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ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

ログ・ホライズンEp11 クラスティ・タイクーン・ロード

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◆ Chapter3.04 



「くそったれが!」
 ふざけるな。ふざけるな。
 〈楽浪狼騎兵〉のギルドマスター、朱桓 (ジュホワン)は心の中で毒づきながら、〈騎乗用賢白狼〉(ワイズウルフ)疾走(はし)らせていた。
 低く垂れこめた墨汁のような曇天から(しゃ)のような薄片が舞い始めた。粉雪だ。重く湿ったそれとは違い、体力を直接奪いはしないが、風に舞って視界を奪う。そのなかを二列縦隊が荒野に蛇のように長く伸びている。朱桓 (ジュホワン)はその群れを率いてゆく。
 見る見るうちに遠くの山がおぼろなシルエットに沈んでいく。
 このような天候では夜通し駆け通すことは困難だ。野営地を見つけなくてはならない。眠ることはできなくても、火に当たり、温かい飲料を飲まなくては、いくら無尽蔵の体力を誇る〈冒険者〉とはいえ凍えてしまう。そのうえ一行が騎乗している〈巨大狼〉(グレイトウルフ)種の活動時間には限界があるのだ。
 枯れ草の生えた大地は固く、蓄積した冷気そのものだった。
 草の陰に隠れたごろごろした石を蹴散らして狼は西進する。厚い雲の向こうで日が落ちたのだろう。寒さはより厳しくなってきた。体に巻き付けたマントに付与された〈耐冷〉(レジストコールド)の刻印から、水色の魔力光がゆらゆらと立ち上る。寒さを防ぐ魔力を持った印章だ。
 この刻印は制作級の魔法の品(マジックアイテム)を作り出すため〈刻印術師〉(シジルマンサー)が刻み込んだものだ。ゲームだった時代は、限界性能の低さから〈秘法級〉アイテムなどには及ばない、中堅〈冒険者〉のつなぎアイテムという扱いだった生産級アイテムであったが、現在では、狙った能力をピンポイントで得られる点が評価され、日常の中で活用されている。
 その防寒マントをしっかりとまとって、ギルド〈楽浪狼騎兵〉の精鋭部隊は雪の舞い散る白い闇の中をひた走る。

 休息のために足を止めたのは日が変わる直前だった。
 この広大な荒野には野営にふさわしい場所というものがごく少ない。わずかにも風を遮ることができそうな窪地や廃墟はないでもないが、そうそう都合よく進路上にあるともかぎらない。通商のための旅であるならば、そういう拠点を飛び石の様に巡ってゆくのが常道だが、今晩の旅は速度だけを追求したため、ただひたすらに荒野を西進していたのだ。
 条件も悪かった。
 舞い散る粉雪に大地はすっかりと凍えきり、そのうえ濡れ始めている。痛むかもしれないが厚手の絨毯を惜しみなく重ね、風よけに幕を張るくらいのことしか、〈楽浪狼騎兵〉の面々はできなかった。硬く引き締まった白ちゃけた大地を剣先で掘り、火炎魔法で火を起こし、ポットを火にかけることで一行の野営は始まった。
 休息と言っても本格的な睡眠のためではない。もっとも寒い時間をやり過ごすために時間を耐えるに近い。
 何割かの低位狼は持続時間切れで闇の中に消えて行ってしまった。再召喚できるまで四時間ほど過ごす必要がある。召喚時間が四十時間を超えるような中位狼を持つ団員は、横たわった狼の毛皮の中に埋まりせめてもの温かさを共有していた。そしてさらに上位の〈召喚笛〉をもつ団員は、朱桓 (ジュホワン)の指示で先行して偵察を行うために、せっかくの休憩を白湯一杯できりあげて、闇に溶け込んでいった。
「ギルマス、追いつくか」
 浅黒い肌のメンバーが、こわばった口調で現在状況を訪ねてきた。元来の口調ではないが、この凍えた夜の中では無理もない。闇の中で、仲間たちの瞳が、わずかな炎の灯りを反射させてこちらを見ている。誰もが現在の状況を知りたがっているのだろう。
「街に残した馬抱(サブマス)から追加の報告が来た。やっぱり〈歌剣団〉(かけんだん)じゃねえ。〈紅玉麒麟〉だ。――紅王閥(こうおうばつ)の連中が、本格的に来やがった」
「どういうことなんだ? あいつら攻めてきたのか?」
「戦闘になるんだったら最悪だぞ。あいつら五千はいるはずだ。〈草原の都〉(シィマァナイクイ)にはろくな防壁がない」
「おい、統領(おかしら)。まさか逃げ出すわけじゃねえよな」
 荒っぽい声に頷いた朱桓 (ジュホワン)は続ける。
「当たり前だ。苦労してたどり着いて、せっかく馴染んだ都を放り出せるわけがあるか。〈草原の都〉は東西交流の拠点だというばかりじゃねえ。たくさんの〈大地人〉だって暮らしているんだぞ。ウチにだって嫁もちまでいるんだ。腹立たしいが引きはがせるわけがねえだろう」
 誰だそいつは、女つくるだなんてけしからん、という笑いを含んだ罵り声に、朱桓 (ジュホワン)はにやりと笑って見せた。
「そのうえことはそう簡単にゃあすみそうもない。あいつらの目標は〈草原の都〉じゃないんだ。いいや、それもあるんだろうが、もっとでかい。こいつは〈燕都〉(イェンドン)に残した昔の知り合いが流してくれた情報なんだが、〈封禅(ほうぜん)の儀〉ってやつの可能性が高い」
「周囲のエリア全部の所有権を書き換えるっていう」
「それじゃギルド戦争(ウォー)じゃねえか」
 そのとおりだ。
 〈封禅の儀〉はギルド戦争システムのクライマックスである。いくつかのエリアに作られた「封禅の祭壇」で祈りをささげる、具体的には今までに得たギルドポイントを消費すれば、周辺のエリア一体の支配権を自分たちのギルドに書き換えることができる。〈エルダー・テイル〉に実装されたゾーン購入システムの変種であり、より広範に影響を及ぼす上位システムだ。
 設定面では「天の宮にいる仙や諸神に統治権を認めてもらう」ことになっている。もちろん祭壇をどこか別のギルドに奪われてしまえば、そして新たな〈封禅の儀〉を行われてしまえば、その統治権はなくなってしまうのだが、防衛力を強化してでも守りたい魅力的な権利でもある。
 ゲーム時代、ギルド戦争の舞台となっていたのはごく限られた地域だけだった。上海にあたる〈大都〉(ダァドン)、北京にあたる〈燕都〉(イェンドン)、広州にあたる〈羊都〉(ヤンドン)などがそれだ。これらのプレイヤータウンを中心にした広いエリアがギルド戦争の「報酬」だった。そしてその報酬エリアに隣接し、戦闘エリアがあり、その戦闘エリアの中には険しい山岳が存在しそこに「封禅の祭壇」がしつらえている。戦闘エリアの覇権をとったギルドは儀式を行い、報酬を手に入れることができる。――それがギルド戦争システムの概要だと言える。
 だがそうではなかった。
 朱桓 (ジュホワン)は続けた。
「ゲーム時代からそうだったのかどうかは、もう今となっちゃわからねえ。しかし、その三つしか封禅の祭壇がないわけじゃなかったんだ。いや、増えたのかもしれねえが……とにかく、封禅の儀は狙われている」
 封禅というのは天と地に王が自らの即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式だ。いわば天地に対する即位の宣言である。その意味ではギルド戦争のいわば「とどめ」としてふさわしいのは理解できる。古代中国でも秦の始皇帝がやったことで有名だ。その時は道教の聖山のひとつとして有名な泰山(たいざん)で行われたそうである。しかしながら、封禅は必ずしも泰山でなければいけないというわけではないらしい。少なくともこのセルデシア世界ではそうだ。そうでなければ三か所も封禅の祭壇があるわけがない。
 そして三か所存在するものが、四か所以上存在してはならないという法も、無いらしいのだ。
「封禅の祭壇がしつらえられている山はすべて『仙境に通じている』という伝説を持つようだ。そりゃまあ、仙や諸神に報告すんだからその必要はあるんだろう。こっちの世界にゃあっちと違って、仙人(こらいしゅ)がいるんだからよ。それで、その伝でいけば〈狼君山〉もまさにそうだ、つまり――」
 紅王閥(こうおうばつ)はその祭壇に目をつけたのだ。
 朱桓 (ジュホワン)は仲間たちにはっきりとそう告げた。
 たしかに、これは、具体的な戦争よりはマシな状況なのかもしれない。たとえば〈草原の都〉が〈冒険者〉による大規模戦闘(レイド)の舞台ともなれば、町の施設や貴重な耕作地が破壊されるだけではなく、〈大地人〉の死者が出る可能性が高い。〈封禅の儀〉であれば、〈冒険者〉は〈冒険者〉同士、生産施設のない荒野や山岳、ダンジョンなど――つまり戦闘エリアでけりをつければよいわけだ。
 が、それは一方でひどく冷酷なシステムでもあった。自分自身の住まう都市の所有権が左右されようかというときに、〈大地人〉や、大規模戦闘(レイド)に参加する規模や戦闘力を持たない〈冒険者〉はそれに対して抗議をすることすらできないからだ。知らないうちに運命が決まっていることもあり得るし、それこそが今まさに進行中の事態だった。
「報告によれば、連中は三十名程度、俺らと同じだ。ギルド戦争は大規模戦闘(レイド)と同じだからな、精鋭をそろえたんだろうよ。〈狼君山〉は大規模戦闘(レイド)ゾーンは確認されてないはずなんだが、とにかく、行ってみなきゃわからねえ」
 通常〈封禅の儀〉は戦闘ゾーンでギルドもしくはその連合同士が戦闘を行い、その結果で得たギルドポイントを儀式の祭壇へと捧げる手順となる。戦闘ゾーンでの勢力勝負を儀式で再確認する形だ。だがそれは、すでに占領された祭壇の支配権をひっくり返すために、支配している防衛側を十分に弱らせるとともに大量のポイントを稼ぐために行われる手法だ。今回はどの勢力も儀式の祭壇を見つけていないため、見つけたもの勝ちで儀式をすることになる。速度勝負だ。
 あちらの勢力がすでに儀式を終えていたとしても、即座に奇襲して撃退すれば、こちらから少量のギルドポイントを捧げれば再儀式をすることは可能だ。しかし、時間を置けば置くほど防衛体制を固められるし、支払うべきギルドポイントは多量となる。それこそが、〈楽浪狼騎兵〉一同が夜の闇の中を走る理由なのだ。

『ギルマス、おい、お頭!』
 眠るわけにもいかずじりじりとした時間を過ごす朱桓 (ジュホワン)の耳元で念話を知らせるチャイムが鳴ったのはそんな心急く休憩のさなかだった。
 送り出した斥候の一人は、押し殺しひそめた声を送り付けて来る。周囲の音を遮断して集中するために耳元にあてた掌の中で、念話は地球世界のスマートフォンの様に再生された。
『大変だ』
「何があったんだ。厄介ごとか?」
 朱桓 (ジュホワン)がそう尋ねたのは、斥候の声が潜められていたせいだ。念話は、その名前とはちがい、テレパシー的な能力ではない。〈エルダー・テイル〉時代は念話(ウィスパー)と呼ばれていた機能で、フレンド登録した相手に喋った言葉を伝える機能だ。ささやき(ウィスパー)の名前通り、相手の耳元に声を伝える能力であるため、伝達には実際の発声が必要とされる。
 〈楽浪狼騎兵〉は巨大な狼を調教(テイム)して召喚し、乗りこなすことを特徴としたギルドだが、狼に騎乗中はなかなかに騒々しいものだ。風を切るなかで互いに会話をしようとするとどうしても怒鳴り声になってしまう。それは念話を通しているときも一緒で、風の音に負けないようにするとどうしても声は大きくなりがちだ。ギルドメンバーが男臭くがさつだなどと言われる所以である。
 そんなメンバーが声を潜めているということは、まず騎乗中でないのことは明らかだ。そして、この夜明け前の広大な荒野においてさらに声を潜めなければならないのならば、それ以上に何らかの危機的な状況が予想された。
『わからねえ。わからねえんだが、ギルマス。もしかしたら問題は、解決しちまったのかもしれねえ』
「どういうことだ」
紅王閥(こうおうばつ)の連中だ。奴ら、俺たちよりも一時間ほど先で、やっぱり野営してやがったんだ。だけど、もういない』
 斥候の報告の声は震えていた。恐怖というよりも畏怖の響きをかぎ取って、朱桓 (ジュホワン)は腹に力を入れる。どうやらただならないことが起きたらしい。

大規模戦闘(レイド)エネミーだったと、思う。黒雲のなかから、鳥の鳴き声がしたんだ。雷鳴と、虎の爪がみえた。あいつらも戦って、一回は押し返したんだが、真っ白い光が。――それでやられちまって部隊は全滅だ。紅王閥の連中は、ひとり残らず大神殿送りになっちまったんだ』
 それは本来であればほっとできる報告であったかもしれない。
 この地を支配しようとしていた紅王閥が敗退したのだ。
 もちろんいずれ遠くないうちに再び部隊を派遣してくるだろうが、この地は中原中央部より遠く離れている。十日やそこらはかかる。それはこの緊迫した状況において決定的な時間差だ。朱桓 (ジュホワン)らが儀式を行い守りを固めるに十分な時間である。
 しかし、報告にある獣はなんなのか?
 大規模戦闘(レイド)部隊を全滅させられるのは、レイドエネミーだけだ。フィールドボスがあらわれたというのか? この世界に訪れて一年。〈草原の都〉にたどり着いてからでさえ半年以上が経つが、そのような魔獣の話を聞いたことはない。
 もちろん、大げさな報告であったり、夜の闇によって浮足立った紅王閥が総崩れになっただけという可能性はある。しかし朱桓 (ジュホワン)はとてもそうは思えなかった。ギルド戦争の準備を整えていた精鋭部隊が、なすすべなく押し切られたと考えるべきだ。
 混迷を深める枯れ果てた草原の国の夜は、どうやら予想よりもずっとろくでもない事件を隠しているらしかった。



◆ Chapter3.05 



 まじめに暮らしていれば良い事が起きるんだぜ。
 そんな台詞を聞いたのはまだ幼いころだったが、レオナルドはその趣旨には基本的には賛成していなかった。良い事というのば予想外の幸運を言うはずだ。真面目に暮らした結果起きる良い事というのは、勤勉に対する報酬であって、幸運ではない。
 しかし、いまレオナルドが体験しているのは、まぎれもなく幸運であって報酬ではないだろう。

 なんだかやたらに小さい頭部が肩口にあった。
 コッペリアの身体は華奢すぎて、抱きしめている腕が余ってしまうほどだ。細くて、しなやかで、柔らかいというよりはひどく脆いように思える。抱き寄せてその感触を味わいたいという気持ちもなくはなかったけれど、そんな事をしたら骨の二三本は折ってしまいそうで、ひどく気を遣わされてドキドキした。
 頭をブンブン振ったレオナルドは、コッペリアを起こさないようにそっと体をよじって、荷物から安価な〈月光妖精の雫〉ムーンフェイ・ドロップを取り出して、片手で目のあたりに振りかけた。調剤師の作り出すこの目薬は、丸一日の間、暗闇でも猫のように夜目が利くようになる。消耗品のアイテムを使うため、〈暗殺者〉(アサシン)の特技よりは高性能だ。本来であれば〈魔法の灯り〉(マジックライト)を作れればいいのだが、それは〈武器攻撃職〉(メレーアタッカー)のレオナルドの手に余る。
 漆黒の闇がレオナルドの視界の中では月夜レベルに緩和された。もちろんこの〈膏薬〉(バーム)は視力そのものを強化するわけではないから、自分たちがいる閉鎖空間の全貌はわからない。しかし、視覚によらない重圧感として、レオナルドはその先にみっしりとした質量を感じた。あまり喜ばしい状況ではないようだ。
 一方で、あの崩落劇の最中、とっさに守ろうと抱き寄せた少女に、目立ったダメージは無いようだ。コッペリアのすっきりした頬のラインも、さくらんぼうのような小さな唇も、いつもは前髪の陰で伏せられたまつげも、その気になれば口づけできるような距離の中、淡く輝いている。こちらは喜ばしい状況である。
(そうじゃないだろっ。ここはもっと、毅然と危機に対応すべきだろうが!)
 レオナルドは誘惑を振り切って活動を開始した。
 ヒーローなどというのはもらいが少ないものなのである。

 あらためて慎重に周囲を伺った結果、差し迫った脅威はないということが判明した。
 生き埋めになったことは間違いないが、どこからか水の流れる音がする以上、完全な閉鎖空間というわけではないだろう。どちらかというと、二次崩落などの追加的な災害のほうが今は気がかりだ。
 周囲を探索に行きたい気持ちもあるのだが、抱きかかえたコッペリアを地面におろすのが躊躇われて、レオナルドには踏ん切りがつかなかった。冷たく湿った、それに岩だらけの場所に華奢な少女を直接横たえるというのには抵抗があったし、正直に言えば、もったいなくもある。
 思いついたら即実行(インタープリター)なカナミは、馬に乗るときなど、日常的にコッペリアを抱きしめているが、レオナルドには(当たり前だが)そういう機会はない。別にだから手放しがたいというわけでもないのだが……つまりだから手放しがたいだけでもあるようだ。
(まったく格好悪いな)

 レオナルドは折衷案として横抱きにしたまま体を起こし、闇の奥を伺った。
「何とか生き延びたってわけだ」
 その呟きにわずかな反応があった。
 見下ろすレオナルドの淡い視界の中で、白くて薄い瞼がゆっくりひらくと、水溶性の宝石のような瞳が現れて、何度かの瞬きの後にレオナルドを発見したのだ。
「おはようございます。レオナルド卿(サー・レオナルド)
「おはよう、コッペリア」
 なんだか照れくさくなったレオナルドは慌てて視線をそらしながら言った。この暗闇の中、暗視能力のないコッペリアには赤面がばれないことが救いだ。
「崩壊に巻き込まれてしまいました」
 コッペリアは、現実追認のようなことをつぶやいた。
 記憶や状況を自分の中で整理しているような少女を、レオナルドはあえて返答することなく、落ち着くまでゆっくりと待った。十数秒の待機の後、コッペリアが選択したのはともしびを召喚する呪文〈バグスライト〉だった。
「歩けます」
 割合そっけない言葉にレオナルドは彼女を鍾乳洞の大地におろした。他意はないと思うのだが、コッペリアの言葉は時に直接的で、ヒーローを目指すレオナルドの精神を削りにかかる。もう少し情緒的な反応(ノーティス)を、と自分で作るアプリでも満たせていない要求を仕掛けてしまう。
 この空間の重力方向、つまりは地面にあたる岩はかなり傾いていて、立っている分にはいいが、小物を落としたら際限なく転がってゆき闇の中で見失うことが確実なほどだ。生物的な滑らかさは鍾乳洞特有の質感で、石灰質が溶けたんだか体積したのだか、とにかく水の流れで作られたから滑らかなのだと、何かのドキュメンタリーで見たことがある。

「治癒をご所望でスか?」
「あー。うん、でも自分にもな」
 小首をかしげたコッペリアに言われて確認をとった。落下ダメージか衝撃ダメージなのか、HPが二割ほど減少している。この程度ならば時間経過で回復すると思ったが、見上げてくるコッペリアのHPも確認して回復を求めた。範囲回復〈エリアヒール〉に包まれて、洞窟の中も柔らかく照らし出された。
「おい、ちょっと待てって。危ないぞ」
「この空間には敵性存在を感知しません。早急に合流すべきだとコッペリアは考えます」
 コッペリアは呪文を終えると、闇を恐れる気配もなく、傾斜を登る方向へと歩き始めた。
「そりゃそうなんだけどな」
 危険かもしれない先頭は自分に任せてほしい。そんなレオナルドの気持ちはコッペリアには伝わらないようで、彼女は振り返りもせずに歩を進めていく。
「コッペリアはおっかなくないのか? 暗いのとか、崩れるのとか」
 レオナルドの問いに少しの間意味を考えていた少女は「コッペリアの視界は暗闇に影響を受けません。データストリームは安定しています」と返す。そういうものなのか、とレオナルドは考えた。そういえばこの不思議な少女は、レオナルドたちとは違った視覚で生きているのだと以前説明を受けたことがある。
「その目だと、壁の向こうが見えるとか? 洞窟の出口とか。マップとか」
「可視光線と呼ばれる範囲内しか知覚できないようです。しかし視覚履歴から推定ベクトルを拡張表示することができます」
「どういうことだ?」
「現在視界内構造に二一〇組のベクトルを確認(マッピング)。形状から断面モーメントが十分である部材は信頼してもよいと考えます」
 頭をぽりぽりと掻いたレオナルドは、会話の流れから「当面このあたりは崩壊しない」という意味ではないかと考えた。正直言えば半分も意味は分からない。ただ、コッペリアの声をきいてると、不思議に苛立ちや不安が消えていく。心配しても仕方がないか。肩をぐるんと回して、レオナルドは切り替えた。

 耳をすませば自分自身が吸い込まれそうなほど静まり返った地下の空洞を、二人は進んでいった。それは不思議な体験だった。足元にあるのは確固とした(そして相当に固い)石灰岩であるはずなのだったが、ほのかに柔らかい魔法の灯りに照らされて進むレオナルドは、なんだか夢か幻の中にいるようなふわふわした気分を味わっていた。
 〈大災害〉などという訳の分からない騒ぎで、エピックのど真ん中に巻き込まれてしまったレオナルドが考えるのもおかしな話だが、気分はまさにファンタジーだった。それは今身の回りにあるこの光景が、あまりにも童話じみているからでもあったし、それ以上に無垢な少女(コッペリア)と肩を並べているという理由もあった。
(好きな娘と並んで歩くのがダンジョン崩落と同じくらいファンタジーって、どれだけ不遇なんだ俺は。それじゃまるでガールフレンドの一人もいなかったみたいじゃないか)
 そんな風に自嘲して、頬を人差し指で掻いて、肩を落としてため息をついた。
 まあ仕方ない。もとの世界で最近話した記憶にある女性といえば、眉毛が三角形のマネージャーか眼鏡が三角形な産業医か出身国が三角形(インド)のデリ店員だけだ。

「岩が崩れる最中、天空方向に、エリアス卿を見ました」
「ああ」
 ため息に近い返答をしてしまった。
 そう、たしかに、あの崩落の中、突如ひらけた天空にエリアスがいた。
 水晶のようにきらめく巨大な剣をふりまわし、朱色の輝きにぶつかっていたように見えた。一瞬の半分にも満たない間だったが、レオナルドは見たし、コッペリアも見たのだという。ならばそれは事実なのだろう。
「エリアス卿の様子は――」
 コッペリアの言葉は洞窟の闇に吸い込まれるように消えて、続きをもたなかった。しょんぼりと肩を落とし途方に暮れた様な少女の姿に、レオナルドも同じ気分を味わった。
「なんだか似合わない顔してたな。SoBro(ゲットー)でもいまどきあんなの……まあ見なくはないんだろうけど。まったく」
 レオナルドはエリアスの顔を思い出して続かない言葉の続きを無理やりにひねり出した。それはまさに情緒のないコメントだ。コッペリアを非難できない。
 あの表情は何なのだろう。
 なぜ自分は、コッペリアは、こんな気持ちなのだろう?
 エリアス=ハックブレードは本物の英雄だ。このセルデシア世界を守護している。しかし、それは〈大地人〉から見た場合だ。
 〈冒険者〉から見たエリアス=ハックブレードは意外に親しい〈古来種〉である。パッケージアートにも登場したこの人物は、様々なクエストに登場し、〈冒険者〉を導いたり助言を与えたり、時には一緒に戦ったりする。つまり接触する機会が多いのだ。立ち寄った名もなき村の鍛冶屋などよりも、ある意味レギュラーといってもよい登場回数だった。
 もちろんそれはゲームの都合だったろう。魔物があふれかえった時も、幽霊船に襲われて船が沈没した時も、不死の蛇王が瘴気を巻き散らかした時も、エリアスは現れた。「さあ今こそ立ち上がれ! 正義の輝きで闇を照らすのだ」と叫んで戦場に駆け出すためにだ。
 〈エルダー・テイル〉はゲームだったから、そこには様々な天変地異や大事件が起きる。封印されていた魔獣は解放されるし、古代の邪悪な魔法具は盗まれるし、亜人間は侵攻してくる。そんなことは日常(コモンイベント)だ。そしてそれに対して多くの〈大地人〉は嘆き悲しみ、必死に抵抗をする。彼ら自身がどう思うにせよ、かつて彼らはそういう役どころだったのだ。そして、同じく役どころとしての英雄エリアスは、そんな危地に際して「いまこそ反撃の時だ!」と高らかに叫ぶ。
 その様子は確かに雄々しく英雄的だが、どこか物語じみていて、苦笑を誘うものでもあった。いつでもいかにも英雄的で、明朗で、前向きさを失わないエリアスは、むしろそういう存在として初めからあったのだろう。
 ゲーム画面の中から〈冒険者〉(レオナルド)を励ます彼は、考えなしに希望を語る無鉄砲な英雄のように見えた。
 もちろんそれが悪いという意味ではない。むしろ、だからこそ、エリアスは愛されていた。セルデシア最強の英雄と呼び名の高いエリアス=ハックブレードは、〈冒険者〉(プレイヤー)の間では「突撃エルフ」「号令係」「エリアスさん」などと呼ばれた。チャットで、掲示板で、動画サイトで様々にからかわれ、そしてそれ以上に愛された。
 結局みんなは知っていたのだ。
 エリアスの前向きな言動は〈エルダー・テイル〉(ゲーム)製作上の都合から生まれたということを。さもなければ物語に〈冒険者〉(プレイヤー)を導入する存在がいなくなってしまう。そしてまた、彼の残念な部分――モンスターにとどめを刺せないという規制(ルール)や、肝心なところで失敗してあとを〈冒険者〉(プレイヤー)にゆだねざるを得ないという運命、ばかばかしいほどに満載された奇妙でつぎはぎな設定――それらもまた同じようにゲームの都合上生まれた。そうでなければ物語の主役は〈冒険者〉(プレイヤー)ではなくエリアスになってしまうから。
 エリアスの激励も奔走も、そういう意味では都合でしかなく、つまりは滑稽劇だった。だが、だからこそ〈エルダー・テイル〉ファンは、彼その行きすぎた使命感と失敗を、愛した。トラブルの真ん中で先陣切って旗を振るが、どこか決まらない、二枚目半の英雄を、世界中のファンが応援したのだ。
 だがしかし、作られた使命感と、作られた欠点の間で、今まさに苦しんで、引き裂かれそうになっているエリアスの泣き顔は、ではだれの責任なのだろう? 〈エルダー・テイル〉を失ったセルデシアで、レオナルドは、その答えがないことに気が付いた。




◆ Chapter3.06 



 勝利というものが目標の達成であるのであれば、エリアスは今まさに敗北者であった。
 瓦礫のような石が転がる山腹に、愛剣を突き刺しすがるように座り込んでいる姿がそうであるというわけではない。
 同胞を救出しようと望み、魔人に戦いを挑んだにもかかわらず、魔人の殲滅も、同胞の救出もかなわなかったからだ。ましてや周囲にこれだけの破壊を振りまいてしまうとは、大地の守護者たる〈古来種〉として敗北以外の何物でもない。エリアスは身体の中を満たしていた力強いものが漏れ出していくような無力感を味わっていた。
 だが、その無力感には、想像したほどの絶望は張り付いていない。
 むしろどこかほっとするような、薄ら笑いの気配があった。それは言葉にすると「やっぱりな」とでもなりそうな、どこか退廃的な納得感だった。

 時間の感覚があやふやなためはっきりとはしないが、あの崩落事故から、つまり夜明けからもう数時間は経過しているはずだ。
 大地を失ったあの瞬間、エリアスはわが身を省みぬ大技での決着を企てた。異様なまでの強さを誇るあの藍鋼の魔人に対して、〈水晶の清流〉(クリスタルストリーム)から放たれる最大威力の攻撃〈四つ首の水槍〉クァッドアクアハープーンをぶつけようとしたのだ。それは無謀な攻撃だった。
 エリアスの用いる〈妖精剣〉(フェアリーアーツ)はまるで魔法の様な事象を引き起こす。エリアスの場合使用する武器の属性と相まって、水や氷の形で発現する攻撃術だ。しかし、〈妖精剣〉は〈妖精剣〉であって魔法ではない。どこまでいっても武術であり闘法なのだ。魔法であれば、放った後は自動的に着弾をしたり追尾したりする性能が、〈妖精剣〉にはなかった。剣技である以上、精妙な操作で攻撃を着弾させなければならない。
 あの状況でそれができるかと言えば否であり、エリアスの覚悟の一撃は、無駄に被害を広げただけだった。
 大地震か地滑りでもあったかのような斜面で、エリアスは苦く、そして薄く笑った。それは絶望よりもはるかにたちの悪い感情だとエリアス自身わかっていながらも、止めようがなかった。
 絶望であるならば戦えば良い。己が奮い立てば勝てぬまでも、力比べにはなるだろう。しかし、この皮肉めいた納得感は心の内側からやってくる。いいや、この浅薄な笑いはエリアスそのものなのだった。

 いつからか感じていた、奇妙な符号。
 〈妖精眼〉(フェアリーアイ)の呪いとは何なのか?
 つまり、それは、檻だ。
 エリアスと勝利を隔てる監獄である。
 そもそも「敵対者に一定以上の危害を加えられない」などというふざけた呪いがなぜ存在するのか? そんな呪いを宿したままでは、どのように些細な勝利にもたどり着けないのは自明ではないか。
 うっすらと感じていたのはそれだった。自分はあらゆる願いが叶わぬモノとして在るのではないか? 守護も、勝利も、救済も、あらかじめ用心深く手の届かぬ場所に配置される、そのようなものとして産まれたのではないか。
 それはこの旅を始めてから、いいや、〈終末の大要塞〉へと強襲をするために集ったあの夜以降、エリアスにべったりと染みついてぬぐえない疑念だった。
「あれは、強かったな」
 エリアスはつぶやいた。
 瞼に浮かぶのは剣を交えた仇敵、藍鋼の魔人だった。身長ほどもある巨大な戦斧(バルディッシュ)を嵐のように振り回し迫ってくる、ひとつの生きた凶器だった。らんらんと光る瞳にはエリアスには計り知れない異形の光があった。怒りでも憎しみでもましてや誇りでもなく、ただひたすらに強い渇望を宿した瞳だった。
 戦闘は終始エリアスが優勢だったのだろう。
 客観的にはそうであったはずだが、エリアスはその実感をまるで得ることはできなかった。
 攻めても、攻めても、相手のHPを削ることしかできない。
 HPは生命力だ。それがなくなれば戦闘不能になり、ひいては死亡する。〈冒険者〉にとって死亡とは絶対ではないが、勝敗においてのそれは決定的な形である。つまり、HPを削るというのは、比喩ではなく、勝利への道程であるはずだ。
 にもかわらず、あの魔人の瞳の色は、その理を無視していた。彼我のHP格差を無視して、何か別の光景を見ていたとしか思えない。HPを削るという行為が勝利へ結びつかないだとすれば、そんな相手からどうやって勝利をもぎ取ればいいのだろうか?
「あれは……。手を伸ばして、力をつかんだのか? どこにある力を? 規則を捻じ曲げて……」
 それでも削り切ればあの魔人さえ動かなくはなったかもしれない。
 しかし、彼は何か異様なことをしたのだ。確かにエリアスは勝利するためにビジョンを見ることができなかったが、だからと言って魔人の側にそれがあったとは言えない。むしろ、あちらには敗北の未来しかなかったはずだ。それをあの男は、見えない腕を伸ばし、なにか恐ろしいまでの力を掴み招き入れた。
 魔人の身体を満たす魔力と不可視の力。
 あれは何だったのだろう?
 少なくともエリアスの知らない、それどころは摂理の埒外であったことは間違いない。あれさえなければ、エリアスの攻撃は、崩落までに魔人を仕留めていた可能性が高いのだ。
「赤枝の騎士が呪いに縛られているのに、なぜあちらだけがあんなにも自由なのか……。それが〈冒険者〉と〈古来種〉の差……あれは特権なのか?」
 色褪せた闘志と憎しみの上に羨望が広がった。

「エリアス様」
「エリアス様」
 風に乗って届く細い声が何度か重なり、うっそりと上げた視界の中には、薄絹を風になびかせた葉蓮(ようれん)仙女がいた。
 この時になって、ようやくエリアスの中に慙愧の念が戻ってきた。自分自身のために悔やむことができなくても、この山には同胞である〈古来種〉がいるのだ。
「御身体は大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない」
 エリアスは立ち上がりながら答えた。
 エリアス自身の思いにこたえるように、それ以上のエリアスの身体は頑強だった。すでに先ほどの戦闘で受けたダメージは快癒しつつある。刃こぼれしてひびが入っていたはずの〈水晶の清流〉(クリスタルストリーム)さえもが、エリアス自身の魔力で修復されている。
「そうでしたか。魔人の恐るべき計略に、一時はエリアス様が飲み込まれたかと心細る思いでしたが、安心いたしました」
 崩れやすい斜面をゆったりとした不思議な動きで近付いてきた仙女は、丁寧な跪礼をもってエリアスをねぎらった。薄絹から漏れる、つややかな長い黒髪が広がり、妖しくも美しい光景が山岳地の透明な光の中で照らし出される。女性を跪かせるような文化を持たないエルフ騎士エリアスは、慌てて仙女の腕をつかみ立ち上がらせた。
「すまない。〈典災〉――魔人を仕留めそこなってしまった」
「見ておりました」
 仙女の何気ない言葉に、エリアスの胸がずきりと不愉快に痛んだ。
 膿んだ傷口に鉄棒を差し込まれたような、耐えられなくはないものの、不快な熱を持った痛みだった。
 その正体も分からず、エリアスは重ねて「すまない」と謝罪した。
 エリアスは〈赤枝騎士団〉の筆頭であり〈妖精剣〉の使い手である。そのうえ今や生き残った〈古来種〉のなかでも最精鋭であるはずだ。それは、同胞を必ずや救い出し、セルデシアの闇を打ち払うという絶対の使命に等しい。
 それに失敗した現在エリアスには謝罪することしかできなかった。

 そのエリアスを前に、仙女はたっぷり呼吸十回分ほどの思慮をかさね「いいえ、あの戦いには、何やら尋常ではない力の働きがありました」と切り出した。彼女自身も自信がないのか、言葉を選ぶように紡いでゆく。
「あの邪悪なる技をもって、命の力を弄んだに違いありません。あれは虹の力」
「虹の力……?」
 エリアスはその返答に思い当たることがあった。魔人が戦闘の最終局面で洩らした光の破片。雨上がりの空にかかる七色をそのまま固めて、薄くそいだような欠片こそ、仙女のいう〈虹の力〉なのだろう。あの狂戦士は、それと引き換えるようにしてすべての能力が跳ね上がったのだ。
 口から出たのは、疑問というよりも、確認のつぶやきだった。
「天地の狭間にあるおおよそあらゆるものを活かす本然の力です。あらゆるものを産み育み、困難を乗り越える力。大地と人を繋ぎ、仙境と月をつなぐ力でもあります」
「なぜそのような力を〈典災〉が使えるのですかっ!?」
 もし仙女の言うことが真実であるならば、その力は、魔力や体力、火山を代表とする大地、落雷を抱える天空、そのほかあらゆる偉大な諸力と結びつく、究極とも言ってよいエネルギーだ。
「あの力は本来仙境の――つまりはエリアスさま方騎士団のものなのです。このたびは、折悪くこの山にある仙境を支配されたがため、あの男が身に着けたに過ぎません。そのために多くの貂人族(てんじんぞく)が失われました……」
「くっ」
 今思いなおせば、技術騎士が修理した〈虚空転移装置〉が放つ光も虹色だった。〈典災〉の用いた卑怯な能力と、その輝きは根をひとつにするものなのだ。その気づきはさらなる記憶を連鎖させた。〈妖精の里〉にある魔法の大樹も、海底にあったアルヴの遺跡も、今は奪われ行方の知れぬ七つの秘跡剣も、虹色の光をまとってはいなかったか?
「あの男はさらにその力を使い、狼の眷属を支配しました。そしてこの山に秘められた電視台を探そうと策謀しているに違いありません。電視台にある祭壇を押さえられてしまえば〈封禅の儀〉は為ります。そうすれば、このあたり一帯の彼の魔人の支配下となるでしょう」
「……」
 エリアスは唇をかんだ。
 エリアスの戦闘能力は一流だ。装備も魔法の能力を秘めた一級品だと自負している。
 しかし藍鋼の男の狂ったように見開かれた瞳を思い出した。勝利も敗北も併せて炎にくべるような、戦いのみを求める飢獣の瞳。エリアスはその瞳に気おされている自分を認めた。
 そもそもエリアスは英雄の鎖に縛られている。最強の能力を持ちながら、〈妖精眼〉(フェアリーアイ)の呪いに蝕まれ、勝利から隔てられているのが、エリアスというひとりの男だ。エリアスにはすべてがあった。足りないものは勝利だけであり、それだけは望んでも得られないのか。
 十のうち十、エリアスがあの男に勝っていたとしても、それが勝利にエリアスを導いてくれるのだろうか? 最強である自分を。誇り高き〈全界十三騎士団〉の騎士総長を。
「……自信がありませぬか?」
「そんなことは!」
 胸の痛みを掻きむしられた気がしてエリアスは反射的に叫んだ。
 葉蓮(ようれん)仙女の繊細な唇がほんのわずかに引き締められたのだ。その表情は、エリアスがいまだ知らない、そして何よりも恐れるものだった。
 不信と失望。
 エリアスは膿みただれて壊疽(えそ)を吐く自分の胸の傷口の意味をやっと理解した。それは、この世から廃棄される恐怖だ。〈典災〉が誘った安逸とは全く逆の、しかしその実全く同じ暗黒がそこにあった。
 最強の騎士は、不要と棄てられるのではないか?
 そもそも、いまだかつて勝利したことのない最強など、どうして今まで必要とされてきたのだろうか?
 一体全体エリアスは何を勘違いしていたのだろう。勝ったことがない最強など、あるわけがないではないか。
 青ざめるほど唇をかみしめたエリアスは、今や恐怖のただなかにあった。勝利できないことが、こんなにもエリアスを追いつめたのは初めてだったのだ。
「エリアス様。良くお聞きくださいませ。この地を救うには、エリアス様のお力がまだ必要なのです。エリアス様が心のうちに苦しみを抱えていることはわかります。しかし、その苦しみこそ、資格。そう、天地を統べる資格なのです」
 祈るような仕草の仙女は、じれったくなるほどゆっくりとエリアスに囁きかけた。それは、エリアスが再び騎士の資格を取り戻すための、針のように細い、救済への道しるべだ。
 いっそ最終通帳の無慈悲さがあれば跳ねのけられた提案を、エリアスは掴んだ。
「〈封禅の儀〉をなさいませ。そうすれば虹の力の一端が、エリアス様の手に入るでしょう。それこそ万物根源の霊力。必ずや、どのような呪いもほどけ去り、エリアス様の憂悶も癒されるに違いありません」
 そうだ、とエリアスは鉄臭い苦さを持って頷いた。
 この身を縛る呪いはもういらない。
 敵を討ち果たすため、虹の力を手に入れるのだ。
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