 しかし、ここは崩れかけた高架線路の上。〈記録の地平線〉では仲間たちが夜明け前のもっとも深い眠りについているころ。ぬくもりをねだることは出来ない。
 そもそもこの深夜の徘徊はギルドの仲間には内緒なのだ。仲間である少女に嫉妬をして、大規模戦闘ギルドの〈冒険者〉に匹敵する力を身につけたくて、毎晩のようにホームを抜け出しては殺人鬼を追っている。そんなこと仲間に言えるわけがない。

 だんだんと明るくなってゆく街を見下ろしながら、アカツキは深くため息をついた。
 言えるわけがないのは、そしてこうして疲労を感じているのは、この探索そのものが結局はアカツキ自身のわがままでしかないということを自覚しているからだ。力を得たいという想いがそもそもエゴなのだ。シロエだって、直継だってそんな要求をアカツキにしたことはない。ましてや、殺人鬼を追いかけるだなんて、雲をつかむような話だということはアカツキにもわかっている。
 たしかに殺人鬼を追えば、高位ギルドの戦闘を目撃できるかもしれない。
 そうすれば、彼らの操る口伝を見ることが出来るかもしれない。
 うまくすればそのヒントを見いだせるかもしれない。
 どれも仮定の話だ。「かもしれない」ばかりのずさんな行動方針である。
 そんなことはアカツキにもわかっている。だから、仲間には言えない。

 中央通りの上を渡り、アカツキは高架線路をアキバ中央の方へと歩いて行く。
 もはや暗闇は去りアキバの街には早朝がやってきていた。冬の朝特有の肌を切るように冷たい風が、アカツキの頬から体温を奪う。いつ戦闘になっても良いように一晩忍び装束で過ごした身体は冷たくなっていた。緊張感を維持して動き回っていた夜半は良かったが、夜が明けてぼんやりと街を眺めている間に凍えてしまったらしい。

 気分はあまり明るくなかった。
 それも当たり前だとアカツキは思う。一晩中、街をうろつき成果もなかったのだ。苔むしたコンクリートの大きな塊によじのぼり、さらに手を伸ばしてアカツキは瓦礫の上に立つ。おそらく旧世界では中央線のホームだったこの場所は、多くの木々が生える空中庭園になっていた。空気は冷たいが、風が遮られたせいで少しだけほっと出来る。
 この巨大な建造物は個別ゾーンではなく、アキバの街に公開設置された開放型のオブジェクトだ。そのために特定の出口はなく、その気になれば高架線路から飛び降りることも出来る(もちろん落下ダメージがあるので無理はしないが)。
 アカツキはぼんやりと、中央階段を下りてギルド会館広場に抜けようか……と考えたところで、朽ちかけたベンチに腰を下ろした。
 そこまで疲れていたわけではないと思う。
 ただ、動きたくなくなってしまったのだ。
 座れば、お腹のあたりが重い。なにかが凝り固まって、耐えきれない感じがする。
 アカツキは自分でもびっくりしてしまった。
 自分がなぜベンチに腰を下ろして、こんな風に地面を見つめているのか。そんなにまでも自分が思い詰めていたのかと、気がつかされた。
 つま先で小石を蹴飛ばしてみる。あちこちがひび割れ砕け古代樹が林立する、かつてはホームだった空中庭園を小石がころがっていった。小鳥が飛び立っていったところをみると、どうやら驚かせてしまったらしい。
 ひどく落ち込んだ気分でアカツキはさまざまなことを考えた。
 ギルドのこと、シロエのこと、バカで下品な直継のこと、にゃん太とそのおいしい料理のこと、後輩たちのこと、〈三日月同盟〉のこと、いままで戦ってきた敵のこと。
 そしてミノリのことを。

 女の子らしい女の子だ、と思う。小綺麗で。まめまめしくて。明るくて、人見知りをしなくて、それでいて礼儀正しくて……。それぞれはたいしたことはないのだ。かわいらしさだってクラスで人気がある程度でしかないと思うし、なんでもモノを言いすぎる部分だってある。
 料理だって出来ないし、中学生だからきっとあちこちのおしゃれな店だって知らないに違いない。ポシェットの趣味だって子供っぽいと思う。シロエに話しかけるときだって、あんなにはしゃいで、声が高くてシロエをきっとうんざりさせてたに違いない。
 アカツキはぎゅっと唇を噛んだ。
 なにを考えているんだろう。
 浅ましい。
 我ながら呆れるほどに狭量ではないか。
 鏡に映った己の姿は、醜くひき歪んでいた。澱のようにたまった嫉妬の苦さがアカツキを責めさいなんだ。ミノリがなにをしたというのだ。なにもしていない。
 少なくとも、アカツキに悪意を持ったことは一度だってないではないか。だというのに、自分はミノリのことを心の中では生意気なチビだと見下している。本当はそんなことないとわかっているのに。ミノリは頑張り屋の可愛い後輩だとわかっているのに。出来すぎた中学生風情が、と思う気持ちを抑えきれない。
 こうして一人きりで考え込んでいると、耐えきれなくなる。普段、大勢でいるときには忘れていられる嫉妬が心の中いっぱいにあふれてくるのだ。押さえようとしても押さえきれない激流に、飲み込まれそうだ。

 アカツキは何度も深呼吸をした。
 握りしめた拳を緩めた。
 冬枯れして葉を落とした落葉樹、まだ濃い緑の姿を残す針葉樹。その影が、しっとりとしめった庭園に落ちている。
 どこからか、小さな鈴を振るような音が聞こえた。先ほども見かけた小鳥だ。人の気配のしない神代の廃墟は、冬の空気の中で冴え冴えとした美しさを持っている。吐く息を白く凍てつかせる澄んだ空気さえ、その美を引き締める欠くことの出来ない重要な一部分だ。
 まぶしいというよりはひたすらに白い光の中で、アカツキは自分を黒い染みのように感じた。こすれば汚れを塗り広げるだけの黒い染みだ。そう思えば、今まで自慢だった黒髪さえもがいとわしい。
 もしかしてシロエは黒髪ではなくて、ミノリのような明るい色の髪を可愛いと思うのかもしれないと考えると、まるでおなかのあたりが石で固められたような気分になる。
 シロエは髪の毛の色なんかで好悪を決めたりしないことを、アカツキ自身がよくわかっているのにだ。シロエはそんな肉体的な、たかが髪の毛の色なんかでえこひいきしたりはしない。
 なのに「明るい色の髪のほうが好きなのではないか?」などとくだらないことを考えたのは、すべてアカツキの嫉妬ゆえだ。

 アカツキが、アカツキの中の汚れた嫉妬を、主君と仰ぐシロエに塗り広げたのだ。
 いまこうしている間も、アカツキの嫉妬は、シロエをおとしめている。
(どの口で主君なんて呼びかけているのだ。わたしは)
 アカツキはようやく自分がこのベンチに座った理由を理解した。
 つまりアカツキは〈記録の地平線〉(ギルドホール)へと帰りたくないのだ。
 まるで塾をさぼってしまった小学生のように。
 そう考えると滑稽で笑えてしまう。子供じみた逃避だ。
 アカツキは、寒くて、辛くて、惨めな気分だった。大事な大事な居場所だったのに、あんなにも幸せを感じていたのに、その幸せを守るために、夜を徹して力を追い求めたそのあげくに、帰りづらくなっている。本末転倒な現実が、アカツキを責めた。

 ミノリやトウヤたち年少組は、泊まりがけの狩りに出かけて、いない。
 ギルドハウスに帰れば顔を合わせるという状態ではない。にゃん太は暖かく出迎えてくれるのはよくわかっている。直継だって(スケベなシモネタ込みではあるが)きっとくだらない冗談を言ってアカツキに気を遣ってくれる
 だから帰りたくないというのは、アカツキのわがままだ。
 それが見栄だというのは、アカツキにだってわかっている。
 でも捨てられない。

(主君に会いたいな)
 アカツキはそう思った。その願いは胸を締め付けるほどだ。
 シロエに会いたい。少しだけでよいから話をしたい。近くによって白いコートをひっぱりたい。シロエの湯飲みに、水筒から黒薔薇茶を注ぎたい。一緒のソファーに座って窓の外を見たい。シロエが難しい書類を見て同じくらい難しい顔になる横で、自分も難しい顔をまねしてみたい。

 でもそれはかなわない。身勝手で見栄っ張りな自分が、シロエの元で安らぐなんて、そんな資格はないと思う。それどころか、もしいま、そこへ戻ってしまったら二度と駆け出すことが出来なくなる。この先ずっと“シロエのおまけ”として生きてゆくことになるのだ。
 それも悪くはないと考えていた。
 シロエの隣で、シロエと日向ぼっこをするように、主君と忍びでいられたら幸せだと思っていた。
 でも、それはごまかしだ。
 いま幸せだからと、甘えていただけなのだと、ミノリが気づかさせてくれた。
 飛べなくなった燕は、いずれシロエについて行けなくなる。そうなれば、別離しかない。
 さっきから同じことばかりをぐるぐると考えている。どれもこれも主語はわたし、そして自分。我がことながらあまりにも自己中心的で嫌になる。
 そんな娘を好きになってくれる人はいないだろう。自分だって、そんな自己中心的な、自分のことしか話せないような友人は持ちたくない。だから、いまはシロエには会えない。
 そしてそれは、シロエから受け取った主命でもある。

「……今日は宿に泊まろう」
 アカツキは重い身体を無理やり立ち上がらせた。
 疲れているはずなどないのに妙にけだるいのは、きっと気持ちのせいだ。
 冬の風が撫でるこの異郷の地は広大で、アカツキに答える声はなかった。



 ◆



 青年の来訪が告げられた時、レイネシアは意外な気持ちを覚えた。
 もちろん顔見知りではあったし重要人物ではあるが、彼が自分を、あるいは誰かを訪ねるところなど想像したこともない自分に気づいたからだ。
 貴族社会において「訪問」とは数日から数ヶ月前に予告して行うものとされているが、良くも悪くもここはアキバの街だったので、レイネシアが住まう水楓の館の使用人達は「突然の来客」に慣れていた。
 この時も、来客は応接室に通されて、レイネシアは報告を受け取ったわけである。
 レイネシアはエリッサに手伝ってもらいながら、軽く髪を整えて、衣服をあらためた。青年も「こちら側」の人間ではあるが貴族ではないし、何よりもお互いアキバの街に住む〈大地人〉同士である。夜会ほどに着飾る必要はないだろうという判断により、本日は袖の長い、ほっそりとしたワンピースタイプのドレスを選択した。
 淡雪のように霞んだピンク色のそれは〈三日月同盟〉のマリエールのお土産で、贈られた中ではおとなしく――レイネシアは言葉にこそ出さなかったが、気に入っていたのだ。
 少しだけ急いで駆けつけたレイネシアを、応接室の客は立ち上がって迎え入れてくれた。

「ご無沙汰しております。レイネシア様」
 丁寧な仕草で頭を下げたのは、一人の青年だった。名前は菫星(きんじょう)。アキバの街に住まう供贄(くにえ)一族の若頭領だった。
「お待たせして申し訳ありません」
 レイネシアもしとやかな礼を返す。
 エリッサがお茶の用意をするそのあいだ、微妙な沈黙が流れる。
 レイネシアはこの青年について詳しくはない。むしろ、供贄一族の若頭領であるくらいのことしか知らなかった。供贄一族とは〈大地人〉のなかでも、一風変わった氏族であり、このヤマトの中でもある意味別格の勢力を持っているといってもよいだろう。
 このヤマトには、大きく分けて五つの領域がある。
 北方の荒れ果てた地に建国された〈エッゾ帝国〉。南の果ての海運商業国家〈ナインテイル自治領〉。すでに滅亡し、いまは怪物の跋扈する危険な島となった〈フォーランド公爵領〉。そしてウェストランデ皇王朝の血を引く〈神聖皇国ウェストランデ〉。最後が、レイネシアの祖父が治めるマイハマの都を含む、この東ヤマトに根を張った〈自由都市同盟イースタル〉である。
 これら五つの領域では同じ貨幣が流通している。半金貨(ハーフ)四分金貨(クォーター)、正金貨――通常はひとまとめに金貨と呼ばれている通貨だ。これらはヤマトだけではなく、大陸でさえもまったく同じものが使われているとレイネシアは聞いていた。
 古代からずっと使い続けられてきた金貨の流通、すなわち、各地にある『銀行』を支配しているのが、供贄一族なのである。
 彼らは古代アルヴの技術を幾ばくか継承し、都市間ゲートとはまた違った方法で、品物を遠隔地とやりとりすることが出来るのだ。その技術を用いて、供贄一族は各地にある『銀行』を運営している。
 もっとも、彼らは『銀行』の一族というわけではない。
 古代アルヴ時代の魔法技術を管理するのが、彼らの使命なのだ。
 『銀行』がもっとも代表的だが、〈自由都市同盟イースタル〉においては結界都市の防衛用魔法陣方陣の維持をも担っている。
 〈自由都市同盟イースタル〉に30弱ある結界都市には、都市そのものの地下に、魔力を伝達する古代の施設が建築されている。この魔力によりモンスターの侵入を防ぐとともに、〈衛兵〉への動力を伝えているのだ。
 貴族の反乱を嫌った〈神聖皇国ウェストランデ〉のいくつかの都市という例外を除いて、ヤマトに存在するほとんどの結界都市は供贄一族により支えられている。
 もちろん、それだけの重責を担っている一族である。ある意味彼らは、貴族よりもさらにヤマトにとっては必要な一族と言えるだろう。レイネシアもこのアキバに赴任するにあたって、供贄一族については祖父よりちゃんと申し送られている。
 しかし一方で、この供贄一族は、古来より不思議なほどに栄達や権勢を求めない一族としても知られていた。使命を伝承し、その遂行のみを気に懸けているというのが、イースタルの貴族が一致して彼らに抱く印象だったのだ。
 総じて、謎めいて不思議だが、昔から世界の維持に力をさいてくれる変わり者の〈大地人〉一族、というのが供贄一族に対する一般的な〈大地人〉貴族の、そしてレイネシアの認識であった。

「お茶を、どうぞ」
 だが、それだけになんと声をかければよいかわからないレイネシアは、とりあえずは無難にエリッサの入れてくれたお茶を勧めてみた。ローソファの上に置かれたのは、最近買い求めたグリーンティーだ。
 菫星はいつもの通りの半眼をそっと伏せると、カップに口をつける。
 青年だとエリッサに聞いていたし、いまこうやって相対していてもそれ以外の表現のしようがないが、スミレ色の瞳に黒髪を持ち立襟の礼服を着たこの男は、じっと見つめていても年齢がはっきりとしない。
 もちろんレイネシアよりは年上だが、妖怪戦士(クラスティ)とくらべるとどうだろう? なめらかな頬のラインはずっと年下だとも思えるし、筋張った手はずっと年上にも思える。
「本日は突然お伺いして申し訳ありませんでした。重大な事件が持ち上がり、レイネシア様に説明すべく、また謝罪をしにお伺いした次第です」
 カップをソーサーに戻した菫星はその表情をしかめていった。
「なんのお話でしょうか?」
「衛士詰め所より、ひとそろいの〈動力甲冑〉(ムーバブル・アーマー)が盗まれました」
「え――?」
「盗み出したのは、衛士のひとり、我が供贄一族のものだと推測されます」
 普段から、自分が察しの良い方だとは思っていないレイネシアだが、この時ばかりは本気で意味を取りこぼした。
 そして、自分の頭部から血の気が引いていくのをはっきりと自覚する。
 たちの悪いめまいが襲いかかり、目の前が暗くなるようだ。
 〈動力甲冑〉とは古代アルヴの遺産のひとつ、特定のゾーンを守護するための特殊な甲冑だ。普通の甲冑との最大の違いは、外部から魔力供給を受けて、着用者の身体能力を大幅に向上させる機能にある。
 〈大地人〉の戦闘能力は、この世界の中では決して高くない。冒険者には及ばないことはもちろん、中級以上のモンスターにも歯が立たない。そんな〈大地人〉がこの世界の中で、自分たちの生活圏を守れるのはいくつかの助力があるからだ。
 〈古来種〉と呼ばれる伝説的な〈大地人〉の英雄や、〈冒険者〉といったこの世界の敵を討つ遊撃役の存在もそのひとつであり、大都市や主要幹線道路を魔物から守る結界技術もそのひとつだ。
 そして、〈動力甲冑〉を装備とする衛士機構もそれらとならんで、重要なひとつの要素である。
 〈動力甲冑〉により強化をうけた〈大地人〉は、場合によっては高レベル〈冒険者〉をも超える能力を手に入れる。さらには、都市限定ではあるが、転移能力や投獄能力までもっているのだ。衛士はこの能力を用いて、都市の治安を保持している。
 もちろん、この能力は無制限に使えるものではない。ただ活動するだけでも莫大な魔力を必要とする〈動力甲冑〉は、限定された街でしか使えないはずだ。
「ええ、その通りです。〈動力甲冑〉は限られた大都市でしか使えません。都市の地下に構築された巨大魔方陣から常に魔力補給をうけていないと、着用者は身動きすらもままならない状態になるのがあの鎧の特徴です。また、〈動力甲冑〉は都市ごとの魔力波長に同調調整されているから、アキバの街の外に出れば、がらくたになってしまいます」
 レイネシアの呆然に答えるように菫星は言葉を続けた。
「といったところで、事態の深刻さは変わりがありません。外部に持ち出せばがらくたですが、アレはこの街内部においては無類の強さを誇ります」

 〈動力甲冑〉は調整によって大きな出力増強を可能とする。このアキバの街にあってはその能力はレベル一〇〇を超える。街中で暴力的な行為を行う〈冒険者〉を取り締まるためだから、当たり前と言えば当たり前かもしれないが、その戦闘能力は、最高レベルの〈冒険者〉をも上回るように設定されている。
 実をいえば、レイネシアが、〈冒険者〉の治めるこの街に、女性の身でありながら赴任してこれたのは、〈動力甲冑〉と衛士による安全の保護という後ろ盾があったればこそ、という側面もあった。もちろん、向こう見ずな発言で、領主会議の許可を経ずにザントリーフ会戦を引き起こした責任をとるという建前はあったが、無防備な〈大地人〉の姫を少々のおつきをつけるのみで、〈冒険者〉の都市に駐在させるとあっては、レイネシアの祖父にもその程度の読みはあったわけである。
 しかし、その後ろ盾たる戦闘能力が、外部へと流出してしまった。その知らせは、同時に様々なことを指し示してもいた。
「それでは、まさか……殺人鬼は」
 蒼白になったレイネシアの問いに、菫星は頷いた。
「はい、あの犯行には、供贄一族が関わっている。恥ずかしながらそう断言せざるを得ません」
 それはまさにレイネシアが凍り付くような不祥事だった。
 供贄一族が、しかも衛士がこのような事態を引き起こすなど、あってはならないこと。それどころか、〈大地人〉が数百年間、一度たりとて想像をしたこともないようなことだったのだ。
 しかし、だとすればいくつかの謎に説明がつく。
 アキバの街の衛士システムに、今回の殺人事件が感知されないのも当然のことだ。あの監視網は、〈冒険者〉や〈大地人〉などが、同胞に危害を与えた時に感知することを機能としている。衛士が戦闘行為を行うのは、犯罪ではなく、治安活動だ。
 つまり、今回の殺人事件は感知されるわけがない(、、、、、、、、、、)のだ。
 〈動力甲冑〉を纏った犯人は、〈冒険者〉以上の戦闘能力を手に入れているのだろう。実際戦う力のないレイネシアには「以上」というのがどれほど上回っているのかはわからなかったが、ここ数日の噂を聞いていれば、少なくない被害者がすでに出ていることは知っている。
 なによりも、供贄一族がこの事件に関与しているというのはふたつの点で致命的だった。
 ひとつめは、一族があまりにも透明で、空気のように自然な存在だということだ。街の治安を守る転移衛士にしろ、ヤマト中に張り巡らされた銀行網にせよ、そのシステムはあまりにも〈大地人〉、〈冒険者〉双方の社会に浸透しすぎている。その利便性や安全は、完全に社会基盤になっているのだ。
 だがだからこそ、その根底に入った亀裂はおそろしいのではないか? 専門的な教育を受けてないレイネシアは、それが具体的にはどういう災厄を起こすのか想像も出来なかったが、黒雲のような不安を感じていた。
 もうひとつはより直接的だ。それは供贄一族という変わり種だとは言え、〈大地人〉が〈冒険者〉を殺したと言うこと。
 〈冒険者〉は〈大地人〉とはまったく違う存在だ。姿形が似ているから互いに誤解しそうにもなるが、生物としてのポテンシャルには天地の開きがある。過酷な戦闘を繰り返すたび、飛躍的にその能力を上昇させる〈冒険者〉は、高位になれば、たったひとりで〈大地人〉の騎士団百人と戦えるほどの戦闘能力をもつのだ。
 いままでアキバの街の〈冒険者〉たちはレイネシアをかばってくれた。支援もしてくれた。しかし、それはレイネシアたちが弱者であったためではないのか? それがすべてではないにせよ、理由の一部はそれだとレイネシアは感じている。
 それが崩れた時、〈冒険者〉と〈大地人〉の関係は致命的な破局を迎えてしまうかもしれない。

(どうしてこんなことに……)
 レイネシアの頭の中は悔恨と怨嗟でいっぱいになる。
 まさにそうとしかいえない気分だ。どうして自分が赴任してきたときだけ、自分が表に立った時だけこんなに無用のトラブルが発生するのだろうか? こんな事件が起きなくとも良いではないか。何百年ものあいだ一回の不祥事も起こしてこなかった供贄一族なのに、よりにもよって、なぜ今になって、この瞬間、しかもレイネシアの住むアキバの街でmこんな不始末をしでかしたのか理解しがたい。
「この事件は我らが不始末です。本当に申し訳ありません」
「その……供贄一族のほうで、つまり……なんとかは、できませんか?」
 レイネシアは尋ねてみた。
 尋ねてみる前から予感はしていたが、訊かないわけにもいかなかったのだ。
「申し訳ありません、レイネシア様。もちろん、魔力供給を停止すれば、〈動力甲冑〉は機能を停止します。しかしその場合、都市の防衛用魔方陣もその能力を失います。再稼働するためには、十年単位の時間がかかるとしか、お答えできません」
 アキバの街を外部のモンスターから守るために停止できない魔方陣。
 その魔方陣が殺人鬼に力を与えているという事実に、レイネシアは打ちのめされるのだった。







 控え室に通されたアカツキは、神妙な顔で手の中のカップを温めていた。
 別に寒かったわけではないが、他にやれることもなかったからだ。
 どこまでが事故なのか、それともメイドのエリッサの陰謀なのかわからないが、〈追跡者〉の鋭い知覚能力には、隣室での会話がほとんどもれなく聞こえてきてしまっている。
 しかし、その内容はといえば、どう考えてもアカツキの手には余る話だ。〈西風の旅団〉や〈D.D.D〉のような大手ギルドでないと対処できないような、あるいは〈円卓会議〉が動かなければならないような――アキバの危機ではないか。
 聞かなかったふりをして帰るべきではないかもとアカツキは考えた。
 あの月の光にもにた美しい姫も、〈冒険者〉に告げるかどうか悩んでいた。その決意をつける前に自分が殺人鬼事件の謎の一端を聞いてしまうのは、あまりにも影響が大きい気がする。
 だから、顔くらいは見ようと思ったのは、後で考えれば気まぐれが過ぎた結果かもしれない。理由は、おそらくシロエに与えられた使命だ。主君の言葉だから、レイネシアの表情くらいは見ておこうと思った。それくらいの理由だった。そもそも、今のアカツキには、他人を気にする余裕なんて少しもなかったのだから。

 控え室の窓からそっとベランダに抜け出す。その姿は、地味な普段着ともあいまってまるでにじみ出る影のようにみえるだろう。三メートルはなれた応接室のベランダに飛び移るのは、高レベル〈冒険者〉の身体能力にとって、畳の縁を一またぎするよりも簡単なことだった。
 凝った彫刻の施された窓枠の陰、泡のようなレースのカーテンの向こうには、レイネシアがいた。先ほどまで話していた青年も帰ったのだろう、ひとりっきりの応接室のソファで、大きなクッションに顔を埋めている。
 不思議だな、とアカツキはぼんやりと思った。
 レイネシアはいつも穏やかで、明るくて、素直で、背筋を伸ばした、嫉妬するしかないような美しい少女だった。美しい銀の髪やほっそりとした首筋以上に、いつも控えめで礼儀正しい態度が、〈冒険者〉である自分たちとは決定的に違う雰囲気を醸している。育ちというのは人間をつくるのだなぁと、どんな〈冒険者〉にも納得させてしまう説得力をもっているのが、レイネシアという少女だったのだ。
 そのレイネシアが、力尽きたように前屈して、両手で抱きしめた大きなクッションへと顔を突っ込ませている。別にだらしない仕草だとは思わないが、レイネシアらしくないという違和感を覚えた。

「もうダメです」
 ガラス越しだが、そんな声が聞こえた。
 細い声は銀の鈴のようだったが、そこには投げやりな困惑がこびりついていた。
「ホントにダメです」
 クッションをゆらすたびに、さらさらとした銀の髪が滝のようにこぼれる。
「……なんで、いまなのでしょうか。……なんでわたしですか?」
 レイネシアの身体が、しゅんとしぼんだ気がした。
 ながいながい吐息が抜けて、レイネシアは、小さくてか弱い女の子になる。
「ままなりません――」
 アカツキは、冬のベランダで頷いた。その気持ちは、よくわかる。世界は難しいことが多すぎて、自分の手は上手にやれることが少なすぎる。それはとても悔しくて、惨めな気持ちだ。
「もうすこし、どうにかなりませんか? ……サービスしてくれませんか? 手加減――してくれませんかね」
 アカツキだってそれを願ったことはある。でもかなえられることはない。
 裏切られなかったことがない人などいないのだと思う。願いのすべては何時だって叶わない。手に入れたと思ったものも、できあがったと思うものも、自分ひとりだけのものも、いずれは色あせて、指先を離れていく。
 あまりにもちっぽけで、もしかしたら望むことそのものが間違っていたのではないかと、時にはそんな風に考えたくもなる。世界の主成分はいじわるなのではないかとあきらめたくなるほどに。

「どうすればよいのでしょう」
 途方に暮れたレイネシアに、だから答えてしまった。
「会議に相談をする?」
「でもそれをしてしまったら〈冒険者〉の方々と争うことになりませんでしょうか?」
「かといって、秘密にも出来ない。事情が十分わかったとは言い難いけど」
 最小限開けた窓から滑り込み、カーテンを揺らしもせずに、レイネシアの前に立つ。
 少しだけ懐かしい感じがした。こんな姿勢のうつむいた主君を見下ろしたこともある。あのときからずいぶん離れてしまった。いま目の前にいるのは黒髪をもつ〈付与術師〉ではなく、銀の髪の姫君だ。
「やはり言わなければなりませんよね……」
「それはわたしにはわからない」
「あの妖怪はなんでこんな時にいないのでしょうか。――用事がない時はあんなに顔を見せていたくせに、本当に役に立ちませんよ」
「クラスティ殿はゴブリン族の城〈七つ滝城塞〉(セブンス・フォール)へ向かった」
「知っています。でも、だからって……ああ、そうじゃなくて」
「……」
「そうじゃ、なくて!?」
 弾かれたようにレイネシアはおもてをあげた。引き結んだ唇の端が震えていて、必死に表情を作ろうとしているけれど、目尻はほんの少し赤かった。
「え、あっ。その」
 慌てて座り直し、背筋を伸ばすレイネシアの前にアカツキは立った。小柄なアカツキが相手なので、レイネシアが座っていても、背筋を伸ばせば視線の高さはさほど変わらない。レイネシアが視線を伏せたのは、居心地がわるかったからかもしれない。そんな気分にさせてしまったことをアカツキは、申し訳なく思う。
 アカツキだって、盗み聞きをするつもりも、こうやって部屋に入るつもりもなかったのだ。
「な、なっ。そのっ……聞いていました……」上目遣いにうかがって来るレイネシアにアカツキはうなずく。レイネシアは「ですよね……」と観念したように語尾を落とした。
 言葉を失ったようなふたりのあいだに、時が流れた。
 アカツキは仕方なく、バッグの中から昼食にと買ってきたあんパンを出して、レイネシアに渡す。ソファに並んで腰掛けたふたりの少女は、しばらくの間、小さくちぎったあんパンを静かに食べていた。
「殺人鬼は、〈大地人〉?」
 アカツキの問いに、レイネシアはぽつぽつと答えだした。
「ええ、そうです……。供贄一族という、街の衛士を司る一族から〈動力甲冑〉(ムーバブル・アーマー)が盗まれてしまったようです。この〈動力甲冑〉は衛士の装備ですから、街中で事件を起こしても通報されませんし、大きな戦闘能力を得ることも出来るそうです。本当に、申し訳、ありません」
「なんで?」
「え?」
「なんで、盗まれたの? 盗んだ人は?」
「盗んだ人も行方不明だそうです。今それを使っている人が盗み出した供贄一族の人かどうかも、わかりません。目的も、潜伏場所も」
「潜伏場所は、下水だと思う」
「下水、ですか?」
 アカツキは思うところを告げた。
「聞く限り、アキバの街から外に隠れていることはないと思う。だったら、まだ探しきれていなくて、人目につかない場所は、下水くらい」
 話を聞く限り、殺人鬼は衛士の力を得ているようだ。
 その話を聞いた瞬間はびっくりしてしまったアカツキだが、それでいくつかの点に得心がいく。
 殺人鬼の戦闘能力は、おそらくレベル一〇〇を超え一一〇に近いだろう。レベルが九〇程度のアキバ冒険者たちが叶わないのも当たり前だ。
 と同時に、衛士の力を使っているのならばアキバの街の外に出ることはまず無いだろう。外に出てしまえば戦闘能力を失ってしまうのだから。そう考えれば、潜伏場所は限られる。
 しかし捕縛はきわめて困難であることが予想された。
 衛士は街中で起きた犯罪を即座に取り押さえるために“転移”(テレポーテーション)機能をもっている。PKなどを処罰する時は心強い機能だが、犯人が積極的に使えるとなると、逃走手段としてこれほど有用なものはない。
 たとえ大規模ギルドがレイド単位の軍勢で取り囲んだとしても、相手は逃げるだけなら確実に逃げることが可能なのだ。
「そうですか……」
 アカツキは目の前の少女を見た。
 東ヤマト最大の貴族――コーウェン家の娘。
 イースタルにその名をはせる伝説的な美少女。
 〈大地人〉と〈冒険者〉の橋渡し、ザントリーフ攻防戦の立役者。
 銀月の巫女姫。
 目の前の少女はそのどれともちがって、普通に見えた。
 憂鬱そうな苦悶の表情で、それでもあんパンを小さく食べる、どこにでもいる、普通の少女だ。そしてそれはきっと、彼女の瞳の中の自分も同じなのだろうと、アカツキは思った。
「困った?」
「困りました」
 こくりとうなずく二人は、おそらく、それぞれ自分自身の問題で余裕がなかった。少なくともアカツキは、自分自身の姿を、この銀色の美姫の中に見たのだ。

 アカツキの主君はいった。
 〈大地人〉の姫、レイネシアを守ってあげると良い、と。
 アカツキはその言葉を護衛任務だと理解していた。しかし、そうではない可能性にいま思い至ったのだ。
(なにを守れって主君はいったのかな……)
 レイネシアの身を守るためになら、その茶会に参加する必要なんて無かったのではないか? 身を守ってもらうためだけだったら、彼女だって茶会を開く意味など無かったのではないか? 自分はなにか重要なことを見落としているのではないか? それにマリエールやヘンリエッタたちはとっくのとうに気がついていたのではないか?
 アカツキがレイネシアにかけたい言葉は「仕方ない」だ。
 理不尽なことはたくさん起きる。自分の手に負えないことも、叶わない願いもたくさんある。それは、もう、仕方ない。彼女の手元に奇跡を引き寄せてあげるだけの才能はアカツキ自身にない。だから「仕方ない」としか、レイネシアにかけられる言葉はない。
 もう一言付け足せるとしたら「がんばってる」くらいだろうか。
 領主会議において彼女が為した仕事をアカツキは見てきた。シロエが評する言葉も聞いた。そしてここしばらく、彼女の近くに潜んで見守ってきた。だから、「あなたはがんばっている」は、いえる。
 でもその言葉をかける資格が自分にあるのか。貴族の娘として、〈大地人〉の代表者として、あるいは〈円卓会議〉の十一ギルドマスターよりも重い責任を担っているこの少女に、自分が書けて良い言葉なのかというと不安だ。
 そこまで考えると、アカツキは自分自身がこの銀髪の少女に、ほんの少しだけ敬意をもっていることに気がついた。だから毎日のようにここに来て、その近くで見守ってきたのだ。
 戦闘能力(ちから)を得たくて死にものぐるいな毎日でも、自分のギルドハウスへは帰りづらく感じているいまでも、気になってしまう程度には。

「見つけてくる」
 アカツキは立ち上がった。
 探す相手が〈大地人〉で、特殊な転移アイテムを所持しているというのならば、それはそれでまた探す方法はある。昼間はおそらく下水に潜み、夜間になれば街全体を見渡せるような場所――しかも普通の〈冒険者〉は立ち入れないような場所に転移で進入し、街を観察しているのだろう。
「え――?」
「役目を、果たすから。がんばっているの見てたから」
 伸ばされたレイネシアの手は宙をつかむ。
 手がかりを得たアカツキは開け放たれた窓からアキバの街へと再び出撃したのだ。
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