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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(下)

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028   ゲームの終わり(下)

 ゴブリン族襲撃のニュースは、領主会議の方がシロエ達に先駆けて、いち早く察知をしていた。

 〈冒険者〉に念話能力があるように、〈大地人〉には〈大地人〉にしか用いることの出来ない魔法がある。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、〈大地人〉はノンプレイヤーキャラクターであった。〈エルダー・テイル〉はRPGであるが、一方では物語でもあり、その側面を演出するために、〈大地人〉にも様々な魔術が存在したのだ。
 例えば、それは魔法のアイテムの作成秘術であり、主人公たるプレイヤー達から逃げ出すための転移魔術であったりした。
 その大部分は戦闘の役には立たないような種類の魔法であり、多くの場合、ゲーム的な効果は曖昧だったが、この異世界においては、れっきとした魔術の一体系として、利用されているようだった。

 そうした魔術の一種に、水晶球による遠隔連絡魔法が存在する。〈冒険者〉の用いる念話通信に似ているが、触媒アイテムである水晶球が必要であるとか、儀式によって接続するために手間がかかるなどといった弱点が存在する。しかしその一方、映像をも送れるなど、念話通信にない特性を備えてもいる。

 なんにせよこのような通信技術は、時と場合によっては騎士団などよりも有効な武器となる。自由都市同盟の領主達はそれを理解し、それぞれの領地には専属魔術師として人材を雇用するのを常としていた。

 ゴブリンの略奪軍の存在にいち早く気がついたのは、地元領主だった。オウウ山中からザントリーフ地方へ至るまで、ゴブリン略奪部族(プランダートライブ)は山中を移動してきている。領主達が住むような城塞都市の攻略を行なわなかったため、犠牲となったのは、山間の本当にごく小規模な集落や、不運な旅人のみだった。
 そのために発見が遅れたのではあるが、それでもその行軍距離は短くない。ザントリーフ地方に留まっていた〈冒険者〉達よりも早く気がついたのは、ある意味当然だったろう。

 この情報がもたらされたのは、昨晩である。
 ツクバの街に居残った魔術師は、危急の事態と判断をして、すぐさま領主キリヴァ侯へと連絡。キリヴァ侯は一瞬迷った後、臨時の領主会議招集をセルジアッド公爵に打診。キリヴァ侯個人のプライドなど、今回の事件の前には小さいことだと判断し、助けを求めたのである。

 こうして開始された会議は、そのまま夜を徹して行なわれた。

 クラスティ達〈円卓会議〉の面々がこの領主会議に呼ばれなかったのはなぜか? ――それは三つの理由による。

 第一に、クラスティ達〈円卓会議〉は現在まだ、正式に〈自由領主連盟イースタル〉領主会議のメンバーとはなっていないのだ。
 もちろんこの開催期間中のどこかで叙勲式を行ない、正式なメンバーとして認める方針は固まっていたが、事前交渉をたっぷりと行ないたいという各領主の思惑によって、セレモニーたる授与式は日程後半に予定されている。
 授与が行なわれていない以上、正規のメンバーでないのは理屈の上では正しいことである。

 第二の点として、領主会議の中には、まだ〈円卓会議〉に対する不安感がぬぐえないという感情論もあった。一部には「ゴブリンの侵攻自体、〈冒険者〉の陰謀ではないのか?」という意見があったことも事実である。
 なぜならば、オウウ山中のゴブリン族は、長い間付近住民の頭痛の種ではあったが、ここ八十年ほどのあいだ山中より外側に侵攻したことなど一度もなかったのだ。危険な森林地帯、山岳地帯として、地元民は不便や不安を感じてはいたが、麓で暮らす分には大きな問題とはなっていないのである。

 ゴブリン達がオウウ山中に、いわば封じ込められていたのは、冒険者達が定期的に彼らを襲撃し、戦力を削いでいた事による。

 オウウ山脈周辺の領主達は、〈冒険者〉によるゴブリン族の戦力剥奪と、その必要性を理解していたために、毎年少なくない額の報奨金を、ゴブリン討伐に投資してきていた。
 街の酒場などを経由して、「ゴブリンを退治する」「ゴブリンの集落を襲撃する」「ゴブリン族から物資を取り返せ」などと云った形で冒険者達へとクエスト依頼はなされ、その依頼の報酬として報奨金は使用されてきたのである。

 しかし、今年に限ってそれは違った。〈冒険者〉は、オウウ山中のゴブリン族を一切放置したのである。そこで領主同盟の中でも特にオウウ山脈を囲む4領主達は、ゴブリンの侵攻自体、〈冒険者〉の仕業ではないかという陰謀論を唱えだしたのだった。

 もちろん、〈大地人〉達が〈五月の革命〉と呼び、冒険者達が〈大災害〉と呼ぶ事件以降、世界は否応のない変化を受けてしまっている。その認識は〈大地人〉側にもあった。むしろ〈大地人〉にとってこそ、あの事件は大きな影響を与えていたと云って良い。
 この数ヶ月の間、〈冒険者〉も混乱していただろうが〈大地人〉だとて混乱していると云うことにかけては、全く変わりはなかったのだ。

 冒険者達が悪意からではなく、己の身の安全を守るという点から、ゴブリンを放置したのだろうという説は、〈大地人〉の中でも優勢である。普通に考えれば、そう云う結論になるのだ。だがしかし、感情的には陰謀論を持ち出してでも誰かを恨みたくなる気持ちも、人間として彼らは持っていたのである。

 そして――。

「では、やはりまことに」
「うむ。〈イズモ騎士団〉は――居ないのだ」
「存在しない? 壊滅したと云うことですかっ!?」
「壊滅したかどうかすらも判らないのだ。死体、あるいは戦闘の痕跡などは一切発見されていない。ただ、彼らは消えてしまった。神隠しとでも云えば、最も近くなるやもしれん」

 彼らが再確認した事実。
 追加報告を待ちわびていた情報は、〈イズモ騎士団〉の件であった。

 〈イズモ騎士団〉は〈全界十三騎士団〉のひとつ。善の人間側種族が作り出した最強兵力にして、世界の守護者である。現在では失われた太古の魔術によって生み出され、その後も〈大地人〉の血脈に潜み、奇跡のように生まれ来る不思議な超人類、〈古来種〉。
 〈全界十三騎士団〉は、その〈古来種〉のみによって構成される、英雄の集団である。
 かれらは人類の守護者故に、領主間や〈大地人〉同士の抗争には関与しない。また亜人間が集落を襲った程度の事件では現れないが、大規模災害や亜人間の集団的な侵略の際には出撃し、必ずと云って良いほど人間界を守ってきてくれた勇者達であったはずだ。

 その〈イズモ騎士団〉が消失した。
 この事実は、〈五月の革命〉から一ヶ月後には判明していたが、〈自由都市同盟イースタル〉では、事の重大さから情報規制を敷いてきたのだ。騎士団消失は、当初〈古王朝ウェストランデ〉の陰謀かとも疑われたが、〈古王朝ウェストランデ〉もこの件については困惑をしているらしいことが、密偵から伝わるわずかな情報で判明している。
 領主達が具体的に知る〈全界十三騎士団〉は〈イズモ騎士団〉だけである。他の12の騎士団は、異国の地にて世界守護の任務に就いているはずだが少なくともヤマトに現われたことはない。

 その〈イズモ騎士団〉は、消えてしまった。

 彼らが居城として使っていたいくつかの城塞は全てもぬけの殻となってしまっている。偵察兵の報告に寄れば、そこには戦闘の痕跡など無く、かといって急な遠征の準備を感じさせる気配さえもなかったと云う。
 ただ、良く晴れた日に散歩に行って、戻らなかった。
 そのような印象を受けるほど、何気ない日常の気配が凍てついたように残っていたらしい。

「だが、と、なりますと……」
「ううむぅ」
 数人の領主が頭をかきむしる。

 亜人間〈緑小鬼〉(ゴブリン)。その大部族、総数約一万数千。もちろんこの数は、撃退できぬ数ではない。相手が平原に陣を敷き、〈自由都市同盟〉の全軍を持って会戦に挑めれば、である。
 しかしゴブリンどもは現在山脈地帯を南下中であり、何処へと襲いかかるか判らない。ヒタチの街、フォーブリッジの街、あるいはとって返してウルミヤの城下街に襲いかかるかも知れない。

 これらの街は〈自由都市同盟イースタル〉の多くの街と同様、高い城壁を持って、領主の館と市街地全てをそっくりと防衛する城塞都市である。兵や市民の数にもよるが、防衛に徹すれば多くの敵から自らを護ることが出来るだろう。しかしだからといって、一万を超えるゴブリンから、単独で市街を護りきれるかと問われれば、答えに窮する。第一、補給の問題もあるし、何より心が折れてしまうだろう。

 現在最も苦境に立たされているのは、ツクバの街である。
 目撃されたゴブリン略奪部族(プランダートライブ)は、ツクバの街から直線距離にしてほんの数十キロの地点の山中に存在すると考えられているのだ。

 その他に、ゴブリンの目標地点になりそうな人間達の街は、先ほど述べたヒタチの街、フォーブリッジの街、ウルミヤの城下街。領主の存在しない非武装の漁業を営むチョウシの町。
 あるいは。

「あるいは、マイハマか」
 セルジアッド公が骨張った力強い手を顎に添えながら呟く。

 マイハマはこの「エターナルアイスの古宮廷」からザントリーフ方面へと向かって、廃都イースタルの反対側に当たる。目撃されたゴブリンの地点からで云えば、最悪の場合、二日三日で襲いかかることが出来るのだ。

 結論から云えば、ゴブリン達の軍勢は、〈自由都市同盟イースタル〉の喉元深く、えぐり混むように侵攻していると云えた。いや、〈自由都市同盟〉から云えば、そこまでの侵攻を許してしまったとも云えるだろう。
 もはやその棘は出血無くして除去をすることは不可能な位置にある。毒は、同盟の心臓付近を腐らせようとしているのだ。

 会議には押し殺したような沈黙が流れる。
 あまりにも苦い沈黙であった。
 夜半に始まった会議は、重い言葉を交わしながら、夜中を過ぎても続いた。理性的に考えれば、もはや会議をしているような場合ではない。敵は、多くの都市から数日の場所に存在するのだ。

 こうなってしまっては、〈自由都市同盟イースタル〉全ての領主は一致協力して、その兵力を供出、ゴブリン軍を包囲殲滅するしかない。

 しかしそのためにはおびただしい犠牲が必要となるだろう。見通しの悪い山間部や森林部では、騎乗部隊は殆ど役に立たない。突撃を主な戦闘方法とする、重装騎兵は無力となる。
 また大人数での戦闘も困難だ。領主達の連合部隊は、さんざんに分割され、ゴブリン族との戦闘で多くの兵力が失われるだろう。そこまでやっても潜み隠れるに適した山間部では、ゴブリン族の逃亡を赦し、殲滅できる保証はない。

 では全ての領主がそれぞれの領地に戻り籠城をすればよいかと云えば、それは否だ。もちろん都市の多くは数ヶ月の籠城は可能だろう。
 しかし、ゴブリン達は城塞都市を攻めるような包囲を続けながら近郊集落や村落を襲撃し、田畑を焼き払って援軍が到着する前に山間部へと隠れることが可能なのだ。彼らの目的は食料や財産であり、その意味では軍と云うよりも武装した難民の群に例えることも出来るのであった。

 山がちなヤマト列島東北部の弱点が、露呈した形だ。これらの地形の元では、軍という大人数組織が有機的に連携することは、ひどく困難なのである。

 重くずきずきと痛むこめかみをさすりながらセルジアッドは思考を巡らせる。

(領主会議においての結論は、全領主の同意の下、包囲作戦となるか……。多くの兵力を失う覚悟の上で、刺違える戦略をとるしかない。……しかしその場合、どの領主が最初の一矢となるかが問題よな……)

 最初の一矢、と云ってしまえば聞こえはよいが、それは限りなく捨て石に近い位置である。

――まずはどこかの城塞都市が包囲される。この城塞都市は防御を堅め、ゴブリンに抵抗する。ゴブリン達はこの城塞を落とすために疲弊するだろう。そのゴブリン軍を、領主連合の大軍で包囲し、殲滅する。

 軍事的に見ればこの戦略は正しい。
 ゴブリンの軍を殲滅できる、ほとんど唯一の実現可能な策だろう。しかし、この作戦には生け贄となる城塞都市が必要だ。

 この生け贄の候補はと云えば、まずツクバの街。そしてセルジアッドが治めるマイハマの都、と云うことになるだろう。

 そのことは領主達も全員判っているのだ。
 だが、それを口に出すことははばかられる。
 包囲されると簡単に云うが、それは近隣の村落や、今まで必死に開墾してきた畑や果樹園の全てを灰燼に帰せ、と云うようなものだ。住民の多くの命が失われる可能性も低くはない。生け贄になれ、とはなかなかに云えるようなものではない。

「……わ、我々はっ、〈自由都市同盟〉憲章に従って、領主会議の助力を求めるっ」
 ツクバ侯キリヴァは悲鳴のような声を上げる。

 しかしその声に対しても、多くの領主達は押し黙ったまま視線をそらせるばかりだった。

「そ、そうだっ。アキバだっ! アキバの街があったであろうっ。彼らの兵力を持ってゴブリンを殲滅せしめよっ。そうすべきだ! 彼らがそもそもの原因ではないかっ!」
 その静寂に押しつぶされないように、半ば自棄になったようなキリヴァ侯が叫ぶ。今度の言葉には、幾人かの領主が興味を示したようであった。

(ふむ……)

 セルジアッドも厳しい表情のままではあるが、瞑目して考える。

 その通りである。
 先ほどまでの考えは、あくまで既存の〈自由都市同盟〉としての枠内の考えだった。しかし現在は、今までにない要素としてアキバの街――〈冒険者〉達の存在がある。彼らならば、何らかの有効な対策が取れるやも知れない。

(だが、しかし――)

 彼らの存在は、〈自由都市同盟イースタル〉にとっては強力な武器であると同時に、諸刃の剣でもある。彼ら自身が制御可能な武力であるとは誰にも保証が出来ないのだ。
 そのような存在に対して助力を求めてても良いものか? 助力を求めるとなれば、当然のように疑われ、全てを話さざるをえないだろう。抑止力である〈イズモ騎士団〉の不在も含めて、である。

 セルジアッド個人としては、今回代表として訪れた三人の若者を信じても悪くはないと思っている。

 ミチタカは大商人たる風格をまとった人物だ。大義と己の商道のためには目先の損を受ける覚悟を持った人物だと見ている。
 シロエと名乗る青年は、学者然としているがその本質は良く鍛えられた剣のような男だ。ひとたび抜かれたならば、どのような難事であろうと両断せずには済ませない英明さを感じる。

 そしてクラスティ。〈円卓会議〉をまとめるあの青年は、騎士ではない。騎士などという言葉で表現するには、あまりにも多くの才を天より授かった青年だ。だがその一方、クラスティという青年の光と闇の深さは、齢六十を越えるセルジアッドであっても見通せない(とばり)を感じる。

 しかし、そんなセルジアッド個人の好感と、マイハマの都を治める東部最大の貴族、〈自由都市同盟イースタル〉筆頭領主、セルジアッド=コーウェンとしての判断は厳しく分けなければならない。

(ましてや、この事態は〈古王朝ウェストランデ〉も監視しているに違いないのだ……)

 声高く〈冒険者〉の戦場投入論を主張するキリヴァ侯を始めとする数人の領主。〈イズモ騎士団〉の件を引き出して、機密を理由にそれはまずいと反論する少数の領主。
 だが、一番多いのは、〈冒険者〉の戦場投入については、それはそうなってくれればありがたいが、では、実際、彼ら〈冒険者〉をどうやって戦場に引き出すのか? そのような褒美や強制力など無いではないか、と現実手段的側面から疑念を表明する領主達であった。

 会議は蜂の巣をつついたかのように紛糾した。
 そしてそれは、シロエ達が、夏期合宿へと向かったにゃん太から報告を受ける翌日まで、静まることはなかったのである。



 ◆


 領主会議から見た翌朝。
 ザントリーフからの念話はシロエたちに急を知らせた。
 にゃん太からの報告が最初だったのかどうかは、はっきりとしない。ほぼ時を同じくして、ミチタカやクラスティにも、夏季合宿随行のギルドメンバーから連絡が入ったのだ。

 ザントリーフ半島が、大規模な亜人間族の襲撃を受けている。
 その情報に、シロエたちは緊急対策会議を行なうために居室へと戻っている。部屋の中には、シロエ、ミチタカ、クラスティ他数人のメンバーがいるばかり。他の随行員は、会議室の警護を行なったり、外部への情報収集に出ている。

 また、時を同じくしてアキバの街のギルド会館最上階、円卓の間においても緊急〈円卓会議〉が招集されているはずだ。多少不便ではあるが、念話による中継を通して、こうした遠隔状況にあっても〈円卓会議〉は何とか開催が出来るという形になっていた。

「まずは状況だな」
 ミチタカの要請で、シロエはメモにまとめた現在わかっている情報を読み上げる。

「ザントリーフ半島において本日午前中から、多種の亜人間による襲撃が確認されました。ザントリーフ半島にはアキバの街から新人プレイヤーを含む六十七名が、夏季訓練合宿のために滞在しています。
 侵攻勢力は、海上に〈水棲緑鬼〉(サファギン)。総数は不明ですが、最低で数百匹。中央部丘陵森林地帯に、〈緑小鬼〉(ゴブリン)を中心とした大規模な略奪部族(プランダートライブ)。こちらは最低兵力一万」

『一万……』
 ひとくちに一万とは云うが、それは途方もない数であった。一般のプレイヤーに取ってさえ、目眩がするほどの数だろう。

 〈エルダー・テイル〉における集団戦闘の基本単位は、パーティーだ。これは〈冒険者〉同士が力を合わせて有機的に連携する際の戦術単位で6名を上限とする。普通に冒険に出掛けたり、ダンジョンに挑む時、〈エルダー・テイル〉の〈冒険者〉はこのパーティーを組むことで対応する。

 しかし、時にパーティーでは対処できないようなイベントやクエストが発生することもある。そう言った場合に備えて、〈エルダー・テイル〉には大規模戦闘(レイド)というシステムがあるのだ。

 大規模戦闘には何段階か有るが、その中でも特筆に値するのが6人の〈冒険者〉を束ねた小隊、つまりパーティーを四つ束ねた24人規模の中隊規模戦闘(フルレイド)である。〈エルダー・テイル〉における英雄的な戦闘のほとんど全てがこの形態で行なわれた。
 〈放蕩者の茶会〉が「死霊が原」においてグリフィンを獲得したのも、24人規模戦闘の結果である。

 そして、24人規模戦闘をさらに越える単位として、この24人の中隊を4つ束ねた大隊規模戦闘(レギオンレイド)が存在する。こちらは、〈エルダー・テイル〉の歴史の中でもわずかな、超大規模ライブイベントや、難関中の難関、もしくは国家の危機などに対応するための集団単位だ。
 総勢96名にも達する連携行動は難しく、戦闘そのものの様子を把握することさえ一般のプレイヤーには不可能だ。指揮をするにはよほどの胆力と戦術センスが必要となる。

 ゴブリンのレベルは、けして高くはない。
 90レベルのプレイヤーにとっては、一人で十匹を相手にすることさえ可能な程度の雑魚(モブ)モンスターである。しかし、だからといって、レギオンレイド96名の、100倍もの総数集団というのは聞いたことさえなかった。

「しかもこの数は最低です。これ以上の数が存在すると、僕の方では考えています」
「どういう事かな?」
 シロエの言葉に、クラスティは反応する。

「今回の侵攻の原因についてです」
『原因? 何か心当たりがあるんですか?』
 念話を介したやりとりを、臨席の随行員の一人が行なう。〈西風の旅団〉のソウジロウの意見だろう。その問いかけに対して、シロエは「これは、確認された事実ではなく、ボクの予想ですが」と前置きして語り始める。

「今回の侵攻の背景にあるのは『ゴブリン王の帰還』だと思われます」
 シロエの言葉に、三人のギルドマスターが話す部屋はもとより、アキバの街の〈円卓会議〉も、ザントリーフ中央から念話で会議に参加しているマリエールも声を失う。

 「ゴブリン王の帰還」は〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、定期的に発生するゲームイベントであった。オウウ地方の深い闇の森「ブラック・フォレスト」の最深部に存在する、ゴブリン族の城〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)
 この城では、2年に一度ゴブリンの王が戴冠するのだ。戴冠するのは、周辺ゴブリン6部族のうちもっと強力な族長である。
 ゲーム的な解説で云ってしまうと、地球時間にして2ヶ月に一度起きるイベントである。〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)ゾーンへの入り口は、二ヶ月のうち一週間だけ解放され、その期間中、この城へと忍び込みゴブリンの王を討伐すると強力なアイテムを手に入れることが出来るというイベントであった。

 このイベントは非常に人気があったのだが、その理由は2つある。まず、このゴブリン王の落とすアイテムは複数の中からランダムなのだが、かなり強力である云うこと。超高レベルの大手ギルドプレイヤーにとっては喉から手が出るほど欲しいマジックアイテムと云うわけではないが、一般プレイヤーが入手可能な中では憧れと云っても良い性能のアイテムが出現する。

 また、より重要な点としてゴブリン王の強さや、城の警備が可変であると云うことも見過ごせなかった。
 ゴブリン王は、ゲーム設定的に、周辺部族の中でも強力なゴブリンがその地位に就くとなっている。つまり、オウウ地方に散在する、ゴブリンの拠点を襲撃して、事前にゴブリン勢力をそいでおくことにより〈七つ滝城塞〉(セブンスフォール)ゾーンのゴブリン勢力は大きく低下するのである。また、ゴブリン王のレベルや強さも弱体化する。

 この特徴により、「ゴブリン王の帰還」は、大手の戦闘系ギルドではなくても挑戦できる、歯ごたえのあるクエストとしてそこそこに人気があったのである。もちろん、複数のクエストで「ゴブリン王を倒してくれ」という依頼があったのも大きいだろう。

「――そうです。みなさんご存じの『ゴブリン王の帰還』です。あのイベントでは、現実にはほとんど起きなかったために忘れ去られている要素があります」
 ゴブリン王の討伐は、大規模戦闘(レイド)が必要となるが、事前にゴブリン勢力をそいでおけば、その難易度は、中堅ギルド向けと云えるほどで、決して高くはない。そのため、一週間の討伐期間にゴブリン王の討伐が為されなかったという事例は、シロエでさえ知らない。
 しかし、シロエの記憶が確かであれば、イベント案内には追加の言及があったはずだ。

「そうか……。一週間の征伐期間の間、ゴブリン王が生き延びた場合、周辺地域のゴブリン部族をまとめ上げ、数十倍にふくれあがった軍勢となる、と云う解説だな?」
 ミチタカの指摘に、シロエは頷く。

 そのとおりだった。
 戴冠に成功したゴブリン王は、ゴブリン族の英雄となって勢力を飛躍的に増大させるはずなのだ。

 シロエたち〈冒険者〉は、〈大災害〉以降この異世界で生きるための環境作りに必死になっていた。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代には人気イベントであった『ゴブリン王の帰還』について、何も考えないで過ごしてしまったほどに、だ。

『ゴブリン達の戦力も、完全に温存されているのかな』
 念話からの伝言を随行員の一人が伝える。シロエは少し考えて、頷く。

「ええ、今回は周辺6部族に対する攻撃も、ゴブリン王の居城〈七つ滝城塞〉への波状攻撃もまったく行なわれていません。ゴブリン王の近衛部隊や、戦闘部隊のレベルは、今までで最高だと考えた方が良いと思います。もちろん、ゴブリン王も手強いでしょう。……それ以上に、統合したというゴブリン部族の規模がどれほどになっているか、それが不安です」

 会議室に、どことなく押し殺したような静寂が流れる。
 みんながみな、黙りたかった訳ではなく、言葉の先を失ってしまったような静けさだった。

 とは云え、大規模なざわめきにならなかったのは、一定の安心感が確保されていたからだろう。夏季合宿に向かった一向は、廃校舎に現在避難中だという報告が上がってきているし、〈三日月同盟〉のマリエールは、その廃校舎から現在のこの念話会議に参加中だ。

 念話機能は1対1でしか使用できないため、会議室ではマリエールと通信状態のヘンリエッタがその代理役を果たしている。
 また、その一行が立てこもる廃校舎が、万が一強力なモンスターに包囲されたとしても、彼らは帰還呪文でアキバの街に待避すれば、被害を受けることはない。

 ザントリーフ半島付け根の辺りを大規模なゴブリンの軍勢が進行中と云うことは、周辺の村や集落を平らげつつ東進もしくは南進中と云うことだろうが、アキバの街への距離はまだある。そして、もし侵略して来るのならば迎え撃つだけの兵力も、アキバの街は保持しているのだ。
 ゴブリン王がいままでになく強大だとしても、そのレベルの予想はつく。アキバの街には、ゴブリン王討伐に必要なフルレイド――24人の〈冒険者〉の、500倍以上の数の〈冒険者〉が揃っているのだ。

(だけど、今回のこれは……)

 アキバの街はよい。しかし、アキバの〈円卓会議〉ほどに〈自由都市同盟イースタル〉は安穏と構えていることは出来ないだろう。一万という軍勢の数がそのままだとしたところで、その兵力は弱小の城塞都市攻略には十分な人数であるように、シロエには思える。
 残念ながら軍事的な知識の乏しいシロエにははっきりとは云えないが、自由都市同盟の領主の中には青ざめているものも多いのではないだろうか?

「〈イズモ騎士団〉はどうでしょう?」
 ヘンリエッタのためらいがちな声が、一同に掛けられる。

 その言葉に「おお」、「そういえば……」という同意にも似た呟きがあふれ出す。

 〈イズモ騎士団〉。
 それは日本サーバーに存在する〈古来種〉による騎士団だ。
 〈古来種〉とは〈大地人〉から生まれた英雄的な存在。〈冒険者〉をも越える戦闘能力を持つ、善の人間型種族の切り札だった。〈冒険者〉がこの世界に現われて以来、その圧倒的な数により、亜人間討伐やクエストの実行などをほとんど独占しているが、世界の命運を決める戦いには、常に〈古来種〉による騎士団が介入している。
 世界に存在する12のサーバーに置かれた13の騎士団のひとつ。〈イズモ騎士団〉は日本サーバ、いや、ヤマト列島における守護神の立場にあると云っても良いだろう。

 〈エルダー・テイル〉がゲーム時代だった頃、シロエはこの騎士団の話を頻繁に耳にした。シロエだけではなく、プレイヤーが高レベルになるほどのこの神話的騎士団の伝承を耳にすることは多くなるのだ。クエストによっては共闘したり、その足跡を追いかけることも多くある。
 彼らはこの世界における善の人間型種族全体の守護者であるために、例えば領主間の政治的な闘争には関与しないが、亜人間の侵攻などという事態になれば重い腰を上げるだろう。

 会議室には「自分たちが手を下すほどもない」という空気が流れるが、シロエは懐疑的だった。例えば〈イズモ騎士団〉が、現在でも機能しているかどうかの確認が取れてはいない。
 また相変わらずの心配性なのではないかと自分でも自己嫌悪してしまうのだが、そもそもゴブリン部族の南下そのものだって気に掛かる。〈エルダー・テイル〉公式サイトの解説に寄れば「放置されたゴブリン王は付近の勢力を統合して、一大王国を築く」という記述しかなかったはずだ。

(……本当に、良いのか)

 しかし、シロエの中にもはっきりとした答えがある訳ではない。それに〈魂魄理論〉(スピリットセオリー)の問題がある現在、確かに大規模な戦闘を行なうには、ためらいがあるのも事実だった。


 ◆



「姫、姫。……レイネシア姫?」
 侍女が呼びかける声に、レイネシアはそちらを振り向く。

「なにかしら……?」
 小首をかしげて訊ねるレイネシア。その様子は宮廷の騎士達であるのならばそれだけで胸を打たれて、一生の忠誠を誓ってしまいそうなほどの愛くるしさが存在したが、そこは長年側近く使えてきた侍女である。

「なにか考え事でもしてたのですか? お昼はまだ先ですよ」
 エリッサはさりげなくひどい返答をする。
 最もこれでも、まだ指摘としては暖かみがある方なのだ。「考え事」というのは、レイネシアの行動の中では珍しい。「考え事」よりも「くよくよする」方がずっと多いし、一番多いのは「放心している」だ。

「え? ……そう、見えた? エリッサ」
 慣れたものなのか、レイネシアの方もその辺には反抗することなく、訊ね返す。

 エリッサと呼ばれた侍女は、化粧台の前に座ったレイネシアの背後に回ると、その見事な銀色の髪をくしけずり始める。

「ええ、そう見えました。姫にしては珍しく、ですけど」
 その言葉にレイネシアは、本当に珍しく、また考えに沈む。見分けるコツは、視線だ。視線をちょっと伏せ気味にして、喜怒哀楽の表情が消えているのが「考えているとき」である。

 視線を左下方に流しつつ、苦悩に耐えて、それでも微笑もうとしているような表情は「くよくよしている」だ。エリッサから見ると大抵は何でもないことのような、もしくは何でそんなことで? と云うような内容で滅入っているときはこの表情をする。
 これが学士や文官などには大絶賛される「愁いに満ちた黄昏の巫女姫」風の微笑の正体である。悩んでいる内容は「流石に昨日の食事は食べ過ぎだったかしら……?」とか、そう言った内容なのだが。

 騎士や武官などの体力派に大人気なのは「放心している」表情で、これは少し小首をかしげ、夢見るようなうっとりした表情で、有るか無きかの微笑みを浮かべているというもの。放心の度合いが深くなると、瞳がうるんで一層魅力的になる。
 この場合「放心」というだけあって、聞いてみると本当になんにも考えていない。良くて「ああ、良い天気だな」とか「お部屋で昼寝したいなぁ」とか、その程度である。これだけ聞いてしまうと馬鹿のようだが、エリッサの見るところ、仕えているレイネシアは馬鹿なので事実誤認はない。
 少なくとも、普段の生活においては、であるが。

(全く。美人って云うのは始末に負えないわー。ほんと)
 エリッサとしてはため息をつくほか無い。

 エリッサだとて王女付きの侍女である以上、平均から見ればずいぶんな美女である。たまの休日に城下町に出れば、必ず見知らぬ男に声をかけられるほどだ。
 しかし、エリッサの自覚において、自分は「小綺麗な女」ではあるが「美しい、麗しい」と云うほどではない。本当の意味での美人というのは、レイネシアのような存在である。このレベルの美貌というのは、ある種独立した存在であって、もはやレイネシア自身の人格や思惑とは別次元でその効果は作用するようなのだ。

(あたしゃーあんまりうらやましいとも思いませんが)

 エリッサは小さくため息をつきながら、豪華な銀色の滝のような髪をとかしてゆく。指の中を冷たく流れる髪の束は、その一房でさえ、同じ重さの黄金に匹敵する宝物だろう。

「……今日は来ませんねぇ」
 ちょっとからかいたい気分になって、エリッサは言葉をするりと滑り込ませる。

「え?」
「クラスティ様ですよ」
「――なぜ?」
「いいえ。最近、昼食は良くお二人でとっていらっしゃいましたからね。時間的には、そろそろお誘いなり、訪問のお伺いなり来ても良いのではないかなぁ、と」

「そ、そうかしら……」
 レイネシアは多少慌てたように言葉を返す。ほのかに狼狽しているレイネシアは、騎士が憧れていた「麗しい姫君」ではない。
 もちろん素晴らしい美貌の姫君ではあるが、麗しいと云うよりは、ひどく初心で不器用な……。悪く云ってしまえばダメそうな少女に見える。そんな主人を、エリッサは気に入っていた。

「ええ、そうですよ。殿方などというものはいつになっても気が利かないことこの上ないですね。こちらは旅行中のクローゼットで、すっかり苦労しているというのに、支度の都合さえ考えてはくださらないのですから。
 まったくもってやれやれです。……昨日の昼餐会は真珠色のドレスに藤色のストール、アメジストのネックレスでしたわよね。一昨日は淡い薔薇紫のサテンのもの……ええ、二段切り返しのものです」
「ええ」

 レイネシアは鏡の中できょとんとした表情でエリッサを見つめ返す。エリッサが何を云っているのか、良く判ってないらしい。

「よろしいですか? 姫様。ここはマイハマの「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)ではありません。したがって姫様のワードローブにも限界はあるわけです。これだけ特定の殿方と連続で昼餐会を行なわれますと、組み合わせでドレスの種類を幅広く見せるのも限度があるって事ですよ。
 昼餐会である以上、晩餐会のようなイブニングを着るわけにもいきませんし、昼日中から肌を晒すにも節度というものがございますからね。もちろん中庭で食事をとるのならばそれなりの袖口の形、室内でしたら壁紙との色の組み合わせというものがございますし……」
 エリッサの言葉をしばらく咀嚼していたレイネシアは、おずおずと切り出す。

「別に、昨日と同じものでも」
「ダメです。二日続けて同じドレスで食事をするなんて何処の田舎女ですか」
 エリッサはレイネシアの言葉をすかさず遮る。

「じゃぁ、シルクのドレスシャツに、キルトのハイランドスカートとか……」
「それは部屋着ですっ。ってか、姫様がごろごろするとき専用の衣装じゃないですかっ」
 レイネシアはエリッサの剣幕に、叱られた子犬のような表情で口をつぐむ。そんな様子さえ憂いを秘めて苦難に耐える風情に見えるのだから、美人というのは恐ろしいものだ。

(だけど、頭の中の方はダメ人間だわ。キルトのハイランドスカートなんて、そんなの殿方に見せる格好じゃありません。酒場女じゃ有るまいしっ)

「別にクラスティ様(あのかた)は、そう云うこと気にしないと思うのですが……」
「いーえっ。殿方というものは口先では気にしない、気にしないといいつつも、心の中では冷酷に採点を行なっているのです。そうに決まっています」

 そのとき、再びお説教が開始されそうな侍女の剣幕をノックの音が遮った。
レイネシアの合図を受けたエリッサが確認をする間も惜しんで、家令を引きつれて入ってきたのは、レイネシアの父フェーネルである。

「ああ、レイネシア。どうか落ち着いてお聞き」
 狼狽をにじませるフェーネルは、手渡されたグラスの水を大きくあおると、言葉をしぼり出す。

「マイハマの都に〈緑小鬼〉(ゴブリン)の大群が迫っているのだ。その数は一万に迫るという。今このときも敵は増え続け、おそらく数日中には大軍勢となろう。最悪の場合だが」
 エリッサは一瞬その言葉の意味をつかみかねる。

 一万というのは、百の十倍である千の十倍である。
 マイハマの都は〈自由都市同盟イースタル〉でも最大規模の居住区だ。その人口は、約三万。しかし、それは農民や商人全てを含んだ数字である。
 マイハマの都のもつ兵力は、都の警備を行なう護民官1000名、城詰めのマイハマ騎士団400、その他警邏騎士団をあわせても、合計で2000に届くか、届かないかでしかない。

 そこまで考えた瞬間、エリッサは自分の身体の中からごうごうと音を立てて血が引いていくのを感じる。

 敵が亜人間ともなれば、市民の義勇兵は殆ど歯もたたないだろう。籠城戦等という言葉を聞いたこともあるが、詳細はわからないエリッサにとって、一万対二千でははなから勝算がないようにも聞こえる。

「もちろん、醜い悪鬼どもも我らが至宝、マイハマの都に襲いかかると決まったわけではない。ツクバの街や近隣いくつかの貴族の領地も、危機圏に入っている。だが状況は油断を許されぬ。わたしは、これより急ぎマイハマへと戻るつもりだ」

「お父様っ。それではわたしも」
 レイネシアが腰を浮かしかける。
 その表情は真剣で、鋭い。

 レイネシアは確かに、人と付き合うのを苦手としているし、怠け者で、ぼんやりしていて、到底大貴族の令嬢とは思えないような女性だ。

 だが、「大貴族の娘と思えない」だけであって、「大貴族の娘にふさわしくはない」訳ではない。

 それは断じて違う。このいい加減でちゃらんぽらんな姫君は、今やヤマトに二つしか残っていない公爵家の一つ、コーウェンの血を引く娘なのだ。エリッサは、自分が世話をする姫君の尊い血脈とその潜在能力だけは疑ったことがなかった。

「いいや、それには及ばぬ。お前はこの宮廷に残るが良い」
「どうしてです。領地の危機に一族が戻るに当たって……」
「いや、義父上もこの宮廷にお残りになる」
 義父とは現コーウェン家当主、セルジアッド公爵である。レイネシアの父は、セルジアッドの娘にしてレイネシアの母、サラリヤの婿に当たる。

「このたびの亜人間の侵攻は得体が知れぬ。またその規模から見て、事は我がマイハマの都一つに降りかかるというわけでもない。マイハマが襲われるのならば、それはまだ良い。……最悪の場合、ゴブリンどもは我らが大地、〈自由都市同盟イースタル〉の版図を蹂躙するやも知れぬのだ。
 そのためにも、領主会議はその結束を万全にしなければならぬ。筆頭領主である義父上は、この古宮廷を離れるわけには行かぬのだ。お前は義父上を支えねばならぬ。……判るな?」

 おそらくそのことだけを伝えに来たのだろう。
 フェーネルは娘の言葉を待とうともせずに、足早に部屋を出て行った。エリッサは深く頭を下げて見送ることしかできない。

 彼女にしてみれば、フェーネルは直接の雇用主である。世話をしているレイネシアや、その母であるサラリヤよりも遙かに接触は少なかったが、篤実そうな人物であるという印象を持っていた。

 マイハマの都と云えば、その領主はセルジアッド公である。
 若くして領主の地位に就いたセルジアッドは英明の声望も高く、民にも深く慕われている。その娘サラリヤ、孫娘に当たるレイネシアも、都では非常に愛されている。
 この直系の血族に対して、娘婿という、いわば外様のフェーネルは、こう云ってはなんだか多少印象が薄い所があるという指摘は否めないだろう。
 騎士団の将軍や他国の領主の血族ではなく、文官上がりのしかも実務畑から上がってきた青年が王族に入ると決まったとき、マイハマの都の人々は、がっかりしたわけではないが、どこか肩すかしのような気分になったものだと、エリッサは父母から聞いていた。

 しかし、こうして領地へと急ぎ駆けつけるためには一片の躊躇いも見せないフェーネルの後ろ姿には、文官上がりという甘えは一切感じられなかった。そも、そこまで柔弱な人物であれば、セルジアッドの眼鏡にかなうはずもないのだろう。エリッサはそう納得した。

「父様……」
「姫君?」
 呟くような声に、エリッサはレイネシアに意識を戻す。

 そこには考え込むレイネシアがいた。
 いいや、その表情は、ほんのさっきまでエリッサが「考え込むレイネシア」と評したそれとは、全く様相を変えていた。

 見えないものを見通すかのようにもたげられた瞳は静かな炎を孕んで燃え上がり、たおやかに立つその姿からは、愁いに満ちた、などという戯れ言は冗談でも出てこないような気高い気迫がほとばしっている。

「姫……ぎみ……?」
 エリッサの問いかけも聞こえないように、レイネシアは唇をかみしめ続けていた。
第四巻「ゲームの終わり(下)」開幕です。全9回予定。
解決編ですので、アクション要素強めでお送りします。
2010/05/15:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
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