挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(上)

21/126

021

 ミノリ達が向かっているのは、ザントリーフ半島中央の丘陵地帯だった。

 この半島には険しい山地は存在しない。その代わり半島全域がこんもりとした丘陵地帯になっているのだ。丘陵にはため池ほどの大きさからちょっとした池くらいのサイズまで、あちこちに水源があり、それら水源からの清水は、ザントリーフ大河へ、または直接海へと注ぎ込んでいる。

 旧世界で云う東京から数十キロしか離れていないにもかかわらず、異世界となった〈エルダー・テイル〉において、ここは自然の王国といった雰囲気だった。

 実際ここに辿り着くまでにも、ウグイス、シジュウカラ、ヤマセミといった元の世界でも見たことがあるような小さな野鳥を沢山見かけた。また、鹿を見かけることも出来た。このような野生動物は、今では日本サーバ管理区域の至る所で見ることが出来る。

 木々の繁殖力も旺盛だ。アキバの街にあるような神秘的な古木は見かけなかったが、ミノリとトウヤ2人がかりでも抱きしめることが出来ないような太さの立派な杉が天へと向かって何千本も伸びているのを見た時には、あぜんを通り越して感動してしまった。

 ミノリもトウヤも、東京生まれの東京育ちだ。

 いままでこのような圧倒的な自然の迫力は感じたことがなかった。
 ミノリはただ圧倒されていたが、トウヤは口をぽかんと開けて「すげぇな!」という言葉を何度も繰り返していた。

(我が弟ながらなんて語彙が少ないんだろう。姉としてちょっと恥ずかしい……)

 と思うのも本音なのだが、その一方で純粋に驚きと歓びを表現できる弟に微笑ましい気持ちも持っている。

 丘陵をずいぶんと上り下りして辿り着いたのは木立が切り開かれた広場だった。腐葉土に覆われた地面を爪先で蹴ると、石畳が顔を覗かせる。視界の端には、長い風雪ですっかり色の褪せ、斜めにかしいだ巨大な鳥居が見える。

 元は神社の境内であるらしかった。

 ここまで一緒にやってきた14人は馬から降りると、切り開かれた広場の中央に集まる。夜明け前に校舎を出発して、辿り着いたのはそろそろ昼になるかという時間だ。
 途中で何回か休憩は取ったが、山地の移動がこんなに時間を消費するとはミノリも思わなかった。

 新人プレイヤー達の中央に立つのは直継とにゃん太、それから〈黒剣騎士団〉から派遣された〈施療神官〉(クレリック)の男性、レザリックだった。
 そこでにゃん太は全員の視界にある大きな岩屋戸(いわやど)を指さす。

「あれが『ラグランダの社』ですにゃ。内部はかなり広いゾーンになっているのですが……。おおざっぱに言って最初のT字路を右に行けば、多少楽な地区に。左に行けば少し歯ごたえがある地区に辿り着くですにゃ」
 新人プレイヤー達は、岩屋戸に視線をやりゴクリと生唾を飲み込む。

 本当はにゃん太に指し示して貰うまでもなく、この小さな広場に入ったときから全員の視線が、巨石で作られた小屋のような地下への入り口へと釘付けだった。

 蛇のようなツタの絡まるその岩屋には、ぼろぼろになっているとは言え注連縄(しめなわ)が巻かれている。だが、神聖な気配は微塵もない。あるのは障気としか言いようがない、腐ったような毒気のみだ。

「あー。内部に出てくるのは、小型の魔獣もいるが、殆どはアンデッドだ」
 直継が注意を促すようにコメントする。

――不死の怪物(アンデッド)
 様々な要因で死にきれなかった、もしくは呪いや邪悪な理由でこの世界に留まる「霊体」のエネルギーが起こす現象や、動かすモンスターの総称だ。
 動く骸骨(スケルトン)歩く死体(ゾンビ)等が代表格だが、中には泣き幽霊(バンシー)の様な、精霊となかば一体化した実体を持たないモンスターも含まれる。

「これは皆さんの実力を鍛えるための合宿ですにゃ。実力の中には『自分たちの限界を見極める』事も含まれているにゃ。帰り道のことを常に考えて、自分たちで判断をして入口まで戻ってくること」
「そうだぜ、命は大事にしろよ」
 にゃん太と直継は口々に注意を与える。

「わたしと直継さん、にゃん太さんはここでキャンプの準備をしながら皆さんの帰還を待っています。この広場で野営をしながら、ダンジョンに毎日入ることになります。一日で全てを攻略する必要はありません。このキャンプまで帰還すれば体力回復は行ないますから、その点は安心して下さい」
 〈黒剣騎士団〉から派遣された〈施療神官〉のレザリックは厳めしい顔をした男性だったが、それでも面倒見はよいらしい。安心させるようにそんな言葉を紡ぐ。

「ええっ。直継さんは来ないのっ!?」
 トウヤがそう叫ぶ。それに対して直継はにやにやと笑いながら頷いた。

「そりゃそうさ。今回は『新人プレイヤーの教練』なんだぜ? ベテランがついてっちゃ訓練にならねぇよ。お前だって前衛だからそんな事は判ってんだろう? 俺が壁役やったらトウヤの練習にならねぇじゃねぇか」
 云われてみればその通りなのだが、ミノリもちょっとひるんでしまう。

 けっしてトウヤを信頼していない訳じゃない。むしろ、トウヤは(新人レベルとしては、だが)優秀な壁役だと聞いている。ミノリが危惧しているのは、どちらかというと自分の回復力だ。
 肝心のトウヤの耐久力も、受けることが出来る回復魔法が少なくては十全に発揮できないではないか。

 しかし、指導役の直継とにゃん太がああ云っている以上反論はない。彼らは「出来る」と信じているからこそ任せてくれたのだろうし、ならばその期待に応えるのが自分たちの責務だ。

 新人プレイヤー達も不安そうな顔をしているが、思いは同じなのだろう。それぞれに頷く。

 続いて行なわれたのは班分けだった。

 ダンジョンの中が左右に分かれた構造になっている以上、新人達11人は実力的に上位と、下位のグループに分かれることになる。当然ながらミノリとトウヤは下位のグループだ。〈施療神官〉の人が読み上げてくれたリストにしたがって、緊張した面持ちの新人達は二つのパーティーに分かれる。

 下位の――つまりミノリのグループは5人で編成されることになった。

 グループ編成の上限人数は6人だから、これは戦力的には欠損がある状態だ。しかしレベルの関係から仕方がない。

 前衛の要、敵の攻撃を引きつけて足止めをする役はトウヤ。ミノリの双子の弟であり〈武士〉(サムライ)だ。レベルは29。

 中衛は五十鈴。この背の高い少女は〈吟遊詩人〉(バード)だ。〈ハーメルン〉時代からミノリの友人で、今は〈三日月同盟〉に所属している。そばかすの浮いた頬を持った明るいな少女だが、〈吟遊詩人〉にしては珍しい両手槍を持っている。ミノリ達よりは三つ年上のはずだったから、現実には女子高生だ。レベルは24。

 後衛は3人。
 まずは〈妖術師〉(ソーサラー)の青年。名前はルンデルハウス=コードというらしい。結構派手派手しいローブを着込んでいて、気障な言動が目立つ。ギルドには加入していないらしい。ソロプレイヤーなのだろう。レベルは23。

 次にはセララという〈森呪遣い〉(ドルイド)。彼女には〈ハーメルン〉を脱出した日にお世話になった。話を聞いてみると同レベル台と云うこともあって、ミノリは彼女とすぐに仲良くなる事が出来た。
 年齢は高校生と云うこともあって五十鈴と同じくらい。セララはどうやらにゃん太に好意を持っているらしく、ここに来るまでの旅の間、ずっとにゃん太の隣で馬を進めていた。レベルは25。

 そしてミノリ自身は〈神祇官〉(カンナギ)。回復職でレベルは21。このパーティーの中では最弱だ。「戦闘での動きはレベルとは関係ない」とシロエに教え込まれているが、どうしても居心地の悪さを感じてしまう。
 唯一の救いは同じパーティーに〈森呪遣い〉のセララが居ることだろうか。ミノリだけでは足りない回復力も、セララと一緒ならば間に合うと思える。

(にゃん太班長はその辺判ってて配置してくれたのかな)

「んじゃ、時間15分で作戦会議をするにゃ」
 そのにゃん太は「はじめ!」と云う声と手をぽむんとたたき合わせる音で、ガイダンスは終了した。

 よく判らないままにぞろぞろと集まるミノリ達。
 ちょっと視線をあげれば、ミノリ達よりも平均レベルにして5は高い上位パーティーも少し離れたところで円陣を組んでいる。

「えーっと何を会議すりゃいいんだ?」
 トウヤが集まる早々口を開く。

「突然言われても……」
 五十鈴は困ったように眉をハの字にして周囲の面々を見回す。

「ふぅーん。つまりあれだ。諸君。気合いを入れればいいじゃないのかーい?」
 両手持ちの曲がりくねった杖を持ったルンデルハウスが自信たっぷりに云う。金髪碧眼の、いわば絵本的王子様の容貌を持った青年なのだが、ミノリの視点から云うとちょっとお坊ちゃん風味が強すぎるように思える。

「えっと……」
「そうか! そうだよな! これから戦闘に行くんだもんな。ダンジョンだぜ!? ダンジョン! 気合いは大事だっ!!」
 話しかけたミノリを遮るように、トウヤはルンデルハウスの両手を握ってぶんぶんと振り回す。

「そうだよ! キミ、判ってるねっ! 気合いは大事だよ、エレガントな気品も大事だけど、男の神髄は気合いと熱血だよ!」
 ルンデルハウスはトウヤの援護を得て気をよくしたらしい。なぜか意気投合している。

(たぶん、警戒隊列(パトロールファイル)とか戦闘陣形(フォーメーション)について打ち合わせろって事だと思うんだけど……)

「そっかぁ。頑張ろうねっ! わたし達一週間はこのダンジョンで修行らしいし、仲間だもんね!」
 五十鈴はそばかすのある顔をくしゃりとほころばせてにっこりと笑う。

(云える雰囲気じゃないよぅ……)

 ちらりと横を見ると、セララもちょっと困ったような表情だ。仕方がないので、にこっと微笑むと、微笑み返してくれた。それだけでミノリとしては少しほっとする。

 ミノリ達がそんなやりとりをしている間に、上位パーティーはさっさと「ラグランダの社」に入ってしまったようだ。ミノリがそれに気が付いたのは、にゃん太が「がんばっていってくるんですにゃー!」と大きな声を掛けたせいである。

 ミノリは我知らず、両拳にぎゅっと力が入ってしまう。

 〈ハーメルン〉から抜け出して二ヶ月。ミノリだって何もしてこなかった訳ではない。むしろ〈ハーメルン〉で強制的に押しつけられた〈裁縫師〉というサブ職業に馴染めなかった彼女は、そちらの修行は放置して、トウヤと一緒にシロエたちに鍛えて貰っていたのだ。

 まだ12に過ぎなかった彼女のレベルは、その甲斐あって21にまで上昇した。ただ、シロエたちは促成成長の弊害をたびたび説いていたし、その練習のペースは比較的ゆっくりしたものだった様に思える。
 なによりその戦闘では、いつでもシロエ達高レベルのギルドメンバーが見守ってくれていた。

 しかし今回は、ダンジョンの外で救援キャンプを作っていてくれるとは云え、自分たちだけでダンジョンを探索し、戦闘をこなしてゆかなければならない。緊張がわき上がってくるのも仕方がなかった。

 負けることが怖いのではないと思う。
 自分が無様な真似をしてしまうのが怖いのだ。
 シロエたちの薫陶を無駄にしてしまうのかも知れないと思うと、膝がスポンジになったかのように力が入らなくてふわふわした感触になってしまう。

「どうしたですかにゃ? ミノリっち」
 急に声を掛けられてびっくりして顔を上げる。そこにはいつも通り目を細めるにゃん太の穏やかな顔。もの説いたげなその表情に、ミノリはぶんぶんと首を振って「なんでもありませんっ!」と答える。

 その様子に直継は「まったくミノリは心配性だな」と小さく笑う。

「いいか。もし困ったことになったら、前に出ろ。脚じゃなくて、心で、な。俺との約束祭りだぜ?」
 直継はミノリの頭をポン、と叩いて他のメンバーに声を掛けるために歩み去る。

 その後ろ姿を見送るミノリ。
 直継とにゃん太は、ミノリパーティー一人ずつに激励し、アドバイスを配って回る。感激して抱きつかんばかりのセララ。鷹揚に任せてくれと言い返すルンデルハウス。お土産を約束するトウヤ。ぴょこんと感謝のために頭を下げる五十鈴。

「さぁって、そろそろ先行部隊との距離も開いたはずだな。じゃぁ、行ってこい! 頑張れよ!!」

 こうしてミノリ達の初めてのダンジョン挑戦が始まった。




 ◆



 舞踏会から一夜明けて、シロエたちは次の日の朝食を、広いテラスでとっていた。

 シロエたち代表団が集まったバルコニーテラスには様々な観葉植物が配され、水晶の天蓋から差し込む夏の明かりに鮮やかな輝きを見せている。
 このテラスは小さな温室くらいの規模があり、そこに並べられたテーブルは3つ。まったくびっくりするような贅沢な空間だった。

 メニューはオーソドックスに、焼きたてのパンにサニーサイドエッグ、チーズにハム、ジャムと蜂蜜に、バター。サラダとフルーツの盛り合わせ。何種類かの飲み物。それぞれに美しく飾り付けられている。

 シロエとしては朝食なんて、「卵かけご飯」とかで良かったのだが、このホテル風の朝食は朝食で、非常に満足のいくものだった。もっとも、生産者ギルドのミチタカなどに云わせれば「ふぅん、まぁまぁだな」と云うことになる。

 この二ヶ月の間で、アキバの街の調理技術、料理のレベルというものは長足の進歩を遂げている。どんな工夫を用いているか判らないのだが、先日などは「牛丼」を食べさせる店舗が出現してシロエの度肝を抜いたのだ。
 醤油や味噌などの加工調味料も「らしいもの」は次々とリリースされてきている。話によれば発酵や熟成の関係で、もっと味を良くするためには年単位の時間が掛かるそうだが、あのひどい料理になれた舌には涙が出るほど嬉しい味だった。


「んぅ。ジャムとって欲しい。主君」
 パンを小さな口でもぐもぐとほおばりながら、アカツキはシロエに頼む。彼女の考えているところの「忍びの忠義」なるものは、どうやら世間一般で云うところの忠義とは違うらしく「主君」と呼びかける以外は至ってフランクな関係だ。

「サラダも食べないと肌が荒れますわ、アカツキちゃん」
 ヘンリエッタはそんなアカツキを構いたくて仕方がないようだが、アカツキは椅子の上で微妙に腰が逃げ気味だ。

「い~ぃ、朝だなぁ、おいっ」
 ミチタカの云うように、今朝はことのほか空の青が美しい。
 ガラスで遮られたこのテラスに風は吹いてこないが、あちこちに水路が設けられているせいか涼しく、夏はその熱気よりも、ただひたすらにきらきらと眩しい光にこそ宿っていた。

「そうですね」
 落ち着いてミルクティを飲んでいるのは〈狂戦士〉のクラスティだ。そのほかの随行員達も、思い思いの朝食をとっている。実を言えば、ここのテラスに到着したとき、3つのテーブルはもっと離されていたし、テーブルごとに朝食のランクには、明確な違いがあったのだ。
 おそらくそれが貴族社会の「貴族およびその家族」と「従者」の差であるのだろう。

 だがそんな事を気に掛けない一行は、テーブルも近づけてしまったし、パンも分け隔て無くバスケットごと回して好きなもの食べている。量が少なければ荷物から保存食を出せばよいし、事実朝から(朝だから?)緑色のどろっとした専用ドリンクを飲んでいる随行員もいた。

「でも、すごく贅沢ですね。もちろん宿泊施設をあてがって下さるとは思いましたが、ここまでとは……」
 ヘンリエッタが言葉を途切れさせる。

 昨晩、舞踏会が終わった後に案内された宿泊施設は「施設」や「部屋」という言葉よりも「一角」という言葉が相応しいエリアだった。
 城のこのフロアの南東一角は部屋数にして20。そのほかに小規模な会議室やこのテラス、専用の浴室、遊技場、談話室、応接室数個までも備えているのだ。

「しかしこれは…。うん」
「どうしたんだ? シロエ殿」
 ミチタカは尋ねてて来る。

「ミチタカさん。同行者の中に〈料理人〉いましたっけ?」
「そりゃいるにはいるが」
「増援の〈料理人〉と給仕担当、それから食材を運んで貰った方が良いようです。増援の人数は3人以上6人以下で、手際の良い人を」
「確かに」
 シロエの言葉に、クラスティも頷く。

「どういうことだ? 別段食事に毒が盛られてるってこともないだろう?」
 怪訝そうなミチタカの言葉に、シロエは応える。

「いえ、おそらくこの広さは意図的なものですから。
 ……お客人が来る前提なんですよ。会議の期間が十日前後なんて長いと思っていたんですが、色々納得です。
 おそらく大会議は大会議で、そこそこに開催されるのでしょうが、それに先だって個別会議というか、歓談の要求が沢山あるんでしょう。いわゆるお茶会、ですね」

「おそらくそうだろうな。実を言えば、昨日の舞踏会の最中、茶会の誘いを多く受けた」
「そう言えばそうだったな」
「返事は適当に曖昧にしておいたが」
 クラスティは至ってクールな表情で言葉を締める。だが、この状況下であれば今後も茶会の誘いが止むことはないだろうし、場合によってはなかば強引に押しかけてくることもあるだろう。その準備をしなければ、とシロエは考えたのである。

「今日の会議はどうなってんのかね。……おい、カーユ」
「あいさ、総長っ」
 自分のギルドから連れてきた随行員にミチタカは声を掛ける。カーユと呼ばれた青年に、今日の会議の予定を聞き出してくるように指示するミチタカ。情報収集も忘れるな、と念を押す。

 カーユが元気よく立ち去ると、シロエとミチタカ、クラスティはまたお茶に戻る。同じテーブルに座っているのはこの3人。他のものも声を掛ければすぐ届く距離のテーブルにいて、話題を共有していると云って良い。

「……思ったより複雑な状況にあるようだな」
 ミチタカの言葉に、クラスティもシロエも頷く。

 〈自由都市同盟イースタル〉の構成貴族は24名。〈円卓会議〉が加わるとなれば、25だ。彼らの領地は東日本の各地に散らばっている。それぞれの貴族は、自分の領地――多くは1つの城塞市街と、周辺の農地、およびいくつかの村落を支配しているに過ぎない。

 たとえばセルジアッド公爵の治めるマイハマの都はその中でも最大のものだ。それであっても住民の数はおおよそ3万というところだろうか。
 昨日の舞踏会でデビューを果たした3人の娘のうち、残りの2人の娘はオウウのレスター侯の娘と自由都市イワフネの領主スガナの孫娘だったが、どちらの都市の人口も、1万前後である。どちらも、貴族達の中では中堅規模の勢力を持つ。

 そう考えると、〈冒険者〉一万五千を含む、総人口二万のアキバの街が、どれほど大きな勢力かが判るだろう。〈冒険者〉それぞれの戦闘能力以前に、人口規模だけで云ったところで〈自由都市同盟イースタル〉5指のうちに入ってしまうのである。

 またこの世界では、例え東日本のエリア内であっても、特定の貴族や領地の保護下にはない、極めて小さい村落が無数にあるようだ。
 こういった独立系の村落は、領主の統治を不服に思い、反旗を翻している訳ではない。むしろモンスターの多いこの世界の中で、出来ることならば領民として保護を受けたいのだが、肝心の領主のほうが、中心的街からの距離などの理由で、兵力を派遣できないと云うことらしい。

 領主の役割というのは、領民や領地の安全を守ることである。極論すれば、その安全と引き替えにして、税を受け取っているのだ。
 もちろん領地内でも犯罪は起こるし、モンスターの襲撃を受けることはあるだろう。しかしそう言った不慮の事態と、「そもそも守るだけの軍備を用意できない」のはまったく別のことだ。

 領主の城から馬で1日の距離にある村までならば、保護を与える事も出来るだろうが、そうでない村の場合、これを守る場合には常駐兵力が必要となる。この世界では旅や移動には時間が掛かる。少数の兵力を高速機動させて広範囲の地域を守らせるなどと云う離れ業は、実際実現不可能だ。

 逆に言えば、この世界には「生きてはいるが貴族の支配下にはない農民」が多数存在する。十分な兵力を安く手に入れられさえすれば、領主達はまだまだ「税収を増やす」ことが可能なのだ。

(まぁ、おおよそそんな事情がわかっただけでも、情報収集にやってきた甲斐はあったけどね)

 そこで貴族達が目をつけたのは、〈冒険者〉達である。
 〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代から、莫大な数のクエストが村落や旅人の護衛であったり、モンスターのその殲滅であったのはこのためだ。

 例え傭兵じみた存在であったとしても、一時的な金を支払うことによって正規兵の手が足りない任務を依頼する。またさらに一歩進めて正規兵の業務さえも委託してしまう。そうすれば、正規兵はさらに別の地域、もしくは別の戦場で戦うことが出来る。
 実際、領主の保護下にない、独立した開拓村は魔物や亜人間の襲来があると〈冒険者〉を頼ることが、ままあった。

 〈大災害〉以降、シロエたちを含めて多くのプレイヤーは状況把握と、サバイバル、再訓練に時間の全てをとられている。当然、そう言った独立開拓村での〈冒険者〉需要は高まっているはずだ。また、アキバの街を始め、様々な場所で〈冒険者〉達が技術的な革命を起こしつつあるのも、領主達は知っているのだろう。

「連中は、どうやら俺達を取り込みたいようだな。理解は出来るが」
 自分の熱い茶に、蜂蜜を加えながらミチタカは代表してそう言った。

「今ならシロエ君の言った言葉もわかりますよ。――〈大地人〉との『関係』ね。これは確かに手を打つ必要があった。このような事態に当たってアキバの街が乱れていたら、どんな切り崩し工作を受けるか判ったものではなかったでしょう」
「まだ気を抜くのは早いです。今から切り崩しがしかけられる可能性は低くないです」
 シロエは沈んだ声で言葉を返す。
 彼の洞察力は、多少妄想気味ではあったが悪い方のストーリーだって幾つか想像させてはいるのだ。

「切り崩しの話は、目下後回しだ。当面のところの相手の出方と基本方針だな。それがなきゃ始まらんだろう」

「そうですね……。シロエ君はどう思いますか?」
 ミチタカとクラスティの話を受けて、シロエは昨晩から整理していた状況を、言葉を選びながら話し出す。

「貴族達の狙いは、もうある程度はっきりしてきたと思います。最初のうちは、僕たちアキバの街と〈円卓会議〉にどれくらい野心があるのかを測りにきていた。また言葉は悪いですが、どれくらい『野蛮か』を観察にきていたんでしょうね。
 でも、それは、昨晩の舞踏会である程度は払拭されたと思って良いのじゃないでしょうか。少なくとも話が出来る程度には知恵も回れば常識もあるらしいぞ、と。
 そうなれば次の狙いは取り込みです。
 当然のように、クラスティさんか〈円卓会議〉には貴族位を与えてくるでしょう。彼らにとって、それはさほどデメリットがない。猫が居るのなら、その首には鈴をつけるべきです。
 その点までは、貴族達の意思は統一されていると見て良いと思います。もちろん、妬心や反抗心を持つ貴族は少なくないでしょうが。
 しかし、それは決定事項として後回しにして、その前の段階で個別の取り込みが始まるでしょう」

 シロエがそこまで語った時、テラスの入り口のクリスタルで出来たドアが開き、〈海洋機構〉の青年カーユが戻ってくる。首尾良く情報を仕入れたのか、ミチタカの頷きを受けると報告する。

「正式には昼過ぎに連絡が来るとのことですが、本日の領主会議は中止だそうです」
 ふむ、と頷くクラスティ。先を促すミチタカに、カーユは続ける。

「この城の使用人に聞いたところ――使用人達は一年中この城の管理をしているそうなんですが――どうも領主会議は毎年こんな感じらしいですね。舞踏会で幕を開けて、毎日のように昼食会や茶会、夜会、晩餐会が繰り返される。そのために従者はたっぷり連れてくるという訳です。
 俺達は人数も荷物もかなり少ないようです。だから部屋が余ってるんですね。で、最終日が迫る何日間かで、領主会議が開かれて、根回しされていた案件が話され、とっとと賛成多数で終わる、と」

 シロエは頷いた。
 考えてみれば、24の参加者がいるとは云え、その実力や領地の規模にはずいぶんと差がある。領主会議を繰り返し、賛成多数だの反対だのをやるよりも、個別面談や個別の取引を中心に派閥工作をした方が、話し合いとしてはよほどスマートだ。それは、日本的に云うならば「根回し」で何ら恥ずかしい話ではない。

「ですから、今日から数日の流れはかなりはっきりしていますね。
 もちろん、アキバの街の戦闘能力は高い。一対一で戦えばどこの領主だって滅びるのは自分の方だと判る。ですから、慎重な接触にはなるでしょうが、それでも〈円卓会議〉を味方につければ現在のこの世界においては大きなリターンを得ることが出来る。
 先ほどクラスティさんやミチタカさんが云った通り、個別面会や誘いが増えるでしょう。アキバの街の戦力や、財力、発明品やアイテム、人材などを誘致しよう、もしくは雇おうという話がそれこそ山のように出てくるはずです。当面はこの交渉を切り抜けなければならない」

「そのための基本方針か……。ふむ」
 ミチタカは眉をしかめる。これはこれで、相当に難しい問題だ。

「〈円卓会議〉としては、全部蹴飛ばしても構わない。何から何までお断りだってな。
 しかし、戦闘系ギルドだろうと生産系ギルドだろうと、そういう依頼に乗りたいギルドはあるだろう。乗ってしまうギルドだってな。ギルド以外に個人で仕事を引き受けると云うことだって考えられる。細かい部分まで目を光らせようとしたって、不可能だ。
 たとえば、アキバの街の〈マーケット〉から何かを仕入れて、他の街で売りさばくなんてのは、禁止で止まるようなものじゃない。
 戦闘系の依頼だってそうだ。傭兵を五千人出してくれって云うのならば無理だとも云えるし、断ることも出来るだろうが、冒険者を数人雇いたいという話は、禁止したところで引き受けるプレイヤーが居ればそれまでだぞ」

「それは、そうだろうな」
 クラスティは頷く。

 アキバの街では、やっと新体制が整いつつある。二ヶ月の習熟期間を経て、おおくの〈冒険者〉達はこの異世界の戦闘に慣れ始めた。食料を中心としたバックアップ体制も整いつつある。
 次にやってくる波は世界の探索だ。〈妖精の輪〉(フェアリーサークル)調査の話も具体化を始めるだろう。そうなれば、個々のギルドであっても、クエストや依頼を受ける機会は増える。その自由は保障すべきなのだ。

「物流に関しては、余り大規模に発生するようだと関税とか考えなきゃならないかも知れないけど……。そのへんはどうなんだろう。ヘンリエッタさん?」

「……はい。わたしも経済は専門じゃないので、そこまではっきりとは断言できませんが。――何と言ってもわたしは、ただの平凡な会計役に過ぎませんからね。
 でも、現時点で思いつくのは、アキバの街は第一次産業の街ではないと云うことでしょうか。農作物や、水産物が沢山採れる街ではありません。もし物流が何らかのトラブルをもたらすとすれば加工輸出と云うことになるでしょう。輸入をするだけならば、トラブルは起きません。むしろ輸入が止まったらトラブルです。
 輸出については、この異世界の輸送能力を考えると、気をつけなければならないのは『少数だけど影響が大きいもの』でしょうね。また、それより問題が大きいのは、『技術を持っている人材』の流出でしょうか」
 ヘンリエッタは眼鏡の位置を直しながらコメントする。

 その言葉に少し考えてからシロエは言葉を続ける。

「そうですね、これも当面は……。まぁ、今回の会議が終わってから〈円卓会議〉の議題として対処すべきでしょう。ただ、領主さん達に何の話もしないという訳には行かないとは思うんですよ。
 そこで、〈円卓会議〉は早々に、戦力派遣や技術供与、もしくは輸出に関して窓口を作る用意はあると。正式な依頼は、その窓口に対して行なってくれれば、検討返答を行なう――というような返答にするのが無難かと思います。
 当然この会議が終了後、その窓口は作る必要はあります。一定以下のルーチンワークであれば、事務的に引き受けるシステムは作れるでしょう。例えば『山地のゴブリン100匹退治』なんていう依頼があるのならば、その窓口の管理下で、適当な戦闘系ギルドに仕事を割り振る、というようなワークフローです。商業に関しても『食器を200セット発注』等という話であれば、その窓口で処理が出来ます。
 中小ギルドでは処理できないような案件が舞い込んできた場合は、それこそ〈円卓会議〉を招集して検討を行なえばよいのではないでしょうか?」
 シロエが考えていたのは、かつてのクエストシステムを、窓口経由で整理するというような発想である。

「無理がない案だな」
「わたしも妥当だと考える。その地点までは我々三人の独断で進めても問題は無かろう。念話での報告はしておく」
 ミチタカとクラスティも頷く。

「ただし、貴族の方々はその程度では満足しないと思います。〈円卓会議〉全体が動かないとなれば、〈海洋機構〉や〈D.D.D〉だけを対象とした依頼であっても、何とかこの領主会議の開催期間中に密約を結ぼうと交渉をしてくるでしょう。その辺の対処は……。臨機応変と云うしか有りません。揚げ足をとられないように、と云うことですが」
 シロエは、そこで言葉が尽きる。

 その件については、シロエは具体的な対策を立てられない。現場での判断となるために、指針は提案できても戦術は指示できないのだ。

「その辺は、わたし達の領分だろうな」
 クラスティは鷹揚に頷く。その落ち着きと安心感は、さすがに大ギルドの長だ。生来のカリスマ性がにじみ出している。

「迂闊な契約を結ばないように、相手から情報を引き出す、と云うことだろうな」
「ええ、その路線がよろしいかと」
 ミチタカの言葉に、ヘンリエッタも賛成した。

 その後、随行のスタッフも交えて、幾つか想定される事態への問答も考えられる。買収や裏取引も予想されること。なるべく情報交換を密にすることなどを確認しあって、シロエたちの朝食会は終わりを告げた。


 ◆


 レイネシアの気分は低空飛行を続けていた。

 低空飛行というのは比喩的な表現で、実際にはどん底という意味である。

 いわゆるどん底と違うのは、彼女が東部最大の貴族セルジアッド公爵の孫娘であるという一点だろうか。

 つまり、彼女が個人的に部屋などに引きこもり、落ち込むことは立場上からも職務上からも許されては居ない。

 「どん底に落ち込む」などと云うと、鬱的な雰囲気で身動きもとれないようなイメージだが、彼女には専用の侍女がぴったりと付き従っており、彼女が望むと望まぬとに関わらず、毎朝着替えをさせて各種行事に出席させられてしまう。
 そう言う意味で位置を固定して落ち込む「どん底」というよりは、低いままに移動してゆく「低空飛行」なのだが、内心では「引きずり回される」に近いのではないか、とも思っている。

(ふぅ……)

 彼女はため息をつく。
 ここは「エターナルアイスの古宮廷」に数多い空中庭園のひとつ。侍女達に無理を言って一人きりにして貰っているのだ。現在の時間は早い午後。
 ……今日は日中の茶会はないはずだが、日が暮れれば晩餐会がある。祖父であるセルジアッド公爵と、父フェーネル、母サラリヤなどと共に、何人かの貴族の方々を迎えて礼を尽くさねばならない。それは別段難しいことでも労力を使うことでもなかったが、相当に気の重いことだった。

 彼女は脱力をして、ぐったりと四阿(あずまや)のテーブルに額をつける。

 別段何か特別に辛いことがあったという訳ではない。
 彼女は生来的にこのような気質だ。臆病だし、人見知りをするし、つまらないことでくよくよと考えるし、悲観的で、無気力。彼女は自分のことをそう考えている。

 放置しておいてくれれば、部屋の片隅で壁の染みでも数えているのが心休まるというような人間だ。根が暗いというか、明るい部分が壊滅的に無い。自分でそう云うのもなんだが、人間的に見て相当にお付き合いしたくない女だと思う。

 そのレイネシアの容姿は、長い銀髪に、華奢な首筋。全体的にほっそりとした印象を持つ美少女だ。特にたれ目の瞳は濃い青灰色で神秘的な愁いをたたえているように見える。胸や身体の各部分のボリュームは控えめだが、それは好みの範疇内であり、彼女の美しさを否定する男はそうはいないだろう。

(あ~)

 とはいえ、四阿のテーブルに突っ伏している姿は、かなり駄目な人間のそれである。彼女だとて周囲から美貌を褒められることはあるし、それは多い方だという自覚もある。
 しかしその50%は祖父であるセルジアッド公へ気を使った発言だと思うし、40%は毎日風呂に入って髪の毛を整え、化粧をしていればこれくらいには誰にでもなる……つまり貴族的な権力で維持している容貌なのだという微妙な罪悪感もある。
 残りの10%位は「もしかしてわたしもそれなりの可愛いのかしら」とおもわないでもない。ないのだが、「なんて儚げな姫なのでしょうか」とか「愁いに満ちたしとやかさ」などと云われてしまうと、一挙に醒めてしまう。

(愁いに満ちてるんじゃなくて暗いだけ。淑女じゃなくてやる気がないだけです……。はい……)

 彼女はそんな風に思いながら、自虐的な気分でテーブルにうつぶせる。こんなことを毎日のようにぐるぐると考えている自分は、相当にややこしく面倒くさい人間だとも思うのだが、辞められないのだから仕方がない。


「貴殿のような指揮官を持つ軍は、まことに幸運と云えるでしょうな。その精強さはまさに東方騎士団に等しい」
「――いや、わたし達の戦力はそこまでの強大さはありませんよ。特に即応体制において、現在はまだまだ課題を抱えていますから」
 近寄ってくる足音と話し声は、貴族達のようだった。
 一方の中年の声は焦った感じ。もう片方は若いが落ち着いた強さを感じさせる。

 その声を聞こえた途端、レイネシアは四阿の中で背筋を伸ばす。
 コーウェン家の娘として、陰謀の溢れるこの宮廷において弱みを見せる訳にはいかない。レイネシアは世の中を拗ねた無気力な娘ではあったけれど、かといって家の名誉を守れないような娘でもなかった。

「我が領地にも一度おいで下さい。ああ、どうですか? 故郷の酒があるのです。これから日も沈みますゆえ一献でも」
「ふむ。酒ですが……。申し訳ありませんが」
 かさり、と薔薇の植え込みの角を曲がって、順路の上に数人の姿が現われる。

 先頭を歩く二人の左側は、ツクバの街の領主キリヴァ侯である。学問ギルドの勢力が強いツクバの街を取り仕切る苦労家との評判だ。後ろに引き連れているのは、服装からしてキリヴァ侯の執事と侍女達だろう。

 一方、そのキリヴァ侯の隣を歩くのは、若い騎士だった。いや、騎士に見えた。

 髪を短く切って眼鏡をかけた姿は聡明そうだが、その身体はがっしりと大きく、戦場に暮らす者特有の隙のない身のこなしをしている。ゆっくりと歩いてくるだけなのに、周囲に発する圧倒的な存在感はまさに若き将軍といった風情であった。

(あの方は……。昨日見た)

 レイネシアの記憶が瞬く。
 それは父に教えて貰った〈冒険者〉の一人であるはずだ。直接挨拶は出来なかったが、祖父が長々と話していたのを覚えている。父の話によれば「良くも悪くも、これから〈自由都市同盟〉の台風の目になる男」とのことだった。

 通り過ぎていく一行とレイネシアの間にはかなり距離がある。
 向こうにしてみれば自分は「庭園の外れにある四阿でお茶を楽しんでいるどこかの姫君」に見えるだろうと、レイネシアは少しだけほっとする。会釈をしておけば、面倒な話に巻き込まれることもなさそうだ。

 しかし、おそらく偶然だろうが丁度そのタイミングで、若い騎士風の男性と視線があってしまった。レイネシアは反射的に会釈をする。城の若い騎士達には「雨に打たれた花のような麗しい微笑」と云われている笑みだ。この表情は人気が高いので、いろいろ誤魔化すためにレイネシアは重宝している。

 するとその若い騎士は一瞬立ち止まり、微笑んだ。……様に見えた。照り返しによって輝いた眼鏡によりその表情は今ひとつわかりにくかったのだ。

「実は私、約束がありまして。キリヴァ侯。申し訳ない」
「約束とはどのよ……。こっ、これはレイネシア姫」
 その男はどんどんとレイネシアの居る四阿に向かってくる。正直レイネシアは困った。というか、引きつった。

 その迷いのない歩調にキリヴァ侯は約束という騎士の言葉を信じたのだろう。しばらくの間、騎士とレイネシア姫を見比べていたが「野暮はいけませんな、野暮は。それでは、クラスティ殿。また後ほど友誼を深めましょう」と云うと、そそくさと立ち去ってしまう。

 クラスティと呼ばれた騎士は、四阿の入り口でそのキリヴァ侯に振りかえると、丁寧な返礼をする。その姿が視界から去ると、困惑して固まっているレイネシアの居る四阿へと入って来た。

(うわっ。背、高いですね……)

 身長は190センチを越えているだろう。体格の良い騎士は城でも見ることはあるが、この若い騎士はその体格でありながら野卑なところが無く、理性的な横顔は気品すら感じさせた。

「あっ、あの。私はマイハマはコーウェン家の娘、レイネシアと申します。その、約束……とは?」
「ああ。わたしはクラスティと云います。〈冒険者〉です」
 騎士はそのように云うと、レイネシアとは角をはさむような位置に腰を下ろす。
 この四阿は作り付けの大理石の長いすが幾つかあり、その上には革張りや羽毛入りのクッションが置かれている。同じ様な大理石のテーブルは、高さが低めで、優雅に茶を愉しむための華美なものだった。

「約束というのは方便です。迷惑を掛けたようでしたら謝罪しますが……」
 クラスティはちっとも悪いとは思っていない口調で言う。

(それは……。だしに使ったと云うことですかね? この人は悪い人にはとうてい思えませんが……)

 レイネシアには、そのクラスティの真意はつかめない。しかし、父の言葉が正しいとすれば、この若い騎士は「〈自由都市同盟〉の台風の目」なのだ。礼を失する訳にはいかない。彼女は貴族の家の娘らしく、従順な態度でクラスティの言葉を待った。

「いま、“だるいなぁ”って思ったでしょう?」
「なっ!?」
 クラスティが突然云った内容に、レイネシアは固形化する。

「それどころか、最初に目があった瞬間“面倒くさいことになったなぁ”って思ったでしょう?」
「っ!」
 今度こそ冷凍状態になったレイネシアに、クラスティは微笑む。彼のそれは理知的で穏やかな微笑みなのだが、レイネシアにはその笑みが悪魔じみたものとして映った。

「ど、ど……」
「どうして? ですか。――勘です。まぁ、わたしは故郷に妹がいまして。同じような態度だから判ったのです」
 クラスティはそんな風に呟く。意地悪そうな態度もせずに、研究結果のように淡々と、ただ事実を述べたのだ。

(……こっ、こっ、こっ、この人は悪い人だっ!?)

「そんなことはありませんわ。ふ、ふふふっ」
 レイネシアはとっておきの淑女らしい態度で微笑むが、その動きは油の切れた機械のようにぎこちないものだった。

「別にとって喰おうという訳ではないので緊張しないで」
「そう仰いましても……。その」
「朝からこっち、領主の皆さんに追いかけ回されまして。セルジアッド老公のお孫さんであれば、皆さんも遠慮して下さるかと思うんですよ。しばらく話し相手をして頂けませんか?」
「それは……」

 正直に云って気が進まない。
 面倒くさいし、なんだか怖い。
 自分の手の内どころか、内心まで見透かしているようなこの穏やかな青年に、レイネシアはそもそもの最初から頭が上がらないような感覚を感じている。
 貴族の娘でさえなかったら、唐突に謝罪をしてしまいたいほどだ。「申し訳ありませんでした、以後気をつけますのでご寛恕下さい」――何を気をつけるかもよく判らないが、そんな風に云いたい気持ちが芽生えそうになる。

(でもそんな気分って、怒ったお爺さまに叱責されたとき以来です……)

「“気が進まないな”って思ったでしょ」
「ひっ」
 また読まれた。

 この〈冒険者〉は〈脳喰らい〉(ブレインシーカー)なのではないか? とレイネシアはいぶかしむ。どうしてそんなに洞察力があるのか、泣きたいほどだ。だがクラスティの方はと云えば、至って紳士的な様子で微笑みさえ浮かべている。

「あまり気にせず」
「はい、あのお茶でも……」

「いただきましょう」
 クラスティは頷いた。四阿に常備された茶器をだしながらレイネシアは考える。こうなっては仕方がない。
 相当気が重くはあるが、それは別にこの騎士がいやだからそうなのではなく、他人に会うのは全てがそうなのだ。それに、この若い〈冒険者〉から逃げても、夕刻になってしまえば別の相手と話さなければならないことには変わりはない。
 茶会や他の領主の息子達とのお見合いのような交流に派遣されるよりは、四阿の中でゆっくりとだらけていた方がましかも知れない。

 この〈冒険者〉はどうやら異様に勘が良いようなので、そうであるのならば、外行きの淑女風演技もせずに済む。ばれているのならば、とことんばれても良いではないか。
 そう考えると、レイネシアは二人分のお茶を入れ、ぱたりと大理石のテーブルに突っ伏す。猫をかぶるのを辞めたレイネシアは、こんな事も平気で出来るほどの恥知らずなのだ。

(ふふん……恐れ入りなさい)

 公爵家の令嬢が、ぺったりと額を大理石につけてそのひんやりとした温度を愉しむ。殿方が居るのに会話も無しで完全無視だ。こんな贅沢があるだろうか? いいや無い。とレイネシアは断言できる。孤独万歳。放置万歳。他人と視線をあわせるだなんて馬にでも喰わせてしまえばよい。
 ところが一分、二分が過ぎても、クラスティはただ静かにお茶を愉しんでいるだけのようだった。

 小鳥の声が聞こえる。
 囀るようなあの響きは、中庭の木にでも止まっているのか。それとも水場で羽根を洗ってでも居るのだろうか?

(それにしても、気を使わない人ですね……)

 通常の騎士であれば。いや紳士であれば、妙齢の淑女が突っ伏しているだなんて、すぐに気遣いの言葉を掛けてくる。気分が優れぬと云おうものならば、丁重に部屋まで送り届け、女官を呼びにやるだろう。場合によってそれは医師だったり呪い師だったりする。

 しかし、このクラスティという若者にはまったくその気配がないのだ。

「わたしはこの宮廷では目下注目の人物ですから。二人でお茶を飲んでいたと仰れば、行事や茶会など適当にさぼっても云い訳はつきます。ご両親も褒めてくださいますよ」
 クラスティの言葉は一瞬レイネシアの思考を止める。

 その意味合いが染みこんでくるにつれて、彼女の頬は真っ赤に染まってきた。大理石のテーブルに顔を伏せていて本当に良かったと彼女は考える。こんな取り乱した姿は、ここ数年両親にも見せたことはない。
 恥ずかしさといたたまれ無さと、どこか甘やかな安心感で、膝の力が抜けそうになってしまう。

 クラスティが云った言葉は、そのまま彼女がクラスティとのお茶に付き合った理由そのものだったのだ。

「独り言なので、お気になさらずに」
 返事をすることも出来ないレイネシアは、そのまま桜色に染まった表情をテーブルに伏せ続けるしかなかった。
2010/04/30:誤字訂正
2010/07/01:誤字訂正
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ