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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊

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◆ Chapter5.01 


 街は真っ二つに引き裂かれた。
それは〈冒険者〉にとって、というよりも〈大地人〉にとってだったが、かといって大手ギルドがその分断から無関係でいられるわけもなく、結局街の噂はその一色で染められた。
 公女派。
 そして公爵派。
 そんな言葉が酒場や路地裏、そして広場の立ち話をする人々の間を旋風(つむじかぜ)のように駆け抜けた。
 公爵派とは、アキバ公爵アインスのことである。
 〈斎宮家〉の信任を得た公爵とはこのヤマトの大地人社会において、考えられる中でおおよそ最大の権威を持つ。もちろん、〈大地人〉の殆どは無条件に支持をするために、公爵派は多くの〈大地人〉を抱えることとなった。
 レイネシアは確かに〈イースタルの冬薔薇〉として〈大地人〉からも大きな人気を誇っていたが、その一方で女性でしか無いことは確かなことであり、それは封建主義的なこの社会では致命的な不利でもあった。
 彼女がどんなに才知あふれる傑物であったとしても、ヤマトの貴族社会において女性は公的な職業の殆どにつくことはできない。つまり、彼女がどんなに市井の民草を気にかけてくれる良い為政者候補だったにせよ、女性である以上「候補」が外れる可能性は、かなり低いのである。
 そうである以上、アキバ公爵アインスとの差は明確であって、いくら感情的にレイネシアに対して応援したくても負け馬に乗って新公爵の機嫌を損ねる勇気ある者は、多くはなかった。
 この時点で〈大地人〉の、そして〈冒険者〉の多くが知っていたのは「〈円卓の十一人〉ラウンド・デクリメントの一人であるアインスがアキバ公爵を拝命し、〈円卓会議〉を脱退。同時に新しい統治機関〈アキバ統治府〉を開く」ということである。
 〈大地人〉にとっては今まで不都合こそなかったけれど、自分たちにとっては遠い存在である〈円卓会議〉よりも、領主という分かりやすく加護してくれるアキバ公爵のほうが何倍も良い。
 公女派などという言葉も、「領主などいなくても今までレイネシア姫が俺たちの相談に乗ってくれたじゃないか!」というもので、あくまでそれは領主に準ずる保護者としての期待から出たものであり、そもそも派閥らしい派閥が形成できるほど拮抗した現在ではないのだ。
 領主のいない土地に領主が生まれれば、安定するし嬉しい。大半の〈大地人〉に取ってはそれだけのことであり、結果としてアキバに住む〈大地人〉の殆どはアインス公爵を応援している、ということになった。
 現金なものかもしれないが、その日の糧を得るのに必死な〈大地人〉にとって、目の前の利益を与えてくれそうな新領主の誕生を喜ぶのは、当たり前のことなのだ。

 その雲行きが変わったのは、レイネシア姫が斎宮との婚姻を断ったという情報がもたらされたからだった。
 アインス新公爵とレイネシア姫のどちらに人気が集まるか? という、ある意味平和な対立はこの情報で全く別の顔を見せ始める。
 その求婚がいささか無礼な使者によってなされたという弁護はもちろんあったけれど、〈大地人〉社会において、特に女性の結婚はなかなか本人の自由意志では結べないという前提がある。斎宮家からの求婚がマイハマ公爵家も同意の上であるというのは〈大地人〉にとってほとんど議論の余地がない「当たり前」であるために、レイネシアはつまり「家や両親、当主の意向を無視した我儘な娘」ということになったのだ。
 それはあるいは、レイネシアが生まれてから、ほとんど初めて受けてしまった悪評だったかもしれない。
 さらに言えば「婚姻を断った娘」というだけならば、まだ事態は軽かっただろう。
 いくら結婚は家の決定という封建社会の文化であっても、人間であれば好悪や相性は当然のようにある。命じられた婚姻で幸せになった例も当然あるが、不幸になった例も枚挙に暇ない。恋愛に憧れる気持ちは貴族にも庶民にも等しくあり、だからこそ酒場の歌い手のうたう悲恋歌や純愛歌が人気を博し、共感の涙をさそうのだ。
 「望んだように生きることが出来ない」という点は、庶民が貴族に対して感じることが出来る数少ない優越点でもある。人気のあるマイハマの姫レイネシアに対しては「望まぬ縁談に対して自分の意志を貫いた」という同情票は、十分に期待できるはずだった。

 一瞬の間揺れた街の空気だが、その直後には怒涛のようにアキバ公爵に集まることになる。
 相手が悪かったのだ。
 レイネシアが婚姻を拒んだ相手は、このヤマトの最上位、斎宮家。多くの庶民から見れば〈神聖皇国ウェストランデ〉の最高権力者。この一件でもし斎宮家の逆鱗に触れれば? そういう疑問が出るのは当然のことだった。
 もとより〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉の確執は庶民も知るところ。歴史における経緯の細かいところまでは十分な知識がなくても、過去の戦いはそれぞれの地域で歌として伝えられているために、互いが互いの地域の騎士や諸侯を裏切り者としてみている。そんな危うい緊張関係に火種を落としてしまえばどうなるか?
 アキバが戦場になるかもしれない。
 〈大地人〉住民の間に走った疑念の大きさは計り知れない。そんな状況下で求めるのは日々の生活の保護であり、それが彼らをアキバ公爵であるアインス支持へと走らせたのだった。

「街の色は公爵支持一色。これはすでにして、勝ちましたな」
 葡萄酒に口をつけもせず、喜色をにじませたマルヴェスの言葉にアインスは眉根を寄せた。
 ここは〈ホネスティ〉ギルドキャッスルの応接室。
 狩衣姿のアインスのほかには、いつものとおり貴族らしいゾロゾロとした衣装を身につけたマルヴェスの他、アインスと似たような東方風衣装に着替えた斎宮トウリも藤の椅子に腰掛けていた。
 いまでは公爵派と言われているアインスたちの首脳会談というところだ。
 とはいえ、斎宮とマルヴェスはアキバ滞在にあたって〈ホネスティ〉のギルド拠点を宿屋代わりに滞在している。アインスが叙爵され円卓を脱退した以上、斎宮とはもはや一蓮托生の関係であるために、このような会談は毎晩のように行っていた。
「……」
「そうともいえぬだろう。マルヴェスよ」
 ソファーの背もたれに体重を預けた斎宮トウリは悠揚迫らぬ態度で問いかける。
「そうでしょうか、主上。教養なき民草とはいえ、斎宮たる主上の恵み深き慈悲の心に触れれば、自ずと正しき道を見出すというもの。投票とかいう茶番がなんの役に立つかはわかりかねますが、どちらの道が正しいか。この街にいるのは〈冒険者〉多く見ても一万に、民草はその三倍三万もいるとのこと。東夷(あずまえびす)とはいえ、主上の姿あるいま、数比(かずく)べで負けるとは思えなせん」
「で、あればアインスがこのように憂うこともない。話してくれぬか、アインス?」
 アインスは、自分に振られた話題に対して、しばらく考えた。
「アインス殿。斎宮たるトウリ様の威光をよもやお疑いあるか!?」
 その沈黙をどう取られたのか、異相の貴族マルヴェスは苛立った声をアインスに向ける。
「抑えよ、マルヴェス。アインス。正直に答えてくれ。いま、勝率は、どの程度ある?」

「――贔屓目に見て、五割かと」
 諦めたアインスは、この際だからと二人に対して見通しを開陳した。
「っ!!」
「強いのだな。あの白衣の賢者は」
 目を充血させて歯を食いしばるマルヴェスはともかく、どこか面白がるような斎宮の態度に、アインスは少しだけ胸をなでおろす。その程度は信頼してたからこそ切り出したのでは有るが、受け入れてくれる器量が有ることは幸いだ。
 アインスは安堵と、それを上回る苦さを隠して続ける。
「いいえ。――彼と争うからこそ五割です。あの人は願いを叶えることにかけてはわたしなど遠く及びません。この勝負はもうシロエ君の勝ちなんですよ。唯一のチャンスはあの夜光虫舞うホームで、あの時口説き落とすことでした。もう勝機はない」
「どういうことなのだ? もう負けている? 勝率は五割とその口で言ったではないか」
「シロエ君が勝つといっただけで、我々が負けるといったわけではありませんよ。彼が本気になったなら、どんな手を使ってでも、彼は願いを叶えます。その手段が勝負に負けることであっても、彼は願いを叶える」
「――何を言っている?」
 混乱するマルヴェスに、アインスは言葉を紡ぎ続ける。
 これは、必要な授業なのだろう。
 この先も共に歩くしか無いこの二人は、シロエという規格外を知らなければならない。あの白衣の青年は勝っても負けても自分の取り分を得るのであれば、アインスたちも同様に、勝っても負けても新しい一歩を踏み出さなければならないのだ。

「勝ちも、負けも……。もうそういうことはどうでもいいのですよ。彼が覚悟を決めたのならそこは安心して良い。そういうことです。そもそも、彼が投票の勝負を受けたからといって、彼がそれで勝利を目指しているなんて、なんでそんな迂闊なことを考えるんですか?」
「かの賢者は負けようとしているというのか? ではなぜ勝負などと言い出した?」
 興味深げな斎宮の疑問に、アインスは首を左右に振って答える。
「そういう短絡的な話ではないんですよ。シロエ君が勝負を受けたのなら、勝とうが負けようが、望みのものを手に入れるだろうと言っているんです。彼は諦めないし、願いを叶えるためならどんな労苦も厭わない」
「――」
「でも、だからこそ、私たちが勝つ可能性もある。彼は勝負そのものにこだわったことはありませんからね」
 そうなのだ。
 勝つ可能性はある。
 だがそれは、アインスたちが勝ったほうがシロエにとって都合が良いからそうなるだろうというのがアインスの考えで、二人に取ってそれは受け入れがたいだろう。
 近くで接したことがないのでそれは仕方がない。
 ゾーンを開放するために金貨数兆枚の資金が必要なので、「ひっぱってきました」などという、馬鹿げた報告をする青年を理解するなど不可能だ。経緯の報告を受けたアインスでさえ、起きたことは理解できても、そこに至る経緯や思索は想像もできないのである。
「詳しいのだな。あの賢者と、友人であったのか?」
「彼は……私たちの間でも有名人なのです。〈死霊が原〉や〈ラダマンテュスの王座〉、〈ヘイロースの九大監獄〉。弱小の攻略団体に過ぎなかった〈放蕩者の茶会〉デボーチェリ・ティーパーティーが何度も何度も大規模戦闘(レイド)ランキングを切り裂いた。そんなことあってはならないという世評や批判ごと、大手ギルドを向こうに回して一歩も引かずにね。でもそんなことよりも、問題は、別に彼らの目的は大手ギルドに勝つことなんかではなかったということです」
 アインスは当時を慈しむように振り返った。
 そこにあるのは年月を経て色あせた憧憬と嫉妬だ。
「彼らの目的はね、観光だったのです。……おかしいでしょう? 〈黒剣騎士団〉〈紅姫〉〈D.D.D〉〈ハウリング〉。名だたる大御所が名誉と〈幻想級〉を求めて挑む最難関を、彼らは観光ついでに攻略したんですよ。『新しいモンスターのグラフィック見たくない?』『クエスト文章よみたーい』。そんな程度の理由で。そんなふざけた覚悟と訓練で。だからこそ荒れました。〈大地人〉の間でも〈茶会〉の武名は伝わっているとは聞いていますが、匿名掲示板――〈冒険者〉の間でも彼らの噂は燃え上がった。序列破壊者(ビルボード・リーパー)としてね。大規模戦闘に参加ができない弱小ギルドの連中の嫉妬は恐ろしいほどでしたよ。誹謗、中傷、嫌がらせ。なんでもあった」
 今現在の基準で言えば〈ホネスティ〉は大手戦闘ギルドに分類される。しかしその内情は違うし、当時は今よりももっともっと脆弱だった。
 思い出の中のギルドは、控えめに言っても嫉妬に燃え上がる側だった。
 アインスは当時の自分たちの様子(ギルドチャット)を思い出す。カナミやシロエに対する陰口、中傷、それらがまるで事実であるかのように話し合われていた。当人たちのいないところでされるうわさ話は、必ずや先鋭化して滴るような悪意に(まみ)れる。醜悪と言って良いその光景に、アインスは「攻略情報の透明化」というギルド運営指針を定めたのだ。せめて、自分たちの姿に気がついた良識あるメンバーだけでも行いを改められるように、と。
「大手ギルドはまだよかった。攻略速度で負けたのならば、自分たちの考えや訓練が足りなかったのだろう。彼らはそう思えるだけの実績もあったし、自負もあった。勝敗は時の運と納得出来るだけの器量があった。そうでなければランキングに名を刻むような集団の統率なんて出来ませんからね。――しかし、そうでない、中小ギルドや個人(ソロ)プレイヤーは違った。大手戦闘系ギルドに負けたときにできる言い訳、『俺たちは大手よりもコネも装備もないから』という言い訳もできずに、〈茶会〉に対する八つ当たりはますます激しくなった。……でも〈放蕩者の茶会〉は微塵もひるまず、いつでも笑っていた。それは、なんでだと思いますか?」
「……なぜなのだ?」
 これは告悔だ。
 罪の告白だ。
 アインスは、それをくだらない実行に移さなかったとはいえ、嫉妬にまみれた大衆の側だった。〈放蕩者の茶会〉の躍進を心のなかでは呪っていたのだ。――躍進と、その天真爛漫を。
 人が集まれば派閥が生まれる。利益があれば奪い合う。それはどのような社会であっても絶対の真実だ。現実社会と切り離されたネットゲームの中でなら、金や権威に左右されない本当の人間関係が築ける? そんなのは頭の弱い人間の戯言に過ぎない。
 もしそれが真実なら、なぜ子どもたちが通う学校でいじめや自殺が起きる? 周囲とのちょっとした違い、社会的な地位には繋がらない程度のちょっとした優越――髪の色が綺麗、走るのが得意、服の趣味が良い、あるいは悪い――それだけのことで、人は人を殺すことが出来る。いや、そうではない。殺意さえなく、他愛無い派閥活動のねじれだけで、人は死ぬ。
 ギルドマスターとしてそんな人間関係の調整をし続けてきたアインスは、〈放蕩者の茶会〉を見て彼らを妬んだ。有りもしないユートピア。光に向かって進む冒険者。そんな理想を見せられて、自分のギルド運営が、ただただ傲慢になり続けるメンバーの愚痴を聞き機嫌取りをし続ける自分がくだらない人間に思えた。
 自分の理想主義など所詮はまがい物にすぎないのだ。くだらない自分が、せめて理想は高く、周囲の役に立ってるのだと、そう自己欺瞞をするための偽りにすぎない。それをアインスは知っている。
 だが辞めることも出来ない。
 それ以外、アインスにはなにもないのだ。

「言ったでしょう? 彼らの目的が観光だったからです。勝つのも負けるのも、先陣争いの名誉も、サーバー有数の希少なアイテムも、彼らにとってはどうでも良かった。彼らにとっては大規模戦闘(レイド)に挑んで、珍しいゾーンで見たこともないモンスターと戦えば、それだけで目的達成、勝利だったから。それ以外のことなんて、全部ついでだし、雑事でしかなかったんですよ」
「……」
「今回の件も同じです。私にはわかりませんが、シロエ君はもうすでに何かを目指して動いている。わたしは彼を信用しています。だから(、、、)……」
 アインスは唇を噛んだ。
 年甲斐もなくしゃべりすぎてしまったようだ。もう若いとはいえないのに、学生時代のような苦痛と熱が、口を軽くしてしまったらしい。

「焦り過ぎ、ということはないか? アインス」
「いえ……。わかりません」
「小心者だな。……〈冒険者〉とはこのようなものか」
 アインスは軽く首を振る。
 マルヴェスに何を言われても気にはならなかった。たぶん、この男には伝わらなかったのだろう。ある意味それは幸いなことだ。
「口が過ぎるぞ、マルヴェス。むしろ上々だ。イコマで〈元老院〉に飼い殺しにされていた我が世にでるには、このタイミングしかなかった。長い年月の間に翼をもがれた余が家には、自由に動かせる兵も、支えてくれる領地も、それらを(あがな)う事が出来る金もない」
「主上。ですからマルヴェスがいち早く主上をお助けし、お力になっているではありませんか!」
 傲慢で口は悪いが、アインスはマルヴェスを悪く思ってはいない。今のがわからなかったということは、この男は基本的に嫉妬を抱く側ではない、ということなのだ。貧乏な商人貴族として蔑まれる立場から、斎宮トウリへ乾坤一擲の肩入れを決めたのをアインスは聞き知っている。
「……だが余の派閥といえば、事実上この三名しかおらぬではないか。マルヴェス。そなたの忠節と資金はありがたいが、余が〈元老院〉と戦いたくば、このアキバを余の力とするしか無い。力なき斎宮である余は、マルヴェス。貴様とアインスにたより、新しい何かを手に入れるしかないのだ」
 トウリもまた苦しい。アインスはそう思った。
 〈大地人〉の多くはトウリを神のように崇めているが、その権力基盤は脆弱なのだ。〈神聖皇国ウェストランデ〉の長く淀んだ政治が、その頂点たる斎宮家から権力を奪い尽くした。斎宮家は〈元老院〉の傀儡という体制がもう百年は続いている。
「ランデのくだらぬ貴族たちは、失われたものの価値がわからぬ。己の手で叩き割って二百八十年。東のイースタルとの関係は粉々になったまま。魔物に対すべく手を取り合うことすら出来ておらぬではないか? その不利益を知っているくせに、同じ失敗をまた繰り返そうというのか? イースタルと戦えば、今度こそ百年の混乱がヤマトに訪れように」
 だが、若きこの斎宮ならば、時代を変えることが出来るかもしれない。
 そう考えたのも、アインスが彼に肩入れをすることを決めた理由のひとつだ。いや、言葉を飾らないのならば、ただの同情かもしれなかったが。いずれにしろ自分は、負け組にふさわしい人間なのかもしれないな、と、アインスは苦く微笑んだ。

「そなたら二人しかおらぬ余が、アキバの賢者と五分の勝負ができようとは、むしろ余はそれを僥倖と感じておる。その勝負から、どのような利益をえることが出来るかは。――そう、余たちと、彼らの。それこそが本当の勝負なのであろう。そうであるな? アインス」
「はい。トウリ様。その通りかと、思います」
 とはいえ、負けるために戦う者はいない。アインスはアインスの小さな願いを叶えるためにいま、初めて戦場に立つのだった。



◆ Chapter5.02 



 レイネシアの決意。
 アインスの覚悟。
 それらは別として投票決戦の日は濁流のように迫ってきていた。
 戸籍管理も曖昧で定住の概念すらはっきりしないこの世界、アキバの街において、完全な管理選挙は困難である。「次の日曜日に」などという性急な投票を求めたのも結局はその対策という面が強かった。
 「アキバ住民の投票を認める」とはいえ、では「住民」とは何なのか? 家の所有か、と問われれば宿屋ぐらしをしている〈冒険者〉だって馬鹿にできない割合で存在しているのだ。〈大地人〉にいたっては故郷から出て収入が安定するまでの間、同郷者の部屋に転がり込んでいるのならまだまし、橋や大樹の軒下で野宿をしていることだって珍しくはない。
 アキバの街とはどこからどこまでの範囲を指すのか? という問題もある。狭義で言えばそれは〈プレイヤータウン・アキバ〉のゾーンを指すのであろうが、人口増大中のこの街の住民は、徐々に周辺ゾーンの開拓を開始している。〈書庫林の塔〉や〈ウエノ盗賊城址〉などの一部廃墟はリフォームされ、大規模ギルドの倉庫や作業スペースになりつつあるのだ。
 シロエとアインスに出来たのは、「来週日曜日に投票場に来た人間で投票を行う」「一人一票しか与えない」という、かなり原始的な制度構築のみだったわけである。

 一週間という短い期間を、ふたつの陣営はそれぞれの思惑で忙しく過ごしていた。
 レイネシアを筆頭とする新生〈円卓会議〉は、まずそもそも立ち上げを宣言しなければならなかったが、その立ち上げ宣言のためにレイネシアの公爵本家に対する挨拶(という名前の根回し)や、〈円卓会議〉参加ギルドに対する関係調整などが必要となり、最初の数日を無為に過ごしてしまう。
 その後、マリエール、ソウジロウ、ミチタカといった面子を中心に、アキバを本拠地とするギルドごとへ経緯説明と協力要請交渉を行っていた。
 現在の情勢は、アキバ公爵アインスが〈大地人〉からの圧倒的な支持を集めている。現在のままであれば、アインスがこのアキバの統治者となるだろう。彼らにとってそれは自然な判断なのである。
 〈冒険者〉はもう少し複雑であった。
 小規模のギルドであればあるほど、〈冒険者〉はアキバの街から離れることが可能なのである。サバイバルにも戦闘にも秀でた彼らはその気になれば未開の山野に拠点を作っても暮らしていけるし、そうでなくても〈大地人〉の村に拠点を移してもいい。色んな意味で〈大地人〉ほど「保護」を必要とはしていない。
 だからアインス支持に拘束されることなく、〈円卓会議〉支持を続けることも可能だ。
しかし一方で、支持というのも現状見通しが悪くふわふわとしたものであった。旧〈円卓会議〉はボランティア団体であったため、消極的支持――つまり協力する気はないが邪魔はしないという態度保留が可能だったが、新生〈円卓会議〉は統治組織であり、投票でその正当性を担保しようとしている。成立した場合、協力を避けることは不可能だろう。色んな意味で堅苦しい街になっていくといえる。
 もっともそれはアインスの提唱する〈アキバ統治府〉も全く同じで、その意味で、アキバはすでに変わってしまったといえるだろう。どちらが勝利するにせよ、ボランティアの時代は終わり、正当な自治組織が発足することになるのだ。
 それでも〈冒険者〉の間でどちらかと言えばレイネシア支持が厚いのはふたつの理由があった。ひとつは「不本意な政略結婚を拒否したレイネシア姫は可哀想であり支援する」というもので、そしてもうひとつといえば「〈ホネスティ〉のアインスがなんだか急にでかい顔をしだしてうざいから、姫様どうにかしてくれないかな」というものである。
 つまり、よくも悪くも〈冒険者〉は生活から離れた理由で支持不支持を選ぶことが出来るのだった。
 レイネシアはこの期待によく応えた。
 〈円卓会議〉の制服をまとい、今までにもまして〈大地人〉からの相談にのっていたのだ。しかし、その相談の主体である商人や地方貴族たちも、情勢を見極めるためかレイネシアから距離を取り始めており、それがレイネシアの表情を曇らせた。
 リーゼやヘンリエッタ、アカツキや、〈桃色賽子〉の姉妹とあちこちに出かけるレイネシアは、アキバの街のどこでも歓迎されたが、それは以前とは違い、少し温度の低いものだったことは否めない。
 そのなかで、あくまでレイネシアを応援する〈大地人〉の一団もあった。老舗ではなく、新興の商会はアキバに拠点を築く助力を忘れていなかったし、アキバ近郊の開拓村の多くもレイネシア支援に傾いた。

「飯がほしいやつは、ならべー! 住居の斡旋もするぞー」
「ダンジョン産の木材、鉄鉱石、あるぞー? 職人の見習い、賄い付きで、日当金貨十枚。あと二十人募集あんぞー」
「ジャージ部です。ジャージ配布しますー」
 その一方で、アキバ公爵派――ありていにいえば〈ホネスティ〉は連日のように盛んな活動を行っていた。
 〈妖精の輪〉(フェアリーリング)の調査任務も終了し、市街の警ら任務を引き受けていない〈ホネスティ〉は担当の案件がないために、メンバーのほぼすべてが自由な状況だったのだ。そこにマルヴェスからもたらされた当面の資金と、ウェストランデ系の商会やバランス外交を心がける貴族からの支援を受け、活動のための背景が出来たといえるだろう。
 コネや資金といったリソースを、アインスたちは手元に溜め込もうとはしなかった。ギルドメンバーの間には待遇改善を望む声も強かったが、決戦は目の前に迫っているのである。この一週間を切り抜ければ、先行きは明るい。それは末端のメンバーにも見えている現実なので、当面は指示通りの作業をこなすことになったのだった。
 やさぐれていたとはいえ、ギルドメンバーは〈冒険者〉だ。
 アキバの街に住む〈冒険者〉同士で比べるならば覇気に欠けるかも知れないが、それでも〈大地人〉に比べれば、その身体能力や対応能力は比べるまでもない。職にあぶれ、あるいは継ぐべき家業や農地がなくて都市部に流れ着いた難民も同然の〈大地人〉からみれば憧れの存在で、実際、助けるための力や手段がある。
「このグループはどこから来たんだ?」
「ポゴネ村っす。あと、隣のエルドントとガボスの連中も混じってて……」
「おおう、おま、足動かねえじゃねえか!?」
〈赤山犬〉(レッドドッグ)に囲まれた時にやられちまったんすよ」
「水かけるぞ? 痛かったら言えよ? 〈小治癒〉(ヒール)!」
「ふぁ!? な、治った!」
 途切れなく集まってくる〈大地人〉の多くは出身地ごとのグループで分かれている。彼らの状態を確かめて、怪我があれば癒やし、食料を配ってゆく。〈大地人〉のレベルは低く、それは最大HPが低いということだ。そうであれば、〈冒険者〉からみた低レベルの呪文やアイテムでも簡単に回復するし、袋詰済みの食料を一人一個ずつ渡していくのも手間がない。そうして初期対応をしたら、あとは当面の仮設住宅の受付へ引き継ぐか、職の斡旋相談に乗ればいいのだ。
 〈ホネスティ〉のメンバーは知らなかったが、こういう雑務に関してはマルヴェスが意外な才能を発揮した。「食い詰めた庶民など、食料と衣服を渡してすみかに案内すればそれで落ち着くのだ。あ?〈冒険者〉の医薬品があまっておる? ばらまけ、ばらまけ! 成り上がるには気前よくないとダメなのだ!」という、発言的には決して褒められたものではないが、本人も最下級貴族から宮廷で成り上がってきたという泥臭い経歴を感じさせる方針で、事実、アキバの感覚で言えば味は酷いが、量だけはたっぷりある食料を用意していたのである。
 しかも、それらを詰めるための質の悪い麻袋や、肌触りは悪いが暖を取るには十分な寝具も輸送船にたっぷり用意してあった。これらは、新しい便利なアイテムの開発にやっきになっているアキバではむしろ品薄な商品群であり、しかし財産のない〈大地人〉にとっては、落ち着くまでの当面は喉から手が出るほど欲しい品物なのだった。
 もっとも、アインスから感心の言葉を向けられたマルヴェスは「ミナミでもアキバでもどんどん景気が良くなって売れなくなってきたクズ商品ですからな! 田舎の職人から二束三文で倉庫いっぱい買い集めたものを有効利用。商人貴族として当然ですな。ウィーフッフッフッ」などと、丸い目玉を丸く見開いたまま、空中に向けて笑っていたので、どこまで善意だったかはわからない。
 こういった難民の中核はボクスルト方面からの〈大地人〉で、マルヴェス配下の行商部隊によって「アキバに行けば食えるぞ」という情報がばらまかれた結果だったのだが、一週間程度では大した数が増えるとは考えられなかった。多くはすでにアキバ周辺にはたどり着いていたものの、誰に頼ればいいのかわからずに途方に暮れていた〈大地人〉らしい。
 〈ホネスティ〉のメンバーは、最初こそしぶしぶだったものの、実際現場に出てみれば雰囲気に乗せられて、なかなか勤勉に働いていた。実際するべきことは明確だったし難しくもなかったのだ。それに、長い時間拘束された〈妖精の輪〉の調査に比べ、目の前で結果が出て状況が変わっていく今回の炊き出し任務は目先が変わって退屈を紛らわせてくれもしたのである。

 こういった支援事業にからめて、抜け目ないアインスは人の多いところに足を運んでは〈アキバ統治府〉の必要性と正当性を訴え続けた。アインスの常識によれば、炊き出しと演説の組み合わせは明らかに買票行為なのだが、社会制度が未発達なセルデシア世界においてそういった法整備や常識はまだ浸透していない。効果でみれば、それが一番「効く」というのは明らかなので、アインスもそこには目をつむって開き直っていた。
 〈冒険者〉の間の格差を縮小するために、多数派を握らなければならない。そのためには〈大地人〉を味方につける必要があり、彼らの食と安全を保証する必要がある。迂遠だが、アインスが見つけ出した唯一の勝ち目のあるルートでもある。
 この目論見は当たり、アインスはどこでも歓迎されたし、手応えを感じていた。
 このままでいけば、投票結果では圧勝できるだろう。
 その確信が、しかし勝利の確信へと繋がらないままに、アキバの街は投票日を迎えたのだった。


◆ Chapter5.03 



 ヤマトの〈大地人〉たちはこの「投票」というものを十分に理解できなかったのか、あるいは理解したうえで、自分たちなりの解釈結果を表明したのか、投票日はお祭りのようになった。
 誰から言い出すまでもなく、大通りは清掃され、綺麗に磨かれた飲食店の看板がきらめき、多くの屋台から芳しい香りが立ち上る。街は朝からそわそわした空気に満たされていた。
 アキバに住み着いた〈大地人〉たちはそれぞれの所属に従い、朝早くから集まっていた。〈同郷会館〉に集合した人々は、いつもに比べて数倍するその人数が、大ホールに収容しきれないとなると同じ地方出身者ごとに分かれて、広場や大通りに移動してゆく。
 大人たちは一様に洗い清められた衣服に身を包んでいた。
 その多くは職人の衣服で、華美ではなかったけれど彼らが今どういう仕事をしているかひと目で分かるようなものだった。革の前掛けをした〈鍛冶師〉の徒弟や、キルトの手袋をしたパン屋の娘などだ。それは、彼らなりの、自分は何者としてこのアキバの街に住んでいるのかという主張であるらしかった。
 子どもたちも普段とは違い、普段は流すままの髪の毛を編みこみにされ、中には道端に咲くような小さな花を飾られている。子どもたちは華やいだ街の雰囲気を感じ取り、美味しい匂いを立てる屋台に瞳を奪われてはいたが、両親にたしなめられて、それは午後の楽しみなのだと思い直したようだった。彼らなりに厳粛な表情を繕って広場に向かう様子は、背伸びしているようでとても可愛らしかった。
 〈冒険者〉から見ると理解しづらかったが、それは彼らなりの精一杯の装いであり、自己表現だった。この街にたどり着き、彼らなりに幸せな生活を送り、彼らなりの暮らしや日々を構築したのだという自負と感謝のあらわれだったのだ。
 〈大地人〉は、彼らなりの理解をもって、今日この日がアキバの街において重要な岐路であると受け取っていた。形勢判断が出来るだけの情報に恵まれていない彼らではあるが、アキバ公爵とレイネシア姫のどちらかがアキバを守護することになるのだという、その基本だけはわかっていたし、自分たちがどちらを応援することになるのか、専用のメダルを受け取って、応援する方の箱に入れる、というそのやり方だけは十分な説明を受けていたのである。
 どちらが勝つのかはわからなかったが、今日が「新しい出発の日になる」ということは、〈大地人〉にとって、そしてこの様子を見たアキバの〈冒険者〉にとっても明らかであった。
 どこかで、ポン、ポンという軽い音が聞こえた。
 〈花火の杖〉ファイアーワークス・ワンドを使ったのだろう、なめらかな水色の空に、キラキラする光の粒子とピンク色の煙の雲が広がる。
 繁華街の中心部から薄っすらと、〈大地人〉たちが「冒険者の歌」と呼ぶ楽曲が流れてくる。それは〈エルダー・テイル〉のオープニングテーマであり、今となってはアキバで最も耳馴染みのある曲なのだった。

 投票会場はアキバ中央通りの交差点である。
 〈ハーフガイア・プロジェクト〉により再現されたこの交差点は合計六車線の大規模なものだが、このセルデシア世界においては自動車もなく持て余し気味な、普段は広場代わりに使用されている場所だ。この交差点を挟むようにふたつのより大きな広場がある。
 ひとつはアキバ名所のひとつ、〈銀葉の大樹〉の広場。
 もうひとつはアキバ中央市場にほどちかい中央大広場。
 前者はアキバ公爵アインスが本部として巨大な天幕を貼っていたし、後者は〈水楓の館〉の庭先を開放して、レイネシアおよび新生〈円卓会議〉が選挙本部として利用していた。

 そしてその〈銀葉の大樹〉広場。
 投票直前のこのタイミングで、アインスは設えられた演台に立っていた。比較的高さはあるが、その大きさは小さい。人が三名もたてばいっぱいだ。メディアの発達していないこの世界では、自分の意見を多くの人に伝えるには、実際こうして語りかけるくらいしか方法はない。
 期間中も折りに触れ〈アキバ統治府〉の必要性を説いてはいたが、ここまで人数が集まる機会は、これが最初で最後だろう。自分たちが優位であるはずなのに、そうとは確信しきれない不思議な焦慮に突き動かされて、アインスは最後の演説を行うために深く息を吸い込んだ。
「アキバのみなさん。本日はこのアキバの未来にとってとても重要な日です」
 アインスは語りかけた。
 目の前には多くの〈大地人〉、そしてすくなくない〈冒険者〉がいる。
「――〈大災害〉後、アキバを支え続けてきた〈円卓会議〉は良くも悪くもボランティア組織でした。公的権限のない、ある意味巨大な町内会にすぎませんでした。〈円卓会議〉はベターな選択ではありますが、ベストではありませんでした。アキバは発展しましたが、そこから取りこぼされてしまった人々がいます」
 その彼らに届く言葉を探して、わかってもらうために、そして彼らの協力を得るために。
「ですから――」
 そして唐突に気がついた。
 ああ、ここがどうやら終着点なのだ、と。
 悩んで、なんとかしようと苦悩して、そして手法を考え、状況を整え、たどり着いたこの場所で、やっとアインスは理解した。
 自分には、言葉がない。
 こうして自分の言葉を待っている数百、数千の瞳に届ける、言葉がない。
 〈円卓会議〉がベストでなかったのはたしかだが、アインスの率いる〈ホネスティ〉はその一員だったのだ。ベスト出なかった責任の一端は、アインスにもある。そもそも〈円卓会議〉が崩壊した直接の原因は、〈ホネスティ〉の脱退だ。
 そもそも何がベストではなかったのかと言われれば、大規模ギルドがその規模を活かして先行リードを広げつつあり、貧しい〈冒険者〉が腐っていく街の状況に耐えられなかったからだ。新しくなったこの世界のなかで、攻略情報も生産設備も寡占されていく様は、ネットゲームに慣れた現代人には耐え難い絶望を植えつけた。だがそれを、この広場に集まる〈大地人〉にどう説明すればいいのだろう?
 彼らは財産を持たずに故郷を飛び出した人々だ。諦めきった暗い瞳の青年もいれば、諦めきれずに忍ぶ女性もいる。アキバのうわさ話に希望を燃やす夫婦もいる。しかし、いずれにせよ、彼らに対して「貧しい〈冒険者〉」の話などをして、理解されるだろうか? おそらくそんなことは不可能だろう。一番力のない〈冒険者〉であっても、彼らの何百倍もの力をもっているのだから。
 結局それは、アインスの語ってきた理想は冒険者向けの、極めて狭い話でしかなかったということだ。突き詰めれば、〈大地人〉を利用した多数派工作ということで、それはたしかに事実なのだが、その当人たちに話して支持を得られる内容ではない。

「西方では〈神聖帝国ウェストランデ〉が暗躍を始めこのアキバにも不穏な気配が迫ってきています」
 切り口を変えようとして、アインスは即座に己の失策に気づく。
 戦乱が迫ると脅しておきながら、当のアインス自身は〈神聖帝国ウェストランデ〉そのものである斎宮家から爵位をもらい、正当性の根拠にしているではないか。これでは西方の武力を使って、アキバに傀儡政権を作ろうとしているようにしか響かないだろう。
「――しかし、どの陣営にも戦を望まない人々はいるのです。いまこそ、そういった善き人々の力を結集して、〈神聖帝国ウェストランデ〉とも〈自由都市同盟イースタル〉とも話し合える組織が必要です」
 アインスは暗い表情で群集を見つめた。
 人々は、真剣ではあるが、どこか腑に落ちない表情でアインスを見上げている。
 無理も無いだろう。もしアインスが〈大地人〉であるのならば、この内容で大きく頷くことは出来ない。彼らは彼らの居場所を求めてアキバにすがっているわけで、〈冒険者〉の生活向上に興味はないのだ。ましてや、東西の軋轢の歴史や暗闘など、知る由もない。
「〈アキバ統治府〉は――」
 アインスは、語りかけの難しさ、その意味するところに言葉を失った。

 つまり、この言葉の途絶こそが、アインスの失敗の本質なのだ。
 アインスは〈円卓会議〉の仲間たちの説得に失敗した。失敗した結果、仲間たちの理解を得られずに鬱屈し、別の勝負に逃げた。逃げた先で〈大地人〉という多数派に出会い、支持を得られるだけの権威と物資を手に入れた。
 しかしだからといって、アインス自身が周囲を説得出来るだけの理屈を手に入れたのかと言われれば、それは違う。勝てるかもしれないが、それはそれだけの戦力を手に入れたからであって、アインスが何かを得たわけではない。
 あの夜、シロエに告げたように、アインスは正しさを捨ててなりふり構わずにアインスの正義を実現しようとした。それは〈円卓会議〉で蔑ろにされたアインス自身の正義が、アインスの中では揺るぎなかったゆえに、後は勝利さえすれば良いと考えたからだった。
 しかしいま、多くの民衆に囲まれ言葉に詰まって疑義が生じた。
 自らの内側に感じるこの空虚、この言葉の途絶はなんなのだろう?
 薄っすらとわかっていたことではあったが、やはり自分は独りよがりだったのだ。アインスは膝をつくような虚しさで拳を握りしめた。
 間違っていたとは思わないが、アインスは目の前の不幸に視界を遮られ、他の人にはその個人個人別の事情があるのだという、自分自身の問題が世界の中心というわけではないのだという、それだけの思いやりが持てなかった。
 自分自身が本当に正しいのなら〈円卓会議〉のギルドマスターたちはもっと真剣に耳を傾けてくれたのではないか? あるいは耳を傾けてくれていたのに、アインス自身が背を向けたのか?
 そう考えればわかる。
 アインス自身は〈円卓会議〉にてもっと尽くせる言葉があったはずだ。なりふり構わず救いを求めればよかったのだ。
 その痛恨たる現実が胸に迫り、アインスは沈黙した。
 救いは、シロエとの戦いだった。自分自身の醜悪と対峙していても、不思議とこの後の展開に対する重責は感じない。投票という戦いで敵対しているにもかかわらず、一番信頼できる相手がシロエだというのは不思議だった。アインスが勝ったとしても、シロエはその未来をなんとかしてくれるだろう。不思議だが、奇妙な安心感があった。

 思い起こしてみれば、アインスは自分が負けた時の準備ばかりをして、勝った時のことは考えていなかったのだ。勝利した後のことはトウリやマルヴェスに、なによりシロエに任せるつもりしかなかったらしい。

 少しだけクリアになった視界の中で、アインスは静かに微笑んだ。
「〈アキバ統治府〉は、そして新生する〈円卓会議〉は、新しい未来を歩むでしょう。アキバの街はもっと良くなります。考えて見れば、この街は人手不足過ぎました。にも関わらず、私たち〈冒険者〉は自分たちを頼みすぎましたし、〈大地人〉の皆さんのことを知らなさすぎました。言わせていただければ、〈大地人〉のみなさんは人見知りすぎて私たちに助けを求めることが不十分だったと思います」
 その言葉は、今までのそれとは少し色合いが違っているとアインス自身にも感じられた。肩の力を抜いて空の色を見た時、自然と湧き上がってきたものだったのだ。
 自分たちを勝たせようと、目の前の問題を解決しようと必死になっている時にはあんなに見つからなかった語りかけが、嘘のように湧いてきた。その言葉は、今までアインスが使ったことのないような楽天的なものだった。
 多分、以前の自分だったら、その言葉を「無責任だ」と責めただろう。「現実を見据えない理想論だ」と。
 しかし、相手の不備を責めればそれでなにか有為の現実が手に入るのだろうか? 〈円卓会議〉に集っていた他のギルドマスターを攻撃して、アインスが何かを得られたのか? そう思い出せば、自分の過去に痛苦が残る。
 楽天的な言葉は、けっして無責任ではないのだ。
 それは希望の語りかけで、自分たちは出来るという励ましの言葉だ。
 ことここに至って勝負を放棄するわけではないか、〈アキバ統治府〉と新生〈円卓会議〉の対立という構図から視界を広げれば、アキバ公爵アインスが、アキバの市民に送る言葉は自ずと紡がれた。

「良くなるというのはこの点で、私たちはもう少し助け合いが上手になるでしょう。助けてほしい人が卑屈にならず援助に感謝し、助ける人は高慢にならず隣人を思いやれるような、そんな街になるでしょう。安心して暮らしてください。問題は山積みですが、それらは解決可能です。毎日やることがいくらでもあるでしょう。誰もが忙しくなることを保証します。そのために、助けたいと思ってるギルドマスターが、沢山いますから」
 アインスは言葉を切って、広場に視線をやった。
 びっくりしたような表情のギルドメンバーを見た。彼らと話した記憶が、遠くから蘇る。そう、思い出さなければならないほどに、最近は言葉をかわす機会も減っていたのだった。
 静かな拍手と、自信を持ったような〈大地人〉の表情に、アインスはこの数ヶ月味わっていなかった安堵を感じた。これでよかったのだ、という納得が、アインスの中で静かな喜びに変わった。

 自らの仕事をやり遂げたアインスが、最後の挨拶を告げようと口を開けた時、太く響く笛のような音が、遠くからアキバの街全てに響き渡った。怪訝に思ってあたりを見回す〈大地人〉の視界に写ったのは、シャボン玉のように浮かび上がる虹色の欠片。
 広場に集った大勢の人々は、その艶やかな光にキョロキョロとあたりを見回した。両親にしがみつく子供は歓声を上げ、あるいはぽかんとした表情で少し煙った色の青空を指差すことで、己の感情を表現した。
 それはアキバの〈冒険者〉にとって画面越しの馴染みではあったが〈大災害〉以降、つまりこのセルデシアではまだ見たことのない光景だった。
 重なりあう羽ばたきとともに、数十頭の〈鷲獅子〉(グリフォン)が舞い上がる。
 薫風を巻き起こし〈都市間転移門〉トランスポート・ゲートが起動したのだ。
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