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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊

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◆ Chapter2.04 



 白木造りにニス仕上げのバカンス仕様の大ぶりなデッキチェアの良いところは、その寝心地だけではなく、見た目よりも軽量でその気になれば持ち運びも可能なところだった。
 KR(ケイアール)はイコマの離宮の暗い通路からデッキチェアを持ち込むと、北の執務練と呼ばれる建物のホールに早速設置する。隣では白いワンピースを着た幼い娘が、サイズこそ違うものの全く同じ意匠のデッキチェアを設営中だ。いわゆるお揃いである。
 二人は仲良く〈魔法の鞄〉(マジックバッグ)をのぞき込むと中から水差し(よく冷えたハイビスカスティー入り)や透明度の高いグラス、スツールにも似た丸く小さいテーブルを取り出し、住環境を整備していった。先月まで使っていたらせん階段の大広間は当面使われなくなったようだし、(自分が寝泊まりしている温室は別にして)新しい職場の居心地はKRにとって重要な関心事である。
「……っ」
 いらだったような呼吸とともに、破砕音が響く。
 巨大な執務机を前に、ガラスペンを砕けさせたメイド姿の同僚(インティクス)が、視線で人を殺せたら連続撃破数ランキングをとれるような表情でKRをにらみつけていた。KRは視線を避けるようにさっ、さっと上半身だけで左右によけて、それでも効果がないと悟るや腕を振りながら上半身をのけぞらせた。もちろん効果はゼロだ。
「やれやれ器が小さいな」とつぶやく。

 おどけた小芝居に、KRの従者兼お目付役である幼女(ガーたん)は「たわけが!」とKRの足を踏もうとしたがKRは片足をひょいと持ち上げて避ける。もっともバランスが不安定なところに脇腹を毟られ、悲鳴を我慢することになったが。
 目の前でそんな漫才を見せつけられたインティクスは、底冷えのするような声で「報告を」と要請した。口調から察するに、その意味合いは「報告をしてほしい」でもなく「報告をしなさい」でもなく「速やかにかつ、簡潔な報告をしなかった場合はあなたを殺す」という意味だろう。
 長い付き合いだが、本当に成長したなあ、とKRは微笑んだ。昔は潔癖で意地っ張りなだけの地方出身の毒舌美少女だったが、最近では謀略も拷問もいける冷酷系メイド美女になった。やはり人間は環境が育てるものなんだな、と深く納得する。――自分自身を幸せにする能力がちっとも身についていないのだけが、残念だ。
「報告!」
「報告じゃ!」
 KRの真似をするお供(ガーたん)をしたがえて、少し考えた後に言葉を紡ぐ。

「まあ、わかってはいると思うけれど、現在のところ濡羽優勢で、インティクスは劣勢。負け犬チームだよ」
 KRはそう告げた。
 言葉を飾っても仕方ないだろうし、第一面倒だ。
「虹色昏睡事件のあと濡羽が打ち出したアキバへの協力――融和路線は多くの〈冒険者〉にとって悪くない話だったわけだ。もともと日本出身の僕らにとって戦争なんて、それも身内同士の内戦なんてやりたくもないことで、協力とまではいかないまでも敵対しないような関係が一番望ましいでしょ。〈Plant hwyaden〉の今までのやり方は彼らからすれば疑問だったわけで。それから商人の皆さま方も、濡羽の方針転換にはおおむね歓迎ムードだね。アキバ経由でイースタルへの流通量の上昇を見込めるし」
 KRは現状の報告を行う。
 とはいっても、このあたりは既知の、言ってみれば前提となる背景知識といったところだ。
「そんな話が聞きたいわけじゃないわ」
 案の定不機嫌そうなインティクスもそう答える。

「……ノリ悪いねぇ。インティクスもわかってるでしょ? 状況は圧倒的に向こうに傾いちゃったってさ。今までいいように扱ってきた濡羽に頬っぺた叩かれて、一昼夜部屋にこもってたんでしょ? さすがのインティクスさんも涙目だったってメイドから聞いたよボカぁ」
「趣味が悪いぞ」
「あたっ」
 ガーたんにむしらせてもKRは軽口をやめなかった。
 ひとつには、それがスタイルだからだ。インティクスがまなじりを釣り上げて政治闘争に明け暮れようと、カズ彦が思いつめた顔で救世のために血を流そうと、KRはKRの信条にしたがってこの態度を改めるつもりはない。まったくだ。KRはそのふざけた態度が、まさにふざけた態度だからこそ物事を解決すると信じている。二人が辛気臭い顔をして不謹慎を退けているのとまったく同じ理由を持って、だからこそこの減らず口をやめるつもりはない。
 それに、別段こちらは大した理由ではないが、そうしてやらないと目の前の女(インティクス)が哀れだというのもある。血走った瞳で巨大ギルドの独裁に邁進するような女は、日本人の常識で考えて願い下げだろう。よほどトチ狂った男でなければそばにいたいとは思わない。かといって確かに権力者ではある。手のひらを返した態度で恭しく接したり、離れていった人間も多いだろう。だからというわけではないが、おちょくるくらいのことはしてやってもいいか、とKRは思う。一緒にシリアス面をしてやる義理も、救ってやる義理も、堕ちてやる義理もないが、笑いものにはしてやろう。そう思う。

「敗北主義者に用はないわ。それだけなら濡羽の足でも舐めに行っていいわよ」
「別に僕はあっちサイドってわけでもないんだよなあ。別にインティクスの味方ってわけでもないけど」
約束を守りなさいよ(、、、、、、、、、)
 そしてもちろん、約束は守らなければならない。
 どうせなにかは起きる。それも飛び切りのクライマックスは迫ってきている。KRはカナミがヤマトにたどり着けば事件が起きると思っているが、今となってはありとあらゆるところに火種がばらまかれ、このヤマトという土地は銜えタバコの天使が管理する火薬庫だ。
 それを多少ましな結末にするために、KRにだってやろうと思うことはある。シブヤのダンジョンが原因だったといわれる集団昏睡事件。その危機を前に、濡羽はとうとうインティクスに反旗を翻した。
 〈Plant hwyaden〉の支配者という立場にありながら、その実インティクスの傀儡でしかなかった濡羽。その濡羽がインティクスに牙をむいたのだ。
 いま〈Plant hwyaden〉は濡羽とインティクスという二つの大蛇が互いに互いを締め付けあう、死闘の巷と化している。二人の争いは派閥を生み、元から不安定だった〈大地人〉の統治組織さえも巻き込んで激化の一途をたどっている。
 表面上の平和とは裏腹に、イコマはあらゆる暗がりに密談と毒と短剣をはらんだ、〈闇の都〉として生まれ変わったのだ。

「もちろんそこはね。援軍皆無ってわけでもないことは報告すべきだろうね。どうも元老院の半分くらいは反濡羽で姿勢を固めたみたいだね。官吏の切り崩しやら商人への根回しに動き始めた」
「知ってるわ。そのために今まで餌付けをしてきたんだから」
「どうだかねえ――。関西(ウェストランデ)ってもともと関東(イースタル)を飲み込もうと思ってたんでしょ? 今更融和とか言われても困るって感じじゃないの?」
 そしてその闇淵(やみわだ)を探るのに、KRほど長けた男はいなかった。気配なく陰に潜むことのできる精霊の使い魔、そしてその五感を完全に掌握可能な〈幻獣憑依〉(ソウル・ポゼッション)の組み合わせは、この中世的な宮廷におけるすべての密談、すべての秘密を暴き出すことができる。
「いいじゃない。そのとおり。この〈神聖皇国ウェストランデ〉はね、もう数百年も古臭い因縁をコトコト煮込んで熟成させている根暗な国なのよ。自分たちは伝統がある。自分たちが本家だ。田舎のぽっと出のイースタルだかなんだかという連中にでかい顔をさせたくない。自分たちが困窮していることそのものよりも、ほかの連中が裕福であるのだけは気に入らない。そういう呪いだけをため込んできたのよ。〈自由都市同盟イースタル〉を飲み込んで、足元にひれ伏させ、留飲を下げるまで止まらない。元老院ってそういう連中よ」
「あー。わかるわかる。そんな感じだわ本当に」
「残りの半分だって、慎重ぶっているだけ。ちょっと美味しい雰囲気をかぎつければ、雪崩を打ったように反イースタルに立ち上がるわ。今までそうしなかったのは、〈自由都市同盟イースタル〉のほうが大きな武力を持っていて、そして〈イズモ騎士団〉の監視の目があったからというだけ。それさえなければ、自分たちの手に入らないありとあらゆる村や町に火をかけたいのが本音なのにね」
「んじゃまあ、元老院の残りは」
 〈大地人〉社会は決して一枚岩ではない。
 そんなことは今までの社会人生活で骨身にしみているKRだったが、それをきちんと理解できている〈冒険者〉は少数派だった。いまだにゲームだとなめているわけではなく、そもそも隣人に対する理解力など、地球社会でだって大差がなかった。普通に生きている人間には一定以上の複雑さに耐えられないのだ。
 そのことを知るインティクスは、にやにやとした趣味の悪い三日月形の笑みをうかべ、毒を滴らせるような言葉を口にする。
「こちらで手をうつわ」
「〈Plant hwyaden〉の財布、そんなにあてにしていいの? 濡羽に握られてるんじゃないの?」
「ギルドの運営を一手にひきうけていたのはわたし。いまさらやる気を出したところで、お姫様にはその能力はないわ。予算はすでにいくつもの委員会に分配済みだし、滴る蜜の受け皿はすべて私の息がかかっている」
「彼女、カリスマだけはあるみたいだけど? 大した人気だよ」
「――だからこそドブから拾ってあげたのに。手を噛むドブネズミっていうところね。焼かれて死ぬしかないってなんでわからないのかしら」
「辛らつだね」
 肩をすくめる。
 個人としては、濡羽もインティクスもどっちもどっちの狂人だとKRは思っている。驚嘆すべきは、闇の都イコマの磁場ともいえる特異性だ。本来、この二人の女性の抱えている不幸など、ありきたりなものに過ぎない。
 もちろん当人たち二人にとっては世界の終わりであるかのような苦痛なのだろうが、それこそ世界に戦いに挑むに足る理由なのだろうが、だがだからと言って普通、それで何らかの争いなど成立することはない。世界というのは重く(、、)て、小娘が力の限りに殴りつけたってそれでどうにかなるようなものではないからだ。

「誰もかれも、見たいものしか見ないのね。……ミナミの〈冒険者〉どももそう。たしかに見た目だけはキレイでしょうね。でもその匂いをかげば、あれがドブネズミだってことははっきりわかるわ。自分たちが担ぎ上げていた神輿が、腐りはてた汚泥だとしってどんな顔をするかしらね……」
「……」
 しかしこの闇の都イコマでは違う。
 かつては友だったこの女(インティクス)の狂気の熱が、まるで伝染病のように感染したのだ。〈自由都市同盟イースタル〉に対する嫉妬とヤマト統一という夢にかぶれた元老院は、インティクスという病に罹患して、狂熱の円舞(ジルバ)を踊りださんとしている。
「カリスマ? それだけで何がなせるというのかしら。いままで〈Plant hwyaden〉を正しく導いてきたのが誰か、忘れはてた足元に不安はないのかしら? あなたの手に入れたと思い込んでいるお城、ちゃぁんと建築基準、満たしているのかしらねえ」
 それは濡羽も同じことだ。
 KRでさえもじっと見つめられれば感じざるを得ない、磁力のようなカリスマだ。この女性は特別だ。なにかをしてあげられるのは自分だけかもしれない。――そう思わせる魔性を備えた黒髪の支配者は、甘やかな声でいま〈冒険者〉を融和へと駆り立てている。
 濡羽の今の主張はアキバの街との、そして〈冒険者〉同士の協力だ。それは、とても善いことであるはずだ。しかし、それがどんなに善であろうと、KRにはどこか病んでいるように思えて仕方ない。濡羽の指さす方向に身を投じる多数の〈Plant hwyaden〉の〈冒険者〉が浮かべる、なにか安堵したような表情が、KRの首筋をちりちりと逆立てる。

「……次の報告は、アキバだねえ」
「聞くわ」
「怠け者の押し付け計画だっけ? あれは今回のゴタゴタで休止になってるんでしょ。そういう意味じゃ、人の流出はやや穏やかになったかな。でも、思ったより〈ホネスティ〉のメンバーは増えていない」
「アインス程度の指導力でなかなかもたせていると思ったら、いつの間にか空気(エア)が抜けてたってことね」
「どうだかねえ」
「では、アキバのほうに動きはないわけ? 風見鶏のシロエなら危機が迫らない限り動くなんてありえないでしょうけれど」
「〈円卓会議〉の動きは確かにほとんどないみたいだね。千日会議っていう感じだ」
「――くだらない善意に縛られて好機も前兆も見過ごすなんて、あれはそういう人間ね。死ねばいいのに、なんて言わないけれど」
「そうそう。そういえば、斎宮家の総領、アキバに向かったみたいだよ」
「あら。……そうね、元老院の監視が緩んだから? この政争でしばりつけていた鎖が緩んだのかしら。何ができるというわけじゃないでしょうけれど。いえ、死んだらそれはそれで開戦のきっかけになるかしら? あるいはこちらから告げてやるのもいいかもしれないわね……」
「放置しておいていいのかな」
 誰もかれもが駆り立てられるように走り出すこのイコマで、KRはじっと奥歯をかみしめて耐えている。今は疾走(はし)る時ではないと、KRに告げる声が聞こえる。狂奔とでもいうべき熱がイコマの夜を満たしているからだ。

「構わないわ。実権皆無のお神輿なのですから。濡羽と同じ。夢を見て鳥かごから逃げ出したというところかしら」
「さあね。いくら僕でも頭の中までわかるわけじゃない」
「――あなたの情報収集能力は信用しているわ」
「じゃあ代価も忘れてないだろう? 今日のところはふたつ」
「……」
 KRはいずれ来る舞台に上るために、その時になって大事なカギが足りないという事態を避けるために、この夜の宮廷に潜んで絡まりあった糸をほぐす。忘れられた廃屋の最深部に巣をかけた蜘蛛のように、ひそやかに手掛かりを集める。
 出来事や帳簿、書類を調べるのは簡単だ。
 調べて分かることを調べるのは、それは極論すれば作業でしかない。
 もちろんことの難易度は様々だろうが、KRに備わった〈召喚術師〉(サモナー)の力を使えば不可能ではない。
 しかし、本当に大事な手掛かりは人の心の中にあるのだと、KRはおもう。
 それに触れて、黄金の輝きを取り戻させることこそがKRの考える英雄(ヒーロー)の資格だ。偽物であるKRにそこまでのことはできないが、だがだからと言って目の前の謎を放置してよいわけではない。

「質問させてもらおうかな。約束通り、拒否も虚偽もなしだ。もし僕がそう判断したら、今後情報提供は無しになる。濡羽のほうが高く買ってくれるかもしれないしね」
「約束は守るわ」
 だからKRは質問した。

「じゃあひとつ目の質問だ。『なぜそこまでしてヤマトの支配なんてたくらむ? 諍いをおこしてまで』――なぜそこまで変わったんだ? 別にそんな必要なんかないだろ。〈Plant hwyaden〉は十分に巨大になった。お嬢様気質のキミだって満足させるほどに」
「はん。とんでもない。……満足? ほしいものなんて最初から、ひとかけらだって手に入っていないわ。くだらない。それにそもそも、私は最初から全く変わっていない。〈茶会〉の時から全く同じ。私の目的は頂点に立つこと。変わったのはルールであって私ではないわ」
「ルール……」
 避けられないと思っていた(とい)だ。
 カナミが引退を宣言したあの日、崩れ落ちて静かに狂ったインティクスは忍冬(すいかずら)に訴え拒絶され、カズ彦にすがり拒絶され、そしてKRに懇願して受け流され、最後にシロエに膝をつき、それだけしてもカナミを引き留める助力を得られなかった。
 カナミは自分のもとを去った。
 本当のことはどうかなど、インティクスにとっては無意味なのだろう。それが彼女の中での真実なのだ。

「あの時のそれは大規模戦闘(レイド)レースで首位に立つことだった。あの時もっとも価値があることはそれだった。そしてすべてのプレイヤーに、お前たちが馬鹿にしてきた弱小のそれもギルドでもない素人たちに負けた気分を尋ねるのが目的だった。ねえ、どんな気持ち? 大手ギルドでなければ攻略不可能と言われた難関を、弱小集団に横からさらわれたのはどんな気持ち? 見渡す限り青空の頂点に立った後、そう尋ねる予定だった。いまはルールが変わった。こちらの世界(ヤマト)において今価値があるのは大規模戦闘(レイド)ではない。大規模戦闘(レイド)よりもっと大きな戦いが目の前にある。そこで頂点に立ってもう一度尋ねるだけ。ねえ、どんな気持ち? こんな小娘に負けるのはどんな気持ち? ってね」
「そんなことしてもカナミが帰ってくるわけじゃあるまいに」
 カナミに捧げるためにヤマトの頂点を目指すと恥ずかしげに告白した少女が、KRの目の前で濁った瞳で哄笑(わら)っていた。
 〈放蕩者の茶会〉(ティーパーティー)は居心地の良い場所だった。だから永遠を望んだ。その執着が、たぶんインティクスを壊してしまった。

「カナミは関係ない。カナミも、カズ彦も、シロエもっ。KR、あなたもっ。私はまだ一回だって負けてない。あの時はたまたまカナミが勝手に逃げ出しただけ。あんなに青空を望んでいたのに、頂点を望んでいたのに。あの女は臆病風に駆られて逃げた。だから新しい濡羽(にんぎょう)を手に入れた。何ひとつ終わってない。わたしはまだっ――」
 カナミが去ったあとのことをKRは思い出す。
 インティクスの面倒を見ていたのはカズ彦だ。しばらくの間インティクスの狂乱に耐えてじっとそばに居続けていた。KRもカズ彦に協力して、〈茶会〉のほかのメンバーから切り離すように動いた。

「はいはいOK、わかった。わーった。……まあキミのそういうところ、別に僕は嫌っちゃいないからさ。人間――こじらせる自由なんて、ほかのどんな自由がなくたってあるべきだと僕はおもうからね」
 直継が引退したのもそのせいだ。就職したとはいえ、急にそんなことをする必要はなかった。あの引退は〈茶会〉を完全に解散させるため、そしてカナミに対する呪詛をまき散らかすインティクスを、シロエやソウジロウのような優しいメンバーに見せないためだったのだ。
(善人じゃない僕がなんで貧乏くじだか理解に苦しむね、まったく)
「この女、もしかして闇属性なのではないか?」
「あーそーね、そーなんだけど、ガーたんは黙ってようね」
「くっ。扱いがぞんざいなのだが、この我をもってしても怖いぞ」
 おびえたように後ずさる幼子(おさなご)を背後にかばって、KRはそれでもカギを追い求めた。
 インティクスは身内にも等しい〈放蕩者の茶会〉(ティーパーティー)の旧友だが、それでも尋ねなければいけないことはあるのだ。
 アオルソイでの遭遇について、インティクスに報告するつもりはさらさらない。しかし、シブヤに『敵』が現れた以上、そしてその魔手がここにも迫っているのではないかという疑義を抱えた以上、その駆逐はKRの義務でもあると思うからだ。
 KRはインティクスの瞳をのぞき込み、そこに虹色の揺らめきを見た。
 濁った絶望と、ありえない渇望を混ぜたマーブルの瞳の中に、取り返しのつかない罪の虹が混じっているのを、悲しい気分で確認した。
「それじゃ、ふたつめの質問だ。『ヤゼルという名に聞き覚えはないか?』」
「……っ」
 アキバの街の混乱をよそに、西ヤマトを支配する巨大ギルド、その中枢もまた、ヤマトの歴史を揺るがすような災厄とまじりあって、終わらない夜の中を落ちていくのだった。


◆ Chapter2.05 



「ややや。そんな大したものじゃないんだって」
 照れて頭をかきながら、五十鈴はそう言葉を述べた。最後の和音をほろりとほどくように奏でると、すごいすごいと讃辞に包まれてしまったからだった。えー、ごほん、それでは次の一曲。と落語のような前口上を告げてから、今度は静かなセレナーデを披露する。
 ここは〈同郷会館〉と呼ばれるアキバの建物のひとつだ。
 広さはかなりのもので、バスケットコート二つ三つ分はある。天井の高いコンクリート製の建物なのだが、つくりはあまり良いとは言えない。床は踏み固めた地面であり、要するに土間と呼ばれているものだ。壁は木材で打ち付けてあるが、もともとの廃ビルの柱や梁が張り巡らされているために武骨な印象で、装飾らしきものは、あちこちにつりさげられた領地ごとの旗くらいしかない。
 〈同郷会館〉はアキバに存在する〈大地人〉の拠点だ。
 アキバにはありとあらゆる種類の店があるし、公共施設と呼べるような場所もギルド会館や銀葉の大樹前広場などいくつかあるが、〈大地人〉が自分たちのためだと確信を持てるような施設は少ない。この〈同郷会館〉はその中でも市井に向かって開かれた数少ない場所だそうだ。
 この開放的な空間は集会を目的として作られている。規模からすれば最大二百人は入れるのだと五十鈴は聞いたことがあるが、いつでもそんな最大規模の人々が集まっているわけではない。むしろ今のように、この広大な空間のあちこちで十人程度のグループがいくつもできていることのほうが多いそうだ。伝聞系が多いのは、五十鈴がこの施設の常連というわけではなく、やってくるのは多くて週に一回程度だからである。
 五十鈴の目の前には、口をあんぐりとあけた子供たちが八人並んで腰を下ろしている。土間の上に魔物の皮を敷いた臨時の客席だ。
 五十鈴はこちらの世界で覚えた曲を奏でる。歌詞はあやふやなので、ハミングだ。
 子供たちは「おおぅ」とも「ほむぅ」ともつかない鼻息交じりの感嘆をあげる。演奏が気に入ったのか、それともつま弾くリュート(フライングドルフィン)から零れ落ちる七色の音符が珍しいのかは、わからない。とはいえ、楽しそうだし梃子(てこ)でも動かない様子なのは、観客として得難いものではあるので、五十鈴の練習兼、リサイタルは続いた。

 この広々とした空間、まだ午後の光が差し込む広間には、この子供たち以外にもいくつもの集団がある。十人程度の、多くは若い男女たちが高いテーブルを囲むように寄り添い、雑談に興じている。
 多くのグループの中に子供だけのそれがある、というわけではなく、それぞれのグループに何割か含まれている子連れの子供たちが五十鈴のもとに集まってきている、という状況である。五十鈴は端的に言って、子守をしているのであった。

「そうなのか?」
「ああ。アキバ公爵というのはずいぶんと優秀な方らしい。当面の生活費のほかに、仕事のあっせん所も作ってくださる予定だと聞いた」
「祝い金という名前らしいけどな」
「ずいぶん景気のいい話だね」
「まあ、でも、そんなことよりも、俺たちはアキバ公爵が立ってくれたことがうれしいんだ」
 そんな会話が聞こえてきた。
 この巨大な空間では、いくつものグループが存在し、そのひとつには五十鈴の護衛兼相棒のルンデルハウスが参加している。この建物へは、彼に連れてきてもらったのだ。
 演奏をしながらも五十鈴はひとつうなづいた。
 どうやら本日も頼もしきわんこ(ルンデルハウス)は使命を果たしているらしい。彼は、この〈大地人〉集会所に集まる様々な人々の、相談役とでもいうべき立場にあるらしい。つまり、サフィールの街で話してもらった通りということだ。
 あの旅から帰って、五十鈴はルンデルハウスの「仕事」へと連れてきてもらった。すなわちこの〈同郷会館〉への訪問へだ。ルンデルハウスがボランティア的に相談役をやっているという話が信じられないわけではなかったし、いつもの軽薄でお茶らけた態度からすればにわかに頷くことも難しい気もしたし、なにより自分の知らないところでルンデルハウスが誰かに迷惑をかけてないか――自分の知らない顔を隠して何かをしているのが気に入らないような気がしたせいだ。
 一緒に尋ねてみれば、なんだかもやもやした気分は結局取り越し苦労だった。ルンデルハウスはこの場所でも結局ルンデルハウスで、〈大地人〉の様々な人の声に耳を傾けてはオーバーアクションで驚いたり、称賛したり、時には気取ったしぐさでキラキラをとばしたりしている。それは五十鈴の知っている通りのルンデルハウスで、ほっと胸をなでおろした。
 しかし、どこからどう見ても大型西洋犬であるルンデルハウスなのであるが、この場所では非常に信頼度が高いらしい。
 この〈同郷会館〉は、ヤマト中からやってきた〈大地人〉が、知り合いや同郷者を探して情報交換をするための場所だそうだ。なんでそんな場所が必要かわからなかった五十鈴だが、聞いてみて納得してしまった。
 例えばこの世界には求人雑誌というものが存在しない。実を言えば求人ポスターさえ一般的ではない。働く場所を探そうと思ったら、すでに働いている人や信用のある人に紹介してもらうくらいしか方法がないのだ。まともな情報伝達手段が口コミくらいしかないせいである。
 〈冒険者〉であれば〈冒険(クエスト)斡旋所〉で仕事を見つければいいが、〈大地人〉にとってはそうではないのである。能力に対して一回こっきりで終わる仕事など滅多にない。住み込み仕事が圧倒的に多いこの世界において、紹介や口添えは生命線なのだ。
 聞くところによれば、このアキバにやってくる〈大地人〉の多くは、継ぐなにかがないのだという。つまり、次男や三男であるとか、訳ありの女性であるとかであるらしい。中途半端な田舎出身の女子高生として、理解できないわけではない。要するに長男やら長女は、実家に残って実家の家業や畑を受け継ぐことができる。でもそうでない人たちは、上京して職を探さなければならないということなのだろう。
 しかし、ここで先ほどの問題に帰ってくる。
 継ぐ者がなくて田舎を飛び出してきたような人々が、大都会アキバの街で頼るべきコネがあるかといえば、そんなものがあるわけがない。そこで〈同郷会館〉なのだ。ここに転がり込めば、とりあえず屋根はある。同じ地方の出身者ですでにアキバで働いている「先輩」に話しかけ、何とか信頼を得て職を紹介してもらえば、晴れてこの町で居場所を得ることができる。
 ここはそういう場所であるらしい。

「おねーちゃん。おしまい?」
「う、うん? おお」
 いつの間にか演奏も一曲終えていたのを子供に指摘されて、五十鈴はこくこくとうなづいた。渡されたコップに半分の水を飲みこんでのどを潤すと、ひと段落の吐息を吐き出す。
「……うーんやっぱり大変なんだね。就職」
「ええ、でも故郷よりマシだそうです」
 子供に交じっていた十二歳の少女、ハーシアが独り言だった五十鈴のつぶやきに丁寧に答えた。まだ幼児でしかない子供を抱えて、隣のわんぱく小僧にスカートの端っこを握られている姿は、年齢に似合わぬ母性を感じさせる。
 このハーシアは〈同郷会館〉の子供グループの中では年長であり、子守責任者とでもいうべき少女だった。五十鈴とも顔見知りであり、もっといえば、このハーシアの子守りを手伝うのがこの場所における五十鈴の役割である。年下だからと言って侮るわけにはいかないし、五十鈴の側もこの聡明な少女をそう扱おうなんて思ってもいなかった。
「そうなの?」
「アキバは職がたくさんありますから」
「そっか」
 五十鈴は訳知り顔にうんうんとうなずいた。
 確かに今のアキバは、あちらでもこちらでも人が不足している。〈ブルーム・ホール〉のフロア募集はいつでも応募がたくさんだが、それは五十鈴たち〈吟遊詩人〉の音楽が無料で聞ける(仕事中のBGMだ)という特殊な事情のおかげであって、周辺の飲食店ではどこもブラック労働すれすれという話だ。
 就職の話題といえば、五十鈴だって他人事ではない。
 五十鈴の世代は学校にジョブカウンセラーなんていう人が常駐しているが、同じギルドの直継の世代は、それはヒドイことになっていたらしい。あんなにがっしりしていてひょうきんで頼りがいのある直継が、トウヤの何気ない質問に対して「お祈り手紙出してほしいんだよ、なんだよサイレントお祈りって。無言詠唱とかどんな超魔術だよ!?」と涙目になっていた。
 少子化で就職の見通しが多少明るくなったとはいえ、働くって大変だというのは五十鈴だって理解しているのだ。

「就職だけじゃないといいますか……」
「へ?」
 深く納得して腕組みをしていた五十鈴は、ハーシアの言葉に再び耳を傾ける。
「その、私たち一家は何にも持たずにこの街に来たんですよね。あの、別に〈冒険者〉の方々が言うような貧乏ってわけではなくて、というか私貧乏ってどういう意味かよくわからないんですけど……」
「ええっ?」
 この辺はカルチャーギャップというものだ。
 とんでもない話が飛び出してきてしまって内心冷や汗の五十鈴だったが、そこはルンデルハウスとの付き合いで少しづつ慣れてきている。気持ちを立て直して、よし、どんなことでも受け入れるぞと頷いた。
(〈大地人〉さんとの間に差があるのは当たり前だからね。だからわざわざルディにくっついてこの集会所に通ってるんだし。わからないことがあればちゃんと聞かないと。
「家とか金貨とか持ってないのは、村にいたころから当たり前だったわけですし」
 ああ、そういうことか。
 少しほっとした。
 今まで聞いたいろんな話から総合すると、地方の村では、いまだに物々交換が主流であるらしい。お金が全くない原始社会という意味ではなくて、麦や野菜などの食料を自分たちで作っているから、取引の必要があまりないのだ。ちょっとした建物の修理や、道具の貸し借りなども、狭い村の中だけで完結しているから、手伝ったり手伝われたりで済んでしまう。
 家については五十鈴だって、そして知り合いの大半だってマンションや貸家だったわけで、別段珍しいことじゃない。
 貧乏だというわけじゃなく、貧乏がわからないというのはそういうことなのだろう。
 だよね? と確認してみる五十鈴に、ハーシアはふるふると首を振った。
「そういうのじゃなくて、村では居場所なかったみたいなんですよ。お父さんは三男だったそうですし、お母さんは旅芸人の捨て子だったという話で、畑を持ってなかったから……。村でも親戚の家の隅に置いておいてもらって農作業の手伝いでご飯を分けてもらっていたような状況なのに、私が生まれちゃったわけで。毎日お母さん泣いてましたし……」
「ええーっ」
 どんびきである。
 何を言ってるかわからないというわけではなく、意味は分かるのだが、そういうのは新聞の投書欄とか、Webの相談サイトの中にあることだと思ってた。
(え、えーとこれは。居候? 狭い実家でのできちゃった婚? そんでもって舅さんと姑さんのイビリとか? うわあああ。っていうか、うわあああ!?)
 捨て子、家の隅、ご飯を分けてもらっていた、生まれちゃった。
 短い会話に危険なワードが四連続。
 スタッカートというか、オーケストラヒットというか、とにかく安売りし過ぎで目がくらむ。混ぜるな危険というものだろう。もう内心ではかなりいっぱいいっぱいなのだが、五十鈴は無理に頷いた。はたからみると、相槌をうつ様子は、双子馬であるデニッシュとクロワッサンが水を飲むために首を上下させているのにそっくりなのだが、五十鈴自身にそういう余裕は今はない。

「ですから、アキバにきてやっと一息つけたって父さんも言ってます。今はちゃんとお家(うち)ありますしね」
「う、うん」
 気おされていた姿勢を立て直して、五十鈴は腕組みをした。
 その「お家」とやらは、この〈同郷会館〉の裏手にある集合住宅だ。五十鈴の知識でいえば、それは体育館のそばにあった部室棟にそっくりな二階建ての建物で、その外側に階段と廊下がついている。つまりは一種のアパートだ。聞くところによれば、それぞれの部屋には、お風呂はおろかキッチンもついていないようなのだが、共同炊事場と共同風呂があれば〈大地人〉の人にとっては十分立派な家なのだという。
 五十鈴は行ったことがないが、銭湯というのもあるそうだし、それはそれでありなのか? かも? かなあ、とも思う。

「それに今度アキバにも貴族様が来るんだっていってました。アキバ公爵さまって。これでみんな安心できますよね」
「え、なんで? そういえばシロエさんとルディがそんな名前いってたけど」
 五十鈴は何でそれが安心なのかわからなくて問い返した。
「なんでって……。その、いままでアキバには貴族さまが治めていなかったでしょ? だから、その、〈冒険者〉さんたちはいますけれど、勝手に作った開拓村と同じじゃないですか? そういう村って頑張って耕しても知らない貴族の人とかが来て全部取り上げてしまうから……」
 勝手に取り上げたら犯罪でしょう! と反論したくなった五十鈴だが、考えてみればその法律を決めるのは貴族なのだから、もしかしたら犯罪ではないのかもしれない。
 五十鈴やミノリ、そしてセララたちの女子高生(一名女子中学生)的世界観によれば、日本は日本なので、日本という国にある街は全部日本なのである。当たり前のことのようだが、当たり前だ。
 だからその当たり前っぽい感覚をもとに、アキバの上には日本があるような気がしていたのだが、よく考えてみればここはヤマトで日本ではないので、日本はないらしい。難しいことを考えてるせいで、こんがらがってきた五十鈴は頭を抱えた。じゃあ、アキバの上にあるのはイースタルという組織なのかといえば違うわけだし、よく考えたら上には何もないのだった。
(お父さんだったら「ロックってやつだぜー!」っていうんだろうけど、それじゃ済まないんじゃないかなあ?)
「今度来るアキバ公爵様は、いまいる〈大地人〉のみんなを守るために、アキバに来るって話を聞きました。そうすれば今ある畑やおうちも、ちゃんと私たちが作ったものは、私たちのものになるんですよね。だからみんな喜んでます!」
 ハーシアのこぼれるような笑顔を見れば、それはどうやらとても良いニュースであるようだった。ロックは大事だが、一般生活がロックまみれになると苦労することを五十鈴は知っている。だからハーシアにも笑って頷き返した。
「そうだね。ちゃんとなるといいね!」
 なんとなく通じ合った〈大地人〉少女と五十鈴だったが、しかし周辺の子供たちにとって興味深い話題ではなかったようだ。結局「もう一曲、もう一曲!」というリクエストに応えて、五十鈴はリュートを構えなおすことになるのだった。


◆ Chapter2.06 



 狩りに出かけない一日はとても長い。
 〈同郷会館〉から出たルンデルハウスは日の位置を確かめて、五十鈴を職人街の方へと誘った。
 おそらく時間は十四時といったところだろう。
 この季節であれば人々は五時過ぎには起き始める。そこから準備を済ませて軽く訓練をしてギルドハウスで皆と朝食。本来であればそこから近郊へ狩りかクエストに向かうのだが、今日のような休日はその時間がぽっかりと開いてしまう。朝食後にギルドハウスの家事をみっちり二時間手伝い、休憩して〈同郷会館〉へ移動。ランチをはさみながら四時間ほど話をしても、まだまだ午後の浅い時間なのだ。
「これからどうしようか」
「どこかで冷たいものでも飲むとしようか? ミス五十鈴」
「うーん、それはそれで。お腹たぽたぽになっちゃいそう」
 弾き語りの最中も水分補給はしていた五十鈴だ。喉の荒れた感じはするものの、水ばかり飲んではおなかが膨れてしまうとのことである。ルンデルハウスは、そんなものか、と頷いて考えるが、スマートなアイデアはそうそう出てこない。
「歩こうよ、ルディ!」
 でもそんなルンデルハウスに五十鈴は明るく話しかけた。
「今日は郊外に出かけてないでしょ? なんだか足がむずむずするもの。お散歩すると、夕飯がおいしく食べられるよ!」
 いわれてみればその通りだと納得した。
 二人で歩くアキバの街は良いものだ。故郷と違い起伏の乏しいこの街だが、しっとりと水分を含んだ緑の香りや、町を通り抜ける風は爽やかでどこか懐かしい。騒がしくはないが、人々の生活の気配をルンデルハウスは愛していた。どこからか漂ってくる料理のにおいや、裏道を駆けまわる子供たちの声、飽きもせずに話し込む街角の女性たち。どれ一つをとっても、気取っていたり高貴だったりするわけではないが、だからこそ貴重で守らなければならないと思う。ボクスルトを超えて行ったあの遠征を思い出せば、なおさらだ。
 一時期は落ち込んだりもしていた五十鈴だが、シブヤの大規模戦闘(レイド)以降はずいぶん前向きになったと思う。
 〈大地人〉の集会に参加をするようになったのもそのころからだし、いろんな話を聞いてびっくりしたり喜んだりと忙しい。五十鈴が〈大地人〉たちに歩み寄ってくれたこともそうだが、ルンデルハウスとしては共通の話題が増えたこともうれしかった。どんな分野でも先進的な知識を持つ〈冒険者〉に対して、田舎出身の自分が説明できるなにかがあるということに喜びを覚えたし、この華奢な〈吟遊詩人〉の少女と話し合う時間には飽きるということがなかった。

 あちこちの商店を冷かして〈銀葉の大樹〉を超えたあたりで、ふたりは町の喧騒が激しくなるのを感じた。大通りの方から響くそれに誘われるように足を向ければ、人ごみの頭越しにかなりの人数の集団が進んでくる様子が見えた。
「何かな?」
「前に行ってみようか」
 〈同郷会館〉での話題を思い出して少しだけしかめっ面になってしまったルンデルハウスは、反省して人ごみを割ってゆく。レディをエスコートしている最中に暗い表情は禁物なのだ。

「時代劇みたい」
 五十鈴があっけにとられた声でつぶやいたその一行は、どうやら貴族の一行のようだった。曲面が多用された金属鎧の騎士が二種類のたなびく旗を捧げ持ち、そのあとには同じ鎧を付けた一団、そして〈冒険者〉らしき主力護衛部隊が続く。その後ろには立派な馬に乗った白塗りの代表者だ。馬車ではなく馬を選ぶあたり、武闘派なのか顔を売りたいかのどちらかなのだろう。その後ろには荷台の馬車と、ぞろぞろとした使用人たち。ざっと数えて五十人弱の一行だった。
 貴族と思われる馬上の人物は貴族だろう。
 真っ白に塗られた〈神聖皇国ウェストランデ〉の伝統的な宮中化粧に、派手な房飾りのついた帽子をかぶり、体格そのものは立派だが、妙に骨ばっていて非人間的な印象を与えるものだった。
 そんな風にルンデルハウスは観察していたのだが、五十鈴が何気なく言った「深海魚みたい」というつぶやきが、一番第一印象を表していただろう。真円にちかい瞳がめだつ異相であった。
 大通りを進む一行は注目を集めていた。
 それも当然だろう。一応周辺整理のために〈西風の旅団〉の〈冒険者〉が交通整理をしているようだが、今ではずいぶん多くなったアキバの〈大地人〉たちが一目見ようと中央通りに出てきて騒めきとなっている。〈冒険者〉は〈大地人〉のように無条件の畏敬を持つことはないが、それでも周辺の廃墟から観察する視線をいくつもルンデルハウスは感じた。
 なかなかに頭が痛い問題だといえるだろう。
(これは、僕は見届けるべきだな。場合によってはギルドマスター(シロエさん)に報告しないと……)
 自然と表情は険しいものになるルンデルハウスはそう考える。
「なんだろうね。お祭りじゃないしねえ」
「うん……。そうだね」
 小首をかしげる五十鈴は全く疑念を感じていないようだ。ルンデルハウスとしてはその鈍感さにはいつも救われる思いだ。彼女がせっかく〈大地人〉に良い印象を持ってくれているこのタイミングで、その醜い側面を見せるのは避けたい事態だった。
 一行の視線から目的地を推察したルンデルハウスはその思いを強くする。
 〈同郷会館〉で住民から話し合いを聞いていた時から抱えていた嫌な予感はどんどん膨れ上がっている最中だ。
 ここは五十鈴をギルドハウスに返して様子を見てくるべきなのだろうな、と前髪を払ったルンデルハウスはそのために鈍感な少女を言いくるめようと、とっておきの笑顔を浮かべた。
「ミス五十鈴。そのぅ、なんだ。レディの護衛を放り出すなんて非常に面目ないわけだ――」
「そういうのはいいから。ほら、ルディ、行こっ」
「なんと!?」
 その表情と、差し出された白くて小さな手を交互に見たルンデルハウスは、五十鈴には理解してもらえない自分だけの感謝を込めてその手を取った。
 彼女はいつでも唐突に、ルンデルハウスには与えられないはずのねぎらいをくれるのだ。喜んではいけないはずの報酬だから、ルンデルハウスはいつもそれを黙って受け入れるしかないわけだが、そのたびにこの稀有な相方に感謝の思いを強くする。
 もっともそういう感謝の気持ちも解さない天然な少女ではあるのだが。

 ルンデルハウスは練習を重ねた滑らかさで〈雲雀の靴〉(フライ)の呪文を発動する。身体が重力から解き放たれたように浮き上がり、ほんのひと蹴りで五メートルほども滑空できるようになると、二人はアキバの裏道を駆け抜けた。
「どこへ向かってるの? ルディ」
「〈水楓の館〉だ」
 簡潔に答えたルンデルハウスは、駆け出した時といつの間にか逆転した姿勢で、五十鈴をリードして疾走する。
 あの貴族には見覚えがある。
 名前は知らないが、去年の〈天秤祭〉で〈水楓の館〉に招かれていた〈神聖皇国ウェストランデ〉の貴族のはずだ。商人貴族という触れ込みで船舶もちだったから、ナインテイルの情報が得られないかと思って注視していたのだが、結果は空振りだった。
 しかし、だとするとこの時期に同じ貴族がアキバに再び現れたことは、不安を掻き立てる出来事だ。あの貴族がこの街へとやってきて向かう先は三つ考え付く。
 ひとつはアキバの〈ギルド会館〉だ。この可能性は低くないが、ある意味一番気やすいというか、問題が少ないとルンデルハウスは考えている。一年以上前、〈自由都市同盟イースタル〉から〈エターナルアイスの古宮廷〉への招待状が届いたときのように、アキバの〈冒険者〉はその気になりさえすれば貴族的な応対でさえ問題なく可能なのだ。いつもぼやいてばかりのギルドマスター(シロエ)のことを、ルンデルハウスは誰にも言わないままに高く評価している。ひとりの魔法実践者としても、そして領地を持たない領主という評価でもだ。だから、書状のやり取りなどの使者であれば心配はない。
 もうひとつの行き先候補は〈ホネスティ〉のギルドホールだ。この可能性は一番高いようにルンデルハウスは考えている。アキバ公爵という言葉が〈大地人〉を席巻している現在、〈神聖皇国ウェストランデ〉からの使者といえばそれに関連したものである可能性が一番高いだろう。しかし、そのケースであった場合、あの貴族は〈ホネスティ〉のギルドホールへと招かれて中に入って話し合うだろうから、ルンデルハウスにできることも見届ける意味もほとんどない。もちろん後々何らかの形で影響は出てくるのだろうが、当面の間はどうにもできないだろう。それはギルドマスターもそういっていた。
 ――そうである以上、ルンデルハウスがアキバの街を駆ける意味はひとつもないわけだが、それでもあの行列にはひとつの強い違和感があった。
 なぜあの使者はあんなに大規模で、しかも馬車ではなく騎乗によってアキバの街に入ったのか? アキバ公爵アインスの話は〈大地人〉の間で希望のように語られている。そんな状況で姿をさらして街に入ることは、もうそれだけで意味がある。ルンデルハウスの僅かな、内容の多くが欠けた貴族教育ですら分かるほどにそれは意図的だ。
 あの行列は、アキバの街の〈大地人〉の耳目を集めて、どこかに連れて行こうとしているのではないか? 〈大地人〉に何かを見せようとしているのではないか? そう考えた時、ルンデルハウスがとっさに思い付いたのは、レイネシア姫だった。
 貴族の一行が進む方向から考えると、〈ホネスティ〉のギルドホールとは反対方向を目指していたというのも大きい。
 アキバは広いゾーンではない。直線距離でいえば、徒歩で十五分もかからない程度の区域だ。いくら飛行呪文を用いたとしても、先回りできた時間はわずかだった。ルンデルハウスと五十鈴が付いたときは、すでに館の門は開かれ、のぞき込むことのできる前庭では、歓迎のための侍女たちが扇のように左右に広がっている。
 つんのめるように急制動をかけた二人は、館に入ることもできずに向かい側の小道から観察することになった。

「ルディ……。なんだか、こう。怖い雰囲気?」
「そう感じるね」
 侍女の仕事は主人の教育の賜物だとされるため、腕の良い侍女であればあるほどその表情は抑制されたものとなる。外部からの賓客を迎えるともなれば、緊張で無表情にもなるだろう。しかし、館の使用人からは、招かれざる客を忌避するような厳しい雰囲気が伝わってくる。
 気おされた二人がそうやって躊躇している間にも、事態はどんどんと進行していった。いつのまにか周辺の路地には〈大地人〉が増え始め、人垣が割れると来てほしくなかった予想通りに、旗持ちの騎士が一行を率いて現れる。
 市中警邏を担当している和装の〈冒険者〉が館の警備に二言三言話をすると、その動きは一層加速した。

「マルヴェス子爵のご到着を歓迎いたします」
 その後ろに侍女を従えた小柄な銀色の影が腰を折った。
 レイネシア姫の登場とその涼しげな声に、周囲の〈大地人〉はどよめきを上げるが、ルンデルハウスとしてはこの後に来る面倒を考えて、全身から力が抜けていくようだった。
 レイネシア姫は美しかった。
 何回か遠目に見たことがあるルンデルハウスだったが、美しさという意味では今日この日が最高だったと断言できる。しかしそれは、ちっとも歓迎したい方向ではなかった。元から透き通るように色白で「人形のような」と評されるほどの美少女だったが、今日のレイネシア姫は一切の表情が抜け落ちていたのだ。それがかえって人形じみた印象を強め、結果として儚いガラス細工のような美を体現している。
 ルンデルハウスとしては全く好みではない種類の美貌だった。

 〈大地人〉(どうほう)の喜びはわかる。
 権威に裏打ちされない財産に安心ができない彼らにとって、アキバが正式な領地と認定されるのはこの上ない結末だ。領主や代官からは相続の権利を認められず、村では財産のない部屋住みとして疎まれてきた彼らにとって、大公爵の治める豊かな直轄地で、譜代の民として生活を構築できるというのは何よりの福音だろう。故郷に残してきた兄弟姉妹や家族から見たって大出世であり、羨まれること間違いなしなのだ。
 しかし、ルンデルハウスは同じ〈大地人〉ではあるといっても、少し事情が違う。元貴族としてそれなりの教育を受けているから見えるものもあるし、それに貴族の保護を受けているからと言って財産や権利が絶対に守られるわけではないということも、焼け落ちる故郷を見て学んだ。〈冒険者〉として〈記録の地平線〉(ログ・ホライズン)に参加しているせいで、多少の情報だって入ってきている。
 アキバ公爵の就任という今回の出来事が、うわさに聞く〈ランデ真領〉の宮中でおきた、もっと高くて手の届かない殿上人の(はかりごと)の結果であることも理解できてしまう。
 目の前のレイネシア姫の表情を見れば、そのたくらみの一つが結実したのだろうことは想像に難くない。
 市井の民のために喜べばいいのか、それともアキバのために尽力してきた姫を思いやって嘆けばいいのか、ルンデルハウスは判断がつかなかった。

「マイハマ公爵の誇る〈イースタルの冬薔薇〉レイネシア嬢自らのご丁寧な出迎え、こちらこそ感謝いたす。馬上より使者の任を果たすことをなにとぞご容赦願いたい」
「はい……」
 目の前で使者が声を張り上げている。
 まるで舞台劇のようなその様子に、周囲はかたずをのんだかのように静まり注視しているようだ。ここに至ってルンデルハウスは確信を強めた。
(これをアキバの街に聞かせるのが、この貴族の狙いなんだな)
 しかし、この状況になってはもう止めることはできなかった。もっとも、食い止めるべきなのか、そうではないのか、もし食い止めた場合にどういう結果になるのか、二十歳になる前に家を出ざるを得なかったルンデルハウスには判断がつかない。
 ただ、戦闘においてモンスターに先手を取られたような、得体のしれない緊張感だけは真実感じている。それはどうやら隣の少女も同じであるらしく、ルンデルハウスの手を握っていた。
 その気持ちは、マイハマの姫君も同じであるらしい。
 握りしめた両手がわずかに震えているのにルンデルハウスは気が付いた。
 あの姫君も、考えてみれば自分と同世代か少し年下であるはずなのだ。
 大領マイハマでの薫陶を受けたのか、このような状況でももたげられ凛としたその表情は、確かに周囲の敬慕を集めるのにふさわしいものだ。
「斎宮家よりの書状を我、マルヴェス=アインアルド=マルヴェスがお渡しする。なお、口上もあずかっております。――婚約の支度、すべて整いましてございます。このマルヴェスとともにキョウの都におあがりくだされ。なに、身ひとつで結構。婚姻及び新居は都で用意しております。斎宮トウリさまが心を砕いておられました。準備は一週間ほどでよろしいか?」
「それはっ! わたしは……この街で仕事があります。それを簡単に放り出すわけには……」
 だがレイネシア姫のすがるような声を、マルヴェスというらしい貴族の粘着質で恩着せがましい言葉が遮った。
「それについてはご安心を! この街の〈大地人〉の保護については斎宮トウリさまも心配なされており、あらたにアキバ公爵を任じられましたぞ! すべての仕事は、以降、アインス殿にゆだねられればよろしかろう!」
 周囲の〈大地人〉の歓呼の声をルンデルハウスは暗惨たる気持ちで受け取った。この事件はアキバを揺らさずにはおかないだろう。一刻も早くそれを報告するために、ルンデルハウスは自らのギルドマスターへの〈念話〉を試みるのだった。


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