挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

アキバの街の日曜日

41/126

041

 夜が明けた。
 早朝のアキバの街は10月らしい爽やかな空気に包まれていた。まだ本格的に陽が昇っていないこの時間、空気はしっとりと冷気を含み、静寂に充ちている。
 〈エルダー・テイル〉においてアキバの街は、旧世界のそれと地理や大まかな構造を共にしているが、もちろん違った点も備えている。
 古代樹に包まれたこの街は、大通りやあちこちの広場の大地に苔や芝生をしげらせ、緑に包まれているのだ。
 街の至る所を包み込む落葉樹や背の高い茂み。アキバの街は背の高いビルの廃墟と自然が融合した、不思議な風景を持つ街となっている。

 その緑に、秋の朝の露がしっとりと降りている。
 歩を進めるつま先にその雫を感じながらも、ミノリはギルド会館へと急いでいた。

 『天秤祭り』、いわゆる秋祭りの2日目、朝である。
 昼から祭りが開始された初日とは違い、今日2日目はそっくり丸ごとイベントの連続になっている。
 2日目である本日行なわれる各種展示即売会、そしてレイネシア姫の名の下に開催される夕餐会と、今晩から夜を徹して3日目に続く「アキバよろず市」が今回の祭りの目玉である。そう、秋祭りの本番は今日から始まるのだ。

 その期待感からか、普段であれば静かな早朝の街は、ひっそりとはしているものの、あちらこちらで荷物を運ぶ人間を見かける。きっと露店に商品を運んだり、当日になって気がついた足りないアイテムを慌てて手に入れに向かったりする人々なのだろう。

 流石にギルドホールの入口まで来ると、何人もの〈冒険者〉が出入りしている様子が窺えた。ミノリは無理矢理にでも元気よく挨拶をしながら、黒曜石のようなその建物に入ってゆく。
 〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)は〈円卓会議〉を構成する11ギルドの一つだったし、ミノリはシロエの手伝いとしてギルド会館への出入りは多い。受付の〈大地人〉女性を始め、ここに詰めている〈冒険者〉達の何人かとはすでに顔見知りだった。

 何回か手伝いに来た〈円卓会議〉とその資料室、執務室があるフロアには向かわず、今日は〈生産者ギルド連絡会〉の方へと向かう。シロエからのお使いで一度資料を受け取りに来たことがあるので、場所はすぐ判った。

 フロアは早朝から慌ただしい雰囲気に包まれていた。大きな樫の木の扉は、観音開きに開け放たれ、廊下にまでいくつもの木箱がはみ出している。

 この〈生産者ギルド連絡会〉は今回の祭りの中心的役割を受け持つ組織だ。そのためこんな時間にもかかわらず、活気があふれている。中からは怒鳴り声に近い指示の言葉が飛び、慌ただしく駆け出るものや、荷物を運び込む人が出入りしている。

 ミノリはその扉をそっとくぐると、顔見知りの〈冒険者〉に会釈をした。たしか〈第8商店街〉の職人だったはずだ。

「どうしたの? ミノリちゃん」
「えっと、その。――カラシンさん、居ます?」
 何となく居心地の悪さを感じるミノリ。たとえて云えばそれは「自分が所属していない部活の部室にやってきてしまった感じ」に近い。

 落ち着かない様子のミノリに、その職人は笑いかけ「ああ、奥にいるよ。入れば? とっちらかってるけど、そこは堪忍な!」と云ってくれた。声が大きいのは、おそらく徹夜でハイになってるからだろう。別に何か悪いことをしたわけではないのだが、ミノリはそこはかとない申し訳なさを感じながら、事務所の奥へと向かった。

 ミノリが早朝からこんな所へ来たのには理由がある。
 昨晩はアカツキとシロエの密やかなシーンを見てしまって、自分の浅ましさに落ち込んだりもしたが、ミノリ自身が今回の秋祭りに対して掲げた目標は、シロエの悪評を雪ぐことにある。

 当初考えていたそのための手段は、ケーキバイキング出場で耳目を集めつつ、大夕餐会への招待状を手に入れる。夕餐会へ出席し、参加者との歓談を通じて、シロエの好感度を高める――というものだった。

(それは、結局失敗しちゃったけれど……)

 ホールケーキ12個だなんて無理すぎる、とミノリは思う。
 意地悪だ、全く――とは思うが仕方ない。
 だが、それはそれとして、ミッションをこなすためには別の手段を考えなければならない。不慣れな知恵を絞って考えついたのが〈生産者ギルド連絡会〉への直訴であった。
 幸いここを取り仕切っている〈第8商店街〉のカラシンとは面識があった。招待状が余っているのなら何とかお願いして手に入れられないだろうか? ミノリはそう考えて、〈生産者ギルド連絡会〉へとやってきたのである。

 しかし、カラシンの方はと云えばそれどころではないようだった。〈生産者ギルド連絡会〉事務所の中央執務室……それとも会議室なのだろうか? その大きな部屋には、それこそ壁のような量の書類がつまれている。
 大量の書類はシロエの書斎でも見慣れていたし、コンピューターのないこの世界では、書類はすぐに増殖すると聞いていたが、この部屋の混乱度はシロエの書斎の比ではなかった。シロエの書斎には少なくとも整頓や効率化の意志が見えたが、この執務室にあるのは混乱とエントロピーだけだ。

 部屋中央のテーブルの片隅では、カラシンとその同僚たる少年が必死に作業スペース(文明圏)を守ろうとしていた。しかしその努力もむなしく、彼らのささやかな領土は書類の束(押し寄せる蛮族)に脅かされて青息吐息の状態だ。

 凄まじい様子のカラシンに、ミノリは声をかけるのを躊躇う。そのとき、ミノリの背後から部屋に入ってきた男が、元気の良い声で報告を始めた。
「カラシンさん! 南ブロックの販売物表と帳票持ってきましたぁ! おねがいしやーっす!」
 まとまった量の書類をテーブルに追加した青年は即座に出て行ってしまうが、その一撃によってテーブル上の勢力図は一変してしまった。ゆらゆらと揺れていた書類の塔は、ミノリが伸ばした指先をするりとすり抜けて倒れてしまったのだ。ドミノ倒しのような連鎖反応により、書類の束(押し寄せる蛮族)は次々と侵攻の狼煙を上げ始める。

「ああぁっ!?」「ひぃ!!」
 悲鳴のような声を上げるカラシンとアシスタントの顔は、絶望で青ざめている。こんな状況下であれば当然だろう。ひとしきりひどい言葉で罵倒した後に、しょんぼりと書類の塔を再構築し始める2人に、ミノリはおそるおそる声をかけた。

「お手伝い、しましょうか?」
「あれ。……えーと、シロエさんのところの。ミノリちゃんだっけ?」
「ええ。お手伝い、します」
 ミノリは長袖のブラウスの腕をまくり上げる。こんなに混乱した書類の山は見過ごしてはおけないし、ここで手伝いをしてカラシンの心証がアップすれば、「お願い」を聞いてもらえるのではないか、と云う打算もあった。

「うん、頼むよ。……タロ、お茶頼む。濃いやつ」
「はい、判りましたぁ~」
 どれだけ連続労働をしていたのか、ふらふらと出て行く少年を見送ったカラシンとミノリは、乱れ飛んだ紙束の収集に取りかかる。ざっと見た所、それらは、今日の展示即売会に関する届け出書類らしかった。ほかにも商取引に関する届け出や、質問書、指示書、税金の納税書と、あらゆるものがごちゃ混ぜになって、ただ紙のサイズが似ているという理由で分別されて山のようにつまれていく。

「カラシンさん……あのぅ。これ、種類バラバラですけど」
「バラバラなのは判ってるけど、一回崩れちゃったらもう分類は判らないんだよ。というか、そもそも決まった書式も用紙もないから、同じ目的の書類であってもサイズもバラバラなんだよなぁ」
 がっくりと肩を落としたカラシンは呻く。

「こんなに大変だとは思わなかったよ。ったく、〈大地人〉ってのもなかなか一筋縄ではいかないな。あいつ等税金納めてないのかなぁ」
「〈大地人〉さんがどうしたんです?」
「いや、直前になって変更や追加があるのは、商売だから当たり前なんだけどね。これだけ人数が居るとは思わなかったものだから。書類もいい加減だし、文化が違うのかね」
 後は判るだろう? とでも云うようにカラシンは肩をすくめる。確かにちょっと引いてしまうほどの混乱だった。整理しなければならないのは判っているのだが、その間にもひっきりなしに問い合わせや催促の伝令がとどく。一度山に紛れてしまった書類を追跡するのは困難だ。

 もちろん、シロエが買っていたカラシンの現場対応能力はさすがで、スタッフも勤勉に見える。問い合わせに対する反応は早くて、即断即決だった。
 だが、逆にその判断能力の高さが、報告書や書類の整理がすすまなくても現場を回転させているし、問題の先送りを可能にしている。今は良くとも、カラシンは徐々に追い詰められてゆくという構図だった。事前提出された書類や、刻一刻と増えてゆく書類が、どんどんと後回しになっているのだ。

「わたし、ここでお手伝いしてゆきます」
「いいのかな? 〈記録の地平線〉だって今日は色々あるんじゃないの?」
 少し考えたミノリは宣言をした。ケーキバイキングから続くルートは絶たれてしまったので、時間があるのは本当だ。シロエは〈三日月同盟〉の手伝いがあるなどと云っていたが、必要になれば何処にいても念話で呼び出しが来るだろう。

「わたしは、手が空いてますから」
「それじゃ、悪いけど頼んでいいかな。……正直云って、書類の方には手が回らないんだ。ヘンリエッタさんも、今日は忙しいらしいしね」
 カラシンの言葉に、ミノリは頷く。ヘンリエッタは連絡会の方の業務にも関わっているとシロエから聞いたことがある。彼女が即売会で抜けているために、このように混乱した状況になってしまったのかも知れない。

「とにかく、整理してゆきますね」
 ミノリは手近な書類の塔を床に降ろすと、ポシェットの中から紙とインクを取り出す。ランクは決して高くはないが、自分で作りだしたものだ。
 鞘に入ったままの懐刀を文鎮代わりに置くと、書類の塔の1番上から読み始める。慌てず、でも、急いで。それは倉庫に運び込んだ荷物の預かり証だった。ミノリはひとつ頷いて、わずかに空いたスペースに置く。預かり証、1枚。その次は、見回りからの違反者報告書。報告書、1枚。
 まずは最初の1歩。小さくてもがっかりしてはいけない。始めたばかりなんだから、成果が小さいのは当たり前。ひたむきにやるのが大事だ。

 ――まだ何もしていない。
 コールタールのような苦しみの中で、ミノリはそう呻いた。
 シロエに憧れて、シロエのことが好きなのにもかかわらず、歩き出していない自分を発見したのだ。
 そうであるならば、何かを始めなければならない。

 シロエのことが好きならば、シロエに何かをしてあげたい。
 自分はまだ何処にでも居るような中学生でしかないけれど、恋をしたと胸を張るためには、シロエに何かを与えられるような人間になりたいとミノリは願った。
 肺腑を灼くような苦さに満ちた夜を乗り越えて出した、それがミノリの結論であった。

 ただ憧れて深く考えもせずに、一緒にいるためだけに目指した師の背中は、今やミノリの中では別の意味合いを持っていた。
 シロエの後を追うだけならば、シロエと同じ景色を見るだけならば、その背中がゴールでも良かった。でも、シロエを助けたいのならば、別の力を身につけなければならない。別の力を目指しつつ、同じ道を歩くのは、きっと大変だろうけれど、今のミノリが望むのはまさにそんなルートだったのだ。

 〈冒険者〉の身体能力向上は、視力や反射神経にまで適用される。
 ミノリはそれを活かして、驚異的なスピードで書類を分類していった。ざっと目を通した段階ですぐにでも対処が必要そうなものは、近辺から拝借した木箱の中に次々と放り込んでゆく。これは定期的にカラシンにチェックをしてもらわなければならないだろう。それ以外の書類は種別ごとにまとめていくのだ。

 ミノリがいま持っているサブ職業は〈見習い徒弟〉(アプレンティス)だ。〈裁縫師〉がいやだったミノリは一刻も早くサブ職業を変えたかったが、何を選べば良いかについては判断が出来なかった。そんなとき、シロエの勧めに現われたのが〈見習い徒弟〉である。
 〈見習い徒弟〉はサブ職業システムに搭載されているものの、一般的な意味で云えば「職業」ではない。ロールプレイ系の〈会計士〉や〈占い師〉に近いものではあるが、より奇妙な特性を持ったシステムだった。
 〈見習い徒弟〉は登録した他プレイヤーのサブ職業能力の内、低レベルで習得可能ないくつかのスキルを「コピー」することが出来る。ミノリが紙とインクを作って持っていたのは、シロエに「弟子入り」して――つまり、師匠として登録を行ない技術(スキル)をコピーしたからである。

 手っ取り早くスキルをコピーできて、経験値取得ボーナスの存在する〈見習い徒弟〉はレベルアップも早く、出来る事も最初からある程度あるので、成長には都合がよい。だが〈見習い徒弟〉でコピー出来る技術は、あくまで中堅レベル以下のものに限定される。その意味では中途半端で魅力に乏しいサブ職業だ。

 〈見習い徒弟〉の本当の特色は、成長の後にある。それは、一部の転職に条件がある特殊なサブ職業を除く、殆どのサブ職業に転職が可能で、経験値を引き継げるという点にあるのだ。
 たとえば〈見習い徒弟〉で30レベルまで上げた〈冒険者〉は、〈料理人〉に転職した場合、本来の1レベルからではなく、30レベルとして転職することが可能である。
 〈鍛冶師〉など、レベルアップに手間がかかるサブ職業に就きたい場合、〈見習い徒弟〉を経由するのは悪い判断ではないと云われている。もっともその場合、師匠が必要であるとか、レベルアップしたところで、アイテム作成メニューのレシピが増えるわけではないので、レパートリーを増やすために別種の努力が必要だと云った、問題点は存在する。

 しかし、そういった欠点をミノリは気にしなかった。
 もともと、シロエの真似をするためのサブ職業なのだから、その程度のハンデはハンデとして意味を成さない。それに今、この混乱した書類との格闘戦の中で、シロエと同じ〈筆記師〉のスキルが役に立っている。

 安手の紙にざっとつくった「書式」に、ミノリは販売希望アイテムの届け出書類を、片っ端から書き写していった。それが一定数まとまるごとに「複写」して、原本は木箱に入れてゆく。ただの届け出書類を、実際に使える資料にまとめていく作業は、シロエの手伝いで手慣れたものだった。

 ミノリは書類の山を見回す。
 『この戦場』には、シロエがすでに身につけた、しかし〈エルダー・テイル〉の戦闘では身につけられない『何か』があるはずだ。それがなんなのか、意味があるのか、ないのか、それは今のミノリにはわからない。
 今までシロエに教えてもらった膨大な知識の中に、いくつものヒントが埋まっている。ゲームの知識だけではなく、ギルドの運営のこと、過去に起きた様々なこと、物理的な戦闘だけではなく、意思を競う様々な場面について。シロエから聞きかじった、沢山の挿話に『それ』の秘密があるはずなのは判っても、運用するには、ミノリの経験不足が足を引っ張っている。

 ――だからここに留まる。
 ミノリが下した決断は、戦闘の継続。そしてその上で、ミッションの達成に一歩でも近づく事を目指す。

「ミノリちゃん手際いいね」
「シロエさんの、弟子ですから」

 微笑んで答えたミノリの表情には、昨日まで無かった強さが宿っていた。



 ◆



 祭りの2日目。
 シロエは早めのお昼ご飯、もしくは遅めの朝ご飯を摂っていた。場所は『カンダ用水』近くの食堂『一膳屋』である。最近増えた〈大地人〉による飲食店は、ゲームの文化的設定の影響なのか、殆どが素朴な西洋風料理である。
 しかし、ヤマトの〈冒険者〉は元が日本人であることが多いわけで、特に男性であるシロエなどは、無性に『定食』が食べたくなることがある。

 『一膳屋』はアキバの街では古参に属する定食屋である。
 〈円卓会議〉結成後いち早く店を開けて、醤油も味噌もない時から、和風の定食を研究しては提供してきた。当時は塩焼きの魚に白米、漬け物程度だったが、今では醤油も味噌も開発されたので、風味豊かな和風の食事が楽しめる。

 本来は人気のある店なのだが、今日は祭りの日と云うことと、早めの時間のため、店内には客が少ないようだ。シロエとしては店が静かなのには異存がない。

「おまっとうさんよ」

 シロエの目の前に運び込まれたのは、焼きサンマの定食である。
 別に取り立てて特別な料理ではないが、この場合普通であることに価値がある。ケーキが1ダースだなんて、そんな非日常は必要ない。特に1人で居る時くらいはゆっくり食事をしたいと、シロエはそう思いながら両手を合わせる。
 食前の「いただきます」は、元の世界にいた時から律儀に唱えていたが、こちらの世界で美味しいものにありついてからは真摯な祈りに変わった。異世界漂流のようにすさんだ生活をしていると、美味しい食事は何よりも心の栄養になるのである。心を癒してくれる食事には、自然と感謝の念が湧いてきてしまう。


 シロエは黒塗りの箸を器用に使ってサンマの身をほぐすと、白米と一緒にかきこむ。脂ののったサンマに、大根おろしの爽やかな辛さがたまらなかった。

「うぁぁ、やっぱり日本人なんだなぁ」

 シロエとしては、昨日の惨劇の後だけに心底ほっとしてしまう。今日は祭りの2日目で、予定としてはヘンリエッタから要求された手伝いの日である。だが、ヘンリエッタから詳しい話は聞いていない。おそらく昼過ぎになれば念話機能で連絡が来るだろう。
 目が醒めた後ギルドハウスを1回りしてみたが、見つかったのはにゃん太だけだった。他のメンバーはそれぞれの用事や助っ人で出かけているようで、シロエとしては少し拍子抜けする気分だ。
 そのにゃん太も、今日はやはり〈三日月同盟〉の方で手伝いがあるとかで、シロエは単独行動で食事に出てきたのである。

 普段であれば、ギルドメンバーの食事は、なんだかんだと理由をつけてにゃん太が作っておいてくれるから、これはシロエにしては珍しい外食だ。〈料理人〉レベルが高く本人自身も料理が得意なにゃん太に、食事を作ってもらっているために〈記録の地平線〉の普段の食生活は豊かである。

 とはいえ、たまには外で食べるのも悪くない。
 サンマ定食を食べるシロエ。サンマ、ご飯、お味噌汁。たまに漬け物。そのループが幸せを呼ぶ。
 しかし程なく、そんな風に年頃の青年らしく食事を進めるシロエのテーブルに、顔見知りの2人組が近づいてきた。

「よう、“はらぐろ眼鏡”」
「ご無沙汰だね」
 気軽に片手を上げて挨拶をしてきたのは、〈黒剣騎士団〉の総団長、“黒剣”のアイザックだった。その隣は、真面目くさった顔をした〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉クラスティ。
 アキバの誇る戦闘系ギルドのマスター2人が、このような所でなにを? とシロエは考えたが、食事の席である。「どうも」等という、きわめて日本人らしい返事を返しておくことにする。

 シロエに断って相席をしてきた2人は、背後を振り向いて注文を行なった。アジの開き定食に、肉豆腐定食だった。シロエのサンマ定食と合わせて、きわめて男らしい、由緒正しい日本人の定食風景である。

「“はらぐろ眼鏡”は何してんだ? こんなところで」
「食事ですけど」
 椅子から半身を乗り出すようにして尋ねてくるアイザックに、シロエは視線でサンマ定食を指し示す。

「……美味そうだな、サンマ」
「あげませんよ」
「ちっ」
 忌々しそうに舌打ちするアイザック。といっても、嫌味な感じはない。どちらかというと、気さくなヤンキーといった雰囲気である。一方クラスティの方はと云えば、学者のような風貌で落ち着いた視線を向けてきている。

「2人はどうしたんですか? 一緒にいるなんて珍しいんじゃないんですか?」
「ああ、そりゃな」
 アイザックの言葉の後半を、クラスティが受ける。
「僕達のギルドは、祭りの警らを担当しててね。ギルドマスターとして打ち合わせをしていたと云うわけだ」

 今回のイベントでは、戦闘系ギルドの中でも〈黒剣騎士団〉および〈D.D.D〉の有志が自警団的警備に当たっているらしい。
 もっとも有志による行動なので、人手は不足しているとのことだった。
 祭りの巡回にはザントリーフの戦役のように華々しい印象がない。士気高揚的な要素に欠ける日常的な警備なんて、面倒くさい雑事ばかりという印象なのだろう、自発的なボランティアが集まらないのは、ある意味当然だとシロエは考える。
 そんな状況で、警備を担当する2人は何かと気苦労が多いだろう。言葉少なくそんなことを云うと、アイザックは笑って「お役目だから仕方ねぇさ」と肩をすくめた。

 そこで2人の食事が運ばれてくる。
 どちらも湯気を立てて美味そうだった。
 早速食べる2人。流石に戦闘系クラスだけあり、学者然としたクラスティもかなりのペースで食べてゆく。『一膳屋』は盛りの良い定食屋だが、年頃の男性3人の食事などペースの早いものだ。

 しかし、何と云っても、アキバの自治を行なう〈円卓会議〉、その11ギルドマスターの内3人がひとつの卓に着いている。人影の少なかった店内だが、シロエの座るテーブル席の周りには、何となく遠慮めいた雰囲気もあって客の方も特に近づいてこない。

 かといって、3人が密談めいたことを話しているかと云えば、そんなこともなかった。アイザックが直球ど真ん中に、「やい、クラスティ。おまえはレイネシア姫と何処まで行ってるんだ? ええ? ごまかすと承知しねぇぞ」と絡んだり、それを横目で見たシロエが「興味ありますね」と追求したり、そんな2人の台詞を、クラスティは「どういう意味だか判りかねますが?」と一刀両断にしていただけである。

 先に食べ始めていたシロエは、2人より一足先に食べ終わった。一声かけて店を出ようかとも考えたが、外は祭りでシロエも休日モードである。また、食事中に席を立つのもぶしつけに思えて、そのまま話に付き合っていた。
 〈円卓会議〉は会議である。議題に沿った話は出るが、こうしたとりとめもない雑談は少ないし新鮮だった。巡回の問題や、ギルドの人材交流の話、移籍や、新人獲得――ススキノから越してきた人達への対処、ゴブリンへの警戒。
 会議でも出るそれらの話題に対して忌憚のない意見を交わすのは、なかなかに興味深かった。それ以上に、アイザックの軽口や、口の堅いクラスティからわずかに漏れるレイネシアの話も面白い。
 情報収集や交換もまた、ギルドマスターの仕事のひとつだとシロエは考え、自分でも意外なほどその会話を楽しんでいた。

 シロエやクラスティはともかく、武闘派のアイザックでさえ、街の〈冒険者〉の情報には詳しい所を見せた。

 シロエにとって、それらの情報の多くは報告書で把握していたことだが、現場で実際それを取り扱っている人の生の意見は、いつでも最も頼りになるものだ。もう少し外に出なきゃ、などとシロエは考える。

 やがて店の主人自らが熱い茶を持ってくると、何とはなしに会話が一区切りついた。

「なぁ“腹ぐろ”」
「なんです?」
 先ほどからの会話から得た情報を脳内で箇条書きにして整理していたシロエに、アイザックが声を掛ける。

「前から気になっていたんだけどよ。〈円卓会議〉の成立に関わる、あの日のことだ。訊いても良いか?」
「ええ」
「――あの日、俺等はよ。確かに新しい調理法の話は度肝を抜かれたよ。俺たち戦闘系ギルドは、そんなことにはさっぱり気がつかなかったからな。だがよ、あれは、本当にあれで良かったのか?」
 アイザックが切り出した話に、クラスティも興味深そうにシロエを見つめてきた。

「どういう事です?」
「いや、だからさ。戦闘指揮としては、あんまりに博打だったんじゃないかって事だよ。あのアイテム作成方法に気がついていたやつは、他にも居たかも知れないだろう? そうなれば、全てはおじゃんだ。ネタが割れちゃ、ミチタカや“妖精薬師”(フェアリードクター)は、〈三日月同盟〉に金を融資しなかっただろう? そうなれば、そっちはギルド会館の買い占め資金を失うわけだ。作戦の根底が崩れることになる」

「そうですね」
「作戦の要を運任せにしてて良かったのか? 俺としてはその辺、穴を潰しておきたいわけだよ。“腹ぐろ眼鏡”は、本当のところは、策士なのか賭博師なのか」

 アイザックの疑問。
 それはシロエの作戦立案能力について、ということだろう。確かに〈円卓会議〉は成立した。シロエは数々のハードルを突破して、集めたメンバーを説得したのだ。
 だが、それは結果である。アイザックの懸念は、その作戦に穴があったのではないか、と云う疑念だ。

(もっともな話だよな)
 ――とシロエは思う。いや、むしろこの問いかけは吉兆だと云えるだろう。アイザックはシロエの作戦立案能力を認め、今後もその指揮で戦う可能性が高いと踏んだからこそ、不安要素を潰しに来たのだから。

「ああ、それですか。――そりゃ、居たんじゃないですか?」
 だからシロエは率直に答えた。
 あの料理法に気がついた〈冒険者〉が居なかったとは云えないし、おそらく、気がついた人間はにゃん太の他にも居ただろう。全てのハードルの中でも、料理はもっとも開けやすい扉だったとシロエは考えている。

 〈エルダー・テイル〉の世界に飛ばされた日本人プレイヤーが約3万人である。おおざっぱに考えて、その中に〈料理人〉が3%存在したとすれば、900人だ。900人のうち、この世界の身体ではなく現実世界でも普通の料理が作れる人数が半分居たとすれば、その数は450人。
 つまり、新しい料理法に気がつく可能性を持った〈冒険者〉は450人前後存在したと思われる。
 では、その450人の〈冒険者〉の内、実際材料を揃えて調理をした人間がどれほど居たか。システムキッチンのないこの世界で、新たに調理器具を買い込み、キャンプまがいの実験をする可能性は、“さほど高くない”だろう。かといって、絶無であるとは到底云い切れない。――つまりは時間の問題だ。
 〈大災害〉以降のどさくさの中で、1ヶ月以内にそこにたどり着く〈冒険者〉は何人ほどいるのか? 甘く見て、1/3。150人程度だったのではないかと、シロエは予測していた。

 そして、あの当時、アキバの街には日本サーバの約半分のプレイヤーが存在していた。考えを合わせれば、条件に適合する〈冒険者〉はアキバに75人ほど存在したということになる。

 にゃん太が、このサーバにおいて、アイテム作成の真実にたどり着いた『第1発見者』だったかどうかは判らない。しかし、最速グループの1人であることは確かだろう。その範囲が75人程度であれば、『第1発見者』だった可能性も低くはない。しかし、厳密な意味でそもそもシロエはそんなことには興味がなかった。

「じゃぁ、やっぱり博打だったのか?」
「いや、そうでもないですよ。――最初に気がつくことに、そこまで意味はないんですよ。〈軽食販売クレセントムーン〉を仕掛けたのは、三大生産ギルドにコネを作るためです。資金の方は、ハードルではありましたけど、さほど問題視はしていませんでした」
「そうなのかい?」
 意外そうなクラスティの確認にシロエは頷く。

「どうしてだよ? 資金が一番大事だろう。買い占めさえ出来れば、俺らを最悪、脅しても、会議は結成できる。そこがキンタマなんだからよ」
「いいえ。それはダメです。他に問題が飛び火するだけです。そもそも、資金の方は別の方法で稼いでも良かったんですよ。遅かれ早かれ、金は稼げました」
「どうやって?」
「どうやってでも、ですよ。……料理の作成は確かに新機軸でしたけれど、〈大災害〉で起きたもっとも大きな革命は『アイテムメニューとスキルの関係』と云う考え方です。そこさえ押さえておけば、多少時間はかかっても金は稼げるんです」
「それはそうだろうな」
 首をひねるアイザックにクラスティは説明する。

「料理以外の工夫も、あの時点でシロエ君は持っていたと云うことだろうさ。〈三日月同盟〉と組んでいたのなら、他ジャンルのスキル持ちもいただろう。つまり、料理以外に蒸気機関でも、服飾でも、他の発明でも良かったんだ。……プレイヤー本人が日常生活でも料理をしていて、〈エルダー・テイル〉において〈料理人〉である〈冒険者〉はそこそこの数居るだろう。料理は旧世界でも日常的に行なわれているからね。しかし、旧世界の地球で鍛冶や大工をしていた人間は多くない。確かに、料理はもっとも開けやすい扉だ。ほかのサブ職業では、なかなか気がつかなかったろうな」
「そちらのばれにくいサブ職業で金を稼いでも良かったし、他にも手はありました」
「ホントかよ」

 アイザックの言葉に、シロエは肩をすくめて、荷物から1枚の紙切れを出した。それを一瞥したクラスティはにやりと笑い、アイザックは呆気にとられた。

「借用書です。〈筆記師〉で作れるんですよ。これを持っていけば、銀行からお金を借りることが出来ます。50レベル程度のインクで、金貨3万は借りられるみたいですね。……もっとも借りてるだけなので、返済は口座から自動的に持って行かれるみたいですけど。ああ、そういえば、〈冒険者〉同士の契約書も作れますよ」
「マジかよっ!?」
「ええ、他にもいろいろ作れます。クエスト発行出来るのは知っているでしょう? 自分向けに高額クエストを発行すればいいんです。……まぁ、インクや紙の製造費と、とんとんの報酬しか発生しませんけれどね」
 シロエのけろりとした言葉に、アイザックは押し黙った。

「だから、お金を作ることそのものは、ハードルですが最大のものではありません。それと同様に、新しいアイテム作成の手法を“独占”することにも、意味はないんです。一番重要だったのは、〈円卓会議〉を成立させる事ですし、そのためには皆さんの同意を取り付けなきゃならない。
 協力してもらうのならば、利益を独占しすぎる事はデメリットにしかならないでしょう。皆さんの反感を買ってしまえば、〈円卓会議〉は成立しないし、成立したとしても全く別のものになってしまう。僕はアキバの街が好きなのであって、思い通りにしたかった訳じゃないんですから。
 もし仮に、僕ら以外の第三者のルートから料理方法の謎が漏れ出たとしても、それはそれで良いんです。痛手ではあるし後退ではあるけれど、致命的な失敗じゃないですよ。
 ――そんなことより、交渉時に亀裂になるような不信感をもたれる方が辛いことです」

 シロエの発言に、アイザックは声を失う。
 シロエが云ったのは、新技術を暴露したことも、ギルド会館を買収したことも、要は見せ札、ブラフでしかなかったという事だ。あれだけの切り札を、全て見せ札に使ったシロエに、アイザックは衝撃を受けている。
 しかし、シロエにとっては当然のことだ。他人の行動を屈服させることは出来ても、魂を鎖につなぐことは出来ない。納得が買いたければ、誠意を持って説得をすべきなのだ。

「同意を取り付けるためには、皆さんが納得出来る落としどころを提案する事。メリットを提示すること。多数派工作をして、形勢の雰囲気を作り出す事。……最後の一押しを出来る事。……あの会議で云えばルール作りと〈大地人〉の権利の重要さを皆さんに刻みつけられれば、その他のことは、全て交渉成立のためのテコでしかないです」

 シロエの言葉には真実もあったし、強がりもあった。
 あの時期、料理法の謎を解明していた〈冒険者〉は他にも居ただろう。しかし、その手法を他のサブ職業に敷衍(ふえん)していた〈冒険者〉は殆ど居なかったに違いない。シロエの考える限り、シロエと“西の納言”の2人のみである。
 技術がやがて広まることは、シロエの目には明らかだった。美味しい食事や新しいアイテムが広まるのならば、それはこの世界に生きていかなければならない〈冒険者〉の希望となる。誰の口から漏れたとしても、それは大差がない。シロエが望んだのは、その演出過程において、〈円卓会議〉を立ち上げることだった。

 それは――
「ミナミもそうだとは、云えないだろうな」
 シロエの思考をトレースしたようなタイミングで、クラスティが口を開いた。

 クラスティの言葉に、アイザックとシロエは小さなため息をつく。何が起きたわけでもない。正式な発表も連絡も一切ないのだ。それで居て、西日本――神聖皇国ウェストランデとの関係は、アキバの街にとっても日増しに大きな問題へとなりつつあった。



 ◆



 多少時間をさかのぼる。そのころ、街の別の一角では〈三日月同盟〉の女性達が、冬物衣料展示即売会の準備を進めていた。

 場所は白銀のホールとよばれる、新しく作られた講堂だった。旧地球では複合的な巨大電気量販店ビルがあった場所だが、この異世界のアキバにおいては、ご多分に漏れずそれは廃墟に置き換えられている。
 その廃墟を2ヶ月ほど時間をかけて、改装したのがこの白銀のホールだった。廃墟とは云っても、上部の階が“折れて”しまっただけで、基部は完全に残っているし、天井が高くホテルのような構造は、改装の難易度も低く好都合だったそうだ。

 木枠で形を作り出した後に、セメントを流し込み、表面を漆喰で整形する手法の開発により、廃墟のリフォームは随分と手軽になっていた。これも〈円卓会議〉成立後に現われた変化であり、速い速度で作業は進んだのである。
 〈冒険者〉には短時間でアイテムを作り出す能力や、精霊を始めとする現場労働力もあったこともプラスに働いた。

 白銀のホールの内部はいくつかの大広間、催事場に分かれている。秋の祭りにおけるメイン会場として考えられていたのが、この建物の中でももっとも大きな広間である1階ホールだ。そこでは、多くのギルドが販売ブースの最終準備をしていた。

 〈三日月同盟〉の服飾販売舞台も、そういった多数のギルドの1つとして、自分達のブースを飾り付けていた。
 ブースの広さは、5m四方ほどで、商品の納められた木箱と、会計用のテーブルを置けば余裕はさほどない。そこにチェストを改造した展示用の棚を並べ、肝心の出展物である草木染めのチュニックを吊してゆく。
 売り子をするのはマリエールほかにも服飾に携わるメンバー数人だ。助っ人として早朝から拉致されたアカツキは、そんなブースの片隅で、異常なほど張り切っているヘンリエッタに飾り付けられていた。

「アカツキちゃん、可愛いですわぁ。本当に! わたしメロメロになりそうですっ」
「もう、これで良いのに……」
 困ったような上目遣いで申告するアカツキに、ヘンリエッタはハートマークをきゅんきゅんと飛ばしている。しかし逃げようとするアカツキの言葉には、手首をしっかり押さえて「まだダメです」と冷酷に宣言をした。

 アカツキが着せられているのは、商品として展示されている、草木染めのチュニックブラウスだった。黒いアンダーシャツと、アシンメトリーのコットン巻スカートをコーディネートしてある。スカート裾のフリンジと、木製ビーズのネックレスがエスニック風で可愛らしいイメージで統一されている。

「せっかくですから、少し化粧をしましょうね」
「わたしはその、化粧は苦手で……」
「安心してください。――大丈夫ですわ」
 ヘンリエッタは、アカツキの視線の高さに合わせるように、フロアに膝をつく。アカツキは不吉な予感を感じて逃げようとするが、ヘンリエッタがポーチから出したライナーを引き始めれば、身がすくんでしまって逃げようがなかった。

 この〈エルダー・テイル〉の異世界において、女性の肌は現実世界のそれよりはるかに整っている。アカツキの実感によれば、化粧の必要など全く無いと云えるくらいだ。

 しかし、化粧というのは何も「必要」だけで行なわれるものではない。可愛らしくなりたい、綺麗になりたいという欲求は、本来天井知らずのものである。「充分きれい」であったとしても、それ以上を目指してしまうのは、女子の本能だ。
 アカツキとしても、別に化粧そのものを否定しているわけではない。旧世界にいた頃は、毎日に近いペースでそれなりにしていたし、化粧をする女性の気持ちだって判る。

 ただ、化粧をするのは、恥ずかしい。
 特にこの異世界において、自分の顔を鏡でしげしげと見るのは、なんだかナルシスト的な快美感を求めているようで、照れてしまう。

 元の地球ではなんの気無しにしていた行為だが、改めて考えると、化粧というのは相当に大それた行動に思える。ゲームだとすれば、それはテクスチャ変更と云うことではないか。別人に化けおおせるような話なのだ。
 だいたいアカツキは、そもそも元の世界にいたころから真面目に化粧をしたことはなかったのだ。グロスを塗っただけの唇は、縁の方がぼやけていたし、マスカラなんてつけたこともなかった。

「うー」
「アカツキちゃんは、和風美人ですからね」
「?」
 自分の化粧歴を思い出していたアカツキに、ヘンリエッタは優しく、しかし手早く作業を施してゆく。細い筆で唇の輪郭を引くヘンリエッタ。アカツキは抵抗も出来ずに身をこわばらせる。

「大丈夫ですよ。淡い化粧ですから、すっぴんとナチュラルメイクの違いも判らないような馬鹿な殿方には、効果抜群というものです。――それにアカツキちゃんは和風美人ですから、こういうエスニックな服装とか、カジュアルな服装には、雰囲気が少し硬すぎます。彩度を上げませんとね。髪の毛も、バレッタでまとめましょう」
 アカツキとしては、その言葉に頷くしかない。
 確かに見下ろしてみると、パターンの入った巻スカートはエスニック風というか、カントリー風で、自分の黒髪とは相性が良くないようにも思える。

 ヘンリエッタの指示に従って、懐紙を何度か唇で咥えると、余計な油が取れる。「うぅー。可愛うぃですわぁ」と眼を細めて、抱きしめてくるヘンリエッタ。
 そのような態度は、少し前までならマスコット扱いとして腹が立ったものだが、不思議とこの〈エルダー・テイル〉の世界では耐えられるのだ。

(馬鹿にされてる感じが、しないからかな?)
 それでも、居心地が悪くて少しもがく。ヘンリエッタは気がついてくれたのか、何度か髪をすくとバレッタで髪を留めて、解放してくれた。鏡で見せられた髪型は、いつもどおりストレートのロングヘアーだったが、バレッタでまとめられたせいか少しだけお姉さん風に見えた。
 こんな髪型は低身長の自分には似合わないと避けていたけれど、薄化粧と相まって、そう不似合いでもないかな? なんて感じてしまい、アカツキはつい頬が緩みそうになる。

(お姉さん風。……良い響きではないか!)

「どうです?」
「ん……。うん」
 アカツキは言葉に詰まる。嬉しい気持ちなのだが、それをはっきり言葉に出して認めてしまうのは、なんだか恥ずかしい。それに、自慢げに聞こえてしまったら、それはとても嫌だ。かといって否定的なそぶりを見せてしまえば、こんなに世話をしてくれたヘンリエッタに申し訳ない。
 もちろん、この化粧やコスチュームが販売およびショー用のデコレーションだったとしても、だ。

「お気に召しませんでしたでしょうか? ――可愛いですわよね? シロエ様」
「え、へ!?」
 しかしその躊躇いもヘンリエッタのその台詞を聞くまでだった。アカツキはまるで〈蛇目鬼女〉(メデューサ)に睨まれたように麻痺して、動けなくなってしまう。背中をぞわぞわはってくるのは「まさか」という不安感だ

「うん。良く似合ってると思うよ」
 背後から聞こえてきたのは〈記録の地平線〉ギルドマスターにして、アカツキの主君。丸眼鏡で鋭い視線を隠す黒髪の青年〈付与術士〉、シロエの声だった。

「いつか――」
「さっきから。僕も手伝いに呼ばれてたし」
 肩をすくめて続けるシロエに、アカツキは視線を合わせることも出来ない。口が変な形になるほどわなわな震えそうで、自分ではないみたいだ。
 そんな事情も知らないヘンリエッタは、「いかがですか、このコーディネイト」と、隠れようとするアカツキをぐいぐいと押し出してくる。
 アカツキは慌ててシロエの背後に回ろうとするが、ヘンリエッタに優しく押さえられると身動きが取れない。突き飛ばして逃げるのは簡単だが、それはあまりにも無法な行ないだ。

「くっ」
 結果として良いように見せびらかされるのを甘受したアカツキは、非難を込めてヘンリエッタとシロエを見つめる。アカツキ本人としては睨んでいるつもりなので、2人にとっては上目遣いに懇願しているようにしか見えないのが、玉に瑕だ。

「大丈夫だよ、アカツキ。ちゃんと似合ってる」
 頭の上にシロエの掌が置かれれば、たわいなく舞い上がってしまう己の体温が恨めしい。シロエとしては、条件反射か社交辞令の様な言葉なのだろうが、それでも嬉しいのだから、困ってしまう。

(む! 忍び失格だ!)
 必死に表情を作り直すが、今日はいつもほどの自信は持てなかった。

「僕は何をすればいいのかな?」
「シロエ様は、こちらの服を着ていただきますわ」
 ヘンリエッタの差し出した服を広げて肩を落とすシロエ。着心地が良さそうな服なのに、気に入らないらしい。アカツキとしては、良い気味だと思う。

(わたしを恥ずかしがらせた罰だぞ、主君)
 それに、いつも代わり映えしない服装だから、普段着のシロエも見てみたい。ひと声何か云おうかと口を開いたアカツキだが、その瞬間会場の外から涼やかなチャイムの音が響いてくる。
 一瞬静かになった周囲から、ため息を何百も束ねたような期待の声と、誰からともなく始めた拍手の音が弾けた。

 3人の所へやってきたマリエールも、嬉しそうに拍手をしている。――開場だった。この異世界で初めての、〈冒険者〉によるお祭り。そのメインイベントたる展示即売会で、あらゆる服飾品が、このホールには揃っている。

「さぁ、今日は誰がくるんかな! いっぱい売れるとええなぁ。……100着は作りすぎやったかもしれんけど。でも頑張ろうな」
「会場が開かれましたわ。シロエ様、アカツキちゃん。……半日の間、よろしくお願いします。ブースでの売り子と、ステージでのモデルですわよ。いっぱい売りましょうね!」

 嬉しそうな2人の笑顔に負けて、シロエとアカツキはこくこくと頷いた。

 天秤祭り2日目。その本番たる展示即売会の幕は、こうして切って落とされたのである。
初めて予約掲載機能なるものを使ってみる。
どうだろう? うごくかな?
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ