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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(下)

16/129

016

 十日が経った。

 連日大盛況の〈軽食販売クレセントムーン〉もすっかり街に馴染み、その大行列は名物となっている。
 今日もからりとした夏の陽気の中、4つの店舗は最大回転で押し寄せる顧客を捌いているだろう。

 しかし、この場所はそれらの喧噪を離れた広々とした空間。
 アキバの街に存在する要とも云える建物、ギルド会館の最上階にある巨大な会議室だった。

 この会議室は独立したゾーンではなく、ギルド会館と同じエリアとして構築されている。その気になれば浮浪者でも入り込める場所なのだが、ギルド会館という警備が厳重で人の出入りの多い建物である事と、最上階にあるという点で殆ど人に思い出されることもない場所だ。
 一応建前上は、ギルド会館を利用する全ての人は自由に使っても構わないことになっているが、電気の無いこの世界ではエレベーターなどすでにただの鉄の箱でしか無く、廃墟化した16階までの階段を上ってくるような酔狂な人間は殆ど存在しない。

 その会議室に、今や多くの人間が集まっていた。
 天井が高く広大とも云えるコンクリートの巨大な空間中央にしつらえられたのは、これも巨大な円形のテーブル。
 そこに着席しているのはアキバの街を代表すると云えるだろう面々だった。

 〈黒剣騎士団〉の総団長、“黒剣”のアイザック。
 〈ホネスティ〉のギルドマスター、アインス。
 〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉クラスティ。
 〈シルバーソード〉の若きリーダー、ウィリアム。
 〈西風の旅団〉のハーレム系ギルドマスター、ソウジロウ。

 〈海洋機構〉の“豪腕”総支配人ミチタカ。
 〈ロデリック商会〉のギルドマスター、ロデリック。
 〈第8商店街〉を率いるカラシン。

 〈三日月同盟〉のマリエール。
 〈グランデール〉の〈調教師〉ウッドストック。
 〈RADIOマーケット〉の凄腕〈機工師〉茜屋。

 そして、〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のギルドタグをつける、シロエ。

 円卓に座った12名は、背後に数名の側近を立たせていることも多いために、この巨大な空間に30名弱のプレイヤーが存在することになる。

 集まった面々の表情は様々だった。
 不安げなもの、いぶかしげなもの、無表情なもの、自信のありそうなもの。いずれも昨晩届けられた招待状によってこの会議室に呼び集められたのだ。

 招待状のタイトルは「アキバの街について」。
 署名は〈記録の地平線〉シロエと、〈三日月同盟〉マリエールの連名だった。

 ここに集められたのは、殆どが巨大なギルドを率いるメンバーだった。〈海洋機構〉、〈ロデリック商会〉、〈第8商店街〉はいずれも大手の生産者ギルド。
 〈黒剣騎士団〉、〈ホネスティ〉、〈D.D.D〉、〈シルバーソード〉、〈西風の旅団〉は大規模な、もしくは功績を挙げてきた実力ある戦闘系ギルド。
 〈三日月同盟〉、〈グランデール〉、〈RADIOマーケット〉のみっつは規模こそ小さいものの、かつて一度は試みて失敗した、中小ギルド連絡会の要となろうとしたギルドだった。

 ただひとつ、〈記録の地平線〉だけが誰も知らない、聞き覚えのないギルド名だった。

 しかしここに集められるだけの大規模ギルドになると、皆それぞれにそれなりの情報収集能力を持っている。シロエの存在に怪訝そうな表情を向けたのは、メンバーのうち四分の一にも満たなかった。

 席に着いたメンバー同士が互いを値踏みするように観察し会う中、〈三日月同盟〉セララが現われて、良く冷やされた果実茶を給仕して回る。その飲料はいままで〈クレセントムーン〉では販売されたものでないために、一部のメンバーが少しだけ驚くが、その小さな動揺も飲み込むような沈黙が続く。

 シロエは静かに座っていた。
 だが気持ちの方まで静かだった訳ではない。
 この会議はシロエにとっての戦場だ。
 今まで行なったどのような大規模戦闘にも劣らない、剣戟と火炎の飛び交う戦場。シロエは熱に浮かされた様な火照りと張り詰めた冷気を同時に味わいながら堪える。集まったメンバーはその殆どが妥協を引き出すべき敵。そうでなければ自分を頼りにしている、少しの味方。どちらにも余裕がないところを悟らせる訳には行かない。

(僕が望んで始めた戦だもんな)

 ソウジロウの言葉通り、この世界は牢獄だ。誰もがサバイバルという呪縛に捉えられている。帰れる当てがないという絶望、モンスターの居る荒野、無気力という枷。
 シロエにしたところで、〈大災害〉以降の日々は状況に追われてきたと云って良い。目の前の状況に対応し、準備を整え、生存確率を上げるために生きてきた。

 しかし、今回の作戦は違う。トウヤを助けることもミノリを助けることも、このアキバの街になんらかの秩序をもたらすことも、究極的に云えば、それはシロエの我が儘だ。シロエが望み、しなくても良い戦いを巻き起こしても手に入れようとしているに過ぎない。
 もちろん、メリットはあるとシロエは思っている。
 自分ばかりではなく、自分の大切な人にも、このアキバの街にもメリットはある。そうシロエは信じている。
 しかし、だからといって本質的にそれはシロエの我が儘から始まったと云うことを誤魔化すことは出来ない。

 その意味ではシロエは〈大災害〉以降、初めての自由を手に入れていた。我が儘から初めて、自分の願いを叶えるために起こした戦いで全力を尽くす。それは確かに大きな緊張感と身がすくむようなプレッシャーをシロエにもたらしたが、同時に強い喜びを与えてもくれた。

「シロエち? 大丈夫ですかにゃ」

 右後ろに立ったにゃん太が問いかけてくれる。その言葉も今では素直に受け入れることが出来る。にゃん太も、この会場には居ないが直継も、アカツキも――いまではギルド〈記録の地平線〉のタグをつけている。4人ぼっちのギルドとして、この最初の戦いに挑んでいる。別々の任地に赴いているとは言っても、戦場は1つだ。

 この仲間に勝利を。
 シロエは強くそう願った。

 場の緊張感が高まる中、やがて全ての招待客が集まる。
 シロエは立ち上がると開催の挨拶を述べた。

「お忙しい中集まってくださって――ありがとうございます。
 僕は〈記録の地平線〉のシロエと云います。……今日は皆さんにご相談とお願いがあってお招きしました。多少込み入った話なので、時間が掛かるとは思いますが、お付き合いください」
 言葉を切って周囲を見回すシロエ。

(……まぁ、全員来てくれたってのは何にせよ有り難いな。ソウジロウが根回ししてくれたんだろうけど……。後から個別に説得して回るって云う面倒くさい手続きが無くなった。
 その分、今日、このときが決戦だ)

「挨拶は適当に切り上げて構わない。〈放蕩者〉のシロエ。別に知らない仲じゃあるめぇし」
 そう声を上げたのは“黒剣”のアイザックだった。日本サーバ有数の高レベルプレイヤーにして歴戦の勇者。幾多の大規模戦闘に置いて常に先陣をかけてきた生粋の戦士。シロエも何度か招かれてその戦いに助っ人として参加したこともある。〈付与術師〉(エンチャンター)なんていう下っ端職業なんて覚えてもらっているとは思わなかった。ところがそうでもなかったらしい。

「一旦なんだってんだ、この場は」
 いらだたしげに声を上げたのは〈シルバーソード〉の若きリーダー、ウィリアムだった。流れるような銀髪を後方でまとめた、典型的な「エルフの若君」と云った容姿の青年だ。ずいぶん短気な性格のか、何度も脚を組み替えている。

「お言葉ですので、早速用件に入ります。
 ご相談というか、提案というのは、現在のアキバの街の状況についてです。
 ご存じの通り〈大災害〉以降、僕たちはこの異世界に取り残されてしまいました。元の地球に帰れる当てはまったくたっていない。これについての手がかりは僕の知るところまったくありません。非常に辛いですが、事実です。
 一方、そんな状況下で、アキバの街の空気が悪化している。
 多くの仲間がやる気を無くしていますし、逆に自棄になっている人々も居る。経済の方はぼろぼろで、探索の効率はちっとも上がっていない。この状況を、僕たちはどうにかしたいと考えています。集まって頂いたのは、そのためです」

 シロエは半眼になって言葉を紡ぐ。
 大丈夫だ。話すべき言葉は繰り返し想起して、もはや手触りを感じられるほど具体化している。

「集まって何をしようって云うんだ?」
「面倒なことを……」
「なぜそのようなことを今言い出す必要があるんだ」
「言わんとすることは判るが、いったい何が出来る」

 幾つかのざわめきを押えるように、〈ホネスティ〉の中年ギルドマスター、アインスが質問する。
「それは以前失敗した中小ギルド連絡会のようなものか?」

「近いです。しかし、それは失敗したと聞いています」
 シロエがちらりとその当事者、〈グランデール〉と〈RADIOマーケット〉の2つのギルドに視線をやると、その代表者達は少し青ざめて頷く。彼らは――それを言うならば〈三日月同盟〉もそうだが、この席に座るには余りにも小規模なギルドだ。人数で云えば、50倍以上の差がある団体も少なくはない。

「確かに、その計画は瓦解してしまいました。しかし、それは様々な無理があったと思っています。あのときの計画は、中小ギルドが集まって、大手ギルドに対抗しようとするものでした。
 ……つまり小さなギルドが寄り集まって自分たちの利益を守ろうとする戦いだった。我々の計画は失敗した」

 「そうやねん。うちら、協力するー云うときながら、結局は自分たちのギルドの利益をおっかけてただけやったん。だから話もまとまらんし、壊れてもうたんよ」
 機械仕掛けの時計や細工物を生産するサブ職業、〈機工師〉のマスタークラス、茜屋の言葉を、マリエールが受けて補足する。

「今回は、全ての――少なくともアキバの街を代表する勢力全てに声をかけて、その利害を調整しようというのか?」
「それならば、効果の程はあるかも知れないが。逆に言えば利害調整そのものの難易度が跳ね上がるだろう? 実現不可能。ナンセンスだ」

 参加者はマリエール達の言葉に口々に反応を始める。
 招待状にはマリエール、つまり〈三日月同盟〉の名前も記してあった。そのことから参加者の脳裏には「今回の会議への正体は、つまり、失敗した中小ギルド連合の続き(・・)なのではないか?」という疑念があったのだろう。

(それは当たり前の推測だけど……)
 しかし知る人にとっては聞き覚えのある名前であっても、シロエの名前だけで会議を招集することは難しかっただろう。
 マリエールの知名度と、〈三日月同盟〉=〈軽食販売クレッセントムーン〉。このふたつのネームバリューによって今回の会議を開くところまでこぎ着けることが出来たのだ。その誤解は支払うべき対価だとシロエは判断する。

「今回はすこし趣旨が違います。現在のアキバの状況の改善です」

 シロエのはっきりとした言葉を席を立つ音が遮った。

「そう言うことなら、俺達は抜けさせてもらうわ」
 立ち上がったのは先ほどからイライラとしていた〈シルバーソード〉のウィリアムだった。彼は腰のサーベルの位置を直すとマントを翻す。

「俺達は、戦闘系ギルドだ。街の雰囲気なんて関係ない。ここは帰ってきてアイテムを換金するだけの場所だ。つまり、俺達にとっちゃ雰囲気が荒れてようが和やかだろうが、どうでも良いんだよ。
 ――街のことは街に興味がある連中でやれば良い。
 別に相談するのが悪いとは云わねぇよ。時間の無駄だとは思うけどな。ただ俺達はそんな事には興味がない。俺達抜きでやってくれ」
 ウィリアムはそれだけ言い捨てると、会議場を後にする。

 場の空気はざわめいた。
 特に〈グランデール〉と〈RADIOマーケット〉、〈三日月同盟〉の責任者の顔色は悪い。中小ギルド連絡会の末期もこんな風にどんどん脱落者が出ていったとシロエは聞いている。

 しかし話を進めているシロエ自身は、十分予想にある事態だった。

(〈シルバーソード〉は離脱、と……)
 シロエはその影響力と戦局への浸透を分析して、心の中のスコアカードを更新する。

 確かに〈シルバーソード〉は規模の大きな戦闘系ギルドだが、この席に必須の存在という訳でもない。最大手の戦闘ギルド〈D.D.D〉、あるいは最大手の生産者ギルド〈海洋機構〉。このあたりが席を立つのであれば、引き留めるために手を打ちもするが、最初からひとつふたつのギルドが席を蹴るのは計算のうちだった。

 それよりも、ウィリアム達が立ち去り落ち着かない雰囲気の会議場をこのまま放置する訳にはいかない。

「11席になってしまいましたが、先を続けます。
 この場へとお招きしたのは、さっきの〈シルバーソード〉さんが言ったとおり、アキバの街の自治問題に対して話合う機関〈円卓会議〉の結成を呼びかけるためです。
 当面の目的は大きくふたつ。
 まず、アキバの街の雰囲気の改善。具体的には、活気を再び取り戻すような方向に誘導すること。もうひとつが治安を改善すること。
 当面はこの二点を中心にすえて、またゆくゆくはアキバの街の自治に関して問題解決が出来る機関を目指しています」
 場の返答はまたも沈黙だった。
 参加者同士が、互いの返答を探り合っているために起きる静寂だ。

(ここからが本番の開始だ)
 シロエはやっとスタート地点に経った自覚を持って、周囲の表情を見回す。

 たしかに、この場に集まったメンバーならば、アキバの街の八割程度の人口に影響を与えられるだろう。集まったメンバーのギルドだけで、その人数は六千名を越える。アキバの街に住むプレイヤーの1/3だ。
 その上これだけ大手のギルドが集まったとなれば、友好ギルド、半傘下のギルドも数多い。資材の都合や一緒に狩りを行なうなどの横のつながりも広範囲にわたる。

 ここに集まったメンバーの合意が取れれば、アキバの街の住民全ての合意をとることは、さほど難しくはないのだ。もちろん、それはシロエが結果的そうなるように会議への招待ギルドを選んだ結果でもある。

 しかし、それだけにこの巨大ギルド間で同意を得るのは限りなく難しい。その難易度は“ギルドをひとつ潰す”の何倍にもなるだろう。シロエはそれを判った上で挑戦を始めた。

「そのまえに、メンバー選定の基準を教えて貰えるかな」
 その静けさを最初に破ったのは、アインスだった。大手の戦闘系ギルド〈ホネスティ〉のギルドマスターは、外見通り中年の落ち着いた声で問いかける。

「判りました。ここにお招きしたメンバーの選定基準ですね。
 まず〈黒剣騎士団〉、〈ホネスティ〉、〈D.D.D〉、〈西風の旅団〉の各ギルドは、戦闘系の大規模ギルド、もしくは功績の高いギルドを選ばさせて頂きました。お帰りになった〈シルバーソード〉もそうです。
 〈海洋機構〉、〈ロデリック商会〉、〈第8商店街〉は生産系を代表する三大ギルドとしてお招きしました。
 〈三日月同盟〉、〈グランデール〉、〈RADIOマーケット〉は小規模ギルドの代表として、です。
 誤解無いように願いたいのは、この3つのギルドに対しては、ギルド単体としてお呼びしたと云うよりは、ギルドに参加していないようなギルド未加入者や、この席にはお呼びできなかった小規模ギルドの意見を汲み上げるために選ばさせていただいたということです。ギルド自体が小規模であるからと言って、その発言の重みには無視すべきではありません。また、もしこの会議が成立するとすれば、そのような行動をお願いすることになるかと思います」

 中小ギルドをみっつも参加させたことについては反発も予想されたが、これは思いの外冷静に受け止められたようだった。
 たしかにここに呼ばれた大手ギルドの所属人員合計は六千名。しかし、逆に言えば、アキバの街にはそれ以外の……つまりギルド未加入者や中小ギルド所属者が九千名は存在することになる。
 そういった人々の代表として、と云う論旨はそれなりに受け止めて貰えたようだ。
 もちろん会議が不成立に終わるという前提で聞き流された可能性も高いが、とシロエは観察する。

「君は?」
 言葉少なく尋ねたのは〈D.D.D〉を率いる〈狂戦士〉クラスティ。その名前に似合わず、眼鏡をかけた伊達男だ。

「僕は開催者兼発案者として臨席しています」
 シロエは言い切る。
 このアキバの街を自治する会議を開催する。そしてその会議の参加条件がギルドの大きさや、街での知名度だとすれば、本来シロエ自身にその参加資格は、無い。

 先週出来たばかりのような新興の、しかも四人しかメンバーがいないような中小というのも躊躇われる極小ギルドのギルドマスターが、アキバの街の未来などと言ったところで誰も耳を貸すはずがない。
 シロエ自身が選んだ参加ギルドの資格から見ても外れている。

(だけど、そんな事は関係ない)

 参加資格の有る無しで云えば、確かにないかも知れない。では今までその資格があるはずの大規模ギルドが街を良くしてくれたのか? 〈大災害〉以降、みんなのために何かをしてくれたことがあるのかと云えば、その答えは否だ。

(待ってるだけじゃ僕の思い通りには進まないってのは、証明済みなんだ。……傲慢だといえばその通り。僕の我が儘なんだから。もう遠慮するのはやめだ。出し惜しみはしない。やりたいようにやる。――そのためには下ごしらえもするし、会議の招集だってする)

「ふむ……。つまり参加資格を得るために、わざわざ主催をして招待状を送った訳だね?」
 クラスティの質問は、シロエの意図を正確に察知したゆえのものだった。だからシロエはその質問にも胸を張って「その通りです」と答える。

「仮にその会議が発足したとして、どんな手段で治安を取りしまる? いや、そもそもこの場合問題にしている治安の悪化とは何なんだ?」
 “黒剣”のアイザックの質問に、シロエは気を引き締める。

「一部のギルドが、初心者保護を名目に軟禁状態に置いているのは周知の事実ですよね? そのような状況は健全だと云えません」
 真っ向から突きつけられた言葉に、“黒剣”のアイザックはひるむ。
「……〈EXPポット〉の件だな? しかしあれは法に反しているとは云えないだろう」
 ――〈EXPポット〉。突然持ち出された固有名詞に会議がざわめく。そのうちの半数以上は「ああ、やはりその話題に来るのだな」というような反応だった。彼ら自身も合法か非合法かは別にして、どこか後ろ暗い気持ちを持っていたのはある程度の事実なのだろう。

「プレイヤーには現在、法なんて存在しません。存在していない『法』を破っていないなんてただの詭弁ですよ。そんなのはここにいる全員が判っているでしょう」
 険しい表情のアイザックにシロエは続ける。

「別に、事は〈EXPポット〉の件に限定していません、
 問題は僕たちプレイヤーにとっては『法』なんて無いと言うことです。今のこの世界では実際にはやりたい放題ではないですか。
 もちろん僕らにとっては、それでも殆ど不利益はありません。自分たちさえ良ければ、ですが」

「それこそ言いがかりだ。『法』は存在する。現に戦闘行為禁止区域で戦闘を行なえば、そのプレイヤーには死というペナルティが与えられる」
「それは『結果』であって『法』ではないです。ただ単純に法則としてそうなっているだけ。……もっと明確に言うならば、戦闘行為禁止区域内で戦闘をするという『原因』に『衛兵からの攻撃』という結果があるだけです。それはルールとすら呼べない。ただの現象でしか在りません。僕らが認めた訳でもなく、作り上げたものですらない。そんなものが『法』である訳がないでしょう?」

 シロエの言葉に口をつぐむアイザック。〈黒剣騎士団〉は〈EXPポット〉を購入しているとされている大手戦闘ギルドのひとつだ。後ろ暗い思いを誤魔化すために強弁をしているのだろう。
 しかし、シロエの征く道においてそれは障害だった。だからシロエは全力を持って切り捨てる、。

「たとえば、僕は先日ススキノの街に行きました。
 そこでは〈ブリガンティア〉というギルドが、ノンプレイヤーキャラクターの若い娘をさらっては、プレイヤーに奴隷販売をするビジネスを行なっていました」
 会議の参加者達がぎょっとしたような表情でシロエを見る。

「先ほどの話で云えば、これは『違法』ではありません。衛兵に攻撃されませんから。僕らが言う『法』ってそういう物ですか?
 この世界では有りです。少なくとも仕様上可能ではある。
 『出来るか出来ないか』でいえば、出来る。
 でも『法』てのはそれとは違いますよね。
 問いたいのは『僕たちが僕たち自身に対してそれを有りと認めるのか?』という部分です。『法』は本来そう言うものではありませんか。僕らが僕ら自身を律するルールを何処におくかです」

 云い訳はどうとでもつく。
 たとえば、新人を軟禁しているのは保護のためであるとか。〈EXPポット〉を没収しているのは新人の乏しい戦闘能力では稼ぎきれない生活費を補充するためであるとか。
 ノンプレイヤーキャラクターの件にしたところで彼らはAI仕掛けの人形であるのだから、人権など無いのだと抗弁することは可能だろう。すくなくとも「AI仕掛けの人形ではなく、人権がある」と証明することは出来ない。そもそも人権など証明するようなものではなく、勝ち取るものなのは歴史が証明している。

 だからシロエの戦術目標は、それら云い訳を個別に論破することではなかった。少なくともこの短期における目標は「無法地帯である異世界において自分を律する必要がある」と全員に認めさせることである。

 シロエの投げかけた疑問に、会議のメンバーのあるものは口をつぐみ、あるものは声高に意見を述べる。正規の代表だけではなくその参謀達の会話も含めて、会議室は喧噪に包まれた。

 反応は大きく2つに分かれているようだった。
 ひとつには、確かに何らかのルール作りは必要だという意見。
 もうひとつはそのような合意形成は不可能だという意見だ。

「〈シルバーソード〉は会議には参加しないと云って席を立ちましたが、会議の続行自体は認めていたようです。――もし仮に会議の存在自体を認めない勢力がアキバの街に現われたらどうします? つまり、会議の方針に逆らう勢力と云うことです」

 相変わらず冷静で的確な質問をしてくるクラスティが、後者の意見を代表するかのようにシロエに質問を行なう。

「戦います。具体的にはアキバの街から追放します。仮に潜入したとしても、その活動は非常に困難になるでしょう。解散させることも当然視野に入れます」

 シロエの答えに戦闘系ギルドを中心に大きなどよめきが上がる。
 それは二週間前に〈三日月同盟〉の会議室で、マリエールやヘンリエッタ、小竜があげた驚きの声と一緒だった。

 「ギルドを解散させる」、「ギルドを追放する」。
 言葉で言うのは簡単だがそれは困難を極める。この世界においては「死」すらも抑止力とはなりがたい。復活があるためだ。「死」が抑止力にならない以上、捕縛もその効力を大幅に減じる。例え捕縛、禁固されたにしろ、究極的には自殺してしまえば脱出が可能なのだ。

 そのような状況で、ギルドと云う組織に致命的なダメージを与えるのは限りなく困難だ。

 だがしかし、それは〈三日月同盟〉の会議室で三人が味わった落胆とは微妙に空気が違った。今、この会議にはアキバの街の住民の8割近くに影響があるトップメンバーが集まっているのだ。
 〈三日月同盟〉には不可能なことでも、この会議のメンバーが同意すれば可能になることは多い。たとえば、アキバの街のゲート全てに監視を置き、手配者が街に入ろうとした場合にはPKを仕掛けて抹殺してしまう。また生産ギルドにおいては手配者に対しては一切品物を売らない。
 もちろんその手間とコストは膨大なものになるだろう。しかしそのように有形無形のプレッシャーをかける事が出来るのだ。

「だがそりゃ、俺達みたいな戦闘ギルドの助けが無きゃ出来ねぇだろうがよ」
 “黒剣”のアイザックはシロエに醒めた言葉を投げる。

「だいたいのところ、十人二十人だったらまぁ、まだ良いさ。そうやって処罰も出来る。だが、たとえばここに集まったようなギルドひとつが会議には従わない、会議の決定は無視する、『法』なんてクソ喰らえ……って云いだしたら、そりゃ戦争だぜ?
 仮に会議が発足したとしても、その会議で扱う一個一個の案件で合意に達する保証なんて有りはしない。むしろそんな状況で意見なんかまとまるのか? 反対意見をまとめようと思ったら戦争になっちまいました、じゃ会議の意味なんて無いだろ」

 アイザックの指摘ももっともだった。
 会議に集まったメンバーは口々の同意の呟きを発し、ざわめきが広がる。

 たとえば彼の〈黒剣騎士団〉が反旗を翻せば、そのメンバーは190名。90レベルのメンバーがそれだけ集まっていれば、事実上対抗は難しい。街中での戦闘行為は禁止されているために、それ以外のゾーンで捕縛やPKと云うことになるだろうが、それに勝利したとしたところで、ギルドに決定的なダメージは与えられないのだ。
 商取引の拒否など経済的な圧力も、一定数以上のメンバーが存在するギルドには効果を現しにくい。なぜならギルド内部の需要は、内部に存在する生産サブ職業所持者でまかなえることが殆どだからだ。
 もちろんサブ職所持者のレベルや比率にもよるが、50名もいれば自給自足の体制を作り出すことは可能だろう。

 それらを踏まえると、幾らシロエが提案したこの会議が成立したところで、大手ギルドが反対する案件は会議の支持を取り付けられないという公算が高い。つまり、大手ギルドが拒否権を持つことになり、それでは現在の状況と何ら代わりがないのだ。

 シロエは視線を伏せて、眼鏡の位置を直す。

(ここまでのところは、おおむね展開予想の通り。確かに通常であれば、会議を成立させたところで、その後内輪もめをするのが関の山なんだよね。……でも、今回ばかりはそれじゃ困る)

「やはり現実味が薄いと云わざるを得ないのではないでしょうか?」
 クラスティのは相変わらず線の細い秀麗な横顔のまま問いかける。
 この知的な風貌の男が〈狂戦士〉と恐れられているとはちょっと信じがたいが、それは事実なのだ。その証拠に彼は苛烈な言葉を穏やかに続ける。

「その会議を成立させる意味はあると考えます。しかしそれは……ある種のポーズであり、実際的な拘束力を発揮するとは思えません」
 その指摘にシロエは片手を静かに掲げる。

 シロエの仕草に気を飲まれたように視線が集まり、会議室には一瞬の静寂が訪れた。

「本日――いまから4時間ほど前ですが。僕はこのギルド会館というゾーンを購入しました」

 虚を突かれたような空気がメンバーを流れる。
 その言葉の意味するところを理解するには、誰もが時間を要したのだ。

「当然ながらゾーンの設定権は僕にあって、その権利にはゾーンの入退場に関するものも含まれています。――つまり、僕がブラックリストに指定した人たちは、ギルド会館を使用できません。
 それはとりもなおさず、ギルドホールも銀行施設も貸金庫も使用できないことを意味します」

 誰もが喉に何か詰まったような奇妙な表情でシロエを見つめる中、ヘンリエッタは深々とため息を漏らした。

「ほら見なさい。まっ黒くろですわ」
 呆れたような哀れむようなヘンリエッタの呟きに、固唾をのんで会議を見守っていたマリエールも頷いた。シロエの言葉は、さながら死刑宣告のように響いたのだった。


 ◆


 朝、目が覚めると桶に満たされた水で顔を洗う。
 その無骨な家具は本来厩舎にある、飼い葉桶に使うものだった。薄汚れた桶に満たされた冷たい水で顔を洗い、汚れたマントをかき寄せるように身をまとう。
 ここは〈ハーメルン〉のギルドホールのうち新人の雑魚寝に割り当てられた部屋のうちひとつ。粗末な家具で生活に最低限な設備が整えられている。

(厨房に行かなきゃ……)

 朝の支度の時間は慌ただしい。それぞれが押しつけられた役目に従い動き始めている。ミノリは朝食の配膳当番だから、厨房に朝食を取りに行かなければならない。

 今日一日は、どうかトラブル無く過ごしたい。ミノリは祈る。
 今日だけは特別な日なのだ。

 ミノリは急いで身支度を調えると、厨房に向かう。
 そこでは早起きをした〈料理人〉スキルの持ち主が、黒麦パンを作っているはずだ。粗末な食べ物だとは思わない。この世界では、どんな贅沢な食べ物でさえ、同じ味がするのだ。逆に言えば、この黒パンと水という食事だってご馳走と云えるだろう。そう自分に言い聞かせてきた二ヶ月。

 ミノリは小さな声で〈料理人〉の子に挨拶をすると、そそくさと大きなお盆を引っ張り出す。厨房には同じ初心者の〈料理人〉の子以外にも、幹部の人の見張りが居る。ミノリはなるべく視線を合わさないように急いで水差しに井戸水をくみ始めた。
 全部で35人分。水と黒パンを大きな木製トレイにのせる。

「ちょっと待てよ」
 男の声に、反射的に身がすくむ。
 手のひらに油っぽい嫌な汗がにじみ出すのをミノリは感じた。

(なんでっ。……わたし何にもしてない。普段通りのはずなのに)
 絶対に普段通りにしなければならないのに、朝から躓いてしまった。

「は、はい」
 自分でさえ蚊が鳴くような、消え入りそうな声だと思いながら返事を絞り出す。

「はっ。辛気くせぇ顔だな。……あん? 挨拶くらい出来ないのか」
「はい……。おはようございます」
 見張りはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、難癖をつける。
 ミノリは自分を抑えて挨拶を返した。

「まぁいいや。……お前〈裁縫師〉だったな? いくつだ?」
「32レベルになりました」
「じゃぁ、もう30台の皮鎧は縫えるって訳だ。今日は皮エプロンと皮手袋でスキルあげろ」
「判りました」
 何度か頭を下げて、厨房を出る。ミノリはドキドキして心臓が壊れそうだった。

 シロエからはあの夜以降、何度か連絡を受けて居る。
 いずれも日が暮れた後、ギルドが寝静まった時間だ。
 冷たいコンクリートの床の上でマントにくるまり息を詰めていると、鈴の音が耳元で幻聴される。それはシロエからの念話を知らせる合図。
 もちろん、静まりかえった深夜の〈ハーメルン〉の寝間では会話らしい会話は出来なかった。殆どは小さな咳込みや、軽く床を叩くコンコンと鳴らす小さな合図。見張りが居ないときにほんの二三こと言葉を交わせただけ。涙ぐんだ情けない声になっているのがばれないように、小さな声しか出せなかった。

 シロエからの連絡は、多くは他愛のないことだった。
 日に一度、あるいは二日に一回。時間も短く、十分程度。
 今日はどこに行ったとか、誰と会ったとかそう言う話題だ。

 シロエは今ではどうやら仲間がいるらしい。軽くて変な冗談ばっかり云っているけれど頼りになる直継という〈守護戦士〉(ガーディアン)。辛辣で小さなアカツキという女の人の〈暗殺者〉(アサシン)。それからシロエが班長と呼ぶ年配の〈盗剣士〉(スワッシュバックラー)にゃん太。そのほかにも〈三日月同盟〉のマリエールやヘンリエッタ、小竜という名前も聞いた。

 シロエが話してくれるのは、シロエがしてきたこと、していること。それは大げさに言えばシロエに見える世界だ。

(わたしとシロエさんは、同じ世界にいる。……同じ世界にいるのに、わたしには世界がこんなに疲れて薄汚く見える……。シロエさんは綺麗で広いって云う……)

 それがミノリには辛い。
 「不公平」だとは思わない。同じ世界がそんなにもみすぼらしく見えるのは、きっと自分の瞳と魂が曇っているからなのだ。

 シロエの周囲には明るくて楽しくて優しい人々が揃っているのに、自分の周囲はそうじゃない。それを妬ましく思う心が自分の中にあるのが判る。シロエの世界は眩しくて温かく、自分の世界は薄汚れていて、冷たい。それはとりもなおさず、心の内側の汚れが外ににじみ出ているかに思えて、ミノリには辛かった。

 シロエはぽつぽつと語った。
 自分は今まで何処のギルドにも居着いたことがなかったこと。
 あちこちで傭兵まがいの助っ人を繰り返してきたこと。
 築き上げては自分で壊し、育てると言うことをしなかった事。
 それでもやっぱり、やっと、居場所を作ろうと決意したこと。

 でも、ミノリに言わせればそんなのはシロエの杞憂に過ぎない。取り越し苦労だ。だってシロエはミノリとトウヤに優しくしてくれた。取るに足りない優しさだったのかも知れないけれど、その優しさは今ミノリとトウヤを助けてくれている。
 シロエの身の回りにある世界はシロエが勝ち取ったもの。そしてシロエの持っている世界を自分が持っていないとすれば、それは自分が手に入れられなかったから。

 おそらくミノリは、あの〈大災害〉後の数日間で失ったのだ。

(わたしは、あの〈大災害〉の後の数日を、誰かに救ってもらいたくて泣いて過ごした。だから、失っちゃったんだ……)

 苦い苦しみと共にミノリはそう思う。〈ハーメルン〉に入団したのもそうだ。誰かに救ってもらいたくて、自分でどうにかする気がなかったから。誰かに救って貰えるなどと考えたから、失ってしまったのだ。シロエにも自分にもチャンスは等しく与えられた。ただシロエは生かせたチャンスを、自分は生かせなかっただけなのだ。

 だから、その意味ではこの状況は「不公平」では無い。
 シロエの身の回りにある輝かしいものが自分の身の回りにはなくとも、それはシロエに責任がある訳では全くない。

(それにそんな風に思ったら、わたしは今度こそ、本当に……。シロエさんに声をかけてもらう価値すらなくなってしまう)

 そして今、シロエが自分の居場所を掴むために歩き始めるというのならば、自分だって出来るはずだ。……全ての財産を失ってしまったかも知れないが、所詮初心者プレイヤーである自分の財産なんて初めから無いようなもの。

 自分にはトウヤがいる。大事と云える家族が残っている。
 街へ出て、怖かろうと寂しかろうと、それこそ廃墟ビルの暗がりに身を潜めるように暮らしたって良いはずだ。結局〈大災害〉に続く数日で、その覚悟さえ出来ていれば、今のような状況にはならなかったはずなのだから。

 無理矢理に気持ちを立て直して、仲間の新人達がいるはずの居間へと向かう。

 シロエはミノリ達を救い出すために本当に行動しているようだった。しかも、言葉の端々から感じられるその行動に寄れば、ミノリだけではなく〈ハーメルン〉に在籍する全ての初心者プレイヤーを解放しようとしているらしい。

(シロエさんはすごい人だ。……クールだし、大人だし、格好良いし、何でも知ってるし、背が高いし、優しいし……)

 ミノリは自分の思考が些かループしがちなのも実感して、頬が熱くなる。

 そんな人が、自分を助けてくれようとしている。
 ミノリにはその価値があると評価してくれている。
 もちろんミノリ自身はそんな価値があるとはとても信じられない。半分以上それはシロエの買いかぶりだと思う。正直言って、何かの間違いだとさえ思う。

 でも、トウヤは違う。トウヤは「兄ちゃんかっこいいな」と呟いた。そしてとても長い時間を黙り込んで過ごしたすえに、「……おれもなれっかな」と続けた。

 ミノリ自慢の弟だ。
 トウヤがそのように考えるのであれば、ミノリ自身もそうでなければならない。ミノリは、シロエに「あのとき助けたのは間違いじゃなかった」と証明しなければならない。未来においてそうでなければ、シロエに声をかけてもらう資格を現在において失うのだ。
 そのためには「不公平」なんて姑息な考えをしていることは許されない。

 羨むのは良い。そして羨望から苦しむのも良い。
 その痛みが前へ進む力になるのなら、どんと来いだ。ミノリはそう思う。だけど「不公平」だなんて後ろ向きな感情にかまけている暇はないのだ。

 ミノリは他の子達にパンを配った後、自分がいつも使っている部屋の西の隅で黒麦パンを小さくかじる。美味しくはないが、極めて不味い訳でもない、何処かぼやけた刺激のない食料を少しずつ飲み込みながら、息を潜める。

 居間の中には、ギルドの中堅メンバーは居ない。
 周りに集まってきた新人プレイヤー達が、ミノリに伺うような視線を送ってくる。ミノリはその視線に頷いたり、もうちょっと頑張ろう、等と囁く。
 シロエが教えてくれた知識は、初心者にとってはごく一般的で〈エルダー・テイル〉をプレイする上で全ての基本となるような常識的知識が殆どだった。
 しかし、Webの攻略サイトから切り離されたこの異世界において、それらのちょっとした知識やコツは、ミノリとトウヤの大きなアドバンテージとなっている。自分たちのメインクラスやサブ職業に限定されない広く浅い知識は、いつの間にかミノリとトウヤを「ただの初心者プレイヤー」からは一線を画す存在へと押し上げていた。

 ふたりはそういったちょっとした知識を使って〈ハーメルン〉から与えられる無理難題を少しでも緩和しようとしたし、その態度はいつの間にか同じ初心者プレイヤーから信頼を受けると云う結果をももたらしたのだ。

 朝から不調そうな子に特別にくすねてきたお湯を渡して、ミノリは考えを続ける。

 シロエは今日の昼間、連絡すると云っていた。その連絡が来たら行動しなければならない。
 すでに同室の子には少しだけ話をしてあるし、トウヤも今日の行動については理解しているはずだ。

 連絡は何時あるか判らないが、朝か夜だとミノリは考えていた。昼間であれば、トウヤ達は狩りに出掛けていることになる。救出対象が分散していてはどんな作戦でもやりづらいだろう。

 パンをかじり終わり、トウヤを始め、狩りに出掛けるメンバーは支度のために別室に移動を始める。戦闘を行なう新人達が集められ、今日の遠征先とメンバー、編成が決定されるのだ。その後選ばれたメンバーは着替えをして装備のチェックを行ない、出発することになる。

 その時、ミノリの耳元で幽かな鈴の音がする。
(来たっ。……シロエさんだっ)

 早馬のように駆け始める動悸はこれから起きる騒ぎへの緊張感。たとえ仮に殺されたとしても死ぬことはない。頭では判っていても、武器を向けられればやはり身がすくんでしまう。
 これからどんな作戦が行なわれるかミノリは知らないが、荒事になる可能性は十分以上にある。戦闘になる可能性は低くない。でもそれも十分考えた上で、ミノリは決してみっともない姿は見せないようにしようと決心している。

 念話をとるやいなや、ミノリにだけ聞こえる声量でシロエが静かに話し始める。
『おはようございます。――ミノリ? ……早速だけど作戦を始めようと思う。合図はいつも通りで。……いま、自分の方の雑魚寝部屋?』
 コン。小さな咳込み一回で肯定の意志をかえす。

『トウヤはもう一方の部屋で準備中?』
 もう一度肯定だ。

『判った。トウヤがギルドホールを出るタイミングに合わせて、そのギルドホールを出てね。新人全員でだよ。ただ単純にドアから出れば良いから。心配要らない。――ギルド会館は全て制圧した』

(制圧?)
 ミノリは言葉の意味はわからなかったが、とりあえず肯定のための返事を行なう。

『それから、もし中で何かあって……それで倒れちゃって蘇生する場合には、神殿で蘇生後、ギルド会館を目指して走ること。ギルド会館のエントランスホールが救出作戦の本部になってる』
 正確に覚えようとミノリは必死に頭を働かせる。

『僕は別働隊として大事な戦いがあってそこにはいられない。その作戦の指揮は小竜っていう子が執っている。そのほかに頼りにして良いのはアカツキって云う〈暗殺者〉だ。彼女もホールか、すぐ近くにいる』
 緊張で膝の力は抜けて、胸が苦しいほどだ。でもミノリは必死の思いで、たったひとつの小さな肯定を返す。

『神殿には直継が陣取っている。最悪の場合は彼も頼りになる。じゃぁ、開始だ。――脱出作戦を始めよう』


 ◆


 同様の念話はトウヤの方でも受け取っていた。

(作戦開始だな、兄ちゃん)

 トウヤは生唾を飲み込む。戦闘用の具足を装着する手が、いつになく緊張してしまうのを感じながら、ゆっくりと深呼吸をして視線を走らせる。周囲の仲間に伝えるのは、まだ早い。

 シロエからの指示は「新人のメンバー全員を、ギルド会館側へと脱出させること」だ。いまトウヤ達が居る〈ハーメルン〉ギルドホールと、ギルド会館のゾーンはドア一枚で繋がれている。
 ドア一枚を全員で突破すれば、シロエから与えられた作戦目標は達成だ。自分一人で良ければ10秒と掛からず逃げ出せる自信がトウヤにはあった。

 しかし、ミノリはそう言うことはしないだろう。
 ミノリはトウヤが離脱するのを見届けてから自分も脱出する。いや、彼の姉(ミノリ)なら、トウヤ以外の新人メンバー全てをも脱出させ、自分は一番のしんがりを務めるだろう。

(それじゃ、俺が逃げる訳にはいかねぇよなっ)

 姉のミノリが自罰的な性格なのは知っている。
 それは責任感の裏返しなのだが、その責任感の芽生えの原因は自分にあるのではないかとトウヤは疑っていた。

 トウヤは姉のことが好きだ。
 兄妹というのは何かと角突き合わせるものだと学友は言っていた。
 他人であれば許容できる癖や考え方が、一緒に暮らすとストレスになってしまうのだと云う話を聞いてなるほど、と思った覚えがある。
 しかし、トウヤに云わせれば、ストレスの原因は上下関係にあるのだ。普通の兄妹は年齢差がある。それも多くの場合、ひとつから三つ程度の差だ。子供にとってその年齢差は能力的な意味で、無視し得ないほど大きな格差をもたらす。

 年上側から見れば年下側の妹弟は自分の不出来なコピーであるだろうし、年下側から見れば年上側の兄姉は暴君だ。
 それは確かに、一緒に暮らすのはストレスがたまるかも知れない。
 しかし、双子というのはその点気楽なものだ。ミノリは自分の方が姉なのだからと事あるごとにトウヤの面倒を見ようとするが、わずか数時間の出生時間の差しかないミノリを、トウヤは別に保護者だなどと思っては居ない。

 血縁として、相棒として、好ましい相手だと思っている。
 お互い遊び相手としても喧嘩相手としても呼吸が合うのは双子だからだ。兄妹と云えば年齢差があるのが当たり前のなかで、自分たち二人はそう言う上下関係とは無縁でいられる。それは幸運なことだとトウヤは思っていた。

 しかし、対等な年齢で人間関係とは云え、姉はあれで臆病なところがある。自分は男だから、そう言う場面で姉を守るのは自分の役目だ。トウヤは昔からそう考えてきた。

「おい、そろそろ行くぞっ。俺はギルマスに声かけていくから、お前達はギルド会館前で整列しておけっ」
 声をかけた狩猟チームのリーダー、あの高慢な〈召喚術師〉(サモナー)はそれだけ言い捨てると部屋を出て行く。おそらくギルドマスターの部屋に行ったのだろう。

 トウヤは安物の太刀をベルトにぐっと押し込むと、ドアへと向かいながら背後の仲間達へと声をかける。
「前から話してた救援が来るっす。……今すぐギルド会館のホールに移動しましょう。急いでっ」
 息をのむ気配。みんなもうすうす気配は察していたのだろう。慌ただしい動きが始まる。荷物を持ち出そうと慌てるものに「そんなの放っておけ、どうせ俺達は何も持っちゃいないんだ」という制止の声。

 そう、たしかにトウヤ達は財産らしい財産などは持っていないのだ。せいぜいいつも使っている、重量無視の魔法さえ掛かっていない、安物の既製品バッグに詰められる程度の衣服と雑貨しか持ってはいない。

 ドアへと耳を当てながら背後を振り返ったトウヤに、仲間の何人かが頷く。トウヤはドアを開けてギルドホールの廊下に出ると、そのままもうひとつの雑魚寝部屋に走った。

 そちらの部屋のドアに近づくと、中からは小さな悲鳴ともみ合う物音が聞こえる。考えることもせずにドアを勢いよく開けたトウヤの視界に入ってきたのは、ミノリともみ合うギルドの中堅メンバーの姿だった。
(ばれちゃってるのかよっ!?)

 トウヤは息をのむと、その二人のもみ合いを遠巻きに見て怯えている新人の少女達に手振りで出て行けと合図を送る。と、同時に姉にのし掛り押さえつけようとしている短髪の盗賊に体当たりを喰らわせた。

「なっ!? お前達、何を企んでっ」
 ひぅっと大きく息を吸い込む音。その短髪の盗賊は大声で叫ぼうとしたのだろう。姉の怯えるような表情。その表情だけで、トウヤはまたしても無意識のうちに身体が動くのを感じる。

 落とした腰、滑らかに回る左腕。
 引き抜くと云うよりは、鞘から発射されるかのようにほとばしる太刀。きらめく銀の光は一線となって目標の咽喉部に叩きつけられる。

 〈武士〉(サムライ)の攻撃特技〈はやにえ〉(ラニアスキャプチャー)
 その効果は、対象の声帯を潰し魔法詠唱を阻害すること。この場合は魔法詠唱ではなかったが効果は有ったようだ。短髪の盗賊は無音で咳き込むと喉を押える。

 ギルドホールは本来、戦闘行為禁止区域だ。戦闘的な行動を行なうと、例え周囲にいなかったとしてもノンプレイヤーキャラクターの『衛兵』が瞬間的に現われる。
 しかし、戦闘行為禁止区域の設定は、ゾーン保有者によって指定、もしくは解除が出来るのだ。〈ハーメルン〉のギルドホールにおいては、新人達を「管理」する必要上、戦闘行為を解禁していた。
 その設定を用いて中堅メンバーは新人達に苦痛を与えていたのだ。
 ――少なくとも、今日までは。

「待避させてっ」
 トウヤの声にミノリは弾かれたように立ち上がると、仲間の少女達をギルドホールの玄関の方に押し出す。事がこうなってはぐずぐずしている暇はないのだ。怯える仲間を鼓舞して、誘導するしかない。

 一方、トウヤの方は眼前に中堅盗賊と向き合っていた。
 厳つい顔をしたその男の瞳の中には憎悪が燃えている。自分たちが雑魚と侮ってきた新人プレイヤーに喉を潰されたのが信じられないほどの怒りをかき立てているのだ。現に、トウヤとその盗賊の間には20レベルの差が存在する。

 盗賊は腰から刃渡り50センチはあろうかという曲刀を抜き放つと、トウヤに斬りかかる。〈はやにえ〉の効果は詠唱と会話の能力を奪うことだけ。魔術師や回復術師相手には大きな効果を発揮するが、目前の男のような体術系のキャラクターから戦闘能力を奪うにはいたらない。


 盗賊の剣先は鋭く、トウヤの防御の構えを乗り越えて易々とその身体を切り裂いてくる。そもそもの実力差がありすぎるのだ。

 トウヤの奇襲が成功したのは、新人プレイヤーが自分に逆らうはずがないと油断した男の慢心と、使用したのが〈はやにえ〉だったという二点に原因がある。

 〈武士〉の特技の多くは、再使用規制時間が長い。5分に一回や、10分に一回使用できる技が殆どで、いわゆる「一発技」ばかりだ。その分技それぞれの威力は高く設定されているし、命中率は非常に高い。20レベル上の中堅プレイヤーにも効果を発揮したのは、その特性による。
 必殺技は強力で多様だが、間を持たせるための使い勝手の良い中堅技が少ない。それが〈武士〉の宿命的な特徴なのだ。

 〈はやにえ〉の効果時間は15秒。
 残りはおそらく10秒ほどでしかないだろう。トウヤはパニックを押さえつけながら、盗賊の剣を受ける。

(勝てなくて良いっ。みんなが逃げ切るまで、ここで耐えればっ)

 辺りには赤い血しぶきが広がっている。見るまでもなく、トウヤの身体から流れているのだ。全身が疼痛を持ち、痺れるように痛い。手足が冷たくなり、重くなって行くのが実感できる。

「トウヤっ!」
 その盗賊の攻撃が、水色に輝く鏡のようなエフェクトにはばまれる。レベル差のある男の攻撃で鏡は一瞬に砕け散るが、それはミノリの「ダメージ遮断」呪文だ。盗賊が忌々しげに舌打ちするのが見える。

「みんな玄関に向かった。廊下に出よっ」
「おっけ、行こっ」
 大振りの一撃で牽制をした後に、ミノリとともに雑魚寝部屋を出る。廊下の幅は2メートルもない。この場所ならば横や背後に回られることなく足止めが出来る。

「げふっ。がっ!」
 しかし、盗賊に仕掛けられた〈はやにえ〉の効果が切れたのは丁度その時だった。彼は喉を押えてひび割れた咳を漏らすと、トウヤに向かい叫ぶ。
「お前らこの反逆がどうなるのか判ってるのかっ!? 100回以上殺すぞ、クソガキっ!!」
 トウヤ達が恐れていたとおり、その蛮声はギルドホールに響き渡る。廊下に面したいくつものドアが開き、顔を覗かせたのは慌てて武器を掴んだ〈ハーメルン〉の主力達だった。
 暗い目つきをしたギルドマスター。苛立ちを隠そうともしない〈召喚術師〉。新人の少女達を下卑た目で見つめる生産職の男達。
 彼らは一様に威嚇の声を上げると、武器を抜く。

「お前達二人で何が出来るっ!」
 〈召喚術師〉が大きく腕を振るうと、黒い風が巻き起こった。蟻粒ほどの羽虫の群は〈デッドリィ・スォーム〉。視界悪化を伴う攻撃呪文が、トウヤを越えて直接ミノリに襲いかかる。

 ミノリは必死にダメージ遮断呪文を唱えるが、レベル差がありすぎる。次々と激突しては潰れて行く黒い悪虫の群に、輝く障壁はひび割れガラスのように砕け散ってしまう。

(廊下だって魔法による直接後衛攻撃は防げる訳無いじゃないか。俺のバカっ!)

 トウヤは自分を叱りつけながらも、羽虫の巻き起こす擬似的な闇の中で右手に持った太刀を思い切り投げつける。トウヤの視界に映っていたのは、暗闇のその奥で杖を振るう〈召喚術師〉の姿。

「トウヤっ。トウヤっ!」
「ミノリっ、もうちょっとだっ! 頭を、低くっ!!」
 トウヤはもはやダメージを受けすぎて青黒くなった両手に、双子の姉を抱きしめてまるで体当たりでもするかのようにゾーンのドアへと突進した。
2010/04/19:誤字修正
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
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