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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

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027

 パチパチと火花が踊っていた。
 ここはザントリーフ中央山地。森の中にある切り開かれた敷地、五十鈴達が「ラグランダの社」攻略を進めているベースキャンプだ。

 たき火のそばには、五十鈴と、ルンデルハウス。
 先ほどまではもっと沢山の人が居たのだが、みな三々五々にテントへと引き上げてしまった。

 攻略も一週間になる。今日が第一回遠征の最終日で、明日の昼過ぎにはメイニオン海岸近くにある廃校舎の合同キャンプへと、帰還する予定だ。明日は、午前中に軽くダンジョンに入るだけ、と云うつもりである。

 チームワークが固まってきた五十鈴達は、先ほどまでこのたき火を囲んで、夕食後の蜂蜜入りの黒薔薇茶を飲んでいた。武器や鎧の手入れをしながら、とりとめのない、それで居て楽しい雑談を繰り返す。セララはにゃん太に頭を撫でて貰い、ミノリはまたしてもこっそりとどこかへ念話を掛けていた。

 五十鈴はと云えば、荷物からリュートを取り出してつま弾いていた。リュートは中世ヨーロッパの弦楽器だ。その形は、ギターと琵琶のあいのこのようで、やせぎすな五十鈴の腕の中にすっぽりと収まるサイズをしている。
 ギターよりは単調だが、どこか典雅な響きを持っているリュートの音色は、こうした野営にこの上なく贅沢な雰囲気を与えていた。リュートは、この異世界における代表的な携帯楽器であるらしい。ピックではなく、指先でたおやかにかき鳴らすと、弦楽器特有の穏やかに弾かれたような音が流れ出す。

(わぁ……。悪くないよねぇ、リュートも……)

 先ほどまでは雑談に加わっていたけれど、こうやって弦を爪弾くのは、やはり堪えられないと、五十鈴は思う。
 五十鈴は楽器全般が好きである。音楽も好きだ。ごく普通の田舎女子高生、五十鈴の「好きだ」というのは、熱烈に愛しているとか、将来はその道で絶対食べていく、と云うほどのそれではなかったけれど、逆にだからこそ素朴で偽りのない気持ちだった。
 どちらかといえばそれは「ああ、楽器触ってると気分良いなぁ」に近いものだといえるかもしれない。

「ミス・五十鈴は器用だな」
「んー。一応〈吟遊詩人〉(バード)だからね」

 視線をあげて微笑む五十鈴。
 みんなが去ってしまった今、たき火の近くには五十鈴とルンデルハウスだけだった。

 別段決まった楽譜もなく、コードのようなものをかき鳴らす。
 そもそも、五十鈴は元の世界で「リュート」なる楽器を触ったことがない。どこかの記事か何かで、ギターの祖先に当たるようなヨーロッパの楽器で、中世に使われていたとか何とか……と聞いた覚えはあるが、実際に触ったのはこの世界にやってきてからだ。

 基本はギターだのヴァイオリンだのと一緒だと思う。
 五十鈴の家にはギターと安いウッドベースはあるけれど、ヴァイオリンはない。まぁ、おそらく似たようなものだと思う。
 まいったのはリュートには弦が15本もあることだ。

 それでも、二ヶ月あれば、コードを鳴らすことくらいは出来るようになる。短音旋律だって問題はない。
 ルンデルハウスは、その演奏とも云えないようなセッションを、ブリキのカップを手にしたまま、黙って聞いている。その視線を、五十鈴は居心地が悪いなんて感じなかったし、ルンデルハウスの方も口をはさむと云うことはなかった。

 音楽は寄せては返す波のように、繰り返された。
 もとより、何か明確に意識をして弾いていた訳ではないので、あっちへふらふら、こっちへふらふらだ。五十鈴が知っている『旧世界』の歌謡曲(ポップソング)が不意に現われたり、またコードの海に消えていったり。教科書に載っているような童謡や、古典楽曲(クラシック)が浮かび上がってきたり、また溶けたりした。

 別に止める必要もないのだが、とりあえず切りの良いところで和音を鳴らして一段落すると、ルンデルハウスが感心したように、拍手を始める。

「よしてよ。そんなっ。たいしたものじゃないんだし」
「いや、良かったぞ。音がほろほろと、空気に溶けていくようだった」
 それは。
 それはそうかも知れないと、五十鈴も思った。だが、リュートの音色が、そんなに心地よく響いたのだとすれば、それは五十鈴の手柄と云うよりは、シチュエーションのお陰だろう。
 星の瞬く夜の森の中で、たき火に、夏の香を残した少し涼しい山風。そんな状況で弾けば、どんな楽器の音も天上の調べになるに違いない。

 そう言いかけた五十鈴だったが、ルンデルハウスの瞳には、純粋に賞賛の念しかなかった。その気持ちにけちをつけてはいけない。五十鈴はただ短く、「ありがとう」と云うに留めた。

 その後は、またくだらない雑談に戻った。
 腕の中に抱えたリュートを時折戯れるように鳴らす。
 音の粒が夜気の中を浮かび上がるのは、嬉しい。

「ルディは、普段は何を食べてるの?」
「ホットサンドとかホットサンドとかホットサンドとかだ」
「ホットサンドばかりじゃない。もしかして、明太子のヤツ?」
「そうだよ、ミス・五十鈴」
 それはアキバの街の駅構内で売っている〈RP.jr〉(レイパーカー)というギルドの移動売店だった。小規模ギルドのくせに、超人気メニュー「明太子ホットサンド」をひっさげて大きな利益を上げているのだ。人気の秘密は毎日六回は焼き上げるという美味なパンだろう。
 「明太子ポテトサラダ」という、肉系のメニューよりも原価が安い材料に注目したのも、上手い。五十鈴もお気に入りだ。

「あれ、美味しいよね」
「うむ。あの明太子のプチプチと弾ける食感が絶品だ」
 ひとしきり食料事情の話で盛り上がる。
 二人とも、お気に入りの飲み物は、今アキバで流行中の黒薔薇茶。
 蜂蜜とレモンの果汁をちょっぴり入れた水を、精霊によって凍らせた「クラッシュ・シャーベット」も美味しい。ちょっとご馳走が食べたいときには〈キッチン・ぶう〉の「とんかつ」も最高だ。

 五十鈴にしては珍しく饒舌な気分だった。
 地味な女子を自認している彼女としては、男子とこんなに長く喋った記憶はほとんど無い。
 相手がルンデルハウスだろうか?
 このルンデルハウスという青年は、改めて観察してみると、まつげも長いし、美形だし、モデル顔のアングロサクソン人なのだが、その顔を見ていても五十鈴としては微塵もロマンチックな気分にならない。
 どちらかと云えば、うーん。と五十鈴はうなる。

(そうだ! ゴールデン・レトリバーっだ!!)

 あのスマートで英国貴族風のハンサムな大型犬。ルンデルハウスは、あの種類の犬によく似ている。頭が良くて気品があって、偉そうなところも似ている。でも、たれ目なところとか、よく付き合ってみると馬鹿なところとか、人なつっこいところもそうだ。
 五十鈴の頭の中で、ルンデルハウスはすっかりゴールデン・レトリバーのポジションなのである。

(そうかぁ。だからルディのことちっとも怖くないんだなぁ)

 話は巡って、定宿。五十鈴はギルドハウスに寝泊まりしているが、ルンデルハウスは未所属である。

「ふふぅん。ぼくはシデンの酒場2階のロイヤルスイートを常宿にしているのさぁ」
 その自慢げな物言いも、いまの五十鈴にはわんこワンワン的な気分で、まったく気にならない。それにシデンの酒場は、アキバの街の酒場としては中の下のランクだ。場所がよいので人気はあるが、値段も格式もそこそこ。

(いや、そこ。そんなに自慢顔で云える場所じゃないから)

 その2階の宿屋のロイヤルスイートと云えば、名前は立派だがごく普通の〈冒険者〉宿であって、それ以上のものではない。

「そか。そういえば、ルディは何でギルド入ってないの? 入らないの?」
「僕のこの輝かしいばかりの才能を一つの場所に縛り付けるのは罪悪というものだろう?」
 ルディは気取って答えると、さり気なくウィンクする。

(あたし、こんなに自然にウィンクできる人って初めてみた。ルディってすごい……。バカだけど)

 もちろん、ギルドへの参加は個人の自由だ。
 他人がとやかく云うものではない。

「そっかぁ」
「しかし、ミス・五十鈴は麗質を備えた女性だ。僕はこんなに切々とした独奏を初めて聴いたぞ。本当に音楽が好きそうだった。……戦闘の時にも頼りになるしな。両手槍の吟遊詩人なんて初めてみたよ」

「う、うるさいなぁ。ルディは」
 五十鈴はそのルディに言い返す。両手槍は、あれは何となく父親のコレクションで見た「ギターをアンプに叩きつけて壊すロックスター」っぽいかなぁと思って選んだだけなのだ。
 かなり重い武器なのだが、案外使いこなせて自分でもびっくりしている。ウッドベースだって、ああ見えて重さは15キロはあったりするのだから、両手槍くらいは振り回せて当然なのかも知れない。つまりは、人間なんでも物事は慣れだと思う。

「ははははっ! 迫力があって良いじゃないか、ミス・五十鈴! キミは一緒にいて落ち着く得難い仲間だ。どうせ同じアキバの街に住んでいる。これからだって顔を合わせるときはあるさ」

「そうだね」
 五十鈴は容易く頷いた。

 この世界は当分、抜け出られそうにはない。
 それは、やはり戦闘なんかは怖い。未だに〈ハーメルン〉に居たときの真っ黒な気持ちを思いだして胸が潰れそうになったりも、する。
 それでも五十鈴の手元には音楽があるし、仲間も居る。まだ帰れないのなら、今を少しでもよくしなければならない。その意志を、五十鈴はミノリから学んだ。だから、ルンデルハウスに頷ける。

「あ。それじゃさ。ルディのこと、お友達帳(フレンドリスト)に登録しとく。儲け話あったら呼ぶからね。あと、こんど『明太子ホットサンド』も食べに行こうね。ふふふっ。よっし、登録、登録っと」
「え――」
 ルンデルハウスの表情が、陰った。
 それは自らの失敗を悔やむ表情。
 自らの甘さを責める表情。

 五十鈴のメニュー画面からは、ルンデルハウスを。
 フレンドリストに登録することは、出来なかった。



 ◆



 激しい剣戟の音が森の中に響く。
 打ち合わされる剣と盾。
 互いに隙を狙う斧と槍。

 小竜は相手をしていた〈神祇官〉(カンナギ)との距離を一気に詰める。〈神祇官〉――38レベルのその男は、今からまさに〈剣の神呪〉を放とうと距離をとって詠唱開始をしたところだったのだ。小竜は〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)の基本的な剣技〈レイザー・エッジ〉で追撃を行ない、その距離を潰しながら詠唱を妨害する。

 咳き込んで倒れる若手に、小竜は手を貸して立たせる。
「距離とって詠唱したいのは判るけど、出がかり読まれると止められる。普通のモンスター相手ならそんなの気にしなくても良いけれど、敵も強くなっていくから、連携練度あげた方が良いよ」

「やっぱ遅いっすかね」
「遅いってか、素直すぎるかな。動きのパターンを増やすって考えると良いかも」
 小竜のアドバイスに、男は素直に頷く。

 40レベルともなれば、〈エルダー・テイル〉においては中堅クラスだ。このレベルに辿り着く実力を備えるためには、相当数の戦闘をくぐり抜けることが必要になる。生産職の護身としては十分なレベルだろうが、この先も戦闘系の〈冒険者〉としてやっていくためには、付け焼き刃ではない戦闘技能が必要になる。
 それはゲームでなくなった〈エルダー・テイル〉において、生死を分ける重要なポイントだった。

 死が無くなったとは言え、苦痛はある。
 死んだことのあるプレイヤーに聞けば、その痛みは十分我慢出来る程度――少なくとも短時間は、だと云う。例えば骨折したときや車に轢かれた程度だという話だが(それだって十分以上に苦痛のはずだが)、その苦痛を差し引いたとしてもデメリットは小さくない。

 たとえば、時間の問題だ。
 〈エルダー・テイル〉がゲームだった時代、この世界では12倍速の時間が流れていた。現実世界で2時間が経つ度に、こちらの世界では1日が経過していたのだ。
 これはゲーム内のクエストなどの関係上とられた措置だ。あるクエストに、夜の間しか起きないイベントが存在したとする。現実世界と〈エルダー・テイル〉の世界の時間が完全に同期していると仮定すると、〈エルダー・テイル〉の世界が夜になるのは、現実世界も夜の間だ。

 もし仮にそう言うシステムだとすると、毎日昼にしか〈エルダー・テイル〉をプレイ出来ないユーザーは、このクエストをクリアすることが不可能と云うことになってしまう。プレイヤーは現実世界で実生活を行なう人間であり、当然のようにゲームを行なう時間には一定のリズムが存在するのだ。
 こういったプレイヤーへ配慮するため、ゲーム世界内では時間を12倍速にし、約2時間で一日が経過するように調整されていた。

 しかし、異世界化した〈エルダー・テイル〉では、その世界の内側にプレイヤー、つまり〈冒険者〉が存在する。ゲーム時代と違って休息も必要なら睡眠も必要だ。

 そのため、ゲームとしてのプレイなら1時間の旅でたどり着ける――つまり距離にして12時間の先の目的地であっても、現在では休憩や野営を含めれば、旅をするだけで丸2日間掛かるというような事態が発生している。
 〈妖精の輪〉(フェアリーサークル)を始め、各種移動手段が大幅に制限された現在の状況において、その傾向はさらに顕著だ。
  ダンジョンへ行くにせよ、高レベルの敵が出現するゾーンへ行くにせよ、まず移動そのものが大変なのだ。

 その結果、経験値の重みは、ゲーム時代よりも増すことになる。レベルアップするのに要する経験値が増えた訳ではないが、時間当たりに稼げる経験値の量は相当に減少してしまったのだ。当然、死によって失われた財産や経験値ペナルティを取り戻すのも大変だ。

 そう考えると、戦闘そのものの敷居が上がっているとも云えるだろう。死がない以上、いざとなればどんなプレイヤーでも最低限の身の安全は保証されるが、日常的に争いの場に身を置く〈冒険者〉は相当な覚悟で技術を身につける必要がある。

 〈神祇官〉の少年もそれは判っていたのだろう。真剣な表情で、刀を構えると、一連の技の流れを何度も確認し始める。〈神祇官〉は回復職の中でも東洋的なイメージの職業であり、刀の装備が可能だ。
 世界ではどうか知らないが、日本サーバにおける〈神祇官〉は、男性プレイヤーであれば「禰宜」(ねぎ)、女性プレイヤーで「巫女」(みこ)と呼ばれる事が多い。その名にふさわしい、水干と緋袴の専用装備は、40レベル以上の装備なので、これを目標にするプレイヤーも多かったはずだ。

 〈エルダー・テイル〉におけるアイテムは、下請け会社によっても追加されていた。日本サーバでは、特に〈神祇官〉や〈武士〉用の専用装備は、数多い。中には魔法使用能力を高める「神刀」などもあり、この少年のような単独(ソロ)活動する〈神祇官〉には好まれている。

 小竜はそんな少年を見て、にっと笑う。
 筋は、悪くない。〈神祇官〉は元々回復職で、近接戦闘武器に関わる特技は一部の例外を除いて覚えないのだが、こうして近接戦闘訓練をすること自体は、無駄にならないのだ。遠距離の呪文と、近距離の武器攻撃の両方を使いこなせるのは、戦闘行動におけるバリエーションが飛躍的に広がることを意味する。同じ〈神祇官〉の中でもアドバンテージになりえるのだ。

 悪い予感はいつも正しい。
 その時鳴った鈴の音の陰鬱な響きを、小竜は忘れないだろう。

 不吉な感触を覚えて反射的にメニューを開いた念話の相手はマリエールだった。

『小竜か!? 早く浜辺にきてやっ』
「どうしたんですかっマリエさん?」
『海から〈水棲緑鬼〉(サファギン)が上がって来とる。新人達がっ――っく。……急いでっ!!』

 念話の接続を放置した小竜は、手近な〈神祇官〉の少年に叫ぶ。「全員を集めろ! 至急だっ!」と。
 海岸の状況は判らない。サファギンの数も、戦力も、だ。
 しかし通話は粗く、マリエールの呼吸は乱れて、戦闘音が響いていた。海岸にいるのは低レベルの新人プレイヤー達。それだけに、同行している高レベル〈冒険者〉も多いが、敵の数次第でどんな状況になっているのかはまったく判らない。

(どうなってんだよっ!? こんな場所で、サファギンなんて出現するのかっ!?)

「全員集合した時点で、そちらから念話をいれてくれ。――10分おきに定期連絡もだっ!」
 そう言い捨てて小竜は走り出す。素早く召喚笛を吹き、馬を待つ間も惜しむように、木立の中を駆け抜ける。
 もちろん、ここにいる新人プレイヤーの付き添いも大事だ。しかし、海岸線の新人達のレベルは、さらに30は低い。

 〈水棲緑鬼〉(サファギン)
 それは海や湖などに住む亜人間の一種だ。姿形はゴブリンに似ているが、全身は淡い水色から濃紺色で、腹部のみが多くの場合生白い。
 身長は160センチ程度で、身体は水の抵抗を考慮してか細く、体重で云えばおそらく40キロ前後だろう。
 手足の指の間には水かきがあり、えら呼吸を行なうために水中での活動が可能だ。その上肺呼吸も出来るためか、陸上に上がってくる場合もある。
 皮膚の問題なのか、身体の構造上の問題かはわからないが、水辺から離れることはないために、通常の荒野やダンジョンでは滅多にお目にかかれない種類のモンスターだとも云える。

 知能もゴブリン並みで、武器はナイフや、〈三つ叉槍〉(トライデント)を用いることが多い。だが、小竜の知識では、その辺りが限界だ。
 戦った回数も、さほど多くはない。

(レベルは確か……。20から30くらいまで、だったような……)

 駆けつけてきた栗毛の馬に併走状態から駆け乗ると、小竜は一路海岸部を目指してひた走る。

 馬は駆ける。
 緑に満ちた木立を。ベリーのなるスグリの茂みを。
 タイルのように区切られた丘陵の畑道を。
 空は青く、そこには夏の象徴たる入道雲が浮かんでいる。
 なんて綺麗な光景だろう。
 こんな時なのに、小竜はそう感じてしまう。

 夏はこんなにも澄んで美しいのに。耳元で接続を保っている念話通信からは粗い呼吸音、剣戟の音、魔法が空を裂く甲高い物音が連続して聞こえてくるのだ。
 その向こうにあるのはサファギン達の歯ぎしりのようなうめき声と、戦いの蛮声。小さく聞こえる濡れた音は、マリエールが出血でもしたのか。
 小竜は、喉に石がつかえたかのような切迫感に襲われる。

 人気のない廃校舎の校庭を馬は駆け抜け、そのまま一直線に海岸を目指す。この広い坂道は、おそらく『旧世紀』の農道。左右には朽ちたる電柱が、もはや目的のない標識のように崩れている。菜の花畑も、青菜の畝も飛び越えて、小竜の馬はひた走る。

 逃げてきた、新人らしいプレイヤーとすれ違うように海岸へと辿り着いたのは、戦闘の最前線。そこには〈黒剣騎士団〉や〈キール〉の面々に混じって、マリエールもしんがりを務めていた。
 小竜はサファギンの間に馬を躍り込ませて、トライデントを構えた数匹を蹴散らす。高レベル専用の軍馬は小竜の期待に応え、存分の戦働きを見せた。

「マリエさんっ!」
「小竜っ!」
 蒼白なマリエールをかばって小竜は立ちふさがる。〈三日月同盟〉の戦闘班長は小竜なのだ。ここで背を向ける訳にはいかない。敵するはサファギン。レベルは低いが、その数は海岸を埋め尽くしていた。

「マリエさん、下がって!! 近隣キャンプに散らばってるグループを呼び集めないと。――急いでっ!!」
 双剣を引き抜いた小竜は、京劇の少年俳優さながらの華麗な動きで、サファギンの爬虫類とも猿ともつかぬおぞましい姿の中に飛び込む。
 彼は一陣の旋風となり、蒼黒い血煙を避けもせずに、突撃を繰り返した。

 海岸線と農道の中間地点の石垣を背景に、小竜達の撤退戦がこうして開始された。



 ◆



 一方そのころ、ザントリーフ半島中央部の山地でも戦闘が開始されていた。

 敵は〈緑小鬼〉(ゴブリン)
 どこから湧いてきたのか、森の中には小隊規模の小集団が相当数徘徊しているようだ。

 直継達一行は、「ラグランダの杜」前の広場において、先ほどから十数回の襲撃を撃退していた。そこに集まっているのは、13名。ミノリ達パーティー5名に、上位攻略パーティー6名。そして直継と〈黒剣騎士団〉から派遣された〈施療神官〉のレザリック。

 最初の襲撃は、はぐれゴブリンとの遭遇戦かと思った。
 数回の遭遇戦を経て、小規模な部族の移動コースに出くわしたのだと、直継達は考え直す。しかし、その回数が6度に達したとき、疑念はもはや無視し得ないほどの大きさになっていた。

 その時点でにゃん太は山中偵察へ。
 にゃん太の帰りを待つ13名は、キャンプを撤収したり周辺警戒を進めている。

 レベル的な話をすれば、ゴブリンそのものはそこまで脅威度の高い敵ではない。もちろん、亜人間の大勢力というだけはあり、その兵科バリエーションは豊富だし、軍と見れば強大なのだろう。しかし、彼らの中心的なレベル分布は10レベル~20レベル程度だ。つまり、個体単位でみれば、ミノリ達25レベル前後の新人プレイヤーでも十分に対処可能と云える。

 そういった事情もあって、未知の状況ではあったが、新人プレイヤー達も比較的落ち着いて作業を進めていた。巨大なテントの荷物は、重量軽減バックのある直継とレザリックに任せ、自分たちは雑多な身の回りのものを、既製のバッグに詰め始める。

「きなくせぇな」
「え?」
 テントを解体している直継に、すぐ隣のレザリックが問い返す。
「気にいらねぇな。こいつぁ気にいらねぇ。なんだかいやな予感祭りだぜ」
「たかがゴブリンじゃないですか」
 何を大げさな、という表情でレザリックは答える。ゴブリンの5匹や6匹であれば、回復職であるレザリックでさえ、1人で無理なく殲滅できるのだ。

「でも、この辺りの山中って、こんなにゴブリンのエンカウント率、高かったか?」
「それは……」
 直継は、新人達をちらっと確認する。それぞれ手分けをして、馬に鞍袋をつけたり、火の始末をしているようだ。

「それに今回は新人達(あいつら)が居る。どうにも俺は、いやな感じがするんだよな」
「ふむ……」
 レザリックも、アキバの街の名門大手ギルド〈黒剣騎士団〉からやってきた上級プレイヤーである。直継の言葉を笑い飛ばすようなことはせず、何かを考えている風だった。

 茂みが揺れて、細い影を広場に吐きだした。
 緑色のコーデュロイジャケット。ネクタイを締めた猫耳のやせぎすな紳士。――にゃん太である。彼は、いつも通りの細めた瞳に、これはいつもとは似つかない、ちょっと厳しい表情をたたえて、直継たちのもとへやってきた。

「どうした?」
「ええ」
 にゃん太の態度に自然と引率の三名は集合する。新人達は言いつけられた通りの撤収作業を行なっているようで、まだこちらには注意を払っていないようだ。

「よくない雰囲気にゃ。大規模行軍……。少なくとも数千規模のゴブリン軍が、ひとつ尾根の向こうを進軍中にゃ。どれほどの数かはわからないにゃ」
 にゃん太の言葉に、レザリックの顔が一気に緊張する。

 過去、ゴブリンが軍事行動を行なった事件は存在する。いや、むしろゴブリンは軍事的行動を好む亜人間の一種だ。彼らは集団で略奪を繰り返す。しかし、そのゴブリンにしたところで、余りに長い距離を数千規模で移動することは稀だ。ゴブリンの知能程度は低く、隣り合う街や村に伝染病の如く略奪の輪を広げるのが基本スタイルのはずである。
 どこか、奇妙だ。何かが狂ってきている。ベテランプレイヤー三人の嗅覚は、それを正しく嗅ぎ当てたがゆえに、その表情は緊張していた。

「ちっ。仕方ねぇや」
 直継はどこか判っていたような雰囲気で1つ頷くと、にゃん太に「連絡は?」と尋ねた。

「シロエっちには報告したにゃ。でも、マリエールさんと小竜くんは連絡が取れないにゃ」
「とれない?」
「昼寝してるのか。戦闘などで取り込み中か、お互い念話をしている相手が居るのか。それは判らないにゃ」
 にゃん太の言葉は落ち着いていたが、さすがにいつも程の余裕はない。

 にゃん太は「昼寝」などと一言挟んだが、それはマリエールであればまだしも、小竜に至っては考えづらい状況だ。その会話を聞いていたレザリックは、急にどこかを遠くを見るような眼差しになる。念話特有の表情だ。
 それに気が付いた直継とにゃん太は言葉を切って待つが、レザリックから返ってきた返事も「だめですね。海岸には〈黒剣騎士団〉のメンバーも居るはずですけど、連絡がつきません」というものだった。

 直継もにゃん太も、〈三日月同盟〉のメンバーで他にフレンドリストに登録しているメンバーは居ない。正確に言えば、にゃん太はセララを登録しているが、セララはすぐそばでキャンプ撤収の作業中である。
 今まで何回か、他の若手メンバーと出掛けたこともあったが、小竜にさえ連絡がつけば、後はその場の口頭会話で用が足りたのだ。これは、直継達の油断であったかも知れない。

 三人はそれぞれに想像を巡らせた。
 様々な可能性があり、悪い想定もしなければならない。だが、いずれにしても彼らが海岸に全力で急行する訳にはいかない。そんな事をすれば新人メンバーを置き去りにすることになってしまう。
 個々のゴブリンのレベルが低いとは言え、1つ尾根の向こうには、最低でも数千規模のゴブリンが存在するという。この山中に新人プレイヤーを残してゆく訳にはいかない。

「ゴブリン達はどんな感じなんだ?」
「谷を進んでいるのは、大規模な略奪部族(プランダートライブ)だにゃ。森が動き出したように見えるにゃ。こんな規模の軍勢は、我が輩初めてみたのにゃ。
〈鉄躯緑鬼〉(ホブゴブリン)〈灰色大鬼〉(トロウル)も見えたにゃ。――そのほか魔獣部隊も備えた、本格的な侵攻旅団だったにゃー。……進行方向は西南西にみえたけれど、それは確実じゃないので、なんともいえないにゃ……」

「じゃぁ、わたし達がさっきまで遭遇していたのは、先行偵察小隊なんですね?」
 突然、ミノリがにゃん太に声を掛ける。
 直継が振り向くと、そこにはトウヤとミノリを初めとした、下位パーティーの五人が立っていた。それぞれに硬い表情で緊張している。どうやら話を聞かれてしまったらしい。

「数千……尾根ひとつ向こうか」
 ルンデルハウスは、森の木々を見通すような視線をあげた。その表情には恐怖ではなく、意志が宿っている。

 ほんのわずかな間、引率の三人が言葉を失った隙に、セララははっきりした声で喋り始めた。
「わたし、〈三日月同盟〉で新人の世話をしてましたっ。あの、だからっ。みんなのこと、全員フレンドリストに入れてあります。ねっ? 五十鈴ちゃんも入れてるよねっ?」
「う、うんっ。もちろんっ」

「連絡して、状況を聞いてみて貰えませんか?」
 直継が言葉を掛けるより早く、ミノリの言葉に頷いた二人は、フレンドリストを開いたようだった。直継はその様子に頭をがりがりと掻いて迂闊さを自嘲する。〈三日月同盟〉出身のセララや五十鈴であれば、連絡がつけやすいと言うことも失念していたのだ。
 考えてみれば、当たり前のことではないか。

 こうなっては隠す意味など無い。
 どうせキャンプに戻るのならば全員に話さなければならないのだ。直継とレザリック達は、上位パーティーの残り六人も集めて、簡単に事情を説明した。

 もとから今日の昼前には、ここを引き払って、学園廃墟まで一旦戻る予定だったのだ。周囲をゴブリンの軍団に包囲された状況で、ダンジョン攻略も無いだろう。撤退するのはすでに既定事項だったが、現在の問題点は、移動におけるコースの選定と、周辺に散らばった他の訓練部隊の状況だった。

 セララと五十鈴の二人が会話をしている声が聞こえる。
 そこで集めた状況によると、現在海岸線沿いでは激しい退却戦が行なわれているらしかった。海から青いゴブリンが上陸してきて、高レベル引率者を殿とした移動陣形で、廃校舎に向かっているらしいのだ。

「……っち。海岸にはサファギンかよ。いったいどうなってんだっ」
 直継は毒づいてしまう。サファギンなどというマイナーなモンスターを、ザントリーフ半島で見かけるなんて話は、聞いたことがない。あれはもっと南の暖かい地方に現われるモンスターだと、直継は考えていたのだ。

「偶然、……ですかね?」
 レザリックの疑問は、当然ゴブリンとサファギンの関連性についてだ。その答えを持っているメンバーは居ないため、その質問に返ってきたのは無言のみだった。だが、このような呼応するタイミングで現われた2つの軍勢を「偶然」で片付けるのは都合が良すぎるようにも思える。

 直継達はもう少し詳しい情報が欲しいと考えた。
 現在、廃校舎へ向かうことが必ずしもベストの選択だとは思わない。最悪の場合、ゴブリンとサファギンに包囲されてしまうという可能性もあり得るのだ。

(しかしまぁ、いざとなれば全員で〈帰還呪文〉を使用すれば良いだけの話ではあるんだよな)

 直継はひとつ頷く。
 〈帰還呪文〉を唱えれば簡単にアキバの街に戻ることが出来るが、一度戻ったらここへ来るのにまた手間が掛かることになる、万が一の可能性を考えると、それは出来るだけ避けたい。
 確かに情報は欲しい。廃校舎へと迂闊に移動するのも、危険だとは思う。
 しかし、マリエール達が廃校舎に向かっているというのならば、兎にも角にも一旦合流してしまい、点呼などを行なって、合宿に参加したメンバーの安否確認を終えてしまうのが一番重要だと判断した。

 直継の方針に、にゃん太とレザリックも同意する。
 そうと決まれば早かった。

 尾根の向こうには、ゴブリンの本隊……いや、軍勢が存在する。いつ巻き込まれるか判らない以上、このようなところに長居する必要はない。
 にゃん太の話によれば、周辺森林部には、かなり広い範囲で、浸透偵察を行なっているゴブリン族の少人数部隊が散らばっているはずだ。そうである以上、多少戦闘になるだろうが、突破してしまった方がかえって安全だろう。

「良し、これから廃校舎キャンプへと帰還する。先頭は俺とにゃん太とレザリックの三人パーティーだ。三人ぼっちだけど、お前らひよっこにはまだまだ負けないから安心しておけよ? よっし。
 で、殿しんがりは上位パーティーだ。しっかり務めろ。後方警戒を怠らず、だが絶対に俺達と距離を空けすぎるな。
 隊列中心には下位パーティーだ。前方で俺達が戦闘になった場合、フォローする役目を任せる。中央部だからって気を抜くなよ!!」

 直継の指示の元、一行は馬に騎乗した。
 ザントリーフ中央丘陵地帯をこのまま突っ切るつもりなのである。
 一路廃校舎を目指す直継は、胸の中から一抹の不安を消し去ることが出来なかった。

さて、ログホラ27でした。
これにて第二期前半「ゲームの終わり(上)」は終わりです。
丁度単行本一冊の量だと思われるので、
続きは「ゲームの終わり(下)」ですね。
書き溜めが無くなってきたので、しばらくお休みします
(といっても一週間くらいで戻ってきますが)。
読んでくれてる皆様、ありがとうございました!

2010/05/10:誤字修正
2010/05/29:文章を訂正
2010/07/03:誤字訂正
+注意+
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