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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

夜明けの迷い子

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048

「姫様~。姫~様~。……レイネシアさまっ」
 エリッサは自らの主の名前を呼ぶ。
 どうも物音がしないので声をかけてみたのだが、レイネシアはソファーの上で、しょんぼりとしていた。それは途方に暮れたようにうつむいた姿、細い銀糸のような髪が小さくて丸い肩にこぼれ、滝のように流れ落ちている。半生を戦場に捧げてきた、顔面が剣の傷に埋め尽くされたような兵士でも優しく声をかけ、「そんなに落ち込んではいけないよ、力になるから」と励ましたくなるほどの切なく儚い気配をただよわせている美少女だ。
 ヘンリエッタ女史にいわせれば「雨に濡れた仔犬のよう」とでも表するだろうか。
 とにもかくにも、儚げで、寂しげで、憂鬱そうな愁いに満ちた姿。
 駆け寄って抱きしめたくなるようなか弱さのまさに体現。

 しかしエリッサはよく知っている。
 この姿は「疲れちゃってもうなにもやりたくない」の時のレイネシアなのだ。

「ひーめ」
「エリッサ……?」
 見上げるような視線でおとがいをあげるレイネシア。
 ゆで卵のようになめらかなほほの輪郭の中で、潤んだ瞳が揺れている。
 間違えてはいけない。瞳が潤んでいるのは悲しい思いをしたからでも感動したからでもなく、あくびをかみ殺したからである。

「はいはい。お疲れなのですね? もう少ししたら寝室の用意もこのエリッサがいたしますから、もう少しだけお待ちくださいね。お茶ですか? それとも甘いものでも?」
 エリッサはそうたずねた。
 アキバの街の名だたるギルドから女性客人を迎え入れてのお茶会のあとだ。主人たるレイネシアも、小食とはいえ、甘いお土産をいくらかは口にしているだろう。
 しかしこのレイネシアという姫は、体質なのだかなんなのだかさっぱりわからないが、なにをどれだけ食べても太るということがない。あまつさえ、肉を食べてもケーキを食べてもいつでもお肌がつるつるで赤ん坊のようなのだ。肌荒れとは無縁など、まったくもって理解しがたい。
 〈大災害〉、そしてアキバの改革以降、ありとあらゆる食料には豊かな味わいが再発見された。半年を過ぎたいま、その改革は〈大地人〉社会にも浸透して、上は貴族から下は平民まで、その新しい体験を楽しんでいる。改革された食事は本当に味わい深く、食べ過ぎてしまうこともしばしばだ。いまでは多くの〈大地人〉貴族が体重増加におびえている。
 レイネシアは例外的にまったく太らないわけで、だからこそエリッサとしても気軽に甘味を勧めることができるのだが、それと気持ちの方は別だ。

「いえ……」
 レイネシアは首を小さく振ると、耐えかねたとでもいうように、ソファの背もたれにほほをもたれかけさせた。雨に打たれた仔犬の風情に、同じく雨に打たれた白薔薇のおもむきが加わる。年若く憧れに胸を燃やす騎士見習いだったら、それだけで鼻血を出しそうな仕草だ。
(あたしゃーそんなことありませんけれど)
 エリッサは無造作にレイネシアに近づくと、部屋履きをつけたレイネシアの足首をひょいともちあげて、そのまま膝を折らせるようにソファー上にのせる。レイネシアは抵抗することなく横座りの体勢となった。
 『マイハマの都の麗しの姫』としてはいささか不作法な姿勢だ。この部屋に男性がいたらあらぬ誤解を与えてしまうかもしれない。内面はともかく、レイネシアは貴族の姫君としての所作はよく学んでいるから、普段こんな姿勢は家族にさえ見せない。
 腹心ともいえるメイドのエリッサのみが、そんなレイネシアを見ることができるのだった。

(べつに見たいわけではないですけどね)
 エリッサは足を上げたレイネシアを確認すると、室内箒をとりだして、低いテーブルとソファーの下を掃き清める。本日の差し入れは、センベーなる菓子だった。香ばしいかおりが魅惑的なのではあるが、いかんせん食べると、細かい欠片がこぼれることがある。早々に掃き清めたかったのだ。

「姫様」
「なぁに?」
「おなか、減っています?」
「いいえ」
 それはそうだろう。あまりにも気品ある姿で礼儀正しく食べたせいか、差し入れを持ってきてくれたヘンリエッタ女史も気がついていなかったが、レイネシア姫は大ぶりなセンベーを2枚も食べている。普段の食欲からすれば夕食まで空腹にはなるまい。
「最近は賑やかですね」
「ほんとにね」
 そんな会話をしながら、エリッサはてきぱきと部屋の掃除をすすめる。
 普段から磨き上げられた客室なのだ。たいして手間はかからない。掃除だってエリッサのメイドとしてのわがままといえば、わがままである。本来であれば、主人の足をソファに持ち上げてまでする必要はない。
 しかし最近は連日のように茶会が開催されている。こうしてすぐにでも掃き清めておけば、早朝当番の者の労力が減る。明日になれば、きっとまた〈冒険者〉の女性たちが訪れるはずなのだ。特に小柄な黒髪の娘、アカツキは、ここ十日ほどは毎日のように通ってきている。

「今日はずいぶんとお疲れですね」
「ええ」
 レイネシアの言葉は少ない。
 本当に疲れているのだろう。それも無理はない。ヘンリエッタ女史やマリエール女史に良いようにされていたのだ。哀れを誘う声で許して欲しいと懇願する主の声を思い出して、エリッサはのどの奥で小さく笑った。
 もちろんエリッサはレイネシアのことを敬愛している。いつぞやの会議で啖呵を切った時など、我が主ながらあっぱれと拍手を送りたい気持ちになった。しかし、レイネシアは基本的に怠惰で、臆病で、考えなしの羽根枕娘(頭の中は羽毛でびっしりという意味)である。
 敬意は持っているが常に敬意を払って仕えられるかといえば、微妙だといわざるを得ない。
(まぁ、それでもいいのでしょうね)
 エリッサは膝掛けをたたみながら考える。同年代の、あるいは少し上でも下でも、同性の友人をもつというのは得難い経験だ。下級貴族の娘として生まれたエリッサであるならまだしも、コーウェン公爵家の娘として生まれたレイネシアにとって、それは良い配偶者を見つけるよりもさらに難しいことかもしれない。
 マイハマの宮殿で、あるいは〈エターナルアイスの古宮廷〉にて、完璧なほほえみを浮かべていた主をエリッサは思い出す。貴族社会とは厳格なものだ。特に年若い女性にとって、悪い噂のひとつでさえ致命傷をもたらすことがある。
 口さがない宮廷雀の監視の中で生きるために、レイネシアは典雅な作法を身につけたのだ。祖父と家族の名声を守るためにレイネシアが選んだ仮面はあまりに完璧で、その結果、彼女は「イースタルの冬薔薇」と呼ばれる伝説的な名声を勝ち得たのだ。
 だがしかしだからこそ、レイネシアはいままで友人らしい友人をもったことがない。エリッサは比較的それに近しい関係かもしれないが、それでも侍女は、侍女だ。

「でも、こういってしまってはなんですが、ずいぶんと楽しそうでしたよ」
「はい……?」
「お友達ができてよかったと、エリッサは思いますよ」
 それは本当にそうなのだ。
 この半月ほどで、レイネシアの表情はずいぶん豊かになったとエリッサは思う。
「お友達じゃありませんよ?」
 ――しかし、帰ってきたのは意外な返答だった。

「じゃあいったいんなんなのですか? 姫だって楽しそうに……まあ時には困り果てながらでしたけれど、話していたじゃないですか」
「〈冒険者〉さんですよ」
 エリッサの問いに、レイネシアは特に気負うでもなく答える。
「楽しく話していたわけではありません。〈冒険者〉の方々は、私たちとは違うのです。あまりにも違います。私が身につけた礼儀なんて通じません。こちらの気持ちをちゃんと言葉にして、ちゃんと伝えないと理解してもらえないし、そうでないと一緒にお話しできませんから」
 ……その認識はおそらく正しいのだろう。
 〈冒険者〉の人々は身分にたいして屈託がない。お茶会を開いていてもエリッサまで誘い込まれる始末だ。かくいうエリッサもこのアキバの街に赴任してきてから、少数の知己を得た。仕事ぶりには共感を覚えるヘンリエッタ女史や、故郷の妹に少しだけ似ているリーゼ、一緒に侍女をしたいくらいに家庭的なセララなどだ。
 もちろんレイネシアのいうとおり〈冒険者〉と〈大地人〉は大きく違う。お互い意見が食い違うこともあるし、時には何をいっているかわからないこともある。しかし、手を取り合えないほどではない。――それは誰よりもレイネシアが教えてくれたことではないかと、エリッサは思う。

「でも、あんなに」
「少しでも楽しかったら楽しいと伝えなければ、悲しかったら悲しいと、うれしかったら感謝の心を。そうでないと伝わらないから――そうしているんです。エリッサも知っているでしょう? 本当の私はもっと怠惰で臆病で……いい加減です。本当は社交界だって貴族だって、どうでもよいんです。毎日お昼寝して過ごせればそれでいいんです。だいたい、そういうの(、、、、、)はよくわかりません」
 レイネシアはどこかつまらなさそうに呟いた。
「仕事です」
「さようですか」
「……」
 レイネシアは視線を外して、くってりとソファーの背に身体を預ける。言葉にすればそれは、面倒くさくなったというか投げ出したというか、少なくとも無責任な態度なのだろうが、どこまでいっても美少女というのは得なモノで、そんなだらしない姿でも絵になるから始末に負えない。
 しかし、考えてみれば、レイネシアがこんな姿をさらす相手はエリッサだけだ。
 〈大地人〉貴族には完璧な淑女を演じているし、それはもちろん同世代の姫君たちにも同様で、〈冒険者〉の女性たちにだって素直ではあるけれど借りてきた猫のようにおしとやかに対応している。それは内心を覗かせないレイネシアの鎧なのかもしれない。
(――もうひとり、あの方がおられましたか)
 レイネシアは砂色の髪の偉丈夫を思い出す。確かにあの青年に対してレイネシアは心を開いているように見える。でもそれは嘘をつけない、ごまかせないという要素が大きい。最初からレイネシアには選択の自由がなかったのだ。
(本当に、ダメな姫だなあ)

 少しでも楽しかったら楽しいと伝えなければ――
 レイネシアはそういった。
 でも、そんな風に考えていること自体、「楽しかった」と白状しているようなものではないだろうか?
 夕食前にソファーでうたた寝をするほどに疲れていても、きっと明日の朝にはメイドの助けも借りずに起き出して、着る服を考えるくらい毎日に期待しているのならば、それは仕事ではなくやはり友達なのではないかとエリッサは思う。
 〈冒険者〉ばかりのこの街にやってきて、レイネシアはずっと楽しそうに過ごしているのに。しかし、早くも藍色に染まる窓に視線を向けるレイネシアは、そんな簡単なことにも気がついていないようだった。あるいは、“友達”という言葉が、彼女にはわからなかったのかもしれない。
 最初から知らなかったのか、それとも、人生のどこかであきらめたのか……それはエリッサにはわからなかったが。

 窓の外を見やるレイネシアの表情はもちろん美しく儚げだったが、どこかつまらなさそうでもあった。エリッサは主人の姿にひとつため息をついた。
 怠惰なのと同じくらい頑固で聞き分けがないレイネシアを、エリッサはよく知っていたのだ。









 冬の日没は早く、館を出たときにはすっかり残照も去っていた。
 アキバの街の夜は美しいとヘンリエッタは思う。旧世界の地球の、そう、故郷の東京に比べれば薄暗いが、この世界の深い夜の漆黒に比べれば十分煌びやかに映るのだ。
 藍色の夜の中にそびえるいくつもの闇色のビル。梢を広げる常緑の古代樹。そのたたずまいを、あちらこちらに掲げられた魔法の光が穏やかに照らし出す。幻想的なその灯りは、刺々しいばかりのネオンサインよりもずっと優しくて好ましいとヘンリエッタは思っていた。

「日が暮れるの、早くなりましたね」
「そうですわね」
 隣を歩く金髪の少女にヘンリエッタはうなづいた。
 彼女は〈魔法の鞄〉からボリュームのあるマフラーを取り出すと、首の周囲にグルグルと巻きつける。あまった端が背中に垂れる様子から見て男物のようだ。「なによこれ、使いづらい。かさばるし」なんて愚痴をこぼす少女が愛らしくて、ヘンリエッタはそのマフラーを巻きなおしてやった。
 リーゼは表情の下半分をそのマフラーに埋めたまま「どうもありがとうございました」という。照れくさいのか、視線は逸したままだ。「いえいえ、些細なことですわ」と返事を返しながら、ヘンリエッタはクスクスと笑う。
 最近できたこの年下の友人は、外見こそ鉄壁無敵のお嬢様で、本人もその路線を堅守したいのだろうが、ところどころで地が出てしまうようで、そこが愛らしいと思う。きっと見た目よりも年若いのだろう。
「そんなにがんばらなくても、十分淑女(レディ)ですわ」
「はい?」
 くるりと振り返ったリーゼにほほえんで、その肩を押す。
「さあさあ。急がないと、しまってしまいますわよ」
「そうですね」
 そんな風にして、ふたりは中央通りを目指して歩き始めた。

 ヘンリエッタは〈三日月同盟〉、リーゼは〈D.D.D〉と異なるギルドだが、〈水楓の館〉の茶会からこうして一緒に帰ることは珍しくない。マリエールとセララは食事の用意を手伝うために先へギルドへと帰り、ヘンリエッタたちは少しばかりお総菜を買い足すために寄り道の予定だった。
 〈大災害〉後の〈冒険者〉生活において、おいしい食事を毎日楽しむのは、改めて確認された幸せではあるが、ちょっとした負担でもある。味わいのある料理を作るためにはサブクラス〈料理人〉が必要だが、ヘンリエッタの把握する限り、人口に占める割合は数パーセント。
 〈円卓会議〉成立以降、転職によってその割合が増えたはずだが、十人以下の少人数ギルドでは、メンバーに〈料理人〉がいないことも珍しくはない。一方で数百名規模の巨大ギルドともなればお抱えの〈料理人〉がいるのは当然だが、数百人分の食事を毎日用意するのは大きな負担となる。
 そういった現状を目下のところ補っているのが、外食やテイクアウトによる〈大地人〉製の食事ということとなる。

「ヘンリエッタさんは何にします?」
「唐揚げかしら。マリエがたべたいって駄々をこねていましたし」
 到着した寄せ合いの屋台モールで雑談をしながら、ふたりは買い出しをはじめた。〈大地人〉の店員もなれたものだ。時間的にそろそろ店じまいをにらんで、売れ残りをさばこうと大きな声を張り上げている。
「カラアゲ? カラアゲって言ったかい? 姉さん。うちのを買っておゆきよ! ニンニク味で一キロ金貨3枚!!」
 そんな唐揚げを景気よく三キロも購入したヘンリエッタ。
 腹ぺこの〈冒険者〉を四十人も抱えた〈三日月同盟〉ではこの程度の量はたっぷりというほどでもない。本当にぺろりと平らげるのだ。
 となりではリーゼがヘーゼルナッツの入ったキッシュを買い込んでいる。〈D.D.D〉のほうは料理部隊を抱えた大手のギルドなので、それは差し入れか間食用なのだろう。

 モールはかなり盛況だった。
 ヘンリエッタとリーゼも、買い出しに訪れた〈冒険者〉の流れを縫うために、周囲に気を配る必要がある。とくに討伐帰りの一団は、ごつい鎧を着込んでいたり、長い杖を持っていたりするために旧世界よりも幅をとりがちだ。
 好みのものを買い終えてモールの出口にさしかかったころには、ヘンリエッタのなかでお茶会のことはすっかりと薄れていた。モールを歩くのはそれだけで気疲れする作業だし、これから帰るギルドでの食事に気持ちが飛んでいた。
 だからリーゼが何気なく呟いた「アカツキさんは辛そうですね」という言葉にはっとしてしまった。
 それは最近のヘンリエッタの懸念事項でもあったからだ。

「やっぱりそうみえますか」
「みえます」
 最近のアカツキは元気がない。以前から引っ込み思案なところがあり自分から積極的に他人と関わろうとはしない性格だったし、表面的には取り繕っているので、ほとんどの人には気づかれないだろうが、ヘンリエッタにはわかる。〈大災害〉からずっとアカツキを見つめてきたからだ。
 しかし、リーゼにもそれがわかるとは少し意外でもあった。彼女がアカツキと頻繁に接するようになったのは、レイネシアの館で開催されるお茶会に出席するようになってから。つまりここ半月ほどに過ぎないというのに。
 ヘンリエッタはリーゼのことを少し見直した。
「アカツキさんは、私よりも先輩なのですよね」
 リーゼの言う先輩とは、年齢のことなのか、それともゲーム歴のことなのか? わからないヘンリエッタは曖昧にうなずく。
「――私にはよくわかりませんけれど。とても腕の良い〈暗殺者〉(アサシン)だと聞いています。事実、そうなのだろうと見ました」
 モールから出てギルド会館へを向かう緑濃い路地を歩きながら、リーゼのつぶやきは続いた。真冬の冷気の中に、少女の言葉を包むような白い息が漏れる。
「一度、〈D.D.D〉(うち)の訓練を見に来ていたようです。いえ、一度かどうかはわかりません。私が気がついたのが一度、という意味なのですけど。……四時間以上の間、訓練を見ていらっしゃいました」
「そうですか……」
 ヘンリエッタはそう返事するしかない。
 アカツキの悩みはなんとはなしにわかる。だが一流戦闘ギルドの訓練を、じっと見つめる数時間は、あの小さな少女をどんな気持ちにさせたのだろう? 胸がきしむ痛みだろうな、とはヘンリエッタも想像できる。でも、その痛みまでわかるとは、ヘンリエッタにはいえなかった。
 ヘンリエッタは、大規模戦闘《レイド》に参加したことがない、一般の〈冒険者〉だ。この世界はともかく、ゲームであった〈エルダー・テイル〉でもランキングに乗るような一流〈冒険者〉の列に入り交じったことは一度もない。
「最初は入隊希望者かと思いました。こんなことをいうとなんだか自慢げに聞こえてしまいそうですが、〈D.D.D〉(うち)は悪くはないギルドです。戦闘(レイド)をするのならその環境はアキバでも最高……になるように鋭意努力しています。まぁ、スタッフはバカばっかりですけれど。バカだけに戦闘になればお子様同然。いえ、お子様そのもの。お子様を超えたオーバーお子様。ハイエンドお子様としてバーベキューに群がるアメリカ人のように戦闘(レイド)に向かいます。だからうちに入りたいのかと思いました」
「それはないとおもいますわ」
「――はい。それはすぐわかりました」
 ヘンリエッタの指摘に、リーゼは視線を地面に落としたまま頷いた。

「一応、ギルド長(ミロード)に報告はしたのです。スパイかもしれないという意見もあったので。でも、その返事は放置でした。無制限の見学を許す、と」
 しっとりとした落ち葉を踏みしめるブーツの足跡がしばらく続いた。
「プライドの高いお子様(メンバー)はちょっとかちんときてしまったりもしてしまったようでした。それを危惧したわけではないでしょうが、ギルド長(ミロード)は後日私に別命をくださいまして」
 照れたようなそれでいて誇らしげな表情をする金髪の美少女に、ヘンリエッタはこっそりとため息をつく。あのクラスティに思いを寄せるのは、ほとんど蛮行なのではあるまいか? しれっとした顔をして無理難題をばらまく偉丈夫を思い出すと同情の念を禁じ得ない。
 しかしそれは、シロエに思いを寄せるアカツキも同じだと自分に指摘をしてみる。

 それに比較すればヘンリエッタ自身はなんて穏やかなものだろう。たしかに、シロエのことを考えると、わずかに甘いうずきを感じるが、それはまったく許容できる範囲内の感情だ。娯楽の少ないこの世界において、シロエとアカツキあるいはシロエとミノリの親しげな様子を見て、胸の疼痛をかみしめるだなんて、かえって幸せの再確認じみた行為である。
 安全な距離からの、ひっそりとした片思い。それに満足している自分が、リーゼやアカツキに呆れるなんて、僭越だ。

「クラスティ――様によれば、なんでもシロエさんには借りがあるそうです。ですから、アカツキさんの見学は無制限に許可。何かあれば便宜を図るように、ともいわれています。アカツキさんへの押し売りや勧誘は禁止されていますが」
 そんなヘンリエッタの思いをよそに、リーゼは口を閉じた。
「そうでしたか」
 そういうこともあるだろう、とヘンリエッタは思った。
 クラスティの気遣いは、おそらくシロエすらも知らないことだろう。
 どうも男性はそのへんまだるっこしいというか、迂遠であるように思う。配慮するぐらいならば声をかけて話を聞いてあげればよいではないか。ヘンリエッタはそう思う。しかし、同時に、いまのアカツキの立場に立てば、声をかけられても困るだろうとも思う。

(アカツキちゃんが欲しいのは、たぶん自信――なんでしょうし)
 難しいものだ。
 ある種の人にとって、それはあって当たり前のもので、どうやって入手すべきかなんてあえて考えたりもしないものである。
 マリエールがそうだ。夏のひまわりにも似たヘンリエッタの大親友は、底抜けの明るさで周囲を照らし出す。あんなふうに笑う自信はヘンリエッタにはない。あんな風に周囲を抱きしめられるほどの確信なんて、ヘンリエッタは生涯もてないだろうと思う。
 それはマリエール特有のものでヘンリエッタをはじめ大部分の人間にはないものなのだ。
 いっぽうで、なにをしてもどうあがいても、自信らしい自信を持てない人間がいることも、ヘンリエッタは知っている。そういう人にとって、自分の生きている時間というのは恐ろしい拷問なのだろう。おびえたような卑屈な瞳の人間を、ヘンリエッタは見てきた。人間、大学を出るような年齢になれば、そういう種類の何人かには出会うものだ。そういった人々はどこにいても怯えて、疲れて、あるいは攻撃的に周囲を威嚇していた。

 翻って自分のことを考えてみれば、その中間だろうとヘンリエッタは思う。
 ゆるぎない確信――大事なものが自分からはけっして失われないというような自信を持つことはできない。しかし、だいたいこの程度のことは為せるだろうという自信は、努力や経験の結果持っている。たとえば、数人の友達とは今後ともつきあっていけるだろう。会社に迷惑はかけない程度の仕事をして行くことはできる。結婚――はこんな騒ぎになってしまった以上お見合いというルートも絶たれて正直できないと思うが、だとしても親友の恋愛模様を茶化しながら、ギルドの会計係として過ごすのは、案外悪くない未来なのだろうと思う。元の世界に帰るための英雄的な役回りは回ってこないだろうが、後輩を守るために自分のいままで育ててきた技術は使用することができる。
 それがヘンリエッタの考える自分自身の姿だ。
 できないことはできないが、できることはできる。
 なんということはない、凡人の出す普通の結論である。

「欲しいものに手が届かないなんて当たり前のことですわ」
 顔の半分を男物のマフラーに埋もれさせたまま、リーゼは呟いた。
 そう、当たり前のことだ。
 凡人にとって、それはあまりにも日常に過ぎる。

 多くの人間にとって生きるということは、ほとんどそのまま、欲しいものに手が届かない現実に慣れるという意味だ。ヘンリエッタは慣れてきた。おそらくリーゼもそうだろう。
 でもだからといって痛みが無くなるわけではない。
 手が届かないことに慣れるのは、仕方がないかもしれない。しかし、手が届かないことに慣れる自分に慣れるのは違う。それは停止だ。慣れなければ生きていけないが、慣れすぎては死んでいるのと同じ。

 ヘンリエッタは、そんな痛苦を大好きなアカツキに味わって欲しくない。アカツキを助けたい。
 しかし自信ばかりは不可能だ。
 どうやって助ければいいかもわからないし、そもそも他人に助けることができるものではないような気もする。ヘンリエッタ自身を振り返ったところで、心の中に散らばったがらくたをひとりで組み立てて、何度も失敗を繰り返しながら、やっと作り上げたささやかな住処といったていなのだ。
「一緒にいるくらいしかできそうにないわね」
「そう、ですね」
 おそらくそれはリーゼにだってわかっているのだろう。だから返事は短いものだった。

(まったくあの真っ黒クロエ様は!)
 ヘンリエッタはリーゼにばれないように盛大なため息をついた。
 頭の切れすぎるあの青年は、自分のもっとも身近な腹心の苦境になにをしているというのか。どんなことでも見通すほどの洞察力を持っていると思っていたシロエだが、この種のジャンルに関しては盲目であるらしい。
 ――あるいは、目がよいのではなく、外せない望遠鏡がついているだけなのかしら。
 少しばかり失礼なことを考えてヘンリエッタは苦笑した。
 そのぶんアカツキには優しくしたい。明日はアカツキの衣装も持ち込んで着替えの日にしよう。そう思いつくと、ヘンリエッタの気分は一息に明るくなった。頭の中で引っ張り出す衣装の一覧表を眺めながら、これはアカツキのため、などと自分に言い訳をしてみる。
 藍色の夜はまだ平和だった。









 その同じ夜を桁違いの気迫で塗り替えようとする一派もあった。
 “ヤマトサーバーでもっとも華やかなギルド”、“ハーレム集団”と呼ばれるギルド〈西風の旅団〉。
 アキバでもっとも女性比率が高い(上に全員女性なわけではない)ともされ、そのふたつ名の通り、いつでも華やいだ雰囲気を振りまいているそのギルドの一階ホールには数十名のギルドメンバーが熱心な準備を進めている。
 もちろん大多数のメンバーは女性だ。しかしその雰囲気に甘やいだものはない。
 手甲や脚絆をきりきりと締め付け、まさに決戦という出で立ちをした美女や美少女たちがそろっている。交わされる私語は声低く全員がそれとなく注視しているのは、羽織を身につけた彼女たちのリーダー、ソウジロウだ。
 まだ少年の面影を残したソウジロウはホールを見渡した。本日いまから夜のアキバに「出撃」するのは二十四人である。六人パーティーの四班編制、フルレイドと同じ規模の〈冒険者〉。もちろんいずれも最低で九〇レベルに達した腕利き揃いである。

「みなさん」
 ソウジロウの声にホールの緊張感は高まる。出撃するのが二十四名とはいえ、装備の手伝いや見送りもいるのだろう。ホールにはその倍以上のメンバーが集まっている。
「すでに何度も言いましたが敵の正体は不明。けっして油断しないでください。その実力は皆さんを……ボクをも上回ると心得てください。一対一では闘わぬよう。また、単独行動も禁じます。かならず班編制で動き、随時報告を入れること。留守居の連絡役は、ナズナ」
「はぁ。引き受けたからには、ヤるけどねえ。みんなも無理するんじゃないよー。もし目標と交戦状態に入っても、甲種陣形での遅滞戦闘にもちこむこと。今回の編成はすべての班に回復役(ヒーラー)二枚はっつけてあるんで、攻撃力は足りません。一班だけでどうにかなるとは思わないこと。あくまで足止め、そして連絡が任務。おっけー?」

 ナズナはルーズな部屋着のまま、ゆったりと声をかける。
 緊張するのは出発する班で十分だ。大丈夫。彼女は自分のギルドの仲間を信用していた。〈D.D.D〉や〈黒剣騎士団〉にくらべて小規模な〈西風の旅団〉が厳しい先陣争いに参加し続けていられたのはなぜかといえば、固い結束と高い目的意識を持っていたからだ。
 その〈西風の旅団〉が犯人確保に気炎を上げている。
 黒く豊かな髪を背中でひとつにまとめたナズナは、出発を控えたメンバーのひとりひとりを見つめる。装備や作戦も抜かりはない。口々に承諾の声を上げるギルドメンバーにうなずくとナズナは続けた。
「じゃあ、交代は二時間後。第二出撃の部隊の編成および準備はこっちでやっておく。帰ったら夜食はあり。期待して良いよ。もっともそのあと二時間で再出撃なので、さほど気は抜かないこと。ソウジもいってたけれど、相手は格上。それだけは気をつけて。はい、じゃ、ソウジ」
「んー。なんだね。ボクのいうことは全部いってもらっちゃったかな。――じゃあ、ひとことだけ。目標は身内を襲った(やから)だ。斬り捨てろ」

 ソウジロウは春の日差しのような印象の若者だ。
 そのどこか人の良さそうな笑顔はいまも普段と変わりないが、声を荒げることもなく発した言葉で、広間の空気が凍り付いた。その冷気に誘われるように肩をふるわせたひとりの女性〈施療神官〉(クレリック)は、腹から絞り出すような声で応えた。外はもうすっかり暗くなったはずだが、そのようなことを気にかけるメンバーはいない。
 四つの班はギルドホールから勇ましく飛び出していった。

 〈西風の旅団〉のギルドホールは、幾分と和風の造りになっている。元のゾーンがそもそもそうなっているわけではなく、ギルドメンバーの趣味とソウジロウの好みだ。その一階の広間は出撃前の点検ができるように、大きなスペースがとられ家具もなくがらんとしている。
 その大広間に木製の椅子を引っ張り出したソウジロウは腰を下ろした。
 とりあえず当面は待機だが、食堂や自室に引き上げる気にはなれないらしい。
「食堂の方で豚汁作るって話だよ」
 それでも一応にと思い声をかけたが、ナズナの提案にも、ソウジロウは笑って首を振るだけだった。
(こうゆうとき、シロエさんかカズ彦さんがいたら良いと思うんだけどねえ)
 ナズナはあご先をつまむようにして考える。
 旧世界にいたときからそうだが、女性にしては比較的長身でボリュームのある身体だ。アイドル的なグラマーではないが、スタイルが良い。「見栄えのする」と評されたことがあるが、本人はちょっぴりもてあましている体型でもある。そんな彼女が足を肩幅に広げて腕を組んでいると、年齢以上に落ち着いて見えるらしい。
 面倒見がよい性格であり最古参に属するギルド立ち上げメンバーなので、周囲からの信頼は篤い。そんなわけで、ナズナは半ば必然的に〈西風の旅団〉のサブギルドマスターだと目されている。ナズナ自身も、カリスマを発揮するソウジロウよりも実務面では仕事をしている自覚がある。

 しかし、ソウジロウが普段の温厚な仮面の隙間から、割り切った表情を覗かせるときは、古い仲間を思い出して甘えたくなることもあった。
 今回の理は、もちろんソウジロウにある。
 相手はアキバの夜を脅かす殺人鬼だ。〈西風の旅団〉は〈円卓会議〉の十一ギルドのひとつとしてアキバの安全に一定の道義的責任を負っているだろう。市中警邏を行うのは大手戦闘系ギルドができる貢献としてナズナも認めているところである。
 さらにいえば、今回の殺人鬼は、〈西風の旅団〉の仲間を手にかけた。
 もちろんキョウコは大神殿で蘇生している。記憶喪失も含め、今回の件で失ったものはさして大きいとはいえない。だが、襲撃は襲撃だ。殺人鬼は、ナズナの――そしてソウジロウの身内に手を出した(、、、、、)
 許すわけにはいかない。その思いは、ナズナももっている。

 その怒りはソウジロウも同じだろうと思う。が、それにしてもソウジロウの判断はなめらかすぎる部分がある。それは〈茶会〉(ティーパーティー)に在籍したころからの、ソウジロウの性格だ。屈託のなさ、迷いのなさといえば聞こえがよいが、一方でそれは苛烈さや残酷さにも繋がる。
 ソウジロウは、けっしてアキバの街の女性から思われているほど、優しくて気がよい少年ではないとナズナは思う。いや、優しくて気がよい少年ではあるかもしれないが、それは本人が望んで身につけた資質ではないのだ。
 ただそうだから、そうなのである。
 ソウジロウは女性に優しい。ほとんどすべての女性にだ。
 だがそれは好意があるからではない。ただ単純に「そういう少年」なのだ。いまこうして身内の少女に手を出した報復を指示するのも、別段キョウコに思い入れが深いわけではなく、ただ単純に「そういう少年」だからである。
 それはある種のルール。機械的な判断であって、ソウジロウのその部分に影響を与えることはナズナにはできない。その決定を一時的に棚上げしてもらうことや、取りやめてもらうことはナズナにもできるだろう。たとえば「〈黒剣騎士団〉との合流を先にしよう」とか「今回の処置は〈円卓会議〉に任せたほうがよい」とソウジロウにいうことはできる。しかしソウジロウをいさめたり、成長を促したりすることは、ナズナにはできない。
 そのレベルでソウジロウに影響を与えられるのは、シロエやカズ彦なのだ。
 ソウジロウにとって女性は守るべきものでありすぎるために、届かない。

 〈西風の旅団〉において、ナズナはソウジロウの恋人のひとりだと思われている。
 しかし、ナズナにいわせれば、ソウジロウは弟のようなものだ。
 危なっかしくて放っておくことができない。
 いまソウジロウがこうやって普通にギルドマスターです、なんて顔をしていられるのはただの幸運な偶然であって、なんら裏付けも保証もありはしない。本当は、いつ自分のギルドをつぶしてもおかしくない人間が、ソウジロウ=セタという少年だと、ナズナは思っている。
(大好きだけどね。もちろんむちゃくちゃ大好きだけど)
 小さな椅子に腰をかけてホールのさらにその先、夜を見つめているようなソウジロウ。その後頭部に手をやって黒髪をいじりながらナズナは考える。
 大好きではあるが、それでも誤解を恐れずにいうならば、この少年は異常者だ。
 それこそ殺人鬼とどっこいどっこいである。
 そうでなければ、九〇人を超える女性を集めたギルドをとりまとめることなんてできはしない。しかも、そんなギルドを率い大規模戦闘攻略レースでサーバー上位を狙うだなんてまさに冗談のような存在なのだ。

「どうしました?」
 そんなナズナに、ソウジロウは目を丸くして声をかけた。沈黙を続けたせいで心配されたのだろう。ナズナは少し困りながらも笑みを返す。……身内なのだから仕方ない。ソウジロウの足りない部分は自分が補うしかないだろう。そして、同じく身内――殺人鬼の刃を受けたキョウコの仇をとるのだ。
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