挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ログ・ホライズン 作者:橙乃ままれ

異世界の始まり(上)

1/128

001   異世界の始まり(上)

挿絵(By みてみん)
イラスト:may(http://www.pixiv.net/member.php?id=1843229)
 まるで液状化したような暗雲が眼下を流れていく。
 天は昏い。神がその慈悲を後悔したように。
 時にその昏い天に向かい、さらに漆黒の雲海から青白い稲光が駆け上がる。常軌を逸した光景の中を、視界は疾走してゆく。
 遙か彼方にあるのは、漆黒の雲の上に浮かぶ巨大な崩壊。
 崩れ落ちかけた大理石で出来た、巨大建築物。
 狂気が作り上げたような柱の列と数々の回廊、階段、尖塔、神殿。その羅列の果てしないつながり。

 突然炎の剣が振るわれた。
 世界の終末を告げるかのごとく空中に血のような赤いロゴが現われる。
 ――ノウアスフィアの開墾。
 いったい何を開墾するというのだ。何を得ようというのだ。お終いはそこまで迫っているというのに。

 吠え猛る風のうなり声のなかで、狂気の錯視神殿は悪夢を孕み脈動を始める。それは数百の魂。この世界に訪れた――異界の殉死者たち。

 ◆

 意識の覚醒は世界の再構築とほぼ同じ意味合いを持っていた。
 激しいノイズにも似た視覚異常が引き攣れるような耳鳴りを残して去る。一度は途切れた物を無理矢理に再接続したような違和感と共に、シロエはアキバの街の外れにうずくまっていた。

――ガラスみたいな。

 最初にそう思った鋭角の“何か”は光。シロエが何度も目にしたことがないような、まばゆい陽光だった。シロエは殆ど無思考の条件的な反射で大きく呼吸をして、自分の身体に触れてみる。
 自分の手足。損傷は感じられないし怪我もないようだ。
 ちゃんと思い通りに動き、全てに感覚がある。
 しかしその「思い通りに動く」と云うことが、シロエに堪らない違和感を感じさせる。それこそがこの異常事態の異常事態たる由縁なのだ。

「なんだよ……っ」
「お、俺っ。おかしい、なんだコレっ!?」
「だ、誰か出てこいよっ! 責任者、おいっ! 聞いてるんだろうっ!!

 傍らから瀕死の動物のような悲鳴が聞こえる。
 余りにも情けない悲鳴。後から考えると、それはシロエにとってはその日最大の幸運だった。

(うわ。……格好悪ぅ)
 シロエはその悲鳴の主をそう思ったのだ。みっとうもなく路上に這いつくばり、パニックを起こしたように自分の身体を確認しながら、哀れな虚勢の怒鳴り声を上げている、自分と同様の境遇の人間達。
 それはざっと見ても、視界内に100人以上は存在する。

(別に僕も格好良くはないけど。……さすがにいきなり叫び出すのは、引くや)

 シロエの表層的な思考はいま現在でも殆ど用を為していない。周囲にいる人間達と同じくパニック状態にある。けれど、その内側、シロエの本体とでも云うべき部分は少しだけ冷静さを取り戻していた。
 本人にそのつもりはないが、やはり老成してしまっているのかも知れない。望んでなった訳ではないけれど、脳内のどこかがしんと冷えている。

 云ってしまえば、見栄だ。
 「格好悪くなりたくない」という見栄が、シロエの少年期をいち早く終わらせた。それを周囲は落ち着いている、と評したのだろう。

(狐や狸に化かされる、なんて云う話があるけど……。すごいな、これ。ばかばかしすぎて危機感も湧いてこないや……)

 手のひらを握ったり開いたりする。思い通りに動く自分の手。
 しかしその手はシロエが見慣れたモノよりもほっそりとしていて、器用そうだ。身体の方も自分のそれとは各部の比率が微妙に違い、着たことはないはずのゆったりしたチュニックのような物をまとっている。その衣服の着心地は覚えが全くないのに、色合い自体は見覚えがある。

(身体は思い通りに動く。……違和感があるのは、手足のサイズが微妙に違うせいみたいだな……。大きい差じゃなくて良かったけど)

 目の前に広がっているのはアキバの街。
 いくつもの廃ビルがアスファルトのあちこちから旺盛に伸びるツタに絡みつかれ、精霊力の恵みを受けた古木と融け合った、多くのプレイヤーの本拠地。いまや郷愁を覚えるほどに慣れ親しんだ――〈エルダー・テイル〉日本サーバー最大の街だ。

「どこなんだよ、ここ……っ」
「アキバ? ――ふざけんなよ、VRだって? 俺の頭がおかしくなったのかよ」

 シロエ同様に辺りにうずくまっていた男達が声を上げる。誰も彼もが、たっぷりした布の衣服を身につけ、あるいは鎧を着込んだ中世ファンタジー世界の住民の姿をしている。

 それもそのはずだ。
 〈エルダー・テイル〉は世界最大級の大規模オンラインゲームであり、内容としては剣と魔法の世界をモチーフにしている。
 だが、それはあくまでゲームとして、だったはずだ。

 シロエは頭を振って思い出す。
 自分は〈エルダー・テイル〉をプレイしていた。
 自宅のデスクに座って、液晶モニタに映るゲームを楽しんでいたのは思い出せる。
 〈エルダー・テイル〉は実に20年もの歴史を誇る古参タイトルだ。もちろん内容やゲームの描写エンジンは度重なるバージョンアップで最新の物と何度も交換されていたが、20年の蓄積から来る奥深いデータやゲーム性といった要素がユーザーからの人気を博し、とくに「玄人好み」なヘビーユーザーからは絶大な支持を受けていた。

 今日はそんな〈エルダー・テイル〉に12番目の追加パックが当てられるという記念すべき日だったはずだ。あらかじめダウンロードされたデータは今日を境に解禁となり、〈エルダー・テイル〉の世界には新しいアイテムや新しいゾーン、新しいモンスターや戦い、そして何よりもレベル上限が上昇すると云うことで、多くのプレイヤーが〈エルダー・テイル〉の世界に接続をした上で期待に震えていた。

 シロエは〈エルダー・テイル〉ではベテランプレイヤーにあたる。
 中学生からカウントしてもう8年はこのゲームで遊んでいる。
 もちろん追加パックにわくわくしない訳ではなかったが、それでも新人のようにはしゃぐのは気が退けて、いつも通りにすごそうと最近面倒を見ていた双子と共に初心者エリアで狩りの練習をしていた。
 ――はずだ。

 だが記憶はそこで断絶を見せる。
 何かのデモを見たような記憶はある。
 黒い画面に、輝く炎の文字。
 高速にスクロールするアスファルトのように粘着質の闇を湛えた空と、その漆黒を切り抜いたような白い月。

 しかし、それだけだ。
 そしていま、シロエはアキバの街外れでうずくまって四肢を確認している。ゲームの世界に取り込まれてしまった、実在の身体を備えたプレイヤーとして。

(とりあえずのところ、身体は自由に動く――)

 シロエは余計なことを考えるのをやめた。
 考えてしまったら動けなくなる。
 パニックに飲み込まれたら最後、周りの格好悪い人たちの仲間入りだ。この状況下でそれは避けたい。
 立ち上がってみる。身体の動きは軽い。
 細く見えるが敏捷な肉体のようだ。頭の中はパニックになりそうな程のクエスチョンで満たされているが、それらを無理矢理一ヶ所に圧縮して黙らせる。

(この身体の方がちょっぴり身長が高いんだな。それで視界が普段と違う、と)
 当面身動きするのに必要な知識に意識を集中させて、脳内で確認。そうとでもしないと、余りの事態に溺れてしまいそうだったのだ。

 身長の次に感じたのは、風。
 穏やかな温かい風の運ぶ湿った匂い、そして木々の梢を通り抜ける涼やかな音色。そして、眩しい光。
 それは眩しい初夏の光。
 ひんやりした風の中で、陽光の熱と云うよりは、ただひたすらに白く弾けるような煌めきを運んでくる、純粋で――圧倒的な光量。

 街はその初夏の光に照らされて、黒土とアスファルトに覆われた大通りには、古い巨木とビルの影が黒々と陰を落としている。その美しいコントラスト。

(外に出たのは久しぶりだ。――外? 外なのか、これ?)

 シロエはそう思う。世間的に見れば相当に引きこもりなシロエにしてみれば、“純粋な太陽の光”なんて滅多に感じることのないものだ。だがそう思い至った瞬間に、シロエは悟った。
 これはどうやら夢でも冗談でもないんだな、と。

 本当であれば大声で叫びだし転げ回ってもおかしくないほどの非現実的な出来事だったし、事実、視界内ではいまも無言でうずくまる人間や、だれかれ構わずけんか腰で説明を迫る人々がいた。

 はっきりしているのは、この時点でシロエがその答えを知らないということ。知らない答えをただ大声で請求して廻るのは、相当にクールじゃない行為だ。子供っぽいと云っても良い。

「なんでだよっ!? 何でオレはこんなトコにいるんだよ。なぁ、おれはさっきまでポテチ喰ってたよな?」
 ――なんてわめき立てているあそこの男みたいな醜態を晒すことになってしまう。それは勘弁して欲しい。

(しかし、彼らの様子を見ると、他にもプレイヤーが沢山巻き込まれているのかな。プレイヤーって考えたぞ。いま僕は。まだここがアキバの街かどうかもはっきりしないのに)

 考えてみればシロエのいまの視界は現実世界そのままだ。
 もしこれがゲームの世界であるのならば、HPを示すバーであるとか各種アイコンの表示欄であるとか……まぁ、そういうごちゃごちゃした物が画面には表示されていた訳だから、その種の情報が無いというのもおかしい。

 もしかしたらここはよく似ているだけで〈エルダー・テイル〉の世界とは無関係かもしれない。等とシロエが考え事をするときの癖で顎に指先を向けると、視界に重なり合うように一連のメニュー画面が浮かび上がる。
 正確にはそれは視界、というよりは意識の内側に存在しているようだった。シロエはその現象に息を詰めるが、次の瞬間には興味深く観察を始める。
 目の前の景色から意識を逸らすような感じで、おでこに集中すると、お馴染みのデータ群が見えるようだ。いや、より正しく表現するならば見えるという訳じゃないけれど「判る」。
 そこには彼が〈エルダー・テイル〉で使っているキャラクターの名前(まぁ、シロエだ)、外見、装備スロットなどが表示されている。丁寧に各種アイコンも表示済みだ。

「確定か……」

 街並みを見たときからそうじゃないかとは疑っていたけれど、もはや信じるしかなさそうだ。そのデータを見る限り、ここは〈エルダー・テイル〉の世界。そうでないにせよ、非常に近似した世界なのだ。
 ここにいるのは「シロエ」であって、自室でゲームをしていた「城鐘恵」ではない。

 周辺の多くの人々もそれに気が付いたのか、驚きの叫びや疑問を口々にわめいている。

 シロエは左右を見回すと、そのまま歩き出す。
 ここがシロエの知っているとおりの場所ならば、角を曲がったところに入り込める廃ビルがあるはずだ。このアキバの街は……その意味では〈エルダー・テイル〉の世界の何処でもそうだけど、廃墟や廃ビルが満載だ。
 廃ビルに何か用事がある訳ではないけれど、とりあえず落ち着いて座れる場所が欲しかったのだ。

 先ほどからの様子からすると、相当な大人数がこの世界に迷い込んでいるように思える。彼らと協力して事態の解決――少なくとも解明に乗り出すというのも一案なのかもしれないが、シロエはそう動けない。
 なんだかひどく場違いな気がするし、得意でもない。

 情報が足りない。
 それも、ごくごく当たり前の情報が全然まったく足りていない。

 いま誰かと協力しようとしても、情報が足りなさすぎてまともな議論をすることさえ不可能だし、下手をすればパニックを伝染させてみんなで絶望的な気分になるだけのように思える。

(実際には騒がしいのが苦手なだけなんだけどね)

 先ほど見た男の身も世もないような混乱の表情を思い出す。
 シロエが落ち着いていられるのは、案外あの男が隣で取り乱してくれたせいかもしれない。人間、すぐ近くで自分よりみっともない状態を晒してくれる他人が居れば、それなりに自分を取り戻せるものだ。

 まずは何はともあれ真っ先に試さなければならないことがある。
 シロエは、廃ビルの軒先にある瓦礫のひとつに腰を下ろすと脳内情報を呼び出して操作を試みる。
 表示を呼び出すためにはおでこのあたりに集中するだけで良いようだ。電車の車内で考え事をするときのような気分に似ている。
 しかし、メニューを操作するときはかなり集中力がいる。気合いだけでメニューのカーソルを動かすのは難しい。いっそ指で動かせたらいいのにな、と軽く触れるような想像をすると、メニューが花弁のように開いた。

(こっちの方が断然操作が早いじゃないか)

 探していたのは「報告機能」だ。〈エルダー・テイル〉は何千人ものプレイヤーが同時にサーバーにアクセスをして広大な世界で冒険を行なうRPGである。その中で起きたトラブルやバグを運営会社に連絡するための機能がこの「報告機能」に入っているのだ。
 もし仮に、いまのこのふざけた状況を解決できる「手っ取り早い」手段が存在するとすればそれは「報告機能」の「障害報告」以外にあり得ない。

 しかし当たり前のように「報告機能」の「障害報告」の欄は空白になっていた。

「……だよねぇ」

 シロエは眼鏡をずり上げながら独りごちる。もっともそこまで期待していた訳ではない。こんなばかげた状況が運営会社への通報一発で解決できるとしたら、この異世界突入が運営会社の仕掛けたイベントだと言うことになる。
 それはこんなにもリアルなヴァーチャル・リアリティが技術的に再現できるという意味であり、世界的な大発明だ。シロエが暮らす2018年の現在であってもSF小説のような全感覚没入型のシステムが完成されたなんて云うニュースは聞いたことがない。

(少なくとも、運営会社への連絡は取れない、と。
 これは、可能性としてはどーにもならない事態とかの方が高いかもなぁ)

 シロエはそのままメニューを操作し続ける。
 シロエ……もはやシロエ自身となってしまったこのキャラクターのステータスは、この事件が起きる前と同じようだった。細かい数値などで些細な変化はあるのかも知れないが、そこまで覚えている訳でも無いので確認のしようがない。少なくとも、あらゆる数値はシロエの記憶と同じ範囲に収まっている。

 〈エルダー・テイル〉はレベル制のRPGだ。シロエはこの世界での最高レベルであるレベル90を持っている。
 とは云ってもそれは別段特別なことではない。
 プレイヤーの半数弱がレベル90なのだ。

 〈エルダー・テイル〉は長い歴史を持つゲームだ。オンラインゲームの多くがそうであるように、何百という修正パッチで多くの要素を追加されてきた歴史を持っている。
 シロエが実際に体験した訳ではないが、初めて〈エルダー・テイル〉が発売されたとき、その最大レベルは40だったそうだ。ファンはその〈エルダー・テイル〉を楽しみ、最大レベルまで育てた後に「もっと冒険の続きを!」という要望の声をあげた。
 多くのそんなプレイヤーの希望に応える形で拡張パックが発売され、レベル上限が50になった。
 このような上限の引き上げが繰り返されて、現在の最高レベルは90となったのだ。

 ゲームとしての〈エルダー・テイル〉は、レベル上限が上昇して新しい冒険が追加される。プレイヤーは冒険を通して自身のキャラクターを強化し、新しいレベル上限に到達する。そして、しばらく……多くは1~2年が経過すると新しい拡張パックにより、またレベル上限が上昇する。その繰り返しだった。
 今回の拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉が発売されたらばレベル上限は100になるという話はシロエも聞いていた。いまこの時点、つまり拡張パック発売直前や直後という時期ならば、プレイヤーの過半数が最大のレベルを持っているのは不思議でも何でもない。

(そもそも、レベルさえ上げればよいって訳でもないしな)

 〈能力値〉をチェックして〈スキル〉を眺める。どれにも異常はない。ゲームのままだ。
 シロエの職業は〈付与術師〉(エンチャンター)、魔術師系の職業の一種だ。〈エルダー・テイル〉には8つの種族と12のメイン職業、数多くのサブ職業がある。そのなかで一番基本になるのはメイン職業で、これは戦士系3種、武器攻撃職3種、回復系3種、そして魔術師系3種の合計12種が存在する。

 〈付与術師〉は魔術師系の中でも援護やトリッキーな行動に特化した職業で、〈エルダー・テイル〉の世界においては圧倒的な不人気職だった。12職の中でももっとも人口が少ないと云われている。
 理由は明白で、攻撃力が低い上に、他人を援護するという性質上一人での冒険には向かないからだ。〈エルダー・テイル〉は多人数での冒険を推奨しているが、当然仲間と時間が合わなければ、どんなプレイヤーでも一人で行動をする事になる。
 単体で生存性能が高い戦士や、武器攻撃職、もしくは自分を回復してピンチを切り抜けられる回復系が人気があるのは仕方ない事だった。

(僕は気に入っているから何の問題もないんだけど)

 シロエは、少しだけため息をつく。
 シロエ自身は〈付与術師〉がそんなに悪い職業だとは思っていない。不人気職だという理由で色眼鏡で見られ、バカにされるのがうっとうしいと云えば、うっとうしいくらいだ。

 そこまで情報を確認して行き、シロエはやっと「念話機能」に思い当たった。「念話機能」はいま現在サーバーにアクセスしている知人に連絡を取る機能だ。目の前にいるならば声をかければよい。おそらくそれは現在のこの身体と世界でも出来るだろう。出来なければ困る。

 一方この「念話機能」は離れた知人と連絡を取る、いわば携帯電話のような機能だ。シロエはフレンド・リストを呼び出してスクロールさせてゆく。
 フレンド・リストはシロエが登録した知人の名前とメイン職業が登録されている。名前が暗灰色なのはサーバーに現在居ない、と云う意味だ。おそらくそれらの知人達は、職場や学校などの用事で、〈エルダー・テイル〉世界における数年に一度の大イベント「新パッチの追加の瞬間」にゲーム世界にログインできていなかったのだろう。
 本人達はずいぶん悔しい思いをしたに違いない。
 けれど、事がこうなってしまうと、この事件に巻き込まれなかったのを幸運だと言うことも出来る。

 白く輝く表示は接続中だ。シロエは接続なんて考えた自分に苦笑する。
(接続ってのも変な話だけど。今のこの状況下だと、この世界にいる、って事になるのかな……)

 メニュー画面を見ている限り、自分はゲームに接続しているような気分になれる。しかし一方、風の匂いも暖かさも何もかもが、ここが現実世界で唯一無二だと訴え続けている。
 当たり前の話だが〈エルダー・テイル〉が優れたゲームであっても、ゲームはゲームであって、頬を撫でる風や廃墟の埃臭さなんて言う部分まで表現されたりはしていなかった。

(本当に本当なのかな。――もしかしたら、眠ったりこっちの世界で死ねば、元の世界に帰れるんじゃないだろうか? それ以前に、ただの夢だったりしないかな?)

 等とシロエは思いつくが、寝るのはまだしも死ぬのはまずいと考え直す。元の世界に帰れる可能性はもちろんあるけれど「本当に死んでしまう可能性」だって無い訳じゃない。
 いや、ここまでリアルな感覚を持っていると、むしろそっちの可能性の方が高いような気がする。

(まぁ、それは後回し。いまはフレのチェックだ)

 シロエはこれでも〈エルダー・テイル〉では結構な古株で、知り合いだってそこそこには存在する。人付き合いは苦手だが、嫌いな訳ではない。だからリストは短くはない。短くはないが……では誰に連絡するか? と問われれば、それはそれで困る。

 別段本人は認めないが、――頼る。というのがひどく苦手なのだった。下手くそだと云っても良い。

 出来れば冷静で、話がわかって、情報交換が出来る相手が良い。シロエは頭の中で相手を思い浮かべてみるけれど、そんな相手は多くはない。オンラインでの付き合いだから、浅い関係の相手が殆どなのだ。

 オンラインゲームというのは仮想空間での遊びだ。

 シロエ自身はそう思わないが、中には「その場限りの付き合いだし信頼なんてものは幻想だ」なんて思っているプレイヤーだって少なくない。もちろんシロエのフレンド・リストにはそこまで露骨な人は存在しないが、それにしたって深い付き合いではないプレイヤーの方が圧倒的多数だ。

(こんな時飛んでいきたい仲間なんてそうはいないよなぁ)

 ――そんな相手は十人もいない。
 シロエはその数字にびっくりしてしまう。

 でも十人もいない、というのは、数人ならばいる。と云う意味でもある。だとすれば、それはとても……恵まれているのだ。
 シロエはそのことをよく知っている。
 「普通の」プレイヤーにとって、他のプレイヤーは信頼できる相手ではなく、その時たまたま居合わせて都合よく遊べる存在。そういう関係のほうが一般的なのだ。

 リストを繰る指先のジェスチャーが止まる。

「なんで直継がいるんだ?」

 目の前が明るくなった気がした。
 葉瀬川直継。
 それは、シロエがこのゲームで頼れるヤツと聞かれて真っ先に思い浮かべる一人だ。シロエの本名を知っている、それはつまりシロエがリアル世界の連絡先を直接教えて、しかもゲームだけではなく現実にも顔を合わせたことがあるということだ。
 直継はそんな数少ないプレイヤーでもある。

 直継とシロエは〈放蕩者の茶会〉デボーチェリ・ティーパーティーでいくつもの昼と夜を、いくつもの辺境のゾーンで、いくつもの冒険の旅を肩を並べて戦った。この〈エルダー・テイル〉においてもっとも親しいプレイヤーの一人だ。

 確認もしないままに念話機能を立ち上げる。呼び出しを知らせる遠い鈴の音。相手が応答するのをじりじりと待ち、繋がった瞬間に確認もせずに声をかける。

「直継なのかっ。復帰したのっ?」

『は? え? なんだこれ。誰だ、話しかけてるの? はろーはろー。メイディメイディこちら神話級の大ピンチっす』
「僕だよ。シロエだ」

 懐かしい直継の声。低く落ち着いたアルト。どんなピンチでも動じなかった〈放蕩者の茶会〉で一番の戦士……にしてふざけ屋。
 みんながパニックになっているこんな状況なのに、かつてとまったく変わらないくだらないネタに、シロエは突っ込むより先にほっとしてしまう。

『シロエか。なぁ、どうなってんだよ。オレがいない間に〈エルダー・テイル〉はこんなに進歩しちゃったのか? 正直引くくらいすごいんだけど。パーティクルとかレンダリングエンジンの改良とか、越えちゃってない?』
「進歩じゃないと思うぞ。むしろ突然変異とか大災害とか災厄って言う感じじゃないか?」
『だろうなぁ。すげぇ有様だよ。もうね、阿鼻叫喚ですわ。リアリティ祭りですわ。リアルの過剰摂取、リアリティのオーバーフロー。メガ盛り? テラ盛り? お腹いっぱいですわ』
 懐かしい軽口のやりとり。
 それは巻き込まれた異世界よりも、馴れないこの肉体よりも、遙かに強い現実をシロエに感じさせてくれた。

「何処にいるの、直継?」
 直継の声の背後からは、叫び声や騒がしい喧噪の音が聞こえる。
 どうやらこの念話機能は、現実の携帯電話と同じように背後の音声まで拾ってしまうらしい。

『駅前広場。あー。前は薬草売りがいたあたり?』
「とにかく合流しよう。……シデンの酒場覚えてるか? その裏手にぶっ壊れたビルあっただろ。その2階で」
『判った。すぐ行くよ』
「僕もアキバの街にいるんだ。5分もあれば合流できる」

 シロエはそう告げると、即座に廃ビルから抜け出した。
 いまは古い友人と合流することが大事だと確信して。
2010/04/20:誤字訂正
2010/04/24:誤字訂正
2010/05/29:誤字訂正
2010/06/12:誤字訂正&表紙絵掲載
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ