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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(下)

34/129

034

「はぁ……っ。はぁ……っ」
 荒い呼吸を整えて、〈バッグ〉から取り出した水を飲み込む。
 へたり込むほどに疲れている小竜をカバーするように視線を走らせる直継は、これはなかなかの危地だな、と苦く笑った。

 直継、にゃん太、小竜、レザリックは今、海岸線から少し離れた松の根元で小休止をとっている。だが休憩になっているとは言い難い。
 午前から始まった戦いはもはや4時間にわたって続き、ギラギラと照りつける夏の太陽の下、過酷な連続戦闘となっているのだ。

 直継達の小休止は三回目だが、前の2回も10分とは取れていない。〈水棲緑鬼〉(サファギン)達の目標とする上陸ポイントは数多く、〈冒険者〉は少ない。必然的に、冒険者達は上陸ポイントをかけずり回るような戦い方をする事となるが、少ない人数で効果的に防御網を機能させるためにはパーティー間の連携が不可欠だ。一か所に冒険者が集まれば、必然的に空いてしまう「穴」からサファギンが侵入してきてしまう。

 そうなれば、彼らの背後は即チョウシの町なのである。
 もちろん町長に依頼して全ての〈大地人〉達は街の中でも防御が固いと思われる建物に避難して貰っているはずだし、若い男達は武器を持って戦いの準備をしているだろう。
 しかし、それでも、こんな城壁もないような町の住人に過ぎない彼らが、サファギン相手にどこまで抵抗できるかと云えば、蹂躙されるまでの時間稼ぎにしかならないというのがその解答だ。

 目の前の波打ち際では、新人達のグループ三つが戦いを繰り返している。確かに、90レベルである直継の目から見れば、拙いところは多々あれど、それは勇戦と呼ぶに相応しい戦いだった。

 だがそれでも、中レベルの悲しさ。彼らの防御陣は時にほつれ、破られそうになる。

 それは仕方のない事だ。直継達とでは、技の威力も射程も違いすぎる。直継達が当然のように所持している、高レベルのマジックアイテムを所持していない事も大きい。

 〈エルダー・テイル〉には「アイテムロック」と呼ばれるシステムがある。高位のマジックアイテムは、取得したときに「常備化」(ロック)することが出来るのだ。ほとんどの高位マジックアイテムは、装備するために常備化が必要である。そして常備化されたアイテムは常備化した〈冒険者〉以外は使用する事が出来なくなる。
 アイテムが調整されて自分専用になると云えば、イメージに合うだろうか。常備化されたアイテムは転売する意味が無くなるために盗難されにくくなるし、死亡した場合も失われる事がない。また、秘められた能力を解放する事もある。

 直継達90レベルに達した〈冒険者〉は、通常のギルドのプレイヤーであっても数個の高位マジックアイテムを所持している。シロエのようなハードな冒険を行なうベテランプレイヤーは、数十個の高位アイテムに、伝説的なアイテムさえ所持しているのが普通だ。

 これらのマジックアイテムはただ単純に高性能の武器や防具であるだけではなく、独自の特殊な能力を備える事もあり、中には、所持者の「特技」の性能を書き換えるものすらある。

 直継で云えば、彼の使う魔剣「ケイオス・シュリーカー」がそれにあたる。この武器はモンスターを逆上させる効果がある特技〈タウンティング・シャウト〉の射程を10mから15mに書き換える。こうなると〈タウンティング・シャウト〉という特技そのものの使い勝手すら変更してしまうのだ。
 このように強力な高位マジックアイテムの援護を受けられない、中級レベルの〈冒険者〉の戦闘が、彼ら高レベル〈冒険者〉のそれと異なった様相を見せるのは当然の事だった。

 はらはらとした直継が腰を浮かしかけるのを、にゃん太が後ろから制止する。

「いまは休息が仕事ですにゃ」
 にゃん太は珍しく、有無を云わせぬ口調で告げた。

 直継を始め、にゃん太、小竜、レザリックの仲間達はMPが枯渇している。戦闘中のMP回復は、何らかの特殊な効果を受けない限り、雀の涙ほどもない。今戦いにに戻っても、MPが無いためにあっという間に戦線が崩壊するのがオチだ。

 山中でゴブリンと戦闘をしていたときは、闇の中に潜んで定期的に休息をとる事も出来た。今回の戦いは、ペースを自分たちで配分する事も出来ずに、サファギンが攻めてくるのに後手で対応するヘビーローテーションだ。

 もちろんそれでも直継達は、新人〈冒険者〉よりは遙かに長い間戦線を支え続ける事が出来る。だがそれにしたところで、限界はある。90レベルの猛者である直継達のMPも、1時間を超える戦闘には耐えきれない。
 ましてや今回は6人ではなく4人でパーティーを組んでいるのだ。それぞれが普段の1.5倍ずつ動く事によってコンビネーションを成立させている状況である。

「直継さん。どうぞ」
「すまんな」
 レザリックから渡されたポーションを飲む。青い水薬はMPを回復する飲み薬だが、効果はごくわずかだ。〈エルダー・テイル〉において、HPを回復する手法は豊富に存在するが、MPを回復する方法はそれに比べて遙かに少なく、また回復量もわずかであるのが普通だ。このポーションも決して安価なアイテムではないが、効果は限定的に留まる。

 直継は焦りながらも、目の前で戦うトウヤを見つめている。
 トウヤは強くなった。

 まだまだ技も戦い方も荒く、「上手くなった」とは云えないが、強くはなっている。むしろ、小器用な「巧さ」など必要はないだろう。

 戦士に必要な資質のひとつに意気がある。意気揚々とか、意気軒昂という言葉で用いられる「意気」である。何か事を為すときの積極的な心持ち。気構えだ。
 トウヤの戦いには、「意気」がある。それは前線を支える戦士としてかけがえのない資質だ。仲間を守るためには、時には素手でガラス扉をたたき割るような、我が身の流血を恐れない蛮勇が必要なのだと、直継は思う。

(トウヤは、まだまだ伸びるな……)

 視線を転じれば、そこで戦っているのは五十鈴という少女と、ルンデルハウスと呼ばれていた〈妖術師〉(ソーサラー)である。五十鈴は確か〈吟遊詩人〉(バード)だ。
 彼女はトウヤと違って「巧さ」を持っている。彼女の位置取り、繰り出す攻撃、それらは全て絶妙な距離感とリズム感を示していた。素人目には彼女の巧さは判らない。よほどの戦闘通でも、目立たない〈冒険者〉だと見過ごしてしまうだろう。
 しかし、彼女の確実なフォローが仲間たち全員の攻撃、防御、移動、回復と云った戦闘の諸要素を、一段階上の次元に引き上げている。

 そして特筆すべきなのは、〈妖術師〉の青年とのコンビネーションだろう。まるで青年が何を望んでいるのか全て察しているような援護のタイミングと場所どりであった。防御力の低い〈妖術師〉の青年が敵の攻撃に直接晒されないように、しかしサファギン達を一網打尽に出来るように戦場の視界を確保して動いているのだ。

 そしてフォローを受けて居る〈妖術師〉の青年はといえば、まさに気迫の固まりだった。もとより〈妖術師〉の攻撃力は高い。同レベル帯で比べれば、12職中最強を〈暗殺者〉(アサシン)と争う。
 しかし、あの青年の攻撃は職業の性能に頼った物と云うよりも、想いと感情のありったけを一つ一つの魔法に込めるかのように捨て身の気迫が感じられた。彼の執念が乗り移ったかのように、溶岩の弾丸が跳ね踊り、氷の槍はサファギンどもを串刺しにしてゆく。

 にゃん太に懐いていたセララという少女。
 彼女も化け始めている。ススキノの街で初めて見かけたときから、その詠唱速度や躊躇いの無さは見えていたが、今はその時に比してさえ、自由度が上がったようだ。回復にしか考えが至らなかった以前と違い、自然の精霊を呼び出し、縦横に駆け回らせ、あるいは攻撃補助呪文を使いパーティーを支援する事を忘れない。
 彼女は良い回復職(ヒーラー)になると直継は思うのだ。

 そしてミノリ。
 ミノリだけは、おそらくまったく別の視界を持ってサファギンと戦っている。直継はミノリの中に見える「予感」を感じただけで、鳥肌さえ覚えるのだ。

 ミノリの号令でパーティーは陣形を変えて、有機的にコンビネーションを再構築してゆく。

「ルディさん、出力を抑えてっ」
「了解、ミス・ミノリっ」
「セララさん。回復スイッチしますっ。攻撃に出て下さいっ」
「左端に〈アイシクル・リッパー〉っ! 撃ちますっ!」
 彼女がやっている事は、直継には判る。
 シロエとずっと長い間組んできたからだ。

 彼女はおそらく仲間全員のMP消費を把握しようとしている。当然、それを可能にするためには、自分だけではなく、仲間の持つ全ての「特技」を把握しなくてはならない。その消費MPだけではなく、性能や用いられる状況を含めてだ。
 さらに云えば仲間同士の連携や敵との位置関係、遭遇順序や撃破順序も把握しなければならない。

 つまりそれは敵の撃破という「文」を、戦闘という「文章」に仕立てるという事。そして戦闘という「文章」を戦術という「物語」に再構築しながら、それを「読む」と云う事に他ならない。

 もちろん戦闘はリアルタイムで展開されるハプニングの連続体だ。ここで云う「読む」とは戦闘を静止したテキストとして硬直化させることではなく、あり得る未来全てを肯定しつつ、即興性の高い物語として「読む」ことである。

 ミノリがやろうとしているのは、まだ不器用ではあるが、シロエの全力管制(フルコントロール)戦闘(エンカウント)の模倣だ。あの小さな少女は、シロエの背中を追いかけている。

――1%刻みで、先行30秒かな。
 シロエはかつて「それ」について、そう語っていた。

 おそらく30秒の未来を戦うという意味なのだろう。1%刻みは、仲間のMP残量の把握だ。
 もちろん、周囲の環境把握は、高レベル戦闘に置いても基本である。直継にしたところで、それは理解している。前線で戦闘中、わざわざパーティーステータス画面を確認しなくても、仲間達のMP残量は何となく把握している。しかしそれは満タン、まだ余裕がある、半分くらい、そろそろ危険、少ない、からっけつの6種類が良いところだ。中堅クラスの冒険者の多くは、「まだ行ける」と「そろそろ休憩」の2種類くらいでしか判断してない事が多いだろう。自分のMPならまだしも、自分とは違う職業を持つ仲間のMPの把握など、現実にはそんなものだ。

 〈エルダー・テイル〉はゲームだった。だから、極端な話をすればそこで起きうる要素は決まっている。十分に馴れればモンスターの動きも予測可能だ。
 しかし、人間がパーティーを組んで戦う限り、いつでもまったく同じというわけにはいかない。それにもかかわらず、30秒と云ったシロエに虚勢は感じなかった。

 異世界化してしまったこの〈エルダー・テイル〉において、戦闘の偶発性はゲームだった時代よりも遙かに高まっている。シロエにしたところで、まさかいまでも30秒先を見通す力を持っている事はあり得ないだろう。だが、一方でシロエならあるいは、という期待もぬぐえない。
 つまり「1%刻みで、先行30秒」等という台詞は、虚勢ではないとすれば、気が遠くなるような研鑽の果てにある言葉なのだ。

 直継がそれを判るのも、シロエとの長い付き合いの中で、そんな話を聞いたからに過ぎない。前線で戦い、目の前の敵に集中する直継は、理屈ではそのようなものかとは納得できるのだが、とうとう今に至るまで、その「感覚」は身についていない。
 目の前を倒すという「文」は読めても、まだ「文章」へは接続できていない。

 そして目の前のミノリは、そのシロエを目指しているのだ。

(ミノリの目には何秒先が見えているのかな……。仲間の把握は何%刻みで見ている? 20%か? それともそのレベルでもう10%刻みの感覚を身につけてるのか……?)

 そろそろ戦場に戻り新人達を順番に休憩させなければと直継が立ち上がった瞬間、鋭い破裂音が遠くチョウシの町の北広場から響く。あれは〈森呪遣い〉(ドルイド)の特殊攻撃呪文、〈泣きキノコの絶叫〉(シェリーカーエコー)だ。

 直継は一拍反応が遅れる。
 なぜそのような叫び声が、ザントリーフ大河から離れた畑の方向で聞こえたのか判らなかったのだ。

 その直継に風のように迫ったのは、ミノリ達五人だった。
「俺達が行くぜ、シショっ!」
「よろしくお願いしますっ」
「はははっ! 任せておきたまえよ! 出陣だっ」
「あ、あのっ! にゃん太さんも、頑張ってっ!」

 いつの間にか海岸線から撤退してきた五人は、直継達に後を任せるように北へと走り出す。夏の日差しの中を駆け出すその後ろ姿は、一直線へと空に飛び立つ燕のようだった。

 ミノリ達の抜けた穴を埋めなければならないと反応する小竜とレザリック、そして怪訝そうな直継にミノリは振りかえる。その表情は汗にまみれていたけれど、この上ないほどに真剣だった。

「セララさんに頼んでおいた警報代わりの精霊の反応ですっ。おそらく山間から、ゴブリン族の再侵入。この戦いは、〈吟遊詩人〉(バード)さんがいて継続戦闘能力があるわたし達のほうが向いています。――海岸の方をお願いします、直継さんっ!」

「ミノリっ!」
 呼びかけた直継に、ミノリは大きく手をふる。
 そのまま駆けだした彼女達は、チョウシの町の中に消えていった。



 ◆



 先頭を駆けるのはルンデルハウスだった。
 朝から集中力の乗りまくっている彼は、呪文の威力も心なしか増しているように思える。

 「ラグランダの社」の最深部で手に入れたマジックアイテムは、高レベルの人に鑑定して貰ったところによると「魔術師の籠手」と呼ばれるマジックアイテムだったのだ。25レベルのキャラクターがつけられる程度のマジックアイテムであるから、サーバ全体から見れば強力でも何ともない品だが、五十鈴達五人が初めて自分たちの力で手に入れた「魔法の品」である。

 ちょっと傷つき、鈍い銀色に輝く魔方陣を刻んだ一対の籠手を、五十鈴達はまるで宝物を見るような瞳で眺めた。ひとつしかないこのアイテムをみんなで同時に装備するわけにはいかない。かといって、せっかく見つけた魔法の品を売却して、換金後に山分けにするのは、なんだかとても寂しい気もしたのである。

 そこで五十鈴達は話し合って、ルンデルハウスに使用して貰う事にしたのだ。このアイテムは、魔術攻撃職専用のアイテムのようだったし、彼らの仲間に魔術師は彼一人だけだった。

 ルンデルハウスは始め少しだけ遠慮したが、やはり興味はあったのだろう。重ねて進められると、嬉しそうに身につけた。

 五十鈴の前を駆けるルンデルハウスの両手に、その籠手がはまっている。

 MPの最大値を増やす魔法のアイテムだ。その分量は最大MPのわずか5%ほど。強力な攻撃魔法一発分程度の量でしかないが、その積み重ねが戦闘に大きな影響を与える事を、今や五十鈴たち全員が理解している。籠手の中央にはまった赤い水晶は、ルンデルハウスの用いる炎の魔力を充填している事を示して、ちらちらと輝いている。

 五十鈴は永続式の援護歌を〈瞑想のノクターン〉と〈子鹿のマーチ〉に変更する。前者はMPの回復効率を高め、後者は全員の移動速度を増強する、支援用の特技だ。

「ありがとう、ミス・五十鈴」
「ルディはもうちょっと歩調をゆるめてっ」
 礼を云うルンデルハウスに、五十鈴は指摘する。元気がよいのは良い事だが、紙装甲の魔術師が隊列の先頭を走っても良いことは一つもない。

「むう。すまない」
 そう言って速度を落とすルンデルハウスに、五十鈴は荷物から水筒を渡す。朝方に宿屋の娘さんにつめてもらった水だ。搾ったオレンジが混ぜてあって、ぬるくなってしまった今でも、多少爽やかに飲める。

「……その、平気?」
「なんでだい? もちろんこの僕、ルンデルハウス=コードは万事順調だ。この世の中には敵などいないと云う気分だ。あははははっ」
 ルンデルハウスは水筒を(あお)ってから応える。やはり、基本的に育ちがよいのだろう。早足で歩きながら水分を摂るなどという不作法な事をしていても(その上高笑いをしても)、粗野な感じにならないのだ。

 大きくてちょっとたれ目な、ゴールデン・レトリバーに似ているからなのだろうなぁ、と五十鈴は確信する。

「仲良しですね」
 セララがくすくすと笑うが、五十鈴は肩をすくめて「まぁね!」と軽く応える。五十鈴にとってルンデルハウスというのは、人なつっこい犬そのものなのだ。

 近所のお金持ちの家で飼われている血統書付きのハンサム犬。たまたま庭が接しているせいか、五十鈴の家にもしょっちゅう現われる、毛並みの長くてふさふさしたゴールデン・レトリバーだ。

 血統書付きなので、もちろん輝くばかりにハンサムである。顔立ちにも品があるし、行動にも粗野なところがなく、礼儀正しい。しかし、ひとたび馴れてしまうと、これがお馬鹿なのだ。ボール投げ遊びに真剣になってへばるまでかけずり回ったり、振りすぎて尻尾の付け根が痛くなるほど振ってみたりと云った種類のお馬鹿である。
 間抜けと云って良いのやら、天然と云って良いのやら。時に混じる自意識過剰の傲慢な台詞も、お馬鹿が表面化しただけで、ちっとも腹なんか立たない。

 五十鈴とこのお馬鹿わんこは、もう親しいのだ。差し出した指先をぺろっとなめられた瞬間、もう友達になってしまった。だからセララの冷やかしにだって、素直に頷ける。

「もういい? ん」
 ルンデルハウスから水筒を受け取ってきゅっと拭ってからバッグに戻すのも、こんなに自然に出来る。

「すまないな」
「くくくっ。ルディ兄ぃ、謝ってばっかりだなぁ」
「そんな事はないぞ、な? ミス・五十鈴」
 からかう先頭のトウヤに、ルディは言い返すが、五十鈴は取り合わない。
「ルディは魔法使いだから、ちょっと偉そうなくらいがお馬鹿で良いの」
 等と言い返し、ルンデルハウスに「何を云うんだ! バカとは何事だ、バカとは! 云うに事欠いてバカとはっ!」などと詰め寄られる。

 まったく不思議だった。
 そばかす有りのひょろりとした、女子らしい美点に乏しい田舎女子高生の自分が、こんな絵本から抜け出てきたような王子様タイプのルンデルハウスを、近所に住んでる犬……が悪ければ、天然ぎみのお坊ちゃまを中学生のようにあしらっているなんて。
 客観的に見れば大それた事でもあり、申し訳ない事なのだろうが、五十鈴は頬がほころんでしまう。

 もう一言くらい虐めてやろうかと五十鈴が口を開き駆けたときだった。さほど離れていない場所から、二回目の〈泣きキノコの絶叫〉が響く。

 五十鈴達は顔を見合わせると、通りの角を曲がって歩速をあげた。

 チョウシの町の形状は独特だ。ザントリーフ大河にそって、町の中央に太い通りが一本走っている。全ての街の中枢施設は、この大通りに存在している。つまり、川沿いの街道に合わせて出来た細長い町なのだ。裏通りや、大通りに交差する十字路もあるが、それらはどれも補助的で短い。

 よって、大通りの角を曲がり北方に抜ければ、そこはすでに畑の広がる田園風景だ。この季節は緑に茂った茄子やトマトなどが風に揺れ、あるいは春撒きの小麦が青々とした姿を見せている。

 その畑を走る影は三つ、四つ。
 五十鈴はとっさに〈のろまなカタツムリのバラッド〉を詠唱する。急に足の力が抜けたようにゆっくりとなるゴブリン達の歩調。五十鈴の頼もしい仲間達が敵を捕捉するには、そのチャンスだけで十分だった。

「ルディ兄ぃ、悪いっ!」
 トウヤは叫ぶと腰を深く落とし、身体を思い切りねじり込む。敵を引き寄せる「挑発」の構えではなく、より攻撃的な構えだ。

 こんなにも目標が分散していては、〈武士〉(サムライ)の挑発特技は効率が悪い。かけずり回り、敵を一か所に集めるだけで一苦労になってしまう。

「任せたまえ、トウヤッ! 僕の美麗なる魔力の調べ、見せてあげようっ! 〈サーペント・ボルト〉ッ!」
 ルンデルハウスのスタッフから放たれた青紫の雷の束は、その呪文の名前が示すように幾重もの帯のように畑のあちこちへほとばしってゆく。一般論で云えば悪手である「魔法使いによる先制攻撃」だ。

 畑の各所から駆け寄ってきたゴブリンは8匹。予想よりも多い数だったが、列の最後尾に控えていたミノリは冷静にダメージ遮断呪文をかける。トウヤではなく、ルンデルハウスにだ。

 ルンデルハウスが水色の鏡のようなバリヤに包まれてスタッフを構えると、最初の一匹が襲いかかる。続いてもう一匹が斧を振りかぶり突進してきた。しかし、その攻撃のいずれもがミノリの施した「ダメージ遮断呪文」によって防がれる。

 「ダメージ遮断呪文」は〈神祇官〉(カンナギ)固有の特殊な回復呪文の一形態で、あらかじめ付与したキャラクターを一定量のダメージから守り抜く事が出来る。
 代表的な呪文は〈禊ぎの障壁〉だが、他にも何種類か有り、今回使ったものは〈護法の障壁〉と呼ばれる呪文だった。その特徴は、ダメージ吸収量の多さだ。〈禊ぎの障壁〉に比べて4倍以上のダメージを無効化できる強力な呪文だが、当然再使用規制時間は長く、気安く使える技ではない。

(だけど……)
 五十鈴が矢継ぎ早に音符を叩きつけながら思う。

 ミノリの判断は正しい。その呪文のお陰で、いまこの瞬間のルンデルハウスは、トウヤにも勝る防御能力を手に入れているのだ。そしてルンデルハウスの魔法攻撃に腹を立てたゴブリンは、まんまと五十鈴達冒険者の目の前に引きずり出されている。
 ゴブリンが集まってきた瞬間、トウヤの〈旋風飯綱〉(せんぷういづな)が決まった。多くのゴブリンが、断ち切られたように麻痺をする中、あとはルンデルハウスとトウヤ、そして五十鈴の三人が各個撃破でモンスター達を屠ってゆく。

 度重なる戦いの中で、五十鈴達五人は、基本通りのものだけではなく、変則的な連携も身につけつつあった。変則はやはり変則であり、常用できる戦術ではないが、特定のシチュエーションでは大きな効果を発揮することもある。問題解決の引き出しが増えたとも云えるだろう。

 それもこれも。

「なぁ、ミス・五十鈴! 見てくれたかね、僕の華麗なる魔法を!」
 この馬鹿な青年に振り回されての事なのだ。

 五十鈴は微笑んでルンデルハウスの頭を叩いてやった。
 先ほどの魔法はたいしたものだ。あれだけの射程距離を正確に命中させたのは、魔法の性能もそうだがルンデルハウスの研鑽のたまものだろう。
 みんな強くなっている。だから五十鈴だって負けるわけには行かないのだ。



 ◆



 混戦が続いた。
 もはや太陽は西の空に沈みつつある。

 町を背負って戦い続けるのは、視界の中で自分たち5人のみ。ミノリ達は孤独な防衛軍であった。ゴブリン達はミノリ達の夜間打撃により大きなダメージを受け、チョウシ方面に派遣した中規模部隊の戦力をほとんど失っていると思われる。少なくとも指揮系統はバラバラに寸断されているはずだ。

 その影響はこの散発的な襲撃にも現われていた。
 ゴブリン達は組織的な行動をとっているわけではなく、サファギンの襲撃に浮き足立ったチョウシの町を、無傷で蹂躙し、略奪したいだけなのだ。

 いやらしい蛮声をあげて、どこからとも無く襲いかかってくるゴブリンを、ミノリ達は丘陵地帯の田園に続く農道を中心に待ち伏せては撃破していった。

 セララが使う〈森呪遣い〉(ドルイド)の設置型魔法〈泣きキノコの絶叫〉(シェリーカーエコー)が役に立っている。この呪文を警報代わりに多数設置して、ミノリ達は手数の少なさをカバーしているのだ。

「わりぃ、ミノリ。飲み物あるか?」
 うめくトウヤにミノリは三本目の水筒を渡す。それくらいの事は予想済みだ。戦闘が終わったために路傍の木の根元に座り込んでいるトウヤに、即時回復呪文(インスタントヒール)を唱えてゆく。

 戦闘が終了しているために復元力が発揮されているのだろう。鎧の傷は、重度の損傷でない限りどんどんと直ってゆく。それはトウヤの怪我も一緒だ。しかし、水をかぶったかのようなトウヤの汗は引かない。長時間にわたる激しい戦いで、身体が熱を持ってしまっているのだろう。そのせいか、呼吸はなかなか静かにならなかった。

 ミノリはその様子が心配だったが、言葉にしては何も云わなかった。
 何を云おうと、今トウヤに数日のゆったりした休暇を用意できるわけではない。それに、トウヤもそのような事は望まないだろう。ミノリが望んだのと同様に、この防衛作戦はトウヤの願いでもある。

 ミノリに出来るのは、良く絞った布巾を手渡すことくらいだ。
「サンキュな」
 トウヤの言葉に頷いて視線をあげれば、一行のほとんども呼吸を整えながら、少しでも精神力を回復させようとしている。

 ミノリの役割は戦域哨戒(フィールドモニター)だ。今回の戦いからはさらに一歩踏み込んで、全員の情報監視者(オペレーター)も引き受けている。HPを監視するというセララの負担をミノリの側に請け負った事で、セララは回復も支援も反応速度が随分と上がった。
 代わりにミノリは周辺と味方の体調、つまり戦闘情報に気を配る役割を一手に引き受ける事となった。一見すると、戦闘からは離れて見えるが、なかなかに負担の大きな役割でもあるのだ。

(まだ甘いけどなぁ……)

 ミノリは全員のMP残量回復速度の違いも頭に入れつつ、回復度をチェックする。戦闘中、ミノリは仲間のMP動向を5%単位で把握している。その情報と戦闘の推移から、消耗予測を立てて、5秒先、10秒先の未来を組み立てながら戦闘を「読む」。まだその精度は100%信用出来るわけではないが、この予測能力がMPの無駄な消耗を避ける役に立っているのは確かだ。
 通常のダンジョン攻略とは違う、拠点防衛という気の抜けない連続戦闘の中で、ミノリの戦闘管理能力は磨かれ続けている。

 シロエという目標に向かって歩いているミノリ自身は、自分のやっている管制を隙だらけの児戯だと見なしていたが、もしその言葉を直継が聞けば絶句しただろう。

 他人のMP残量など「満タン、半分くらい、からっけつ」の3種類程度で把握するのが多くのプレイヤーのスキルなのだ。
 5%刻みと云う事は、他者の魔法行使の回数を、例えば「中規模の回復魔法を後2回は撃てるはず」などと云った具体的なレベルで、予測している事を表す。

 それは、30レベルそこそこの〈冒険者〉が他者に対して発揮する洞察力の範囲を、軽く超越しているのだ。

「みんな、さっきの戦闘中に、マリエールさんから連絡が入ったの」
 気を取り直したミノリは報告する。

 戦闘管制を行なっていたからこそ、自分を予備戦力としてミノリは待機を行う事が多い。連射したい呪文を控えて我慢をしながら、周辺状況のモニターに努めているのだ。
 そのお陰で念話に気が付く事も出来た。

「マリエールさんが云うには〈オキュペテー〉――アキバの街の特別部隊が、船でこっちに向かっているんだって。夕方には、到着するはずだって言ってた」
「夕方と云えば、もうそろそろ夕方だが――」
「そうだね」
「んぅ、ちょっと遅れているのかな」
 ミノリは首を捻る。まぁ、確かにまだ空は青いが、時間的にはそろそろ午後も遅い。もちろん、まだ暗くなるには間があるのだが。

「話では、船でやってきて上陸作戦するんだって云ってました。海岸線(そっち)に戦力増強がされれば、畑の方(こっち)にも交代要員が来るから……。あと長くても3時間くらい耐えれば」

 五十鈴とセララの顔にぱっと明るさが浮かぶ。ルンデルハウスとトウヤはそれでも、油断はしないと己を引き締めているようだが、どこか肩の荷が下りたようなリラックスしたものになったのは確かだ。

 半日ほどの戦闘で、30体近くのゴブリンを倒した。
 総数は多くはないが、ストレスのたまる戦闘だ。広範囲のどこから攻めてくるか判らないゴブリン達を〈泣きキノコの絶叫〉だけを頼りにモグラ叩きをしているようなもので、気が休まる暇はない。

 センサーとしての〈泣きキノコの絶叫〉は便利だが完全なわけではない。むしろその網の隙間からいつ街の方へと漏れてしまうのか、気になって仕方がないほどだった。現に、ゴブリンのうち何匹かは街の方へ抜けてしまい、ミノリ達が慌てて討伐に戻るというケースもあった。
 町の周囲を巡回しながら戦っているのは、万が一に防御線を突破された場合、チョウシ中心部へ防衛へ戻る距離を考えての事であり、その意味では防衛ラインを押し上げる事も出来ない。

 幸いなのはゴブリン達の指揮統制が失われている事で、もし優秀な指揮官が居るのであれば、畑が燃やされるなどの撹乱戦術が使われていた事だろう。ミノリ達はそれを危惧していたが、ここまでの処は何とかしのいできたのだ。

「そうだよね。船が来れば、こっちにも人が回ってくるよね」
 セララはこくりと頷く。

 現在の苦しさの根源は、二正面作戦による兵力の分散である事は明白だ。ゴブリンもサファギンも、大型魔獣を投入してこない現在、単体ではそれほどの強敵ではない。

「もうすこしだ、みんなで頑張ろうぜっ」
 トウヤはその声を切っ掛けに、勢いをつけて立ち上がる。
 午後の風は、まだフライパンで炒ったように熱いが、もう少し凌げば援軍がでるという情報は、みんなの表情に生気を取り戻させるに十分だった。

 巡回を再開してから15分が経った頃だった。
 このまま何事もなく時間が過ぎれば、と云うミノリ達の願いは、予想どおり裏切られる事になる。

 巨大な破砕音はミノリ達の後方、町の大通りから聞こえたのだ。そんな深くまで侵入を許したのかときびすを返したミノリ達が遭遇したのは〈魔狂狼〉(ダイアウルフ)2体をつれた、暴力の気配を振りまくゴブリンの小隊だった。



 ◆



 それは余りにも分の悪い戦いだった。

「させるかっ!!」
 再びトウヤが突撃(ラッシュ)をかけて、五十鈴に襲いかかるダイアウルフを牽制する。しかし、その突撃は必然的に、トウヤが抑えていた〈鉄躯緑鬼〉(ホブゴブリン)に行動の自由を与える結果となった。
 度重なる戦いで、メンバーの再使用規制時間の長い大技はほとんど種切れになっている。〈吟遊詩人〉(バード)である五十鈴の存在で、MPには余力があるもののそれだけでは状況打破に欠けているのだ。

 ホブゴブリンは両手に持った大振りのハンマーを、まるで野球のバットのように振り切って、無防備になったトウヤの脇腹にたたき込む。

(っ! 足りないっ)

 そしてその攻撃は、野球では決して聞く事が出来ないような破砕音を立てて〈禊ぎの結界〉に激突する。分厚いガラスをまとめてひしゃげさせるような異音は、ライトブルーに発光する個人用結界の耐久度を磨り減らしてゆく。
 「ダメージ遮断呪文」はあらかじめ付与しておく事により、一定量のダメージを無効化する特殊な回復呪文の一形態だ。吸収量以下であればダメージを完全に無化できる究極の防御呪文ではあるが、その吸収量を超えれば持続時間に関係なくはがれおちてしまう。

 ガラスのように砕け散る結界の輝きを目にしたミノリは、ダメージが殺し切れていない事を直感的に確信する。

「〈四方拝〉っ!!」
 ミノリはとっさに緊急用の「ダメージ遮断呪文」を投射する。この呪文は緊急用というカテゴリを持つだけあり、MPコストがほとんどかからない上に詠唱が早く、ミノリの周囲の仲間全員に《禊ぎの結界》とほぼ同強度の防御をもたらす呪文だ。しかし、全てがそう都合が良く済むはずがない。

(……これで、この手は使えなくなった)

 ミノリは血の気の失せた顔で唇を噛む。
 緊急用呪文は、その名の通り急場しのぎなのだ。代償としてミノリのHPのほぼ半分を要求される上に、再使用規制時間は長く、あと24時間は、同じ手を使う事が出来ない。

「止まって! 止まってぇっ!!」
 セララが〈友なる柳〉(ウィロー・スピリット)を発動させて、付近の大きな倉庫の壁を張っていた蔓が、ダイアウルフに絡みつく。ダイアウルフはいらだったように雄叫びを上げると、大地に爪を立てて、何とか拘束を抜け出ようともがき始めた。

 セララがこの呪文を使うのは、もう3度目だ。ダイアウルフほどの巨躯と力を持ってすれば、植物の戒めなど引きちぎる事も出来る。ではこの制止が無駄かと云えば、そんな事はない。セララがこの呪文でダイアウルフのうち少なくとも1体を食い止めていてくれるから、トウヤ達が他の敵に集中する事も出来るのだ。

 しかし、それは一方で、セララがダイアウルフに付きっきりになった分、彼女の担当領域、回復呪文をミノリがフォローしなければならないと云う事でもある。

「させないってっ! 云ってんだろうがっ!」
 トウヤは構えた刀を思い切り振り回した。

 技も何もない、力任せの一撃だったが、ゴブリンの1体をはじき飛ばして、その進行方向上にいるホブゴブリンをも巻き込む。
 ホブゴブリンはその優れた体格を生かして、ゴブリンを押しのけると、再度トウヤに向かって挑みかかった。

 〈鉄躯緑鬼〉(ホブゴブリン)とはゴブリンの亜種である。しかし、亜種とは言え、その能力は母集団であるゴブリンよりも高い。元々集団で群れて住むゴブリン族だが、その生活はお世辞にも規律正しいとは云えなかった。今回はたまたま「王」が戴冠し、略奪軍などを編成しているが、その内実は部族社会で、他者の財産を略奪し暴力で過ごす混沌とした亜人間種族なのだ。
 同じ亜人間の一種である、南方に住む〈醜豚鬼〉(オーク)は、邪悪なりに軍事的集団や国家建設を好むのに比べ、より混沌とした属性を強く持っているのが、ゴブリンという種族である。

 ホブゴブリンはゴブリンの性質を引き継ぎつつも、他者を従える欲望の強い亜種族だ。ゴブリンよりも知能が高い事も多く、人間から奪った武具を使いこなす。
 このホブゴブリンも、どこかの騎士から奪ってきたのか、板金鎧の部品を不格好に身につけ、金属製のスレッジハンマーを操るなかなかの強敵だ。レベルにして30に届くだろうか? 正直に言えば、今のミノリたちの手には余る可能性が高い。

 そのホブゴブリンが2頭のダイアウルフと、4体のゴブリンを従えているのだ。いまミノリ達がなんとか対抗し得ているのは、この町の大通りの地理を知っているために、包囲攻撃を受けない位置取りで後列を守りながら戦っているという状況と、最近の特訓でメンバー同士の呼吸を体得しているという結果に過ぎない。

 ミノリ達は、自分たちの実力以上の領域で戦っているのだ。

「トウヤ、スイッチ! 狼とボスを抑えてっ!」
 しかし、その限界以上の気迫は長くは続かない。勝負の趨勢は危うい均衡の上で揺れている。そうであれば、いまはせっかく使用した緊急用呪文の恩恵を最大限生かすべきなのだ。

 ミノリは決意して、前線に飛び出した。
 〈四方拝〉は〈禊ぎの結界〉クラスのダメージ遮断を、パーティー全員に展開してくれる。その残り時間は32秒。その32秒であれば、ミノリでさえゴブリンの攻撃を凌ぐ事は出来るだろう。
 決意して飛び出したが足が震えて力が抜けそうだ。土埃の舞う夏の街路が、まるでクッションで出来たようにふわふわと感じる。しかし、そんな非現実感を振り払うように、ミノリは女の子らしくない姿勢で、一番近いゴブリンに前蹴りを飛ばした。

「判った、行くぞっ! ミス・五十鈴っ!!」
「了解、ルディっ!」
 目が覚めたかのように後列から援護の叫びが上がる。ルンデルハウスの詠唱の最初の一節を聞いただけで、ミノリは自分の意図が正確に伝達されている事を知る。

 狂ったように笑い声を上げて襲いかかってくるゴブリンの攻撃を、防御姿勢のミノリは凌ぐ。自分自身のダメージ遮断呪文を頼りに、急所を狙ってくる攻撃だけをかわして、後は皮鎧の堅い部分で受け止めるのだ。回避するわけではなく、自分から攻撃に飛び込み、武器が振り切られる前に身体で止める。

 頭がおかしくなったような行動をとる姉の姿を尻目に、トウヤはまったく同じ事を格上の敵である、ホブゴブリンとダイアウルフ相手に実行していた。

 幾らダメージ遮断が為されているとは言え、戦闘が始まってもう長い。身体のあちこちに血液の汚れをこびりつかせた双子は、片やゴブリンの肉切り庖丁めいたナイフを受け止め、片や凶猛な魔狼の牙に身をさらし、二人がかりで前線を構築してゆく。

 双子が稼いだ時間に詠唱は続くのだ。
 それはルンデルハウスが知る中でも強力な範囲攻撃呪文だった。詠唱は長いが、当たれば相当なダメージを与えずにはおかない、氷結の呪文である。それに続いて高い響きを残すのは、五十鈴の支援特技。
 〈フリジット・ウィンドゥ〉と叫ぶルンデルハウスの声を、正確に1オクターブ高い五十鈴の歌声が装飾して、輪唱となった呪文は、全てのゴブリンを凍てつく彫像へと変化させる。

 ミノリは、突如冷気に支配された氷像から後退しながら、仲間のステータスを確認する。状況はどうなのか。新たなダメージ遮断呪文を上の空で詠唱しながらも、ミノリの顔色は優れない。
 ルンデルハウスの強力な攻撃呪文で、雑魚であるゴブリン達は一掃した。しかし、その時間を稼ぐためにミノリは前線に出て、そこで失われた時間の間にトウヤはダメージを受け続けている。

 ミノリは新たに〈禊ぎの結界〉をトウヤに唱えるが、ダメージ遮断呪文では「失われたHP」は回復しない。それは特殊な回復呪文を操る〈神祇官〉(カンナギ)の宿命的な弱点でもある。ダメージを受けないようにコントロールする〈神祇官〉は、ダメージそのものを回復する、いわゆる通常の回復呪文の性能は、決して高くはない。

 ミノリ自身も先ほどの緊急呪文の代償にHPの半分を失っている。

 状況は、良くはない。
 しかし、ゴブリン達の数を減らしたのは朗報だ。直接攻撃に加わる事の出来る人数は、敵の利点であった。その利点を潰したいま、まだ決して勝機が去ったわけではない。ミノリは自身の見劣りのする回復呪文と、ダメージ遮断呪文をトウヤに向かって投射しながら、ルンデルハウスと五十鈴に指示を出す。その指示により2人は、ダイアウルフに攻撃を集中させ始めた。

――強い敵複数と遭遇した場合、様々な作戦が考えられる。こちらが奇襲するのならば、相手の最も強い個体を倒して士気をそぐのも有効だ。上手くすれば、取り巻きは逃亡してくれるからね。でもそうでない場合、互いに死力を尽くす戦闘では、相手の弱い個体から数を減らすのがポイントになる。相手の攻撃参加人数を減らす事により、ダメージコントロールを確実にするべきだ。

 シロエが教えてくれた言葉が蘇る。
 トウヤは出血を続けている。ミノリが誇りに思う、大事な弟は傷ついて、苦痛に表情を歪めている。だが、だからこそ、ここは敵の数を減らす事に集中すべきなのだ。
 トウヤが傷から血を流して前線を支える間、ルンデルハウスたちはダイアウルフにとどめを刺すべきで、それでこそ前線を支えるトウヤに余裕が生まれる。

 シロエのアドバイスを忠実に守るミノリは、いま、まさに戦闘を「読んで」いた。

 しかし、そのとき、均衡の壁が崩れる。

 セララの拘束呪文を振り切り、2匹目のダイアウルフまでもがトウヤに襲いかかったのだ。二匹の魔獣と、強敵ホブゴブリン。その三者を相手に、ミノリの投射したバリアなど一瞬ではじけ飛ぶ。
 ミノリは一瞬で新たに飛び込んだ情報を咀嚼して計算をする。それはなかば無意識的な感覚だ。

 9秒。――そう、9秒後に、トウヤは死亡する。

 ミノリは狂おしく自らの魔法詠唱アイコンを凝視する。〈禊ぎの結界〉の再詠唱可能時間まで、あと8秒。しかし、先ほど見たように、もはやこのクラスのダメージ遮断呪文では、眼前の敵3体の攻撃を食い止める事は出来ないのだ。

「まだぁっ!!」
 セララの叫び声が響く。投射されるのは「脈動回復」。それは〈森呪遣い〉(ドルイド)が持つ特殊な固有回復特技。ダメージを継続的に回復する呪文により、トウヤのHPは徐々に上昇するはずなのだが、それが起きない。
 回復する速度よりも失われる速度の方が早いのだ。セララの脈動回復でさえ、死までの時間を長引かせる役にしか立たない。

 再計算、再計算、再計算。

 必死にか細い回復呪文を寄り合わせながら、ミノリは思考する。ミノリが持つあらゆる回復呪文、セララの持つあらゆる回復呪文を組み合わせても、トウヤが倒れるまでの時間を35秒より長くする事が出来ない。

(これじゃ……っ)

 口の中にいやな味が広がり、背筋を気持ちの悪い悪寒が駆け抜けてゆく。トウヤは前衛の要だ。トウヤが倒れると云う事は、自分たち全員が全滅する可能性が跳ね上がる事を意味する。しかし、それだけではなく、それは本能的な嫌悪感だった。

 呼吸が上手くできない。
 まるで空気が液体になったかのように肺に入ってゆかないのだ。時間が粘りをもって重くなり、焦燥した無力感だけが何倍も引き延ばされて続いてゆく。

 瞬間、弾かれたように時間が再加速する。
 ミノリの脇をすり抜けたルンデルハウスは、ダイアウルフに体当たりをして、その口中に両手をつき入れた。

「ルディ!!」
「任せておきたまえっ!! ミス・五十鈴っ! 僕は。僕は冒険者だっ!! こんな犬コロ風情にやられるわけが、あるかぁぁ!!!!」

 牛ほどの大きさもある巨大な狼。自分の上半身すら丸かじりしそうな牙の生えたあぎとの中に、ルンデルハウスはその腕を肩まで突っ込む。ダイアウルフはその鋼で出来たかのような足を踏ん張り、首ごとルンデルハウスを振り回して建物の壁にぶつける。

「ルディっ!!」
 五十鈴の悲鳴のような叫びが響き、その手に握られた重量級の槍がダイアウルフに叩きつけられるが、剛毛に覆われた身体にはいかほどのダメージも与えられたようには見えない。

「落ち着き給え、ミス・五十鈴。紳士たるもの……、いつでも貴公子然とっ……。がはっ」
 路上に引き出されたルンデルハウス。悪魔的な炎の輝きを瞳に宿したダイアウルフは獣臭い息を吐きつけ、ルンデルハウスを吐き捨てようとするが、彼は泥と汗にまみれてぐしゃぐしゃになったままで、ダイアウルフの牙にしがみつき、その顔面から離れようとはしない。

 がちがちと牙が鳴り、辺りに濁った血臭が吹き出す度に、五十鈴は何度も何度も槍を叩きつけるが、ルンデルハウスはそれを押しとどめる。
「僕が離れたら、こい……つがまたトウヤ……に襲いかか……る。トウヤでも、三匹は……無理……」

 それはまさにその通りなのだ。
 ルンデルハウスがその身を犠牲にしているからこそ、トウヤは死の運命から逃れる事が出来る。攻撃ダメージの圧力が減って、状況が好転の兆しを見せている。

「だって、ルディがっ!」
「五十鈴っ! 僕たちは、攻撃職だっ!!」
 ルンデルハウスはそのまま自らの腕をくれてやるとばかりに、さらに狼の口に押し込む。狼は犬族だ。その身体の構造上、口の中に深くくわえ込まれたものを一度離さない限り、別の対象に攻撃を加える事は難しい。

「だけどっ」
「敵を倒せっ!!」
 叫ぶルンデルハウスは、それ以上の言葉が惜しいとばかりに詠唱を開始する。もはや腕はズタボロになり、ただ肩から繋がれた肉塊のようにひきずられ。それでもそれをダイアウルフの口に無理矢理押し込みながら、炎のエネルギーを集中させる。そのマグマ呪文は投射されるまえから、余りにも近距離なためにダイアウルフの内蔵を焼いた。

 魔狼は苦痛に耐えかね、ルンデルハウスを何とか引きはがそうとするが、ルンデルハウスはまるで取り憑かれたかのようにしがみつき、決してダイアウルフを解放しようとはしない。
 いや、すでにノコギリのように生えた牙の列に、ルンデルハウスのまとうローブの繊維は絡まり、肘まである魔法の籠手の部品はくわえ込まれ、彼自身にも引き抜く事は難しいのだ。

「舐めるなっ。ぼくはっ!!」
 掠れた声が、暮れ始めた夕焼けの路上に響く。
「僕はルンデルハウス=コードっ!! 冒険者だっ!!」



 ◆



 辺りには焼け焦げた匂いが満ちていた。
 ルンデルハウスが暴走させた「魔術師の籠手」の魔力は、彼の思惑通り、ダイアウルフの内蔵を焼き尽くし、その勢いを駆ってホブゴブリンの右半身を消し炭へと変えたのだ。

 戦いは五十鈴達の勝利で終わった。

 だが、その勝利の立役者であり、脳天気で偉そうな笑い声を上げるはずのルンデルハウスは、五十鈴の目の前で、泥にまみれて横たわっている。

「〈ネイチャー・リバイブ〉っ!!」
 セララの蘇生呪文は効果がない。

 それも当たり前なのだ。横たわったその顔色はもう青白いほどで、それが血に染まりきっている。薄汚れていても王子様のような瞼は滑らかで、まるで眠りに陥った貴族の子弟のようだったが……。

 彼は〈大地人〉なのだった。

「……ごめんなさい」
 五十鈴の手のひらに、ぼたぼたと熱いものがおちる。

「何で蘇生できないんだ? おい、ミノリ、もっかい!」
 事情がわかっていないトウヤはそう叫ぶ。ミノリはその言葉に頷いて〈魂呼びの祈り〉を詠唱するが、やはり、ルンデルハウスは戻らない。それも当たり前なのだ。

「ごめん……。トウヤ。ルディは……だいち……じん……の……」
 五十鈴はのろのろと云った。

 まるで認めてしまったら、手を離してしまうようで、ひどく言葉が出ずらかったのだ。視界の隅でミノリがぎゅっと拳を握り、セララが「そんな……」と呟くのを感じたが、五十鈴はそんな事はどうでも良いとしか思えなかった。

「――ルディは、〈大地人〉なの。……一緒にパーティーを組んで、一緒に冒険をして、一緒にご飯食べてたけど。……ルディは〈大地人〉で……。だから……じゃえば……」

――らなくて。

 五十鈴の胸は苦しみで潰れそうになる。

 こんな事を、想像していなかった訳じゃない。
 だから戦うのに反対しようとしたし、反対しきれないなら、決してルンデルハウスに無理をさせないように、援護しようと思っていた。
 でも、止められなかった。

 あの最初の時にルンデルハウスを止めておけば。
 「ラグランダの杜」で気が付いたときに、キッパリと断っておけば。ううん、そうじゃなくても良い。みんなに正直に話しておきさえすれば、こんな結果にはならずに済んだかも知れないのに。

 ルンデルハウスの夢を叶えるために、五十鈴はその嘘に協力してしまった。ルンデルハウスが余りにも子供みたいな表情で、「冒険者になる」だなんて云うから。

 〈冒険者〉と〈大地人〉は違う
 そもそもまったく違う存在なのだ。
 「なる」だなんて、そんな事出来るはずがないのに。

 そうだ。ルンデルハウスは悩んで傷ついていたではないか。幾ら戦ってもなかなか経験値が貯まらないとぼやいていた。五十鈴たちの半分の半分さえ経験値が貯まらず、なかなかレベルが上がらない事に苛立ち、それであんなにも修行を焦っていた。
 ルンデルハウスが天幕でごろごろしている姿など、五十鈴は見た事がない。わずかな時間でも暇を見つけては、厳しい修行や瞑想をしていた。本人は貴公子としての当然の義務だとか、男子の本懐だとか云っていたけれど、そこに焦慮と苛立ちが含まれていないはずがなかったのに。

 五十鈴は判っていて見過ごしたのだ。

(ごめんなさい。ごめんなさい……ルディ……)

 余りにもルンデルハウスが幼くて、無邪気に望むから。五十鈴も夢を見たのだ。〈大地人〉が〈冒険者〉になれるなんて夢を。

「ルディ兄は……〈大地人〉なの……か?」
 トウヤの声に五十鈴は頷く。頷けば頬を伝う涙が顎からぽたりぽたりと垂れるのだが、そんなのはどうでも良かった。これは五十鈴に与えられた罰なのだ。

 あんなに優しかったルンデルハウスを。
 ただの田舎ものでひょろりとした自分を女の子扱いしてくれたルンデルハウスを。
 そばかすが気になっているちっとも垢抜けない自分に、いつでも「ミス」と呼びかけてくれたルンデルハウスを。

 最後までちゃんと止めもせずに、足を引っ張ってばかりで……。そのくせ、お馬鹿だとか犬っぽいだとか好き勝手に扱って……。話しかけてもらえて嬉しかった、褒めてもらえて嬉しかった、女の子扱いしてくれて嬉しかったと伝えなかった自分の罪なのだ。

「あ……っ」
 セララがうめくように呟く。そして即時回復呪文(インスタント・ヒール)をかけて、その胸に耳を当て、表情を曇らせて、また即時回復呪文(インスタント・ヒール)を繰り返す。

「え、まさか……」
 五十鈴はあり得ない希望を見いだして、セララに詰め寄る。

「判りません。脈拍は掠れてるけれど、ヒールをかけるとわずかに反応がある気がして……。でも、ごめんなさい。蘇生が効かないのじゃ……」
 五十鈴はせっかく取り戻した希望が粉々になるのを感じる。だが、その言葉を強く受け継いだ少女が一人いた。

「まだです」
「え?」

「……助けて下さい。シロエさんの力が必要(、、、、、、、、、、)ですっ」
2010/05/30:誤字訂正
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