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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ゲームの終わり(上)

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 一行が「エターナルアイスの古宮廷」へと到着したのは今朝のことだった。アキバの街からこの宮廷へ旅は取り立ててトラブルもなく、平凡なものだ。距離にして2時間ほどであり、「シンジュク御苑」よりもさらに近いのである。

 シロエたち代表団は総勢十人。
 余り大人数で押しかけるのも警戒心を与えるだろうと云うことで、入念に調整された選抜メンバーだった。

 兎にも角にも出席しなければ始まらないのが〈円卓会議〉代表の〈狂戦士〉クラスティだ。
 〈自由都市同盟イースタル〉は貴族文化を持っているようである。その中で自治委員会方式である〈円卓会議〉がどのように受け取られているかは不明だが、貴族と対等に話すというのであれば、〈円卓会議〉側も代表者を送らざるを得ない。

 その次に考えられたのは派遣団No.2である。
 クラスティは戦闘系ギルド最大手〈D.D.D〉の代表でもあるので、形の上では生産者ギルドから一名副使を選ぶべきだろうと云う話になった。
 候補としては〈海洋機構〉の“豪腕”総支配人ミチタカ、〈ロデリック商会〉のロデリック。〈第8商店街〉を率いるカラシンのいずれかなのだが、これは押し付け合いになる。
 多少揉めた後に選ばれたのは、〈海洋機構〉のミチタカだった。
 三つの生産者ギルドの関係は決して悪くはない。それぞれに特徴を持ち、このアキバの街を支えている。しかし、生産者にとって、今は新発見に街が沸き返っている時期だ。街を離れるのは後ろ髪を引かれる思いなのだろう。代表の押し付け合いになったのはそんな背景による。

 ミチタカなどは「今は発明のニュースを追いかけている方が楽しいしな」等と逃げようとしたのだが、十一回勝負のじゃんけんに負けては文句も言えない。カラシンに何もかも押しつけようとしたが、それにも失敗した様子だ。
 もっとも面倒見の良いミチタカのことである。最終的には最大手の器を見せつけて「しっかたねぇなぁ。任せておけよ」と断言したのは見事だった。しかしその後で未練がましく「何かあったら飛んで帰る。二時間で帰れるし」とコメントしたのは、〈円卓会議〉参加者の秘密だ。

 バランスから云ってもう一人、実務方面や情報関係の分析が出来る人材をNo.3に選ぼう。そんな風に〈円卓会議〉の意志が決まったとき、全員の視線が止まったのがシロエだった。
 もちろん〈円卓会議〉を構成する11人の評議員はそれぞれアキバの街を代表するギルドの責任者だ。情報収集も分析も人後に落ちると云うことはないのだが、「そちら系か?」 と云われれば専門の人材が欲しいと云うことになってしまう。

 シロエ個人としては同時期に行なわれる結果になってしまった「夏季合宿」も興味深かった。

 新人プレイヤーの鍛錬という名目上、ミノリとトウヤの双子が〈記録の地平線〉から参加しているし、東京周辺の農村部における情報収集もおろそかには出来ない。この二ヶ月の間、折に触れては調べてはきたが、まだまだ〈大地人〉との接触が根本的に足りていないように思える。

 シロエとしてはどちらのイベントも軽視をしたくはなかったために、悩んだのだが、ミチタカが熱心に「いや、お前も来るべきだ。俺だけ街を離れるなんて許せない」と力説するので、仕方なく宮廷へ向かう副使としてメンバー入りを了承したのだった。

 シロエは〈円卓会議〉の要請で三人目の列席者として代表団に。アカツキは最初から「主君の身の安全はわたしが守る」と公言していたので、自動的にシロエと同行。随行というか従者という立場での参加となった。

 一方で、直継とにゃん太は夏季合宿の方へ引率同行という分担になった。直継もにゃん太も後輩に対する面倒見がよいし、異世界化してしまった後の戦闘経験が豊富だ。実践的な戦闘訓練と、何かトラブルがあった場合の対処では頼りに出来るだろう。

 シロエの誤算としては、アカツキが参加を決定した時点で、いつの間にやら〈三日月同盟〉からオブザーバーとしてヘンリエッタの派遣団参加が決定してしまったことだろうか。

 ヘンリエッタの同行は「シロエの従者」という形になっている。
 それは良いのだが、同じく「シロエの従者」という扱いのアカツキとは、控え室などが一緒になるヘンリエッタはまさに狂喜乱舞の有様だった。

(――明らかにアカツキ狙いだよ)

 シロエとしては額に縦線を入れるしかない。
 ヘンリエッタが嫌いな訳ではない。美人だし、聡明だし、頼りがいはある。むしろ好意を持たざるを得ない女史だと思う。しかし多少常軌を逸した熱情があるようで、心配の種になっているだけだ。

 もっとも事情を知らない他の〈円卓会議〉メンバーから見れば、シロエは両手に花というか、両脇に美少女と美女の布陣に見える。「そうじゃない」と云っても納得して貰えはすまい。

 そんな選考過程を経て、〈自由都市同盟イースタル〉領主会合へ派遣される代表団は決定された。代表は〈円卓会議〉議長、クラスティ。第一副使は〈海洋機構〉のミチタカ。第二副使は〈記録の地平線〉シロエ。そのほか、秘書や従者という形での同行者を含めて総勢十名である。

(これは、なんていうか……。居心地悪い)

 選考過程を思い出しながらも、大ホールの隅で目立たぬようにしていたシロエは独りごちる。

 徐々に人が増えてくる会場なのに、アカツキがシロエの背中に隠れるようにぺたりとくっつき、ヘンリエッタは艶然と微笑みながらも、シロエに身を寄せているのだ。

「シロエ君は流石だな。悠然としたものじゃないか」
 クラスティがミチタカにそう言うが、それは誤解だ。
 シロエは悠然としているのではなく、途方に暮れているのだ。

「まぁ、こいつほどの英雄になると。ぷっ。こんな大舞台でも、女を2人囲うくらいのことは……あー。余裕でできるらしいな。なぁ?」
「失礼な。このような舞踏会など陰謀の餌食。真っ黒シロエ様の草刈り場に過ぎないのですわ」
 判ってて笑いものにしているミチタカには後で復讐するとしても、ヘンリエッタの方向性を誤った買いかぶりが、シロエには痛い。

 と、いうのもだ。

 先日の〈円卓会議〉設立騒動以来、ヘンリエッタの内部でシロエは「陰謀をたくらませたら比類ない黒脳みその持ち主」という設定になってしまっているらしいのだ。
 それだけなら苦情を言い立ててやることも出来るのだが、それに加えてその黒さに対する絶大な信頼感のようなものを表明されてしまうので、ろくに言い返すことも出来ない。

 訳がわからないが、ヘンリエッタの中では黒い=評価が高い(?)と云うことでもあるらしい。褒めてくれているものを無闇に否定することも出来ず、シロエは苦しんでいるのである。

「今回はよくおいで下さった」

 それでもヘンリエッタに何か一言くらいは言い返そうとシロエが口を開きかけたときだった。毛皮の縁取りがついた白銀のマントをまとう、見まごうこともない貴族が一行へと挨拶をしてくる。

(ううわ、すごい……。本物だぁ)

 シロエの感想通り、どこからどう見ても「本物」の貴族然とした壮年の男性だった。短く刈り込んだ髭、銀髪の下の眼光鋭い眼差し。年齢のせいで筋張ってはいるが、若い時分は武芸を嗜んだと思われる両手周りの筋肉の付き方。
 夏用なので、余り重そうには見えない暗褐色の縁取りのついた濃紺の上下に、いくつものメダルや飾りのついたベルトを締めて、黒く磨き上げた革の丈の高いブーツを履いている。

「初めまして、お招きありがとうございます。アキバの街を自治する〈円卓会議〉代表のクラスティと申します」

(クラスティさんの度胸はすごいなぁ。貴族みたいだ)

 滑らかに答えるクラスティ。その表情はさほど気後れした様にも見えない。
 続いてミチタカが挨拶をする。こちらも特に緊張した様子は見えなかった。図太いという意味では、〈円卓会議〉でも屈指の図太さを持つ2人だ。この人選はまったく正解だな、等とシロエは考える。

「僕はシロエと云います。以後よろしくお見知りおきを」

 そんな思考を巡らしながらもシロエも簡潔に挨拶を行なう。そのシンプルな態度は、傍目には緊張とは無縁に見えるために、「図太い2人」ではなく「図太い3人」であることに、シロエは気が付いては居ない。

(詳しい自己紹介は後回しだ。相手の素性も知りたいし)

「わたしの名前はセルジアッド=コーウェンだ。〈自由都市同盟イースタル〉の取りまとめを務めさせて貰っておる」
 シロエの気持ちを察したのかどうかは判らないが、壮年の貴族は自らをそう名乗る。セルジアッド=コーウェンといえば、〈円卓会議〉へと送られてきた書状にあった、筆頭領主である。

(この人がそうなのか。……東部最大の実力者、と云う訳だ)

 アキバの街は日本サーバにおける、最大規模のプレイヤータウンである。しかし、それは日本サーバー内で最大の街であることを意味する訳ではない。

 この日本サーバーにおける最大規模の街とは「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)を中心とする「マイハマの都」である。

 そもそもこの異世界において、東京の街はすでに1個の都市として機能してはいない。

 なぜならば、日本サーバにおいては元の世界の人口一億数千万に比して、現在ではおそらく百分の一程度の人口しか存在しないからだ。
 人々は、あちらこちらに小さい集落や、城壁に囲まれた避難地を作り、そこで暮らしている。旧東京周辺もそうだった。この地域にはアキバの街やこの宮廷もそうだが、高度な科学文明や魔法文明の遺産が残り、それを利用した幾つかの市街が存在する。しかし旧東京全てを管理、支配するには、もはや人間は少なすぎるのだ。
 そのようなライフラインを維持出来ないほどに、善の人類種族はこの世界の主役からは転落をしているのだ。

 そのように旧首都圏は、幾つかの自衛能力を持つ小都市に分かれてしまっているが、その中でも、もっとも巨大なのはマイハマの都だ。

(それに続いて僕たちアキバの街。同じくプレイヤータウンのシブヤの街。イケブクロは「陽光の塔」でいまでも大きいな。現実世界で新宿にあたる場所はベヒモスの発生で完全に壊滅しているから……。後は少し離れてヨコハマ、アサクサ……。くらいか)

 それが現在の関東圏の人間が住む環境の概要だった。

 目の前にいる壮年の領主は、その関東圏の中でももっとも大きな街、マイハマの都の支配者である。マイハマの都はアキバとは違い大聖堂がないために、いわゆる「プレイヤータウン」ではない。だがそれをのぞけば商業設備も整っているしクエストの種類も豊富だ。〈エルダー・テイル〉時代に中級以上のプレイヤーであれば、必ず一度以上訪れたことがある場所だろう。

 繊細な鋼細工で出来た高架歩道と空中庭園が印象的な街で、シンボルになっている「灰姫城」(キャッスルシンデレラ)は日本サーバーで最も美しいと云われる白亜の宮殿である。

 目の前では早速クラスティが会話に乗り出していた。
 〈円卓会議〉は自治委員会であり、住民の代表11人で構成されていると云うこと。自分はその議長という立場にあると云うこと。今回は招待を嬉しく思い参上したことなどを簡潔に伝えている。

「ふむ。ふむ……。あい判った。つまりそのギルド、なるものがそれぞれ領地を持たぬ貴族のようなもので、有力なギルドが話合って自治をしているということだな? 形式としては領主が集まり会議を持って行動指針を決める〈自由都市同盟イースタル〉のやり方を一段階小規模にしたものと云える訳だ」

「その通りです」
 セルジアッド=コーウェンの言葉にクラスティは頷く。

「しかしそうなると、ふむ……」
 会場に給仕として現われるエルフの女性から飲み物を受け取ったセルジアッドは考え込む。

「代表とは言え、その中の一人に貴族位を授けるというのは無用な軋轢を生むかの?」
「そう考えます。出来れば、その件に関しては、辞退いたしたく」
「ふぅむ。それはそれでこちらとしてもな」

「では、〈円卓会議〉そのものに準貴族位というか、貴族と“みなす”事により出席権を与えてはいただけないでしょうか? そうすればわたし達も皆さんと一緒のテーブルにつく事が出来ます」
 これはミチタカの言葉だ。悠々とした大人物の態度でクラスティと協力して老領主の説得に当たっている。

(僕とたいして差がない歳だと思うけど。まったく問題なさそうだなぁ)

 シロエは一歩引いたところから話し込む三人を見つめていた。
 クラスティはもちろん、ミチタカもおそらく現実世界では30歳にもなっていないだろうが、この世界の貴族相手に退きもせずに渡り合っている。横で見ていても不安を感じないし、よしんば2人が交渉に失敗するようならば、シロエが多少口出ししたところで成功などしないだろう。

「やはりずいぶん注目を浴びているようですわね」

 そんなシロエにこっそりと耳打ちしたのはヘンリエッタだった。視線をあげてみれば、大ホールはすでに大勢の出席者で賑わっている。事前に調査したところに寄れば〈自由都市同盟イースタル〉には24の都市や領地が参加しているそうだ。
 それぞれ代表一名に参謀二名、随行が4~5名。お披露目をするための子供や孫を連れてきているとすれば、合計してやはり数百人にはなるだろう。ざっと見渡しても、この巨大な広間には百名以上の人間がひしめいているように見える。

 ダンスをするために装飾された、緋色と金色に染まるこの巨大なホールは、それだけの人数が集まっても手狭になったという印象は全くないが、壁際やホールのあちこちで談笑するグループがこちらに視線をちらちらと送ってきているのは、シロエも感じることが出来た。

(それでも声を掛けてこないというのは……。セルジアッド老に遠慮をしていることなのかな? それとも何かすでに密約があるとか。でなければ、僕らには想像もつかないような奇怪な噂が流れているとか?)

 シロエは思考を巡らせる。
 おそらくシロエたち〈円卓会議〉が〈自由都市同盟イースタル〉の情報を完全には把握していないのと同様に、〈自由都市同盟イースタル〉もまた〈円卓会議〉の情報を把握し切れてはいないのだ。

 今回の招待状がよい例である。
 ある程度は上から命令してしまい自分たちの組織の一部に組み入れても良いのか、それとも細心の注意と礼を持って遇しなければ手痛いしっぺ返しを喰らうのか、両者ともに測り切れては居ない。
 相手の情報は欲しいが、その情報を得るための会話は、揚げ足をとられないように慎重なものとなる。
 必然的に、やりとりには多くの時間が必要だ。

(結構タフな交渉になりそうだなぁ)

 シロエはぎゅっと目をつむり、眉間を押える。交渉のメインどころはクラスティとミチタカが現在全力で当たってくれている。そうであるのならば、その隙にブレイクスルーを見つけるのがシロエの役目だろうが、今の段階では良いアイデアもない。

 もちろん手に入る限りの〈自由都市同盟イースタル〉の情報は事前入手しているが、所詮街の酒場や文章で調べた知識だ。貴族の社交界の生の情報が、そうそう巷間へダイレクトに流出するものでもないだろう。
 シロエがそう悩んでいると、突然音楽が止まる。

 ざわめきが潮のように引くと、大ホールのアーチ付近の人垣が割れて、そちらの方から輝くような一行が現われる。人々が好意と期待でざわめく中に現われたのは三人の少女とパートナーだった。




 ◆




「孫娘なのだよ。レイネシアといって今年15になった」
 セルジアッド公爵は目を細める。
 すると貴族然とした貫禄が和らぎ、愛しげな表情になるようだ。

「諸君らには馴染みがないだろうが我々のしきたりでね。適齢期に達した淑女は、舞踏会においておいてデビューする。明日から続く十日間の会議は、〈自由都市同盟イースタル〉の諸問題を調整する場であると同時に、わたし達の交流の場でもあるのだ。
 われわれ貴族はその領地を守るために身命と普段蓄えた武力や財力を利用するが、この過酷な世界においてそれでは十分とは云えない。いや、十分と云える備えなど何時になっても得られる保証などはないのだがね。
 それでも、友人や縁戚というものは、剣や金貨や城壁といったものよりも、時に自らと自らの領民を守る助けになってくれるものなのだ」
 多少は打ち解けてきて貰えたのか、セルジアッドはクラスティとミチタカに自分たちの社交界の意義を説明している。

「それは絆ですね?」クラスティは尋ねる

「判ります。わたし達もギルドと云う集団を作り、仲間で支え合う。家族のようなものです。時にはギルドの枠を越えて助け合う。それも〈円卓会議〉の使命です」
 ミチタカがその言葉を継いだ。

 綺麗事ではあるが、この場においては綺麗事が相応しいのだ。

「その通りだとも」
 セルジアッドもまた、その言葉に我が意を得たとばかりに微笑みを返す。

 二人とセルジアッドが、話ながらも視線で追いかける先では、三人の娘が今まさにホールの中央に進み出たところだった。その手を壊れ物のように支えるのは、領地の騎士なのだろうか。いずれもなかなかの伊達男である。

「皆さんお美しいですね」
 ミチタカがそう評する。
 商人らしい賛辞だったが、ミチタカとしても嘘をつく手間が省けて気が楽だったろう。今回に限ってはお世辞を言う必要は無いのだ。

 中央を一歩進み出たのは、15歳という年齢よりは幾分華奢に見えるが、ほっそりとした首筋を持つ儚げな印象の美しい少女だったのだ。

「中央が我が孫娘、レイネシアだ。右にいる新緑の髪をもつのがオウウのレスター侯の娘、アプレッタ。赤毛の情熱的な娘が自由都市イワフネの領主スガナの孫娘。いずれも今年社交界に顔見せとなるな」

(なるほど……。三人ともかなりの美少女だな。こうして『お披露目』をして、社交界デビューとなるわけだ)

 見守るうちに音楽が流れ始める。

 そのような事情であれば、こういった公衆の面前で踊るのは初めてのはずだが、三人ともそれは感じさせないステップだった。とはいえ、まだ表情は硬い。

 緩やかな円舞曲は弦楽に木管楽器が加わってより一層深みを増した。シロエはその音楽に聞き覚えを感じる。〈エルダー・テイル〉であった時代に、ゲームを立ち上げる度に耳にしていたオープニング曲だったのだ。

 その驚きと懐かしさを共有できたのは、この大広間の中で、シロエ達一行の10人だけだった。弾かれたように視線を合わせるシロエたちは、すぐにも苦笑めいたものに満たされる。

 視線が絡んだ瞬間に、自分たちが本当に異世界に来てしまって、帰れる当てがないという望郷の念を共有したのだった。だが、だからといって取り乱して良いような立場でもないし、取り乱すには責任がありすぎた。

 やがて一連のフレーズが終焉を迎え、姫達は優雅に膝を折る可憐な感謝の礼を行なう。

「さて、二曲目だ。……諸君らも踊ってくると良い」

「は?」
 ミチタカが何とも間抜けな表情で老セルジアッドに問い返す。

「先ほども云ったろう? この舞踏会は会議に前だつ社交の場なのだ。周囲を見渡しても見たまえ。皆が君たちに興味津々だぞ。
 今わたしが代表して話しかけているのは〈冒険者〉との付き合い方をみんなが知らずに警戒しているからに過ぎない。これではお互いの信頼はともかく、情報交換もままならないのではないかね?」
 〈自由都市同盟イースタル〉を代表する老領主は、そう言うと威厳たっぷりの横顔に茶目っ気を覗かせる。

「皆のものも客人のダンスを見たがっている。どうだね、そこの黒髪のお嬢さんは?」
 突然話を振られたアカツキは、それこそ電流でも流されたかの如く小さく飛び上がると、いそいそとシロエの影に逃げこむ。

「わたしは主君の忍び。忍びは影にして護衛。こ、こ、このような公の場で姿をさらすなどとんでもない」
 続いて視線をやられたミチタカは、多少引きつった表情を張り付かせたまま首を左右に振る。「いやいや、俺は不調法ですからね。とんでもない!」と。
 生産が専門とは言え、そこはさすがに〈冒険者〉の身体能力だ。残像が出るほどの速度で首を振っているのが可笑しかった。

 まぁこの場で押し出しが良いのはクラスティだろうな、とシロエはくすくす笑いながら考える。

 〈狂戦士〉だなどという恐ろしげなサブ職業と称号を持っているクラスティだが、見かけは理知的な美丈夫だ。
 アメリカンフットボールチームに居るような「身体付きもがっしりしたエリート秀才タイプのハンサム眼鏡」と云う表現がぴったりの彼だ。ポジションで云えば、クオーターバック。しかも中央突破が出来る司令塔だろう。
 体躯がよいからタキシードも似合っているし、おあつらえ向きに同じギルドの女性も同伴してきている。

「ここはシロエ君の出番だな」
 しかし、声を掛けようとしたシロエより先に、そのクラスティ本人が重々しく口を開く。そんな冗談を、と言いかけたシロエだが、機先を制したクラスティは至極真面目な表情だ。

「わたしはここでセルジアッド卿といま少し歓談していたく思う。シロエ君であれば、えーっと、そうだ。――“この舞踏会は草刈り場”なのだろう? その絶技の一端を〈円卓会議〉のために役立てて欲しい」

(ク、クラスティさん。判ってて云ってるな!? く、くそぅっ)
 シロエは血の気が引いていくのを感じる。

 高レベルのモンスターに立ち向かうのだって大会議で論陣を張るのだって出来なくはないが、そもそもシロエは周到に計画を整えて、つまり必勝の策を持って戦線を構築する参謀タイプの人間である。
 これが例えば、十日前に予告されたピンチであれば、どのような無理難題でもなんとか切り抜ける策を見つけただろうが、いきなりふられては目を白黒させるしかない。

 しかし〈円卓会議〉代表のクラスティが、〈自由都市同盟イースタル〉筆頭領主のセルジアッド公爵との会話があるため代理を頼む、そう言っているのだ。シロエとしても反論も難しい。
 何と言っても、シロエは先ほどまでクラスティとミチタカが要領よく交渉を進めていたために、実労働はさぼっていた訳だ。もちろん、今後の方策を考えながらではあったが、その糸口がつかめていない以上、仕事を割り振られれば罪悪感から引き受けざるを得ない。

(はぁ……。今回は恥をかいてくるしかないかぁ)

 ションボリを肩を落としかけたシロエだが、視線を感じてふと顔を上げるとヘンリエッタの艶然とした微笑に出会う。

「シロエ様。肩を落とすのはお似合いになりませんわ」
「そんな事言ったって。……こればっかりはねー」
 半分以上自棄になったシロエはため息をつくが、ヘンリエッタは立てた人差し指を女教師のように左右に振る。

「殿方は自信のないところを見せてはいけません。それは空元気であってもです。ギルドマスターならばなおさらですよ? マリエはお馬鹿でお間抜けで脳天気で、もう一つ云えば胸が大きいですが――そこのところだけはよく判っていますわ」
 その言葉は、まさにその通りだろう。マリエールの笑顔は、その笑顔があり得ないような状況でこそギルドメンバーを励ましてきたはずだ。シロエは反省する。
 色々と知恵が回るのはよいけれど、取り越し苦労やまだ見ぬ未来のことでくよくよするのは自分の弱点だと把握もしているのだ。

「了解。その通りです」
「良くできました。では……。良い子のシロエ様に、私が魔法をひとつプレゼントいたしましょう」
「え?」
 ヘンリエッタは爪先を使った優雅なターンでシロエの前に進み出ると、絹のグローブに包まれた手をその目の前に差し出す。

「アカツキちゃん? よく見ていてくださいませ」
 気圧されたようにシロエがその指先をとると、自然な動きで腕を絡めたヘンリエッタはシロエ共々ホールの中央まで進み出た。

(ちょっ……。ヘンリエッタさんっ)

 シロエ的にはこれはやりすぎだ。もし踊らなければならない任務があったとしても、ホールのおおよそ右半分とか、南側の出口付近とか。適度に人が多くて目立たずに一曲終えられる場所が沢山あるはずである。ホール中央など、宴の主賓となるべき、またダンスの達者な人が踊るべき空間(スペース)なのだ。

「シロエ様。微笑んで、胸を張ってくださいまし」
「……」

 自分が生唾を飲み込むのが判る。たしかに〈円卓会議〉立ち上げの会議でも緊張したし、PK戦やそれ以前の大規模戦闘でも心臓が跳ね上がるような体験をしたことはあるが、これはまた一種独特の恐怖感だ。
 広場いっぱいの参加者達が自分のことを観察しながら小声でくすくす笑ったり品評しているという妄想がぬぐえない。

「よろしいですわ。その姿勢のまま私の腰に手を……。いえ、もう少し上です。……そうそう、ウェストの裏側に手を添えるような感じですね」
「告白しますけれど、僕、ダンスなんてまったく出来ませんよ?」

「あら。こんな姿勢で告白だなんて云われると、照れてしまいますわ」
 ヘンリエッタはシロエを見上げて微笑む。

 パーティードレスに合わせるためだろう、いつものキャリアウーマン風リムレス眼鏡を外した瞳は思ったより大きく見えて、そんな風に微笑まれるとシロエとしてもどぎまぎしてしまうのだった。

「そうじゃなくて。誤魔化さないで下さいってば」
「シロエ様? 私の職業をご存じでしょう?」
「それは〈会計士〉――あ」

 視線を伏せたヘンリエッタはシロエの胸元辺りを見つめたまま、耳を澄ませて小声で呟いている。それは小鳥の囀りのような、細く、聞き逃してしまいそうな程に小さな歌声。
 初めて聞いたはずのワルツ曲を、ヘンリエッタは先行予測してタイミングを計る。

「さぁ、行きましょう。シロエ様」

 まるでシャンパンから溢れる炭酸の泡が弾けたようにホールいっぱいにわき上がる音楽。第三曲目のスタートだ。優雅で古典的なメロディーを指先で軽く押すようにヘンリエッタがシロエの方にステップする。
 胸を張ったままヘンリエッタを支えるように彼女の腰を支えるシロエ。ヘンリエッタは何事かを呟きながら、くるり、くるりと花びらが舞うようにシロエを誘導する。

(そうだ。ヘンリエッタさんは――〈吟遊詩人〉(バード)だ)

 〈吟遊詩人〉(バード)
 それは〈エルダー・テイル〉12職業のうち一つ。
 武器攻撃3職のうちひとつではあるが、〈暗殺者〉(アサシン)〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)がそれぞれの手段で高いダメージを出すことに挑戦したのに比して、〈吟遊詩人〉は支援職としての道を選んだ職業だ。

 支援職とは、仲間の戦力を増強し、敵の戦力を低下させることにより戦局を有利に進める職業の総称で、この〈エルダー・テイル〉においてはシロエの〈付与術師〉(エンチャンター)と、ヘンリエッタの務める〈吟遊詩人〉のみがそれに該当する。
 〈吟遊詩人〉の特徴は音楽を操ると云うことだ。その名の通り音楽に関係した能力を持つ〈吟遊詩人〉は効果時間の長い特技を多く習得する。殆ど特技が一瞬から十秒程度の効果しか持っていない〈エルダー・テイル〉の世界において、分単位、または永続的な効果の特技を多数所持する〈吟遊詩人〉は一種独特の存在だ。

 ヘンリエッタ自身は参加したことがないと云っていたが、通常の戦闘に比べて遙かに長時間プレッシャーに耐えなければならない大規模戦闘に於いてこそ、その実力は真価を発揮すると云っても良い。
 また、〈暗殺者〉や〈盗剣士〉と比べれば練度は低いが、白兵戦闘の訓練も積んでいて、細い剣や弓などの軽量武器の扱いは特に秀でる。
 これら武器による攻撃はMPを使用しないために、長期戦においては「MPを消費しない武器攻撃」と「MP効率のよい長時間特技」を組み合わせて戦う。非常にエネルギーコストパフォーマンスが優秀で、その戦闘能力を長期間維持できるのだ。
 一方、それだけの長時間戦闘を見越した職業だけあり、攻撃、回復、援護と云ったあらゆる要素において、瞬発力が非常に低い。「とっさの反射神経で戦局を打開する」能力に乏しく、運用には深い洞察力や展開の予想が必要とされる点が、敷居を高くしている職業でもある。

 そのヘンリエッタが、大ホールの中央でシロエの腕に収まり、くるり、くるりとターンを繰り返す。

 無理にシロエにステップをさせずに、自分から積極的に動くヘンリエッタ。やがてシロエもその動きに慣れてくる。

 そもそも異世界における肉体は現実世界の数十倍も高性能なのだ。敏捷性も体力も、魔術師系の職業であるシロエだとて、現実のネット中毒気味な「本当の肉体」に比べれば超人的に高い。

 ヘンリエッタが動きたいイメージを漠然とだが把握し始めた頃、ヘンリエッタは胸元で小さな八分音符を弾けさせる。

「だいたい判りました? シロエ様」
「ん。だいたいは」
 ヘンリエッタは小声で囁きながらも、小さな八分音符を弾けさせるのをやめない。

 Cはオレンジ色。
 Dは黄色。
 Eは黄緑色で、Fは鮮やかな碧色。
 Gの音は文字通り空の色で、Aは素晴らしい紫。
 そしてBはラズベリーと夕焼けの中間のような赤い色。

 シロエにどうやってそれを見せているのか、どうして会話をしながら続けられるのかもまったく判らなかったが、ヘンリエッタの胸元からこぼれ出す色とりどりの音符は、まるで小さな妖精のように二人の周囲を漂っては空気に溶けてゆく。
 おそらくは〈吟遊詩人〉の特技における視覚効果(エフェクト)なのだろうが、こうまで楽曲と一致させるのは非凡なセンスが必要なのではないか? それとも〈吟遊詩人〉の音楽スキルがあれば誰にでも可能なことなのだろうか?

(要するにあれだ。……音ゲーと一緒なんだな)

 大得意という訳では無かったが、シロエにも元の世界で、一応の経験があるゲームジャンルだ。太鼓を叩いたりスクラッチをしたりするのに混じり、大型筐体のフットパネルでダンスを踊るゲームが現実世界には存在した。
 それに比べれば楽曲のテンポは遅いし、遙かにゆったりとしたステップだ。シロエは集中力を研ぎ澄まし、耳から入ってくるメロディーとヘンリエッタのくちびるをかすめて漂う七色の音符をリンクさせる。

「そうですわ。ライトステップ。ライトフォワード。……ハーフターン」
「了解……。師匠」
 くすりと小さく笑って応えると、ヘンリエッタが一瞬あっけにとられた後憮然とした表情に変わるのが見える。しかしそれすらもなぜか無性に楽しい。

 ああ、音楽を聴いて楽しいと思うなんて、身体が動き始めるなんて久しぶりだな、とシロエは思い出す。
 WebTVにWebラジオ、MP3。以前は音楽が溢れていた。余りにも溢れていて無料だったから、それがどれほど「特別」なものか忘れていたのだ。

 音楽は特別なもの。
 自然界には無く人間が生み出したもの。
 それは料理と同じように、失われて初めてその豊穣さに気が付く種類の体験なのだ。自分たちがすっかりそれを忘れていた間も、胸の中ではずっと旋律を奏で続けていられた、目の前の美しい〈吟遊詩人〉に感謝する。

「余裕がお戻りになったら、背筋を伸ばして下さい。わたくしたちは、大勢に見られているんですよ? 軽やかで、羽根のようなステップを見せなければ。――シロエ様は真っ黒参謀なんですから」
 しかし当のヘンリエッタはその笑みをどう解釈したのか、女教師然とした態度でお小言を告げる。

 シロエは背筋をぴんと伸ばすことに集中する。腕の中のヘンリエッタを気遣いながら、その動きを妨げないように左手を掲げ、指先をリードする。
 確かに、多少余裕が出てきたのだろう。今までまったくの背景にすぎなかった大ホールの中が見えてくる。自分の周囲でひらひらと花のように舞う踊り手達。音楽に酔ったように息を合わせる室内楽の演奏者達。

 そして自分たち2人を見つめる無数の目。彼らが小声でかわす会話――どうやらただの田舎者と侮ることは出来ないようですな、と云う意地悪な囁きさえ、今でははっきりと聞き取ることが出来る。

「さぁ、もう一曲。辺りの陰口を残らず黙らせますわよ?」
「了解しました。――お嬢様」

 シロエたちは曲目が変わるのに合わせて、もう一度手を取り合ったのだった。




 ◆




「ラグランダの社?」

 トウヤは声を上げた。その名前はダンジョンのようではないか。そんな疑問をぶつけてみると、直継は「ダンジョンみたいなんじゃなくてダンジョンなんだぜ。ボケんなよ」と答える。

 先ほどまで藤色だった空はすっかり藍色に染まり、一行が寝泊まりをすることに決めた廃校舎のグラウンドはいくつものたき火で赤々と照らし出されている。

 今晩はこのベースキャンプへの到着を祝うバーベキューパーティーだ。

 校庭には全ての参加者、聞いた話によれば60名前後が集まって騒がしく食事を楽しんでいる。

 季節は八月。
 大地は昼間の太陽で焼かれた熱気を籠もらせて熱い。しかし、湿り気が無くからりとした夜風は肌に気持ちよく、汗はかくものの不快感はそこまで無かった。

 料理ももちろん最高だ。
 にゃん太班長が作る料理はいつでも美味しいが、こうして大人数で食べるそれは一種言い難い風情がある。トウヤは昔からこの種の料理に目がないのだ。思い起こせば、縁日の屋台料理などを食べたがり、姉のミノリにもずいぶん我が儘を言ってしまった覚えがある。

 その姉のミノリは、忙しく飲み物を配って回ったりしていたが、トウヤの手招きで駆け寄ってきて「どうしたの?」と尋ねてきた。

「あんな、ミノリ。ダンジョン行くらしいぞ? 知ってた?」
「ええっ? ダンジョンですか!?」
 同じく驚きの声を上げるミノリ。

 もちろん三週間にわたる夏季合宿である。当然戦闘訓練などを行なう想定はしていた。しかし、いきなりダンジョンに行くとは想定外だったのだ。

「わたしもですか?」その言葉に直継は頷く。
「まあ、ミノリには少し荷が重いのは判ってるんだけどな。でも、トウヤと別々の斑で戦うよりも、同じ班の方が何かと安心だろう?」

「そりゃそうだよ」
 トウヤは一も二もなく頷く。トウヤとミノリは双子だ。
 一応出生時間の問題からミノリが「姉」と云うことにはなっているが、トウヤの中には姉だから保護者である、と云う意識はない。それよりも、自分が男で姉は女だという気持ちの方が強い。

 どうせこの先も一緒に組んで戦うことになるのだったら最初から一緒の方が良いし、何より姉が何らかの危機に巻き込まれるのだったらその近くにいられないなんて考えられない。トウヤはそう思う。

「それは、そうですね」
 どうやら姉も同じ考えのようだ。素直にこくりと頷く。

「まぁ、ミノリっちは海岸組でも良いのですが、ダンジョンに馴れておくのも後々のためには貴重な経験なのですにゃ」
 四角い大皿に、焼いたアジを大盛りで盛ってきたにゃん太班長がそう話しかけてくる。

「海岸組って、どういう事でしょう」
 ミノリの質問に、にゃん太班長は丁寧な解説で答えた。

 どうやら、新人プレイヤーとは言え、その実力はかなり様々であるらしい。
 この廃校舎をベースキャンプにするのは決定事項だが、レベルごとに細かく組に分けて、様々なカリキュラムを行なうのが今回夏季合宿の方針なのだそうだ。

 非常にレベルの低い……20未満のプレイヤーは、この校舎周辺で野生動物や、海岸で巨大カニと戦うことになる。これには多めの引率や回復職が同行するので、相当に安全だし、順当に経験を積むことが出来るだろう。
 しかし、対象が単体であることだし、パーティーを組むことはしない。そもそもパーティーでの連携にしたところで、自分のメイン職業にはどんな特技があり、どんなことが出来るのか? 得意なのはどんな局面なのかが判っていないと、力を合わせる事なんて出来ない。そのためにも、この段階では個人特訓という形になる。

 20レベルから35レベルの冒険者は、パーティーを組んでの戦闘訓練だ。これには屋外と屋内での戦闘がある。屋外戦闘は付近にある「カミナス用水」というところで訓練を行なうらしい。
 一方屋内訓練は、先ほどトウヤが聞いた「ラグランダの社」と云うダンジョンで行なうとのことだ。こちらは半島の山間部方向へここから半日ほど移動した場所にある。泊まり込みでの攻略となり、ある意味もっともハードな訓練だ。

 レベルが36以上のプレイヤーは数が少ないために、特訓だ。この校舎を中心に、高レベルプレイヤーから戦闘のコツなどの指導を受ける。この合宿では、それぞれのプレイヤーが40レベルを目指すと云うことにされていた。

 トウヤの戦闘レベルは29。〈ハーメルン〉で狩猟パーティーの前衛を務めさせられていたから、そこそこの実力を身につけつつある。
 にゃん太の話によれば「ラグランダの社」という地下遺跡は、出現する敵のレベルには幅があるようだ。20レベルから35レベルの冒険者が挑戦するダンジョンにおいて、トウヤの戦闘レベル29はまさに中心。タフでハードな戦闘が待ち構えているだろう。
 それを想像すると、トウヤの心の中にはふつふつと闘志がわいてくる。

 一方、姉のミノリの冒険者レベルは21だった。サブ職業である〈裁縫師〉は32とトウヤを圧倒的に引き離しているが、それは戦闘では役に立たない。ミノリはレベル的には相当苦戦を強いられるに違いない。自分が守ってやらなければ、とトウヤは考える。

「まぁ、その辺は直前にでも説明するですにゃ。レベル29と21ならば、別にそこまでバランスは悪くないですにゃ。その差は2人の双子らしい連携で埋めていけばよいことですにゃー」

 にゃん太班長は、塩アジにカボスを絞ると、美味しそうにほおばる。今日はもう料理から解放されたのか、壺に入った日本酒をお椀に注ぐとさも満足そうに飲み干すのだった。

「そっか、ダンジョンかぁ……。燃えてくるなっ」
 トウヤは心の底からわくわくする気持ちが沸き上がってくるのを止められない。

 〈ハーメルン〉にとらわれていた当時、街の外へ出掛け狩猟を行なっていたとは言え、往復の距離と実力のバランスからダンジョンに入ったことはなかったのだ。

 〈エルダー・テイル〉におけるダンジョンとは、文字通りの地下牢獄だけではなく、廃墟や城、城塞、塔や神殿、洞窟等を含む「モンスターとの戦闘が行なわれる閉鎖的な構造物」の総称である。

 多くのダンジョンは、旧世紀の遺跡や魔法文明の遺産、あるいはただ単純な自然洞窟などのゾーンである。こうした遺跡は荒野の中の生活拠点としては、ゾーン化されているために侵入経路が特定しやすく、保安上も利点が多く、堅牢で需要が高い。

 この場合「需要」というのはモンスター側から見た視点でだ。
 多くのダンジョンには、制作者や遺棄者の意図とは無関係に、モンスターが住み着くことになる。オークやゴブリン、ラットマンといった曲がりなりにも知能を持った亜人間種族は要塞化された本拠地として住み着くし、オウルベアやキマイラといった魔獣に属するモンスターは、熊が洞窟をそうするように、ただ単純にねぐらとしてこれらのゾーンを求める。
 また、ドラゴンや一部の上位アンデッドのように高い知能を持つモンスターは、自分の財産の隠し場所として難易度の高いダンジョンゾーンを求めることでも知られている。

 まだダンジョンにデビューしたことはないトウヤだが、〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)で、すでに二ヶ月の時間を過ごしている。ギルドハウスで過ごしている間にすっかりと仲良くなった直継やにゃん太から、〈エルダー・テイル〉での色々な戦闘や場面の話を聞いているうちに、ダンジョンについて基本的な知識は蓄えていた。

(ダンジョンでの戦闘はフィールドでのそれとは、難易度が桁違いだって直継さんも言っていたしな!)

 トウヤは燃える。

 直継は、現在トウヤの師匠だ。
 シロエはトウヤの恩人でもあり先生だが、武器攻撃技術や前衛としての技能は直継には及ばない。もちろんそれでも知識は十分にあるから、トウヤがどうすべきかを授業してくれることは出来るだろう。
 しかし現在の〈記録の地平線〉には、優秀な戦士職である直継が居る。直継はシロエに匹敵する知識を持ち、戦士職に必要な経験をトウヤが想像もつかないほどに積んでいるのだ。
 シロエにも勧められて、現在では直継の指導を受けて居る。

 トウヤは直継のことも、シロエに劣らないくらい好きだった。年齢差を感じさせないような気さくな性格でありながら、頼りがいのあるナイスガイだ。男はあれくらいタフでなければ、と、トウヤは思う。

 その直継の教えを受けた身としては、戦闘への挑戦意識は強い。

――いずれはダンジョンにデビューして、一人前の〈冒険者〉への道を踏み出す。そう意識していなかったと言えば、嘘になる。

「よっし、ミノリ! やるぜ! 明日から『ラグランダの社』だっ!!」
「ったく。トウヤったら。……もう。わたしだって絶対一人前になってみせるんだからっ」
 ミノリも覚悟を決めたのか、凛々しい表情でトウヤを見つめる。
 2人はお馴染みになった拳骨を合わせる挨拶をする。

 ザントリーフの夜の校舎で、パチパチとたき火の炎が爆ぜ、明日から始まる訓練に向かう新人プレイヤー達の決意と覚悟を祝福しているようだった。
2010/04/28:誤字修正、改稿
2010/05/25:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/07/01:誤字訂正
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