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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

アキバの街の日曜日

39/122

039

 シロエ自身は、自分の策士としての能力をそれほど高く評価していない。というのも、その能力によって導かれる勝率が高くはないからだった。

 外部から見れば、シロエが紡いできた戦績は華々しいものに見えるだろう。

 たとえば〈放蕩者の茶会〉時代、ギルドすら結成していない個人プレイヤー達に策を与えて、日本サーバーでもかなり早い時期に死霊が原(ハデスズブレス)大規模戦闘(レイド)攻略を成し遂げた。その功績は、事情を知るプレイヤーの間では非常に高い評価を受けている。
 『ラダマンテュスの王座』や『ヘイロースの九大監獄』等、サーバの歴史に残る大規模戦闘の先駆け争いを、規模的には弱小に過ぎない団体で行なっていた〈放蕩者の茶会〉は、ある種の伝説なのだ。
 また、〈円卓会議〉成立に関わる一連の事件も、知る人はシロエの手柄だと認識している。

 だが、それは、あくまで外部から見た場合の戦績だ。
 ここぞという大作戦において、特に事前情報や根回しが戦果に影響を与えるような戦場では、確かに軍師シロエの戦績は輝かしいものがある。
 しかし、シロエ本人から見れば、それは無数にある戦の一部でしかない。シロエが戦った中には、大規模でもなければ、事前調査が無意味な戦闘も無数にあり、そんな戦闘を統計に加えた場合、勝率はそんなに高くないのではないか? 本人はそう思っている。

(今日も、勝率、落としそうだよなぁ)
 先ほどからそこはかとない居心地の悪さを感じているシロエは、出来るだけ注意を引かないように努めながらそう考える。しかしそう云った希望は多くの場合、かなうことはないものだ。

「主君、そわそわしないでもらいたい」
「そうですよ。シロエさん。せっかく格好良いんですからっ」
「む」
「え? 格好……いいですよね?」
「主君は、主君だ。格好なんてどうでも良いのだ」

 しかし現実は無情である。
 自分を挟んで両隣に座る2人の少女がそれをゆるさない。

 右手に座るのは、年相応のほっそりとした身体に利発そうな雰囲気をまとった少女。〈記録の地平線〉の〈神祇官〉(カンナギ)、ミノリだった。
 今日はいつもよりも女の子らしい、デニム系のロングスカートにブラウス、ピンクベージュのカーディガンスタイルだった。少しお嬢様風に見えるが、世話好きのミノリには、よく似合っている。明かりに透けると深いチョコレート色に見える黒髪を、やはり黒いレースのリボンで留めているのも可愛らしい。

 左手に座るのは、シロエの古なじみ。良く判らない忠義心を持つ、自称忍びのアカツキだ。アカツキはいつにもましてつややかな黒髪を垂らして、いつもと全く同じ生真面目な上目遣いでシロエをじっと見つめている。
 いつもと違うのは、その衣装がダークトーン一色ではなく、藤色の小振袖に藍色の袴な事だった。女学生のような装いは、猫じみた美少女のアカツキには、はまりすぎるほど似合っている。

 アカツキは100人に聞けば100人が美少女だと答える可愛らしい少女だったし、ミノリといえばこれもまた将来が楽しみな娘である。この状況は、いわゆる両手に花であると云っても良いだろう。

 しかし、その2人に挟まれたシロエの表情は優れない。
 何がどうして、とか、どういう理由でとか、明確な説明は出来ないが、居心地の悪さだけは本当なのだった。

 ここは、アキバの街の殆ど中心部。大交差点につくられた特設カフェだ。2人の少女の要請にしたがい、それを100%叶えるためにシロエはここに座っている。

 アカツキとミノリが無料のケーキバイキングを楽しみたいと云い出した後、シロエはそのバイキングについて調査をしてみた。ケーキバイキングは予選という名の通り、複数回開かれる。時間をずらしてアカツキ、およびミノリとそれぞれ一緒に行くことは可能だろう。
 しかし、シロエ自身としては、1人で2回も無料のイベントにチャレンジするのは、気が引けた。いくらお祭りだとは云え、それでは試食コーナーの試供品を全部食べてしまう子供のようではないか? そう考えたシロエは、一計を案じる。

 アカツキとミノリがケーキを楽しみたいというのならば、3人で出場すれば良い。2人で8個食べるのがノルマだというからには、3人で12個食べれば問題ないだろう。

 幸いにもこのケーキバイキングを主宰しているギルド〈ダンステリア〉のギルドマスターは、〈円卓会議〉で何度か交渉を持ったことがある。たしか、ヘンリエッタとは随分仲が良いという、職人肌の女性だったはずだ。
 許可を得に行くと、〈ダンステリア〉のギルドマスターである加奈子女史は、シロエを歓迎してくれた。にこやかな歓迎はもちろんシロエが〈円卓会議〉の委員であることに起因するのだろうが、シロエとしても不都合はないので、遠慮せずに許可を求めてみる。

 同じギルドの少女2人と参加したいのですが、12個で手を打ちませんか? と云う話だ。最初はびっくりした加奈子女史は、細い目をさらに細めて、根掘り葉掘り事情を聞いてきた。ふれて回るほどのものでもないが、隠すまでもないと、シロエは正直に答えてゆく。〈記録の地平線〉はいたってアットホームなギルドを自認しているのだ。
 その結果、非常ににこやかなギルドマスターは3人での出場を承認してくれた。訳知り顔の笑い方に引っ掛かりを覚えないでもなかったが、自分に都合が良い分にはいくらでも無視できる程度の疑問だ。こうしてシロエは、特別に3人でケーキバイキングをする権利を与えられたのである。

 と、云うわけでシロエ達3人は、オープンカフェでケーキの到着を待っているのだが、シロエは早くも軽く胃が痛いような感じになってきていた。

 まだ一口も食べていない以上、ケーキの胸焼けではないと思われる。

 普段は仲が悪いわけでもないミノリとアカツキが、微妙に緊張を孕んでピリピリした雰囲気を放っているせいだろう。
 3人で食べに行けるから安心すべし! と念話で報告をしたとき、ミノリはともかく、アカツキは微妙な声色で返事をしていた。忍びの忠義道に何らかの理由があるのだとは思うが、その辺り、シロエにはよく判らない。
 一方で、ミノリは張り切っている。さっきから明るくシロエに話しかけてくるのだが、気合いが入った前向きな態度で、びっくりするほどだ。普段からがんばり屋さんのミノリが、そうやってケーキを楽しみにしているのは、中学生らしくて可愛いな、とシロエは思う。
 しかし、アカツキはアカツキで、袴をいじりながらもちらちらとシロエを窺っていて、どこからかやけに実戦的な飛び道具(クナイ)等を取り出したりするので、先ほどからシロエは2人のそれぞれをいさめるのに大変なのだった。

 周囲を見渡せば、20組ほどの男女がそれぞれの小さなテーブルでにこやかに話している。
 雨も上がった10月の夕暮れ前は風も涼しく、オレンジ色のランプの明かりで照らされたオープンカフェは、和やかな雰囲気だ。どこかの〈吟遊詩人〉が奏でているのか、地球世界のちょっと古びた流行歌が風に紛れ込んで、耳に懐かしい。

 席に座っている2人組は、ほとんどがカップルなのかな、とシロエはぼんやりと考えた。

 〈大災害〉が起きてからもう5ヶ月がたつ。たしかにここは異世界ではあるが、他人が恋人に進化するのには充分な時間なのかも知れない。
 頭の片方では、おいおい、いままでどれだけ大騒ぎの5ヶ月だったんだよ。そんな暇有るわけ無いだろう、非常時なんだぞ! というつっこみのあるシロエだったが、反対側の片方では、いやいやこれだけスリルとサスペンスの世界なのだからこそ、若い2人達の恋は燃え上がるのでは? という逆方向の声もある。

 シロエ自身、恋愛には疎く、はっきりとした彼女が居たことはない。
 だから「こういう場合でも恋は有りだ」とも「無しだ」とも答えは出せないのだが、そこはそれ、良い意味で他人のことである。当人同士が幸せならば、それで良いのではないかと結論した。
 カップルというのは、見ている分には微笑ましいもので、シロエとしては嫌いではない。構ってくるとうるさくも感じるが、離れて眺める分には、良いものだ。だから、このときもシロエは、ぼんやりと彼らを眺めていた。

「主君。主君っ」
「あ、えっと。ごめん。どうしたの、アカツキ?」
 アカツキの方に向き直ると、今日はいつもよりずっと落ち着きのないアカツキがもじもじとしながら、「何を惚けた顔をしている、だらしない」と云ってきた。
 反対側ではミノリが「そうですよ。気合いですよ!」と云ってくる。シロエとしては、ケーキバイキングで気合いも何もないと思っていたのだが、そう答えようとしても、ミノリの真面目な表情に言葉が途切れてしまう。

 ミノリ自身は十分に気合いが入っているようなのだ。
 胸の前で小さくガッツポーズをする仕草は、何かのキャラクターのように可愛らしい。可憐な表情を精一杯に真面目にして「頑張りましょう!」という姿は、威厳があると云うよりも背伸びをした印象で、シロエとしては激励されると云うよりも、微笑ましい気持ちになってしまう。
 本当に謎である。

「えーっと……」
「むぅ」
「アカツキ先輩は、和服素敵です」
 言葉を探していると、ミノリがそう切り出してくれた。助け船と言うわけではないだろうが、シロエとしては話題を振ってくれて助かる。

「確かに、すごいね、それ。和装なんて珍しいけど、アカツキどうしたの?」
「似合わないかな?」
 困ったような、それでいて虚勢を張るようなアカツキの表情に、2人は「そんなことはない」と声を揃える。淡い藤色に桔梗を散らした和服は落ち着いた柄だったが、小柄なアカツキが着ていてもあつらえたように似合っていた。普段は無口で小動物めいた美少女だが、こうして和装をしていると別格の華やかさがある。

「アカツキ先輩は和装、とても似合いますよ」
「そつ……」
「卒業式みたいだとか云うな」
「う」
 アカツキに機先を制されて、シロエは言葉に詰まる。そんなシロエを睨んだアカツキは「主君とは云え蹴るぞ。膝で」と呟いたが、シロエとミノリが「本当に似合っている」と連呼すると、ようやく機嫌を直したのか、許してくれた。

「ミノリも似合ってるよ」
 というと、中学生の少女ははにかんだように微笑んだ。
 そのコーディネートは、五十鈴が選んだらしい。ブラウスやカーディガンのひとつひとつについて、どこで購入したのか、いくらくらいしたのか、選ぶときにどんな風に五十鈴が云ったのかを細かく説明してくれる表情は楽しそうだった。始めは身を固くしていたアカツキも、だんだん興味を覚えてきたのか、シロエの袖をつかんだまま話を聞いている。

 そんな様子にシロエとしてはようやく少しだけ安心する。

(女の人が絡むと、全く当てにならないんだよなぁ。下調べも戦略も)

 〈放蕩者の茶会〉の時もそうだった。たとえばナズナや詠といった女性冒険者が関わった案件や相談事などは、どれだけ下調べをしようとどれだけ根回しをしようと、なかなか上手い結果には辿り着かなかったのである。
 かといって、大きなトラブルになるかと云えばそんなこともなく、いつの間にかうやむやになったり問題自体がなかったことになっていたりと、軍師としてははなはだ情けない結果になることが殆どだった。

(《彼女》だけは違ったけどな)
 とシロエは思い出す。
 《彼女》は〈放蕩者の茶会〉の創設者であり、一応リーダーだった。「一応」とつくのは、〈放蕩者の茶会〉は自由者の集団であり、かつ、基本的に自分の面倒は自分自身で見られる参加者しか居なかったからだ。
 にゃん太の言葉を借りるならば、「全員が自分たちの居心地の良い居場所のために何をしなければならないかを理解していた」事になるのだろう。だから、普通の意味で、リーダーは要らなかったのだ。
 それでも彼女がリーダーだったのは、〈放蕩者の茶会〉で一番我が儘だったということに過ぎない。〈放蕩者の茶会〉はある意味ではいつも彼女に振り回されていた。

(アイスランドの白夜が見たいとかさぁ。ひどいこと平気で云い出してたよな、あの女性(ひと)……)

 《彼女》の我が儘はワールドワイドだったので、シロエの戦績は低下する一方だった。「曖昧な結果」や「うやむやのうちに」等と云うことはなく、実行玉砕がほとんどだ。希望者全員を引き連れて欧州サーバーまで遠征したが、クエストアイテムを喪失して、オーロラゾーンに入れなかったときは、本当に疲れた。シロエが苦労性になるのも、故無いことではない。

 それに比べれば、アカツキやミノリのリクエストなんて可愛らしいものだった。このままで行ければ、2人の願い事も叶えられるかな、なんてシロエは思っていたのだった。



 ◆



「わぁ、美味しそう!」
 ミノリが目を丸くしている視線の先では、給仕が始まっていた。シロエ達のテーブルにはまだだが、いくつかのテーブルには愛らしいショートケーキが運ばれてくる。イチゴの色も鮮やかで立派だ。

 もとの地球の洋菓子店に比べれば、華やかさは及ぶべくも無いと、〈ダンステリア〉のギルドメンバーは謙遜していたが、見た感じそんなことはないだろう。見た目だけではなく甘い香りがふわりと広がるのも食欲をそそった。

「主君、主君。なかなか期待させるな」
「綺麗ですよね、良いですよね!」
 はしゃぐ左右の少女に挟まれて、シロエとしても少しだけワクワクしてくる。慌ただしい一日を送ったせいか、あの程度のケーキの4つは、簡単にぺろりと行けそうだった。それはミノリとアカツキも一緒なのだろう。3人は3人とも、みじんも完食を疑っていなかったのだ。この時までは。

 お仕着せのコスチュームを着けたウェイトレスが給仕を行ない、殆どのテーブルには何種類ものショートケーキが並んでいた。いよいよシロエ達のテーブルの番になると、満面の笑みを浮かべたギルドマスターが直々に銀のトレイを提げて現われる。

 そのトレイにはホールのケーキが載っていた。イチゴ、杏、ショコラにチーズ、カシスヨーグルトにアップルパイ、少し早いモンブラン。

 12個のケーキ。
 しかし、それは、12個のホールケーキだった。

「?」
 不思議そうな表情のミノリ。しかし、アカツキは早くも引きつった表情になっていた。

「これは……」
 目線で問いかけるシロエに、〈ダンステリア〉のギルドマスターは満面の笑みで答えた。

「当ギルドからのサービスでございます」
「いえ、でも多すぎな気が」
「心づくしでございます」
 笑顔で押し切られ、小さなテーブルの上には、次々とケーキが盛られていく。最初はアップルパイだ。ウェイトレス姿の〈大地人〉少女が「お取り分けしますね」と切り分けてくれる。8等分すれば見覚えのあるいつもの三角形になる円形は、まさにホールサイズだ。

 もちろん、そんな量のケーキが喫茶店サイズのこじんまりしたテーブルには載るはずもないので、急遽運ばれてきたワゴンがテーブルサイドに鎮座し、ホールケーキが満載されている。8種については他の参加者と同じケーキなのだが、4種は追加されたのかスペシャルな出来で、トッピングされた飾りには女性2人を左右においた男性の小さな砂糖菓子人形が飾られたりしている。

「シロエさん」
「主君」
 もちろん2人の少女も、目の前に切り分けられたアップルパイを見ながら、引きつった表情をしている。もちろんこのアップルパイは美味しそうで、この程度のサイズ4つ程度だったら、シロエは確実に食べきれる自信があった。もし2人が女の子らしく「もうお腹いっぱい」というのなら、1つずつ引き受けて計6個を食べる覚悟だってある。
 女性がそうやって小食を装うのは擬態だと《彼女》が教えてもくれていたのだが、《彼女》が女性の全てだと思うにはシロエだって若すぎた。

 とはいえ、ホールサイズなのだ。単純に考えて量が8倍になったと云える。しかし、8倍という数字以上のインパクトが、目の前の円形ケーキの乱舞にはあった。

「とりあえず、1個食べようか?」
 時間稼ぎ以外には何の目的もない場当たり的なシロエの発言で、パイを食べ始めた3人。美味しい。たっぷりと用いられた林檎の爽やかな甘さと、幽かなシナモンの香りが心地よい。しっとりしんなりとした林檎を味わううちに、あっさりと1切れ食べてしまった。

 これはもしかして――と甘い期待を抱きかけた時、シロエの前には残り5/8となったアップルパイが置かれる。
 置いた主は、アカツキである。

「なんでさっ!?」
「主君に対する給仕だ」
「給仕って云ったって丸ごとじゃんっ!」
「あ。すみませんっ。わたし切り分けますっ」

 そういう話じゃないのに。とミノリを制止しようとした瞬間には、すでにミノリは立ち上がり、中腰になってアップルパイをナイフで器用に切り分け始めていた。中腰になったミノリが真剣な表情でナイフを滑らせる度に、黒いリボンで留めた髪がシロエの耳の辺りに揺れて、かすかに甘い香りが立つ。

 ああ、中学生でも女の子なんだな。と考えていると、カフェのあちこちから、死んじゃえ。ロリ許すまじ。もげろ。腹ぐろもげもげ。等という呟きが聞こえてきた。
 きょとんと不思議そうなアカツキ。その横に視線を滑らせれば、デコレーションケーキには「2人はずるいぞ」「ロリコンもげろ(ハート)」と下手くそな文字で書かれている。

(あ~っ!?)

 シロエはこの時点になって始めて正確に事情を把握したのである。
 地雷原。
 把握した瞬間、脳裏に浮かんだ言葉はそれである。シロエ達3人は周囲からの誤解という地雷がばらまかれた地雷原にいるのだ。シロエの評判はもとより、彼の大事なギルドメンバー2人も同様の偏見の対象になっている。

(まずいぞ、これじゃ2人まで巻き込まれてるぞ。これで軍師扱いされているんだから情けない……。とにかくこのカフェでは目立たず、騒がず、傷口を最小限にして撤退し、態勢を立て直さないと……)

 脳を高速回転させ善後策を検討するシロエ。
 誤解がどこまで広がっているか判らず、この事態の始点がどこにあるのかも不明という状況下では、事態把握は出来ても掌握に至ることは出来ない。その意味では管制戦闘モードにも移行できないシロエに、アカツキは、フォークをつきだした。

「主君、ほれ」

 その先端には、一口大に切った可愛らしいアップルパイが乗っている。

「僕が食べるのデスカ?」
 こくりと頷くアカツキに、残り全部押しつける気か! と、突っ込みそうになるが、黒眼がちな瞳でじっと見つめられると、何も云い返せなくなる。いつもは飾り気のないアカツキなのに、今日は桔梗を模した髪飾りなんてつけているから、なおさらだった。
 気まずさを堪えて口をへの字にするシロエに、アカツキは怪訝そうに小首をかしげると、右手に持ったフォークをさらにつきだした。

「食べろ主君」
 そう差し出してくるが、シロエ的に、それは大問題だ。

 フォークを差し出されて食べさせてもらうのは、世間的には「あーん」と云われている行為だ。今のアカツキのまじめくさった仏頂面をみれば、それが好意に端を発する物ではないことは明らかだが、周囲はそう理解してくれないだろう。

 このままいけば、ロリの汚名を受けることになってしまう。
 そんな地雷を踏むようなマネをすれば、片足どころか下半身を失いかねない。ただでさえ周囲の視線が痛いのだ。ここはオープンカフェで、祭りの初日の目玉イベントと云うこともあり、道を行く人からじろじろ見られているという実態もある。

「ほら、こぼれてしまう」
 しかし、とろりと流れかける切片を、無理矢理つきつけられれば受け入れるほかない。周囲から零れるくすくすという小さな笑い声や、指を指す姿が脳裏に浮かんでしまい、シロエとしては穴があったら入りたい気分だ。

「シロエさんっ」
 振りかえれば、瞳をきらめかせたミノリまでもが、やはり黄金色のパイを小さな欠片にして、シロエに差し出して来るではないか。5つも年下の純真な期待の視線を受けてしまえば、シロエとしても邪険に扱うことは出来ない。

(いくら何でも、2人とも状況読めてなさ過ぎだろっ。今は撤退の時期なんだってばっ。どんな晒し者だよ、これっ)

「美味しいですか?」
「無論だよな、主君」
「いや、美味いには美味いけどさ。……そういう話のレベルじゃないでしょう、これ」
 そう言いかえしてはみるが、周囲の2人組もやはり「あーん」なるものを繰り広げていたりする。薄々そうじゃないかとは思っていたのだが、こうして現実を目の当たりにすると打ちのめされるシロエだった。
 アキバの街というのは、シロエが思っている以上に恋に満ちているらしい。

 くすくす笑いさざめく声も、その多くはシロエ達に対する嘲笑と云うよりは、ただ単純に恋に落ちた2人のじゃれ合う睦言だと思えば、まだ救われるか――とシロエは自分を慰めたが、もちろんそんなことで問題が解決するはずもない。
 現実というのは、小さな1歩を際限なく繰り返すことで前に進むのだ。目の前にうずたかく積まれたケーキはまごう事なきその象徴だった。



 ◆



 現実と云うものが、挑戦さえすれば超克できるものではないように、当然ながらシロエ達の挑戦は失敗した。3人でカットケーキ12個であれば、それは可能性のあるチャレンジだが、ホールケーキ12個ともなれば桁が違う。胃がマジック・バックで出来ているのでもない限り不可能だ。

 3人でずいぶんがんばったのだが、それでも18個、つまりホールケーキ2つとちょっとを食べるのが限界だった。シロエはそのうち9つを担当したので、正直に言えばもう気持ち悪くて動きたくはない。

 ケーキバイキングという戦いに敗れた3人は、すごすごと自分たちのギルドハウスまで戻ってきたのである。もちろん完食出来なかった以上、無料というのも無しになるわけで、シロエはホール12個分のケーキ代金を支払うことになった。

 時間的には、おそらくそろそろ20時という程度だろうか。
 シロエは、ギルドハウス3階のテラスでくつろいでいた。より正確に言うならば、お腹が重くて動く気になれないでいたのである。
 本来であれば、ケーキを食べたあとはお祭りを冷やかしてぶらぶら散歩をする、などというような心積もりでいたのだが、ミノリとアカツキはともかく、シロエのほうはケーキの重量がそのまま内臓にかかったようでヘロヘロ。とても散歩できるような状態ではなく、ギルドハウスに戻ることになったのだ。

 ダイニングエリアの黒板によれば、にゃん太も直継も祭り見物。五十鈴とルンデルハウスにいたっては「わんこの散歩っ」と書かれている。きっとデートに行ったのだろう。
 それを簡単に確認したシロエは、こうしてテラスへ出てくると、シダーウッドのベンチに一人で転がっている。
 沈没しているといってよいだろう。

 とかくこの世はなるようにしかならないわけで、今日のシロエは黒星だった。

(これだから下調べなんて、当てにならないんだよなぁ)

 考えてみれば〈ダンステリア〉のギルドマスターもやけにニコニコしていたわけで、あの時からすでにホールケーキで出迎えるつもりだったのだろうと、シロエはあたりをつけた。
 たしかに両手に花の体制で挑戦することになったけれど、べつにそういう関係の3人ではない。そこまでやっかまないでも良いではないかと思う。

(だいたいアカツキとミノリの2人と行っただけでホール12個ってどういう計算だよ。……あ、そっか)

 思いついたシロエは念話でソウジロウに、ケーキバイキングをお勧めしておいた。オープンカフェは明日も時間をずらして無料試食会(バイキング)を行なうはずである。ハーレム体質の元同輩、ソウジロウであるならば、あのイベントを満喫してくれるに違いない。
 念話で話すソウジロウは、ギルドメンバーとお祭りで時間を過ごしているようだった。会話の内容自体は聞こえないが、ソウジロウとの会話の背景で、女性らしい幾つもの声が聞こえる。いつものことだが、ソウジロウは沢山の花に囲まれているらしい。
 ソウジロウはシロエのバイキング紹介に何度も礼を云っていた。シロエとしては素直な彼の態度に良心の疼きを感じないわけではないのだが、自分のように善良なエスコート役が二股的な誤解を受けてホールケーキ攻撃を喰らったのだ。正真正銘本物のハーレム主催者は、それ相応の扱いを受けるべきだということで納得する。
 念話機能をオフにしたシロエは、少しだけ溜飲が下がったような気分で、ベンチの背に体重を預けて、天を仰いだ。

 シロエたち〈記録の地平線〉がアジトにしているビルは、一風変わった特徴がある。ビルのフロアを貫いて、古代樹が屋上まで突き抜けているのだ。ビルの上で大きく枝を広げた古木は、その梢の中にシロエたちの生活空間をすっぽりと包み込んでいる。
 シロエがいまいるテラスからも、夜風にさやさやと揺れる緑の葉の連なりが見えるのだ。

 眼下には祭りのためか普段よりも、多くの明かりが灯された大通り。もうとっくに日が暮れていたが、あちこちの商店から漏れるオレンジの光や、街頭にぶら下げられた光明灯のおかげで、緑のコケに覆われた歩道も、リボンが張り渡された木々の枝も、見下ろすことが出来る。
 〈記録の地平線〉のギルドハウスも、控えめながら、緑のリースと、オレンジのリボンで飾り付けられている。おそらくミノリとトウヤがやったのだろうが、お祭り仕様だ。

(最近ギルドの方、面倒みれてなかったものなぁ)

 ソウジロウとの念話を終えたシロエはそんな事を考えていた。
 通常であれば、ギルドの運営こそが、ギルドマスター最大の役割だ。自らのギルドを掌握して、メンバーの便宜を図ったり、行動計画を立てて引率をしたりするのが、期待されているギルド運営の業務である。

 しかし〈記録の地平線〉には他のギルドとはいささか異なる事情があった。

 まず第一に人数だ。〈記録の地平線〉構成人員は現在8名。〈エルダー・テイル〉における標準的なパーティーは6人である。そのため、8名というギルドメンバーでパーティー編制を行おうとすると、どうしても2人はお留守番と云うことになってしまう。
 また、〈記録の地平線〉メンバーはレベルにかなりの開きがあり、しかも2つのレベル帯に分断されている。シロエ、直継、にゃん太、アカツキの年長組は90レベルだし、ミノリ、トウヤ、ルンデルハウスと五十鈴の年少組は、現在40レベル付近だ。
 この2つのレベル帯でパーティーを編成しようとすると、なかなかに難しい。

 ごく普通のギルドであれば、高レベル組は高レベル組、低レベル組は低レベル組と別れて行動することが多くなってしまうだろう。それが自然な流れである。
 しかし、〈記録の地平線〉の高レベル組は、面倒見の良いベテランばかりだった。師範システムを用いて、低レベルに合わせるのを苦にしない者ばかりということもあって、今のところ日常の冒険は、低レベル帯を主体にして活動を行っている。

 また、引率という観点に立っても、人材がそろっていた。
 にゃん太は低レベルの指導をするのに必要な、ユーモアや忍耐を備え持つ理想的な大人である。本来ギルドマスターが率先して勤めるはずの、低レベル冒険でのお守りを完璧にこなしてくれて、本人もそれを楽しんでいるようだった。
 また、直継もその適性があった。彼の場合はにゃん太よりも相当におおざっぱであり、大人数の引率に向いているようだ。〈三日月同盟〉からも新人がやって来る3パーティー合同の遠征狩りなどが企画されると、他のギルドの新人から最も慕われているのは直継であったりする。
 アカツキもまた、口べたで人見知りな所はあるものの、新人達の引率を苦にすることはまったくなかった。新人が狩りに出かけて、獲物を倒し、帰ってくる。その間、新人達はアカツキの姿を一回も見ることはないが、アカツキは新人達をずっと監視して高レベルモンスターから護るなど――彼女は彼女なりのやり方で、そんな引率を楽しむのだった。

 つまり、〈記録の地平線〉においては、他のギルドでギルドマスターが行わなければならないとされる、引率や狩りの企画などの業務を、代行できる人材が揃っていたのだ。だからこそ、シロエは〈円卓会議〉の仕事にかかりきりになることも出来たわけだが。

 しかし、ギルドマスターの業務を委任するのは、日々の運営という視点で見れば支障は無いかも知れないが、ギルド内の人間関係という意味では問題が無いとは云えない。
 思い出してみれば、新人組と過ごす時間は、高レベル組のなかでシロエが一番短い。もちろん、ギルドハウスでの夕食などは、時間を合わせて親睦を深めたりはするわけだが、シロエ本人も、特にルンデルハウスと五十鈴から『うちのギルドマスターは引きこもりの怠け者なのじゃあるまいか?』という疑問の視線を感じることもあり、何とかしなければと考えていたのである。

(ギルドマスターの貫禄って云う意味だと、直継とかにゃん太班長に負けてるからなぁ……。ソウジロウだって、ああやってハーレムの……。じゃなくて、ギルドの指揮を執ってるわけだし)

 微妙に寂しい気持ちになってしまうシロエ。もちろん、望まれている役割の全てをこなすことは出来ないし、適材適所の結果こうなっているわけだが、〈記録の地平線〉のメンバーともっと過ごさなければならないとは、日頃感じていたのだ。
 アカツキやミノリがわざわざシロエを引っ張り出そうとしたのも、そういう理由なのかもしれないな、などとシロエは考えるのだった。

(今回の祭りは良いチャンスかもな。〈円卓会議〉のことは……放置は出来ないけれど、そこそこに切り上げて。みんなと一緒にいる時間を作らないと)

「主君」
「っ!」
 そんな細かいことを考えていたシロエは、間近からかけられたさほど大きくもないアカツキの声に飛び上がるほどびっくりしてしまう。

「どうしたんだ? アカツキ」
「別にどうもしないのだが……」
 アカツキは先ほどまでと同じ、あでやかな和装のままでシロエの隣にちょこんと腰を下ろす。10月の涼しい夜風がそよそよと頬をなで、街からはゆっくりとした弦楽器の音が響いている。

「音楽が聞こえる」
「ああ。うん。――たぶん|〈第七鼓笛隊〉《7thマーチングバンド》じゃないかな。夜は演奏会をするって言ってたし」
「そうか」
 アカツキはベンチに腰をかけて、足を伸ばした。低いベンチは、身長の低いアカツキが腰を下ろしても、足を投げ出すような格好になる。渋い藍色の袴からつま先を覗かせて、足首を左右に小さく振っていたアカツキに、シロエはたずねた。

「なんだか静かだね」
「私はいつでも静かだ」
「そうだけどさ」
 シロエはアカツキを窺う。
 肌寒いような温度になってきたわずかな風の中で、アカツキはいつものように考えが読めない表情で遠くを見つめていた。

「主君」
「ん?」
「主君は……。その」
「うん」
 アカツキの言葉に、シロエは丁寧に返事をする。小さな友人が、言葉は少なくても、いろいろ気を使う性質(たち)だということは判っているから、先を急かしたりはしなかった。

「ケーキは苦手なのか?」
「……」
 苦手なのか? なんて、「苦手だから食べきれなかったのか?」みたいな文脈で云われても、困る。9つも食べたのだ。シロエとしては十分に健闘したと思っていたのだが、もしかして勘違いだったのだろうか?

「それとも楽しくなかったか?」
「そんなことはないよ。それより、ごめんね。決戦だっけ? 出れなくて」
「それはいいのだ。わたしは興味ないからな。興味があったのは、ミノリの方だ」
「そうなのか」
 ミノリが何でそんなものに興味があるのかは判らない。まぁ、必要があるのなら自分から云ってくれるだろうとシロエは考える。ミノリという少女は、年齢こそ15だが、自分よりも責任感があるというか、面倒見がよいのだった。

「でもさ」
「ん?」
「ケーキはあんなもんでよかった?」

 シロエの方を向き直ったアカツキが、まじまじと見つめてくる。小さな顔の中で、印象的な黒い瞳が濡れたように、それでも温度を伝えることなくじっと凝視してくるのは、美少女だけに切迫感があった。

「わたしは……。わたしだって、別にケーキが目当てじゃない」
「そか」
「……」
「主君と一緒にいると、話が続かない」
「そんな事言われてもなぁ。だいたい、アカツキが無口なんじゃないか」

 もとより、アカツキは口数の多いタイプではない。
 2人でいて、会話が続かないこともある。初めの頃はそれが気詰まりで、シロエから何くれと無く話題を振ることもあったが、今では、こうして無言でいることも平気になってきていた。シロエが事務仕事を片付けている間、アカツキが身辺護衛と称して部屋で気配を消していることも多かったせいだろう。

「そんな事はない。わたしは話題豊富だ」
「じゃ、何か提供してよ」
「む?」
「話題をさ」
 アカツキは、口をへの字にしたまま黙ってしまった。
 視線が右の方へふらふら、左の方へふらふらと彷徨う。
 もしかしたら困っているのかもしれない。悪いことをしたかな。シロエがそんな風に考え始めたとき、アカツキは散々躊躇った後、口を開く。

「こうすると、楽しいぞ」
 アカツキは奇妙な形に開いた口を落ち着き無くわななかせていたが、シロエのおでこに白くほっそりした指先で触れた。

「そんなの楽しいの?」
 こくこくと頷くアカツキ。
(これも、アカツキ的な主従のロールプレイなのかなぁ……。なんか、本当に勘違いというか。いや、僕も時代劇とか見ないから判らんわけだけど)

「そっか」
 大きく風が吹いて、梢が潮騒のような音を立てて、夜闇の中で揺れる。涼しい風と静寂の中に薫る緑。シロエは、アカツキに何度も軽く触れられているおでこを見上げる。アカツキは、口をへの字にしたまま、無心におでこを撫でている。何が楽しいかさっぱり判らないが、聞いても仕方ないのだろうと、シロエは思う。

「こんなので良いの?」
「主君の大事な仕事だ」
「そういうもんなのか?」

 アカツキとは長い時間を過ごしてきた。
 〈大災害〉の後の混乱、幾つもの戦闘、ススキノへと向かう旅、〈円卓会議〉の成立、エターナルアイスの古宮廷での政治劇と、リ=ガンとの対話。そして、チョウシ攻防戦と、ルンデルハウスの蘇生。
 その全てに、アカツキは文句ひとつ云わずに付き合ってくれた。アカツキのフォローがなければ、切り抜けることが出来ない戦場もあったと思う。

 シロエはそれらの全てを思い出しながら、あでやかな和装の少女の可愛らしい蹂躙を受け続けていた。
誤字が急速に減っているわけではなく監修者様の手柄なのです。
スゴイなり、やっぱシステム大事だ。
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