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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第一章 キョーハク少女
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変わっていく日常

 僕が待ち合わせ場所にたどり着いたとき、雛ちゃんはつまらなそうに秘密基地を眺め立っていた。


「お待たせ……」


 同じようにつまらなそうな目で僕に視線をくれる。


「待ってねえよ。お前だってすぐに学校出たんだろ。待つわけねえだろ」


「そうだね……、ごめんね……」


「……」


 僕の謝罪に答えることなく、雛ちゃんが再び秘密基地を見た。

 そして、出来る限り感情を殺した声で、まるで僕に心の内が悟られまいとでもしているかのように言う。


「ここは変わらねえな」


「え?」


 いきなりすぎて僕は何も言えなかった。


「ここはずっと前から変わらねえな。汚くって小さくって。でも立派だよな。何年も放置したのにちゃんとそのままの形で立ってる。しっかりしてるよな」


「うん……」


「壊れてくれていた方が良かったのかもしれねえな」


「え?」


「ここは……あまりにもあの頃を留めすぎだ。色々と思いだしてしまう」


「色々……?」


「ああ。友達の顔とか、強い日差しとか、セミの声とか、あと、初恋とか」


「……初恋……」


「目を閉じればあの時の音が聞こえてくるみたいだ」


 僕と同じことを思っている。

 でも聞こえてこないんだ。

 もうあの頃は帰ってこない。


「昔と同じだ。だから、我慢がきかなくなる」


「我慢? 何が、我慢できなくなるの?」


「うるせぇ」


 怒られてしまった。聞いてはダメなことみたいだ。


「で、いったい何の話をしようっていうんだ」


 改めて僕を見る雛ちゃん。昔を思い出したせいなのか、少し悲しそうな目だった。


「……僕と、楠さんの関係を、雛ちゃんに知ってもらいたいんだ」


「もう知ってるよ。んなもん改めて突きつけてくんなよ」


「違うよ。雛ちゃんは勘違いしているよ」


「……勘違いか……。それだとどれほどいいか」


「勘違いだよ。絶対」


「やけに自信たっぷりだな。ならなんだよ。言ってみろよ」


「……うん……。僕と、楠さんは――」


 ……。

 何故だろう。言葉が出てこない。


「……なんで黙るんだよ」


「えっと……」


 僕にもわからない。

 ただ、妙な不安を覚える。

 誰かに見張られているような不安。

 世界が僕を監視しているようだ。

 僕が雛ちゃんと仲直りするのを嫌がっているような、僕がちゃんと言えるのかを見守ってくれているかのような。


「なんだ。やっぱり言いたくねえのか」


「そうじゃなくて……」


 物凄い敵意がこもった視線と、それを打ち消してしまうほどの安寧な視線。

 ひたすらに気持ちが悪い。不安が僕を飲み込む。

 矛盾した二つの視線の間で僕は言葉に詰まってしまった。どうすればこの胸騒ぎを取り払うことができるのだろう。

 そもそも、一体何が僕を不安定にしてくるのだろう。

 原因の分からない不協和音。

 それを止める手段を僕は知らない。


「優大」


 頭の中で鳴り響く噪音を突き抜けて雛ちゃんの声が僕の耳に入ってきた。


「お前は、なんで若菜との関係を私に言おうと思ってるんだ?」


「……それは、その、許してもらいたくって……」


「なら、なんで言いたくねえんだ?」


「……分からないけれど、よくないことが起きそうで……」


「……そう言うことなら、安心しろ」


 雛ちゃんが少しだけ笑みを作って僕との距離を縮めた。


「私はどんなことでも受け止めるから。何を言おうとしているのかは、まあ、分からねえけど、優大が私との関係をまだ続けたいって思ってんのなら、どんなにつらいことでも受け入れる。だから何も不安に思うな。私を信じろ」


 そう言って、僕の肩に手を置いてくれた。

 その瞬間僕は気付く。

 僕は雛ちゃんと向かい合って、雛ちゃんに許してもらいたいんだ。

 それなのに僕は理解不能な不安に惑わされて目的が見えなくなっていた。

 何が不安だ。

 そんなことより僕は雛ちゃんに許してもらいたいんだ。雛ちゃんと親友を続けたいんだ。

 何をためらうことがある。

 このために僕は楠さんに申し訳ない事をする決心をしたではないか。楠さんだってそれがいいって言ってくれたではないか。臆病者の自分に嫌気がする。ここで言わなければ、今感じている不安なんかの比ではない最低な人生が待っているに違いない。

 僕は雛ちゃんの顔をまっすぐに見た。


「言ってくれ、なんでも」


「うん」


 僕は不安に蓋をした。蹴散らすことはできなかったので、僕は不安を無視した。


「……実は僕、楠さんに……その、えっと、何と言えばいいのでしょうか……あの……」


 ズバッと言えない自分が情けない。


「優大。大丈夫だ」


 いつかのように、雛ちゃんが僕を優しく揺すってくれた。

 だから、言える。


「……僕、少し前から、楠さんのいうことに従わなきゃダメになったんだ……」


 無言。

 しばらく無言。

 その後に。


「……は?」


 僕の言っていることが理解できていない雛ちゃん。

 確かに、僕の言っていることは非現実的だ。ありない。


「ほ、本当なんだ! その、そうなった理由は言えないけど、僕と楠さんは、主従に近い関係なんだ……」


「ま、まて、まて……。……あの若菜が? 優大を従えている? ……なんで?」


「その、理由は言えないけど……、僕は脅されているんだ……」


「おどっ……。じゃあ、この前若菜がお前の家を訪れたっていうのはなんだ?」


「えーっと……僕を脅すネタを増やすためにきたみたい……」


 愕然としている雛ちゃん。

 そりゃそうだよ。こんな誰も信じられないような話聞かされたら、相手の頭を疑っちゃうよね……。


「脅されているってことは、お前が悪い事したってことか?」


「え、えっと、多分……」


「多分って……。いや、そう言えば理由は言えないんだったっけな」


「うん……ごめんね、雛ちゃん……」


「悪くない」


 僕の肩をぎゅっと握りしめる。


「……あいつ……。私の優大を脅すなんて許さねえ……」


 雛ちゃんの表情が冷たくなる。


「許さねえ」


 ほにゃんとした目が鋭くなる。いつも以上に、見たことのないくらい。


「あの、雛ちゃん」


「大丈夫だ。私に全部任せておけ。もう脅させねえ」


「そ、そうじゃなくて、そのね」


「うまくやる。私なら、うまくやれる……!」


「雛――」


「あいつ……ブッ飛ばす……!」


「雛ちゃん!」


 僕以外のところに意識を持っていかれていた雛ちゃんを、大声を出して無理やりこちらに引き寄せる。


「なんだよ。普通に目の前で話してるんだから大声出さなくっても聞こえる」


「雛ちゃん、ダメだよ。ダメ。絶対にダメ」


「なにがだよ。脅しのネタがばれるのが嫌なのか? 大丈夫。絶対に――」


「そう言うことじゃなくて!」


 また目の前で出された大声にうるさそうな顔をした雛ちゃん。


「……ならなんだよ」


「喧嘩は、ダメだと、思います」


 絶対に、よくない。


「……ならどうするんだよ。どうやって解決するんだよ」


「……解決……」


 そんなこと考えたことも無かった。

 でも、それなら簡単だ。


「……解決は、いいよ。何もしない。解決しなくていい」


 今まで考えてこなかったということは、解決する必要が無かったということだ。


「良いわけねえだろそれ。このまま脅されて生きていくのか?」


「うん。脅されているって言っても、よく考えたら僕あまり嫌なことされてなかったかも」


「『あまり』嫌なことされてなかった『かも』。曖昧だぞ」


「う……。い、いや、本当に嫌なことは、されていないよ?」


「でもな、私に任せてくれれば、ちょっとも嫌なことされねえんだぞ?」


「だいじょうぶ。だいじょうぶ。きっと、いつか、自分で解決して見せるから」


 僕の言葉を聞いて雛ちゃんが不満そうな顔を見せた。


「私は嫌だな。優大がそんな目に遭っているのに、何もしないなんて」


「そんな目、って言うほど大層なものじゃないよ? 僕は今日、それのことを相談しに来たんじゃなくて、雛ちゃんに事情を説明して仲直りがしたかったから来たんだ。だから何もしなくて大丈夫だよ」


 不満そうな顔は戻らない。

 何か考えるためなのか、一度下を向く、すぐに顔を上げた。


「……我慢できるのか?」


「大丈夫」


 僕の返答に雛ちゃんが目を瞑りしばらく黙りこみ、


「よしわかった。優大がそう言うのなら何もしない。自分で解決しようとするのを邪魔しちゃ悪いからな」


「うん」


 解決するつもりなんてないけれど。というより、解決できる気がしないけれど。


「でも私は若菜を許さない。やっぱり若菜は私の敵だ。一番の敵だ」


「え、そんな。ダメだよ喧嘩は」


「これは私の問題だ。お前の問題じゃない。私はあいつが優大に謝るまで若菜を仇だと思う。優大に何と言われようともう決めた」


「で、でも……」


「優大が私に手伝わせてくれないように、私も譲らない。あいつは私の敵だ!」


 そう言われたら、僕には何ともできない……。

 でも何とかしたいなぁ……。

 多分、何もさせてくれないのだろうけれど。

 何かいい考えは浮かばないものかと無言で考えているところ、雛ちゃんが言う。


「悪かったな。なんか、勘違いしちまってたよ」


 謝ってくれた。


「え、いや、ううん。全く問題ないよ? ところで一体どういう勘違いをしていたの?」


 全然わからないよ。あそこまで怒る勘違いってなんだろう。


「……え、お前、鈍すぎ……」


 え? 驚かれた。なんで?


「まあそれがお前のいいところだからな」


「い、いいところ?」


 よく分からない。


「分からなくていいよ。それがお前だ。お前は変わるな」


「……」


 僕は、変わるな。

 楠さんは言っていた。変えた方がいいって。

 変わった方がいいのか、変わらない方がいいのか。どっちがいいのだろう。

 僕としては、変わらないで生きたかったけれど、勝手に色々と変わってしまった。

 僕は変わっていないのかもしれない、でも僕の人生は激変している。

 波風のない穏やかな人生を送っていきたかったのだけれども、最近は人を怒らせたり人に恨まれたりしている。

 できる事ならば、何事もなく死んでいきたかった。

 しかしもう毎日は変わった。

 穏やかさから離れてしまっている。

 でも、何故かそれを残念だとは思わない。

 多分、いい機会なのだと思う。

 楠さんは言っていた。勇気を出せば人生が楽しくなる。

 おそらくこれが最後のチャンス。

 穏やかな人生を過ごすのか、波のある人生を過ごすのかを選択する最後のチャンスだ。

 これを逃せばきっとこれから先穏やかで何もない人生を送ることになるのだろう。

 ずっと一人で本を読んで終わる毎日を選ぶのか。脅されたり、怒られたり、殴られたり、恨まれたりする毎日を選ぶのか。

 ――僕は思い出す。

 屋上で、楠さんと一緒に食べたお弁当は、とってもおいしかったな。

 僕は。

 僕は――


「僕も変わりたくないって思っていたけれど、多分、変わった方が楽しくなると思う」


「いや、お前は変わらない方がいい。そのままの優しい優大でいてくれよ」


「――僕は臆病なんだね」


「……は?」


 いつか言われた言葉だ。

 僕は臆病。


「臆病じゃねえ。優しいんだ」


「ありがとう。でもきっと、僕は臆病者なんだよ。人と距離を縮めるのが怖かったんだね」


「いいじゃねえかそれでも。お前が距離を離そうとするのなら私がお前の方に走って行くから。お前は変わらないでいい。お前と距離を縮めたい奴だけ距離を縮めればいい。優大だって私がいれば充分だろ?」


「うん。雛ちゃんは優しいもんね。雛ちゃんといると楽しいし。でも雛ちゃんが僕との距離を縮めてくれるなら、僕もそうする。そっちの方が早く距離を縮められるもんね」


「……まあそうだけど……。優大が大勢と仲良くするなんて、なんかいやだ」


「え、ダメかな……」


「あーいやいや、ダメじゃねえけど。……まあそうだよな。お前の人生だもんな。口出しできねえよ」


 納得してくれたみたいだ。


「勇気を出して進んでいった方がいいんだよね」


「……」


 怪訝そうな顔の雛ちゃん。


「でも、お前どうしたんだ? これまでずっと、一人がいいみたいな態度を取っていたじゃねえか。何があった?」


 一人でいたいっていう態度だったんだ、僕……。なんだかちょっとショック……。


「うん。楠さんに言われたんだ。勇気を出せば人生楽しくなるよって」


「……若菜に……」


「そう。だから勇気を出してみようって思って」


「…………そうかよ」


 眉をひそめる雛ちゃん。

 敵だと言った楠さんを僕が褒めたからだろう。


「でも、雛ちゃんのおかげでもあるよ」


「……私のおかげ? 私は別に何も言った覚えねえぞ。変わるなって言ってんのに」


「雛ちゃんが、國人君に会わせてくれたから。僕も変われるんだって自信がついたんだ」


「……ちっ。あのくそデブ……!」


 また眉をしかめた。雛ちゃんのおかげなのに……。あ、もしかしてこれは國人君のおかげと言うことになるのかな。だから雛ちゃんは苦い顔をしたのかな。


「変わってどうなる。変われば何か起きるのか?」


「分からないけれど、楠さんが楽しくなるって言ってたから」


「……なんでお前は脅してくる相手の言葉を信じるんだよ」


「え、その、いくら脅してくると言っても、楠さんは凄い人だから。何でもできる人だから、信じようと……」


「……なんだそりゃ」


 あきれ返っていた。

 ……そうだよね……。雛ちゃん、あれだけ楠さんに対して怒ってくれていたのに、当事者の僕がこんなこと言うなんてもうどうしようもないよね。呆れもするよ。


「…………でもま、優しい優大らしいよ」


 笑いながら、そう言ってくれた。


「でも私は今の優大が好きだぜ。だから、変わってもいいけど、頼むから私のことを忘れないでくれよ。そうすれば、文句はねえ」


「うん。僕だって、雛ちゃんとずっと一緒にいたいもん。親友だから」


「……そっか」


 柔和な笑みを浮かべた。

 でも少しだけ悲しそう。

 僕にはわからない感情だ。


「じゃあ、そろそろ帰るか。テスト勉強しなくちゃいけねえもんな」


 忘れてた。今週はテスト週間だった。


「急いで帰らなきゃ」


「そうだな」


 僕らは一緒に山を下りた。あの頃のように。

 それなりに荒れた道で、さらに大好きな秘密基地から遠ざかっているというのに、まったく苦ではなかった。


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