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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第二章 ホーロウ中年
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遊びに行こう

 今は八月九日の夜十時。

 明日の手前で、僕はパトランプの赤い光をぼんやりと眺めていた。

 白い包帯が巻かれ鋭く痛む頭。頬には絆創膏が貼られている。

 僕はゆっくりと絆創膏を撫でた。


「大丈夫か?」


 擦り傷をいじっている僕に、誰かが話しかけてきた。

 その人の顔は、後ろに立つ街灯のせいで逆光になっており真っ黒につぶれてしまっている。けれど、僕はその人が誰だ分かる。僕のよく知っている人。何度も聞いた声。


「まだ痛むか?」


「大丈夫だよ」


 ふわふわずきずきする頭がつい先ほどの出来事を現実と理解したがらない。まるで思考能力が吹き飛ばされているようだ。

 しかし、先ほどの事なので、夢だったと思うこともできない。

 とにかく、びっくりした。びっくりしている。

 何が起きたっけ?

 自分に聞き、すぐに自分が答える。

 僕は――

 ついさっき襲われたみたいだよ。




 遡ること十時間前。

 八月九日、正午。

 僕は昨日行われた馬山さんのお友達のお誕生日会の失敗を思い出し、悶々とした気持ちでお昼ご飯を食べていた。

 はぁ。

 僕が馬山さんからもっと詳しく話を聞いておけば、ああはならなかったはずだ。お誕生日会が暗くなったのは僕のせいだ。暗くするくらいなら、参加しない方がまだましだったはずだ。ああ、悲しい。


「兄ちゃん。どうしたの。元気ないね」


 いつの間にかお箸が止まっていた僕を見て、祈君が心配そうに声をかけてくれた。


「ううん。僕は何ともないよ。ごめんね、ありがとう」


 人に心配をかけるのはよくないよね。落ち込むのは一人の時にしよう。


「姉ちゃんのこと?」


「……えっと、違うよ」


 それもあるけれど。


「姉ちゃん降りてこないね」


「……うん」


 僕の作ったチャーハン。一皿だけ手つかずのままテーブルに置かれている。


「あの、祈君、お願いがあるんだけど」


「なに?」


「その、これ、お姉ちゃんの部屋に持って行ってくれないかな……?」


「いいよ」


 快く引き受けてくれた。僕が持って行っても食べてくれなさそうだから。


「せっかく作ったのに失礼だね姉ちゃんは。感謝してないのかな」


「気にしてないから、別にいいよ」


「気にしてもいいと思うけど」


 祈君が自分のご飯を中断してチャーハンとお茶を二階に持って行ってくれた。


「……はぁ」


 お姉ちゃん、怒ってるな……。

 僕も怒っているはずなのに、お姉ちゃんの顔が見たいよ。


「はぁ」


 溜息をすると幸せが逃げるというけれど、もしそれが本当ならば、僕はこれからの人生不幸なままで生きて行かなければならなそうだよ。


「謝った方がいいのかな」


 でも、友達を馬鹿にされたのは僕だし。お姉ちゃんの言っていることは一つも理解できないし。謝ろうにも、謝れないかな……。


「僕と話し合ってくれればいいのに……」


 今は、謝るとか謝らないとかそれ以前の問題だよね。お互い理解することが必要なんだ。何とか話し合いの場を設けられないかな。……それも、難しいのかな……。昨日からずっと話してない。正確には海から帰ってきてから言葉を交わしていない……。こんなこと、初めてだ。


「はぁ」


 また幸せが一つ逃げた。




 妙に重い自宅の空気に耐えかねて僕は歩いてすぐ行ける雛ちゃんの家に向かっていた。

 避難所扱いされるなんて雛ちゃんにとっても迷惑だよね……。


「あ、そうだ。電話しなくちゃ」


 そう言う約束を交わしたんだ。『家に来るときは電話をしてくれ』。危なくその約束を忘れて突撃するところだった。

 僕は携帯電話を取り出し雛ちゃんの番号を呼び出す。

 ……小嶋君と一緒にいたら、申し訳ないな……。

 怒られませんように。

 僕の心配は無用のものだった。

 雛ちゃんは普通に家にいると言っていた。今から行ってもいいかと聞いてみると、五分待てと言われた。僕は鬱空の下、ぼけっとぼさっと立ち尽くす。

 相変わらず暑い夏だ。地球温暖化が進んでいるのかな。

 そう言えば、地球温暖化に二酸化炭素はあまり関係ないと聞いた気がする。温室効果ガスだなんて言われて悪い物扱いされているけれど、実はそんなことも無いらしい。

 世間のイメージだけで『悪者』扱いをするのはよくない事だよね。本来のそれを知らなければ、良いとか悪いとか判断することは出来ないんだ。ニュースを鵜呑みにするのはやめよう。

 あ、電話だ。

 もういいらしい。僕は雛ちゃんの家に向かった。



「優大の方から遊びに来るのは珍しいな。どうしたんだ?」


 ラフな格好の雛ちゃんが僕に笑顔を向けている。


「え、もしかして迷惑だった?」


「んなわけねえじゃん! いつでも大歓迎だっ!」


 積極的に過ごすことが素敵な人生を作るのに必要だと、楠さんが言っていた。仲のいい友達がたくさんできたし、僕からみんなを誘って人生を楽しまなくちゃ。

 今まで僕はずっと受け身だった。

 誰かから声をかけられるまで僕はずっと一人だった。

 家でもほとんど一人だった。

 本を読んだり、ゲームをしたり、パソコンをいじったり。

 夏休みも一人だった。

 みんながプールへ行っている中、僕は部屋で本を読んでいた。みんなが部活で汗を流している中、僕はゲームをしていた。みんなが青春を探している中、僕は怖い話を探していた。

 夏休みが楽しみだった理由は、みんなと会わなくて済む、そういう後ろ向きな考えからだった。

 学校にいるよりは家にいる方が孤独を感じなくて済むから。みんなが楽しんでいる空間で、惨めな時間を過ごしたくなかったから。

 家でも学校でも寂しい事には変わりないけれど、現実を突きつけられない家で過ごす方がまだましだった。

 だから僕にとって、中学校はとても寂しいところだった。

 文化祭の準備をしている中、僕は隅っこの方で邪魔にならないように突っ立っていた。

 合唱コンクールでは、調和を乱さないように最後列の端でか細く声を出していた。

 運動会では、足手まといにならないようにあまり競技には参加しないようにした。

 修学旅行では、同じ班の人に迷惑がかからないように気配を消して息を殺した。

 中学時代、僕はずっと一人だった。

 でも悲しんだり寂しがったり悔やんだりする前に、僕は腐った人生に満足していたんだ。

 諦めていたというよりも、この人生が僕の精一杯だと納得していたんだ。

 今思えば、僕は死んでいたんだ。

 ――でも。

 全部過去形だ。

 文化祭も、合唱コンクールも、運動会も、修学旅行も、終わったこと。

 中学時代全部、現在進行形ではない。

 これまでの人生を悔やんではいないけれど、僕は変わる。

 過去に戻りたいとは思わないけれど、僕はこれからの人生を楽しもうと思う。

 邪魔にならないようにとか、調和を乱さないようにとか、足手まといにならないようにとか、迷惑がかからないようにとか。全部違うじゃないか。全部最低な考えではないか。

 それはつまりみんなを疑っているという事だから。

 責められるのが怖いという事は、みんなが責めると思っているという事だ。

 責めないで許してくれると思えば、僕は怯えないですんでいたのに。

 みんなを信じていなかったから、僕は一人ぼっちだったんだ。

 だからこれからはみんなを信じる。ダメな僕を受け入れてくれたみんなを、僕は疑ったりなんかしない。

 例え僕が積極的に行くことが間違いなのだとしても、みんなはそれを許してくれるから。


「優大?」


「え?」


 雛ちゃんが心配そうな顔をしている。


「なんか暗いぞ」


「そんなことないよ」


「私が暗いって言ったら暗いんだよ。なんか、悩み事があるみたいだな」


「悩み事は、ないよ。ただこれからの人生を楽しもうって考えてただけ」


「そんなことを考えるってことは今現在の人生に満足してないってことだろ。満足してたらそんな当たり前のこと考えずに済むだろうが」


「……」


 確かに、そうかも。


「何が心配なんだ? 私の家に来た理由はなんだ?」


「雛ちゃんと、遊ぼうと思ってきたんだよ? その、遊びに来るのに、理由が必要なのかな……?」


「別にいらねえけど……。でも優大が自分から来ることって珍しいから」


「その、そういうのを、改めようと思って。自分からみんなを誘わなくちゃ、みんなと仲良くなれないから。だから昨日も國人君に会いに来たんだ。遊んで仲良くなろうかなって」


 どこかへ遊びに出ようっていうのは断られたけど。


「……まあ、いいけど。でも優大、元気なさそうに突っ立ってたじゃねえか。窓から見てたぞ」


「あ、それは多分、地球温暖化を憂いていたから」


「お前グローバルなことで憂鬱になれるんだな。すげえよ」


 雛ちゃんは少し呆れていた。


「まあいいや。人に言えないこともあるよな。でも困ったら絶対に私に言えよ。どうしようもなくなる前に相談しろよ」


「うん。ありがとう」


 でも家族の問題には雛ちゃんを巻き込めないよね。


「雛ちゃん、宿題終わった?」


「あー、まあ大体な。優大は」


「僕は全然終わってない……」


 昨日楠さんも終わったと言っていたし、三田さんもほとんど終わっていたし……。僕もそろそろ宿題を頑張り始めなければ。もう夏休みは半分くらいしか残っていないんだから。


「私の写せよ。今から宿題もって優大の部屋行くか」


「え、あ、それはダメだよ」


「なんだよ。部屋に来てほしくねえってのか?」


「そっちじゃなくて、写すこと。人の努力をそっくりそのまま利用するなんてよくない事だし、夏休み明けのテストが悲惨なことになるし……」


 夏休み明けテスト。僕はそれの必要性を感じないよ……。

 だって、完全にそれは宿題をまじめにやっているかどうかのテストではないか。真面目にしない人なんているわけないのに。


「まあ、そうだな。優大の為にはならないよな。でも教えることくらいはいいだろ」


「ありがとう。分からないところがあったら教えてもらいに来るね。でも、今日は大丈夫だよ。一旦解いてみて、分からないところを把握しておくから」


「そっか。優大は偉いな」


「偉くなんかないよ。僕バカだし」


「それは関係ないだろ」


 楽しそうに雛ちゃんが笑った。素敵な笑顔だった。


「……あ、そうだ」


 突然、雛ちゃんが何かを思い出したように立ち上がった。


「? どうしたの?」


「ちょっと飲みもんもってくる」


「あ、僕も手伝うよ」


「いいから座ってろ」


 僕の横を通り過ぎる時に、立ち上がりかけた僕の肩を押さえつけてから部屋を出て行った。

 雛ちゃんはすぐに戻ってきた。

 僕が凝視していた扉が、ゆっくりと開いた。


「……ゆ、優大……」


「ありがとう雛ちゃ……どうしたの?!」


 お盆を持つ手がカタカタと震えている。血色はいいけれど表情が苦しそう。


「な、何があったの?!」


「お茶を……」


「あ、うん!」


 慌てて受け取りテーブルに置き、すぐに雛ちゃんの体に手を添える。


「何があったの?!」


「ごほっ、ごほっ」


「風邪……?」


 先ほどまでそんな様子は見てとれなかったのに。


「うぅ……足が痛い……」


「え、どこかにぶつけたの?」


「あー……頭がガンガンする……」


「やっぱり風邪?」


「お腹もいたい」


「腹痛まで……」


「腕も痛い」


「ぶつけたの……?」


「目も痛い」


「ゴミ……?」


「あー……、あと心臓が痛い」


「こここれは大変です!」


 携帯電話を取り出す。急いで救急車を呼ばなければ大変なことになってしまう! いやもう大変なことにはなっているんだった!


「ちょっと待て!」


「あいた!」


 雛ちゃんが僕の手から携帯電話を叩き落とした。


「はやく病院へ行かなくちゃ! 注射が怖いの?!」


 確かに注射は怖い! 刺されるときに笑いが出るくらい怖い! けどそんなことを言っている場合じゃないよ!


「ガキじゃねえんだからんなわけねえだろ」


「え、だったら、なんで電話を阻むの?」


「必要ねえから」


「え、でも、さっきまで色々な症状が……」


「……ごほん。あー……。苦しい……」


「や、やっぱり救急車を呼ばなくちゃ……」


 自分で病院へ行ける状態じゃないよ。


「優大の為に、病んでるんじゃないんだからね……」


「え?! あ、はい?!」


 どういうこと?! 確かに僕は病気を望んでいないけど?!


「……ん? 優大の病んでるんだからね? だっけ?」


「え! 僕のせいなの?! ごめん! 僕がここへ来たから!」


「ちげえよ! えーっと……。……ごほっ、ごほっ……。ゆ、優大の為に、病んでるんじゃないんだからな……」


「……はい」


 どういうこと?


「……あれぇ?」


「……え?」


 いったい、何が起きているのだろうか。


「……おっかしいなぁ……」


 ……。

 あ……、……なるほど……。


「分かった……」


「……ふぅ……理解してくれたか」


「雛ちゃん、病院へ行こう。ごめんね、気付いてあげられなくて……。今僕は何が起きているか分からないけど、雛ちゃんはもっと何が起きているのか分かっていないんだよね……。ごめんね」


 きっと風邪で思考が混乱しているんだ。

 やはり急いで病院へ行かなければ。


「はぁ?! ちげえっての! 優大の為に病んでるんだよ!」


「……。早く病院へ……」


「だから違うって!」


 ばばっと僕から距離をとった。


「ひ、雛ちゃん! 急に動いたら毒が……!」


「毒ってなんだよ! 盛られてねえよ!」


 元気なツッコミだけど、これはきっと痩せ我慢。


「また間違えたのかよ……」


「雛ちゃんは何も間違えてないよ。いけないのは全部ウイルスだから」


「だから違うって。体調は普通だ。むしろ良いくらい」


「でも、さっき咳が出ていたしお腹も痛がっていたし心臓も痛いって……」


「あれ演技だから」


「そんな。演技をする理由が無いよ。大丈夫、僕と一緒に病院へ……」


「違うんだよ……」


 雛ちゃんががっくりとうなだれた。何が違うのだろうか……。


「優大が喜ぶと思ってやったんだ」


 病気で僕が喜ぶ?

 

「……えっと、僕は、別にウイルス好きじゃないけど、でも、ありがとう」


「それじゃねえよ。あれだよ、『病んでれ』っていうんだろ、こうゆーの」


「……ヤンデレ?」


「ああ。小嶋の野郎に教えてもらったぜ。こういう『属性』ってのがあるんだろ。『つんでれ』みたいな感じで」


「う、うん」


 でも激しく間違っているよ。


「優大には『病んでれ属性』が無いってことか?」


「そ、そう、だね」


 雛ちゃんが演じていたのはただの重病人だけど、言わないでおこう。


「なんだよー、『つんでれ』に続きまた失敗かよー。優大は一体何が好きなんだよー」


「えっと、飾らない雛ちゃんの方が、その、何と言いますか、素敵だと、思います」


「……まあ、嬉しいけど、それじゃあダメなんだっての」


「え、え?」


 結構勇気を振り絞って言ったのに。


「はぁ。また新しい『属性』を勉強するか……」


「ひ、雛ちゃん、もしかして、アニメとかが好きになったの……?」


 やっぱり、國人君と同じ道を歩もうと……?


「んなことはない」


 よかった……。と安心してもいいものか。雛ちゃんがサブカルチャーに興味を示していないことに安心するという事は、サブカルチャーを崇拝している國人君や小嶋君を貶していることになるような気もする……。

 でも、とりあえずよかったと思うのは本心なのでほっと一息ついておこう。

 ほっ。


「ったく……」


 なにか納得していないような表情で座った雛ちゃん。


「……その、本当に、病院に行かなくてもいいんだよね?」


「大丈夫だって。仮病だから。ありがとう。あとごめんな。心配させて悪かったな」


「ううん。雛ちゃんが無事で、何よりだから」


「……まったく。お前は愛い奴だな」


「え、そんなことは、ないよ」


 否定してみたけど、『愛い』ってよく考えたら意味知らないや。帰って調べてみよう。


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