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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊

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◆ Chapter3.01 



 噂はアキバの街を駆け巡った。
――アキバの街を貴族が保護するらしい。
――それもとてつもなく高位の貴族だという話だ。
――その貴族は〈円卓会議〉にも席を持つ。
――レイネシア姫の結婚も決まったそうだ。
――新しい貴族はそのレイネシア姫からの祝福を受けてアキバの街を治める。
――近々大規模な祭りが開かれ祝い金がふるまわれる。
 囁きかわす声はやがて熱気を帯びた口調へと変わり、街の片隅で、酒場で、商店で、そして宿屋や多くの集合住宅を舐め尽した。

「これはちょっと……。予想外だったな」
 シロエはテラスのダイニングテーブルで口をへの字に結び、眉間をもむ。
 普段は執務室、という名前のもはや自室で様々な作業をしているわけだが、それだけでは気が詰まってしまうので、こうした共用スペースで考え込むこともある。
 今日は来客もあり人数が多いこともあってなおさらだ。
 メンバーはシロエを中心に〈海洋機構〉からはカーユ、〈黒剣騎士団〉からはレザリック、〈西風の旅団〉からはナズナ、〈三日月同盟〉からはヘンリエッタと実務の中心者が集まっている。ギルドマスターがほかのギルドの本拠地を訪ねると目立ちすぎるという理由で選ばれたが、全員がそれぞれのギルドの内意を受けて動いているため、実質的には〈円卓会議〉の一部が集結しているといえた。
 シロエの横には似たようなウッドチェアに正座をしたアカツキが「口出しはしないぞ」とでもいうような表情で湯飲みを持っている。そして珍しいことに、この場にはさらに二人の参加者がいた。
 ルンデルハウスと五十鈴だ。
 五十鈴は普段より緊張した表情で落ち着かなげだったが、その彼女をかばうようなそぶりで会議に参加するルンデルハウスは、元の性格もあるのだろうが物おじせずに発言を続けた。

「そして、あまり良い傾向だとは思われないのだ。ギルドマスター」
 ルンデルハウスは、シロエからみてダイニングテーブルの角を挟んだ左側に座っている。このテーブルは十五人掛けの長方形のもので、かなり大きい。
「うん、続けて」
 シロエは他の参加者を代表して促した。
 そもそもこの場にルンデルハウスを呼んだのは彼である。ルンデルハウスが元〈大地人〉であるという事情を、ことさらに詳しく説明したわけではない。もしかしたら気がついているかもしれないし、そうではないかもしれない。しかし〈記録の地平線〉の若手であることは見ればすぐわかる。そのルンデルハウスが話しやすいように、そして〈円卓会議〉の副官たちにできるだけ情報共有を行うために、ここはシロエが支援をするのが筋だろう。
「……アキバに住む〈大地人〉の大勢は無邪気に喜んでいる。……確かに彼らの気持ちもわかるのだ。今までのアキバには貴族がいなかったから。〈大地人〉は勝手に住み着いて暮らしているだけだ、と言われれば、そうとも取れる状態だった。もちろん僕はこの街が、〈円卓会議〉によって自治されている自由都市のひとつだということは理解している。〈自由都市同盟イースタル〉の傘下ではないが、同等の契約を持って立っている同盟だということもだ。でも、多くの〈大地人〉にそんな知識はないんだ」
 ヘンリエッタとナズナが大きくうなずいた。
 彼女たちはいま、自分が街で感じてきた印象とルンデルハウスからもたらされる新しい視点をすりあわせているのだろう。どのギルドの副官の瞳にも理解の色がある。
「彼らは心のどこかで、自分たちを流民だと思っている。ギルマスはどこまで知っているかわからないが、このアキバのたどり着く〈大地人〉は、多かれ少なかれ故郷を追われた者たちなんだ」
 流民。逃散民。難民――それらの言葉は重い。
 もちろんニュースで耳にする言葉ではあるし、中東と欧州の間にある政治的緊張のキーワードでもあるこれらの言葉の意味がわからない参加者はここにはいないはずだ。しかし、日本での日常生活で頻繁に使う言葉ではないことも確かなことだ。その意味を実感しているとは、シロエにも言えない。
 しかし、それはルンデルハウスにもわかっていたのだろう。
「うーん。どこから説明すればわかってもらえるだろう。多くの〈大地人〉は農村で生を受けて畑を耕しているわけだが、畑や、果樹園などはそうそう増えるものじゃない。開拓するにしたってモンスターの脅威が濃い森や谷を切り開かなくてはならないだろう? 蓄えが余っている村なんてない。ちょっと天候が悪化したら飢えることだってある。つまり、村で暮らすことができる人間の数なんて決まっているようなものなんだ。だから、一家の長男はいいとしても、次男や三男は家の手伝いをして生きていくしかない。……当然肩身も狭いし、結婚なんてできない。女性もそうだ。畑を持っている家の長男にうまく嫁入りできればいいけれど、そんな風にうまくいくのは一部だけだ。貴重な職能――例えば〈鍛冶師〉や〈細工師〉、〈醸造職人〉なんかを持っていれば村での地位も望めるけれど、そうでなければ居場所はない。周囲の顔色を窺って、おこぼれで食いつないでいくか、それが嫌なら出ていくしかない」
 彼は真剣に、しかしどこかもどかしそうに言葉を探しながら、短くはない説明で伝えようとしている。その背後には、ルンデルハウスを心配そうに、でも強情な表情で口を引き結んだ五十鈴がいた。

「それで流民なのか」
「……日本でも昭和初期ではそのような状況だったと読んだことがあります」
「あー。おしん」
「それは明治の話でしょ」
 とぼけた感想を漏らすナズナにヘンリエッタが答えた。じゃれあいのような会話だが、参加者の表情は誰も緩んではいない。リアリティを持って受け入れられたわけではないが、おそらくそれはとても厳しいのだろうという共感はできる心の持ち主たちなのだ。
「気を悪くしないでほしい。これは何もアキバのだけに限った話じゃないんだ。この街がなかったとしても、そういう村はヤマトのどこにでもたくさんあって、そういう居場所がない人々は減ることがない。むしろアキバはとても条件のいい場所だ。給金もいいし、なにより学べる。この街にたどり着くと、サブ職が変わることさえ沢山ある。ミス五十鈴も驚いていたけれど、これは本当に奇跡的なことなんだ」
 振り返って〈吟遊詩人〉に視線をやるルンデルハウスに、〈記録の地平線〉で一番の歌い手は「うん」と大きくうなずいた。
「ルディのは特別だけど、サブ職がクエストで変わるってあることなんでしょ? シロエさん。だから、みんなすごく頑張ってる。工房に弟子入りを志願したり、ただのお弁当販売の、それこそバイトみたいな仕事だって誰にも負けないほど真剣に……。だって、そうすればサブ職がかわるかもしれないから」
「そういうことですか。……転職クエスト扱いという」
 思慮深げにレザリックがつぶやくと、ルンデルハウスは頷いて「そうです」と肯定した。
「〈大地人〉にとっては奇跡に等しいのだ。〈農夫〉であった女性が〈売り子〉や〈会計士〉のサブ職を得られるなんて。ここは本当に素晴らしい(ワンダフルな)街だ。でも、やっぱり不安はあったんだ。流民は、流民だったから。――せっかくこの街に家を持っても、家族と呼べるものを作っても、認められないかもしれない。勝手に居ついただけだからいつか追い出されるかもしれない」
「そんなことないのに!」
 淡々としたルンデルハウスの説明に、耐えかねた五十鈴が返した。それはたぶん、「私たち〈冒険者〉はそんな不人情なことはしない!」という抗議の気持ちが飛び出した言葉だったろう。ルンデルハウスを遮るような形になってしまったが、シロエたちの誰もが窘めなかったのは、思いとしては同感だったからだ。
「でも、不安は消せない。そしてそんな不安が解消されるかもしれないのが、アキバ公爵のの着任なのだ」
 ルンデルハウスにもそれは伝わっていたのだと、シロエは思う。
 彼は柔らかいまなざしを五十鈴に投げて、穏やかに報告を締めくくった。

「ふぅ」
 いくつかのため息が漏れた。
 知識の共有を行うために今まで発言を控えていた副ギルドマスターたちのものだ。シロエを含めて、〈冒険者〉である彼らにとって〈大地人〉の内面はなかなかに難しい。普段の生活における、美味しい、眠い、助かった、助けられた、嬉しい、悲しい程度であればもはや隣人と言って差し支えないほどにわかるが、それが生育状況であるとか貴族との付き合いとかに及ぶと話は別なのだ。今もたらされたルンデルハウスからの説明に対しても、それをはじめにシロエが聞いたときと同じような反応、つまり困惑を感じているようだ。

「事情は分かったけどね。こっちでサラに聞いた感じもほとんど同じだよ、シロエ」
「そうですねえ、ほんと」
 報告がひと段落し、ナズナが裏付けるようにいった。
「しかし、こりゃあチェックメイトじゃないっすかね」
 言葉面は軽いが、だがカーユの表情も厳しいものだった。
「ここにいる皆さんもご存じでしょうからぶっちゃけちゃいますが、〈海洋機構〉に納入される素材の八割以上は〈大地人〉からのものなんですよね。木材にしろ鋼材にしろ。消費激しくてピストン輸送で送ってもらってますよ。うちら生産ギルドは〈大地人〉にそっぽ向かれるわけにはいかないんですよね。〈円卓会議〉はアインスさんに首根っこ押さえつけられちゃってると思いますよ」
 鼻の頭を掻きながらも、カーユの言葉は苦い。
 シロエにもそれはわかっていた。
「でもそういう取引は農村とか山の〈大地人〉とやってるんだろ? アキバの街で暮らしてる〈大地人〉ってほとんどはうちのサラみたいに〈家政婦〉とか売店の〈売り子〉とか職人見習いなのに、そこまで致命的なのかい?」
「アキバ公爵ってのは名前でしかないんですよ。その権力範囲はアキバだけに限った話じゃない。――この話、周辺の村とかにまでもう回っちゃってるんです。鉄鉱石なんかは遠くから持ってきてる現状はありますけど、生鮮食品は近郊に依存してるでしょ」
「あー」
「そうなんですよね」
 噂の周りが早い。
 そして〈大地人〉は歓喜に湧いている。
 この流れを断ちきるのは並大抵のことではない。
 シロエは頭を抱えたくなった。
「アインスさんが手に入れたカードはかなりエゲつないパワーあるってことです。食料自給率を人質にできるわけですからね」
「ま、でも。実際にどこまでそのカードが効くかなんてやってみなきゃわからないんじゃね? ちゃんと説明してくれれば食料売ってくれる人だっていそうだし」
 カーユに反論するナズナだが、この件についてはカーユに分があるだろう。
「アインスさんは何も〈大地人〉の生産者を脅迫する必要もないんですよ。アキバの街はいままで通りいろんな素材を買い取る。ただしその窓口は〈ホネスティ〉が行いたい、そういうだけでいいんです。彼らからすれば、それだけで貴族の保護が得られる」
「そうですわ。そして生産系ギルドにはマージンを二十パーセントほど乗せて転売すれば良いだけ。それだけで毎月数十万規模の手数料が手に入ります。そして『お前の所には卸さない』という交渉カードもいざという時のためにキープできる。手に負えません」
 ヘンリエッタも持ち前の才知で正確に状況を把握している。
 価格競争で買い付けを行う、というのも難しいだろう。
 〈ホネスティ〉が生産者に提案しているのが高額の買い取り価格なのであるならば、それ以上の金額を提示するという方法で状況をひっくり返すことも可能だ。しかし、〈ホネスティ〉が提案しているのは価格ではなく、保護の安心感であり、その代替物を提供する能力はシロエたちにはないのである。
「あちゃー」
 同性からの説明にようやく理解が到着したらしいナズナは、大規模戦闘(レイド)で物理攻撃無効のモンスターに遭遇した時のような声を上げた。

「今はまだ情勢揺れてますが、次の〈円卓会議〉ではアインスさまのいう要求も考えなければなりませんでしょうね」
うちの支配人(ミチタカさん)も同意見です。水差されたってブツクサいってましたけどねえ」
 嘆く面々に、シロエはゆっくりと首を振る。
「それだけではすみません」
「え?」
 シロエは事前に相談を受けていた〈黒剣騎士団〉の副官、レザリックに視線をやった。ストイックな印象の苦労人は、シロエの視線にこたえてさらなる問題点を話し始める。
「――〈黒剣騎士団〉はいまマイハマで教導任務を受けているわけですが、マイハマ以東の貴族たちは、今回の件でハリネズミのように警戒しています。〈自由都市同盟イースタル〉と同盟していたアキバが、〈神聖皇国ウェストランデ〉の傘下に入ったんじゃないか? って」
 それは……。
 誰かの声が上がったがそこで途切れた。
 それは、そうだろう。そういわれても仕方がないだろう。
 そもそも〈円卓会議〉のメンバーは立ち消えになったとはいえ、〈エターナルアイスの古宮廷〉において〈領主会議〉から貴族位を受けることを断っているのだ。実際に爵位を授ける儀式を行う前のいわば根回しの段階で謝絶したために、公式に断ったという事実はないのだが、それでも〈自由都市同盟イースタル〉の領主たちにとってそういうやり取りがあったのは周知の事実である。
 〈神聖皇国ウェストランデ〉から公爵位を授かるともなれば、なびいたとみなされても言い訳をするのは難しいだろう。
 シロエがイースタルの貴族だったとしてもそこは疑う。
 重い溜息がこぼれた。

「貴族の考えからすれば、その懸念はしかたない――と思う。〈冒険者〉にはわかりづらいかもしれないけれど、貴族の位は上位の貴族……多くは皇王が与えるものだから、その支配下に入ったという宣言と同じ意味を持つのだ……」
 ルンデルハウスの言葉にも返事をする人間はいなかった。
 共有しているのは、とてつもない面倒が起きる予感だ。
 シロエたち〈円卓会議〉に争うつもりはない。そして幸い、〈円卓会議〉は〈自由都市同盟イースタル〉よりもかなり大きな戦力を持っている。だから、よほど突発的な事故が起きない限り、戦端が開かれることはないと思えた。
 しかし、それは同時に直接的な武力衝突以外の、あらゆるもめ事や厄介ごとが起きる可能性を示している。
うちの大将(アイザックくん)がセルジアッド公に釈明に行くって言ってましたから、いますぐ揉め事ってことにはならないと思いますけれどね。でも随分と感情の拗れがあるみたいですし……。なかなかこれはうまくない流れだと思いますよ」
 レザリックのやつれたような表情は、ある意味シロエや参加者たちの内心の鏡のようなものだった。
「ねえ、これ。詰んでね?」
 ぼやく様につぶやいたナズナの言葉に同意したい人もいただろう。
 とはいえ、ここにいるメンバーは投げ出すことが許される立場でもないのだった。



◆ Chapter3.02 



「ああああああっ」
「ウゼェ」
 突如奇声を上げてつっぷすカラシンの脛をアイザックは蹴りつけた。
 いつも何かにつけて朗らかで時にうざい人間なのだが、今日はいつになくうっとうしい。ここ最近はお互い普段着にしている円卓の制服に身を包んだ二人は、〈第八商店街〉が経営するマイハマの酒場で何杯めかのビールを飲んでいた。
 鈍い音がしたがカラシンはどんよりした表情で取り合わなかった。九十レベルになった〈冒険者〉は軽く蹴った程度では痛がりもしないのだ。
「なんだよしけた顔しやがって」
「ぼかあいつもこんな顔ですよ」
 どんよりとした表情のカラシンを放置して、アイザックは大きな口でフライを頬張る。今日は白身魚らしい。薄めの衣に、粘度の低いウスターソースがよくあっている。付け合わせのジャガイモを二三個まとめて口に放り込んでから、ビールで一気に流し込む。きりっと冷えているところがたまらなかった。〈大地人〉の店ではまだまだこうはいかない。

「もっと無意味に景気よさそうな顔で笑ってただろ」
「社交性が売り切れたんですよ」
「めずらしいな」
 アイザックは別段気を遣うつもりもなくそう尋ねた。
 目の前にいる青年、つまりカラシンは〈第八商店街〉というギルドのリーダーであり、つまりは自分と同格だ。身内でも部下でもないので下手に出る必要も優しくする必要もないのである。
 そもそもアイザックはカラシンが打たれ強く、見た目よりもずっとタフな男だと最近では理解している。へこんだ表情をしているかもしれないが、どうせそれは擬態で、何か企んでいるかもしれないのだ。それに振り回されてやる必要をアイザックは一切感じなかった。
「まあ、たまには自己嫌悪するときもありますよ。売り言葉に買い言葉とはいえ、アインスさんに喧嘩売っちゃった後にこの流れっすからね」
「あー」
 アイザックはさらにフライをむしゃむしゃと食べると、思い出して肩をすくめた。
「ありゃアインスが悪いだろ。無茶言い過ぎだ」
「そうなんですけどねー。けどねー。あー。どうしてあの人はああも面倒くさいこと言いだすかな。公爵だとか、どんだけ揉めるかわかってるくせに。いや、わかってますよね? さすがにわかってるよねえ?」
「知らん」
 アイザックはそう一刀両断にしたが、まあさすがにわかってるだろ、とは思った。アイザックはここ最近ずっとマイハマ騎士団付きで暮らしているわけで、騎士団の人間とも、そして他領の貴族とも言葉を交わす。そうなるとわかるのだが〈神聖皇国ウェストランデ〉は〈自由都市同盟イースタル〉にとって、完全に仮想敵である。
 アインスが公爵位を受けたというのは〈神聖皇国ウェストランデ〉からなので、その意味ではマイハマを含むイースタル同盟の貴族や騎士は、大きな苛立ちと疑念を〈円卓会議〉に対して抱いている。
(まあ、そうだろうな。出入りの業者が、突然商売敵との取引を開始したんだ。裏切るのかって話になる。貴族なんて土建屋と一緒でメンツに命かけてるような連中っぽいしなあ。なんで根回しひとつできないんだろうなあ、あの先生は)
 丈夫な歯でからりと揚がった白身魚を咀嚼したアイザックは、ビールを一口飲んでからあっけらかんと続ける。
「おい、カラシン。〈黒剣騎士団〉(うち)はマイハマにつくぞ。セルジアッドの爺さんにも、水曜日、そう報告した」
「はああ! なんでそう先走るんですかっ!?」
 腰を浮かせたカラシンがびっくりするのとあきれ返るのと両手で天を仰ぐのを器用に同時進行しながら叫ぶ。
「馬鹿野郎。誠意ってのはな、見せるためには速さがいるんだよ。別のところから耳に入って気持ちがこじれた後じゃ話にならねえだろ。アインスは〈神聖皇国ウェストランデ〉についた。〈円卓会議〉もそうらしい。そんな風になった後じゃ、できる話もできなくなるだろ。他が落ち着くのなんか待たないで、ズバッと『ウチはアンタのところにつく。他がどうでも変わらねえ』って約束するから意味があるんだろ」
 背もたれに反り返ったアイザックは、口をパクパクとさせるカラシンに断言する。こんなことで狼狽えているところを見ると、最近見直したとはいえ、カラシンは(すじ)とか仁義というものには疎いらしい。アイザックが務めていたような、田舎の中小工務店にとって、それは施工能力よりも時には重要な要素なのだ。
「だからといったってねえ」
「こうなったらそれしかないだろ。イセルスの面倒だってみたいしな」
「ああ、もうっ。エリカちゃーん。僕にもビールー!」
 悪態に近い溜息を吐き出して、ウェイトレスに大きく手を振るカラシンは、それでも先ほどまでとは多少気分が変わったように見えた。

「だいたい、お前だって何か企んでたんだろ? アインスがあんなこと言い出したのだって予想済みだったんじゃないか?」
「とんでもない! あんなの予想できるわけないじゃないですか。そもそもアレはアインスさんの考えですらないでしょ。吹き込まれたに決まってますよ」
 すとんと椅子に腰を下ろしたカラシンは、妙にいじけて「あーもう嫌になっちゃったなあ。今日は飲んじゃおうかな。高いメニュー頼んじゃおうかな」とつぶやくのに「おめぇの店だろ好きにしろ」と告げながら、アイザックは頭を掻く。
「この間からこそこそしてただろう。いいかげん吐いちまえよ」
「もうやだなあ。食事中に吐くとか」
「いいから、白状しろ。うちによこしてた青びょうたんどもだって、なにか、あるんだろ?」
 正直に言えば、細かくて面倒なことはアイザックにはわからない。
 アインスがグチグチと繰り言を述べていたのだって、要するに「稼ぎの悪い連中だって面倒見てやれ」ということなのだろうとしか理解していない。そこに小難しい理屈がたくさんついているあの話であるのならば、いっそ「〈円卓会議〉はイースタルにつくのかウェストランデにつくのか?」という今回の話のほうが、よほど分かりやすいと思っている。
 そしてそういう話ならば「おう、おれはイセルス(イースタル)についてやるよ」と、アイザックは即答できるのだった。
 しかし同時に、そういう小難しいことを忍耐強く考える連中がいて、そういう連中――つまりカラシンや腹黒メガネが、別の思惑で動いているのだろうということもわかる。そしてその思惑は、決して悪いものではないのだ。アイザックが未だ気が付いていない、未来の事故を避けるためなのだろうと、そう理解する程度の器量はあると、アイザックは自負している。

「ああ。騎士の訓練に混ぜてもらってた補助の?」
「そうだよ。〈第八商店街〉でも地方との交易のために、多少は戦闘訓練させたいとかいってこっちに押し付けてきた連中だよ。全部で何人だ? じめっとした連中ばっかり、小分けにしてよこしやがって」
「九十四人ですよ。そうでもないでしょ? 帰ってくるとみんな元気になってましたよ」
「元気にしてやったんだよ」
 アイザックはそう(うそぶ)いて、カラシンの瞳をじっと覗き込んだ。
 大げさに嘆いたり、絶体絶命だと叫んだり、そんな擬態には一切騙されてやらないと、それはそういう視線だった。風に漂ってふわふわとどこにでも飛ばされていきそうなこの軽薄な男は、決して見かけ通りのタマではないとアイザックは思っている。
「はぁ……。感謝はしてますけどね」
「そういうんじゃなくて、何のたくらみしてたか、吐け。アインスが怪しいなんてわかってたんだろ?」
 くるくると色を変えるようなカラシンの表情は、何の企みも意図も無いといわんばかりだ。だからこそアイザックはさらに問い詰めた。
 〈第八商店街〉から受け入れたレベルの割には素人臭い連中の出所と、この数か月の間カラシンが必死に張り巡らせてきた(はかりごと)についてだ。

「――突然すぎなんですよ。アインスさんは。こうなるにしたって、それでも和解できるにしろ決裂するにしろ、あと最低でも1年はかけていろいろ擦り合わせる中で結論が出ると思ってたんですよ。それを向こうの濡羽(にしのギルマス)が急にこっちに協力するとか言い出してもめるから、玉突き事故でアインスさんまで押し出されてこの有様ですよ」
 アイザックは小声でぶつぶつとつぶやくカラシンの脛を、テーブルの下で蹴とばした。今度は手加減を半分にする。カラシンは「あいたっ」と大げさにわめくと、やっと説明する気になったようだ。
 テーブルの上に肘をついて、頬杖のまましゃべり始める。
「――〈黒剣騎士団〉の騎士団教練に出してたボランティアですけど、あのひとたち、元〈ホネスティ〉なんですよね」
「は?」
 話が飛んだせいで、よくわからなくなったアイザックは目を(すが)めて続きを促す。その表情は迫力があって、気の弱い女性であるのならば「恐喝された!」と涙をこぼしそうなものだったが、カラシンは気にもしていないようだ。
「いえ、だから。アインスさんのところの人なんですよ。抜けたさそうな人をがっぽがっぽ引っこ抜いて、アイザックさんとこにピストンで派遣していたわけで」
「なんでそんなことするんだよ!?」
(おいおいおい。んじゃなにか? 最初に喧嘩売ったのはカラシン(こいつ)だってのか!?)
 虫も殺さない顔をしてひどい奴もいたものだ。
「いやだって。そういう顔するでしょ? 元〈ホネスティ〉だって言ったら、なんか面倒くさそうでしょ? だから一回〈第八商店街〉に加入してもらって、でも〈第八商店街〉のメンバーだって、そんなよそ者といきなり組んで商売だなんて言いませんからね。〈第八商店街〉(ウチ)の看板で〈黒剣騎士団〉(そっち)に行ってもらったんですよ。経歴ロンダリングですね。あー。安心してください。〈ホネスティ〉抜けたくない人は無理に引き抜いちゃいませんから」
「はあ……。なんだそれ。何の意味があるんだ?」
 混乱してきたアイザックは説明を求めた。
 説明されてもわからないかもしれないが、気持ちが悪い。
「あるんですよ。意味も効果も。そっちの訓練の手伝いをして帰ってくれば〈黒剣騎士団〉帰りでしょ? それだけで信用になるんですよ。っていうか、今信用がないってのが問題なら、そんなものボランティアだろうが何だろうが少しでも意味のありそうな仕事を繰り返して手に入れるしかないじゃないですか。事実、〈黒剣騎士団〉で訓練の手伝いをしてたっていえば、〈大地人〉商人の護衛任務は受けられるんですよ」
「ああ」
 そうか。
 それならば、わかる。
 無給だろうが、親方への押しかけだろうが、何かをしないと始まらないということは、ある。フクシマの復興で押しかけてきた都会のボンボン無職が、アイザックの工務店にも一人入社していた。アイザックが誘ったのだ。
 金ももらわないで、瓦礫の片づけを毎日していたから、その根性を見込んでスカウトしてやったのである。やみくもに動けば結果がついてくるというわけではないが、動かないと得られない成果というのもまたあるのだ。
「それに、元気になったっていってくれたでしょ。そりゃ、元〈ホネスティ〉なんてしょぼくれてるかもしれませんけれど、それでも〈冒険者〉ですからね。〈大地人〉の騎士の訓練を見れば、いくら何でも自分たちのほうが恵まれてて有利だなんてことはわかるでしょう? それに手伝いをすれば、〈大地人〉の町娘でも子供にでも『すごい!』とか『かっこういい!』って言ってもらえるかもしれないでしょ」
 あのボンボン無職がクソのような瓦礫の山から掘り出したのは、筋肉痛ともしかしたら社会に出てもやっていけるかもしれないというちっぽけなプライド、そしてアイザックという知り合いだった。
 元〈ホネスティ〉の連中がマイハマの騎士教練で見つけ出したのも、それに似た何かなのだろう。そういうことは、言われてみれば確かにありうることだ。〈黒剣騎士団〉はダシにされたわけだが、しかし、アイザックは不思議と怒鳴るような気持ちにはなれなかった。

「そういうのが重要なんですよ。ふさぎ込んでて、何もかもうまくいかないって諦めてる人間には。少しでも頑張って、がんばったら、頑張ったねって言ってもらえる場所が」
「お前……。なんだかギルマスっぽいな」
「ゴリラに言われたくはないよね!?」
 せっかく褒めてやったのに、カラシンは顔を赤くして怒っている。
 まあそういうこともあるだろう。
 つまりこの男は、要するに世話を焼いていたのだ。
 世話を焼くのが好きな男なのだ。そう考えれば、アイザックにも思い浮かぶことはある。アイザックを拾った社長がそういうタイプだったからだ。もっとも器量は社長のほうがカラシンよりも十倍大きいのは明らかなのだが。
「苦労してるんですよこれだって。姫さんの件だってねえ」
「ん?」
 社長よりも小物であるところのカラシンは、それにふさわしくまた凹むような考えに取りつかれたらしい。
「いや、なんでもないですけど。ああああ、なんでこのタイミングでくるかなあ。先にツバつけようとしてたといっても、まだ本人説得も終わってないんじゃ、出遅れじゃないですか」
「まあ、なんだ。苦労してるということは認めてやる。飲んでいいぞ」
「ここはウチの直営店なんですけどねえ。言われなくたって飲みますよっ。ああ、本当に仕掛けも準備もズタズタにしてくれましたよ。このままじゃ――」
「やっぱり厄介事か?」
 アイザックの問いかけに、カラシンは今までとはやや違った(おもむ)きでで、しばらく口ごもっていた。まるで何かを数え上げるような思案顔のあと観念したように肩を落とすのは、そうしてへこたれている様であっても一つの組織をまとめるギルドマスターの風格があった。
 何かをなそうと努力したものだけが、自分の無力を嘆くのだと、アイザックは以前に聞いたそんな言葉を思い出した。この軽薄な男にだって、それなりの自負はあるのだ。

「――ですねえ。僕とシロエ殿で準備を半々でやってなんとか最悪を回避して……。そういう予定だったんですけれど、ど真ん中に大穴を開けられちゃった状態ですよ。せめてクラスティさんがいてくれればねえ」
「いねーもんは仕方ねえだろ」
 いわんとすることはわかるが、それはないものねだりだ。カラシンが何を考え、企んでいるのかはわからない。シロエが何を準備していたのかもわからない。だがしかし、穴が開いたらふさがなきゃならないし、言ってしまえば、ふさげばいいということだけだろう、とアイザックは思った。
 どちらにせよ物事はなるようにしかならないのだ。
「ですよねー」
 諦めたかのように突っ伏すカラシンを放置して、アイザックはまた一口、白身魚を口に放り込むのだった。



◆ Chapter3.03 




 その日の〈円卓会議〉は最初から緊張した雰囲気で始まった。
 六体の石像が見下ろす広間に集まったのは十人の出席者及びその補佐だった。
 〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)のシロエ。
 〈黒剣騎士団〉の総団長、のアイザック。
 〈西風の旅団〉のギルドマスター、ソウジロウ。
 〈海洋機構〉の総支配人ミチタカ。
 〈ロデリック商会〉の代表ロデリック。
 〈第8商店街〉を率いるカラシン。
 〈三日月同盟〉のマリエール。
 〈グランデール〉のウッドストック。
 〈RADIOマーケット〉を支える茜屋。
 そして眉間に深いしわを刻む〈ホネスティ〉のギルドマスター、アインス。
 空席は二つ。
 ひとつは結成当時から埋まったことがない〈円卓会議〉ラウンド・デクリメントの呼び名の元でもある〈シルバー・ソード〉が予定されていた席。そしてもうひとつはオウウ山中で行方不明となった“狂戦士”クラスティが占めるはずだった席である。その後ろには、〈D.D.D〉の実質的にはサブギルドマスターと言ってもよい二人の女性、高山三佐とリーゼが留守宅を守る守護者のような表情で立っている。
 シロエの背後には普段のアカツキやにゃん太ではなく、ルンデルハウスと五十鈴がついてきている。初めてのことだが、ルンデルハウスの希望で見学という形になった。ギルドによっては補佐が代表者のために発言補助や資料提供を行う場合もあるが、〈記録の地平線〉(シロエのギルド)では幸いにしてそうではない。参加するメンバーの自由度は比較的高い。

 緊迫した雰囲気で進む会議だが、月次の報告そのものは順調に進んだ。
 〈ゴブリン王の帰還〉にかかわるすべての作戦は終了し、アキバに所属するすべての〈冒険者〉はすべてレベル五十にはなった。この五十というレベルは特別な意味を持っている。MMORPG〈エルダー・テイル〉は最初に発売された後も長い間ユーザーを楽しませるために多くの拡張パックで様々なダンジョンやクエストの追加を行ってきたし、成長可能な最大レベルの引き上げを行ってきた。最終的には最大レベルは九十になったわけだが、一番最初の基本パッケージにおいてその最大レベルは五十だったのだ。
 〈エルダー・テイル〉基本パッケージにおける最大レベル五十は、そういう意味では「最初のゴール」であり「セルデシア世界における英雄に達したという証明」でもあった。〈エルダー・テイル〉のプレイヤーから見れば五十レベルは中堅だが、〈大地人〉から見れば五十レベルの〈冒険者〉も九十レベルの〈冒険者〉も等しく超人的存在である。その意味は小さくない。
 そのほかにも〈黒剣騎士団〉によるマイハマ騎士団〈グラス・グリーヴス〉の鍛錬や、〈RADIOマーケット〉による魔法都市ツクバへの技術研究所設立など、いくつかの経過報告があった。
 どれも重要な案件なのだがすでに動いている計画の途中経過ということもあって、とくに議論が発生するということもなく進行していく。報告があり、いくつかの質問が行われ追加でコメントがあり、といった程度だ。
 予定されていた議題のすべては消化された。
 いつもであれば、会議がこの段階になると空気が緩んで雑談などがこぼれ始めるのだが、今日に限って会議参加者は厳しい表情を崩さず、互いにうかがうような表情で、発言を待っている。誰もがこのまま終わるとは思っていないのだ。

 視線による牽制のなかで口火を切ったのはソウジロウだった。
「アインスさん公爵になったんですか? お給料いいですか?」
 ほとんど殺気立ってさえいる注目を浴びるに任せて〈西風の旅団〉のギルドマスターは無邪気に尋ねる。アインスの後ろに控えた、金属鎧の男が身じろぎをする音がずいぶん大きく響いた。それを制止するようなしぐさを見せた貴婦人をアインスは軽く上げた手で下がらせて、言葉を紡ぐ。
「もうすでにみなさんご存知のようですね」
 会議場をぐるりと見回すアインスの言葉を遮るものはいない。
「ヤマトの〈大地人〉の頂点に立つ斎宮家より、このたび公爵位を授与されました。アキバの街及び、周辺十里の〈大地人〉を守護し治めるのがその務めとなります」
――やはり。
――どういうつもりだ。
――何を考えている。
「……俺たちはかつてのイースタル領主会議から貴族位の提案を受けて断った経緯があるのは知っているよな? どういうつもりで爵位をうけたんだ? それが何を引き起こしているか気が付いてないとは言わねえだろう、〈ホネスティ〉」
 ざわめく会議場のノイズを背景に、〈海洋機構〉のギルドマスターであるミチタカが声を張り上げた。
 あえてギルド名(ホネスティ)で呼びかけたその意図は、その決定がはらむ公的な責任を突きつけるという牽制だろう。ミチタカの恵まれた体躯から吹き付ける気迫がアインスを正面からとらえる。それは〈鍛冶師〉でもある彼が振るう巨大なハンマーのようでもあった。

「状況は移り変わっていくものですよ〈海洋機構〉。あの当時は〈大災害〉直後で、私たちは既存勢力に取り込まれることに対して慎重になる必要があった。しかし、もうすでに一年以上がたつ。世界の状況も周辺の状況もわかってきた」
 しかしアインスは一歩も引かなかった。
 神経質そうな細面も、どこか憔悴したような風貌も変わらないが、ここが戦場であるという理解がそうさせるのかミチタカの言葉を受け止めて舌戦に挑む。
「それは今も変わらないだろう。いまさら既存勢力に取り込まれる必要がどこにある?」
「その言葉はそっくりお返ししますよ。いま、この街の、私たちの消費状況はどうなっています?」
 アインスは切り付けるように返答を放った。
 消費状況という単語に一瞬ひるんだミチタカの隙を見逃すことなく、さらに鋭い言葉を重ねる。
「自覚がないわけはありませんね。資源生産のほとんどを〈大地人〉に依存しています。特に食料はそうだ。消費分のほぼすべてを周辺の村落からの輸入に頼っている。――これを依存といわずになんといいます? 〈海洋機構〉、〈第八商店街〉。生産ギルドであるあなた方はその現状を十分に承知しているはずでは? 既存勢力に取り込まれるかどうかなどという問いは見当がずれているというしかないでしょう。私たちはもう〈大地人〉勢力に、生産と消費という点で取り込まれているんですよ。私がやったことはその現状を認識して、取り込まれながらもせめてイニシアチブはこちらで握ろうということにすぎません。言うまでもなく、公爵ともなれば周辺の〈大地人〉に対する統治権がある。食料自給率を改善することができる」
 その言葉をミチタカとカラシンが苦々し気な表情で睨みつけている。
 だが返す言葉はなかった。
 アインスはここで最初のカードを切ってきたのだ。彼の主張は、シロエと各ギルドの副官たちが話し合った時に出た懸念そのものだ。そして、その懸念をアインスはうまく転がして見せた。
 自分が公爵になろうとなるまいと、すでに食糧自給の面でアキバは周囲の〈大地人〉社会にとりこまれていたのだ。自分はその関係のなかで〈冒険者〉側の発言力を高めて自衛しただけである。――そんなロジックで。
 しかし一方で、その発言はもし自分がその気になれば食糧自給による脅迫を行う能力がある。今やその能力は周辺の〈大地人〉から自分に移ったのだということを、もちろんあからさまな言い方ではないが、これ以上なく〈円卓会議〉のメンバーに伝えていた。
 ミチタカやカラシンという、アキバの生産と物流にたいして最も詳しい二人が何も言えず口をつぐんだのは、そのメッセージを明敏に受け取ったからである。
 会議の空気は一段とその険しさを増した。

「あんな、その。アインス。公爵になったんは、食料の買い付けなんかで意味があるゆぅんはわかったん。アインスがプラスの影響もあるんだと思ったんやから、それはあるんやとうちも思う。でも、その……。公爵位(それ)は〈神聖皇国ウェストランデ〉からもらったもんやろ?」
 その気弱そうな声はマリエールのものだった。
 にらみ合う参加者たちの厳しい雰囲気に耐え切れずに割って入ったものだろう。だが、だとしても、震えながらも沈黙を選ぶつもりは彼女にはないようだった。
 シロエはそんなマリエールの責任感に少し胸が暖かくなる。
「〈自由都市同盟イースタル〉は〈神聖皇国ウェストランデ〉と仲が悪いんよ。べつに、〈神聖皇国ウェストランデ〉と仲良うしたくないわけやあらへんよ? でも〈自由都市同盟イースタル〉はお隣はんやん。考えないわけにはいかないやん。その……」
「つまり、東西の争いに巻き込まれる。いや、矢面に立たされるのではないかということじゃ。メリットはあるにしても、そのデメリットをどう考える? アインス」
 マリエールの問いかけは、参加者にとって気になるもうひとつの点だった。
 いくら公爵位に価値があったとしても、そのコストが払えきれなければ負担でしかない。マリエールの発言の後半を引き取った〈RADIOマーケット〉の茜屋も、中途半端な回答ならば許さぬというような厳しい視線をアインスに向け、珍しく何かを思うような物憂げな表情を見せたソウジロウは「――因縁があったって進んで斬りあいしたいわけじゃないんですよ。僕らだってね」とつぶやいた。
 問いかけに同調するような副官たちのざわめきが鎮まるまで、アインスは巨大な会議机の上で両手を組んでじっと耐えているように見えた。
「その懸念はわかります。私だって争いを肯定しているわけじゃない。むしろ全く逆です。それをしないための公爵位でもあるのです」
「は?」
 やがてアインスが告げた言葉は、穏当なもので、むしろ参加者を驚かせた。

「まず〈自由都市同盟イースタル〉の反発ですが心配する必要はありません。皆さんも聞き及んでいることとは思いますが〈神聖皇国ウェストランデ〉の頂点である斎宮家、その当主である斎宮トウリ様と、レイネシア姫の婚約の準備が整っております。現代人である我々からすれば多少ためらいを感じなくもない話なのですが、この婚姻をきっかけにして対話が始まり、ウェストランデによるイースタル参加領主に対する永世独立行政権の承認という形で話し合いは決着する。マイハマ公の内意もそれを承認済みである。その情報を私はすでに掴んでおります」
「それは……」
「確かに姫さんの婚約という話は聞いていたが」
 まさか? そうなのか!? それならば……!
 アインスは力強く断言をした。その発言は、今日の会議最大の驚きをもって議場に響いた。
「まあ、嘘ってわけでもねえ。確かに、その話は、ある」
 アイザックの保証は騒ぎを一層大きくして話し合いは一時中断を余儀なくされたほどだ。
 もちろん、シロエだって婚約の情報はつかんでいたし、このタイミングで二つの出来事が個別に起こったなどと甘いことを考えていたわけではない。いずれ関係してくることは明白だった。
 しかし、思った以上にアインスの公爵就任とレイネシア姫の婚姻は深くかかわっていたし、なにより、シロエの想定をはるかに超えたペースで現実は進行している。シロエも、そしてシロエとひそかに話し合い、イースタルとウェストランデの間の紛争を防止するために動いていたカラシンも、事態の推移についていくことで必死だった。
 もしアインスの言葉が真実だとするのならば、〈自由都市同盟イースタル〉と〈神聖皇国ウェストランデ〉という巨大な政治組織の間で、もはや意見の統一がなされているということになる。そうであれば、所詮は素人の自治組織に過ぎない自分たちの介入できる余地は、無いに等しい。


「むしろ〈自由都市同盟イースタル〉参加領主の皆さんのためにも、緩衝地帯としてのアキバ独立、そこへの公爵赴任はありがたい一手なのだと思いますよ。労せず平和が手に入るわけですからね。これでご理解いただけましたか? 公爵位を受けるメリットデメリットが。――そのうえで私は皆さんに申し上げたいことがある」
 場の雰囲気を感じ取ったのか、先ほどまでの切り結ぶような口調を改めたアインスは、むしろどこか説得するような色をにじませて話し始めた。
「〈円卓会議〉が〈大災害〉直後におけるパニックからこの街を救った立役者であることに、私は最大の敬意を持っています。しかしそれだけではダメな時期が来てしまった。〈円卓会議〉は自治組織であるがゆえに脆弱で限界がある。会議をして話し合い、合意に達することはできるが、そこに強制力がないから決定権がない。自由意思で参加した善意の運営者という建前なので、どこかひとつのギルドが反対しただけであらゆる決定が却下されてしまう。これでは、刻一刻と移り変わっていく事態に何も動きが取れない」
「それは……」
 たしかに、それは事実であった。
 〈円卓会議〉はその名した業績の陰に隠れてしまっているが、その実質はボランティア団体なのだ。参加者のホスピタリティによって運営されている、非営利の――しかも相当持ち出しの大きい団体である。それゆえ参加ギルドには自由意思による拒否権や裁量権が認められている。自治組織とはいえ、命令権も決定権もない、ある意味では『弱い』組織なのだ。
 もちろん、だから悪いというわけではない。強固な規約や強制権のある組織を作るためには、綿密な根回しや規約の整備が必要だ。〈大災害〉直後のシロエたちにはそんなものはなかった。あのときは、たとえ張りぼてでもいいから、何か寄りかかれる具体的な存在が必要だったのだ。
 しかしその〈大災害〉直後の、ある意味場当たり的な決定が、今に至るこの流れの中で悪影響を発生するようになっていないとは、シロエにも言い切ることはできなかった。

「わたしは提案します。いいや、提案ではなく、行動に移します。なぜなら先ほど言った通りこの会議において『提案』というのは最終的には何の意味もないからだ。私は私の今までをふりかえって、提案の内容ではなく自らが行動をしなかったからこそ皆さんの信任を得られなかったと、遅まきながら気づくことができました。だからこそ、今回は積極的な行動をしたい。〈ホネスティ〉は〈円卓会議〉を離脱します」

 会議場は息をのんだような沈黙に支配された。
 ギルドマスターも、助言者たちも、雷に打たれたかのように目を見開いてかたずをのんだ。誰しもが今この瞬間が、アキバの未来を決めるうえで重要な瞬間なのだと、だれに言われたわけでもなくはっきり悟ったのだ。
 その沈黙の中で、アインスもまた自らの言葉を(おそ)れるように、蒼白になった面貌を固定してゆっくりと言葉をつづける。

「そのうえで全く新しい統治組織〈アキバ統治府(、、、、、、)の設立を呼びかけます(、、、、、、、、、)。公爵位を賜ったとはいえ、私は独裁者になる気はない。むしろ皆さんの協力を得たい。しかし、この強制力のない自治組織では限界だ。――〈アキバ統治府〉では皆さんの参加を待って、アキバの街の政治主体として新しいスタートを切りたいのです」
 こうして新しい舞台の幕が切って落とされた。
 それはアキバの住民のだれもが見たことのない、まったく新しい章の幕開けだった。


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