挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp13 夜啼鳥(ナイチンゲール)の唄

116/128

116 夜啼鳥の唄

◆1.01



 遅い午後、あるいは早い夕刻。
 のんびりとした空気が町には流れ、青空をゆっくりと太陽がめぐるそんな時間のなか、〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)の応接間兼シロエの執務室には、このギルドの年長組が集合していた。とはいえ、部屋の主たるシロエを欠いたままなので、参加者は四名だ。
 曲がりなりにもギルドのイベント、そして主君の密命なので、アカツキはきっちり正座をして参加をしているのだが、残りのにゃん太、直継、てとらはリラックスした様子だった。定例の「年長会議」だし、シロエがいないために進む話題もない。毎週水曜日の恒例行事というわけである。

「直継しゃーん」
「なんだよそのしゃーんっての」
「ボクつまんない」
「じゃあどっかで遊んで来いってばよ」
 ざっくりとした部屋着を着て一人がけのソファにいる直継をよじ登っているのは、桃色の髪を揺らす半分少女のてとら。
 にゃん太は何かを思いついたように立ち上がると「すぐ戻りますにゃ」と出て行った。

「えー。今から行くと日が暮れちゃうよ。夜遊びー? 銀河に鳴り響く可愛いボクが襲われたらどうするのー? ファンの人が悲しむよー?」
「本当にいるのかよ、ファンとか?」
「いるよぉ! めっちゃいるよぉ! ライブはいつも立ち見だよぉ」
 〈記録の地平線〉のなかでも仲のよい二人はボコスカ叩いたり(一方的に)よじ登ったり(一方的だ)見ててせわしないが、和やかな雰囲気ですっかりと受け入れられている。
「座席のある会場ではなく路上だからだろ?」
「直継さんが冷たいっ!?」
 そんな会話に乗じて、アカツキも「しかもゲリラなのだな。ふふん」とにこやかに口を挟んでみた。これもコミュ力というものだろう。就職にも有利と聞く日本のローカルな資格である。
「アカツキさんのイケズっ。特殊な好みのファンがいるからって!」
「わたしにはそんなものはいない。いたとしても女子力の結果だ」
 自分でも会心だと思った合いの手を切り返されてアカツキはうろたえてしまう。だいたい、「特殊な好み」とはなんのことだ。少しばかり背は低いが、それがそんなに特殊なことなのか? とアカツキは頭に血が上る。妹に「お姉ちゃんはかわいい」「お姉ちゃんを抱っこするとほっこりする」などといわれていた黒い記憶が蘇るせいだ。
「アカツキさんまでっ。ボクの女子力が半分だっていうのっ!? ボクはいつでもフルスロットルだよっ。映画で言えば大絶賛続編だよっ」
 いくらなんでもあの年齢で女子力というのは無理がある映画にかこつけて、てとらがぽかぽかと叩いてきたので、アカツキも「主君の誇りにかけて負けられないのだ」とぽかぽかしておいた。
 うっすらとわかっているのだが、半分であってもてとらの女子力はアカツキよりも上なのだ。足はすべすべだし、なんだかいつもいい匂いがする。回復魔法も上手い。だからなおさらいじけたこと言えないのだった。

「お前たちなんだかんだで仲いいよな」
「そんなことないぴょん! ボクが仲いい一番は直継さんだぴょん!」
「うわ、うぜえぇ。くっつくなっ!」
 もじどおり、ぴょんと跳ねて二人の戦いをつついたバカ直継にひっついたてとらをアカツキは腕を組んで見つめた。ここはいったん停戦で見過ごしてやろうかという判断だ。
「ふっふーん。直継さん、マリエールさんに遠慮してるのぉ? ふっふっふっふ。『てと継3 ライフは今日もビューティフル』執筆しちゃおうかなあ」
「なんでお前、そう無駄に小器用なのっ!?」
 困っている直継をアカツキは微笑みながら見ている。なぜか周囲には無表情だとか、半眼だとかいわれるのだが、こういうのは幸せだ。
 シロエがいないのは残念だけど、こういうとき、アカツキはこの〈記録の地平線〉に居れてよかったなあ、と思う。あの〈大災害〉直後の宿屋暮らしから、にゃん太班長が増えて、後輩たちが入ってきて、騒がしいてとらが住み込んで、しかしいつでもここは居心地のよい場所だ。
 古代樹に貫かれたフローリングの床は落ち着く雰囲気で、緑の香りがするここはいつでもしっとりとした優しさに満ちている。
 誰かの居場所を作ることで、やっと自分の居場所を手に入れられるのだと、かつてシロエは言った。アカツキはシロエに居場所を作ってもらい、ここにいる。だからシロエとシロエの居場所を守りたいのだ。シロエと互酬の輪を結ぶために。

「ちみっ子。シロは、今日はどうしたんだって?」
「ちみっ子ではない。――主君は〈円卓会議〉の事務協議会だ。夕飯までかかってしまうのではないかな」
 アカツキは答えた。本当はアカツキも同行を申し出たのだが、今日のところは訓練と買い物、そして年長会議を優先して欲しいという話だ。珍しいことではなく、シロエは週に三日はアカツキを休ませようとしてくる。シロエ自身は週に三時間くらいしか私的時間をとってないように思えるので、大変に不公平だと思うのだが、シロエを諭しきれたことなどない。
「シロエさんも大変だねい。ボクもお手伝い頑張ってるのになあ」
 てとらのため息混じりの言葉は、ギルドメンバー全員の声でもあった。
「お前手伝いなんて出来るのかよ?」
「新しい枕カバーの差し入れとか?」
「意味わからねえ」
「天才っ天才っ。フェロモーン♪ フェロモーン♪」
「はしたない。えいっ」
 あまりにも品のないお尻をふるダンスに、アカツキは膝蹴りを放った。てとらは「もう怒ったぞう!」と踵を浮かせるが、その瞳は笑ってる。だからアカツキも微笑みながら「フェロモンの出を確かめたのだ」と言い返す。そんなふうにじゃれあう午後は、どんな宝物よりも尊く思えるのだった。

「まあまあ。皆さん落ち着いて。ジャスミンティーなどいかがですかにゃ。今日手に入れたばかりなのですにゃ」
「飲む飲むにゃん太さん!」
 そこに戻ってきたのは小さなバール風エプロンをつけたにゃん太だった。
 銀のトレイの上には彼自慢の白い陶製の茶器が乗っている。優雅な手つきで金琥珀の液体を注いでくれれば、華やかで澄んだ香りが広がった。
 アカツキは自分の湯のみにも注いでもらって大きく微笑む。
 ほうじ茶が好みだが、にゃん太の淹れてくれるものはなんでも美味しい。
「おおお。羊羹ではないか」
「ええ、お茶うけですにゃ」
 その上お菓子はアカツキの大好きな羊羹だった。なお、購入したのはアキバでも名高い甘味処〈Shopタイガー〉である。

「ちゃんとした年長さん会議もいいけどー。たまにはこういう御茶会もいいねー。ボクこのお茶好きだよ」
「トウヤたちもいればよかったのにな。どうせ話す内容なんて無いんだからさ」
「いいのいいの。直継さんたちと親交を深めるぞー! おー!」
 エプロンを後ろ手に外したにゃん太は優雅な仕草であいたソファーに腰を下ろす。
「ミノリさんたちは、近頃何か忙しくしているようですにゃあ」
「ボクらも親交を深めようよ!」
「そうですにゃ。てとらち」
 みんなが集まってからもう一年が経った。思い返せば長いような、短いような。不思議な時間だ。いろいろ学んで、変わったとアカツキは思う。以前はわからなかった周囲の優しさがわかるようになった。この場にはいないが、リーゼやナズナ、高山三佐、マリエールにヘンリエッタ、多々良にエリッサ。みんなのおかげだ。もちろん、一緒に教えを受ける同輩の(アカツキの中では同輩なのだ)レイネシアのことも忘れる訳にはいかない。
「親交……。女子力の出番か?」
 にやりと笑ってアカツキは不敵に言い放った。
 学んだ結果を古強者てとらに見せつけるのだ。
「いいね。いいね。ガールズトークだねっ。得意分野だよっ」
「……得意分野ですかにゃ」
「もっちろん。銀河に鳴り響く上級アイドルのボクにかかればガールズトークの奥義が超新星爆発だよ! って言う、軽口はー。横においておいてー」
 小荷物を横に置くジェスチャーにアカツキは警戒を強める。
 この表情のてとらは何かを企んでいるのだ。あたかも話題が女子力からそれたような口ぶりだが、煌めくその瞳を見ればそれが誤解だということがわかる。てとらはこちらの隙をねらっている狩人だ。〈暗殺者〉(アサシン)の勘がそれを告げている。
「お、おう。どうした。いつになく人の悪い顔だな」
「そろそろ聞かせて欲しいんだよ、直継さん」
「なにをさ」
 身構えるアカツキ。
「カナミさんって、ずばりシロエさんの彼女だったの?」
「うわー。そこ聞くか」
「……ですにゃあ」
 しかし、その精神的防御姿勢をやすやすと超えるような攻撃をてとらは放ってきた。ニヤニヤと笑うその表情を見れば、攻撃のターゲットがアカツキであることは明白だった。
「べっつに、ぼくが興味あるわけじゃないよ? アカツキさんの代わりに聞いただけだからね?」
 それを裏付けるような証言がてとらからもたらされ、アカツキは「し、し、失礼なことを言うな。わたしはそんな下世話な興味など」と抗弁する。してはみるのだが、自分でも声が上ずるのがわかってしまった。不覚だ。
「ボクはありまぁす! 好奇心あります。狼は知的だからね!」
 アカツキは正面からの抵抗を諦めて、視線を伏せた。
 気にならないといえば、嘘になるだろう。
 いくら女子力が低い、気が利かない、コミュニケーションに問題が有る、と言われていても、〈呼び声の塔〉の大規模戦闘と、その締めくくりにあったあの長距離通信の空気が、タダ事ではないのは、察していた。
 主君シロエとカナミという女性が過去ただならぬ関係であったのは、鈍いと自認するアカツキから見てさえ、明白である。
 確かに知りたい。
 しかし同時に、その関係がもう終わってしまっていて、アカツキはおろか、シロエにもそのカナミという女性にも手を出せない過去へと飛び去ってしまったのも、わかるのだ。
 だから尋ねていいことではないだろうと、アカツキは口をつぐんでいたのである。

 しかし、てとらのどこまでも軽い口調の疑問は奇妙な沈黙で出迎えられた。普段であれば、明るくもきっぱりした直継の注意か、にゃん太の穏やかな指摘で打ち切られるはずの話題なのだが、その二人は柔らかく温かい溜息のような静けさの中で視線を交わすと、まるで何かを待つようにジャスミンティーを口にしたのだ。
「……」
「……」
 何かを察したてとらもそれ以上場をかき回すことなく静かにしていたため、しばらくの静寂が訪れた。それを横目に見た直継は、カップをテーブルに戻して話し始める。
「……あー。まあ、なんだ。そろそろいいと思うので、少しだけ話すけれど、無いと思うぞ。っていうか、はっきり無い。カナミさんがシロと付き合ってたとか、全然ない。そもそも二人が付き合ってたらシロの胃がもたない。命がもたない可能性すらある」
「そぅなのー? なんか、あの時、随分じゃなかった?」
 随分だったと思う。
 シロエの声は穏やかで、何かを懐かしんでいるようだったと思う。
「あの二人は、そういう関係ではなかったですにゃ。とても仲の良い二人でしたけれど。お姉さんと弟みたいなものですにゃ」
「言ってやるなよ班長。可哀そうで聞いてられねえ」
「では、親カルガモと子カルガモみたいにゃ」
「あってるけど! 間違ってないけど!」
「えー。じゃあ、シロエさん舎弟だったの?」
 なんだか激しい遣り取りをする直継とにゃん太の会話は要領を得なかったが、アカツキはなんとなく、わかっていた。
「……でも、まあ、シロは。……シロは少し、カナミさんのこと、好きだったかもなあ」
 直継は本当に優しそうに小さく笑うと、そう言った。
 アカツキはそんな仲間の口調に驚いて、思ったより自分の心に棘が刺さらなかったことに、もう一度びっくりした。
「お。おお!? そういうことが聞きたかったんですよぅ。そういうのがアイドルの創作力に関わってくるんですよ、わかりますか直継さんっ。フェロモンアップですよっ」
「お前の変なアピールはわからないけど、別にそんなの特別なことじゃねえだろ?」
 特別なことじゃないということは、普通なのかな、と。アカツキは小首を傾げた。それはだれにでも起きる普通のことのような気もするし、あるいは誰にも話せない特別なことであるような気もする。
「いえいえ、特別ですよ。ヤングシロエさん真夏の初恋ですよ」
「シロエちはいまでも十分ヤングだと思いますにゃあ」

 みんなを見渡せばよくあることなのかもしれないけれど、その時シロエにとっては特別だったのかもしれないし、そもそも特別と普通の境目がなんなのか、アカツキにはわからない。
 シロエの特別、そう考えると、胸の奥がざわめくような、チリチリするような痛みが確かにある。その頼りないような不安定なような感触は、アカツキを弱くしてしまいそうだ。
 でも、アカツキにとってシロエは特別だ。
 それだけは確実なのだ。
 主君はわたしの特別なのだぞ! と、心のなかで唱えればちりちりとした痛みは、水をかけられた炭火のように弱まった。消えたわけではないが、抱えていられる程度に穏やかになるようだ。シロエがアカツキにとって特別だというその事実こそ、アカツキにとっては特別に大事な事実であって、その前には胸の奥の疼きは重要度で劣ると言わざるをえない。

「ずいぶん落ち着いてますね。アカツキさん」
「……主君は主君だから、大丈夫だ」
「ふーん。ほーう。へー。はむーん」
 てとらはなおもからかうような表情をしていたが、アカツキはしっかりと頷いた。
「主君は〈記録の地平線〉に居ると、言っていたではないか」
 言葉にすればそんな形をとってこぼれる想い。
 シロエは〈記録の地平線〉に居るし、これからもそうだと言ってくれた。
 うまく言葉にはならないけれど、シロエにとってカナミたちや〈放蕩者の茶会〉ディボーチェリ・ティーパーティーが本物で、アカツキたちや〈記録の地平線〉が偽物だというわけではないのだ。
 過去をとり戻すために、いっときの代用品として〈記録の地平線〉を作ったわけではない。アカツキはアカツキとして、シロエの隣に立っていてもいいのだ。――そんなふうに思えば、胸の奥の炭火は、遠くの風の音のように小さくなった。

「まあ、そういうこと。終わったことだよ。……だから少しだけ話しても、いいかなって思ったわけだ。俺的にはさ。シロもそろそろ次のステージで輝け祭りだぜ」
「……直継さんは、優しいなあ」
「うっせ。シロはー、たまーに蹴っ飛ばさないと先へ進まなくなるんよ。ポンコツだから」
「ふっふーん。うんうん、わかるわかる。麗しい友情が。ボク一流アイドルだからねっ」
 不意に慈しむような表情を見せたてとらが直継の髪をなでて、緊張感のあった空気はぱっといつもどおりに戻った。

「――シロエちは昔から賢くて優しい子でしたにゃあ。寂しい気持ちも持っていたけれど、だから余計に優しくなるような、そんな子でしたにゃ。〈放蕩者の茶会〉はとても暖かくて、心地よい縁側だったから、シロエちものびのびとやっていましたにゃ」
 その話はシロエの過去の気持ちの話というよりも、もうただの懐かしい昔話のようだった。アカツキは茶をひとくちすすり、興味深く尋ねる。
「直継やにゃん太老師も、ともに戦っていたのだろう?」
「……カズ彦さんも、へんなアイマスクジャージも、そうだったの?」
「ええ、そうですにゃ。大事な仲間ですにゃ」
 大きくうなずいたにゃん太の声も穏やかで、ほんとうに大事にしていたことが伝わってくる。
「主君の大規模戦闘(レイド)グループだ。間違いのない集団だったのだろう」
「……そうですにゃあ。そうだったら、我輩も嬉しいですにゃあ。みんな、素敵な仲間でしたからにゃ」
 そういって、にゃん太は全員のカップにもう一度香り高い金琥珀のジャスミンティーを注いでくれる。
 ゆっくりと流れていく午後の時間の中で、アカツキははやくシロエが帰ってこないかな、と待ち焦がれていた。もちろんシロエはアカツキにとっての特別だが、シロエの大きなマントの影に隠れれば、その確信を一層強められるだろう。自分の確信は間違いではないと確認できるのは、とても幸せなことなのだ。アカツキはそのことを、よくわかっているのだから。



◆1.02



「了解しました!」
 書類を抱えたミノリはペコリと頭を下げると足音も軽く踵を返した。
 人も増えてすっかり賑やかになったギルド会館の廊下を、ミノリは足早に歩いて行く。浮き立つ気持ちが歩調にも現れているのだ。
 ノースリーブのワンピースにボレロのジャケット。太いタイには〈円卓会議〉の紋章(クレスト)が入っている。組織改編をした〈円卓会議〉には〈大地人〉や新人〈冒険者〉を含めて多くのスタッフが雇用されて、ミノリはその枠に滑り込んだのだった。地球世界では児童福祉法違反の中学生労働者なのだが、セルデシア世界にそんな規制はない。十歳をすぎれば〈大地人〉の子供が働くのは当たり前だし、修行代わりに家業の手伝いという見方もできなくはない。
 ケープやマント、肩布に同じ紋章をいれた〈円卓会議〉スタッフが行き交う廊下を抜けて、ミノリは進んでいく。最近はできる作業も増えてきて充実しているのだ。
「おっと、ミノリちゃん。お使い?」
「はい。カラシンさん。アサクサ方面から」
 かかとでくるりとターンをして、掛けられた声に反応する。
 嬉しそうに目を細めたカラシンは「なんだかぐんぐん可愛くなるなあ」などとつぶやいていたが、ミノリは話半分どころか話六パーセントで受け取る。〈冒険者〉の容姿が変わらないというのはアキバの常識だからだ。
「そんなことありません」
 それでも嬉しくないわけではないので笑顔で返事をして、パタパタと離れた。カラシンは〈第八商店街〉のギルドマスターでありながら、商人の互助会〈第八通商網〉の会頭となり、いまやイースタルの流通の中央に食い込んだ、気鋭の大商人である。「シロエ殿によーろしくねー。ああ、もう、スカウトしそこねだよ」なんて軽口は、社交辞令のたぐいなのだろう。

 都市計画課。
 そっけない金属プレートの奥の部屋は、見慣れた様子だった。
 中央にダイニングよりも大きなテーブル。壁際に半ダースほどの作業机。そして窓を背にした執務机の奥には、ミノリの敬愛する眼鏡の青年が、ペンを額に当てて、うんうんと唸っていた。
 新生〈円卓会議〉は組織を大改変し、今までボランティアだよりでやっていた仕事を丁寧に整理して、それぞれの職務を事業別に切り分けた。アキバ運営の仕事の多くは現場作業中心なのだが、それでも事務処理が必要な物も多い。地球世界のお役所のように書類至上主義ではなく、予算も事業部ごとのかなりなどんぶり勘定なのだが、それでも最低限の記録と体裁というものはあるわけであり、つまりそれが何を引き起こしたかというと、ギルドに引きこもっていた〈記録の地平線〉のギルドマスターは、その執務スペースごとパンクしてしまったのである。
 にゃん太班長の短くもありがたいお説教の後、露骨に肩を落としたシロエはとぼとぼと〈円卓会議〉に向かい、作業用の部屋をひとつせしめることに成功したそうだ。シロエは「都市計画課」という名前をひねり出し、あふれた書類や手紙と共にこの部屋での籠城を決意する。もうすでに一ヶ月ほど前の話だ。
 援軍のない籠城は古来失敗するものと決まってますのにゃ。
 いつでも頼りになる班長のアドバイスを胸にいだいたミノリは、その援軍となるべくシロエのお仕事を手伝っているのであった。
「シロエさん。アサクサ方面の開拓村からの聞き取り調査資料と、道路状況の調査書、できてきましたよ」
「……うん」
 返事をして手元の紙束への書き込みに没頭するシロエに、ミノリは微笑んだ。書類は木製の大きなバインダーに挟んで、そのままキリンの魔法鞄を探る。瓶詰めの果実水をグラスに入れて、シロエの執務机の邪魔にならないところに置いた。
 シロエは集中すると表情が疎かになるせいか、一見ぼんやりしているように見える。しかしそれこそが、非凡な頭脳が猛然と働いている証拠なので、それさえわかれば凛々しいと思うのだ。こんなに格好いいシロエのことを他のギルドの人は知らないので、残念だなあ、と思う。
 返事がいい加減なのも、いまは「お出かけ中」だと思えば気にならない。
 にこにこしながら待っていると、シロエがふと顔を上げて、気がついたかのようにこちらを見た。
「あれ、ミノリ? 帰ってたんだ。わっ。飲み物あるし、ゴメン。気づかなかった」
 頭を掻くシロエに「戻りました。シロエさん。待っていた調査資料、できてますよ」ともう一度声をかける。二度同じ挨拶ができて、むしろ得だと思う。
「あー。こっちも行かないと。仕事、多いな」
「大変ですか?」
「雑用係だからね」
 最近定番になった返事をシロエは返してくれた。
 都市計画とは、都市の将来あるべき姿を想定して、その姿を実現するために、現在の都市を整備したり、誘導する計画を立てることだ。都市計画課は将来のアキバをいまより良くするために、今のうちからいろんなことを準備よくやろうという目的の部署である。
 が、それを建前にして、あらゆる部署の厄介事や、未来的な難事業の青写真作成業務が回ってくる、特殊部隊のような部署になってしまっている。……やることがたくさんあるのはミノリ個人として嬉しいのだが、シロエが過労で倒れてしまわないかと心配だ。

「休憩、しよっか」
「休憩しちゃいましょう!」
 ミノリは自分の椅子をシロエの執務机の前まで引きずってくると、ちょこんと腰を下ろして、自分の飲み物も並べた。キリッとした表情で準備完了を伝えると、苦笑したシロエとなぜか乾杯をした。
「商会の許認可と、開拓村の登録制度、環状線の復旧計画はだいたい良い感じですか?」
「軌道に乗ったと思うよ」
「じゃあいまのお悩みは何ですか?」
 休憩といったのに、仕事の話をしてしまうのは非常に色気がないと思うけれど、自分たちのギルドハウス(いえ)ではなくて、ここはギルド会館なのでそこまで気を抜くわけにも行かず、ミノリはそんな話題を選んだ。あわよくば、シロエのいま取り掛かっている仕事を教えてもらい、手伝いをしたいという気持ちもある。
「今の悩みっていうか、全部が悩みっていうか……。アキバの中期的課題は、三つあるんだよね」
「三つ」
 シロエはミノリにうなずいた。
「まずは、〈神聖皇国ウェストランデ〉との関係だね。これは差し迫ってるし解決もしなきゃいけない問題なんだけど……」
 首を傾げて話の続きを待つミノリの前でシロエは溜息をつくと「難しいね」とつぶやいた。
「相手がいることだからこちらのペースで動く訳にはいかない。〈神聖皇国ウェストランデ〉どころか〈Plant hwyaden〉も内部で割れているみたいだから、迂闊に手を出せば火傷じゃすまない。KR(けいあーる)から情報は流れてきてるけれど、めちゃくちゃだよ。何考えてるのかさっぱりだ。――そんなわけでこれに関しては相手の相手の返事を待ちながらになるね。こっちの防御を固めるのも急ぎなんだけど」
 ミノリは細かい部分でわかっていなかったのだが、とりあえずは黙ってメモを取ってみていた。わからない部分は後で整理して質問すればいい。「説得する案、考えないと」とつぶやいたシロエはしばらく悩んでいたが、やがて次の話題に頭を切り替えたようだった。
「次は、月との通信だ」
「はい」
「月には何らかの存在がいて、通信できればアドバイスが貰えるらしい。それがロエ2(ろえつー)からの伝言で、のびのびになっちゃってるけれどなんとか実現したい」
「でも巨大アンテナを作るのは沢山お金がかかるんですよね?」
「うん、かかる。でも、以前の〈円卓会議〉ならともかく、十万人規模の開拓民を抱えた新しい〈円卓会議〉なら時間はかかるけれど不可能じゃない」
「あ、そっか。大きくなったから」
 ミノリは明るくうなずいた。
 実際先ほど持ってきた資料も、アキバの影響力を求めて、アサクサとキタセンジュ間に次々とできる開拓村についてのものだったのだ。いまやアキバ近郊は空前絶後の開発ブームであり、次々とモンスターの拠点が駆除されて、沼地や平原が耕作地として生まれ変わりつつある。一部のギルドが私的にやっていた〈大地人〉への農業援助が、そのノウハウごと拡散しはじめたのだ。
 当然新しい商機を感じた商人たちの流入もあり、アキバの街は、いままでの発明とグルメの街という賑わいとは別の、流通拠点としての発展も見せ始めていた。
 もっともシロエは「その時間が一番の問題だ。間に合うのかな」と眉根を寄せている。励ます言葉が見つからなくて、ミノリの胸は僅かに傷んだ。
「――最後に、まあ〈典災〉だよね」
「そうですね……」
 ミノリも難しい顔になってしまう。
 〈呼び声の砦〉で戦ったタリクタンは本当に強かった。ミノリたち低レベル組が足を引っ張ったのに勝てたのは、ひとえにシロエの指揮と、ベテラン勢の我が身を省みない奮闘のおかげだろう。
 もちろんあの戦いに参加できたのはミノリたちにとって大きな経験となったし胸を張る気持ちはあるけれど、それとは別に、もっともっと強くならなければいけないと思ったのも事実だ。特に男子組(トウヤたち)はそれが顕著で、採集キャンプのたびに修行修行と騒いで(うるさ)いくらいである。
「あんなに大型の〈典災〉ばかりじゃないとは思うけれど、報告によればもっと様々な特性を持った個体も観測されている。〈結婚の典災カマイサル〉も〈度量の典災バグリス〉も、一歩間違えたらアキバは壊滅していたに違いないよね。警戒と、それから探索は必要だ」
 シロエは腕を組んで唸った。
 ミノリも、ちょっと遅れて、腕を組んで同じ表情をしてみる。
 真似をするのは大事なのだ。シロエと同じポーズを取ってみれば、シロエと同じような知恵が得られるかもしれない。
 この世界は怖くて厳しくて、わからないことだらけだ。何をすればいいのか? 何をしてはいけないのか? 真っ暗闇の中に裸足で放り出されて、冷たい大地の上を怯えながら歩いているような気がする。
 そんな世界で過ごすミノリが見つけたたったひとつの杖が「シロエだったらどうするだろう?」という考えだ。シロエだったらこの戦いをどう導くか? シロエだったらこんな状況でどう応えるか? シロエだったらどんな顔で笑うか? シロエの真似をすることは、ミノリにとって重要な行動指針なのである。
 それに――。
(それに、こうして真似をしてたら、シロエさんと同じような景色を、シロエさんの隣で、いつか見られるかなあ)
 そんな淡い望みもある。

 シロエにそっくりな年上の女性、ロエ2のことも思い出した。ロエ2はシロエの関係者だというのを聞いて、よく似た雰囲気にも納得がいったものだ。
 考えて見れば、あのサフィールの戦いはとても不自然だった。街の人に聞いても、ルンデルハウスに尋ねても、〈鋼尾飛竜〉(ワイヴァーン)があんなに群れて街に襲いかかってくるなんて、聞いたことがないと言っていた。もしかしたらあの戦いの背後にも、陰謀を企む〈典災〉が潜んでいたのかもしれない。
 それに思い至ったならば、自然と決意が胸に湧いてきた。
「シロエさん。わたし、もっと勉強しますから!」
 小さく拳を握って宣言をする。またあんな気持ちを味わうのはごめんだ。五十鈴だってセララだって泣きそうな表情だった。ミノリは仲間を守らなくてはいけないのだ。
 ロエ2で思い出したが、新しい相談事もある。
 トウヤたちにも頼まれていたのだ。話題の流れ上、ここで時間をとってもらうべきだろうか?
「それで、あの――」
 コンコン。
 ノックの音に続いて入ってきた蜂蜜色の髪の女性、ヘンリエッタが「シロエ様、そろそろお時間です」と告げたことにより、ミノリの思惑は中断されることになった。
 少しだけ困ったが、ミノリは笑顔を繕った。
 先ほどの話だけではなく、シロエは難題を沢山抱えているのだ。ミノリたちのささやかな――ささやかではないかもしれないけれど、差し迫っているわけでもない問題で時間をとってもらうのは、やはり少し躊躇いが有る。
「ミノリ。今日の会議はもう少しかかる。にゃん太班長に夕食はごめんなさい、って伝えてもらえるかな? ミノリは……」
「はい。わたしは五十鈴さんと合流して、買い物をしてから夕食までには戻りますね」
 安心してもらいたいと、そんな気持ちでミノリは拳をキュッと握る。
 うん、よろしく。そんなふうに言いながら部屋を出て行くシロエの笑顔はとても優しくて、ミノリは胸が暖かくなるのだった。
 ミノリの先生は、やはり聡明で優しくて、追いかけるに足るひとだ。
 いつまでも追いかけていたいな。
 甘くて苦いその感情を、ミノリは大事に抱きかかえて手荷物の整理をするのだった。




◆1.03



「本日のスープはキャベツとアスパラガス。それから〈草原駆け鳥〉(グラスチキン)のサンドウィッチですよー」
「うまそうだな、おい」
「うちのギルドの腕利きやしね!」
 賑やかな会議テーブルに、〈三日月同盟〉の子どもたちが料理を並べてゆく。色とりどりのクラブハウスサンドイッチは定番のベーコン、レタス、トマト。ぴりっとしたカレー風味の野菜スープに、ヨーグルトサラダ、腸詰めのハーブ炒め。それから小さくて四角いキューブ状のデザート。
「いえいえ。出前をするのは、留守番組の大事な任務ですからね」
「いやー。最近〈円卓会議〉がわたしの生命線ですからね!」
 見かけの割には健啖家のロデリックがここぞとばかりに取り皿にわけまえを確保する。健啖家ではあるものの研究生活に没頭するタイプの彼は、会議のたびに供される料理に依存しているようなのだ。
「ロデリックはほんまお嫁さんもらったほうがええんちゃう?」
「それをしたら研究時間削られてしまいますから!」

 新生〈円卓会議〉が始動して一ヶ月。
 ありとあらゆることが変わったが、それは六傾姫の部屋における大会議も例外ではなかった。
 参加する顔ぶれが変わったというのはもちろん大きいが、時間によっては会議中に飲食物が提供されるようになったことも無視できない変化である。組織改編に必要な長時間会議を連日のように行っていた最初期、にゃん太が突然「お腹が減っているからイライラするのですにゃ」と宣言し、有無を言わせず参加者に食事をさせたことから、始まった習慣だ。
「シロ坊もたっくさんたべなあかんで」
「大丈夫ですよ。マリエールさん」
 世話焼きな笑顔を見せるマリエールに苦笑に近い笑顔をみせて、シロエは大きなマグカップのスープを口にする。
 そのマリエールの隣にはヘンリエッタ。今では副官や護衛役も、場合によっては椅子を増やして円卓に着席することがある。様々なことが変わったのだ。

(そういえば――)
 思い起こすと、にゃん太班長も直継も、時によってはミノリも、なぜか僕に物をたべさせようとするよな。――シロエはそんなふうに連想した。
 指折り数えてみると、ミチタカやリーゼ、それにもちろんマリエールやヘンリエッタにもその種の気遣いを受けた記憶がある。まさかとは思うが、度々アンパンを差し入れしてくれるのをカウントに含めれば、アカツキもそうかもしれない。
 よほど頼りなく見えるのかな? と、情けないことに気がついてしまい、シロエはひっそりと肩を落とした。とてもではないがギルドマスターであると胸を張れるありさまではない。
「まだまだ沢山ありますからね」
 だが、そんな声にこくこくと頷く菫星(きんじょう)を見て、別の視点での考えも湧いてくる。シロエ自身はそういう心配をしてこなかっただろうか? という点だ。
 ミノリやトウヤ、五十鈴にルンデルハウス、よく夕食も一緒にするセララ。アカツキ。てとら、直継。にゃん太。――マリエールやヘンリエッタもそうだ。親しくなった人々が、ちゃんと食事をとっているか? 温かい布団でゆっくりと眠っているだろうか? 憂いのない日々を過ごせているだろうか?
 心配、というほどそれは不安に満ちた感情ではないけれど、ふとした時にそんな風に相手を思いやる気持ちが、シロエの中にも、確かにあるように思える。
 だとすれば、シロエに向けられたそれも、情けなく手間がかかるという失望ではなく、慕わしい人に対する普遍的な気遣いなのかもしれない。
(そう考えるとにゃん太班長は本当にスゴイよなあ……)
 歳上の友人の懐の深さにシロエは感嘆を禁じ得ない。〈大災害〉の最初期から、にゃん太は食事を通して、シロエたちに一番大切なことを教え続けてきてくれたように思えるのだ。

 〈円卓会議〉の大会議に出席する正規メンバーは定数の枠を取り払った。
 議長レイネシア=エルアルテ=コーウェン。助言役に〈D3−PG〉(プリンセスガード)の高山三佐か侍女長のエリッサを伴うことが多い。
 広域ギルド連合となった〈D3〉からは〈D3−hub〉(ハブ)のリーゼもしくは櫛八玉。戦闘ギルドを脱却し生産部門まで備えたこの連合は、アキバ周辺へも勢力が拡大しつつある。
 いくつかの〈大地人〉商会を傘下におさめた〈第八通商網〉も躍進が目覚ましい。カラシンは軽薄そうな態度ながら、鋭い視線でいつも参加している。
 生産系といえば〈海洋機構〉ミチタカと〈ロデリック商会〉ロデリックも見過ごす訳にはいかない。このふたつのギルドは、ギルドそのものは以前と同じ名前を使用しているものの、内部構造は少しずつ変わり規模も拡大しているようだ。
 戦闘系に目を転じると、まずは〈黒剣騎士団〉がある。アイザックは旧〈円卓会議〉崩壊から始まった一連の騒動において、「マイハマ公爵領イセルス公子の後見役を務める」と宣言した。その影響もあってか、〈黒剣騎士団〉にはマイハマ領出身の文官が参加し、ギルド内の物資購入や運営の手伝いをしているようだ。
 時にイセルスすら伴い〈円卓会議〉に参加するアイザックは、その発言から〈冒険者〉の利益だけではなく、地域のバランサーとしての立場を模索しつつあるように見える。
 相変わらずなのがハーレム集団〈西風の旅団〉を率いるソウジロウだった。巻き込まれるのを警戒した(決して戦闘に巻き込まれるのを嫌がったわけではない)シロエは微妙に距離をとっているのだが、どうも独自の付き合いの中で、ミナミの陰謀や〈典災〉との戦いを経験したようだ。そのせいか、どこがとは言わないが、ソウジロウは強く、少しだけ優しくなったように思う。
 戦闘系ギルドの新顔として大会議に出席するようになったのは〈シルバーソード〉のウィリアム=マサチューセッツだった。〈奈落の参道〉事件を経てシロエとのやり取りを開始した〈シルバーソード〉は、エッゾの孤立を見かねて新生〈円卓会議〉への助力を決意したらしい。
 〈都市間移動門〉(トランスポートゲート)の再開で、ぐっと近くなったアキバとススキノ間の関係は、今現在アキバの最も明るいニュースである。新しい経済圏と市場は商人たちにとってカンフル剤だったのだ。
 見かけの割りに純朴なこの青年は、いまも〈三日月同盟〉心尽くしの料理を生真面目な表情でよく噛みしめて食べている。
 傍らにある参謀プロメシュースによれば「アキバからの商人や派遣文官でエッゾも落ち着いたしお得なクエストだったね」ということらしい。
 〈RADIOマーケット〉と〈三日月同盟〉はもはや零細ギルドではない。アキバのなかで確固たる地位を築いた中堅ギルドの代表として、茜屋=一文字の介とマリエールは参加者の意見調整に腐心している。マリエールのお目付け役であるヘンリエッタは〈円卓会議〉の運営に欠かせない人材として、大会議に参加することもしばしばだ。
 〈円卓会議〉を離脱した〈グランデール〉はこの会議に参加することこそ無いが、アキバでの活動は継続中でありしばしばギルド会館へは通っているようだ。
 ダメ元で参加要請はしたものの意外なまでの素直さで受諾を決意してくれたのが〈供贄一族〉の若長、菫星(きんじょう)だった。無表情ながらも存外に付き合いの良いこの青年は、いまではロデリックや茜屋とも私的な交流があるらしい。ヤマト全域への奉仕をその使命とする〈供贄一族〉が新生〈円卓会議〉に参加してくれたことは、〈アキバ統治府〉の撤退という形で斎宮家の推薦を失った〈円卓会議〉にとって、大きな援護射撃となった。〈自由都市同盟イースタル〉の領主たちにとっては、あるいは斎宮家よりも権威ある後ろ盾に見えているかもしれない。
 〈供贄一族〉ではないものの〈ミラルレイクの大賢者〉であるリ=ガンも相談役という立場で大会議に参加している。その立場上〈自由都市同盟イースタル〉にだけ助力するのはまずいということで、相談役という肩書にとどまったのだが、シロエから見れば生来のワーカーホリック的性格のせいで、すっかり専属賢者になっているようにしか見えない。
 もちろん、そのことをリ=ガンに正面から言うのならば、シロエのほうが仕事中毒だと言い返されるのは明らかであったに違いないのだが。

 総じて大会議は賑やかになった。
 欠席者がいても十人から、多ければ二十人ほどが円卓を囲む。
 誰もがその状況を歓迎していた。 
 思えば〈円卓の十一人〉ラウンド・デクリメントなんていう言い方も良くなかったのだろう。「一つ少ない(デクリメント)」なんて名前は、いかにも不完全であるかのような、いま参加しているメンバーでは足りないような、そんな不安を抱かせる名付けではないか。
 シロエが十二人を選んだのは別に大きな理由はなくて、説得できそうなのがその十二人だけだっただけだ。その動機の中に伝説を真似してみたら格好良いかもしれないという子供じみた気持ちがあったこともいまとなっては否定しがたい。
 そんな格好つけが、追い詰めてしまった人もいたのではないか? 大会議を閉鎖的にして、後から参加しようと言う気概を拒んでしまったのではないか? 旧〈円卓会議〉だって、途中から門戸を開けばよかったのに、誰もそれを考えつきもしなかったのは、〈円卓の十一人〉という名前が、無言の拒否表明になってしまっていたからではないのか?
 シロエはそんなふうに思うのだ。

「さぁて本日の議題だが!」
 片手に構えたフォークに特大の腸詰めを突き刺したミチタカが切り出す。
 会議の流れは大体決まっていて、まずは前回の会議で決まったことを振り返り、割り当てられた、あるいは進行中の案件の報告を、担当者が報告する。報告には質疑応答があり、場合によっては他の部門への連絡や応援要請、追加の判断があることもあるが、この辺りは流れ作業だ。
 報告が終われば軽食が出てちょっとした休憩。
 そのあとにこうして「本日の議題」へと移るというのが、誰から言い出したわけでもなく定番となった新生〈円卓会議〉の会議風景である。
「無い解散!」
「ちょっとまってぇなあ!?」
 面倒くさそうに耳をほじりながら解散を宣言したアイザックに、困り眉のマリエールが即座に応えた。もちろんアイザックは本気で不機嫌ではないし、即座に否定されるのもいつものこと、つまりはお約束である。
「西倉庫の着手についてなんですが……」
 サンドイッチを飲み込んだロデリックの提議に、参加者は口々に勝手な……本当に無軌道な返事をしていく。「それなんだ?」というアイザックの脳筋返事はともかく(西倉庫については事前配布した会議資料に記載されている)、「金が欲しくばくれてやろう、うぁーははは」と変な方向に弾けたカラシンのコメントも答えづらいし、それに輪をかけて「西倉庫ではなく、西南西倉庫と呼ぶべきでは?」というヘンリエッタの指摘も、反応に困る。
 目を三角にしたナズナが「なんとかしろシーロ。お前の責任だよ!」という趣旨のアイコンタクトを送ってきているのを無視しきれずに、「えーっとその件は予算ありますので、〈海洋機構〉に一任します」とシロエは話を打ち切った。
 アインスがいなくなった〈円卓会議〉は想像とは違った方向にフリーダムであり、彼の抜けた穴は思ったよりも大きいとシロエは痛感する。失ったものの価値はいつも失った後にこそわかるのだ。
 ――こんな方向に影響が出るとは全く考えていなかったわけだが。

 こんな件にこれ以上関わりたくないシロエは、さっさと次の議題に移りたくて視線を走らせる。そこで見つけたのが、左右をチラチラと伺いながら、右手を挙げようかどうしようかと迷っているレイネシアだった。
「なにかありますか? レイネシア姫」
「あ、ふぁい!」
「議題があるなら、どうぞ」
 シロエは先ほどから挙動不審に見えるレイネシア姫に水を向けた。
 レイネシア姫は後ろめたそうに左右の――侍女長のエリッサと高山三佐に視線をやると、話すべきことを取りまとめたのか凛々しい表情で「……〈円卓会議〉の用いる(こよみ)について少々」と切り出した。
「暦、ですか」
 シロエはその発言の真意がよくわからなかったが、ロデリックは感心したような声を上げる
「ほうほうほう。暦といえば統治者の専権事項ですからね! 古来権力者の握る治世の要でもあるわけで、〈円卓会議〉で扱うのにふさわしい議題だと思いますよ!」
「〈大地人〉の暦はありますが、〈冒険者〉のそれをつくるということですか?」
 暦という発言がどこかの琴線に触れてしまったのか、早口にまくし立てるロデリックと、そのロデリックの思考についていけているらしい菫星は感嘆したような視線でレイネシアを見る。
 わからないわけではないが、しかし素人のシロエが考えても、改暦事業とはなかなかに大規模な話だと思える。果たしてどれくらいの人的リソースと予算が必要なのか?
 マイハマ公爵クラスになれば、そういった学者も雇っているかもしれないな。実際その事業に手を付けるとすれば、マイハマ、もしくは学問都市ツクバあたりに特使を派遣して、先行事例を研究させるべきだろう。
 そんなことをシロエが考えていると、レイネシアの控えめの声が思考を遮った。

「いえ、そんなだいそれた話ではなくて。〈水楓の館〉もお休みほしいのですけどという話題なのです……」
 ――姫さま。わたしたちは十分なお休みを頂いております。人聞きが悪ぅございますよ――そんな風に囁くメイド服の侍女に、レイネシアは悲壮な表情で「わ、わたしもお休み欲しいんですけどっ!?」と言い返している。
 なんて返事をしたらいいんだろうこれ。シロエが持った感想は、少なくともミチタカやヘンリエッタなど会議の良識派共通のもつそれだった。
「泣くほど休みが欲しいんですよ。可哀想ですよ」
 なんだか気圧されて無口になってしまった議場の中で、無遠慮なソウジロウが漏らしたつぶやきが響いた。その言葉にビクリと肩をすくめたレイネシアは、苦しみにあえぐ領民を案じるような厳しい表情を見せると、並み居るギルドマスターたちに告げる。
「高い水準で誇り高い仕事を遂行するためには、心身の疲れを癒やすことも必要だと――」
「この屁理屈、クラスティの影響受けけてねぇか?」
「――思うんです」
 アイザックに割り込まれて今度こそ涙ぐむレイネシアは可憐で、誰もが助けてあげたくなるほど弱々しかった。
 そのうえ、マリエールからもヘンリエッタからもアカツキからも「なんとかしてあげて」という言葉にならない(もちろん念話でもない)信号をシロエは投げつけられて、困り顔になるのを自覚する。

 レイネシアの件はむしろヘンリエッタであるとかエリッサに振りたいのだが、女性陣三人に責められるシロエ自身の胃腸はシロエ自身の生活に関わる。自己防衛の一環として助け舟を出す必要があるだろう。
「ないよー。ぜんぜんないよー!」
 出そうとはしたのだが、カラシンの「管理職には休暇はないよ!」という朗らかな宣言に邪魔をされてしまった。
「管理職には休暇も残業もないよ。広告代理店には休日出勤もないよ。だって休日なんて最初から無いからね!」
 普段は見られない、黒い穴のような瞳で表情を消したカラシンは、歌うように宣言した。カラシンというより、カラシンロボといったほうがふさわしい、どこか虚無的な雰囲気を醸し出している。
 このロボには説得どころか意思疎通さえも通用しない。一瞬でそれを見て取ったシロエは、ことここに至って、泥をかぶる覚悟で強引な介入を決意した。

「僕にいい考えがあります」
 自信たっぷりに頷く。
 もちろん自信も確信もなんにもないのだが、これ以上会議を迷走させるわけにも行かないし、時間を無駄にするわけにもいかない。なにより、あのカラシンと話し続けるのは、なんだかイヤだ。悪い予感がする。
「〈ポダルゲー〉は幸い御座船ですから。優雅なクルージング休暇というのはいかがでしょう? レイネシア姫には、クラスティさんを連れ戻しに行ってもらう任務があります」
「連れ戻すの、ですか?」
 シロエの意図が読めなくて注目する参加者全員に、シロエは胸の前で手のひらを組み合わせ、いかにも名案であるかのように、かねてより考えていた計画を告げた。
「ええ。新生〈円卓会議〉設立時に話したとおり。クラスティさんに恩を着せて、連れ戻してください。コーウェン家のメンツの問題もありまし、〈円卓会議〉は戦力を必要としています。そしてなによりそうすればレイネシア姫の負担も大幅に減るでしょうからね」
 ――姫だけじゃなく僕の負担もね。
 ひどく手のかかる会議の進行に疲れて、シロエはそう独りごちた。
 アキバとミナミの関係改善は急務だ。
 両者の政治的経済的関係を考えれば、向こうだって対話を拒否するということは考えづらい。しかし、メンツの問題として、レイネシア姫は斎宮家に泥を塗ったということになるだろう。少なくともミナミとの関係を一区切りするまでの間、レイネシアは行方不明ということにしておくほうがいい。
 コーウェン家及びカラシンとの密約に従い、新しいクエストを〈円卓会議〉は発布した。ユーレッド大陸においてクラスティを探し、その帰還に助力すべし。
 瞳を輝かせるレイネシアにむかって、シロエは心のなかでエールと謝罪をおくるのであった。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ