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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

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029

 ザントリーフ半島、海に近いなだらかなあたりに存在する廃校舎。その校庭には大勢の〈冒険者〉がひしめき合っていた。
 ざわざわと私語を交わしているが、その表情は誰もかれもが緊張をしている。統制された軍隊ではないので、隊列や規律について口うるさく云うような上官はいなかったが、全員が非常事態である自覚を持っていた。

 〈冒険者〉達は、誰が言い出したわけでもく、全員が手荷物の点検や装備のチェックを終えていた。中央の天幕付近には大きな樽がいくつか置かれているが、そこではコップやジョッキを持ってきた仲間たちに、冷やした黒薔薇茶を配給しているスタッフもいる。
 おそらく自発的に行動しているのだろう。茶をもらった〈冒険者〉は仲間の元へと戻り、また低い声で話し始める。

 西の空には、昼間よりも大きく見える太陽が紅に染まり、沈み行こうとしている。もう夕暮れだ。

 中央にたった一つ残された大きな天幕には、先ほどからひっきりなしに何人かの〈冒険者〉が出入りしていた。

 先ほど大きな声で発表された方針によれば、少なくともこの夏季訓練合宿に参加した全員の参加者の安否確認が取れるまで、この校舎を本拠地として動く、とのことであったが、それは逆に云えば、安否確認が取れ次第、大移動の可能性もあることをほのめかしてもいた。

 その大天幕の中では、にゃん太や直継、マリエール、レザリックを含む90レベルの引率プレイヤーによる会議が行なわれている。
 先ほどまで、マリエールは念話による間接出席ではあるが〈円卓会議〉に参加していた。〈円卓会議〉の結果は出なかったが、それについては仕方がない。軽々に判断できる事態ではないことも、判る。

(まぁ、この件については、うちが考えてもしゃぁない)

 マリエールは割り切る。

「ああ、なんだ。マリエさん? あんまし考えすぎない方が良いぜ。あっちの方はシロに任せときゃどーにかすんだろ。ヘンリエッタさんもいんだろ? 心配すっこたねぇって。インチキでも何でもやって良い方策考えついてくれるさ」
「おおきにな。直継やん」
 マリエールは、にぱぁと普段どおり笑う。

 こんな時に笑うなんて、とは自分でも思うのだが、やはり人の真心にふれるのは嬉しい。この直継という少年は――というのも変な話で、自分よりも二つやそこら若いだけなので青年と云うべきなのだろうが――普段のおおざっぱな言動からは想像も出来ないほど、細やかな気配りが出来るという云うことに気が付いて以来、その心遣いが嬉しくて仕方ない。

「うし! むぎゅーしてやるぞ! むぎゅーやっ!」
 慌てる直継を照れ隠し混じりに、思いっきり抱きしめる。赤面して取り乱す直継が可愛くて面白い。

「ちょっ! まてよ。マリエさん。だめ、だめって!! 中断祭り待避祭り当たってる祭り水着祭りっ!?」
 あまりの取り乱しっぷりに首をかしげたまま、それでも直継の頭部を抱きかかえるマリエールを、にゃん太は穏やかに制止する。

「マリエールっち? ほら。着替えをした方が良いのですにゃ。もう夕暮れです。……こほん。そのー、ビキニの上にパーカー1枚では、直継っちも、いささか刺激が強いのですにゃ」

 その指摘に気がついて、慌てて飛び退くマリエール。
 全くだ。今まで緊張のあまり気がついてもいなかった。半裸のような有様ではないか。

(ううっ、や、や、やばいやんっ。なにうち油断してこんな格好でっ……。ううー。頭悪い女だと思われたんちがうやろかー。ヘンリエッタいなくて良かったぁ、めたくたぶたれるでぇ、これ)

 直継に押し当てていた胸が火照り、その熱はどうやら羞恥らしいと、頬にも同じ熱さを感じてしまう。マリエールは天幕の奥へと駆け込むと、マジック・バッグから替えの装備を取り出す。衝立の向こうだから見えることはないだろうと、このさい水着の上からチュニックシャツと軽装の鎧をチョイスして身につけ始めた。

「失礼しまーっす! 30レベルオーバー班、点呼終了! 全員そろってますっ」
 着替えをしながらのマリエールからは見えないが、班長からの報告をにゃん太が受けているのが聞こえる。おそらく、これで点呼は終了だ。はぐれた参加者がいなくて、マリエールは本当に肩の荷が下りた気分になる。

 海岸からの撤退戦はかなりの激戦だった。
 敵のレベルはさほど高かった訳ではなかったが、ひたすらに数が多かったのだ。長期戦では短期戦とはまた違った戦術が必要となる。具体的に云うとMPの配分だ。
 〈施療神官〉(クレリック)であるマリエールは云うまでもなく回復職である。回復職のMPが枯渇すると云うことは、前線に対する回復呪文の供給が止まることを意味する。パーティー全員の命を預かる回復職として、MPのマネジメントには細心の注意が必要になるが、通常のパーティーに寄るダンジョン探索などでは、30秒から数分程度の戦闘しか行なうことがない〈エルダー・テイル〉においては、10分を超えるような戦闘のマネジメント技術を身につけるのは至難の業だ。
 そのような長期にわたる激戦は、一部の大手ギルドが大規模戦闘(レイド)においてのみ、体験できる領域なのだ。

 だが、その撤退戦もなんとか切り抜けた。
 もちろん怪我人は出たが、後から行なった回復呪文の詠唱で全て回復できる程度の怪我だったのが幸いだった。新人プレイヤー達も、今回の撤退戦を切り抜けたことによって、戦闘に対する気構えや度胸がついたと小竜はコメントしていたし、その意味では無駄ではなかったのだろう。

 マリエールが着替えを終えて、髪に軽くブラシを当てた時点で、天幕の外からざわめきが聞こえてくる。「マリエさんっ」という直継の言葉に誘われて、紫色になりかけた戸外へと出たマリエールが見たのは、遠く丘陵山脈の森の中に揺れる、米粒よりも小さな無数の炎の明かりだった。

「……たいまつ、ですにゃ」
 にゃん太がぽつりと呟く。

 それは幻想的であると同時に、ひどく胸を騒がせる不吉な光景だった。燃えるような夕日を背景に、逆光の中で影に沈むザントリーフの丘陵森林。そのなかに、蟻が咥えるライトのように、小さな炎がちらちらと、無数に動いているのだ。

「ざっと見た所、100か150ってところか?」
 直継が呟く。

 もちろん、たいまつ一本につきゴブリンが1体とは限らないが、少なくともそれだけの数のゴブリンが山中を移動しているのだ。もはや彼らは、姿を隠し、こっそりと移動をすることさえ捨て去ったのだと、マリエールは理解する。
 その揺れる無数の炎は、「これからお前達を襲うぞ」というゴブリン達の無言の脅迫なのだ。

「地図を持ってきてくれ!」
「ああ、待て。いま〈マジック・トーチ〉を出す」
 〈キール〉や〈西風の旅団〉からやってきた高レベル〈冒険者〉達が、地図上でゴブリン部隊の位置を計算しているようだ。不安そうなセララにジャケットの裾を捕まれたにゃん太は、その地図と書き込みをしげしげ眺めていたが、やがて顔を上げると南東の方角に視線をこらした。

 にゃん太はまだ日があるうちに、〈鷲獅子〉(グリフォン)による空中偵察を敢行していた。おそらく、現在もっともゴブリン族の動向を知悉しているうちの一人だろう。

 広場の雰囲気は、この不気味な光景の前でもそこまで取り乱したりはしていない。参加者の人員確認が終わった現在、極端な話をすれば、このキャンプ自体は即座に破棄し、15分後にはアキバの街で解散式を行なうことも出来るのだ。〈帰還呪文〉が存在する以上、死地に追い詰められたというような感覚を持たないのは当然だろう。

(ま、どっちにしろ、それは〈円卓会議〉との話し合い次第って事になるけど。でも、人員確認が終わった以上、一報入れといた方がええやろなぁ……)

 マリエールがそう考えていると、ちょっと難しい表情のにゃん太がセララとミノリを伴ってやってきた。マリエールの周囲には直継やレザリックがいて、このあたりが夏季合宿の首脳陣といった雰囲気になっているために、何か意見か報告があるのかも知れない。

「どしたん? なんかあったん?」
 マリエールは訊ねる。

「うーん。ちょっと困ったことになったにゃん。いや、全然困る必要はないかもしれにゃいんだけど……。むぅ」
 にゃん太は珍しく、言葉を選びあぐねて言いよどむ。

「どした? いっちまえよ、ご隠居」
 マリエールが困惑した気配を察したのだろう。直継はストレートな物言いで、同じ〈記録の地平線〉(ギルド)の仲間に声をかける。

「どうやら、あの部隊は終結後、チョウシの町を襲撃するようだにゃ。もちろん、我が輩が見つけた全軍ではなくて、略奪用の中規模分隊だにゃ。ゴブリン軍の主力は、もっとずーっと北のほうにいるわけだからにゃ」
「チョウシの町は、城壁がないです」
 割り込むように言葉を挟んだのは、ミノリだった。

 握りしめた手のひらを小さく振るわせて、それでも両脚に力を込めてしっかりと立っている中学生の娘は、マリエールに対して言葉を続けた。

「このまま放置すればチョウシの町は朝まで持ちません」



 ◆



「そんなに多いのか……?」
 オウム返しに聞き返したのはミチタカだった。
 この小さな会議室に存在するのは5人。

 〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉クラスティ。
 〈西風の旅団〉のハーレム系ギルドマスター、ソウジロウ。
 〈海洋機構〉の“豪腕”総支配人ミチタカ。
 〈三日月同盟〉のギルド長代理、ヘンリエッタ。

 そして〈記録の地平線〉(ログ・ホライゾン)の“はらぐろ眼鏡”シロエ。

 念話経由で行なわれた〈円卓会議〉の後、シロエの要請に応えていち早く「エターナルアイスの古宮廷」へと駆けつけたのは〈西風の旅団〉だった。
もちろん、この「エターナルアイスの古宮廷」は廃都イースタルの、どちらかと云えば南西にある。
 ゴブリン達が襲いかかることは当分の間無いだろう。しかし、領主会議の動向は不透明でもあり、シロエが予想する幾つかの展開によっては、シロエ、もしくはクラスティが会議を続行できなくなる可能性もある。

 しかし領主会議とのお見合いが続いているこの現状において、大規模な武力を移動させることは、貴族達の敵愾心を招くことにもなりかねない。そう考えたときに、〈円卓会議〉参加ギルドの中では比較的小規模で、かつ高レベル者によって編成された〈西風の旅団〉に白羽の矢が立ったのだ。

 念話会議の結果は、一言で云えば「待機」であった。
 現時点では結論を出すことが出来ない。連絡を密にして情報収集をしながらも、待ちの姿勢で事の推移を見守るしかない。それが大枠の結論だ。

 しかしだからといって、有事の準備を怠って良いということにはならない。

 シロエが〈円卓会議〉へと提案した三つの策のうちひとつが、「エターナルアイスの古宮廷」の警備強化だった。〈西風の旅団〉は現在、「エターナルアイスの古宮廷」から騎馬で10分という地点に野営拠点を築いているはずだ。ギルドマスターのソウジロウはわずかな側近のみを伴って、宮廷に先乗りしたことになる。

 アキバの街はシブヤの街と並んで、〈自由都市同盟〉の中では「エターナルアイスの古宮廷」に最も近い市街ゾーンである。その気になれば騎馬による移動でも二時間弱でたどり着くことが出来る。午前中の念話会議を受けて、夕方には到着することが出来たのもそのお陰だ。

 次に近いのがマイハマの都だろう。直線距離にすれば10kmもないが、湾を迂回するためにその行程は馬で半日、馬車になると一日はかかることになる。
 さらに離れて、ツクバの街は「エターナルアイスの古宮廷」は直線距離で約40km。旧世界の自動車であれば一時間と少しもあれば到着できるだろうが、この異世界の荒野の交通事情などを考え合わせると、馬による旅で三日は優にかかる。

 一方、ゴブリン達の大群は、ザントリーフ半島の根本をかすめるような位置に存在することが確認されている。
 シロエが地図上におおざっぱに示した位置は、旧世界で云えば、我孫子や取手と呼ばれていた辺りだった。この辺りは、旧世界においては東京のベッドタウンとして機能していた地域だったはずだが、この異世界においては、野山の緑も深い、未開の土地である。

「この辺りを中心として、部族ごとに別れて、互いに連携しながら行動をしているようです。ただし、その連携は完全ではない。王の存在が感じ取れはしますが、指令系統は部族ごとにバラバラであるのでしょう。広範囲に広がっていて、動きが不規則です。そこが、かえってやっかいだ」

 シロエはコメントする。
 地図の上で見れば、なるほど、その位置はもはや廃都イースタルの勢力範囲に触れかけている。ツクバの街とマイハマの都をおおざっぱに直線で結んだとき、その両者の連携を阻害する中心地点に存在するようだ。

「そもそも、そのバラバラな動きのせいで、正確な数がつかめません。いくつもの報告が上がってきていますが……。航空偵察による最新の情報を信じた場合、ゴブリンの兵数は一万五千に及びます」
「一万五千……」
 絶句するような声をもらしたのはヘンリエッタだった。彼女は〈円卓会議〉メンバーではないため、この場に同席する権利は本来は無い。ギルドマスターであるマリエールがザントリーフでの夏季合宿に出かけている間の代理である。だからこの情報交換を兼ねた話し合いでも発言を控えていたのだが、思わずといったように言葉が漏れてしまったようだ。

「数はそこまで脅威ではありません」
 ソウジロウはけろりとして言葉を紡ぐ。

「僕たち〈冒険者〉だって、自分たちと同数の敵モンスターを連続で何戦闘もこなすではないですか。相手がゴブリンであれば、十回程度の連戦は中堅レベルでもこなすでしょう? こちらは1500もいれば、殲滅は可能です」
 それはそれで正論なのだが、その一方で血まみれの修羅のような発言でもある。そのようなことをにこやかな顔で云うこの青年も、また〈放蕩者の茶会〉の遺伝子を継いでいるようだった。

「まぁ、俺らはそれでも良いかもしれないがな。領主会議はそうも行かないんじゃねぇかな」
 ミチタカは、ソウジロウの言葉にそう切り返す。するとソウジロウは人の良さそうな笑い声を立てて「そう云えばそうだった」と頭をかくのだった。

「なんにせよ、念話会議での結論どおり、我ら〈円卓会議〉の居残り組は、クラスティさんを始めとした使節団組に、今回の事変の対処を一任します」
 基本、推移を見守るとは決めたものの、領主会議からの接触が予想される状況において、全ての対応を会議が議論して進めるわけにはいかない。そこでアキバの街の〈円卓会議〉が選択した答えがこれであった。
 今回のような交渉事において、現場で実際に対面している人間の権限を押さえつけることは不利である。全権特使として三人を信用した結果だった。

「まぁ、任された。アキバの街に不利になるようなことはしねぇ」
 ミチタカは太く笑うと、ソウジロウに請け合う。
 シロエはそれを見た後に、視線をクラスティに走らせる。

 白皙の大柄な美丈夫は、地図をじっと見つめたまま、一言も発せずに何事かを考えているようだった。

「――〈イズモ騎士団〉は動かないのですか?」
 そのクラスティがぽつりともらした問いを、正確に捉えたのはシロエだった。その意味まで深く、である。

「僕たちの知らない、何らかの不都合が生じているんだと思います。たとえば『スザクモンの鬼祭り』であるとか」

 『スザクモンの鬼祭り』もまた『ゴブリン王の戴冠』と似たような、定期的に起きるゲームイベントである。現実世界の3ヶ月に一度起きるそのイベントでは、地獄の門が開かれて鬼が地上にあふれ出す、と云う趣旨のストーリーが展開される。
 『ゴブリン王の戴冠』との相違点は、『ゴブリン王の戴冠』が東北地方を主な舞台としているのに比べ、『スザクモンの鬼祭り』が「ヘイアンの呪禁都」を舞台に発生すると云うことだった。

「ふむ……」
 クラスティがその返答に納得したのかしないのかは判らないが、腕組みをしたままもう一度沈黙の中に戻ってゆく。

(……ここ以外に、告白の機会は、無いかも知れない)

 もちろん色々と計算をして、今後の展開の予測も行なったりはしてみた。しかし、シロエが最終的に決断をした理由は、「予感」というしかない曖昧な理由による。

「もう一つ、ご報告することがあります」
「ん? なんだい、シロエ殿」
「シロエ様……?」
 場の視線が集まるのを待って、シロエは口を開いた。

「この異世界における『死』についてです。僕たちは死ねば大神殿で生き返る。そのようにしか考えていませんでした。経験値ペナルティを支払えば、肉体が蘇生すると。〈エルダー・テイル〉がそうであったので、あまりにも無邪気にそれを信じ込んでいました」
 シロエの言葉に、沈黙思考に沈んでいたクラスティも顔を上げて耳をすまし始める。

「僕の得た情報によれば……。もちろんまだ確認はしていません。完全な裏付けが取れたわけではないですが、この異世界においても『死』にはそれ相応のリスクがあります。アイテムの一部やわずかな経験値が失われるというわけではなく、です。
 『死』は、その度に僕たちの(こん)を用いて(はく)と肉体を再生させる。その度に、僕たちは、わずかな記憶を失うようです」

 さして広くもない少人数向けの会議室。一見すると応接間のように見える、華麗なその部屋の空気は、まるで指で触れるほどの緊張感を孕む。

「どれほどの記憶が失われるかは判りません。またどういった記憶が失われるかも……。しかし、僕が書物からえた仮説的な理論によれば、それはそうなるようなのです」
 シロエの言葉に反応できる者はいないかのように思えた。
 長い長い時間がたったあとに、短く言葉を返したのはクラスティだった。

「委細承知しました。……では元の世界の記憶に欠落が発生した原因は、それであるようですね。得心がいきました」

「……っ!!」
 一同の視線は一斉に落ち着きをはらった巨躯の戦士に向けられる。だがクラスティはその視線の中にあっても涼やかな態度を崩さず、悠然と座っていた。

「我ら〈D.D.D〉は戦闘ギルドです。アキバの街の復興前の時期、この異世界の戦闘に適応すべく激しい戦闘訓練を行いました。わたしも数回の『死』を経験しています。普段は気にもかけませんが、確かに欠如は存在するようですね。確証はありませんが……元の地球の記憶が選択的に剥落しているように思えます」

「そ、それはっ……」
「なんてことなんだ、おいっ!!」

「それは具体的にはどんな部分ですか? どの程度ですか?」
 椅子から腰を浮かして悲鳴のような声を上げるヘンリエッタとミチタカを制したシロエは、クラスティをじっと見つめて強い声で訊ねる。

「わたしが『死』を経験したのは〈大災害〉以降二度になります。記憶の欠如は、なかなか指摘が難しいですね。欠如したと指摘できる周辺までそっくりと欠落してしまった場合、自分でも認識が難しくなる訳ですから。
 でも、ただ云えるのは、記憶の剥落は現在の所まだ部分的であるということです。通っていた小学校の名前、中学時代の友人の顔やあだ名、自分のPCの壁紙の模様、気に入っていたはずの楽曲の歌詞。指摘できるのはそんな所でしょうか。
 自分の名前や、家族、親しくしていた人の情報には、現在のところ欠如は見られません。それは重要な記憶は保護されているということなのか、ただの偶然かはわかりませんが。
 ……ただ、わたしの事例が他にも適用できるのであれば、二回程度の『死』では、不都合を感じるほどの記憶喪失は起こらないということです」

 だが、いくらクラスティが「不都合はない」と言った所で、それは衝撃的な告白だった。

 ある意味、シロエの予想は当たっていたと云って良いだろう。事前に考えていたとおり、記憶の喪失は部分的であり、一度の死亡で全てを失うようなことはない。すくなくとも、本人が気がつかない程度の量から欠如してゆくという予想は当たっていた。さらにいえば、記憶の喪失には何らかの選択的な基準があるであろうという事も予想どおりであった。

 しかし、だからといって、その事実にショックを覚えないわけにはいかない。他でもなく『元の世界の記憶』なのだ。理屈ではなく、それはプレイヤーにとっては本能的な恐怖感を植え付けるに充分なインパクトを持っていた。

 言葉を失う一同に、クラスティは唇の端をつり上げて微笑む。
「そんなに悲観することはありませんよ。死ななければ良いんですから。そうすれば、記憶の剥落はおこらない。それに……」
 青ざめるヘンリエッタに対して、ソウジロウが慰めるのが視界の端にうつる。ハーレムメイカーである彼は、このようなシーンにおいて必ず好感度を上げてしまうのだ。
 ミチタカは「なんてこった……」と呆然としているようだ。

 しかし、シロエにとっては、他の人の耳には入らなかったであろう、クラスティの言葉の後半部分こそが重要だった。
 クラスティは優しいとも云えるような声で決意を込めて囁いたのだ。

――それに、もしそこに意義が見いだせないのならば、死よりも生の方が恐ろしいのは、どちらの世界でも一緒ではありませんか?

 クラスティは、そう言ったのだ。
 その言葉は、いつまでもシロエの胸を去らなかった。



 ◆



 慌ただしい準備が進んでいた。
 ザントリーフ半島の廃校舎、この場にいる唯一の〈円卓会議〉メンバー、〈三日月同盟〉のマリエールの下した判断は、チョウシの街方向への全員による移動である。

 チョウシの街を見捨てるという判断を下すなら、問題はない。〈帰還呪文〉を用いればすぐにでもアキバの街へと戻れる。しかし、チョウシの町を救うという判断を下すのならば、仮にその判断を下したとしてもぐずぐずしていたら手遅れになる可能性はある。

 ぎりぎりまで判断を保留するための移動だった。

 しかし、そんな思惑とは関係なく動いている一団もあった。
 トウヤ達5人組である。

 一行はいち早く旅装を整えると、夏季合宿参加者の中でも真っ先にチョウシの町へと向かった。街道は現在のところ安全のようだが、油断はできない。トウヤ達は、ダンジョンの内部よりは間隔をやや広めに取った警戒隊列(パトロールファイル)で、もはや日の暮れた田園風景の中を進んでいく。
 ルンデルハウスの呼び出した魔法の明かりは、たいまつよりも明るく周囲を照らしているが、それでも、この未開の異世界における夜の闇は濃い。

「あれは、どうだ?」
 トウヤは大河沿いの小屋を見かける度に、声を掛ける。一行は場所によっては大声で呼びかけたり、必要があれば五十鈴による単独偵察を行なって、その網掛け小屋の一つ一つのチェックしていった。
 もし、何らかの事情で〈大地人〉が小屋の中に隠れていたりした場合、〈水棲緑鬼〉(サファギン)〈緑小鬼〉(ゴブリン)の襲撃で容易く命を落としてしまうからだ。今晩だけは町で過ごして貰うべきだと考えたトウヤ達は、そのチェックを誰に言われるともなく、自主的に行なっているのだった。

「おーい! 誰かいるかー?」
 小屋に声を掛けたトウヤ。五十鈴に振りかえると、彼女は黙って首を振る。人の気配はないらしい。それならば、ここは大丈夫だろうトウヤ達は、チョウシの町へと向かってさらに移動する。

「みんな避難してるみたいだね」
「うん」
 五十鈴の言葉に、ミノリが応えている。
 トウヤはその声を聞きながら、油断なく辺りをうかがう。
 海岸線にほど近いこの農道には、ゴブリンの姿はない。しかし、海に近いこの場所は、いつその濡れそぼった闇の中からサファギンが現われるか判らないのだ。
 メンバーは闇の中で、それぞれの方角を手分けして監視しながら進んでいる。

 ――廃校舎の夕暮れの中、山腹に無数のたいまつを見たトウヤは、これはとんでもないことになったと一人で覚悟を決めた。もしかしたら戦闘に巻き込まれるかも知れない。にゃん太や直継、マリエール達は、声を潜めて話合っている。その姿に恐怖はさほど感じられないものの、強い緊張は感じられたのだ。

 腕を組んでゴブリンの群れる遠い丘陵地帯を眺めていると、近寄ってきたのは姉のミノリだった。ミノリは、トウヤが見た中でも一番蒼白な顔色をしていた。

(ミノリのヤツ、どうしたんだ?)

 トウヤはびっくりしてしまった。ミノリがこんなにも緊張して唇を引き結んで表情なんて、トウヤの記憶には無い。ミノリは周辺の様子をうかがうと、それでも躊躇うことなくトウヤに告げた。

「出発の準備をしよう。わたし達は、チョウシの町に向かうべきだと思う。――にゃん太さんともう一回話して来なきゃならないから、トウヤはみんなのことを説得しておいて」
 そう言いおいてトウヤに背を向けたミノリ。

 トウヤはその姉の言葉に気圧されるように、仲間を誘いに歩き始めたのだった。だが意外にも、説得はほとんど手間取らなかった。セララが唯一迷うそぶりを見せたが、五十鈴の願いをあっさりと受け入れた。
 そう、意外と云えば、五十鈴がひどく乗り気であることだった。

 トウヤのほうは自分でも驚くほど冷静に、しかし集中して事態を受け止めている。ミノリの真剣な懇願もあったが、〈大地人〉とは云え、戦闘能力のない町住みの人々を放置しておくのは、生理的な嫌悪感がある。

(俺達が居なきゃ、あの町、多分あっという間にゴブリンにやられちまうからな……)

 トウヤ自身はチョウシの街へと入ったことはないが、ミノリから町の特徴はよく聞いた。それゆえに、チョウシは漁師達のすむ穏やかで開放的な〈大地人〉の町だというイメージを持っている。ザントリーフ大河の河口にあるチョウシは、いわゆる城塞都市ではない。領主も持たず、自警団はあるだろうが、防衛騎士団のような兵力は存在しない。マイハマの都とツクバの街の2つの影響下にあり、いままで比較的平和を保ってきた、漁業と農業の町なのだ。

 付近の地形を思い出してみる。この付近は、ザントリーフ半島では珍しく平坦な土地だ。中央丘陵地帯がザントリーフ大河によって削られて、肥沃な……そしてなだらかな平野を作り出している。
 チョウシにほど近い場所は開墾され、タイル細工のように四角く切り分けられた花の畑になっている。小麦や菜の花、多少の田も存在する、豊かで美しい光景だ。

 いまは夜闇に沈んでいるが、夏の潮風に吹かれるザントリーフの大地は、本当に素晴らしい場所なのだ。

 廃校舎からチョウシの町に続く農道を、夏季合宿のメンバーは長く伸びて歩く。レベル分けの班ごと、あるいはギルドごと、親しい者ごとに分かれてだ。
 日没後の移動ではあったが、新人とは云え〈冒険者〉である。それぞれに魔法の明かりを作り出して、疲れも見せずに歩いていた。馬に乗っているものもいるが、足下が見えないと危険なため、その多くは徒歩だ。

 30分も歩いた頃だろうか。ミノリは唐突に切り出した。
「――あのね。わたし達は、あの町を、守るべきだと思うの」
 ミノリの気持ちは、トウヤにも伝わった。

 守りたい、守るべきだ、と云う思いは、トウヤの中にもある。
 しかし、理由はない。理由がないにもかかわらず、そう感じるのは不思議なことだったが、トウヤの胸の中にも、大きな石をころりと転がしたように、ただその気持ちは存在した。
 理由が見つからないから、上手にそれを表現できないだけだ。

 その気持ちは、あるいは他の仲間達も同じだったかも知れない。五十鈴も、ルンデルハウスも、セララも何も云わないまま、みんな一様に物思いに沈みながら歩いている。

 黒くてもやもやした、気持ちの悪いじれったさが胸にある。そのどうしようもない閉塞感は、どうしても取り去ることが出来ないのだ。実力のない自分が恨めしく、そこから抜け出そうとあがいても、手足は悪夢の中のように進まない。そんな無力感が、トウヤ達を包んでいるようだった。

「それはね、えっと。……助けなきゃならない理由はないです。でも、ううん……」
 ミノリもまた言葉を探して苦しんでいるようだった。

 視線をあげれば、山裾の向こう、山中の森には、針の先に灯したようなたいまつの明かりが、闇の中の悪意の様にちろちろと燃えている。

「でも、勝てるかどうか判らないよ……ね……」
 五十鈴の心細そうな声は、夏季合宿に参加した多くの新人プレイヤーの心の声だっただろう。

 今回の合宿遠征班に参加しているプレイヤーの2/3は、程度の差こそあれ新人プレイヤーなのだ。トウヤ達のような20~30レベルの者もいるが、それより下の者も含まれている。ゴブリンと戦うためには、最低でも20レベルは必要だ。

 相手の数も判らない。にゃん太は「略奪目的の中規模分隊」と呼び、直継はその規模を「多くても200」と数えたが、この夜の中ではどこまで信用できるものだか判断がつかないだろう。
 それに、チョウシの町は〈冒険者〉であるトウヤ達には無関係な町だ。プレイヤータウンですらない。普段親しくしている人々が住んでいるのかと問えば、この合宿に来て初めて接点が出来たような人々しか存在していない。

 助けない理由なら沢山あるのだ。
 助ける理由がない。
 しかし、助けたい気持ちは、ある。

 無言で歩くトウヤ達に、潮騒の音が繰り返し繰り返し寄せてくる。
 真っ黒に塗りつぶしたような海は、浜辺に崩れる波頭だけが、月の光を映して白い。

 その音はなんだか足下からトウヤをさらって行き、胸の中まで洗い清めるようだった。波の音と月の光、その二つに浮かび上がったトウヤに、ふと、一つのひらめきとも云えないような高ぶりが訪れる。

「理由、()っかな?」
「え?」
 きょとんとした問いはセララのものだった。

「理由無いと、助けちゃ、駄目かな?」
 どこかぽかんとしたような、奇妙な沈黙がトウヤの言葉の後に訪れる。

「理由無く助けたって、良いんじゃないかな。だって、俺達〈冒険者〉だよな? 冒険するから〈冒険者〉だよな。助けたい気持ちがあったら、理由なく助けても、有りじゃないかな?」
 自分で話すうちに、トウヤの中の曖昧なひらめきは形になってきた。そうだ。何を悩んでいたんだろうと、トウヤは思う。
 自分は何で理由なんて探していたのか。
 誰かに申し開きでもするつもりだったのか?

 そもそも助けたい者を助けるのに、理由など必要であるはずもない。
「なぁ、そうだろ? ミノリも。みんなも。助けたかったら、助けりゃいーじゃん。だろ? だって俺達は、助けたいんだからっ!」
 トウヤは胸を張って叫ぶように云う。

「そうだなっ!」
 トウヤの言葉にしばらくあっけにとられていた声に、真っ先に応えたのはルンデルハウスだった。彼は力強く頷くと。トウヤの肩に手を置いて、先ほどまでの沈黙を振り切るように、賛意を表すのだ。

「ふふふっ。ボクともあろう者が正直取り乱していたようだ。そうさ。僕らは冒険者だ。ここで逃げ出しては何のために冒険者になったか判らない。それは本末転倒じゃないか。……ゴブリン何するものぞさっ!」
 ルンデルハウスは心配したような五十鈴の手をそっと外す。

「ボクだって冒険者の端くれだ。町を救わずにおめおめアキバに逃げ戻るなんて、するものかっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ。どうやって!? どうやって町を守るんですか。あの町には城壁もないですし、敵の数はわたし達の2倍はいるんですよっ!」
 セララはトウヤとルンデルハウスの意気投合に、悲鳴のように異議を挟む。

「それはミノリが考える」
「え?」
 トウヤの突然のスルーパスにミノリはあっけにとられたように目を丸くしている。トウヤとしても、こんな無茶振りは心苦しいのだが、ミノリの気持ちにだって火をつけなければ、この決意も無駄になってしまうのだ。

「……守る。城壁……無理。……敵の数、無理」
 ぶつぶつと呟き始めるミノリ。そのミノリの唇が「シロエさんなら……」と動くのを見たトウヤは、ほんのわずかな寂しさと、大きな安心感を感じる。トウヤの姉がこうして考えているなら、心配することなど無いのだ。

 三歩、五歩。
 トウヤ達が見守る中、ミノリは足を止めると一つ頷いた。
「思いつきました。方法は――あります」

(やっぱりミノリはそうでなきゃ)

 責任感の強い姉は、トウヤから見れば、ややもするとその重みで潰されかねないような危うさも感じていた。しかし、逆にそれはミノリ自身の力にもなっているのだと思う。〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)に参加してからのミノリは、その責任感を前に進む力に変えることを覚えたようにトウヤには見えるのだ。
 それはシロエに対する憧れゆえなのだろう。戦士として、男として、同じように直継に憧れるトウヤには、それが痛いほど判る。

「方法って?」
 セララはおそるおそると云った調子でミノリに尋ねた。

「聞こうじゃないか、ミス・ミノリ」
 ルンデルハウスと、難しい顔をした五十鈴もミノリの周りに集まってきた。

「チョウシの町をゴブリンから守るのは、わたし達の兵数では無理です。ゴブリンだけならまだしも、サファギンもいます。向こうの数は、わたし達の倍以上。わたし達は全員が戦いに参加できるかどうかも判りません。それに守りきったとしても、田畑が荒らされたら、きっとこの町は大きなダメージを受けちゃいます……。
 だから――守りません」
 ミノリの言葉は決然としていて、弟のトウヤでさえもその強さに言葉を失う。

 仲間達の誰しもが、ミノリの非情な言葉に、声を失っている。
 ミノリはそんなみんなの表情を確かめるように見回したが、弾かれたように振りかえる。

「あ……」
「ん。ミノリっちも、勘が良くなったにゃぁ」
「勝手に悪巧みを始める若い衆はいないかどうか、おにーさん達が見回りにきたぜべいべっ!」
「我が輩は年寄りなのにゃ」
「にゃん太さんっ!」
 そこにいたのはにゃん太と直継。その後ろには距離を置いて、小竜とレザリックの姿も見える。セララはひと動作で、細く引き締まったにゃん太の腕にぶら下がるようにしがみついている。

「直継師匠っ」
 トウヤも反射的に背筋が伸びる。直継が礼儀作法について厳しい師匠だという訳ではないが、トウヤの側の意識の問題なのだろう。この歴戦の〈守護戦士〉(ガーディアン)の前に出ると、自然と背筋が伸びてしまうのだ。もちろん、トウヤと直継だって、普段はだらしがないシモネタの会話などを繰り広げたりもしているのだが。

「にゃん太さん……」
 ちょっと困ったような表情のミノリだが、引き下がるつもりはないようだ。にらみつけるほどの視線の強さでにゃん太を見上げると「許可をして下さい」と頭を下げる。

「おう。にゃん太班長も、直継師匠も、ここは黙って行かせてくれるのが男だぜ」
 トウヤはミノリに並ぶ。
 ミノリが何であんなに冷たいことを云ったのかは判らないが、きっと何か思いついたことがあるのだろう。シロエに憧れていたミノリだから、その後を追うために全てを学び取ろうとしていたミノリだから、必ずや打開の策を胸に秘めているに違いない。
 そうであれば、トウヤはミノリを一人で矢面に立たせる訳にはいかない。

「許可も何も。〈冒険者〉は自由なのだにゃ。もし、本当に決めたのならば、例え相手のレベルが上だろうと、ギルドで世話になっていようと、貫く自由が〈冒険者〉にはあるのだにゃ。
 ――だけどミノリっち。それはそれで、なかなか大変なのだにゃ」
 何もかも心得たかのようなにゃん太の言葉にミノリは頷いている。

「わかりましたにゃ。夜は短い。――夏はさらに。パックも云ってることですから、急ぐとするにゃ。ね? ミノリっち」
 にゃん太は、左手にセララをぶら下げたまま器用にウィンクをする。それを聞いたトウヤとミノリは視線を交わして、お互い拳を打ち合わせるのだった。
2010/05/29:誤字訂正
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