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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

夜明けの迷い子

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 アキバの夜を跋扈する殺人鬼あらわる。
 そのニュースは街を渡る風よりも素早く駆け抜けた。最初の晩に出た犠牲者は3人。次の晩は1人。しかし3日目は5人のグループがやられた。
 中には戦闘系ギルドの手練も複数含まれていることから、殺人鬼の常軌を逸した戦闘能力は90レベルの〈冒険者〉をはるかに超えると証明されたといってもよいだろう。
 当初、この事件はあっさり解決すると思われていた。
 まず、〈エルダー・テイル〉を模したこの世界において、数は力なのだ。たとえ殺人鬼の力が個人を多少凌駕したところで、3人。欲をいえばパーティーにおけるフォーメーションが機能する6人で取り囲めば負けることなどありえない。
 そして、この世界の特殊性もある。被害者たちはすべて殺人鬼に殺されたが、まだ「生きて」いるのだ。〈冒険者〉は死亡したとしても、大神殿へと飛ばされて蘇生する。だから殺人鬼の目撃証言も、その戦闘情報も豊富である。

 エンバート=ネルレス。
 ギルド未所属。
 レベル94、〈武士〉(サムライ)
 藍色じみた暗い色彩の長髪と、目隠しのような仮面。手足を包みこみような金属甲冑。
 これだけの特徴をもっているのならば、捜査は簡単だろうと思われた。確かに事件は深夜起こるが、なにも犯人探しを夜間に絞る必要はない。現に被害を出した〈西風の旅団〉および〈ホネスティ〉を中心に犯人捜索は続いている。
 しかし、事件後1週間たった現在も犯人は発見すらされておらず、被害者は増え続けていた。

 アキバの街では、この奇怪な殺人鬼にまつわる噂が急速に広がっていた。
 “殺人鬼”という名称自体があまりにも怪異なこの事件を端的に示していた。
 〈冒険者〉が〈冒険者〉を殺すのは、PK(プレイヤーキル)だ。ゲームの遊び方のひとつではあり、いまではアキバの〈円卓会議〉にゾーンレベルで制限されている行為である。PKを繰り返す〈冒険者〉は、同じPKという略語をもってプレイヤーキラーとよばれるが、だからといって直ちに“殺人鬼”と呼ばれるわけではない。
 そもそも、アキバの街は衛兵に守られたゾーンである。
 もしそこで暴力的な行為が行われれば、即座に魔法的な警報が衛兵詰所へと行き、特殊な装備を身につけた〈大地人〉である衛兵が捕縛へと向かうはずである。この時点でなにかとてもおかしいことが起きているのは明白なのだ。
 もちろん〈円卓会議〉は調査の過程で、衛兵詰所への聞き取りを実行している。その結果判ったのは、事件があった該当する時刻に、衛兵はなんの異変も感知していなかったということだ。すくなくとも〈エルダー・テイル〉のゲームシステム上、PKは発生していないと判断されているらしかった。

 また、いまアキバの街はひとつの大きな作戦に取り掛かっているという事情もあった。ザントリーフの戦役を平定したアキバ遠征軍は、いよいよゴブリン族の城〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)へと侵攻を開始したのだ。「ゴブリン王の帰還」クエストにおいて発生するゴブリン王は、イベント中の〈冒険者〉の活躍度によってその強さが変更される。〈大災害〉に続く混乱により〈冒険者〉に放置され、ザントリーフ半島派兵を企むまでになったゴブリン王は、過去に例を見ない強力なレイドボスになっているだろう。
 どんなに難易度が上がったところで相手は所詮中レベルの亜人種〈緑小鬼〉(ゴブリン)だという声もあるが、〈大災害〉後の世界においてはゲーム時代の常識が通用しない可能性もけっして無視できない。
 そのような事情があり、アキバ〈円卓会議〉は、精鋭による討伐軍を派遣していた。
 総司令官クラスティを筆頭とする450名である。
 もちろんこの派兵は〈緑小鬼〉(ゴブリン)を討伐し、ヤマト北東部に安定をもたらすためのものであったが、同時にその遠征は〈自由都市同盟イースタル〉との交流の一端でもあった。クラスティとアイザックという、アキバの街を代表するふたりの英雄が出陣し、茜屋やカラシンまでもが後続部隊として出かけているとなれば、どうしても〈円卓会議〉の他のギルドマスターの負担は大きくなる。彼らは連日のようにギルド会館の中で、あるいは自らのギルドホームの中で激務をこなしているとの噂であった。

 このような状況下で起きた殺人鬼の件は、噂の駆け巡る速度こそ早かったが、アキバ最大のニュースではない。連日のように飛び込んでくる、〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)攻略の話題のほうが、目下のアキバでは関心度が高いのだ。西方をほぼ完全に支配下においたという〈Plant hwyaden〉の情報も注目度は高い。
 そんなわけで、“殺人鬼”の情報は、知名度こそ高いものの、〈冒険者〉のほとんどがさほど重要視していないというあつかいだった。

 〈冒険者〉における死は、それほど巨大なリスクではない。
 もちろんそこには一定のデメリットがある。旧世界の記憶を喪失するという危険性だ。この事実は、〈円卓会議〉により慎重な情報露出工作によって、徐々にアキバの街へも知られてきていた。これら記憶消滅にたいする拒否反応は、小さくない。とくに、街で生産職を行う〈冒険者〉において顕著だ。
 しかし一方で、ある程度割り切った空気が流れているのも事実だ。それは十数回の死を経験した〈冒険者〉が、「問題を感じるほどの記憶消去ではない」とコメントしたことにもよるだろう。いずれにせよ、〈冒険者〉はこの世界で生きていて、避け得ないことは避け得ないのだ。
 そういった意味での「死のリスクの低さ」がこのニュースの重要度を下げていた。
 また、アキバの街の〈冒険者〉は口にこそ出さなかったが〈円卓会議〉に高い信任を与えていたという部分もあっただろう。
 〈大災害〉から一ヶ月も立たずに成立し、その後このアキバの街の自治を担ってきた〈円卓会議〉は有形無形のさまざまな成果を上げている。〈冒険者〉たちは旧世界のどんなコミュニティよりも起源となる共通体験を持っている。それは〈大災害〉のショックと、そのあとに続く荒廃だ。そこから立ち上がり、先日の「天秤祭」さえ開催した自分たちの代表を、アキバの町の住民は誇りに思っていた。

 多くのアキバ〈冒険者〉たちは、この時点では、ミナミの街に対する複雑な感情を抱いている。
 現代日本を出身地とするヤマトサーバーのプレイヤーとしては、ミナミの街に敷かれている自治体制はある種の一党独裁のように見えるのだ。もともと〈エルダー・テイル〉というゲームでは、ゲームシステムからもさまざまなギルドが乱立しているほうがあたりまえだった。それが短期間で〈Plant hwyaden〉にまとめられてしまうのは、いささか強引な気がする。
 だがでは具体的にそれが非難できるかといえば、それも難しい。独裁だからすぐさまそれが悪だという意見は、それはそれで無邪気だ。現にミナミから入ってくる情報では、〈冒険者〉によるトラブルは激減し、アキバとは違った方向性ではあるが、〈冒険者〉同士仲良く物事を進めているらしいことが伺える。
 もともと同じサーバーで冒険をしている〈冒険者〉のことである。古い友人や仲間がアキバの街とミナミの街に分かれて住んでいることなど珍しくもない。ミナミに誘われてアキバから移住してきたり、アキバに誘われてミナミから越してきたりすることもあるということだ。
 そもそも日本人は、政治のことを日常会話に出すのが苦手である。
 アキバとミナミの違いは、そのような事情で、常識ではあるし関心あるニュースではあるけれど、話題にするには微妙な問題として、〈冒険者〉たちの間では認識されつつあった。

 4日目も5日目も殺人鬼は出没しなかった。
 しかし6日目。〈ホネスティ〉の捕縛巡視隊が全滅するにいたって、徐々にその認識は改まりつつつあった。

 この問題は即座にアキバの街に大ダメージを与えるものではないだろう。しかし、等閑に付してよい問題でもない。
 〈円卓会議〉からの穏やかな注意喚起により、夜間の外出は明示的にではないにしろ、自粛を求められた。〈冒険者〉はともかく〈大地人〉であれば取り返しの付かないことになる。今までの被害者はすべて〈冒険者〉だが、それは〈大地人〉の安全を保証するものではないのだ。

 そのアキバの夜を、アカツキは彷徨っていた。
 もちろん危険性はわかっている。だから、ギルドホームもこっそり抜けだしての徘徊だ。
 目的はただひとつ。己の強化。
 〈ホネスティ〉や〈西風の旅団〉クラスの大手戦闘ギルドであれば、その所属員の上位者は、確実に“口伝”を習得しているだろう。噂の殺人鬼が相手ともなれば、ギルド構成員の中でも手練が巡回をするというのは確実だと思われる。だとすれば、その戦闘では何らかの新しいヒントが掴める可能性が――わずかかもしれないが、確実に存在する。
 12月の冷たい夜風の中、アカツキは〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のビルから投げられた短剣のように飛び出した。風を切り裂くその疾走は、おぼろに霞んでややもすれば見ることさえ困難だ。

 そのようなわずかな可能性に賭けるのは、もちろんアカツキがそれだけ追い詰められて必死だということもあるが、ふたつの保険があるためでもあった。ひとつは、死の価値だ。一回の死ですべてを失うわけではないという安心感。そしてもうひとつはアカツキのサブ職業、〈追跡者〉である。
 〈追跡者〉の特技を〈隠行術〉(スニーク)〈無音移動〉(サイレントムーブ)は、アカツキの気配を消して闇へと溶けこませてくれる。〈痕跡追尾〉(トラッキング)〈広域知覚〉(ワイドセンス)は戦闘の気配をいち早く感じ取る手助けとなるだろう。
 この夜の闇のなかで、身を隠し、獲物を追うためには、アカツキほど適任者はいない。
 長い孤独な訓練は、アカツキの特殊技能を磨きぬいていた。〈追跡者〉のレベルこそ上昇していないが、アカツキはそれぞれの技能の特性や使い勝手、その限界を誰よりも体得していたのだ。
 シロエの背中に隠れることのできなくなったいま、アカツキは震える心を駆り立てて、夜の闇を切り裂いて走っていった。その姿は、漆黒の中を飛ぶ一羽のツバメのようだった。



 ◆



 ガラス瓶は大きく、いっそのこと、ガラス製の冷蔵庫といったほうがよいほどだった。そのガラスの容器には、薄桃色の液体がグルグルと対流し、脚立に乗ったひとりの男によって無造作に薄茶色の葉が投げこまれている。ふわりと沸き上がってきた芳香はココアに似ていたが、眉をしかめたロデリックは、口をつけたとしても甘さなど微塵もないことを知っていた。
 ここはロデリックの工房、という名のついた研究施設。〈ロデリック商会〉のギルドタワーの一室だ。ギルドタワーとは、ギルドホールを〈冒険者〉たちが呼ぶときの呼び方の一種である。〈ロデリック商会〉のようにビルをまるごと買い切り、その内部空間がギルドホールとなっている場合、そう呼ばれることが多い。特にそのビルが丈高ければなおさらだ。
 アキバの街でも有数の生産系ギルド〈ロデリック商会〉はアキバの街北側にある7階建てのビルを購入し、ギルドホールとして用いている。その中でも、ロデリックが自分のものとしている研究室は、ガラス製の実験器具で溢れかえっている。
 実験用の小さなものもあるが、いま使っているような巨大なものも、まるでバスタブのようなすりつぶし器も、この部屋には存在した。
 〈エルダー・テイル〉におけるアイテム作成は、メニューから目的の成果物を選択するだけで、素材と機材が用意されていれば、10秒もあれば目的物が完成するという塩梅だった。それはいまでも、その方法を使う限りにおいて変わらない。しかし、ロデリックが望んでいるように、新しいなにかを生み出すとなれば話は変わる。いちから手作業をしなければならないのだ。

 〈円卓会議〉成立のあの日、シロエによって、新しいアイテム作成の可能性が示された。それはまず飲食物の分野で芽吹き、ついで家具や単純な道具などの分野、服飾の分野へと広がっていった。アキバの街の職人たちは、この半年の間、毎日のように新アイテム発見、開発を続けている。
 しかしなかには、そのような「もとの現実世界の手先の技術」を応用できない職人もいた。ロデリックもその一員である。彼のサブ職業は〈調剤師〉。ファンタジーゲームにつきものの水薬(ポーション)軟膏(バーム)を作り出す生産職である。旧世界に「HPを180回復する薬」などない以上、手本とする技術などありはしない。〈錬金術師〉、〈刻印術師〉、〈宝珠技師〉などといった、ファンタジー世界風の生産職はどれも似たような問題を抱えていた。
 だからといって、彼らが新アイテムを作り出せないわけではない。現実世界でのレシピや技術が流用できないのであれば、すでにこの世界にあるレシピを検証して、実験を行い、工夫してゆけばいい。この半年の間にレベル50までの回復薬・強化型などがつくられ、刻印や宝珠も改良が続けられていた。
 ロデリック個人でいえば〈外観再決定ポーション〉の量産化が大きな功績だったろう。本物の〈外観再決定ポーション〉とは違い、性別、身長、体重、体型、髪の色や眼の色、肌の色といったパラメーターのうち、ふたつまでしか変更できない簡易型の水薬ではあるものの、この水薬が普及したおかげで、旧世界との性別の違いに苦しむ〈冒険者〉がほぼ根絶されたのだ。
 それ以降もロデリックは、〈アンブロシア〉、〈テリアカ〉、〈黄泉御膳〉(よもつみけ)などといった高難易度の薬物の分析、量産、対抗手段を模索している。
 そもそも〈ロデリック商会〉は三大生産系ギルドの一つと数えられているが、その目的は、生産そのものとはやや方向性を異にする。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、アイテム作成は、メニューからレシピを選択する形式だった。レシピはサブ職業によって異なるものが用意され、さまざまなアイテムを作成できるようになるために、職人たちは無数にある〈レシピの巻物〉を集める必要があった。
 たとえば〈調剤師〉が作れる薬類に限った話でも、HP即時回復薬、HP増強薬、HP順次回復薬、各種能力強化薬、3種の解毒薬、抗毒薬、10種以上の毒薬(武器に塗って使用する)、移動速度上昇薬、攻撃速度上昇薬……などが存在する。これらの薬はおおよそ10レベルごとにより効果の強いものが登場してくるために、ロデリックはゲーム時代でさえも600種類以上のアイテムを作成することができた。
 とはいえ、そこまでのレシピを完璧に揃えることは、初心者はもとより、普通の〈冒険者〉でさえ難しい。「薬と名がつくものならなんでも作れる」とまでなるには、多くの時間と、ゲーム内での資産が必要となるのだ。
 〈ロデリック商会〉はそのようなゲーム状況に対して「レシピの図書館」を目指して設立されたギルドだ。レシピは、それ相応にレアな素材を使用すれば複製することができる。また、そういったレシピ集積ギルドで働いている職人は、自然と多くのレシピを身につけて、他の職人に比べて付加価値を得ることができる。
 そんな〈ロデリック商会〉が〈大災害〉後、生産系ギルドの中で、研究や開発に重心を移してゆくのは当然の流れだった。
 いまでは、研究開発が好きな、工夫好きの〈冒険者〉が〈ロデリック商会〉に集まっている。また、同様に旧世界の技術を応用したり、機械化したりで大量生産をする〈冒険者〉は〈海洋機構〉へ参加しているし、生み出されたアイテムを販売したり〈大地人〉へと売り渡すのが好きな〈冒険者〉は〈第八商店街〉へと所属している。〈海洋機構〉はそれでも、ギルドの販売店を維持しているが、〈ロデリック商会〉は販売に関しては〈第8商店街〉および、幾つかの商業系ギルドに任せてしまった。ギルドメンバーも、時間があれば、新しい実験の組み合わせをああでもない、こうでもないと考えるのが好きな連中ばかりである。

 次第に〈ロデリック商会〉のギルドタワーはむやみに複雑な実験器具や記録用の紙束が溢れ、雑然とした雰囲気になっていった。とはいえ、MMOゲームには高校生から大学生くらいの愛好者も多い。もともと学生である彼らに、研究機関じみたこのギルドの雰囲気は過ごしやすいのだろう。ランチを出前にきてくれる〈おにぎり屋えんむすび〉の女の子人気投票なども含めて、〈三日月同盟〉とは別の意味でアットホームなギルドとなりつつあった。

 そのギルドホールの中枢、高い天井の巨大な部屋で、ロデリックは振り返る。
 声をかけたのは同じギルドの若いメンバーだった。まだ少年ともいえる仲間はひとりの客人を残して去ってゆく。ロデリックは、低い脚立から降りると、客人に挨拶をした。
「こんにちは、にゃん太さん」
「もう夜だにゃー」
 ロデリックは考えてみる。さて。まだ昼前だったはずだが……。
「昼食を抜いても、夜は来るにゃー」
 そう尋ねたら、当たり前の返答をされてしまった。にゃん太は興味深げにあたりを見回してたが、ひげをぴくりとはねさせると、スマートなしぐさでポシェットからだした手紙をロデリックに渡してきた。

 受け取って一読すると、ロデリックは困惑を味わった。
 手紙の差出人は〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエから。それは最初からわかっていた。内容が、技術開発に関する質問か依頼であるのも予想通りだ。この種の手紙のやり取りは、最近増えている。
 ロデリックとしては、この手紙の依頼は断れない。断りたくもない。
 この異世界には、さまざまな植物や動物性、また鉱石系の素材がある。それらを調合して、効果を確かめながら、新しいアイテムを模索するのは、とてつもなく楽しいのだ。〈エルダー・テイル〉時代のレシピで消費材料から、必要とされる素材の薬効はなんとなく想像がつく。そういった知識を整理して、アイデアを組み立てるのは心躍る。

 だが、そういった試行錯誤が楽しすぎて、〈円卓会議〉の業務を他のギルドに投げがちなのは自覚していた。その最大の被害者がシロエだ。ゆえに、シロエの頼みは断りづらい。また、普段であれば、シロエの手紙は〈ロデリック商会〉にも利益をもたらす物がほとんどである。シロエが気がついたアイデアの製品化や、有望なギルド、あるいは〈冒険者〉の紹介などだ。少なくとも検討して損をしたことはいままでのところない。

 しかし、今回の手紙は、その種のわかりやすさがない。
 そもそも数行しかないのだ。
「そういうことらしいですにゃん」
「にゃん太さんは、この手紙の内容をご存知で?」
「いやまったく」
 毒気を抜かれたロデリックににゃん太は手をふった。どうやら本当に知らないらしい。

「いや、まぁ。……否やはありませんがね。しかし、これらを調べるには、幻想級や、秘宝級上位のアイテムが必要になる。だからこそ、うちへと頼んだのでしょうが」
〈記録の地平線〉(ログホラ)には、そんな財産はないにゃん」
「けっこう色いろあるんじゃないですか?」
「にゃははは。うちは伸び盛りがたくさんいて、物入りなのにゃあ」
 そうやって穏やかに笑うにゃん太は、大人の落ち着きを見せている。いつもどおりお洒落で小奇麗で、紳士というほかない。ロデリックは、ため息を付いて、納得した。シロエがいうのならば、この研究もいずれ必要になるのだろう。確かに予算が必要そうな研究ではあるが、捻出できない金額にはならない。
 そもそもここは〈ロデリック商会〉。ヤマトサーバーで最も多くのレシピが集い、研究をするのが三度の飯よりも大好きという凝り性が集まるギルドなのだ。

「いくつか相談したいことがあります。昼食でも一緒にいかがです?」
「だから今は夜にゃん」
「じゃ、ラーメンでも」
「しょうがないですにゃあ」
 ロデリックは、肩をすくめる歳上の友人ともう何時間過ごしたかわからない研究室を出た。
 季節は冬。温かい汁物はきっと美味しいだろう。



 ◆




「ほな諦めよっか? うりうり。諦めて身を任せればいいんよ。悪いようにはせんからっ」
「マリエ。それではスケベな中年さんですわ」
「あ、あわわっ」
 アカツキはソファの端にすわって、部屋の中のカオスをちらりと見た。
 優しい色合いの桜色の壁紙が真新しい、そこは美しい客室だった。内装も調度品も女性らしい優美さに満ちている。低いテーブルには華奢な茶器。部屋に押しかけた女性たちとあいまって、華やかな雰囲気だ。

 部屋の主であるレイネシアはいつもどおりの穏やかな笑みを浮かべているが、口元が微妙に困っている。まぁ、それもそうだろう。マリエールが着せようとしている服は、いわゆるナース服だ。それは冒険がすぎるだろうとアカツキでさえ思った。
「そのお洋服は、わたしにとっては、その……ちいさすぎて」
 レイネシアは、うさぎのようにふるふると首を振るが、ああ、そちらは間違いだとアカツキは思う。案の定「だいじょうぶ! うちのお針子さんがつくったオーダーメイドでサイズはばっちりなんよ!」といいはなつマリエールに捕獲されてしまった。
 そういう迂遠な表現での謝絶はマリエールには通用しないのだ。ヘンリエッタならば……やはりだめだろう、とアカツキはもう一度首をふった。
「えっと、こう? こうやん?」
「ちがいます。ひゃん」
「マリエ……。だからそういう手つきは」
「あわわぁ」
 おろおろしているのはセララだ。おろおろしつつも、マリエールの「そこのカチューシャとってな」などという言葉には素直に従っているわけで、そこはそれ〈三日月同盟〉内部ではこういう時にどういう上下関係があるのかよく分かる。

「助けには向かいませんの?」
 アカツキの向かいに座って上品にティーセットをもつのは、リーゼと呼ばれる女性〈冒険者〉である。〈D.D.D〉所属の〈妖術師〉(ソーサラー)で、サフランブロンドの髪をもつお嬢様だ。すらっとした美少女で、教導部隊の隊長をしているとアカツキは聞いたことがあった。
 アカツキはリーゼの質問に小さく首を振った。
 この状況にたいする経験ではちょっと自信のあるアカツキだ。なにせ、ついこの間までは、いまレイネシアのいる場所で主な被害を受けていたのはアカツキなのである。そのときのおもな攻撃手はヘンリエッタであったが、状況自体はひと通り体験している。下手に関わり合いになるのは、扇風機に指先を突っ込むようなものなのだ。
 要するに、この部屋は〈三日月同盟〉主催のきせかえルームと化してしまっているわけである。
「そうですか」
 特にそれを咎めるでもなく、リーゼは視線を紅茶の表面に落とした。
 アカツキはお皿の上に乗ったあんぱんをとると、小さく口をつけた。甘くて美味しい。この任務における役得のひとつだ。
 この混沌に満ちた茶会を任務と呼ぶのもおかしなことだが、アカツキはそう考えていた。そもそも、ここへくるのはシロエの頼みだったのだ。それは小さな依頼だったかもしれないが、アカツキにとって見れば間違いなくシロエとの絆だ。それから一ヶ月。アカツキはこの茶会に顔を出し続けている。

 最初は、アカツキだけだった。
 気まずい沈黙の中でお茶を飲んで、レイネシアの不審の視線を受けながら15分で席を立った。一週間もしたころ、そこにマリエールが加わった。マリエールはひとりでくる時もあれば、今日のように〈三日月同盟〉の仲間をつれてくることもある。さらにそのあとから、いま目の前でお茶を飲んでいるリーゼをはじめ、幾つかのギルドの女性が、お茶会に参加するようになった。
 正直にいえばあまり気乗りのする任務ではない。マリエールやヘンリエッタ、セララなどの〈三日月同盟〉の女性たちにはなれたが、他のギルドのメンバーと同席すると、やはり気疲れしてしまう。あまり面識のない相手と会話するのは苦手だ。上手に話せないし、きっと相手だってがっかりしているとアカツキは思う。
 意外なことに、〈三日月同盟〉のメンバーを除いて、まっさきに言葉をかわすことができるようになったのは、レイネシアとだった。
 この茶会に訪れる女性〈冒険者〉は、すべてで10人ほどいる。マリエールはかなり出席頻度が高いが、それでも週に2、3回ほどだ。一番出席率がよいのはアカツキなのである(と、いうのもシロエの頼みをできるだけ守りたいからだ)。

「いやはや。肌きれいやんね、さすがお姫様」
「ア、アカツキさんっ。えっと」
「あの、さすがにそれは……」
「いやいや。けっして粗略には扱わんて!」
「……」
 とはいっても、それは顔を合わせ続けたからであって、別に友人になったというわけではないのだった。世間話ができるようになったというだけのこと。なので、そうやって助けを求められても困ってしまう。なにしろ、ついこの間までは捕食される側だったのだ。小さくなって座っていればとおりすぎる嵐かもと思い身を縮めるが、その様子が面白かったのか、ヘンリエッタの目についてしまう。
「アカツキちゃん♪ なにを小さくなっているのです?」
「!」
 びっくりして否定するアカツキの姿にヘンリエッタはコロコロと笑う。だが、今日のところは追撃を諦めてくれたようだ。レイネシアをからかうことでとりあえず満足したのだろう。そのレイネシアはぐったりとした様子で、アカツキの隣に避難をしてきた。これだけいじられても、膝をぴったりと閉じ合わせた気品のある姿勢で座っている。表情も普段通りだが、伏せた視線は疲れ気味だ。
 アカツキはレイネシアのカップにも茶を注いだ。気持ち自体はわからないでもない。
 主犯格たるマリエールは〈魔法の鞄〉(マジックバッグ)をあさっては、新しい衣装を取り出して並べている。それに付き合わされているのはセララだ。そらおそろしいことに、水着などを並べはじめている。季節は冬にもかかわらずに、だ。さすがにレイネシアがかわいそうになる。

 レイネシアはそれは美しい少女だ。ほっそりした首筋は華奢で、骨が細いのだろう肩のラインはなだらか、顔も小さくて、長い銀髪は絹糸のように光沢がある。穏やかで控えめで、いつもかすかに微笑みを浮かべていて、声を荒らげることもない。真性のお嬢様だ。
(あ、でも。お姫様だから、お嬢様というのは違うのではないか?)
 と考えるアカツキだが、この場合のお姫様はお嬢様の上級職業みたいなものなので、かえってグレードが高まったようなものである。
 アカツキとレイネシアの出会いというのは、ずいぶん殺伐としたものだった。ザントリーフに向かうと決意したあの日、シロエの指示で、レイネシアの着替えを手伝った――というか身ぐるみを剥いで着せかえたのが最初の邂逅である。と、すれば、レイネシアにはずいぶん荒っぽい人間だと思われているだろうと、アカツキは思う。このお茶会をはじめた直後は、かなり怯えられたし、今でもびくびくされる時がある。
 しかしそれでも露骨に避けるでもなく、アカツキの話を聞き流すでもない。ひとつひとつの話題をよく考えて、自分のできる限りで丁寧に対応しようとしているのがわかる。育ちのよいお姫様というのは、こういうものなのだとアカツキでさえ感心してしまうほどだ。なんだかんだいって付き合いがよく、記憶力もよいため一度話した話題はちゃんと理解している。人気があるのもわかる、とアカツキは思うのだ。

「〈冒険者〉の方は、これを普段着こなすのでしょうか?」
 レイネシアは途方にくれた声をあげる。ナース服だ。しかも、ミニスカートである。レイネシアもけっして背が高いわけではないが、頭身のバランスがよく、胸も綺麗な曲線なので似合ってる。アカツキとしては微妙な気分だが返答がわりに首をふった。いくらなんでも、日常的にそんな衣装を着ている〈冒険者〉はほんの少しだ(絶対いないわけではないところが、〈エルダー・テイル〉のゲーム的文化の影響なわけだが)。
 その否定を受けて、レイネシアがさらにしゅんとした表情をする。
 彼女はどんなふうにしていても絵になる美少女で、アカツキはさらに微妙な気分になった。
(わたしもこんなふうだったら主君ともう少し……違ったふうなのかな)
 そう思う。
 しかし一方で、レイネシアには〈冒険者〉の身体も、〈暗殺者〉(アサシン)の能力もない。シロエのそばで護衛することもできないだろう。それは嫌だな、とアカツキは思う。贅沢なのだ。そんなことはわかっている。だが、心の傷口からにじむ血は、止める方法がない。

「……ええ。……ええ。ナース服です。……は? はい。ナース服です。つまり、医療に従事する女子が着用する制服です。……はぁ」
 突然リーゼがつぶやきをはじめた。念話だ。きょとんとしているレイネシアだが、アカツキのほうが恥ずかしくなってきた。
「そんな中途半端はいたしません。なんとひざ上15センチですわっ」
 さすがにレイネシアも視線に気がついたのか、ナース服の裾を必死に膝の方に伸ばそうとする。しかし、伸縮性に欠ける布地は、レイネシアの脚を隠せるほどにはどうしてもならない。どちらかといえば、張り詰めたそのかたちが、レイネシアのほっそりとした身体のラインを浮かび上がらせるだけだ。
 困り果てたレイネシアが、どうにかしてくれという視線で「すいません」とアカツキに話をふってくるが、アカツキとてこのような事態に慣れているわけではない。リーゼという少女は礼儀正しくて上品なものの、不意にこのようなイタズラっ気を出すのだった。「むぅ」と小さくうなったアカツキは、咎めるような視線をリーゼに送る。
 ころころと笑ったリーゼは片手を軽く耳元にやる仕草をしながら「冗談です。ウソ念話です」といった。趣味が悪い。レイネシアも上目遣いにリーゼを見つめている。
 しかし、リーゼはそんなレイネシアに軽く頭を下げた。
「すみません。少し、嫉妬しました」
「え……」
「レイネシア姫には我が主(ミロード)がご執心ですからね。こうやって警備(あそび)にくると、その日の訓練が免除されるほどに」

 ずくん、とうずく。
 それは、そうなのだろう。
 アカツキとマリエールが話した、それは結論でもあった。

 おそらくこの〈大地人〉の姫には護衛が必要なのだろう。それは至極納得の行く話だ。『天秤祭』の一件からも、アキバになにがしかの攻撃を加えようという勢力が存在して、その勢力はアキバにダメージを与えるためであれば、〈大地人〉を巻き込むことさえ厭わないことがはっきりとわかっている。
 〈冒険者〉は、最悪その命が尽きたとしても大神殿での復活が可能だが、〈大地人〉はそうもいかない。ましてや、いまレイネシアの命が尽きてしまえば、アカツキは詳しい予想がつかないがきっと大きなトラブルが起きるだろう。それは、たとえば〈マイハマの都〉にいるレイネシアの祖父にして〈自由都市同盟同盟イースタル〉の筆頭領主、セルジアッド公との関係悪化、最悪の場合決裂といった事態だ。
 もちろん、レイネシア姫の周りには、その〈マイハマの都〉から派遣された〈大地人〉の騎士が固めている。しかし〈大地人〉は〈大地人〉だ。そのレベルも30前後である。もし、〈冒険者〉がレイネシア姫を殺めようとしたならば、護衛は難しいだろう。もちろんこのアキバの街には、暴力行為探知結界と衛兵システムが存在する。アキバの街のなかではなんの問題もないが、街から一歩もでないわけにもいかないだろう。
 シロエはそのような状況を見越して、自分に依頼をしてきたのだとアカツキは考えていた。マリエールもそれとなく協力を求められたといっている。シロエが一歩も動けない今、その願いに全力で添うことだけが、アカツキにできるすべてであった。

 だが、その全く同じ事情が〈D.D.D〉所属の優美な少女の唇からこぼれると、痛みを伴ったものとして感じられる。シロエが気にかけているレイネシアを、まっすぐに見つめられなくなる。いつからこんなに弱くなったのか、自分でもわからない。
(わたしは、こんなじゃないんだ)
(こんなじゃ、なかったはずだ)
 繰り返しても、その不快な疼きは消えなかった。唇を噛み締めるアカツキは、華やかなざわめきに囲まれて、なお孤独だった。
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