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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(上)

26/129

026

「巡回が接近してる。えっと……5匹? かな。だいたい10小節で来る」
 アーチから少しだけ顔を覗かせていた五十鈴が小声で報告する。

(えっと、10小節って……20秒くらいか)

 そこは「ラグランダの社」の右折方面、第一の玄室だった。太い通路がそれ自体、階段のように段差を持って降りてゆく手前にある部屋だ。
 その広さは5m四方と云うところ。ドアはなく、アーチで通路とは接続されている。

 石造りの棺桶がいくつも設置された古代の墓室に、トウヤ達は呼吸を潜めて隠れていた。

 廊下をゆっくりと巡回してくる〈動く骸骨〉(スケルトン)は5体。仲間の中でもっとも隠密性能が高い五十鈴の視認だ。今までの経験に寄れば、そのうち1体は飛び道具使いだろう。

「打ち合わせ通りに行こう」
 声を低めたトウヤの宣言に、残りの4人は頷く。打ち合わせ通り部屋の各所に散らばると、それぞれが手持ちの装備を確認した。

(大丈夫だ。ちゃんと話したんだから、やれるはず。それに乱戦に(いつも通り)なったらなったで、損をする訳じゃないんだしよ)

 トウヤは心の中で呟く。

(いや、いつも通りになんてするもんかっ)

 今日の戦いは、昨日とは違うものにする。その強い決意が全員にあることは、表情を見ただけで判った。

 ダンジョン攻略五日目。
 結局、小雨の降る昨日(四日目)はダンジョンへは入らなかった。
 トウヤ達は昼過ぎまで話し合い、それぞれの疑問点や特技について説明しあった。そのうち実際技を見てみなければ判らないと云う話になり、森の中へと移動したのだ。ダンジョンに入って実地で試しても良かったが、途中で疑問点が浮かんだ場合でもダンジョンでは敵が押し寄せてきて、説明どころではなくなる。

 〈エルダー・テイル〉の世界ではフィールド上にも多数のモンスターや野生動物が行動している。特に、〈緑小鬼〉(ゴブリン)〈醜豚鬼〉(オーク)〈蜥蜴人〉(リザードマン)といった亜人間達は、この荒廃した世界でそれなりの勢力を築いているために数も多い。

 しかし幾らモンスターが多くても、その闊歩するフィールド空間もまた広大なのだ。1/2サイズになっていたとしても、この地球全てを再現するプロジェクト下にある〈エルダー・テイル〉は一般的なMMOゲームや、コンシューマーのRPGとはその広さの桁が違う。

 必然的にモンスターと遭遇する確率は、こちらがモンスターの集落を襲うか、後を付け狙われて継続的な襲撃を受けるのでもない限り、決して高くはない。1回の戦闘が終わってから次の戦闘が始まるまでに、十分な休憩時間をとろうと思えばとれるのが一般的だ。

 一方ダンジョンではまずモンスター達の密度が違う。何せ彼らの本拠地、もしくは支部的な砦なのだ。フィールドゾーンよりも圧倒的狭い空間に、数百匹の同種モンスターが存在している可能性も決して無視し得ない。

 そのため。ダンジョンでの戦闘は散発的に発生し、そのインターバルは屋外に比べて短い。休憩時間が短い連戦となると、MPが枯渇しやすく、また〈武士〉のように再使用規制時間が長い特技ばかりを持っている職業は、戦闘と戦闘の間に特技の使用制限を回復できない。

 ダンジョン特有の、光源の問題や立体空間的な制約も存在する。
 フィールドであれば通常敵との戦闘は10m以上の距離を置いて開始される。互いが互いを発見するのはそれ以上離れた距離であることが多いからだ。
 しかしダンジョンの場合は角を曲がった瞬間、もしくは部屋に入った瞬間にそこに敵がいるというシチュエーションも存在するという。

 様々な要因が絡み合って、ダンジョンでの戦闘はフィールドのそれとは比較にならないほどシビアなのだ。「ダンジョンで20レベルの敵を狩ることが出来る実力」とフィールドで同じ事が出来る実力の間には、明確なラインが存在するとも云えた。

 トウヤ達は、この数日で、そのダンジョンの手強さを十分に確認したと云える。

 だからこそ森の中に入って、各人の能力をもう一度よく確認したのだ。
 特技一つ一つの特徴もそうだが、その組み合わせ数は膨大にのぼり、疑問点は無数に出てくる。例えば〈輪唱のキャロル〉による魔法攻撃追加ダメージとはどれくらいの破壊力を持つのか。また発生確率はどれくらいなのか?

 「自分の周辺を切り伏せる剣技」というのはどれくらいの攻撃範囲があり、いかなるダメージを与えられるのか? ひとつずつの疑問は単純で取るに足りないように思えるが、それらの組み合わせは数多く、時に意外な答えになることもあった。

 夕方にもなると、特技の解析はお互いに一段落したが、その後は「では如何にして使うか」という問題が立ち現れてくる。

 ミノリが警戒隊列(パトロールファイル)戦闘陣形(フォーメーション)情報監視者(オペレーター)戦域哨戒(フィールドモニター)の解説を始めたのは、その後だった。

 ――軽く掠れた足音が近づいてくる。

 スケルトンは距離にして、もう5mほど先の地点にまで迫っているだろう。トウヤは無言でメンバー全員にハンドサインを送る。緊張した表情のメンバーは、それでも一斉に頷いた。

 トウヤはそれを見渡すと、今度こそ迷いを見せずに廊下に飛び出す。歩いてくるのは五十鈴の報告通り、5体のスケルトン巡回小隊だった。トウヤは抜刀しざま、スケルトンの群に〈飯綱斬り〉(いずなぎり)を放つ。深紅の衝撃波が空中をくねるように飛来し、スケルトン1体の腕を浅く傷つけた。

 トウヤはそれを確認すると、脇目もふらずに玄室の中に飛び込み、その奥へと一気に駆ける。近づいてくる乾いた骨音は乱れて音高い。先ほどまでの足音のリズムは、あくまで巡回時のもの。発見されてしまえば、距離を詰められるのはほんの数秒にすぎない。

 駆け込んできた所々黒ずんだ骸骨は、死霊の気配を漂わせている。
 暗い眼窩に燃える青白い炎。アーチの入り口をくぐった5体のスケルトンは、うち4体が部屋の奥にいるトウヤへと突進し、アーチの入り口に弓遣いだけが残る。

 しかしそれはパーティーの全員が予測していた。
「そっちは任せた!」

 トウヤの叫びに押されるように、まずは五十鈴がその両手槍を、弓持ち(アーチャー)スケルトンの両手に叩きつける。ミノリも不慣れながら、手に持った刀をスケルトンへと振るった。

 2人の少女の攻撃は、アンデッドにそれなりのダメージを与えたかも知れないが、その行動を停止させることは出来ない。彼ら不死のものは活動を完全に停止させない限り、痛みにひるむと云うことさえないのだ。

「……君1体ならば〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉なんかより相応しい呪文は別にもあるんだよ。――さぁ、喰らいたまえ。華麗なる〈妖術師〉(ソーサラー)の魔力をっ! 〈ライトニング・チャンバー〉っ!」
 引き攣れるような違和感に、ミノリと五十鈴は飛び退く。

 先行放電が五芒星を描いた瞬間に、アーチャー・スケルトンは紫色の電光に閉じ込められた。地面から天井へ、そして天井から地面へと往復する、〈妖術師〉の攻撃呪文は絶大なダメージを対象へと叩きつけて、炭化させる。

「よしっ」
 部屋の奥からそれを見ていたトウヤは、にやりと笑う。彼は壁を背にするように四体の骸骨を引き受け、一歩も引かずに戦っていた。その回復はセララが行なっている。

「現在HP84%っ。このまま維持可能ですっ!」
 〈ハートビート・ヒーリング〉による定期的な回復効果と、それで足りないときは即時回復呪文(インスタント・ヒール)の重ね掛けより、トウヤは4体のスケルトンの攻撃に耐えきったのだ。HPも80%をキープしている。

 もちろん、身体は痛む。
 スケルトン達の手斧の攻撃力はなかなか手強く、ヒールがなければ十秒持ったかどうかは判らないが、いまはセララの回復呪文がしっかりとトウヤを支えていた。

「ミノリは確認っ。五十鈴姉ちゃんと、ルディ兄は攻撃準備頼む」
 トウヤの声に、メンバーは口々に答えながら所定の位置へと向かう。ミノリはすぐそばのアーチへ。ルンデルハウスと五十鈴は、トウヤに夢中な4体のスケルトンの背後へ。

「こいつらはもう茹であがっているのか?」
 ルンデルハウスは傲慢な視線でスケルトンを見下ろす。

「ああ、時間有ったから〈武士の挑戦〉を2回ずつかけてある。そう簡単にはルディ兄の方にはいかねぇよ」

「それは良かった。それなら安心して――行けるっ」
 ルンデルハウスは即座に攻撃呪文の詠唱を始める。
 それは五十鈴も一緒だった。後発したにもかかわらず、呪文を早く完成させたのは五十鈴。地面に槍を突き立てると、その首につけられた鈴が鳴り響き、音波は指向性の破壊衝撃波となってスケルトン達に浸透してゆく。

「通路確認っ。後続の巡回、視界に無し。大丈夫です、やって下さい。ルンデルハウスさんっ!」
「任せたまえ、ミス・ミノリっ! 〈オーブ・オブ・ラーヴァ〉ッ!」
 ミノリの声に呪文を解放するルンデルハウス。その指先には圧縮の余り溶岩のようにとろけて輝き出す岩の固まりが浮遊する。

 トウヤは再び〈武士の挑戦〉を使用する。
 ルンデルハウスの攻撃能力は桁外れだ。より強くモンスターの敵愾心を煽り立て、その意識には自分以外に存在しないようにしておくべきだろう。
 挑発特技は何回か使用してあるが、念には念を入れるべきだ。トウヤは〈武士〉。その脳裏に浮かぶのは直継の背中。
 ――敵の攻撃の全てを引き受けて、仲間を信じるのが前衛壁職の役目なんだぜ? トウヤ。それが男の誓い祭りだろっ?

 トウヤが強い視線でスケルトンどもをにらみつけるその向こう、スケルトンの視界の後ろでは、ルンデルハウスが詠唱によって魔力を破壊力に変換している。

 ぐつぐつ煮えたぎる灼熱の溶岩球が、熱気と、奇妙に揺れるオレンジ色の影を玄室の中に現出させる。ルンデルハウスの手から放たれた火球は一番左のスケルトンをぶち抜くと、その場で90度折れ曲がるように進行方向を変えて、空中で何かに衝突するように跳ね回りながら二体目の身体をも貫く。
 跳ね踊る高熱の小さな死神は、スケルトンの身体を貫き、あるいは粉砕して次々と破壊してゆく。畳みかけるように範囲攻撃呪文〈フリジット・ウィンドゥ〉を重ねるルンデルハウス。

「これでお終いだ。諸君、その命に相応しい闇の世界に帰り給えっ!」
 凍てつくような風に、先ほどまでは灼熱にもだえていた骸骨達は、突然強度を失って床に散乱する。

 突然戦闘音が途絶え、無音になった玄室に、メンバー荒い呼吸が響く。
 刀を構えたまま、構えをとかないトウヤ。魔力を結晶化させたまま杖を構えているルンデルハウス。条件反射的にトウヤに回復呪文を投射して後始末をするセララ。

 その全員が部屋の奥からミノリを注目している。
 ミノリは慎重に通路の奥を観測した結果、仲間を振り返る。

「後続の援軍はきません。今回の戦闘は終了です」
 その言葉でメンバーの緊張が解けた。

「ふっ。やはりこれがあるべき姿だ」
「今の、めちゃくちゃ綺麗に行ったよねっ!!」
「ええ、皆さんお疲れ様でしたっ!」

 喜ぶメンバーの笑顔を見ながら、ミノリとトウヤもまた、その拳を打ち合わせる双子の挨拶を交わすのだった。



 ◆


 みんな頑張った。
 ミノリはそう思い、頬がゆるむのを感じる。

 ミノリ達のパーティーは、攻略五日目にしてやっと7時間の探索を行う事が出来た。結果、戦闘回数は23回。1回だけ2つのモンスター小隊と同時交戦と云うことになってしまったが、それも昨日までに比べて数倍する鮮やかさで処理をすることが出来たと思う。

 1回戦っては小休憩をする。
 その小休憩はもちろん、HPや状態異常を癒し、MPを最大値まで回復するためのものだが、それ以上の意味があった。
 先ほどの戦いを振り返り、上手く行った場所を認め合い、改善できそうな点を探す。次の戦闘の場所と作戦を話合い、実行するための準備を整える「小休憩」だ。

 一番最初に確認したのは戦闘陣形(フォーメーション)だった。
 トウヤが前線を支える〈武士〉(サムライ)。だからトウヤが敵の攻撃を一身に引きつけるというのは戦術の基本となる。しかし、その「当たり前」を成立させるには、全員の協力が必要だ。
 どうすれば「トウヤ以外の仲間が自由に動ける状況」になるのか? それを考えて動かなくては、トウヤも十分に敵の注意を集めることは出来ない。

 次に気を使ったのは情報監視者(オペレーター)。全員のHPを監視して気をつける役割。今の〈エルダー・テイル〉では、激しい戦闘中に各自のステータス画面を確認する余裕はなかなか持てない。白兵戦闘を行なう前衛職は特にだ。
 それはすでにこの異世界において常識となりつつある。

 今回、ミノリ達は最初から2人のヒーラーが居た。
 それはもちろん、回復魔法の充実という意味ではメリットだったが、同時に弱点でもあったのだ。
 HPが一番減っている人に、2人のヒーラーが同時にヒールをかける。当然HPは大きく回復をして、多くの場合過剰回復、つまりは無駄になってしまう。その間に他の犠牲者が狙われてダメージを負っても、その時には主力回復呪文は、ミノリのものもセララのものも、再使用規制時間に巻き込まれている。大事な回復呪文を同時投入したために、お見合いとなってしまう。つまり、傷口を広げていたのだ。
 ミノリとセララは話合って、トウヤのHP管理はセララが一手に引き受けることになった。もしそれでは間に合わないときは、セララが大きな声で救援を求める。

 手があいたミノリは戦域哨戒(フィールドモニター)を買って出た。戦闘中にも周辺地域を監視する役割だ。予備兵力として回復や攻撃の呪文詠唱をしながらも、周辺を監視することによって、敵モンスターの援軍や巡回の報告を行なう。
 この役割を置くことによって、ミノリ達は乱戦に陥る可能性をぎりぎりまで下げることが出来た。もし仮に避けることが出来ないような敵の援軍追加であっても、こちらが先に発見することさえ出来れば、回復量を増やしたり、援護魔法を入れ替えたりと事前にケアが出来る。

 警戒隊列(パトロールファイル)は、移動中にも戦闘陣形(フォーメーション)戦域哨戒(フィールドモニター)を維持する行動方法だ。
 隊列先頭にはトウヤ。後方警戒をミノリ。
 2人は双子だから、こうして死角を互いにカバーし合うことによって、敵の接近や戦闘の気配をいち早く察知することが出来る。パーティー中もっとも隠密性能と監視性能が高い五十鈴は、ミノリとトウヤの両方を視界内に押えて、全周囲近距離の警戒を行なうと共に、偵察が必要な場所では単独行動を行う事もある。
 こうやって行動することにより、移動中であっても、セララは回復に、ルンデルハウスはMP回復や魔力の維持に集中できるようになった。セララは回復の中心であり、ルンデルハウスは敵を殲滅する攻撃の中心だ。この2人を自分の仕事に集中させるというのが、ミノリ達が考え出した計画の中心だった。

 これら4つはミノリがシロエから教えられていた、ダンジョンにおけるパーティー行動の基本だった。ゲームのシステムではない。〈冒険者〉(プレイヤー)の知恵と工夫だ。
 しかし、ミノリにさえ、これらの基礎がどのような意味合いを持っていて、どうすれば完成するのか理解できていた訳ではなかった。理解できていなかったから言い出せなかったのだ。

 答えは、ひどくあっけないものだった。
 お互いに声を掛け合い、相談するのだ。

 手助けが欲しければ「手助けが欲しい」と云えば良いのだ。
 回復呪文を掛けるときには「わたしが回復する」と云えば良い。
 敵が迫ってきたならば「敵が近づいてくる」と。
 「飛び道具持ちから先に倒す」でも「こいつは任せろ」でも「あと2発でMPがなくなる」でも何でも良い。

 それは簡単なことだった。それだけで、昨日までの苦労が嘘のように敵を撃破してゆける。

 それは友情とか思いやりごっことは違う「生き残るために必要な技術」だった。お互いの連携が取れないパーティーは、自分たちの能力を封印しているに等しい。ミノリ達のような〈冒険者〉は互いの力を合わせることによって、初めてモンスターに対抗することが出来るようになる。それがこの異世界なのだ。

 しかし、その一方でその技術は、友情とか思いやりごっこを越えた、ひどく温かくて神聖なものだった。一瞬一瞬が生死を分かつような戦闘の現場において、自分の必要な救援を素直に願い、相手が今必要としているである助けの手をさしのべるためには、相手の技術やいま持っている能力に対する知識と共に、深い相互理解が必要だった。

 部屋の手前で戦いたいのか? 奥まで引き寄せてから戦いたいのか? 突撃で戦闘を開始すべきなのか? それとも誘い込むべきなのか? この戦闘に勝利のビジョンを持っているのか? 任せて良いのか、悪いのか?
 ありとあらゆる問いに対して、ミノリ達は互いに答えを出し合った、それは「相手のことをどれくらい理解していますか?」というシビアなテストでもあり、それをクリアしつつあるミノリ達は、今初めて「5人の冒険者」から「仲間たち」(パーティー)になったのだった。

「あはっ。ミノリ、鼻くろいよぉ」
 五十鈴が笑い声を上げる。

 ダンジョンから脱出すると、午後の最後の日差しが深く斜めに森に差し込んでいた。あと30分もすれば茜色に染まるであろう、夕暮れ前の穏やかな時間。その中で、五十鈴がミノリの鼻を指さしている。

「ホコリですか? 蜘蛛の巣かな……」
 そんなミノリにくすくす笑う五十鈴。でも、その五十鈴だって、汗と土埃が混じって、皮鎧も額もまだらに染まっている。

(でも、微笑んだ瞳は澄み切っていて素敵だよね)

 ミノリは微笑むと、荷物から小さな布を手渡して「そっちだって」と笑ってみせる。慌てたように顔を拭う五十鈴だが、拭い終わったミニタオルを見てがっかりした顔をする。

「んぅ。あたしも真っ黒?」
「真っ黒ってほどでもないです。でも、泉にでも行きましょうか?」

「そだね。あー。セラちゃんも誘おうか?」
 五十鈴は前を歩くセララに声を掛ける。

「なんだミノリらも泉行くのか?」
 その声に気が付いたトウヤは、列の先頭で振り返った。どうやらトウヤとトウヤに並んだルンデルハウスも、泉に行く相談をしていたらしい。

「むぅ。俺達も汗だくなんだけどな」
「ご婦人の方が切実なのだ。我慢したまえ、トウヤ君」
 そんなトウヤを、ルンデルハウスはいさめる。
 その当のルンデルハウスはと云えば、いつもの洒落者の面影もないほど、煤まみれだ。光沢のあるチュニックも、今はくすんで薄汚れている。

 今日の探索は大いに進んだ。
 右折ルートの最奥部と思われる、地下鍛冶部屋まで到着したのだ。
 そこでは魔法の炎でコークスが燃えさかり、黒煙が翻る中、怨念を残した死霊が動く骸骨(スケルトン)となって働かされていた。

 スケルトンを使役して用いていたのは燃えさかる悪霊(バーニングデッド)だ。普通のスケルトンとは違い、間接の各部分から冥界の青黒い炎を上げる死霊は魔術さえ操る強敵だったが、巡回を各個撃破したミノリ達は、電撃的制圧作戦でこの強敵を打ち破ったのである。

 もっともその一戦のお陰で、部屋に充満した煤をこびりつかせてしまい、姿の方はごらんの有様だった。

「別に一緒に行けばいいじゃない」
「い、五十鈴ちゃんっ!」
 けろりとして云う五十鈴にセララは手をバタバタとふって否定する。それを見て理解したのか、五十鈴の方は五十鈴の方で急に慌てて、さらに言葉を継いだ。

「一緒にって云うのは、一緒に池を使うって云う意味じゃなくてっ!! 別に池の方まで入るなんて普段からしてない訳だしっ。あたしたちは、茂みの上側の泉で身体を拭けばいいし、トウヤ君とルディは池の方で顔でも身体でも洗えば良いでしょっとことだよっ!!」

 慌てて言いつくろう五十鈴に、セララも「そ、そうですよねーっ」などとごまかし笑いをしている。

「どうするミノリ?」
「トウヤたちがそれでも良いなら」
 双子の方は至極あっさりと了解をして、テントから着替えを持ち出した。5人はがやがやと話しながらも泉に向かうことになる。

 話すのは今日の戦闘と攻略に関して。

 バーニングデッドのレベルは24だった。おそらく右折ルートではもっとも強力な敵なのだろう。シロエの解説でも今の戦闘の雰囲気の中で、安全に勝利が出来るのは「自分たちのパーティーの平均レベル-5」以下の敵だと説明されていた。今のみのりたちのパーティーの平均レベルは24と少し。安全に戦える相手はレベル19」までとなるからそれを遙かに超える強敵を倒したと云うことになる。

 それが判っているだけに、みんな少し興奮気味だ。

 5人だけのパーティーで同格の敵を倒すというのは、相当な手柄である。

 だがそれよりも嬉しかったのは、道中の通常戦闘が非常に上手く行ったことだった。敵を引き寄せ、あるいは突破して、有利な位置で戦闘することの重要性も判った。
 なにより声を掛け合うことの重要性が判った。

(わたし達、パーティー(仲間)になったんだ)

 ミノリは1人でこっそりと微笑む。
 シロエの言葉の意味が、胸の中にすとんと落ちたことが嬉しい。
 レベルだけじゃ、無かった。
 この世界で戦うためには「仲間」が必要だ。
 仲間を作るためには、言葉を掛けて、行動を重ねる必要がある。それは強力な特技やレベルでは手に入れられない宝物なのだ。

「ミーノリーぃ? はーやくぅ!」

 森の茂みの奥で、五十鈴がぴょんぴょんと跳びはねて手招きをしているのが見える。ミノリは元気よく返事をすると、赤く染まり始めた夕暮れを背に泉へと向かって駆け始めるのだった。



 ◆



(ふぅ……)

 シロエは束ねた紙を、皮の書類入れにまとめた。

 整理していたのはありとあらゆる種類の書面だった。
 報告書、調査書、レポート……呼び方は様々だろうが、雑多な情報の書類。それらは、アカツキや、あるいは〈円卓会議〉のメンバーがまとめてくれたメモも含まれている。そう言った情報は日々摂取して整理しておかなければならない。会議においては、どこから伏兵が現われるか判らないからだ。

 その一方、より大きく厳重な書類入れにまとめているのは、その名の通り「書類」だった。ギルドへの届け出、賃借対照表、契約書、借用書に、権利書。シロエは〈筆写師〉だ。その職能は、書類や本の複製。
 呪文書や技術書、地図などを筆写すること。どんな複雑なものであってもスキル値以下の製法を知っているアイテムであれば、10秒で作り出すことが出来る。

 しかし、〈料理人〉がそうであったように、〈筆写師〉にも新しい可能性がないとは云えない。シロエとしてもその辺を研究する気持ちはあるのだが、〈円卓会議〉の仕事に取り紛れてしまい、遅々として進んでいないと云うのが現状だった。

 シロエは、「エターナルアイスの古宮廷」において与えられた居室の大テーブルの前で、背筋をうんと伸ばす。日は暮れたが、全ての部屋に魔法の灯りが点るこの宮廷において、就寝時間はまだ先だ。

 別の書類入れから取り出したのは、〈自由都市同盟イースタル〉の地図だった。美しいばかりの複製地図ではなく、今ではシロエによってあちこちに注釈がびっしりと書き込まれている。

 助かっているのは紙の質だろうか。
 この異世界において、紙の質は随分と悪い。旅や冒険の途中には羊皮紙さえもよく見たし、木の皮同然の紙を使っているところもあった。シロエは幸い〈筆写師〉だ。〈筆写師〉の職能は、魔法の手引きや地図を、書類を筆写したり作成したりすることだが、それに付随して紙やインクを生成することも含まれる。

 そもそも「魔法の手引き」とは特技を習得する時に必要な魔法のアイテムだ。このアイテムを使用することにより、〈冒険者〉はレベル相応の新しい特技を身につけることが出来るのである。
 マジックアイテムである以上、そこらの紙にただ書き付ければよい訳ではない。手引きに込める特技のレベルにも寄るが、高レベルのそれを込めようとするのならば、高レベルの素材――紙も、インクもが必要となる。シロエはそう言った魔法の素材も日頃集めては、いた。

 もっとも、こうやって分析用のメモを作る程度であれば、そこまで高級な魔法の素材は必要ない。書きやすく、扱いやすければそれでいいのだ。紙においてそれは、薄さ、軽さ、均一さ、それに白さとなるだろう。インクにおいては耐光性とにじまなさ、乾きの早さ、色の鮮やかさだ。
 シロエはその辺を鑑みて、使いやすい紙とインクを量産していた。そのお陰で、こういうシーンでは大変役に立っている。

 そのお手製の地図をじっくりと眺める。
 指先で山脈や海岸線を辿り、つながりに思いを巡らせて、眉を寄せては、疑問点をメモに書き付ける。

 しばらくの間、ペンが紙をはしる掠れた音だけが室内に響いていたが、突然それを遮るような鈴の音が、シロエの耳にだけ響く。

『はい』
「シロエさん、ですよね。わたしですっ。ミノリです」
 フレンドリストの通知によって、着信時には判明するのだが、ミノリは毎回こんな風に念話を切り出す。育ちの良さが出ているのだろう。「兄ちゃん俺だけど!」と元気よく話し始めるトウヤとは大違いだ。

『こんばんは。そっちはもう、訓練上がったの?』
「はいっ」
 ミノリの声が明るい。ここ数日の報告では暗かったのに、とシロエは気が付く。壁を一つ乗り越えたんだな、とシロエは推測する。

 ミノリ達が今挑戦しているのは、ダンジョンの攻略だ。
 その名は「ラグランダの社」。ザントリーフ半島にある、初心者向きの入門ダンジョンである。ただし、この場合「入門」と云う言葉の意味は「攻略が容易い」という意味ではない。むしろ逆だ。初心者を手粗く歓迎するハードなダンジョンである。

 この場合の「入門」と云う言葉の意味は「初心者が乗り越えるべき障害が全て詰まっている」という意味なのだ。

 力任せだけでは進めないダンジョンの構造。立体的に交差する通路や、見卸しの部屋、吹き抜けの階段。定期的に巡回に現われるモンスターのグループ。ほぼ無尽蔵にわき出すアンデッドの群。
 これらは、職業の性能に寄りかかった力尽くの攻略を拒否する、手強い牙城だ。特にアンデッドモンスター達は、地下の怨念のエネルギーで幾らでもわいてくるために、力任せに突破した場合は無尽蔵の敵増援に苦しめられることになるだろう。

『攻略、進んだ?』
「はい! ご報告します。本日の攻略は朝7時半に突入。約7時間の探索を経て15時に脱出。その間に右回廊ルートを突き当たりまで行き、溶鉱炉にて燃えさかる悪霊(バーニングデッド)を撃退しましたっ!」
『おっ、すごいじゃないかっ』

 シロエの記憶が確かであれば、バーニングデッドのレベルは変動制で23~25。ミノリ達の平均レベルとほぼ等しい。自分たちのレベルとほぼ等しい敵を、しかも五人で倒すのは、かつての〈エルダー・テイル〉であるならともかく、現在ではベテランのパーティーでさえもなかなか難しいだろう。
 敵モンスターとの相性もあるだろうが、よほど上手く戦闘をしたと思われた。先日までの落ち込み様から見違えたようだ。

「はいっ」
 ミノリの声が明るいのも判る。大戦果だ。
 しかも、一昨日まではあんなに沈んだ声をしていたのに。
 シロエは胸が温かいもので満たされるのを感じる。

 昨日から、シロエは精神的にも追い詰められたような気分で居た。〈魂魄理論〉に込められた不吉な予感。この世界の歴史に感じた、自分でも説明できない「薄気味悪さ」。
 それらが、言い出せない圧迫ともなって胸を重く塞いでいたのだ。
 焦燥感と云っても良いだろう。
 自分が何も出来ないような、何も知らないかのような不安感。それでいて、事態はどうにもならない勢いでもって押し流されてゆく。そんな予感とシロエは一人戦っていた。

 しかし、〈記録の地平線〉所属の、この若くて健気な仲間の声を聞くと、そんな暗さは光を含んだ風に吹かれたかのように霧散してゆくのを感じる。
 ――仲間のありがたさ。言葉にしてしまえば陳腐だが、それをシロエは感じるのだった。

『みんなは、どう?』
「元気ですっ!」

『そうじゃなくて』
 シロエは小さく笑いながらも聞き返す。今晩のミノリはどうやらとても上機嫌のようだ。もちろん言葉遣いはいつも通り丁寧だが、こんなに弾むような声で間髪入れずに答えられると、シロエとしたって困ると共に、嬉しくなってしまう。

「?」
 念話の向こうで、行儀良く小首をかしげているミノリの姿が浮かぶようだ。

『みんなの活躍は、どうだった? どうやって攻略できた?』

「それはですね。えっと、トウヤは前衛で敵を取りまとめ、引きつける。そこまでは一緒なんですけれど、今回は戦闘の位置を最初から計算して、安全な部屋の中なんかに移動して小さく敵を分断する作戦に変更しましたっ」

 ――おびき寄せ(Pull)と呼ばれるテクニックだ。連戦のコツは、敵味方の戦力差を、如何に有利な状況で維持し続けるかにある。単純に云えば1対100で戦うよりも、1対1を100回繰り返した方が勝率は高いと云うことだ。

『敵は飛び道具を持っているモンスターを優先的に処理。その後は、わたしが周辺警戒をしながら補助ヒーラーを。敵は集中撃破で戦力を削りながら戦いました。……えっと、判りますか?』
「うん、判るよ」
 ミノリのとった作戦は、正しい。

 シロエが教えた基本を守っている。しかしそれらの基本は、聞いただけで実行できるようなものではないのだ。誰が周辺監視をやるべきなのか? 回復にしろ、攻撃にしろ、戦闘時には全ての行動に優先順位がついて回る、その優先順位を誰がどうやって判定するのか? その判定結果をどうやって共有するのか?

 ミノリが「判りますか?」と不安になる気持ちもわかる。
 自分の話した内容が伝わっているのかどうかもどかしいのだろう。

 口で言ってしまえば、「周辺警戒をしながら各個撃破」。
 それだけのことだが、それを成立させるためには、どれだけ多くの細かい工夫と手順が必要になるだろうか。――周辺地形の把握や、互いにフォローしあえる距離の把握。攻撃魔法や、回復呪文の射程距離も全員が身体に染みこませる必要がある。パーティーのうち誰かがピンチになったときのカバーリングにも、理解と訓練が必要だ。

 ミノリがピンチの時はセララがフォローを。
 ルンデルハウスがピンチの時は、ミノリがダメージ遮断魔法を。
 五十鈴がピンチの時にはセララが即時回復をしながら、五十鈴自身が下がる。そう言った細かい連携が、無数に積み重なって「戦闘の動き」という連携は完成してゆく。

 そんな細かい積み重ねが、果たしてこんな説明で伝わるのだろうか? ミノリの不安は、そんなもどかしい気持ちだとシロエには自分のことのように判る。

(大丈夫。判るよ。伝わるよ。どれだけそれが些細で、大事なことか。……安全を守り目標を達成するためには、どれだけ小さな工夫を積み上げなければならないのか)

『大丈夫。伝わってるよ。みんなも活躍してた?』
「もちろんです! セララさんの回復魔術はすごいですね! わたしの何倍も速いペースで回復するんです。わたしかなり自信なくしそうです。呪文のバリエーションも豊富ですし」
 回復に関して、〈神祇官〉(カンナギ)はセララ、つまり〈森呪遣い〉(ドルイド)に及ばないだろう。そもそも、味方をヒールするに当たっての思想が異なるのだ。ミノリの職業である〈神祇官〉は「ダメージを回復する回復職」ではない。その固有呪文によって「ダメージを遮断して、被害そのものをゼロにする」タイプの回復職なのだ。
 ダメージを受けた後の事後的回復力では、〈森呪遣い〉に圧倒的軍配が上がってしまう。

『呪文バリエーションは、レベルが上がれば追いついていくよ』
「そうですか? 五十鈴さんは、もうすごいですよ。バリエーションというか、レパートリィというか。覚えるだけで大変なくらい沢山特技あるんですよね」

 五十鈴はたしか〈吟遊詩人〉(バード)だったはずだ。それならば特技のバリエーションが豊富なのも頷ける。むしろそこと比べてはダメだろう。豊富な種類の特技が〈吟遊詩人〉の得意分野なのだから。シロエはくすくすと笑ってしまう。

『トウヤも頑張ってましたよ。ちゃんと敵をがっちり固定してましたし、大技を我慢するのも覚えてきたし……。シロエさん? もう、笑っているんですかっ?』
「ごめん。笑ってない。ほんとだよ」
 シロエは小さく笑いながら応える。念話の向こうのミノリも、声が照れくさそうに笑っているから、きっと大丈夫だろう。

『ルンデルハウスさんは、皆さんからルディって呼ばれているんですけれど。〈妖術師〉(ソーサラー)ってすごいですね』
「無所属の人だよね?」

『そうです。ハンサムな人なんですけれど……お馬鹿というか。でも、すごく意地っ張りで格好悪くて楽しい人です。五十鈴さんと仲が良いんですけれど、すごい魔法を使います。それに、敵を倒すまで一歩も引かないです。多分わたし達の中で、一番真面目じゃないでしょうか』

 ハンサムでお馬鹿で格好悪くて楽しくて真面目?
 ミノリの云うことは支離滅裂だが、なんとなく、良いヤツなのだろうと云うことは伝わった。
 そのあとも、ミノリは様々な報告をしてくれた。スケルトンと戦ったこと。グールからの追撃を防いだこと。トウヤの勇戦。セララの献身。五十鈴の忍耐強さ。ルンデルハウスの果断。……そしてミノリの活躍も、ほんのちょっぴり。

 楽しそうに弾む彼女の声に、シロエは一つ一つ頷く。トウヤの云ったくだらないジョークに笑うメンバーや、鼻の頭が真っ黒になってしまった五十鈴。セララが相変わらずにゃん太に首っ丈なこと。そのにゃん太は、全くそのことに気が付いていないこと。ルンデルハウスがサンドイッチを食べる時に、なぜか両手で行儀良く持つということ。まるでその場にいて、実際に参加したか思えるほどにだ。

 楽しい時間はあっという間にすぎる。
 シロエはミノリに、命の危険は避けるように念を押すと、念話を切った。直継やにゃん太が居る以上大丈夫だとは思うが、今はまだリスクを冒す気にはなれない。

 念話が切れた静かな部屋には、まだ楽しげ波乗りの明るい声が聞こえている様な気がする。

 ――この世界には、どこか酷く奇妙な部分がある。死にはリスクがあることも、今はまだ云い出せないが、いずれ皆には話さなければならないだろう。
 しかし、ミノリの明るい声を聞いていると、それでもここで過ごしていかなければならないし、それは可能のようにも思えるのだった。
2010/05/08:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
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