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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp14 黄昏の孤児(みなしご)

127/128

127 黄昏の孤児


◆1.01



 迷宮と言っても過言ではないような〈イコマ離宮〉。
 本来ここは〈ウェストランデ皇王朝〉の古の帝が猛暑を避けるために建てた別邸なのだが、歴史のいたずらにより何度もその主を変えてきた。
 その多くは皇王の母や正妻、ときには愛妾であったために、山頂付近の斜面に作られたこの離宮は、花の名を関した様々な寝殿の集合体として形つくられている。〈大災害〉からこちら、〈冒険者〉の手も借りて増築を繰り返されたため、現在(いま)となってはちょっとした村を超えるほどの規模にもなっているのだ。

 この離宮の表向きの主は、その最深部に居を定める斎宮トウリそのひとである。キョウの都の喧騒に疲れた斎宮のために風雅な住処を用意した――といえば耳ざわりは良いが、トウリが権力(ちから)を集めることを恐れた〈元老院〉がこの離宮に彼を軟禁していたというのが宮廷雀の語る事の真相だ。

 しかし今現在、斎宮トウリがこの離宮の真の支配者であると語るものはいない。
 〈Plant hwyaden〉。
 ミナミを中心に西ヤマトを支配するに至った、このヤマトで最大最強のギルド。その中枢にして本部が、この〈イコマ離宮〉である。なぜ〈Plant hwyaden〉がミナミの街中ではなく、この離宮に本部を構えることになったのかについては、ギルド中枢はその理由を明かさない。
 しかし、巨大化しその全貌の把握さえ出来ない――一万人を優に超えるという〈エルダー・テイル〉では考えられないようなこの超巨大ギルドを運営するための、おおよそ考えられる限り複雑な統治機構を収容するためには、それなり以上の大きさの複合的な庁舎が必要であったことは想像に難くなく、この離宮が要件を満たしていたのは間違いないだろう。

 イコマの夜はどこかしら甘く濁ったような、密かな香りに満たされつつ暗い。
 和風の渡り廊下のそこかしこには、和紙で囲まれた灯火が提げられているが、それだけでは闇のすべてを払うというわけには行かなかいのだ。
 むしその濁ったオレンジの灯りが際だたせるのは、中庭の木立が落とす濃い影であり、回廊のそこかしこにわだかまる深い闇である。
 合わせ襟に長い袖を優雅に着こなす和装の〈エルダーメイド〉が徘徊する離宮南部〈芍薬の宮〉は、イコマの抱える甘苦しい秘奥の、その最も深くに存在した。
 それはいわば、迷宮の奥深くに作られた異形の蜘蛛の巣だ。
 胸をかき乱すような蠱惑の香りに導かれた獲物を捉えるための、巨大な罠。

 その銀糸の罠の中央に、そうとはしらずオルテリス伯はたどり着いた。
 見目麗しい女性を知らないわけではなかったが、眼前の女性――濡羽は全く別格だ。有るか無きかの微かな笑みを浮かべ、名乗ったあとに一言も発していないのに、飲まれかけている。
「……オルテリス家も濡羽様の進める融和策には賛成の立場でして、なにとぞ来月の式典の末席に加えてくださるよう……。〈死霊ヶ原〉は我がオルテリス父祖の地でありまして、案内であれば我が郎党必ずやお役に立てることと」
 紡ぐ言葉はしどろもどろだったが、絞り出すように伯は告げた。

 眼前にいる夢のように艶美なこの女性は今現在この〈神聖皇国ウェストランデ〉に於いて最も注目を集める重要人物である。彼女が〈Plant hwyaden〉を統べる当主である以上、〈大災害〉直後から西ヤマトの政局を握るキーパーソンだったが、しかし彼女は表舞台に一切の姿を現さなかった。
 すべてを全権代理人たるインティクスに委ねた、離宮奥深くでひっそりと咲く夕顔の如き驪姫。それが濡羽の評価だったのだ。
 その濡羽が〈虹色昏睡事件〉をきっかけに表舞台に現れ、号令をかけたのである。「東西分断の悲痛、筆舌に尽くしがたし。東方の英傑がヤマトの闇と戦ういま、いまこそ積年の傷を癒やし助けとなるべし」。
 濡羽のこの号令は、〈神聖皇国ウェストランデ〉貴族もびっくりするほどの速度で〈Plant hwyaden〉全ての浸透し、多くの〈冒険者〉が中部ヤマト地方の再建や防備へと向かい、東方との交易も活発化した。いいや、活発化ではなく、それは正常化にすぎないのであろう。両者の経済規模や生産を考えれば、本来この程度のやり取りがあるのは当然だったのだ。

 もちろん濡羽のこの命に〈元老院〉は割れた。
 そもそも東方を対等な相手と認めぬからこその〈神聖皇国ウェストランデ〉の名である。現在〈自由都市同盟イースタル〉貴族が治めている領地は、本来自分たちの所有であると主張する貴族も少なくはないのだ。アルヴ戦争のどさくさに紛れて領地を盗んだのがイースタルの僭称者たちである、そううそぶく貴族も多い。
 オルテリスはそこまで恥知らずではないが、しかし、貴族として一門を拡大する必要はある。
 彼のような有力な家は流通や認可の権益に関わり今でも富を蓄え続けているが、そんな伯家であっても支配している土地は驚くほど小さい荘園しかない。ましてや、有象無象の弱小貴族など、大店商人より貧しいことも珍しくはないのだ。
 弱った犬ほどよく吠えるとのことわざにもあるとおり、そんな家ほど〈自由都市同盟イースタル〉との全面対決を声高に叫ぶ。

 もちろん、〈自由都市同盟イースタル〉に屈することなど出来ない。また厳密に言えば〈神聖皇国ウェストランデ〉および〈元老院〉は〈冒険者〉の同盟者であって従ういわれはない。そもそもイースタルの膝下(しっか)に屈するなど、〈神聖皇国ウェストランデ〉の歴史が許さない。
 しかし、今現在西ヤマトにおける〈Plant hwyaden〉の影響力は強大だ。貴族の一部まで取り込んだこの強大な組織は、〈神聖皇国ウェストランデ〉の国力そのものをも遥かに超える力を持っていて、後先を考えないぼんくら貴族でもなければ、その〈Plant hwyaden〉に表立って逆らうなど考えることも出来ない。
 それに、濡羽は「イースタルに従え」とも「イースタルに隷属せよ」とも言ってはいないのだ。「救え」と、むしろそのように言われたのだと、オルテリスは考えている。
 謝罪ではなく融和であるのならばまだ可能性はあるだろう。それが〈神聖皇国ウェストランデ〉上位の形であるのならばなおさらである。
 濡羽にしてもそこは心得ているのだろう、〈Plant hwyaden〉の本部が有る以上、当然彼女も〈神聖皇国ウェストランデ〉主体の取り込みを考えているはずだ。

 であるならば。
 ――併呑。
 融和とは言いつつ、その実態は〈神聖皇国ウェストランデ〉がイースタルを飲み込むという、新しい時代の征服ではないか。
 そしてそれが実際干戈(かんか)を交えず、社交という戦場でなされるであれば、それはまさに名門貴族(オルテリス)の活躍する舞台である。ヤマトの青い血の歴史を一身に背負う都の公達である自分たちが、山出しの田舎貴族に遅れをとるなどありえない。
 その新しい戦場に食い込むためにも、オルテリスは、この離宮の主〈西の納言〉の懐に潜り込まなければならないのだ。

 今日の会談は、その端緒をつかむための、濡羽の真意を確かめて協力者として名乗りを上げるための、重要な一幕なのだ。

 そんなオルテリス伯の胸中を察したはずもなかろうが、濡羽は耳を傾け終わるや、有るか無きかの僅かな笑みを浮かべた。濡れた水晶のようにつややかな瞳を僅かに細められ、形の良い眉毛が優しげな弧を描く。
 すべてを抱きしめる慈母のような表情に見惚れると、その唇が柔らかな声を紡ぎ出した。
「そのような申し出を下さり、感謝します。オルテリス伯。オワリの地は東西分断の緊張において、いまは無主地として〈不死者〉の跋扈する魔境となっていると聞き及びます。|〈Plant hwyaden〉《ぼうけんしゃ》といえど、案内無ければ踏破は難しい地でしょう」

 オルテリスは無意識に何度も頷いていた。
 そうだろう、そうだろうとも。
 いくら無敵の〈冒険者〉とはいえ、未開の地を挑むに案内と支援は必須だろう。
 艶やかな微笑に我知らず胸を高鳴らせながら、オルテリスは我が意を得たりというよりに肯定した。

 夜に溶け込むような闇色の髪も、やはり暗色の詰め襟のドレスも、なめらかな艶をもって薄っすらと輝いているようにみえる。ノースリーブの二の腕から下を守るように長く裾を引く重いショールは緋色と金色で彩雲のような縫い取りがなされていた。〈神聖皇国ウェストランデ〉の伝統衣装のようにも、〈冒険者〉特有の新しい様式のようにも見える美しい夜会服。
 そしてその衣装に負けないほどの艷冶な美貌。
 それは見つめているだけでどこか息苦しくなるほどだった。

 美人や美形の多い〈冒険者〉であるから、宮中貴族のオルテリスとしても、整った容姿のものへの免疫は獲得しつつある。だが、濡羽のそれはそういった美しさとは一線を画すものだ。
 相対したものの感情を波立たせずにはおかない美貌とでもいえばいいだろうか。それは多くの場合例えば忠誠心や憧れや恋慕のような肯定的な感情を喚起するのものだろう。しかし、仮にそうでなかったとしても嫉妬や恐怖や反感のような――いいや、言葉を飾らずに言えば、この女をどうにかして苦しめてやりたい、自分の手で思う様いたぶってやりたいとでも言うような、向かい合った人物の秘めた嗜虐心を掻き立てるような、蠱惑的な雰囲気を持った美貌だった。
 オルテリスは気を静めるために深く深く吐息を吐き出した。
 このたおやかな黒髪の美女に、オルテリス家が代々築き上げてきた富を見せつけてやりたい。そのすましかえった秀麗な表情を、驚愕と歓喜で歪ませてやりたい。そんな欲望を押さえつけるためにだ。

 オルテリスは頭を振ると、もちろんです、もちろんですと受けあった。
「もし|〈Plant hwyaden〉《みなさま》が東西融合の架け橋として、現在混乱が続くヤマト中央部へと進むのならば、オルテリス家はぜひその(くつわ)を取らせていただきたい!」
 オルテリスの答えは濡羽の意に沿ったようだ。
 天女のような優しげな瞳に吸い込まれるような気持ちで、伯は感謝した。この会談はオルテリス家によりいっそうの栄達をもたらすだろう。
「我々も、キョウの都の重鎮たるオルテリス様には多くの期待を寄せております」
 オルテリスは濡羽の口から自身の家の名が語られる事実に心に羽が生えたような高揚を感じる。
「ええもちろんですとも!」
「ニオの淡海をめぐる幾つもの街道は荒廃し、これを再興させることはこの十年においてもっとも重要な事業となるでしょう。新たに整備された街道は、オルテリス様の名をもって呼ばれると濡羽は思います」
 口元を隠して微笑む言葉に、オルテリスは深く頷いた。
「おまかせあれ!」
「よしなに。オルテリス様のご尽力、オルテリス家の騎士団と轡を並べて戦えることを、楽しみにしております」
 和やかな会談に手応えを感じたオルテリスは感激して貴人に対する礼を取ると会談を切り上げた。

 貴族の収入は複雑だ。
 その多寡は、もちろん当主や家人の能力に大きく影響は受けるものの、受け継いだ利権や、貴族間の序列に大きく影響を受ける。
 序列が上がったとなればより多くの弱き貴族や商人たちが貢物を持っておもねってくるし、根回しや手続きの優先も速やかに進む。結果として序列が高い家ほど、美味しい儲け話をその手にしやすくなる。
 格式や位階はただの見栄ではないのだ。それは現実にと影響する貴族の武器である。あるいは軍事力に匹敵するほどの。
 オルテリスは濡羽との会談で、ヤマト中央への進出を認められたという手応えを感じていた。それは取りも直さず、オルテリス家の序列が上がったことを意味する。
 もちろんそのための負担は大きい。街道整備や案内などを求められることも有るだろう。しかしそれは、上がった序列に任せて派閥へと割り振ってゆけばいいのだ。
 オルテリスは薔薇色の予感にふるえて離宮をあとにした。
 同じような表情で濡羽との会談を終えた貴族を数えれば、彼がそのように歓喜することはなかっただろう。
 オルテリスは気づかなかったが、それを責めるのは酷というものである。徐々にではあるが、〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族たちは、〈Plant hwyaden〉の持つ巨大な力と野望に組み込まれつつあった。それは同時に、貴族という毒餌を飲み込んだ〈Plant hwyaden〉の変質をも意味したが、この時点で未来を予測できるものはいない。
 イコマの夜はまだ始まったばかり。
 その懐に数多の野望と(はかりごと)を抱えたまま続いていくのだから。



◆1.02



 オルテリス伯との会談――あちらは密会のようなものとでも思い込んでいたらしいが――を終えた濡羽は、側仕えに細々とした指示を出した後、客間を出た。
 初夏の離宮は、夜の中でひっそりと静まり返っている。
 そもそも敷地の中では南東に当たる、この芍薬の宮は配置されている侍女の数も少ない。それというのも宮の主たる濡羽が遠ざけているからである。
 いくら屋内であり、私室に戻るだけだとしても、〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族子女であれば、ひとりで歩くなど考えられない。公的な称号〈西の納言〉を踏まえれば、十数人の侍女や女官を引き連れた形になる方が当たり前だったろう。

 だが夜はここは濡羽の巣なのだ。
 供回りもつれず歩くその姿は軽やかで、恐れやためらいとは無縁だった。夏が始まったとはいえ、イコマの山中を切り開かれた離宮の空気は、夜になってひんやりと風を運び濡羽の夜歩きの友となった。

 濡羽はずっと家が欲しかった。
 幼い頃から敵意と侮蔑しかない場所で暮らしてきて、ろくな食事や寝床も与えられず、捨て子同然の暮らしを送ってきたせいで何があれば家だといえるのかとははっきりとはわからなかったが。手入れされていない髪を伸ばし放題にして、脂じみたそれ一着だけの衣類を毎日来て小学校にかよっていた頃から、夕暮れの中自宅へと帰る同じ学校の自分ではない子どもたちを見て、家というものが欲しくてたまらなかった。
 それがあればお風呂に入り、貯蔵されている食べ物を食べて、清潔で、洗ってあるタオルケットに包まれて眠ることができるのだと、濡羽はぼんやりと考えていた。
 自分は他の子供達と違って醜すぎるから、そういう幸運には恵まれていないが、家さえあれば怯えることなく静かにひとりで過ごせるのだと濡羽は考えていた。親というものには絶望しか持てなかったので、良い親が欲しいなどとは思わなかった。当時の濡羽は幼くて道理がわかっていなかったから、周囲と自分の差は親が良いか悪いかであるというよりも、安心できる住処があるかないかなのだと思っていた。
 周囲の侮蔑の視線に刺される日中は、濡羽にとっては危険で恐ろしい時間だった。あまりにも周囲と違う、放置されきって痩せこけた濡羽は、周囲の子どもたちはおろかその親からも忌避される対象だった。「あの子と喋ってはいけませんよ」と言われているのならむしろありがたく思うほどで、嫌がらせをされたり、暴力を振るわれたりすることも珍しくなかった。さらにいえば、自分を珍獣のように扱いつつ、どうかこちらに責任を持ち込まないでくれと距離を置く学校の教員や市役所の職員は、そんな風に暴力を振るう同学年の子供よりも、濡羽を深く傷つけた。

 だから濡羽は陽の光が嫌いだ。
 人々が騒がしく行き交う昼の間、濡羽は身の置き所がない様な気分を味わう。陽の光は暴力的で、濡羽が隠したいと思っていること、見たくないと思っていること、そんな全てを暴き立てる。夜になり、付近から人の視線がなくなり、ひとりっきりになると、濡羽はやっとすべての鎧を脱ぎ捨てて、ゆっくりした時間を感じることができる。
 巨大ギルド〈Plant hwyaden〉の盟主として、いまやヤマトの中で知らぬ者のいない地位にまで上り詰め、もはや濡羽を公然と虐げるものはいないだろうが、それでも染み付いた価値観を変えることは難しい。

 人と話すことは不得意ではない。
 それをしなければ生きてはいけなかったのだから、磨き上げたのだ。他人(ひと)の背景を調べ上げ、顔色をうかがい、その願いを察し、夢をかなえることができるのだという仮初の宝物を抱かせることを。
 幼い濡羽にはおおよそ身を立てるための元手と呼べるものが何ひとつなかった。お金や職以前に、安定した環境も、親類縁者も、教育も、何もかもなかったから。だから、他人の顔色をうかがい、彼らの持つ豊かな財産のお零れをもらうしかなかったのだ。
 一夜の眠り、身ぎれいにするための宿、人前に出られる衣装、当面を暮らすための現金。濡羽にとってはどう頑張っても手に入らないそれらは、人によっては気軽に投げ与えられるほどのありふれたものであるらしい。慎重に接近し、相手の厭うような発言を注意深く避ければ、それらはたやすく手に入った。ときには濡羽が驚くほどに。
 先程オルテリス伯から関心を引き出したようにだ。
 だからそういったことは不得意ではない。しかしだからといって、それが好きだというわけでもないのだ。

 濡羽に何かを与えてくれる人間は、多くの場合、自尊心を慰撫してくれる対価としてそれを施してくれているのだと、濡羽は早い時期から気づいていた。彼らから得たもので暮らすことが出来ているのだから、その心根をいまさら下劣だと騒ぎ立てるつもりはないが、彼らの濁った瞳の色は好きになることが出来ない。
 一方で濡羽に何も与えてくれない人間は、結局はどこかで濡羽を狩りたてて囃したてる予備軍である。濡羽を視界にいれなければ、自分がそんな醜い何かにならずに済むと考えているような潔癖な人間は、嫌いというよりも、恐怖の対象だ。
 どちらも恐ろしくて、だから濡羽は孤独と夜を愛した。
 小さくてひんやりひっそりとして、誰からも危害を加えられない清潔なタオルケットを丸めた寝床を作り上げるために、巨大なギルドを設立し、築き上げ、警戒と防備をめぐらし、何人たりとも近づけない聖域を手に入れたが、それでも、濡羽は夜と孤独が好きだった。

「……?」
 濡羽はふと顔を上げて風の色を確かめるような表情を見せると、回廊からそれてアーチをくぐり、中庭のひとつへと足を踏み入れた。寝殿造りに近いこの離宮は南側に池を配した中庭を持っている。
 ためらいも見せずに足を踏み入れると、夏草の中にも芳しい香りがまざっていた。雲が横切るたびにゆらゆらと揺れる月明かりの中を、露を含んだ紫陽花の中の石畳を抜ければ、夜の中に黒曜石のように輝く水辺に出る。

「……宵待草ね」
 ふわりと漂う濃い香りに、濡羽は視線を落とす。
 その声は透き通っていたが、たおやかと言うにはからかうような慈愛が勝っていた。
 良い夜だった。
 半分ほどに欠けた月が朧な雲の向こうで瞬き、麗しくもあえかな影を草の上に落としている。
 その足元から水辺へと向けて、黄色い花びらを持つ花が、離宮の遠い灯籠に照らされて闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
 濡羽はしゃがむでも手を差し伸べるわけでもなかったけれど、視線だけに哀れみと愛おしさを込めて見つめると、柔らかい声で「待てど暮らせど来ぬ人を待ち続けているの? ――おまえには足がないものね」と囁いた。

「自分は待たないと?」
 そんな濡羽の孤独(よる)を湿った悪意が切り裂いた。
 庭の池の石橋を静かに渡ってくるひとりの侍女が、冷酷な瞳で濡羽を見下ろす。
 インティクス。
 〈Plant hwyaden〉を率いる〈十席会議〉の第二席。
 凍える冷気のような威圧を撒き散らかして濡羽の眼前に立つ。
 いつもそうだ。
 この女(インティクス)は濡羽を支配者にように見下ろす。
 すくみあがり無自覚に耳が伏せそうになる気持ちを必至に取り繕い、濡羽はその視線に身を晒す。授業中の教室で、半裸で土下座を強制されたみたいに、全身が恐怖と屈辱で泡立つ。何もできなかったあの頃のような無力感を、インティクスは連れてくる。
 しかしいまは違うのだ。
 違うはずだ。
 濡羽はそのインティクスに反旗を翻したのだ。
 激情にかられてのこととはいえ、約束(、、)をまもるために、インティクスを打ちすえさえしたのだ。
 震えそうになる膝に気づかれないように、濡羽はインティクスを睨み返した。

「〈元老院〉を食い荒らしているそうね。アキバとの協力をそんなに進めたい? ここまで〈Plant hwyaden〉を大きくしたのはなんのためだったと思っているの? 自らの居場所を切り捨てて、飼育小屋にでも戻るつもり?」
 滴るような毒を込めた声だ。
 昔からそうだ。
 この女は声を荒げたりはしない。
 そんなことをしなくても、悪意に満ちた舌鋒と、心底の侮蔑を込めた視線だけで、周囲をどのようにでも傷つけられる女なのだ。資産家の家に生まれ、大事に育てられた令嬢。他人を虐げることに一切の呵責を覚えない女。
 それが悪だなどと言うつもりはない。
 自分はそんな抗弁をできるような身の上ではない。
 だが、善悪と、敵味方は別だ。濡羽はこの女に宣戦布告をしてしまった。もはや敵なのだ。だからどんなに恐ろしくても退く訳にはいかない。

「〈Plant hwyaden〉は壊れないわ。もっと穏やかに強くなる」
 緊張で体温が下がるのを味わいながら、濡羽は冷静に聞こえる声を努めてそう抗った。
 別にギルドの未来なんて考えていたわけではない。
 そのために動いていたわけではない。
 口からのでまかせ。
 インティクスの言いがかりにその場で合わせた言い返しだ。
 実際濡羽は〈Plant hwyaden〉そのものにはなんの興味もない。興味があるのは自分の住処と、幸せだけ。守りたいのは小さい寝所と静穏、そして自分を幸せにしてくれる誰かだけ。
 だがどんなに興味のないものでも、敵に投げ与えるわけには行かない。それをしてどうなるかは、教室での経験でわかっている。牙を立てない限り、慰みものになることを濡羽は知っている。
「あなたに何がわかる? 嫌われ者の、不潔で汚らわしいドブネズミに。ギルド運営なんてしたこともない素人に」
「――ここはもうギルドじゃないもの。もっと大きくて、誰もが見たことがないほど巨大になった。〈冒険者〉だけじゃなく、〈大地人〉も飲み込んで。――あなたこそ、住処を守ったことがあるの? 〈放蕩者の茶会〉(ふるす)を失ったのはなぜ?」
 だからその言葉にも、深い意味はなかった。
 売り言葉に買い言葉。
 インティクスが「ギルド運営の素人は下がっていろ」と言ったから、濡羽は「そちらも古巣は残ってないでしょう?」と言い返しただけだ。深い意味はないし、そもそも事情も知らない。
 しかし、濡羽のその半白は激甚な反応を引き起こした。

「最後通牒よ、濡羽」
 嫌な音を立てて――。
 イコマの夜はまるで巨大な機械に圧搾されたかのような、きしむような悲鳴を上げて身悶えした。
 月が曇りすっかりと闇に隠れたインティクスの表情はわからないが、身の毛もよだつような、錆びついた重機の呻きのような、そんな声で彼女は囁いていた。
部屋(ハウス)に戻って毛布をかぶっていなさい。綺麗な住処を用意してあげる。どうせあなたは何かを手に入れることなんてできないけれど、残飯を漁るなら、まだ食べられるものがいいでしょう? いままでのように人形でいるのなら、残飯程度は運んであげる」
 濡羽が「西の納言」と称されるようになったのは斎宮からその位階が与えられたことがきっかけだった。しかし、インティクスの二つ名にきっかけはない。
 「魔女」、とだけ呼ばれている。
 〈Plant hwyaden〉の魔女。
 その名にふさわしいような、禍々しい威圧を前に、濡羽は泣き出しそうになった。足元が嵐の海に揺れる小舟のようで、背骨がまるで水の泡になったようで、平衡感覚もうしない、膝をついて助命を懇願したくなる。すべての過去が呪いとなって、濡羽をすえた臭いの地獄へと連れ戻そうとする。
「……答えはわかってるでしょう?」
 虚勢を張った。
 見下ろすインティクスを睨みつけるのに、上目遣いになってしまうのだけは避けられなかったが。背中に吹き出すぬるりとした気持ち悪い汗を無視しながら、濡羽はだが、硬い声でインティクスを拒絶した。
「声が震えているわよ」
 見透かしたかのようなせせら笑いを投げつけるインティクスには全てバレていただろう。恥ずかしい過去も、大事な思いも、すべてを不躾に覗き込まれるようなインティクスの光彩が欠けた瞳に震えながらも、濡羽は何度も拳を握りしめた。
「嫌」
 短い拒絶は断固たる意志の表れではない。
 それ以上喋れば、口から悲鳴が漏れ出てしまうからだ。
「本当に? あなたが、浮浪児の、薄汚い、笑いもののあなたが。ねえ――萩尾さん《、、、、》」
 溺れた人間の感じる根源的な恐怖に抗って、濡羽は目を見開いて叫んだ。
「わたしに出来ないことでもっ」
 できる人が――濡羽のすがったその希望を断ち切るように、インティクスが声をかぶせる。
「あの裏切り者(シロエ)にだって出来ない。それだけは絶対に出来ない。人に頼ることも率いることも出来ない、あんな引きこもりに。ヤマトの覇権なんて取れるわけがないのよ。乱世(ランキング)を制するなんて、夢のまた夢」
 叫ぼうと開いた口から、漏れ出した吐息を自分で聞いて、濡羽は自分が泣いているのに気づいた。そんなことはないと、絶対にないと、言い切れたら良かったが、他人にそれを求めるのがどんなに浅ましいかくらいは、恥知らずな濡羽でもわかっていた。
 シロエならば濡羽と〈Plant hwyaden〉をまとめて救ってくれるかもしれないが、肝心の濡羽自身に救われる価値はないのだ。その価値を持つためには、シロエがいなくても〈Plant hwyaden〉をまとめ上げなければならない。それくらい出来なくては、シロエから幸せを受け取る対価がない。

「くくくくくっ。ねえ、帰りたくないんでしょ? 戻りたくないでしょう? ここはわたしたちの夢の国(ティル・ナ・ノーグ)。〈Plant hwyaden〉は終の棲家(エンドコンテンツ)。それを思い知らせてあげる。あなたの希望と憧れを、ずたずたに引き裂いて。あなたの身分を思い知らせてあげるわ。ねえ、震えてるの? くくくくくっ。あははははははっ」
 インティクスはそんな濡羽の沈黙を屈服と受け取ったようだ。
 上機嫌な、しかし狂った笑い声を上げて踵を返した。

 その背中をにらみ、濡羽は唇を噛みしめる。
 大丈夫だ。負けてはいない。インティクスは苦しいのだ。だから濡羽自身を折りにきた。
 ――お飾りとはいえ、〈Plant hwyaden〉のギルドマスターは濡羽である。その立場を誰あろう、インティクス自身が認めていたのだ。ギルドの行ってきた内政や交渉政策はブラックボックスになっている部分も大きいが、多くの一般メンバーは濡羽の号令を喜んで受け取っている。〈大地人〉貴族の切り崩しも順調だ。
 幸せに、なりたい。
 そのためには、インティクスを打倒する必要がある。
 インティクスが持っている利権や権力を取り上げて、〈Plant hwyaden〉を取り戻し、そのお城にシロエを招待するのだ。時間はないが、勝算は十分にあるはずだ。
 月の光に浮かぶイコマの離宮は、〈西の納言〉と〈魔女〉の暗闘の舞台だった。そこから巻き起こる嵐は、それに気がついていない大勢の〈冒険者〉と〈大地人〉を巻き込んで、やがてミナミとキョウを席巻してゆくだろう。
 だが濡羽は僅かなためらいさえ覚えなかった。
 ヤマト最大の巨大ギルド〈Plant hwyaden〉。しかしそのギルドを統べる至尊の女王は、失うべきものさえ持ち合わせない、孤独な夜の徘徊者だったのだ。




◆1.03



 ヤマトにも梅雨に相当する時期はあるのだが、日本のそれと比べて至極あっさりとしたもので、薄絹のように街を包む霧雨と、数日の強い雨だけで通り過ぎていった。
 灼けつくような東京の夏を知っているシロエとしては感謝の念しか出ないほど、このヤマトの四季は涼やかでしっとりとしている。七月初頭、日差しは強いものの、街を渡る風は木々の梢を揺らして水気をまとい、待ちゆく人を微笑ませるのだ。

 アキバのギルド会館で行われた大規模戦闘(レイド)事件から慌ただしい日々が過ぎて、街には落ち着きが戻ってきていた。
 慌ただしいのはシロエであり、最近は平穏とか穏やかという言葉の意味を思い出すことも出来ない。独り言のランキングを作れば、一位は「どーしてこうなった」、二位は「書類増えてる」、三位は「お家帰りたい」だ。
 それというのも、〈Plant hwyaden〉を含めた西ヤマトとの関係改善のために親善使を送る計画に関わっていたためである。ある程度は関与しなきゃいけないなあ、とシロエも考えていた使節団だが、予想外にというか案の定というか、シロエもばっちりと参加することになってしまった。調整と旅の準備に大わらわだ。
 引き継ぎだ、仕込みだ、伝達だと何もかも中途半端なままに出立の日を迎えて、いま、シロエは馬上の人である。

 〈八の運河のハイコースト〉へと向かうのは厳密に言えば寄り道なのだが、見送りも含めた大所帯はまるで行楽にでも行くかのように、和気藹々と進んでいた。
 たしかに背中を撫でる風は心地よい。
 仲間たちがかしましく雑談に興じるのもわかるというものだ。
「ふんふんふ〜ん。お空もぱっちり良い天気〜ライブ日よりだにょんにゃかにゃーん」
 あいかわらず自由気ままなてとらは、年少組の指導から離れたことで一層気が緩んだのか、直継の肩(おきにいりのばしょ)で鼻歌交じりに潮の香りを楽しんでいる。
「にゃーんは老師の専売特許だぞ。半分アイドル」
「また半分って言った!」
 苦笑するシロエのわきで、その漫才はもはや恒例だ。脇から引っ張るマリエールと、ニヤニヤ笑うてとら。困り顔の直継。そして応援する二匹……いやふたりの姉妹リトカにレリア。「なんてったってアイドルー♪」「半分だってアイドルー♪」と歌っている。
「どっちかって言うとジャングルジム系アイドルだろっ」
 耐えかねた直継がてとらを引き剥がして放り投げると、無重力のような動きでくるくると舞って馬車の上に着地する。
「なんだかんだでアイドルって認めてくれてるみたいだし……。直継さんやっさしいなあ……。パンツ見る?」
「断じてノー!」
 コケティッシュなポーズに怒り心頭の直継にかばわれて、マリエールは幸せそうだ。もう関わるのはやめようと、シロエは視線をそらした。

「お前らいつもこんななのか?」
「ええ、まあ」
「芸人みたいな一行だな」
 呆れたようなアイザックの言葉に、シロエはあははは、と愛想笑を返した。否定できない。
 まあ、そんな風には言いつつも、別段アイザックの言葉から侮蔑とか揶揄のように湿った感情は伝わってこない。どこまでも陽性な男なのだ。おそらくその発言も感心したとか呆れたとか、そんな意味であって、それ以上の目的など無いのだろう。

 ひゅおうと、上空を風が渡っていった。
 目に見えないそれを肌に感じると、まるでその流れの上を滑るかのように白い鳥が滑らかに滑空していく。風にのっているためか翼は固定され、高性能な紙飛行機のようだ。海鳥は青空の中を白が切り裂いて、その目指す先は紺碧だった。
 木々の隙間から海が見えたのだ。

 朽ち落ちたアスファルトの上を進む一行から、ため息とも歓声ともつかぬ声が上がった。
 この異世界に来てからもう一年以上が経つ。何か欲しいものがあれば、その素材を集めたり、取引に出かけなければならないこの中世的な世界において、アキバの〈冒険者〉の多くは、遠出こそしないものの周辺の地区へは日常的に出かけているはずだ。
 〈ハーフガイア・プロジェクト〉によって距離が二分の一になったこの異世界は、移動のための道路網が寸断されたとしても〈冒険者〉の足のまえに踏破不能ということはない。ましてやアキバから南方へ向かい、旧銀座を抜ければ海は目と鼻の先なのだ。だから大勢の〈冒険者〉はセルデシアの海を、少なくない回数見ている。
 しかし、それでも、何度目にしていても、途切れた廃墟の向こうに青い輝きを見つける度に、感嘆の声が出てしまうのだ。
 海というのはそれだけで、人の感動を誘う何かをもっているのかもしれない。

 鬱蒼とした木立に飲み込まれた廃墟群を左手に歩を進めると、やがてアスファルトは沿岸道路と合流し、本格的に海風が吹き付けてきた。神代の埋め立て工事で幾何学的な形状に造成された沿岸部は、それでも濃い紅色の花を持つ茂みに覆われていたが、その向こうに姿を表したのは、白鳥を思わせる女性的なシルエットの(この世界における)大型船舶〈ポダルゲー〉だった。
「アイザックくん、大きいですよ! 綺麗ですよ!」
「おうおめえ、そんな乗り出すなよ」
 侍女たちに上着の裾を引っ張られながらも、はしゃいで馬車から身を乗り出すイセルス公子は満面の笑みで、しきりに手をふっていた。
 アイザックは馬の歩調を合わせて、馬車から身を乗り出す公子を猫の子のようにつまみ上げると、子ども抱きにする。馬車の窓よりは視線が高くなったのだろう。公子は「ふわああ」と喜びの声を上げた。

「護衛というよりは、パパさんですね」
「抜かせ」
 にこやかなソウジロウの言葉に、アイザックはキレぎみの応えを返す。
 抱きかかえられたイセルスは「アイザックくんはそんな年齢(とし)じゃないですよ! だってまだお嫁さんもいないんですよ?」
と、おそらく、本人が弁護だと思っているらしいことを口にした。
 そんなことを言われて毒気が抜けてしまったのだろう。アイザックは「くそう」と呟いて、太い指で赤い髪を掻き混ぜた。

 巨大な海の獣が控えめに叫ぶような音が聞こえた。
 汽笛の音だ。
 岬の影から、ゆっくりと白い船が身を現す。
 〈白銀のポダルゲー〉だ。〈円卓会議〉が作り上げた〈火蜥蜴式内燃機関(サラマンダーエンジン)〉搭載の単査船舶。名目は調査用とか、試験型とか、色々ついているが、このセルデシア世界でも珍しい内燃機関搭載の動力艇であり、大陸へと向かう。
「姫様だ!」
 無駄に良い〈冒険者〉の視力を活かして、浅葱色の羽織をまとった少女が手を振った。
「やっぱ見えたなあ」
「おーおー。向こうも手を振ってるぜ」
 のんきにミチタカたちも声を出す。
 〈白銀のポダルゲー〉は、〈円卓会議〉代表となったレイネシアと、彼女をまもる〈D3−PG〉のメンバーを乗せて、ユーレッド大陸へと向かう。
 今日は彼女たち大陸調査団と、シロエたち親善使節団が同時に旅立つ日なのだ。見送りが大勢になるのも当然だった。
 豆粒というよりは米粒のようなサイズで、舷側のレイネシアが小さく手を振る。その姿はいつぞやの戦乙女衣装だ。隣にはいつも通り直立姿勢のメイドと、制服姿の高山三左。派手に旗を振っているのは、〈D3−PG〉の〈冒険者〉だろう。翻るそれには、剣とスパナが交差している。――この地に立つ意志を示した、〈円卓会議〉の紋章だ。
 別れはすでに済ませてもあるし、洋上とここでは声をかけて届くわけでもない。
 〈白銀のポダルゲー〉は白い波跡を残してゆっくりと回頭すると、東京湾を抜ける方向へと去っていった。
 いざとなれば〈鷲獅子〉(グリフォン)をもつメンバーも参加しているため、それほど心配しているわけではないが。しばらくはお別れである。

 大丈夫かな。準備足りてたかな。
 消費用のインクとか紙、もう少し作って渡せばよかったかな。弾薬ってちゃんと積んだっけ?
 本人心配症のつもりはまったくないのだが、そんなことをぼんやり考えていたシロエは、同じ馬の背中に乗っているアカツキに、後ろからポカリと叩かれて振り返った。
「どうしたの?」
「また心配している。そんなことではお腹が痛くなるぞ」
「うぐ」
 胃痛を言い当てられてしかめっ面になるシロエに気がついたのか、直継も近寄ってきた。
「大丈夫かよ、シロ。っていうか、やっぱ俺も行こうか?」
「心配するな。バカ継。だいたい順番だろう? 今回はわたしが主君をまもる」
「ちみっ子じゃなあ」
「なんだと」
 かしましいやり取りをにこやかに見守っているにゃん太。その背後にはセララ。みやれば、馬車の御者席にはミノリと五十鈴も見える。
 トウヤとルンデルハウスは、新しく購入した軍馬だ。
「今回の使節団、〈記録の地平線〉出張組はー! シロエさんとアカツキさん! そして年商組から男子二名トウヤとルンデルハウス! そして何を隠そう銀河が待ち受ける超新星アイドル、ぼくてとらだよぉ!」
「心配祭りだぜ」
「あるぇー!?」
 またひとしきり、ハムスターのようにぐるぐると直継にまとわりつくてとらは「感謝してほしいですよね! マリエさんとの時間をプレゼントするために引率を申し出るこのボクに!」とにやにやわらった。
 真っ赤になった直継とマリエールは口を揃えて「なにをいってるんだ!」と反論するが、理屈になってない言い訳を口にする様を、ヘンリエッタに「子供ですか」とたしなめられる。

「直継先輩。僕も行くから大丈夫ですよ」
 微笑みながら口添えしたのは〈西風の旅団〉のソウジロウだった。浅葱羽織の少女イサミと、ノースリーブローブの〈施療神官〉サンディもそれに付き従っている。
〈西風の旅団〉(にしかぜ)〈黒剣騎士団〉(うち)がいくんだから、戦力に不安はねーだろ」
投げやりな口調ながら断言するアイザックに、直継は「そうなんだけどな」と頷いた。
「アイザックさんはイセルス様の護衛でしょう」
「細かいことはいいんだよ」
 ヘンリエッタの釘刺しも、耳をほじって聞き流すアイザックだが、それも仕方ないだろう。親善使節団のメンバーは、〈自由都市同盟イースタル〉代表、イセルス公子。顧問キリヴァ侯。〈円卓会議〉代表、〈記録の地平線〉のシロエ、〈第八商店街〉のカラシンの四人を中心に、随行員や護衛を合わせて百名を超えるのだ。
 〈冒険者〉を中心に構成された百名の集団を襲うような武装勢力は、このヤマトには存在しないはずだ。たとえ〈典災〉の襲撃があっても切り抜けられると、もちろんアキバの事件があった直後だけに油断はしないが、それでもベストだと選抜されたメンバーであった。

 心配事は無論ある。
 準備不足ではないかと不安なのはいつものことだから横に置くとしても、くれぐれもソウジロウを頼むと念を押してきたナズナの懸念も気になるし、そもそも向かう先であるミナミやキョウの内部情報も安定はしていない。KRからの連絡も、どうも言葉を選んでいるのか曖昧だ。
 戦力としても、ミナミの事情を知る案内役としてもてとらが有能であることに疑問はないが、自由奔放な性格なので問題を起こしそうでもあるのも、心配といえば心配だ。
 心配といえば、その必要はないのかもしれないが、今回の親善使節団に立候補してきたルンデルハウスとトウヤの様子も気にかかる。
 ――できれば、残しておくミノリのそばに、双子であるトウヤにいてほしかったのだが、それを望むのはシロエの立場では傲慢でわがままなのではないか? そんなふうに考えている間に、旅立ちの日が来てしまったのも事実だ。

「ふんふんふーん食い倒れに出発ですよー!」
「主君、主君。わたしは干したアジが食べたい」
 だがそんなふうに悩んでいられたのも僅かな間のことだった。押し黙るシロエを見かねたのか、アカツキとてとらが、左右から耳を引っ張り始めたのだ。
 騒がしい一行だよ、とシロエは呆れながらも、内心で感謝する。
 ギルドハウスは離れるかもしれないけれど、シロエの帰る場所はここにちゃんとあるのだ。それを噛み締めながら、彼は振り返り後続に声をかけた。
「出発します!」
 〈自由都市同盟イースタル〉と〈円卓会議〉を代表し、西ヤマトとの関係を安定させるため、親善使節団は出発した。その旅立ちは彼らが挑む冒険の、新しい章の始まりだった。


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