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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp14 黄昏の孤児(みなしご)

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◆1.04



 運河沿いの繁華街にある多くの遺跡ビルには色とりどりの垂れ幕がかけられている。文明が荒廃したこのセルデシア世界において、冒険者都市であるミナミは環境という意味では最も先進的だ。しかし、それでも全てのビルを美しくリフォームできるわけではないから、繁華街の廃墟群はこのように広告塔として垂れ幕で覆われ、その荒廃を隠されているのだ。
 もっともそれは活況を装うためではない。そんなものを装う必要もなく、それら廃墟の足元たる猥雑な横道には無数の看板が建てられ、数多くの商店が客を呼び込んでいる。どちらかと言えば、本来の意味での広告と、〈冒険者〉なりの美意識によるものだった。
 祭りと言うには日常化したけばけばしい色合いが運河沿いの街の特色だった。

 そのミナミの街に夜が訪れた。
 電気によるネオン装飾が存在しないこのヤマトにおいて、街の明かりは〈蛍火灯〉(バグスライト)〈魔法の灯り〉(マジック・ライト)である。垂れ幕や看板が照らされて、街には油の焦げる良い匂いが漂ってくる。
 運河の縁にしがみつくような屋台の串焼き屋や一杯酒場を通り抜け〈サウザンディ・ウォーク〉の雑踏に紛れ込めば、繁華街の左右はおびただしい数の飲食店で埋め尽くされている。多くは廃墟ビルの一階を利用した店舗だが、人気店は二階や三階を改装して客席にしているようだ。電気式のエレベーターが存在しないこの異世界では、高層階の店舗というのはあまり好まれない。

 ボイルが右折した路地で選んだのは、そういう路面店ではなく、その脇の狭い階段を降りる地下店であった。
 高層階の店舗の少ないミナミだが、このような地下一階の飲食店は数が多い。〈サウザンディ・ウォーク〉と〈アイテム通り〉が合流する繁華街の店舗は非常に人気が高く〈Plant hwyaden〉から借り受ける抽選は熾烈を極めるのだ。そのため、使い勝手では少し落ちるこうした地下の店舗もどんどん整備が進んでいる。

 〈ゼスタの店〉はこのあたりではさほど珍しい作りではない居酒屋風の飲食店だ。和風、と言い切るには無国籍風な店内は、十ほどのテーブル席があり半分がたは埋まっている。
 ボイルは案内も受けずに勝手に席に座ると、太い息をついた。数日間、セトの方に出ていて今日は久しぶりの帰還なのだ。
「おっかえりなさい、ボイルさん!」
「おう、ウィカ! とりあえず――」
「ビールでしょ? わかってますから!」
 馴染みの娘にボイルの心は弾んだ。そんなボイルの前に、冷やした金属のマグで、泡立つ琥珀の酒が勢い良く置かれる。ボイルは、内心の動揺を抑えつつ、ニヒルな(とボイル本人は思っている)笑みを浮かべて、にんまりとする看板娘に半金貨を渡す。チップだ。
 カード決済がすっかり普及しきったミナミでは、金貨やそれを割った半金貨は、ほとんどチップ専用の貨幣となっている。
 上京して働いている〈神聖皇国ウェストランデ〉全域の〈大地人〉たちは、そんなチップを集めて故郷へと送っているという話だ。
 ウィカと呼ばれた看板娘も、フリルで飾った白くふわふわした生地で包まれた豊かな胸の前に、肩下げのがま口財布をまわすと、ボイルから受け取った半金貨をしまいこんだ。

「今日のおすすめはですねー」
 オリーブのサラダ、鳥胸肉の香味味噌焼き、帆立とアスパラもどきのタルタルソース、刺身の盛り合わせ、カモもどきの燻製、お化け茄子の生姜焼き。
 聞いただけで食欲が湧いてくるような献立だ。
 〈ゼスタの店〉では〈冒険者〉に毎週料理を習うという腕利きの〈料理人〉が厨房に詰めている、なかなかに本格的な献立の居酒屋なのである。
 もつの味噌煮込みや串焼きなどワンアイテムで営業をかける古典的な居酒屋の多いこの一帯の中では、値段帯も多少高い。ボイルのように遠征をする〈冒険者〉でないと、通い詰めるのはきびしいかもしれない「ちょっと良い料理を出す居酒屋」だ。
 注文を受けてころころと笑いながら去ってゆくウィカを見てボイルはそんなことを考えた。

 店内は六分といった埋まり具合だった。
 一人の客もいれば、仲間内(パーティー)もいる。どの客も、表情は明るい。
 もとより楽天的な空気があるミナミの街ではあったが、それでも華やいでどこか安堵したような雰囲気だ。
 それはやはり来週に控えた東からの親善使節団の到着とそれに続く式典によるものだろう。
 それは目下この街で最も熱い話題でもある。
 親善使節団そのものは、関東の〈大地人〉組織である〈自由都市同盟イースタル〉の貴族が、〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族集団、つまりは〈元老院〉に当てたものであるということは知られている。
 しかし〈冒険者〉であるボイルたちにとって重要なのは、その一行に東京アキバの〈冒険者〉たちが協力しているという点であった。
 〈Plant hwyaden〉に所属する関西の〈冒険者〉たちは、自分たちが単一ギルドを作った処置について、〈大災害〉以降の変転に対処するためであり、状況を考えれば混乱を最小限にとどめるための方策だとみていた。
 〈Plant hwyaden〉はその成立から強引であったし、加盟は強権的だった部分もある。しかしそれはそれで必要だったのだ、というのが大方の見方であり、その意味で受け入れられていたのだ。
 しかしそんな〈Plant hwyaden〉所属の〈冒険者〉にもひとつの懸念はあり、それが関東の〈冒険者〉との精神的な軋轢であった。単一ギルドによるトラブル防止という〈Plant hwyaden〉の理念は、〈円卓会議〉の存在に寄って脅かされていたのだ。なぜならば彼らはギルド統合などしなくても、それなりの平和と繁栄を手に入れていたからである。
 また、多くの関西〈冒険者〉はよく知らないでいるが、一部の〈冒険者〉にとって、〈大地人〉が東西で分裂しているというのも悩みの種であった。ボイルたち〈エルダー・テイル〉のプレイヤーは、〈冒険者〉同士で東西に分かれて争うなんてとんでもない、まっぴらゴメンだと考えているし、そんな方向に進むつもりはないが、〈大地人〉同士の政治的な抗争に巻き込まれれば、そんな意思が通らない可能性もあるのではないか? 千が一、万が一、そんなことがあったら取り返しがつかない。心ある〈冒険者〉はそう考えていた。
 特に〈Plant hwyaden〉は〈神聖皇国ウェストランデ〉との関係が深い。ズブズブの依存関係と言っても過言ではないだろう。そもそも組織のトップ〈十席会議〉に〈神聖皇国ウェストランデ〉の〈大地人〉が参加しているのだ。
 平たく言えば、〈Plant hwyaden〉所属の一般的な冒険者は、〈円卓会議〉に対していささかの劣等感を覚えていると言えるだろう。〈大災害〉のパニックで強権的なギルド成立を許し、いまこの瞬間も〈大地人〉の組織と癒着し、寄生している。
 毎日を生きるのに必死な、あるいは鈍感なものはそうでもないが、気にしている人間も少なくはない。――そんな精神的距離感である。

 今回の使節団がどういう意図で派遣されたのか、ヒラの〈冒険者〉であるボイルにはわからなかったが、〈円卓会議〉(ひがし)の〈冒険者〉がそれに付き添いでやってきて、|〈Plant hwyaden〉《にし》が歓迎しているのであれば、そういった現在の関係が、良い方向に変化していく兆しではないのか?
 街にはそんな観測が流れていた。
 それを察して、街はどことなくホッとした気持ちに包まれていたし、空気がゆるめば、残るは祭りと歓迎である。

 〈Plant hwyaden〉盟主である〈西の納言〉濡羽が東の〈冒険者〉を歓迎する声明を出したことも大きかった。
 一時は公に姿を表すことがなくなり、幽閉説や〈十席会議〉の不仲説も唱えられていただけに、ギルドマスター久しぶりの言葉は〈Plant hwyaden〉メンバーに大きな安心を与えたのだ。
 ボイルとしては、たしかに絶世の美人ではあるが、手の届かないはるか上の方にいる濡羽に個人的な興味などはない。在籍していたギルドの解散にともなって、どちらかといえば、恨み言の気分がないでもないくらいだ。
 しかし〈Plant hwyaden〉のメンバーである現在、ギルドマスターが健在で健やかな運営をこのまま続けてくれることは重要である。そのうえ、観賞用とするのならばすこぶる付きの美人だ。
 どちらにせよ、緊張を緩和してくれるのならば、歓迎すべきことである。

 まあそんなことよりだ。
 重要なことはもっと別にある。
 幸いに、客は過密というほどじゃない。注目してくるライバルもいない。ボイルはバンダナの位置を治すと、懐を(まさぐ)った。取り出したアクセサリーは、冒険者の彼から見れば大したレベルの装備品ではないが、洒落た意匠をしている薔薇石のブレスレットだ。

 このようなアイテムはここミナミでは安くない。
 〈エルダー・テイル〉において、良い装備品とはすなわち強力で高レベルなものであった。デザインも高レベルであるほどに豪華で華美になってゆくのが通常だ。つまり、あらゆる要素が装備レベルに比例すると考えて概ね間違いはない。
 しかし一方、そういうアイテムは大多数の〈大地人〉にとっては、美しく気圧されるが実用品ではない。装備レベルが足りないのだ。〈大地人〉にとって使用可能なアイテムは、装備レベルが一から十程度のものであり、そして装備レベルが低いアイテムは、見かけもみすぼらしいものが大半だ。
 ボイルのもつ物のように装備レベルが低く、しかしそれなりに見栄えがする――つまり意中の〈大地人〉にプレゼント可能なそれはこの世界にはなかったものである。それはつまり、〈冒険者〉の職人によるいままでにはない新規開発の一品物であり、値段もそれなりに張るという意味だったのだ。

「なにをきょろきょろしてるんです?」
 そんなことを考えていたせいで、その相手が目の前にやってくるまで気づかずボイルはびっくりした。
 ウィカは陽性のほほ笑みを浮かべながら、爽快な焦げ音を立てる鳥の胸肉焼き、黄色と緑のコントラストが鮮やかなサラダ、薄紅色の燻製肉を並べて甲斐甲斐しく取り分けてくれる。
 その仕草にボイルは言葉にできない感動を覚えて、またも口を閉ざしてしまうのだが、ウィカはそれにも嫌な顔ひとつせず「お得意様ですからね、これくらいのサービスはしますよ」と小皿に盛り合わせ、ボイルの前にことりと勧めた。
「アスパラガスもどきっていうんですか? 厨房の方オススメ! ですけどたしかにシャキシャキして美味しいですよねえ。ボイルさんは従者もいないひとり暮らしなんですから、こういうのを食べないといけませんよ?」
 人によってはおせっかいに感じるかもしれない言葉だが、ボイルにとっては別だ。おせっかいを焼かれている自分の境遇に深い満足感と、それが自分ひとりのものではないという事実にチリチリとする寂寞感を覚える。
「そうだよな。野菜くらい食わねえと」
「なんですか神妙な顔をして。いつもみたいに言い返さないんですか?」
 つんとあごをそらして、それでも気になるのか、薄目でちらりとボイルの方を伺うウィカに、ボイルは無理矢理に口を動かして練習通りの言葉を口に乗せる。
「そういえば、〈麗港シクシエール〉までいったんだよ。あっちもなかなか賑やかだったぞ。これは、向こうでたまたま見かけたんだが、お土産だから良かったらつかってくれよ、安物で悪いんだけどさ」
 たまたま見かけたわけではなく向こうの職人に注文して作ってもらった点と、安物だという点は嘘である。
 つまり嘘と照れ隠しばかりのセリフなわけだが、難事をやりとげたボイルは、茶色の紙袋ごとアクセサリをウィカに突き出した。本当は黒塗りの豪勢な箱もついてきたのだが、それに入れてあると、「なんだか色々重く」なりそうなので、あえてそこらでも手に入る紙袋に入れ替えて手渡したのだ。
 馴染みの店の店員に宝飾品を送る時点で相当重いのだが、ボイルの頭ではそこまで気が回るわけもないし、そもそもその「なんだか色々重そう」というのでさえ「悪目立ちして受け取ってもらえなかったら落ち込む」というためらいの言い訳だったことにも気づいてはいない。

「まぁたダンジョンにでもいってたんですか? 危険なお仕事だったんですね。無茶だけは……。あ……」
 ウィカは袋の中身を見ると、困ったような、でも隠しきれない嬉しさと恥じらいの表情を浮かべたように見えた。ボイルだって彼女がこの酒場の看板娘のひとりで、自分以外もアプローチを掛けている男がいるのは知っている。
 だが、自惚れでなければ、その中ではかなり親しい方だ(と思う)。色恋沙汰だから絶対うまくいくなどと思い上がるつもりはないが、嫌悪感を抱かれているというようなことはない……はずだ。
 ウィカは視線を左右に泳がせて、落ち着きなく踵を上げ下げした。落ち着かない姿勢につれて、ふわふわとしたブラウスに包まれた胸が揺れて、可愛らしい表情が万華鏡のように変わる。
「……いいのかな? これ、高そう」
「そうでもないさ。それに今回の任務は上の方からだったんだ。かなり珍しいクエストアイテムの入手だったから、謝礼もたっぷりもらえた」
 ボイルは本当のところを話した。
 ミナミの街には〈Plant hwyaden〉のギルドメンバー一万人強が住んでいるが、ボイルのように遠征を常に行う戦闘畑のメンバーは三千人がいいところだ。当然重要視されるし、ボイル自身はその中でも徐々に上位の評価を受けつつある。元〈ハウリング〉やら〈残月〉のメンバーみたいに一流どころではないが、二流の中でも最上位と言った程度ではあるのだ。
 技術革新も華やかな現在、〈冒険者〉にとっては低中レベルな二束三文の〈魔法の品〉(マジックアイテム)でも、実験や研究、あるいは便利アイテム製造の素材として意外なまでに高額で取引されている。今回も〈雲外鏡〉(ナイトブライト)を倒すクエストで、たっぷり素材を納品した。懐は温かい。

「だからいいんだ。つけてくれよ」
「うん……!」
 ありがとう、と微笑んだウィカは乳白色に甘く輝くブレスレットに細い手首をするりと通すと、それを抱きしめるかのよう胸の前に掲げて、とろけた笑顔を見せてくれた。
 「たいしたことないさ」と返したボイルは、早鐘のように鳴り続ける鼓動を押さえつけて、ぶっきらぼうに手を振ってみせた。
 ミナミの夜は、まだ続く。
 この街は平和で、そしてさらなる繁栄が迫っていた。
 ボイルはその後もタイミングを見て、ウィカとよもやま話をしては、この街にある幸せを噛み締めたのだ。今年の夏の見通しは明るい。異世界に島流しにされた自分にも、幸福は訪れる。
 ねぐらに戻ったボイルは久しぶりに柔らかなベッドを楽しんだ。
 遠征ばかりで今はベッド程度しかない宿舎ぐらしだが、引っ越すのも悪くはない。人を招ける程度の部屋は、〈Plant hwyaden〉が用意してくれるだろう。
 眠りにつくまで考えていたのは、そんなささやかな希望だった。


◆1.05


 イコマの離宮。
 濡羽の住まうその離宮でも、方角それぞれにある離れによっては全く異なる雰囲気を持っている。中心部から最も離れた北東部にある金蓮花(きんれんか)の宮は、中でも寂しげな雰囲気を持っていた。
 この離れの神殿を使用しているのは斎宮トウリ。
 〈神聖皇国ウェストランデ〉の支配者その人である。
 その当の本人は、薄手の狩衣で庭の見える広間の脇息に寄りかかっていた。
 周囲に控えているのは、新興貴族のマルヴェスにアキバから同行するアインス。斎宮トウリの数少ない参謀である。ただしいくら参謀、同志といったところで、トウリには戦力に当たる手勢がいない。〈神聖皇国ウェストランデ〉最高権威でいながら弱小勢力。それが斎宮トウリたち一党の偽らざる現状なのであった。

「ニオのニジマスうまいぞ。ほれ、くえ」
「はあ……」
 目の前の繕に出された焼き魚にむしゃむしゃと食らいついたマルヴェスに従い、アインスも塩気の多い焼き魚に口をつけた。トウリの前にも魚や山菜が供されているが、どちらかと言えば彼は清酒を飲むことがもっぱらなようだ。
 アインスはその様子をうかがいながら、食事を進めた。
 居心地は、悪くない。
 アキバを離れて二ヶ月近くが経っていた。
 〈ホネスティ〉のギルドマスターという重責から開放され、ついてきてくれる人間も十数人しか残らず、新たな同盟者としての斎宮トウリと共に西国までやってきたが、アインスは不思議なほどに落ち着いて、精力的に動けていた。

「アインスたちはこちらの生活(くらし)には慣れたか」
「はい。良くしてもらっていますしね」

 こちらので生活は、質素とも豪奢とも言いかねるものだった。
 用意された宿舎はこの離れの近くにある護衛のための独立した建物で、広さと部屋数だけは十分だが、何しろ古いものであるらしかった。柱は太く、壁は厚い。水くみは外の井戸まででなければならない。風呂も小さいものだ。
 そういった宿舎は不便は不便であるのだが、その一方で、建物そのものや家具は上質だった。螺鈿や彫刻で飾られた箪笥や寝台は、アインスたち〈冒険者〉からみれば、いわゆるアンティークに該当するものだ。機能性や収納力は低いが、芸術品としては上等なのである。
 食事にも似たところがあり、権力を失っているとはいっても〈神聖皇国ウェストランデ〉の頂点に位置する斎宮家の当主である。食事や日常消費物に関しては〈元老院〉からの支援を受けており、供される食材は考えうる最高級のものだ。その種類の少なさや偏りに、最初は疑いを抱いたアインスおよびその側近たちだったが、調べてみればなんのことはなかった。アキバと〈冒険者〉たちの食への追求が並外れているだけで、貴族が普段口にする食料として、この品揃えが種類としては普通であるし、質そのものは厳選を重ねた言葉通り「皇家御用達」である。
 取りまとめてみれば、あちこちの不便不都合はあるが、トウリが示してくれている誠意は彼らの中では最上級のものであり、感謝のほかはないということだった。

 不便については、そもそも〈冒険者〉であると言うだけで対応幅が広いのだ。家具は追加したり入れ替えたりすればいいし、宿舎は改造すればよい。食事は調理をこちらですれば、数多い調味料をもつ〈冒険者〉のほうが圧倒的に有利だ。付け合せだって準備できる。
「おいこら、アインス。そういうのはいけないと言っておろうが。我輩にもちょっぴりよこさんか」
「……どうぞ」
 〈魔法の鞄〉から取り出した大根おろしとすだちに似た小さな柑橘類を、マルヴェスはさっさと取り上げると盛大に盛り付けた。
「醤油をな、おろしにちょろっとかけるのだな。大根は辛いほうがよろしい。ふっふぅん。ニジマスがすすむなあ」
 ご説ごもっとも、とおもうアインスだが、その大根おろしがアインスのカバンから出ていったことを考え合わせると、微妙な表情を浮かべてしまった。 
「〈冒険者〉は屈強で有利なのだから、おろしくらいは食わせるがいいわ」
「はあ」
 不便の中でも難物が、この離宮の位置である。
 ミナミの街の東方、キョウの都から見れば南方にある、いわばどちらからも等距離にある要衝の地ということになって入るのだが、現実には人里離れた辺鄙な山奥である。どちらに出るにせよ山を下る必要があり、交通の便という意味で言えば確実に問題があるだろう。
 しかし、〈冒険者〉ともなれば話は別でミナミまでの五キロメートルほどの山道を十分もかからずに駆け抜けることが可能だ。〈冒険者〉があつかう高レベル専用乗騎には、〈鷲獅子〉ではなくとも短時間の飛行や、森林踏破技能を持つものさえいる。
 そんなわけで、アインスおよび〈ホネスティ〉離脱組はミナミやキョウの街での買い出し、および情報収集を日常としつつあったのだ。

「ランデの情勢も落ち着かぬな」
「まことに」
「アインス。キョウとミナミの情勢をどうみる? 今後我らはどう動けば良い?」
 水を向けられた話題についてアインスは考える。
 それは唐突な雑談というよりも、この二ヶ月の間アインスたち一党が取り組んできた話題だ。
 客観的に見れば、アインスは、このヤマトの没落した王侯に仕えるべき理由はない。爵位を下賜されたとはいえ、もはやそれは名前だけのことであり、アインスはアキバに住んでさえいないのだ。利益面から見ても、斎宮についていく理由は何ひとつないだろう。
 とは言え、アインスは斎宮トウリを見捨てるつもりはなかった。
 乗りかかった船だから、義理があるから、というのもないではないが、それより大きく、アインスは、この若い斎宮が嫌いではないのだ。このヤマトでもっとも歴史ある家の後継者だと言うのに、妙に素直であけすけでさえあるこの若者に、アインスはついていく価値を感じていた。

「〈元老院〉を打ち倒し、正当なる主上の世を作るのである!」
「それはまた乱暴な」
「格上の偉いやつを倒して、可愛い姫様を娶る! 男の本懐である!」
 ギョッギョッギョと笑う相方(一応組織内では、同格の相方ということになっているのだ)マルヴェスを横目で睨んだアインスは、「まあ、あながち間違いというわけではありませんが」とひとりごちた。

 間違いではないのだがおそらく正解でもないのだ。
 〈円卓会議〉の中で発言力を確保するために拡大戦略をつづけた〈ホネスティ〉は失脚したし、アキバの支配組織を目指して立ち上げた〈アキバ統治府〉は失敗した。

 勝利とは何なのか?
 〈円卓会議〉で最も発言力を持っていたギルドは、間違いなく〈D.D.D〉であった。その〈D.D.D〉盟主クラスティを失い(少なくとも彼は指揮を取れる状況ではなくなった)そして、その規模を解散という形で自ら手放したが、アインスの見る限り、その影響力が減じたとは微塵も思えない。
 アインスが血眼になってまで求めた規模を手放し、恋着していたメンバーの指導や権利保護といったギルドの機構を分割して、なおものこる信頼と任務遂行能力。
 アインス個人の指導力不足といえばそれまでではあるが、果たしてそれが本質なのかと考えれば、おそらく、違う。それは、カリスマとか管理能力以前に、もっと巨大で戦略的な判断が関係しいているのだ。

 いま結局ヤマトで進行しつつある問題は、ひとことでいえば〈大災害〉だ。
 〈大災害〉は終わっていないし、今現在も進行しつつある。
 これには二つの意味がある。
 ひとつは、〈大災害〉という未曾有の現象がまさに今この瞬間も継続しているということだ。
 当初〈大災害〉は〈冒険者〉が意識を持ったとこの異世界セルデシアでは考えられてきた。アインスたち〈冒険者〉からすれば、〈エルダー・テイル〉の世界へと突然連れ込まれた事件がそれだ。これは、それが起きた直後から、〈冒険者〉〈大地人〉の両者から「突然起きたとんでもない出来事」であり「瞬間的で不可逆な事件」だと考えられてきた。なぜならば、〈冒険者〉がこの異世界で目を覚ましたのは、その全員がほぼ同時であったし、いっときのことであり追加もなかったからだ。
 だがこれはいまでは間違いなのではないかと考えられている。〈円卓会議〉ロデリックの研究により、このヤマトでは二点間の距離が徐々に開くという怪現象が報告されているのだ。ほかにも〈典災〉による襲撃などもある。
 〈大災害〉の原因や仕組みが何ひとつわかっていないことから、はっきりしたことはいえないが、〈大災害〉というのは一瞬の爆発のような現象ではなく、ある時点に発生して、その後ずっと緩やかに世界を変質させていくような――あるいは言葉を飾らずに言うのならば侵食してしまうような、そんな現象ではないのか? アインスを始め、この件についてある程度の情報を共有する〈冒険者〉は、いまではそう考えつつある。
 もうひとつは、おそらくヤマトを超えてセルデシア各地で起きている、社会や世界そのものの変革だ。この異世界において、〈冒険者〉は昔から存在したが、それは現在のような意味で「暮らして」いたわけではない。〈大災害〉がすべてを変えてしまい、〈冒険者〉は否応なくこの世界の一員とならざるを得なかった。そして、〈冒険者〉が自らの意志でこの大地を歩き回れば、あらゆる変化が引き起こされてしまう。
 職の改善や技術革新はもとより、〈七つ滝城塞〉でみたように、今まで滞り無く進んできた討伐が停滞したり、あるいはいままで行われなかった制度が利用されたり、見たこともない怪物が討伐されたりするだろう。それらは、セルデシアに生きる〈大地人〉の社会に、激甚なる変化を与えずにはおかない。
 魚づらの貴族もどきが、大根おろしをたべて「やはりこの辛味が癖になるのであるなあ!」などと語っているのは、友好的で可愛い事例だが、中にはもっと取り返しのつかない変化、巨大な変化も多くあるのだ。

 〈冒険者〉と〈大地人〉。
 〈円卓会議〉と〈Plant hwyaden〉。
 〈斎宮家〉と〈元老院〉。
 〈神聖皇国ウェストランデ〉と〈自由都市同盟イースタル〉。
  対立は数多く混乱しがちになるが、その背景にあるのは一点だけ。〈大災害〉がすべてを塗り替え現在を過去にしてしまったのだ。
 今まで通用していたルールは壊れ、頼っていた常識は役に立たなくなり、人々は道標を求めてさまよっている。
 動乱の時代がやってきたのだ。
 それは武力や軍事的な意味だけではなく、経済や文化の面でもそうだし、組織関係や、いままでの身分や序列などの面でもそうなのだ。

 そして重ねてアインスはおのれに問う。
 勝利とは何なのか。

「――〈神聖皇国ウェストランデ〉は未曾有の政争のただなかにあります」
 アインスはそう言い切った。
 むろん〈自由都市同盟イースタル〉に課題がないというわけではないが、比較として〈神聖皇国ウェストランデ〉のほうが規模も巨大で緊急性も高い。
「その問題点は、結局は統治組織の脆弱さに尽きますね」
「そんなことはなかろう! 〈神聖皇国ウェストランデ〉は歴史ある大国ぞ」
「いや、そうではない。我々と〈元老院〉の対立。〈大地人〉と〈冒険者〉の対立。〈Plant hwyaden〉と従来貴族の対立。これらが〈神聖皇国ウェストランデ〉を脆くしているのだ。――そうだな、アインス?」
 トウリは手元の扇子をパチリと閉じて、アインスの言おうとした論旨を的確に汲み取った。アインスはその心遣いに目礼を返して、言葉を選んで続ける。

「そうです。歴史はあるかもしれないが、そのせいで硬直した組織は時代の変化をうけいれず、自らの権益を求めて汲々としている。マルヴェス卿。トウリ様は、自らを弱小勢力だなどと自重しますが、わたしはそうは思いません。それに〈元老院〉が強いとも思わない」
「そうなのか?」
 古き貴族を倒して自分たちが〈神聖皇国ウェストランデ〉の主流になる。時流のキャスティングボードを握り、世の中を改める。そのようにしか考えていないマルヴェスは、眼をパチクリとさせた。
「どちらも〈冒険者〉に比べればですよ。戦力も、レベルからくる資産も。そして文明人の暴力性も、〈冒険者〉に比べれば、どちらもかわいらしいもの。いま西ヤマトを揺るがしているその根源は、〈Plant hwyaden〉の内部分裂にあります。それが仮に解決されたにせよ、その先にあるのは〈Plant hwyaden〉と〈円卓会議〉の対立。つまりは〈冒険者〉同士の諍いあいで〈元老院〉もわたしたちも、その尻馬に乗って、戦いを囃し立て、おこぼれに預かろうとしている。そう思えます」
「……そうか。アインスには、そう見えるか」
 もちろんそれは視点のひとつだ。
 〈元老院〉の野心の強さに〈冒険者〉が利用されている。
 そういう見方もできるだろう。
 しかし、そもそも〈神聖皇国ウェストランデ〉と〈自由都市同盟イースタル〉の間には百年に迫る不干渉という名の平和があったはずだ。
 マルヴェスもトウリも、頭を押さえつけられてきたから否定したいだろうが、〈冒険者〉であるアインスから見れば、〈神聖皇国ウェストランデ〉は弱い。
 〈自由都市同盟イースタル〉の武威が怖くて引きこもった臆病者の子孫であり、戦力がないから文句を言えなかっただけである。
 その関係が現在まで続いているという事実を見れば「強い」と表現するのは難しいだろう。そんな彼らが野望をむき出しにしたとなれば、それは〈冒険者〉という要素がこの世界に現れて、利用可能に思えたからなのだ。

「トウリ様、敵を抱きかかえなさいませ」
「――」
 そんな弱い敵を敵として叩き潰してどうなるのか?
 新たに生まれた〈元老院〉以外の〈大地人〉勢力との間の抗争が発生するだけだろう。この世界で強い存在、すなわち〈冒険者〉と交渉のテーブルに乗るためには、〈元老院〉を滅ぼす余裕など無いのだ。呑み込んで大きくなるしか無い。それが理の当然だ。
 そしてその後はどうする? いずれかの〈冒険者〉勢力とたたかうのか? それは先程も考えたように、戦力比から考えて難しい。〈冒険者〉勢力と戦うためには、こちらも別の〈冒険者〉勢力と結ぶしか無い。
 結んで、滅ぼし、勝ち上がり、さらに別の挑戦者を迎える。――その繰り返し。きりがない。勝つために呑み込み、滅ぼしては戦いに巻き込まれる。そのループ。

世界を敵と味方に(、、、、、、、、、)塗り分ける限り(、、、、、、、)我々は必ず負けます(、、、、、、、、、)
 だからアインスはおのれが最も正しいと確信できる提言を行った。
 弱小勢力である斎宮家が、戦う意味は、どこにもない。
 リスクばかりを抱え、戦力をすり減らし、名前と言う唯一の財産を目減りさせる愚行でしか無い。

「それがわたしがシロエから学んだことです。敵を討つのではなく、敵が敵として存らねばならぬその源を討つべきです。幸い武器(カード)はあります」
 思考の海に身を浸すアインスは、トウリの求めにまっすぐと応える。それは、優柔不断な玉虫色の道ではなく、むしろこの動乱迫る〈神聖皇国ウェストランデ〉においては、最も険しいかもしれない道だった。
「トウリ様の名は、争いを始めるためよりも、争いを終えるときにこそ有用です。それまですべきことは、誰も憎まず生き延びる(、、、、、、、、、、)ことです」
 トウリはそのアインスの言葉を胸に深く刻み込む。
 その一言を抱えて、侮られようと、軽んじられようと、彼ら三人は〈神聖皇国ウェストランデ〉の動乱から、いっときの間身を隠すことになるのだった。



◆1.06



 そして――。
 その同じ離宮、夜明け前の四阿(あずまや)で、総髪和装の青年が、同僚の腹をえぐるように貫いていた。
 強い風が梢を鳴らし、周囲の気配をかき乱すその中で、青白い光に照らされて沈鬱な表情を浮かべるのは、〈十席会議〉に属する剣士カズ彦だった。足元に横たわり、疲れ切った表情で口から吐血をするのは、童顔の魔術師〈予言の歌い手〉クオン。おなじく〈十席会議〉に属する〈冒険者〉だ。

「いいのかな、これで」
「ああ」
 カズ彦は言葉少なく答えた。
 常に苦痛をこらえているようなその表情は、いまも同じだったが、掛けた声の中には気遣いがあった。
「へへへへ。やっとかあ、これでなんとか眠れそうだ」
「……」
 〈冒険者〉の五感は地球時代と何ら変わらないが、ただひとつ、痛苦に対してはかなり制限を受けているようだ。腕が切り落とされたり、全身の骨が折れるような凄惨な負傷でも、その痛みは暑かったりしびれたりと言った、我慢できるような感覚に変更される。
 カズ彦は好まないが、この措置があるために〈戦士職〉は巨大なモンスターとこの異世界で戦えているのも事実だ。
 その処置があるからだろうか? クオンも耐え難いほどの痛みは感じていないようだ。むしろ興味深そうな視線で、じろじろと自分の腹部を見ている。

 腹部の傷は地球であれば致命傷だったろう。
 刺し貫いた白鞘の日本刀がむしろクオンと床を縫いとめている。ローブの上に染み出してくる真っ赤な血の花の拡大速度は早く、酸化し黒ずみ始めているのだ。
「一応聞くけれどちゃんとこれでログアウトでき(もどれ)るんだよね」
「おそらくな。ここは天道だ。次に行くのは人間道だろうよ。〈幻想級〉(こいつ)の説明は、するだけはしただろうが」
 アイテムウィンドウに表示される名称〈六道輪廻〉をもつ刀を、カズ彦は引き抜いた。このヤマトでもふたつとはない〈冒険者(、、、)を殺せる武器(、、、、、、)だ。
 フレーバーテキストを信じるのならば、犠牲者をふさわしい世界へ送り込む輪廻転生の装備であり、カズ彦はこの刀で死んだ人間は地球世界に戻れると確信している。少なくとも、大神殿へは向かわない。
「まあいいや。戻れても、そうでなくても、眠れればそれで」
 クオンは投げやりな口調でそういった。
 カズ彦に殺されたにしては、怒りや恨みがなかった。
 それだけ疲れ果てていたのだろう。
「……何か願いがあれば聞くぞ」
 カズ彦はそう言った。
 詫びることは出来ない。
 自分の都合でクオンを殺したのだ。いちおう同意らしきものは取れたとはいえ、罪悪感はある。しかし今更詫びることなどできるはずもない。同意の有無にかかわらず、クオンは殺したであろうからだ。
 あまりにもやる気が無いから目立たないが、この童顔の魔術師の潜在的な能力は高い。〈エルダー・テイル〉に関する知識が深いというだけで、このセルデシアでは大きな脅威になりうるのだ。それに合わせてその体の刻印(とうさい)された〈彼方からの呼び声〉の能力を考えれば、除かぬわけにはいかない。

 カズ彦はいままで多くの〈大地人〉を手にかけてきてしまった。殺しこそしていないが、〈冒険者〉を排除したこともある。その殆どは、カズ彦やインティクスを狙った刺客であり仕方ない面もなくはないが、なかにはカズ彦たちになんの害意も抱いていない相手もいた。
 ミナミの街を守るために。
 インティクスの狂気で大多数の人々が傷つかないように。
 相手の嫌がることを嗅ぎ当てる勘だけは常人離れした天才インティクスは、その能力を最も親しい異性であるカズ彦相手に最大限に利用した。カズ彦を全く知りもしないような、ミナミの街で幸せに暮す数万人の〈大地人〉――カズ彦が、インティクスに逆らえば、年若い子供や女性の命を奪うと言ったのだ。。
 わたしはなんの興味もないし名前もしらないから、全く動揺もしないし痛痒も感じない。カズ彦もそんな義理はないわよね? あなたのせいで、ちょっと数十人死ぬだけ。あなたがわたしに逆らえば、ただ単になんの関係もない赤の他人が毒をもられてばたばた死ぬだけ。
 そんな他愛ない脅しで、そしてたった数人の見せしめの犠牲者だけで、カズ彦はインティクスの犬となった。
 インティクスに数十人を殺させないために、カズ彦が選んで殺す。笑えない喜劇だ。

 自分自身への言い訳のような悔恨を押さえ込み、カズ彦はただ願いを尋ねた。

「なんもない」
 やる気のない三角口で、クオンはうんざりしたように返した。
 本当に飽き飽きしていたのだろう、濁った瞳には倦怠と嫌悪感しかうかんではいない。
「ゲームだとか、リアルだとか、もうどうでもいいよ。区別するのも疲れるよ。重要なのは地球かセルデシアかだよ。あっちにいければ、地球がゲームでもかまわないよ。っていうか、この玄関チャイムがなければ、なんでもいいよ」
 力なく吐き捨てた声は重く垂れ込めた暗雲に似ている。
「――ほらまたきた。『アルフンが開放されました』、『ザルブリスが開放されました』、『トゥキファトが開放されました』。ピンポンピンポン人の頭のなかで勝手にさぁ。チャイム連打でダッシュだよ。もう八時だ、いい加減にしてほしいさ」
 カズ彦は黙ってその声に耳を傾けていた。
 〈典災〉の予告だ。
 クオンのこの予言があったればこそ、〈Plant hwyaden〉はその脅威に早くから気づき、その時限イベントに備えることが出来た。〈ノウアスフィアの開墾〉で実装された、時刻になぞらえた特殊モンスターの進行。
「つまりタワーディフェンスじゃんね。広報サイトも資料もなしで、そんな案内してらんないよ……」
 今では変質してしまい、〈典災〉の中身はよくわからないオカルトに成り果ててしまっている。しかし、その身体は間違いなく、〈エルダー・テイル〉のモンスターなのだ。だからこそ突破できる。
「あ、そーだ」
 どこかぼんやりとした、悲壮感のない声でクオンが付け加えた。
 そのローブの端が、メラメラと、青白く燃え上がり始める。炎の先端が強風に煽られ、虹の光へと変換されていく。ヒットポイントがゼロになり、ロスタイムが終了したのだ。
 クオンはいま、セルデシアで死につつある。そしておそらく新しい目覚めを迎えつつある。
「あんたさ、もう、その刀で、陰険メイド刺しちゃえよ」
 クオンは無責任にそう言った。
 カズ彦は、感情を載せぬように表情を引き締めて、その言葉に耳を傾け続ける。「願いを聞く」と言った。その言葉を違えるわけにはいかないと、武士道じみた清廉を約すことができればいいのだが、カズ彦はすでに堕ちた身だ。汚れた暗殺者でしかない。クオンの願いを叶える事はできない。聞くだけだ。だが、そんなひどい手のひら返しをするわけにもいかずただ沈黙を選んだ。
「あの根暗女がいるせいであっちもこっちも大騒ぎすぎんでしょ。別に僕ぁ濡羽の肩持つわけじゃないし、おっぱいくらいじゃ左右されないけれど、どう考えてもあの眼鏡のほうが話ややこしくしてるよ。……その刀の能力があれば、地球に戻せるんなら、そうしてやったほうがいいよ。向こうでも知り合いなんでしょ、あんたさ」
 もう首をひねる力もないのか、クオンは視線だけを脇に立ち尽くすカズ彦向けてきた。数瞬、視線が交錯して、彼はゆっくりと二回瞬きをした。
 とても疲れた、老人のような声で、クオンは「やめた。撤回」と前言を翻した。もうすでに炎は、その腕にも、胸にも回り始めている。
「あんたらのことに、くちばし突っ込まないよ。どうでもいいし。もうね、こっちは静かになればそれでいい。あんたに言いたいのはひとつだけ」
 ぐったりとした声で、もはや全身が虹色の光のゆらめきになっているクオンは続けた。
 ハヴァナイスデー。
 なんの意味もない、軽薄で無責任な言葉だった。
 その言葉を残して、十席会議のひとりはセルデシア世界を後にしたのだ。

「いい言葉だね」
「いまはおまえと話し合う気分じゃないな。KR(けいあーる)
 カズ彦は振り向きもせずに、かつても友に応えを返した。
 強風に煽られて、カズ彦の和装の袖も、KRの古びたマントもバサバサと音をたてた。深夜の嵐のような風に、虹色のシャボンはあっという間に吹き散らされてゆき、最後に残ったのはクオンの使っていた装備だけ。それも灰になり風の中へと去っていった。
「悪いエンドマークじゃないと思うんだけどね。クオンにとっても、インティクスにとっても」
 ぼやくようなKRの言葉に言い返すことも出来ず、カズ彦は唇を噛んだ。
 KRのいうように出来たならばそれが最も良かっただろう。あちらに戻って幸せになれるのならば、カズ彦だってそんな選択肢を選ぶに拒否する理由はない。しかし、そうではない。インティクスにとっては地球こそが畜生道なのだ。
 カズ彦の知識と勘が正しければ、クオンはこれで地球に帰れ(ログアウトでき)ただろう。セルデシアでの記憶の全ては失うだろうが、向こうで目覚めるはずだ。だがしかし。
 インティクスはそうではない。

 カズ彦はその手に残った、実際よりも何倍も重く感じる白鞘の刀を見つめて唇を噛みしめる。
 六道輪廻という銘とその解説は、地球世界への帰還を保証はしないからだ。現れるくじには、天道(セルデシア)人間道(ちきゅう)のほかに、まだ四つも結果があるのだから。
 ましてやインティクスとカズ彦がいく道は決まっているように思われた。あるいは二人にとって、いまこの世界こそが修羅の巷なのかもしれなかったのだ。

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