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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

アキバの街の日曜日

42/122

042

「積み終わったぞー!」
「ああ、こっちもだ」
 陽気な声が響き合い、キャラバンは出発準備が整ったことを知らせる。

「ルディー。行くよ?」
「了解だぞ。ミス五十鈴」
 金髪碧眼、端正な甘いマスクを持った美青年であるルンデルハウスは、五十鈴の声に応えながら、手元の地図と小物を背負い袋に流し込む。

 五十鈴の方はと云えば、もうすっかり荷物は整理済みだ。立ち上がり、腰の辺りの土埃をひとつふたつはたけば、それで準備は完了する。

 この異世界において、戸外での活動は、まさに意味通り“アウトドア”である。ちょっとコンビニにまで……等というような感性は存在しえない。なにせ、アキバの街中ですら廃墟だらけ、瓦礫だらけなのである。古代樹が茂っている場所など、街中なのに森があるかと見まごうばかりだ。ましてや街を1歩外に出れば、手つかずの大自然が人類の作った文明圏とせめぎ合いや融和をみせている。

 〈冒険者〉のファッションは、華やかだったり華麗なものも多いが、それは〈冒険者〉の超人的な体力や、汚れを自動的に落とす特殊な機能のせいで成り立っているに過ぎない。
 ネイルアートに精を出していた女子のような感覚――潔癖なまでに汚れを厭う感性では大変だろうな、などと五十鈴は考える。

 幸い五十鈴は、そこまでの潔癖症ではないし、多少の汚れ仕事は何でもないタイプだ。

 楽器を運ぶのは力仕事だし、長時間の演奏というのは体力だって必要だ。五十鈴は専門ではないが吹奏楽器には肺活量が必須だし、五十鈴の専門のウッドベースに至っては10kgを越える重さがある。

(それ以前に、だいたいあたし、田舎娘だしね)

 などと内心の呟きと共に肩をすくめる。春ともなれば、学校の周りの田んぼ中でケロケロと蛙が鳴いているような街の出身なのだ。

 だから、こうして森の中で休憩をしているのだって別になんのストレスも感じない。切り株にだって直接腰を下ろせるし、お尻の部分が汚れたくらいで顔をしかめるような「少女」ではないつもりだ。
 だがそれにもかかわらず、五十鈴の連れは、五十鈴を十分以上に「女の子」扱いしてくれる。

「ミス、五十鈴? ほら」
 あぶみに足をかけようとする五十鈴に手を貸して、ルンデルハウスは彼女を馬の背に押し上げた。自分の方はと云えば、爽やかで嫌味のない態度でひらりと馬にまたがっている。

「どうした? ミス五十鈴」
 きょとんとした顔で五十鈴に振り返る青年はルンデルハウス=コード。

 どうやら貴族の出身だと思われる〈大地人〉の〈冒険者〉だ。矛盾するようだが、だからこそ彼は、この世界でも珍しい殆ど唯一と云っても良いほどユニークな存在なのだ。
 少女漫画に出てくる王子様然とした金髪に碧眼、品の良い整った顔立ち。どこかお坊ちゃまっぽい甘さの残る、それでも気高さと意志の強さを秘めた瞳を持っている。
 もっとも、品が良すぎる所為で、五十鈴は彼のことを「ゴールデン・リトリバーに似たわんこ青年」と認識している。育ちが良すぎて、どこか愛嬌があるのだ。

 そんなことを考えている少女の名前は五十鈴。
 そばかすの散った横顔と明るい瞳を持った〈吟遊詩人〉(バード)だ。薄手の革鎧を身につけて、豊かな髪を三つ編みにまとめている。その職業にそぐわぬ大きな両手槍を背負っているのが、彼女のスタイルだ。
 初心者を搾取するギルド、〈ハーメルン〉から解放されてはや3ヶ月。今では〈冒険者〉暮らしにもすっかり慣れて、毎日を穏やかに送っている。

「〈冒険者〉さん達、いいのかい? 本当に」
「ええ、もちろんですよ」
 五十鈴は応える。

 問うてきたのは、キャラバンを率いる1人の〈大地人〉だった。彼らはこれからアキバの街に向かう。今から移動をすれば、夕方前には辿り着くとのことだった。

 早朝の戦闘訓練、兼狩りにでてきていた五十鈴とルンデルハウスは、このキャラバンを発見して、アキバの街まで護衛をすることにしたのだ。

 五十鈴達が今居るのは『八の運河のハイコースト』だ。地球においては京浜港と呼ばれる多摩川の河口部にあたる。
 アキバの街から〈冒険者〉の駆る馬に乗って2時間半といったこの近辺は、五十鈴とルンデルハウスのお気に入りの場所だった。もちろん、その意味は多少違う。

 戦闘における訓練度、と云う意味では妥協を知らないルンデルハウスは、ギルドの仲間と一緒に行なう狩りの他にも自主訓練を欠かしたことがなかった。瞑想や新呪文の反復練習は、ちょっとした空き地さえあれば何処でも出来るが、魔力制御向上や命中精度向上の練習には適切な相手……つまり、モンスターが居た方が望ましい。
 ソロ討伐が可能なモンスターで、なおかつアキバの街近郊で練習になると云うとこの辺りが狩り場として優秀だ。
 ルンデルハウスにとって、『八の運河のハイコースト』は自主訓練の場所として都合がよいということになる。

 一方、五十鈴にとってのここはお気に入りの散歩コースだ。
 彼女の忠勇なるわんこ、ルンデルハウスと野外お出かけ散歩コースとなると様々な場所があるのだが、『八の運河のハイコースト』は川沿いで景色がよい上に、下流まで行けば海も望めるというなかなか贅沢な場所である。
 片道2時間と少しは、散歩にしては遠出なのだが、祭りの騒ぎで戦闘訓練がお休みのこの期間、時間つぶしにはちょうど良い。

  ――もちろん、自分とルンデルハウスの戦闘能力を磨くという目的もあった。この危険な世界において自らの身を守る最も手っ取り早い手段は、レベルを上げることである。
  レベルアップの効果は、何も新しい技を身につけるだけではない。レベルアップとは、ヒットポイントや各種抵抗力を上昇させる効果をも含むのだ。
 あるレベルのモンスターに攻撃された場合の被害程度は、そのモンスターがどれだけの攻撃力を持っているかも参照されるが、そのモンスターと自分がどういったレベル関係にあるかも重要な影響をあたえる。自分のレベルがモンスターのレベルを上回れば上回っただけ、一般的に云って被害は少なくなるのだ。
 戦闘の修行を行ない、レベルを上げると云うことは、この世界において、それだけで、少しずつ安全に近づくと云うことも示している。

 五十鈴は一度ルンデルハウスを失いかけたことがある。
 あのような経験を二度とするつもりはなかった。

 そんな訳で早朝から出かけてきた2人だが、修行(もしくは散歩)を始めて数時間、昼過ぎにひとつのキャラバンに遭遇した。荷馬車は5台、あわせて20人ほどの〈大地人〉の集団だ。
 キャラバンはイズを出てアキバの街に向かっているそうだ。秋祭りの噂を聞きつけて、特産品を売りに、また何かめぼしい商品があれば購入しに行くのだという。

 五十鈴はルンデルハウスと相談をした。
 フィールドゾーンはその地域によって出現するモンスターがおおざっぱに決まっている。深い森や山脈は、周辺部より強いモンスターが徘徊しているが、それ以外では、おおむね人里に近いほど強力なモンスターは少ない。プレイヤータウンであるアキバに近いこの辺りは、比較的安全だと云うことが出来る。

 しかし、それはあくまで〈冒険者〉にとってだ。
 〈大地人〉にとって、旅はいつでも危難の連続だと云うことを五十鈴は知っている。この1ヶ月、ルンデルハウスから、〈大地人〉のことを、少しずつ聞いていたからだ。モンスターに充ちたこの世界で生きると云うこと、戦闘力の低い、無力な存在で居続けるということを。

 相談の結果、2人はこのキャラバンをアキバの街まで護衛することに決定した。どうせ半日かそこらではあるし、帰り道をゆっくり進むと云うだけだ。戦闘訓練と云うことであるならば、キャラバン護衛中にでも、モンスターを発見次第、殲滅すれば良い。

 初めは遠慮していた〈大地人〉達だったが、報酬は食事1回分で結構という話で頷いてくれた。

(やっぱり、いろいろ遠慮されちゃってるんだろうなぁ)
 五十鈴は少し寂しいが、それも仕方ないことと諦める。

 〈大地人〉にとっての〈冒険者〉というのは、近くあっても遠い存在だ。アキバの街の〈大地人〉は、〈冒険者〉に慣れているが、地方では正真正銘の異生物扱いなのだと、ルンデルハウスにも何度も注意されている。

 キャラバンは秋の日差しを受けて、緩いスロープを描く丘陵の道を進んでいった。馬車というものは、案外大きな音を立てるものだ。クッションやアブソーバーのろくにない木造の車体は、地面の凹凸を拾い上げて、ぎしぎしとうなりを上げる。
 耳を傾けているだけでは今にもバラバラになりそうな音だが、よほど作りが頑丈なのだろう。要所を鉄の帯具で補強された馬車は、荷物を満載してゆっくりと進んでいく。

「なぁ、商人殿。これは何を積んでいるんだ?」
 そんなゆっくりとした進行に、ルンデルハウスが穏やかに訊ねる。キャラバンのリーダーは馬車の御者台で、荷台の上の若い商人と話していたが、そのルンデルハウスの声に顔を上げた。

「そうでございますね、〈冒険者〉さん。私どもの商いは果実が多うございまして、橙、金柑、オリーブなどでございますね。それに調味料や、酒などもつんでおります。帰るときには、衣料品か、器のようなものを持って帰れれば嬉しいのですが」

「良い匂いだもんね!」
 その答えを聞いた五十鈴は何度も頷く。
 馬車の周りには、爽やかで甘い香りが漂っていた。季節柄、もちろん、生の新鮮な果実はすくないだろうが、樽に詰められたものは砂糖漬けだろう。華やかな香りを放っている。

 〈冒険者〉は基本的にお金持ちだ。それに〈大地人〉に比べて、生存に必須な品物以外にも、気前良く金を払うことで知られているため、商売の相手としては上得意である。

「ええ、これは自慢のシロップ付けですよ。アキバの街の皆様にお買い上げいただければ嬉しいですね」
 商人の如才ない笑みにルンデルハウスも頷く。

「それにしても、ここ数日、商人さんを沢山見かけるね」
「それはそうだよ。秋のお祭りだもの」
 ルンデルハウスにツッコミを入れた五十鈴は少し考える。ルンデルハウスは、ことのほか上昇志向の強い青年だ。特に魔法戦闘にかけては、よほどの覚悟があるのか義務を遂行するかのように修練に励む。

 だからこそ、祭日ではあっても修行がてら遠出に出かけてきたのだが、いつもいつもそれではルンデルハウスが壊れてしまう。……それは五十鈴としても問題を感じる。このとぼけた、自分勝手で、一本気な青年の保護者として、その暴走にストップをかけるのは五十鈴の役目なのだ。

(ルディはすこし遊んだ方が良いよねっ)

 そうと決まれば話は早い。
 実は密かに行きたい場所の候補がある五十鈴である。祭りと云えば音楽、音楽と云えばフェスティバル。見たいイベントも食べたい軽食もたくさんあるのだった。ルンデルハウスの首に縄を付けてでも、今晩のかがり火公演には参加をしよう。吟遊詩人の飛び入りも歓迎されると小耳に挟んでいる。

「じゃぁ、海路もあるんですね」
「ええ、そうですよ。最近では、ほら。ナインテイルの」
「……ああ」
「そちらの方も一段落して、船の旅も安定したとか。今回も西からの商人さん達は、船旅だそうです。精霊船とかいうのが登場して、随分速いんだとか聞いてますけれどね。あたしら、一般の、しがない交易商には縁が遠い話でございますよ」

 夕刻からの予定に思いを馳せる五十鈴は、ルンデルハウスの痛みを堪えるような表情には気が付かなかった。しかしそのことで五十鈴を責めるのは、不当というものだろう。ルンデルハウスもまた、青年期特有の潔癖な克己心を見せて、その表情を瞬く間にぬぐい去ったので、話し相手の商人にさえ疑問を感じさせなかったのだから。

 まるで巨大な爆発でなぎ倒されたような、瓦礫の堆積でしかない、アキバ南方特有の景色を抜けると、やがて古代樹の緑が見えてくる。
 アキバの街まではまだ何時間もかかるだろうが、この地点からすでに、街へと向かうキャラバンやポニーに荷物を背負わせた個人の交易商などが目につきはじめる。その誰もがそこはかとなく浮き足立ち、急ぎ足に見えるのは、気のせいではないだろう。

 アキバの街ではまさに今、秋の祭りが行なわれているのだ。
 キャラバンを護衛する2人は、油断なく警戒を続けながらも、2人の住み処とする街へと近づいていった。



 ◆



 開場と同時に、フロアには人が溢れた。
 ギルド単位で物見遊山にやってきた〈冒険者〉の一団。新作衣服を安く仕入れようとする少女達。すでに著名な裁縫師系ギルドを目指して行列に並ぼうとする腕利きの交易商。旅装を解く暇もなく買い付けにやってきたらしい旅商人達。(きら)びやかな衣装を纏った貴族商人。

 混雑すると予想していた者も居ただろうが、ここまで盛況になると『予定』出来ていたギルドはほんの少数だったろう。販売ブースでは、どこもかしこもパニックになったように対応に追われている。

 このフロアで行なわれるのは、衣料品を扱う即売会である。
 「衣料品に限る」以上、全ての生産系ギルドが参加をしているわけではない。もちろん、メンバー数500を優に超える三大生産ギルドほどになれば、生活全てに渡る各種部門を抱えているのが当然である。しかし、中規模以下の生産系ギルドの場合は、ギルドのテーマを決めてメンバーを固めていることも多い。
 例えば〈アメノマ〉はアキバの街では知る人ぞ知る、武器鍛冶の専門ギルドだ。メンバーのほとんどは高レベルの〈鍛冶師〉であり、少数の〈刻印呪師〉を抱えている。当然、所属者に〈裁縫師〉などはいないので、このフロアで行なわれる即売会には参加していない。

 もっとも、天秤祭全体では、様々なギルド、様々な職人にチャンスがある。
 このフロアで行なわれている「アキバのファッションショー」は、女性冒険者からの希望もあって屋内であるが、同時に街の大通りを中心に「のみの市」が開催されている。そちらでは、露天商スタイルで、無数のギルドが商いを謳歌しているはずである。

 そのような事情から、このホールに存在するブースはさほど多くはない。その数、50余りのはずである。

 「ファッションショー」とはそのものずばり、様々なギルドが趣向を凝らして作成した衣装をまとうモデルが、ステージを闊歩するという企画である。
 アキバを代表する人気者や美人と評判の〈冒険者〉が軒並み出演するこのショーは、密かにマニアックな注目を集めるイベントだった。そう考えてみると、こうして会場に流れ込んだ参加者のうち何割かは、物見遊山であり客とは云えないのかもしれない。

 ブースはおおざっぱに大型のものと小型のものに分れている。
 大型のものは、人数規模も大きく、展示する商品も多い、いわゆる大手ギルドの開いているものである。これらの大型ブースは、壁際に設置されて、在庫の搬入に便利な作りになっている。
 フロア中心部に敷居を立てて半開放の個室のような作りになっているのは、多くの中小ギルド用ブースである。

 〈三日月同盟〉は、この天井の高い巨大なホールでは、さほど良い場所にブースを構えているわけではなかった。フロアの中央からはやや外れた、しかし、壁際でもない位置である。当たり外れで云えば、残念ながら「1番の外れくじ」と云っても良い場所だろう。
 ショーを行なっているステージからも遠く、客の流れは良くない位置である。

 しかし〈三日月同盟〉は、このホールに集まった多くのギルドのように純生産系ギルドと云うわけではない。
 「興味のあることならば何でもやってみよう!」という生活系ギルドである。現に、このブース出店もギルド内の有志でやっているわけであって、ギルドをあげての全力営業というわけではない。

 お祭り好きの人間の集まる、気の良い冒険者ギルドであるため、協力者には事欠かないが、純正の生産系ギルドに比べれば、商売にかける意気込みは落ちる。そんな〈三日月同盟〉が良い位置をとってしまっては、〈円卓会議〉11ギルドの職権を乱用していると云われても仕方がない。その意味では、順当な配置であると云えた。

「なぁ、えらいことになってへん?」
 うわぁ、うわぁ、と大きな声を上げてうろうろするマリエールをヘンリエッタは捕まえる。彼女は、憎たらしいほど女性らしい体型のギルドマスターを、そのままずるずると会計台の後ろに引きずっていくと、小さな丸椅子に無理矢理座らせた。

「マリエ。あなたはギルドリーダーなんですから。そんなに狼狽えてどうします。少しはおとなしく座っていなさい」
「そやけど、なんかもう。こんなにすごい人数見るの、久しぶりやから……」
 マリエールはそわそわと落ち着きがない。

 云われてみれば、それは確かにそうだった。元の世界にいた頃は、毎日のように混雑した通勤電車に乗っていた。都内中心部の駅前や交差点では、数千人の通行人を見かけることすら日常だったのだ。
 しかし、〈大災害〉によってこの世界に流れ着いてからは、すっかりそんな景色を見ることもなくなっていた。アキバの中央(駅前)広場は活気があるが、青空と広々とした構造のせいで、そこまで人がごみごみと立て込んだ印象は受けない。

 会場は、そんな元の地球を思い出させるほどの混雑を見せている。そんな中でも、こうして漫才をしていられるとは、〈三日月同盟〉の位置は、やはり人の流れの下流に位置しているようだ。そんなことをヘンリエッタは考える。
 壁際の大規模ギルドが真っ先に客の流れに飲み込まれ、そのしぶきが跳ね返るように、ステージに近い中小ギルドの方へと流れ始めている。

 しかし、人の流れを眺める余裕があったのも、開始30分程度だけだった。
 大手ギルドに行列が出来ると「並ぶくらいならば、空いているブースを見て回ろう」と考える人も出てくる。その人数もバカにならないほどだったのだ。

 前線にマリエール(の笑顔)を配置して、自分はレジ代わりに出納計算でもしていようかと思っていたヘンリエッタだったが、そうも行かなくなってきた。

 思った以上に、〈大地人〉が多いのだ。

 〈三日月同盟〉からこの場に出張ってきているのは、マリエールにヘンリエッタ、それからサブ職業として〈裁縫師〉を持っているギルドメンバー2人だ。〈三日月同盟〉は、このファッションショー出展以外にも、軽食販売の露店や武器鍛冶の店を「のみの市」で開いている。
 マリエールはギルドのリーダーとして、そちらにも顔を出す必要があるだろう。昼過ぎのファッションショーを終えれば、こちらの方(ファッションショー)から解放しなければならないと、ヘンリエッタは考えていた。
 そうなると主戦力は、若手の2人と云うことになる。

 ちらりと見やったヘンリエッタの視線の先で、ふるふると顔を振る2人。その意味する所は明白で、無理、無理。自分達、素人ですから! というメッセージを視線で伝えてきている。

 ヘンリエッタは取りかかった商談を進めながら、内心でため息をついた。相手が街で着るための普段着を求めてやってきた〈冒険者〉であるならば問題は殆ど生じない。元は同じ地球人であるから、慣れない商売をしているという共通認識がある。このフロアで行なわれているのは、「商売ごっこ」の延長線上にあるものだが、〈冒険者〉にとってはそれで仕方ないし、十分なのだ。

 一方、〈大地人〉のほとんどは交易商人だ。
 しかも単純な意味で衣料品の買い付けに来ているというだけではなく、情報を集め、コネを作り、出来れば今後の仕入れに繋がるような交渉を求めて、ここに来場しているようなのだ。
 それゆえ、値段設定や、素材や、縫製方法についての突っ込んだことも尋ねてくる。地球ではただの学生だった若手のメンバーに任せるには、ちょっと酷な商談である。

(まぁ、私だって経験豊富でも責任が取れるわけでも無いんですけれどね……)

 中年〈大地人〉商人の追求を、顔だけはにこやかに切り返したヘンリエッタは、意識の中では自分の身を振り返っていた。
 〈円卓会議〉成立に関わる三大生産ギルドとの駆け引き。あの取引をくぐり抜けてしまってから、自分にはすっかり鉄火場度胸が付いてしまったのではないか? ヘンリエッタはそんな事を考えている。

 ヘンリエッタ自身だっていまだ20代である。
 経験が足りているはずがない。
 社会人であるだなどと云ったところで、一旦就職をしてしまえば、20代など卵の殻のくっついたヒヨコに過ぎないのは、ヘンリエッタ自身、地球の企業で痛いほど自覚していた。
 しかしまた、その殻をつけたまま前線に立たない限り、いつまで経ってもヒヨコを卒業出来ないというのも、真実ではある。

(後輩に押しつけるわけにも参りませんし……。少なくとも、様子が判るまでは難しい交渉は引き受けませんと)

 ヘンリエッタの思惑が伝わったのだろう。
 もしくは、自然な協力体制を無意識に採った結果なのか、ヘンリエッタが〈大地人〉商人の相手をする内に、〈三日月同盟〉の3人は〈冒険者〉の相手をするフォーメーションが出来ていた。
 2人の若手は品物を包装して、ニコニコと微笑むマリエールが代金を受け取る。3人揃って頭を下げれば、小売りの成功だ。

 それを横目で見ながら、ヘンリエッタは〈大地人〉との受け答えを続けていた。〈三日月同盟〉は生活系ギルドなので、毎月100枚というような大量注文を受けてしまうのはまずい。断るべきものは断るのが、目下ヘンリエッタの方針である。

(そんな契約に頷いてしまえばどうなる事やら。世の中にはシロエ様みたいな、お腹が真っ黒な殿方もいるんですからね、本当に油断も隙もない……。あら?)

 ヘンリエッタは周囲を見回す。
 気がついてみれば、シロエがいない。
 確か着替えを押しつけたはずなのだが、ブースの中には人を食った丸眼鏡の青年も、それを云うならば小柄な黒髪の少女すらも見あたらなかった。

「――シロエ様?」

 やっかいな客が途切れたのを確認してから、ヘンリエッタは背伸びをして周囲を見回す。マリエールよりはわずかに背の高い彼女だが、ブース前の通路を川のように流れてゆく人間の濁流の前では、さして遠くまで見通せるわけでもない。

「どこに――」
「はい。今回の商品は、試験販売になります。多くの方の意見を聞くために、お1人様につき2点までと個数制限させていただいております」
「金は払うと云っただろうっ」
「そのような話ではありませんから」
 背伸びをするようにして目を凝らすヘンリエッタに、シロエの涼しげな声が聞こえた。

 どうやら誰かと云い争っているようだ。周囲を見回すヘンリエッタは、一瞬だけ途切れた人波を透かして、通路の向かい側にあるブースにシロエの姿を認める。

 フード付きの袖無しロングベストはカジュアルな印象で、薄手の長袖Tシャツにそれを重ね着したシロエは、しっくりとはまって見えた。頭部から湯気を出しそうな程いらついている商人の前に、落ち着き払った表情で立ちはだかるシロエ。
 〈三日月同盟〉が作り上げた服を着たシロエは、中世風ではなくごく普通の地球人青年に見える。その服装はシロエには似合っていて、「地球に住んでいた頃のシロエは、こんな着こなしをしていたのだろうな」と信じることが出来るのだった。

「すみませんっ。通してくださいませんかっ」
 その姿に見とれていたのもつかの間、また視界が閉ざされてしまい、ヘンリエッタは即売会を楽しむ客の流れをかき分けるように、向かい側のブースへと急いだ。

 そこは、ギルド〈ココアブラウン〉の販売所だった。
 数人のスタッフの中央に立ったシロエは、いらだちに震える商人を相手に引かない姿勢をとっている。シロエのすぐ側にいるアカツキは、シロエがかばっていると云うよりも、押さえつけている様に見えた。

 〈ココアブラウン〉は服飾系とは云え、小物に的を絞ったブースであった。色鮮やかな磨いた小石と、銀の細工を連ねたネックレスや、イヤリングを販売している。
 ヘンリエッタから見ても趣味がよいアクセサリーが並び、客が入る前に挨拶回りをしたときに気を惹かれていたものだ。値段もびっくりするほど安く、店番をしていた〈ココアブラウン〉のメンバーは「私たちみたいな小さな生産ギルドは、戦闘ギルドの皆さんに守ってもらってばかりだから、恩返しです」なんて云っていた。

「だから云ったではないかっ。わたしに販売すれば、君ら職人達の名前も〈大地人〉に広く知れ渡って――」
「申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
 シロエと商人の云い合いは続いている。

 そのころになると、付近を通りがかっていた群衆も、なにやら騒ぎが起きていることには気が付きはじめていた。自然発生的に、〈ココアブラウン〉のブースを半円形に取り巻くような人垣が出来てしまう。

 おそらくこの柄の悪い商人が、〈ココアブラウン〉のアクセサリーを大量に買い取ろうとしたのだろう。2つや3つならば良いかも知れないが、箱レベルで購入されては、残りの時間、ブースを維持することが出来ない。
 もちろん売り上げ金額や完売優先で考えれば、全て売り払うという判断はありだろう。

 しかし〈ココアブラウン〉はそうしたくなかった。『恩返し』と言う言葉を使った〈ココアブラウン〉にとって、それは本意ではなかったのだ。アキバの街の住民に使用して欲しいという気持ちが強く、そこで急遽個数制限を科そうとして、商人と云い合いになった。
 〈冒険者〉は確かに肉体や魔力などのスペックで〈大地人〉より優れている。アイテム作成についても、サブ職業のレベル次第で達人級の腕前を発揮する。 しかし、口論や交渉などは、肉体のスペックで行なうものではない。性格によっても向き不向きがあるものだし、だとすれば今では殆ど意識することもない、プレイヤー(中の人)の問題だと云えた。

 だからシロエが割って入った。
 そして救いの手をさしのべたのだろう。

(もちろん予想でしかありませんけれど、当たらずとも遠からずでしょうね。――ああ、運が悪い〈大地人〉さんだこと)

「いい気になるなよ、若造っ!」
 ぎゅうぎゅうとすし詰めになった人混みをかき分けて、ぽっかりと開けた〈ココアブラウン〉ブースの前にヘンリエッタが割り込んだ時、とうとう我慢が出来なくなった〈大地人〉商人が、シロエに大きな拳を振り下ろした。

 息をのむ観衆の多くは〈大地人〉だ。
 中には目を背けるものも居る。
 しかし、その結果はヘンリエッタの予想通りのものだった。
 シロエが、『指先』でやんわりとその拳を受け止めたのである。

 シロエは確かに〈付与術師〉だ。〈付与術師〉は魔術師系メイン職業のひとつであり、魔術師系の例に漏れず、体力や腕力などは非常に低く設定されている。――しかし、それは同レベルの他職〈冒険者〉と比べた場合の話だ。
 魔術師の敏捷力や筋力でも、レベル差が50以上もあり、しかも相手が〈大地人〉ともなれば、相手を大きく上回る。シロエから見れば、高慢な商人のパンチなど、まるでカタツムリが這うような速度に見えただろう。

 シロエがやんわり受け止めたおかげで、〈大地人〉の振り下ろした拳は、「攻撃」だとすら判定されなかったようだ。「衛兵」が現われる気配もないことから、それはすぐに判明した。

 シロエは左腕で中年商人の拳を受け止めると共に、右手では、アカツキの細い胴体を抱いている。おそらく彼女が暗器(隠し武器)を抜こうとしたのを、制止したのだろう。アカツキはシロエを見上げて、不満そうな表情だった。

「お引き取り、いただけますよね?」
 シロエは微笑みながら告げる。
 しかし、〈吟遊詩人〉であるヘンリエッタには、シロエに集まって行く見えない力がはっきりと感じられた。
 シロエは大気中の魔力(マナ)を集めている。《付与術師》と同じように、仲間にマナを供給する役割を持つ《吟遊詩人》だからこそ、それを鋭敏に察知することが出来たのだ。
 フロアにいる、他の〈冒険者〉の何人かも明らかに、シロエの異常に気付いたような表情をしている。

 にこやかな表情のシロエが、寛容な笑みを浮かべたまま、圧迫するようなオーラをどんどんと増大させているのだ。その様子は不気味としか云えなかった。

 シロエは、呪文詠唱を行なったわけではない。
 呪文詠唱に先だつ魔力の集中を行なっただけだ。
 それゆえ、これは戦闘的な行為へは該当しない。衛兵が現われるような行為ではないし、シロエの表情もにこやかで、戦いの気配はみじんもない。
 しかし、戦闘および魔力の取り扱いにおいては、〈冒険者〉よりずっと鈍感な〈大地人〉でさえ、シロエの放つ高密度のマナは、何となく感じ取れるのだろう。
 見る間に血の気が引き、青ざめた表情の中年商人は、未だに受け止められたままの拳でもって、シロエの手を払いのけた。

「不愉快だ。わたしは帰るっ」
 中年の商人はそれだけを言い捨てると、逃げるようにその場を立ち去った。

「血の気の多い人だったね」
「主君だって相当に追い詰めたではないか」
「アカツキに任せたらミンチにしちゃうでしょ」
「挽肉など美味しそうなものにはしない」
 頬を膨らませるアカツキをそっとたしなめるシロエ。

 その肩をすくめてあきれた顔のシロエに、〈ココアブラウン〉のメンバーは礼を述べた。ころりと可愛らしい容貌のドワーフ娘は、シロエの手を握りしめて涙を流さんばかりの喜びようだ。

「シロエ様」
 声をかけたヘンリエッタは少しだけびっくりする。
 自分の声が不機嫌そうだったからだ。

「どうしたのかな?」
「いえ。……その」
「主君、きっと仕事をしろと云うことだ」
「そっか」
 アカツキに云い返されて、シロエは頭部を掻いた。先ほどまでの迫力はすでに無い。集まっていた観客達も、今の一幕で満足したのか散ってゆく。

「ヘンリエッタさん?」
「はい、シロエ様」
「――会場、騒がしいね」
 何でいらだっていたのかという疑念を一瞬で消去したヘンリエッタは、シロエの言葉の意味を追う。
 騒がしい会場。
 この場合、騒がしいとはさっきの〈大地人〉を指すのだろうか。思い起こせば、押し問答に近い商取引もあったような気がする。それは相手が〈大地人〉だからであり、自分達が経験の少ない、元地球人だから……そうヘンリエッタは思っていたが、シロエにとっては違うのだろうか?

(シロエ様には何が見えて? ……そういえば)
 ヘンリエッタは逡巡する。シロエの耳に入れるべきかどうか、判断がつかない情報があったではないか。

「シロエ様、その……」
「〈大地人〉商人の行動が不審だよね。でも、理解できない。解像度が足りない。情報が、揃っていない気がするんだけど」
 呟くように漏れたシロエの言葉に、ヘンリエッタは理解する。では、シロエもやはり、得体の知れないちぐはぐさを感じていたのだ。

 心配したようにシロエを見上げるアカツキ。
 ヘンリエッタは、シロエに声をかけようとする。ヘンリエッタの感じる疑問も、シロエの視界でならば、新たな形を与えられるかもしれない。

 しかし、その時シロエはすでに行動に移っていた。いくつかの言葉を呟くシロエの声は、決して独り言ではなく、虚空を通じての問いかけだ。
 彼は念話に耳を澄ませていたのだ。
 そしてやがて頷くと、ヘンリエッタへと振り返り、明瞭な声で結果を告げる。

「どうやらアキバに攻撃を加えてるやつが居るみたいだね」



 ◆



 その日、レイネシアは朝から慌ただしい時間を過ごしていた。
 もちろん不本意にも、である。

 そもそもこの祭りの最中はもっとゆっくりとするはずだったのだ。
 植物的に、怠け者的に、だらだらと非生産的な惰眠を貪る予定だった。

 2日目夕刻から開催される夕餐会は、レイネシア主催である。しかし主催とは云え、それは夕餐会本番の話であり、準備や料理において、レイネシアが出来るようなことは何もない。
 レイネシアの役割とは、夕餐会の本番に出席して来駕者に挨拶をすること。ホストとして場を取り仕切ることだけであるはずだった。そしてその本番の役割でさえも、このアキバの街では、今までレイネシアが出席してきた幾多の食事会に比べ簡略化される予定だったのだ。

 〈冒険者〉は虚礼を嫌う。その認識はこの街に赴任してきてからの1ヶ月で、少し印象を変えていた。
 彼らは虚礼を嫌っているわけではなくて、そこに意義を見いだせないだけなのだ。意義を見いだせない以上学ばないから、複雑な礼儀作法を知識として持っていない。
 〈冒険者〉はこのヤマトの世界と、〈大地人〉社会に対して、重大な知識的欠落があるのだ。その様子を見ると、赤子なのではないかと思うこともある。

(でもそれは……)

 お互い様なのだろう。とレイネシアは思っていた。
 〈大地人〉の中では比較的〈冒険者〉と関わりのあるレイネシアだが、彼らが彼ら同士で深い話をする場合、その内容には半分もついていくことが出来ない。彼らが持ち出す考え方は半分以上判らないし、内容自体は判る考え方でも「何故そんなとんでもないことを言い出すか」については判らない。
 〈冒険者〉は貴族と平民という考え方すら理解できないのだ。

 そんな例でも判るとおり、正直に云えば両者にはまだまだ距離がある。
 だが、しかしそれは、これから歩み寄る事が出来る距離だ。少なくともレイネシアはそう考えていた。

 今回の食事会を、晩餐会ではなく夕餐会にしたのも、同じ意図による。
 晩餐会であれば、招待客を序列ごとにテーブルに座らせて、食事を振る舞うということになるだろう。主人役(レイネシア)は食事を含めたイベントを司り、招待客をもてなすことになる。
 〈大地人〉の間ではまず聞かない夕餐会という形式は、晩餐会とは似て非なる供宴である。会場のあちこちには、何種類もの料理が準備され、次々と運ばれてくる。この供宴では招待客ごとに決まった席次というものはなく、舞踏会のように立ったまま食事を行なうことになる。

 招待客もアキバの街の出来るだけ様々な人が参加できるよう工夫をした。
 〈円卓会議〉は確かにアキバの街の統治機関として重要だが、〈冒険者〉の友として受け入れてもらおうと思うのならば、様々な人に接しなければならない。貴族と平民を区分しないのが〈冒険者〉の流儀であるならば、全員を貴族として扱うべきだ。
 そう考えたレイネシアは、〈円卓会議〉に協力を依頼して、大規模なセレモニーとしての夕餐会を企画したのである。
 それはザントリーフ戦役に対する、せめてもの謝礼であり、レイネシアなりの誠意の表現でもあった。

 と、もちろん誠意はあるのだが、相手はなにぶん〈冒険者〉である。
 〈大地人〉風の「感謝の表現」など通用はしないのだろう。たとえば、厳密に序列を定めて、挨拶の順番をひとつ上げる、下げるなどと云った方法では、こちらの礼儀作法上の機微を理解してもらうことは不可能だと考えるべきだ。
 そうである以上、夕餐会なるものはきわめてアバウトなものにしかなりようがない。料理の準備も、マイハマから招いた宮殿料理人一行の他に、半分近くはこのアキバの街の飲食店の協力に頼っている。これがマイハマの宮廷であれば「招待客を軽んじているのか!」となる所だろうが、〈冒険者〉はいっこうに気にしないものと思われた。

 一事が万事その調子だったから、始まっても居ない会食の心配をする意味などはない。レイネシア本人として、本番まではあれこれと思い悩まず、ごろごろと過ごしていようと考えていた。
 もちろん、だらけているのが趣味だからという側面は否定できないにせよ、だ。

 しかし、状況が変わってしまった。
「これでよろしいでしょうかね。――いえ、翡翠はもう一連増やしましょう。少々お待ちください。確か先年のお誕生日に頂いたものが……」
 エリッサの声も緊張気味だ。

「そうですね、格式に気をつけないわけにはいきません……よね?」

 あまりにも突然の事態だった。
 西方の商人、ルンドスタード卿が訪れるという連絡があったのだ。

 ルンドスタード卿といえば、商人であると共に〈神聖皇国ウェストランデ〉の重鎮たる大貴族でもある。セルジアッド家は家格で負けているわけではないが、決しておろそかにして良い相手ではない。そのうえ、このタイミングでの派遣となると、斎宮家の意を受けている可能性も否定できない。

(やっぱり、西でも政変があったという話は、本当なんですよね)
 レイネシアは唇をかむ。

 レイネシアが感じるこのプレッシャーには、当然理由がある。
 280年ほど前。このヤマトという列島はひとつの国家に統一されていたのだ。皇王家に統べられたその国の名を〈ウェストランデ皇王朝〉と呼ぶ。〈ウェストランデ皇王朝〉――皇王家は大きな力を持ってヤマトに君臨していた。
 しかし〈六傾姫〉を始めとする歴史の激変の中で、皇王家は滅びの時を迎える。皇王家の断絶と共に、ヤマトは統一国家としてのたがを失い、崩壊をしてしまった。

 しかし、今なおヤマトを治めるのはウェストランデの遺した統治機構であるのは確かだ。〈ウェストランデ皇王朝〉崩壊後の暗黒期、中心を失ったヤマトの大地の人間社会を治めていたのは、〈ウェストランデ皇王朝〉に仕えていた地方領主である。
 それは、〈自由都市同盟イースタル〉においても顕著だ。たとえばレイネシアの生まれたコーウェン公爵家は、現在ヤマトに残ったたった2つの公爵家のひとつである。この「公爵」という称号は、元々はウェストランデ皇王家から与えられたものなのだ。〈自由都市同盟イースタル〉の各領主達は、それぞれ祖先に与えられた爵位を根拠として、〈大地人〉を治めているのである。

 統一国家としては崩壊したヤマトではあるが、その中でももっとも〈ウェストランデ皇王朝〉の影響を受けているのが、〈自由都市同盟イースタル〉とヤマトをほぼ二分する〈神聖皇国ウェストランデ〉だった。

 〈神聖皇国ウェストランデ〉は斎宮家をウェストランデ皇王家の後継と認めて戴く国家である。
 レイネシア自身、そこまで歴史に詳しいわけではないが、斎宮家は古のウェストランデ皇王家の『分家』のようなものだと認識している。ウェストランデ皇王家から政治的な理由により、神事を司るために分かれた血筋が斎宮家なのだ。しかし、分かたれてイセに移り住んだために、斎宮家はウェストランデ皇王家の滅びを生き残ることになった。
 その斎宮家を担ぎ出して、このヤマトの盟主であるとしているのが〈神聖皇国ウェストランデ〉である。その名前〈神聖皇国ウェストランデ〉からして〈ウェストランデ皇王朝〉の正統後継を強くアピールする意図があることは明白であった。

 だが、もちろんヤマト全ての貴族が、斎宮家を皇王家そのものであるとは認めて居るわけではない。現にレイネシアが所属し、このアキバの街がある〈自由都市同盟イースタル〉は斎宮家を盟主とは認めて居なかった。
 斎宮家はあくまで、皇王家の血を引く分家である。
 一旦分かたれた血筋は元に戻るわけではないと云う立場をとっている。
 そもそも血を引いているか否かなどという話をすれば、古代の貴族社会のことである。複雑な婚姻関係により、コーウェン家にだって皇王家の血は流れているのだ。

 様々な要因が関係して絡み合う現在の情勢において、コーウェン公爵家にとって斎宮家は、直接の主筋にはあたらないのである。しかし、主筋に当たらないとは云え、その主筋、皇王家の血を分けた家であることは確かであり、徒やおろそかに扱って良い相手ではない。

 〈ウェストランデ皇王朝〉の遺した爵位制度の中でも、斎宮家は公爵家を越える唯一の例外的な家門である。こうした政治状況を踏まえて、東の〈自由都市同盟イースタル〉と西の〈神聖皇国ウェストランデ〉は互いに皇王家の影響を遺しつつも、緊張感を孕んで対峙してきたのだ。

 今回派遣されたルンドスタード卿は、その〈神聖皇国ウェストランデ〉の大貴族であり、商務を司っているはずである。貴族商人の長とも呼ばれ、海運に大きな力を持つ、と以前聞いたような覚えがある。

 〈冒険者〉との親交を深める目的で開く夕餐会だが、挨拶を行ないたいと云われてしまえば、招かないわけにも行かない。「またの機会に」と断れるランクの相手ではないのだ。

 レイネシアはトラブルの予感を頭を振って追い払う。
 逆に云えば、ルンドスタード卿はレイネシアと同じ〈大地人〉だ。そしてこのヤマトで皇王家の文化を受け継ぐ、同じ貴族でもある。その意味では、同じ土俵――つまり貴族の礼法と文化で渡り合うことが可能な相手だと云うことになる。

(せめて……)

 自分に出来るのは役目を果たすことだけ、という思いがレイネシアにはある。
 その役目とは、アキバの街に派遣されたコーウェン家の娘――つまり『レイネシア姫』であった。
 故郷を救ってくれたアキバに何がしかの恩を返せるのならば、それは自らの役目を全うすることだろうと、レイネシアは思う。

 レイネシアは淡雪のように白く霞むドレスの裾を翻して立ち上がる。
 西の貴族が何を望むのか判らないが、彼女はその矢面に立つつもりだった。
042お届けでした。
次週11日は、お休みです(≧∀≦)
色んなお盆進行~。
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