挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp12 円卓崩壊

106/122

106

◆ Chapter1.04 



 いつの間にかずいぶん時間がたっていたようだ。
 ぼんやりした気持ちで、レイネシアは手元の手紙を見つめた。
 ツクバの商人から届いた仲介への礼と新しく増える輸送馬車隊(キャラバン)の紹介だった。もちろん、紹介の体裁はとっているものの、アキバで何か困ったことが発生したら頼るかもしれない、そのためにも事前に説明をして根回しをしておきたいという、商人の如才のなさの表れだろう。
 今のレイネシアには、それがわかる。
 この広いヤマトの地において、貴族も商人もみな、生きるに必死なのだ。剣を取り、知恵を絞って自らと自らの庇護する民を守るために行動している。時には自分より力のある者の情けにすがることもあるし、他の力あるものと協力して事に当たることもある。
 〈自由都市同盟イースタル〉の領主の目から見れば名もない若手商人からレイネシアにあてられたこの一通の手紙には、そんな意味があるのだ。
 それはおそらく、政治なのだろう。
 〈エターナルアイスの古宮廷〉でレイネシアの祖父たちが額を突き合わせていたそれが、レイネシアのもとへはこの手紙という形でいま実った。政治とは、関係を構築し維持するための営為の連続――これはレイネシアの父フェーネルの言葉だ。その連続たる大樹の先に実る果実がこの手紙であり、同じようにレイネシアの婚約の報せなのだ。
 炎のような色の夕日の光が徐々にその熱をうしなっていった。
 薄暗くなってゆく執務室の豪奢な椅子に腰かけ、レイネシアはトレイに整理された手紙の束を指先でなぞった。
 どれもが取るに足らない、しかし大事な連絡だった。クレンディット家からのものがあった。あの家から今届くのだから、おそらく出産の報告だろう。今月に生まれるという手紙はすでに受け取っている。なにか祝いの品を見繕って送らなければらならない。幸いにしてここは〈冒険者〉の街アキバだ。珍しいものや便利なものには事欠かない。

 地に足のつかないようなふわふわとした思考で、レイネシアはぼんやりとそんなことを考えた。だから急に明かりが出現したとき、思いのほか大きな声をあげてびっくりしてしまった。洋灯(ランプ)を持ったエリッサである。
「姫さま……。もう真っ暗ですよ?」
「エリッサ……」
 ええ、エリッサですよ、と小さく微笑まれて、レイネシアは少しだけ罪悪感を感じた。エリッサに心配させるようなつもりはなかったのに、こちらを見つめるその表情でレイネシアは自分が普段通りではないのだと気が付く。
 ほっぺたをつまんでみたが、ひんやりとこわばっていた。
 普段どんな表情をしているか、自分ではわからないからこれは失敗だ。
「そんなことをしてもダメでございますよ。姫さま。赤くなって痛くなるだけですよう」
「そうかしらエリッサ」
 レイネシアは頬を両手でかばうように撫でてみた。
 幸いにして冷たい滴は感じない。きっと困ったような表情をしていただけなのだろう。侍女に心配をかけるのは貴族的な態度ではないものね、レイネシアはそう考えた。
 エリッサはいつも通りさりげなく、だが心配そうな表情を浮かべている。
 レイネシアはなんだか困ってしまい、小さく笑った。
 気の強い彼女がこんな風に途方に暮れたように耳をしょげさせるのはとても珍しいことなのだ。
「姫さま……。その」
「あんまり気にしてはいないわ。いずれこういう話が持ち上がるのはわかっていたのだし。それは、斎宮家の当主様だなんてびっくりしたけれど」
 だからその思いを先回りして口に出した。
 それはたぶん強がりでしかなかっただろうけれど、レイネシアは自分から口にしたことで、そんな状況に対応する強い力が得られると、そう信じたかった。
 そもそものところ、レイネシアだってどんな気持ちを抱けばよいのかわからなかったのだ。
「……」
「それに、もしそうなれば今度こそ三食昼寝付き! じゃないかしら。斎宮家といえば、今のヤマトでは一番家格の高いお家ですものね。お城もマイハマよりも大きいかも。それとも、斎宮さまだから神殿なのかしら?」
 わたし、古宮廷より西には行ったことがないから。
 レイネシアはそう続けたが、その言葉は続けるに従い自信を失い、小さくなってしまった。
 そうだ。
 レイネシアは、マイハマからいくらも離れたことなどないのだ。
 ウェストランデはどのような版図を持つか、もちろん貴族の子女の教育としてレイネシアにはその知識がある。しかし、実際その領や街の景色を想像できるかといえば、まったく何も浮かんでは来ない。知己すらいないのだ。
 レイネシアの言葉はまるで遠い海に流されたという交易船のように寄る辺なく漂い、不安の波にさらわれてしまった。
 レイネシアは不思議に思う。かつてはこんな不安なんて感じることはなかった。貴族の子女とは不自由なものだ。礼儀作法、歌舞音曲、貞淑、清楚――それらを詰め込まれはいるが、それ以外の知識など何もないに等しかった。いずれ婚姻をしてどこかへ嫁ぐとは思っていたが、それらはレイネシアの自由になることではなかった。それどころか、レイネシアの自由になることなど何一つないと思っていたのだ。だから色あせた景色の中で、怠惰に過ごせればいいと思っていた。
 何をしても結果が同じならば、何かをする意味なんてありはしないのだから。
 将来への不安もなかった。知っても知らないでも、結果は変わらない。不安に思っても思わなくても同じ。いずれする結婚を、だからレイネシアはどこまでも他人事として眺めていられた。温室の中で微睡む自分を、レイネシアは遠く思い出す。それは今思い返せば、自分自身ですらないようなあいまいな記憶だ。

「姫さま……。それはユノキさまのお手紙ですか?」
「ええ。輸送商隊(キャラバン)を増やすのですって。そのご挨拶のお手紙」
 エリッサはふと、話をそらすようにエリッサの手元の手紙に視線をやって、そう尋ねてきた。
「そうですか。念願へ向かって進まれるのですね」
「そうなの?」
 レイネシアは疑問を口にする。
 ユノキという商人にはあったことがある。ツクバに本拠地を置く中堅というには多少貫禄が足りない新興商会の主だった。中年ではあるがすらりと痩せて、活力にあふれたまなざしをしていた。礼儀正しくはあったが、少しせっかちで、それがこのアキバの空気のなかで妙にしっくり来ていたのを覚えている。
「ええ。ユノキさまはアキバへの支店を望んでおりましたから。輸送商隊を増やし、人を育て、小さくても店舗を開くのでしょうね」
「それは大変なことね」
 レイネシアは少し考えて、頷いた。
 エリッサにはレイネシアの抱えている仕事のほとんどを手伝ってもらっている。専属侍女というだけではなく、その仕事の範囲は文官や内務官の領域に及ぶほどだ。マイハマ城でこんなことをするのはとても無理だろう。文官には文官の縄張りというものがあり、横から仕事に手を出せば反発が生じるのは避けえない。人手不足の〈水楓の館〉だからこそ、そして外交や業務に不慣れなレイネシアが主人だからこそ起きたことだった。
 レイネシアも手探りで悪戦苦闘をしていたが、そのレイネシアを支えて恥をかかせぬため、エリッサを筆頭とする侍女隊もまた、レイネシア以上にアキバでの業務と生活の両面にわたって研鑽と激闘の日々だったのだ。レイネシアはそれを知っている。
「いくらアキバの景気が良く、新しいチャンスにあふれているとはいってもそこを目指す人は、ことに商人の方々は多うございます。その中で成功をつかむために身を投げ出すような勇気を振り絞っているのでございましょう」
 そしてそれは、エリッサや侍女隊だけではなく、すべての〈大地人〉がそうなのだ。
 確かにこのアキバの街は想像もできないような珍しい品、新しい技術、豊富な物資、そして好機(チャンス)があふれている。しかし、それらは日々を飲み込み、あるいは押し流していく激流のようなものだ。生半可な覚悟では、この街についていくことはできない。
 この街では新しいことが毎日のように起きる。それらは祝福でもあるけれど、一方で大波乱でもあって、ついていくのは本当に大変だ。そもそもレイネシアがこの街にやってきたきっかけは、空を駆ける〈鷲獅子〉(グリフォン)で浚われる有様だったくらいである。
 だから、そのなかで新しい立場や、財貨をつかもうとするものは、必ず相応の支払いをしているのだ。それは日に夜を継ぐ努力かもしれないし、あるいはエリッサの言うような一世一代の賭けを行う勇気かもしれない。
 この手紙の、数行の言葉の中には、その想いが込められているのだ。
 とても重く神聖な手紙だ。レイネシアはそう思った。
 その重要な手紙が執務机の上には、何十枚と重なっている。
 どれもが必死で、どれもが精いっぱいで、どれもが特別だった。
 レイネシアが簡単に「判る」などと言ってはいけないのだろう。貴族であるレイネシアが想像もできないような苦難と試練を超えて、彼らは自分の未来を切り開こうとしているのだ。
 昼寝と夕涼みと間食が大好きな自分が、それでも投げ出さずに彼らとの面会を続け、できない尽くしながらも彼らの手紙に返事を書き、世話をしようとしているのは、それが尊いと感じるからなのだ。
 レイネシアは、ぼんやりとそんなことを考えた。

「姫さま」
「なぁに? エリッサ」
 自分でも気づかないうちに時間がたっていたのか、出窓から差し込む青白い月明かりの中で、レイネシアの侍女頭はとても優しい声をあげた。
 いつもお小言ばかり聞いているレイネシアだが、エリッサとの付き合いは長い。そのエリッサの声の中でもちょっと記憶にないほど、それは慈しみに満ちた絵だった。
「エリッサは覚悟を決めてございますよ。姫さまの良いように」
「どういうこと?」
「姫さまは姫さまのことをやる季節ではないかと、エリッサは思うのですよ」
「私の……こと……?」
 静まり返った宵だった。どこかでさやさやと梢が風になる音以外は何も聞こえない、何かをじっと見守るような静謐がそこにはあった。
 視線を伏せたエリッサは、何かを思い出すような、祖先から伝わる遠い童話を歌うような、不思議な口調で話し始めた。
「人は、その一生のうち、何回いのちを燃やせるのでございましょうね? 騎士だけが戦うわけではございません。商人の方々は商いで、職人の方々は物作りで、狩人も、猟師も、歌い手も、各々に戦ってございます。姫さまのお爺様は領主会議で自分たちを守るために戦っていらっしゃいました。――しかし、そんな数多の戦いも、自らを守るため、仲間を守るため、おのれの土地を守るため、定められていたともいえるのでございましょうね」
 レイネシアは、エリッサのやさしさも言葉も、よくわからなかった。
 小さな時からずっと隣にいてくれたエリッサは、レイネシアにとって一番親しい家族ともいえる存在だ。自分で子供を育てるという慣習のない貴族、それもコーウェン公爵家の娘として、あるいは、母サラリヤよりも長い時を共にした存在だったかもしれない。
「この世に生まれた幼子が、自分の意志で戦いに飛び込み、これが己の生まれた意味だと思い定め、全力を振り絞れるのは一生に何回あるのでしょう。一回でしょうか? 二回でしょうか? エリッサが見聞きした限り、その数は長寿のエルフでも多くはありません。いいえ、一生のうち一回も巡り合えない人が大半だとエリッサは思います」
 それはたぶん、そうなのだろう。
 嫡男としてコーウェン家を継ぐイセルスと違って、エリッサは長女でしかない。もちろん、望めばコーウェン家の正統を継げる可能性は存在する。しかしそれは、血のつながった兄弟姉妹の血で塗られた道だ。レイネシアもヤマトの歴史は学んだ。後継者による暗闘を繰り返してなお続く家があるのも知っている。しかし、それはレイネシアの望むところではないし、父母や祖父が望んでいないことも知っている。
 レイネシアの姉、リセルテアはそれを察したからいち早く騎士の妻として降嫁したのだ。レイネシアがここ、アキバの街に赴任したことでさえ、コーウェン家周辺でレイネシアを担ごうとする勢力に対するけん制なのだと、弟イセルスに家を継承させるための処置なのだと、分かりたくはないが理解している。
 そしてそれは、レイネシアのような貴族だけではないのだ。
 農夫も、職人も、商人も。いいや、〈冒険者〉の名だたる氏族長(ギルドマスター)たちも、自らに課せられた使命から自由ではありえない。望む何かのためだけに、自由にその命を燃やすなど、許されることではない。
 レイネシアは、そう教えられて育った。
 民の規範たるべき貴族の、それは最低限の義務だ。
 だからエリッサの言葉は夢物語なのだ。
「ですから、姫さまは、姫さまの良いようになされていいのですよ。――それが嫁ぐことなのか、商いなのか、このアキバに骨を埋めることなのか……。〈冒険者〉の恋歌のように、恋をして赤ちゃんを産むことなのか、エリッサにはわかりませんが」
「エリッサ?」
 あっけにとられて、レイネシアは見返した。
 穏やかな表情のエリッサは、片方の耳だけを器用に動かすとともに、悪戯そうなウィンクをする。
 どうしてここであの意地悪妖怪(クラスティ)の話が出てくるのか?
 抗議しようにも言葉にならない隙をついて、エリッサは何もかも心得ているとでもいうように頭を下げた。
「姫さまの良いようになさるのが、結局一番良いと、エリッサは思うのでございますよ。大丈夫でございますとも。姫さまがやるときはやれる姫さまだと、エリッサはちゃぁんと心得ておりますよ」



◆ Chapter1.05 



「どもども。こんばんわー。シロエ殿」
 その同じ宵。早めの夕食を終えてもうひと働きしようと考える(この時点で相当ワーカーホリックなのだが)シロエのもとを訪ねたのは、〈第八商店街〉のギルドマスターであるカラシンだった。
 普段通りの白いケープにそろいの帽子をかぶったカラシンは、いつもどこか微笑んでいるような表情のままシロエの執務室に入ってきた。
 この部屋はシロエ自身は書斎なのだと言っているのだが、ギルドメンバーからは「作業室」、「応接室」、「ギルマス部屋」、「勉強室」、「シロエの部屋」、「ひきこもルーム」などと呼ばれている。妥協して一番ましな「執務室」だということで納得しているのが現状だ。「執務室」はミノリの発案である。

「どうも。珍しいですね、ギルドハウスに来るなんて。カラシンさん」
「なんかもう目が回るほど忙しくてね」
 そのミノリに案内されてきたカラシンは、気安く手を振りながらソファに座った。カラシンは物おじしない性質(たち)の青年ではあったが、この世界で覚悟を決めてから、それが不敵さにつながっているようだ。
(頼りがいがあるんだか、手が付けられないんだか……)
 カラシンがやってくるのを待っていたシロエも、手元の湯飲みを机からとりあげて、そのまま応接セットへと移動した。こうしてギルドハウスで話し合うことも少なくない二人である。挨拶に時間をかけることなく会話はすぐさま近況に移った。
「そうですか……。やはり建造が?」
「〈ポダルゲー〉は内装スカスカだけど順調でー。っていうか、あれは〈海洋機構〉にぶんなげなんでそこまで手はかかってませんけどねー。どっちかっていうとシロエ殿のせいだとおもうんですが」
 〈ポダルゲー〉は〈火蜥蜴式蒸気機関(サラマンダーエンジン)〉搭載船舶の四番艦である。
 最初の実験艦であった〈オキュペテー〉は汎用輸送艦に改修を受けて〈第八商店街〉に売却された。二番艦〈ステンノー〉は討伐兼輸送任務を念頭に、三番艦〈エウリュアレー〉は広域探査兼輸送任務を念頭に設計され現在すでに就航している。もっともシロエに言わせれば、どれも輸送艦だ。建造を主に行っているのは〈海洋機構〉であり、それに〈ロデリック商会〉が技術面で、資金面で〈第八商店街〉が協力しているわけだが、凝り性かつ遊び人が多いアキバ技術者の常として、毎回のようにあふれるアイデアを盛り込んで建造している。そのテーマとして別の特性が持たされているだけであって、実際の運用に関してはアキバとエッゾ、フォーランドを結ぶ輸送が任務であった。
 〈ポダルゲー〉に関しても方向性で突飛なアイデアは耳に入っているが、一回り小型化しようという以外は聞き流している。付き合うと蘊蓄がとめどなくあふれるからだ。

 シロエ殿のせいなのになー。
 苦労してるのになー。
 しらじらしい口調で続けるカラシンに〈ポダルゲー〉から意識を戻すと、シロエは「数字、出ました?」と尋ねる。今日の本題に移ろうという合図のつもりだった。
 もっとも懲りないカラシンは疲れ果てた表情で(さっきまで元気いっぱいだったわけだが)「感謝してほしいなー。なんか甘いものたべたいなー。ミノリちゃんが配膳しに来てくれないかなあ」などと続ける。
 たまたまミノリがお茶を乗せた盆を持って入ってきたのも偶然ではなく、おそらく廊下を歩く気配をつかんでいたのだろう。朗らかな顔でミノリに礼を述べるのを、シロエは脱力しながら見つめていた。
「ありがとうね。いつも助けてくれて、タロも感謝してた」
「あはは、はは……。何もできてないですよ?」
「いやいや、ミノリちゃんには手助けしてもらってるって、シロエ殿にもそう報告していたところだったから!」
(そんなのしてたっけ?)
 調子のよいカラシンをジト目で見るシロエだったが、考えてみればこれくらいでないと海千山千の貴族ひしめくイースタルで商会を率いることなどできないのかもしれない。
 抹茶どら焼きを茶菓子として勧めてから退室するミノリにニコニコと手を振っていたカラシンは濃いお茶を飲むと「やっぱりいい子だなあ。〈第八商店街〉(うち)に来ないかな」などと呟いている。
「そんなに人手不足なんですか?」
「ウチはさ。広域大型ギルドって言っても、もともとがチャットギルドだからね。メンバーはそれぞれ商売やら冒険やら好きなことやってるし。ゲーム時代(むかし)はそれでよかったんだけど、さすがにこうなると本部スタッフがねー」
「不足しますか」
「〈大地人〉さんもいっぱい助けてくれてるんだけどね。〈冒険者〉じゃないと任せられないこともあるわけで」
「それはそうでしょうね」
 話の間も、シロエは無言で受け取った資料に目を通している。
 分量はさして多くはなかった。単純な表がひとつ。グラフがひとつ。あとは、聞き取りで集めた証言が整理されたレポート用紙が五枚程度。
 カラシンの言う「シロエのせい」の原因、頼んだ仕事の結果だった。
「はあ……。思ったより少ないというか、思った通り少ないというか」
「多ければ、騒ぎになってるでしょ」
「それはそうですね。それにしても、約千分の二、ですか」
「苦労しました!」
 それは〈神隠し〉(ログリーブ)と一部ではささやかれている現象のレポートだった。かねてより掴んでいた「行方不明」に関する案件である。

 〈冒険者〉の間に消えた人間がいる。
 そんな話は、じつは〈大災害〉直後はともかく、その半年後には囁かれていた。当初は根も葉もないうわさ、ただの偶然、何らかの事情があって仲間を離れただけ――そう思われていた案件だが、都市伝説のように根強く残り続けた。
 シロエが確信に至ったのは大嶋という友人の〈冒険者〉からの連絡が途絶したからだった。
 〈冒険者〉における代表的な連絡手段、〈念話〉は携帯電話に慣れた現代人にとって当たり前すぎる機能として疑念なく定着しているが、いくつかの相違点もある。そのひとつが連絡先のリスト表示だ。〈念話〉で連絡可能であれば、すなわち同じサーバーに存在さえすれば、登録した連絡相手の名前が明るい色で表示される。もちろん通話をしようとしても、相手が通話を拒否していれば〈念話〉がつながることはない。しかしその場合でも、相手の健在だけは確認できる。そんな機能だ。
 シロエはあまり詳しくはないが現代の日本において行方不明者は年間数万人を超えていたはずだ。その大半は連絡を絶って地方などで身元を隠し生活していると、ドキュメンタリー番組で見た記憶がある。
 しかしこのセルデシアにおいて、多くの〈冒険者〉はそういった雲隠れは難しいのだ。もちろん最初からフレンドリストなどというものを利用しない、まるっきり孤立した〈冒険者〉であれば姿を隠すこともたやすいが、〈大災害〉を経たこの世界においてそのような事例はかなり少ないと考えられた。
 そして、現に、フレンドリストの暗転という事象が報告されている。
 それがカラシンから手渡された報告書の内容だった。
「〈第八商店街〉でなければ、この資料はまとめることができなかったでしょうね。お手数をおかけしました」
「――帰還したとシロエ殿はお考えで?」
「希望込みになるんですが、そう考えています」
 数は少ない。
 報告書にある事例数は三十六人。もちろんその中には誤解や説明のつく事故も含まれているだろう。隣のサーバーへ突如転移させられたクラスティのような事例だ。
「どっちにしろ行方不明だよね。隣のサーバにもいないっていう確認は取れたわけで」
「ですね。むしろ、これは『死』にあたるかと」
「その意味じゃ〈オデュッセイア〉も間違っちゃいなかったわけだ」
「そういう事例も、あるようですね。ある日突然消えるパターン、死亡しても大神殿に現れないパターン、〈妖精の輪〉ではぐれて消えるパターン、眠りについて消えるパターン。……様々ですが」
 クラスティのように説明のつく事情を丁寧により分け、追跡し、おびただしい聞き込みをして、それでも残ったのが三十六人。考えていたよりも様々なケースが見受けられたが、決定的なのは「眠りについて消えたパターン」だ。
 シロエはその報告の文章を目でたどり、小さな安どの吐息を漏らす。
「オカルトだねこうなると」
「おそらく、希望しない限りこの『消滅』は起きないと考えています」
「なんでさ?」
「シブヤ事件の敵が言ってましたからね。『眠りについて待機を選択せよ』って。|こちらの同意がなければ《、、、、、、、、、、、》その効果を及ぼせない。僕はそう考えます」
 眠りについた〈冒険者〉とはシブヤの事件の数少ない被害者だったのだ。
 様子を見ていた看護スタッフの目の前で薄れ、消失したということで目撃証言も多数あり信憑性が高い。〈神隠し〉(ログリーブ)が観察下ではっきりと発生した事例だ。
 シロエはその現象のヒントを〈典災〉タリクタンの言葉の中に見出そうとした。
 もちろん確証はない。実験ができるようなことでもないし、そもそも実験結果を報告することは不可能ではないかと思っている。
――六億四千万単位と引き替えに帰還はなされる。
――同意する契約者はアクセスを受け入れ睡眠の中で待機状態を選択せよ。
 何らかの支払いの結果、昏睡者は地球へと「帰還」したのだろうか?
 それはロエ2のいう〈共感子〉(エンパシオム)なのか。
 あの時感じた迷いがシロエの中でリフレインする。もしかしたら、タリクタンの言葉に従いすべての〈冒険者〉が眠りにつけばこの世界から離れることができたのかもしれない。しかし、あの時点においてそれは出来ない選択だった。成否の確証がない賭けをすることも〈大地人〉を見捨てこの場所を放棄することも、シロエには無理だったのだ。
 後悔はない。
 ないが、それと、帰還に関する謎を追及する気持ちは別だ。
 シロエは確かに「セルデシアと地球を往還可能にする」とカナミをはじめ仲間たち大勢の前で啖呵(たんか)を切ったが、往還は当然「帰るだけ」よりも高いハードルであることはわかっている。〈神隠し〉(ログリーブ)には、往還のためのヒントだって隠されているはずなのだ。
「〈召喚のタリクタン〉かー。報告は読んだんだけど、本当なのかな」
「僕も完全に信じてるわけじゃないんですけど。真実だと仮定して手探りでも続けないと、進めない状況なので」
 情報の記録と整理に関しては抜群のセンスを持つ少女参謀〈D.D.D〉の幹部リーゼから報告書(レポート)は、〈円卓会議〉に上がっている。ヤマトを揺るがしたあの大事件はいくつもの謎を残しつつ、一応は終結したことになっている。
 しかし、すべての大事件がそうであるように後始末には多くの時間が必要だし、どこまで終われば本当に終わったといえるかは曖昧だ。アキバの街は表面上、事件の影響から抜け出して元の喧騒を取り戻しているが、後始末に追われている〈冒険者〉だって存在する。それをいえば、シロエやカラシンがこうして額を突き合わせて相談をしていることだって、シブヤの事件の影響がないとは言えない。
「わかるわー。新興国への単身赴任そのものだわー」
「そうなんですか」
「全部手探りなんだよねえ。マニュアルないし」
 そうですよね、とシロエは頷いた。
 もっとも同意したのは「手探りでマニュアルがない」という部分に対してであって、シロエ自身はカラシンのボヤキを本当の意味で分かっていない。
 大学院という研究機関で暮らし、そして〈放蕩物の茶会〉デボーチェリ・ティーパーティーという攻略集団に属していたシロエにとって、手探りでマニュアルがないというのは状態であり、大げさに言えばすべての仕事はそうだと疑ってもいない部分があった。つまり感覚としては「毎回ですけど仕方ないですよね」という程度の相槌である。
 カラシンにしても新規開拓というものはそうだという程度の割り切りはもちろんあるし、それへの挑戦という気持ちがあるので真剣に嫌がっているわけではない。こちらは社会人経験があるので「世の中にはもっとぬるいマニュアル仕事だって存在する」ことを知っているだけである。
「……」
「……」
 ふたりはお互い視線を交わして、あはははは、とそろって笑い声をあげた。それぞれが「ちょっと自分はずれているのか?」と考えた結果、笑ってごまかすということにしたようだ。お互いの考えはわからないが、ごまかしたいという希望だけは一致して乾いた空気が流れる。

「あー、ごほんっごほんっ」
 お茶を飲んで落ち着きを取り戻すと、カラシンはわざとらしい咳を重ねてテレを隠したようだった。とぼけたような表情に、シロエは姿勢を正した。ここまでの情報交換も重要ではあるものの、それだけであればカラシンが訪ねてくるほどではないと考えていた。〈神隠し〉(ログリーブ)の件は重要だが、今までに何回か中間報告はもらっていたのだ。
 今までの経験から言えば、見かけの割にどこまでも油断のできない眼前のギルドマスターは、もうひとつやふたつ、触れれば火傷するような相談を抱えて訪ねてきたはずなのだ。
「明後日には定例の〈円卓会議〉あるじゃないですか」
「そうですね」
「そろそろアインスさんが暴発しそうかなーって」
「……」
 シロエは口をつぐんだ。
 それはここ数か月シロエを、いいや〈円卓会議〉すべてを悩ませてきた懸案事項だった。シロエなりに、そして今話しているカラシンなりに、その件に対して対応の手を打っていたのだが、ここに至るまで会議の場を離れた個別の話し合いを持ったことはなかった。潔癖さ故、根回しのような話し合いを忌避していたわけではないが、やはり問題の性質に対して苦手意識があったことは否定しきれない。
「シロエ殿もうすうすわかってはいるんでしょうけど。ほらあそこって――|〈Plant hwyaden〉《プラント・ フロウデン》の手、入ってるじゃないですか? 放置してたら困りそう、みたいな」
 カラシンの軽い口調でも救われないシロエは、苦い表情でうなづいた。
 往還というシロエのクエストに手を付ける前に、足元にこそ解決しなければならない問題は埋まっているようだった。




◆ Chapter1.06 



 立体感に乏しい白い明りが差し込んでいるのは巨大な広間だった。
 〈六傾姫〉(ルークィンジェ)の見下ろす〈円卓会議〉がこの部屋だ。広義には、そして一般には、〈円卓会議〉とはアキバの暮らしを守る頂上組織の名称として知られている。しかし、厳密にいえば〈円卓会議〉とはこの部屋の名称であり、この部屋に集う参集ギルドによる会議の名前なのだ。円卓の十一人ラウンドテーブル・デクリメントによる合議がその実態である。
 ギルド会館最上部に位置するその会議場では、最初から紛糾をはらんだ話し合いが始まっていた。
「無理だ」
「ちょっと難しいっすよそれは」
 ミチタカとカラシンが否定的な声を上げた。
 シロエはアインスをちらりと見て、そのこぶしがきつく握りしめられているのを確認する。細かく震えるそれは、内心のいらだちを余すことなく表していた。
「新しい事業を起こして――灌漑か治水ですね。それで相応の予算をつけていただきたい。今のアキバにはそれが必要でしょう」
「予算がないんだよ」
「集めればいいでしょう? アキバの発展はめまぐるしいものがある。〈第八商店街〉、〈海洋機構〉どちらのギルドも、巨額の資産を持っているはずだ。そこから提出するのがいやなのですか? 資産の寡占が、街の風紀にダメージを与えているという側面が大きいのですよ」
「ギルドがデカイっつったって金持ってるとは思わないでほしいな」
 現状、〈ホネスティ〉のアインスから出される提案を〈海洋機構〉(ミチタカ)〈第八商店街〉(カラシン)が却下している状況であった。とはいえ、二人だけが反対しているわけではない。会議全体の雰囲気としては、否定的でありその代表格として二人は反論しているに近い。
「うち貧乏なんですよ」
 沸騰しかけた空気をなだめるためだろうか、カラシンがおどけた態度で涙をこらえるしぐさを見せた。マリエールは緑の髪を揺らしてくすりとわらったが、そんな返答さえもアインスの気に障ってしまったようだ。
「〈第八商店街〉は、マイハマに新しく商館をたてましたよね? それだけでも金貨百五十万枚以上の投資をしたはずです。そんな巨額の金貨を、アキバの〈冒険者〉の大部分は見たことも聞いたこともないんですよ。貧しいだなんてどの口で言えるんですか?」
 舌鋒鋭く追及する。
(あーでもそれは悪手でしょう……)
 シロエはひとりこめかみをもんだ。
 たしかに〈第八商店街〉は商館の運営を開始したし、相対的に見れば潤沢な予算を持っているかもしれない。しかし、他のギルドの懐事情を直接指摘するのは、関与としても行き過ぎだ。
 案の定反発を強めたカラシンは、冷笑を浮かべると余裕をもって言葉を返した。
「あー。あの商館、〈第八商店街〉名義じゃないんですよね。〈マイハマ商業施設管理委員会〉名義なんです。倉庫と店舗スペースの利用権をあらかじめ分割する形でギルメンから建設費用を集めたわけで。なんで、〈第八商店街〉のメンバーであってもその投資をしなかったメンバーは、あとから割高で利用権を借りることになるんですよ。てなわけで、〈第八商店街〉の資産じゃないし儲かってないし、ギルドは貧乏くじなんです。ハイ」
 懇切丁寧に説明するカラシンの言葉は、丁寧だからこそ余計にアインスに突き刺さったようだ。眉間に深い縦皺(たてじわ)を刻んだ和装のギルドマスターと、飄々とした白い帽子の道化が円卓を囲んでにらみ合う。
 その雰囲気にあてられたのか、ほかのメンバーもどこか引き気味だ。
――あーそういう手で建てたのか。
――どういうことなんだ、さっぱりわからねえぞ。
――大丈夫ですよ。アイザックさん。ボクにもわかりませんからっ!
――あとでシロ坊に説明してもらお?
 小声で交わされる相談を耳にしながらシロエは視線を前方に固定している。下手にそちらを見て、いまここで説明させられる羽目になったら大変だ。それこそ、カラシンとアインスの間に割り込まされることになるだろう。シロエが時に蛮勇をふるう(と皆に思われている)のは、周囲からはそうは見えなかったとしても、目的を達成するためのシロエが考える最も有効な道だからであって、こんな炎上会議で仲間の仲裁をするためではないのだ。

 カラシンが訪ねてきたあの日、ふたりの会話はアインスの暴走の話題にまでおよんだ。彼が何かを企んでいるのはわかる。ミナミからの使者が頻繁にギルドホールに出入りしているし、それを隠そうという風も見えなかったからだ。アインスは以前から、アキバの街に蔓延する荒んだ雰囲気と〈冒険者〉の間の格差を気にしていた。何かをしようとしているに違いなく、そしてそれはアキバの街に亀裂をもたらすことになる。
 その見識はシロエとカラシンの間で一致した。
 しかし、その先はといえば、あまり実りある会話があったとは言えない。
 シロエもカラシンも〈冒険者〉同士が本格的な抗争をするような未来を予想してはいない。世界はともかく、このヤマトではそうだ。平和すぎる環境に置かれていた日本の出身者が自発的に戦争を起こすというのは、良い意味でも悪い意味でも考えにくい。ひとりふたりの先走るものがいたとしても全体としては嫌悪感のほうが大きいだろう。
 しかし一方で〈大地人〉はそこまで楽観視していいとも思っていなかった。アカツキから聞いた情報によれば、そもそも〈自由都市同盟イースタル〉の諸領主たちは〈ウェストランデ皇王朝〉の皇帝により任命された貴族なのだという。その滅びたウェストランデ地方の生き残りが〈神聖皇国ウェストランデ〉を名乗り、東の諸領主に臣従を迫っている。このヤマトの政治情勢は、おおよそそんな事情を背景として動いている。
 歴史の中で力を蓄え着々と自治の道を進んできた〈自由都市同盟イースタル〉であり、軍事力では後塵を拝していた〈神聖皇国ウェストランデ〉。ある意味、だからこそ平和が保たれていたわけだが、ここに〈冒険者〉という外部要因が加わり力関係が混沌としてしまった。
 それが先月に起きたイセルス公子暗殺未遂事件に結び付いたとも考えられている。
 そんな現在状況を、アキバの街にたまる鬱屈、〈ホネスティ〉アインスと南の巨大ギルド|〈Plant hwyaden〉《プラント・ フロウデン》の結びつき。そういったきな臭さに対して何ができるのか? と問われて、二人は、これぞという決定的な手段を出すことができなかった。
 もっともそれはシロエとカラシンが無能だというよりは、相手があることなので正確な対応手が確定できなかったに近い。シロエはシロエなりに、そんな不幸な未来を防ぐためにいくつもの手を考えていたしそれはカラシンもそうなのだが、とはいっても完全には程遠い。
 カラシンに言わせればシロエの手は「相手の王さえ取れれば全軍犠牲もやむなしとか将棋なら勝てますけど現実だとエグすぎる」であったし、シロエから見ればカラシンの手法は「乗れそうな波や人物に投資しまくってうまくいくように祈るって青田刈りすぎ」であった。
 結局自分たちは向いていないので、行方不明になったクラスティが悪いという意見だけは一致したわけだが、かといってそれでクラスティが中国サーバーから帰ってくるわけでもない(これも頭痛の種だ)。

「そういう工夫ができるのが強者の証ですよ。大手商業ギルドはもうすこし平均的〈冒険者〉に配慮をすべきです」
「いや、その〈マイハマ商業施設管理委員会〉を取り仕切ってる委員長、レベル四十ちょいなんですよ、これが。戦闘こわいし生産サブ職も持ってないしってことで、あいさつ回りと事務仕事だけでまわる企画立ち上げたそうで。えらいですよね」
「それはっ」
 そんなわけで、アインスの対応や出方を見るという話で落ち着いていたはずなのだが、随分と荒れた会議になっている。挑発してぼろが出ないかどうか探っているのだとも当初考えたのだが、どうもそういう雰囲気でもなさそうだ。これは……。
(カラシンさん、アインスさんと相性悪いんだろうな)
 それはどんよりした表情の偽らざる本音だった。
 正面から論をぶつけ合うのを避けてたのはこのせいかと納得した。今のセリフ、もちろん揶揄もあるのだけれど、カラシンの本音でもあるのだろう。やみくもに援助を呼びかけるアインスだが、アインスの言う「中レベル程度の恵まれない〈冒険者〉」もカラシンが示したように企画や商売で利益を上げられる可能性は存在する。事実、成功した事例がある。
 カラシンはそれを現実に見ているからアインスの要求を甘えとしか見れないし、おそらくだがアインスは挫けて蹲る仲間の悲哀を見ているからこそカラシンのそれを勝者の驕りとしてしか受け取れない。
 そういう意味では水と油のような二人だった。
「よくわからねえが、そういうんならアインスんとこも、そういうのやりゃいいんじゃねえか?」
 いいこと思いついたぜ! とでもいうようにパっと表情を明るくしたアイザックがアインスに告げた。それはもちろん、何の他意も悪意もなかっただろうけれど、それだけにアインスの地雷を確実に踏み抜いたことがシロエにはわかった。なんでほかのメンバーには信管が起動する音が聞こえなかったのか、いっそ不思議になるほどはっきりと感じたのだ。

「アインスさん。聞いてください。僕らは何も低レベルの〈冒険者〉に対する支援をしたくないわけではないですし、していないわけでもありません。〈七つ滝城砦(セブンス・フォール)攻略作戦〉も一定のめどがつきました。〈冒険斡旋所〉で把握している所属〈冒険者〉はすべてレベル三十以上になりました。これはクラスティさんがいた時に当初掲げていた数値です。自衛と自活できるだけのレベルを手に入れたと考えていいでしょう」
 感じたからこそシロエは仲裁に入らざるを得なかった。
 宥めるような口調でアインスに話しかける。自分でも効果があるのかどうかまるで信じきれない口調のまま、それでも中庸の意見をぶつけるしかなかった。
「そのクラスティ氏はどこにいるのですか?」
「先月末ご報告した通り、現在はユーレッドサーバーの領域内のどこかにいると思われます。〈D.D.D〉では準備ができ次第、捜索隊の派遣を考えています」
「それでは機能不全ではありませんか。あらゆる判断が下せないこの場に何の意味があると?」
 激高するアインスに、「おい」という剣呑な声がかかる。
「そりゃどういう意味だよ。アインス。なんであの眼鏡がいなきゃ意味がないんだ」
「そうでしょう。代表者不在、指導力を発揮できない〈円卓会議〉に存在価値などあるのですか?」
 まただ。シロエは本当に叫び声をあげて逃げ出したい気分だった。
 よりによってアキバの大猛獣に喧嘩を売ってどうするんだと、頭を抱えそうになる。アイザックは獰猛なまでに座った眼でアインスをにらみつけていた。
 存在を否定された〈黒剣騎士団〉代表が何かを発言する前に、シロエは素早く言葉を挟み込む。なんで自分がこんな仲裁役をやらなければいけないのか、混乱の中ではそんな後ろ向きの思考しかできないにも関わらずだ。

「アインスさん。――〈円卓会議〉は自治組織ですが、統治組織ではありません。あくまで互助の延長線上にあるもので、その活動は参加者の善意に基づくものです」
 やや唐突なほど大きな声で割って入ったシロエに、アイザックは浮かしかけた腰をおろした。青ざめておろおろするマリエールや、蒼白になったままの茜屋、苦虫をかみつぶした表情のミチタカ。薄笑いの中にもいらだちを含ませたカラシン。目を伏せて落ち着きを見せるソウジロウ。周囲全員の注目を感じながら、シロエは、何とか言葉を続ける。今まずいのは沈黙で、隙間ができれば口論が再燃してしまうだろう。
円卓の十一人ラウンドテーブル・デクリメントはアキバの取りまとめとして存在すべきです。僕たちギルドマスターも、それぞれのギルドメンバーの意思を代行するために、そしてアキバに存在するギルド無所属の、さらには〈大地人〉の意思を代行するためにここに集まっているはずです。統治ではなく自治。それは住民一人一人が未来を目指す意思を持っている前提ですし、その意見を集約するための会議です。ですから、外部とのセッションの関係で代表を務めていただいていたクラスティさんは、代表とはいえ大統領ではありませんし、いまいないからと言って僕らの使命に変わりはありません」
「それでは、この会議は――」
 アインスは何かを言い返そうと声を張り上げ、そして接ぎ穂を失ったようにだまり。拳を大理石の巨大な円卓に押し付けた。自分でも、自分の反論がループになると気づいたのだろう。
 シロエもそれには気が付いていた。
 先ほどシロエが唱えたのは確かに正論だ。円卓会議は、参加ギルドの合議を図る場所であって、会議そのものに何ら強制権はない。参加ギルドの合意があって初めてすべての企画が実施される。そんな場所だ。その中でアインスの訴えかけは、少なくとも現時点では却下された。
 アインスはそれでも、もっと上の権力――たとえばクラスティによって自分の意見が採用される可能性にすがったが、それさえもシロエによって言外に否定されたのだ。合議による自治組織でしかない〈円卓会議〉においては、たとえ今クラスティが出席していてアインスに賛同したとしても、それだけで自動的にその意見が〈円卓会議〉による総意となるわけではない。アキバの住民の総意でしか〈円卓会議〉は動かない。
 シロエの意見は、暗にだがそのことを指摘するものだった。

「――理解しました、シロエさん。では〈ホネスティ〉も、〈ホネスティ〉なりの道を模索してみましょう」
 うつむいたアインスの声は限りなく苦く、失意の底に沈んでいるように見えた。その姿は先ほどまで反対の論陣を張っていたカラシンでさえ痛ましさを覚えるものであったけれど、同時に〈円卓会議〉のメンバーはほっともしていたのだ。この問題に関する急先鋒だったアインスがいわば一歩引いてくれたことにより、この問題そのものがいったんは棚上げされたと。もちろんそれは解決ではないし、あちらこちらで不満はくすぶり続けるが、そもそもこういった問題に対処するには時間がかかる。その時間の猶予ができたと誰もが考えた。
 しかしそれは、翌日、アインスが〈アキバ公爵〉として任じられたという報せを聞くまでのことであった。


+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ