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ログ・ホライズン  作者: 橙乃ままれ
ゲームの終わり(下)
32/134

032

 昼過ぎ、ミノリ達一行はチョウシの町へと向かっていた。

 疲れはたまっていたけれど、一行から生気は失われていなかった。

 たった一晩だったが、暗闇の中で過ごした濃密な時間は、ミノリ達五人の潜在能力を研ぎ澄まさせる効果があった。もちろん、「ラグランダの社」から続く戦闘が、彼女達のレベルを幾つか上昇させたと云うことでもある。

 戦闘を繰り返す度に連携は徐々に洗練されてゆき、時には声を掛けることなく仲間の考えが判るように思える瞬間もあるほどだった。


 田舎道を歩いていくミノリ達五人は、森林にいるときよりはリラックスしているが、それでも警戒を緩めていなかった。互いが互いの死角をカバーするように周辺を観察しながらも、それでも和やかな雰囲気で歩いていける。


(戦闘はいまでも怖いけれど……)


 怖いけれど、恐れることはなくなったとミノリは思う。

 本当に恐ろしいのは、恐怖が血管の中を流れて手足が縮こまり、自分の生を自分から手放しかける感覚だ。それは「諦め」に似ている。


 この「死」の無い世界において、「諦め」は「死」と同じ意味を持っている。逆に云えば、諦めさえしなければ、チャンスはあるのだ。みっともなくても、震えていても、立っていれば何かが起きる可能性はある。


 もはや時間は朝と云うには、遅い時間になっていた。

 昼前、くらいだろうか。


「おーい、おーいっ!」

 茂みを迂回したあたりで休んでいたのは、先ほど念話で確認した通り、直継達の一行だった。にゃん太や小竜、レザリックもいる。

 この異世界において、装備品は、その汚れ程度ならば復元力によって自動的に綺麗になる。装備には耐久度が設定されており、通常の使用程度で起きた損耗は数値にするとわずかな量だ。数値としてわずかである以上、汚れなどの現実は、数値の方へ寄り添う――それが汚れが落ちる理屈だとされている。

 しかし、一方、損耗度が設定されている以上、手荒い扱いは確実に数値それ自体をすりつぶしてゆく。具体的に云えば、長時間の戦闘により、武器も鎧も徐々に破壊されていくのだ。武器屋や防具屋で定期的に修理する必要がある由縁だ。


 ミノリの目の前の四人。いずれも90レベルの熟達した〈冒険者〉四人は、ミノリ達に数倍する実力を持っている。しかし、その実力を頼りに、ゴブリンの略奪部隊の中央に飛び込み、散々に攪乱して攻撃を繰り返してきたのだろう。

 二人の〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)を中心に遊撃フォーメーションを組んで戦ったとは云え、その激しさはミノリ達の比ではなかったに違いない。


「大丈夫かっ。やい、トウヤ。みんなのこと守ったか?」

「はい、直継シショーっ!」

 最敬礼で応えるトウヤの頭を撫でる直継。

 早速にゃん太に飛びつくセララ。


 ミノリは、小竜とレザリックに昨日の晩の戦いの様子を簡単に報告した。二人ともほっとした様子だった。小竜はともかく、レザリックは大手ギルドの〈施療神官〉(クレリック)である。もしかしたら自分たちの身勝手な行動を攻められるかと思っていたミノリは、その気遣いがくすぐったかったし、申し訳なかった。


 怪我という意味ではないが、互いの消耗も大きかった。ミノリ達などは途中ではポーションが足りなくなるかとも思ったくらいだ。


 ゴブリン略奪部隊の攻撃は、朝日が昇るとともに、明らかに波が引くように減少した。彼らも自分たちの特性や数と、夜襲の有効性は理解しているのだろう。

 ミノリ達は、その敵の後退に会わせて、街の近くまで引き上げてきたのだ。


「さて、休憩はこれくらいにして街に帰りましょう。この目で見るまでは心配です」

 生真面目な表情の〈施療神官〉(クレリック)、〈黒剣騎士団〉のレザリックが告げる。その言葉に頷いた一行は、一路チョウシの町を目指して歩き出した。


 血なまぐさい夜を越えた夏の朝だが、空は青い。

 ザントリーフ特有の強く頬を叩く潮風が、海岸線から畑を渡ってくる。


 明るい日差しに照らされて、白く飛んだような色合いを見せる遠くの景色や畑と、ブナやケヤキの影黒々と農道におちる様は、コントラストを為して美しかった。


 しばらく進むと、ゴブリン族の死体が目につき始める。路上に放置されているわけではなく、あちらにひとかたまり、こちらにひとかたまり、と積まれているところを見ると、昨晩ここらで〈冒険者〉達がゴブリンを相手に戦闘をしたのだろう。


「やってくれてたみたいだな。さすが胸でか姉ーちゃんだ」

 直継が嬉しそうに呟く。


 それはまさにその通りである。ミノリ達だって、敵中侵攻のアイデアだけでチョウシの町が守り切れるだなんて考えては居なかった。ミノリの仲間と、にゃん太や直継達が、あの山中で遊撃部隊として敵ゴブリンと戦う。奇襲と夜目の利点を生かして、とにかくゴブリン小隊の数を減らしてゆく、強行ゲリラ戦術だ。

 これによってゴブリン部隊の数が減れば、チョウシの町に対する攻撃の手がゆるまり、防御が可能になる……それがミノリの立てた戦術だった。


 ミノリはこの時点で専門的な言葉を知らないが、ゴブリン族の取っていた作戦は飽和攻撃である。これは圧倒的な兵数の差により、敵の陣地を破壊してしまうという戦術だ。

 たとえば1対1の、もしくは小隊小隊の戦いであれば、ゴブリンは〈冒険者〉に負けてしまう。多少の兵力の差は〈冒険者〉の戦闘能力で撥ね返されてしまうのだ。

 そこでゴブリン族は、冒険者達が対処できないような小規模部隊を一斉に繰り出す。もちろん少なくないゴブリン小隊が、〈冒険者〉によって阻まれるだろうが、数の差から必然的に発生してしまう「穴」に対して、ゴブリン達は豊富な物量をぶつければよいのだ。

 そんな「穴」から侵入してチョウシの町という果実にかぶりつき、火を放てばパニックの発生となるだろう。冒険者達は統制が乱れ、町に戻って略奪するゴブリン族を始末すべきか、目の前のゴブリン族と戦闘を続けるべきか混乱する。

 こうやって混乱した〈冒険者〉を各個撃破してゆく。それは、ゴブリン族が侵攻をする際の、伝統的な戦術でもあった。


 だが、ミノリ達はゴブリン族よりも早く、しかも町から離れた場所にて攻撃を開始した。

 この作戦を立案したミノリの考えは単純だ。

 ゴブリン族には守るべき拠点がない。ミノリ達には守るべき拠点が、ある。しかもその拠点(チョウシの町)は防壁が無く、侵入されやすい。これは弱点であり、ゴブリン族には弱点がない。結果、戦いは不利になる。

 ――だとすれば、わたし達も弱点が気にならない場所で戦えば良い。

 シンプルで簡単な結論。もちろん実力と勇気が伴いさえすれば、ではあるが、その結論を無理矢理実行したのだ。


 ミノリ達の作戦によって指揮系統と、兵数を減らされたゴブリン達は、それでも初期の目標通り夜襲を決行しようとした。チョウシの町は、襲われたのである。

 しかし、ミノリ達の作戦は、ゴブリンの数を減らすことだけを目的としたわけではない。ミノリ達が実際に撃破したゴブリン小隊の数倍の数が、山中にいるミノリ達を警戒し、あるいは迂回しようと、必要以上の時間を使うこととなった。そうなれば、足並みをそろえての一斉攻撃など、ゴブリン族に出来るはずはない。


 飽和攻撃とは、戦力の一点集中により敵側が「対応できない状況」を作り出すことに眼目があるのだ。集合や攻撃のタイミングをずらされたゴブリン達は、それでも部隊長の命令通りチョウシの町を攻撃したが、それは「到着した部隊から順番に、少しずつ、突撃を繰り返す」という、ゴブリン族から見て最悪な手を繰り出す羽目になったのだろう。


 そして、その程度の散発的な襲撃であれば、まだ実力が低かったり、十分な数をそろえられない〈冒険者〉であっても十分に対応が出来る。


 直継の説得に負けたマリエールは、夏季合宿組のメンバーを説得し、チョウシの町を朝まで守りきったのだった。


「おかえりなさーい!」

「おお、おっかえりー!」

「疲れてない?」

 チョウシの町に入れば顔見知りの〈冒険者〉達はセララや小竜に声を掛けてくる。この二人は〈三日月同盟〉では新人の面倒を見るポジションにいるために、顔が広い。にゃん太や直継、レザリックもベテラン〈冒険者〉と情報のやりとりをしているようだ。


 踏み固められた街中の路上は、荒れた形跡がない。

 ゴブリン族は、町に侵入を果たす事が出来なかったようだ。


「へっ。どんなもんだい、やりきったぜ」

 誇らしげに告げる弟の声。ミノリはそちらに視線をあげると、太陽の日差しの中で、子供のように大きな笑みを浮かべるトウヤがいた。

 ミノリはその笑顔を見て、胸が温かくなる。


 ミノリの弟は、曇りのない明るさのままに夜を越えたのだ。ミノリも自然に笑いが零れてきた。ルンデルハウスを守り切れたことも嬉しかった。差し出されたトウヤの拳に、ミノリは自分のそれをぶつける。


「ミノリぃ~! 〈大地人〉の皆さんが、酒場に仮眠場所提供してくれるって! 時間ずらして、順番に休憩しよう~っ! まだ判らないよぉ」

「ミス・ミノリ、それにトウヤ~。顔ぐらいは拭かせてくれるそうだぞー。宿屋の皆さんの厚意に感謝だーっ」

 通りの向こうから叫ぶ五十鈴とルンデルハウスの声に、トウヤとミノリは歩き始める。その足取りは、夏の日差しの中で、軽かった。



 ◆



 試作型蒸気機関搭載輸送船〈オキュペテー〉。


 もともと大量輸送の可能性を検証するための、大型外輪船と蒸気機関の組み合わせた実験艦には、搭載量は十分に余裕がある。実際地球で用いられていた外輪船よりも、蒸気機関がコンパクトに作られ、燃料として〈召喚術師〉(サモナー)による熱量(サラマンダー)を利用しているために、燃料の備蓄が必要ないことも見逃せない。


 外輪船(パドルシップ)は、船の両脇に巨大な水車のようなホイールをとりつけた蒸気機関船の一種である。蒸気エンジンにより、この二つの外輪を回転させ、その回転で水を「漕いで」進むことになる。


 性能的な視点で云えば、外輪船(パドルシップ)回転翼船(スクリューシップ)に、効率で劣る。同じエネルギーを推進力に変換する際のロスで負けてしまうのだ。


 しかし、工作の難しさや取りつけ難易度の点から、現時点のアキバの街では、外輪船の建造が妥当であろうという判断が行なわれ、実験が重ねられていた。


 推進力効率という点では回転翼船に負けてしまう外輪船だが、一方、喫水の深さが要らないという理由もあり、いまのようにスミダの流れを下るのにはうってつけだ。


 小型の船や艀などで行われた蒸気機関実験は、それこそ〈円卓会議〉成立騒ぎから一週間も経たないうちに成功していたが、あれから二ヶ月、やっと辿り着いた試作型蒸気機関搭載船が〈オキュペテー〉なのだった。


 その〈オキュペテー〉には現在130人ほどの冒険者が乗り込んでいる。人が多い印象はあるが、この大型船においては、あふれ出すほど、と云う印象はない。


 レイネシアは艦首にほど近い甲板の上で、一人ぽつんと所在なげに立っていた。船に乗ったことがないわけではないが、この船は帆船とは異質な航海を行なう。波を切り裂くような動力進行は、違和感を感じさせたが、速度は速い。


 周囲の冒険者達は、思い思いの姿勢でくつろいだり、慌ただしげに準備を行なうために歩き回っている。そのメンバーは様々だが、半分近くがクラスティと同じ紋章の外套をつけていることから、同じ家門の出身者だと云うことが予想できた。


 レイネシアはどんよりした気分だった。

 別に船酔いをしているわけではない。マイハマの領主の娘として、大小を問わず、船には幼い頃から親しんでいる。この沈んだ気分は、自分の余りにも無鉄砲な気質に対するものだ。


(また云っちゃった……)


 何で自分という人間は、面倒くさがりで人見知りでナマケモノなくせに、いざとなると大見得を切ってしまうのだろうか。それは幼少期から続いた「完璧な淑女教育」の暴走なのかも知れないとは思うのだが、それはそれとしても頭を抱えざるをえない。


(昨晩から数えましたって。女の身でありながら領主会議に乗り込んで騒ぎを起こし、お爺さまや領主の皆様達の面目を潰して、妖怪男に喧嘩を売り……その上二人で逃亡。……グリフォンに抱えられて)


 クラスティの腕の中の暖かさを思い出して落ち込みつつも身もだえしてしまうレイネシア。


(そうじゃなくて……。で、アキバの街について、恥ずかしい服着て。いまも着てますけれど。……あんな演説をして)


 頭を抱えてしまう。

 もはや自分で自分が信じられない。

 でも、彼女としては、礼節と約束にこだわりたかったのだ。


 〈大地人〉である彼女は〈冒険者〉とは違う。頭で判っていた知識も、あの場に立つまで、本当の意味で実感など出来ていなかった。

 あれだけの人数の高位騎士が、同時に文官の頭脳をも兼ね備えるような集団を、彼女は知らない。


 英雄と呼ばれる人々ならば、判る。

 騎士の剣技と賢者の魔法を兼ね備える〈古来種〉も存在するだろう。それは、本質的な問題ではないと思う。上手く言葉には出来ないが「そんな人間がごく普通に何千人もいる」事が一番おかしいのだ。


 そもそも脅したりなだめたり、貴族位の褒美をちらつかせることで〈冒険者〉と交渉が出来ると信じていた領主会議は、その本質を見誤っていたと、彼女は思う。あれだけの理解力と豊かさを備えた人々を相手に、自分達の常識の中の報償を褒美にしてどのような交渉を行なうつもりだったのだろうか?


 レイネシアにとって宝石やダンスパーティーの誘いが何ら動機にならないのと一緒である。彼女はひたすらに、木綿のパジャマでごろごろと食っちゃ寝の生活をしていたいだけなのだ。


 異種生命体であるところの〈冒険者〉だって同じだ。宝石も金貨も地位も領土も、報酬などになるわけがない。そう考えると、これはもう、懇願して約束するしかないではないか。


(だいたいわたしは女ですし、政治向きの教育なんてまるで受けてないんですもの……。仕方ないではありませんか)


 例え小さくても確約し、それを貫くことによって信を得る。

 〈冒険者〉を危難に晒すときは、同じだけの危難を自らも負う。

 そうして積み上げていくことくらいしか、レイネシアには思いつかない。


(それにしたって……)


 自分も戦場に行く、とは思いきった言葉だ。頭がどうかしていたのではないだろうか? もしかしてこの奇妙な……脚の露出が多い衣装のせいなのだろうか?


 彼女はしゃがみこみたくなるが、長年の教育のせいか衆人環境の中では背筋を伸ばして淑やかに立ち続けなければならないという常識が染みこみすぎ、脱力することさえかなわない。

 にやにやと笑うあのシロエとか言う青年の口車に乗せられてこのざまだ。余りの悪辣に涙がじんわりにじみそうになる。


「勢いに乗せられてとんでもないことを云ってしまって後悔してるけれど、撤回しようにも出来ないで身もだえしているような顔をしてますね」

「ひっ」


 いつの間に背後に近づいたのだろうか。海風を遮るように立つクラスティの言葉に、電流を流されたように飛び上がってしまう。


「ふふふっ。ククラスティ様。そんな事は、無いですわ?」

「引きつり気味です」

 言葉の接ぎ穂を簡単にへし折られたレイネシアは「愁いに満ちた」表情を、波間に向ける。


「かったるそうですね」

「……ぐ。まぁ、そうですけれど。――誤解しないでくださいね?

 後悔はしていません。命を賭けてくれとお願いするのですから、自ら足を運ぶのも、ともに戦場に立つのも当然です。いいえ、私ごときの命で、十人の冒険者さん達の剣と釣り合いになるモノでもないと思いますし。この、アレは、そのぉ……」

「構いませんよ」

「え?」


 クラスティの言葉ににじむ色に、レイネシアは一瞬だけ違和感を感じる。だが、その違和感は、到着を告げる船乗りの声で我に引き戻された。

 ――速い。

 湾を横断するだけとは云え、100人を超える騎士を運び、昼過ぎには到着するとは、何という速度なのだろう。海に出てからほんの15分ほどの時間しか経過していないではないか。


 気が付けば、視界の中には、慣れ親しんだマイハマの「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)が大きくなってきている。

 この大型船舶は湾岸部のはしけに接舷しようとしているようだ。見慣れぬ黒く巨大な船に、港で働いているマイハマの住民が大騒ぎしているのが見える。レイネシアは、この船唯一のマイハマの〈大地人〉として、彼らを安心させる役割があるだろう。


 クラスティに促されて艦首から手をふる彼女には、怠惰で人間嫌いな姫君の面影はなかった。




 ◆




 一方、アキバ遠征軍本隊を率いるのはシロエを中心とした参謀本部だった。


 今回シロエとクラスティが取った戦略は「巧遅」よりも「拙速」を重視するものだった。列島中心部にてふくれあがったゴブリン軍は今後どのような動きを見せるか判らない。しかし、山間部で食料を食い尽くせば、いずれかの町に侵攻してくることは明らかだ。その攻撃の穂先が何処へ向かうかは、この時点で明らかではないが、防衛戦では明らかにイニシアチブを失っている。


 戦場を選ぶ選択権が相手に握られているというのは、大きく不利なポイントだと云えた。


 この局面においてそれを挽回するためには、速度が何より重要だ。

 幸いにしてアキバ-マイハマ間は、この荒廃した異世界においても、比較的安全で未開ではない地域に当たる。移動における課題は、アキバの街を南東に抜けた後、後の問題は大河を何処で渡るかと云う程度だ。

 そのような比較的安全な行軍路が予測されているからこそ、シロエは「一か所に大軍を集めて整然とした行軍をさせる」事を放棄して、準備が整った〈冒険者〉から小部隊を編制し、矢継ぎ早に送り出したのである。


 シロエ達参謀本部はシロエおよびカラシンと、十数人からなる念話通信班から成り立っていた。


 参加ギルド単位で連絡網が形成され、また個人参加のソロ〈冒険者〉も、この通信班に登録されている。

 この整備によって、シロエ達は、全軍レベルでの高速通信/報告網も作り上げていた。もちろん、この通信網構築にも時間を掛けるわけにはいかない。簡単な指示を与えて、ギルド単位での相互通信を依頼するとともに、参加確認の段階で通信官と相互フレンドリスト登録を行なって貰った結果である。


 旅立っていった先行部隊も、中核部隊や、補給を備えた後詰め部隊も連絡網で繋がっている。


 目下シロエ達参謀本部が直面している問題は、今までに類を見ないほどに整備された通信能力を持つ異形の遠征軍を、どのように組織化するかだった。


(まずは、レベル別の名簿作成だが……こればかりは移動中には難しいな。おおざっぱに移動目的地で振り分けるか)


 とりあえずの目的地は、旧世界で云えば松戸の辺りだった。マイハマの都からは北方になり、丘陵地帯が始まる我孫子とは中間地点となる。この辺りは、シロエの〈エルダー・テイル〉の知識によれば、旧世界の廃ビルが多く、戦場としては不利な地形だった。

 しかし、他に適当な候補地もないから、仕方がないだろう。


 念話通信によれば〈オキュペテー〉はマイハマの都に一度寄港した後、少数の〈大地人〉案内人を乗せて、さらにナラシノの廃港に移動したとのことだった。


 クラスティが指揮する先行打撃大隊の総数は96名。

 6人の〈冒険者〉からなる小隊(パーティー)。その小隊を四つ集めた24人で構成される中隊(フルレイド)。さらには中隊を四つ束ねる大隊レギオンレイド。総意税96名で構成されるこの集団は、〈エルダー・テイル〉における最大数の戦闘単位だった。


 クラスティは眼鏡をかけた学者然とした風貌に見えるが、その内面は、アキバの街最大の、つまりは日本サーバ最大の戦闘ギルド〈D.D.D〉を統率する、カリスマに満ちたウォーロードだ。

 彼ならば今回の戦略の要、進軍速度も十分に理解しているだろう。ナラシノへ移動した後も、時を移さずに行軍するのは目に見えている。


 シロエは馬上で器用にバッグを探ると、携帯用の地図を取り出す。

 ナラシノ廃港から、ゴブリン本隊がいると思われる中央森林部へは、北北東へ直線距離で25キロほどだ。この世界の通常騎士による行軍であれば、二日から三日を見る必要もあるだろうが、クラスティであれば、あるいは明朝にでも戦端を開く可能性はある。


 一方、こちらの本陣は海上移動ではなく、陸上を馬にて移動している。仕方ないこととは云え隊列は長く伸びてしまい、収拾がついていない状況だ。


(低レベルはマイハマの北方5km程の位置に駐屯地を築く、か……)

 シロエは指先でマップを辿る。

 マイハマを中心とした範囲内の地形を分析し、あるいはゾーン特性を思い出しながら候補地を選んでゆく。この駐屯地は低レベルを中心とした防御陣形や治安維持を行なうとともに、物資の集積地にもなる予定だ。ある程度の広さも必要となるだろう。


(ミドラウント馬術庭園)


 やがて指先がとまったのは、緑色の小さな楕円が描かれた場所だった。シロエの記憶によれば、そこは巨大なコロシアムに似た外観を持つ馬術庭園だ。周辺には野生動物以外の凶悪なモンスターも登場しない。理想的な場所だろう。


「通信班ッ! 伝達をお願いします。北上軍のいったんの目標地点はミドラウント馬術庭園。選抜部隊はそのまま進路を海浜方面へ。先行部隊は到着後、速やかに周辺警戒と野営地の準備を。瓦礫をどかして広場を作ってくださいっ」


 シロエの脳裏には様々な可能性が明滅する。

 息を詰めるように眼鏡をすりあげるその横顔は激しい集中力を示していて、ガラス質の雰囲気を漂わせている。


(どちらにしろ今回の戦は電撃戦だ。補給線にそこまで気を使うこともない……。こちらの総数は……)


 シロエが現在指揮をしている遠征軍本隊は、総数1200と云ったところである。アキバの街の〈冒険者〉のおおよそ1割がこの戦に参加していることになるだろう。職人を除去した戦闘型プレイヤーに占める割合で云えば、二倍以上に跳ね上がる。


 シロエを含めて、その全員が、ここまでの大規模戦闘の経験はまったく持ってはいない。だが、レイネシアの演説は、レイネシアが考えていたよりも、よほど多くの〈冒険者〉の魂に熱い炎を上げさせたに違いない。シロエを追い抜いて北を目指す小規模部隊の瞳に見える士気は、高い。


 シロエの役割は、その士気の高さを挫けさせることなく、トラブルを回避しつつ、今回の戦を成功裏に導くことである。


 失敗から学べることもあると人は云う。しかし、今回の遠征に関して云えば、シロエは失敗から学べることは何もないと考えている。

 〈冒険者〉の自信と誇り。今後のこの世界における発言力。この世界でのサバイバル。そしてなによりも「納得」とアキバの街の自治。ありとあらゆる条件が、シロエ達に「勝利」を要求している。


 敗北するわけにはいかないのだ。

 それに、1200と云う戦力は、実際勝利を得るに必要十分な数でもある。ソウジロウではないが「1人が10匹ゴブリンを倒せばそれでよい」のだ。

 シロエの役目は予想外のトラブルを除去して、1200名の〈冒険者〉の闘志を、前線において一定方向に向ける事だと云えそうだった。


(ミドラウント馬術庭園までは、10キロということか。――急がなくても昼過ぎには着く。そこで今晩は野営。および1200名の組織化と編成だ。

 半数は周辺警備と広範囲索敵によるゴブリン族への対応とする。そして残り半数を率い、クラスティさんの後を追い、ゴブリン本隊への攻撃を行なう。あるいは街の防御は〈大地人〉に任せ、全軍を率いて山中へ向かうべきか――)


 ――シロエは脳裏で今後の戦に関する様々なシミュレーションを描きながら、馬を歩ませるのだった。




 ◆




 一方、シロエが考えていた最速の速度よりも、クラスティの進軍速度は速かった。


 彼は艦上における面談から適性を見抜き、手早く大隊(レギオンレイド)の編成を早くも終えてしまった。


 ひとくちに編成と云っても、これはなかなかの難事である。


 例えばあらゆる呪文はそうだが、自ずと射程距離という制限が存在する。平均的な回復呪文の射程距離は20mであり、また〈吟遊詩人〉(バード)の援護呪歌も最大射程は20mとなっている。

 つまりそれは範囲内にいる味方にしか援護や回復が行えないと云うことを指し示し、その基準として小隊(パーティー)という単位が用意されているのだ。

 逆説的に云えば、パーティーという戦闘規模が想定しているのは距離20m以内での連携という事になる。


 そうなると、大隊(レギオンレイド)に含まれる16のパーティー全てに、最低限、護衛役としての戦士職と、回復職の二名は必要だと云うことが浮き上がってくるだろう。

 パーティー4つの組み合わせである中隊(フルレイド)も、この原則を守ってバランス良く編成をしなければならない。



 しかし一方、全ての部隊を均質にバランス良く編制すればそれで終わりかというと、そうではない。


 様々なケースを考えた場合、戦術目的のために特性を持たさなければならないのだ。

 例えば、あらゆるパーティーに1名の回復職しか配置しなかった場合、敵の大型魔獣の攻撃を、戦士が受け止めきれないという可能性がついて回る。大型魔獣との戦闘が予想される部隊には、回復職を二名、欲を云えば三名配置したい。


 しかし一方で、攻撃職を多く配置した攻撃部隊が存在しなかった場合、いざという時に敵を殲滅する剣のような部隊が存在しない事になり、戦列が消耗戦に突入してしまう。全ての部隊が均一のバランスを持っていると、対応能力が下がってしまうのだ。


 また、これらの要素は、普段の連携訓練抜きには成立しない。

 同じギルドの所属者は訓練効果を考えて、同一、もしくは近接パーティーに配属するのが望ましいだろう。一方、サーバに名の通った熟練〈冒険者〉ともなれば、どのようなパーティーに配置されたところで、まるで訓練を重ねたかのような動きを見せることもある。

 一方、そう言った冒険者個人の職業による相性の他にも、戦闘への慣れや、指令系統への適応問題もある。


 ごく一般的な6人編成の小隊であっても、戦闘中の連携では声を掛けることが重要なのは、ベテランプレイヤーの常識だ。

 総員で24人が参加するフルレイドともなれば、戦場の混乱度は増大せざるを得ない。誰が何をすればよいのか? 回復重視か、攻撃重視か、位置をどうするかなどと云った判断が頻繁に求められることになる。

 そのためにはパーティーごとにリーダーを決めて、中隊指揮官(レイドリーダー)からの指示を受けるためのライン確保が必須だ。そして中隊指揮官は大隊指揮官(レギオンリーダー)から指示を受けることになる。


 一方、〈エルダー・テイル〉がゲームであった時点では、レギオンを必要とするようなゲーム中のクエストやイベントはけして多くはなかった。なぜならば、ある一定の時間に、一定の熟練度を持ったメンバーを百名近く集める難易度は果てしなく高いからだ。また、百名近くのメンバーが有機的な連携を行なう訓練というのは、想像を絶する難易度となる。

 つまり、通常のプレイヤーにとっては、敷居が高すぎて挑戦できないコンテンツが、大隊規模の合戦(レギオンウォー)なのだ。多くのプレイヤーが挑戦できないのであれば、ゲーム運営会社としても、開発の重心をそこに置くわけには行かない。

 結局レギオンウォーは一部の限られた高レベルプレイヤー向けのコンテンツとなり、それゆえ、勝利者には莫大な富と名声が約束されていたが、挑戦者は少ないという状況になっていた。


 その、〈エルダー・テイル〉がまだゲームであった頃から、レギオン・ウォーに挑戦していた団体が〈D.D.D〉である。〈D.D.D〉のギルドマスター、クラスティは日本サーバでも20人とはいない、軍団規模の指揮経験者の一人なのだ。


 彼はその経験を生かして、誰もが呆然とするような速度で、編成を組み込んでゆく。人員の振り分けは一見適当な組み合わせのように見えて、子細に検分すると十分に理に叶っているのであった。


 〈オキュペテー〉から降りたクラスティ達一行は、自分たちの手兵を先行打撃用の大隊96名と、レイネシアを守る護衛部隊、兼観測班12名に編成する。〈大地人〉の案内人から周辺地形の概要を確認したクラスティは、軍用地図にその情報を追加すると、風の速さで進軍を開始した。


 大隊を構成する中隊はそれぞれ一番から四番までの番号を与えられ、午後も深いザントリーフ半島に上陸する。目指すはカスミレイクの西部。距離は24キロの地点だ。


 一斉に騎馬に乗ったアキバ遠征軍は、ゴブリンの略奪軍を目指して一路北を目指す。交互に戦闘を切り替えながらも、一行は疾風の早さで、もはや朽ちかけている旧国道を駆け抜けてゆく。


 先へ! 先へ!!


 クラスティに率いられた遠征軍先行部隊は、まっしぐらに敵の本陣へと突入するのだった。


2010/05/29:誤字訂正

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