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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(下)

18/122

018

「マリエール隊長! 戸棚の梱包が終了しましたデス!」
「隊長はやめてやぁ。ほんまかなわんでぇ~」

 慌ただしく作業をする者、梱包された荷物に番号をふる者。何をして良いか判らずにおろおろする者。
 〈円卓会議〉を産み出したあの招集から一週間。〈三日月同盟〉のギルドホールは喧噪に包まれていた。

「マリエール隊長はギルドマスターなんですから、そこで座っていて下さいデス!」
「や。そうはいかんし! うちは小さいギルドなんやから、そう言うギルマスが偉いとか何とかはナシにしようって日頃から何度も言うてるやんっ!」
「マリエっ。あなたはそそっかしいのですから邪魔にならないように隅っこでお茶でも飲んでいてくださいましっ」

 新人と押し問答をしているマリエールにヘンリエッタが一喝する。マリエールはその言葉に少しだけ涙ぐむと露骨にしょんぼりして「うち、役立たずなんやろうか」と執務室の隅へと移動する。

 〈三日月同盟〉は引っ越し作業の真っ最中だった。

 ギルドメンバーは総出で掃除をしたり、元からあった家具をまとめたりと忙しく立ち働いている。人数が増えた仲間達を見回して、マリエールは物思いにふけるのだ。

 〈円卓会議〉が成立したあの日、それは〈ハーメルン〉が崩壊した日でもあった。マリエール達が会議をしているその同じ建物の中で、〈三日月同盟〉の小竜やセララ、〈記録の地平線〉のアカツキらは、〈ハーメルン〉から脱走した新人メンバーの保護を成功させた。
 あれだけ紛糾した会議の提案者兼司会として議題のリードをとり続けていたシロエが、その一方で気付かれないように〈ハーメルン〉壊滅作戦の指揮を執っていたことを知る人間は少ない。
 マリエールでさえ事前に聞いていなかったら判らなかったかも知れない。

 ギルド会館の入場規制ブラックリストに構成員の名前を記入されてしまった〈ハーメルン〉のメンバーは、逃げ出した新人達を追いかけることも出来なかったのだそうだ。
 〈ハーメルン〉のメンバーの名前は、アカツキが全て事前調査をしたのだという。〈軽食販売クレセントムーン〉をしている間、アカツキの姿を一切見かけなかったのは、ヘンリエッタに着せ替え人形にされることを避けていたからという訳ではなかったようだ。

 ギルド会館へと避難が完了した新人達は、小竜の指揮の下、すぐさまギルド脱退手続きを行なった。〈ハーメルン〉の管理下で殆ど軟禁状態だった低レベルプレイヤーは35人。その全員が埃と汗にまみれ、惨めな姿だった。
 セララと〈三日月同盟〉の有志達がその新人プレイヤーに食事と着替えを見繕っているころ、〈ハーメルン〉のメンバーはやっと事態のあらましに気が付いた。

 ギルドホールに唯一接続しているゾーンであるギルド会館に出入りが出来ないと云うことは、〈ハーメルン〉は〈ハーメルン〉のギルドホールに幽閉されたと云うことに等しい。

 もちろんシロエが事前に予測していたように、脱出する方法はある。ひとつは〈帰還呪文〉だ。この呪文はアキバの街に登録されているプレイヤーであればアキバの街へと移動する呪文である。通常であれば遠く離れたフィールドゾーンやダンジョンゾーンからの帰還に用いる。
 しかし、街中やギルドホールで使用してはいけないという制限もない。〈帰還呪文〉を用いれば、アキバの入り口に戻ることが出来る。

 もうひとつは、ゾーン内で自らの命を絶つことだ。この方法をとった場合、経験値に多少のペナルティは受けるが、大神殿で復活することが出来る。大神殿はアキバの街の中央部にあるため、実質的な移動に等しい。

 これらの方法に〈ハーメルン〉のメンバーが気付き実行した頃には、陽がすっかりと暮れていた。会議はすでに方向性が固まり、施行される『法』について詰めの段階に入っていたのである。
 もはや事態は〈ハーメルン〉がどうあがこうと動かせないところまで進行していた。その上、彼らはギルドホールという幽閉場所から脱出できたとは云え、未だにギルド会館へは入れなかったのだ。
 勝負は、すでに何手も前から決していたのである。

 予想外のことも起きた。
 救出した新人プレイヤーについては、希望に従って新しいギルドを紹介するなり、自立するまでの援助を行なう予定だったマリエール達だったし、その予定はすでに〈円卓会議〉へと通達され議題にも上がっていた。
 事実、会議に参加していたどのギルドも、新人の受け入れと責任を持った援助を申し出てくれていたのだった。

 しかし、蓋を開けてみれば35人の低レベルプレイヤーのうち、各ギルドへの入隊を希望した者たちは16名。残りの19名は全て〈三日月同盟〉への参加を希望したのだ。

 セララによれば、救出を行なったときの小竜がどうも「男気」を見せすぎたらしい。頼りがいのあるリーダーという印象を持たれたために、「〈三日月同盟〉に入りたい」という希望者が増えてしまったのだ。
 ヘンリエッタに云わせると「ヒヨコに玩具の親を見せたような種類のインプリンティングですわ」となるのだが、これはマリエールにも予想外であった。

 とはいえ、〈三日月同盟〉ももはや〈円卓会議〉の一角を占めている。会議の議題で援助をするという方向性を打ち出した以上、捨て猫のように放り出す訳にはいかない。そもそも〈三日月同盟〉は中堅レベルや低レベルの仲間にも親しく接することの出来るアットホームなギルドだったのだ。メンバー達も喜んでいることを知ると、マリエールは新人の受け入れを決意した。

 そうなると、〈三日月同盟〉の本拠地にも色々不都合が出てくる。
 二倍弱の人数までふくれあがった〈三日月同盟〉のギルドホールでは手狭になってしまったのだ。

 ギルドのメンバーはギルドホールで寝泊まりをしなければならない、と云う理由は特にない。どのギルドに参加しているプレイヤーであっても、宿屋などの部屋を個人的に借りることは可能だ。部屋は一晩単位でも借りることが出来るし、一ヶ月や一年単位で借り切ることも可能で、プライベートな空間をこうして確保している〈冒険者〉は多い。

 しかし、低レベルのプレイヤーにとってはそれも懐に痛い出費となる。特に〈三日月同盟〉のメンバーはメンバー間の人間関係も良好だし、ギルドホールに寝泊まりをしている者も多かった。

 ――そもそもギルドリーダーであるところのマリエールからして、ギルドホールを自分の家として使っているのだから、下のものが真似をするのも当然である。

「マリエ。マリエ? 準備できたから立って。ほら、マリエの荷物はこれね」
 ヘンリエッタに持たされた熊のぬいぐるみとクッションを抱えて、マリエールは住み慣れた執務室を出る。もはや殆ど全ての家具は運び出されてがらんと広くなってしまった部屋には、いつもの面影はない。

「マリエール隊長~。新しいホールの執務室の用意も出来ましたデス」
 ぴょんんぴょんと跳ねるメンバーに「あんがとなぁ」と笑って、マリエールは歩き出す。

 そんな訳で旧来のギルドホールでは対応しきれなくなった〈三日月同盟〉はギルドホールの引っ越しというイベントを迎えることになったのだ。場所は変わらず、アキバギルド会館の内部、ギルドホールである。
 マリエールが荷物を抱えて歩き出したとは云っても、古い方のギルドホールから1回ギルド会館の廊下に出て、一本隣の通路の別のドアから新しいゾーンにテレポートするだけの、短距離引っ越しだった。

 ただし、借りるホールのランクは変わり、7部屋のギルドホールから31部屋のギルドホールへとステップアップした。もちろん購入料金も維持費用も跳ね上がるが、〈軽食販売クレセントムーン〉で得た資金の一部がまだ残っている。
 支出と収入のバランスには厳しいヘンリエッタが「よろしいのではないでしょうか」と保証してくれたので、マリエールも安心して引っ越しの決断をすることが出来たのだ。

 ギルドメンバーは30名を越えたが、新しいギルドホールであれば十分対応は可能だろう。厨房や会議室、作業部屋に倉庫、ホールなどひとつひとつの設備が大きくなっているので、部屋数が増えた以上に広々としたギルドホールであると感じる。31部屋などちょっとしたお城のようではないか。
 驚いたことに、ギルドホールの内側が二層構造になっていて、階段まである。

「広いデスねっ!」
「すっげー。でかいなぁ」
「ドラゴンでも入れそうじゃねーか!」
 はしゃぐメンバーに、マリエールも自ずと笑顔がこぼれてしまう。新しいホールのあちこちでは、持ってきた家具を配置したり、梱包をほどいたり、新しく必要な設備のメモを作ったりと云った作業が始まっているようだ。

 テーブルやカーペットなどの支出を考えるとそれはそれで頭が痛いが、必要最低限のものは自分たちの生産職でも作り上げられるだろう。それにもし足りないものがあって貯金しなければならないとしても、冒険をするための良い目標になるのではないか。

 活気の戻り始めたアキバの街を考えて、マリエールはくすぐったい気持ちになる。
(やるべき事は沢山あるやんね。……いっぱい欲しいものあるやん!)

 新しい執務室は広く、面積は三倍以上もあった。広すぎてとてもではないが落ち着かない。旧ギルドホールで使用していた机や椅子、ソファやクッションなどは持ってきてあるが、広い部屋の中に、こじんまりと設置された執務机と応接セットは、かえって部屋の寒々しい広さを印象づける役にしか立っていない。

「これはずいぶん……。広いわねぇ。前のギルドホールの会議室より広いのではなくて?」

 書類を持って入って来たヘンリエッタも、少し呆れている。下見をしたときには家具が置かれていなかったために「広いのはよいことね」なんて云っていられたが、実際に家具を設置してみると、空間がありすぎて寂しすぎる印象だ。

「どないしよう。うちこんなところで暮らすんかぁ?」
 マリエールは思わず情けない声を上げる。これはこれで相当に困ってしまう。

「執務室は一部屋だけど、仕切りを置いて使うのがよいと思いますわ。ついたてと観葉植物ね」
 ヘンリエッタは手元のノートに必要なアイテムを次々と書き込んで行く。云われてみればその通りで、この広さの執務室であれば、応接コーナーを作ることも十分に可能だろう。三部屋に分割して使えば、奥まった辺りに自分の寝床も作れるのではないか、とマリエールは思う。

「色々物いりになるやんねー」
「そうですわね。……でもそれは多分良いことですわ」
 ヘンリエッタはノートに視線を落としたまま、かすかに笑う。その綺麗な笑みに、マリエールは自分と同じ事を感じていてくれていたのだと嬉しくなる。

「うちはヘンリエッタのこと、愛してるでぇっ」
 その気持ちを表すために思いっきり抱きしめるマリエール。
「今の会話の流れでどうしてそうなるんですか!? マリエはもうっ!」
 ヘンリエッタは目を白黒とさせて抵抗する。おまけに、それが新人に見つかって「し、失礼しましたデスっ!」などとなってしまうから、コロコロと笑いながらもマリエールが部屋の整理を終える頃にはすっかりと疲れ果ててしまった。

「まったくあなたと来たら……」
「ごめん云うとるやん~。ゆるしたってやぁ! な? な?」
「街の経済発展に寄与するためには多少家具を買いそろえるのも良いと、そう言っただけなのですわ」
 マリエールの態度に真っ赤に照れて柳眉を逆立てるヘンリエッタ。いつも散々アカツキに抱きついているくせに、自分がそうされるのは苦手らしい親友の笑顔に、マリエールはやはり微笑みが止まらない。

「ほんま、なんだか急にお日様が現れたみたいになったなぁ」
 マリエールが云ったのは迫り来る夏のことではなかった。

 〈円卓会議〉発足以降のアキバの街についてである。

 あの夜、いち早くアキバの街の中央広場には〈円卓会議〉の設立を知らせる何十枚もの張り紙が掲示された。そのニュースは恐るべき速度を持って広まり、夜が明けるまでにはアキバに住む人々にとって誰一人知らぬものはない情報となったのだ。

 反感がなかった訳ではない。
 〈円卓会議〉は民主的な投票で選ばれたメンバーによる自治機関ではなかったからだ。標準的な日本人の感覚で云えば、上から押しつけられたに等しいこの会議は、大手ギルドの息が掛かったように見えたことも確かだったろう。
 しかし、それを見越したビラには、会議設立の趣旨と当面の活動目的や、その手法が事細かに書かれていた。

 また〈軽食販売クレセントムーン〉によって知られた、まったく新しい調理レシピ(実際には「レシピ」ではなかったわけだが)について、惜しげもなくその秘密が書かれていた。

 アキバの街には一夜にしてありとあらゆる食べ物があふれかえった。今までは〈軽食販売クレセントムーン〉から購入しない限り得られなかった「ちゃんと味がする食べ物」を〈料理人〉限定とは云え作り出すことが出来るようになったのだ。

 もちろん新料理法においては調理スキルだけではなく、実際に料理をする本人の料理に対する知識や技術も重要になってくる。なかにはお世辞にも良い出来だとは云えないような素人料理もあった。しかし、そうであっても無味乾燥な今までの「食料アイテム」等よりもよほどましな代物だったのだ。

 一部の気の早い〈料理人〉は次々と露店を開いた。パンを焼いては売るもの、甘いジュースを販売するもの。もっと素朴に、焼き芋を作って売るもの。……中には道ばたのたき火で、大きな鉄の鍋を使って魚や肉のスープを作り、お椀いっぱい幾らで売るという、まるで被災地のどさくさ商売のようなものもあった。

 誰も彼もが今まで満たされなかった食事に対する欲求を満たすことが出来た。ちょっと評判になった美味しい食べ物はあっという間に売り切れ、アキバの街には昨日までは想像もしなかった娯楽「食べ歩き」が生まれることになったのだ。

 街の人々はこの変化を歓迎した。
 そして歓声を上げて迎え入れた中には〈冒険者〉だけではなく、相当数の〈大地人〉も含まれていたのである。

 街に活気を取り戻すこと。『法』の設置による治安維持と、〈大地人〉との関係改善、そしてそれらを支えるための税の導入は、翌日の午後に行なわれた演説で発表された。

 アキバの街中央広場で行なわれた演説では、ギルド〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉クラスティや〈海洋機構〉の総支配人ミチタカなど、アキバの街を代表する有名人が顔をそろえて、〈円卓会議〉設立の趣旨を語った。

 税の導入に関しては懐疑的な声も上がったが、それらの徴収はなかば自動的であることと、さして高額ではないことが判ると、消極的な同意によって迎えられる。ギルド会館の使用料というかたちで、ギルド会館に出入りした場合、一日に一回金貨1枚が徴収されるとの発表だったのだ。
 これはギルド会館のゾーン保有者が入退場に関して設定できる項目のひとつであり、ロデリックの計算に寄れば〈円卓会議〉はこの税収から月間予算金貨40万枚弱を入手できるはずだった。

 『法』の設置は誰しもが、特に大手ギルド以外のメンバーであればその必要性を感じていたことであり、アキバの街の活性化についてはもはや全員がその意味するところを理解していた。

 たった一晩の食料的な革命により、街の人々全ての表情に活気が戻っていたのである。

 結論から言えば〈円卓会議〉はアキバの街に住む全ての人々から広く受け入れられた。このような統治機構はいずれにせよ誕生するはずであったし、そうであるのならば独裁的な――たとえば大手ギルドの支配よりは、有能な自治機構であるほうが何十倍もマシである。

 〈円卓会議〉を構成する11のギルドの代表者が、演説台の上から挨拶を述べる時にはそれぞれ大きな拍手がわき起こった。とは言え、それはまだ、政治的な集会における応援の拍手と言うよりは、大規模な宴会における好意的な野次のような雰囲気である。

 辺りはすっかりと夕焼けに染まり、中央広場は人間でごった返してもいた。広場に入りきれない人間達は辺りの雑居ビルの様々なフロアから、演台を見下ろしている。

 その多くの手には、パンや甘いもの、串焼きの肉等が握られて、久方ぶりのイベントを見守っていたのだ。なかにはちょっとばかりアルコール飲料を摂取している人間も居たり、演説と云うよりは大騒ぎの中の方針発表という雰囲気に近かった。

 そして兎にも角にもアキバの街はこれから新体制で立て直しを図ること。〈妖精の輪〉(フェアリーリング)の調査など計画は多数あること。そのためには街の住民の協力が不可欠であることなどが、〈円卓会議〉代表者であるクラスティによって告げられた。
 街の人々が喝采をもってその宣言を迎える中で、突如としてびっくりするほどの数の職人達が、料理と酒を運び始めた。〈海洋機構〉を初めとする三大生産者ギルド代表が「本日をめでたい祝祭日の最初の一日にする」と叩きつけるように宣言をし「倉庫にあるありったけの美味い物を全部出し尽くす」と高らかに叫ぶと、アキバの街の熱気は最高潮に達する。

「あんなバカ騒ぎが続いたら、頭がバカになってしまいますわ」
「それもそやな」
 くすくすと笑うマリエールに困り顔のヘンリエッタ。
 止めどない乾杯のかけ声の中に、その夜はくれていったのだ。

 そしてその夜から一週間。
 アキバの街にはお日様が差し込み続けている。

 毎日のように供給される新しい料理。もちろん〈料理人〉以外の生産職人たちも、新しいアイテムを作り出すべく様々な試みをしていると聞こえてくる。

 いまマリエールとヘンリエッタが興味を持っているのは、入浴施設だ。〈エルダー・テイル〉がゲームであった時代、バスタブなどはただの背景オブジェクトのひとつに過ぎなかった。しかし異世界として生活して行くとなると入浴は俄然別の意味を持ってくる。現実世界の日本よりも湿度が低く夏のうだるような熱さは弱いような気がする――とはいえ、女性としては興味を持たざるを得ない。
 話によれば〈西風の旅団〉はいち早く〈機工師〉、〈鍛冶屋〉、〈大工〉の職人の協力を得て、ギルドキャッスルに大浴場を建築し始めたそうだ。

 毎日のように新しいニュースが飛び込み、どこかの誰かが新しい工夫をしたとの情報が入ってくる。アキバの街には、本当に活気がもたらされた。それら全てを企画した青年は、あの大騒ぎの祭りの夜の演説でもちっとも注目を浴びていなかったが、満足そうだった。

 シロエとその仲間達を思い出すと、嬉しいとも有り難いとも言える感情と共に、マリエールはとても不思議な気持ちになる。

 〈ハーメルン〉は先日解散を決定した。

(本当にギルド一個潰すんやもん。うっわぁ。シロ坊、おっかない子やぁ。でんじゃらすやでぇ~)

 マリエールは執務机の豪華な椅子の上で膝を抱えて、首をぎゅっとすくめる。シロエの丸眼鏡の奥にある強い瞳を思い出す。意志の炎で会議をリードしたシロエは、確かにちょっと怯えてしまうほどの迫力があった。

 マリエールが知っているのは、いつでも何かを内側でじっと考えている様な、ありとあらゆる悪い予感で自分を縛っているような、それでも誠実で優しい、ベテランプレイヤーのシロエだった。
 どちらかと云えばお人好しで、風来坊の宿無しで、妙に老成していて、つかみ所はないけれど頼りになる、一人の〈付与術師〉(エンチャンター)に過ぎない。

 そこが決闘の場ででもあるように、あるいはチェス盤の上ででもあるかのように、炎の意志で相手を追い詰めるあの鋼鉄の青年を、マリエールは知らない。

(でも、うちらのこと助けてくれたんよね……)

 両膝に顔を埋めたまま、いししし、とマリエールは笑う。シロエ、アカツキ、にゃん太。そして直継。あの頼りがいのある友人達は、〈三日月同盟〉にセララを取り戻し、そしてアキバの街には活気を取り戻してくれた。

 自分たちには関係ないと切り捨てることが出来たにもかかわらず、その中で「最善」をどこまでも求めてくれたあの四人と、〈三日月同盟〉のギルドホールでお茶を飲みながらまったり過ごしていた四人は、まだ頭の中できっちりとは結びついていないけれど、それでも恩人であることには変わりがない。

「……うや。そういえば、シロ坊たちの姿は見えへんね。今日はどうしたんやろう?」
 マリエールは突然気になってヘンリエッタに問いかける。

「あら。聞いていませんでしたの? シロエ様達も、今日はお引っ越しなんですのよ?」


 ◆


 その頃、アキバの街の外れも外れ。もっとも北側の境界に近い雑居ビルのひとつにシロエ達は居を定めようとしていた。

 シロエがつい先日設立した〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)は現在メンバー四名。
 物腰は柔らかいくせにやると決めたらどんなむちゃくちゃでもやり通す〈付与術師〉(エンチャンター)。“腹ぐろ眼鏡”ことシロエ(この二つ名自体、シロエ的には異論が沢山あるのだけれど)。
 おぱんつ教の信徒にして軽薄軽口いつでも悪ふざけの鉄壁前衛、〈守護戦士〉(ガーディアン)の直継。
 いつも生真面目な小柄で黒髪、つっこみ担当の美少女〈暗殺者〉(アサシン)アカツキ。
 そしてメンバーみんなの胃袋の番人にして相談役、いぶし銀の〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)にゃん太だ。

 メンバーが四人で中小というのも恥ずかしい零細ギルド。
 そもそも〈記録の地平線〉というギルドは〈円卓会議〉を起こすために一時的に作ったギルドだと思っていた。なんて〈海洋機構〉のミチタカなどはコメントしたとおり、如何にも急遽設立したという印象はぬぐえない。
 そう思われても仕方がないほどに、シロエというプレイヤーはギルドと云うものに距離を置いたゲーム人生を長い間送ってきたのである。

 カンダ河に掛かる白い月を見上げたあの夜があけて。シロエは、まだ朝靄がただようアキバの街にアカツキと直継を連れ出した。

 夏の気配の強まる夜明けの日差しと早くも鳴き始めたセミ声の中、切り出し方に散々悩んでいたシロエが選んだのは「新しくギルドを作る。入ってくれないか」という何の変哲もない言葉だった。

 しまった、もっと気の利いた言い回しを考えれば良かった、と一瞬経った後に後悔を始めるシロエに、二人は二つ返事で入隊を引き受けたのである。
――なんだ、シロはやっとその気になったのかよ。俺ぁこのままギルドタグのないギルドとしておパンツ教を布教して行かなきゃならないのかと思ったぞ。
――主君の行くところについて行くのが忍びだ。主君は主君らしく下知すればいいのだ。

 すでに誘ったにゃん太と合わせて、シロエのギルド〈記録の地平線〉にはこうして4人の仲間が集まったのである。人数から云えば〈記録の地平線〉と云うよりは〈記録の最底辺〉と云うべき弱小ギルドは、こうしてアキバの街にてささやかな船出を迎えた。

「お財布のほうは大丈夫なのか? 主君」
 ただただに広く何もないと形容するしかない天井の高いフロアで、アカツキは掃除をしながら尋ねる。

 アカツキの心配ももっともだ。シロエ達のような弱小ギルドは、通常ギルドの本拠地などを特に用意することはない。

 人数が一桁台のギルドの多くは、メンバーそれぞれが宿屋などに一部屋を借りていると云うことはあっても、ギルドとしての本拠地を構えていることは少ないのだ。
 少人数であれば置いておかなければならない荷物やギルドの戦利品も少ないし、待ち合わせの場所などは広場や酒場で用が足りる。作戦会議などもその辺の道ばたで困らないし、そもそも連絡は念話機能で十分に間に合う。

 それよりも少し人数が増えた、中小規模のギルドは、ギルド会館でギルドホールを借り受け、そこを本拠地とする。

 ギルド会館は街の中心部にも近く、値段も手頃で清潔なために人気が高いのだ。部屋数も値段も手頃な7部屋から、100人規模のギルドまで対応できる31部屋まで各種取りそろえられている。広場での買い物にも銀行にも近く、とにかく利便性が高いために多くのギルドに利用されている。

 更に大規模のいわゆる大手ギルドになると、そのギルド会館のギルドホールでも手狭になり始める。
 ギルド会館において貸し出されるギルドホールの最大規模は31部屋。〈三日月同盟〉のマリエールは「お城のようだ」等という感想を持っていたが、それは30名や40名のギルドにとってそうなのであって、200名を越えるような規模のギルドにとってはそれでさえも十分とは云えなくなってくる。

 それゆえ〈黒剣騎士団〉や〈西風の旅団〉クラスの大型ギルドは、アキバの街の中から購入可能なビルのひとつを選び、ゾーンを丸ごと買い取ることにより、ギルドの本拠地としている事が多い。
 五千名のメンバーを誇る〈海洋機構〉等の生産者ギルドは、ギルド内部に職人の種別ごとに幾つかの部門を置き、支部ごとに廃墟ビルを所有しているほどだ。この場合、ギルド全体では本拠地を複数持っていることになる。

 このような本拠地はギルドハウスやギルドタワー、ギルドキャッスルなどと呼ばれている。

 構成人員4名の〈記録の地平線〉はメンバーの平均レベルこそ90と高いが、人数は少ない。本来ならばこのようなビルゾーンひとつを所有するなど非効率も良いところであり、本拠地を構えるにしたところでギルド会館からホールを借りれば済むはずだ。アカツキが心配しているのは、その費用面のことなのだろう。

「そのへんは、まぁ。何とか平気」

 シロエはシロエでデッキブラシでゴシゴシと壁を洗いながら答える。倉庫と大型店舗として使われていたこの廃墟は、1階から6階まで巨大な古木に貫通されてしまっている。

 フロアの中心部の床には大きな穴が開けられ、そこを樹齢何百年だか判らない苔むした幹が貫いているのだ。この巨木は全てのフロアを地下から空に向かってまっすぐに貫通した上に、屋上で大きく枝を広げて緑のドームを形作っている。

 樹海に飲み込まれたようなアキバの街だが、ここまで完全に樹木の生長とビルが重なり合ってしまった例は珍しい。

「このビルは、こんなありさまだから安いんだよ。階段もないし、使いづらいでしょ」
「ふむ……。そうだったのか」
 シロエは瓦礫を拾ってどかしながら話す。大まかな片付けは〈三日月同盟〉の若手に手伝って貰って数日がかりですませたが、まだまだ居住可能というのにはほど遠い廃墟でしかない。

 元は大きな家電か何かの売り場だったのだろう、仕切り壁もろくにないこの1階フロアの天井は高く、おおよそ4~5mほどもありそうだ。
 もちろん、旧世代、つまりこのビル遺跡が作られたときから階段がなかったとは思えない。元は階段のあった吹き抜けと、それと隣り合って存在したに違いないエレベーターホールは、おそらく現在木の幹が存在している場所にあったのだ。
 このビルが廃墟になってダメージを受けた後、その吹き抜けもしくはエレベーターホールで生長した古木が、フロアを貫いて浸食してしまったというのが真相だろう。

 この規模のゾーンが格安販売中のまま放置されていたのは、街の中心部から離れていることと、この使い勝手の悪さが原因だと思われた。

「でもよー。アキバなんて狭い街だし、優良物件じゃねぇかな。階段なんて作ればそれで済む訳だし」

 2階フロアから降りてきた直継が示したとおり、今では1階と2階を結ぶ鋼鉄の階段が作られている。見かけは無骨で寒々しいが、使用するに当たってはまったく問題のない強度と大きさを備えた階段だ。

「だからさ。ゲーム時代には“床に穴を開けて施設を改善する”なんて出来なかっただろ?」
 シロエの言葉に、直継もそう言えばそうか、と納得した。

 にゃん太の発見した新料理法の衝撃は、料理の世界に留まらなかった。今やあらゆる生産職が新しいアイテムの開発に乗り出している。いや、生産系サブ商業に限らずロールプレイ系のサブ職業でさえもが、自分たちの技術がこの異世界でどんな適合を果たすかの実験を行なうようになっていた。

 この階段もそうした実験の結果のひとつだ。
 壁や床など基本的なオブジェクトに干渉をすることはゲームとしての〈エルダー・テイル〉では想像することさえ出来なかった行動だが、この一週間でそれが可能であるという実証まで行なわれた。

 今のところ階段は1階と2階の間だけで、3階より上のフロアにはロープで上る必要があるが、拡張の必要があればまた職人に工事を頼めば良い。
 このゾーンを購入する金額は相場に比べれば安かったが、それでもかなり大きな金額だった。それは覚悟のうちだったのだが、職人に階段を作ってもらうにもそれ相応の支払いをしなければならない。ビル全体を全面的に改装する資金的余裕は、弱小ギルド〈記録の地平線〉にはないのだった。

 階段の設置と、当面の寝床になる2階フロアの床の張り直し――フローリングだけは生産者ギルド〈海洋機構〉に依頼をして工事をして貰った。ギルドマスターのミチタカは、「確かにそうやって工夫をすれば今までは住居に向かなかった廃墟でも新しい用途が開けそうだな。階段を作るとは面白いアイデアだ」と快く引き受けてくれたのだ。

 何度も内装工事の現場に自ら足を運ぶ彼に対して、直継が「そんなに面白いアイデアだったんなら、値段をまけてくれよ。おい!」と声をかけると、本気で悩んでいるようなのが、シロエには面白かった。

 新しい商売に繋がりそうなのは判っても、様々な素材の加工が現実世界とは余りにも違うこの異世界において、「適正な利益の金額」というのは算出が難しい。

 ヘンリエッタが「需要と消費の最適化」とか「完全雇用」とか「最低賃金」等という用語でそれらを説明していた。シロエもだいたいのところの理屈というか構造は判るが、実際数値を当てはめてシミュレートをすることはとてもでは無いが不可能だ。
 いずれにせよ、この異世界における経済システムは穴だらけで、何処まで現実世界の常識を当てはめて良いのか、疑問が残る。

 当分のところはミチタカの云うとおり「まぁ、適当に請求する。上手い具合な相場の価格ってのは時間が経って落ち着けば出てくんだろう」というどんぶり勘定で行くしかなさそうだった。

 その日もシロエ達4人は一日中せっせと掃除をしていた。

 しかし、地上6階、地下1階の全てを4人で掃除しきることなど出来る訳がないし、そもそも上に行けば行くほど天井には穴が空き、窓ガラスは破れているような廃墟である。
 全面的なメンテナンスを早々に放棄した4人は、当面の居住空間である2階の居心地を良くすることに集中をしていた。現在2階にはフローリングで作られた大広間が2つあるだけだが、予定ではここに8部屋ほど個人部屋を作るつもりだ。
 それだけあれば当分の間は困らないだろう。

 もっともそれが完成するのも、夏の間に出来るのか、秋まで掛かるのかは判らない。冬までには終わらせたいな、と主に気温と野宿の関係からシロエは考えている。

 しかしこうやってシロエ達が自分たちのねぐらを作るために働いている間にも、様々な客が訪れる。シロエはこのゾーンの入場制限を無制限解放に指定していたから、知り合いは誰しもこの廃墟ビルの1階に訪れては、大声でシロエたちの名を呼ぶのだった。

 同じく今日、引っ越しの作業をしているはずのヘンリエッタは律儀にも〈記録の地平線〉の本拠地決定祝いとして果物の盛り合わせを届けてくれた。おっかなびっくり受け取ったアカツキはあっという間に捕獲されて「特別のプレゼント」とやらを着せられそうになっていたが、そこは触れないでおくべきなのだろう。

 〈西風の旅団〉のソウジロウは、同じく〈放蕩者の茶会〉出身の美女ヒーラー、ナズナを伴って挨拶に訪れた。持込んだサクランボ酒はどちらの趣味なのかは判らないが、清冽な香で初夏の陽気にぴったりだった。〈西風の旅団〉の〈醸造師〉が工夫して作ったのだそうだ。

 〈第8商店街〉のカラシンは相談事を持ってシロエを訪れた。
 〈円卓会議〉における事務作業――多くは書類の配達や筆記などの軽作業に、〈大地人〉を雇用するというアイデアについてだった。
 たしかにそんな軽作業を行なうのにプレイヤーであるところの〈冒険者〉を拘束するのは難しく、また高くつくだろう。もし可能であればその方向はありだろうと結論が出る。
 カラシンは早速心当たりの〈大地人〉を当たってみると笑顔で帰って行った。

 戦闘系ギルドの中で意外にも長っ尻で居座っていったのは〈黒剣騎士団〉のアイザックだった。アイザックは部下の〈召喚術師〉たちを数名連れてくると「おい、“腹ぐろ眼鏡”。ここは広くて都合が良いから俺達にも戦闘訓練させろっ」と勝手なことを言い始めた。
 そして直継に文句を云う暇も与えずに、清き流れのウンディーネ《水の精霊》を召喚した〈召喚術師〉たちは、大量の水塊で広すぎる1階フロアと2階フロアを綺麗に水洗いしてしまったのだ。水道がないこの異世界において、これは非常に有り難いことだった。
 アイザック本人はヘンリエッタがお祝いにと持ってきてくれた果物を食い散らかして帰って行っただけだが「〈黒剣騎士団〉も悪い連中ではないですにゃ」とにゃん太班長が呟いたのは印象深かった。あるいはアイザックからシロエへの、仲直りの挨拶のつもりだったのかも知れない。

 シロエがこの廃墟ビル――ギルドタワー購入を決意したのも、半分くらいはこれが理由だった。
 〈円卓会議〉の参加ギルドともなると、何かと来客が多いだろう。シロエのフレンドリストは、ここ数日でまた人数が増えている。親しく遊ぶ、と云う意味でのフレンドではないかもしれないが、連絡を取る機会が増えているので登録しておかないと「念話」が使えないのだ。

 今後も来客はあるだろうし、場合によっては長時間かかる相談事もあるだろう。〈円卓会議〉設立のような大騒動が今後起きるかどうかは判らないが、もしそう言うことがあるのならば、厨房にせよ作業場にせよ倉庫にせよ、必要になることがあるかも知れない。
 そう考えて、街外れだが広さだけはたっぷりあるこのビルを選んだのだ。

「大は小を兼ねるって云うしな」
「直継は高い場所好きそうだからねっ」
「シロっ。お前なぁ。お前がそうだから俺がアカツキにばかばか言われるんだぞぅ。絶賛株下落祭りだ」
 シロエにとっては、やはり直継は一番気が許せるお馴染みだった。こうして何の役にも立たないくだらない話をしているのは、限りなく心が安まる。

「ほらほら。シロエちも直継っちも。早く片付け無いと夕飯が食べられませんにゃー」
「バカ直継。今日はカレーだぞ?」
 そしてにゃん太とアカツキがそれに加わる。

 シロエだって長年の〈エルダー・テイル〉歴の中で、ギルドに参加したことはある。しかし、それはやっぱり本当の意味ではギルドに入った訳ではなく、お客様でしかなかったのだと今は判る。

 ギルドなどという「カタチ」ではなく、自分の仲間と居場所。
 それらを自分自身で大事だと思い、守ること。
 それが〈放蕩者の茶会〉で学んだことだったはずだ。ギルドか否かと云う「カタチ」よりももっと大事なのは、集まった仲間の意志。

 街が赤く染まり始めるとシロエはいつも特別な気持ちになってしまう。ゲームであった時代、夕刻というのは画面上のエフェクトに過ぎなかったが、この異世界では違う。

 森へと帰る黒い鳥たちが甘く寂しげな鳴き声をあげて低く飛んで行く。
 狩りから帰ってきた〈冒険者〉たちが中央通り沿いの露店を冷やかしながら広場へと入ってゆく。獲物が多かったグループは意気揚々と次回の予定を語り合い、不調だった者たちは雪辱を誓う。ツタに絡まれた廃ビルが茜色に染まり、そんな戦士達や街の職人の影を、〈冒険者〉も〈大地人〉もなく長く伸ばして行くのだ。

 この一週間で、その夕暮れは香まで持つようになった。
 疲れた冒険者や一日の仕事を終えた生産職の人たちが求める夕食を販売する露店の数々。いまは〈大地人〉の経営する酒場も、甘い味のついた酒と共に、簡単な料理は出すようになっている。

 じわじわと暮れてゆく空。朱銅色は次第にくすんだ薔薇色から紺を経て、藍色へと変わって行く。旧世界よりもゆっくりと感じられる夕焼けの中で、街の人々は一日を終えて明日の支度をするのだ。

「宵待ち星が出たぞ、主君」
「そんな事より、俺は腹が減ったよ。空腹祭りで動けないっての」
 荷物を運び終わったのか、窓辺で涼むアカツキと直継。二人は林檎のジュースを飲んでいるが、食べ物はない。

「あれ? 班長は? まだ帰ってないの?」
 街の中心部に買い忘れたスパイスを求めて出掛けたにゃん太の姿が無いことにシロエは気が付き、問いかける。

「そう言えば遅いなぁ、班長。買い食いでもしてるんじゃ無かろうか。だとしたら憎いな。肉食いたいだけに」
「余り上手いことは云ってないな」
 二人の掛け合いを聞きながらもちょっと気になるシロエ。その時下のフロアから「シロエち~。直継っち~。アカツキにゃーん」というのんびりした声が掛かる。
 にゃん太が帰宅したのだろう。

 荷物でも重いのか、いいやそれはこの異世界ではないことだな。そんな事を話合いながら3人が階段を下りると、月明かりに照らされたがらんとしたフロアに針金で作ったように細い姿――にゃん太を発見する。

「どしたんだよ、班長。俺ぁ腹減ったよ。早くカレー食おうぜー」
「うむ、老師。わたしも空腹だ」
 階段の途中から身を乗り出して子供のようなことを言い出す直継とアカツキ。にゃん太は「にははは」と笑って、後ろにくっついている2つの固まりを押し出すようにする。

「……う」
「えーっと、えーっとっ」
「トウヤとミノリじゃないか」

 夜目にも判るほど頬を染めた〈神祇官〉(カンナギ)の少女と、その双子、〈武士〉(サムライ)の少年。この一週間で髪型も整えられて、装備もこぎれいになった新人プレイヤーふたりが、にゃん太に励まされる。

「スパイスを買いに行った帰りに見つけたのですにゃぁ。このビルを何回も何回もぐるぐるぐるぐる回っていて、我が輩だったらバター飴になってしまうところですにゃ」

「どうしたんだ? 2人とも。〈三日月同盟〉も、今日は引っ越しじゃなかったっけ?」
 シロエは二人に尋ねる。〈三日月同盟〉も今日は2つ上のクラスのギルドホールへと引っ越したはずだ。引っ越しが終わればまた宴会だろう。賑やかなのが大好きなマリエールが、可愛い新人を夜に二人きりで放り出すとは思えなかったのだ。

「いや。兄ちゃん。あの、さ」
「うん」
 1階のフロアから、階段の途中に立つシロエを見上げて、トウヤが凜と響く少年らしい声をかける。

「――兄ちゃんのギルドに入れてもらいに来た」
「へ……?」
「わたし達、シロエさんに師事したいと思ってきたんです。……〈三日月同盟〉にはこの一週間お世話になりましたけど、ギルドには入隊していません。……入隊、しなかったんです。
 わたしとトウヤは、〈ハーメルン〉を出た中では、まだギルドに入ってない唯一の二人組です」
 まっすぐ直球の弟の言葉をミノリは丁寧に補足する。

「兄ちゃんが色々教えてくれたから、俺達がんばれたんだもん。兄ちゃんがギルド作ったんなら、そこに入りたい。俺、弱いかも知れないけど、強くなるから」
「わたしも足手まといかも知れませんけど……。もう、それを云い訳にするのは、やめると決めました。一緒にいさせてください」

「あ……。えっと」

 断られるかも知れない。
 断られたらどうしよう。
 そんな緊張が見ているだけで伝わってくるほどに身体を硬くして言葉を振り絞る幼い双子。
 〈ハーメルン〉でどんな扱いをされていたかは、何となく耳にはさんでいる。〈エルダー・テイル〉に来たばかりで知り合いも頼るべき人もいないプレイヤーだとしたところで、それは余りにもは辛い経験だったろう。

 〈三日月同盟〉にいれば、同じ境遇出身の、同じくらいの技量の仲間が沢山いるはずだ。扱いだって悪くないのは確信できる。その〈三日月同盟〉への参加を見送り、もし断られれば行くところもなくなるだろうにシロエたちの元へ来た二人の気持ち。
 それはシロエからすれば推し量るしかないものだったが、その決死の覚悟だけは伝わってくる気がした。

 一緒に遊んだ〈エルダー・テイル〉がまだゲームだった最後の一週間。そのわずかな間の、どんな言葉に、二人が想いを寄せてくれているのかシロエには判らない。

 そんな風に自分が誰かにとっての道しるべになった経験など無かったのだ。だから二人の願いに言葉を失ってしまい、ろくな返事も出来なかった。

 そんなシロエを見つめていたにゃん太は、細い瞳を余計に優しく細めると、穏やかに話しかける。

「シロエっち。ぼんやりしてちゃダメですにゃ。ギルマスなんですからにゃー」

 ギルマス。
 ギルドマスター。
 ギルドのリーダー。

 そうか、そういえばそうなんだ、とシロエは気が付いた。余りにも馴染んだ、以心伝心の仲間たちだったから、ギルドを作ったにも関わらず、自分がリーダーであるというのは余り実感しないで過ごしてきてしまった。
 シロエは階段へと顔をひょこりと突きだした腹ぺこの仲間2人を振り返る。直継は人の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべ「ったりまえだ」と親指を立て、アカツキはいつもよりほんの少しだけ優しげな表情でこくりと頷く。

「よし。僕たち〈記録の地平線〉はトウヤとミノリを歓迎する。
 新人の最初の任務はギルドの幹部と一緒にカレーライスを食べることだ。……用意は良いか?」

「はいっ!」 「兄ちゃんっ!」
 幼い2つの声が加わって、これで6人。

 異世界になってしまったかつての〈エルダー・テイル〉に、新しいギルドが生まれた。

 ――その名は〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)
 アキバの街の外れの、古木に貫かれた廃ビルが、この小さな仲間達の産声を上げる住処だった。
 読んで下さった方、ありがとうございます。
 やっと第1期「異世界の始まり」が終わりました。
 世界の謎とか様々ななんだかんだは放り投げて、ひとまず第一巻はこれにて終了。主人公シロエたちはいびつで少人数なギルド〈記録の地平線〉を結成する事が出来ました。

 〈冒険者〉と〈大地人〉、〈古来種〉に〈航界種〉などなど、まだ消化し切れていないネタもあるので、第2期は皆様の反応を見ながら、もうちょいクオリティアップで書いてみたいと思います。
 第1期は世界観の説明が多めになっちゃったので、もっともっと読み口も軽くしたいです(反省点)。

 感想頂けた方、嬉しいです。誤字脱字の指摘も感謝。その都度出来るだけ直して行きます。では、また近いうちに!

2010/04/19:誤字訂正
2010/05/25:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/30:誤字訂正
+注意+
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