夏休みの教室は特別な空間
「ああ、それ若菜だ」
夏休みの静かな教室。
日の照りつけるグラウンドから野球部の声が飛んでくる。
その声をBGMに僕らは三人で文化祭に向けての会議をしている。
僕と、楠さんと、雛ちゃんの三人だ。楠さんが学級委員長で僕と雛ちゃんが副委員長。僕なんかが副委員長だなんてみんなに申し訳ない……。でもできる事はやろう。出来るだけ自主的にね。
この三人での会議の途中、昨日の馬との出来事を報告した僕。
「優大が若菜の秘密を見たとき若菜馬被ってたんだろ。なら今回の変質者も、馬被ってるから若菜だ」
「私は昨日山へ行ってないし、そもそも馬の被り物は紛失したから持ってない。あ、さては有野さんが私に罪を着せる為に秘密基地で佐藤君を待ち伏せしていたんでしょう。やりそう」
「やらねえよ」
僕しか知らなかった楠さんの秘密。そのせいで色々と事件が起きたのだが無事に解決。僕が嘘をついてみんなをだまして、結果僕がみんなから嫌われるというハッピーエンドですべての問題にけりがついた。しかし雛ちゃんにも嫌われるというのはかなり心に来るものがあったので、僕は楠さんにお願いして雛ちゃんにだけ真実を伝えることにした。その結果雛ちゃんと仲直りすることができた。けれど楠さんと雛ちゃんの間にはものすごーく深い溝ができてしまったのだ。ごめんね二人とも。
そう言うわけで雛ちゃんは楠さんのストレス発散の件を知っている。
「つーか、馬被って暴れるとかどこの野生児だよって話だな。優大、そういうわけわかんない奴は危ないぞ、あまり近づくなよ」
「あの――」
「暴力を振るってくる方が野生児と呼ぶにふさわしいと思うんだけど佐藤君はどう思う?」
「あの――」
「四六時中欲情している奴に言われたくねえよなぁ?」
「えっと――」
「今のは自分のこと言ってたのかな。佐藤君大丈夫? いつも力ずくで何かされてない?」
「えっと――」
「ねつ造はよくねえよな。言い負かされそうだからって適当なこと言い出すのって、だせえよな」
「その――」
「力ずくはねつ造じゃないよね。だって実際佐藤君殴られて気を失ったもんね。もう傷は治った? 佐藤君」
「その――」
とりあえず僕を介して会話をするのをやめていただきたいです……。
「そ、そんなことより、馬だよ、馬。馬が秘密基地にいたんだ。危ないね」
無理やり軌道修正だ。これくらいしなくちゃ話が進まないよ。
「変質者に私達の秘密基地が穢されるのは気分悪いな。何とか追い出すか」
「相手は大人の男の人だよ。危ないよ。雛ちゃんが怪我したら大変だよ」
「私の心配してくれんのか。優しいな優大は」
にっこりと笑顔を僕に向けてくれた。なんだか照れるね……。
「多分その変質者がかぶっているのは私の馬だと思う」
楠さんが何やら考え込む仕草をみせ、
「取り返したいな……。ちょっと行ってみようかな」
とんでもないことを言いだした。
「相手は男の人だよ。危ないよ。楠さんが怪我したら大変だよ」
「私の心配してくれるんだ。優しいね佐藤君は」
にっこりと笑顔を僕に向けてくれた。なんだか照れるね……。
「なんだよ優大っ! 若菜の心配なんかしなくてもいいだろっ!」
照れる僕に雛ちゃんがどなる。
「え、そ、そんなことできないよ。僕、危ないから気を付けてねっていうことで変質者のことを教えたんだもん。二人とも行くことは無いだろうけど気を付けてね」
僕らは何かとあそこでの思い出がある。楠さんと雛ちゃんがあそこへ行かないとも限らないから教えておいてあげないとね。
「まあ私と優大はあそこに行く理由があるからな。私たちの秘密基地だからな。私達だけの秘密基地だからな。私と優大の秘密基地だからな。若菜は理由ねえから安心だな!」
なんだか妙に秘密基地を強調していたね。そんなに秘密基地が好きなんだ。嬉しいな。
「何言ってるの? 私にとってもあのあたりは思い出の場所になったんだから行くことはあるよ」
まあ確かに楠さんの人生が変わり始めたのはあそこからだもんね。
楠さんにとっても思い出の場所だということが雛ちゃんにとっては面白くないようだ。
「何が思い出の場所だ! 無理やり優大にちゅーしやがって……! 思い出なんて綺麗な言い方すんな!」
あ、あまり、思い出させないでほしい……。
楠さんが怒る雛ちゃんを全く意に介した様子もなくつぶやいた。
「でも、実際問題私あのあたりに住んでるんだよね。家の近くに変質者が出るとか危なすぎ」
「え? 楠さんあのあたりに住んでいるの? 近所だったら、僕らと小学校中学校が一緒のはずだけど……」
「私引っ越してきたんだもん。高校から」
「あ、そうだったの?」
初耳だ。でも、確かに楠さんと同じ中学の人って聞いたことないや。
「まだ四か月ちょっとくらいかな。私はね。そういうわけでご近所さんだから仲良くしてね」
『私は』ってどういうことだろう。他の家族は違うのかな? と気になり聞こうとしたら、
「誰が仲良くするか!」
僕ではなく雛ちゃんが即答した。な、仲良くしようよ……。
「有野さんには言ってないよ。その前に有野さんの家ってどこ? 何星雲?」
「そんな遠路はるばる来ねえよ! 優大と幼馴染なんだから優大の家と近いに決まってんだろう!」
「知ってるけど」
「ははははは。優大、帰ろうか」
にこやかにブチ切れて立ち上がり、僕を引っ張り帰ろうとする雛ちゃん。
「ひ、雛ちゃん。落ち着いて。まだ文化祭についての話してないよ」
僕は立ち上がることなく雛ちゃんをなだめようとする。
「いいじゃねえか。もうどうせ話すことなんかねーって。あれだろ? 優大の提案した『女子高生が握るおはぎ喫茶』だろ? それだけでインパクトあるんだからこれ以上凝っても仕方ねえだろ。話すことはもうない」
うん、僕はそんな提案してないからね? 誰かに聞かれて勘違いされるのは嫌だよ? 僕が言ったのは和菓子喫茶だからね? 本当に大きな声で僕が提案したとかいうのやめてね?
帰ろうとする雛ちゃんを一旦席につかせて、場を落ち着かせる。
場が落ち着いたところで楠さん。
「有野さんの言う通り話し合うことはもうないよね。メニューだってもう決めちゃったし、シフトはみんながいなくちゃ話し合えないし。飾り付けだってそんな豪勢なものを用意するでもないから、うちのクラスは当日が忙しくなるだけでこんなに前から準備に取り掛かる必要はないよね。夏休みから準備を始めようって意気込んでいる先生には悪いけど、夏休みの準備は無くていいと思う」
「だな」
楠さんの言葉に雛ちゃんが頷いた。
別に何でもかんでも喧嘩腰で否定しているというわけではないんだ。正しいことや理解できることを言えばお互いちゃんとそれを認めるんだ。だからちゃんと話せば喧嘩になることは少ないと思うんだ。
「なぁ」
雛ちゃんは何か気になることがあるようだ。
「今若菜がシフトって言ったけど、名前が『女子高生が握るおはぎ喫茶』ってんなら女子が裏で男子が表になんのか?」
「多分そうなるんじゃないかな。裏って言っても、おはぎを握るところも公開しながらになると思うけどね。それがどうかしたの?」
ほら、喧嘩にならずに仲良く話しているよ。
「優大は作る方がいいんじゃねえかなって思ってさ。料理得意じゃん」
「え? でも僕男だから店のコンセプトに合わないよ?」
僕が握ったのなんか誰も食べたくないよ。
しかし楠さんは雛ちゃんの意見に賛同らしく笑顔で答えた。
「私も料理が得意だったら裏の方がいいと思うな。お店の名前を偽りの物にしたくないというのなら佐藤君が女装をするということで。はい決定。シフトの割り当てはみんながいるときにしよう。何時間交代がとかね。あと作っている姿を公開するのなら人もちゃんと配分しないとね。女子高生が握るおはぎ※ただし美少女に限る、だからね」
「お前失礼なこと言うな……。ならお前がずっと握ってろよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるね。まさかあの有野さんが私を美少女と言ってくれるなんて。隕石でも降ってくるのかな」
「降るかバカ」
楽しげに会話をしているけれど、僕は楽しくない。
「あの、ちょっと待ってね、二人とも。今僕の意見を聞かずに僕が女装することが決定しちゃったみたいだよ。これって、とっても、不自然だよね」
「んじゃあ今日の会議はこれで終わりか?」
「終わりでいいよ。特に準備はいりませんって先生に伝えておく」
「あー、なんか学校まで来た意味なかったなー。嫌な奴と顔合わせに来ただけじゃねえか」
「家に鏡が無いってこと?」
「お前の家こそ鏡ねえのか? 毎日見てれば私が誰の事言ってるか分かるはずだろ」
「そのー、僕の女装の件は……」
「私は一応女の子だから毎日鏡は見ているよ」
「私も一応女だから毎日鏡見てるわ」
「またまた。嘘が下手なんだから」
「お前は嫌味がうまいな」
「ありがと」
「そ、その……」
「なんだよ優大。何かあったのか」
やっと僕の存在に気づいてくれた。
「あ、あのね、さっきの事なんだけど……」
「ああ、変質者の件な。何とかしとく」
「え?! あ、危ないよ! ダメだよ、一人で何とかしようとしたら!」
「私なら大丈夫だって」
「そうだよ。有野さんなら大丈夫だよ」
「なんでお前が言うんだよ」
「心の底からそう思うからだけど。じゃあ、頑張ってね有野さん」
「言われなくてもがんばるわ」
う、やる気満々だよ……。危ないって言ってるのに。
せめて僕らも誰か力の強い人がついてきてくれれば。
「あ、そうだよ。國人君と一緒に行けばいいんじゃないかな」
この一帯で喧嘩最強と恐れられていた國人君なら何とかしてくれるよね。
「くにひとって誰?」
楠さんは有野さんのお兄ちゃんのことを知らないらしい。そうだよね、引っ越してきたんだもん。知らなくって当然だよ。
「國人君は雛ちゃんのお兄さんだよ。喧嘩が強いことで有名だったんだ」
「へー。兄妹そっくりなんだね」
「似てねえよ! ふざけんな!」
うん、確かに似てないよ。昔は似ていたけれど……。
「駄目かな、雛ちゃん。國人君にお願いできないかな」
「あーいやー……。あいつは多分山登れねえよ」
「……そう、なのかな……」
体が重いもんね……。
「でもま、一応聞いてみるか。今日家に来いよ」
「うん」
一緒にお願いしてみよう。
「佐藤君、有野さんの家に行くんだ」
「え? あ、うん」
「ふーん」
どうしたのかな。何かきになることでもあるのかな?
「なんだなんだ? 若菜、お前もしかして羨ましいのか?」
雛ちゃんがとっても楽しそうな笑顔を見せている。
楠さんは雛ちゃんの家に行く僕を羨ましがっているのかな? 雛ちゃんの家に行きたいってことだよね。そうだよね。
「別に羨ましくないから」
ツンと顔をそむけた。
「ふ~ん。そっかぁ~」
それを見て満足げな雛ちゃん。
楠さんも誘った方がいいのかな……。
結局この後僕は楠さんを誘うことができなかった。みんなに仲良くしてもらいたいと考えているのに、行動できないなんて情けないよ……。