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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊

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◆ Chapter3.06 



 失敗したのだろう、という自覚がシロエにはあった。
 再検討しても成功のルートは断定できないが、それでも、もう少しうまくやることができたのではないか? と思う。
 例えば過去のシーン、先月の、先々月のその前の〈円卓会議〉においてアインスともう少し別の切り口から会話ができていれば? シブヤの事件において〈大地人〉の目覚めよりも情報収集を優先していれば? 〈供贄の黄金作戦〉などに出かけずにアキバの内政問題に専念していれば?
 ――そんな問いが浮かんでくる。もちろん、その時々において、シロエは最善だと自分が信じることをやってきた。いま時間を巻き戻してその瞬間に戻っても、未来の情報を持ち帰らない限り別の決断ができたかと言えば怪しい。
 しかしそれでもなんとか、もう少し別の結果が出せたのではないか? そう考えてしまうのが人間の精神であり、後悔という言葉の意味なのだろう。

 〈円卓会議〉が終了してシロエはまっすぐとギルドハウスに帰ってきていた。本来であれば他のギルドのリーダーたち、アインスは無理であっても、カラシンやミチタカ、アイザックたちと何らかの意見交換をするべきなのだろうが、騒然とする会議場の様子から不可能だと判断したのだ。なによりもシロエも頭の中が飽和していて、何を話していいかわからなかった。
 本来シロエは予習型の人間なのである。交渉にしろ大規模戦闘(レイド)にせよ、事前段階で下調べをして事細かに予定や対応策を組み立てたうえで、本番では何も考えずに当たって砕ける方向の参謀なのだ。
 今回のように突発的な事態急変が起きてしまっては、予定も事前準備もあったものではない。なにより、シロエ自身の心の中心が定まっていない状況では、ほかのギルドマスターと話しても、内容のある会談はできないと思われた。
 そんなわけでシロエは執務室に引きこもると、そこから二昼夜の間、こうしていつもの机の上に突っ伏していたのだった。

「どうしてこうなっちゃったかなあ」
 とは言ってみたが、その理由がやっと理解されてきた。
 これだけ時間をかければそれなりの考えはまとまる。すっかり冷めてしまった茶を飲むでもなく湯呑に触れては離してみて、シロエはため息をついた。
「おいっす、シロ」
「直継……」
 前触れもなく執務室のドアを開けて現れたのは直継だった。
 ラフな部屋着の親友はそのまま執務室に入ってくると、トレイを机に置いて、あきれたような口調で話し出す。
「どうよ。そろそろ頭まとまってきたか。寝たのかよ、ひでえ顔してるな」
「寝癖ついてる?」
「おうよ」
「……さすがにちょっと凹んだ」
 寝癖を気にしながらのシロエの呟きは、我ながら子供っぽいといえるようなものだった。直継の前だと、いろいろ取り繕うものがはがれてしまう。なんだかどうでもよくなってしまうのだ。
「そう思い詰めるほどじゃねえと思うけどな」
「まあ、うん。そうかな」
「もっとうまくやれたとか思ってるんだろ」
「なんでこんなに不器用なんだろう、ってね」
 いろいろ反省点はある。
 アインスとの対話を避けていたというのは、その中でも大きなものだ。他のギルドの内政干渉をすべきではないという建前で、〈円卓会議〉以外の場面で個人的に連絡を取り、相互理解に努めるべきだった。
 好き嫌いの問題ではなく、やるべきだった。
 そうは思う。
 たぶんそれで随分と結果が変わったはずなのだ。ちゃんと相互理解が行えさえすれば。
「オレがトドメさしてやるけど、今よりましになったりはしないぞ? 考えるだけ無駄だ」
「そう……なんだろうね」
 直継の指摘もおそらく真実なのだろう。
 アインスの善意は疑いがない。
 しかしその善意に引きずられてすべてを投げ出すなんてできるはずがないのである。
 例えば火事の現場に幼子が取り残されていたとして、これを助けるのは善である。
 しかし、一方で準備もできていない救助者を千人単位で炎の中に突入させるのは果たして善か? おそらく善とはいえないだろう。それは被害を増やすだけだ。もちろん要救助者を見捨てるのは悪である。答えがない問題なのだ。
「で、どんなこと考えたんだ? 作戦参謀」
「うん。……もう、話は次の段階に入っちゃったんだな、ってのが分かった。つまり――〈円卓会議〉はもうおしまいだ」
「やっぱ〈ホネスティ〉が騒いでたあれか?」
 シロエは一晩かけて検討した考えを整理する。
 アインスの恐れていた無気力の蔓延は、おそらく今現在問題の中心ではない。

「いや。無関係じゃないけれどそれが直接的な原因じゃないよ。アキバの街の無気力の問題ってのはさ、きっかけというかてこというか……。〈第八商店街〉の調査でも、本当に動けないほど滅入っている人間は最大限見積もっても百五十名程度なんだよ。当たり前だよね、アキバにはもう一万二千人程度しか〈冒険者〉はいない。近隣の都市への流出が始まっているんだ。落ち込む人間が数千人もいるわけがない」
「へ? いや、そんなことないだろ。もっとたくさんいたと思うぞ」
 持ち込んだスコーンをわしづかみでムシャりと食いながら、直継は胡乱げな視線を向けてくる。
「いいやそんなことはないよ。それはたぶん印象の問題なんだ。アキバには一万二千人の〈冒険者〉がいるけれどそれは常駐しているわけじゃない。商売であちこちに行く〈冒険者〉や、魔物狩りの遠征に行く〈冒険者〉もいるから、ある瞬間この街に滞在している〈冒険者〉の数はたぶん八千人とかくらいじゃないかな。そのせいで、昼間からずっと路上にいる人や、街中で気力なく座り込む人が相対的に多く見えるんだ」
「あー。そっか」
 多く見える、多く感じる――というのがこの問題の本質なのだ。
 今まで気にもしないできたものが、ある段階を超えたとたんに解決不可能になってしまうような「気分」の問題であるともいえる。夏休みの宿題がある量と残り時間に到達した瞬間、諦めて努力することも難しくなってしまうように。
「それはたぶん〈ホネスティ〉の中でも同じだったんだ。〈ホネスティ〉の規模は現在二千名を超えたくらいのはずだ。その中に百名を超える無気力者がいたら、気持ちが先に追いつめられる。それしか見えなくなるし、解決なんてできないっていう気分になる」
「……どう考えてもあれは意地っ張りの顔だしなあ」
 直継は両目のわきを引っ張って糸目にして見せる。
 アインスの物まねなのだろう。
「でも逆に言えば、百五十は百五十でしかないんだ。減らしていくことは可能だったと思う。百人程度だったらいろんなギルドで少しずつ引き受けるとかでもいいだろうし、現に〈第八商店街〉の引き受けは始まっている。たぶん問題を解決するために必要なのは、そんな大げさな予算や制度や改革じゃなくて、マリエさんが五人もいればよかったんだ。もちろん、それで全員が立ち上がってハッピーになれるわけじゃないだろうけど、そんなの予算を付けたって一緒だし。……アインスさんには悪いけれど、この問題って聖なる剣(エクスカリバー)みたいな一振りで解決する策なんてないんだよ。そんなことを望めば問題そのものが悪化したり解決が遅れたりするんじゃないかな……。それ以上のことは、時間をかけるしかないんだ」
 後半は確信がなくて呟きになってしまったが、どうもシロエはそう思えてならない。シロエはそちら方面は明るくないわけだが、あるコミュニティに亀裂が起きかけているとき、強硬な手段――コミュニティの粛清や大きな方針転換や一部の人に負担を押し付けること――はその問題を解決するよりも複雑にしてしまうだけだという、漠然とした思いがある。
 結局人間には太陽が必要なのだ。世界を明るく照らして、そんなに悪いところでもないんだぞ、と言ってくれる人が。
 だからこそシロエとカラシン、そしてクラスティは、多少遠回りであろうと〈冒険者〉のレベルの底上げや〈大地人〉との交流を推し進めてきたのだ。
 シロエにはカナミや、直継や班長がいた。
 ミノリやトウヤに、五十鈴とルンデルハウスがやってきた。
 アカツキが、いてくれた。

「じゃあ問題はないんじゃないか」
「いいや、逆だよ。問題は大きくなってしまったんだ」
「そうなのか?」
 シロエも直継の持ち込んできた、おそらく班長謹製のマフィンを一口食べて続ける。
「やる気がなくなっちゃった人の問題は本来であれば解決可能な、もちろんそれは全員の心が晴れ晴れとして毎日楽しく暮らせるようにすぐさまなるというわけではないけれど、少なくとも僕たちには手も足も出ないような、何もできない問題じゃなかった。僕らにはもっとできることがあったはずだ」
 この世界は小さい。
 小さいからたかが百人やそこらの失望と無気力が街に暗雲を呼び込んでもしまう。
 しかし小さいからこそ、逆に言えばちょっとした努力で未来を変えることだって可能なのだ。百人の嘆息が呼び込んだ暗雲を、十人の笑顔が照らし出すことができるように。絶望することは、ないはずだ。

「つまり、本当の問題は、僕らが……自分から動くのをためらって、アキバを運営することから逃げていたってことなんだ。街に失望した人があふれているのは、僕らが本当に力を合わせていればケアできたはずなんだ。でもできなかった。それは、僕たちが〈円卓会議〉の権限を少しでも小さくしよう、みんなそれぞれのギルドがそれぞれに自分たちのことをやればそれでいいやと思っていたからなんだ。〈冒険者〉の身体は健康だし力もすごく強いし、大抵のことは魔法やアイテムで解決ができる。だから統治なんて必要ないって思っていた」
 たかが学生や若手の社会人に過ぎない自分だから、政治や、政府というような重いイメージのある組織を作るのは相応しくないと思っていた。無意識にしろ避けていた。
 しかしシロエよりも責任を持つべき〈冒険者〉なんてどれくらいいるだろう?
 このヤマトには〈冒険者〉が三万人しかいない。その中に政治や国家運営のプロがいるかと言えば、望みは薄い。いたとしても、中世の封建的な貴族社会とコミットした経験がある人間なんているわけがない。
 誰もが素人なこの世界で、素人だからなんて言うのは逃げ口上にもなりはしない。

「アインスさんがいら立ってて指摘したのも、結局はそこなんだよ。僕らは、全体としては、責任を取るつもりがなかったんだ。少なくとも対外的にはそういわれても仕方がない状況だった。僕は〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のギルマスとして発言はするつもりだったけれど、アキバを代表してしゃべるつもりはなかった」
「別にシロは悪くないだろ。そんな奴は誰もいなかった。それにその理屈なら、一番必要だったのはアインスの救難信号だろう? うちのギルドの中で起こったことだがみんなの助けが必要だ。アキバには政府がないからうちだけでは対処できない。たすけてくれ。そういうべきだった」
「それはそうかもしれない。でも、それは過去であって今はもう違うんだ。問題は別の段階になっちゃったんだよ」
「なんだそれ」
 シロエは視線を落として、無意識に持っていたペンをくるりと回した。
 自分の発言が自分を追い込むことが分かっているので、気が重い。しかしそういう場面でブレーキを踏まないのが自分(シロエ)だった。気が付いていないのならまだしも、気が付いてしまった事実を隠すのは悪だ。今までそうやって生きてきたし、今後も変えるつもりはないのだ。

「〈円卓会議〉を代表する人間はいない、ということはアキバはしゃべらないということで、それはこの世界において、アキバには自分の意見なんかない、何をされてもかまわないということなんだ」
「〈円卓会議〉じゃだめなのか?」
 シロエは口をつぐんだ。
 クラスティがいたときは良かった。
 あの何もかも心得たような無類の個性は、誰に何を言うともなくその雰囲気だけで〈アキバの支配者〉であるということを周囲に認めさせることができた。クラスティが〈円卓会議〉の議長であることに、参加ギルドのリーダーは一人も疑問を抱かなかったし、〈自由都市同盟イースタル〉の領主もそこに対して疑念をさしはさまなかった。
 クラスティはその王者の威厳ひとつで、〈円卓会議〉が決意しなければならない難問――政治的な主体組織になることもそのリーダーを選ぶということも、無効化してくれていたのだ。しかも、自らが支配者になって周囲にストレスを与えるということもなくだ。

「状況が変わったんだ。領主会議のとき、向こうは〈大地人〉の代表として接してくれた。でも、今は複雑になって、〈大地人〉側の統治機構でさえ〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉のふたつがある。特にウェストランデは〈大地人〉だけじゃなく、〈冒険者〉が含まれている」
「……」
「〈円卓会議〉には〈大地人〉は含まれていないんだ。――僕は〈円卓会議〉を立ち上げた最初の会議で『〈大地人〉のことも認めよう、一緒に生きていかなきゃだめだ』なんて言ったくせに、アキバの街の〈大地人〉の気持ちを汲み上げることもしてこなかったし、一緒の組織を作らなきゃいけないとも思ってなかった。事ここに至っては、〈大地人〉を含まない形の組織ではアキバの街をまとめるのにふさわしくない」
「そっか」

 それが今まさに直面している問題だ。
 〈円卓会議〉はもう限界なのだ。
 そもそも〈円卓会議〉は〈大災害〉で混乱したアキバ周辺の〈冒険者〉が再び立ち上がるための組織だった。それだけの組織だから、「〈大地人〉も含む五万人都市アキバ」を治める資格など、ないのだ。それでも今までやってこれたのは一方の当事者である〈大地人〉が不満の声をあげなかったことと、それぞれのギルドがギルド内部で解決できる問題を自己処理してきたからというだけで、ひとつのギルドがそれ単体で処理できない規模の問題が発生すれば「ちゃんとした統治組織が存在しない」という問題は、たやすく露見する。
 いま、それが明らかになってしまったというだけのことなのだ。

「アインスさんは、だから最後になって正しい。〈円卓会議〉じゃあもうダメだって、僕たちに教えてくれたんだ」
「んじゃ〈アキバ統治府〉とかいうのに参加するのか?」
「それは……」
 シロエは言葉に詰まる。
 〈円卓会議〉がもうだめだ。自治組織という強制力もない、ボランティアだよりで、自分たちのことしか考えていない遠慮の組織ではだめだということは、この二日間でいやになるほど考えた。
 でも、だからと言って〈アキバ統治府〉に再編成すべきかどうかの答えは出ていない。〈アキバ統治府〉に合流すれば問題が解決するという目途(めど)も立っていない。

「俺はその路線だって無理筋だと思うぜ? 会議ではアインスもいろいろ言ったみたいだけど、爵位もらうってのはどうか考えたって問題だろ。給料もらえばひも付きにはなる。小さな問題を解決するためにより大きなトラブルを呼び込むなんて帳尻が合わねえよ」
「うん……。とはいえ、この状況でほかの選択肢も」
 悩みながらシロエは直継に語りかけようとした。
 だからといって、アインス以外にビジョンを示した人間がいないのも確かなことなのだ。選択を放置するという行動で問題をここまでこじれさせてしまったシロエにとって、不選択というのは抵抗がある。
 このままじっとしていては、事態がより悪くなってしまうのではないかと感じるのだ。走らなくてはならない。が、周囲は暗闇で方向がわからない。
 それが今のシロエの視界である。
 必要な条件の確定すらできていない今、シロエに立案できる作戦なんてないのだ。
 散々な激流でシロエを振り回した今回の一件は、だがまだシロエに休息を与えるつもりはないようだった。
 ノックにつづいて顔をのぞかせたミノリは、事情を察しているのか、緊張した表情で一通の書状を差し出した。
「すいません、シロエさん。お客さんがいらっしゃってます。招待のお手紙を預かってきたとかで」
 それは今まさにシロエと直継が話し合っていた一方の当事者、〈ホネスティ〉のアインスから、個人的に面会したいという、招待の手紙だった。




◆ Chapter3.07 


 レイネシアが〈D.D.D〉を再び訪ねたのは前回からずいぶん時間がたった後だった。理由のひとつには〈D.D.D〉が解散に向けた事務処理で非常に忙しいという話を聞いていたからでもあるし、またレイネシア自身も度重なる一方的な通告ですっかり疲れ果ててしまっていたからだった。
 〈D.D.D〉に訪れたかったのは、婚約の話が進んでいるということを友人である(と言ってもらえた)リーゼに相談したかったからだ。
 しかしその機会がなかなか得られぬまま〈神聖公国ウェストランデ〉の使者が訪れ、婚約の話が広くアキバ中に知れ渡ってしまった。せめて自分の口から説明したかったのに、リーゼには手ひどい裏切り者だと思われているかもしれない。
 レイネシアは石を飲み込んだような気分で、それでも知らされた新ギルドハウスを訪れたのだった。
 表札側に掲げられた金属板には〈D3Hub〉(ディースリーハブ)と刻まれている。艶消し濃紺の鋼に、金色の文字の刻印だ。それは、どことなくクラスティの鎧を思い出させるような色合いだった。
 初めて訪れた新拠点は今までに見たことがないような雰囲気の建物だ。化粧煉瓦で再建された廃墟ビルの棟は、同行したアカツキにいわせれば「大正モダンかな」ということだったが、レイネシアには機能的で新しいデザインの建物のように思えた。とはいえ、一部の〈冒険者〉の施設のようにすべてが鉄でできた要塞風というわけでもなく、白漆喰と油磨きの胡桃床は清潔で、それでいて落ちついたレイネシアの目にも過ごしやすい拠点に思える。

「先日はすいませんでした」
「こちらこそ、突然お邪魔して」
 手を振って否定するレイネシアの前でケーキの箱を開けていたリーゼが小さく笑った。今日も円卓の制服を着ている。部屋の中には物静かなショートカットの女性、高山三佐とレイネシア、そしてアカツキの四人だ。
 アイボリーの壁を持つ部屋は広かった。三十メートル四方ほどはあるだろうか。レイネシアたちがいるのはロフト風に作られた屋内のデッキで、そこから作業室のような階下を見下ろすことができる。
 複数の木製テーブルは会食用よりも巨大で、そこには精緻な地図がいくつも広げられていた。庭を持たないこのずんぐりした館は、レイネシアの知識で言うのならば防衛騎士団の詰め所と〈地図屋〉の書庫を兼ねたような作戦指揮所であるらしかった。
 一方で、その作業室を見下ろす中二階は、手すりに囲まれた空間で、円形のローテーブルやソファがしつらえられている。畝織の絨毯に、大きく作られた縦長の窓から差し込む談話室のような作りだ。
 階下に見える作戦室は、やや雑然としていたが人の気配はない。引っ越した直後で、まだ十分に整理がされていないような印象を受けた。
 この広い空間に、四人の女性が集まっているのだ。
 手慣れた様子で茶器を出す高山三佐は、一定のペースでデニッシュやジャムといった軽食を〈魔法の鞄〉(マジックバッグ)から取り出し並べてゆく。

「そのう」
 リーゼとレイネシアは、どちらからともなく切り出そうとして、互いに見つめあい、遠慮しあって、気まずく謝罪を交わした。
「本当にうちのギルマスがすいません」
「申し訳ありません」
 リーゼと高山三佐の二人が先手を取って頭を下げた形となった。
「本来であればミロードがここにいるべきなのですが。事故に巻き込まれ、ユーレッド大陸で足止めを食っているようです。特殊なバッドステータスで移動に制限を受けていると連絡を受けております」
「そう、ですか……」
 ここにいるメンバーは、カラシンとレイネシアの母サラリヤの会話を知らない。だから、クラスティがレイネシアをある意味傷物にしたとまでは考えていないし、そんなことを告げられたらびっくりして首を左右に振るだろう。
 しかし一方で、守護騎士というものがいわゆる後見人であるということは〈冒険者〉にだって知られている。かかわりの深いリーゼたちならなおさらだ。
 レイネシアの将来がどうなるにせよ、レイネシアはそれを後見人に相談する権利があるし、後見人は相談に乗る義務を負う。その意味では、クラスティがこの場にいないというだけで、それはクラスティの手落ちであるのだ。その理屈は現代地球人であるリーゼや高山にもわかる。
「いいえ、わたしのほうこそ。相談前に勝手に話が広まってしまい申し訳ありません」
 一方でレイネシア側も罪悪感を持っていた。
 本来はちゃんと相談をして手続きにのっとって進めるべきところを、いきなり市中で発表という形になってしまったのだ。貴族社会で言えば、これはとてつもなく無礼なやり方であり、使者を立ててきた斎宮家の不始末である。ではあるのだが、その不始末も「商人から貴族に取り立てられた私の不始末です」とマルヴェスに開き直られては追及しにくい。そもそも、結婚をすれば斎宮家の加護下で暮らすことになるレイネシアは、将来を考えれば婚姻先に追及をすることも難しいのだ。本来であれば後見人というのはこのようなケース、つまりレイネシアが追求しづらいような相手のミスの追及や婚姻条件の話し合いのためにいる代理人なのである。
「話が進みませんね」
「はい……」
「お茶を飲むといいと思う」
 互いに気まずい雰囲気をどうにかしようと四苦八苦しているのを救ったのはアカツキだった。マイペースな彼女は、いつの間にかマイ湯呑をとりだしてティーポットから注ぐと、小動物のようにそれを抱えている。
 そうしましょうか、という誰に断るでもない曖昧な笑みを浮かべて、リーゼとレイネシアはしばし目の前に湯気に現実逃避をするのだった。

「結婚なさるのですか?」
 短くはない沈黙の後、リーゼが尋ねた。
 おそらくそれは為されるだろうと考えていた質問だ。
「はい……。その……。〈冒険者〉の皆さんにとっては早い、という話は聞いていたのですけれど、〈大地人〉(わたしたち)にとってはそんなことはなくて、むしろ立場から考えれば遅いほうなのです」
 思っていたよりもずっと滑らかにレイネシアは返答をすることができた。
 そう聞かれたらこう答えよう。そんな風に考えていたわけではなかったが、それでもそれは予定されていたかのような答えだった。
 当たり前だがレイネシアは結婚をしたことがない。だから結婚については知らない。斎宮家を訪ねたこともないし、それを言うならば〈エターナルアイスの古宮廷〉より西に行ったこともない。もちろんウェストランデが実際にはどんな場所なのかも知らない。トウリという配偶者の声も顔もわからない。
 知らないことは話したくない。
 友人(リーゼ)に嘘をつきたくないせいだ。
 だからおのずと答えられることは少なくなり、残った内容を継ぎ合わせれば、返事になった。それだけのことだった。
「そうですか」
 沈痛を現したリーゼに何かを言いたかったレイネシアは自分の中に言葉を探した。リーゼに差し出せる、嘘ではないなにかを、自分の中で探して、選んで、より分けて……徒労のようなその行為で、レイネシアは自分は思ったよりもずっと空虚で張りぼてなのだと失望した。
「その……」
 それでも、残った残骸をかき集めると、何とか伝えようとリーゼを見つめた。
「――公爵家の娘は、そのために育てられてきたのですから」
 囁くようになってしまったけれどちゃんと伝えることができたと思う。
 不思議なことに、その言葉を聞いたとたんに深い溜息を吐いてソファに身を預けたのは高山三佐だった。彼女は痛ましいものを見るような表情でレイネシアを見ると、首を左右に振って視線を落とす。

氏族(ギルド)を解散してしまうのですか?」
 レイネシアはその様子に何だか罪悪感を覚えて、ずっと気にかかっていた質問をした。リーゼと高山三佐は視線を交わすと頷く。ええ、という肯定がその返事だった。
「ミロードの指示があったというわけではありません。どちらかといえば私たちの都合です」
 リーゼはぽつぽつと話し始めた。
 それはレイネシアのように言葉を探しながらというよりは、言葉にすることで何かを確認していくような口調だった。
「もともと〈D.D.D〉をこの世界で運営をするのには無理があった、ということです。〈D.D.D〉(わがギルド)はヤマトサーバーで最大規模の戦闘系ギルドです。二十四人規模戦闘(フルレイド)を楽しみたい人のための自動部隊編成(マッチング)機能を、外部サーバでWebサービス化していて。……レイネシア姫にはわかり難いですよね。えーっと」
 人差し指を振って説明を考えあぐねるリーゼに、高山三佐が落ち着いた声で助け舟を出す。
「運営を支えるために百人規模の文官組織があったような状況でした。しかし〈大災害〉で連絡が取れなくなった」
「そんな感じです。今の私たちは、こんなに大規模なギルドを切り盛りするだけの実力が足りてないんです」
 理屈で考えればそれもわかる気がした。
 〈D.D.D〉は総員千五百名を超える規模の巨大ギルドだ。そんな規模の騎士団は〈自由都市同盟イースタル〉のどこにもありはしない。しかも本来はより大きな組織であり、〈大災害〉により内部事務をつかさどる文官が失われてしまったというのであれば、その混乱はいかほどのものがあるだろう?
 レイネシアは自分とさして変わらない年齢のリーゼを見た。
 そんな巨大組織を切り盛りする才女に、それを続けていける〈冒険者〉である彼女の凛とした表情に、胸がちくりと痛んだ。

「そうですか……。でも、それは、そんなに悪いことではないんですね?

「ええ。〈常蛾の眠り事件〉でシロエ様を見ていて気が付きましたました。今の私が支えるのは激ムズです。でもそれでいいんだって。私は、私に支えられる範囲を、丁寧にやるしかないんだってわかりました」
 そのリーゼがせいせいとした表情を見せたので、レイネシアは胸の痛みを無視して微笑んだ。彼女が言う通り、きっと悪いことではないのだろう。
「それでハブなのか? 蛇なのか?」
 隣に座っているアカツキは今ひとつピンと来ていない表情だが、これはリーゼという女性のひとつのチャレンジなのだ。
「蛇じゃありませんよ。Hub(ハブ)は中心という意味です。――〈D.D.D〉そのものは解散しますが、規模は縮小しません。むしろ〈D.D.D〉から沢山のギルドが産まれるんです。戦闘連隊も解体して、大隊規模に分割して、独立採算を目指します」
 リーゼが目をやる作戦室の壁には、無数の木の札が駆けられている。
 見やればそれらはすべて氏族(ギルド)名なのだった。
「ギルドマスターがたくさん増えて、自分たちの面倒は自分たちで見る体制になるでしょう。もともと〈D.D.D〉は自給自足を目指していたために生産部門もありました。部門ごとに独立化して、連携を図る方式にしてゆきます。不安はありますが、でもみんなやる気があります。ミロードが見たらがっかりするかもしれませんが、これが私たちの出した答えです」
 それは不思議な高揚感をもたらす創造だった。
 〈D.D.D〉は砕けるかもしれないけれど、死ぬわけではないのだ。
 それどころか欠片のひとつひとつが輝いて新しい星座をつくるのだという。
 リーゼのきらめく瞳には意思の力が宿っていた。
 将来がどう転ぶかわからないというのにその嵐の中に飛び込もうとする挑戦の色だ。
 レイネシアはその色を知っている。
 ツクバの領主が手紙を持たせた若い商人と同じだ。
 あるいは鍛冶を学ぶために長い旅をしてきたドワーフと、歌を求めてたどり着いた片耳のちぎれたエルフと。つまり、自らの身命を未来にかけた者たちと同じ、あの燃えるような期待と自負の誇りの色なのだ。

「〈D.D.D〉はギルド連合になります。メンバーに〈大地人〉の方々を広く受け入れて、今のアキバに合わせた、もっともっと強い場所に」
 リーゼの宣言は、強くレイネシアの胸を打った。
 レイネシアは祝福しようとして口を開き、声が出ずに困惑した。胸を押さえて、口を開き、困ったように救いを求めて、自らの膝を見下ろした。
「どうしました?」
「その、びっくりしました。なんでびっくりしてるんでしょうか……」
 高山三佐の慰めるような柔らかい声の問いかけに、必死にそれだけを返したレイネシアは、自分の胸の中で吹き荒れる嵐のような衝動に溺れないように、固く固くこぶしを握り締めて、友達を心配させないために笑った。
 だが、その笑いは情けない半笑いだと、ちっとも淑女のそれではないと、自分でもわかっていた。
 震えるこぶしを、なぜか横から覗き込んだアカツキが握ってくれた。

「ミロードが通信で言っていました。『盗られて悔しくないのなら最初(はじ)めから自分のものではなかったのです』だそうです。どうやらミロードはあちらの大陸(サーバー)で敵と出会って、何かを奪われたようでして……。それと戦い、滅ぼすまでは帰ってこないようです」
 レイネシアの様子に口を閉ざしてしまったリーゼに変わり、高山三佐がゆっくりとした口調で丁寧に説明をしてくれた。
「恐ろしい戦いなのでしょうか? クラスティ様は試練を受けているんですね」
 それは、大陸で鬼神のような戦いを続けているはずのクラスティの消息だった。生存と所在は聞いていたレイネシアの守護騎士は、ユーレッドでも闘いの日々を送っているらしい。
 そう思い込もうとしたレイネシアだが、それは半分も成功しなかった。皮肉気な、そのくせ目元だけは優しくすがめた妖怪眼鏡が、その言葉を耳元で囁いた気がしたのだ。それは、クラスティがクラスティ自身について語った言葉なのかもしれないが、レイネシアにはそうは思えなかった。
 レイネシアに向けられた言葉のように響いたのだ。
 それをごまかすために絞り出した理解と同意の言葉は、高山三佐のあっさりとした否定の首ふりで遮られた。
「いいえ、とんでもない。ほかには『やっと楽しいことを楽しいと認めることができました。地球の家は捨てるので、アキバの家はよろしくお願いします』なんていうことも言っていました。丸投げですよ」
「ヒドイな」
 一瞬あっけにとられるレイネシアの代わりをアカツキが語ってくれた。
 前半は何を言っているかわからないが、アキバをリーゼたちに押し付けて、大陸の楽しい戦いに集中するといっているように聞こえる。困惑して答えを求めれば、リーゼがこくりと頷いた。
「ええ、本当に申し訳ありません」
「困った以外に言葉はありませんよ。昔から周囲を振り回すところはちっとも変わりありません……。けれど、良かったのでしょうね。〈冒険者〉の世界の話なので詳しい説明は避けますが、ミロードも面倒な生い立ちです。それを捨てるというのですから。大事なものの区別がつくようになったのだとおもいますよ。ずいぶん時間がかかりましたけれど」
 レイネシアの胸に吹き荒れていた衝動が、呼吸を止めたように静まるのがわかった。それはいまだ理解ではなく、理解の予感にすぎない。何を伝えられたのか、本当に理解してしまったら大変なことになるという予感が身体をぶるりと震わせた。
 息を詰めるような一瞬の空白の後、胸を突き動かす焦慮は、その激しさのままで燃えるような熱さになった。
 それは羞恥と、屈辱と、憧憬だ。
 叫ばないようにレイネシアは必死に自制をしたが、こんなに激しい思いを持ったのは〈エターナルアイスの古宮廷〉で会議に乗り込む決意をした時以来だった。あの時の青ざめるような、そして周囲が遠くなるような孤独と決意とはまた違う、胸を炎であぶられるような辛く激しい感情をレイネシアは必死にくいしばった。

――わかっていたんだ。
――こっちのことをわかっていて、伝言したのだ。
――どんなに遠くからでも、あの妖怪は私を。
――私の心を、覗き込んで、私の知らないことまで、正しく言い当てるのだ。

 見透かされた羞恥の中で、指摘されたそれはレイネシアの強欲だ。
 レイネシアは愚かで、今までソレがなかったから自分がそんなに欲深い思いを抱えていることに気が付きもしなかった。
「『盗られて悔しいもの』だな」
 物わかりの悪いレイネシアがまだ言葉にしないでいたものを、黒髪の少女が補ってくれた。
 そうだ。
 盗られて悔しいものだ。
 レイネシアは、このアキバが好きだったらしい。
 アキバで過ごす日々も、アキバでこうしてレイネシアと過ごしてくれる友人も、大好きだなのだ。
 そしてそれ以上に、レイネシア自身が全く分かっていなかったけれど、レイネシアはレイネシア自身が〈水楓の館〉で行っていた仕事が大好きなのだった。
 希望にあふれた〈大地人〉(どうほう)の手を引き、背中を押し、上手くいったときは誇らしい気持ちになり、上手くいかなければ自分が失敗したような気分になる。
 あの執務室の中で、様々な人と出会い、その人生の物語に耳を傾け、応援するのが好きだったのだ。
「ああ……」
 レイネシアはため息のような、泣き声のような音が自分の口から洩れるのを聞いた。自分の愚鈍さに打ちのめされていっそ消え入りたいような気持を味わった。
 何もかも思い通りにならないと、周囲の希望を叶える人形のような一生を終えるのだと、自分を憐れんでいたから、こんな簡単な自分の気持ちさえ自覚できずにいたのだ。
 顔から炎が出るように恥ずかしかった。
 そして同時に胸が焼けるように悔しかった。
 アキバで長い時間を過ごした。その時間のあらゆる部分に、輝かしい笑顔と誇りに満ちた決意の表情が浮かんでいる。無数の〈大地人〉。無数の〈冒険者〉。ヒューマン、エルフ、ドワーフ、猫の人、狼の人、狐の人。ありとあらゆる人々。傲然と顔をもたげ、自分の未来にまっすぐ突き進む勇者たち! レイネシアの役割は彼らに手を振ってエールを送ること。助けになるように手紙を書くこと。手を携える友を紹介すること。それはいつしか、レイネシア自身の小さな誇りにもなっていたらしい。
「ごめんなさい……」
 何に対する謝罪なのかもわからないまま、レイネシアはうつむいて吐き出した。
 あんなにも文句を言いながら、自分だけの仕事だと思い込んでいたのだ。
 その増上慢(ぞうじょうまん)にめまいすら覚える。
 自分では散々に、大した仕事ではない、本当は手抜きをしてゴロゴロしたいとうそぶいていたくせに、本当はこの仕事が大好きで、自慢にさえ思っていただなんて、いまさらそんなことを理解してなんになるというのだろう?

「……ごめんなさい。私、悔しいものが、あったみたいです」
 レイネシアは生まれて初めて、悔しさの涙を流して告解をした。
 自分のものだと思っていたのだ。
 だからこそ、それを奪われるのが耐え難くこんなにも辛い。
 ただ間違ったままにするのには、それはあまりにも神聖すぎる感情だった。胸に秘めたままにしておくのは、何に対してかはわからないが裏切りだとすら感じられた。
 レイネシアはその思いに突き動かされるように友人の前で懺悔をした。震え声で、貴族とはとても思えないような態度だったが、胸に秘めておくことはできなかったのだ。
「私は、この街(アキバ)が、私の仕事が(、、、、、)大事です」
 自分への処罰のようなその告白を、三人の立会人は笑わなかった。
 レイネシアの友人たちは、やさしく彼女を抱きしめてくれたのだった。


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