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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(上)

23/129

023

「はぁ……はぁ……」
 荒い呼吸をついたトウヤが、水筒から水をぐいっと飲み干す。
 それを横目で見たセララが「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

 ミノリ達一行は、「ラグランダの社」右手ルートにある小さな玄室に入り込んでいた。床に散らばるのは、無数のスケルトンの骨。
 先ほどまでの通路での戦闘を切り抜け、増援を処理してこの玄室に立てこもり、混戦を生き延びたのだ。

 メンバーの疲労の色は濃い。
 この異世界では、体力も〈ステータス〉次第でずいぶんと強化されている。一介の女子中学生に過ぎないミノリが、山歩きやダンジョン探索を一日中続けられているのがその証拠だ。
 しかし、精神的疲労はそうはいかない。
 長時間の戦闘は集中力を削り取ってゆくのだ。
 状況が混迷する乱戦になるほど、その精神的な疲労は大きい。かくいうミノリも、先ほどからかなり大きな頭痛がしているほどだ。

(そう言えば、朝から水分をとっていなかったっけ……)

 喉が渇いている実感はなかったが、水筒からひとくち水を飲んでおく。脱水症状で思考能力が落ちたら元も子もないのだから。

(状況、悪いな……)

 ミノリはメンバーを見渡す。

 トウヤは刀を抱えるようにして座り込んでいる。呼吸はだんだんと整ってきているようだが、先ほどの戦いは厳しかったらしい。血がずいぶん流れて、HPも最大時の30%程にまで減少した瞬間があった。多数のバッドステータスを受けて、回復が追いつかない局面もあり、辛かったはずだ。
 それでもドアの近くに陣取り、いざ戦闘になったときには真っ先にモンスターの目標にされる位置を確保しているのは、トウヤの精神的強さゆえだと思える。

 セララはまだ息が切れているにもかかわらずバッグをかき回し始めた。次の戦いに備えて荷物の中のポーションの位置を調整しているのではないかと、ミノリは推測する。
 回復職である自分やセララがポーションに頼るのもおかしな話だが、たとえばバッドステータスの解除呪文にも「再使用規制時間」は存在する。ミノリで云えば〈大祓えの祝詞〉がそれに当たるのだが、再使用規制は20秒だ。つまり、〈大祓えの祝詞〉にこだわる限り、20秒に1回しかバッドステータスを解除できないと云うことになる。
 もし仮にパーティー全員が毒状態になったとすれば、最後の1人を回復できるのは――単純に考えれば80秒後だ。そのロスを無くすために、自分の毒解除くらいはポーションで。そう考えているのだろう。

(うん、それすごい。わたしも次回から、用意しよう)
 ミノリは心のメモ帳に書き付ける。

 だがそれは、自分よりもレベルが高い回復職であるセララも、現状に対して有効な手段をとれていないことを示してもいた。ポーションなど、やはり焼け石に水に過ぎない。

 ルンデルハウスは、今はぎゅっと目を閉じている。
 その姿勢には思い当たることがあった。おそらくステータス画面を開いて、自分のMP残量を凝視しているのだ。
 先ほどからの連戦でミノリのMPも残り25%程にまで追い詰められていた。今はこうして戦闘以外の休息時間なので、一定のペースでMPは回復してゆく。おそらく10分も待てば7、8割のMPは回復して戦闘可能な状況になるだろう。

 しかし、ルンデルハウスはミノリとは比べものにならないほど多量の魔法を矢継ぎ早に繰り出していた。ミノリのステータス監視が正しければ、ルンデルハウスは、全ての戦闘でMPを完全に使い切っている。彼にとっては、こうやって回復をじっと待っているのさえ、敵を殲滅する努力の一環なのかも知れない。

 ミノリはこの二日の間、ルンデルハウスが「何で……」という呟きを漏らすのを、幾度となく聞いた。おそらくそれは「何でこんなに苦しいんだ」「何で勝てないんだ」でもあるだろうし「何でボクはこんなに弱いんだ」でもあるだろう。
 多分、それは自負心があるからこその呟きなのだ。

 それは判る。ミノリもそうだからだ。

(『なんで』……。その気持ちは、本当によく判る。1人でやっていたときには出来たことすらも上手くできない。わたし達は互いの力を制限しあっている。何かが……すごくまずいことになっている)

 でもその言葉が出るのならば、そして飲み込むのならば。
 ルンデルハウスはただの脳天気なお坊ちゃまというわけでもないのだと思う。己の責任である「敵の撃破」と云うことに対しては、真剣なのだろう。実際、彼はその一点に関しては妥協していないのだ。

(多分。ルンデルハウスさんは、ルンデルハウスさんなりに……わかりにくいけど、本気でやっているんだ)

 五十鈴は黙りこくったままだ。
 ミノリとしては彼女がちょっと心配である。五十鈴は普段は陽気で、ちょっとおしゃべりなくらいなのだ。とはいえ、雰囲気に敏感な彼女だ。こんな状況で騒ぐことも出来ないのだろう。

(それは……。わたしもか……)

 何かが手違いになって、非常にまずい事態になっているのは判る。
 多分、それが一番判っているのは自分自身だろうという自覚が、ミノリにはあった。
 これはシロエが繰り返し口にしていた「危機」のひとつなのだ。

(だけど……。やっぱり……)

 ミノリは堅く口を引き結ぶ。確かに今の状況は危機的だ。シロエが警告していた幾つかのケースに適合すると思う。

「ボクら何でこんなに苦しいっ」

 呼吸を整えたのか、ルンデルハウスがそう告げる。
 大きな声ではなかったが、その声は静まりかえった一行の中に強く響いた。

「……」
 くちびるを噛みしめて俯くセララ。やはり顔を上げることが出来ない五十鈴。

「ボクは24レベルになった。敵のレベルは17から21と云うところだ。それで居て、何でこんなにも苦戦するんだ。これはおかしくはないか?」

(それは……)

 それは、おそらく自分たちが実力を出し切れていないのだ。と、ミノリは思う。あるいは「実力を出せないように分断されている」か。
 ……もちろん、アンデッドにそのような知能など有る訳がない。高位アンデッドであるなら別だが、今まで出会ったスケルトンやウィスプ、ゾンビ程度のアンデッドに自意識や戦術知能など有るはずがない。
 いわばミノリ達がミノリ達自身の可能性を狭めているのだ。

 しかし、それは口にすることが出来ない。
 なぜならばミノリのレベルは21。このパーティーの中でもっとも低く、足を引っ張っているからだ。また、もっともレベルの高いのは弟のトウヤ。29だ。

 ミノリが発言をすれば、もっとも実力の低い彼女が、その云い訳をしているように聞こえてしまうだろう。また、トウヤが口を開けば、姉であるミノリをかばっているように響くのは、避けられない。

「……」
「修行を繰り返すしか……ないのか……」
 ルンデルハウスの言葉は、自分でも信じては居ないかのように響いた。そしてそれは誰の耳にとってもそうだった。

 ただ、誰もそれを言い出せなくて、ミノリ達は沈黙を守るしかなかった。



 ◆



 暗い中庭には涼しげな水音が舞っていた。
 中庭の中央にしつらえられた噴水からはこの深夜にもかかわらず、潤沢な水がさらさらと流れ出でている。美しく彫刻された水路を水が駆け抜け、計算された段差を落下する度に水しぶきが舞い上がるのだ。

 「エターナルアイスの古宮廷」を設計した人間は、どうやら夏の暑気に対して十分な準備を行なっていたようだ。そもそも、永久氷柱で空中15mから建造されたこの宮殿は、その高度のせいで地上よりも湿気が少なく、温度も低い。
 どのようなテクノロジーを使用したかは不明だが、宮殿の至る所にはこの中庭にあるのと似たような水路が張り巡らされ、重力に従い上層階から下層階へと清冽な水を循環させている。

 そのせいで八月とは言え、この宮殿の夜の空気はひんやりと感じるほどに心地よかった。

 その涼しげな中庭で、一人の少女が寡黙に体術の稽古を続けている。激しい動きではないが、見るものが見ればその練度や身体の切れから、一目で武術の素養と努力を見抜ける動作だった。

 身体が動く度に風に揺れるのは長い黒髪。淡影色の地味な衣装に包まれた身体は小柄でまだ起伏には乏しいが、少女らしい繊細な曲線は十分魅力的なラインを描いている。

 〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)の少女アサシン、アカツキだった。

(右送り足、左すり足。一拍……。左送り足、右体裁き、半回転……。一拍)

 少女が行なっているのは奇妙な型稽古だった。
 空手や古武道では足の運びと共に、上半身の連携運用も重視される。それは殆ど全ての武道でも同じだ。しかし、少女の動きは、腕を胸の前で緩やかに構え固定して、足運びを重点的に鍛えるもののようだった。

 印象で云えば、一部の中国拳法の套路(とうろ)(練習用の一連の演舞)に近い。余り重心を落とさず膝と足首を伸びやかに使う足運びは、どことなく日本の剣術も彷彿とさせる。不思議な動きだった。

(左送り足、右体裁き、半回転……。上半身を捻り、さらに一回転。……左体裁き、体を入れ替え、右送り足、二歩)

 アカツキは夢中で型を繰り返す。
 時が経つのを忘れるほどに繰り返し、一連の動きは融け合い身体の中をまるで血液のように流れ始める頃、ふとあげた視線の中にはシロエが居た。

「主君っ!?」

「アカツキ、寝ないの?」
「い、いつからっ」
「えっと、さっき」
 シロエはちょっと困ったような表情で近寄ってくると、手に持っていたグラスの片方をアカツキに渡す。「さっき」だなどというのは、嘘なのだろう。そうでなければグラスを二つ持っている理由に説明がつかない。
 いつから見られていたのだろうか? そう考えるとアカツキは狼狽してしまうのを押えられない。しかし努めてそれを表情には出さないようにグラスを受け取る。

「感謝する」
 受け取ったグラスに満たされているのは、冷えた紅茶(ガーネットティー)だった。単調な味わいだが、ほどよく冷たくて運動した後の身体には嬉しい。

 シロエは、噴水の縁にある、彫刻を施された白亜のベンチに腰を下ろす。その隣には、まだ優にに三人が座れるほどのスペースがあるが、アカツキが腰を下ろすには些か勇気が足りていない。
 アカツキはシロエの近くに立ち、立ったままで所在なく紅茶を飲む。近くに立ち、とは云っても正面に立つのははばかられるので、60度ほどずらした角度だ。

(忍びとは常にそうでなければいけない)

 などとアカツキは考えているが、正面に立ってしまうと、特にシロエがベンチに腰を掛けてしまっている現在、視線がまっすぐに合ってしまうからという理由もあった。

 それはアカツキとしては避けたい。
 別に忍びだからと云ってそこまで従属している訳ではないのだが、恐れ多いというか、気恥ずかしいというか、シロエに対して正面から向かい合うのはなんだかひどく気後れしてしまう感情がアカツキの中にはあるのだった。

「……」
 しかし、シロエはそんな風にアカツキが考えているとは、想像もしていないようだった。どこか遠くを見つめるようなちょっと困惑した表情をしている。その様子は、なんだかひどく大人びて見えた。

 シロエは三白眼気味で、ものを凝視するときには眉根をひそめる癖がある(そして実によく凝視してしまう)ので、狷介な印象を与える青年だ。愛嬌のある丸眼鏡をかけているために第一印象では誤魔化される人もいるだろうが、少し付き合えばその思慮の深さと想像力の広がりに気が付かない人は少ない。

 とは言え、アカツキだけが知っていることもある。
 背の低いアカツキだが、一緒のギルドで家族のように生活を共にしていれば、様々な姿を見ることが出来る。今のようにベンチに腰を掛けているときもそうだ。

 シロエの黒髪のつむじは右巻だ。
 アカツキはそれをとても可愛いのではないかと思っている。
 少なくとも、そのつむじの後ろから伸びる一房が、寝癖のようにくるんと丸まっているのは、イラストに描いた鼠の尻尾のようでとても可愛らしい。

 今もその寝癖が跳ねていて、指先で触れたいような気持ちになる。もちろん、アカツキもシロエも現実世界では大学生だ。そのような他愛ない接触であっても何の気無しに行えるような年齢ではないから、その欲求は我慢するのだが。

(でも、主君のつむじは可愛いな)
 そんな風にアカツキは思うのだった。

「アカツキは、どう思う?」
「何がだろう」
「……この宮廷の人々とか、反応とか?」
 シロエは曖昧に言葉を結ぶ。本人もはっきりとは指定できない印象の話なのだろう。アカツキはそれに対して、素直に己の感じたところを報告する。

「興味津々、と云ったところだろう。好意と敵意。半々だ」
「そうか……」
「しかし、敵意はあっても害意はないのが救いだと思う」
「?」
 敵意とは、敵対心。敵対者であっても、潜在的な敵対者やライバルであっても向けられるものだ。一方、害意はもっと明確な「相手を害するという意志」である。
 それを説明されたシロエは「じゃぁ、まだ具体的な計画がある訳じゃないって感じか」と呟く。

「敵意と云っても、中身は嫉妬や羨望ではないのだろうか」
「そうだなぁ……。不信感もありそうだし」
 シロエはアカツキの言葉に同意するように何回か頷いた。シロエはシロエなりに周辺を観察し、その言葉や視線の意味を探っていたのだろう。アカツキに尋ねたのはその答え合わせというか、印象のすりあわせを行なうためだ。

 ここ数日の間、アカツキ達一行は宮廷内のどこへ行っても注目の的である。
 初日の舞踏会において、ダンスを踊ったヘンリエッタとシロエは噂の的になった。シロエたちは互いにパートナーを変えて5曲は踊り、多くの貴族や貴族の奥方などに声を掛けられたのだ。まさに、〈自由都市同盟〉の社交界へと殴り込みを掛けた形だ。
 あの舞踏会において、シロエもヘンリエッタも、それを言うならばクラスティやミチタカも、積極的に交流を持ち、貴族達に顔を売っていた。

 小柄で可愛らしいアカツキは、当初、かなり奇異の目で見られていたようだ。

 彼らの常識で云えば、この大広間に現われた以上、貴族自身であるか、その家族か従者であると云うことになる。家族として扱うべきなのか、従者として扱うべきか彼らは計りかねていたらしい。
 しかし、シロエがヘンリエッタとダンスを踊り、またアカツキの身につけていたドレスの格式を考慮に入れた結果、彼らはアカツキを「貴族の従者」というよりは「貴族の家族の一員」として扱うと決めたようだった。

 そうなれば声を掛けてくる者は多い。
 地方領主の息子や、騎士などが次々とアカツキに挨拶をしてきた。飲み物を勧めたり、ダンスに誘ったりなどだ。別にそれはそれで構わないのだが、あきらかに子供扱いされるのが我慢ならなかった。

 アカツキはすでに成人なのだ。

 なにゆえ小学生に話しかけられるような言葉遣いで可愛がられなければならないのか。アカツキのことを対等な年齢の独立した人格として見なしてくれたのは、あの広間の中では貴族の娘や息子達だけであり、彼らは明らかにローティーンなのだった。

(何でわたしが子供に仲間顔で気を使われなければならないんだっ)

 思い出しても腹立たしくて胃の腑が焼けるようだ。

 現実世界でもそのような対応は日常茶飯事だった。
 居酒屋では入店を断られる。子供料金で良いよと頭を撫でられる。ジェットコースターに乗ることが出来ない。もううんざりだ。うんざりだから、この〈エルダー・テイル〉では長身で寡黙な男キャラクターを演じていたが、それも〈大災害〉ですっかりおじゃんになってしまった。

 子供扱いされるのが心外で、隠し武器(クナイ)を抜きかけたが自制して逃げだした。それ以上構われるのが面倒になり、〈隠行術〉と〈無音移動〉で広間から退散した。
 それから今日に至るまでの数日も、基本的には同じ手法で、宮廷内部のあちこちを探り歩いている。

 ドレープをたっぷりとったビロードのカーテンや、彫刻を施した柱などの影に潜み貴族たちの話を盗み聞く。もちろん、露骨な接近は出来ない。忍びとして卓越したアカツキの感覚は、〈大地人〉の密偵もまたこの宮廷に潜んでいることを掴んでいる。この種の隠行合戦は周到な準備でもない限り、見つけ出す方が隠れる側よりは有利なのだ。

 それは同業者同士が「やんちゃをしない限りお互いを大目に見ている」状況に過ぎない。スパイ同士の「お互いの仕事の邪魔は、よしておこうや」という精神だ。

 だがそのおおざっぱな偵察でも判ったのが、貴族達は予想よりもずっと多くの密偵をアキバの街に放っていることだった。アカツキ達〈冒険者〉や〈円卓会議〉に大きな関心を持っているらしい。
 また、さらに云えば〈大災害〉はすでに〈大地人〉の社会でも広く認識されていると云うこと、それが世界を揺るがす大規模な変革の最初の一歩であるという考えられていることも判明した。

「敵意を持ってるってのは、やはり戦力的な問題かな」
「そのようだった」

 〈冒険者〉の戦力は大きい。アキバの街に存在する一万五千人の約半数が90レベルだろう。平均レベルを低く見積もって70レベルだとしても、70レベルの〈冒険者〉が一万五千人ということになる。
 その戦力は、偵察の最中かすかに耳にしたことに寄れば、殆ど全ての領主の手持ち戦力を遙かに上回っている。

 もちろん彼ら領主とて、自分の手札を考えも無しに全て開示する事はないだろう。しかしある地方領主などは「我が領地には30レベルの騎士団が15名と、あとは衛視隊。農民兵が100人ほど……。それ以外は傭兵を雇うしかないのだ」と漏らしていた。

「そっか。その数字は、そんなに嘘混じりでもないと思うよ。東北地方の弱小領主であれば、そんなモノだと思う」
「そうなのか」

 シロエはその辺りも事前にある程度調査していたようだった。アカツキの聞いた話を肯定する。

「そんな勢力だから、例えば〈ブリガンティア〉なんて横暴な〈冒険者〉ギルドの蛮行を食い止められないんだ。それは、しかたない」
「そうだな」

 アキバの街と〈円卓会議〉は、現在のところ戦争を行なう意志など全くない。むしろ〈大地人〉と協調して、この世界で平和に過したいと思っている。
 もちろん例えば元の世界に戻るためには〈大地人〉との戦争が必要であるともなれば、また別の議論が巻き起こってくるだろう。しかし、いま現在〈大地人〉との間に戦端を開いたところで、プレイヤーサイドにはまったくメリットがないのだ。

 だがその同じ理屈が〈大地人〉にも適用されると盲信するのは、危険すぎる。まず第一に、アカツキ達〈冒険者〉と〈大地人〉ではこの世界に対する見方が違うだろう。彼ら貴族は領地運営を通して税収を得、生活を成り立たせているのだ。その活動の中で不確定要素となる〈冒険者〉は目障りな存在だろう。

 また、最も大きいのはシロエの云っている戦力的な問題だ。
 たとえばの話、その人が信じられる人物だと云われたところで、同じ部屋にマシンガンを所持している男性が居たらどんな気分がするだろう? その部屋に暮らすのはひどくストレスがたまる生活となるだろう。
 その場合マシンガンを持っている男の性格や人格が信頼できるかどうかなどは余り問題にならないのだ。例えどんなに徳を備えた性格であっても、今まで一緒に過ごしていない以上、それが理解できるはずもない。マシンガンを持っている男がすぐ近くにいるというのは、その存在だけで十分に不安なのだ。

「互いの力量を正確に評価し終えている訳じゃないからなぁ」
 シロエの言葉はまた一理ある。

 先ほどの例えで云えば、一緒の部屋で暮らす男が持っているのは「なんだか恐ろしげな兵器」なのだ。それがマシンガンなのか、チェーンソーなのか判らないということになる。もしかしたら果物ナイフや割り箸のような取るに足りない武器かも知れないが、最悪の場合、手榴弾や対戦車ミサイルである可能性すらもある。その場合は部屋ごと木っ端微塵だ。

 相手の持っている武器が判らないので「不意打ちで倒してしまえば安全になる」のか「どんなに屈辱的でも絶対に怒らせないように暮らさなければならない」のかが、貴族には判っていないのだと思う。

「示威戦闘する?」
「いや、そりゃあ下策だろう。あんまり恐怖をばらまいても仕方ない。というか百害あるよ、二利くらいはあるにしても」
「そうか……」
 アカツキの提案はシロエにあっさりと却下される。

 もっともこの種のことでは、アカツキは余り落ち込まない。アカツキが主君と認めた男なのだ、その得意とする思考戦闘(フィールド)ではアカツキが追いつけないほど高く羽ばたいて欲しい。アカツキは、アカツキにしか出来ないような特殊技能を持ってシロエをサポートすれば良いし、それで満足だ。

(あれ……?)

 満足なのだが。
 満足のはずなのだが。
 何か引っかかったような気もして、少し不快な気分になる。もっとも理由はわからないので、無視しても問題ない程度のわずかな不快感だ。

(問題ないな)

 そろそろ夜も更けてきた。

 これ以上の夜更かしは夜が明けたら始まる、多くの謀略や諜報合戦に悪影響を及ぼしかねない。アカツキ自身の事であるのならば何と言うこともないが、シロエは参謀担当だ。睡眠をとるようにアカツキが勧めようとしたとき、周囲がわずかにぶれるような魔力を感じた。

 シロエも殆ど同時に感じたのだろう。
 弾かれるようにベンチから立ち上がり、その手にはいつの間にか短杖(ワンド)が握られている。
 同じように小太刀を構えるアカツキとシロエの前に現われたのは、一人の痩せた男だった。

 学者のようなローブ。額にはまったアメジストの頭環。痩せこけて最低限の筋肉の上に直接皮膚を貼り付けたような姿。それだけであったら不吉な印象を感じさせただろうが、男の表情はひねくれたユーモアを露わにしていて、それがどことなく魅力というか、愛嬌になっているようだった。
 男は芝居じみた態度で頭を一つ下げると、口上を述べる。

〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエ様とお見受けします。わたしはミラルレイクのリ=ガン。魔術師です。以後お見知りおきを。……今宵はシロエ様と言葉を交わしたく参上いたしました」




 ◆



「ぎゃっぴぃ~っ!?」
 砂煙が盛大に上がり、くるくると綺麗に回転した少年が宙を飛ぶ。その少年は空中で二回転、三回転した後に、ざっぱーんと勢いよく海中に頭から突っ込んだ。

「おーおー! 派手にやっとるなぁ!!」
 ビーチパラソルの影でリラックスしているマリエールは、それを眺めてからからと笑う。

 ここは「メイニオン海岸」。
 ザントリーフ半島でも有数の美しい白砂の海岸線だ。ちなみにマリエール達が寝泊まりしている校舎からは、馬で30分ほどで往復にも至極便利だ。

 マリエールは傍らにおいたクーラーボックス兼テーブルから、アイスソーダを取り出して喉を潤す。タンクトップを脱いだいま、その下から現われたのは鮮やかなビキニという、まさにバカンスファッションそのものだ。
 装備の方もビーチパラソル、デッキチュアー、レジャーシートと隙がない。

(はわぁ。これやねん。これやねんなぁ。ほんま天国やわぁ、うちいま最高についとるわぁ~)
 笑顔については褒められるマリエールだが、このときばかりは普段のそれの十倍にもなろうかという、とろけるばかりのエンジェルスマイルを浮かべてしまう。

 サンオイルはないのだけれど、この世界の肉体はかなり強靱のようだ。何とかなるだろう。水着も苦労して手に入れた。

 〈エルダー・テイル〉時代、服装とは装備とほぼ同義語だった。戦闘を主軸としたRPGであった〈エルダー・テイル〉においては、装備とは装甲や武器の代名詞であり、そこには下着は含まれていない。

 もちろんポリゴンモデルから全ての装備を除外すれば下着は表示されるが、それはおもに大事な部分をユーザーの視線から隠すためにつけられた、ゲームの保護機能的(年齢規制)な意味合いが強く、色気も何もない単色の下着が見えるだけだったのだ。

 この下着はキャラクター画面上「見える」だけで、存在はしない。今となっては、表示もされないので、裸になれば裸のキャラクター画面である。

 しかし異世界化した〈エルダー・テイル〉において、下着は重要だ。そもそも普通の文明的社会生活を送ってきた日本人にとって、下着無しなど耐えられない。
 用意さえすれば着替える(装備変更する)ことが可能なのは判っていたが、下着というのはあれはあれでなかなかに高度な縫製技術を必要とするモノである。生産するのは無理か、と諦めかけた住民には光明がもたらされた。

 アキバの街の〈裁縫師〉達が目をつけたのが、「水着」だった。
 美麗なグラフィックが売りであった〈エルダー・テイル〉には外見変更を含む装備にも特殊なアイテムが多い。「水着」はその一種で、多くの場合レアなレシピとして存在し、イベントなどで特殊なレシピがプレゼントされることもあった。

 もちろん「水着」と「下着」は違うものだ。
 吸湿性や、長時間つけたときの肌ズレなど相違点はある。しかし、事態は些細な相違点に目をつぶれと云っている。そんなわけでアキバの街の下着事情は、優秀な〈裁縫師〉達によって緩和されていった。

 また一方、〈円卓会議〉成立後の新アイテム作成方法により、〈裁縫師〉達はよりちゃんとした、綿や絹の下着も生産できるようになってきている。
 当然この需要は高く、〈裁縫師〉が作り出すアイテムの中でも「下着」が徐々に増えつつある。やはり旧世界で培った常識は強く、マリエールだって下着は定期的に変えたいし数着は欲しい。いまアキバの街の〈裁縫師〉にとってもっとも稼ぎの良いアイテムのひとつが、「下着」なのである。

 ホックやレース、ゴムのような素材は、適当な「服飾アイテム」をメニューから作り出して解体すれば手に入るので、その辺の工夫や縫製の丁寧さが、アイテムの完成度を上げるコツだ。手縫いなので、お値段はちょっとした中級マジックアイテム程度はする。金貨にして300枚以上は、堅い。

 「水着」のほうは、元から実装されているレシピで作れば、短時間で量産できるので値段は安い。もっともそれはレアなアイテムを消費しない地味なものである。高レベルのお洒落なアイテムはそれなりの値段がするのだが、マリエールも物好きなベテランプレイヤーとして何着か所持していた。今回は貸金庫の中に眠っていたガラクタをひっくり返して探し出してきたのだ。

 マリエールの水着は、『旧世界』の浜辺にいたらちょっと感嘆してしまいそうなほどの、攻撃的なビキニだった。ことさらに布の面積が少ない訳でもないのだが、マリエールの反則級ボディラインと、鋭角なカットラインのせいで、扇情的に見えてしまう。

 マリエールもそれには自覚があるのか、綿のショートケープをパーカー代わりに肩から掛けていた。

(ま、こんなに人目があるところで……。その、見せちゃうのもね。それはそれで恥ずかしいしね……)

 それでも、ケープを羽織れば大丈夫だと安心するマリエール。実はそのケープの下ラインからちらちら覗くビキニボトムの景色が返って目の毒だなんて云う事実もあるのだが、本人は気付いていない。デッキチュアーの上でにこにことバカンスを満喫するマリエールは、まったくもって平和なのだ。

「マリエールさん、マリエールさんっ!!」
 先ほど空中を舞っていた少年が駆け寄ってくる。

 両側に穂先のついた槍のような武器を持った少年は、〈武士〉(サムライ)だろう。この暑い中、皮鎧を着けているが、海に突き落とされたせいか、日差しの中で水をしたたらせて、まるで水浴びから帰った子犬のようだ。

「治療お願いしますっ」
 見れば少年は頭から血をどくどくと流している。
「はいな」
 マリエールは元気よく頷くと、上半身だけ起こして〈ヒーリング・ライト〉の呪文を発動させた。マリエールの指先から生まれた六芒星のような形状の白い光が少年に吸い込まれると、HPがあっという間に回復する。

「やた! 治った」
 少年は嬉しそうに傷口に手をやる。頭部の出血もすっかりと治っているようだ。〈ヒーリング・ライト〉の呪文はマリエールが持っている中では詠唱時間も短い、比較的回復量の少ない低級即時呪文である。
 本来は大規模回復呪文の再使用規制時間が間に合わないときや、「反応起動回復」等が間に合わないときに、場つなぎとして用いる小回復呪文なのだが、それでも10レベル程度の〈武士〉のHPを全回復させる能力は十分にあったらしい。

「ありがとうございました!」
「ええて、ええて」
 マリエールはにっこりと笑う。

「それよりも、もっかい行っておいでぇな! いっぱいカニ捕るんやで! なるべく横に潜り込むように攻撃するのがおすすめや。自分の特技の回復状況とも相談しながらやで」
「はいっ! 判りました」
 少年は元気よく砂を蹴立て駆けだして行く。

 眺めるマリエールの視界の先で、海岸から上陸してきた林檎のように赤い巨大がにを見つけると進路を変更。槍を構えてそのまま一気に距離を縮める。カニのサイズは1mほどで、脚を思い切り広げれば2m近くなるだろう。まさに「巨大」だ。

 少年は思い切りよく飛び込むと、カニをひっくり返すようにその脇腹に穂先を叩きつける。今度は上手くとどめモーションに入るらしい。

 マリエールの周囲には、そんな新人プレイヤーが5、6人存在した。彼らは今回の夏季合宿でも、もっとも冒険レベルの低いプレイヤー達である。

 マリエールはそんなプレイヤーの引率として、この海岸へとやってきたのだ。

 夏のこの時期、「メイニオン海岸」には無数の巨大カニ〈アスコットクラブ〉が上陸してくる。このカニは放置しておくと海岸線からどんどん上陸して来て、家畜や畑に被害を与えるので〈大地人〉にとっては余り有り難くはないモンスターだ。
 もっともその脅威度は低く、モンスターレベルは4~8と行ったところ。個体差はあるが、新人の訓練相手には丁度良い。

 こうして日がな一日戦闘に明け暮れていれば、砂浜での足腰訓練と相まって、十分な経験値を得られるだろう。もしダメージを負いすぎてしまったら、マリエールのところまでやってきて回復呪文を貰えばよい。
  MPが尽きてしまったら休憩だ。
 合宿としては非常に密度の高い訓練が行えると云うことになる。

 もちろん、マリエールのバカンス大作戦としても、だ。

「とりゃぁぁ!」
「このっ! このこのっ! 倒れろっ!」
「いてもうたるどっ!」
 威勢の良い新人の声を聞きながら、マリエールはデッキチュアーの上に再び横になる。汗がじわじわ沸いてくるのを、冷たいグラスからのソーダがひんやりと冷ましてくれる。
 まさに天国な時間だった。

 顔が勝手に微笑んでしまうのを止められない。

 ここにいる新人プレイヤーの多くは、生産職業希望だ。
 〈大災害〉以降、すでに三ヶ月目に入ろうとしているにもかかわらず、このような低レベルに甘んじているのは、戦闘に対して忌避感を持っている証拠だろう。
 それ自体は別に構わない。生産趣味のプレイヤーが街でバックアップをしてくれるからこそ、戦闘フリークのプレイヤーが出稼ぎに行けるという事実は存在する。

 しかしながらこの異世界において、完全な生産職というのはリスクが高い。まったく戦闘力を持っていないのでは、いざという時の生存能力が欠如しすぎるし、何より生産者としても一定の冒険者レベルは有効だ。ちょっとした材料であるならば、自分でフィールド採取に行けた方が手早い局面は多いのである。

 そんな説得が功を奏したこともあるのだろう。
 それとも、以前からそう言う気配は感じていたものの、生産者ギルドでは、戦闘訓練に対する十分なバックアップ体制もなくて諦めていたのかも知れない。この海岸に集まった低レベルプレイヤー達は熱心にカニ狩り稽古を繰り返しているようだった。

 種を明かしてしまえば、挫けそうになる度にマリエールが向日葵のような笑顔で回復呪文を掛けてくれるために、退くに退けなくなってしまうという事情もあった。男子のプライドというのは悲しいモノだ。
 女子にしたところで、そこまでやけくそな雰囲気の中では、仕方がない、わたしも少しレベルを上げなきゃ……と考えざるを得ない。
 そんな理由があると夢にも思っていないのは、マリエール本人だけだった。

(みんな頑張り屋さんやなぁ……。うわぁ、良い天気)
 むにゃむにゃとバカンス気分を満喫するマリエールなのである。

 砂浜には〈キール〉や〈西風の旅団〉から派遣された中堅レベルプレイヤーが指導員兼護衛として巡回もしている。マリエールの仕事は、責任者としてここで待機していること(本人的には、バカンスを満喫すること)と、たまに訪れる負傷者を回復呪文で治療することくらいだった。

 暇にあかせたマリエールは何度目になるか判らない寝返りを打つ。
 湿気のない空気はからりとしていて、かなり暑くはあるが不快感は少ない。

 だから何の気無しに見やった沖合に、白く泡立つラインを認めたのは偶然だった。近くを通りかかった小竜を手招きしたのは、ただの気まぐれだ。

「なぁ、小竜ー。あれなんやろなぁ」
 沖合の白いラインを指さすマリエール。

「んぅ。何でしょうかね。……泡? 航跡、かな。うーん」

 しかし、その話題は結局そのままになった。
 しばらく後にその白いラインは消えてしまったし、別段それ以降も何事もなかったからだ。一行は日が傾くまではカニを狩り続け、結果としては大量のカニ肉と、蟹の甲羅を手に入れた。

 夕方から行なわれる生産技術訓練に備えて廃校校舎に戻るマリエール達の頭からは、その謎の白いラインのことはすっかりと消えていた。

2010/05/01:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/07/02:誤字訂正
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